また一週間ほどネットアクセス不能になるので、今回は中東文化研究では第一人者として知られるバーナード・ルイス教授著のThe Crisis of Islam 「イスラムの危機」を特集したいと思う。
ルイス教授は以前にもWhat Went Wrong?「なにがいけなかったのか」という著書のなかで、一時期は飛ぶ鳥を落とすような勢いで文明の最先端を行き、他宗教にも比較的寛容で、軍事力も圧倒的勢力を誇っていたイスラム文化が、なぜ欧州に追い抜かれ衰退の憂き目を見たのかをつづっていた。今回の「イスラムの危機」はその続編ともいうべきもので、イスラム社会が押し寄せる近代化の波に巻き込まれ、近代化への失敗に失敗を重ねた末、その葛藤の苦しみに耐え切れず近代化を拒絶し、近代化をもたらした西洋諸国(特にアメリカ)を敵視するようになった経過が説明されている。
西洋は神の敵という概念
911が起きたとき、私は無論アメリカによるアフガニスタン攻撃を支持した。なぜならば、911直後のアルカエダの親玉であるオサマ・ビンラデンのスピーチを聞き、彼らは私たちが私たちであること自体が許せないのだということを知ったからだ。そのような敵とは交渉の余地はない。そのような敵とは滅ぼすか滅ぼされるかの二つに一つしかないからである。ルイス教授もイスラム社会の西洋に対する敵意は単に特定の国が特定の行為をしたというようなことに限らないという。

この憎しみは特定の興味や行為や政策や国々への敵意を越えたものであり、西洋文化への拒絶につながる。この拒絶は西洋文化がしたことへの拒絶と言うよりもそのような言動をもたらす西洋文化の価値観そのものへの拒絶なのである。このような価値観はまさに生来の悪とみなされそれを促進するものたちは「神の敵」であると考えられるのだ。

この神に敵がいて、信者が神の手助けをしてその敵を排除しなければならないという考え方は、イスラム教徒以外の現代人には、それが仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと世俗主義者であろうと、不思議な概念である。しかしオサマ・ビンラデンのみならずイスラム教過激派はイランの大統領をはじめ常に「西洋社会は神の敵」というテーマを繰り返している。
もともとイスラム教創設者のモハメッドは宣教師であるだけでなく、統治者であり戦士であった。イスラム教は戦争によって他宗教を打ち倒すことによって創設された宗教といってもいい。だからモハメッドの軍隊は神の軍隊なのであり、モハメッドの敵は神の敵というわけだ。
となってくると西洋社会に自然と沸く疑問は「イスラム教は西側の敵なのか?」ということになる。以前に私はロバート・スペンサーの著書を紹介したときに何度も西側諸国はイスラム教を敵に回してはならないと主張した。だがもしイスラム教徒自体が西側の文化そのものを「神の敵」とみなしているとしたら、我々は彼らを敵に回さないわけにはいかないのではないだろうか?一部のイスラム教徒を味方にしてテロリストとだけ戦うということは可能なのだろうか?
ルイス教授はイスラム教は西洋の敵ではないと言い切る。ソ連亡き後、世界を脅かす危険な勢力としてイスラム教が台頭したという考えも、西側諸国のこれまでの悪行に耐え切れずに善良なイスラム教徒らは止む終えず西洋の敵に回ったのだという考えも、その要素に多少の真実があるとはいえ危険なほど間違った考えだと教授は言う。


1 response to イスラム教の危機:西洋は神の敵という概念

アレン16 years ago

そうですね。イスラム教自体って西側の敵とは最大なる問題でしょう。ある人によるとイスラム教には穏健派なんか存在できない、世界規模のカリフを設立するのがその教徒の基本的目的らしいです。そこで、我々非イスラム教徒達を殺したくない、あるいはズィンミーにしたくないイスラム教徒は、純イスラム教徒ではないと。
私なら、こう硬派らしい判断は言い渡しづらいですね。しかしながら、一つ一目瞭然なのがあると思います。それは、イスラム教内改革でしょう。いわゆる穏健派が猛威を奮っている強硬派に立ち向かいださないと、ますます絶望的になってしまうと思うしかありません。

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