カテゴリー → →宗教と文化

June 28, 2008

出張ブロギング、マウイ島にて

宗教と文化 , 旅行記 , 日常の出来事

カカシは今、ハワイ諸島のひとつ、マウイ島のホテルにてブロギングをしている。もちろん出張。バカンスではない。

仕事でオアフ島のホノルルはよく行くが、出張でマウイ島へ来たのは初めてだ。私が居るのはラハイナ(Lahaina)というところで、海岸線に沿ってホテルやコンドミニアムが立ち並んでいるとはいうものの、ホノルルのような都会的な雰囲気は全くない。

砂浜が目の前にあるこのホテルに泊まってもう三日になるが、ワイキキビーチのようにタオルを敷く場所もないほど混雑しているビーチとちがって、夕方でもそれほど人出はなく、家族ずれやカップルと時々すれ違う程度だ。何マイルも続く海岸線だが、浜辺はきれいでゴミひとつ落ちていない。今朝も一時間ほど砂浜を散歩したが、静かでとても落ち着くビーチだ。無論海の色はエメラルドだし、沖のほうでパラセーリングをしている人の姿が見え、海外にそってカヤックをしているカップルに出会った。ちょっと沖のほうに低い山のような島が見える。空は晴れているが山の上のほうにはかすみがかかっていた。まさしくパラダイスだな。

10年近く前に新婚旅行でミスター苺とハワイ諸島を一応一巡りしたが、その時に得た印象はといえば、景色が一番美しかったのはカワイ島で、一流ホテルに泊まって贅沢な休暇を楽しみたい人にはカワイ島はぴったりだが、アウトドアの活動がすきな人にはマウイ島が一番適している。

マウイ島ではスノーコリング、スクーバダイビング、サーフィン、パラセイリング、カヤッキングなどが手軽に出来る。クジラ見物のボートも毎朝波止場から出ている。私は休暇で来ているわけではないので料金は調べていないが、毎朝波止場では観光客がさまざまないでたちで現れる。

こういう人たちを傍目に自分は出勤用のモーターボートに乗り込む。観光地での仕事はこういう時みじめだ。考えてみればカカシが出張するところは、今居るラハエナもうそうだが、ポートランド(メイン州)、ジャクソンビル(フロリダ)、サンディエゴ(カリフォルニア)、と観光地ばっかりだ。

ところで我々の出勤用のモーターボートだが、桟橋からボートへの乗り降りはどうということはないが、このボートから大型船への乗り降りはちょっと怖い。特に二日前は波が高く、上下の差が10メートルくらいあった。船には階段がつけてあり、海面のレベルにプラットフォームが設置してあるが、波のタイミングをつかんでちょうどプラットフォームちかくにボートが上がった時点で踏み出さないと、次はストーンと10メートルも落ちてしまうという危険さだ。しかし私が降りるときに都合よく高い波が来て、ちょうどボートとプラットフォームが同じレベルに並んだので、私は楽に降りることができた。

しかし昨日は打って変わって静かな海だった。これは船に乗って仕事をしている時は楽だが、帰りにプラットフォームからボートに乗り込むときに波がないとかえって難しいことを学んだ。それというのもボートがプラットフォームからの高さが一メートル半くらい離れていたからで、波がないからそれ以上ボートは上がらないというのである。ボートの乗組員がボートの屋根をつかめと言ったが、私は腕が短いから手が届かない。しょうがないからプラットフォームから飛び降りた。ボートはゴム製なので足を折ったりはしないが、私は数週間前につま先を骨折していたので、ほぼ完治した状態で助かった。これが二週間前だったらかなりきつかっただろう。

船からの乗り降りは、以前にもやはりハワイで縄梯子からボートへ降りた経験がある。あの時はさすがに落ちた場合を考えて救命具を着せられた。船の上にはダイバーのお兄ちゃんが、万が一の場合の救助のために我々を見守っていた。あの時は朝6時でまだ日も出ておらず、真っ暗な中、縄梯子を降りるのはかなり怖かった。もっとも降りるのはまだしも、ボートから縄梯子で登るのはもっとたいへん。幸いにして私はまだそれはやったことがないのだが、この仕事を長年やっていると、いつかはそういう体験をすることになるだろう。はっきり言ってタフじゃないと勤まらないな、この仕事。

なんて考えていたら、太った同僚のおじさんがドスンとボートに飛び降りてきた。あの体でよく飛び降りられたなと感心してしまった。

おっとそろそろ行かなければ。エントリーの間隔が開きすぎてることをお詫びします。今夜はがんばって書きますので、よろしく。

June 28, 2008, 現時間 1:21 PM | コメント (0) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 5, 2008

仏法廷:女優ブリジッド・バルドー、イスラム批判で有罪判決

人権擁護法 , 宗教と文化

ブリジッド・バルドーと言えば、1950年代のその抜群なスタイルとセックスアピールを生かしてビキニを世界に広め、一世を風靡した女優で、今は動物愛護運動の熱心な活動家としても知られている。その彼女が「イスラム教徒がフランスを破壊しつつある」と批判したことで、先日フランスの法廷において、人種差別と憎しみを誘発した罪で有罪となり、一万五千ユーロの罰金が課せられた。

フランスでは言論の自由は憲法で保証されていない。侮辱罪だの名誉毀損だの、たとえ批判の内容が真実でも被害者が傷ついたと訴えれば平気で裁判になってしまう国だから、マドモアゼル・バルドーが訴えられたのも解るというものだ。(フランス法廷の言論の自由に関する裁判はここでも紹介した通りだ)l

原因となったのは、バルドーさんが2006年の12月に当時国会議員だった現在のサルコージ大統領に向けて出した手紙の中で、イスラム教徒による羊を生け贄にする習慣について、フランスは「この人口によって鼻先で煽動されるのにはいい加減頭にきている。彼らは我々を破壊しようとしている。このような行動を我々に無理強いして我が国を破壊している。」と書いたことだ。

フランスの対人種差別法は、人種や宗教への差別や憎しみを誘発する行為を禁じている。だが、カナダやイギリスの人権擁護法と同じで、フランスの対人種差別法も結局はフランス国民が少数民族や宗教団体に対して、正当な抗議や批判ができないよう言論弾圧の道具と成り果てている。

こういう法律は本来の目的のように少数民族や宗教団体の人権擁護などに使われることは先ずなく、被害妄想が強くやたらに声高で暴力的な少数民族や宗教団体、要するにヨーロッパの場合はイスラム過激派によって、一般人の人権が迫害される方法としてしか使われていない。イスラム過激派ほど多人種や他宗教に不寛容な団体もいないのに、対人種差別法が世界でも一番人種差別をする人種によって悪用されているというのも皮肉なものである。

バルドーさんが、この法律に違反したとして罰せられたのはこれが最初ではない。1997年にもレ・フィガロ新聞に掲載したコメントが原因で罰金を課せられた。またその翌年にもフランスにイスラム教聖廟が増えるなか、フランスの協会は沈黙を余儀なくされていると批判して有罪となった。

それにしても、フランス市民は往年の女優や一部のジャーナリストだけに言論の自由のための戦いを任せておいて恥かしくないのだろうか?

June 5, 2008, 現時間 12:02 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 25, 2008

同性結婚は文明社会を破壊する、その2

アメリカ内政 , フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 狂ったメディア

以前に私は同性結婚は文明社会を破壊するというエントリーで、同性結婚を合法にしたスカンジナビア諸国で、結婚制度そのものが崩壊状態にあるという事実を紹介したことがあるが、今回はさらにもっと詳しい調査をミスター苺がしてくれたので、それを紹介しよう。

ヨーロッパ諸国ではすでに結婚する人々の数が激減している。同性結婚が合法であるベルギーやオランダだけでなく、結婚の宗教的価値を往々に見放してきているヨーロッパ全体にこの傾向が強い。結婚の価値が見下されれば結婚そのものの数が減るというわけである。結婚する人の数が減るにつれ、すでに深刻な少子化問題を抱えていたヨーロッパでは出産率の低下は進む一方である。

CBSの調査では、オランダの場合1995年から200年にかけて結婚率はゆっくりではあるが上がりつつあった。しかし同性結婚の合法化運動が置き始めた2000年から実際に合法化された2001年の中頃から上がりつつあった結婚率は急激なUターンをし、その数は急降下してしまった。2005年になると結婚率が最低だった第二次世界大戦当時同率まで落ちてしまったのである。

もうひとつのCBSの表を見てみると、1995年から2000年までは一年間で結婚した人の数は1000人のうち平均5.5人だった。しかし2001年からその数は減り始め、2006年には4.4人というなんと20%の減少となった。

その間の出産率(一人の女性が一生のうちに生んだ子供数)は多少増加し1.53人から1.73人となった。しかしこの増加はすべてモロッコやトルコ生まれのイスラム教徒の移民の女性のおかげである。オランダ生まれのオランダ女性の出産率は2000年から2005年まで、1.7人と全く変化がなく、人口維持に必要な2.1人を大幅に下回る。

無論ヨーロッパに置ける結婚率や出産率の低下をすべて同性結婚のせいにするわけにはいかない。同性結婚をみとめていないフランスでもこの傾向はあるからだ。

しかしヨーロッパ全体で結婚率が減っている理由として次のことが上げられる。

  • どちらの落ち度も問われない、簡単な離婚法
  • 神前結婚を拒絶し世俗式結婚をするカップルが増えていること
  • 同棲や婚外出産への大幅な許容
  • より左翼的社会主義的政府による伝統的な宗教や道徳観の迫害
  • ヨーロッパ全土でおきている一般的な宗教拒絶の姿勢

つまりヨーロッパ人は伝統的な道徳観の大事さを忘れつつあるので結婚が特別な制度であるという考えも失いつつあるのである。だから結婚の定義に同性を含むことに何の抵抗もなくなってしまったというわけだ。

喜ばしいことに、いまのところアメリカではまだ結婚率も出産率も減少の傾向はない。ロサンゼルス・タイムスの世論調査によると、この間州最高裁で同性結婚を一夫一婦制のみに認めるという法律を違憲という判定が出たカリフォルニアは、州民の過半数が同性結婚合法化を阻止するための憲法改正案を支持していると発表している。カリフォルニアはアメリカ国内でも非常にリベラルな州で、州民のほとんどが同性愛そのものには特に問題がないと考えている。そのカリフォルニア州民ですら同性結婚を拒絶しているくらいだから、近い将来アメリカ全土でそのような法律が通るなどということは先ず考えられない。

同性結婚を認める法律が存在しているのは、アメリカではマサチューセッツだけだが、これも決してマサチューセッツ州民が選挙で決めたことではなく、マサチューセッツの法廷が勝手に決めたことなのだ。マサチューセッツの民主党議会はこの問題を市民に問いかけることを徹底的に拒絶している。それは州民投票を行えば州民が同性結婚を拒絶すると知っているからに違いない。

しかしヨーロッパでは、イスラム教移民による横暴のバックラッシからなのか、最近カトリック教が再び人気を挽回しつつある。トーマス・野田神父のサイトでフランスへの巡礼の模様が報告されている。ヨーロッパ中から集まった若いひとたちの姿が多いのは喜ばしいことだ。ヨーロッパ崩壊を防ぐためにも、ぜひともヨーロッパの人々に結婚の大事さをもう一度見直してもらいたいものだ。

May 25, 2008, 現時間 9:32 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 17, 2008

過激派イスラム教徒に蝕まれる英国警察

フェミニズム , ヨーロッパ , 人権擁護法 , 宗教と文化

先日放送協会へ訴えられていた英国のチャンネル4制作部は、訴えが棄却され、訴えていた英国警察側が制作部に謝罪と慰謝料を要求されるという出来事があった。

訴えられていたのはチャンネル4で、英国内の聖廟における暴力的なお説教を暴露したドキュメンタリー「Undercover Mosque(聖廟覆面捜査)」の制作部のメンバー達で、訴えていたのは聖廟のある地元警察の、 ウエストミッドランド警察と検察庁(West Midlands Police and the Crown Prosecution Service)だ。

このドキュメンタリーでは、ある聖廟では聖教師たちが同性愛者やイギリス兵を殺す話や非イスラエル教徒への暴力などを訴えている姿がありありと隠しカメラで撮られていた。警察は暴力を促進している聖廟の関係者を摘発するどころか、反対にその事実を暴露したテレビ局を訴えたのである。原告側のいい分は偏向した編集によって地元の平和を乱そうとしたというもの。まったく話が逆さまではないか。ま、イスラム教暴力団の悪行を暴いたブロガーを逮捕するような国だから不思議でもなんでもないが。

英国ではOfcomと呼ばれる放送業界を監視する審議会のようなものがあるようで、今回Ofcomは原告側の訴えを根拠が全くないものであるとして棄却。さらに原告側に謝罪と慰謝料の支払いを求めた。

以前にも当ブログで、チャンネル4のドキュメンタリーについてや、イギリス警察がイスラム系暴力団への取り締まりに消極的であるという事実はイスラムの横暴に腰抜けなイギリス協会でも紹介している。

イギリスでイスラム教の暴力団が麻薬売買をし未成年の少女たちを売春に追い込んでいるという話は大分前から問題になっている。しかしこうした少女たちの親たちが地元警察に訴えでても警察当局は少数民族の異文化に十分な理解を示していない と責められるのではないかと懸念し、しかもやり過ぎれば人種暴動になりかねないと恐れてイスラムやくざを取り締まろうとしない。

問題なのは今回の事件だけではない。英国の中部や北部のイスラム教移民が多いところでは、地元警察はイスラム教の暴挙をみてみない振りをするのが普通になっているが、最近では警察官のなかにイスラム暴力団メンバーが潜入しているため、家庭内暴力の犠牲となったイスラム教の女性らは警察に被害届を出すのをためらうという。特に警察官がパキスタン系の男性だったら最初から話はしないと言う女性が増えている。パキスタン系の警察官は暴力をふるった男性を取り調べるどころか、かえって夫の暴力から逃げている女性の居所を家族に知らせるというようなことがあるからだという。

女性救済運動をしているあるグループによると、特にウエストミッドランド警察ではこのような傾向が非常に強かったという。

去年紹介されたデイリーメールの記事によると、イギリスの諜報機関MI5の調査で英国内で8人に及ぶ警察官と民間スタッフがアルカエダを含む過激派グループとつながりがあることが疑われている。中にはパキスタンかアフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに参加していた者もいるという。にも関わらず、これらの人物はテロリストとして逮捕されるどころか警察を首にもなっていないというのだ。

イギリスでは警察官に少数民族を多く起用しようという方針がここ数年できたらしいが、イギリス在住のイスラム過激派やテロリストがこの方針を多いに利用してイギリス警察内に潜入しつつあるというわけだ。

これじゃ、バスラの警察がシーア派民兵に乗っ取られたのと何ら変わりはないではないか。そういえばバスラはイギリスの管轄で完全崩壊したいい例だった。その後始末を現在マリキのイラク軍及びアメリカ軍がやっているのである。

自国内でこのざまでは、イラクなどうまくいかないのも当たり前だ。しかし、イギリスはいいのか、このままで?

May 17, 2008, 現時間 9:31 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 15, 2008

カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決

アメリカ内政 , フェミニズム , 宗教と文化

今年の3月8日のエントリーで、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されているという話を紹介したが、本日この法律は違憲であるという判決が下った

この判決は2000年に通った州法22条を覆すものだが、この州法とは、すでに1978年に取り決められた結婚は一夫一婦制という言葉をさらに強調するべく「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」というもので、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた。

民主党が独占するカリフォルニア州議会において、この法律を覆す議案が二回通っているが、知事のシュワちゃんは二回とも拒否権を使って拒絶してきた。その理由は「州民に意志を尊重する」というものだった。ところが、これを最高裁が違憲としたということは、法廷が州民の意志をふみにじったことになる。

この判決には二つの問題がある。ひとつは言わずと知れた同性結婚の合法化による弊害だが、もうひとつは法廷による独裁だ。

同性結婚の弊害については前に同性結婚は文明社会を破壊するで書いているが、一つの州で結婚が認められれば、別の州でも認めざる負えなくなるのでこれはカリフォルニア州の問題だけでは済まされない。

また法廷が気に入らない法律をきちんとした理由もなく違憲としてしまう弊害はこのことだけでは収まらない。アメリカは三権分立を基本としており、法廷に立法権はないはずだ。それが州民の意志を無視して法廷が強引に特定の法律をおしつける行為は非常に問題だ。

では、カリフォルニア州民はこのまま意に反した同性結婚をみとめざるおえないのかというとそうではない。州民には州憲法改正という最後の手段がある。

すでに保守派や宗教グループが協力して憲法改正案を11月の選挙時の項目に入れる運動が起きている。州務長官は6月の終わりまでに選挙項目に入れるだけの署名が集まったかどうか判断を下すことになっている。すでにこのような州憲法改正法は26の州で通過している。これによって憲法が改正されれば、今回の法廷判決は無効となる。

この判決は実は英語で言うところの「偽装した祝福」というものだという見方もある。つまり、11月の一般選挙を前にして保守派が政治に関心を持つ大事な問題が持ち上がったとなると、リベラルが多いカリフォルニアでは普段はあまり元気のない保守派層が何が何でも憲法改正案を通させようと投票に現れるからである。せっかく投票にいったのだから、地元の共和議員にも票を入れておこうということになり、保守派議員には有利な結果が生まれる可能性がある。

また、大統領の大事な役割に裁判官の任命があるが、もし次の大統領が民主党から出れば、連邦政府の裁判官は必ずはリベラルが任命される。特に最高裁ではすでに高齢の二人がおり、次大統領が新しい最高裁判官を二人任命しなければならないことは確実だ。裁判官がリベラルであれば、今回のカリフォルニアの同性結婚のように法廷からリベラルな方針が国民に強制される可能性大である。

全国の保守派がカリフォルニアを見て、次期大統領は絶対に民主党に渡してはならないと考えて、マケインはバリバリの保守派ではないと支持に消極的だった有権者もオバマよりはよっぽどましと気がついてくれるかもしれない。

リベラルの性質はおごりの行き過ぎ。今回はカリフォルニア法廷はリベラルに権限を渡せばどういうことになるかを顕著に表す例であった。そしてこれは保守派の取るべき道をはっきりさせたものと言えるだろう。

May 15, 2008, 現時間 7:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 15, 2008

政教分離はどうなった? イスラム教公立学校を認めるミネソタ州

人権擁護法 , 宗教と文化 , 対テロ戦争

ミネソタにはイスラム教徒が多く住んでおり、なにかと自分らの権利を主張して無理難題をふっかけ、それが拒絶されると人種差別だ宗教弾圧だ人権迫害だといって大騒ぎをしているという話はここでも何度かしてきた。下記はその一部である。

イスラム教スーパー店員ベーコンの販売を拒否!
イスラム教徒のタクシー運転手の乗車拒否
アメリカのイスラム化を狙うCAIR
ミネアポリス空港イスラム教タクシー運転手の乗車拒否に厳しく対処

そのミネソタで、今度は州民の税金で経営されている公立学校で、イスラム教学校が経営されているという話が地元の新聞のコラムニスト、キャサリン・カーストンによってスタートリビューンで暴露された

私が上記に挙げた例でも背後にモスラムアメリカンソサエティー(The Muslim American Society、MAS)という市民団体が存在する。この団体は実はモスラムブラザーフッド(the Muslim Brotherhood)というハマスなどのテロリストたちを生み出しているテロ養成グループのアメリカ版看板団体である。

MASは2007年の大会でシェイク・カリード・ヤシン(Shayk Khalid Yasin)という悪名高い男を講演者として招いた。この男は英国やオーストラリアで、妻に暴力を振るうのは許されるとか、同性愛者は死刑になるべきだとか、エイズはアメリカの陰謀だとかめちゃくちゃなことを言ってる過激なイスラム師教である。

このMASミネソタ支部は何かとミネソタでシャリア法を広めるのに熱心だが、カーストンは今回彼等が先導してなんとミネソタにイスラム教を教えるいわゆるマドラスを州の税金で経営される公立学校として州に認定させてしまったことを学んだのだ。

ツインシティーの郊外にあるこの学校の名前はTarek ibn Ziyad Academy、略してTIZA,
昔スペインを征服したモスラム将軍の名前からとったもので、生徒全員もしくはほとんどがイスラム教徒であり、校長はいイマームと呼ばれるイスラム師教、学校のスポンサーはイスラムリリーフUSA、学校の建っている土地はMASが持っている。

この小学校で5年生の臨時教員をつとめた女性の話によると、学校では一日に5回のお祈りの時間がもうけられており、その前には教師の指導で子供たちは足を洗う。イスラム教では聖なる日とされる金曜日には体育館で集会がもうけられそこでイスラム教の教えが説かれるという。

断っておくが、アメリカでは宗教学校そのものが存在することは違法でも何でもない。それが私立の学校であれば何を教えようと学校の判断に任せられる。だが、それが税金を使った公立学校となってくるとそうはいかない。教育と宗教は完全に分離しなければならないという最近の風潮から、公立学校では聖書研究部がひらけないとか、学校内では生徒たちが個人的にキリスト教のお祈りをするのさえいけないとか、うるさくいわれている。学校によっては十戒を取り除いたりクリスマスツリーを排除したりしているところさえあるのである。

そこまで宗教を公立学校から閉め出そうとしている教育委員会が、あからさまなイスラム宗教学校を公立学校として認定しているというのはどういうことなのだ?完全に州法に違反するはずである。

TIZAのザマン(Zaman)理事長はカーストンの「イスラム教徒への明らかな偏見」は心配であると意思表示をし、カーストンからの取材を拒んだ。そして記事が掲載された直後ザマン理事長はカーストンが個人的に自分と学校を宗教を理由に攻撃したとし「悪質で、文明社会では受け入れられない」と糾弾した。

こういう話になると必ず乗り出してくるアメリカのイスラム過激派グループCAIRがついに、キャサリン・カーストンへの猛攻撃をはじめるべくお出ましである。

人権擁護市民団体を装うCAIRのミネソタ支部はツインシティーの小学校に向けられた脅迫について刑事犯罪がおかされている恐れがあるとしてFBIに調査を求めた。CAIRは小学校の子供たちの安全が脅かされるおそれがあると心配しているのだという。「我々は人々にはまあだ明らかにされていないこの件に関して光をあてたいと思う」とCAIRの代表者は語った。

私はこの件が大っぴらになるのはいいことだと思う。なぜなら政教分離というのは単にキリスト教迫害に他ならず、イスラム教徒からの脅迫に恐れおののいて何でもかんでもいいなりになっているミネソタ教育委員会の情けない現状に「光を当てる」いい機会だからである。

こんなことがアメリカで許されるなら、アメリカも欧州やカナダのようになるのは時間の問題だ。キャサリン・カーストンはガードマンを雇って今後もミネソタのイスラム教暴虐を暴露し続けてほしい。本当に身の安全が心配されるのはイスラム批判をするジャーナリストたちのほうだろう。

April 15, 2008, 現時間 1:43 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 6, 2008

「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな!

フェミニズム , 宗教と文化

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。

【4月5日 AFP】トーマス・ビーティー(Thomas Beatie)さんは、女性として生まれた後、性転換手術を受けて法的に男性となったが、現在妊娠中。雑誌で妊娠が告白されるや性同一性障害者の権利をめぐり、米国で議論が白熱している。

 ビーティーさんは、胸部の整形手術を行い、男性ホルモン療法を受けながらも、女性生殖器を残すことを決心していたという。性転換後に結婚した妻が子宮を摘出したため、人工授精で自分が妊娠することにしたという経緯を公表して以来、数々の雑誌が「彼」を取材した。

 人気のテレビ司会者オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)のトーク番組にも出演した。うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

 ビーティーさんの妊娠は、前月米国のゲイ雑誌「Advocate」に投稿した「愛の労苦(Labor of Love)」と題するエッセイのなかで告白された。

このLaborという言葉はだじゃれで、Laborには「労苦」という意味と「出産」という意味があるのでそれを掛けているのだ。ま、そんなことはどうでもいい。私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい。

男女双方の性器及び染色体を持って生まれたいわゆる両性体質の人が、幼い頃に医者が便宜上選んだ性別にどうしても馴染めず反対の性別を選ぶという例はあってもおかしくないと思う。こういう体質の場合はホルモンの関係もあって見かけと中身が一致しないことはあるからである。

しかし、生物学的に何の異常もなく、はっきりとした性を持って生まれた人間が、大人になって「自分は常に異性であると感じていたので整形手術をして異性に見えるようになりたい」と言うのはどうもいただけない。

それでもまだ、自分は異性ではなく同性に愛情を感じるというのであれば、自分は間違った性で生まれてきたのだと感じたとしても、まあわからなくはない。

だが、私に分からないのは、普通の性を持つ異性愛者として生まれ、異性に対する欲望は全くかわっていないのに自分は異性であると主張する人である。手術後にも女性としての妊娠機能を保ちたいと思っているひともそうだが、手術後も元の性の特質をそのまま保っておきたいと考えるなら、なぜ「性転換」手術などする必要があるのだろうか。

よく、ジェンダーフリーを売り物にする人たちはジェンダーは持って生まれた性に捕われないものだと主張する。もしそれが本当なら、「性転換」という概念自体が成り立たない。つまり、持って生まれた性と自分のジェンダーのアイデンティティーが矛盾してもよいというのであれば、生物学的には女性でも自分は男性だと主張するのは個人の勝手だが、特に男性に見えるような手術をしたり戸籍を男性に変えたりして周りの人間に無理矢理自分は男だと認めさせる必要はないはずである。しかも女性として子供を生むという機能を保ちたいならばなおさらだ。

私は男性から女性への「性転換手術」を行った人物が女性のマウンテンバイクトーナメントに参加したカナダの例をテレビのドキュメンタリーでみたことがある。この人物の私生活は常に野外でするスポーツに始終しており、特に女性らしい生活をしているとはいいがたい。しかもデートする相手は特に男女どちらとは特定していないというのである。だとしたらどうしてこの人が「女性」に「性転換」などする必要があったのだろうか?(レースに勝つための性転換だったとしたらこんな人間を参加させるカナダのスポーツ業界にも問題がある。)

また女性として生まれながら乳ガンでお乳を失ったのをきっかけに男性ホルモン治療を受けながら、男性に魅力を感じるとして男性とつきあっている「元女性」の例も読んだことがある。どうしてこの人は単に男っぽい女性として好きな男性とつきあう普通の生活を望まないのであろうか?女性でもいくらでも男性顔負けの運動神経の人は存在するし、男性が多い学問でも才能を見せる女性はいくらでもいる。(ちゃんと縦列駐車できる女性もいるし、、)それなのになぜあえて男性の同性愛者という異常な生き方を選んだのであろうか?

男女双方の性の特性を両方持って生きたいのであれば、元々持って生まれたジェンダーをそのままにしておいても何の差し支えもないはず。それをわざわざ整形手術で見かけを変えたいというなら、これは美容整形の域を出ない。そんな安易がファッション感覚で「性転換」手術を受けるなど、あまりにも無責任すぎはしないか?

私はこれらの問題は現在の医学会に大きな責任があると考える。いくら最新の整形技術のおかげで、見かけだけはなんとなく異性に見えないこともないという手術が可能だとしても、可能だからやってもいいという理屈は道徳に反すると思う。自分が特定の性に生まれながら異性であると信じ込むひとたちに必要なのは性器整形ではなく精神治療のはずである。

これもテレビのドキュメンタリーでみたのだが、男性として生まれ異性愛者として妻子もある人が、女性になりたいという幻想を拭え切れないので精神科のお医者さんに診てもらったところ、このヤブ医者は彼に性転換をすすめたというひどい例があった。男性は医者に説得され妻子を捨てて性転換手術を受けてしまったのである。捨てられた妻は医者を夫を洗脳したとして訴えていたがその訴訟がどうなったのかその後のことは私は知らない。

性器整形は鼻を高くしたり目をぱっちりさせるような美容整形とは訳が違うのだ。妻子を持ち自らも異性愛者と認めている男性に性転換をすすめるなど医者としてあるまじき行為である。この男性は明らかに精神異常を煩っておるのであり、いかにして男性として生きることが正しい行為であるか理解させるのが医者としての義務である。それを怠って安易に「性転換手術」を治療として施すなど医者の風上にもおけない人物だ。訴えられて当然だろう。

私は原則として「性転換」という名前の性器整形手術には反対だ。整形して見かけを異性に変えることを考えるまえに、自分の個としての自我の確率に力をいれるべきだ。男として女として生きるということは、見かけだけで決まるのではないのだから。

April 6, 2008, 現時間 11:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 30, 2008

国連人権擁護審議会のお粗末な実態、イスラム告発映画はイスラム教への侮辱と決定

人権擁護法 , 宗教と文化 , 対テロ戦争

まあね、イスラム圏のあからさまな人権迫害は完全無視してイスラエルを責める条令ばかり発令してる国連のやることだから、いまさら驚くべきことではないが。

国連が騒いでいる映画とは、オランダの保守派議員でイスラム批判をしたおかげで命を狙われるはめになったヘールト・ウイルダース氏が作ったイスラム告発ドキュメンタリー映画である。

私はまだ観ていないので、この内容については小林さんのサイトから引用しよう。

オランダの国会議員、ヘールト・ウイルダース氏の反コーラン映画「フィトナ」が昨日、オランダのウエブサイトで公開・放映された。

早速見てみた。コーランの教えの一部を紹介しながら、テロで亡くなったり傷ついた人、首を切られた人、ユダヤ人に対する憎しみを教えるクリップをつなげる。オランダや欧州でイスラム教徒が増えて行き、映画監督が殺され、ゲイが攻撃されるクリップも出る。イスラム教徒の恐怖がオランダに押し寄せる新聞記事が紹介される。最初と最後に、デンマークのムハンマド風刺画(ターバンに爆弾がついている)が出る。

幻想的な音楽に乗って、静かにメッセージが繰り返される。最後はコーランを破くシーンもある(これには後で仕掛けがあると分かるのだが)。

本当はテレビで放映される予定だったらしいのだが、イスラム教徒からの脅迫が相次ぎどこのテレビ局も取り扱わないので、インターネットでの放映となったが、これも放映していたサーバーが次々に脅迫されビデオサイトはあちこちで閉鎖されてしまっている。これについてマイク・ロスが書いている。

元々、このビデオはNetwork Solutions社が運営するデータセンターにあるコンピューターにあるサイトから世界に配信されるはずだった。しかし、過激イスラムを恐れ、サイトはシャットダウンされた。また、別に作ったサイトはイスラムハッカーによって乗っ取られてしまった。

先週末にLiveLeakのサイトでYoutubeと同じ様に見れる形でアップロードされていたが、Liveleak社が従業員の身をあんじて配信を中止した。

つまり、イスラム教の暴力性を告発するドキュメンタリー映画を放映しようとしたところ、怒ったイスラム教徒らがテレビ局やサーバーに暴力的な脅迫をしてその放映を阻止したというわけである。平和な宗教が聞いてあきれるわな。

そして世界の人々の人権に神経質な国連の人権擁護審議会はといえば、このドキュメンタリーはイスラム教徒を侮辱するものであるから即刻その放映を各国で禁止すべきであるという条令を発令したというのだからお笑いである。

この条令はフランス、ドイツ、イギリス、カナダなど10か国の反対を押し切って、21対10で通過した。

EU諸国は対宗教侮辱法が言論の自由を規制するものになるとしてこの条令には反対したが、サウジアラビア代表は言論の自由について間違った解釈があると主張した。

もちろんその通りだろうとも。サウジアラビアのいう言論の自由とは、イスラム教を讃え、ユダヤ人を蔑む言論の自由という意味なのであり、イスラム教を批判する行為は言論の自由として認められないと考えているのだからこの発言は当たり前である。

ヨーロッパ連合は(条令の)内容が一方的でありイスラムへの攻撃のみを特定しているとした。

しかしサウジアラビアは「言論の自由という名の下にイスラムのみが攻撃の犠牲者になっているせいだろう。」とし、この条令は「2001年9月11日の悲劇的な事件後に強まるイスラム教少数派に対する宗教的民族的侮辱運動に対する深い心配を記載するものである」と語った。

サウジ代表はさらに、最近イスラム教やその救世主に対して意図的に悪意のあるステレオタイプなイメージが広められているとして、デンマークでおきたモハメッド漫画掲載などを例にあげてだらだらと文句をいっている。

イスラム教徒は暴力的であるというイメージが西側諸国によって広められているというが、爆弾しょったイスラム教徒が世界中で自爆テロやったり、乗客を乗せた旅客機をビルに突っ込ませたり、宣教師の団体を誘拐して殺してみたり、救世主が漫画でおちょくられたくらいで世界中で暴動おこしたり、法王のイスラム批判に怒って無関係な尼さんを殺したりする行為のほうがよっぽどもイスラム教のイメージダウンに貢献していると思うのは、カカシだけであろうか?

こんなお笑いぐさがあるだろうか?何の罪もない外国人労働者を誘拐して首をちょん切るビデオを製作してはユートゥーブで世界中に放映する行為は表現の自由だが、それを告発する行為はイスラム教徒への侮辱だというのである!非イスラム教徒がいくらイスラム教徒に殺されても、これは人権侵害にはならないが、イスラム教徒以外がイスラム教を言葉や映像で批判する行為は人権侵害だから擁護しなければならないというのである、これが国連のいう人権擁護法なのだ!これがヨーロッパやカナダで適用され、日本が適用しようとしている人権擁護法の実態なのである!

デンマークの政治家が告発するまでもなく、我々非イスラム教徒がステレオタイプなど悪意をもって広げるまでもなく、イスラム教徒らが自ら自分らがどれほど凶暴で野蛮な種族であるかを毎日証明しているではないか!

このドキュメンタリーが世界各国のテレビ局で放映できない理由はなんだ?凶暴で野蛮なイスラム教徒からの復讐を恐れるからではないか。

サウジアラビアや他のイスラム圏諸国が、イスラム教は平和な宗教であり、このようなドキュメンタリーは嘘だと世界中を説得したいのであれば、言論の自由を規制するのではなく、自分らの国々から派生している過激派イスラム教徒らを自ら排除することからはじめるべきだ。テロリズムへの言い訳をすべて西側諸国の悪意のせいにせず、自分らの中に巣食う悪を排除してこそイスラム教が平和な宗教だと世界に知らしめる一番良い方法ではないか。

私は常に西側諸国はイスラム全体を敵にまわすべきではないと書いてきた。イスラム教は平和な宗教として生まれ変わることができるはずだと主張してきた。しかしそれにはイスラムの悪を告発する人々を弾圧していてもはじまらない。そのことに早く気が付かないと我々はいずれ、イスラム教そのものを排除する戦いをするはめになる。そうなったらどちらにとっても決していい結果にはならない。

マイクさんによると、まだダウンロードできるサイトがあるらしい。イスラム教徒らの妨害が激しいのでいつまでアップされているか分からないが、興味のある方は今のうちに御覧になることをお勧めする。

ネット上でこのビデオは探せる。いろんな人たちがダウンロードできるようにサイトを準備し始めている。私はこのサイトからダウンロードした:

http://www.sendspace.com/file/bodnck

ページの下部の  Download Link: VideoFitnatheMovieGe.mp4  をクリックすればダウンロードできます。何時まで、このサイトでダウンロードできるかわかりません。

1939年にナチズムがヨーロッパから葬られた
1989年に共産主義がヨーロッパから葬られた
過激イスラムが葬られるのは何時?

ビデオが行う最後の問いかけです。

March 30, 2008, 現時間 2:34 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 29, 2008

イスラムの横暴に腰抜けなイギリス協会

ヨーロッパ , 人権擁護法 , 宗教と文化

The English version of this entry can be read here.


最近イギリスにおけるイスラム教徒の暴挙は目に余るものがある。彼等の暴挙は暴力的な犯罪のみならず、彼等がイギリス政府に要求する理不尽な特別扱いにある。しかしこの状況をみるにつけ、私はイギリスの問題はイスラム教徒にあるのではなく、イギリスの国教のイギリス協会そのものにあるのだと考える。

英国には国教というものがある。多くのイギリス人がこの国の協会による教えを道徳的な基準として仰いでいる。イギリス帝国の国民にとって協会だけは常に妥協せず、変化せず、苦境に屈しない強固な柱のような存在として人々の心の拠り所となっているのである。

人間とは弱いものだ。神の期待に常に応えることはできない。しかし信者たちは神が自分達に何を求めているかを常に知っている。少なくとも人々が神の教えに近付けるように導いてくれるのが協会であるはずだ。

だからこそ人々は他人のために命を投げ出して正しいことをしようとするのではないか?
だからこそ普通の人々が悪と立ち向かうために立ち上がるのではないのか?人々が何が悪で何が善かを知っているからこそ、善を保つために戦う勇気を持てるのではないのか?

しかしもしもその精神の拠り所となるはずの協会が弱腰になって、争いを避けるためにと、ことあるごとに不寛容に寛容になれといって、人間を生け贄にするような野蛮な宗教に理解を示せとか言い出したらどうなるだろう。

信じられないことだが、イギリスでは実際にそんなことはすでに起きているのである。トム・ブランクリーが伝えるこのニュースなどは まさにその典型例だ。

この話は二週間前に、キリスト教文明発展の指導力として900年の伝統を持つ大学のある町、イギリスはオックスフォードから来たものだ。またしても青い鳥よりも恐ろしいものがイギリスの空を脅かしている。オックスフォード中央聖廟の役員たちは聖廟の塔のてっぺんから大型スピーカーで町中に響くようけたたましい音で一日に五回イスラム教のお祈りを放送する許可を申し出たという、過去900年に渡って春夏秋冬に地元の協会の鐘の音だけが聴かれてきたこの町でである。

今さら驚くことではないが、オックスフォードのイギリス協会主教であるジョン・プリットチャート神父は(the Right Rev. John Pritchard)地元のキリスト教信者たちは「多様性を楽しむ」べきであると発表した。この神父は先日イギリスにシャリア法を取り入れるべきだと語ったカンタベリーの大主教の跡継ぎとされている人物である。

問題なのはヨーロッパのイスラム教徒が移住先の社会を彼等の信仰に合わせて変えていこうとしていることではなく、ヨーロッパ人が自ら進んで彼等に迎合しているこである。シャリア法の侵攻はこのまま続くであろう。このまま何の抵抗も受けないのであれば。

もしキリスト教の教えに「多様性」の大事さを説く部分があるというなら見せていただきたいものだ。信仰の多様性を受け入れるならキリスト教を信じる意味がないではないか?壊れた道徳の羅針盤は何処も示さない。暴力への理解は平和などもたらさない。かえってことは混乱し暴力は増すのみである。そしてその結果キリスト教信者は減ってしまうのだ。

イギリスでイスラム教の暴力団が麻薬売買をし未成年の少女たちを売春に追い込んでいるという話は大分前から問題になっている。しかしこうした少女たちの親たちが地元警察に訴えでても警察当局は少数民族の異文化に十分な理解を示していない と責められるのではないかと懸念し、しかもやり過ぎれば人種暴動になりかねないと恐れてイスラムやくざを取り締まろうとしない。(Hat tip to Lionheart.)

昨晩ラマダンファウンデーションのモハメッド・シャフィク会長は警察は犯罪者の人種によって取り扱いを差別していると批判した。

氏によると警察はブラックバーンやオルダムで起きたような人種暴動を恐れて「神経過敏」になりきちんとした取り締まりを行っていないと言う。

今週のパノラマ誌の氏の問題な発言は2004年のチャンネル4のドキュメンタリー番組で爆発敵な話題を巻き起こした問題に再び火をつけることとなった。

この番組ではブラッドフォードのアジア人(パキスタン人)が地元の未成年白人少女たちを売春婦として教育しているというものだったが、チャンネル4の番組リストからは外されていた。

警察が地元の選挙期間中に人種暴動を誘発する恐れがあると主張したことが原因だった。

しかし英国のイスラム教徒たちが要求しているのは「寛容」などという生易しいものではない。最近パキスタン人移民二世代目の青少年たちが、ナチス台頭直前のヒットラー青年団よろしく、キリスト教徒やユダヤ教徒に対して実際に暴力を振るう事件が 相次いでいる。

三月五日、聖ジョージ協会の前で、神父のカラーを着用していたキャノン・アインスワースさん57歳は(Canon Ainsworth)二人のアジア人の若者に殴る蹴るの暴力を受けた。その間もう一人が宗教的暴言を叫び続けたという。神父は切り傷、打撲、両目に青あざの怪我を負った。神父は聖バースロミュー病院から一旦退院したが、その後怪我の後遺症が出たため再び入院した。

しかし英国警察はなにもしない。イギリス協会もただただ腰を抜かすだけである。いや、厳密にはそれは正しくない。警察がなにもしてないというのは嘘だ。 彼等はイスラムの暴挙を暴露したイギリス人ブロガーライオンハートをイスラム教徒への人種的な嫌悪を広めるとして逮捕していたんだっけ。ミスター苺が皮肉っぽく、「イギリスには言論の自由が尊重されてて良かったねえ〜。」と言っている。これもイギリスの人権擁護法のたまものである。

どうやらイギリスはイスラム過激派を止めることより、それを暴露する人間の口を閉ざし、シャリアという五右衛門風呂のなかで序々に煮え殺されるのを好むらしい。ローチェスター市の主教、マイケル・ナズィアー・アリ神父(the Right Reverend Michael Nazir-Ali)がイスラム教徒による非イスラム教徒への暴力を非難すると、反対に彼に対してあちこちから非難轟々の嵐が集まった。自由民主党の党首までも一緒になって神父を非難しているのだから信じられない。

日曜日のテレグラフ紙にローチェスター市の主教、マイケル・ナズィアー・アリ神父は多様性こそが宗教団体を隔離する原因であり、非イスラム教徒らがイスラム過激派が占めている土地でひどい扱いを受けていると書いた。

アリ神父は政府が強制している混合は「道徳および精神的な見解」に欠けるとし(国教として)設立されているイギリス協会を優先しないことを指摘、これが「多様信仰のちゃんぽん」になったと強く批判した。

神父はさらにシャリア法の一部、特に聖廟の上から大型スピーカーでの祈祷放送は英国において適切であるかどうか懸念を示した。

これに対して自由民主党の党首、ニック・クレッグ氏は神父は非イスラム教徒「立ち入り禁止地区」ができているという証拠を出していないとし、神父の発言は「非常に挑発的ないい方だ」と表現した。

クレッグ氏が文化的に敏感であれば、神父の名前からして彼がパキスタン系移民であることに気が付いたはずだ。神父の家族自体はずっとキリスト教徒だったらしいが、イスラム社会で少数派のキリスト教徒としてイスラム教を批判することがどれほど勇気のいることか、多様文化に理解を示すことに忙しいクレッグ氏には理解できないのだろう。イスラム社会出身なだけあってアリ神父にはイギリス協会の教えが根本的にイスラム教のそれとは相容れないことを身にしみにて知っているのであろう。

で、このような信者や神父らへのイスラム教徒による暴力をイギリス協会の大主教様はどう思われているのかといえば、この人は以前にもイギリスにシャリアを適用すべきなどといってるようなトンデモ大主教だけあって、今回もまた イスラム過激派とその犠牲者を同等扱いする発言をした。.

神父の文章はちょっと難かしいので直訳せずに要約すると、要するに内部で分裂している社会でも外部からの敵を正しく見極めることができれば一時的に団結することが出来るのは自然である。不安定な状態にあるイスラム圏の人々が不思議な西側のキリスト教を悪視するのも、困惑し脅えたヨーロッパ社会がイスラム教を「自分らの生き方を破壊する」宗教だという映像にしがみつくのも同じことなのである。といった意味のことを書いている。

大主教がこんな調子じゃ英国のイスラム教徒がごう慢になるのは当たり前だ。そして同時にイギリスのキリスト教徒たちが宗教そのものに失望して協会を去っていくのも当然の成り行きである。といってカトリック教会が迷える子羊の英国市民をすくってくれるのかといえば、ローマ法王からも援助の手が届いているという話は聞かない。

イギリスでは最近結婚する人の数が極端に減っているそうだ。今年は記録的に結婚数が最低だったという。イスラム教徒が増え、協会へいく人々の数が激減し、「アジア人青年たち」が一夫多妻性を本気で要求する世の中で、協会が何だ、結婚がなんだ、神様が何だ、キリスト教などくそくらえだ!とイギリス市民がやけになるのは当たり前ではないか?

ローウェン・ウィリアムス大主教やジョン・プリチャード主教の声は英国中に響き渡る。真の危険はイスラム教徒達がごう慢になることではなく、英国市民が絶望し信仰を捨ててしまうことにあるのだ。もし英国のキリスト教徒たちが