世の中には少なからず小児性愛傾向のある人がいるらしい。そして困ったことにこういう人たちは、それが邪悪な欲望であるという意識がないのである。彼等は、『小児性愛という性嗜好を持っていたとしても実際に存在する人間に危害を加えさえしなければ、そういう欲望があるということ自体は悪いことではない』と主張する。

だが果たしてそうだろうか?

ここではっきりさせておくが、邪悪な思想を持つこと自体は罪ではあるが違法ではない。頭の中で何を考えようが人の自由だ。性的にどんな猟奇的な欲望を持とうが、それを実行に移すことがなければ、その人間が他の人間から裁かれることはないし、また裁かれるべきでもない。だが、たとえそうだとしても自分が持っている欲望は邪悪であるという自覚は持つべきである。なぜなら、それが悪いことだという自覚がないといずれ困ったことになるからだ。

人が自分がこうしたいと思う気持ちを実行に移さない理由には二つの可能性がある。ひとつは自分の欲望は邪悪なものであるから実行に移すべきではないという自制心。もうひとつは実行に移すことによって自分に不都合が生じる可能性が高い場合である。ここでいう不都合とは違法行為として罰せられる、もしくは社会的に制裁されるなどである。

普通の人は、自分で悪いことだとおもっていることは、誰に見られていなくても実行には移さない。それは犯罪を冒したら警察に捕まって罰を受けるからではなく、その行為自体が悪いことだという自覚があるからだ。

しかし道徳的観念と法律は必ずしも一致しない。不道徳な行為は必ずしも違法ではないし、違法とされる行為が必ずしも悪い行為ではない。時の政権によって設立された理不尽な法律などどこの国にも存在する。しかし理不尽な法律は反対する市民の声が大きくなれば、いずれ覆される可能性は高い。

例えば姦通罪。日本では昔結婚していない男女の性行為は違法行為だった。お互い独身だったとしても駄目だったのである。イスラム圏では今も違法な国があり、極端なところでは強姦された女性までもが姦通罪で禁固刑に処された例もあるくらいだ。しかしほとんどの文明諸国でこの法律は理不尽であるという社会的通念が広まったため、こうした法律は撤廃された。

また同性愛にしてもそうだ。西洋社会では同性愛自体が邪悪な欲望であると考える人が多かった。だから多くのキリスト教圏では同性愛行為が違法だった(イスラム圏では未だ違法な国が多い)。アメリカ最後のソドミー禁止法が撤廃されたのはほんの20年くらい前のは話である。しかしこれも、大多数の人びとが同性愛を邪悪とはみなさなくなったことで、この時代遅れの法律は撤廃となったのだ。

つまり、自由社会では、市民の大多数がその法律が理不尽であると考えるようになれば、そうした法律が撤廃される可能性は高いのだ。であるから、ある種の欲望を持つことが悪いことではないと自分が思っている場合、そしてそれを社会の多くの人が同意した場合、その法律を撤廃しようという動きが出てくるのは時間の問題なのだ。

ここで小児性愛に話を戻そう。多くの小児性愛者は自分達の持つ欲望が邪悪であるという自覚がない。そして、そういう人々を変態者扱いしてスティグマを与えることは彼等への差別を助長することであるなどと本気で言うのである。いや、彼らには変態としてのスティグマを大いにに与えるべきなのだ。もし彼らの欲望が何かの精神疾患だというのであれば、先ずその疾患を治療することから始めるべきなのであって、彼らへのスティグマを取り除くなど論外である。

今欧米社会(日本でも)で何が起きているかを考えてほしい。すでに幼稚園児を対象に明らかな性行為を模写したドラアグショーなどが横行している。幼稚園から小学校低学年の教室でポルノ教材が使われ、子供と大人の性行為を奨励するような教育がされてい子供たちに性行為を教えている幼稚園や小学校があるのだ。

なぜこんなことが起きているのか、それはLGBTQ+α活動家の少なからぬ人々が小児性愛を悪いことだとは思っておらず、小児性愛を正常な性愛として社会に認めさせようという気持ちがあるからである。

悪い欲望でないならそれを実行に移して何が悪い?結局そういうことになるのだ。


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