イリノイ州の公立高校では、今後経費節約のため高校卒業のための学力テストから作文の試験を取り除くことにしたという。
はっきり言って、この見出しを読んだだけで、なんだそりゃ、と言いたくなるような話なのだが、冗談抜きで本気らしい。断っておくが、この作文とはフランス語とかスペイン語の外国語での作文ではなく、英語という国語の作文のことなのであしからず。
イリノイ州の教育委員会によると、作文の採点にはリーダーと呼ばれる人たちを多く雇わなければならないため非常に高くつくのだという。それで作文の試験を廃止することで240万ドルの節約ができるというのだ。イリノイ州ではすでに中学や小学校の学力テストから作文を廃止している。
また、作文の採点には読み手の主観も入るため、読み手によって採点もまちまちになる恐れがある、などというくだらない言い訳もされている。高校生の作文の採点もろくろく出来ないというのは、採点する方の読解力に問題があるということではないのか? イリノイの公立学校の教育を受けているとこういうことになるといういい例だ。
高校卒業して読み書き計算が出来なくてどうやってまともな仕事に就くのだ、大学に行くのだ、と思っていたら、進学する生徒達は別の試験を受けなければならないらしい。
優秀な高校生徒を対象にしているアドバンスドプレイスメントというプログラムに参加したい生徒や大学進学用の全国標準テスト(SAT)を受けるためには、作文は必須科目である。ということは、高校生の段階で文章が書ける子と書けない子の二つのグループに別けるということになるのだ。
日本でも多分そうだろうが、最近はツイッターや携帯メールの普及で、少ない文字で多くの情報を伝達する方法が普及しているため、言葉使いをはしょったり綴りを簡略化したりするのが普通になっている。
ところが、学校できちんと作文を教えていないので、こうしたメール用の簡略文章が普通の書き方なのだと勘違いしている若者が少なくない。
大学教授をしている私の友人は、大学院の生徒から”you”の代わりに”U”、 “because” とするところを”cuz”などと綴られたメールを受け取ってショックを受けたと話していた。実はかく言う私も同僚からそのようなメールをもらったことがあり、いくら同僚同士の社内メールでも、転送などで上司や他社の人間が見る事もあるわけで、公式文書にそのような書き方をするのは不適切である。
だが、イリノイの公立学校を出たような若者には、そんな常識さえ通用しなくなるのだろう。
ところで、学校が国語作文を教えるお金がないというなら、いったい何に金を使ってるんだ、と私は問いたい。左翼リベラルのプロパガンダを教える同性愛者を受け入れる訓練とかいうクラスは削られていないんじゃないかなあ〜と思うのは私だけではないはず。


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