ディズニーの実写版としては最高額の製作費2憶5千万を投入した映画だが、どうやら大赤字に終わりそうだ。国内の売り上げはアラジンとどっこいどっこいだったらしいのだが、何と言っても国際市場での売り上げが非常に悪い。特に中国と韓国での売り上げが9千万ドル程度らしい。製作費と広告費を合わせると6億ドルの売り上げでもトントンらしいから、もうこれはかなり悲惨な状態と言える。ディズニーとしては今週末公開された日本での収益が頼みの綱と言ったところだろう。

アメリカのメディアやディズニーは海外での不入りは中国や韓国の観客の人種差別が原因だと言っているが、それは海外の観客にかなり失礼な言い方だ。私は中国や韓国で黒人への人種差別がないとは言わないが、だから映画が不入りになるということはない。それが証拠に先週末にオープンした黒人主役のスパイダーマンアクロスザスパイダーバースは中国でも韓国でも大ヒットである。問題は主役が黒人かどうかではなく、その内容の方にあるのだ。

前回もリトルマーメイドはポリコレに気を使いすぎてなにやら訳の分からない設定になっているとお話したが、今度は話の内容についても少しお話しよう。最初に断っておくが私はアニメオリジナルは最近見直したが実写版映画のほうは観ていない。しかし映画を観た何人かの人達が作品のどの部分が変更されたかについては同じことを言っているので、それについて語るのは問題ないだろう。そして、それらの分析を聞いていて得た印象は、この実写版には愛が感じられないということだった。

今回の実写版は登場人物の人種がすげ替わったというだけでなく、その筋やキャラクターの動機なども大事なところで変更されている。

先ずアリエルが人間社会に行く動機だが、映画が公開される以前から主役のヘイル・ベイリーは、アリエルは男性なんかのために海を出るのではないと断言していた。原作ではアリエルが人間社会に行きたがる理由はただ一つ、エリックへの愛だ。

アリエルは船が難波し溺れそうになったエリック王子を救いエリックの美しさに一目ぼれし、エリックに恋焦がれて海の世界から陸の世界へ行くことを熱望する。だが2023年の現代、男のために人生を変えるなどというのはフェミニスト思想にそぐわない、女性は自分のために独立しなければならない、という考えから海を出る動機がエリックへの愛ではなく未知の世界への冒険心にと書き換えられているのだ。

しかしそうなると、アリエルは自分の声を犠牲にして、エリックがアリエルに恋に落ちて三日以内に愛のこもったキッスを受けなければならないというアースラの条件を飲むという設定には無理がある。なぜならアリエルがエリックを愛していないのなら、アリエルは自分が人間社会に行きたいがためにエリックを誘惑して利用してもかまわないという自分勝手で薄情な少女ということになってしまう。

製作者側もそれに気づいたのか、アースラはアリエルがこの条件を忘れてしまうという設定にした。しかし、これだともっとおかしなことになる。アリエルはエリックを愛しているわけでもなく、エリックにキッスをしてもらう緊急性を感じない。つまり見ている側にもその緊迫感を持つことができないのだ。

トリトン王の娘への愛も新作では感じられない。アニメ版で王がアリエルのもっていたエリックの彫像を壊すシーンでアリエルが必死に彫像を守ろうとするのはそれが愛する人の彫像だからであり、彼女の愛の象徴だからだ。トリトン王はアリエルが彫像の前で「私は彼を愛しているの!」と叫んだ時、それがどれだけアリエルにとって危険な感情であるかを察する。人魚にとって人間社会は非常に危険な場所だ。このままではアリエルは破滅の道を歩んでしまう。だからこそ彼は自分が恨まれてもいい、心を鬼にして娘への愛のためにこの彫像を壊さなければならないと考えたのだ。だからこそ彫像を壊された後に泣くアリエルをみて王の心も痛むのだ。

だが実写版の方では単にトリトン王は自分の言うことをきかない我儘娘に腹をたてて彫像を壊すと変えられている。それにアリエルがエリックを愛していないなら、これは単なる石に過ぎない。そんなものを壊されたからと言ってアリエルが嘆く理由もない。だから父親が彫像を壊すことに抗議する理由もない。無論制作者はこの矛盾にも気づいてカニのセバスチャンを彫像の傍に置くことでアリエルが焦ると変更した。しかしそうなると、トリトン王は娘に怒るあまり、娘の友達を殺すほど非情な男だということになってしまう。

次に多くの批評家が文句を言っていることに、歌の歌詞が変えられているという点だ。一つはセバスチャンが歌う「キスザガール(彼女にキスをおしよ)」だ。変えられた部分はここ。

「彼女は何も言わない、そう何も言わない、お前がキスをするまで、そうさ、お前は彼女が欲しい。見つめてごらん、わかるだろう。多分彼女だってお前が欲しいんだ、彼女に聞く方法はひとつだけ、言葉なんか要らない、一言も要らない、キスをおしよ」

しかしフェミニストらの理屈によれば、男が女の合意を得ずにキスをするのは問題だというのである。

アニメではアリエルはエリックのキスを望んでいるのだから、エリックに熱烈な愛情を込めたまなざしを向ける。わざとエリックに顔を近づけたりする。エリックがバカでなければ彼女が彼の愛を求めていることは一目瞭然だ。

しかし実写版ではアリエルはエリックを愛しても居なければアースラの条件も覚えていない訳だから、特にエリックにキスをしてもらいたいという動機はない。そんな彼女にエリックがキスをしたら確かにおかしな話ではある。これは映画のなかでも非常にロマンチックなシーンなのだが、この設定では全く台無しだ。

もうひとつ歌詞が変わったのがアースラの歌。アースラはアリエルに自分の声をアースラに渡すように説得するために、声など大して価値のあるものではないという歌を歌う。

「男はおしゃべりな女が嫌いなんだよ。女の噂話なんて退屈なのさ。陸では淑女はおとなしいのが好まれる。第一おしゃべりなんて何の役に立つんだい?男たちは会話なんかに感心しやしないんだよ。本物の紳士はそんなものは避ける。紳士は控えめな女にちやほやするのさ。」

という歌詞は無論、女はおしゃべりだというステレオタイプを強調している、とか女は男に好かれるために大人しくしておくべきだというメッセージがあるので駄目だということらしい。しかしアースラは悪役であり、アリエルを詭弁でうまく丸め込もうとしているだけだ。つまり彼女が言っていることは事実として捉えるべきではない、いやむしろその反対だ。

いったいこの映画の脚本化は原作を理解出来ているのか?

さて、この後は終盤の話でネタバレがあるが、アニメ版はもう30年も前の映画なので特にばらしても問題はないだろう。アニメではエリックのアリエルへの愛を阻止することに失敗したアースラが巨大なタコのお化けになってアリエルをさらい海を荒らす。トリトン王はアースラに立ち向かうがアースラの魔力によって惨めな生き物に変身させられてしまう。そこでエリックが勇敢にも船の先端をアースラの胸元に突撃させてアースラは退治される。アースラの死により元に戻ったトリトン王は、エリックの勇敢な行為に胸を打たれ、アリエルとの恋を祝福するのだ。

しかし実写版では強い女性を描かなければならないということで、船を使ってアースラを退治するのはエリック王子ではなくアリエルである。エリックはアリエルを愛してるはずなのに、アースラの魔力の惑わされたり、肝心な時に何も出来なかったりで、いったいこの男は何のためにこの映画に出てるのだ?なんでアリエルがこんな男と結婚するのだ?いったいこの二人は愛し合っているのか?

とまあこんな具合だ。そのほかにもセバスチャン、フラウンダー、スカトルのCGIが全然魅力的ではないとか、スカトルの声をアフレコしたアクアフィナの歌が酷いとか色々とあるが、その辺は私には解らない。

日本での公開は6/9/23で、すでに週末は終わったのでそろそろ興行成績が発表される頃だろう。中国や韓国では不入りだったが、日本での成功はあるのか、もう少し待つとしよう。

付け足し:

アリエルの姉たちの設定が変わっているという話しはしたが、そのせいで冒頭の姉たちのシーンが削除されている。(アニメではこちらの場面 https://youtu.be/wBFU7aMnrNg)

それともう一つ、セバスチャンが台所で料理されそうになるレ・パソンのシーンもベジタリアンに迎合したのかカットされている。(アニメではこちらの場面https://youtu.be/oV2SpFi4nVY)

リトルマーメイド公式サイト

  • キャストハリー・ベイリー (アリエル役), ジョナ・ハウアー=キング (エリック役), メリッサ・マッカーシー (アースラ役), ハビエル・バルデム (トリトン王役), ジェイコブ・トレンブレイ (フランダー役), オークワフィナ (スカットル役), ダヴィード・ディグス (セバスチャン役)
  • 音楽アラン・メンケン, リン=マニュエル・ミランダ
  • 監督ロブ・マーシャル

2 responses to リトルマーメイド海外市場不入りで大赤字の悲劇、愛を忘れた物語には誰も共感できない

苺畑カカシ11 months ago

どうやら日本での興行成績も思わしくないらしい。内容云々よりもやっぱりアリエルのイメージが自分が子どもの時に観たのと違うから特に見る気になれないと思った人がおおいのかもしれない。

これは人種差別云々以前の問題だろう。ミュージカルのシーンは良いので、もしアリエルがイメージ通りの女優だったらもっと成績はあがったのではないかというのが観た人たちの感想のようだ。

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苺畑カカシ11 months ago

日本人YTでの批評を見た限り、共通しているのは、主役のハリー・ベイリーの歌声はすばらしいのだが演技が下手、表情が乏しい、可愛くないということ。

本編が長すぎる。ポリコレのために変更した部分の辻褄があわないため、なんとか説明ひようとして説明が長くなりすぎた結果と思われる。余計な説明が必要なぶんだれる。

それでいてアニメで良かったシーンがカットされたりしている。

王妃のキャラは余計。

ま、そんなところだ。

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