次々に保守派には嬉しい判決を発表しているアメリカの最高裁だが、先日も高校のフットボールのコーチが試合後にフィールドでお祈りすることを巡って起きていた訴訟で、最高裁はコーチがお祈りをする権利があることを認める裁決を下した

最高裁は6対3で元高校のフットボールコーチだったジョー・ケネディー氏がフットボールフィールドで祈る権利は憲法補正案第一条で守られているとして氏の権利を認めた。

ケネディー氏は2016年、Bremerton教育委員会の方針に反するため止めるように警告されていたにも関わらず試合後のお祈りを続けたため、停職処分に処されていた。

学校側はケネディーに生徒と一緒に祈ってはいけないこと、宗教的な行動を生徒に奨励すると思われることはしてはいけないと警告していた。

Bremerton High School assistant football coach Joe Kennedy kneels in the center of a prayer circle before a game.
ケネディーコーチと一緒に祈るチームのメンバーたち。

ケネディー氏は2008年に一人でお祈りを始めたが、徐々に生徒達の参加も認めた。氏はチームの参加を強制したことはなく、プレッシャーもかけていない、子供たちは自発的に参加したのだという。しかし、2015年にお祈りを止めるように言われてからは、自分一人でフィールドで祈るのを続けていた。何故自分だけで誰にも見えないことろで祈らないのかと聞かれると、ケネディーは怒って、

私が何であるか何を信じているかを隠さなければならないなんて、どんなメッセージを送るでしょうか?ブレメントンはこの地区では最も多様で許容的な学校です。誰もが自分らしく自由で居られるべきです。それがなんであろうとも。

これがケネディー氏が女装して生徒の前で踊ったとかいうことだったら、学校側も教育委員会も大歓迎したのだろうな。ドラアグショーはいいのにお祈りはいけないという不思議な時代だから。

もともと教育委員会がケネディー氏のお祈りを禁止した背後には「政教分離原則」の誤った解釈がある。

アメリカの憲法補正案第一条の訳文はこちら。

合衆国議会は、国教を制定する法律もしくは自由な宗教活動を禁止する法律、または言論・出版の自由もしくは人民が平穏に集会して不満の解消を求めて政府に請願する権利を奪う法律を制定してはならない。

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.

ネット検索で見つけた解釈の一部を引用するとこうなる。

アメリカ合衆国憲法では、『信教(宗教)の自由』が認められており、法律で特定の宗教を『国教』として定めたり強制したりすることはできない。

アメリカでは言論・出版・平穏な集会(政治結社の結成)の自由が認められており、アメリカ国民は国家に対する『不満の解消を求めるための請願権』を保障されている。

このサイトではこれを政教分離の原則とすると書かれているが、アメリカ憲法の中にはどこにも政教分離という言葉は出てこない。トーマス・ジェファーソンの手紙のなかに”separation of church and state”と書かれていたのが、憲法のどこかに書かれていると勘違いしている人が多くいるのだ。

ともかく、第一条には国が国教を制定してはいけないとは書かれているが、政府機関やその施設の中でお祈りをしてはいけないとも、学校で聖書の勉強会を開いてはいけないとも書かれていない。公立学校において、生徒達が特定の宗教のお祈りを強制されたら無論それは憲法に反する。この訴訟の鍵となったのは、ケネディー氏が生徒達に強制的にお祈りをさせていたのかどうかと言う点だ。明らかに最高裁はそんな事実はなかったと判断したのだろう。

この件に限らないが、左翼が圧倒的権力を持つ学校組織では、なにかとアメリカの伝統的な宗教であるユダヤ・キリスト教が迫害される傾向にある。すでに20年以上前に生徒達が放課後自発的に集まって聖書勉強会をやろうとするのを阻止した学校が訴えられ、最高裁が生徒達の権利を認める裁決をしている。Good News Club v. Milford Central School

このほかにも、卒業式で卒業生の演説のなかに「神のご加護を」という言葉を使ってはいけないとか、休み時間に生徒達が同級生に聖書を配ってはいけないとか、リモート授業中に生徒達が自宅で祈ったのもいけないなどなど、学校によるキリスト教弾圧は後を絶たない。

それでいてイスラム教徒の多いミシガン州のディアボーン市の学校区では、学校側がイスラム祈祷のために特別に教室をあてがって、一日四回の祈祷を許可するなど至れり尽くせりなところもある。

先にもちょっと述べたが、最近多くの公立学校で、学校主催のLGBTQ+教育が熱心に行われている。学校にストリッパーさながらの卑猥な恰好をしてケバケバしい化粧のドラアグクィーンが招かれて、未成年の生徒たちの前で腰振りダンスをやるなど日常茶飯事になっている。

私が学校でLGBTQ思想が奨励され、半ば強制的に子供たちに押し付けられているのに、コーチや生徒たちが自主的に祈ることが許されないのはおかしくないかとツイッターに書いたら、LGBTは宗教ではないので問題ないと応えたアホがいた。

男が女になれるとか性別が二元性ではないとか、全く科学に基づかない出鱈目思想がカルト以外の何だというのだ?それにLGBTQ+のQに当たるクィアと悪魔崇拝思想には深いつながりがある。ドラアグたちの衣装や化粧がサタンをかたどったものであるのはよくあることだ。

ともかく、最高裁が宗教の自由を保証する判決を下したことは喜ばしいことである。今後も左翼たちが「政教分離の原則はどうなったんだあ~」と叫び続けることは間違いないが、その度に、アメリカ憲法にはそんな原則はないとはっきり言ってやろう。


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