デイリーワイヤーのベン・シャピーロなど保守派のコメンテーターたちがこの映画はフェミニストのプロパガンダ映画だと言っていたので全く観るつもりはなかったのだが、同じくデイリーワイヤーのマイケル・ノールズが、いや、そうじゃない、この映画は一見フェミニストを持ち上げているように見えるが実はフェミニストをおちょくったパロディーなのだと言っていた。また別の保守派YouTubeチャンネルでは、これはフェミニストプロパガンダだが制作者の意図に反して非常に面白いコメディーになっていると言っていたので、これは観るしかないだろうと思って観て来た。

結論からいうと、私はマイケル・ノールズの言う「これはフェミニストをおちょくったパロディー」という意見に同意する。

あらすじ:バービーランドに住むバービーたちは全て完璧で最高の生活を送っている。洋服は常に美しく最高のファッション。それぞれのバービーが壁のないプラスチックのバービーハウスに住んでいる。バービーランドはバービーたち女性人形がすべてを取り仕切っており、大統領も学者もお医者もすべてバービー。ケンたちはバービーたちを引き立てる飾りに過ぎず全く権力を持たない。しかし金髪のケンはバービーを愛していて常にバービーの気を引こうと必死だが、バービーは全然興味なく、毎日ガールズナイトでディスコパーティーに明け暮れる。

そんなバービーがある日突然何かに憑かれたのように死を意識するようになる。そして人間の母と子の夢を見る。予告編でもあるようにかかとが地面についたり完璧なバービーの世界が少し歪んでいるのだ。そこでバービーは問題を解決するためにバービーランドに住む変なバービーに相談にいく。変なバービーは現実の世界へ行って、夢に出て来た女の子を探しだせという。そこでバービーは現実社会へと旅立つが、なぜかケンもついてきてしまう。

バービーとケンが訪れた現実社会は、バービーランドとは反対にすべて男性によって牛耳られている。それを知ったケンはこの家父長社会に感激し、バービーを残して一人バービーランドへ帰る。現実社会で色々あったバービーが人間の母子を連れてバービーランドに帰ってみると、何とケンがバービーランドのリーダーになり、バービーたちを召使のように扱っていたのである!バービーはケンからバービーランドの主権を取り戻そうと実社会の母子と一緒に計画するのだが、、あらすじ終わり

まずこれがフェミニストの映画ではないと思う最初の手がかりは、予告編にもあるように何もかも女性が仕切っているバービーランドに住んでいながら主役のバービーが突然、死を意識するところである。バービーランドはフェミニスト天国であり何の落ち度もないのだ。そんな国に住んでいるのに何故わざわざ不完全な現実社会に行かなければならないのか?

現実社会に行ったバービーは公園で遊ぶ子供たちやベンチに座っている老婆に見入る。幸せそうな人もいれば悲しみにくれている人もいる。バービーはそんな人たちを観て感動してしまうのだ。でも何故?全部女性が仕切って居て完璧なバービーランドから来たのに、どうしてこんな不揃いな人たちを観て感動したりするのだろうか?

注意:この先ネタバレあり!

バービーはすぐに自分の持主である中学生くらいの少女に出会う。しかし少女は自分はバービーなんて5歳くらいから遊んだことはないと言い、完璧な女性像を描く「典型的バービー」は現実の女性とは大違いで、かえって少女たちから夢を奪っていると説教されてしまい大いに傷つく。

バービー人形と他のお人形の違いは、それまでお人形と言えばみんな赤ちゃんや子供の人形だったのが、バービーは大人の女性だということ。それまでのお人形は遊ぶ子供の年齢に合わせたもので、同時に女児たちがお母さんを真似する遊びのためのものだった。言ってみればお人形遊びやおままごとというのは将来女児たちがお母さんになるための修行の始まりだったと言ってもいいだろう。ところがバービー人形は違う。彼女は大人の女性だ。独立心旺盛でお医者さんだったり弁護士だったり大統領だったりするのだ。彼女は単に完璧に美しいだけでなく立派なキャリアもあるのだ。そのうえハンサムなボーイフレンドのケンという男性まで侍らせている。まさにフェミニストの夢だろう。

ところが現実社会に行ったバービーは少女たちがバービーの完璧すぎるフェミニスト像に絶望し希望を失っていることを知るのだ。

バービーの世界はプラスチックのファンタジーの世界だ。本当の女性は典型的バービーのように美しくもなければキャリアで成功しているわけでもない。いやよしんば美人でキャリアを持っている、いってみればこの役を演じている女優のような女性の人生もバービーランドのバービーたちのように完ぺきではない。フェミニストが言うようなすべてを完璧に持ち合わせている女性などこの世に存在しないのである。

反対に現実社会でケンは男性が権力を握っていることを知る。バービーやケンの製造会社マテルの重役はすべて男性。バービーランドのケンたちはただハンサムなだけで何も出来ないお飾りなのだが、現実社会では男達が生きがいのある仕事をしているのを見て感動する。しかし現実を理解できないケンは現実社会では男だというだけでなんでもやらせてもらえるのだと勘違いしてしまう。現実社会の男性は男性だから高い地位についているのではなく、実力があるからその地位についているのだということが理解できない。それというのもバービーランドのバービーたちはバービーだというだけで権力があるからである。バービーたちの職業は本物ではない。彼女達の肩書には中身がない。バービーランドでバービーたちがケンたちより権力があるのは、そういうふうに作られたからであって、実際にバービーたちにバービーランドを仕切る才能があるわけではないのだ。

ケンはバービーより一足先にバービーランドに帰ってケンが仕切る社会を作り出す。ケンは他のケン達に「現実社会では男が尊敬されているんだ!」と興奮して語る。どうやったのかケンはバービーたちを洗脳してケンたちに仕えることに満足させてしまう。どうしてそんなことが可能なのかは全く説明されないが、まあそれはいいとしよう。

結局現実社会から戻ったバービーは洗脳されていない他のバービーと、現実社会から連れて来た母親と娘のペアの協力を得てバービーランドを元のバービー支配下に戻すことができる。しかしその時、ケンはバービーに自分は別にバービーランドを支配したかったわけではないと告白。ただ単にバービーから尊敬されてバービーに愛してもらいたかっただけだと語る。

男性は女性の尻に敷かれて生きたいのではない。だが男性がすべてを支配したいわけでもない。ただ女性から尊敬されたいだけなのだ。これがフェミニストの考える理想的男性像だろうか?

私がこの映画がフェミニストの映画だと思わない最大の理由は、最後にバービーがバービーランドを出て現実社会で生きて行こうと決めるところだ。バービーランドはフェミニストの理想社会へと戻ったのだ。典型的バービーは大統領になってその社会を仕切ればいいではないか?それなのに彼女は不完全な現実社会へと出かけていくのだ。

何故?

彼女が最後に行った場所。それは産婦人科だったのだ!

バービーはバービーランドでフェミニストの理想的社会に生きるよりも、現実社会で子供を産むことを選んだのである。これでもこの映画はフェミニスト映画と言えるだろうか?


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