アマゾンプライムからJRRトールキン原作の指輪物語(Lord of the rings)の新シリーズが来月の二日に公開される予定だが、すでにその内容について多くのトールキンファンの間から懸念の声が上がっている。

トールキンの指輪物語は、出版された1950年代から原作は世界中でベストセラーになり、未だに多くの人たちに愛読されているが、そういう原作を映画にするのは至難の業である。それで2000年にピーター・ジャクソン監督の三部作映画化の成功は奇跡的と言っていい。原作ファンとしては人それぞれ不満な点もあったかもしれないが、あの映画ほど原作に忠実に、キャラクターのイメージを壊さずに実現できた映画は稀である。

それで20年後の今、新しく始まるシリーズへの期待は大きい。しかしこれまで公開された予告編やキャストたちへのインタビューを見るにつけ、どうも今回のシリーズにはおかしな点が多いようだ。

今回のシリーズは、ホビットのフロドとサムの冒険以前のミドルアースが舞台でガラドリエルが主役になるようだ。私は指輪物語は何度か読んでいるが、JRRの息子であるクリストファー・トールキンが父の死後に編集して出版したThe Silmarillionは読んでいない。それで指輪物語以前のミドルアースに関する歴史はほとんど知らない。だから今回のシリーズがどれほど原作とかけ離れているかを判断することは出来ない。しかしながら、それでもトールキンファンが問題とする数々の点について察知することは出来る。

なんといっても一番気になるのが出演者の多くが口々に言う「ダイバーシティー」と言う言葉である。指輪物語には色々な部族が登場する。エルフ、ドワーフ、ホビット、人間、オーク、等々。そしてエルフ内でも西と東などで部族が違う。人間もローハンやガンドアーなど別々の王国もある。であるから、もし新シリーズの製作者たちが多々の人種を使った配役をしたいのであれば、これらの部族ごとに違った人種の俳優を起用することは可能だ。しかし彼らがやったのはそういうダイバーシティーではない。

左翼リベラルが考えるダイバーシティーというのは、どうやらロサンゼルスやニューヨークみたいな人種のるつぼしかないらしい。LAやNYには世界中から人が集まっているので、同じ地域に白人も居れば黒人もいれば東洋人も居る。ざっと何人か集まった時に色々な人種が混ざっているのは当然だ。しかしトールキンのミドルアースの世界でそれはあり得ない。

先ず部族というのは血縁関係にある親族の集まりだ。だから同じ部族の人間は皆似たような風貌をしているのだ。地球上でもアイスランド人とチベット人の顔が全然違うのは当然の話だ。今の日本で伝統的な大和民族ではない風貌の日本人が存在するのは、日本と外国との行き来が頻繁に出来るようになったからこそ起きる現象であり、鎖国時代の日本では先ず起こり得ない現象だ。

であるから同じ部族のエルフの間で黒人のエルフが居たり白人のエルフが居るなどということはあり得ないし、ましてや全く外部との接触のないドワーフやホビットの間でもロサンゼルス住民のように白人や黒人が入り混じるなどということは全く理屈に合わない。

実はこの現象はLOTR新シリーズに限ったことではない。

私が好きなスタートレックシリーズでも、昨今の新シリーズはやたらと有色人種(特に黒人)やLGBT+界隈の登場人物が出てくる。そしてこれらのキャラクターの配分が非常に不自然なのだ。

例えばスタートレックの新シリーズディスカバリーなど、宇宙船ディスカバリーの乗組員の半数以上が女性であり、そのほとんどが黒人だ。現在のアメリカ軍での人種配分は黒人の数が一般よりは多いとはいえ、全人口の8割弱の黒人が軍隊の半数を占めるなどということはない。また女性兵士の割合も多くてせいぜい三割程度だ。まあSFだし未来設定だから現実社会とは違うのだと言われればそれまでだが。

しかし地球人はそれでいいとしてボルカン星人やトリル星人はどうなる? 彼らは地球とは全く違う惑星の星人のはず。それなのにどうして彼らの間で白人だの黒人だのが存在するのだ?違う惑星にも色々な人種がいるという設定にするなら、せめて青色人と緑色人でもいいではないか?何故地球人と同じ人種バリエーションになるのだ?

同じく新シリーズのピカードでは、ロミュラン星人の人種が地球人と同じすぎて、異星人であるという感じが全くしない。単に耳がとんがっている程度では地球人との見分けがつかないのだ。

問題なのは人種だけではない。ディスカバリーのエンジニアリングチームの構成はといえば、白人ゲイ男性(恋人は黒人男性)、レズビアン女性、ノンバイナリ―女性とそのトランスジェンダー男性の恋人、そしてかろうじて一人いる普通の白人女性はぽっちゃり系。

私の勤める職場には3千人からの従業員が居るが、こういうマイノリティーの人たちに一度もお目に罹ったことがない。まあ同性愛者は外から解るわけではないから、知らないうちに会ってるのかもしれないが、小さなチームの全員がこういう人たちってどういう設定?

それともう一つ私が気に入らないのは、女性の数が多いにも関わらず若い美女が一人も出てこないこと。これまでスタートレックと言えばスタイル抜群の美女がぴちぴちユニフォームで登場するのが常だったのだが、ディスカバリーは女性主人公はじめ周りの女性たちが全然美人ではない。ユニフォームも男女同じでまるで女性の曲線美が故意に隠されているように見える。

というわけで一部のトレッキー(スタートレックファン)の間ではディスカバリーシリーズのことをWOKE(お目覚め主義なポリコレ)トレックなどと呼ばれている。

それでもLOTRやスタートレックはファンタジーやSFなので、想像の域を出なくても構わないというならそれはそれで仕方ない。だが最近はイギリスなど歴史ものの時代劇でもイギリス貴族の役を黒人や東洋人が演じることが珍しくない。

しかし私はこうしたことをするのは、人々に歴史に関する間違った印象を与えるだけでなく、イギリスの人種差別歴史をもホワイトウォッシュすることになると思うのだ。

例えば、イギリス帝国はインドやアフリカ諸国を植民地として征服し、地元民を奴隷のように扱ったという過去がある。もしもこうした時代の時代劇でイギリス将軍が黒人だったら話が通じるだろうか?イギリス政府がアフリカの黒人を大量に輸入した事実はどうなる?インド人を差別した歴史はどうなるのだ?

人種差別だ平等だと騒ぐ割りには、芸能界は人種差別の歴史を理解していない。非現実的な人種やマイノリティー配分を無理やり見せつけられる人々は、こうした少数派に好感を持つより、かえって反感を覚えるのではないかという気がする。

人種差別意識など微塵も持たない私ですら、いい加減少数民族だけのテレビ番組は見飽きたよと思っているくらいだから。


2 responses to ダイバーシティーに拘りすぎる昨今のテレビ番組

名無しの権兵衛2 years ago

日本にも浦島太郎を黒人にしたら面白いと言っている人がいるのですよ。しかし、日本が舞台の日本の昔ばなしある以上は、浦島太郎が黒人である必然性はありません。日本の人魚姫の絵本を見ると多くは金髪ですが、絵を描いている人は単にヨーロッパが舞台のおとぎ話だから、金髪と言う発想で描いたでしょうから、それほど深い意味もなく、差別意識などなかったと思います。私は、人魚姫は金髪の白人女優に演じてほしいと思いますが、私は無意識の人種差別主義者になってしまうのでしょうか?
黒人を活躍させたかったら、アフリカの国を舞台にするとか、アフリカにも昔話や英雄伝説があるでしょうから、それを原作に映画やアニメを作ればいいので、何もオリジナル作品に強引に黒人をねじ込む必要はないと思います。

これは、多様性について、在日エジプト人女性と日本人の弁護士が討論しているものですが、彼女の多様性にこだわるわまりオリジナル作品や作品の歴史的背景を変えるべきでないという意見に同意したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=JsOKm0AilEE&t=396s

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    苺畑カカシ2 years ago

    フィフィさんの言う通りだと思います。有色人種を主役にしたいなら、自然に生まれたおとぎ話でも英雄話でもオリジナルのものを作ればいい。その点ムーランとか良かったと思うし、巴御前とかやってくれたらもいいなと思います。ブラックパンサーが大ヒット映画なのも、黒人が主役というオリジナルだからだと思います。他人のふんどしで相撲をとるみたいなことやってるから、かえって反感が生まれるのです。

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