日付け → →March 31, 2007

国連人権会議、「ユダヤ人は黙れ!」

国連が反イスラエルであることはすでに周知の事実だが、それをあからさまにあらわす出来事が先日国連の人権委員会の会議で起きたのでここで紹介しておこう。

3月23日、ジェニーバで行われた国連の人権委員会において各国の人権団体が国連に世界でおきる人権迫害について色々と意見を述べた際、UNウォッチという市民団体の代表ヒラル・ニューアーは国連の不公平なイスラエル攻撃を批判する演説をした。

議長殿、

60年前ナチスの脅威の後、エレノア・ルーズベルトやレネ・カッシンらと並び立派な人々がここにあつまり、ジェニーバ湖のほとりで人間の尊厳の信念を確認しあいました。彼等は人権委員会を設立したのです。今日我々は問いかけます。「あの崇高な夢はどうなったのだ?」と。

この議会の場でその答えを見ることができます。世界中から集まる拷問や迫害や女性への暴力といった確たる報告に対してこの議会は何を宣言しましたか? 何を決めましたか?

何もありません。反応は全くの沈黙です。反応は無関心です。この反応は犯罪です!

ひとによってはハリー・トルーマンの言葉を借りて無行動で役立たずの委員会というでしょう。

しかしそれは正確ではありません。この委員会は何かをしました。

委員会は条例に次ぐ条例でイスラエルという一つの国だけを責め立てました。委員会の八回による宣言において、今回を入れればさらに三回にわたって、ハマスやヒズボラは罪を免除されました。のこりの世界は何百万何千万という犠牲者が191の国々で無視されているというのにです。

ですから、この委員会は何かをしたことは確かです。そしてこの宣伝を演出した中東の独裁者たちは、人権を守るためパレスチナ人の権利を守ることは良いことだというでしょう。

人種差別者で人殺しで強姦者の国ダルファーの女性たちが、パレスチナ女性を気づかうと言い、チベットの占領者やチェチニアのイスラム虐殺者たちがイスラム教徒を気にかけると言います。

しかし自称人権防衛者の人々は本気でパレスチナ人の人権など気にかけているのでしょうか?

ここ数カ月の出来事を考えてみましょう。130人以上のパレスチナ人がパレスチナ武装勢力によって殺害されました。これは7月と10月に特別委員会が開かれた時に殺された人数の合計の三倍になります。しかしパレスチナ人権擁護のチャンピオンであるアクマネナジャドもアサド・カダフィもジョン・ダガードも無言です。三歳の幼子サラム・バルーシャちゃんが二人の兄と一緒に首相の部下たちによって殺害されたのに、なぜこの委員会は沈黙を守っているのですか?

なぜならイスラエルを責められないからです。なぜなら真実独裁者が管理するこの委員会はパレスチナ人のことも人権のこともなんとも思ってないからです。

彼等はイスラエルの民主主義を悪魔化し、イスラエル政権を不当なものとし、ユダヤ人を生け贄のヤギにしようとしています。彼等は人権とは全く違ったものを求め、人権と言う言葉そのものをわい曲し変質させようとしているのです。

この委員会の創設者たちの夢はどうなったのでしょうか? ひどい嘘と道徳の転覆で悪夢へと変ぼうしたのです。

議長殿、ご清聴ありがとうございました。

委員会のルイ・アルフォンソ・デアルバ議長は腕を組み反っくり返って苦虫をかみつぶした顔で聞いていた。議長は黙って聞いていたかもしれないが、その答えはおよそ外交的といえるようなものではなかった。

この議会において初めて私は演説に感謝することができません。私は今演説をいただきました団体の代表の方にひとこと申し上げたい。国連ウォッチの代表者にもうしあげる。私のいうことをお聞き願うならば、申し訳ないが私はあなたの演説に感謝できる立場ではない。この議会は今後このような演説を認めることはできないと申し上げておく。メンバーについてされた表現や、そして委員会全体についてされた表現は、すべて全く認められない。あなたが引用した人権議会の創設者である人々の思い出にかけても、人権のためにも今後は適切な行動と言葉使いに最小限の心配りをするよう要請する。さもなければあなたが本日ここでしたような同じような演説には記録から取り除かれることになる。

つまり、デアルバ議長はニューアー氏の演説の内容の真偽には一切触れず、ニューアー氏の態度と言葉使いが委員会のメンバーに対して失礼だから、ニューアー氏の意見は記録から抹殺するとまで脅かして息巻いているのである。

しかしニューアー氏の言動がこの場ににつかわしくないほど失礼なものであったのかどうかを知るためには、委員会議長が「発言を感謝します」として受け入れた他の団体代表者たちの発言を聞く必要がある。

UNウォッチは、同日この議会でどのような発言が行われていたか7分強のビデオにしてまとめているので、英語に自信のある方は是非御覧になることをおすすめする。以下は同ビデオをみたニューヨークサン紙の記者による報告だ。

(国連人権委員会のデアルバ議長)はムガベ大統領政権下における人権迫害を批判した代表者の無知加減について語ったズィンバブエ代表の発言に感謝した。議長はまたキューバの共産政権による人権迫害を暴露した人権専門家を侮辱したキューバ代表にも感謝した。パレスチナを常時観察している演説者が「人権迫害の独占をしている」とイスラエルを責め、イスラエルはアメリカやカナダ大使のお気に入りであるだけでなく、国連の人権委員会のルイース・アーボアー委員を名指しで批判したときも、デアルバ議長によって感謝された。ビデオのなかでデアルバ議長はダルファーにおける女性への暴力に関するリポートは「大げさである」と発言したスダーン代表に感謝する姿が見られる。

(このビデオでは)そしてまたナイジェリア代表が「不自然な性行為に対してシャリア法に基づき投石をして罰する行為は不当な殺人と一緒に扱われるべきではない」と主張するのを見ることができる。またイラン代表がホロコースト否定会議を開催したことを弁護するのも御覧あれ。でなければヘズボラテロ組織の弁護も御覧あれ。そして演説者また演説者が次から次へのイスラエルとナチスを同一視しするのをデアルバ議長や議長席に座っている人らによってことごとく感謝されるのを見ることができる。

国連の人権委員会は人権擁護の目的で始まったのかもしれないが、現在の委員会では人権擁護など誰も興味のない単なるイスラエルいじめの委員会となっている。パレスチナ人は単にイスラエルいじめのための道具にされているに過ぎない。国連人権委員会のデアルバ議長は本人も反ユダヤ主義の人種差別者であるに違いない。デアルバ議長はニューアー氏の指摘が真実であることを十分承知しているのだ。だからこそ真実を指摘されて腹をたてているのだ。

だいたいアメリカを人権委員会から追い出し、軍事独裁政権のリビアを委員長国に選んだり、委員会が話題にすることといったらシオニズムは人種差別だなどということばかり。何十万のいうキリスト教黒人がイスラム教政権によって虐殺され百万以上が家を追われたダルフールの悪逆などそっちのけで、イスラエルがパレスチナのテロリストを数十人殺したというと大騒ぎで条例につぐ条例を発令。そんなところでUNウォッチなどが何をいっても聞き入れられないことくらいシオニストのニューアー氏なら最初から百も承知の上だろう。今回の演説は国連人権委員会がどれだけ人種差別者と偽善主義者の集まりであるかを証明した。

もっとも私は最初からそんなことは知っていたが、恥も外聞もなくイスラエルバッシングが平気で出来るこのふてぶてしさには改めてあきれかえった。

March 31, 2007, 現時間 7:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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フランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法

過去から学ばない者は必然的に過去の過ちを繰り返す、とはどっかの有名な歴史家が言ったのだろうか、今は誰とは思い出せないが。

以前にイランをどう攻めるかという話をした時にもちょっと紹介した歴史家アーサー・ハーマン氏がHow to Win in Iraq. And how to lose.(イラクで勝つ方法、そして負ける方法)というエッセーでアメリカはフランスとアルジェリアとの戦いから多いに学ぶことがあると語っている。

以前に私は別の歴史家、ドナルド・ストカー氏の『ゲリラはめったに勝たない』という意見を紹介したことがある。

ゲリラ戦というとアメリカではどうしてもベトナム戦争の記憶が新しい。しかしストカー氏はアメリカはベトナム戦争からゲリラには勝てないという間違った教訓を学んだという。氏はゲリラは常に勝つどころか、めったに勝たないと断言する。だから、イラクでもアメリカ軍を増派し作戦を変更することで十分に勝利をおさめることが可能だというのである。しかし、イラクでアメリカが勝とうというのであれば、アメリカは過去の間違いから学ばなければならない。なぜならゲリラ撲滅は辛抱強く時間をかけてやる必要があるのだが、ブッシュにはあまり時間がないからである。

ハーマン氏も軍事的にはゲリラ戦に勝つことは十分に可能だが、政治的に勝つこととなるとこれは別問題だという。

事実歴史的な記録は明白だ。イラクでおきているようなゲリラとの戦いにおける失敗は軍事的なものではない。それどころか西側の軍隊は驚くほど非一般的な敵に対し勝つための貴重な技術を学び学び直し、難かしく慣れない戦闘にすばらしく勇敢に立ち向かっている。もしイラクが失敗するとしたら、その原因は他にある。

ベトナム戦争の時も、アメリカは軍事的な戦闘にはことごとく圧勝した。しかし国内の世論が反戦ムードに極端に傾き、議会が戦費の割り当てを拒否したため軍隊は撤退を余儀なくされた。今のイラクの状態と非常によく似ている。しかしハーマン氏は歴史上の似ている状況を比べるのなら、ベトナムよりも50年前にフランスが元フランス植民地だったアルジェリアと戦った時の状況がイラク状況に酷似しているという。

そこで今日はまず、フランス軍によるアルジェリア反乱軍との戦いからイラクにおいて軍事的に勝つ方法を考えてみたい。

50年前のアルジェリアでもイスラム過激派を中心とする反乱ゲリラが地元政府とフランス軍を悩ませた。興味深いことに1954年の11月に本格的にフランスが攻撃をはじめたこのイスラム教過激派グループ、the National Liberation Front (FLN 全国解放前線)は現在のアルカエダの直接の前身であり、戦い方も酷似していた。当初フランス軍は普通の戦闘でないゲリラ戦に十分な対応ができずゲリラたちに上手を取られた。

ゲリラのリーダーたちは国粋主義というより反西洋(特に反ユダヤ教ではなく)の思想によって導かれていた。彼等は最初からフランス正規軍にたいして軍事的な勝利を得られるなどとは考えていなかったし、それが目的ではなかった。それよりも、彼等はアルジェリアの支配層であった白人たちに対してイスラム教徒による反乱をおこさせ全面的な内乱をおこさせようとしたのである。イラクでアルカエダの連中が圧倒的軍事力のあるアメリカ軍に直接攻撃をかけずイラクシーア派に攻撃をしかけてシーア対スンニの内乱をおこさせようとしているのと全く同じやり方だ。

この目的のため、彼等は穏健派イスラム教徒やアルジェリアのビジネス上層階級を標的にして驚異的な爆破攻撃、拷問、残虐な殺人を行った。「スーツを着たひとつの死体は制服を着た20のそれに値する」とひとりのFLNリーダーは語った。最初からゲリラが影響を及ぼそうとしていた観客はアルジェリアではなくフランス本土そのものだったのである。 アメリカで対ゲリラ戦専門のブルース・ホフマンが書いているようにアルジェリアの反乱分子は「戦争が長引けばフランス人の疲労と無関心が戦争の風向きをかえるのに役立つと賭けていた。」これは知能的な作戦だった。

今日イラクにいるアメリカ軍同様、フランス軍は次々に起きる危機にそのつど反応するしかなくその間に司令官が次々と入れ替わり、作戦や資源がぽつぽつと循環する状況に立たされていた。2007年現在のイラクの半分にも満たない人口を14万の兵をもってしてもフランス政府は戦況を好転させることに全く無力だった。急速に崩壊していくこの状況にあってアルジェリアの白人層は政府に反感を持つようになった。1956年の終わりには首都で起きた爆破テロにより49人が殺されもっと多くが負傷しストレスや疲労がたまっていたフランス警察や軍隊はタオルを投げる用意ができていた。

ところがここで英雄の登場である。1956年8月、フランス軍のデイビッド・ガルーラ中佐(David Galula)がゲリラの棲息する山岳地帯の司令官として任命されると、中佐はゲリラたちの不規則な戦闘に型破りなやり方で応戦した。このやり方は大成功を納めたため、即座にアルジェリア各地のフランス司令官らに広く取り入れられた。イラクのアメリカ軍総司令官として任命されたペトラエウス将軍はこのガルーラ作戦を広範囲で応用しているといわれている。

1957年の一月にはすでにフランス軍ジャック・マスー将軍らによって市街地でも中佐の作戦は取り入れられるようになっていたという。この新しい作戦によってほんの数週間のうちにマスー将軍らの部隊は市街地のゲリラを追い出し、一地区ごとにゲリラから奪い返していった。また地元市民による協力を訴え、ゲリラの居場所を通告してくれるよう説得した。これはまさに現在アメリカ軍がスンニ地区でやっているのと同じ作戦だ。イラクでも地元スンニ派がアルカエダに味方するよりもアメリカ軍やイラク軍に協力しようとする動きが目立ってきている。

1959年にはガルーラ中佐の作戦はアルジェリア全国に広まり、全国に600の特別事務所が設置された。この事務所では地区ごとの民間および軍事的な管理がおこなわれ、やっとフランス軍は15万という圧倒的な兵数を効率良く生かすことができるようになった。1960年になると三年前には不可能と思われた反乱軍鎮圧はほぼ成功を遂げていたのである。

さてそれでは、ガルーラ中佐の対ゲリラ・テロリスト作戦の教訓をまとめてみよう。

    1)兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。
    2)継続的で目立つ軍事的防御体制。地元市民が常に安心してたよりにできる民間および軍事的な施設の存在は反乱軍を牽制し地元民の信用を得るための必要不可欠な要素である。正規軍が常に監視に目をひからせパトロールを継続させゲリラの潜入を絶対に容認しない。テロリストは厳しく処罰し、市民の協力を報酬などを使って奨励する。これによって地域は安定を保つことができるようになる。
    3)勝利は確実と市民に確信させること。地元の人々は政府と政府軍が結果的には勝つと確信しなければならない。そのためには地元軍の存在は必要不可欠である。なぜなら駐留軍がいなくなった後でもこの平和は継続される、生活の基盤は崩れないという信頼感がなければ市民は安心して政府に協力などできないからだ。

現在のバグダッドにおける新作戦はまさにこのガルーラ作戦を教科書どおり遂行しているといえる。バグダッドでは50マイル直径の場所で80%の暴力沙汰が起きている。この赤地帯をピンクおよび白へと変えていくことがまず教訓の第一歩だ。

批評家たちは今回の作戦など一時的なものだというが、その一時的な状態を長期にわたって継続し、それがいつのまにか永久的な状況へと変化していくことが最終的な目的なのである。一挙に全地区を安定させるなどという無謀な野心は失敗を招くもとだ。「この考えは最初にはじめたときより日ごとに敵の数がじょじょに減っていくことにあります」とペトラエウスは語る。

ペトラエウスはガルーラの二番目の教訓を生かす方法として「失うものが多い人の数を増やすこと」を強調している。例えば将軍はカビリア地区において部下たちに女子も含む1400人の生徒のいる学校を管理させ、道路建設などにも従事させた。またモスールでは第101空挺隊が大学再建に協力するなど地元民の生活に多大なる影響を与えた。「最良の武器は撃たないもの」と将軍は語る。

また将軍は地元リーダーたちと常に会合を開き地区の治安について話あっている。アメリカ軍がイラク軍と同じ釜の飯を食って共同訓練をおこなっているというのも、地元民のイラク再建に対する熱意を高めることに役立っている。要するにイラク再建はアメリカ駐留軍だけの問題ではなく、イラク国民全員にとって良いことなのだということをイラク市民に納得してもらうことが非常に大切だということだ。

歴史家のハーマン氏はペトラエウス将軍のこれまでの戦闘体験から、イラク全体にも当てはめられるとその能力を高く買っている。

こうしてみると軍事的にはアメリカ軍はイラクにおいて決して不利な状況にはない。自動車爆弾テロなどで大量な犠牲者が出ているとはいえ、その数は日ごとに減っている。ここで継続的な警備体制を保つことができれば、いずれはイラク戦争に勝つことができるとカカシは確信する。

だが心配なのはこの「継続的な警備体制を保つ」という点だ。アメリカ国内では主に反政権の民主党政治家たちが現地の司令官らの意見とは裏腹に撤退撤退を繰り返している有り様だ。このような状態でアメリカは本当にイラクで勝てるのだろうか?

ハーマン氏はこれについても、50年前のフランスから多いに学ぶことがあると語る。ただし、これは反面教師としてだが、、

その話は次回に続く。

March 31, 2007, 現時間 1:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 29, 2007

21世紀を目指す穏健派イスラム教徒の試練

先日空飛ぶイマーム達に訴えられている乗客を救う会を結成したアリゾナ住まいのイスラム教徒医師、ジャシャール医師(Dr. Zuhdi Jasser)を紹介したが、今日のミネソタ州のスタートリビューン紙に彼の過激派イマームたちとの戦いの模様が掲載されている。著者はキャサリーン・カースティン。

911が起きた時、ジャシャール医師はイスラム教がテロリストに代表される過激派イスラミストらに乗っ取られるのを心から恐れた。2003年同じような考えのアリゾナ州在住のイスラム教徒らとthe American Islamic Forum for Democracy(アメリカイスラミック民主主義討論会)を結成。

「私たちは親イスラム教ですが、反イスラミストです。」と医師は語る。医師の言うイスラミストとは宗教と政権は切ってもきれない関係にあり、聖職者が政治のリーダーであるべきだというものだ。

ジャシャール医師はアリゾナ州では結構有名らしいが、全国的にはあまり知られていなかった。それがこの間の空飛ぶイマーム事件で同じイスラム教徒でありながらイマームたちの「差別された」という抗議に真っ向から反対する人として全国的に注目を浴びた。

「アメリカ人は宗教的な感覚を傷つけるのを恐れすぎています。我々イスラム教徒が率先して『これはお祈りの問題ではない、空港の警備の問題だ』と主張すべきなのです。」医師は自分は一日に4回きちんとお祈りをするし、家族と公園でピクニックをする時に外でお祈りを捧げることもあるという。だが、911以後空港警備は国内警備の門でありそこで他人の迷惑も考えずにこれまで通りお祈りをする権利があると考えるイスラム教徒は鈍感すぎると医師はいう。

イマームたちは自分達の席で静かに祈ることもできたし、家に帰ってからゆっくり祈ることもできたはず。医師は敬虔なイスラム教徒はなにも厳しい規則に従うだけが能ではないとし、「お祈りというのは自分の信心深さを世界に訴えるためのものではありません。個人と神との約束ごとです。」と加える。

実はジャシャール医師と空飛ぶイマーム達がぶつかったのは今回が初めてではない。6人組のひとりであるアクメッド・シャケイラット(Ahmed Shqeirat)氏が常時説教をしているテンプルイスラミックコミュニティーセンターという聖廟にジャシャール医師は昔よく通っていたのだそうだ。しかし911以後聖廟での説教がテロリストを糾弾するどころかアメリカが一方的に悪いといった内容であることに反感をもったという。医師は聖廟は宗教の場で政治の場ではないと抗議するとシャケイラットはジャシャール医師は世俗主義で信心が足りないと逆に批判したという。

ジャシャール医師は2004年に「イスラム教徒と立ち上がってテロリストと戦う会」という反テロリストデモ行進を主催した際にもイマーム達は参加を拒んだという。

アセアンさんは、聖職者でもない一介の市民がいくら声を大にして騒いでみても、所詮イスラム教徒への影響力などなく、イスラム教を生まれ変わらせる力になどならないと言う。だが私はそうは思わない。ジャシャール医師によると彼のような考えを持つイスラム教徒はたくさんいるという。

「私はこの国に住むイスラム教徒の多くの人々の意見を代表していると思います。」とジャシャール。「彼等はテロリスト擁護や政治的な説教には腹をたてています。大多数のひとたちが精神的な方針と政治的な方針とを区別したいと考えているのです。」

アメリカに住む大多数のイスラム教徒がジャシャール医師のような考え方だというのはちょっと信じがたいのだが、それが本当なら歓迎すべきニュースである。しかしジャシャール医師の政教分離の考えはイスラム教にとっても決して異邦な考えではない。それどころかイラクでも最も尊敬されている偉大なるアヤトラ・シスタニ師も聖職者は政治家になるべきではないという考えを明らかにしている。だとすれば21世紀のイスラム教徒たちはイスラム教を国教として政教を同一視しているイランのような国こそが、イスラムを誤って解釈しているのだと主張することができるわけだ。ジャシャール医師のような21世紀のイスラム教徒はイスラム教が何かあるごとに原点に戻るという概念を逆手にとって、「政教分離こそがイスラムの原理だ」と主張すればいいのである。

聖戦とは個人の精神的な葛藤を意味する、異教徒の身体を殺さずとも、イスラムの教えに従わない異境徒は精神的な死を体験する、と解釈していけばイスラム教を裏切らずに21世紀の宗教に生まれ変わらせることができるのだ。

私はタルムードを読んだことがあるわけではないのでこれはミスター苺からの受け売りだが、ユダヤ教にも昔の教えには色々とおかしなものがあるという。だが、タルムードの便利なところはユダヤの昔の教えはその時代に合ったものであって、現代社会にはあてはまらないという説明が事細かにされている点だというのである。

キリスト教もカトリック教会が政治を征服している時代があったが、マーティン・ルターなどのような人々が「協会は聖書を間違って解釈している」と唱えはじめ、キリスト教は原点に戻る必要があると考えはじめた。これがキリスト教が新しい時代の宗教として生まれ変わる発端となった。

彼等のいう「原点に返る」という概念が文字どおりモハメッド時代の考えに戻るという意味でなくてもいいのだ。単に現代の信者たちが「本来こうあるべきだ」と納得することさえできればいいのである。

国家単位でもトルコのように厳しいシャリア法を取り入れず、政教分離を実現させ、西洋のような民主主義ではないとはいえ、なんとか現代社会に参加している国もある。フセイン時代のイラクやシリアに占領される前のレバノンが世俗主義だったのは周知の事実だし、聖職者が政権を握っているイランでさえも、決して原理主義のイスラム教を政治に取り入れているとはいい難い。イランに長年すんでいた人からきいたことがあるが、イラン社会は案外世俗主義で女性はバーカなど着ないで西洋風の服で闊歩しているといっていた。

つまりこれらの国々では人々は口でなんといおうと本当は現実社会とシャリアの共存が不可能なことを知っているのである。だから私はイスラム諸国が現代化することは可能だと考えているのだ。ただ、彼等の多くが種族主義部族主義であることから、「仲間対よそもの」意識が先行し、イスラム教徒が異教徒と争っていると自動的にイスラム教徒の味方をしてしまうという悪癖が彼等にはある。

ジャシャール医師のような穏健派には厳しい試練がまっている。だが、彼のように誰かがはじめなければイスラム教は滅亡の道を歩む以外にない。我々非イスラム教徒は穏健派を応援し奨励することはできるが、終局的に滅亡を選ぶか現代化を選ぶかはイスラム教徒らにかかっているのである。

March 29, 2007, 現時間 11:38 PM | コメント (5) | トラックバック (0)

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イギリス海兵隊は何故抵抗しなかったのか?

15人のイギリス海兵隊員と海軍兵がイラン軍に拉致された事件について、イギリスと共同作戦をとっているアメリカ海軍側では、どうしてイギリス兵は抵抗しなかったのかという疑問が出ている。

湾岸における高位の米司令官は、これが彼の部下であればイラン革命防衛軍の人質になる前に発砲していただろうと語った。

これはイラクで一緒に戦っていながら、イギリス軍とアメリカ軍が取り入れている姿勢の違いを劇的に表している。拘束された15人を含むイギリスの隊と隣り合わせで行動をしていたエリック・ホーマー米海軍少佐は、英国海兵隊員と水兵たちがもっと攻撃的でなかったことに「驚いている」と語っている。

インディペンデント紙の、これが少佐の部下達だったとしたらイラン兵に発砲していたか、という質問にたいして少佐は「同意。そうです。イギリス軍の作戦について今さら判断したくありませんが、我々の攻撃規則はもう少し臨機応変性があります。我が軍の乗船チームは自己防衛に対してもう少し積極的な訓練を受けています。」

イギリスのHMSコーンウェルと同じくイギリス指令下の任務編隊に所属する米フリゲート艦USSアンダーウッド号の副艦長で第二司令官は「アメリカ海軍特有の攻撃規制は自己防衛の権限が与えられているだけでなく、自己防衛は義務であるとされています」と語る。「私が思うに彼等(イギリス兵)は拉致される前に自己防衛をする十分に正当な権利がありました。我々としては『どうして自己防衛をしなかったのだ』という反応です。」

どうもイギリス海軍はどのような理由があってもイラン軍に発砲してはならないという命令を受けていたらしいのだが、ミスター苺によるとそのような命令は違法であり、海兵隊員も水兵らも従うべきではなかったと言う。

そのような命令は違法命令だ。

誰にも発令できない命令というものがある。例えば総司令官が兵士らに強姦を命令したとしよう。このような命令は明かに違法であり、従えば罪に問われる。(そしてそのような命令を下した大統領は即刻弾劾され取り除かれるべきである。)

イギリスでも同じことが言える。(女性を含む水平ら)軍人にテロリストと深い関係にあるイスラム過激派政権の人質になれなどという命令は明らかに違法命令だと俺は確信する。そのような命令を誰かが下したとは信じがたい。

...降参する気でもない限り軍人は敵の攻撃から身を守ることは正当であり、攻撃規制などくそくらえである。俺が思うにイギリスにはいまでも戦争に勝つために最前を尽くすべきという姿勢が存在しているはずだ。

ミスター苺は拉致されたボートが所属するイギリス艦HMSコーンウェルの艦長は敵を前にして臆病な行為をした罪で軍法会議にかけられるべきだと言って息巻いている。(笑)

しっかしかつての栄光が泣くよまったく。偉大なるイギリス帝国海軍がこれではご先祖様に顔向けできないよなあ。

しかし過ぎたことをなんだかんだ言っていてもしょうがない。イギリスは、ブレアは、いったいどうするつもりなのだろう?

March 29, 2007, 現時間 8:35 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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日付け → →March 28, 2007

アメリカ初のイスラム教議員イスラムテロの本性現す!

アメリカ初のイスラム教徒の議員として今年から下院議員となったキース・エリソン議員。就任式の時にも聖書ではなくコーランをつかって宣誓をするとだだをこねて話題になった。選挙運動中から反対派はエリソン氏は過激派黒人イスラム教団体やアラブ系テロの看板団体CAIR(イスラムアメリカ評議会)などと深いつながりを持っている危険人物だと主張していたが、地元のミネソタ州メディアは反対派による人種差別だと言い張ってエリソン議員とテロリストとの関わりを全く報道しなかった。

おかげでエリソン議員は当選したが、この間の空飛ぶイマームたちの訴訟事件がきっかけで、ついにエリソン議員はそのテロリストたる本性をあらわした

米国下院議会で火曜日、共和党議員らによって公共交通機関を利用する乗客らが挙動不審な人物を通告する際、後に訴訟などの標的になるのを防ぐ議案が提案された。これはすでに訴訟の起きている空飛ぶイマーム事件のようなことを防ぐのが目的で、議案は304対121で圧勝した。

興味深いのはイスラムテロリストプロ市民団体代表議員のキース・エリソン議員が率先してこの議案に反対したということだ。なぜ、アメリカの議員がアメリカの一般市民がアメリカ人の安全を守るためにテロリストと思われるような危険人物を通告することを阻止しなければならないのだ?  なぜアメリカの議員がアメリカを攻撃するテロリストが行動しやすいような状況を作ろうとするのだ?

エリソン議員を選んだミネソタ市民はこの話に注目しているのだろうか? それともミネソタの新聞はこのニュースも黙殺するのかな?

March 28, 2007, 現時間 12:18 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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日付け → →March 27, 2007

ガザ、ワニを腰に巻いて密輸をはかった女

きょうは時間がないんで著作権侵害コピペだけの「どうでもいいニュース」ははは、、

生きたワニ3匹を「腰」に巻いて密輸図った女を逮捕 ガザ

2007.03.27
Web posted at: 16:41 JST
- CNN/AP

エルサレム──パレスチナ自治区ガザとエジプトの境界で近ごろ、警備員が「不自然に太った」女に気付いて身体検査をしたところ、腰部分に3匹の生きたワニが巻いてあるのを発見、野生動物密輸の罪などで拘束した。女は「ワニを運ぶよう頼まれた」と主張している。

警察などによると、女は今月22日にガザ南部ラファの検問所を通って、エジプトからパレスチナへ向かおうとしていた。

不審な体つきだったため、別室で女性警官におる身体検査を実施したところ、女性警官が叫びながら部屋を飛び出てきたという。

周囲の警備員らが叫び声に驚き、部屋に駆け付けると、女が腰にワニ3匹を巻き付けた状態だった。騒ぎが一通り収まると、周囲にいた人々は腰にワニを巻いた女に、思わず見とれてしまったらしい。

ワニはそれぞれ、体長約50センチほどの大きさで、かみつかないように口部分をひもで縛ってあった。

密輸入し、ガザの小さな動物園や個人向けに売りつけようとしていたと見られる。ガザではワニは高価で、1匹あたり500ドルほど(約5万000円)と、警官の収入の約2カ月分に相当する。

ワニはエジプト側へ戻された。

意外とめずらしい動物の密輸というのは結構あるらしく日本なんかもあまり自慢できることではないが密輸入国としてはいいお客さんらしい。ほかにも胸に猿をまきつけて密輸しようとした女がいたというし、まったくどうなっているのやら。

March 27, 2007, 現時間 11:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 26, 2007

露中もあきれるイランの無思慮な行動

今日のヘッドラインニュースはイランからの話題二つが目に付いた。

最初はロシアと中国がイランに国連安保理の条例に従えと促したという記事。ロシアにしても中国にしてもイランの無思慮な行動が英米によるイラン攻撃につながることを恐れているのだろう。なにしろ両国とも現イラン政権と特別な契約を結んでいるわけで、ロシアなど原子力発電所建設のために提供した原料だの労働だのの支払いをまだしてもらってない。ここで現政権に崩壊などされて借金がごわさんになってはたまったもんではない。

安保理の常任理事である両国からの促進は、イランが国連条例に含まれるIAEA査察を一部差しとめるという発表に答えるものだ。

これまで厳しい制裁を促していたイギリス、フランス、アメリカといった国の態度には乗り気でなかった中国やロシアまでがイランに国連に協力しろと言い出したとなると、国際社会のイラン外交はかなり大詰めを迎えているといえるのかもしれない。

そんな国際社会の空気を多少は察したのかイランは拉致したイギリス兵がイラン海域に入ったのが意図的なものか偶発的なものかを確かめるため、イギリス兵に拷問、、おっと「取り調べ」をおこなっているという。

しかし金曜日にはイギリス兵の14人の男性と1人の女性をスパイとして裁判にかけると強気なことをいっていたイランだが、月曜日になってかなりその姿勢を緩和させたということは言える。

イラン外務省次官のメフズィ・モスタファビ氏は緩和した態度で月曜日14人の男性と1人の女性は取り調べを受けている最中だと語った。

「水域侵入が意図的なものか偶発的なものかは(取り調べによって)明らかになるはずです。それがはっきりしてから必要な決断をしたいと思います。」とモスタファビ氏は語った。

イランは拘束されている米兵たちがどこで拘束されているのか、イギリス高官と話すことが許可されているのかどうか話すことを拒んだが、テヘランのイギリス大使、ジェフェリー・アダムス大使に彼等の健康状態は良好であると保証した。

ま、イラン人はイラクのテロリストなどと違って人質の目をくり抜いたり女性を冒涜するなどということはしないだろうが、それでも取り調べと言って殴るくらいのことはするだろう。イギリス側は外務省のマーガレット・べケット長官がトルコを訪れた月曜日、イギリス人員と器具が安全に返還されるまではイランに圧力をかけ続けると発表。一方ロンドンでもイラン大使が事件ご3回も呼び出され、人質の早急な返還を要求されている。

イギリスでは人質が西側とイランとの核兵器開発交渉の間に挟まってしまう可能性と、アメリカが拘束しているイラン軍人との交換に使われるのではないかという心配がされている。いまのところモスタファビは人質交換を求める気はないとしているが、イラン政権のなかではそういう話も出ているようだ。

イランは昔から西側との「交渉」に人質作戦や威嚇脅迫作戦をとってきた。1979年のアメリカ大使官占拠にはじまって、レバノンでのアメリカ兵とフランス兵の兵舎爆発事件、サウジのコーボル棟アメリカ兵舎爆破事件など、正々堂々と外交というものをやったことがない国だ。これに対して西側の対応が貧弱なものであったこともイランを強気にさせている原因だ。

となってくると、今後のイランの行動はここでイギリスがどう出るかにかかってくる。ブレア首相はそろそろ引退するとはいえ、イランには強気な態度で出て欲しいものだ。

March 26, 2007, 現時間 6:06 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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アメリカを毒するシャリア法

イスラム過激派による欧米攻撃は飛行機乗っ取り、列車や自動車爆破といった自爆テロなどという軍事攻撃だけではない。彼等による西側メディアや西側の寛容な人権保護法や移民法を悪用した民間レベルの攻撃も非常に周到に行われている。

すでに欧州ではその数を生かして、イスラム過激派はどんどんイスラム系市民への特権を手に入れているが、アメリカ国内でもその運動は非常に盛んだ。ここでも何度も紹介している空飛ぶイマームたちの訴訟などもその攻撃計画の一部である。そこで今回はアメリカ国内でイスラム過激派のプロ市民たちがどのようにシャリア法を設立しようとしているのかについて話してみたい。

まず、アメリカ下院議会で紹介されているイスラムテロリストを守る特権法の提案について紹介しよう。(Hat tip Gates of Vienna)

下院議員のジョン・コンヤース(民主)氏によって提案されているこの議案は、コーランへの冒涜禁止という題目ではあるが、このほかにも色々とこまかい規制が含まれている。例えば、空港でのイスラム教徒へのプロファイリング(テロリストの容貌にあてはまる人間を対象にした検査)の禁止、学校におけるイスラム祈祷の権利、ヘイトクライム(人種差別を動機とする犯罪)の定義拡大によりヘイトスピーチ(差別的な言論)との差をぼやかそうというものなどである。

このような法律が通れば、常識的な対テロ政策がイスラム教徒への差別だとして批判され、イスラム批判をすればヘイトクライムだヘイトスピーチだと言われて犯罪者扱いされかねない。自由社会の基盤となる国内警備や言論の自由や宗教の自由など完全におさらばである。

そしてこのような法律を後押ししているグループは、the American-Arab Anti-Discrimination Committee (ADC、アラブ系アメリカ人反人種差別委員会), the Arab American Institute (AAI、アラブ・アメリカ研究所), the Muslim Public Affairs Council (MPAC、モスレム公共協議会), the National Association of Muslim Lawyers (NAML、全国モスレム弁護士協会), and the Islamic Society of North American (ISNA、北アメリカイスラム協会)、そしてもちろんアメリカイスラム評議会(CAIR)やモスレムアメリカソサエティー(MAC)といった面々だ。

おそろしいのは、アメリカの司法省がこのようなイスラム系グループと国土安全保証対策について審議しているという点である。まるで強盗に家の戸締まりの仕方を相談しているようなものだ。Gates of Vienna(ゲイツオブビアナ、ウィーンの門の意味)の著者バーロン(Baron Bodissey)は、これはトロイの木馬だと表現している。

つまり、司法省の宗教差別対策がCAIR, ISNA, MAS (共産主義団体のANSWRと3月17日の反戦デモを共催した団体)そしてMPACといったグループの指導者たちによって先導されているのである。

以前から言っているように、これはアメリカ憲法の真ん中にトロイの馬が運ばれてきたようなものだ。これを阻止したいのであれば我々の声は聞かれなければならない...

もし今回眠ってすごしてしまったら、次回の議事はもっと通りやすくなってしまう、そしてその次、その次と続くだろう。

そしてある日気が付いた時には、イスラム宗教の自由を守る項目には、イスラム教徒の水泳プールは男女別々になり、学校の給食には豚肉を含まないメニューが保証され、イスラム系諸国での紛争にはアメリカ軍を出動させないなどの規制が含まれるようになるのだ。

つまり、アメリカはユーロアラビア(アラビアに侵されたヨーロッパ)のようになってしまうということだ!

空飛ぶイマームたちや、イスラム教徒らによるタクシー乗車拒否、豚肉販売拒否などで話題の多いミネソタ州でも、シャリア法設立の動きは活発である。これについてウォールストリートジャーナルの電子版、オピニオンジャーナルにおいてキャサリン・カーステン(Katherine Kersten)が書いている

いったい(ミネソタで)何がおきているのか?どうやらこれは地元の状況と大掛かりな動機をもつ政治活動家とが関わっているようである。タクシー運転手の例をとってみよう。ミネソタは何千何万という(アフリカの)ソマリアからの移民の里となっており、そのほとんどが最近の移民である。楽屋裏では穏健派ソマリア指導者たちと無防備な新移民を利用しようとする全国レベルのイスラム教政治組織との間で勢力争いが起きているのである。タクシー運転手の乗車拒否を拒絶するソマリア人らは、イスラム教はアルコールを飲むことは禁止しているがアルコールの輸送は禁止していないという。しかし2006年の6月、モスレムアメリカソサエティー(MAS) のミネソタ支部はイスラム教運転手に「罪に協力するのを」避けるためアルコール輸送禁止ファトワ(イスラムのお布れ)を発布した。

ファトワに調印した一人であるハサーン・モハムッドは、(タクシーの上に)二つのライトをつける案を全国の職場や住居などにおけるイスラム教徒への計らいのモデルとして奨励した。しかしセントポールにあるthe Somali Justice Advocacy Center(ソマリア正裁弁護センター)のオマー・ジャマルはMASは「ソマリア移民を過激化させ中東のアジェンダで乗っ取ろうとしている」と語る...

これらの出来事から察するに、ここにはもっと大掛かりな作戦がある。人権法におんぶしてイスラム系活動家たちは空港警備と過激な人種偏見を均等視し、ゆっくりと二つの法的機構を設立していこうというものである。威嚇はその重要な手段だ。「空飛ぶイマーム達」の訴訟に当局に通告した乗客を含むことでアンテ(ポーカーで新しい札を引く前に出す賭け金)は引き上げられた。プロ市民たちはメディアをあやつる手管も完璧化させている。ワシントンDCのレーガン国内線空港において、「祈祷デモ」をやった後、すっかりだまされたMSNBCのアンカーは空飛ぶイマームたちのパフォーマンスをロザ・パークの市民運動(1960年代の黒人解放運動発端となった女性)とを同等に比較した。

この比較は間違っている。空飛ぶイマーム達のリーダーであるオマー・シャーヒン(Omar Shahin)はテロリズムを支持して閉鎖された少なくとも二つの慈善事業のために募金活動をしていた人間だ。2000年から2003年にかけてシャーヒンは(アリゾナ州の)ツーサン市でイスラミックセンターを先導しており、このセンターはテロ専門家のリタ・キャッツ(Rita Katz )がワシントンポストにおいて「基本的にアメリカ国内における最初のアルカエダ支部」と説明しているような組織である。CAIRはテロリストとの関連が長年取りざたされている問題ある団体だが、シカゴトリビューン紙はMASはイスラム原理教のモスレムブラザーフッドのアメリカ支部だという。 彼等は「宗教と政治は離しては考えられない、政権はいずれはイスラム教になるべきだ」と唱えている。

モスレムブラザーフッドとはエジプト発生の過激派テロ軍団で、アルカエダのナンバー2となったアイマン・ザワヒリが席をおいていたグループ。イスラエルと和平交渉を結んだエジプトのサダト大統領を暗殺したのもこのグループの仕業だといわれている。

ではここでまとめてみよう。アメリカ国内ではテロリストと深いつながりのあるイスラム系過激団体が、アメリカの機構を悪用してアメリカで特権を得ようとしているのである。彼等はアメリカにイスラム教の法律であるシャリア法を設立し、イスラム教徒と他のアメリカ市民とは別々の法律のもとに裁かれるという社会をつくろうとしているのだ。

これはまさに、イスラム教徒を特権階級となり異教徒たちが下層階級の市民として扱われた7世紀の中東社会にアメリカ社会をかえていこうという陰謀である。アメリカや日本および諸外国の反ユダヤの陰謀切論者たちは、ユダヤ金融の陰謀などというありもしない陰謀に頭を悩ませる暇があったら、アメリカ及びヨーロッパ社会を蝕むイスラム過激派による本当の陰謀に目を向けるべきである。なぜなら欧米がイスラムの手中に嵌れば、東洋やアフリカもイスラムの陰謀の手を逃れることはできなからだ。


March 26, 2007, 現時間 12:59 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

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日付け → →March 25, 2007

英国兵15人を拘束したイランの意図は?

イランがイラクとイランの国境近いイラク側の水域で監視活動を行っていたイギリス海兵隊の隊員15人を拘束するという事件が起きた。

3月24日8時1分配信 産経新聞

 【ロンドン=蔭山実】BBCテレビなどによると、現場はイラクとイランの国境にあたるシャトルアラブ川のイラク側の水域で、兵士らはボート2隻で車の密輸船を検査していたという。AP通信はイラン革命防衛隊の海上部隊が英兵らを拘束したと伝えている。

 英国防省は「兵士らは何ら問題なく貨物船の検査を行っていたが、突然、イランの船に包囲され、イラン側の水域へと拉致された」と語った。兵士らは無事とみられ、兵士らをすみやかに解放するようイラン当局と交渉している。

 BBCがイラク南部のバスラに駐留している英軍の司令官の話として伝えたところでは、イランは武装勢力に強力な武器を与えているほか、イラク南部の住民に金を払って英兵への攻撃を仕掛けさせているという。

イラン側はイギリス兵たちがイランの水域を侵したとして水兵たちを拘束しているわけだが、無論、そんなことは単なる言いがかりだ。イランは多分、当初イギリス兵を人質にして国連のイラン経済制裁決議を阻止しようと企んだのだろう。だが、国連安保理は制裁決議を可決してしまったので、今度は英兵たちがスパイ行為をしていたと言い出したようだ。

多分イギリス兵らを拷問にかけて無理矢理「自白状」を書かせ、数人を処刑した後生き残った数人を使ってアメリカ軍が拘束しているイラン軍特別部隊クォッドの高官らと人質交換を言い出してくるつもりなのだろう。

交渉中の国の軍人を拉致してそれを使って人質交換、、、イランの手先がどっかで同じ手口を使ってひどい目にあった前例がつい最近あったような、、あれ〜? どこだったかなあ〜?

ハッキリ言ってイラン側の行為は戦闘行為ともみなせる。イギリスがその気になればイギリスによるイラン攻撃の口実は立派にできたことになる。イランのこの強行作戦はかえって裏目にでるのではないかな?


March 25, 2007, 現時間 11:43 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

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空飛ぶイマームから乗客を守ろうと穏健派イスラム教団体らが募金運動

ミネソタ州のミネアポリス空港で不振な挙動をしていた6人のイスラム教聖職者たちが飛行機への登場拒否をされたことで、航空会社を相手どって訴訟を起こした話しはこの間空飛ぶイマームの訴訟でした通り。

その時コメンターのhoneycatさんが、イマームたちはその場に居合わせて乗務員に挙動不審なイマームたちについて通告した乗客たちまで訴えているという話をしてくれたが、その乗客たちを訴訟から守ろうという動きがミネソタ地元の弁護士や穏健派のイスラム教徒たちの間で起きているという歓迎すべきニュースがある。

アリゾナ州にあるthe American Islamic Forum for Democracyというイスラム教徒の団体がそのひとつで、その代表者のジャシャール医師(Dr.Zuhdi Jasser)がラジオでビル・べネットにインタビューされている模様をパワーラインのリンクから聞くことができる。

トランスクリプトがないので、記憶からお伝えするしかないのだが、このグループはここでも何度か紹介したテロリストの看板団体CAIR(アメリカイスラム評議会)の陰謀によって訴えられそうな乗客や乗組員の弁護費を代償するため募金運動をすると買って出た。

ジャシャール医師はCAIRのようなグループは宗教団体などではなく政治的な野心まるだしの団体であり、イスラム教の教えに反した恥べく団体だと非難する。怪しげな行動をしている人間を通告するのは市民の義務であり、それを訴訟などを使ってイスラム教差別だのといって威嚇するやりかたは、イスラム系アメリカ人と一般アメリカ市民との溝を深めるだけでイスラム系市民への偏見を減らすことに何の役にも立たないという。「こんなやり方で溝を埋めることなどできません」と医師。また空の旅は「権利」ではなく「特権」であり、航空会社には乗客を守る義務が最優先されるべきなのだとも語る。

ジャシャール医師によれば、アメリカにすむ大多数のイスラム教徒は宗教家が政治的な指導者になるべきではないという考えであり、アメリカにイスラム教法のシャリアを広めようなどという野心は全くないと語る。ロバート・スペンサーのようにコーランにそう書かれているから宗教心の強いイスラム教徒ならシャリアを望むのは当たり前という考えには全く賛成できないという。コーランは7世紀の社会に適して書かれたものであり、現在の世の中で文字どおり通用するなどと考えるべきではないというのだ。

無論べネットはそれが本当ならなぜ多くのイスラム教徒がCAIRのような団体にイスラム教徒の代表のような顔をさせておくのかと質問する。

ジャシャール医師はイスラム系市民の間では宗教心というよりもそれ以前に部族主義の傾向が高く、それが多くのイスラム教徒を沈黙に追い込んでいるという。これらの沈黙の大多数を目覚めさせ、CAIRのような団体はイスラム系市民を代表しないということを今後も訴えていくことが大切だと語る。

カカシはジャシャール医師の見解に大賛成である。私はここで何度もロバート・スペンサーのコーラン解釈を紹介してきたが、その度にスペンサーの分析は大事な情報として把握する価値はあるものの、スペンサーのいう悪の元凶はイスラム教そのものという考えにはどうしても同意できないでいた。それというのも、我々非イスラム教徒がイスラム全体を敵にまわしてしまったら、それこそ第三次世界大戦は免れないし、その犠牲者たるや双方あわせても莫大な数になるだろう。終局的にイスラム教は滅びるかもしれないが、いったいその後の世界はどのような恐ろしいものになっているのかわからない。

私はコーランは7世紀に書かれたもので、その内容の多くは現代社会にはあてはまらないという考え方に非常に励まされた。大事なのはジャシャール医師のような人がもっと多くイスラム教徒の間から出て、穏健派イスラム教徒たちがCAIRや他の政治的なイスラム系団体に対して、彼等は我々イスラム教徒を代表しないと声を大にして訴えることだろう。

さて、イマーム及び彼等を背景であやつっているCAIRの理不尽な訴訟から被告となる乗客や乗組員を守ろうという動きはここ数日活発に起きている。

ミネソタの法律事務所Faegre&Benson LLPに所属するゲリー・ノルティング(Gerry Nolting)弁護士は被告の乗客を無料で弁護すると申し出た。士は法廷が「威嚇の目的で使われている」としそれは「完全に間違っている。このようなことは断固として阻止されるべきだ」と語った。

「公共方針としてFAA(連邦航空委員会)は乗客に本土警備計画の一旦として不振な挙動を通告するようにと要請している。」とノルティング氏。「(訴訟は)人種や民族などとは無関係であり、乗客を脅かすことによって、乗客が不振な挙動を通告するのを防ごうとするもので、安全な旅行を促進することを阻止するものだ。」とした。

また別のミネソタの弁護士、トム・マローン氏(Tom Malone)もこの訴訟は「非常にあからさまに人々を威嚇しようとするものだ」さらに「無理矢理に人々を黙らせようとしている」とし、無料の弁護を申し出ている。

もっとも裁判所はこのような訴訟は取り上げないのではないかという説もある。

「もし(乗客ら)らが常識の範囲内で行動し、常識的な態度をとっていたなら、損害の責任対象にはならない」とワシントンにあるShook Hardy & Bacon LLP法律事務所のパートナーでアメリカ訴訟法改正委員会(the American Tort Reform Association)の一般顧問でもあるビクター・シュワーツ弁護士は語る。

ノルティングやマローン弁護士を含む数人のミネソタの弁護士たちは、ミネソタ基盤の三人の弁護士が経営しているブログ、パワーラインなどを通して、他の弁護士たちにも無料で乗客らの弁護をするべく呼びかけている。

また、下院議会ではスティーブ・パース議員らが中心となってテロリストと戦うアメリカ市民を守る法律、H.R. 1640 (Protecting Americans Fighting Terrorism Act) が提案された。パース議員はその際下記のように語った。

アメリカの自由な機構が対テロの戦いにおいて我々に対抗して悪用されるというのは悲しいことであります。 私は初めてミネソタでイマームたちにより起こされた訴訟について聞いた時、これは明らかに、単に自分達の安全を守ろうとしたアメリカ市民に対する不正だと感じました。 これらの勇敢な市民は評価されるべきです。特に前例のテロ攻撃を示唆するような疑わしい挙動を通告するという行為ならなおさらです。

アメリカ人として我々は我々の生き方を妨害する人々の横暴を許してはなりません。我々はテロリストのシンパたちによってテロ行為を通告する前に人々が訴訟を恐れてテロ行為を通告するのを心配するようなことを許してはなりません。これが威嚇作戦であろうと大規模な攻撃であろうと、アメリカ人は自分達と同胞市民を守る義務があるのです。そこで私はアメリカ市民を守り、すべての市民がここアメリカにおいて対テロ戦争最前線において注意深く、発言力を持ち続けられるように、この法案を提案するものであります。

アメリカ人はテロリストの脅迫なんぞには怯まんぞ! というわけである。

March 25, 2007, 現時間 11:11 AM | コメント (4) | トラックバック (2)

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日付け → →March 24, 2007

人種差別男尊女卑まるだしの、とある左翼ブログへの返答

ちょっと船に乗ってネットアクセス不能な状態が一週間続いているうちに、我が「苺畑より」がどっかのブログにリンクされたらしく、やたらとヒット数が多い日があった。

紹介リンクをたぐっていったら、サイトに南米の共産主義極悪大量殺人革命家チェ・ゲバラの写真が載ってるバリバリの共産主義サイト。なんでこんなサイトが極右翼の我がブログをリンクしてるんだろうと不思議だったのだが、どうやらユダヤ人バッシングが目的だったらしい。この共産主義ブログのリンクしたわがブログのエントリーは「北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧」。それについてこの人間の感想を読めばこの著者がどういう種類の人間がよく分かるというものだ。

カナダの大学でイスラム教徒たちが団結して生徒会を乗っ取り、ユダヤ系サークルをいじめた、という事件だ...アメリカ在住の姉さんがブログしてます。それにしてもこの人、バリバリのネオコンだね。さすが高校出たばかりでアメリカまで逝っちゃうお姉さんは違いますな。こういうの、バナナと呼ぶわけだ。表面は黄色く見えても脳味噌は白人。むしろアジア系の容貌に物凄くコンプレックス持っているんで、過剰適応でバリバリのネオコンになる...

オンナってヤツは頭が空っぽなので、相手によってどうにでも思想が変わるわけだ。この馬鹿も、アラブ人の亭主とくっついたら明日から「パレスチナ万歳! ユダヤ人を殺せ!」とか言いはじめるんだろう。ちなみにこちらで顔を晒しています。キチガイって顔を出すのが好きだったりするよね。誰が、とは言いませんが。

まぁ、ユダヤ系の宗教サークルがいじめられるのなんざ身から出た錆なんでどうでもいいが...

この著者の文章から彼の反ユダヤ主義思想や男尊女卑の偏見がありありと伺われる。だがその話をする前に先ずは間違いから正しておこう。

私のエントリーを読んでもらえば解るが、ヒラルというユダヤ系宗教サークルは生徒会からいじめられたなどという生易しい扱いをされたのではない。彼等は生徒会から学校の正式なサークルとして閉め出され予算を完全に断ち切られただけでなく、ヒラル主催の講演会では観客が暴行を受けるなどのひどい目に合い、暴力的な手段で言論が弾圧されるというすさまじい迫害を受けたのである。

またカカシはネオコンではない。ネオコンというのはもともとリベラルから保守派系になった新しい保守派のことで、中絶問題や同性愛結婚などにはリベラルだが経済的に保守派という人が多い。私は社会的にも経済的にも保守派の旧保守ペリオコンである。もっともブログをやり出して気が付いたのは私は結構中庸派保守で移民問題などでは特にバリバリの右翼ではないらしいということだが。(苦笑)

ではこの左翼ブロガーの人種差別と男尊女卑に話をもどそう。

人種主義の恐ろしさ

まずこの人間がユダヤ系サークルの生徒たちがカナダの大学で「いじめ」の対象にあったのは自業自得だという考えに問題がある。もしコンコーディア大学のヒラルが大学の生徒会を閉め出されるような特定の悪事を働いたというであれば無論これは自業自得といえる。だがこの馬鹿サヨブログの著者がいう「自業自得」とはそういう意味ではない。彼はこのサークルの人間たちと同じ民族の他の人々がカナダではなく他の場所で他民族と紛争を起こしているということの責任がカナダにすむユダヤ人たちにも連帯責任があると言っていうのである。

イスラエルとパレスチナが紛争状態にあり、イスラエルがパレスチナを弾圧しているということが例え事実だったとしても(事実ではないが)、同じ民族の人間だからという理由でカナダにいるユダヤ系カナダ人がパレスチナ系カナダ人からどのような弾圧や暴力を受けても自業自得だという考え。これが人種主義でなくしてなんだろう? この馬鹿サヨブログの全体主義な考えと個人の宗教云々おかまいなしに血族だけを重視して弾圧し虐殺したナチスドイツの民族主義といったいどんな違いがあるというのだ? 個人責任ではなく団体責任を問うというのは、さすが全体主義を主張する共産主義者ならではである。

私はもし同じ大学でイスラム系サークルが大学の規則をやぶっていないのに、イスラム系だというだけで閉め出されたら、それに対しても抗議する。言論の自由とは自分が気に入らない人間のスピーチを尊重してこそ意義があるからだ。

左翼特有の偽善、男尊女卑

だいたい女の容貌でしか女を評価できないような腰抜け男なんぞ最低である。(しかもこんな美人をつかまえて劣等感があるとは失礼な! 笑)しかしそんなことより私が何よりもカチンときたことは、この馬鹿サヨ著者の『オンナってヤツは頭が空っぽなので、相手によってどうにでも思想が変わるわけだ。』という女性蔑視である。

男女平等をモットーとする共産主義者が、所詮女には自分独自の考えを持つなど不可能だと考えるというのも、左翼ならではの偽善だ。

この人間は私がアメリカに来て白人男性と結婚したので、白人文化にかぶれて日本人であることに劣等感まで持ち、夫のイスラエル支持に感化されて自分もイスラエル支持になったのだと思い込んでいる。女の私に自我がないと考えればそう思うのも自然だが、真実はその逆なのである。

私はアメリカに住んでアメリカ人と結婚したからバナナ(外身は日本人だが中身はアメリカ人という意味)になったのではない。カカシはもともとバナナだったからアメリカに移住したのであり、保守派でイスラエル支持だったからミスター苺とうまがあって結婚したのである。

アラブ人とつきあったら反ユダヤになる?

私が自分の周りにいる男性の影響で感化される人間ならイスラエル支持になるような要素は何もなかった。10代の頃まで私のイスラエルに関する知識はすべて父から聞いた一般的な話からくるもので、それは2000年前にエルサレムを去ったユダヤ民族が第二次世界大戦後舞い戻ってきて、その後その土地に住み着いたアラブ人をさしおいてイスラエル国を建国したのが紛争の原因だという内容だった。「アラブの真ん中にユダヤ人の国などつくるから紛争が絶えないのだよ。」というのが父の見解だった。

しかし私がはじめてイスラエルという国を意識しはじめたのは1976年のミュンヘンオリンピックにさかのぼる。この事件は去年あたりに公開されたオリバー・ストーンの「ミュンヘン」という映画を御覧になって知った方も多いと思う。これはパレスチナのテロリストがヤサ・アラファトの直接命令を受けドイツのミュンヘンでオリンピックに参加していたイスラエル選手の宿舎を襲撃、数人を虐殺し数人を人質にとり、ドイツ警察との撃ち合いで人質もろともテロリスト全員死亡した事件である。

この時オリンピック協会はオリンピックを一日も休止せず、テロリストの犠牲になったイスラエル選手らに対して黙祷を捧げることすらしなかった。当時中学生だった私は、オリンピック協会のイスラエル選手へのこの扱いには非常な憤りを覚えた。たかがユダヤ人如きが数人殺されたからなんだというのだ、という反ユダヤ差別意識がありありと見えたからである。

たとえ政権同士が争っていたとしても、だからといって罪のないオリンピック選手をテロ行為で虐殺していいという理屈は成り立たないはずだ。そう思った私は中東の歴史に興味を覚えた。そしてあのあたりの状況を注意をしてみればみるほど、イスラエルやユダヤ民族がアラブ諸国のみならず欧米などを含む世界中から不当に蔑視され差別されているという実感が湧いてきたのである。

カカシがアメリカに来たのはその3年後の1979年。この年はイラン宗教革命の年であり、イランがテヘランにあったアメリカ大使館を襲撃してアメリカ人大使および職員50余名を拉致した年である。(人質はその後444日間にわたって拘束された)また、アメリカはひどいオイルショックを迎えており、車のナンバーが奇数か偶数かでガソリンが買える日と買えない日があった。

この話は思い出してもおかしいのだが、カカシがアメリカで最初にちょっとつきあった男性はなんとイラク人!ラマダンの時に遊びにいってお昼にお茶も出なかったのを覚えている。(もっとも夜は彼のお兄さんのところで鳥の丸焼きを囲んで家族そろってお酒も飲んでないのにどんちゃん騒ぎをやったのも鮮明な思い出だが。)また彼の友達のイラク人はものすごいハンサムで当時キャメルというたばこの宣伝をしていたアラブ系モデルそっくりの男前で私はすっかり岡惚れしていた。

その次に知り合いになった男の子はイラン人。いまでも二人で肩を並べて撮った写真が残っている。私は先のイラク人男性にはあまり興味がなかったので年も近いイラン人の男の子とつきあいはじめたら先のイラク人とイラン人の間でかなり険悪なムードが生じた。その時私は初めてイラクとイランは違う国であり、ごっちゃにしたらどちらからも睨まれると知ったのである。

その後つきあったアメリカ人男性の妹はドイツのイスラム教徒街でベリーダンスを踊ってアルバイトしていたこともあるストロベリーブロンド、彼女からイランの音楽を色々聴かせてもらい、イラン系のクラブで彼女の踊りもみせてもらって、私はすっかりペルシャ音楽とペルシャ料理に惚れ込んでしまった。

当時私はあるユダヤ系の家族の家でホームステイをしていた。この一家は敬虔なユダヤ教徒であり、パスオーバーの儀式など本格的にやっていた。しかしこの家の夫人は非常に意地悪な人で、私を女中としてこき使い、気に入らない時には手をあげたし、挙げ句の果てに盗みを働いたとぬれぎぬを着せて、真夜中にスーツケースと私の持ち物を道に放り投げて私を追い出した。

私の出会った最初のイスラム教徒は親切だったし魅力的で愛嬌のあるひとたちだった。私の出会った最初のユダヤ人は意地悪で冷酷なひとたちだった。私の頭が空っぽで相手次第でどうにでも思想が変わるというのであれば、もうこのあたりでカカシはイスラム教に改宗し、反ユダヤ主義になっていてもよかったはずである。だがそうはならなかった。

私はその時すでにイスラム原理教には大きな問題点があると感じていた。私はホメイニのイスラム教宗教革命によってイランが発展した文明国から7世紀に逆戻りしていくのを目の当たりに見たし、イスラム教の厳格な教えがどれほど男尊女卑で人権を無視したものかを学んだ、その後も中東で西洋人がイスラム教テロリストらに拉致され拷問の末虐殺される事件がいくらも起きた。私にはどうしてもこのような行為をあからさまに支持しているパレスチナ人たちを応援し、イスラエルを嫌う気にはなれなかったのである。

また私が最初に出会ったユダヤ人家族の奥さんは冷酷で意地悪だったが、それをいうなら、彼女の例だけで「アメリカ人てなんて意地悪なんだ」と判断することもできたわけだ。だが私はほかに多くの親切なアメリカ人に出会いそれが本当ではないことを知っていた。だからたった一家族の例だけでユダヤ人全体を判断するなど愚の骨頂であると感じたのである。現に次にお世話になった家族もユダヤ系だったがとても親切な家族だった。

個人主義と団体主義

私は子供の頃から団体と個人とをごっちゃにするのが嫌いだった。だから「連帯責任」という概念が非常に嫌だった。中学の修学旅行の時、翌日の行動を自由行動にするか団体行動にするかという時に、先生方が「今晩全員がお行儀よくしていたら明日は自由行動にする」とおっしゃった。しかし一部の男子生徒が部屋のなかでどんちゃん騒ぎをやらかして、結局我々は自由行動をとれなかった。私個人に全く無関係な他の個人の行動に対して何故私が罰せられなければならないのか全く納得がいかなかった。

また私は全体の調和を保つために個人の好き嫌いは多少犠牲になるべきだという考えにもかなりの疑問をもっていた。なぜならどういうわけか犠牲になって我慢を強いられるのは常に私であり、私と合わせるためにほかのだれかが犠牲になってくれることなど先ずなかったからである。だいたい常に不幸な個人が集まって調和をとった団体にいったいどんな価値があるというか私にはどうしても理解できなかった。

今でこそ男女同権は当たり前のようになった日本だが、私が育った頃の日本はそうではなかった。女は結婚したら仕事をやめ専業主婦をやるのが当然という考えが普通だった。当時の日本の感覚では「独身女性とクリスマスケーキをかけてなんと解く?」その答えは「25を過ぎたらもらい手がない。」などという冗談が平気で言われる世の中だったのだ。つまり、性別や世代によって個人がどのような行動をとるべきかという社会的な規制が非常に厳しい世の中だったのである。男性はお医者さんになったり弁護士になったりエンジニアーになったりする選択の自由があるが、女性は女性だというだけで専業主婦の道しかないのか? なぜ女性には選択の自由がないのだ? 私は常にこの質問を自分に投げかけていた。

高卒とほぼ同時にアメリカに来たカカシは、個人の能力を優先するアメリカ社会でキャリアウーマンがバリバリ仕事をするのをみて「あ〜、これこそが本当の自由だ」と実感した。無論、アメリカも常にこういう社会だったわけではない。アメリカ自身も人種差別や男尊女卑を経て1960年代の市民運動などによって大きく変化した国だった。しかし当時の日本とアメリカとでは女性の活躍の面では雲泥の差があった。

女性でもキャリアを目指せる社会では女性だからという甘えは通用しない。これはある意味でかなり大変な責任だ。自由にはかならず責任がついてくる。自由はただではない。能力次第で成功することが可能な社会では失敗すれば能力がないと判断される。この国でキャリアを目指すなら女だろうと男だろうと実力なくしては勤まらない。つきあう男次第でどうにでも思想の変わる空っぽ頭では生きていけない厳しさがあるのだ。カカシが常に自分の仕事が肉体労働の面で女のやる仕事ではないと感じているのもこうした厳しさがある故だ。

ちなみにカカシとミスター苺が結婚したのは私のこうした人間形成がすでに出来た後のことで、二人が出会ってから丁度20年目の1999年のことである。それまで私たちは親友として政治的な討論をいくらでもしたが、我々の意見はあうことより異なることのほうが多かった。また私たちはそれまでお互いに別々な人たちとつきあいながら、失恋する度に「どうして世の中にはいい人がいないのかねえ」と相談しあったりもしていた。灯台下暗しとはまさにこのことをいうのだろう(笑)。

March 24, 2007, 現時間 7:12 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

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日付け → →March 23, 2007

おとぎの国につながる『テラビシアにかける橋』

出張中の週末、忙しい中時間が開いたので昨日はディズニーの映画、"Bridge to Terabithia"『テラビシアにかける橋』を観た。

ニューベリー賞受賞のファンタジー児童文学(邦題:テラビシアにかける橋)の映画化。学校にも、家族にすらもなじめない少年ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)は、転校生の女の子・レスリー(アナソフィア・ロブ)と友達になる。絵を描くのが得意なジェスと空想好きなレスリーは、森の中に "テラビシア" という世界を創造する。

ジェスは小学校6年生の男の子。ティーンエージャーでけんかばかりしている姉二人と、甘えん坊の一年生の妹、生まれたばかりの乳飲み子の妹と女ばかりに囲まれた5人兄弟の真ん中にいる。田舎の村にすむジェスの父親は金物屋を営んでいるが経営は苦しく裏庭にある温室で育てている野菜は家族にとって必要不可欠。家計のやりくりや赤ん坊の世話で忙しい母親には陸上の得意なジェスに新しい運動靴を買ってやれず、姉からのお下がりで女の子用のピンクの靴を履けという。

学校でもジェスは友達がいず、後ろからわざとぶつかってくるいじめっ子たちにも妹をいじめる8年生(アメリカでは小学校から高校まで年生を続ける。)の女の子にも対抗できない。

そんななか隣に超してきた転校生のレスリーと友達になる。作家の両親を持つレスリーは偶然みつけたツリーハウスの上でいろいろなことを想像する。想像の世界をまるで現実に起きているかのように言うレスリーにジェスは最初レスリーが何をやっているのかわからず困惑するが、だんだんとレスリーの導きで幻想の世界が自分にも見えるようになってくる。



terabithia

レスリーとジェス

映画は彼等が本当に幻想の世界に行ったのかどうか断言しない。目の前にある大木が巨人に見えたり、空を飛ぶ鷹が巨大な鳥となって攻撃してきたり、松ぼっくりが手りゅう弾になったり、モグラやリスが凶暴な獣に変身したり、観客にはそれが二人の単なる想像なのか現実なのか、二人には本当にそう見えるのかただそう振舞っているだけなのか解らない。

この映画を観たある友人はファンタジー映画だと思って観にいったのに、主役の子供たち二人はファンタジーの世界に実際に行くのではなくてただ想像しているだけでつまらなかったと言っていた。

あなたが私と同じように子供だったことがある人ならきっと覚えているはずだ。ブランコが飛行機になって世界旅行をしたり、木からぶら下がってるロープを使って密林の王者ターザンになったことや、塀の上からシュワッチと行って飛び下りて完全にウルトラマンの気分で空をとんだことや、怪獣に変身した隣のマー君をこてんぱんになぐってやったことが、あなたにもあったはず。私たちはその時幻想の世界へ行かなかったのだろうか? 私たちはあの時おとぎ話の橋を渡って向こう側の世界に存在していたのではないだろうか?

そんな経験のある人ならこの映画は大人でも十分に楽しめる映画である。私は常に想像力は人の心を豊かにすると考えている。人々に想像力があったからこそ文明は発達したのだと私は思う。自分がすんでるほら穴以外に別な世界があるはずだと想像できなかったら、我々はいまでも穴暮しをしていたことだろう。

おとぎ話は想像や幻想の世界かもしれない。だがその世界を一度もかいま見ることのできなかった人は不幸だと思う。ジェスはレスリーによってその橋を渡ることができた。あなたもジェスとレスリーと一緒にこの橋を渡ってみませんか? おとぎの国、テラビシアにかける橋を。

March 23, 2007, 現時間 10:28 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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『モハメッドに関する真実』 その3

本日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』感想文最終回。

原点に戻った聖戦主義たち

この間私はヨーロッパの暗黒時代に関するドキュメンタリーを観たばかりだが、当時のイスラム圏の文化はヨーロッパがローマ時代の文化を失い後退したのと反対に、文明社会を満喫していた。それがルネッサンスを迎えたヨーロッパに完全に追い越され、以来全く発展せずに中世のまま留まってしまった。以前に読んだバーナード・ルイス博士のWhat Went Wrong? という本にも書いてあったが、イスラム教徒は何か悪いことが起きると、「どこで我々は道を踏み外したのだろうか?」と自問いするという。それは決して悪いことではない。なんでもかんでも他人のせいにするよりはいい。だが、その結論が常に「イスラム教の教えを忘れたからだ」となってしまうという。だから苦境から脱するためには「イスラムの原点に戻ること」となってしまうのである。

中世にあれだけ発展していたイスラム社会の多くが7世紀に逆戻りしてしまったのは、モハメッド時代の原点に戻ろうという原理主義のせいなのである。そしてモハメッドの生き方を地で行ってるのが聖戦主義者たちなのだ。

異教徒を暴力で改宗させる、相手がそれを拒めば追放する、もしくは首を切る。女性の価値は男性の半分であり、性犯罪の罪を証明するには男性四人の証言が必要だなど、すべてコーランに書いてあるのだ。

スペンサーにいわせると、タリバンなどはイスラム教の過激派でもなければイスラムを間違って解釈したのでもなく、タリバンのような聖戦主義者たちこそがイスラムの代表なのだ。だから西側の人々はイスラム教を「平和な宗教」などといって美化してはならない。その本質を理解しその危険性に対抗しなければないのだ。

イスラムとの共存は可能なのか?

私はイスラエルとパレスチナの紛争をみていて、彼等が平和共存することは不可能だといつも感じる。そしてその原因は一重にパレスチナ側にあると考える。これは決して私がイスラエル贔屓だから言うのではない。ユダヤ教には異教徒を暴力でユダヤ教に改宗させなければならないなどという教えはない。それどころか、ユダヤ教は父親がユダヤ人でも母親がユダヤ人でなければユダヤ人として認めないとか、かなり排他主義的なところがあり、はっきり言ってユダヤ人は宣教とか布教ということに興味があるとは思えない。

だがパレスチナの原理主義者たちは異教徒、しかも宿敵(mortal enemyは宿敵でいいのかな?)であるユダヤ教国家が聖地エルサレムに在するなどもってのほかだ。イスラムをモハメッド時代にさかのぼって解釈したならば絶対に許せることではない。

ではイスラムと西洋社会は共存できないのだろうか? 私はそうは思わない。

私はスペンサーの引用したコーランのなかでも、文字どおりの解釈をせず現代風のスピンを加えた解釈がいくらでもできると感じた。もしイスラム教徒のなかにコーランの新しい解釈をするだけの勇気のある人がいるなら、イスラムが7世紀の原始的な社会から文明社会へと参加することが可能だと私は考える。

だが、そのためにはイスラム教徒自身がその道を選ばなければならない。彼等のなかで命の危険を覚悟でコーランの現代風解釈をイスラム社会に広めなければならない。

西側諸国はスペンサーの警告に耳を傾けるべきである。これを無視することは致命的な間違いをおかすことになる。イスラム原理教の脅威は真実である。だが、もし我々現代人がイスラム対文明社会という悲惨な最終戦争を望まないのであれば、我々は穏健派イスラム教徒に訴えなければならない。

イスラム教は平和な宗教だ! イスラム教の教えは暴力での征服を求めない! イスラム教は異教徒を寛容に受け入れる! と、、

十字軍やスペイン宗教裁判などで象徴される不寛容で残虐だったキリスト教が生まれ変わったように、イスラム教も生まれ変わることができるはずだ。ただ、キリスト教がかかったような何百年という時間を待つような余裕はイスラム教にも西側にもない。

世界が宗教戦争で滅びないうちにイスラム教が生まれ変わってくれることを神に祈ろう。

March 23, 2007, 現時間 12:33 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

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日付け → →March 21, 2007

『モハメッドに関する真実』 その2

引き続き今日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』をご紹介しよう。

都合のいいお告げ

モハメッドは一生の間何度も天使ガブリエルからお告げを受ける。しかしモハメッドのお告げは非常にご都合主義なのだ。これも聖書に出てくるユダヤヤ・キリスト教徒らが神から受けるお告げとかなりの違いがある。

例えばモーゼは神から十戒をさずかり、それを広めることを命ぜられる。キリストは神から人々の罪をしょって自分の命を犠牲にするよう命じられる。どちらも神から試練を与えられた。彼等の個人の意志や願望とは裏腹なものである。

だがモハメッドが受けるお告げは非常に自分勝手なご都合主義のものが多い。例えば自分の養子の先妻を気に入って結婚したいと思うと、都合良く神のお告げを受け、普通はスキャンダルな結婚がなぜかモハメッドだけには許されたりするし、和平交渉を結んだ敵との条約を破って攻め入るときも、イスラムが勝つためには異教徒との約束ごとは無効になるというお告げを受けたりする。

どうりでパレスチナがイスラエルとの停戦条約を守らないわけである。コーランにちゃんとそう書いてあるのだから。

特権階級としてのイスラム

スペンサーによると、イスラムには世界中の誰にもあてはまる普遍の法則というものはない。イスラム教徒は特別なのであり、異教徒と同じ法律に従う必要はないという考えなのだ。ここがユダヤ教などとは全く異なる点だろう。

例えばユダヤ教は公平な裁きを要求する。法律は誰にも同じように当てはめられなければならないという考えだから、王様でも乞食でも同じ法で裁かれるべきであり、神様でさえ自分の作った法をやぶるべきではないと考える。

腐敗したソドムとゴモラを滅ぼそうという神の意志に対して、アブラハムは「いくらなんでも一人も善人がいないってこたあないでしょう。大半の人口が悪いからって罪のない善人まで一緒に滅ぼしてもいいんですかい? ひとりでも善人がいたらどうするんです?」と神と交渉する。古(いにしえ)の時代でもやっぱ弁護士はユダヤ人に頼むべきだという証拠である。(笑)ユダヤ人が世界中で嫌われるのはこういうふう誰に対しても公正な裁きを要求するからだという説もある。

しかしイスラム教はそうではない。よく中世のイスラム社会は他宗教に寛大な時代だったという人がいる。確かに異教徒への迫害がひどかったヨーロッパに比べれば当時のアラブ諸国は比較的寛大だったといえなくもない。だが、それも異教徒が異教徒として下層階級である地位に甘んじる限りはという意味である。

モハメッドは自分が侵略した土地に住む人間が多神教徒であれば容赦なく虐殺した。異教徒がユダヤ・キリスト教徒であった場合は三つの選択をあたえた。1)イスラムに改宗する。2)出ていく。3)その場でイスラムの奴隷となる。

イスラム圏に住む異教徒達はそれぞれ宗教によって階級を与えられそれに見合った税金を収めさせられた。イスラム教徒は税金を払わないため、イスラム社会の経済は異教徒からの税金で成り立っていた。現代のサウジアラビアで働くのは外国人ばかりという状態と酷似している。経済上の理由から後には多神教の人間も受け入れたようだ。

これらの異教徒はディミーと呼ばれ、自分らの奴隷的な立場を受け入れさえすれば、一応平穏に暮らすことが出来た。とは言えそれもモハメッドの気分次第でいつ何時どうなるかわからない。異教徒にはイスラム教徒による暴挙に対して全く抵抗する手段がなかったからである。イスラム教のいう寛容とはこういうことなのだ。

March 21, 2007, 現時間 11:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 20, 2007

『モハメッドに関する真実』 その1

今週から一週間、例によってネットアクセス不可能な状態になるため今週は先日読み終わったロバート・スペンサー著の、the Truth about Muhammad(モハメッドに関する真実)という本についてちょっとお話したいと思う。

新しい宗教

モハメッドはご存じの通りイスラム教の創設者だが、イスラム教はその原点となったユダヤ教やキリスト教よりもずっと新しい宗教で、創設はなんと7世紀。モハメッドは自分こそが旧約聖書で約束された救世主なのだと信じてイスラム教を布教した。

しかし、キリスト教徒もユダヤ教徒もモハメッドを救世主とは認めなかった。キリスト教徒はイエス・キリストという立派な救世主が存在するし、ユダヤ教徒はユダヤの教えをきちんと学んでいないモハメッドが救世主などであるはずがないと判断したからだ。

モハメッドは最初キリスト教徒やユダヤ教徒に対して「本を信じる人々」といって敬意を表していた。だが、彼等に拒絶されると敬意が憎悪へと変ぼうするのである。特にユダヤ教の教えに関して知識の浅いモハメッドはユダヤ教のお坊さんであるラーバイ達に笑いものにされたのを根に持ちユダヤ教への憎悪はいっそう激しいものとなった。

よく、中東問題はイスラエル建国から始まるようなことをいう人がいるが、この本を読んでいると、イスラム教によるユダヤ教徒迫害は何も今に始まったことではないということがわかる。それどころか、イスラム教のユダヤ憎悪はモハメッド自身からはじまるのである。

だから例え本日イスラエルという国がなくなって、イスラエルに住むユダヤ人がすべて別な場所に移動したとしても、イスラム過激派によるユダヤ迫害は世界中に住むすべてのイスラエル人が皆死ぬかイスラム教に屈服するまで終わることはないのだ。

宣教師としてのモハメッド

モハメッドは自分が救世主であるということを天使ガブリエルからのお告げで知るとあるのだが、自分の妻や従兄弟以外にはイスラム教に改宗させることがなかなかできない。近所のユダヤ教徒を説得しようとしても反対に馬鹿にされるし、多神教を信じる人たちからも相手にされない。そこでモハメッドはだんだんと腹を立て強制的な宣教に挑む。

モハメッドがキリストと違うのはその宣教の仕方が非常に乱暴なことにある。キリストは神の教えを唱えることで周りの人々から自然と信頼をうけ信者が増えていった。キリスト自身は自分がユダヤの王だなどと自負していなかった。人々から受けるあまりの期待に埋もれそうになったりする。キリスト教の名の下に後にいろいろな暴力が振るわれたとはいえ、キリスト本人が暴力的なひとだったと語るひとは誰もいない。右の頬を殴られたら左の頬をだせというほどの平和主義の人だったことは疑いの余地はない。

それにひきかえモハメッドの宣教の仕方はお世辞にも平和的とはいえないのである。モハメッドは自分の信者たちを武装して近所にいる多神教の信者たちに攻撃を仕掛ける。そしてイスラム教に改宗しろ、さもなくば追放か皆殺しにしてやる、と迫るのである。

モハメッドが戦士であったことは有名だが、モハメッドは最初から豪族の親玉だったのではなく、イスラムを平和的なやり方では広めることができなかったため、武力による布教をするための蜂起だったのである。

ロバート・スペンサーは現在の聖戦主義者はまさにモハメッドの武力による布教を地でいく人々なのだという。イスラム教に改宗するか屈服するしろ、さもなくば首をちょん切る。スペンサーのテーマはテロリストはイスラム教を乗っ取ったのではなく、聖戦主義者こそがモハメッドの教えを忠実に守っている人々なのだと言うのである。


March 20, 2007, 現時間 7:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 18, 2007

北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧

今日は2002年にカナダのモントリオールにあるコンコーディア大学の生徒会が過激派イスラム教徒にのっとられた一年間を記録した記録映画、マーティン・ヒメル製作の"Confrontation at Concordia" by Martin Himel(コンコーディアの対立)を紹介したい。

映像はパワーラインのリンクをつたって4部にわけて観ることができる。

2002年、イラク戦争前夜のコンコーディア大学ではどこの大学でもそうであるように、大学の生徒会に関する一般市民の関心は薄かった。それを利用したイスラム過激派の生徒たちが生徒会に立候補。イスラム系生徒を動員して生徒会の委員をすべてイスラム教徒で乗っ取ってしまった。

多数議席を取ったイスラム生徒会が最初にやったのは、キャンパス内にあるユダヤ教サークル、ヒラルを生徒会から追放することだった。大学のサークルとして公式に認められないサークルは学校からの資金援助が全くもれなくなり、大学祭などの参加にも支障を来す。ヒラルとは全世界に存在するユダヤ教のグループで、ヒラルを追放したことのあるのはナチスドイツ政権下のドイツ以来だということだ。

同年、ヒラルは元イスラエルのネッテン・ヤフを演説の客賓として招くが、過激派イスラム教生徒たちが現れメガホンなどを使って演説を妨害。警備に当たった警察の数は全く足りずにデモ隊に完全に圧倒されてしまう。演説を聞きにきたある男性はヒジャブをつけた男に押し倒され、転んだ際に股間を蹴られたと証言。「まるで私が逃れたオーストリアでナチスの暴徒に接しているようだった。こんなことが再び起きるとは思ってもみなかった」とその恐怖と怒りをあらわにした。

暴徒らは会場にあつまってきた生徒や市民に暴力を古い、会場の窓ガラスを割、会場にはいりこんでエレベーターを占拠。(ベルリン市内のユダヤ系商店の窓ガラスを割るナチス暴徒の映像と重なって無気味だ。)先に会場内にはいっていた他の生徒たちを缶詰にした。ネッテン・ヤフ首相の身柄をあんずるという理由で学校側は演説を中止。演説をききにきた生徒たちの間で抗議の声があがる。なぜ我々は暴徒に屈するのか、ヤマカをかぶったユダヤ系生徒にたいし、主催側の生徒は「我々は彼等とはちがう、我々までいきりたっていては話にならない」と必死になだめていた。

演説が中止になったときいて外で騒いでいたイスラム教暴徒たちは大喜び。イスラエルの旗を持っていたユダヤ系生徒から旗を奪い取り引き裂いて足げにして猿のように飛び回って喜んでいた。

1960年代の学生運動がおきてから、北米の大学の多くが左翼運動家に乗っ取られてしまった。普通大学こそが多様の考えを自由に交換できる場所であるべきだが、実際にはそうではない。アメリカで保守派として愛国主義や親軍隊の思想を持っていたら左翼生徒だけでなく、左翼の教授らからも目の敵にされるのは必定だ。社会学や政治科学などの時間で保守派生徒は自分らの考えを述べようものなら赤点をとるだけでなく、クラスから追放されかねない。

また、保守派のサークルなどが保守派のスピーカーを招いて演説など主催しようものなら、左翼生徒たちがメガホンやラッパなどを使って会場を取り囲むだけでなく、暴力を使って演説を阻止するなど普通である。左翼主義の学校側もこのような左翼生徒の暴挙を見て見ぬ振りをするなどしょっちゅうだ。アメリカの大学でリクルートをしていた軍人たちが生徒に暴力を振るわれた例などざらにある。

コンコーディア大学ではイスラム系の生徒たちがこのやり方でユダヤ系生徒の運動を何かと妨害した。ヒラルのメンバーが校舎内で机を出してパンフレットを配ったりほかの生徒と話をしていると、パレスチナ人特有のスカーフを巻いた生徒たちがやってきて大声をはりあげ嫌がらせをする。ヒラルが主催するパーティや勉強会の会場前では常に徒党を組んで、参加者に口頭や時には暴力で参加の邪魔をする。

イスラム生徒達は英語圏では人々が敏感に反応する言葉使いに堪能だ。例えばヒラルのメンバーがイスラエルの歴史についての勉強会を開くといえば、「人種差別をやめさせよう!」といって騒ぐ。彼等のいう「人種差別」というのは「シオニズム」のことだ。彼等は「人種差別」「アパルタイト」と言った言葉を連発してユダヤ人を攻撃する。

ここで私がユダヤ人というのは文字どおり、ユダヤ人の血を受け継いでいるひとたちのことをさし、ユダヤ教徒やイスラエル国民に限定しない。イスラム生徒たちは自分らはイスラエルの暴挙に抗議しているだけであって、ユダヤ人そのものに敵意を持っているのではないと主張する。「仲間のなかにはユダヤ人の彼女を持ってるやつもいるし。」と薄ら笑いを浮かべる生徒会の男は無気味だ。そしてこれが真っ赤な嘘であることくらい誰の目にも明らかである。

コンコーディアのイスラム生徒たちはほとんどがパレスチナ系アラブ人だが、彼等の目的はパレスチナの独立だのイスラエルとの平和共存などではない。最終的な目的はユダヤ民族撲滅であり、イスラエル撲滅はその第一歩にすぎない。ユダヤ民族を海に葬ることさえできればパレスチナなどどうなってもいいのである。

イスラム系生徒たちの反ユダヤ人運動はナチスドイツのやったこととそっくりそのままである。最初にユダヤ人の陰謀というプロパガンダを流し、ユダヤ人の行動をなにからなにまで規制しはじめる。ユダヤ人には物を言わせない。ユダヤ人に味方する人々を暴力で脅迫するなどなど。

以前にも私はISMと呼ばれるパレスチナテロリストの外人部隊の話をしたことがある。彼等は欧米の大学のサークルなどを利用して、感化されやすい大学生を勧誘しパレスチナで反イスラエル運動をやらせるというあくどいテロ軍団である。しかしこのようなテログループが欧米の大学で自由に行動できるという事実に問題がある。

私はこの映画をみていて、ホロコーストはこうやって始まったのだと実感した。当時のドイツ人たちは、ユダヤ人が弾圧されるのを見て、自分には関係ないと考えたかもしれない。また多くのユダヤ人たちも、目立たないようにしていればいずれこの危機も去る、やたらに抵抗などしないほうがいいと思ったかもしれない。

だが、我々はその結果がどのような悲劇を招いたかを知っている。ユダヤ人がナチスドイツから学んだことは「二度とご免だ」ということだ。当時ドイツやオーストラリアにいたユダヤ人はそれでも逃げる場所があったが、いま北米に住むユダヤ人たちは逃げることはできない。いや、逃げるべきではない。このような反ユダヤ運動は発芽のうちに摘んでおくべきだ。イスラム教だろうがなんだろうが、自分らの考え以外の存在を許さない思想を我々は容認してはいけない。

イスラム生徒たちが反イスラエル思想をキャンパスですすめたいなら自由にやるべきだ。だが、ユダヤ生徒や他の意見を持つ生徒の言論や行動を迫害する態度は厳しく罰せられるべきだ。誰の主催する講演会であれ暴力で阻止しようとする生徒たちは機動隊を導入して暴力で阻止し、警察官および市民や生徒に暴力を振るった生徒は逮捕されるべきだ。

コンコーディア大学で一年間を描いたこの映画は希望の持てる終わり方をしている。

ヒラルの生徒たちの抵抗のおかげで、コンコーディア大学側もやっとイスラム過激派生徒による生徒会乗っ取りがかもし出した深刻な問題に対処しはじめた。まず生徒会は学校の予算を悪用している疑いがかかり、調査の対象になった。生徒会がパレスチナ運動のみに執着して肝心な学校の生徒会運動をおざなりにしていることで生徒の間でも不満がつのった。2003年の生徒会選挙では生徒全体を代表する生徒会にしようという新しい動きが生まれ、2000票対1000票という圧倒的勝利を得た。

一年間にわたるイスラム生徒独裁政権は終わったのである。

March 18, 2007, 現時間 12:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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反戦運動に対抗、愛国者鷹たちの反撃!

アップデートとバンプ

アメリカ時間で3月17日の土曜日正午、ワシントンDCにおいて共産主義看板団体ANSWER主催の反戦(反米)デモ行進が行われた。この催しは数週間前からインターネットで参加者を募っていたが、元軍人らを中心とした愛国者たちが率先してこの反米交信に対抗するGathering of Eagles(鷹たちの集会)というデモ行進を主催し、こちらもインターネットを使って愛国心のある市民の参加を募った。

アメリカも世界のメディアも左翼反米派の行進は大きく取り上げるだろうが、それに対抗している愛国者たちの運動は取り上げないだろう。しかしそこがインターネットのありがたいところだ。主流メディアが無視するニュースを読者に届けることができる。

行進に参加したミッシェル・モルキンが行進の模様を写真付きで報告しているので、是非みなさんにも御覧いただきたい。東海岸はここ数日ものすごい寒波に見回れ、飛行ダイヤもかなり狂ったので集まるのは大変だったと思うが、ミッシェルの話ではカリフォルニアからわざわざ飛んできた主婦や、アラバマからバイクを飛ばしてやってきたバイカーたちなど、何千という人々が集まったという。



rally

星条旗がめだつ愛国者たち側

愛国者たちが「USA, USA」と叫ぶなか、反戦派の象徴となったシンディー・シーハン(息子をイラクで戦死して亡くしたことを最大限自分の政治運動に利用している女性)が汚らしい言葉でアメリカを罵る。ミッシェルが特に印象に残ったのはたくさんの星条旗に囲まれた愛国者に反して反米派たちが「イラク即刻撤退」と書かれた黄色い帯に身をつつんでいたことだという。「黄色とは似つかわしいや」とある元軍人。黄色はアメリカでは臆病者の色だからである。偶然とはいえぴったりだ。

CSPANというケーブルテレビがデモ行進の模様を生中継したが、CDR salamannder(サラマンダー司令官の意味)がそのテレビ中継を報告している。彼によるとイーグルたちの行進は全く報道されていないということだ。しかし映像で見る限り、反戦派の群衆はそれほど多くないようだ。これまでのANSWER主催の反戦行進では三万人程度の人出が普通だったが、地球温暖化の影響か今年の冬はものすごく寒いので気候が協力してくれないとデモの参加者は文句をいっていたらしい。

アップデート1):

行進から帰ってきたブロガー達からの報告がたくさんはいっているので、ちょっと紹介。
マリーキャサリン・ハムが戦争支持ラリーの演説者たちを映したビデオを公開している。反戦ラリーの演説とちがってみんな非常に英気のつくような元気なものが多い。反米派の演説は憎しみに満ちているが。

アップデート2):

Flopping Acesでは右翼の過激派のサインも掲載されている。「ペロシはアルカエダの味方」だ、とか「地獄へ堕ちろ裏切り者」なんてのもある。ちょっと問題だな。(笑)しかしエースの写真や記事から判断するに愛国者側と反米側とでは人数は同じくらい集まったらしい。これだけ戦争支持の人間が集まってるのにメディアは反戦派の方しか報道しない。

アップデート3):

主流メディアは反戦運動に対抗して現れた戦争支持者たちのことは報道しないだろうと思っていたら、APワシントンポストも報道したのには驚いた。反戦派の数は1万から2万。警察当局は公式発表をしないのでよく分からないようだがあまりにも寒い気候が災いして反戦派の参加者数は期待よりずっと少なかった。しかしそれとは裏腹に数百人集まればいいと思っていた戦争支持者の数は予想を遥かに上回り、反戦派ほどではなかったとはいえ、かなりの数が集まったようだ。おかげで主流メディアもこれまでのように無視することが出来なかったのだろう。

しかしさすがに偏向メディアだけあって、戦争支持者達をこき下ろすことを忘れない。

昨日(17日)の熱気のほとんどは何千という対抗議者(戦争支持者)から供給された。多くは元軍人で国中からベトナム慰霊碑の周りに集まれとよびかけられた。一部の人たちはインターネットにおいて、慰霊碑の壁が傷つけられる恐れがあるという訴えをきいてきたという。しかしそのような行為は報告されていない。(カカシ注:去年の反戦マーチで慰霊碑に落書きされたことがあったため元軍人たちが守っていたからだ。)...

一部の対抗議者たちは(反戦派の)行進者たちに裏切りものなどと罵倒やヤジをとばした。反戦派も答えて怒りの言葉を反復し途中警察が口げんかがエスカレートしないよう仲裁にはいることもあった...

一時、行進が始まる前に対デモ行進者たち(戦争支持者)はアスファルトのコンスティトゥーションの歩道の両脇にならび、集合場所にいくため通り過ぎる(反戦派の)行進者たちに罵倒を浴びせた。ひとりの車いすのベトナム帰還兵は子供を含んだ行進者たちに汚い侮蔑語をあびせた。

戦争支持者の一部は行儀良く反戦派とジャブをかわしていた。しかし他には行進者たちがベトナム慰霊碑の壁に近付くのを阻止するひとたちもいた。特に看板を持っている人に対して。ワシントンDC住まいのエリック・アンダーソンさん47歳は、うでからサインをもぎ取られ泥のなかに捨てられたという。(カカシ注:軍人の慰霊碑に反軍隊の看板を持って近付けると考えるほうが甘い。慰霊碑の前にはベトナム帰還兵が慰霊碑を守る目的であつまっていたのだから。)

この報道だとあたかも戦争支持者が反戦派が行儀悪く嫌がらせをしたような印象を受けるが、実は機動隊ともみ合いになったのは反戦派の若者たちである。かれらはスプレーペイントや爆竹などで武装して機動隊のバリケードをやぶって慰霊碑に近付こうとしたが阻止され、数人が逮捕された。いったいスプレーペイントで何をする気だったのだろうね?

APのほうでも同じような報道だが、やはり対反戦運動派による嫌がらせがわざわざ記されている。

しかし反戦派行進者のノースカロライナのボンヌから来たスザーン・シャインさんは対抗行進者たちに囲まれてしまい、引き裂かれたサインをもちながら涙ながらに逃げ出してきた。「私の平和のサインを引きやぶってしまいました。」と、警察が夫と二人の大人の娘たちを対抗者のグループからエスコートした後で語った。「とってもこわかったです。」

これまでは、こうした反戦マーチなどに戦争支持者や元軍人などが現れて戦争支持を唱えたりサインをもって歩いたりしたら、それこそリンチにかけられそうな目にあうのが普通だった。たまには自分達のやっていることをやり返されるのもいい薬になるというものだ。デモ行進はなにも左翼連中だけの専売特許ではないのだということを思い知るがいい。

March 18, 2007, 現時間 12:19 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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日付け → →March 16, 2007

イランの核開発危機! ロシアに支払い滞納で、、

ついに国連はイランの核開発に対して加制裁措置を盛り込んだ決議案をとおすことになったようだ。

3月15日11時45分配信 毎日新聞

 【ニューヨーク坂東賢治】イランの核開発問題で安保理常任理事国(米英仏中露)とドイツの国連大使は14日、武器輸出全面禁止などイランに対する追加制裁措置を盛り込んだ安保理決議案について大筋で合意した。15日にも安保理の非公式協議で非常任理事国10カ国に決議案を示す。順調に進めば、来週の安保理で採択される見通しだ。
 安保理筋によると、6カ国が合意した決議案では、イランから小型武器を含む、あらゆる武器の輸出を禁止することが盛り込まれたほか、戦車や戦闘機などの大型武器の輸入についても監視を進めることを明記。核やミサイルの開発に関連し、金融資産凍結の対象となる個人や企業のリストを大幅に拡大した。
 制裁リスト対象者の海外渡航は禁止していないが、対象者が渡航した場合に制裁委員会に通知するよう加盟国に求めた。また人道・開発目的のものを除き、イランに対する新たな信用保証・融資を自粛するよう呼びかけているが、欧米が求めた義務付けは見送った。さらに、60日の期限で国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長にイランの核活動に関する安保理への報告を求め、イランにそれまでの核活動停止を求めている。

これに対してイランのアハマディネジャド大統領は経済制裁など怖くないと息巻いている。

テヘラン 16日 ロイター] イランのアハマディネジャド大統領は16日、集会で演説し、同国は核燃料サイクルをあきらめさせようとする国際圧力には屈しないと述べた。国連安全保障理事会の常任理事国にドイツを加えた主要6カ国は15日、ウラン濃縮活動を続けるイランへの追加制裁決議案について正式に合意している。(ロイター)

しかしアハマディネジャドが何と言おうと、これはイランにとっては相当の痛手のはずである。なにしろイランは今の状態でもロシアから購入した核兵器開発技術への支払いが滞ってロシアからのサービスが一時停止されているという状態に陥っているのだから。

モスクワ発(AFP、3月13日)によると、なんとイランはBushehr原子力発電所建設で、ロシアへの支払いが遅れており、これ以上滞納が続くとロシアがわとしても「後戻りできない深刻な結果」になると警告されていることがわかった。

「イラン側からの決断をいつまでも待っているわけには行きません。」とロシアの契約しているAtomstroiexport社の重役ブラディミア・パブロフ(Vladimir Pavlov)氏は語る。「支払い再開がこれ以上遅れると、後戻りできない深刻な結果を生みます。」

パブロフ氏はしかし、テヘランとAtomstroiexport社との間で行われた交渉ではイラン高官らが「割合建設的」だったとロシア国営新聞RIA Novosti紙は報告している...

月曜日、Atomstroiexport社はほぼ完成しつつある施設に必要な核燃料の配達は二か月くらい遅れるだろうと発表した。

ロシアがサービスを提供しているのは無論原子力発電所建設などではなく、核兵器施設に間違いない。イランの経済事情がかなり深刻な状態であるということは以前にもお話した。イランは原油があるということで、他の産業を全く無視してきた。ところが核兵器開発に夢中になりすぎて肝心な原油生産の施設をおざなりにしてきたため、古くなった施設は効果的な産出ができず、イランの原油産出量は近年大幅に減っている。しかもイランは自国で算出した原油を精製する技術を持たないため、原油を輸出して石油を輸入するというばかばかしいことをずっとやってきた。おかげで原油産出国でありながら国内ではガソリンが不足するという不思議な現象が起きている。

そして皮肉なことに、核兵器開発でおざなりにした原油産出業での収入が減り、核兵器開発に必要なお金がたりなくなる、という結果を生んでいる。(苦笑)イランは無論ロシアの態度にカンカン。ロシアの核遅延に怒るイランというイギリス国営局BBCの記事ではイランはロシアに支払い停滞などしていない、ロシアの態度は「悲しむべき」だとし経済状態に問題があるのはロシアのほうだと反論。

しかしここで注目すべきなのは、ロシアがイランへの提供を遅らせた核燃料とは何かということだ。

(ロシアの)会社はさらに支払い問題のため、9月予定の原子炉の発動も二か月ほど遅れた11月頃になるだろうと発表した。

問題の燃料とは約100トンにわたる一部濃縮したウラニウムである。

イランがロシアから濃縮ウラニウムを購入することが出来なければ、イランは自分達で濃縮ウランを生産しなければならなくなる。イランにその技術があるのかどうか、いや、それにかかる資金があるのかどうか、甚だ疑わしい。

つまり、イランの核兵器開発はアハマディネジャドの好き嫌いに関わらず、現実的に達成できないのかもしれない。最近アハマディネジャドは国内でも勢力を失いつつあり、イランの予算案などでもラフサンジャニに押され気味という状態でもある。

イランは中東でも指折りの原油産出国でありながら、国民の50%が失業状態、経済は困窮においこまれ、核兵器開発などにあけくれて経済制裁をうける始末。気の毒なのはイラン国民だ。

March 16, 2007, 現時間 1:17 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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マフディ軍無抵抗作戦に亀裂

一月の終わりに私がサドルの計算違いで、サドルの無抵抗作戦、いわゆるイラク・アメリカ連合の警備作戦に抵抗せずほとぼりが冷めるまで潜伏するという作戦は、サドルが考えるほどうまくいくとは思えないと書いた。その時この作戦の問題点をいくつか挙げたが、そのひとつにこれがある:

いくらこれがサドル派の生き延びる作戦とはいえ、それを教養のないシーア派民兵連中に理解することができるだろうか?これまで「占領軍」と言っていたアメリカ軍に、媚びを売り警備に全面協力しろなどという呼びかけは、単にサドルが自分の皮だけを救おうとしている臆病な手段なのではないだろうか、逮捕されたシーア派民兵が後で釈放されるという保証はあるのだろうか、サドルはおれたちを犠牲にして自分だけ助かろうとしているのではないだろうか、などという疑いがサドル派の民兵連中の間で生まれる可能性は大きい。民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。

今日のAPの記事によると、サドルシティの警備について米軍およびイラク政府と交渉にあたっていたサドル派の高官が攻撃され重傷を負うという事件があった。どうやら私の予想は現実になってきているようだ。

BAGHDAD -(AP, Mar.16) サドルシティの高官への攻撃はシーア民兵の各位の間で緊張感を生んでいる。人によってはこれはアメリカ軍との協力に不満を持つ者たちの仕業ではないか疑っている、と地方の司令官は金曜日語った。

木曜日、東バグダッドにおいて銃を持った男たちがRahim al-Darrajiをつれた車の行列のなかに発砲し、氏に重傷を負わせ、ボディガード二人を殺したと、現地の警察と政府高官は語った。

Al-Darraji氏はアメリカ軍との交渉で主役となった人であり、交渉の結果サドルシティにおいて(マフディ軍)戦士を街頭から撤退させることに合意した。サドルシティはマフディ軍の本拠地であり、襲撃はこの合意に不満を持った一部の民兵の仕業という疑いがかかっていると地元マフディ軍司令官は語る。

「このグループはこの辺では多少勢力のあるグループですから」とマフディ司令官...

司令官はこの攻撃が民兵各位の間でサドルシティにおけるアメリカの掃蕩作戦中、全く抵抗せずにいることが果たして賢いことなのかどうか議論が再燃しているという。アメリカ軍の掃討作戦の目的はサマラのシーア聖廟の爆破があった2006年2月22日から続いている宗派間争いを終わらせることにある。

だが、一旦アメリカ軍をサドルシティに入れてしまった以上、いまさら「はてな、これははたしていい考えだったのだろうか?」などとやっても時既に遅しである。これも私が上記のエントリーで予測した通り。

意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。...サドル派民兵が留守の間に地元民による平和な自治が設立しイラク軍による警備が行われるようになっていたら、ただの愚連隊の民兵どもがそう易々とは戻って来れまい。

ブッシュのイラク警備新作戦はことのほか順調に進んでおり、反イラク戦争偏見丸出しのアメリカ主流メディアでされも、その良い経過発表をせざる終えなくなっている。おかげでアルカエダやその他の反米分子にとって唯一頼りの民主党はアメリカ軍撤退を実現させるどころか、ブッシュの増派を抗議する拘束力のない議案すら通すことが出来ないでいる。それにも増してブッシュは二万兵ではなく三万兵ちかくの増兵を提案しており、民主党の反対もなんのその、これも実現しそうである。

そこで私の三つ目の予測。

最後にここが一番の問題だが、アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えている。シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安はあっという間に安定する。つまり、サドルの思惑はどうでも傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見えるのである。アメリカ議会が新作戦に反対しているのはこの作戦が失敗すると思っているからで、失敗した作戦に加担したと投票者に思われるのを恐れた臆病者議員たちが騒いでいるに過ぎない。だが、新作戦が大成功となったなら、奴らは手のひらを返したようにブッシュにこびへつらうだろう。そして勝ってる戦争なら予算を削ったりなど出来なくなる。そんなことをすればそれこそアメリカ市民の怒りを買うからだ。

結果アメリカ軍は早期撤退どころか、イラクが完全に自治ができるまで長々と居座ることになるだろう。

さて、この予測も当たるかな?

March 16, 2007, 現時間 12:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 15, 2007

イスラム教スーパー店員ベーコンの販売を拒否!

この間ミネアポリス空港で酒類を持った乗客を拒否するイスラム教タクシー運転手たちの特別扱い要求が拒絶されたことに対応してか、同じミネソタ州に住むサマリア系イスラム教徒移民たちの中で今度はスーパーなどに勤める店員が豚肉製品の販売を拒否するという作戦に打って出た。

パンベリル・デスーザさんは二週間前にターゲット(スーパーの名前)に牛乳とパンとベーコンを買いに寄ったとき、すでに遅刻しそうだった。スーパーでぐずぐずしているような気分ではなかったデスーザさんはレジ係の店員の態度にびっくり。店員は頭に伝統的なヒジャブと呼ばれるスカーフをしているイスラム教女性で、ベーコンをスキャナーにかけるのを拒んだのである。

「彼女は私にスキャンをさせたのです。そして私に袋をあけて袋のなかに入れさせました」(アメリカのスーパーでは店員が袋に入れるのが普通)とデスーザさん(53歳)は言う。「どうしてこの人はレジの仕事についたのだろうと不思議に思いました。」

豚製品の取り扱いを禁じるコーランの教えを厳格に守ろうとするツィンシティ(ミネアポリスの別名)の一部のイスラム教徒の信仰が職場での緊張感を高めている最近の例である。彼等は自分でするかわりに客自身にスキャンをさせるか、イスラム教徒でない他の従業員にやらせるなどしている。

まったく冗談じゃない。私が店長ならこういう店員は即座に首だね。与えられた仕事がどんな理由があるにしろ出来ないというのであれば、そういう人には働いて欲しくない。コーシャーというユダヤ教の教えを守っている人はいくらもいるが、ユダヤ教徒の店員が豚肉を扱うのを拒んだ例など聞いたことがない。

イスラム教徒の間でも、自分が食べてはいけないという豚肉を扱っていけないという規則があるかどうか意見が別れるようで、特にあつかってはいけないとコーランに書いてあるわけではないらしい。はっきり言ってこれもタクシーの運ちゃんの例と同じでイスラム教徒でない人々にイスラム教徒を特別扱いさせようという企みだと私は思う。

サマリア系イスラム教徒の多くはアフリカでの弾圧から逃れてきた難民である。本国での堪え難い人権迫害を逃れて来た彼等が、彼等を大手を広げて受け入れてくれたアメリカという国に対して、自分達からあわせようとせず、ホストカントリーのアメリカに特別扱いを要求するなど言語道断だ。アメリカのやり方が気に入らないなら本国へ帰ってもう一度本当の弾圧を経験するがいい。そうすればベーコンをスキャンにかけることくら耐えられるようになるだろう。

March 15, 2007, 現時間 5:42 PM | コメント (5) | トラックバック (0)

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日付け → →March 13, 2007

空飛ぶイマームの訴訟

どうせこういうことになるだろうと多くの人たちが予測していたことだが、数ヶ月前にミネアポリスの空港で不振な行動をして搭乗を拒否された数人のイマーム(イスラム教聖職者)達が本日搭乗を拒否したUSエアウェイズ航空の行為を不満として、本日正式に同航空会社を相手取って訴訟を起こした。

この話は以前にも「空飛ぶイマームの逆襲」でした通り。(2006年11月30日つけの「苺畑より」)

月曜日、ミネアポリスの空港ターミナルでお祈りを捧げていたイスラム教徒のイマームと呼ばれる聖職者たち6人が一旦搭乗した後で、心配したほかの乗客からの通報により飛行機からおろされて質問を受けるという事件があった。

最初は単に時と場所をわきまえない無神経で不作法なイスラム聖職者が警察に尋問されて過激な反応をしめしただけの話かのように報道されたが、 詳細 を読んでみると, 6人の聖職者たちが単に無神経なだけだったとは信じ難くなってきた。

  • わざわざ従業員や他の乗客の注意を引くような大声をはりあげてゲートでお祈りをささげ、搭乗時に英語でアメリカを批判する会話を交わしていた。
  • 太ってもいないのに、シートベルトの延長ベルトを注文。ところがシートベルトにつけずに椅子の下においた。(鉄のバックルとベルトはぬんちゃくのような武器としても使える。)
  • 6人のうち二人が指定されていないファーストクラスの席に代わろうとした。これによって6人は911の乗っ取り犯人がとったのと同じ配置になった。

航空機から無理矢理おろされたことから、彼等は人種差別だの人種プロフィールだのといって人権を損害されたとして航空会社を相手どって訴訟を起こす立派な口実を得た。...訴訟の目的は単なる金儲けが目当てではない。本当の目的はもっとあくどいものである。イマームたちはアメリカ人を恐喝して平和な宗教をアメリカ人に強制しようとしている。アメリカ人の道徳観や訴訟システムや政治機構を逆手にとってアメリカにシャリアを広めようとしているのだ。

最初からこれが狙いだったことは誰の目にも明らかだった。 訴訟をしたことを公式発表したのはこれも予想通り、市民団体とは名ばかりのテロリスト看板組織、米国イスラム評議会(CAIR、ケア)である。 ケアは何かとアメリカではイスラム教徒が差別されているという言いがかりをつけては訴訟を起こしているが、911以後、アメリカ国内で一番勢力を強めた市民団体がこの当のCAIRなのである。私はどうしてアメリカ政府がこのようなテロ組織を野放しにしておくのか不思議でしょうがない。

March 13, 2007, 現時間 6:29 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

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イラク戦争支持率急落のアルカエダ

ビル・ロジオ(Bill Roggio)によると、バグダッドでの新作戦は非常にうまくいっているようだ。バグダッドでの攻撃が日ごとに難しくなってきていることに対応して、スンニテロリストたちは攻撃拠点をバグダッドの外、イランとの国境近くのディヤラ地区(Diyala)に移したらしい。

迷惑なのはディヤラ地元のスンニ及びシーアの部族たちである。アンバー地区の反アルカエダ部族と同じように、ディヤラ地区でもアルカエダはお呼びじゃないという結論に達したようだ。

アルカエダのディヤラにおける活動は地元市民によるテロ軍団への抵抗をかもし出している。アル・サバー紙によるとディヤラ地元シークらは「地区に腐敗を広めている」 アルカエダとそのイラク支部に組織的に対抗し始めている。 イラク政府もディヤラ地区への軍事行使作戦を練っている。ディヤラのシークたちは(アンバー地区にある)アンバーサルベーションフロントという対アルカエダ組織と似たような組織を結成しつつある。このグループは元反乱軍及び西イラクのアルカエダの存在に反対する部族のメンバーたちからなっている。

アルカエダがこの動きを心配している証として(アルカエダによる)反アルカエダ部族への攻撃が最近激しくなっている。マクダディヤ市ではスンニ及びシーアの部族民の家が次々に焼き払われた。未確認の報告によれば市内で放火された家屋は30軒から100軒ともいわれている。二日前ディヤラ地区のヒブヒブにて警察署が襲撃され警察官一人が殺害され3人が負傷、10人が行方不明になっている。

今年は、アルカエダから守られる立場にいるはずのスンニイラク人たちの間で、アルカエダ支持から拒絶への折り返し点となったといえる。アルカエダにとって地元からの支持と援助は必要不可欠なものだ。その支持がどんどん凍解していくなか、あせったアルカエダによるスンニ攻撃、いわゆるレッド・オン・レッドと呼ばれる内部抗争が激しくなっている。最近は単にアルカエダへの協力を拒むだけでなく、武器をとって積極的にアルカエダに抵抗するスンニ部族が日に日にその数を増している。

アメリカ軍はすでにこうした動きにすばやく順応すべく、残りの三つの旅団をディヤラやカーバラといったバグダッド衛星都市に回す用意ができている。今回の作戦はこれまでのように掃蕩後に去るではなく、掃蕩後に居座る作戦だ。

それからロジオによるとイラク・アメリカ合同警備基地(JSS)がすでに23ほどバグダッド付近に設立されているが、この基地が非常に効果をあげているため、当初の計画の35箇所の倍の70箇所を設立することになったそうだ。JSSでは、アメリカ兵とイラク兵が共同生活をする、同じ釜の飯を食ってお互いの親交を深めるという意味もあるが、イラク軍がアメリカ式の軍隊のあり方を学ぶのには好都合だし、いずれおきる任務の移行もスムーズに行くというものだ。

最後になるが、マリキ首相及びイラク政府は国の指導者たるやどういう態度をとるべきなのかということを序々に学んできているようだ。リーダーシップには権力だけでなくパフォーマンスも必要。 APによるとマリキ首相はバグダッドの西にあるスンニ反乱軍の本拠地ラマディに電撃訪問をした。という。 マリキ首相は地元の部族長たちと会談した後、イラク警備隊にも慰安訪問したという。

マリキ首相は使者をおくることもできた。スンニ派の副大統領もいることだし。だがそれをわざわざ反乱軍の本拠地に自分から出向いて行ったということは、イラク全体にマリキが代表するイラク政府がイラクを統括していると知らしめる意味がある。

最近イラクからは良いニュースがあふれている。どうりで民主党が慌てふためいているわけである。そろそろ下院議長のペロシ女史が泡を吹き出すのではないかな?

March 13, 2007, 現時間 5:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 12, 2007

アメリカ前線士気乱れる民主党

民主党内ではムーブオンという市民団体に代表される極左翼の動きが活発になっているという話を先日もしたばかりだが、彼らは民主党が多数議席を握っているにもかかわらず議会でちっとも反戦議決が通らないことに苛立ち、最近民主党議員への八つ当たりが目立っている。

まずはこの間、議事堂の廊下で民主党上院議員デイビッド・オーベイ氏を待ち伏せした反戦運動家と議員とのやり取り

これは海兵隊員を息子に持つティナ・リチャードという女性が、自分の息子はすでにイラクに二回出動しており、いま三度目の出動待機中であるという会話から始まる。リチャード夫人は自分の息子が自殺未遂をしたことや、従軍病院での問題について語った。

リチャード: (戦費の)補助金に反対票を投票しますか?

オーベイ: とんでもない、私が補助金の提案者ですよ。

リチャード: 戦争を、あの、続けるためですか?

オーベイ: (苛立ち気味に):違います。私たちがしようとしてるのは、、大統領が戦争を続けたいのです。私たちは補助金を使って戦争を終わらせようとしてるのです。でも補助金に反対したら戦争を終わらせることは出来ません。そろそろ馬鹿なリベラルたちは理解する時ですよ。軍隊への戦費を差し止めることと戦争を終わらすことは天地のような違いがあるのだということをね。私は防弾チョッキを拒絶したりするつもりはありません。私は医療手当てを必要としているひとたちを助けるための資金を否定したりするつもりはありません。この案に反対したらそういうことになるんです。

リチャード:でも一般の防衛費にすでに充分なお金があるんじゃないんですか、、

オーベイ:ありません。

リチャード: なにも予算を継続しなくても、、、

オーベイ: ありません、ありません!そういうふうにはいかないんですよ。防衛費は、現在の陸軍維持のためにあるのです。でもこれは循環する経費を払うためのものじゃないのです。(中略)

リチャード: じゃあ、あなたは支持するつもりなんですね、、、

オーベイ: (声を高らげて) 私は戦争が嫌いです!私は最初からこの戦争には反対でした。私は下院議員のなかでも最初にラムスフェルドの辞任を迫ったくらいです。でも我々には戦費完全差し止めをするほどの票がありませんし、戦費を削るべきではありません。なぜなら(そんな決議は)戦争の犠牲になった人たちを助けるための資金を否定することになるからです。(後略)

明らかにリチャード夫人はアメリカ議会で予算がどのように割り当てられるか全く知らないらしい。オーベイ議員は会議へ行く途中で急いでいたため、詳しくその説明ができなかったのだが、ここまで無知なひとに自分は戦争を終わらせようと努力しているのに、あたかもその反対であるかのように問い詰められたことへの苛立ちが伺われる。反戦運動家は政治家を待ち伏せして問い詰めるのなら、少しはアメリカ議会の機構がどのように作動するのか予習してからやって欲しいものだ。それにしても民主党の議員に「馬鹿なリベラル」といわせてしまうとはね。

さて、本日になって今度はサンフランシスコで反戦運動家たち十数人がナンシー・ペロシ下院議長の自宅へ押しかけるという事件があった。彼らは議会に戦費差し止めの議決を通すよう要求するつもりで現れたのだが、議長は彼らに会うつもりはないと聞くと家のまで泊まりこみ抗議をすると座り込んだ。

本当に極左翼ってのは限度ってものを知らない。 一方当のペロシ議長はイラク撤退条件つきの緊急予算案への票集めに苦労している。ブッシュ大統領は撤退どころか当初提案していた二万一千に加えさらに八千二百兵を加えようとしている。ペロシ議長がこの案を通せるかどうか、民主党多数議会になってから最大の難関を迎えている。


March 12, 2007, 現時間 12:39 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 11, 2007

イラク最前線アメリカ軍士気高し

イラク最前線にマイケル・ヨンとビル・ロジオという二人のアメリカ人ブロガーがフリーの従軍記者として行っている。二人とも元陸軍特別部隊兵だが、現役時代より記者としてのほうが戦闘を見てきているのではないかと思われるほどずっとイラクやアフガニスタンに行ったきりの体当たりジャーナリストたちである。

特にマイケル・ヨンは従軍記者としての経歴も長く本も出版しているが、彼は正直な人間で状況が良くないときには良くないと報道するので、彼からのニュースは主流メディアなどよりずっと信頼できる。そのマイケル・ヨンがイラク駐留のアメリカ軍兵の士気が高いと報告している。

(車の)走行距離計が多くの従軍記者の間で高まる中、メリンジャーは俺を4000マイルもイラクの道をあっちこっち連れて行ってくれた。北から南、東から西へ、各部隊を訪問する中、軍隊はいつも軍隊に粘り強くくっついてくる人間なら大手を広げて受け入れてくれる。軍隊は俺達のことを気に入っていなくてもいいのだ。俺と陸軍との衝突は周知の事実だ。なのに彼らはいつも門戸を空けてくれる。ここに教訓となる事実がある。俺は最初の選挙直後にイラクは内乱状態にあると書いた。俺は無能な司令官を批判した。イラク特別部隊なまっすぐ撃てないとさえ書いた。アフガニスタンの当初の勝利にもかかわらず、シゲの花で金儲けしたタリバンがまた台頭してきていることも書いた。それでも軍隊は俺を受け入れてくれた。

これが俺が俺の国を誇りに思う理由だ。そしてこれがどうしてほとんどの人たちがこの戦争を見捨てたとはいえ、俺達が同胞と団結しなければならないかという警告でもある。 俺はジャーナリストの立場は理解できる。特に吹っ飛ばされたりしょっちゅう撃たれたりしてる人たちの気持ちは。だがこの戦争の結果はどれだけ一般のアメリカ市民が戦争について情報を得ているかにかかっている。実際イラクやアフガニスタンの兵士たちは記者と接する機会などほとんどない。だから自然に見捨てられた状態になってしまうのだ...

アメリカ本国ではここでの兵士らの士気が落ちているという話を良く聞く。それでこれを書きながら、俺はバグダッドにいるニューヨークタイムスのリッチ・オペルに電話して彼の見解から兵士らの士気はどんな按配かと聞いてみた。リッチは多くの兵士らが任期を延長されたことに不満を述べていると言った。これは俺も兵士らの口からよく耳にした。俺は兵士らの士気に関して他の何よりも注意をして観察してみた。特定の隊の士気が低いのは大抵の場合リーダーシップが良くないことが原因だ。たとえば手紙が定期的に届かないとか。しかし士気の高い低いを判断するのには単に数人の兵士に意見を聞いただけでは解らない。記者がイラクのあちこちで隊と寝泊りを一緒にしてこそ(士気の高低が)わかるのである。 自分でそうした体験をしてみて全体的に兵士らの士気は高いというのが俺の意見だ。

今回のイラク一周で俺はアメリカやイラクの兵士らを状況の違ったあちこちの土地で訪問した。そして俺が見て、聞いて、臭いを嗅いだことのほとんどはどの特定の報告にも含まれていない。だがそれらに加えて背景になる山のような事実が形付けられる文脈のなか、俺はある程度の専門家として語ることが出来る。ほんのちょっとだが。もし士気がおちれば俺が最初に知る。兵士らが感じ取る以前に俺にはそれが解る。 そしてもし士気がおちてきたら、俺はそのように書く。

さてもうひとりの従軍ジャーナリスト、ビル・ロジオは今週のイラク状況について、イラク・アメリカ連合軍はサドルシティへの警備強化を先週に続いて行っていると報告している。 サドルは先日イラク内のカバラからと称してビデオ演説放送をしたが、地元のイラク人の話だとサドルがいれば周りに知れ渡らないはずがないとし、サドルはいまもイランの革命防衛軍に守られながらイランで潜伏中だというのがもっぱらの噂である。

サドルの勢力を弱めるため、イラク・アメリカ軍はマフディ軍への圧力を継続している。イラク特別陸軍隊は本日(3月10日)サドルシティにて「ジャイシュ・アル・マフディ」一部の数々のイラク市民の拉致や殺人に関与しているとされるはぐれ者連中に対して手入れをおこなった。彼らはまた路肩改良爆弾で国際連合軍やイラク軍を攻撃したという容疑もかかっている。手入れにより6人が拘束された。またアメリカ・イラク軍はフサイン・アル・アサディという「有力な司令官」が殺人軍団のメンバー数人と共に逮捕した。

マイケル・ヨンの報告にも、イラクで一番危険な場所検問所だとあったが、マイケル・ヨンの報告にも、イラクで一番危険な場所検問所だとあったが、ビル・ロジオも最近の自爆テロは検問で発見されたテロリストの最終手段で爆破されることが多いと書いている。

一方イラクのアルカエダはサドルシティを標的にし続け、去年イラクを蝕んだ宗派間争いを再燃させよう必死である。イラク陸軍兵は陸軍検問で自動車爆弾を止めたが、運転手は自爆した。爆破により10人が死亡43人が負傷した。最近のバグダッド内で三つの自爆テロがイラクと連合軍によって阻止されている。

どうやらテロリスト達は検問所の厳しい警備を抜けられなくなっているようだ。

おまけ

ブラックファイブというこれも元陸軍特別部隊兵が経営しているブログがアメリカ軍による空爆のビデオを掲載しているので紹介しておこう。対航空ロケット弾をうってくる車と、車から逃げて気の影に隠れるテロリストたちが吹っ飛ぶのがみられる。

March 11, 2007, 現時間 7:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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金髪美女政治評論家の失言に見る右翼のヒステリー、左翼の偽善

アン・コルターという女性は日本では知られてないので、この話は別にするつもりはなかったのだが、あまりにもこちらの主流メディアがここぞとばかりに取り上げているので、その反応と偽善について話たいと思う。左翼と偽善という言葉ははっきり言って重複だが。

先週末、アメリカでは毎年恒例の保守派政治大会(Conservative Political Action Conference、CPAC)が開かれた。その際に保守派の政治評論家で毒舌家で悪名高い金髪美女アン・コルター女史が民主党の大統領候補者ジョン・エドワードについて下記のような冗談を言った。

“I’d say something about John Edwards, but if you say ‘faggot’ you have to go to rehab.” 「ジョン・エドワードについて何か言うつもりだったけど、オカマと言ったら診療所おくりになっちゃうわね。」

英語でいうところのオカマという言葉はもっと強く下品で侮蔑的な言い方なのだが、この発言が左翼からも右翼からも非常な顰蹙を買い、夜のニュースでは一斉に報道されたし、左右双方のブログ界ではコルター批判で持ちきりだ。このバッシングは一週間たった今でもまだ続いている。保守派のなかでコルターを弁護してるのはミスター苺くらいなもんだ。

アン・コルターは普段から辛辣なことを平気で言う女性だが、もちまえの頭のよさとそのブラックユーモアと金髪美女という利点も生かしてテレビ政治番組などでは引く手あまたの人気評論家である。ミスター苺は、コルターは言ってみればコメディアンであり常にユーモアと悪趣味のぎりぎりの線で演技をしているひとだから、時々その一線を越えて自爆することがあるのだという。だが、衝撃的な表現が売り物のコメディアンなら常にその限界に挑戦していなければ人気を保つことは出来ない。

以前にもコルターは911で亡くなった男性らの未亡人に対して、「未亡人になったことをこれだけ楽しんでいる人たちもいない。」などと言って非常な顰蹙を買ったことがある。(実は未亡人たちはその立場を利用して反戦運動をしていたのだが、その運動を批判されると911未亡人を攻めるのかと批判者を黙らせる方法が横行していたため、コルターは未亡人であれ誰であれ、一旦政治に口をだしたからにはそれなりの批判を受ける覚悟が必要だという意味での発言であった。)

左翼は極右翼のコルターを目の仇にしているから批判するのは不思議でもなんでもないが、あきれるのは保守派のヒステリー反応だ。保守派は常に崇高な道徳や価値観を売り物にしているため、偽善者と呼ばれることがたまらなく嫌いなのである。それで保守派と呼ばれる人たちが差別的な発言をすると左翼と一緒になって攻め立てるという悪い癖がある。今回もコルターは右翼の名誉を汚す人間だ、今後彼女を保守派大会に出場させるな、保守派から追い出せ、とまあひどい勢いだ。

時を同じくして、左翼連中の偽善を顕著に表す事件が持ち上がった。それは同じ保守派大会でジーン・カークパトリック・アカデミック・フリーダム(Jeanne Kirkpatrick Academic Freedom Award )賞を受賞したマット・サンチェズ元海兵隊員をめぐってのことである。彼は除隊後入学したコロンビア大学において、大学側の反軍隊的な方針を声高に批判してきた。彼は元軍人やこれから軍隊に入りたいと考える若者らを援助するため学校内で運動を重ね、大学側の方針が緩和されてきていた。

ところが、左翼ブロガーの間でサンチェズ上等兵(Cpl.)は15年前ゲイポルノのモデルをしていたことがあると暴露して大喜びで騒ぎ始めた。 左翼連中は保守派は同性愛恐怖症で常にゲイパッシングをしているくせにゲイポルノのモデルに賞を与えるなど偽善だと主張している。極左翼のマックス・ブルーメンソルなどは主流メディアのテレビにあちこちに出演してサンチェズ上等兵のモデル時代の写真を背景にしながら、サンチェズへの誹謗中傷を喜びを隠し切れずに語りまくっている。

ブルーメンソルはテレビインタビューで、この騒ぎでサンチェズはゴミのように保守派から捨てられるに違いない、保守派は不寛容で邪悪だからとあざ笑うように語っていた。で、肝心の保守派の反応はというと、、、

元過激派左翼活動家でその暴力的な運動に嫌気が差して右翼に転向したデイビッド・ホロウィッツはマックス・ブルーメンソルにこのように反撃している。マックスの父親とは宿敵の間柄にあるホロウィッツ。左翼の汚い個人攻撃の手口を熟知しているだけにこの反撃はすさまじい。

昨日、マックス(ブルーメンソル)はハッフィントンポストにおいてこれらのエピソードを書いたコラムを掲載した。コラムのなかで左翼同性愛のソースがマット・サンチェズが15年前にゲイポルノのビデオスターで同性愛売春もしていたことを「ばらした」と発表した。プログレッシブにとて政治的個人破壊が常套手段であることなど保守派ならばだれでも直接体験して知っている。 右翼には暴露組織など存在しない。 プライバシーの侵害や個人のキャリア、異性関係、友達関係や家族に多大な影響を及ぼすような個人情報を不注意に公開するやり方は、プログレッシブの間では簡単に正当化される。なぜなら彼らは世界を救うために神の任務を果たしているからだ。ゲシュタポもカメア・ルージュマルクシストもマックスの仲間達も皆こういうやり方をする。すべて目的のためだ。事実目的が崇高であればあるほど、より多くの人々を破壊することが成功として正当化されるのだ。

記録上言っておくが、私は大人のポルノやマット・サンチェズが若い頃何をやっていたかなどには全く興味がない。我々の中で人生の一こまで後悔するような行動を一度も取らなかった者が何処にいるというのだ。マット・サンチェズはマックスと違って親の七光りを尻に挟んで生まれてきたわけじゃない。彼には口頭による暗殺を奨励し同じようなインテリ愚連隊とのコネをつかって息子に裕福な生活のできるようにしてくれた、我慢できないような、パパはいないのだ。

また左翼連中は宗教右翼を許容性のない一番不寛容な人間達だと常に主張しているが、実は信心深い人ほど、罪深い人々に慈悲を見せるものである。罪の女と言われるマグダラのマリアにイエス・キリストが見せた慈悲を思い出していただきたい。

イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。(ヨハネによる福音書第8章3節-11節)

この町に一人罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。・・・「赦されることの少ない者は愛することも少ない。」 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。(ルカによる福音書7)

また信心深いひとなら、過去の過ちを認め更生した人間を歓迎する。

「許す」とか「慈悲」ということばに程遠い思想を持っているのは左翼連中のほうだ。普段右翼をゲイバッシングだ同性愛恐怖症だとののしっている人たちが、保守派の意見を持った同性愛者に対しては彼が同性愛者だという事実を使って誹謗中傷のやり放題。これが偽善でなくてなんだろう?左翼連中が一番許せないのが元左翼。背信者に対して左翼ほど不寛容な集団はジハーディストくらいだろう。

サンチェズ自身はこれについてこのように語る。

私はポルノは嫌いだ。ポルノは心を低下させ、魂をぺしゃんこにする。これは偽善ではない。経験から来るものだ。私が最初リベラル寄りだったとしたら、ポルノスタジオにいるのは天国のはずだった。ポルノでは禁則はすべて意味のないものとされ、意味の無いものが反映される。...どうして私が保守派になったのかって?私が去った世界を見て欲しい。私を今日誰が攻撃しているのか見て欲しい。 正直に面しようじゃないか、世間ずれしてる君たちにならわかるはずだ。これがもし私がリベラルの大義を主張し軍隊を批判したとしてリベラルから勇気の賞をもらった後、ポルノスターだった過去が暴露されたとしたら、私は今頃回顧録の出版をあちこちから申しこままれ、多様派としてバラク・オバマの副大統領候補になっているだろう。

また過去がばれた後の保守派の反応に関しては、、

恥じかしながら私は、このニュースが公になって保守派の仲間や友達が私から遠ざかっていくのではないかと思った。だが私はその反対のことが起きたことに感激している。私は私の立場からの意見を述べてくれと多々のイベントから求められ、テレビからも招待され、ほとんどの人たちが必要以上に私を信頼してくれ、即急な判断を避けてくれた。これは本当に良いことだ。皆さんの支持には感謝する。

さてここでアン・コルターに話を戻そう。元ポルノ俳優にこれだけ寛容な態度を見せた保守派はアン・コルターに関しても、もう少し寛容な態度をとってもいいのではないだろうか? コルターは単にテレビのトークショーに出演しているというだけでなく、反共産主義や反左翼の著書をいくつも書いている才能ある保守派であり、保守派の大義を促進するためアメリカ社会で多いに貢献している人物である。そのような保守派にとって大切なひとを、くだらない失言で見捨ててしまっていいのだろうか?

コルターのオカマ発言に最初に批判的な意見を述べていたミッシェル・モルキンも、サンチェズ事件について自分が受け取ったメールについてこのように述べいている。

常に許容だのプライバシーだの寛容だの慈悲だのと唱えるのが嫌らしく自慢げなリベラルである。私はこの間左翼の差別意識が醜い頭を上げるだろうと予測した全くその通りだった。私が受け取ったいやらしいメールの数々はアン・コルターが馬鹿みたいにCPACで言ったことなんかとは比べ物にならない。 サンチェズ上等兵がどんな辛辣な中傷に耐えているか想像できる。

その通り。左翼の右翼同性愛者に対する誹謗中傷は単に「オカマ」と呼ぶ程度のくだらない冗談ではすまない。彼らは他人の過去を持ち出してその人の生活もキャリアもすべて滅茶苦茶に崩壊してしまおうというのだ。これがゲイバッシングでなくてなんなのだ? 

保守派諸君、一時の感情に負けて全体像を見失わないようにしようではないか。我々の敵はコルターではない。自分と違う意見を持つものはどんな手段を使っても崩壊させようという左翼なのである。その事実を忘れないようにしようではないか。何かあるたびにゲイバッシングだの差別だのと反応していたのでは、腹黒い左翼の思う壺である。

March 11, 2007, 現時間 2:02 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 10, 2007

FOX主催米民主党大統領候補討論会、極左翼からの圧力で中止

ネバダでは予定されていたフォックスニュース主催の民主党大統領候補討論会が極左翼からの激しい圧力により中止されるという出来事があった。この討論会はネバダの民主党がフォックスニュースと契約して主催したものだったが、左翼よりの多いアメリカの主流メディアのなかで、珍しく公平で均衡の取れた報道をしているケーブルテレビの人気ニュースチャンネルのFOX(フォックス)は、フォックスが他のニュースチャンネルに比べると充分に左寄りでないことから、左翼はブッシュ政権のプロパガンダ放送局だとして毛嫌いしている。

先日も候補のひとりジョン・エドワード氏がフォックスチャンネル主催の討論会はボイコットすると発表したばかりだった。 またヒラリー・クリントンもボイコットを検討中だと話していた。極左翼のなかでも過激派政治団体のムーブオン(MoveOn)によると265,000 の署名が集められネバダ民主党に送られたと言う。

放送契約をキャンセルされたフォックスニュースの反応はというと:

金曜日フォックス副社長のデイビッド・ローズ氏は「ネバダの民主党と契約しようというニュース組織はその前によく考え直すべきだろう。(ネバダの民主党は)ネバダ民主党ではなく少数の過激派や州外の政治団体にコントロールされているようだ。過去にもムーブオンは民主党は彼らのモノだと言っていた。ほとんどの民主党支持者がそれには同意できないのに反して、ネバダの場合はあきらかにそのようである。」と声明を発表した。

ここで非常に興味深い考えが浮かぶ。ミスター苺は、民主党は民主党支持者以外と話すつもりはないのだろうかと疑問を投げかける。

明らかになってきたのは民主党はフォックスニュースと話すことや、中庸右のラジオ番組への出演や、共和党の地区での選挙運動を拒絶し、リベラル以外の人々との交流を一切拒むことにしたということだ。

これで、もし民主党が2008年の大統領選挙で勝ったとしたら、彼(彼女)がこの方針を続けることは想像に難くない。少なくとも4年間もしくは8年間、アメリカの大統領はニューヨークタイムス、ワシントンポスト、ロサンゼルスタイムス、CNN、CBS、そしてエアアメリカの残骸以外はホワイトハウスの記者会見に参加させないことになるだろう。

またミスター苺は、大統領は左翼とだけ話すことを公式な方針として取り入れ、どうしても右翼と話さなければならないときは下っ端の中傷専門の報道官が洗濯バサミで鼻をつまみながら話すことになるだろう。タウンホールミーティングは左翼市民団体の参加のみが許可され、ボーイスカウトは同性愛者の加入を強制された挙句にセクハラで訴えられて消滅、全国ライフル協会はテロリスト団体と指定される、などと言っている。

しかし今の民主党の姿を見ていると、これもまんざら冗談とも思えなくなってくるから怖い。 ここはひとつ保守派の市民は一体となって共和党への批判は一応おいといて、先ずは民主党をやぶることに専念すべきだろう。

March 10, 2007, 現時間 9:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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米工作員ビンラデン退治にパキスタン入国

タリバンから追い出されたアルカエダの首領オサマ・ビンラデンとその右腕アイマン・ザワヒリはパキスタンの山奥に隠れているのではないかと長いこと取りざたされていたが、ついにアメリカの秘密工作員と特別戦闘員がパキスタンに入国。ビンラデン狩に本腰をいれているようだ。

アメリカ高官によると今度の任務は明日50歳になるテロリストのリーダーへの圧力を強化し、それによって間違いを犯させるのが目的だという。ビンラデンはアフガニスタンとの国境近くに隠れていると広く信じられている。

衛星写真や交信の詳細は先週CIAのスティーブン・カペス副長官よりパキスタンの大統領に提示された。これはアメリカ諜報部にもっと協力が得られるように(パキスタン側に)圧力をかけるひとつの作戦である。

カペス氏は中東の専門家で、ムシャラフ将軍への説明会に参加するためイスラマバッドを訪れた副大統領に同伴した。氏の詳細に渡ってアルカエダがパキスタンの地で勢力を増幅している証拠を提示した。

どうやらムシャラフ大統領はこの説明に納得したようで、アメリカ諜報部並びに特別部隊の国内での工作を認めたらしい。ムシャラフにとってもアルカエダテロリストは目の上のたんこぶ。アメリカに取り除いてもらえるなら協力しない手はない。

ご存知のように、CIAは一度ビンラデンとその仲間達をアフガニスタンの山奥に追い詰め、後は突撃許可を待つのみとなったことがあった。当時の大統領クリントンは一般市民への犠牲が出ることを恐れて許可をださず、みすみす大物を取り逃がすというエピソードがあった。

タリバンはアフガニスタンでも春の総攻撃にかかっているが、追い詰められるとパキスタンに逃げ込むというパターンが繰り返されていては、いつまでたってもモグラ叩きで切がない。 この際徹底的にパキスタンのアルカエダ退治をやってもらいたいものだ。そして今度こそビンラデンとザワヒリを退治してもらいたい。

ところで、ビンラデン退治をおざなりにしてイラク戦争を始めたと批判していた民主党の連中は、もし今度こそビンラデンが退治されたらなんと言うのだろう? まさかビンラデンなど殺しても意味はないなどというのではあるまいな。(笑)

March 10, 2007, 現時間 7:37 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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ウクレレでジョージ・ハリソンを聴こう

ベルモントクラブがウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロさんの演奏を紹介している。 曲はジョージ・ハリソンのWhile My Guitar Gently Weeps (邦題は「悲しきギター」だったかな?)

演奏した場所はバングラディッシュの苺畑だそうだ。

どうぞお楽しみあれ。

March 10, 2007, 現時間 2:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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オーストラリア、ビキニならぬバーキニ?

以前にオーストラリアの浜辺でレバノン出身のパレスチナ人たちの暴力行為に反応した地元白人達との間で暴力沙汰がおきて、2005年の12月には暴動まで起きたという話を「残念! 豪州ビキニマーチは来年一月に延期」でしたことがある。

私はその時、オーストラリアでは海水浴に来るレバノン移民と白人救命員とのいざこざを解消し、移民と地元白人との関係を緩和するため、レバノン移民の救命員を募集しているという話を読んだ。特にイスラム教徒の女性でも恥かしくなく着られる宗教に敏感な水着をデザイン中だということだった。

そしてついにデザイン完成。その名もバーカ+ビキニでバーキニ!(Hat tip ミスター苺)



Burqini

右側が救命員の女性用水着、バーキニ

この水着は厳しい回教に従ったもので、写真の救命員、メッカ・ラーラーさん(20歳)は頭から首からすべて覆われている。しかし水着そのものはスパンデックス生地で伸縮自在。体にぴたっとしてるため泳ぎの邪魔にならない。最近カカシを多いに失望させているオリンピック水泳選手が着ている体中を覆っている競泳水着と似ている。 水着のデザイナーはイスラム教女性、アヘダ・ザネッティさん。

この何気ない話は、実は現代社会で生きるイスラム教徒にとって非常に大切な第一歩といえる。なぜならこれは想像力を働かして、いかにイスラム教の教えを現代社会の実用性に順応させるかという完璧な一例だからだ。

私は最近ロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad (モハメッドの真の姿)という本を読み終わったばかりだ。それについてはもっと詳しく追ってお話したいと思うが、スペンサー氏の主題を要約すると、

イスラム教テロリストは平和な宗教を乗っ取った過激派なのではなく、聖戦主義といわれるテロリストの信じていることこそが、まさにイスラム教の創設者モハメッドの唱えた教えなのだ。だからイスラム教は元来平和的な宗教だとか、騒いでいるのは原理主義の過激派だけだと解釈するのは間違っている、問題の原点はイスラム教の教えそのもにあるのであり、そのことを無視すれば西側は聖戦に負けてしまう。

というものだ。 しかし私はスペンサー氏が引用したコーランのあちこちで、いくらも現代的な解釈のしようがあると感じた。現代のイスラム教徒は7世紀に生きているのではない。7世紀の価値観や生活環境にない現代人がコーランの教えに文字通り従うなどということは現実的ではない。

たとえば私の同僚のアブ・ナットー君(仮名)はアフガニスタン出身だが仕事中に一日5回もメッカに向かってひれ伏してお祈りを捧げたりしないし、ラマダンの時でもお昼ご飯をちゃんと食べている。会社の宴会の時はビールも飲んでたしね。はっきり言って他の男性たちに比べたらよっぽども女性に優しい紳士。それでもナットー君は敬虔なイスラム教徒を自負している。

まさかスペンサー氏はこういう穏健なイスラム教徒まで敵に回せというわけではあるまい。大事なのはナットー君やラーラーさん、そしてデザイナーのザネッティさんのようにイスラム教を拒絶せずに現代化していくことにあるのだ。

余談だがこの水着の話を載せたニューヨークタイムスは例によってオーストラリアの海岸で起きた暴動について非常に偏向的な報道をしている。

(イスラム教徒参加促進の)アウトリーチはシドニーの下町から約20マイルほどいったところにあるクロヌラ海岸で起きた2005年12月の醜い出来事への反応である。(このとき)体中に人種差別的なメッセージを塗りたくったり、メッセージのはいったTシャツを着たスキンヘッドやニオナチを中心とした群集が、よっぱらってあたりをうろつきまわりレバノン人の男性らを襲った。

諸外国ではオーストラリアは人種的な緊張が台頭する時代にはいっているのではないかと懸念された。この暴動は多くのオーストラリア人に、暴力はオーストラリアの根底にある人種差別に起因しているのではないかと、改めて考えさせるきっかけとなった。

まったく最近のニューヨークタイムスの偏向報道は日本の慰安婦問題にしろ、オーストラリアの移民問題にしろ、滅茶苦茶だ。 去年12月に私が暴動当時のオーストラリア新聞記事を多々読んで得た情報によると実際には暴動はこのようにして起きた。

一般にCronulla riot と呼ばれる暴動のきっかけとなったのは去年12月に浜辺を歩いていたカップルがイスラム系の十数人に襲われたことから始まる。その数日後、同じ砂浜でサッカーをしていたイスラム系青年数人に注意をした救命隊員がやはり十数人のイスラム系若者に襲われるという事件があった。それまでにも何度かイスラム系の若者によって海岸を訪れる人々が嫌がらせを受けていたようだが、この二つの事件で地元白人の堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。

トークラジオのDJやブロガーなどが浜辺を取り戻そうと呼びかけたことから、12月11日、Cronulla海岸には5000人の白人の若者が集まった。最初のうちは単にお祭り騒ぎをしていただけだった若者たちは、一人のアラブ系男性が数人の白人男性に追いかけられて近くのホテルに逃げこんだのを皮切りに浜辺にいたアラブ系と見られる人々を次々に襲った。若者たちは駆け付けた警察官や救急隊員などにもビールの空き缶を投げ付けるなどの暴行を行い、数人が逮捕された。

その晩から数日後の15日にいたるまで、今度はイスラム系の若者が復讐のため町にくり出し、商店を破損させたり行き交う人々に襲いかかったりした。キリスト教の小学校に銃弾が打ち込まれ、最後にはキリスト協会が4つも焼かれてしまった。

明らかにニューヨークタイムスの記事が無視しているのは、暴動のきっかけとなったイスラム教暴徒による数度による一般市民や救命員に対する暴力行為と、白人達の一日の暴動に対して何日も続いたレバノン人たちによる報復暴動である。 

挑発した片方の行為を全く無視して、それに反応した方だけを批判して人種差別だなんだかんだと書きたてるのはあまりにも一方的な偏向報道である。ま、ニューヨークタイムスの常套手段ではあるが。

March 10, 2007, 現時間 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →March 8, 2007

元イラン革命軍将軍西側に亡命

実は昨日、元イラン革命軍の将軍がトルコを訪問中失踪し、イスラエル秘密警察に拉致されたとか、西側に亡命したとか取り沙汰されているという話を新聞で読んだばかりだったのだが、今日になって西側に亡命していたことがアメリカ当局の発表で明らかになった。(Hat tip to Jules Crittenden.)

アメリカ当局の発表によると、元イラン防衛庁副長官で革命衛兵隊の元司令官でもあった将軍は出国して現在西側諜報部に協力し、イランとヒズボラ組織とのつながりなどの情報を提供している。

アリ・レズ・アスガリ(Ali Rez Asgari)氏は先月トルコを訪問中に失踪した。イラン政府は昨日、氏がイスラエルもしくはアメリカに拉致されたのではないかと詮索していた。アメリカ当局はアスガリ氏は自主的に協力していると語っている。アメリカ高官はアスガリ氏の居場所や誰が尋問にあたっているかなどには触れなかった。しかしアスガリ氏が提供している情報はアメリカ諜報部にすべて入手可能であることを明確にした。

アスガリは退役して2~3年たっているとはいえ非常な重要人物である。

元モサド(イスラエル秘密諜報局)局長で現在はイスラエル議員のダニー・ヤトン氏はアスガリは西側に亡命したと考えるとし、「彼は非常な重要人物です。」と語った。「彼はレバノンで長年とてもとても重要な地位にいたひとで、事実上(レバノンの)革命衛兵隊司令官だったと言えます。」

元モサド局員のラム・イグラ氏はアスガリ氏は1980年代から1990年代にイランによるヒズボラへの、資金援助や訓練などの監督をしていたという。米国務省はレバノンのシーア武装勢力(であるヒズボラ)をテロ組織と認識している。

「彼はレバノンに住んでいました。結果的に彼が当時ヒズボラを組織して育て上げたといえます。」 とイグラ氏はイスラエル国営ラジオで語った。「もし彼が西側に提供するものがあるとしたら、レバノンのヒズボラなどのテロリストについてでしょう。」

まだ詳細ははっきりしていないが、今後の発展に乞ご期待といったところか。イランはかなりパニック状態かもね。

March 8, 2007, 現時間 5:57 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

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日付け → →March 6, 2007

NATO軍春を待たずしてアキレス作戦

アフガニスタンのNATO軍はタリバンが予告している春の総攻撃を待つまでも無く、すでに対タリバン攻撃を始めている。題してアキレス作戦。

今回の連合軍に参加しているのはアメリカ、イギリス、オランダ、カナダあわせて4000の兵、それに1000のアフガン兵が加わる。

今回の作戦は北側のヘルムランド地区に集中される。タリバンが占拠したと発表しているムサカラ(Musa Qala) とワシア(Washir)そしてナズワドの位置する地域である。ムサカラは去年の暮れ、イギリス軍がタリバンと交渉の末譲り渡した場所だが、タリバンなどと交渉ができると考えたイギリス軍は甘かった。おかげでここを拠点にタリバンが勢力を強め攻撃をしかけてくるという有様である。再びこの土地をとりもどさねばならなくなった。イギリスとアフガンの歴史は19世紀にさかのぼるほど古いのに、何で同じ間違いを何度も繰り返すのだろう。不思議でしょうがない。,

昨日も書いたように、NATO軍はすでにあちこちでタリバンと戦闘を続けており、その度に10人から50人の戦死者がタリバン側から出ている。タリバンが面と向かった攻撃でNATO軍に太刀打ちできるわけはないのである。

去年の総攻撃では役3000人のタリバンが殺されたが、一般市民も1000人巻き添えを食ってしまった。今回も春の攻撃をめざしてタリバンは兵を集めているが、今回も大惨敗で終わること間違いなし。アフガニスタンはこうやって何年も同じことを繰り返し、どっちの辛抱が持つかで最終的な勝ち負けが決まるのだろう。

March 6, 2007, 現時間 7:49 PM | コメント (3) | トラックバック (1)

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慰安婦謝罪議決を止めるために、安倍首相にアドバイス

English version of this entry can be read here at Big Lizards.net/blog.

出張前のごたごたしている時に、日本の保守派の方からアメリカで慰安婦問題を扱った議案が通らないように、日本の立場をアメリカの読者を対象に紹介してもらえないだろうかというお話があった。私はミスター苺と一緒に英語のブログも経営していることでもあり、この話はそちらでも折をみて紹介するつもりでいた。

そうこうしているうちに、先日の安倍首相の「問題発言」が起きてしまい、これはどうしたものかと考えていたところ、ミスター苺がこの話を取り上げたいというので任せることにした。

その内容をここで紹介する前に、ひと言お断りしておかねばならない。私はこのブログにおいて、過去の大日本帝国という旧政権の所業について詳細を語るのを避けてきた。それはたとえ旧日本政府がどのような行いをしたにしろ、現在の我々には無関係であるし、そんなことを蒸し返してもむやみに傷口を開くようなもので害あって益なしだと考えているからだ。

アメリカにおいて、旧日本政府の話をする場合には、旧日本軍による悪行はなかったとか、韓国や北朝鮮や中国が言うほどひどいことはしていないという説明は責任逃れの弁解としか受け入れてもらえない。 南京大虐殺や慰安婦問題を多少なりとも否定すれば、ホロコースト否定論者のごとく扱われかねない。

私もミスター苺も旧日本政府の行いについて現在の日本政府が謝る必要などないと考えている。(特に自国民を何十年に渡って虐待してきた共産主義政府が旧日本政府を道徳上批判できる立場ではない。)だが、日本が謝る必要がないということをアメリカ議会に納得してもらうためには、安倍首相のような細かい事実関係の説明をするのはかえって逆効果である。

そこで我が英語ブログBig Lizardsでは安倍首相に、もっと効果のある作戦をお勧めしたい思う。前置きが長くなったが下記はミスター苺著の安倍首相へのアドバイスである。 ミスター苺は歯に衣を着せずにものを言う人なので、日本の読者の皆さんには納得のいかない部分もあると思うが、これもひとつの意見としてお聞き願いたい。

****************

また拘束力のない議決案が上院ではなく、下院から出ている。上院では決議阻止を乗り越えられないような愚案だからであるが。民主党は今度は日本政府に戦前戦時中に日本軍が朝鮮や中国の女性を「慰安婦」という性の奴隷として日本軍に強制的に仕えさせたことについて 謝罪を求めている。もっとも慰安婦の多くが日本時女性であったという話などニューヨークタイムスの筋書きには不都合なのか全く書かれていないが。

安倍はすでに議会でこのような侮辱的な議案が通っても謝るつもりなどないと拒絶の意志を表明している。

安部新造首相は本日、日本が第二次世界大戦中外国人女性を性奴隷としていたことに関して謝罪を要求しているアメリカ議会に対して、日本政府は要求を拒否するとの意志をあきらかにした。

またまた民主党の無意味な発案運動というわけだ。彼らはアメリカ議会をエルフだのレパコーン、ノームのお茶会にしようってわけだ。まったくやってらんない。

安倍がこのナンセンスを拒否するのは正解だ。しかし奴さんは間違った理由で拒否している。 氏は慰安婦など最初から存在しなかったと言って日本を弁護しようとしている、もしくは日本政府や日本は直接関与しておらず、強制はすべて民間の仲買人がやったことだと弁明している。 無論仲買人は日本政府や軍に雇われていたのだが、、 だから関連はないというわけだ。

日本の議会における発言で、安倍氏は保守派学者の立場を説明し日本兵や日本高官が売春宿に女性を強制的に連行したことには手を貸していない、すべては軍と契約していた民間の業者の責任であると語った。

下院議会での元慰安婦だった女性たちの証言では、日本兵によって拉致され日本軍の売春宿で働かされたとある。しかし安倍氏はそのような証言は「完全な捏造」であると主張した。

氏はまた日本政府が強制の責任があるとする下院の議案の目的についても、「客観的な根拠の基づくものではない」とし、これまでの日本政府の誠意を全く考慮に入れていないものだと批判した。

この最後の文章がこの件の本当の問題点だ。南北朝鮮と中国は長年にわたって日本からの謝罪を要求してきた。これは単なるごり押しではない。彼らの意地悪な要求の最終的な目的は日本に何億ドルという賠償金を、韓国、北朝鮮人民共和国、中華人民共和国に払わせようというものなのだ。

そしてこれまで、韓国・朝鮮は欲しいものはすべて手にいれてきた。日本は非常に罪悪感をもっているし、日本左翼はアメリカの左翼がアメリカを嫌うよりもっと日本を忌み嫌っているからだ。

ではなぜ、今回の謝罪要求を拒否することが 正しい のか、そして何故安倍の拒否する理由が 間違っているの説明しよう。

だがその前に先ずいくつか歴史的事実を確認しておこう。これらの事実に疑いの余地はない。

  1. 1930年代から第二次世界大戦中、朝鮮や中国の女性が(そして日本女性も)性の奴隷として強制的に日本兵に仕えさせられていたのは事実である。
  2. これらの奴隷制度が日本政府の命令によって起きたことも、日本軍が行使したことも事実である。それが「民間業者」を使った間接的な関与であろうと軍による直接的関与であろうと事実上全く差はない。

  3. なぜかといえば、独裁政権のおいて真の民間企業など存在しないからである。旧日本は社会主義の独裁政権であった。 企業はいちいち政府の許可なくしては自由行動などできなかったからである。

しかしこれらのことが真実だとしたら、なぜ日本は謝るべきではないのか、何故賠償金を払うべきではないのか、という疑問が生まれる。その理由は上記のことが事実であると同時に下記のことも事実だからである。

  1. 上記のような悪行を働いた旧日本政府は1945年9月2日をもって消滅した。日本が連合軍に対して無条件降伏をし、ミズーリ艦の上で調印した時点で消えたのである。
  2. 現在の日本政府は1947年5月3日になるまで存在していなかった。現在の憲法が創立されたのは1952年のことであり、我々が政権を完全に移譲したのは1956年で、同時に国連が日本を独立国として承認した。
  3. であるから現日本政府はこれらの悪行が犯された時点では存在していないかったのだ。
  4. それを言うなら現在の韓国、北朝鮮、中国も現在の形では存在していなかった。これらの政権はすべて戦後に設立されたものだ。

加害者政府である大日本帝国も犠牲者政府の朝鮮、共産主義前の中国もすでに存在しておらず、加害者政府の犯罪者たちはすべて死んで埋められてしまったのだ。.

こうして考えると、このニューヨークタイムスの記事全体がどれだけ馬鹿馬鹿しいかがわかる。これは著者の人種の罪という人種差別的な考えを暴露するようなものだ。日本という土地に偶然現在住んでいる現代の日本人子孫が、同じ土地に住んでいた全く別の人々の犯した罪を人種的に共有するという考え方は人種主義の最たるものだ。

そう、その通り、ニューヨークタイムス は共産主義国家や、がめつい資本主義国家に有益になるように、罪がDNAによって受け継がれるという人種論を唱えているのだ。タイムスの記事を気をつけて読んでみよう。

安倍新造首相は本日、アメリカ議会が日本に氏の国家が第二次世界大戦中、性の奴隷として外国人女性を使ったことに関して謝罪を要求した場合..

安倍の国家は世界大戦中には存在していない。したがって外国人女性を性の奴隷として使った事実はない。

日本はすでに合衆国下院において考慮されている決議案に反対するため働きかけている。この議案は東京に対し、日本軍が主に朝鮮人と中国人からなる20万人の比喩的に「慰安婦」と呼ばれた女性たちを奴隷としたことについてきちんとした責任を求めるものである。

現在の東京がどうやって前政権の他の人々がしたことに「きちんとした責任」が取れるというのだろうか? この同じ独裁政権は日本市民を奴隷化し虐待していたのである。日本市民こそが独裁国粋社会主義国家の最初で一番の犠牲者だったのだ。

もし殺人犯が死んでいたら息子を刑務所に送れというのか? 
道徳的上不可能なことだ。

日本はこの件について1993年に謝罪をしている。しかし安倍氏と他の保守派大臣らがこの公式な罪の認識を日本の戦中の歴史見解を変えていこうとする大きな動きのひとつとして、過去の謝罪を希薄なものにする、もしくは撤回するのではないかという心配がされている。

現在の「日本」には「戦中の歴史」など存在しない。なぜなら現在の「日本」 は戦争が終わって少なくとも2年後にならなければ存在しなかったからである。

安倍氏はこのくだらない議案に対して次のように拒絶を説明すべきである。

アメリカ議会の皆様、今回は前世紀初期何年にも渡って日本を占領していた国粋社会主義独裁政権による朝鮮や中国の罪のない人々に対して行われた悪行に光を当てていただきありがとうございます。同じ社会主義独裁政権は日本人に対しても同じ犯罪を犯しました。私達もこのようなすべての全体主義に対する嫌悪の念を皆様とご一緒に表現させていただきます。

現在の朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の人々は膨大で強制的な独裁的社会主義の恐ろしさはよくご存知のはずです。どちらの国の人々も第二次世界大戦終了後そのような独裁政権による殺人や拷問といった極悪非道な所業の犠牲者となってきたのですから。そしてどちらの国も、日本と違って、この人権に対するひどい犯罪を犯した同じ政権が統治を続けているのです。毛沢東の「文化革命」が殺した中国人は700万人。1950年、金日成による理不尽な韓国への侵略では250万人が殺され、その跡取りの金正日の時代にはさらに数百万人という朝鮮人が餓死しています。この二つの共産主義政権下における自由や人権迫害は言うまでもありません。

私たちはひとつの独裁政権下で苦しんだ人々に心から同情の念をお送りします。そしてまた私たちは別の独裁政権下で苦しんでいるすべての人々にも手を差し伸べます。しかし私たちは、今日の政権下において誰も加担していない犯罪について謝ることはできません。

ですからアメリカ議会の皆さまに興味深い歴史のお勉強をさせていただいたことは感謝いたしますが、私たちは謝罪も弁償もいたしません。文句あっか!.

ジョン・ボルトンが首相である図を想像して一発かましていただきたい。 安倍さん、がんばれ!

March 6, 2007, 現時間 6:16 PM | コメント (5) | トラックバック (0)

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日付け → →March 4, 2007

何がタリバン春の大攻撃だ!

今日、産経新聞の「タリバン、春に大攻勢へ アフガン駐留外国部隊が標的」という記事を読んでカカシが大学生の、パキスタンの留学生との会話を思い出した。ある時私はパキスタンとインドがカシミアを巡ってまた戦闘を始めたようだねという話をしたら、パキスタン空軍でパイロットをしていたこともある彼は、「あ~春だからね」と退屈そうに答えた。彼に言わせるとカシミアあたりは冬は寒くて雪もつもり山岳地帯での戦闘はほぼ不可能。暖かくなってくるとお互い何発か打ち合って形だけの戦闘をやるのが習慣なんだそうだ。これじゃまるで日本の春闘とおんなじだなとカカシは苦笑いをしてしまった。(今でもあるのかな、春闘って?)

3月3日8時0分配信 産経新聞

 【バンコク=岩田智雄】イスラム武装勢力タリバンが、アフガニスタンに駐留する米軍など外国部隊に対し、春の大攻勢に向けて戦力を整えつつある。米国やアフガン政府は、テロの司令塔はパキスタン国内に潜伏しているとしており、米軍による直接攻撃の可能性も示唆し始めた。

 アフガンでは昨年だけで139件の自爆テロが発生。一昨年の21件から急増した。

 現地からの報道によると、タリバンのダドゥラー司令官は先月21日、新型の対空火器を入手したと明らかにするとともに、現在6000人のタリバン兵が、間もなく1万人になると主張。ゲリラ活動が容易になる雪解け後の攻勢が始まると宣言した。別のタリバンのカーン司令官も先月28日、アフガンで自爆要員2000人を確保し、うち1000人を、治安が比較的安定している同国北部へ移動させたと述べた。

実はアフガニスタンでタリバンはすでに何度もNATOへの総攻撃を試みており、今年にはいって200人からのタリバン武装勢力がカナダ・イギリス軍を中心にしたNATO軍に殺されている。

実は先月、ニューヨークタイムスは2006年にアフガニスタンでは4000人が殺されたと報道した 。しかしこの記事では殺された「人々」が一般市民だったのか敵側のタリバンだったのかはっきりされていなかった。 もし殺されたほとんどがタリバンだったとしたらタリバンの総攻撃は大失敗だったということになる。これは調べてみる価値があると思った。 その結果驚くべき事実がはっきりした。

タリバンの戦死者数を調べるにあたり、カカシはCounterTerrorism blogThreatsWatch に載せられたアフガニスタンに関する記事からタリバンの死者数を月別に数えてみた。9月の数はNATOの公式発表の数を使った。

2006年月別タリバン戦死者数は書きの通り。

2006年、タリバン戦死者数
戦死者数
一月 16
二月 (No data)
三月 43
四月 45
五月 412
六月 515
七月 708
八月 122
九月 900
十月 105
十一月 20
十二月 165
2006 合計 3051

これで解るように去年一年間でアフガニスタンでの戦死者4000人のうちなんと四分の三はタリバンだったことがはっきりしたのである。

これらの数は公式発表ではない。私が記事に書かれた戦死者数をいちいち数えたもので多分実際にはもっと多いはずだと考える。たとえば9月は私の勘定だと319人だったが、公式発表では900人となている。

どういうわけかイラクでのアメリカ兵の戦死者やイラク市民の犠牲者の数には異常なほど興味を示す主流メディアはアフガニスタンでどれだけ悪者が退治されても全く興味がないらしい。

ここでメディアが全く認識しないカナダ、フランス、イギリス軍の英雄たちに拍手と声援を送ろう。また9月に勇敢な戦いをしたアメリカ陸軍特別部隊にも脱帽!

確かにタリバンは完全に崩壊したわけではない。まだまだ残党がいる。しかしこれまでの何百回という戦闘でもわかるように、タリバンはNATO軍に総攻撃をかけるたびに大惨敗しているのである。去年の死者のうち2000人はタリバンが攻撃を激化させた後半の四ヶ月で出た数だ。 であるから春先のアメリカ軍への攻撃においても突然タリバンが圧倒的な勝利を得るなどという可能性は低い。

ただ問題なのはタリバンがアフガニスタンでままならぬ勢力をパキスタンに伸ばしていることである。前出の産経新聞によると、

米軍、パキスタンで直接攻撃を示唆

 イスラマバードの消息筋によると、タリバンは、最高指導者オマル師の指揮下にあり、同師の周辺にはダドゥラー氏ら30人の司令官がいる。タリバンのほかにも10以上のテロ組織があり、かつてタリバンと敵対した反米イスラム原理主義者、ヘクマティアル元首相らのグループが活動している。

 米国はこれまで、タリバンの指導者がパキスタンのアフガニスタン国境に近い部族地域などに潜伏し、国際テロ組織アルカーイダが訓練キャンプを再構築していると指摘してきた。

 消息筋によると、チェイニー米副大統領は先月、パキスタンのムシャラフ大統領との会談で、アルカーイダナンバー2のザワヒリ容疑者とタリバンのダドゥラー司令官の殺害あるいは拘束を具体的に求めたという。米国は、2人が春の大攻勢を主導し、現在パキスタンとアフガニスタンの間を自由に往来しているとの情報を得ているといい、チェイニー副大統領はテロリストの動きが止まらない場合、米軍がパキスタンで直接、武力行使する可能性を示唆したとされる。

 ムシャラフ大統領としては、パキスタン軍がタリバンを攻撃すれば、同政権がテロの標的になりかねないため、対応に苦慮しているもようだ。

ムシャラフ大統領はアメリカ政府に協力したいのはやまやまだが、自分も何度も暗殺の対象になった身でもあり、厳しい取締りをしたくてもそれだけの権力がないというつらさがある。だが、テロリストと妥協は出来ない。

ムシャラフ政権が倒れた後のことも見越して、アメリカ政府がパキスタンにある核兵器がテロリストの手に渡らないようにすでに手を打ってあることを祈るのみである。

関連記事:
NATO軍春を待たずしてアキレス作戦
アフガニスタン:どうなったのタリバン春の大攻撃?

March 4, 2007, 現時間 3:03 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

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米共和党の大統領候補はいかに?

アップデートあり: アメリカ全国の世論調査ではジュリアーニ氏がダントツで大人気。詳細は後部参照。

2008年の大統領選挙を前にカカシはなぜか民主党候補の話ばかりをしてきたが、ここでちょっと共和党の候補者の話もしておこう。

先日毎年恒例の保守派集会(Conservative Political Action Conference、CPAC)があり、最後の日に共和党候補者の人気投票があったので、先ずその結果から。

  • ミット・ラムニー(Mitt Romney)、マサチューセッツ州知事、21%
  • ルーディー・ジュリアーニ(Rudy Giuliani)元ニューヨーク市長、 17%
  • サム・ブラウンバック(Sam Brownback)カンザス州代表上院議員、15%
  • ニュート・ギングリッチ、(Newt Gingrich)ジョージア州代表、元下院議長、14%
  • ジョン・マケイン(John McCain)、アリゾナ州代表上院議員、12%
日本の皆さんは多分元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏くらいしかご存じないだろう。正直な話アメリカ人の間でも知名度が高いのはジュリアーニ氏とマケイン議員くらいだ。実を言えば私もこのリストに載っている候補者に関してそれほど詳しいというわけではないので、ここで読者の皆さんと一緒にお勉強したいと思う。

ミット・ラムニー: ラムニー候補が他の候補者より有利な点は候補者のなかで州知事なのはこの人だけだということだ。ジョン・F・ケネディが上院議員から大統領になったのを最後に、その後の大統領はすべて州知事から出ている。アメリカは連邦政府であるから各州が言ってみれば国家のようなものだ。各州にはそれぞれの憲法があり、それぞれの議会がある。だから州知事は規模は小さいが大統領と同じような仕事をしていると言える。

しかし、ラムニー知事にはいくつか問題点がある。先ず知事はモルモン教徒だ。モルモン教はアメリカでは暴力的なカルト集団として始まり、最近まで一夫多妻制を実施しており、違法になっても一部の宗派が時々重婚罪に問われているような宗教である。 また知事は同性愛結婚や人工中絶に関しても数年前までのリベラルな姿勢から、大統領を目指すようになって保守的な姿勢に変えたご都合主義だという批判もある。

ルーディー・ジュリアーニ: アメリカ市民の間では今のところ共和党の候補として一番人気なのがジュリアーニ元ニューヨーク市長だろう。彼のニューヨーク市長としての活躍は世界中でも評判が高い。なにしろ彼の画期的な政策でニューヨークの犯罪率は半減するという快挙を成し遂げたし、911直後に彼が見せたリーダーシップはニューヨーカーのみならずアメリカ中の市民を勇気付けた。ヒラリーやオバマ相手でも常に高い評価を受けているひとで、有力な候補である。

問題なのは、ジュリアーニは保守派ではなく比較的リベラルだということだろう。同性愛結婚にも賛成だし、人工中絶の合法性も守るべきだと言う考えであり、自分も二回も離婚をして三度目の奥さんは二番目の奥さんと結婚している間に不倫をしていた相手だ。二度目の離婚はタレントの離婚のようにマスコミが大騒ぎをしたほどだった。

サム・ブラウンバック: 宗教右翼に人気のある候補者である。実は私はこの人のことを全然知らない。氏自身のウェブサイトでは結婚は一人の男性と一人の女性のみのものであると強調し、同性愛結婚には真っ向から反対な姿勢をみせている。税金の面や小さい政府など保守派の優等生が言いそうなことが並べられている。 今はあまり話題になっていないが、今後に注目というところだろうか。

ニュート・ギングリッチ: 1994年に彼のリーダーシップによって40年に渡る民主党独占から議会を奪い取った改革派である。彼は正式には候補者として名乗りを上げていないが、保守派の間では人気があるようだ。

ただ、当時も今も彼に対する民主党の憎しみは非常に大きい。ブッシュ大統領が民主党にどれだけ毛嫌いされているかを考えたら、ニュートの場合はその何十倍もひどいことになるだろう。民主党はまだ1994年のニュート革命を許していないからだ。

ジョン・マケイン: アリゾナ州代表のマケイン上院議員は一般的に反保守派のアメリカメディアからは好かれており、彼の言動は常に好意的に取りざたされる。それというのもマケイン議員は共和党議員でありながらブッシュ大統領の政策を遠慮なく批判するからだ。彼はイラク戦争では兵が足りないと最初からブッシュ大統領やラムスフェルド前防衛長官を批判していた。ベトナム戦争中にパイロットで北ベトナムで捕虜になった経験もある。

問題なのは彼の行動は予測がつかないということだろう。時として奇想天外な行動をするし、突然ぶっちぎれる節がある。大事なときに民主党と手を組んだりするので、保守派としては信用できないと考えている人も多い。今回の大会にも欠場するという保守派に対して失礼な態度を取ったことも人気投票で下位になった原因かもしれない。

アップデート: 保守派の間ではラムニー候補が人気があるが、一般市民の間ではジュリアーニ候補が人気ダントツ。下記は時事通信の記事より。

ジュリアーニ氏が支持伸ばす=次期大統領選の共和党候補争い-米誌

3月5日7時0分配信 時事通信

 【ニューヨーク4日時事】米誌ニューズウィーク(電子版)が4日までに公表した世論調査結果によると、2008年の次期大統領選挙をめぐる共和党内の候補者争いで、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が、マケイン上院議員やロムニー前マサチューセッツ州知事を抑え、支持を伸ばしていることが分かった。
 共和党の有力候補同士の対決では、ジュリアーニ氏とマケイン氏の支持率は59%対34%となり、その差は1月の前回調査(48%対44%)から拡大した。ジュリアーニ氏とロムニー氏では70%対20%だった。

共和党の予選で勝っても一般選挙で勝たなければ意味がない。 共和党は民主党のヒラリーやオバマ、もしくはエドワードなどに対抗できる候補者を選ぶ必要がある。となれば保守派としてはちょっと支持しにくいルーディでもその人気を考慮に入れておく必要がある。

March 4, 2007, 現時間 12:41 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

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日付け → →March 3, 2007

安倍首相の慰安婦強制性否認発言、米各誌が批判

アップデート:オオニシ記者の邦訳の一部を掲載しました。後部参照。

アメリカでは旧日本軍の俗に言う慰安婦問題が取りざたされることはめったにない。普通のヘッドラインニュースという主なニュースを集めているニュースフィードでは先ず見かけないので私などは常に見逃している。今回も親日オーストラリア人のマットとアメリカ人のゲーリーが経営している英語ブログOccidentalism(オクシデンタリズム)が旧日本軍の慰安婦問題について特集しているのを読んで初めてアメリカで阿部首相の発言が報道されていた事実を知った。全く灯台下暗しというかお恥かしい限りである。

先ずここで私ははっきり言っておくが、私は慰安婦問題の事実関係がどうであれ、旧日本政府がしたことを現在の日本政府が現在の朝鮮や中国に謝る義理はないと考えている。ましてや部外者のアメリカ議会が議決など通して日本に責任を問うなどお門違いもはなはだしい。

安倍総理の慰安婦に関する発言は私が観る限りアメリカの各新聞が批判的な書き方をしている。しかし阿部氏の発言が誤って翻訳され、実際よりも衝撃的な発言として報道されたのではないかとマットは指摘している。元記事になったと思われるニューヨークタイムスの記事を書いたのがあの反日で悪名たかい日系カナダ人のオオニシ記者であるからこの誤訳は意図的なものなのではないかという気もしないではない。 では先ず米各誌が問題にしている安倍総理の発言とは何か。

先ずこれがAPの記事だが、英語を日本語に訳してみると、、(著者はコーゾー・ミゾグチ記者)

東京 - 日本の国粋主義総理大臣は木曜日、日本軍が第二次世界大戦中に女性を強制的に性奴隷としていた事実を否認し、同国歴代政府の謝罪に疑いの影を投げかけアジア近隣諸国とのもろい関係に危惧を及ぼしている。

1993年の性奴隷に関する謝罪を撤回しようとしている政治家のメンバーである阿部新造の発言は「慰安所」といわれた軍売春宿に関して首相としてこれまでにない明確なものであった。

歴史学者たちによると1930年代から1940年代にかけて20万人に及ぶ女性たちが、主に朝鮮と中国から日本軍の売春宿で勤めたという。 犠牲者の多くが日本兵に拉致されたうえ強制的に性奴隷にさせられたと証言している。

しかし9月に首相に就任して以来日本の学校において愛国心を促進する積極的な外交政策を取り入れてきた安倍総理は女性たちが強制的に売春行為をさせられたという証拠はないと語った。

「事実として強制があったことをを裏付ける証拠がない。」と安倍氏は語った。(“The fact is, there is no evidence to prove there was coercion,” Abe said.)

氏の発言は1992年に歴史学者たちが発掘した日本軍が直接仲買人を使って強制的に女性たちを調達していたことを示す書類の示す証拠と矛盾することになる。

これらの書類は、売春宿は東アジアにおいて広がっていた占領軍による無制御な強姦に対応するため日本政府によって設置されたという犠牲者や兵士らの証言にと一致している。.

マットはこの安倍氏の発言は意図的に誤訳されたのではないかと言う。ここでも以前に右翼が日本で言論の自由を奪おうとしていると書いた日系カナダ人のノリミツ・オーニシ記者は安倍氏の発言をこのように訳している。

“There is no evidence to prove there was coercion, nothing to support it,” Mr. Abe told reporters. “So, in respect to this declaration, you have to keep in mind that things have changed greatly.”

強制があったことを裏付ける証拠がない。(強制性を)支えるものが全くない。」と安倍氏は記者団に語った。「であるからこの宣言に関しては、事が大きく変わったのだということを考慮せねばならない。」

二つの記事で私が強調した部分が全く同じ文章であることに注意。普通翻訳をする場合、同じ発言でも翻訳をする個人によって多少言い回しが変わるものだが、APもニューヨークタイムスも全く同じ言い回しを使っているというのが興味深い。 マットによると安倍首相の元の発言は

「当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」 そして「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」

だったのだという。ここで「定義されていた強制性」という言葉が抜けているため、安倍氏の発言がまるで慰安婦問題そのものを否定するかのように表現されてしまったわけだ。

マットが提供している安倍氏のインタビューから解釈すると、安倍氏は「強制」という定義には狭い意味と広い意味があると考えているようで、狭い意味とは日本軍やその手先が婦女子を拉致し連行して無理やり性行為をさせたという意味と、広い意味では貧しい環境にあって売春を余儀なくされたという場合が含まれるというものだ。安倍氏が「証拠がない」と言っているのはこの狭い意味での「強制性」なのである。

私は1992年に公開されたという書類の内容を呼んでいないので、ここにこの強制性がどのように表現されているのか知らない。以前にも坂さんが慰安婦はいわゆる身売りという形でおきたもので強制ではないと書いていたが、同ブログでゲーリーが張っている慰安婦募集の新聞記事が本物だとすれば、日本軍が慰安所を設置していたというのが事実だとしても、そこで働いていた女性たちが(安倍氏のいう狭い意味で)強制されて働いていたという説は弱まる。

日本の歴史上恥かしいことではあるが、身売りによる売春は当時日本でもごく普通であったので、朝鮮や中国でもそのようなことがあったとしても不思議でもなんでもない。私が昔読んだパールバックの「大地」でも日本軍の侵攻前の中国で、主役のワンルンが貧しさのなかで子供を売るかどうか妻と話す場面が出てくる。正直言って家計を支えるために我が子を売り飛ばすなどという習慣は今でも東南アジアでは日常茶飯事なことであり、なにも戦時中の日本に限ったことではない。

確かに女衒に騙されて売春宿に売られた婦女子も多々いたことだろう。なかには金儲け主義の女衒が無理やり若い女性を誘拐したこともあったかもしれない。日本でもサンダカン八番娼館などでも描かれているように、自分の意思に反して売られた子供はいくらでもいる。だが、それを旧日本軍が組織的に奨励していたという証拠はないと安倍氏は言っているのだ。

つまり、このように何処の国でも普通に行われていた身売りの習慣が、単にその働き場所が日本軍専用の宿だったというだけで日本がわざわざ国際的にその「罪」を認めて謝る必要があるのかという疑問が生まれるわけだ。 特に私としては慰安施設の設置が地元の婦女子への暴行を防ぐためというものだったとしたら、それほど悪いこととも思えないのである。

アップデート:

下記オオニシ記者の記事より抜粋(木走まさみずさん訳):

東京、3月1日: 木曜日、安倍晋三首相は、日本の政府の長年の公的立場に逆らって、第二次世界大戦中の日本軍が性的奴隷制度を外国人女性に強制してきたことを否定した。

安倍氏の声明は、政府が否認する準備をしている、売春宿を設置し性的な奴隷制度に女性を強制したことに直接もしくは間接的に軍の関与を認めた1993年の政府声明からは、最も明確に遠いものとなった。 当時の宣言は遠回しに「従軍慰安婦」と呼ばれた女性たちへの謝罪も言及していた。

 「当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と、安倍氏は報道陣に発言。 「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」(カカシ注:木走さんには申し訳ないが、英語の原文には「当初定義されていた」とは書かれていない。これはカカシが本文中で指摘した通り。)

アメリカ議会下院では、日本政府が戦時の性奴隷制度における軍の役割を「謝罪しかつ認める」ように呼びかける決議について審議を始めている。

しかし、同時期、日本の戦時の歴史を改訂しようとする最近の傾向が保たれている中で、与党自由民主党内の保守派は、1993年の宣言を無効にせよとの主張を促進させている。  安倍氏は、一連のスキャンダルにより支持率が急降下し、リーダーシップが無いと認識されはじめているが、このグループ(保守派)に同調するようだ。 (以下略)

つまりオオニシ記者は安倍首相が下がってきた支持率を上げるために日本の右翼に迎合していると言いたいらしい。

March 3, 2007, 現時間 9:16 AM | コメント (2) | トラックバック (1)

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カカシまた長旅に出る

先週からまた長期出張に入っている。 今回は去年のようにハワイや東海岸ではないので、週末など暇があれば車で実家に帰ることもできると思ってハワイ出張をサンディエゴ出張の同僚と代わって貰ったのだが、こちらの仕事はきついのなんのって。 もう毎日15時間の勤務は普通である。 土日もうかうか休んでいられないとあって、こんなことならいっそハワイへ行けばよかったと後悔している。

とにかく忙しいのでブログを書く暇がない。この週末にはなんとか色々書き溜めて読者の皆さんにご迷惑をかけないようにしたいと思う。

もし更新の頻度が衰えたらそういうことなのでご了承願いたい。

March 3, 2007, 現時間 1:56 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

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日付け → →March 2, 2007

ブッシュのイラク新作戦-三週目の成績はまずまず

イラクにおけるブッシュの新作戦の経過を折々ご報告しているが、今回もそのシリーズを続けて行きたい。過去の関連記事は次の通り。イラク関係に興味のある方は右側の帯にあるカテゴリーからイラク関係を選んでいただければ、これまでの私のイラクに関するエントリーを読むことが出来るのでよろしく。

効果をあげるブッシュのイラク新作戦
イラクでの殺人減少の兆し、ブッシュ新作戦の効果か?

さて、この三週間のイラクでのイラク・アメリカ連合軍による警備活動は非常に大きな効果を挙げている。jules Crittendenがその総まとめをしているので、英語に自身のある方はそちらを読んでいただければ手っ取り早い. しかしそれでは私が日本語で書いている意味がないので、ここでそのいくつかをご紹介しておこう。

まずは三月一日付けロイターのこの記事によるとアンバー地区にてイラク軍は何十人ものテロリストを退治したとある。

バグダッド (ロイター) - イラク警備隊は水曜日、西アンバー地区の村を襲撃したアルカエダとの丸一日に渡る激しい戦いで、アルカエダの武装勢力を何十人と殺害したと警察当局は木曜日に発表した。

スンニの種族長たちによる同じスンニ派であるアルカエダとアンバー地区の統括を巡って勢力争いは激しくなるいっぽうだ。アンバーは膨大な砂漠地域でスンニアラブ反乱軍の本拠地である....

イラク内政省の報道官アブドゥール・カリム・カーラフ氏は地元民がアルカエダに反抗していたアミリヤットアルファルージャというアンバー地区の村での衝突でアフガニスンや他のアラブ人を含む外国人戦闘員を混ぜた武装勢力80名が殺され50名が拘束されたと発表した。

地元警察のアクメッド・アルファルージ氏は殺された武装勢力は70人で警察菅が三人殺されたと語っている。正確な数の確認はまだ出来ていない。

「あんまり多くの(テロリスト)が殺されたので、確実な死亡者数をお伝えできないのです」と警察はロイターに語った。

目撃者の話によると何十人というアルカエダのメンバーが村を襲撃したため、逃げた村民がイラク競売に助けを求めたことが警察とイラク兵士の動員となった。

この間から地元スンニイラク人と外国人テロリストであるアルカエダとの分裂が激しくなっているという話をここでも何度かしてきたが、スンニイラク人対スンニ外国人との戦いは今後ももっと激しくなると思われる。アルカエダがイラクで勢力を失ってきている証拠である。またイラク軍のお手柄にも拍手を送りたい。

昨日も産経新聞がバグダッドではシーア民兵を温存しているという批判的な記事が載ったのとは裏腹に、実際にはイラク・アメリカ軍の連合軍がシーア民兵マフディ軍の本拠地に徹底的な取り締まりを続けている。

サドルシティでは検問所をあちこちに設け、町の家々を一軒づつ捜索してまわる作戦が取られている。サドルシティ内部での厳しい取り締まり作戦はこれまでシーア派の政治家による反対が強く実施できないでいたが、今回はこれまでとは全く違った徹底したものになるという話である。

さて、問題のバグダッド市内だが、バグダッドはあまりにも静かなため、いつもイラク反戦の主流メディアですら静かだというニュースしか報道できないでいりう。jules Crittendenはそれ自体良いニュースに違いないとして、これまでイラク戦争についていい話しなどめったに書いたことがないAPの記事を紹介している。

バグダッド-(AP) バグダッドは木曜日、ここ数ヶ月において一番暴力事件の少ない日を経験した。二つの爆発で一人が死亡したと報告されている。

アメリカ・イラク連合のバグダッド警向上作戦三週目にしてバグダッドは比較的暴力の少ない日を迎えた。ブッシュ大統領は首都において個々の家々を回って捜索し民兵の非武装化にあたる警備に17,500人の米兵をあてがるよう命令した。

米軍は月曜日路肩爆弾の数も警備作戦が始まってから20%減ったと発表した。また、宗派間の殺人件数もここ一年間で最低の数になったという。

昨日ミスター苺がローカルニュースをテレビで観ていたら、イラクに関しては悪いニュースしか報道しないローカルニュースですらも、ブッシュの新作戦を評価する報道をしていたという。「増派といわずに警備作戦と呼ぶようになったみたいだ。」とミスター苺。そういえば、ロイターでもAPでも「増派」という言葉が聞かれなくなった。

無論アルカエダは今後もあの手この手で攻めてくるに違いない。自動車爆弾テロは成功すれば50人~60人といっぺんに殺すことが出来るので、まだまだ油断は許されない。だが、今のところ新作戦の成績はまずまずといったところだろう。

March 2, 2007, 現時間 11:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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イラク掃蕩作戦に悲観的な産経新聞

同じ状況をみていてもこれだけ見解の差があるのかという記事を読んだので、ちょっとコメントしたい。産経といえど主流メディアであることに変わりはないし、何とかブッシュの新作戦のあら捜しがしたいようだ。

「掃討作戦」開始から2週間 シーア派、民兵温存と題して村上大介記者はイラクでの掃蕩は殺人の数なども減り、一見うまくいっているかのように見えるが、これはサドルとマリキ首相が事前に打ち合わせておいた「一時的潜伏」作戦の結果であり、アメリカの作戦がうまく言っているという意味ではないとしている。

イラクのイスラム教シーア派民兵組織とスンニ派武装勢力を標的とした駐留米軍とイラク治安部隊の大規模掃討作戦開始から2週間たった。最大の目標とされていた宗派抗争による無差別殺人は激減したものの、これは宗派殺人の中心となっていたシーア派民兵が事前に潜伏したためだ。シーア派側にうまくかわされた形の今回の作戦では、宗派抗争の実行部隊は温存される一方、スンニ派武装勢力の仕業とみられるテロも続いている。...

汎アラブ紙アルハヤートなどによると、サドル師は、マリキ首相の密使として派遣されたジャアファリ元首相(シーア派)との会談で「マフディー軍潜伏」を決断したという。「掃討作戦の対象はシーア派、スンニ派を問わない」との公式な立場を取るマリキ首相も、マフディー軍の「一時的潜伏」により大規模掃討作戦の目標の半分が、実質的に空振りに終わることを、暗黙のうちに認めていることになる。

 イラクの多数派として政府、議会の主導権を握るシーア派勢力にとって、コミュニティー内部の権力闘争や思惑の食い違いはある。しかし、米軍の段階的撤退が視野に入ってきた現状で、その後も“シーア派覇権”を維持するために独自の軍事力の温存は宗派全体としての中・長期的な“戦略的利益”にかなう。

敵が攻めてくると、さあ~と退いて身の潜め、敵がいなくなったら再び浮上するというやり方は、アラブ人特有の戦闘方法である。 アラブ戦闘員はおよそ踏ん張って守りの戦をするということをしない。このやり方は相手の数が少なく侵攻した領土を相手側が守るだけの人員が足りない場合には成功する。だが、一旦明け渡した領土に敵が居座ってしまったらどうなるのか。以前にもサドルの計算違いで書いたようにサドルはアメリカ軍2万1千の増派の意味をきちんと把握していないように思う。

サドルはこの機を利用して自分が気に入らなかった部下を連合軍に売り渡したりしているが、拘束されていつまでも釈放されずにいるマフディ軍の連中がサドルの裏切り行為を悟るのは時間の問題だ。そうなったとき、彼らは自分らの知っている情報をアメリカ軍にどんどんしゃべり始める可能性がある。どこで路肩爆弾を製作しているとか、どこにアジトが集中してるとか、イランとどのように連絡を取っているとか、エトセトラ、エトセトラ。

また、カカシが予測した次のような可能性も考えていただきたい。

最後にここが一番の問題だが、アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えている。シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安はあっという間に安定する。つまり、サドルの思惑はどうでも傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見えるのである。アメリカ議会が新作戦に反対しているのはこの作戦が失敗すると思っているからで、失敗した作戦に加担したと投票者に思われるのを恐れた臆病者議員たちが騒いでいるに過ぎない。だが、新作戦が大成功となったなら、奴らは手のひらを返したようにブッシュにこびへつらうだろう。そして勝ってる戦争なら予算を削ったりなど出来なくなる。そんなことをすればそれこそアメリカ市民の怒りを買うからだ。

結果アメリカ軍は早期撤退どころか、イラクが完全に自治ができるまで長々と居座ることになるだろう。

しかし産経新聞はアルカエダとの戦いもそう簡単にはいかないと悲観的である。

米軍とイラク治安部隊は、自動車爆弾の取り締まりに力を入れ、バグダッド市内の通行が不自由になっている。このため、米軍は、武装勢力側が従来以上に「自爆テロ」の手法を多用してくると予測しており、スンニ派武装勢力に限っても、掃討作戦成功へのカギはみえていないのが現状だ。

「掃討作戦成功のカギはみえていない」などと断言できるのは村上大介記者に想像力が無いからである。村上記者自身がイラクでの自爆テロは20%ほど減っていると書いている。これはいったい何が原因だと村上記者は考えるのか。まさかアルカエダまでが潜伏作戦を取っているわけではあるまい。

では何故アルカエダからの攻撃が減っているのか。その理由は簡単だ。イラク・アメリカ軍の対応が向上し、多くのテロが未然に防げるようになったからである。確かにアルカエダの連中はこれからも新しい方法でアメリカ軍やイラク人を攻撃してくるだろう。だがこれまでにも敵の動きにあわせて順応してきた連合軍が、これからも敵の作戦変更に順応できないという理由はない。それを全く考慮にいれずに作戦成功へのカギがみえていない」などとよく言えたものだ。

成功している作戦ですらここまでこき下ろす主流メディア。イラク新作戦の成功は文章の行間から読まなければならないようである。

March 2, 2007, 現時間 12:30 AM | コメント (1) | トラックバック (1)

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