さて『酷似している日米移民問題 その1』について、読者のoldmanさんとsadatapさんから、カカシは中国人による人口侵略という可能性を考慮に入れていないのではないかというご指摘があった。
中国が危険な国であることは確かであるし、中国があわよくば日本を領土にしてしまおうと考えていることは事実だろう。人口侵略も中共のやりそうなことである。実際に中国にそのような計画があるのかどうか私には解らない。そのような目的で日本に移住してくる中国人が全体のどのくらいの割合でいるのかも知らない。よってそのような心配は必要ないなどと無責任なことを言うつもりはない。
だが、欧米においてもその少子化を傍目に、産児制限を全くしないイスラム教移民がどんどんその人口を増やし、今や欧米は単純に人口によってイスラム教徒に乗っ取られるのではないか、少なくともヨーロッパではその兆候が見え始めていると議論する人もいる。つまり、この点でも日本だけがユニークな立場にあるとは言えないのである。
そしてどちらの場合も単に『危険』な国々からの移民を完全禁止するという対策では解決できない問題を抱えているのだ。
前回のエントリーの最後にカカシは外国人を差別や特別扱いせず公平に扱うことが、日本の言葉や価値観や文化を守ることにつながると書いた。外国人を日本人と同じように扱うことが何故日本を守ることになるのかと疑問に思われる方もおられると思うが、上記の人口侵略のこともふまえた上で、欧米における移民受け入れの失敗例を挙げながらご説明したい。断っておくが、外国人を日本人のように扱うべきと言っても、日本市民にだけ与えられる特権を市民権を持たない外国人にも与えるべきだという意味ではない。これは外国人も日本人も同じ法律で裁かれるべきであるという意味である。
国語を乱す二カ国語教育
瀬戸さんの上げている1番の言葉の問題だが、アメリカではラテン系移民が多いため、一昔前まで左翼の教育委員会が英語とスペイン語の二カ国語教育なるものを実施した。その結果はさんざんたるものだった。普通、移民の子供は親が英語を解さなくても二世代目からは学校や近所の子供たちから英語を学ぶため、いつのまにか英語を覚えてしまうものだが、二カ国語教育で学校でもスペイン語が通じるし、クラスメートもスペイン語を話すので、アメリカで生まれ育っていながら英語がろくにしゃべれない青少年が激増してしまったのだ。
一世紀前のアメリカでは英語の話せない外国人は仕事にもろくにつけなかったので協会などを通じて英語を学んだり、移民は子息に家の中でも英語で話すことを強要したりして英語の習得に力を入れたものである。ところが最近は市役所などでも無数の移民のために何カ国語もの書類が用意されていたり、数カ国後を話す係員がいたりして外国人は英語を解さなくても不自由しない。国籍をとるための資格試験さえ外国語で受けられるのだからひどいものだ。これでは公用語としての英語が廃れてしまうと懸念した地元の人たちが公用語は英語にしようと提案したりすれば人種差別者扱いされるという馬鹿げた事態までおきている。結果いまや英語の出来ない大人の移民が増えて移民の多い地元はたいへんである。
日本はこうしたアメリカの間違いを教訓にし、日本の国語は日本語であり、日本で就労したり移民したりしたい人間はある程度日本語を解さなければならないという規則をつくるべきである。例えばアメリカの企業が外国人を採用する際の目安とするTOEICのようなものを日本でもつくり、外国人の言語能力のみならず日本社会での一般常識の試験で、ある程度の点数を取った人のみ入国を許可するといったように。
無論一時的に滞在するだけの季節労働者と永住権を求める移民とでは言語レベルの必要性は変わってくるので、個人の言語能力や学歴職歴などをポイント制にして、そのポイントが高い人ほど長期滞在をしやすくする。またすでに日本に滞在している人でも、言語能力や学力が向上するに従って永住権取得資格へ近づけるようにしておけば、外国人が日本語を学ぶ動機にもつながる。
どのような資格を取りさえすれば日本へ合法に入国し就労できるかがはっきりしていれば密入国の必要はなくなる。どんなに学歴や言語能力があっても日本での就労ビザを取得するのがほぼ不可能であれば違法に入国する人間が増えるだけだ。そのような立場の弱い違法移民のつける仕事はおのずといかがわしいものとなり、彼らは違法移民ブローカーなどの餌食となってしまうのがオチだ。
近代社会を脅かす多文化主義
欧米、特に欧州におけるイスラム教徒移民問題は、近年欧州が大手を広げて受け入れた多文化主義に起因している。このどの文化も宗教も同等の価値があるという考えは、イスラム教のように他文化や宗教に不寛容な文化までも受け入れることになり完全矛盾しているからだ。
例えばイスラム教徒は一夫多妻婚を許可しているが、キリスト教基盤の欧米では一夫一婦制が決まりである。イギリスでは外国で結婚したイスラム教徒の一夫多妻婚を認めようという動きがあるが、イスラム教徒だけは例外として一夫多妻性を認めた場合、イギリスには結婚制度に関して二つの法律が存在することになってしまう。
極端な例を挙げるなら、2005年、ドイツでは6人の若い女性が次々に別々の犯人によって殺された。被害者は皆イスラム教徒移民の子女たちで、自分たちはドイツで生まれ育ち、両親の祖国の厳しい戒律から抜け出て現代的なドイツ女性として生きようとしていた。そのことがイスラム教家族の名誉をけがすことになったとして、彼女達は家族のメンバーによって虐殺されたのである。このような所謂『名誉殺人』をドイツ社会がイスラム教特有の文化だからといって受け入れたらドイツ社会はどういうことになるか読者の皆様にはご想像がつくはずだ。
しかしながら上記のどちらの例も、それぞれの国が自分たちの国の法律を自国市民を裁くのと同じように施行していれば全く問題は生じないはずなのである。イギリスではいまでも重婚は違法であるし、ドイツでも名誉殺人だろうとなんだろうと殺人は違法である。だが、こうした風潮がまかり通るのもこれらの国々がイスラム教徒は自国に融合できない異質な外国人であるとして、最初から特別扱いしてきたことが原因なのだ。
例えば最近アメリカでも一部で起きていることなのだが、公共プールで男女混合はイスラム教女性が嫌がるので女性だけの時間を設けるとか、公共学校にイスラム教徒専門の足洗い場を設置するとか、イスラム教徒のタクシーの運転手が酒類をもったり盲導犬をつれた乗客を乗車拒否するのを受け入れるとかいった風潮がある。このような特別扱いは一見イスラム教徒を尊敬しているかのように見えるが、これはイスラム教徒は普通のアメリカ文化に溶け込めない異端者として差別していることに他ならないのである。このような行為を続ければ欧米に住むイスラム教徒は自分らは特別であり地元の法律に従わなくてもいいのだと判断するようになるのは当たり前だ。
外国人差別は犯罪につながる
皆様もご存知だろうが、デンマーク、スイス、フランスなどでもイスラム教移民による暴動や犯罪がこれらの国の社会治安を大きく乱している。また欧州で生まれ育っていながらイスラム過激派テロリストに同情してテロ行為に走る若者も増えている。何故このようなことになったのか。それは二昔前に欧州諸国が少子化によって足りない労働力を補おうとイスラム教移民を大量に受け入れた際に、彼らを自国民として同等に扱わず外国人労働者として差別してきたからである。ひどい国になると移民の居住区を特定地区に制限したところもある。イスラム教徒居住区ではその治安の悪さに警察も踏み込めない、公共バスも行かないという無法状態になっているところがある。つまり、このような居住区に住む一般市民はホストカントリーの法律から守ってもらえないのである。
同じ国に住んでいながら外国人だというだけでその国の法律に守ってもらえないのだとしたら、そんな法律は自分たちは守る必要はないと考える外国人が増えても無理はない。最初は移民先の国を乗っ取ろうなどと思って入国したわけではなくても、イスラム過激派にそそのかされてテロ行為に走る移民に世代目の若者が出てもおかしくない。
言っておくが私は外国人の犯罪行為を弁護しているのではない。ただ何故このような状態が起きるのかを説明しているのだ。日本にも特に政治意識など持たずに単に職を求めて居住してくる外国人が多くいるはずである。確かな数はわからないが、ほとんどの中国人移民は中共の政治政策になど興味はないだろう。むしろ一世代目の移民は中共の独裁政権に嫌気がさして日本へ来た人が多いはずだ。しかし、一世代目はそうでも二世代目三世代目はどうなのか?彼らが日本での生活に満足していなければ、自分たちが中国系移民であるというだけで日本国内で法律でも社会的にも差別をうければ、不満を抱いた二世代三世代目の中国系移民が中共の陰謀に惑わされる可能性はあり得る。
日本国内で敵国の工作員を育てないためには、日本社会が移民を差別しない以外に方法はない。無論どれだけ日本社会に融合しているように見えても、もともとその忠誠心は中共にあるという里がくれ隠密が存在しないという保証はない。だが、そういう人たちは移民を禁止してみたところでいくらでも密入国してくるはずである。
瀬戸さんが心配している結核などの感染病についても、外国人が違法に入国するからこそ問題になるのであって、合法な移民を認めれば、入国の際に健康診断を要求するなどいくらでも規制が効くのだ。ちなみにカカシはレントゲン写真を担いでアメリカに移住した。
阻害ではなく受け入れ方法を考え直すべき
結論として、欧米諸国も最初から多文化主義などという悪主義を起用せず、外国人に自国の言語や文化や価値観の尊重を要求すべきだったのである。そうしていれば欧州で起きているようなイスラム教徒による問題や、アメリカにおけるラテン系移民の問題なども防げたはずなのだ。
日本もこうした欧米の間違いを教訓にし、外国人移民を単に阻害するのではなく、外国人が日本社会に融合しやすい方針を打ち出すべきである。それには先ず外国人に対する脊髄反射的な阻害意識は捨てるべきだろう。


12 responses to 酷似している日米移民問題 その2

sadatajp13 years ago

誤解が積み重なって在らぬ方向に行ってしまってます。振り出しに戻して意見を認識し直してみて下さい。移民に対してどんな対応をするのがいいのかでは私とカカシさんにはそんなに差はありません。
カカシさんは無条件での受け入れを言ってるわけではありませんよね。外国人を選別して、受け入れていい外国人を正式な形で受け入れろと言ってるのですよね。特別扱いするなとも言ってますよね。そう考えてるカカシさんは、政府が選別せず移民希望の外国人を無条件で受け入れるといい、移民する外国人が暮らしやすいよう様々な特別扱いも用意するといえば、どう反応するのでしょう?
そんな移民の受け入れ方には反対だと言うのではありませんか? 日本の移民推進派はそれを言ってるんですよ。それに対しての反対として「移民に反対」と言ってるんです。移民推進派が移民をあまりにも簡単にしようとするから、簡単に入れるのはいけない、受け入れはもっと慎重にしなくてはいけないという阻害する方向での主張になってるのです。
私や日本の保守が差別すべきと言ってるのは、カカシさんが書いてるこの部分のレベルの差別です。
「日本市民にだけ与えられる特権を市民権を持たない外国人にも与えるべきだという意味ではない。」
日本人に特権があって、外国人にはその特権がないというのは差です。こういう差別をすべきだと言ってるのです。アメリカだと差別の問題にならないくらいに当たり前の自国民と他国民の差、これをつけるのかどうかのレベルの差別が日本では問題になってるのです。で、このレベルの話としての外国人差別が、日本での外国人差別の話なんです。
「公用語は英語にしようと提案したりすれば人種差別者扱いされるという馬鹿げた事態までおきている。」というこの馬鹿げたレベルの話でもあります。カカシさんが意見として書いてるレベルの差別とは違う話なんです。このレベルでの差別化が普通に出来るようにならないと、カカシさんの言ってるような受け入れ方だって出来ません。そういったレベルの差別の話をしてるんです。

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Sachi13 years ago

sadatajpさん、
あけましておめでとうございます。やっとsadatajpさんと私の話の接点が見えてきました。

それに対しての反対として「移民に反対」と言ってるんです。移民推進派が移民をあまりにも簡単にしようとするから、簡単に入れるのはいけない、受け入れはもっと慎重にしなくてはいけないという阻害する方向での主張になってるのです。

そうであるならば、日本の保守派はもっと言葉使いを慎重に選ぶべきです。単に「移民反対」ではなく、「無条件無制限の移民には反対」というようにね。そうでないと左翼連中から保守派は人種差別者で外国人阻害主義であるというレッテルを貼られてしまいます。
こういう問題は感情が先走るので、保守派の間でも不注意な言葉使いをし、人種差別者であると誤解を受けるようなことを言う人が多くいます。これは日本でもアメリカでも全く同じです。そういうところにつけ込んでくるのが左翼のやり方です。
アメリカではその左翼の作戦に保守派はまんまと一杯食わされ議会の支配を失いました。多くのラテン系移民やその子孫が保守派である共和党は移民に冷たい人種差別派だというリベラルや左翼のプロパガンダに騙されてしまったのです。
でもそうなったのもアメリカの保守派に大きな責任があります。アメリカの保守派は少数民族のアメリカ市民に対して、自分らが反対しているのは無制限な国境解放であり、決して善良な外国人による移住ではないとはっきりさせることが出来なかったからです。
日本でもそのようなことが起きないように、保守派の皆様はご自分達の立場は人種差別や外国人阻害意識から来る外国人差別ではなく、犯罪者や外国人工作員の入国を阻止するための対策作りにあるのだとはっきり国民に訴えるべきです。
カカシ

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oldman13 years ago

何のための、そして誰のための移民なのか、それをまず議論する必要があります。
「希望者がいるから受け入れる」という受け入れ方には反対です。
歴史的には、移民の受け入れは大変な問題をもたらしました。
古代ローマ帝国はゲルマン民族の移住により滅ぼされたとされています。2000年前のユダヤ人の欧州への移住がどういう悲劇をもたらしたかを思い起こすべきです。
要するに、移民受け入れは国家の存亡にかかわる問題であり、移民自身にとっても幸せになれるとは限らないのです。歴史がそれを証明しています。
ヨーロッパが1000万人のイスラム教徒を受け入れましたが、これは致命的な大失敗でした。数百年後には白人支配がくずれるかもしれません。
米国も同様です。
Pat Buchanan, “State of Emergency: The Third World Invasion and Conquest of America”
我が国はこれらの失敗に学び、原則として単純労働者の受け入れは禁止すべきです。
人は生まれ育った国で幸せをつかむよう努力すべきであり、先進国はそれを支援すればよいのです。

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Sachi13 years ago

oldmanさん、
パット・ブキャナンは一世紀前にアメリカが大量に受け入れたアイルランド人の子孫ですよ。当時のアメリカでは酔っぱらいで乱暴者のアイルランド人など受け入れたらアメリカの文化が乱れるとか、英語がアイリッシュ訛りになるとか言われて、アイルランド人は忌み嫌われたものです。
でもアイルランド人移民がアメリカ文化に貢献したことは計り知れません。移民の持ち込む異文化はその国の糧ともなり得るのです。アメリカの強さはそうした異文化を吸収してきたことにあるのです。
そういう歴史を無視してブキャナンは昔の移民と今の移民は違うと言い張る。違うのは肌の色だけじゃないですか。彼のような白人崇拝の人種差別まるだしの人間は、もっと筋の通った移民対策を求める保守派にとっては非常に迷惑な存在です。
カカシ

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sadatajp13 years ago

>単に「移民反対」ではなく、「無条件無制限の移民には反対」というようにね。
ほとんどの場合、そういう但し書きはついてます。ついてるにも関わらず、但し書きの部分無視されて、左翼連中から保守派は人種差別者で外国人阻害主義であるというレッテルを貼られるのです。言葉を選べと言われても、その部分は無視されるのですから無駄です。どんなに言葉を選んでもそんなの関係なしに誤解されます。
誤解を避けるのは無理なのです。言葉使いを慎重にしたくらいでは誤解は防げません。誤解はやむを得ないと割り切っての、誤解を解く繰り返しの説明こそが必要なものと私は考えてます。
それと、誤解ではなくて、やってはいけないとされる差別を、あっていい差別と考えて確信的にやってる場合もあります。
私は差別主義者ではないと訴えたいのではなくて、これこれの差別はやるべきで、悪い差別ではないのだと訴えたいのです。あって当然の自国民と他国民の差を確実なものにする為に、その差を崩されてしまわないように、差別は必要なんだということを訴えなければならないのが日本の保守なのです。外国人を差別しろと言わねばならないのです。誤解されるようなことを言わないわけにはいかないのです。
そういった差別推奨の主張をしてる時には、誤解だと思わずに、差別しろといってるのだと正しく理解してもらわねばなりません。内容が差別しろなのだから誤解されない言葉選びは無理です。

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oldman13 years ago

>欧米諸国も最初から多文化主義などという悪主義を起用せず、外国人に自国の言語や文化や価値観の尊重を要求すべきだったのである。
カカシさんは、多分、移民を大量に受け入れてしまった米国を念頭に置いて議論されているのでしょうが、日本には今のところそれほど大量の移民が入り込んでいるわけではありません。ですから、移民は受け入れないという選択がまだ意味を持つわけです。移民を受け入れなければ、やっかいな問題も生じません。海に囲まれた日本の場合、密入国はそれほど問題になりません。もっとも、最近は生体認証を破って入り込む朝鮮人が話題になっていますが。
ところで、欧米はイスラム教徒を大量に受け入れてしまいましたが、カカシさんは、イスラム教を捨てることを要求すべきだったと主張されているわけでしょうか。でも、それでは信教の自由を侵害することになりますよ。
イスラム教を容認するとすれば、付随する生活習慣も容認せざるを得ないわけですし。一夫多妻。スカーフ。ターバン(これはシーク教徒ですが)。1日5回の礼拝。牛肉。豚肉。禁酒。
フランスではイスラム系女子学生のスカーフを禁止して一騒動ありました。ともかく、宗教はやっかいですね。

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Sachi13 years ago

oldmanさん

カカシさんは、イスラム教を捨てることを要求すべきだったと主張されているわけでしょうか。でも、それでは信教の自由を侵害することになりますよ。イスラム教を容認するとすれば、付随する生活習慣も容認せざるを得ないわけですし

そんなことはありません。アメリカの法律を破らない限り自分の信仰をたもつことは個人の自由です。アメリカの法律や習慣を守ることが自分の信仰に違反するので守れないと判断する個人は、アメリカに住んでいただかなくてもよろしい。(笑)
たとえば人間を生け贄にする古代アステックのような宗教があったとして、アメリカは宗教の自由を許容するため乙女の生け贄を許すなんてことはできません。
ニューオーリンズなどでは鶏などの動物を生け贄にするアフリカの宗教がありますが、これもアメリカの法律では厳禁です。
イスラム教徒の豚肉を食べないとか禁酒とかいう規則は、ユダヤ教徒のそれと変わりません。食べ物の制約は得に他人に迷惑をかけるわけではないので問題にはなりません。
1日5回の礼拝とか洗足などといったように周りの人の協力を必要とする習慣は、あくまでも自分が特別扱いを求めているのだということを認識し、イスラム教徒でない地元市民に自分の習慣を強要するような態度をとるべきではありません。また周りの人たちも彼らに協力するしないは、それが自分たちの生活にどれだけ影響があるのか個人個人で判断すべきであり、政府や公共機関が地元民の迷惑も顧みずに特別対策をとるべきことではないと思います。
ただし、フランスのように女子学生のスカーフを禁止するとか、ユダヤ教徒のヤマカを禁止するとか、宗教差別が目的の規則はつくるべきではありません。
カカシ

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Sachi13 years ago

sadatajpさん、
あなたのおっしゃる「差別」は差別というより「区別」ですよね。国籍ある市民と外国人では特権が異なるのはあたりまえですから、市民と外国人は「区別」すべきであるというのは当然です。

誤解はやむを得ないと割り切っての、誤解を解く繰り返しの説明こそが必要なものと私は考えてます。

まさしくその通りですね。常に左翼が保守派の言葉を歪曲しようとつけねらってるわけですから、保守派は常に左翼の歪曲と戦わねばなりません。一時の油断も禁物です。
しかしそのためには混乱する言葉使いは避けねばなりません。混乱する言葉使いをして相手に誤解されても文句はいえません。特に左翼連中がそれにつけこんで意味を歪曲してしまうわけですから、いくら自分たちでは人種差別のことを言っているのではないと解っていても、一般市民にその意味は伝わらないでしょう。
言葉を慎重に選んだくらいでは誤解は防げないというのはその通りです。それだけで問題は解決するとはいってません。でも言葉を選ぶことは最低限必要な条件なのです。つまり、言葉使いは必要だが充分な条件ではない、、ということです。
カカシ

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sadatajp13 years ago

>あなたのおっしゃる「差別」は差別というより「区別」ですよね。
いいえ差別です。扱いに差をつけるという差別化で差別です。差別と言われないよう区別と言い換えてる例が多々ありますが、それは誤魔化しでしかなく実際は差別です。扱いの違いは「一方には権利を認め、一方には権利を認めない」とか「一方には許し、一方には許さない」なのです。差別以外の何物でもありません。これは区別ではありません。差別です。
差別がいけないというのがそもそもの間違いです。元々差別がいけないというのは“謂れなき”差別がいけないということでした。差別する理由にならないようなことでもって差別するのが、いけないというものだったのです。人種の違いは単なる見た目の違いでしかなく差別する理由にならないものだから、そんな差別する理由にならないもので差別してはいけないということで、人種差別はいけないとなってたのです。差別に値する理由がないのに差別するのはいけないことです。それに異議はありません。しかし差別に値する理由がある場合の差別は別です。悪いものではありません。国籍の違いは扱いを変えるに値する理由です。国籍を理由とした差別は悪いものではありません。
“謂れなき”を省いた「差別はいけない」こそがサヨクのプロパガンダなのです。(彼ら本気だからプロパガンダでなく間違いですが) これを放置したままではどんな反論もサヨクの手の上で踊ってるだけになります。差別ではないと言って非難を避けるような言動は「差別はいけない」をより強化するものになってしまいます。崩すべきプロパガンダは「差別はいけない」です。扱いを変えるに値する理由があっての差別はするといいい、それは必要なことのだと主張しなければなりません。
誰もが差別の必要性は理解してます。実際差別もしてます。しかし知識として「差別はいけない」という言葉が頭にあるので、自身のやってる差別を差別と認識せずに済ませてます。差別でなく区別だといって済ませてます。私はその部分をそれぞれに自覚させたいのです。だから明確に差別しろと、差別すべきだと、差別は悪くないのだと、言います。そして、あなたも差別してますよと。で、その差別は悪いものですか、必要な差別ではないのですかと、自覚を促す問いかけをしようと考えてます。この方向で私は言葉を選んでます。差別という言葉を選んでます。

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Sachi13 years ago

sadatajpさん、
左翼は既存の言葉の意味を書き換えて、決して悪い言葉でなかったものをあたかも悪い言葉であるかのようにしてしまうのが得意ですね。
私も左翼のそういうやり方には閉口している方なので、「差別」は良い場合もあれば悪い場合もあるにも関わらず、常に悪い行為だと左翼が意味を歪曲してしまったことには憤りを感じています。その点ではsadatajpさんのおっしゃることは解ります。
しかしながら、生粋派はかならずしも勝ちません。言葉使いを左翼に乗っ取られてしまったことは腹が立ちますが、いまさら「差別」の厳密な意味について説明しようとしても一般市民に耳を傾けてもらことは困難だと思います。悔しいですがこのへんは妥協が必要です。最終目的は差別という言葉の意味云々ではなく、無差別無制限の移民受け入れを阻止することなのですから、そちらに神経を集中することが先決だと私は思います。
カカシ

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sadatajp13 years ago

>最終目的は差別という言葉の意味云々ではなく、無差別無制限の移民受け入れを阻止することなのですから
やらないわけにはいかないのですよ。やらないと差別だから悪いとされて、自国民と他国民の差が無くされてしまうのです。
無差別無制限の移民受け入れ阻止を訴える為に、差別化しろと言わねばならず、そうする為に差別は悪くないといわねばならないのです。ここを妥協したら差別化を訴えることが出来なくなります。無差別無制限の移民受け入れ阻止が出来なくなります。誤解されるとしても言わないわけにはいきません。
誤解をやむを得ないと割り切れというのは、はっきり言うと、誤解防止の対策などするなということです。
白紙の子供を相手にしてるわけではないのだから誤解は必ずされます。相手はこちらの言葉だけを聞いてるのでなく、自身の偏見含みの知識と照らし合わせて自分なりの解釈をしつつ聞いてます。こういうことだろうと勝手に読み解いて解釈してるのです。だから最初の段階では絶対に誤解します。その誤解を解くのは重ねての説明だけです。そうして誤解を解いて初めて誤解されなくなるのです。誤解を恐れて肝心なところをぼかしていたのでは誤解は永遠にとけません。誤解されない工夫で主張を回りくどくするのもいけません。回りくどくした分だけ難解になり、誤解を解いての理解が難しくなります。
誤解されない為の対策は、利より害の方が大きいのです。主張や誤解を解く部分で支障が出てしまうのです。しないほうがいいと考えます。

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sadatajp13 years ago

私としては「差別はいけない」に「差別は悪くない」をぶつけて、「差別はいけない」が絶対的な価値ではないとなりさえすればいいんです。「差別はいけない」に対して「必ずしもそうではないのでは?」くらいに思ってもらえるようになればいいんです。これは難しくありません。単なる知識として「差別は悪くない」という意見があることを知って、部分的にでも理解出来るところはあるなあと思ってもらえればこの程度の認識にはなります。これで十分です。「差別はいけない」が無条件で通ることはなくなります。
「差別はいけない」の裏にある「全てを同じに」がサヨクの根底にあるもので、サヨクの思想の全てに通じる基本的な考えです。「差別はいけない」がそのまま受け入れられなくなれば、サヨクの主張だってそのまま受け入れられることはなくなります。サヨクとの戦いに打ち勝つ為に「差別はいけない」には正面から挑むべきです。ここを避けてたらサヨクには勝てません。

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