先日、何十年と口座を持っている銀行が引っ越しするので、貸金庫の中身を引き取ってくれという通知が来た。貸金庫は主人が「重要な書類」をしまっておくために借りたものだが、あまりにも昔に借りたので中に何が入っているのかさえ思い出せないくらいだった。ただ私はパスポートや家の権利書やソーシャルセキュリティーカード(アメリカ版マイナンバー)のオリジナルのカードなどを、すぐとれるようにと他のものの上に乗せて入れたり出したりしていた。

しかし全部引き取ってくれということになったので、私は段ボール箱を持って銀行に参上。中身を調べている暇はないのですべて箱に入れて持ち帰った。どうしてこんなに大きな箱を借りていたのかというと、中には私の宝石類が沢山入っていたからだ。

実はもう30年以上も前になるが、私が当時住んでいたマンションに泥棒が入り、私が持っていた宝石がごっそり盗まれたことがあった。それで主人は何か価値のありそうな宝石はすぐ金庫にしまっておけと命令したのだ。ところが何かあるごとに金庫に宝石を取りに行くのも面倒になり、おしゃれをして出かける場所もだんだんとなくなってきていたため、金庫に預けた宝石類は日の目をみないまま長い年月が経ってしまった。

それで先日金庫の中身を全部家に持ち帰って、書類以外の宝石類を改めて吟味してみた。しかし思ったほどこれらは価値のあるものではなかった。

確かにルビーだのダイヤだのと言ったものがないわけではないが、非常に小さなもので、もし売ろうと思っても二束三文にもならないようなものばかりだったのだ。最初はEbayか何かでセリに落として売ろうかなとも考えたのだが、ふと思うことがあり考えを変えた。

私の持ってるネックレスや指輪は、確かに買った当初はかなりの値段がしたかもしれない。だが宝石類というのは買う値段は高くても売る時はその十分の一にもならない。それで思ったのだ。どうせ売っても二束三文なら、今後死ぬまで何回付けられるかわからないのだから、毎日とっかえひっかえつけようじゃないかと。

もしも家にしまっておいて盗まれたとしても、金庫に預けたまま一度もつけないのなら持っていないのと同じことではないか。だったら毎日綺麗なものを身に付けて精一杯楽しもうではないか。

おかしなもので、特にどこへ行くというわけでもないのに、毎日違うネックレスや指輪を付けようと思うと、それに合わせてセーターやシャツはどんなものを着ようかなど、ここしばらく全く考えなかったことを考えるようになった。

実は私は去年の7月の終わりに心臓の手術をしてから、自宅に閉じこもっていることが多くなっており、おしゃれなどとは縁遠い生活をしていた。毎日同じ時間い起きて、そこらへんにある特に汚れてない程度の服を身にまとい、顔を洗って常備薬を飲んで歯を磨いて短い髪の毛をブラシで1~2回すいて終わり。鏡も碌にみない日が何日も何週間も何か月も続いていた。

それがネックレスを身に付けたら、自分がどんな風に見えるだろうかと鏡を見るようになった。あれ、私の目の下にはこんなに隈があっただろうか?首筋はちょっとたるんでないか?ちょっと太っただろうか?なんだか突然私は眠りから覚めて我に返ったような気がした。

考えてみればここ2~3年私は私ではなくなっていた。コロナ禍でロックダウンになり家に閉じこもる生活が続き、家族も私も次々に大病にかかり手術だの介護だのと大変なことが続いていた。それでなんとか私がしっかりしなきゃという重荷をしょいながら、鏡を見る余裕さえなくなっていたのだ。

目を覚まそう。いつまでも落ち込んでいても始まらない。ネックレスつけておしゃれして出かけよう。お化粧もまた始めよう。人生はまだまだ続く。私が弱音を吐いてどうするのだ。私に頼っている家族が居るのに。

でもなんだか不思議。緑色のエメラルドを見ていたら、元気が出て来たから。


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