Tag:イスラエルの歴史

常に話題になるので、今後質問された時のためにXでErected Official@OfficialErectedさんがまとめてくれたイスラエル・パレスチナ紛争の歴史を記載しておく。(転載はご了承済み)

1947年: イギリス領パレスチナ地区をイスラエル、ヨルダン、エジプト、レバノンの間で分ける案が国連で採択 1948-49年: イスラエルが建国と同時に反発したアラブ連盟軍(エジプト、ヨルダン、シリア、イラク)がイスラエルを攻め、返討ちにされ、領土を失う。 1949年: 地区の難民支援としてUNRWA設立。

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1956-57年: 航路として重要なスエズ運河をエジプトが国有化するとの宣言に反発してイギリスーフランスーイスラエル連合がエジプトに侵攻、スエズ運河まで占領するも、国際社会に非難され、最終的に撤退。地図上の変化は無し。

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1973年: ヨム・キプールの日にアラブ諸国(エジプト、シリア、イラク、ヨルダン)からの奇襲を受け、苦戦を強いられるが停戦した際にはイスラエルが占領区を増やしていた。

1987年: 第一次インティファーダの勃発。イスラエルとテロ組織の小競り合いやイスラエル人とパレスチナ人の犯罪などをきっかけにパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエル政府の間で緊張が高まる。パレスチナ人による攻撃はエスカレートしていき、爆薬を使った攻撃が頻発するようになる。

1993年: 周辺諸国で紛争を繰り返して来たパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルとの間で相互承認がなされ、オスロ合意Iが署名さる。1. 西岸・ガザ地区で5年間の暫定自治、2. 国連安保理決議に基づくパレスチナ最終地位交渉、3. 暫定自治開始後3年以内に、エルサレムの帰属、パレスチナ難民、国境等の問題を含む最終的地位交渉開始

1994年: オスロ合意に基づき、イスラエルは西岸・ガザ地区から撤退。PLOは暫定自治政府(PA)を設立。一方で、原理主義組織であるハマスやイスラム聖戦はオスロ合意を拒否、イスラエルへのテロ攻撃を続ける。相次ぐテロ攻撃によりイスラエル国内でPAに対する不信感が高まり、和平交渉は停滞。1999年に暫定自治期限が終了する。

2000年: 第二次インティファーダの勃発。衝突はガザ、西岸の全域に広がった。 2002年: イスラエル政府はテロリストの侵入を阻止するため、西岸地区に壁の建設を決定。

2005年: アッバースPA大統領がハマス等の諸派との対話、治安情勢に一定の成果を上げた結果、イスラエルとPAの双方が軍事活動と暴力の停止を宣言し、西岸6都市の移譲、パレスチナ人拘禁者900名の釈放等が合意された。

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Big Lizard’s wife(カカシ姐さん)@biglizardswife

参考にしたいのでこちらのスレッドを私のブログで転載してもいいですか?

Erected Official@OfficialErected

どうぞ使って下さい!


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