ホワイトハウスはビンラデンが頭を打ち抜かれた写真は公開しないと発表した。これ以上アルカエダや他のイスラム過激派テロリストを刺激して、戦地に居る兵士らをより危険にさらしたくない、また、敵の首領の首を取ったと言って勝利の踊りを踊るのは悪趣味だというのが理由らしい。

「フットボールをスパイクする必要はない。」とオバマ大統領。「そんなものを持ち出してトロフィーのように掲げるなど、我々のすることではない。」

ここでいうスパイクとは飲み物にお酒を加えてパンチの効いたものにすることにかけて、フットボールはそれだけで面白いのだから、余計なものを加える必要はないという意味。
確かにオバマ王のいうように、我々はアルカイダテロリストたちのような野蛮人ではない。文明人たるもの、例え敵の首領といえども敬意を表するべきだという理屈はわかる。カカシも普通の戦争で勇敢に闘った相手の将軍などであれば、こちらが殺した後も、それなりの弔いをしてやるのは武士道だと思う。
だが、オサマ・ビンラデンは卑怯者の大量殺人鬼だった。奴は我々に正々堂々と戦争を挑んだのではなく、非戦闘員を対象に抜き打ちのテロ行為を行ったのである。だからブッシュ政権はタリバンもアルカイダの戦闘員らを無法戦闘員と呼んで敵国の軍人扱いしなかったのだ。
それにだ、アルカイダやタリバンなどのイスラム過激派は、イラク戦争が始まった当初、西側の軍人や民間人職員やジャーナリストをひっつかまえては首をちょん切り、その模様をビデオにとってユートゥーブなどで大々的に公開していた。日本人の青年もそうやって首を着られた映像が流されたし、ブラックウォーターのガードマンら4人はその上に遺体をやかれて橋から吊るされるなどのさらし者にした。何故奴らはこんなことをしたのだろうか?
明らかに野蛮なテロリストどもを生み出した文化の背景には、敵や敵の親派を恥じかしめることによって自分らの権力を誇示する習慣があるのだ。オサマ・ビンラデン自らが、イスラム社会では人々は強い馬に従うと語っていた。野蛮人らに文明人の礼儀作法や武士道など理解できない。奴らにわかるのは生の血なまぐさい力だけだ。そういう奴らと闘っている以上、こちらも奴らに解るレベルで力を示す必要がある。
そういう意味で、我々アメリカ人はそっちがその気ならこっちもそのくらいのことは出来るんだぞ、何年かかろうと諦めずにお前らを追いつめ何処に隠れていようと突き止めてぶっ殺してやる、俺たちを敵に回せばこういうことになるんだ、という見せしめのためにも、オサマ・ビンラデンの無様な死に様を全世界に披露すべきである。
これ以上テロリストを刺激したくないという理屈は、何の理由もないのに突然3000人からのアメリカ人を殺したテロリストにとって、単なる弱気としてしか受け取られない。今こそアメリカはアメリカこそが強い馬なのだ、勝ち馬なのだといことを、態度で示すべきである。


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