先日、フェイスブックとインスタグラムが大型アカウント数人を「危険人物」と称して一斉に凍結してしまった。凍結されたのは私も好きなマイロ・イヤナポリスやポール・ジョセフ・ワトソン及び、突撃ジャーナリストのローラ・ルーマーといった右翼派のアカウントと、加えて極左翼のルイス・ファラカンという(ネイションオブイスラム)黒人イスラム教カルトのリーダー。ファラカンとルーマーは確かにかなりの過激派だが、一時期は奇抜なことをやっていたマイロも最近はとみにおとなしくなっていたし、ポールなどもともと全く問題になるような発言はしていない。左翼の方にはもっとずっと過激なアカウントがいくらもある。

フェイスブックはこれらの人々をバン(追放)したのみならず、危険人物と認定された人々に関して、彼らのビデオや記事を再掲したり、彼らに関して好意的な記事を書いたりした場合には、その記事を削除し、それを続ければそのアカウントも凍結するとしている。どうやら2020年の全国選挙を前に保守派意見を徹底的に弾圧しようというのがフェイスブックの創設者ザッカーバーグの魂胆らしい。

さて、これはひどい言論弾圧だという声が保守派の間からはたくさん出ているが、フェイスブックはSNSとして唯一無二ともいえる莫大な組織であるとはいえ、一応民間企業である。民間企業である以上、同社の経営方針は同社のみが決める権利があるはずだ、と普段は民間企業や大手企業に批判ばかりしている左翼連中が大喜びで叫んでいる。

しかし、これは言論の自由云々の問題ではなく、フェイスブックがSNSというサービスを提供している会社なのか、それとも特定の印刷物を出版している会社なのか決める必要があると、保守系ラジオトークショーのスティーブン・クラウダーは言う。なぜならサービス提供者と出版社ではその責任が全く違うからである。

サービス提供者というのは、電話とかインターネットとかのサービスを提供している会社のことだ。彼らは消費者が電話で何を話そうとどんな内容のメールを送ろうとそれをいちいち検閲する義理はないし、その内容によって責任を問われることはない。であるから、もしFBが単なる掲示板提供者であるなら、FB内でどんな内容の掲載があろうとFB社には全く責任が及ばないということになる。無論犯罪のライブストリームやテロ軍隊勧誘ビデオなどは規制されるべきではあるが。同時に単なる掲示板提供者であるなら人々の表現の自由を検閲する権限を失う。例えそれが白人至上主義者の熱弁であろうと、イスラム教過激派の教えであろうと許容しなければならない。つまり最低限の規則を破っていない限り、どんな人のアカウントも拒否できないのである。

それに対して、もしFBが出版社であるなら、FB内で掲載される内容に関して全面的な責任を負うことになる。もし誰かが特定の人に関する名誉棄損になるデマを流した場合、FBにも責任が及ぶのである。そうであるならFBには掲載内容を厳しく検閲する義務があり権限もある。誰にアカウントを持たせるかはFBの自由選択になる。

今問題になっているのは、こうした情報交換プラットフォームにおいて、使用規則がはっきりしていないことと、規制施行の基準がまちまちで一貫していないことにある。保守派ならだれでも実感していることだが、保守派の人が何気なく言った言葉が突然「ヘイト」だとか「差別」とか言われて削除されたり、挙句の果てには凍結されたりする。そして削除理由があいまいで一体その規則のどの部分に触れたのかという説明が全くない。だが左翼はの発言はもっとひどいあからさまな差別用語や暴力的発言が放置されている。

例えば私が実際に体験したことでは、「トランス女性は男性だ」とか「男を男と言って何が悪い?」という発言が「ヘイト」だとして削除を強要された。ところが、トランス支持派の「ターフは殺せ」「ターフを野球バットで強姦してやる!」「ターフは火あぶりにしろ」などといった発言は完全に放置されている。(ターフというのはトランス排斥主義過激派フェミニストという意味だと言われているが、いまやトランス活動を全面的に熱烈に支持することを拒む人の意味で使われている)

フェイスブックや他のSNSは世界的にそのサービスを提供しているため、世界中の規制に従わなければならないという不思議な状況に置かれている。アメリカでは全く問題にならない発言がドイツやイランや中国では駄目だということはいくらでもある。しかも掲載されて数分以内に削除しないとフェイスブックが罰金を課せられるとかいう理不尽なものもある。だからフェイスブックも躍起になって先手を打って過激派アカウントの凍結に乗り出したのだろう。

しかしこれだけ巨大な組織で一般人による投稿をいちいち検閲するなどとてもとても出来たものではない。以前にジョーダン・B・ピーターソン教授も言っていたが、フェイスブックは検閲機関の責任を負うなどという責任を請け負うのは愚かなことであり第一不可能だろうと語っていたのを思い出す。

となるとSNSは早急に自分らの立場をはっきりさせる必要がある。明らかに今のままでは存続不可能だろう。私は政府によるやたらな規制は望んでいない。だが、政府が介入するのであれば、SNSはサービスプロバイダーなのか、それとも出版社なのか、それをはっきりさせるべきだろう。規則がはっきりしないプラットフォームでは誰も安心して発言できないのだから。


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