12月にはいってクリスマスシーズンまっただ中なのだが、何故かこの時期になると、やたらクリスマスを攻撃したがるリベラル連中が現れる。奴らは「多様性」を言い訳に、クリスマスはキリスト教の祭日で他宗教の人々にとって排他的なので祝うべきではないといい、どうしてもやりたいなら「クリスマス」と言わず「ホリデー(聖なる日)」とだけ呼ぶべきだとがなり立てる。
単に少数派の一部の人間がそうやって騒いでいるだけなら問題はないのだが、こういう奴らに限って声がでかい。クリスマスの度にデモや訴訟で大騒ぎされるのは面倒なので、商店街などではクリスマスの装飾はしても、あえてクリスマスツリーを飾らないところも出て来た。すでに公共の施設では政教分立とか言ってツリーなどとうの昔に姿を消してしまった。
宣伝文句にも「メリークリスマス」は消え、「ハッピーホリデー」というところが多くなってきて、反クリスマス派は政治的に幅を効かせている。
この間も、チェイス銀行のサウスレーク支店に客から寄付された大きなクリスマスツリーが本社からの命令で取り除かれ、他の客や地元の市民を含め、全国的にチェイス銀行へ批判の声が殺到した。
オクラホマ州のタルサ市では毎年クリスマスパレードが行われているが、去年からこっそりパレードの名前からクリスマスが消え、ホリデーパレードと改名された。特に大々的な発表があったわけではないのでタルサ市民はその改名に気づかなかったらしい。それが今年になって元タルサ市長のジム・インホフ現上院議員が、パレードにクリスマスという言葉が戻らない限り参加は拒否すると大々的に発言したことがきっかけとなって、全国的に蜂の巣をつつくような大騒ぎになってしまった。
保守派ラジオやテレビのトークショーなどでもこの話は取り上げられ、単なるローカルニュースが全国ネットのフォックスニュースがタルサの市会議員にインタビューするほどまでに話題は広がった。タルサ市民の間でも小規模の抗議デモがおきたりしたが、市議会は批判にめげずに「ホリデーパレード」の名前のままでパレードへの許可を降ろした
リベラルの政治コメディアンであるジョン・スチュワートなどは、保守派が反クリスマス行為に抗議する行為を騒ぎ過ぎだと批判する。誰も彼もがクリスマスと言わないと不安になるほど自分らの宗教に自信が持てないのか、自分はユダヤ教徒だが同時期にあるハニカが大々的に祝われなくても何も感じない、と反キリスト教行為に敏感に反応する人々をあざ笑っている。
(ミスター苺は、スチュワートはユダヤ系の血筋かもしれないが、自身はユダヤ教徒などではなく単なる無宗教者だと言う。)
アメリカはキリスト教の国である。全市民のおよそ80%以上が何らかのキリスト教信者だ。そのアメリカがキリスト教の救世主の生誕を祝うクリスマスを大事に思うのは当たり前の話だ。その一番大事な日に国民の八割を占める人々がお祝いする日に、わざわざ水をさすようなことをするのは、キリスト教へのあからさまな侮辱行為であると思われても仕方ない。それが市民の怒りを買うのは当たり前だ。
ただ、アメリカ人は往々にして寛容だし、楽観的で馬鹿がつくほどお人好しな傾向があるので、少数派から差別行だ弾圧だ、と批判されると折れなくてもいいところまで折れてしまう面がある。リベラル連中は一般アメリカ人のそういう寛容さを悪用し、次から次へと無理難題をふっかけてきた。
アメリカの保守派たちは、自分らが紳士淑女であるという自負が高いため、リベラルの身勝手で汚い行動に対して同じような反撃をしない。リベラル連中はそれを充分に承知の上で執拗な攻撃を仕掛けてくるから、保守派が気がついた時にはリベラルにかなりの領域を奪われていることが少なくない。
クリスマスでもホリデーでも、たかが言葉使いなど、どうでもいいではないかと思う人もあるだろう。だがそうではないのだ。言葉には意味があるのだ。クリスマスにクライスト+マスでクライスト(キリスト)の名前がついているのは、これがキリストの誕生日を祝うという意味があるからだ。その名前からクライストを取り外してしまえば祝日の意味が変わってしまうことは一目瞭然のはず。そのことをリベラル連中が念頭に置いてないと思うなら、それはお人好しすぎる。
リベラル連中は言葉使いを変えたり、言葉の意味を変えることによって、リベラルの概念を徐々に人々に植え付けようとしている。単なる言葉使いの変更など些細なことのようでそうではない。リベラル連中は一見些細な事に見えるところからアメリカの根本的な価値観を覆して行こうという魂胆がある。40年前ならそんなことは言う人は被害妄想者だと思われたかもしれないが、オバマ王の台頭をまじかに見せつけられたアメリカ市民には、リベラルの一見何気ない攻撃をたわいないことだと無視する余裕はないのである。
最近になってこうしたクリスマスへのあからさまな攻撃に反撃する市民も出て来た。リバティカウンシルという保守派の市民団体は、ここ数年に渡り、 “Naughty and Nice” (良い子と悪い子)リストと称して、親クリスマスと反クリスマスの100店に渡る商店のリストを公表している。カウンシルは時には自分らの基準に合わない商店のボイコットを呼びかけるなどの行為にも出ている。
私はボイコット運動は全く支持できない。だが、消費者がカウンシルからの情報を元に、独自に何処の店で買い物するかを決めるのは自由だ。
もともと商店がクリスマスをホリデーと呼ぶようになったのはリベラル運動家たちの圧力に負けたからに他ならない。声高なリベラル連中がクリスマスという言葉使いは排他的で差別的であると主張すれば、商店としても差別者の汚名を着せられては困ると敏感に反応するのはあたりまえ。商売人にとって消費者の怒りを買うような行為は命取りだ。
しかし、カウンシルの運動が功を成したとみえて、商店は消費者は「ホリデー」より「クリスマス」を好むことが解って来たようだ。今年は最近で初めて「クリスマス」と表示する店が「ホリデー」を大幅に上回ったという。


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