旭日旗恐怖症のポリコレ圧力に屈するな、たまにはロサンゼルスタイムスがましに見える記事

ついこの間、アノニマスポストに載った記事で、カカシの地元のロサンゼルス学校区の壁画が旭日旗だから塗りつぶせといちゃもんを付けた韓国人活動家の話があった。

この壁画は「マイアミ在住の新進気鋭画家、ビュー・スタットン氏(32)がロサンゼルス市内のロバート・F・ケネディ公立学校のジムの外装に描いた巨大な壁画。」であり、モデルは往年の女優エバ・ガードナー。当たり前ながら旭日旗とは無関係。

にも拘わらず、「Wishire Community Coaltion」(WCC)ウェルシェア・コミュニティ連合会)という地元韓国人団体が、「この壁画の太陽は日本帝国主義のシンボルである旭日旗を思い起こさせる」とか「旭日旗はアジア全土を侵略し、アジア人民を弾圧し隷従させた人類に対する犯罪を象徴したものだ」とかいちゃもんを付けたことで、学校区はしりませんでした、ごめんなさい、すぐ塗りつぶしますと、すぐ折れてしまった。

普段なら左翼活動家のクレームがつくと何でも言いなりになっていたアメリカ左翼も、今回はちょっと行きすぎだと思ったようだ。


ところがこの完全謝罪に真っ向から異議を申し立てのは画家のスタットン氏だけではない。
 「教育・言論の自由」「自由人権」では他の追従を許さぬ2つの団体が前面に出てきたのだ。
 1つは「American Civil Liberties Union」(ACLU=アメリカ市民自由連合)。ヘレン・ケラーさんらが創設した全米で最も影響力のあるNGO団体。会員は1万5000人。
 もう1つは全米の学校長らが名を連ねている「American Association of School Administrators」(AASA=アメリカ学校教育責任者協会)。会員数は50万人。
 2団体の主張はこうだ。
 「この壁画を撤去することは、学校で学ぶ生徒たちが多様な考え方や見解に接するアクセスを一方的に査定し、許可不許可を決める公共の圧力に屈する危険な前例を作りかねない」

これに関して普段はバリバリ左翼のロサンゼルスタイムスでさえも、ロサンゼルス学校区の態度は無責任であり支持できないと批判している。


先月、扇動的な16ページにわたるロサンゼルス学校区に充てた手紙は壁画を破壊するという不当な結論を招いた。ウィルシャーコミュニティー連合会(WCC)の会長、チャン・ヨン・ジェイク・ジェオンはこの長ったらしい偽りの非難をこう始める。彼によれば、この壁画は「第二次世界大戦の日本帝国の旭日旗を模ったものだ」と最初の一小節から言う。あの悪名高き旗を「なんとなく思わせる」でも「似ている」でも「そんな気にさせる」でもなく「模っている」なのだ。無論そうではない。

LAタイムスは左翼新聞なので、旭日旗は「悪名高い」と決めつけているところは問題だが、ジェオンの言ってることは言いがかりだと指摘しているところは評価すべきだろう。この記事の著者クリストファー・ナイトによると、ジェオンの手紙には何度も何度もこの壁画は旭日旗を描いたものだという嘘が出てくるのだそうだ。ジェオンは地元弁護士で、この壁画を今すぐ撤去しなければ訴訟を起こすと学校区を脅した。それで学校区は即座に屈してしまったのだ。

しかしナイトは太陽光線をモチーフにしたデザインはロサンゼルス各地の建物に見られるもので、歴史的にも1920年代や30年代に建てられたものが多く、第二次世界大戦とは無関係だという。太陽光線が出ているデザインが日本の旭日旗だと言い始めたらきりがない、ばかばかしいにもほどがある、とナイトは言う。例えば、ウエストハリウッドの図書館の壁画なんかも危ない。

Shepard Fairey, "Peace Elephant," 2011, West Hollywood Library

ジェオンの手紙には学校の壁画を描いた画家が意図的に地元韓国人に脅威を及ぼそうとしたとまで書かれているという。実は、この言いがかりには裏がある。

この壁画が完成したのは2016年なのに、苦情の手紙が届いたのはその18か月後のことだ。これはロサンゼルス市長がホームレスシェルターをコリアタウン付近に建てる計画に本格的に取り組み始めた時期と一致する。シェルター建設に大反対のWCCは地元市民からの支持を得るため学校区に言いがかりをつけて勝つことにより、団体に箔を付けようとしたのだ。

ナイト曰く、なんと汚いやり方だろう。自分らの団体の政治権力を高めるための言論弾圧なのである。

実を言うと、私はずっと韓国人によるこの馬鹿馬鹿しい活動は、どんどんやらせておけばいいのではないかと思っていた。いや、旭日旗が戦犯旗だなどという偏見を世界中に広めさせていいと言う意味ではない。旭日旗がナチスのスワスティカと同じだという誤解は我々がその都度解いていかなければならないが、こういうふうに無関係なデザインまで「旭日旗だ!とりのぞけ!」と騒ぐ韓国人が増えれば増えるほど、多くの外国人が「また韓国人の馬鹿ないいがかりが始まったよ」と言って呆れのではないかと思うのだ。

今回の件にしても、普段なら左翼のACLUやLAタイムスですらも、「韓国人、いい加減にしろよ」と言ってるくらいだから。学校区はすでに壁画を塗りつぶすと決めてしまったようだが、他の団体からの反対も起きているので、どうなることか見守る価値はあるだろう。


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英検一級でる順パス単を購入

この間英検一級の今年の問題をやってみて、自分が弱いところはなんといっても語彙だなと実感したので、昔大学入試のためにやった(大学は落ちたけど)「でる単」ならぬパス単を購入。これは試験に出る順に並んでいるということなので、昔みたいにいつまでたってもAから抜け出せないということはなさそう。

先ず構成はでる順番のA,B,Cに分かれており、その中でそれぞれ動詞、名詞、形容詞・副詞に分かれてる。右側のページにその単語を使った例文がある。

一応A段階をざっと見てみたが、結構しらない単語があってがっかり。一応ぱっとみてわかる単語はチェックマーク、なんとなく解るが説明できないものは三角、全然しらない単語はバッテンマークを付けておいた。

英検一級を受けようなどという方々はもうご存知のことと思うが、英検は英語力を試すものであって翻訳力を試すものではないので、英語でその意味や使い方を知っていれば、該当する日本語を知っている必要はない。しかし日本人が学ぶのであれば日本語の意味を知っていた方が効率はいいだろう。ただ、私のように若い頃に日本を出た人間は、日本語教育がなってないので、かえって日本語の単語の難しさに驚かされる。

例えば、retroactive=遡及(そきゅう)、feud=確執 と言ったように、英語では簡単な単語だがこんな日本語は聞いたことがなかった。私が日本語の検定試験を受けたら簡単には受からないだろうなと思う。

英語の横に日本語で意味が赤字で書かれている。付録の赤いプラスチックの板をここに掲げると日本語が隠れるようにできている。なるほどいい考え。もっとも私には日本語の意味が解らないからあまり意味はないのだが。考えてみれば、この単語帳は日本語の語彙を増やすのにも役立つかも。

学生の頃は単語を覚えるという作業が大嫌いだったのだが、こうやって読んでみると結構あたらしい発見があって面白い。明日はBレベルに挑戦してみよう。


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「保守派ゲイは黙りやがれ」アイデンティティーポリティクスの偏狭性

この間、ツイッターフィードで「保守派ゲイは黙りやがれ」という記事を読んでなんじゃこりゃっと思っていたら、「俺はゲイだけど黙る気ねえからな」と反論している記事も見つけたので両方を読み比べてみた。

まず、最初の記事を書いたのはローレン・シーセンという女装男。本業はスポーツ記者らしいが、こんなひどい文章を書いて記者顔出来るというのもすごいもんだ。ローレンの文章は放送禁止用語の汚らしい言葉だらけで、長ったらしくまとまりがない。著名な保守派ゲイ男性の名前を何名も連ねて侮辱しているのを何とか我慢して全部読んでみたが、まあ、要するにだ、「ゲイであることを盾にして保守派意見を言うのは止めろ、ゲイにふさわしい左翼意見を言えないなら黙れ」ということだ。ローレンに言わせるとゲイが保守的な見解を持つのは裏切り行為であり許せんことらしい。しかもローレンは普通の人間が使ったら明らかにゲイ差別と言われる「ファグ(おカマ)」という侮蔑語でマイロ・イヤナポリスや他の著名なゲイ保守派を罵っている。

ツイッターでもよく保守的な意見を述べる同性愛者の人たちが「ホモウヨ」などと呼ばれて後退派左翼から罵られているが、ゲイだから誰もが同一の考えを持たなければならないという考えはそれこそホモフォビアだろうと反論記事を書いたブラッド・ポロンボは言う。

基本的にシーセンはゲイは性器で考えろ、ゲイはその性嗜好により他の人のように理屈で考える権利を奪われていると言っているのだ。これは単に無知なだけでなく、正直言ってあからさまなホモ夫フォビックだ。そう、私はゲイだ、グリーンや他の多くの男たちのように。しかし私は一個の人間でもあり、自分で考えることが出来る。

ゲイだろうと誰だろうと、人工中絶や銃規制に反対だったり税金を減らすことはいいことだと思うことは可能だ。そうした色々な方針について理屈で議論をしようとせず、すぐに「同性婚を支持できない政治家の減税方針なんかなんで支持できるんだ?」と後退派左翼特有のアイデンティティーポリティクスを持ち出してくる。あたかもゲイにはゲイ関連以外の政治見解は無駄だとでもいうように。

実は私が大昔に日本が嫌だと思った一番の理由が「女だから」「男だから」「何歳だから」と言った所属するとされる集団で特定の行為が期待される社会が窮屈に思えたことにある。今はそんなことはないかもしれないが、1970年代当時の日本では「女も25歳を過ぎたら、、、」といったような固定観念があり、期待された行動を取っていない人間は変人と思われたものなのである。

例えば私が高校生の時に社会科の教師がクラスの男子に向かって「君たちは将来結婚したら妻に仕事をさせるかね」と男子一人々に質問したことがあった。その時私は「妻が仕事をするしないを決める権限が夫だけにあるという前提が納得いきません。何故女子の意見も求めないのですか。」と質問したことがある。女子たちの間では「そうよねえ」という意見もあったが、男子たちは一斉に罵声を飛ばした。教師は何を馬鹿げたことをというように一笑に付した。口の悪い男子生徒が「カカシ、お前なんか嫁の貰い手がねえぞ」と言ったので「結構です。あなた達みたいな男ばっかりなら、独身でいた方がずっとましです。」と答えた。

後退派左翼のやっていることは、昔のこういうがんじがらめな伝統や男尊女卑の考えと全く変わらない。ゲイだから、女だから、黒人だから、東洋人だから、といって一個人がそれぞれ多々の考えを持つことを許さない。その人間の所属する集団で左翼後退派が決めた全く同じ意見を持っていなければ裏切り者扱いなのだ。

しかし考えてみれば、ローレン・シーセンのような女装変態男が保守派のゲイたちに「黙れ」と言いたくなるということ自体、それだけ保守派ゲイたちが左翼たちからの圧力を恐れずに意見を述べるようになってきたということなのだろう。後退派左翼だけがゲイの言論を独占できる時代は終わりつつあるということだ。ゲイ男性のみならず、後退派左翼が少数派と定義づける人々も、どんどん非左翼の意見を述べていくべきだ。後退派左翼のアイデンティーポリティクスになど蹴散らしていこうではないか。



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英語だけ出来ても新しい扉は開かない

最近、英国で英語教育関係の仕事をしている人のツイッターをフォローしているが、彼女は自分が仕事だから「英語が出来れば未来は明るい」とか「英語が出来れば給料が上がる」と常に宣伝している。そして怖いのになると「英語が出来ないと置いてけぼりを食う」みたいな表現も出てくる。しかしそれに対しての反論ツイッターも結構あり、英語だけ出来たって食べていけない、もともと何か技術があるから英語が役に立つんでしょう。などという意見も見る。どちらも本当のことだと思うが、これはあくまでも英語圏で暮らすという前提があっての助言なのではないだろうか。日本で暮らしていく人々が英語が出来たら有利なのかどうか、これはかなり怪しいという気がする。

徳久圭さんという中国語と日本語の通訳や留学生の日本語教育をしている人のブログを読んでいて、日本で語学を専門に生きていくのは非常に難しいことなのだなと感じた。特に徳久さんの「英子の森」を読んでの感想は「身悶えする」とまでおっしゃる。

どうも日本て国は通訳に関する理解がないようで、あれだけ一生懸命に時間とお金を投資して得た技術を持っている人々に対して評価が低すぎる。登場人物の英子が観たと言う求人広告では国際会議での受付嬢で英語が出来る人の時給が1100円。英語が出来ない人の時給が1050円とたった50円しか違わないと嘆くシーンがあるそうだ。そして徳久さんも中国語の通訳の求人募集で時給1200円+交通費1000円までという広告を載せている。これが2018年の日本の現状なのか?

実は私はアメリカで一年暮らした後に、一旦帰国して日本で職探しをしたことがある。当時の私の英語は普通に会話が出来る程度で、英作文が出来るとか翻訳が出来るといったレベルではなかったが、それでも多少英会話が出来れば何かの足しになるのではないかと色々探してみた。外資系の会社とか、ガイドの仕事とか。しかし適当な仕事は全く見つからなかった。たまに簡単な通訳みたいな仕事もあったが、時給800円とかお話にならないレベルだった。これだったら喫茶店でのアルバイトと全く変わらない。結局英語など全く関係ない普通の会社で事務員になった。一年もアメリカに語学留学した意味は全くなかった。もしあのまま日本に留まってあの会社に勤めていたら、いつの間にか英語は忘れてしまっていただろう。

でも英語が出来てもこの程度の扱いを受けるなら、何故日本ではあんなに英語教育が盛んなのだろうか?今年の三月に日本に行った時も、電車内や駅の構内には多々の英語学校の広告があったし、駅から見える駅ビルにも英語学校の看板があちこちにあった。日本で働きたい欧米人のほとんどが英語教師で身を立てている。どうしてこんなに役に立たないことに日本人は身をついやするのだろう?

はっきり言って私は日本人が英語を学ぶべき理由は大きく分けて二つしかないと思う。

第一は仕事やキャリアで必要に迫られている人。

仕事でどうしても英語が話せないと顧客と文字通り話にならない環境にあるとか、勤め先の会社が外国に支店を出し自分も駐在員としていかなければならないので英語が必要とか、自営業の人で外国に市場を拡大したい人とか、英語圏の会社との取引で英語が必要とか。

第二は英語が好きで趣味で勉強してる人。

別に英語が出来ても出来なくても困るわけではないが、とにかく外国語を学ぶのが好きで、特に英語が好きだから勉強してる人。こういう人は視野が広がるとか英語の本を言語で読みたいとか色々あるだろうが、まあ、趣味の域を出ない。

英語を学ぶ動機として一番不十分なのは「将来英語を生かした仕事につきたい」だと思う。こういう漠然とした理由では英語がうまくなること自体が難しいし、よしんば英語を習得出来たとしても、じゃあそれでどうするんだということになってしまう。以前にも書いたかもしれないが、私が日本で行った英語専門学校で講師に言われたことで一番心に残っているのは、「君たちは英語を話せるようになることにばかり気を取られず、英語で何を言いたいのかを勉強しておく必要がある。」という助言だ。

英語圏で生きようと思うなら英語は出来て当然。他に何か売るものがなくては意味がない。また、日本で暮らしていても、英語だけでやれる本業というのはなかなかない。通訳や翻訳や映画の字幕などで生計を立てられるのはほんの一握りの人たちだ。元々何か技術があるからこそ、英語が出来ることが有利になる。

そう思うと、普通の日本人が躍起になって英語を学ぶ必要は特にないようだ。それに最近は翻訳アプリなども発達しているので、数年語には世界中の人達が普通にアプリで話が通じるようになるだろう。そうなったら通訳なんて本当に必要ない仕事になってしまうのかもしれない。


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フェミニストの「男は女ではない」という言論を弾圧するトランスジェンダー活動家たちにツイッターも加担

カカシのブログをお読みの方は私がフェミニストのファンでないことはよくご存知のことと思う。しかしながら、フェミニストの中でもポリコレの圧力に負けずにトランスジェンダー女は本当の女ではないと勇気をもって言える女性には敬意を示す。彼女たちにとってトランスジェンダーに対して批判的なことを述べるのは我々一般の保守派がするより難しいことだからである。

この間もお話したように、ツイッターにおいてはトランスジェンダーを本人が好まない代名詞で呼んだり性転換前の名前で呼んだりすると口座を凍結される恐れがある。つまり、自称男/女を彼女/彼と呼んだり、デッドネイミングという規則が出来、今は女性名のケイトリンを名乗ってるジェナーを元の男性名ブルース・ジェナーと呼んだりするのは厳禁というわけ。

そういう理由でツイッターを永久的に追放されたのがメーガン・マーフィーというフェミニスト。彼女は来年の一月にカナダのバンクーバーで講演をする予定だが、トランスジェンダー活動家がなんとかその講演を阻止しようと開催会場となる図書館に圧力をかけている。フェミニスト自身もこれまで他人の言論を弾圧してきたグループなので、彼女たちに同情などする気はない。だが、私は言論弾圧は誰が誰に対してしても支持できない。トランスジェンダー女が自分は女だと主張するのはの権利だが、マーフィーがトランス女は女じゃないと言うのも彼女の権利であり、双方の言論の自由は守られるべきだ。

それにしても、ツイッターから永久追放されたり、トランス活動家からこれほど毛嫌いされるメーガン・マーフィー女史とはどういう女性なのだろうかと思い、彼女が過去に書いた記事を読もうと彼女が運営するフェミニストカレントというウエッブサイトに行ってみたら、今サーバーがダウンしていて開けられない。これはトランス運動家らによるサボタージュかな?

仕方ないので、彼女について書いている他の記事を読んでみた。マーフィーは今年の8月、ツイッターから警告を受け、数々のツイートを削除させられたり、口座を一時凍結されたりしていた。その内容というのは「男は女じゃない」とか「男は女になれない」「普通の男とトランス女の違いっていったい何?」といったもの。ツイッターをご使用の方々は、今やツイッターではこういう常識的発言がヘイトスピーチとして削除されるのだということをよ~く心得ておいていただきたい。

さて、そのマーフィーの口座が永久的に閉鎖される理由となったのは、ジョナサン・ヤニーブという男がとある美容院で睾丸の毛の脱毛を要求し、女性のスタッフから断れたことから美容師数人を相手に訴訟を起こしたことにある。男は自分はトランス女だと言い張り、女性専門の脱毛をしている美容院で女性スタッフ拒絶されたのは差別だと言いがかりを付けたのである。この件に関する感想をツイッターで述べた時、マーフィーはヤニーブのことを「彼」と呼んだことが原因で彼女はツイッターから追放され、彼女がツイッターでしていたウエッブサイトの宣伝なども出来なくなった。

ところでツイッターが施行している新しいデッドネイミイングがもしも法律にでもなったら非常に危険だとスペクテイターのジュリー・ビンデルは言う。どのような理由があるにせよ改名した人間の本名を公開してはいけないということになれば、犯罪者が名前を変えてデッドネイミイングの陰に隠れていくらも犯罪を繰り返すことが出来るようになるからだ。

さて、ツイッターのこうした言論弾圧はかえって言論の自由につながるという訳のわからんことを書いてる記事があった。

著者はパーカー・モリーというトランス女(女装男)。モリーは、トランスジェンダー女(女装男)として、自分がトランスで大多数の人々から永久に妄想癖変態だと思われていると、常に思い知らされるのは屈辱的だと言う。デッドネイミイングはトランスの正当性やその生活態度に異論を述べるものであり、それこそが会話を遮断するのものだと言うのだ。

ミスジェンダーを弾圧するのは言論の弾圧だという人がいるが、何もかも自由にすることは権力のある人が会話を独占することになるとモリーは言う。つまり、モリーは本当の女性ではなく単なる変態の女装男だという偏見から話が始まると、それ以上の会話が出来ないと主張するのだ。

私には男を男と呼ぶことで会話が遮断されるという理屈にはどうしてもついていけない。

だいたいヘイトスピーチなどというものは存在しない。嫌な言論に対抗するのは良い言論だ。相手を負かしたいならこちらが理論正しい説をもっと提供すればいいだけの話。相手を黙らせなければ自分の意見が通せないなら、それは相手が自分に同意したのではなく、単に脅迫で屈服させただけ話だ。そういうことをしていれば、いつか自分より力のある人間が現れて自分を弾圧するだろう。言論の自由が言論弾圧で促進されるなどということは絶対にありえないのだ。

ところで保守派からのボイコットを恐れて、ツイッターの株が暴落しているという。

ツイッターの株はこの木曜日6パーセントも落ちたのだそうだ。フォックスニュースがここ二週間ほど全然ツイートしていないことが原因なのではないかという。フォックスニュースは同局のコメンテーター、タッカー・カールソンの住所がツイッターで公表され、彼の自宅に暴徒が押し寄せたことに抗議し、静かな抗議運動をしているのではないかというのだ。

ツイッターは保守派のツイートを次々に追放していることでもあり、今後こう言ったボイコットも広まる可能性がある。格言う私も何時なんどきツイッターから追放されても仕方ないと覚悟は出来ている。

しかしそうやって誰も彼も追放していたら、いずれ誰もツイッターをつかえなくなるのではないかな。

ま、最近はツイッターよりインスタグラムとか他のSNSが人気があるらしいので、ツイッターなど消滅したからといってどうということはないが。


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自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合

ちょっと前、米国オレゴン州のポートランド市において、女性から暴行されたと無実の罪を着せられた男性たちを守るという目的で「ヒム・ツー」という集会が行われたが、ポートランド市といえば左翼ファシスト暴力団のアンティファの拠点。案の定黒装束に覆面姿の共産主義ファシストどもが手に手に凶器を持って集会を妨害しようと集まってきた。集まった男性たちは殴る蹴るの暴行を受けたが逮捕されたのはたったの四人。ミーツー運動で女性を信じろとか言い張る割には、男性の人権には完全に無関心な左翼どもだ。

さて、同じミーツー運動関連の話で、ゲイマーに宣戦布告したフェミニストの話をしたい。このフェミニストの名前はブリアナ・ウー。彼女は何年か前にコンピュータゲーム産業は女性を性対象にしているとしてやたらいちゃもんを付けてきたバリバリ左翼フェミニスト。彼女自身もゲーム開発者なんだそうだが、とにかくゲイマーたちからは嫌われてる女だ。当時はゲイマーから脅迫を受けたとか何とか言ってるが、左翼のいう「脅迫された」なんてのほどあてにならないものはない。

ウー女史は前回の中間選挙でマサチューセッツのボストン地域代表の下院議員に民主党から(当たり前だが)立候補していたが、当選の暁にはゲーム業界における女性差別や人種差別に真っ向から闘いを挑むつもりだと宣言していた。その小手試しかなんだかしらないが、今年の1月30日、彼女にその機会が現れた。ゲーム開発者協会と訳すのか、The Game Developer’s Conference (GDC) という組織があり、彼らはゲーム業界に貢献した開発者を称えるパイオニア賞をアタリの創設者ノーラン・ブッシュネル氏に与えると発表した。

ブリアナ・ウー女史はすぐにツイッターで攻撃に出た。ウー女史はブッシュネルが1980年代にどれだけのセクハラを行っていたかをツイッターで何回にも分けて「暴露」。(ブッシュネル氏がアタリに居たのは70年代で80年代ではない)#NotNolan(ノーランは駄目)のハッシュタグで猛烈なツイッター攻撃が始まった。瞬く間に自称ゲーマーの女性たち25人がノーラン氏に批判的なツイートをし、その晩にはザ・バージという人気ウエッブサイトがこの件を取り上げた。抗議を受けたGDCは、ブッシュネル氏のそういう過去については全く知らなかったとし、結局今年のパイオニア賞は氏に与えず過去の声なき人々の貢献に与えることとすると発表した。ウーによるノーノーランキャンペーンが起きて立った数時間後のことだった。SNSの力は恐ろしい。

さて、ここまでくると、本当にブッシュネル氏はそんなにひどいセクハラ男だったのかを吟味する必要があるが、GDCがそんなことを調査する時間はなかったはずなので、結局彼らはウーやその仲間のフェミナチ共に圧倒されて、あっさりと降伏してしまったようだ。

私が読んだこの記事の記者ブラッド・グラスゴーは、ブッシュネル氏と一緒に働いたことがあり、当時のことを知ってる女性たちやアタリ創設に関する本の著者らにインタビューをし、当時の様子がどんなふうだったのかを取材した。

1970年代と言えば、まだまだ女性の企業進出が遅れていた時代。その時代において、ブッシュネル氏は多くの女性エンジニアたちを雇いキャリアの機会を与えた。そのなかでもロニー・リーダー女史はツイッターでもブッシュネル氏に対する告発は何の根拠もないものだ、氏はセクハラで訴えられたこともないと氏を弁護した。リーダー女史によると、当時アタリで勤めていた女性たちは、それこそ本当のセクハラを他所の企業で受けており、本当の意味でのミーツー体験をしている。しかしアタリ社では全くそんなことはなかったと証言。このミーツー運動は本当のセクハラの深刻さを軽減させるものだと強く批判した。

もうひとりのエンジニア、イレーン・シャーリー女史は、当時のアタリはパーティのような環境で、ブッシュネル氏が女性に言い寄ったのは事実だが、女性たちも彼に言い寄っていたと語る。もう一人の女性エンジニア、キャロル・カンター女史も1970年代のアタリ社でセクハラの事実は全くなかった、ブッシュネル氏は才能ある人々を回りにつけ、人々の才能を生かしてくれたと語る。

またアタリ創設時の模様を描いたAtari Inc, Business is Funの共著者であるカート・ベンデル氏はブッシュネル氏が如何に当時は珍しかった女性技師を多数起用したかを語る。ブッシュネル氏は女性だろうと男性だろうと性別にこだわらずに才能のある人材を多数雇った。ブッシュネル氏は女性のキャリアを促進したとして称えられこそすれ、セクハラで訴えられるべき人では断じてないということらしい。

ではこんな男性が何故セクハラをしたなどと言われるのか。ブリアナ・ウーがブッシュネル氏をセクハラ男とした根拠な何だったのだろう。実は、それはベンデル氏の著書のなかにあった、ある一節に起因するらしい。

当時アタリでエンジニアをしていたアル・アルコン、かの有名なポングのデザイナーは、当時の様子をこんな風に語る。

「重役会議でこんなことがありました。ノーランはロスガトス市の丘の上にある素晴らしい家に住んでたんですが、その家の裏庭に露天風呂がついてたんです。それでそのお風呂のなかで会議をしたんです。(略)ノーランは何かの書類が必要となってので、事務所に電話して女の子に書類を持ってこさせるように言いました。私たちはみんなお風呂に入っていたので、ノーランはやってきた女の子にもお風呂に入れと誘ったのです。」

どうやらこの一件が、ウーの眼には、女子社員を風呂に招いて乱交パーティを強制させた、と写ったようである。しかし当人のアルコン氏によると、結局この女子社員は誘いを断って終わったということだった。風呂の中には他に10人くらい社員がすでに入っており、このことは彼らが全員目撃している。ノーランがセクハラをしたことなど見たことがないとアルコン氏は付け加える。

キャロル・カンター女史も、ノーランは誰でも露天風呂に誘ったが、それは全く性的なものではなかったと言う。そういう時代だったのだとも。

グラスゴー記者が取材した他の当時の社員たちも、口を揃えてセクハラなど全くなかったと証言している。

グラスゴー記者の記事を読んでいて思ったことは、ウー女史は1970年代という時代背景を全く理解しておらず、当時は特に男女ともに何とも思っていなかったことを現代フェミニストの歪んだ眼で見て完全に曲解しているということだ。1970年代といえば1960年代のヒッピー時代をちょっと過ぎた時期。女性のセクシュアリティーも多いに歓迎されていた頃。当時のフェミニストたちは性的に開放されていることを謳歌していたものだ。今のミーツー運動のビクトリア時代後退派とは大違い。

アタリ社はコンピューターゲームの先駆けであり、ブッシュネル氏は男女差別をせずに才能ある人々を雇った画期的な人だ。ゲーム業界のパイオニア賞を受け取るにこれほど適した人もないだろう。そういう立派な人を自分らの歪んだフェミニズム思想で無実の罪をでっちあげ、その名誉を汚すことをなんとも思わないフェミニストたち。こんな奴らがいるから本当の性犯罪の犠牲者が名乗りでられなくなるのだ。

ところで、ブリアナ・リーは民主党の予選で3:7で惨敗した。


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