ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド

戦没者追悼の日の三日連休で公開されたリトルマーメイドの実写版リメイクだが、公開前からアリエルが赤毛の白人少女から黒人になったということなどで色々話題になっていた作品だ。公開されてみると売り上げはあまり芳しくないらしい。国内ではまあまあらしいが海外の売れ行きはかなりひどく、製作費や宣伝費を考えると完全なる赤字で終わりそうだ。

まあそんなことは私はあまり興味がないのだが、作品を観た人たちの感想動画をいくつか観たところ、主役が黒人に変わったということよりも、全体的に一貫性がなく面白くないというのがよく聞く感想である。

私が聞いた批判をいくつか箇条書きにしてると、、

  • アリエルの両親は二人とも白人(魚?)なのにアリエルを含め7人の姉妹たちが全員違う人種なのはどういうわけだ?
  • アリエルの父親役のハビアー・バーダムのやる気のない演技にしらける
  • エリック(王子様)は白人なのにお母さんは黒人なのは変(養子という無理やりのこじつけも説得力がない)
  • 登場人物全員が全く違う方言(アクセント)で話すのは何故なんだ!
  • 画像が暗すぎる
  • CGが安っぽすぎる
  • フラウンダー、セバスチャン、スカトルのCG描写がしょぼすぎる
  • アクアフィナが演じるスカトルの歌が曲も歌声も酷すぎて死にたくなった
  • 原作アニメは一時間半未満だったのに実写版は二時間半で長すぎ
  • 王子様がアリエルに二回も救われる。軟弱でまるで存在感がない

とまあこんな具合だ。もしリトルマーメイドを観たことがない人がこうした批評だけを聞いたら、この映画が人魚姫を描いたミュージカルなのだということを知ることができるだろうか?はっきり言って、こういうどうでもいいことばかりが気になるということは、映画の内容そのものがつまらない証拠だろう。ポリコレばかり気にしすぎて、映画の内容に力を入れないからこういうことになるのだ。

リトルマーメイドは1989年にアニメ版が公開されて以来、ブロードウエイを始め高校や中学の演劇部などによっても何万回と舞台ミュージカルとして再現されている。どうせリメイクをするのであればすべてのキャラクターを人間にやらせるくらいの想像力が欲しかった。この映画を見るくらいなら、近所の高校生が文化祭でやった舞台を観た方がずっとましだ。(高校生の舞台を観たことがあるが、結構よかった)

オンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

私はオンラインゲームは全くやらないので内容については無知なのだが、昨今ゲームの世界でも欧米のポリコレが入り込んでおり、内容が不自然に歪められているという。特にゲーマーの間では悪名のたかいフェミニスト、Briana WuとAnitaSarkeesianらによって、プレイヤーの殆どが男性というゲーマーの世界は散々な目にあっている。(BrianaWuについては拙ブログでも過去に書いたことがある。自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

こちらのキャベツさんのユーチューブチャンネルでキャベツさんは何度もこのポリコレの悪影響について語っている。動画はそれぞれ結構長いので興味のあるかたはそちらをご覧になることをお薦めするが、この過激フェミニスト達のおかげでゲームがどのように改悪されているかというと、、

  • 美女のキャラクターがブスに変わる。何故かフェミニストは美女でグラマーな女性が嫌いなようで、あまりにも美しい主人公は少女たちに非現実的な理想を生むからとかなんとかいう理屈で、可愛かったキャラがだんだんブスになっていく。
  • 露出の多い衣装がなくなる。圧倒的に男子プレイヤーが多いゲームなのだから綺麗な女性が露出の多い服を着るのは当然のはず。
  • 筋に無関係なところで突然ヘテロだったキャラがLGBTに変貌する。文脈に関係ないところで女同士のキスシーンがあったりしてプレイヤーたちは困惑。
  • 不自然に黒人キャラが登場する、白人キャラが突然黒人に変貌したり、北欧を舞台にしたゲームの日本人制作者が登場人物に黒人が少ないと批判されたりしている。

キャベツさんは、アニータ・サキ―ジアンについての動画もあげているので興味あるかたはそちらをご覧になるのも良いだろう。

私はこれらの動画をみていて思ったのだが、時々ツイッターで私が萌え漫画のポスターなどについて批判的なツイートをすると敵意丸出しの男性オタクらに絡まれることがあるが、彼等は多分日頃から過激フェミニストによって自分らの好きなアニメやゲームを散々叩かれていることから、フェミニストに対して非常なる敵意を持っているからなのだろう。確かに彼女たちの行動を見ていると、オタク男子たちが怒るのも理解できる。

この美人がブスになるとか、白人キャラが黒人に変わるとか、やたらとLGBTが出てくるというのはテレビドラマの中でもしょっちゅうあることで、私が好きなスタートレックシリーズのディスカバリーなどはもう観ていられないほどのポリコレになっていた。主人公含め登場人物の半分以上が黒人。やたらと女性キャラが多いにもかかわらず、みんなブスかデブかその両方。オリジナルシリーズのようなミニスカートや新世代のぴちぴちスーツの美女は出て来ない。しかも前シーズンの最終回では本物の超左翼リベラル黒人女性政治家本人が登場するという、もういい加減にしろと思ってしまった。私は今シーズンはもう全く観る気ない。

ところでキャベツさんはまだ気づいていないが、こうしたポリコレの裏に居るのは単なる口うるさいフェミニストたちだけではない。フェミだけではこんなにゲーム業界全体の作品を変えてしまうような力はない。これは私が先日ご紹介したESG指標が関連している。つまり黒幕はフェミニストではなくブラックロックのような大企業なのだ。

ESGが幅を利かせている以上、今後もポリコレ迎合映画やゲームがどんどん作られていくことだろう。それに対抗するためには、消費者が抗議の声をあげ作品をボイコットしていく以外に方法はない。


2 responses to ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド実写版とオンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

苺畑カカシ11 months ago

リトルマーメイドの興行成績はかなりひどく完全なる赤字になる予定。それというのも国内の売り上げはまあまあだったのだが、中国をはじめ外国での業績はさんざんたるもの。

ティムプール曰く、アニメを実写化するならアニメのイメージに合った俳優を使うべきで、キャラクターを変えすぎたせいで人々はなつかしさを感じなかったのではないか。

ちょっと考えてみればわかることだが、実写版がお金になるのは、自分らが子どもの時に観たアニメが実写化されるということで、昔の思い出を懐かしくおもって観る人がほとんどだろう。すでに筋は分かっているわけで、楽しみにするとなると、どれだけ昔のイメージに沿った再現をするのか楽しみということもある。そしてそういう大人が自分の子供たちを連れて映画いにいくわけだ。ところがその大事なキャラクターとは似ても似つかない俳優が配役されるとなると、自分の思い出のイメージを壊されたくないと思った人も多いかったのではないだろうか。

もうひとつハリウッドは多様な人種が登場する方が諸外国で受けがいいと思ってるようだがこれは神話だ。外国の人がアメリカ映画を見る時は、自分と同じような顔をした人をみたいからではなく、アメリカ人を象徴するような人を見たいと思うのだ。それに東洋人に関して言うなら、ハリウッドと東洋とでは美的感覚が違いすぎる。私は最近のハリウッド映画で美人の東洋人を観たことがない。昔はけっこう白人と東洋人のハーフの美女とかを起用していたが、最近はアクアフィナみたいなブスが主役。私は個人的に彼女は好きだが、絶対に東洋で主役をやれる容姿ではない。

このポリコレブス東洋人の登場は多くの東洋諸国では絶対に受けは悪い。

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苺畑カカシ11 months ago

これに関する非常に適格な批評を見つけたので一部引用。
https://note.com/cockatrice/n/na78d1a1979e9

本気か?
なんで配役がカリブ海のステレオタイプ植民地構成なんですかね??????????
原作エアプか?
黒人女性を起用しておいて、王子様がイングランド人で、父親がスペイン人って、何?
ガチ無知か何か?

この配役でも、現代ものならわかる。
2022年なら黒人女性とイングランド人男性が恋に落ちるのはどこもおかしく無いし、黒人女性の父親のスペイン人男性がいるのもどこもおかしく無い。

だがこの映画は帆船が出ているので、その言い訳は通らない。
帆船は時代のアイコンそのものだからだ。
船が一体何を運んでいたのかご存じないのだろうか?
綿花ですか?砂糖ですか?タバコですか?紅茶ですか?銀ですか?
それとも別のものですか?
船は西欧に莫大な利益をもたらしたが、アフリカ及び”新大陸”は回復できない痛手を負った。

よりにもよってなんで父親のトリトン役にスペインの俳優さんを起用したのか。
ここだけ説明すると、「植民地の経営者が奴隷の家政婦を妾にして非嫡出子を作る」のは、植民地のステレオタイプである。
激動の帆船の時代をひとことで表すことはできないが、少なくとも奴隷貿易と植民地はともに同時代のアイコンである。
植民地で奴隷の黒人女性が家政婦をやらされ、西洋人の家長の妾にされる事態は実際に常態化していた。

そこにわざわざスペインの俳優さんと併せて、複数の国で構成される英国連邦で最も植民地化の主導権をとっていたイングランドの俳優さんを当てる意味を問い詰めたい。
白人男性の前でフォークの使い方がわからない黒人アリエルが、原作の白人アリエルと同じ文脈になると思っているのだろうか?
アリエルに黒人女性を起用したのに、エリック王子までそのまま移植したら、どう足掻いてもただの植民地政策の美化でしかない。
人種で文脈が激変するのが原作なのである。

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まさしくその通りなんだよな。しかもアリエルの姉たちがそれぞれ違う人種。多様性をおもうばかりにその意味を全然考えていない。トリトン王には色とりどりの側室がいたのか?それってフェミニズムのポリコレ違反だと思うけど?等々、、

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