同性愛活動家が同性同士の結婚を認めろといい始めた頃、彼らの議論は常に、自分らが同性同士で結婚することが一夫一婦結婚にどういう悪影響があるというのだ、自分らは他の人たちと同じよう自由な生活を送りたいだけだと主張してきた。しかし、一旦同性婚が合法になると、彼らは宗教上同性愛を認められない人々に対してまで、同性愛を認めることを強制し始めた。単に同性愛に理解を示せというのではなく、同性愛を認めなければ法律で罰するというのである。彼らは法律を変えさせるだけでは飽き足らず、人々の信心すらも変えさせようとしているのだ。
アメリカではすでに、同性同士の結婚式に関して、ウエディングケーキやウエディングドレスのお店がサービスを拒否して訴えられたり市から罰金をかけられたりしているが、今度は市が同性婚の挙式を拒否した聖職者に罰金及び禁固刑で脅しをかけるという事件が発生した。
アイダホのナップ夫妻の件がそれ
アメリカの結婚手続きは日本のそれと違って、市役所に結婚届を出せばいいというものではなく、挙式権限のある人に式をあげてもらい、結婚手続きはその人にやってもらうことになっている。挙式権限のある人はなにも聖職者とは限らない。市役所の役員でも挙式は出来る。ただ、その際にも簡単ながらもきちんと式を挙げなければならない。
さて、ナップ夫妻は二人とも挙式権限のある福音書キリスト教聖職者で、結婚チャペルを経営している。しかし彼らの宗教は同性愛を認めていない。そこへ同性のカップルが現れ、式を挙げてくれと依頼した。ナップ夫妻は同性婚は自分らの宗教の教えに反するため依頼を拒否。するとアイダホ市は、市の法律で同性婚は合法であるため、同性カップルを差別するのは法律違反になるとして、ナップ夫妻に拒否する日ごとに、千ドルの罰金と禁固刑180日を課すと脅したのである。
宗教家に自分の宗教に反する儀式を強制することは、あきらかにアメリカの憲法補正案第一条にある、言論の自由と宗教の自由を保障する項目に違反する行為である。
同性婚を国が認めるということは、アメリカ人が宗教の自由をあきらめるということになるのか?同性婚を支持してきた人々の中でも、そこまで深く考えた人がどれだけ居るだろうか?
私は以前に同性結婚について、同性婚は個人のプライベートなことではないのか、という質問に対して、結婚は公の行為であると主張したことがある。もしプライベートな行為なら、何故大々的に式など挙げる必要がある?公に人々の前に立ち証人を置いて自分らの永遠(とわ)の愛を誓う必要があるのだ?
結婚は二人の結合を社会に認めさせる行為だ。だからこそ社会の人々がその結婚を受け入れらなければ、二人の結婚は成立しないのである。
アメリカの大多数の人々が同性結婚を支持していない。それでも、それが一部の人々の間でされることで、自分らの生活には支障がないのであれば、しぶしぶながらも認める人はいるだろう。だが、同性婚が自分の生活に直接支障をきたすようになったら、まあ、いいだろう程度に思っていた人々の間でも意見は変わるはずである。
実は、同性婚が合法となった地域における政府の強硬な態度は同性婚の合法を反対する我々にとっては良いことだと思う。なぜなら「ジェーンとマリーが結婚することが、あなたの生活にどういう支障をきたすというのか」という問いにはっきりと答える議論をあたえてくれるからである。
同性婚は一部の人々の結婚を認めることだけでは収まらない。これはすべての人々の宗教や生活にあらゆる形で悪影響を及ぼす。結婚率の減少や少子化といった長期的な影響だけでなく、人々の私生活やビジネスや宗教の自由に直接的な迫害をもたらす。
すでにおきていることだが、宗教上同性婚を認められない人が経営している結婚式場、ケーキ屋、写真家、ドレス店、などで同性カップルの顧客を拒否して制裁を受ける人々が増えている。ひとつのケーキ屋は店を閉めて別の場所に移転せざる終えなくなった。
個人経営のビジネス、たとえばオートショップとか、同性婚とは直接関係がないように思うが、それが違う。自分は宗教上同性婚を認めないと思っていても、従業員が同性と結婚したばあい、オーナーは保険などで配偶者に扶養手当をあてがわなければならなくなる。
もうすでにおきていることがだ、学校などでも同性愛は普通だと教えられるため、自分らの宗教で同性愛は悪だと家庭で教えていることと矛盾してしまう。アメリカでは国が国教を作ってはいけないことになっているにもかかわらず、同性婚奨励は結果的に国が国民に宗教を強制することとなるのだ。
同性婚認可がいかに自由国アメリカの破壊につながるか、これらの具体例が顕著に証明してくれていると私は思う。
アメリカ国民は左翼リベラルが思うほど愚かではない。だからこそ州民投票で同性婚が認めらた例は少ないのである。(メイン州とマリーランド州は州民投票で認められた) 同性婚が合法になった州のほとんどが、左翼リベラル議会のごり押しか、もしくは左翼リベラル裁判官による州民の意志を無碍にした判決によるものだ。
多くの人が、同性愛者の求めるものは、単に同性愛者への差別をなくすことだと考えてきた。ゲイアジェンダなどというものは存在しないと思ってきた。だが、実はそうではないことが、一旦同性婚が合法となり、前回も紹介したトイレ法などがまかり通るようになって、いかに彼らのアジェンダが変態的だるかがわかるはずだ。
20年前に保守派たちが、ゲイアジェンダは自由社会への冒涜だとか言うと、まるで被害妄想者のたわごとのように嘲笑されたものだが、実は彼らは正しかったのだ。
いま、最高裁判所は同性結婚の合法性について意見を述べていない。だが、このままでは収まらないだろう。 いずれは判決を出さなければならないはずだ。


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