Tag:イスラエルの歴史

私はもうだいぶ前からイスラエル建国に関しては色々な話を聞いたり読んだりしてきて、まあまあ知識はある方だと思うのだが、10月7日以後、俄かパレスチナ支持者になった人の多くが全く歴史を知らないか、もしくはパレスチナ活動家(ハマスやPA)による歪曲された誤った歴史を信じてしまっていて残念である。

しかし幸運なことに、私より歴史的事実につて非常に詳しい人達が結構Xで投稿してくれているので、そういう資料を見つけ次第、自分の勉強のためにも記録しておこうと思う。なにせXのアカウントは何時凍結されるか解らないので。

今日見つけたポストはPeter Baum@baum_p氏によるもので題名は「FACT  No  Palestinian land was stolen 」(パレスチナで奪われた土地はない)。

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事実1:パレスチナで奪われた土地はない(すべて合法に購入されたもの)

『アラブ指導部は、1930年のホープ・シンプソン委員会と1937年のピール委員会の両方で、今日イスラエルとして知られる地理上のすべての土地(パレスチナ)が合法的に購入されたと証言した。買い手は個人、ユダヤ人、シオニスト団体だった。 土地には、マルク、ミリ、ワクフ、メトルーク、メワットの 5 つのクラスがありました(日本の用途地域に該当するもの?)。マルクは自由保有権、ミリは借地権でした。ワクフは宗教当局の保護下にある土地であり、メトルークとメワットは国有地であり、国のみが所有する荒地でした。これら 2 つのカテゴリーは総地理の約 80 パーセントを占め、砂漠、森林、湿地、道路などはすべてこれら 2 つのカテゴリーの一部であり、この土地はユダヤ人の故郷の一部を形成する法的拘束力のある国際協定に基づいて指定されました。』(Babyboss_second@Babyboss_thirdさんの翻訳)

(以降翻訳はカカシ)マルク(Mulk)もしくは自由保有地は全体のほんの1%であり、すべてのマルクは合法に購入された。全体の17%にあたるミリ(Miri)という借地は農地だったが、この借地はフェラヒン族の農家でアラブ人の地主から3年連続農作物を生産することと土地使用税金の納税義務が課されていた。しかしフェラヒン族はマラリアや干ばつで食料の生産が滞り、罰金を払うこともできなくなっていた。またアラブ人やベドウィン族はシオニストが土地を欲しがっているせいで土地の値段が上がっていることに気付き高値でシオニストに土地を売り始めたため、フェラヒン族はリースを失ってしまう。それでシオニストたちはシリア、レバノン、オトマンの地主たちから合法にこれらの土地をリースした。これらは全て記述が残っている。さらにシオニスト農家による作物生産高が非常に良かったので、3年のリースは50年に延長された。

この時期に大量のアラブ人がこの地域に入ってきた理由は、シオニストの農業技術によって土地が豊かになり経済が発展したからである。

ウィンストン・チャーチルやアラブ政治家たちもこの大量移住について何度も語っており、ブリタニカ百科事典でも1911年のアラブ人大量移住が記録されているほどだ。レバノン人のサルサク一家、シリア人のエル・サラム一家、アンソニーとミシェル・エル・タイナン一家はユダヤ人に何百ドゥナムを売った例である。土地登記記録によれば、フェラヒンは土地を所有していなかった。

事実2:ガザも西岸もイスラエルの主権領域である

ガザと西岸(ヨルダン川の西)は常に合法的に定められた主権領域である。 ( ジュデアとサマリア)ゴラン高原は占領されているが主権領域ではない。しかしイスラエルはまだシリアとは戦争中ということになっているので、ここは国際法によってイスラエルの占領が認められている土地である。シリアがイスラエルとの姿勢を改めない限り、ゴラン高原はイスラエル占領地としてとどまる。よってガザや西岸をイスラエルが違法に占領しているというのは嘘である。

イスラエルがガザから撤退し、ヨルダン川西岸地区をパレスチナの支配地域に分割するという取り決めは単に政治的なものであり国際法の不変性に基づくものではない。 1922年の国際連盟委任統治領(サンレモ条約を含む)は、1945年の国連憲章第80条(とりわけ、法的拘束力のある権利取得と禁反言の原則(いずれも1969年のウィーン条約第70条1項(b)で成文化された)によって批准され、承認された。 イスラエルの主権領域はヨルダン川西岸地区とガザ地区を含む。これを支持する最後の国際判決は2013年のベルサイユ第3法廷の判決である。

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というわけなので、イスラエルはパレスチナ人(そんな民族は存在しない)の土地を武力で奪って人々をガザや西岸に追いやったというのは全くの嘘であり、現在もイスラエルはパ人の土地を違法に占領しているというのも嘘である。

これは以前にミスター苺から聞いた話だが、イスラエル建国直前にユダヤ人に土地を売ったアラブ人たちは、その土地がユダヤ人のものになってしまうことを懸念していなかったという。何故なら、どうせ戦争をやってアラブ人がイスラエルから土地を取り戻せると思っていたからだ。金を受け取っておいて、後で奪い返すつもりだったとは、アラブ人の考えそうなことだ。

追記:Xでイスラエル建国当時、パレスタインの地主の90%以上はアラブ人だったと言う人がいた。その人が提供してくれた資料を読む限りそれが偽物であるとも思えなかった。しかし90%もの土地をアラブ人が持っていたのに、それをイギリスがユダヤ人に譲渡するとも思えないので、それはどういう意味なのだろうとずっと不思議だった。しかし本日その謎が解けた。これは90%のパレスタインの土地をアラブ人が持っていたという意味ではなく、民間人所有地の90%の持主がアラブ人だったという意味なのだ。当時のパレスタインの土地はほとんどが公有地であり、民間人が所有できる所謂私有地は少なかった。だからその殆どをアラブ人が所有していたとしても特に不思議でもなんでもない。

下記はこちらのサイトから引用。The Palestinian land ownership claim | Şalom Turkey (salom.com.tr)

この地図を見ていただきたい。これは1947年当時のイギリス統治下のパレスタイン。青い色がユダヤ人が所有していた土地。右側の地図の緑色の部分がアラブ人が所有していた土地。白い部分は政府が所有する公有地である。

最終的にユダヤ人の個人や組織よって購入されたパレスタインの私有地は私有地全体の9%くらいになった。これがアラブ人の地主が90%以上と言われるゆえんである。しかし、9%の私有地がユダヤ人所有だということは残りの91%の土地がアラブ人のものだったという意味ではないということは、この記事でも強調されている。


3 responses to パレスチナの土地は奪われたのではなく、すべて購入されたもの

よもぎねこ2 months ago

歴史的にはパレスチナ人の国という物が存在した事もないです。 ローマ帝国がイスラエルを滅ぼしてから、現在のイスラエル領に存在した国家は、十字軍の作ったエルサレム王国だけで、それ以外の時代は周辺の大国の領土の一部でした。
だからパレスチナ人を自称する人達に国家建設の意識がないのでしょう。

 イスラエルはユダヤ人国家の存続が絶対原則で、これさえ確約されるなら、領土割譲も含めて他の問題は、何でも譲歩してきました。
 一方パレスチナ側の絶対原則はイスラエルの殲滅です。 イスラエルがどんなに譲歩しても、イスラエル殲滅まで一切妥協する気がないのです。
 パレスチナ国家の建設なんか目的じゃないのです。
 
 ところが日本のマスコミはこの根本原理は絶対報道しないのです。

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    苺畑カカシ2 months ago

    まったくですね。イスラエルが現地で存在すべきではないという考えから祖先の血筋まで嘘をついてあたかもユダヤ人にあの土地に居る権利がないかのように言ってますが、はっきり言ってそんなことはどうでもいいのです。

    なぜってパレスチナ人に独立国を作りたい野望など最初からないからです。

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苺畑カカシ2 months ago

今日Xで旧パレスタインの土地の殆どは国有地であったという私のポストに異論を唱えた人がいたので、そうではないという証拠があるなら提示しろというと、SABAHというトルコの新聞記事をいくつか張り付けて来た。

私はトルコ語は読めないというと、原語で読む努力もしないのか、とか言うので機械翻訳で読んでみたが、それはオスマントルコ時代にトルコがユダヤ人には土地を譲渡しないと言ってる書類、一部アラブ人が個人的にユダヤ人に土地を売るのを拒否したという手紙だった。

私は最初から旧パレスタインの私有地の9割はアラブ人が所有していたと書いており、この記事と矛盾するところはない。何故なら私有地の9割とパレスタイン全体の9割とは違うのからだ。

ところでこのSABAH紙はとても信用のおける新聞とは思えない。トルコ紙なのでお国柄なのかもしれないが、ブリンケン国務長官のことを「汚いユダヤロビー」などと書いている。
欧米だとどんな左翼偏向メディアでもこういう書き方は絶対にしない。

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