よくユーチューブに掲載される若者たちによる訴えを聞いていると常に「自分は犠牲者なのに周りがいたわってくれない」というものばかり。はっきり言って「大人になれ!」と言ってやりたいものであふれかえっているが、特に最近目につくようになったものにファットシェイミング(Fat Shaming 肥満を辱める行為)というものがある。要するに太っている人は周りから白い目でみられたり、あざわられたり、ひどい時は、赤の他人から写真やビデオに撮られてユーチューブに挙げられたりして、太っていることを辱められる行為という意味。
確かに他人の容姿を馬鹿にしたりあざ笑ったりする好意は不謹慎であり失礼である。だが、他人の気持ちを傷つける行為は慎むべきだという単なる礼儀の問題が、ビキニモデルの街頭ポスターやフィットネス専門家の「運動しよう」という呼びかけや、医者が肥満は不健康なので痩せる努力をすべきだと忠告する行為まで「ファットシェイミングだ!」と言って弾圧しようとなってくると話は別。
最近は太っていることと不健康とは関係ないと主張して極太りの女たちが何重腹の肢体を丸出しにしてビデオブログで掲載するのが流行っている。こういう女たちは「デブは美しい」と主張し、自分らの身体に自信があるとか誇りに思うとか意って肥満を正当化し世間に受け入れさそうとしている。そしてそういう行動は不健康だと批判する人間を実際に失礼なだけの連中と一緒くたにして「ファットシェイミングだ!」と糾弾するのだ。
スポーツイラストレイテドというアメリカの人気スポーツ月刊誌が、ちょっと前にプラスサイズのビキニモデル、アシュレー・グラハムを表紙に掲載したことで話題になった。全国の肥満女性たちから同雑誌が肥満女性でも美しいということを認めたとして絶賛されたが、その当のモデルが最近公開した写真が「痩せすぎ」だとして元ファンという女性たちの間から非常に憎しみに満ちた(ヘイトメールだあ!!)メールが殺到。左翼リベラルは何かと右翼保守や常識人に対してジャッジメンタル(すぐ善悪で判断をする行為)だと批判するが、自分らこそ何かと他人をすぐ善悪で判断する。
メールの内容は、『プラスサイズの見本として尊敬していたのに、そんなに痩せるなんて裏切りだ、もうファンはやめる、この糞女!』とか『そんなに痩せてプラスサイズの代表とかよく言えるな!』とかいったもの。言葉使いはもっとひどいが、まあこのへんにしておく。
あまりの批判に当の本人は「写真の構図から痩せて見えるだけ。私は1ポンド(0.45kg)も痩せてない、と説明するに至った。
アシュレー自身が実際に痩せたかどうかは別として、他人が太っていることを批判するのはいけないと大騒ぎする連中が他人が痩せたことを批判するというのはどういうことか?どんなサイズでも美しいというのが彼女たちの主張ではなかったのか? これでは肥満を受け入れろというより、肥満以外は受け入れられないという姿勢になってしまう。
太った人は色々な意味で不便なのはわかる。飛行機やローラーコースターの座席など、標準体型の人にはわからない苦労があるだろう。だが、それをいうなら色々な障害のある人たちが苦労することとそう変わらない。ただ、病気や怪我で身体障害になった人たちと違って肥満の人には痩せるという解決策がある。肥満はある意味で個人の選択だ。選択の余地のない身体障害者たちと一緒にすべきではない。
そんなことをいうと、カカシさんは太ってないから太った人の気持ちが解らないのだ、誰も好き好んで太ったわけじゃない、と言う人があるだろう。実は私がこのブログを書き始めた10年前くらいまで私はかなり太っていた。ま、アメリカの超肥満のひとたちから比べたらそれほどでもなかったが、日本の標準体型から行ったら何十キロもオーバーしていた。その後ダイエットと運動でかなり痩せ標準体型に近づき、それを9年くらい保っている。それでも未だに痩せているとはお世辞にも言えないオバサン体型。
私自身、何も好き好んで太っていたわけではない。ダイエットや運動にも自分では励んでいるつもりだった。だから、毒舌家の母から「カカシちゃんは太ってるわねえ、そのお尻なんとかならないの」とか散々言われてものすごく腹が立ったものだ。ファットシェイミングというなら我が母なんぞはファットシェイミングの女王様である。
太っていた過去があるから言わせてもらうが、やり方によって痩せることは可能だ。それは決して簡単ではないし今でも現状維持にはものすごく苦労している。だが、自分が太っていることに満足することは決して健康的なことではない。『私は太っていても美しいのだ、『私は太っている自分を祝福し誇りに思うのだ、『私はありのままの自分を愛するのだ』という考え方は一見、向上的な考えのように見えるが、実はそれは努力をしたくない人々の「あきらめ」でしかない。
それでも、もし肥満が多々の病気を誘発するものでないのであれば、本人が満足ならそれはそれでいいかもしれない。だが、現状では、標準体型でないことで起きる障害を避けることはできないし、いくら「デブは美しい」と言ってみても、標準体型(よって健康体の象徴)を最も美しいと感じる原始時代からの人間の本能を変えることも出来ない。自分は肥満でいいのだと自分で決めた以上、他人から受ける批判も覚悟の上ですることが必要だ。自分の態度を改めずに、痩せようと努力している人を責めたり、フィットネスや医療専門家のアドバイスをファットシェイミングだからを止めろとか、周りに肥満を美しいと認めろとか要求するのは自分勝手な被害者論理だ。
左翼リベラルによる他者弾圧は常に弱さを武器にしたやり方だ。常識人なら普通に持っている弱者への思いやりを悪用し、弱者を特別扱いしないのはお前が冷血人間だからだ、と相手の良心に訴えて相手が黒人差別者だとか同性愛差別者だとか女性差別者だとか言われるのを恐れることを狙って相手の言論を弾圧しようとするのである。
犠牲者をきどった弱者の横暴は大嫌いだ!


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