同性の両親に育てられた子供達は成人になってから苦労する

前回ちょっとお話したマーク・レグネラス(Mark Regnerus)教授の研究だが、教授自身による説明エッセーがスレート誌に載っているので紹介しよう。

レブネラス教授は、同性両親に育てられた子供達が成人した時、異性両親の家庭で育った子供に比べ悪影響があるなどということは全くなく、子供の成長ぶりは異性両親と全く変りがないか、かえって良い結果を生むことが多いという学説は正しくないという結果を発表した。

同教授は、これまでの同性両親の子供に関する研究は対象となる家族の数が極端に少なかったことと、対象となった人々が自分らが調査対象になっていることの政治的意味を意識していたことで、その回答が影響を受けていたことから、調査としては不十分であったと語る。

だが、教授と調査団の今回のSocial Science Research社会学雑誌で発表されたthe New Family Structures Study (NFSS)という研究においては、18歳から39歳までのアメリカ人1万5千人を無差別に選び、彼らの実の母や父が同性と恋愛関係にあったことがあるかという質問をした。そのうち175人が母親が73人が父親にそのような関係があったと答えた。

母親が女性と恋愛関係を持ったことがあると答えた人たちの生活は、実の両親にずっと育てられた人たちとはずいぶん違いがあり、どちらかというと片親や離婚して再婚した両親に育てられた人たちの結果と似ていた。
同性の両親に育てられた子供たちは、異性両親に育てられた子供よりも、大人になってから失業している、不健康、鬱気味、浮気、マリワナを吸う、違法行為をする、多くのセックスパートナーが居る、性犯罪の犠牲者になりやすい、といった事実を報告している。

教授は、これについて、同性カップルは異性夫婦に比べて安定性に欠けることが原因ではないかという。父親が同性愛関係を持っている子供たちは何故か女性の両親の場合よりは多少ましだが、それでも父親とながく一緒に暮らしているケースは稀で、それが父親のパートナーとなると、同じパートナーと三年以上暮らしたという例はひとつもなかった。

例えば、親が女性同士の恋愛関係があった成人した子供の28%が失業中であり、結婚している男女の両親を持つ人の8%を大きく上回っている。また前者の40%が結婚中もしくは同棲中に浮気をした経験を認めており、これも後者の13%を大幅に上回る。また精神科の世話になったことがあると答えた人も前者は19%、後者は8%。他にも25項目において、同性両親を持つ大人と異性両親を持つ大人とでは極めて大きな違いが見られたという。

また子育てにおいても、同性カップルは異性夫婦に比べて安定性が著しく欠ける。特に女性同士のレズビアンカップルの場合、14%の子供が里親に出されており(異性両親の子供は2%)、何と40%の子供が祖父母に預けられている(異性両親の場合は10%)。そして19%の子供が18歳を待たずに独立している。母親が女性と関係があったと答えた回答者のうち18歳になるまで母親が同じパートナーと一緒に住んでいた例はたったの2%にも満たなかった。

レブネラス教授は、対象となった数が少ないので、理想的な調査だったとはいえないと書いているが、教授が希望したほどのサンプルが見つからなかったということは、それだけ子育てをしようなどという同性カップルが少ない、つまり結婚などといった長期にわたる関係を求めている同性愛者はごく僅かしかいないということだ。

この調査でも明らかなように、同性カップルは結婚というコミットメント(commitment長期に渡る誓約)には向いていない。それでも単に自分らだけの間ならさほど問題はないが、それに子育てが加わると話は別だ。特に子供の将来に悪影響を与えるとなればなおさらだ。もし上記の調査結果が正しく同性両親を持った成人した子供の生活を表しているとしたら、これだけでも同性婚など認めるべきではない。

それにしても同性愛者たちは本当にそんなに結婚したいと思っているのだろうか?この調査結果を見る限り、そんなふうには見えないのだが、、、


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リベラルによる言論弾圧、リベラルジャーナリストの告発

この間から私は言論の自由について色々書いてきた。日本もアメリカも建前は自由社会で言論の自由は保証されているはずだが、何かと言論を規制する動きはあちこちで見られる。これは日本でも同じようなことが言えるが、リベラルによる言論弾圧は最たるものだ。長年リベラル派でジャーナリストのクリスティーン・パワーズの新著The Silencing: How the Left is Killing Free Speechは、いかにリベラルメディアが統一思想を強制し反対意見の言論を弾圧するかという内容。
この間、ラジオでパワーズがこの本について語っていたのだが、昔はリベラルこそが自由社会のリーダーとして体制の言論弾圧に立ち向かうという姿勢だったのに、いったん自分らが体制となると、他の意見や思想は徹底的に弾圧する姿勢へと変わってしまった。リベラルにとってリベラルであることが普通なので、それ以外の考えは受け入れられないという姿勢をとると言っているのを聞いた。
私から言わせると、今更何いってんの?という気もしなくはないのだが、ずっとリベラルというぬるま湯にどっぷりつかっているとジャーナリストといえども外のことが見えないようだ。
面白いなと思ったのは、パワーズはフェミニストを自負してきたが、昔クリスティナ・ホフサマーズの「誰がフェミニストを乗っ取ったのか」という本が出版された時、周りのフェミニストたちから『ホフサマーズは過激派右翼保守だから、彼女の書いたことなんか読む必要はない。』と言われたのを真に受けて読まなかったという。だが、後になって興味が沸いて読んでみたら『へえ~いいこと言ってるじゃない』と思ったんだそうだ。
これを聞いていて数年前、小山エミもホフサマーズのことを「極右翼といっていいほどの保守派論者」だと言っていたのを思い出した。
やっぱりリベラルの間ではリベラル思想にちょっとでもたてつく人間は「極右翼」とか言われて黙らされるようだ。実はホフサマーズは自分のことをリベラルな民主党支持者だと言っている。最近の彼女のブログでそう書いてる。カカシから言わせれば昔はともかく、最近のホフサマーズはかなり保守派だと思うね。いい加減自分でそれに気づいてくれないものだろうか?
ま、それはそうとして、リベラルであることが普通なのだから右翼保守の意見は聞かなくてもいいといわれて素直に、はあそうですか、と聞いてしまったパワーズの姿勢もおかしなものだ。我々保守派はリベラルの考えは嫌でも聞かされているが、そうでなくても敵対する相手が何を言っているのか知っておくのはよいことである。
リベラルが違う意見を徹底的に弾圧するのは、単に相手の人格を否定したり侮辱したりといった程度ことでは済まされない。ホフサマーズが大学などで講演をしようとすると、先ずリベラル生徒たちが学校に抗議して講演そのものをやめさせようとする。学生以外の外部の団体もホフサマーズは「強姦促進者だ」「ヘイターだ」とかいって抗議文や電話攻撃をし、臆病な大学側が講演の招待を取り下げるなんてことはしょっちゅう。それがうまくいかず実際にホフサマーズが学校に現れれれば、講演会場で騒音を立てたり、会場の前で抗議デモをやったりする。時には講演を聴きに来た観客に暴力を奮ったりする。
こういう扱いを受けているのはホフサマーズに限らない。自分らが敵対する相手にこういうことをしてきたラディフェムたちも、今やトランス批判が原因で自分らも言論の場を奪われている。講演約束していた大学へ行ってみると突然キャンセルされていたり、なまじ講演が可能になっても暴力的脅迫を受け厳しい警備が必要だったりする。
昨日紹介したノースリッジ大学のロペズ教授も、同性の両親に育てられた苦労話をしたおかげで、出世を妨げられたり、学問調査の費用を取り下げられそうになったり、他の大学での講演を次々にキャンセルされたり、家族の身の危険を感じるような脅迫を受けたりしている。
最近結構リベラルジャーナリストの間からもこういう意見を聞くようになった。だが一旦リベラルのファシスト的考えに気がついてしまうと、リベラルを続けていくのは難しくなるのではないかと思うが、どうなのだろうか?


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同性カップルに育てられた子供たちの悲痛な叫び

同性の親に育てられた子供は後になって苦労するという話を以前したことがあるが、最近になって、同性に育てられて成長した子供たちの間で同性婚に反対する声が聞かれるようになった。同性同士の結婚を認めるということは単に好きな同士が一緒になるというだけでは事は収まらない。今、米国最高裁は同性結婚の合法性について審議の最中だが、同性カップルの家庭に育った当の子供たちの言い分は十分に吟味する必要があると思う。

レズビアンカップルに育てられたケイティ・ファウストという女性は、最高裁判官で同性結婚に同情的と思われているアンソニー・ケネディー裁判官に宛てた手紙のなかで同性カップルに育てられた子供たちが、どれほどつらい思いをしているか、子供たちのためにも同性婚を合法化してはならないと切々と訴えている。ファウストは子供には父と母が必要だとする。そして同性婚はその自然な家族構成を破壊するものだと主張する。

出産と子育てということに関しては、同性カップルと異性夫婦とでは全く同率ではない。子供たちのためにも二つの形は全く別に扱われるべきである。
故意に子供たちから根本的な権利を剥奪するような方針を我々は支持したり強制したり促進したりするべきではない。

実体験から来る思想だけに、彼女の言葉は鋭く厳しい。彼女は子供の頃、母親とそのパートナーの顔をうかがって如何にレズビアンに育てられている自分が幸せかと同性愛社会の集まりなどで語っていた。無論それは嘘だった。本当は実の父と母が離婚したことはファウストにとって一生涯で一番傷ついた出来事だった。彼女は周りの女たちを決して嫌っていたわけではないが、この女たち全員と父親ひとりを取り替えることが出来るなら何時でも取り替えていたという。

また、最近同性カップルに育てられた子供は異性夫婦に育てられたこどもより賢く育つなどと言う怪しげな調査結果が発表されたりしているが、それに関してもファウストは、離婚や未婚や死別などで片親を失った子供たちに関する悪影響は社会学的に証明されているにも関わらず、同性家庭で異性の片親が失われることが、子供たちに全く悪影響を及ばさないなどというのはおかしいではないかと問いかける。

やはりレズビアンカップルに育てられたへザー・バークウィットという女性もフェデラリストへの投書のなかで、同性カップルに育てられた子供が、失われた異性の片親を恋しく思う気持ちを訴えることは難しいと書いている。バークウィットは父親と別れた母親とレズビアンの恋人の二人に育てられた。バーウィックは同性両親とその仲間のLGBT社会の中で生きてきたため、LGBT社会には少なからず親近感を持っているという。だが、それでも父親が居ない環境というのは非常に寂しかったという。

同性婚は結婚の定義を変えるだけでなく、子育ての定義も変えてしまいます。それは貴重で根本的な家族構成を否定することを促進し普通化するのです。それは私たちが必要とし深く求めるものを否定し、同時に我々が自然に渇望するものを不必要とするのです。私たちは大丈夫だ、私たちは傷ついていないと。
でも誰がそれについて語ることが出来るかといえば、それは私たちなのです。(略)
わたしたちのような同性の両親を持つ子供たちには(他の子達のような)声が与えられていません。私だけではありません。私のような子は他にも大勢居ます。多くの人はあなた方に言うのが怖くて何も言えないでいます。なぜならあなた方(同姓カップル)は何故か私たちの言うことを聞いてくれないからです。あなた方は聞きたくないのです。私たちが同性の両親にそだてられたことで傷ついているなどといったら、私たちは無視されるかヘイターという汚名を着せられるだけでしょう。

同じフェデラリストに載った、バークウィットの手紙は生ぬるいとばかりに同じくレズビアンカップルに育てられたブランディ・ウォルトンが同姓カップルに宛てた手紙は、もっと手厳しい。バークウィットが今でもLGBT社会に少なからぬ親近感を持っていると書いたのに対しウォルトンは、

LGBTのような不寛容で自己中心で、他人には熱烈な情熱で寛容を求めながら、そのお返しは絶対にせず、時には仲間にすら不寛容な社会に、私は絶対に迎合しない。(LGBT)社会は彼らに同意しない人は誰彼かまわず攻撃する、違う意見がどのように愛情をこめて表現されようとお構いなしである。

ウォルトンは父母のそろった安定した家庭を求めるあまり、男性関係で苦労しひどく傷ついた。しかし現在の夫に出会い自分が母となったことで、やっと本当の家族とはいかにすばらしいかを感じている。そしてその体験が、子供にとって父親と母親の居る家庭がいかに大切であるか、同性両親や片親が異性両親よりいかに劣っているかを実感しているという。

これはほんの氷山の一角に過ぎない。同性カップルに育てられた子供たちが、異性夫婦に育てられた子供たちより恵まれて育つなどという調査は科学的とはいえないばかりでなく、私たちのような子供を対象にしていない。人々は知るべきだ、同性両親に育てられた子供たちのなかには、同性カップルによる養子縁組や同性婚に同意していない人々が結構居る。にも関わらずそういう意見は新聞の見出しに載らない。

何故、我々が同性カップルの子供たちの声をなかなか聞くことが出来ないのかといえば、同性のみの子育てに反対する意見はLGBT社会から非常な迫害を受けるからである。
ロバート・ロペズという男性はカリフォルニア州ノースリッジ大学古典英語教授で、2012年の8月、レズビアンの両親に育てられた自分の体験談「二人のママに育てられて」を出版した。

単純に言えば、同性両親に育てられるというのは非常に難しいことだった。それは近所の人の偏見が理由ではない。近所の人たちは私の家庭の中で何が起きているかほとんど知らなかった。はたからみれば、私は育ちが良く高校でもストレートAの成績で卒業した優等生だった。
だが心の中で私は混乱していた。

ロペズの目的は単に自分の体験は難しいものだったという話をしたかっただけで、同性婚や同性カップルによる養子などについても特になにも語ってこなかった。ところが、ロペズの体験談が出版された直後、スコット・「ローズ」・ローゼンズウィッグ(Scott “Rose” Rosenzweig)という男が同大学及び教授の同僚のメルアドに抗議のメールを送ってきた。その内容はロペズのエッセイは「ゲイバッシング」だというもの。これが、ロペズ教授に対するLGBT社会からの攻撃のはじまりだった。

それから教授はインターネットでゲイバッシングの最たる悪者として攻撃の的となった。教授の書いたことや彼の思想や背景は左翼リベラルの常套手段の歪曲に次ぐ歪曲で批判された。教授は二回に渡って反論を発表したが、一度同性愛の敵とレッテルを貼られた以上何を言っても無駄だった。教授への嫌がらせはこの程度ではすまなかった。それについて書くとものすごく長くなってしまうのでまた後ほどに改めて書こうと思うが、早い話、LGBT活動家のおかげで教授は同大学での出世を邪魔され、生徒や同僚や家族や友達までもが巻き込まれて、自分や家族の身の安全すら脅かされるほどの攻撃を三年近くずっと受けているという。これが単にレズビアンカップルに育てられたつらい子供時代の体験談を書いたことがきっかけだというのだから恐ろしい。

どうりで同性カップルの子供たちが自分らの気持ちをおおっぴらに表現できないわけである。
反対意見は徹底的に弾圧する。それが左翼リベラルのやり方だ。
だが今こそ我々はこうした子供たちの悲痛な訴えに耳を傾けねばならない。同性婚は文明社会の基盤を根底から崩すものだ。断じて許してはならない。


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同性婚、左翼リベラルの行き過ぎが再び裏目にでるかも

昨日の「チックフィルエで同性同士がキッスをする日」は完全な大失敗に終わった。全国各地のチックフィルエーには特にこれといった抗議者は集まらず、主流メディアが前日から煽って宣伝したにも関わらず、メディアが完全無視した水曜日の感謝する日が大盛況だったのに対し、ほとんどのお店で抗議者の数はゼロだった。テキサスのチックフィルエーでは抗議者だけでなく、メディアが騒いだせいで普通のお客さんも敬遠して行かなかったらしく閑古鳥が鳴いていた。ま、いくつかのチックフィルエ支店では多少の営業妨害にはなったかもしれないが、大抵の店は特に「〜の日」という影響は受けなかったようだ。
ただハリウッドの支店だけは、ウエストハリウッドがゲイのメッカということもあり、10数人の変態が集まってえげつないことを書いた看板を掲げたり、醜い中年の男達が抱き合ってキッスしたりする気持ち悪いシーンが繰り広げられた。また、カリフォルニアのトーレンス支店では、なにものかが店の壁に落書きするなどといったことも起きた。
感謝の日に集まった保守派たちは、一時間以上もおとなしく列に並んでサンドイッチを買って帰っただけだったのに、どうして左翼リベラルが集まると、こうも醜い騒ぎになってしまうのだろう。
以前にミスカリフォルニアのキャリー・ペリジャンが結婚は一夫一婦制でしかるべきと語りミスカリフォルニアの座から引き下ろされた事件の時もそうだったが、メディアは一夫一婦制を信じることが問題な思想と表現する。一夫一婦制を確認する憲法改正案や州法を国民投票にかけた州では、一度もその法案が負けたことはないのだ。つまり、アメリカ全国各地の有権者はその清き一票によって同性結婚を拒否し伝統的な結婚制度を守り続けているのである。リベラルと言われるカリフォルニア州ですらそうなのである。
アメリカ人の大多数が同性結婚を支持していないのに、それを表現する発言が何故「問題な発言」だとされ、憎しみだとか、同性愛者恐怖症だとか、人権侵害だとか言われてさげすまれなければならないのだ?
左翼リベラルのやり方はいわゆる「いじめ」だ。自分の気に入らない意見は邪悪な思想だと決めつける。左翼リベラルが権力を握ると、奴らは自分らの権力を使って違う意見を弾圧する。
今年の6月、同性の両親に育てられた子供たちは成人してから必ずしも良い結果を生まないという研究を発表したテキサス大学のマーク・レグネラス教授などは左翼リベラルから猛攻撃を受けている
奴らは教授の研究内容を議論するのではなく、教授個人の信頼性を攻撃し、教授のキャリアを潰しにかかった。批評家の一人Scott Rosensweigという男は、教授は「科学的に学術的に悪行をおこなった。」と攻撃し、教授の信用を落とし黙らせようと必死である。この男に煽動された200人あまりの学者達が、レグネラス教授の論文を掲載したソーシャルサイエンスリサーチに対し、何故あのような論文を掲載したのだ、と苦情の手紙を送った。ソーシャル、、誌批評家が言うような掲載に関する問題は全くないと語っている。
もし、今回のことで同性愛運動家たちが、同性結婚の実現に一歩でも近づいたと思っているなら、それは大きな計算違いだ。私は以前に同性婚支持者たちの行き過ぎな行為は、かえって一般人からの反感を買い、彼らの立場はより悪いものになると書いた事がある。

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

左翼リベラルが同性婚を我々に押し付ければ押し付けるほど、我々の心は彼らから離れてしまうのだ。そうなって一番困るのは自分達だということに彼らはまだ気がつかないでいる。


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