昨日私は「性自認は男性」と子どもがほしい」ーー“私”が抱えてきた性別違という連載記事を読んだ。最近ではホルモン治療を乳房除去などもして、一見男性に見えなくもないようになった女性が子供を産むというケースが結構聞かれるようになった。私が初めて男性自認女性の妊娠というニュースを読んだのは2008年のことであるが、(これがその時のエントリー。「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな! – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)その時は珍しかった自認男性の女性達による出産は今や珍しくなくなった。

さて、添付先の連載記事をちょっと読んでみよう。著者は佐倉イオリ。佐倉は子供の頃から性違和を感じていたが、自分が性同一性障害(GID)を病んでいるとは考えていないと語る。素人の我々にはこの違いは理解できないが、彼女はこれをこう説明している。

多くの方が、出生時に割り振られた性別と人の自認する性のアイデンティティが一致しないことを、「性同一性障害(Gender Identity Disorder)」と認識されていることだろう。実はこの性同一性障害という言葉は、世界的には過去のものになりつつある。

 米国精神医学会が発行する診断基準の最新版DSM-5は、日本でも多くの精神科医が診断基準としているものだが、ここでは2013年から性同一性障害を「性別違和(Gender Dysphoria)」へと置き換えている。また、WHOが作成する国際疾病分類の最新版ICD-11では、「精神および行動の障害」としていた性同一性障害を「性別不合(Gender Incongruence)」と変更し、分類は「性の健康に関連する状態」にあらためられた。治療は必要であっても疾病や障害ではない、という考えからだ。

 しかし2021年現在、日本では戸籍名の変更などの行政サービスや治療を受けるには「性同一性障害」の診断が求められることが多々あり、まさに過渡期のただ中にある。私も自分の状態をどう表現すればいいか、実に悩ましいところだ。このコラムでは、医師が下す診断のみを「性同一性障害」とし、それ以外は「性別違和」と表現しようと思う。 

WHOがGIDをGDと置き換えたのは、別に科学的に新発見があったからではなく、影響力のあるトランス活動家団体から自分らの性癖を精神病扱いするなという圧力を受けたからに過ぎない。WHOが医療機関としてどれだけ役にたたないインチキ組織であるかはコロナ禍で皆よくわかったことと思う。それにしても性違和を解消しようと思っていたなら、ジェンダークリニックは最悪の場所である。ジェンダークリニックはその門をくぐった人々を100%GDだと診断してしまうのだから。

佐倉のエッセイを読んでいて、彼女が病んでいるのがGIDかどうかは別として、かなり深刻な精神病に病んでいることは確かである。生い立ちを読んでいても、その後の結婚にしても、舅姑との同居にしても、普通なら非常に恵まれた環境に居た人だ。それなのに、自分が他人から受ける女性像に自分が当てはまらないという理由でどんどん鬱になっていく。

私が思うにこれらの圧力は周りが課したというより、佐倉が自分自身に課したものなのではないだろうか?女性は早く結婚して子供を三人産んで良妻賢母にならなければいけないという思い込みで自分を追い込んでいるのは佐倉自身ではないだろうか。だからそうあるべきという女性像に自分がなれない、いや、なりたくないと思うことに恐ろしいほどの罪悪感を持ってしまっている。両親も義父母も友達も、ましてや夫も、そんなことを全く求めていないのに、完璧な女になりたくない自分に嫌悪感すら持っている。

彼女は男を自認しているのではなく、社会が期待する女でいることが嫌なのである。

だがそんな違和感から脱却したいのであれば、非常に簡単な生き方がある。それは社会がこうあるべきだという女性像を拒絶すればいいのである。いや、女性像に限らず自分は世間一般的な生き方はしないと決めればいいのだ。

それは自分がどんな体で生まれたかということとは関係がない。確かに女性であるから肉体的限界はある。だがそれを言うなら、男性だって個々によって肉体の限界は違う。人々はそれなりに自分の身体を受け入れたうえで、それに耐えうる生き方をしている。偶然女性の身体で生まれたからといって、イランやアラビア諸国じゃあるまいし、日本や欧米先進国では女性に期待された人生を生きなければならないという法律はどこにもない。

彼女はどうしても子供が産みたいという。その気持ちそのものが彼女が女性であることの証拠だ。彼女が世間一般のお母さんのイメージで子育てが出来ないというなら、自分なりのイメージで子育てをしたらいい。それは性自認がなんであるかなどということとは無関係だ。

彼女は立派な女性なのだ。女性として究極の母性本能を持っていること自体が、彼女が女性である確たる証拠なのだから。

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ところで私がこのエッセイに関して自分の感想を述べたところ、誤ってとある男性に返答してしまった。この男性の名は松崎悠希といって日本人でありながらハリウッド俳優を目指し、結構著名な映画にも出演している俳優。英語の発音も完璧で素晴らしい演技力のある人なのだが、残念ながら典型的なハリウッド俳優よろしく完全にポリコレに汚染されている。下記は彼の私への返答。

『Yuki Matsuzaki 松崎悠希
@Yuki_Mats

>こどもを産みたいという女性として究極の本能
 →あなたの個人的な意見です

>おかしいでしょ。
 →あなたの個人的な意見です

>その気持ちこそが女性でしょ
 →あなたの個人的な意見です

あなたの「正しい生き方」は、あなた自身だけが守ればば良いのであって、全ての人に強制すべきじゃない』

私は佐倉に私の個人的な意見を元に「正しい生き方」などというものを強制していない。彼女のやり方より生きやすいやり方があると示唆しただけだ。それにしても人が自分の意見を述べることをすぐに「強制」などといって他人を黙らせようとするのが、左翼典型的なずるいやり方である。


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