先日の25日(6/25/17)、シカゴで行われたゲイプライドの一部である毎年恒例ダイクマーチ(女性同性愛者行進)でユダヤの象徴である「デイビッドの星」旗を掲げていた三人の参加者が退場を求められるという事件が起きた。主催者によると行進は親パレスチナおよび反シオニストの行進であるため、イスラエル国旗に記されているユダヤの象徴を掲げることは参加者の安全を損ない不安にさせるものであるということであった。他にもアメリカの星条旗を掲げていた女性が退場をもとめられるという場面もあった。何故ダイクマーチが特定の民族を守り、特定の民族を迫害する行進になってしまったのか、参加者のなかにも疑問を投げかける人々もいた。
皮肉なのは、同性結婚を認めているアメリカや中東で唯一同性愛者の人権を認めているイスラエル国の旗を阻害する行為だ。パレスチナがメンバーのイスラム圏の国々では同性愛行為そのものが違法であり、多くの同性愛者が極刑を含めひどい迫害を受けているという事実をこのダイクマーチの女たちは完全無視している。
欧米のフェミニストたちがイスラム教による女性や同性愛者弾圧に無関心なのは今に始まったことではないが、先日もアメリカの議会公聴会でリベラルと称するフェミニスト議員たちがいかにイスラムの女性虐待に興味がないかを象徴する出来事があった。
去る6月22日、アヤーン・ハーシ・アリとアスラ・Q・ノマンジューン(AYAAN HIRSI ALI and ASRA Q. NOMANIJUNE )という二人の元イスラム教徒がアメリカ議会の前でモスレム社会による女性虐待の実態について証言したが、常に女性の味方を装っている民主党女性議員の間からは何の質問もないという不思議な現象が起きた。(アリ女史についてはよもぎねこさんが詳しい紹介をしてくれているので是非参照のこと。)
それについて二人の女性はこの不思議な体験を語っている。

アリ女史とノマンジューン女史が証言をする一週間前、カリフォルニア代表民主党上院議員のカマラ・ハリス女史は共和党上院議員が、ハリス議員によるジェフ・セッション司法局長への尋問を途中で妨げたことで、議会はいまだに男女差別の文化があると大騒ぎをした。しかしその一週間後に、同じハリス議員は国土安全保障に関する公聴会でイスラム教による極悪な女性虐待について証言した二人の女性の証言を完全無視した。
二人の女性は国会での公聴会ということで非常に緊張していたのだが、ハリスを含め他三人の民主党女性議員からの質問は全くなかったと語る。

これは単なる落ち度では済まされない。マッククリスタル上院議員(女性)は一時、公聴会のテーマそのものに疑問を覚えると語った。「特定の宗教を歪曲し悪と偏向するのは異例だ。」と彼女は「宗教に固執すべきでは」なく「心配だ」だと付け加えた。

結局質問は二人の女性を招待した共和党のウィスコンシン州代表ロイ・ジョンソン議員とモンタナ州代表スティーブ・ダニエル議員によるものに留まった。

聖廟の司教者たちの前で我々が透明であると同じように民主党女性上院議員の前でも私たちは透明なのだ。

ハリス議員やその他の民主党女性議員たちのこれまでの言動から、彼女たちが女性問題について無関心であるとは誰も思わない。ではなぜイスラム教による女性虐待に関してだけは無関心で居られるのだろうか?いや、無関心どころの騒ぎではない。彼女たちの行為は積極的な隠蔽だ言論弾圧だ。
なぜ自称革新派の女性たちはイスラム教による明らかな女性虐待に目をつむるのだ? 他宗教や文化によるものであれば絶対に許されない女性虐待をなぜイスラム教にだけは許すのだ?イスラム圏に住む女性の身などどうでもいいというのか?それこそ人種差別ではないのか?

「男女賃金不均衡や妊娠人工中絶医療機関や職場での男女差別に関しては色々言うことのある人々からは、未だに名誉殺人や幼女結婚や一夫多妻制や性奴隷や女児性器切除といった虐待に対する発言がない。」

議会で証言したのは民主党が好む有色人種のアフリカ人とインド人女性。元イスラム教徒としてイスラム社会を非常に理解している体験者である。彼女たちの証言は実際の体験談であり、誰かによる推論や他人の受け売りではないのである。にもかかわらず、いや、だからこそ、民主党フェミニストたちは彼女たちの証言を聞きたくなかったのだ。
その答えは簡単だろう。もし彼女たちが本気で過激派イスラム教思想の真実を認めたなら、ランプ大統領による過激派イスラム圏諸国からの移民規制に対する批判が成り立たなくなる。元モスレムの女性たちの証言が事実であったならば、イスラムは平和な宗教だという民主党によるプロパガンダが崩れてしまうからだ。
後退派左翼にとって、本当の意味での女性人権などどうでもいいのだ。イスラム教に同調することで自分らの政治権力を強めることが出来さえすれば、女性人権など地に落ちろである。彼・彼女たちにとって女性の安全など最初から問題ではないのである。フェミニストなどという言葉は最初から無意味なのだ。
後退派左翼のアジェンダが実を結ぶに至っては、常に犠牲になるのが女子供という弱者であることを我々は肝に銘じておくことが必要だ。


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