先週木曜日(1/29/2015)テキサス州オースティン市で開かれたテキサス首都イスラム教徒の日の11周年記念式典が、地元主婦の飛び入り抗議で一時妨害されるという事件が起きた。このおばちゃんは式典のマイクをもぎとって「モハメッドは似非預言者だ、イスラムによる合衆国独裁は絶対にない、テキサスの独裁はわれ等が神のお導きによって断じて許さない!」と叫んで立ち去った。
あっぱれ、おばちゃん!
欧米諸国のメディアや政府がイスラム教に遠慮して何も言えない時代に、たった一人の主婦がイスラム教徒の式典を妨害するとは、なんたる勇敢な行為だろう。
あれ、ちょっと待ってよ、カカシさん、あなた言論の自由はどんなものでも守るべきという立場だったのではないの?
と聞かれそうだが、ことイスラム教に関してはそんな礼儀は必要ないと思う。なぜならば、他人の言論の自由を尊重するという行為は一方通行であってはならないからだ。自分らへの批判を暴力で威嚇し脅迫し弾圧するような宗教団体は、言論の自由を守られる権限を自ら放棄したものと見るべきである。
それに、だいたいどうしてテキサス州には政府公認のイスラム教の日なんてものが存在するのだ?他にもカトリック教の日とかクリスチャンの日とかユダヤ教の日とかあるのか?かなり疑問だ。はっきり言って政府がスポンサーになってある特殊の宗教を讃える日など作ったら、無宗教団体が放っておかないはず。イスラム教の式典だけは黙認する無宗教運動家らの偽善にも呆れるね。
もっともこの日が政府公認の公式な日なのかどうかはわからない。アメリカのイスラム教団体CAIRが勝手につくった日なのかもしれない。
で、この日はテキサス中から集まったイスラム教徒が州政府の議員たちの事務所を巡って色々意見を言う日らしい。そこでテキサス州下院議員のモリー・ホワイト女史は、議会が休みで地元に帰っているため、留守を守る自分の事務所職員に事務所訪問をするイスラム教徒らにあるメッセージを托して行った。ホワイト議員はそれを自分のフェイスブックに記している。
「今日オースティン市では、テキサスイスラム教徒首都の日です。下院議会は月曜日まで休会です。私も含めほとんどの議員たちは地元に帰っています。私は自分の事務所の受付にイスラエルの旗を掲げ、スタッフにイスラム共同体の代表が来たら、彼らにイスラムテロリストを糾弾しアメリカとアメリカの法律に忠誠を誓うよう求めるようにと指図してきました。彼らがいつまで私の事務所に留まるか身物です。」
さらにホワイト議員は、
「いいですか、コーランでは、イスラム推進のためには嘘をついてもいいことになっています。テキサスに来て、アメリカ社会やアメリカのしきたりに融和しようとせず、自分らの文化を押し付けようとする少数派の行為を許してはなりません。それはアメリカに移住したほとんどのイスラム教徒の意図ではないはずです。」
この議員の要求はそれほど理不尽なものとは思えない。テロを糾弾してアメリカに忠誠を誓えということのどこがいけないのか、などという常識はイスラム教過激派や左翼リベラルには通用しない。
すぐさま、ホワイト議員はイスラモフォビアだ、これはヘイトスピーチだ、と言う批判があがっている。
「あなたが本気でこんなに空気が読めないなんて信じられない」とファティマ・アクメッドというコメンターは書く。「クリスチャンとは思えないくちぶりね。私たちは団結してあなたを訪問してあなたの憎しみを愛のシャワーでお返しするわ。イエス様ならそうされたように、もっともあなたはそんなこと知らないでしょうけど。」といいつつも、ツイッターのハッシュタグは#Islamophobia #Bigotry #MollyWhite #TAKEONHATE.”
イスラム教徒への批判は常に「イスラモフォビア」「偏狭者」「ヘイトスピーチ」という言葉で叩かれる。これらの言葉を正しく翻訳すると、「黙れ、黙れ、黙れ!」である。
別のコメンター、ケリー・ファイファー「イスラムのラベルの影に隠れる過激派のように、キリスト教のラベルの影に隠れる過激派も存在するようね。」と書く。
「次には首都を訪れる白人にKKKを糾弾するように要求したら?その際にはスタッフにユーチューブビデオを撮るように言っといてね。私観るから」と書いたのはローラ・ライト。
これらのコメンターたちはホワイト議員の意図を理解できないのか、でなければわざと理解できない振りをしている。ホワイト議員が要求していることは、テロリズムを糾弾しアメリカの法律に忠誠を誓えというアメリカ人に対してならごく普通の要求だ。ローラ・ライトが要求するようなことは特に白人に要求する必要はない。なぜならば普通の白人にKKKという白人崇拝の人種差別団体を糾弾しろと要求したら拒絶する人などいないからだ。
CAIRをはじめアメリカ在住のイスラム団体が、常にイスラム教テロリストを糾弾し、アメリカの文化や法律に敬意を評しているならば、ホワイト議員の発言など最初から必要ない。イスラム教への批判をヘイトだと言って騒ぐ前に、イスラム教の名のもとに国内国外において残虐行為を繰り広げるイスラム教「過激派」とやらを批判してはどうなのだ?
たとえば、イスラムの日の式典で、先ずは「星条旗よ永遠に」を歌い、アメリカ国家忠誠の言葉で続け、イスラム教テロリスト糾弾演説でもするというなら誰も問題ないはず。それが、ことあるごとにアメリカ社会でシャリア法を設立しようとしたり、ちょっとでもモハメッドの批判があると町に繰り出して暴力行為を行なったり、国内国外でイスラム教の名のもとに起きている残虐行為を表立って批判しないどころか、テロリストがアメリカ人を殺害する度にアメリカ国内でお祭り騒ぎをしているのでは、どんな批判をうけても文句は言えないはずだ。
はっきり言って、イスラム教テロリストはイスラムのラベルの影になど隠れていない。隠れるどころかイスラム教を誇りに思ってイスラムの旗を掲げておおっぴらに大量殺害を行なっている。それに奴らが過激派だというなら、穏健派はどこにいるのだと聞きたい!キリスト教の過激派がどこかでテロなど行なったら、世界中のキリスト教徒が糾弾すること間違いなし。カトリック教神父らによる未成年者への性的虐待など法王自らが糾弾して罰しているではないか?イスラム教徒の悪行をイスラム教内部で告発している人などいるのか?
ホワイト議員はこれらの批判に対してかなりの強気だ。「私は上記の発言を謝罪する気持ちはない。あなたがたがアメリカを愛しアメリカの法律に従いイスラム教テロリズムを糾弾するのであれば、あなたがたをアメリカ人の同胞として暖かく受け入れる。そうでないなら受け入れられない。」
CAIRはテキサス下院議長のジョー・ストラウス議員にホワイトの発言は下院議会の規則に反する人種差別であると抗議の手紙を提出した。CAIRは言うまでもないが、エジプトのイスラム同砲軍の仲間でテロリスト団体である。アメリカ国内では善良な市民団体であるかのように振舞うが、実際にはアラブのテロリストに資金援助をしている悪質なテロ団体だ。奴らは左翼リベラルがよく使う「イスラモフォビア」だの「ヘイトスピーチ」だのという言葉を使ってイスラム批判を弾圧することに余念がない。
残念なことにアメリカメディアはこういう言論弾圧を率先してやっている。最近は日本でもヘイトスピーチ法なるものが真剣に取りざたされているというが、ヘイトスピーチと指定されて弾圧されるのは右翼や保守派のスピーチと相場は決まっている。そんな法律を通せばいずれは在日の「ザ」の字もいえなくなるだろう。
ところで、イスラム教の日を妨害した女性は、この日に抗議に現れた数十人のキリスト教信者の一人だったようだ。この式典は11年も続いているが、抗議者が来たのは今年がはじめてだったという。全国でこのような抗議がしょっちゅう起きることを望むものだ。


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *