それでも言論の自由は守られねばならぬ

昨日のエントリーに関してコメントを頂き、その返事を書いているときに、この会話は以前にも別の人としたことがあったな、と思い出した。それでもう一度以前に書いたエントリー「言論の自由とは何か?」(2・16・2008)を読み返してみた。当時書いたことと今とこの件に関する私の意見は全く変わっていない。特にモハメッドの漫画のことにも触れているので抜粋したい。だが、考えさせられたコメンターさんのコメントを紹介しておこう。

下記投稿者名: goldbug
それでもある人たちが最も大切にしている価値観でも、言論の自由のためにはどれだけ侮辱しても許されるというのも、ちょっと違和感がありますね。
確かアメリカにはウェストボロ・バプティスト教会というのがあって、イラクやアフガニスタンで戦死した兵士の葬式に押しかけて、「神様、アメリカ兵を殺してくれたことに感謝します」、「アメリカはオカマの国」、「神はアメリカが嫌い」、「911テロは神の意志」、「アメリカ兵が死んで神様は笑っている」などと、それを見た家族が一体どんな思いをするだろうかと思うようなプラカードを掲げている団体があると聞きました。さらにアメリカの裁判所はそれを言論の自由として認めてしまったとか。私などは、これも一種の行き過ぎた原理主義ではないかと思ってしまいますね。

goldbugさんのおっしゃることは非常にもっともだと思う。だが、あえて言わせてもらうならば、自分が「最も大切にしている価値観」を侮辱されたときこそ、その言論の自由は守られなければならないのだと。しかしながら、強調しておきたいのはこの点。

無論言論の自由とは自分勝手なことをいって誰からも批判されない権利という意味ではない。私が他人の気持ちを傷つけるような言動をとった場合、社会の人々から私のそのような発言を批判されたとしても文句はいえない。たとえば私がラジオのDJで、特定の少数民族を侮辱するような発言をしたとしよう。このことによって私は警察に逮捕されるべきではない。しかし、腹をたてたリスナーの人たちから苦情が殺到して、ラジオ局が私を解雇したとしても、リスナーには苦情を述べる権利があるし、ラジオ局には私を解雇する権利があるのだ。

悪意によって他人を傷つける言葉を発した場合には、法律ではなく社会が制裁すべきだというのが私の主張だ。つまりいつも暴言を吐いて失礼なことや馬鹿なことを言っているひとは、その人が所属する社会が批判するなり村八分にするなり抗議するなりすればいい。 政府が法律で口をはさむべきではない。

言論の自由という権利は個人が元来持っているものではあるが、他人の言動によって自分の気持ちが傷つけられない権利などというものは存在しない。であるから仮にそのような言動が悪意に満ちたものであったとしても、その言動によって傷付かない権利など政府が守る義務がないどころか、政府はそのようなことに口出しすべきではないのだ。なぜならそのような権利を守ろうとしたら、それは必ず言論弾圧に結びつくからである。
以前にカナダの人権擁護審議会で質問を受けていたレバント氏の話をしたことがあるが、彼が審査員から「あなたがモハメッドの漫画を掲載した意図はなんだったのか」と質問された時、彼が自分の意図は出版の自由という自分の権利を施行することであり、たとえそれによってイスラム教徒らの気持ちが逆なでされようと自分にはそうする権利があるのだと語っていた。
言論の自由とは自分が気に入った言論だけを許可するというものではない。悪意に満ちた発言で自分ではとうてい賛成できないような発言でも保証されなければ、いやそういう発言こそ保証されなければ真に言論の自由があるとはいえないのである。
「悪意のある発言は禁止する」などという法律が実際に通ったら、それこそこれは思想コントロールである。同じ言葉を使うにしても善意で使う分にはかまわないが、悪意で使った場合は法律違反などということになったら、我々一般市民は恐くて何もいえなくなる。いったい悪意だの善意だの誰が判断するのだ?政府か?人権擁護審議会か?

ちょうど日本で人権擁護法なるものが議論されていたときだったのでこういう展開になった。
多くの左翼リベラルはイスラム教に迎合することでイスラム教の魔の手から逃れられると勘違いしている。だが実はそうではない。今回のテロはフランスがイスラム教の神経を逆撫でしたから起きたのではなく、フランスがイスラム教の横暴に甘すぎたから相手が付け上がったのである。
何度も言う。イスラムは惜しみなく奪う。
軒先貸して母屋取られるである。イスラム教の横暴に屈してはならない、少しでも譲ってはならない、相手はこちらの譲歩や思いやりなどに感謝するどころか、それを我々の弱みと取ってどんどん無理難題を吹っかけてくる。彼らの最終目的はイスラム教による世界完全制覇なのだ、平和共存などあり得ない。そのことを我々は肝に銘じておくべし。
これはフランスだけの問題ではない。アメリカもそして日本も他人事のような顔をしていてはいけない。アメリカの陸軍基地フォートフッドで一匹狼のイスラム教徒による乱射事件があった際、以前から犯人のハサーンの挙動がおかしいと周りの人々は気がついていた。だが、彼がイスラム教徒だったので、やたらなことを言うと人種差別者とかハラスメントだとかいって反対に罰せられる可能性があり、誰も予防処置をとらなかったのだ。このばかげたポリティカルコレクトネスが数人の命を奪うこととなったのである。
何故我々はいつまでもイスラム教に遠慮ばかりしているのだ?他の宗教だったらこんなことは絶対にあり得ない。アメリカではキリスト教、特にカトリック教徒がさんざんひどい侮辱にあっている。クリスマスはキリスト教のお祭りだから公共施設にツリーを飾るなとか、同性愛者らがプロテスタントの教会で式をあげさせろと要求したりしている。もちろんユダヤ教は常に侮辱の的。コメンターさんがあげたウエストボロのアホ宗教についても一部の親戚親族以外の人たちは馬鹿にしきって相手にもしていない。
自分は無宗教だといって既存のユダヤ・キリスト教の教えはぼろくそに攻撃する奴らも、イスラム教だけは批判しない。それはユダヤ・キリスト教徒は頭にきても暴力で報復するなどということはしないことを無宗教家らは十分に承知しているからだ。無宗教家にとって一番の敵はイスラム教のはずなのに。
ここに奴らの偽善が丸見えになる。
なんか話がとんでしまったので、このへんにしておこう。
ところでアメリカの憲法補正項目第一条で保証されている言論及び宗教の自由だが、これを実際に守っているのが憲法補正項目第二条なのだ。その理由が何か読者諸君にはお分かりかな?


Comment

高まるパリのイスラムテロ犠牲者を責める声

もう始まった。犠牲者への叱責が。私がイスラム教が嫌いな理由はテロリスト自身は別としても、常識ありそうな普通のイスラム教徒でも、こと対西洋のテロ攻撃になると必ず「テロは悪い、、だが、、」と犠牲者にも責任があるという言い方をして、テロリストを完全に責めないことだ。
しかし、イスラム教徒がテロリストに同情するのは仕方ないとしても(イスラム教自体に問題があるのだから当たり前である)何故、欧米のリベラルはこぞって犠牲者を攻め立てるのか?
私自身シャリルエブドの漫画は下品でえげつないものが多く好きではない。が、言論や表現の自由は自分が気に入らない見るに耐えないようなものを守ってこそ意味がある。特に政治的に正しくない表現こそ守られなければならない。何もかもディズニー漫画みたいだったら別に表現の自由など保証する必要はない。
テレビの政治評論番組で、西洋のあらゆる評論家たちが、シャリルはもっとイスラム教の感情に敏感であるべきだったとか、もっと気を使うべきだった、まるでイスラム恐怖症だ、レイシストだ、といった表現をし、だからテロにあっても当たり前とでもいいたげである。
これはナショナルレビューのイアン・タトルも書いているが、自己防衛や防犯スプレーですら「強姦の犠牲者を責めている!」とかいって怒る連中が、なぜイスラム教テロリストの犠牲者に対してだけは、「犠牲者にも責任がある」となるのだろうか?
イスラム教テロリストはキリスト教徒の村を焼き払い、男たちを惨殺して女たちを散々強姦したうえに、それこそ性奴隷として売り飛ばしたり自分たちで虐待したりしている。ISISはシリアで次々に女性にセックスを強要しようとし、抵抗した女性150人あまりを惨殺した。イスラムテロリストは西洋人記者の首をちょんぎってその動画を誇らしげに公開している。そんな奴らの感情に敏感に対応しろだ?冗談も休み休み言え。
評論家のひとりが、テレビのインタビューで、「欧州の右翼たちは、イスラム教は不寛容なので、その対応は排斥だけだと言っている」と語った。この評論家は欧州の右翼を批判していたのだが、私はこの右翼たちの意見に賛成だ。不寛容を寛容に受け入れたら不寛容に制覇される。どんな意見も受け入れるべきという考えと、自分の意見だけが正しい、という考えは相容れないからである。
実は左翼リベラルが言論の自由を嫌うということは以前にも書いたことがあり、繰り返すのもなんなので、当時のエントリーをそのまま再掲させてもらう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
October 23, 2010
イスラム教の脅迫を悪用、アメリカから言論の自由を奪うアメリカ左翼
人権擁護法 , 宗教と文化 , 対テロ戦争 , 独裁者オバマ王の陰謀

言論の自由が危ないんだ。解らないか? 本当なら、俺たちはみんなでモハメッドの漫画を描いて、俺たちは皆言いたい事を言う権利があるという信念の元で団結してることをテロリストや過激派たちにみせつけてやるべきなんだ。考えても見ろよ、今まで言論は自由だといって立ち上がるのは簡単だった。なぜってここ数十年俺たちはその権利を守るために危険を犯す必要などなかったからな。だが、今やその時が来たんだよ。もし俺たちが今、身の危険を犯してまで今あるものを守る気がないんなら、言論の自由は信じるだけで守れないってことになるんだ。

これはサウスパークというアメリカのテレビ漫画の中で、登場人物の一人が言った台詞。実は今年の4月、サウスパークはイスラム教の救世主モハメッドをおちょくる内容の番組を放映して、国内のイスラム教過激派から脅迫をされている。
イスラム教ではキリスト教と同じように偶像崇拝を禁止しているが、イスラム教はそれが行き過ぎて、救世主の姿を描いてもいけないという掟がある。サウスパークではそれをおちょくって、モハメッドの姿を描かずモハメッドに熊のぬいぐるみを着せて登場させた。それが国産のイスラム教徒の怒りを買い、レボリューションモスラムというブログサイトでは、サウスパークの製作者であるテリーパーカーとマット・ストーンは「セオ・バン・ゴッホのような目にあうだろう」と言って、イスラム批判映画を制作したことで過激派に惨殺されたゴッホ映画監督の名前を引き合いに出して脅迫まがいの文章がかかれた。
暴力を恐れたテレビ局は問題のエピソードや他のエピソードからイスラム教を怒らせると思われる音声を消すなどして大幅な検閲を行った。
サウスパークのエピソードは以前にオランダでモハメッドをおちょくる一こま漫画をめぐって起きた、諸国でのイスラム教徒による言論弾圧を批判しているわけだが、アメリカでもイスラム教の魔の手が伸びて来ていることは今や明白だ。
だが、ここで実際に問題なのはイスラム教による脅迫ではなく、それを利用して言論の自由を奪おうとするアメリカ左翼なのである。
今やアメリカでは、何もコーランを燃やすなどという極端なことをしなくても、モハメッドとかイスラムという言葉を批判的な内容で口にするだけで、やれイスラモフォビアだの人種差別だの宗教弾圧だのと言って左翼連中から吊るし上げを食う。
例えばこの間も、ノンセクエターという一こま漫画で「モハメッドはどこ?」という漫画にパニクった主流新聞数社が掲載を拒否するという事件がおきた。この漫画にはモハメッドは登場せず、人や動物が公園で平和な一日を過ごしている最後に「モハメッドはどこ?」と一行書かれているだけ。過激派から脅迫状が届いたというわけではなく、そうなるのを『恐れた』新聞社が最初から掲載を拒絶したのである。
つい先日も、イワン・ウィリアムスというリベラル政治評論家が左翼リベラルから忌み嫌われているフォックスニュースの番組で、「イスラム教の服装をしている人が飛行機にのってくると心配になる。」と言ったことを理由にウィリアムス氏は氏が所属するNPRというテレビ局から解雇されるという事件が起きている。ミスター苺に言わせると、イスラム教批判は単なる口実であり、ウィリアムス氏が解雇されたのは、左翼リベラルのNPRはリベラルなウィリアムス氏がフォックスニュースに出演することによって、フォックスが保守の意見だけでなくリベラルの意見も放映しているという「公平で均衡」というスローガンに手を貸したことが許せないのだと言う。左翼リベラル以外の言論を一切認めないNPRは、敵のフォックスが公平に見えるようにウィリアムスが手を貸したことは裏切りであり、今後そういう裏切り者が出ないように手厳しく罰する必要があったのだ。
左翼やリベラルは普段は自分らこそが言論の自由を守るチャンピオンのようなことを言っているが、実際には現代社会で左翼リベラルほど本当の意味で言論の自由を嫌う思想はない。
ヘイトスピーチだセクハラだと人種差別だなんだかんだと言って、ちょっとでも他人の気持ちを害するようなことは言ってはいけないと、次から次へと言えない言葉を作り上げて行くのは左翼リベラルだ。それでいて自分らは全く不適当な場所で好き勝手なことを言って憚らない。
他人の葬式だの卒業式だの、政治討論が全く不適切な場所で突然保守批判をはじめるリベラルなんぞいくらでもいるが、場所柄を考えて遠慮している保守派をあざ笑うようにリベラル連中は大声張り上げて保守批判を続ける。たまりかねた保守派が注意したり反論したりすれば、「場所柄も考えずに政治の話を始めるなど不適切だ!」と言って、まるでこちらが悪いみたいに言い出すのもリベラル。
それもそのはず、左翼リベラルにとって、左翼思想は政治でもなければ思想でもない。かれらにとって左翼リベラル思想こそが唯一つの真実なのであり、それに異見することは悪であり撲滅されなければならないのだ。
左翼連中が敵と見なす考えを黙らせるやり方は、アメリカだけでなく日本でも横行している。以前に曾野綾子氏が「用心すると言う事」というエッセーを発表した後の左翼フェミニストたちのヒステリーぶりを思い出してもらいたい。彼女たちは被害者の自己責任について討論するのではなく、その討論自体が悪だといって自己責任や自己防衛を説く人を頭から黙らせようとした。よかれと思って自己防衛論をとなえた人々を「二次強姦だ!」と言ってけなし、純粋に強姦を防ぐ対策を考えた人々を威嚇し萎縮させた。もしあの時、「私は単に防犯の話をしたつもりだったのに、被害者を傷つけることになるなんて、今後はやたらなことは言わないように気をつけよう」なんてあなたが思ったとしたら、それこそ彼女たちの思うつぼだ。
左翼リベラルは善良な市民の良心や罪悪感に訴えて相手を黙らせ服従させる手段を常に駆使していることを忘れてはならない。
そんなことを言うと、ちょっとカカシさん、それはあなたの被害妄想でしょう。単にあの人たちは差別意識をなくすために、他人の気持ちを害するようなことは避けようと言ってるだけなんじゃないですか、と言うひともいるかもしれない。
だが、もしそれが本当なら、グランドゼロにおける聖廟建設はどう説明するのだ?
オバマ王をはじめ左翼リベラル連中はグラウンドゼロにおける聖廟建設計画を支持している。3000人からのアメリカ住民がイスラム過激派に惨殺された場所に、その宗教を讃える建物を建てる行為は無神経ではないのか?被害者やその遺族たちの気持ちをひどく傷つける行為ではないのか?国民の70%が気分を害しているのに、その気持ちを尊重するどころか、かえってイスラモフォビアだと批判する行為は、イスラム教を優遇しアメリカ市民を冷遇するアメリカ人への差別ではないのか?
アメリカのフェミニストたちが男尊女卑の最たるイスラム教を批判しない事実については、カカシは何度となく書いて来たとおり。フェミニストが本当のか弱き女性の味方ならば、イスラム圏諸国の女性虐待を率先して批判すべきであり、タリバンなどのテロリストと闘うアメリカ軍を積極的に応援すべきである。
左翼リベラルは口でなんと言おうと、言論の自由など信じてはいない。いや、それどころか左翼リベラル以外の言論は撲滅されるべきだと信じている。イスラム教徒による脅迫は左翼リベラルにとって都合のいい口実でしかない。左翼リベラルがイスラム教過激思想を支持するのは、イスラム教が現在の自由社会を破壊するために便利な道具だからなのであり、それによって自由社会滅亡後はイスラムなど追い払って自分ら左翼リベラルが独裁権を持とうと考えているのだ。
この悪の同盟はどっちが勝っても世の終わりを意味する。
我々自由を愛する文明人は、決して彼らに独裁権を取らせてはならない。そのためには危険を承知で危ない事も言わなければならない。危険を承知で意見を述べることが出来ないなら、サウスパークが言うように、言論の自由は信じるだけで守れないってことになるんだ。


View comments (2)

フランスはイスラムテロリストに立ち向かう勇気があるのか

ここ数日、連続して同一イスラム教テロ犯人によるテロリズムにより、17人というフランス人が命を落とした。最初に襲われたのはフランスの風刺週刊誌シャルリエブド。モハメッドをおちょくった漫画を再掲したことで爆破テロの被害者になったこともあった。今回の乱射テロで漫画家を含む12人の従業員が射殺された。犯人の一人は翌日自首してきたが、残りの三人は逃走。二日後パリのユダヤ系のスーパー二店で別々に立てこもり、警察の突入によって犯人二人が射殺されたが、残念なことに人質四人も殺されてしまった。犯人の一人は乱射事件の直前に警察官を一人殺していた。もうひとり女テロリストがまだ逃走中。
フランス人は出版社のテロ事件の翌日、何千人という人が表に繰り出して”Je suis Charlie”「私はシャルリだ。」とか「恐れない」いう看板を掲げてデモ行進を行なった。本日になるとその数は70万人にも膨れ上がった。
しかしだ、いくら何人集まってデモをやってみても、フランス人が本気でイスラムテロリストに立ち向かう勇気がなければ意味がない。フランス人がテロに屈服しないと本気で思うのであれば、先ずフランス人の言論を弾圧しているポリティカルコレクトネス(政治的に正しい)を捨てるべきである。
言論の自由はアメリカ憲法では憲法補正項目の第一条で保証されている。しかし、フランスではアメリカのように言論の自由は保証されていない。往年の女優ブリジット・バルドーは、過去にイスラム教を批判して何度も罰金をかけられたりしている。バルドーが罰金をかけられた原因となった発言はといえば、時のフランス大統領への公開手紙の中で「フランス、わが母国、我が土地は再び多数の外国人、特にイスラム教徒によって侵略されている、」と記したことにある。
フランスでは名誉毀損とか侮辱罪とかいうのがあり、その侮辱が事実であったとしても、相手を傷つけたとされると有罪になる。カナダでも全く同じことが起きていることは、以前に人権擁護法について書いたときにも述べたとおり。バルドーは何度となくフランスがイスラム教化することの危険性を勧告してきた。彼女の2003年の著書Un cri dans le silence(沈黙の叫び)では、

過去20年にわたり、我々は地下の見えないところで危険で無規制な潜伏を受けている。この力は我々の法や習慣に融和するどころか、数年後には彼らの法律を我々に強制するようになるだろう。

と述べている。
フランス政府は彼女のこの警告に耳を傾けるどころか、正しい警告をしたバルドーを罰したのだ。フランスだけではない。ヨーロッパ諸国でのイスラム教への迎合はひどいものがある。オランダで女児の性器切除など、イスラム教の因習について映画製作をしたゴッホ監督の暗殺事件はまだ記憶に新しいが、その映画製作に携わったアフリカ出身の女性議員は、オランダ国籍を失い国外追放となってしまった。
以前に私は「イスラムは惜しみなく奪う」と書いたことがある。イスラムが求めるものは「完全な服従」であり、妥協はあり得ない。彼らの言うインファデル、信じない者、への要求は、イスラム教徒に改宗する、イスラム教徒に完全服従する、死ぬ、の三つしかない。この宗教は完全な不寛容。にもかかわらず、ヨーロッパ諸国は多文化主義を名目に彼らの不寛容を受け入れてきた。
その結果が今回のようなテロ事件なのだ。
アメリカだって人のことは言えない。アメリカでもミネソタ州にはサマリア出身のイスラム教徒が多く移住してきた。イスラム教徒は一旦その数が増えてくると、アメリカの法律や習慣に従わずに自分らの習慣を押し付けてくる。YMCA(キリスト教青年会)のプールを男女分けろとか言い出してくる。なんでキリスト教の施設がイスラム教のいいなりにならなきゃならんのだ。もしもイスラム教聖廟のプールでキリスト教徒が「男女混合にしろ」などといったらどういうことになるか、誰でもわかるだろう。
だが、地元政府の反応はどうなのかといえば、イスラム教の横暴に立ち向かうどころか、迎合につぐ迎合。政府だけではない。メディアとて同じこと。アメリカの娯楽番組でキリスト教やユダヤ教はおちょっくってもイスラム教はおちょくらない。同性愛者やフェミニストがやたらキリスト教を攻撃する割りには、もっとひどい罰のあるイスラム教について沈黙している。ニュースでも明らかにイスラム教テロとわかるような犯罪でも、まだ事実がはっきりしないうちから、狂った一匹狼の仕業でテロ軍団とは無関係とか断言する。世界中の誰もが、問題はイスラム教にあると解っているのに、イスラム教という言葉を口にするのも恐ろしいとでも言わんばかりの行動。
で、フランスはどうするのか?
何十万のフランス人がいくら看板掲げて行進しようが、今までのような多様文化主義やポリティカルコレクトネスなんかやってたんじゃ問題は解決しない。それどころかテロ攻撃はどんどん増えるだろう。すでにパリからはユダヤ人の大量移動が起きているという。
もし、フランス政府がイスラム教テロ軍団の取り締まりをしっかりやらないとなれば、いずれは一般市民が自分らの手でそれを行なうことになる。そうなったら無関係で無実なイスラム教徒も巻き添えを食うことは間違いない。フランス政府はフランス人はテロと戦う勇気があるのか?


View comments (2)

第三者の目で慰安婦問題で対立する双方のグループを見てみたい

先日からアメリカ国内における慰安婦像建設を巡って、アメリカで左翼日系団体と保守在米邦人及び日本の団体が対立しているという話を書いてきた。私はどちらの団体にも所属していないので、いちおう第三者として双方の団体についてお話したいと思う。が、ここではっきりさせておく必要があるのは、私はアメリカの保守派である。そして慰安婦像建設には断固反対派。であるから決して中立な立場ではない。
前回も書いたとおり、この件に関してだけ言えば日本の保守派団体の人たちと意見が合っているが、他の件でどのような見解を持っているひとたちなのかわからないので、安易な交流は避けるべきなのではないかと思った。それで一応反対派で在米のエドワーズ博美という人についてちょっと調べてみた。
ふぇみwikiによると、

エドワーズ博美 (えどわーず・ひろみ)は山口県岩国基地内にあるメリーランド大学分校の日本語教師。『正論』2002年10月号に掲載されたプロフィールによると、「メリーランド大学アジア学部卒、同大学院心理カウンセリング修士課程修了。カリフォルニアコースト大学心理博士課程在籍。メリーランド大学、セントラル・テキサス大学講師。本職は母親業及び主婦業」。
『正論』2002年10月号に掲載された「脱・家庭崩壊社会への胎動 フェミニズムの害に目覚めたアメリカリポート」という記事は、米国のアンチフェミニズムの書籍や保守系シンクタンクの報告書をネタ元に。フェミニズムがいかに米国で支持を失いつつあるかを力説したが、肝心の事実関係に間違いが多いと批判されている。この他、山口県に本部をおく保守系出版社日本時事評論社の出版物に記事や講演録を寄稿している。

「肝心の事実関係に間違いが多いと批判」しているのは多分フェミニスト諸君なのだろうが、実際に彼女がどういう思想をもっているかは下記の論文を読むとよく理解できる。(pdfファイル)
結婚して母になることはなぜ大事なのか – 全米調査が語る離婚の弊害と家族のあり方 エドワーズ博美
この論文の主旨は、伝統的な結婚が子供の教育ひいては社会の安定のためにいかに重要であるかということであり、離婚や未婚の母の害などについてデータを出して述べられている。まず冒頭で彼女が私が尊敬するクリスティーナ・ホフ・サマーズ女史の話をしていることからしてもうすでに気に入った。
彼女はアメリカ海兵隊員のご主人と結婚してから軍人の家族が通える大学に入学して三人のお嬢さんを育てながら10年かけて修士まで取ったそうだ。現役ではなく大人になってから大学に行ったという点でカカシと似ているが、子育てしながら修士までとるとは大変なことだ。独身で仕事もしないでのうのうと大学へ行った私とは大違い。
エドワーズさんは、日本でも外国人選挙権を反対する演説などもしており、移民に関する考え方は私に近いと思われる。ただ、ちょっとアメリカでの実情を美化しすぎているようにも思える。アメリカの移民問題は日本よりも深刻だが、アメリカがそれにきちんと対処しているかのような発言はちょっとし違うのではないかと思う部分もある。もっともエドワーズさんの演説はオバマ大統領のめちゃくちゃ移民政策が公になる以前のことだったのかもしれないが。
さて、これに対抗している小山エミらが筆頭となって始めたFeNDは、私がエミちゃんのことを全くしらなかったとしても、そのホームページの紹介欄を読んだだけでどれだけハチャメチャな極左翼を通り越したクレージー団体であるかがわかる。まず名前からしてJapan-U.S. Feminist Network for Decolonization (FeND) (脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク)。ちょっと待ってよね、いったい日本やアメリカがどの国を植民地にしてるっての?
こちらホームサイトから抜粋。

脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)は、日本とアメリカ両方による植民地主義に対抗する運動家と研究者のネットワークです。
FeNDの創立者は、米国在住の日本にルーツをもつ人たちです。わたしたちは、南カリフォルニアやその他の米国の地域における在米日本人(日系アメリカ人ではありません)の一部などによる極右の歴史修正主義運動に対抗するために当団体を立ち上げました。例えば南カリフォルニアの歴史修正主義者らは、 日本軍「慰安婦」制度の被害者たちに捧げられた銅像を建てたカリフォルニア州グレンデール市に対して、訴訟を起こしています。
また、わたしたちは、沖縄・ハワイやその他のアジア太平洋地域における米軍の駐留、日本の再軍国主義化などにも反対します


あのですね~、ハワイはアメリカの州ですよ、植民地じゃありません!
というわけで、このグループがどのくらい狂っているかはこれを読むだけで明らかだと思う。アメリカが世界各国に基地を置いているのは世界平和を守るためであって植民地が目的ではない。また、日本が軍備強化することは必ずしも旧日本帝国のような植民地政策を始めるという意味でもない。
どうも軍事強化=帝国主義、と結びつける輩が多くと困る。
はっきりいってなでしこアクションの人たちは、こんなグループは相手にしないほうがいい。そんなことに大事な時間や費用をついやすべきではない。テキサス親父やマイケル・ヨン氏もこんな奴らのいうことを真に受けないほうがいい。
ところでなでしこアクションの人が12月にグレンデールに来て、グレンデールの中心街にあるアメリカーナ野外モールのクリスマスのデコレーションに感動されたよし。こんな素敵な町なのに慰安婦像なんかあるのは残念とのこと。まったくその通り。
あんな目障りなものはとっとと撤去してもらいたい。


View comments (2)

性同一性障害少年の自殺を口実に障害治療を違法にしようとする動き

去年のクリスマスに、性同一性障害に病む17歳の少年、ジョシュア・(リーラ)・アルコンが走行中のトラックの前に飛び出し自殺した。少年は女子であると主張する少年の病気を無理やり治療させようとした両親への抗議文をフェイスブックに掲載した。これを悪用して同性愛団体がトランスジェンダーコンバージョン治療を違法にしようという署名運動を始めた。

私は以前から性同一性障害の治療が野蛮な性転換手術のみであり、他の治療法を認めたがらないトランス社会の横暴なやり方に非常な苛立ちを感じている。記事にあるようなコンバージョン治療というものがどういう類のものなのかわからないが、カリフォルニア州では、性同一性障害患者に「あなたは自分が異性であるという妄想をもっているだけかもしれない」という精神カウンセリングをすることすら違法となっている。これが正しい医療といえるだろうか?はっきり言ってこれは言論の自由迫害だ。実際に性転換手術をうけてから自殺する人の数は手術を受けなかった人より多いという調査結果もある。

ジョシュア少年が自殺したのは悲劇である。だが、彼の自殺が実際にコンバージョン治療によるものなのか、彼をトランスだと思い込ませたうつ病にあるものなのか現時点では解らない。

この件に関しての記事は全てコンバージョン治療が悪質な拷問であるかのように書いているが、その治療というものが一体どういうものなのかという具体的な例が出されていない。また、治療によって良くなった人たちがいるのかどうか、つまり成功率や失敗率に関するデータがまるで表示されていない。
コンバージョンセラピーを違法にせよ! と騒ぐ前に我々は次のことを学ぶ必要がある。

  1. コンバージョンセラピーとは具体的にどのようなものを指すのか
  2. 治療の成功率/失敗率はどのくらいなのか
  3. 治療の結果、自殺に追い込まれた患者はどのくらいいるのか
  4. 他にどのような治療法があり、その成功率/失敗率はコンバージョンに比べてどのようになっているのか

繰り返すが、性同一性障害の治療が性転換だと決め付けるのは非常に危険だ。私は性転換手術をしたことを後悔している人たちの記事をずいぶん読んだり聞いたりしたが、手術後の自殺者も多い。そのことについては去年にも書いたことがある。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

コンバージョン治療を違法にせよとわめきたてる運動家の理屈でいけば、手術後患者の自殺率が一般社会の自殺率より20倍もあるような治療は断固違法にすべきということになるが、トランス運動家の間に性転換手術反対の声は聞かれない。それどころか性転換手術以外の治療は断固阻止するという動きのほうが圧倒的に強い。

トランス運動家は、手術を後悔して元の性に戻りたいという人々の声を暴力的に沈黙させている。
彼らの目的はまよえる子羊を救うことにあるのではない。彼らは自分らの変態的な生活を無理やり一般社会に押し付けることにある。だからちょっとでもトランス人口を増やすことが目的なのであり、性同一性障害に病む患者を治療することなど全く興味がないのだ。
私は「コンバージョンセラピーは違法にすべし」という法律は絶対に通してはならないと思う。特にこの治療の内容が具体的でないことが一番危険だ。

さて、関連記事だが、アメリカの老齢者用健康保険が性転換手術費用を支払うことになり、74歳の男性が女性になる転換手術を行なった。

国民の税金をこういうふうに無駄遣いするとは、いい加減にしてもらいたいね!


View comment

アメリカで繰り広げられる日本を巡る左右運動

アップデートあり(1月4日):
この間、ひょんなことから私が先の戦争中(イラク・アフガン戦争)に追っていたマイケル・ヨンというフリーの海外記者が、何故か日本と韓国の慰安婦問題について書いているという話をしたばかりだが、ヨン氏は最近自分の英語のサイトとは別に日本語でもサイトを立て、英語と日本語の両国後でエントリーを書いている。
私は彼の書いている内容は過激で反韓感情を丸出しすぎているように思え、ちょっと抵抗あるのだが、それはまあいいとして、日本語の翻訳がひどい。ヨン氏の英語はアメリカ英語だが、かなり皮肉たっぷりのアメリカ的言い回しが多いので、日本語に訳すとへんてこな文章になり意味が伝わりにくい。私もミスター苺の書いた英語のエントリーを何回か拙ブログで日本語に訳したことがあるが、私の訳が下手すぎて意味が伝わらないことが多かったように思う。それで私は英語を日本語に訳すときは、そのまま訳さず先ず原文をきちんと理解してから自分なりに日本語の文章を創作するようにしている。そうでないと日本語の意味が通じなくなることがほとんどだからである。
さて、本題に移ろう。実は、小山エミなどが中心となってFeNDという在米邦人/日系人のフェミニスト団体が創設された。この団体は言わずと知れた極左翼団体。そしてこの団体が創設された目的というのも、日本の極右翼国粋主義と戦うためというものだ。で、真っ先に彼らの宿敵として名指しされているのが、なでしこアクション(在特会関連)、論破プロジェクト幸福の科学関連)エドワーズ博美さん(フェイスブックはこちら)といった人たち。この中には言わずと知れたテキサス親父ことトニーマラーノ氏も含まれている。 これらの面々が集まった記念写真がこちら。
小山のエミちゃんがご丁寧に「慰安婦否定論者たち」という見出しつきでサイトに掲載しているのから転載させてもらった。
私は日本の保守派団体の事情は知らないので、これらの団体がエミちゃんが言うような極右翼なのか、バリバリの国粋主義者なのかなんともいえない。
実を言うと、私がアメリカにおける慰安婦像建設には断固反対であり、日本が韓国に補償金を払ったり謝罪をする義務はないと思いながらも、アメリカにおける慰安婦像反対運動に積極的に参加しない理由は、そうした運動を率先しているひとたちの本質がいまひとつつかめないからである。
それに比べてアメリカの左翼リベラルの実情は理解できるし、左翼リベラルの偽善的なキーワードもすぐに見つけられるので、FeNDが極左翼フェミニスト団体であることは一目瞭然。カカシとは絶対に相容れない思想の持ち主であることは明白。しかし彼女たちと立ち向かっているから反対側は私と同意見なのかといえばそれはそうともいえない。敵の敵は必ずしも味方ならず。いくら慰安婦問題や竹島などの件で意見があっても、旧日本政府のナチスドイツとの同盟は正しかったとかイスラエルは撲滅すべきとかいうアンタイセメティズムの団体だったりしたら目も当てられない。(これらの団体がそうだといっているのではないのであしからず)
ところで、エミちゃんが紹介した「慰安婦否定論者たちの顔」という写真の見出しが気に入らないとして、テキサス親父ことマラーノ氏がFeNDでコメントを書いている。その内容はエミちゃんの日本語ブログに書かれているから引用。

マラーノ氏の当初の言い分は、自分は「慰安婦」の存在を否定しているわけではないのだから、慰安婦否定論と呼ぶのは間違いだ、というものだった。しかし歴史否定論というのは、ある歴史的事象について重大な事実を否認することをさすので、この反論は当たらない。ナチスドイツによるホロコーストはあったけれども本来の目的は虐殺ではなく国外追放だったとか、ヒトラーらナチス幹部は虐殺を知らなかった、あるいは犠牲者の人数は数千人に過ぎなかったという論者たちも、ホロコーストの存在自体を丸ごと否認する論者たちと同じく「ホロコースト否定論者」と呼ばれるのと同じだ。

つまり、慰安婦という女性たちが居たことは事実でも、日本軍に強制連行されたとか、20万人もいたとか、というのはおかしいのではないか、という疑問を持つことが慰安婦否定論者ということになるという理屈だが、実はこの理屈でいうと小山エミも慰安婦否定論者ということになってしまうのだ。
彼女自身が慰安婦問題についての考えを詳しく書いているエントリーでは、実はカカシとほとんど意見が同じなので笑ってしまった。

性的人身取引(ヒューマントラフィッキング)の問題について取り組んでいて一番問題だと思うのは、メディアや政治家などが、センセーショナルな例外的ケースに飛びついて、より一般的な例を見ないことです。たとえば、サディスティックな極悪犯が、幼い少女を誘拐して、毎晩何十人もの客を相手に売春させている、みたいな話ですね。
そういう例がないとは言わないですが、決して多くはない。もっとよくあるのは、恵まれない環境にいる十代後半の人たちが、家出したり、家から追い出されたり、あるいは施設から逃げ出して、生活のために売春をするケースです。そのなかで、住む家を与えるかわりに、搾取しようとする人に出会ったりする。
性的人身取引の問題を解決するには、かれらが家出したり逃げ出したりする根本的な原因、それはたとえば貧困であったり、家族のホモフォビアであったり、ほかにもいろいろ理由があるわけですが、それらに対処する必要があります。
(略)
その経験から考えるに、慰安婦問題においても、センセーショナルな例だけに注目し、それが全体であるかのように言うことで、議論を間違った方向に導いている人たちがいます。吉田証言がその最たるものですね。まああれは特殊例ですらなかったですが。
そういうセンセーショナルな取り上げ方は、「日本に対して不当である」以前に、実際に被害を受けた元慰安婦の方たちに失礼でもあります。
元慰安婦の方たちの証言をきちんと聞けば、とくに朝鮮半島においては、騙されたり売られたりして慰安所に連れてこられ、借金を負わされて売春を強要された、という証言がほとんどです。決して吉田証言のような暴力的な誘拐ではない。(とはいえ、性道徳の厳しい韓国社会において、少なくとも初期においては、暴力的に誘拐された、以外には告白できなかった、という事情はあったかもしれません。)
いっぽう、より前線のほうになると、軍によって直接連れ去られた、という証言が増えます。前線では、食料の補給もままならないことが多く、現地の軍が住民から直接接収したことも多かったようなので、慰安婦の補給が追いつかない前線で慰安所を設置しようと、そのような行為に出た部隊があったというのは、ありえる話だと思います。実際に、オランダ人女性に対する拉致暴行で戦犯裁判が確定している件も、そういう状況で起きたものだと思います。

ここまで常識がわかっているのに、なぜ韓国の理不尽な要求を擁護して日本政府を攻め立てる団体に加入したりするのか、私にはそこのところがわからない。
旧日本軍が韓国の女衒らに騙されて集められた慰安婦たちをそうと知っていながら雇っていたなら、旧日本軍にも責任がある。その点は私も同意する。が、しかし、それは今は存在しない帝国日本の支配下にあった今は存在しない旧日本軍の責任であり、現日本政府の責任ではない。
にもかかわらず、現日本政府は何度も韓国に補償金を払い、しなくてもいい謝罪を続けてきた。いったい韓国はこれ以上日本になにをやれというのか?
とここまで考えるとヨン氏が自分のサイトで書いていることに戻る。結局韓国は日本から金をゆすり取るのが目的。慰安婦問題も単なる口実。普段なら売春婦などを抱擁している図なんざ絶対みられたくないと思ってるような政治家たちが、ジャパンバッシングとなると年老いた「慰安婦」をテレビに出演させて偽の同情心丸出しで政治の道具に使っている。
フェミニストといわれる人たちが、そんな政府の女性利用に手を貸すというのはいったいどういうことなのだろう?
無論その答えは簡単。左翼フェミニストの目的は女性救済にあらず。女性を利用して自分らの政治的権力を高めるのがそもそもの目的。
この問題左翼団体も右翼団体も私にはちょっと近寄りがたい。
アップデート
ヨン氏の日本語サイトに翻訳が下手だなあ、という失礼なコメントを残したカカシに対して、非常に丁寧な返答をしていただいたので、こちらとしても失礼をお詫びした。翻訳はプロでなければそう簡単に出来ることではないし、私自身も結構日本語訳が下手すぎると批判された体験もある。見ず知らずの人に失礼すぎたことを言ったことに深く反省している。下記はヨン氏翻訳者さんからの返答。

苺畑カカシ 様
コメントありがとうございます.
Yonさんの文体はシンプルですが洗練されています.そのためかえって訳出が難しくなっています.
翻訳はボランティアでやっています.こなれた日本語に再変換する時間がありません.
そのため原文にできる限り忠実に訳出することにしております.
これが多少というか,かなり読みにくい,かたい訳になっている理由です.
誤訳のご指摘,文章の改善等の提案など,お知らせください.
改訂版に反映させます.
ご協力ありがとうございます.


View comments (4)

南カリフォルニアに雪が降った! 例年になく寒い冬

あけましておめでとうございます、今年も拙ブログをよろしくご愛読くださいませ。
さて、大晦日に南カリフォルニアのサンバナディーノ郡やリバーサイド郡の山側で何十年かぶりに雪が降った。リバーサイド郡の南にあるタマキュラ市に住む友人がフェイスブックに雪の積もった近所の写真を掲載していた。

カリフォルニアでも標高の高いところでは雪は降るので、絶対にあり得ない現象ではないが、それでもこのあたりでの降雪は非常にめずらしい。ちなみにロサンゼルスに近いカカシの近所、今朝の気温は摂氏4度。このあたりでとしては立派に冬の気温である。

カカシとミスター苺はクリスマス直後に風邪をひき買い物にもいけない状態だったので、今年はおせち料理はやめにしようと思ったのだが、ミスター苺がどうしてもおせちが食べたいというので、仕方なくがーディナ市まで買い物に行った。

残念ながら、がーディナ市にある日本食マーケットはマルカイでもミツワでもお正月気分がほとんどなかった。お店の前には門松も飾ってなかったし、おせちコーナーも小さく、おせち料理も大して品数も種類もなくみじめなものであった。最近は日本のスーパーとかでもこんな感じなのだろうか。わずかに和菓子の三河屋さんだけが、店先に大きな鏡餅を飾り、お正月特別のお菓子を売っていた。ちいさなお店にはたくさんの日系のお客さんであふれていた。日系一世の店員さんが私が日本語がわかるとなるとお菓子の由来を丁寧に説明してくれた。少なくとも三河屋さんだけは伝統を守っている。(もっともリトル東京の三河屋は和菓子よりアイスクリームのほうが人気があるが、、、)

日本人のビジネスマンやその家族がたくさん南カリフォルニアに住んでいた頃は、この時期は結構にぎわっていたが、それでも日本の年末のような慌しさは感じられなかった。ま、遠く離れた異国で御節を食べよう、ましては作ろうなんて人はそれほどいない。日本人が食べなければ日系の人たちが受け継がない限り、アメリカでのおせちは廃れるばかりだろう。

それにしてもガーディナとかトーレンスあたりに行くと、日本人が減ったなあという印象を受ける。特に最近多少盛り返してきたロサンゼルスのリトル東京に比べると、ガーディナは、ところどころに日系の店がある程度で、ほとんど日系コミュニティーという感覚はなくなっている。

かく言う私も日本マーケットなんてめったにいかないし、日系コミュニティーとのお付き合いも全然ない完全にアメリカナイズな生活をしているから、こういう日系人が多ければ日本人街なんて廃れて当然だろう。それはそれで仕方ないのかも。


Comment