先日始まったロードオブザリングス(指輪物語)の前編リングスオブパワーがかなりの不評だという話はすでにしたが、アマゾンプライム側は番組が不評なのはすべて黒人差別のせいだという姿勢を貫き通すつもりらしく、同作品のキャストや昔の映画のキャストまで動員して「すべての人種は歓迎する」キャンペーンを始めた。あたかもトールキンファンの不満が黒人キャストにあるかのような決めつけに、我々は少なからぬ苛立ちを感じている。

LOTRの黒人エルフやドワーフに続き、ディズニー映画のアニメリメイクのピノキオの青い妖精役が丸坊主の黒人女性、そしてリトルマーメイドのアリエル役が黒人女性と、なぜか元来白人が演じるべき役を黒人に配役するのが流行っているようだ。こうしたやり方は元来のイメージを大事にする人々への侮辱であり、また黒人に対しても非常に失礼なことだと思う。

伝統的なおとぎ話や時代物やLOTRのように原作の設定が非常に厳しいものに異人種俳優を混ぜることには問題がある。これは決して私や他の視聴者が黒人俳優を見たくないとか、我々が人種差別者であるとかいう理由からではない。物語にそぐわないあり得ない設定に問題があるのだ。

私は以前から、時代劇で時代考証がしっかりしていないものには不満を述べて来た。例えば1950年代のアメリカで黒人がナイトクラブで白人と一緒にカクテルを楽しんだり、舞台の上で黒人と白人が入り混じって演技をするなど、当時の黒人差別を考慮に入れたら絶対にありえない設定である。しかしダイバーシティーの名の元に、これらの人種をごっちゃにすると、多くの観客は昔も今も人種差別の程度は同じだったと誤解してしまう。昔の人種差別がいかに酷かったかを知らなければ、現在がどれだけ良い時代であるかが解らなくなる。それで反差別活動家たちのいう今の人種差別は昔と同じように酷いという嘘を若い人たちが信じてしまうようになるのだ。

こうした時代考証を無視した配役をすると、当時あった差別も地理的文化的生物学的論理も全て無視せざる負えなくなる。人々の行き来が難しかった時代に部外者がめったにこない孤立した部族の人種がまちまち。ひとつ川を越えた村の人間さえよそ者として忌み嫌う人たちが異人種間の結婚には抵抗がないと信じなければならない。いやそれをいうなら、両親と子供の人種が違うとか、兄弟なのにまちまちな人種とか、遺伝子科学まで無視しなければならなくなる。

元々白人として描かれている役をそのまま黒人にやらせるのは演出と脚本の怠慢きわまりないやり方だと思う。これはイギリスの長寿番組で常に男性が演じて来た役を女性が演じた時にも感じたのだが、黒人や女性を起用するなら、彼らが登場しても自然であり、彼らでなければ出来ない特有の役作りをすべきである。

例えばシェークスピアの芝居で、シェークスピア時代の芝居をそのまま演じたら、オセロ以外で黒人俳優が登場する場面はない。しかし舞台を現代のニューヨークに移したらどうか?ウエストサイドストーリーがまさにそれで、モンテギュー家とキャプロット家の争いを二つのギャング集団ジェットとシャークに変えることで、白人対プエルトリコ人との争いとなり、白人でない配役が自然となった。

もしリトルマーメイドを黒人にするなら、舞台をデンマークではなく、カリブ海にでもある空想の王国を設定し、王子様も他のキャストも全員黒人にして、踊りも音楽もそれに合わせたものに作り替えればいい。

私が気に入らないのは、白人や男性用に書かれた脚本をすこしもアレンジせずに黒人や女性に演じさせることだ。せっかく別な特性を持った人たちを配役するなら、その人たちの個性を生かせる演出をすべきである。なぜおざなりのクッキーカッター的演出をするのだ。上からダイバーシティー(多様性)を反映する映画作りをしろと言われたから、じゃあ、白人役を黒人にやらせておけばいいやという安易なやりかたからは制作側の怠慢さが見え見えである。


2 responses to 多様性を満たすために白人役を黒人に演じさせる怠慢な演出にげんなり

名無しの権兵衛1 year ago

シンデレラ(2015)を見ていたら、舞踏会の場面で、黒人の姿が観られたので、自分は???でした。シンデレラはおとぎ話ですが、中世のヨーロッパに文化圏に確立したおとぎ話です。
確かに、三銃士を書いたアレクサンドル・デュマのお父さんのように、社交界の花形で、貴婦人たちにモテモテだった黒人貴族もいましたが、その時代においては彼は例外中の例外であり、一般的な存在ではありませんでしたから、やはりシンデレラの舞踏会に黒人がいるのは不自然でしょう。
(これが、デュマのお父さん。勇猛果敢な豪傑で痛快な快男子でした)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Alexandre_Dumas_(1762-1806).JPG

デュマの代表作のモンテクリスト伯を江戸時代の日本に置き換えた「日本巌窟王」というドラマがありました。登場人物はすべて日本人であり、主人公は旗本、島原の乱の際にキリシタンに内通したとでっちあげられ、投獄されたとの設定でした。
つまり外国の小説の話の大筋を守りながら、日本の史実に合わせて脚色し、視聴者が違和感なく物語の世界に入っていけるように工夫が施されていたのですね。
こうしたやり方なら、日本人がモンテクリスト伯爵を演じても何ら不自然ではないわけです。
かぐや姫を白人が演じるのなら、ヨーロッパを舞台にして、ヨーロッパの歴史や文化にあわわせて脚色すればいいわけですし、黒人が桃太郎を演じるのなら、アフリカを舞台にして、家来の犬、猿、雉をアフリカの別の動物に置き換えるとか、桃ではなく別の果物にするとかにすればいいわけです。
意味もなく、人種混合にすることで、物語が持つ本来の世界観を台無しにしてしまっている事は、大げさでなく文化破壊ではないでしょうか?

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苺畑カカシ1 year ago

>三銃士を書いたアレクサンドル・デュマのお父さんのように、社交界の花形で、貴婦人たちにモテモテだった黒人貴族もいましたが<

私はデュマのお父さんが黒人だったという話を最近になって知りました。私はデュマが凄く好きで、三銃士も巌窟王も日本語で中学生の頃に読み、後にモンテクリスト伯を英語で読みなおしました。無論原作はフランス語ですが、私はフランス語は読めないので(笑)。

ちょっと思ったんですけど、デュマのお父さんを主役にした映画とか作ったら面白いでしょうね。これなら主役が黒人なのは当然の話だし。

>デュマの代表作のモンテクリスト伯を江戸時代の日本に置き換えた「日本巌窟王」というドラマがありました。<

それは知りませんでした。でもキャラクターの人種を変えるなら、そういう工夫が必要ですよね。見てるほうも全く違和感がないし。

最近のではコナン・ドイルのバスカビルの犬の日本語版映画が公開されましたよね。あれも元々はシャーロック・ホームズの話ですが、舞台を現代の日本に移して違和感ない作品になっている(と聞きました)。

アフリカの桃太郎さんは想像するだけで面白いです。ライオンやチンパンジーや像などがお供についてきたら頼もしそう。

ともかく、俳優の人種を変えるなら、それなりの工夫と努力が必要ですが、それをするには想像力がないとできません。今のディズニーにはそういう想像力のある人が不足しているんでしょう。

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