昨日9/14日の夜、保守派政治評論家のベン・シャピーロがカリフォルニア州立バークレー大学で演説を行った。実は講演の瀬戸際まで実際に講演が実現するかどうか危ぶまれていた。それというのも、左翼ファシストテロ軍団のアンティファ・ファシスト連中がシャピーロの講演を妨害すべく集まってくることが充分に予測されていたからである。バークレー市は今年初旬にマイロ・イヤナポリスの講演を妨害したアンティファの暴力に対して全くといっていいほど警備を施さなかったことで批判を受けていたこともあり、今回はなんと60万ドルという警備費を投入して厳重な警備にあたった。おかげでシャピーロの講演は無事に行われた。
会場の外では1000人を超す反シャピーロ連中が集まり訳の解らないスローガンを叫び続けていたが、警察は武器を持っている人間や覆面をしている人間を次々と逮捕。法と秩序を守り通した。
保守派演説者を招待すると警備費が嵩むと文句を言ったり批判する前に、事態がここまで悪化する前に何故バークレー市は対策をとらなかったのかを考えるべきである。暴力沙汰を起こしているのは左翼過激派のアンティファ連中ではあるが、その暴力を許容どころか奨励してきた大学側やバークレー市にも多いに非がある。
全国各地のエリート大学が、保守派演説者を招待した学生たちに警備費と称して法外な金額を請求しておきながら、左翼暴徒らの暴力を学校側が全く阻止せず、警察に待機命令を出して、左翼の暴力を奨励している。
アメリカのエリート大学の多くが左翼連中たちに乗っ取られてしまった。大学の職員も教授もほとんどが左翼。1960年代の学生運動で過激派だった奴らが今や教授になってるわけだから、右翼や保守派の意見など最初から聞く耳持たないどころか、そういう意見はどんどん排斥している。そういう連中に育てられた現在の学生たちが左翼以外の言論を暴力で阻止しても良いと考えるのは当然だ。しかもそういう暴力的な行動を学校側が見て見ぬふりをするだけでなく奨励までしているとすれば、ことが激化するのはわかりきっていたことだ。
実は、本日のエントリーはこの間よもぎねこさんが多様性について書いているのを読んで、色々思うことがあったので私もそれについて書いてみようと思ってはじめたのだが、なぜアメリカの大学における保守派思想弾圧が多様性と関係があるのか説明しよう。
後退派左翼連中が言うDiversity(ディバースィティもしくはダイバースィティと発音)訳して多様性とは、思想や文化の多様性のことではない。彼らにとって大事なのは人種や国籍の多様性であり、顔や言葉のアクセントの違いは奨励しても、思想の違いは断固許さない。
この多様性という言葉はちょっと前まで使われていた多文化主義と同じだ。多文化主義は他国の文化を尊重するあまり、自国の文化を虐げるという本性がばれて人々から顰蹙を買うようになったので、後退派左翼は新しく多様性という言葉を使い始めたのである。だがどんな言葉を使おうとやっていることは全く同じだ。
後退派左翼の最終的な目的は共産主義を確立することだ。そのためには既存の自由主義文化を破壊することから始めなければならない。多文化主義だの多様性だのはそのための手段に過ぎないのだ。自国の文化と相いれない異文化の人間を大量に受け入れれば自国の文化は衰退する。それが彼らの目的だ。だから彼らの言う多様性とは決して思想の多様性のことを言うのではない。これらの人々に共通している思想はアメリカ文化の完全破壊にあるのだ。
アメリカは移民の国だと言うのは本当だが、だからといってアメリカ特有の文化がないのかと言えばそれは違う。いや、それどころか、他国からアメリカにやってくる移民のほとんどが、アメリカ特有の文化に魅かれ、その文化に自分もあやかりたいと思ってやってくるのだ。格言うカカシもその一人。私はアメリカに住む日本人で居たいと思ったことはない。私は日本を祖国に持つアメリカ人になりたいと思ってアメリカに移住したのだ。
だから私のような移民こそが、本当の意味でのアメリカ文化を守りたいと思っている。私のような移民は外国から来て外国の文化をアメリカに押し付けようとする奴らにものすごく腹が立つ。そんなに自分の国が良かったなら、なんでアメリカに来たんだよ、国へ帰れ!と言いたい。
多様性を唱える奴らは、このアメリカ独特の文化を破壊し共産主義を確立しようとするファシストたちなのだ。(共産主義もファシズムも同じ穴のむじなだ)彼らは暴力で他思想を弾圧し排斥する。であるから多様性などというきれいごとに騙されてはならないのだ。
ここでひとつ付け加えておく。「多様性」という概念は決してアメリカが生み出したものではない。これは欧米の後退派左翼連中が作り出したものだ。日本の保守派の人々がアメリカを誤解するのは、こういう悪い左翼思想がアメリカの左翼メディアを通して日本のメディアに引き継がれ、そのまま日本で報道されてしまうからだ。人種だけの「多様性」は決してアメリカ文化を代表するものではない。自国の文化を犠牲にして外国文化を取り入れるなどアメリカの精神に反する。
本当の意味での思想の多様性という意味であれば、自由社会ならだれでも奨励する。だが、後退派左翼の「左に倣え」の多様性などくそくらえである。日本がこういう悪い左翼思想に毒されないことを願うものである。
]]>この保守派版ウィキによると、極左翼市民団体として1971年にアラバマ州モンゴメリー市にてモリス・ディーズ(Morris Dees)という弁護士によって創立された。人権擁護を目的に弁護士料を払えない貧困者のために弁護をしてあげるという慈善事業の名目で始められたのだが、彼らが貧乏人の人権裁判で弁護などしてやったことなどほとんどない。
彼らの資金源は左翼リベラル連中からの寄付金が主だが、そのほとんどが団体の幹部らの高額な給料になっており、法律事務所という割には裁判に使われる金額はほんの少し。しかもその裁判というのが、『俺たちの言う通りにしないなら訴えて裁判にして破産させてやるぞ』といった恐喝まがいのものばかり。
SPLCからヘイト犯罪を犯したと訴えられた場合、それこそ弁護士を雇うことが出来ない零細団体はたとえ無実でも家財一切賠償金として持っていかれることもある。
彼らは「ヘイトグループ」と称する名簿を常に作っている。このヘイトリストには団体だけでなく個人も載っているが、彼らのリストに載るのはメンバーも数人でほとんど活動などしていない完全に無害な白人至上主義者のKKKやニオナチの他に、同性愛結婚に反対なキリスト教宗教団体、違法移民に反対な団体、人工妊娠中絶反対団体、イスラム教に批判的な個人、などが人種差別者と共に載っているのだ。
SPLCのヘイトリストに載ってしまうと色々な面で被害を被る。例えば大学で講演が出来なくなるとか、本が出版できなくなるとか、テレビに出られなくなるとか色々だ。今はされていないが一時期はFBIや国家安全保障省など参考資料にしていた時期もある。だがSPLCヘイトリストの弊害はそれだけではない。SPLCのヘイトリストを暗殺リストと解釈して左翼過激派がリストに載った団体や個人に実際に暴力をふるうという事件が起きているのだ。
2012年、フロイド・リー・コーキンズという男がFamily Research Councilという保守派団体の事務所に押し入り、警備員に発砲して負傷させるという事件が起きた。自ら国内テロ行為を認めたコーキンズは、この団体の存在をSPLCのホームぺージにあったヘイトリストから知ったと語っている。
新しいところでは、今年(2017年)の6月に野球の練習中の共和党議員ら数人に乱射した犯人も、SPLCのホームページはじめ多くの左翼過激団体に「いいね!」マークを付けていた。
SPLCはこれらの暴力に関して、自分らはすべての暴力を糾弾すると声明文を出している。
問題なのはSPLCは本当のヘイトグループと一緒に普通の合法で正当な団体までヘイトグループリストに掲載していることだ。極左翼であるSPLCにとって、バーニー・サンダースより右な団体は個人は誰でもヘイトグループということになってしまうからだ。
ではどんな団体がSPLCのヘイトグループリストに載っているのかといえば、先日発表されたサンディエゴ付近のヘイトグループのなかに、黒人至上主義団体やホロコースト否定主義者やイスラムテロリストグループなどに混じって二つのキリスト教会が含まれていた。なぜこの教会とその神父たちがヘイトグループと名指しされたのかといえば、それは単に彼らが同性愛結婚に反対しているということだけだった。これによって反LGBTのヘイトグループということにされたのである。しかし同性愛行為はキリスト教では認められていないので、この理屈でいうとキリスト教会はすべてヘイトグループということになってしまう。(それを言うならユダヤ教もイスラム教も同じだ)
問題なのはSPLCはKKKとかニオナチやブラックパンサーやイスラムテロリストという本当の意味でのヘイトグループと普通の宗教や保守派団体を同一に扱っていることだ。これをやるとリストの内容を気を付けてみていない人たちに、これらの宗教や保守団体がテロリスト団体と同じように危険な団体なのだという錯覚を与えてしまう。無論SPLCの目的はそこにあるわけだが。
2012年SPLCはヘイトリストの新しく載った人々に関してこう語る。
この調査書には古株及び新人の扇動者も含め30人の極右翼の人物紹介がされている。 これらの過激派には反政府活動家や人種差別主義ニオナチ団体、そしてイスラム教徒やLGBTに関して虚偽のプロパガンダを流している者も含めて、 国家の衰退する経済や非白人の移民や多数派としての白人人口が減っていることを悪用して話題を集めている者たちである。
この声明文だけを読んでいても、いかにSPLCがずる賢いかが解る。反政府活動家だのニオナチだの国民の誰もがヘイトグループと納得する団体と一緒にイスラム教徒に批判的とか同性愛結婚に反対するといった人々を載せ、大量な違法移民を反対する人々なども人種差別者と一緒くたにしている。
このリストに載った「ヘイト」個人の中には、長年イスラム教の悪行に批判的なアイアン・アリ・ハーシュ女史、ブリジット・ゲイブリエル女史、パメラ・ゲラー女史や、同性愛結婚に批判的なキリスト教保守派のマイケル・ブラウン氏やルー・エンゲル氏や歴史家のデイビッド・バートン氏、さらには共和党大統領立候補者のひとりベン・カーソン医師まで「過激派」リストに含まれているのだ。
この間シャーロッツビル市で起きた白人至上主義団体と左翼暴力団のアンティファ・ファシストらとの衝突の際に、左翼フェイクメディアのCNNがまたぞろSPLCのインチキヘイトグループリストを発表したため、能タリンの芸能人ジョージ・クルーニーや左翼の悪玉ジョージ・ソロスなどが多額の金をSPLCに寄付した。
遂にこの本当の意味でのヘイトグループであるSPLCに対して訴訟を起こすグループが現れた。訴訟を起こしたのはD・ジェームスミニストリーという宗教団体。彼らはSPLCが真実でないことを十分承知のうえで教会の名前をヘイトグループの一つとして掲載したことは名誉棄損だとしている。
参考サイト
The Southern Poverty Law Center is the Most Dangerous Hate Group in America
12 Ways The Southern Poverty Law Center Is A Scam To Profit From Hate-Mongering
Some People Love to Call Names
The Southern Poverty Law Center's extremist list isn't a Consumer Reports guide. It's a political tool.
しかし最近になって、ファシストたちの本当の動機について誤解していたのではないかと考えるようになった。それというのも、最近奴隷解放の父であるエイブラハム・リンカーンの彫像が破損されたからである。
ファシストたちの破壊の対象は南部軍英雄だけに留まらない。彼らはすでにアメリカ創造の父たちであるトーマス・ジェファーソンやジョージ・ワシントンの像まで壊そうと言い始めている。最近みた一コマ漫画では自由の女神が「次は私」と怖がっている姿が描かれていたほどだ。
ファシストたちの目的は破壊だ。彼らは右翼だの左翼だのといった政治には興味がない。彼らが欲しているものは法と秩序の破壊だ。現代文明の破壊だ。彼らは単に何もかもを破壊することで快楽を覚えている魂のないオークのようなものだ。彼らには洗練された政治的な目的など何もないのである。そういう点では彼らはイスラム国の連中と同等かそれ以下の原始人だ。
こういう統率不能な輩を、保守派の言論を弾圧できるからと言って後退派左翼連中が擁護していると、いずれファシストの矛先は民主党に向けられるだろう。
ファシストたちにとって破壊する対象は何でもいいのだから。
テネシー州のメンフィス市にあるオーフィウム劇場では毎夏恒例風と共に去りぬの上映が今月11日をもって今後同映画を上映しない旨を発表した。劇場側の案内によると、この映画上映に関していくつかの苦情をもらったことから経営者の判断で今後の上映はしないことにしたというのだ。
私は風と共に去りぬを中学生の頃に読んで、その時ずいぶんと黒人差別をあからさまにした小説だなと思ったものだ。しかし同時に南北戦争を南部の金持ちの視点から見たという意味では興味深い小説だとも思った。その後宝塚の舞台や映画も観たが、どちらからも原作にあるあからさまな黒人差別の描写はかなり削られていた。
しかし、1970年代に初演された宝塚の舞台版とは違って映画の方は公開が1930年代。まだまだ黒人差別が普通だった時代なだけに、今だったら信じられないような描写があることは確か。
先ず南部の視点から見ているので南部軍は英雄で、奴隷制度廃止を唱えていた北軍を悪者にしていること。それだけでなく、映画を通じて優しい人とされている従妹のメラニーが、主人公のスカーレットが安い労働者として白人囚人を雇ったとき、囚人を無理やり働かせるなんて非人道的だ、何故くろんぼを雇わない?と怒ったり、スカーレットが黒人と白人の二人組に襲われそうになり逃げかえってきた後、KKKのメンバーであるスカーレットの家人が黒人退治に出かけて警察に追われるシーンなどがあったりする。
この小説は我々現代人からは受け入れられない視点から見ていることは確かだ。だが昔はこういうふうに考えている人もいたということを知っておくのも大事な勉強だ。原作者のマーガレット・ミッチェルは南北戦争当時の人ではない。この小説は彼女が昔の南部にあこがれて書いた幻想小説である。
それに対して奴隷制度時代に生きていたマーク・トウェイン作のハックルベリーフィンの冒険はトウェインの実体験が背後にあるためかなり重みが違う。マーク・トウェインの名作であるこの小説も多くの小学校や中学校の図書館から取り除かれている。その理由というのもニガー(黒んぼの意味)という黒人侮蔑語が小説内で頻繁に使われているから、というのが理由だ。しかしハックの冒険ほど奴隷制度を批判した小説も珍しい。しかもこの小説の舞台は作家の生きていた実社会の物語なのだ。黒人奴隷がいて当たり前な社会に生きていたトウエインが奴隷逃亡に加担する少年の話を書くことは、言ってみれば当時のポリティカルコレクトネスに多いに違反する行為だったはずだ。
それなのに奴隷制度を批判し黒人差別反対と唱える人に限ってハックの冒険を排斥しようとする。奴隷制度の悪を描き、その制度に反抗した勇気ある少年の話を当時普通に使われていた侮蔑語を使っているからといって排斥することの愚かさに彼らは気が付かない。
このままだと学校教育で南北戦争を教えてはいけないという時代が来るのは近い。何故アメリカは国家二分の戦いをしたのか。なぜあれほどまでの犠牲を出して親兄弟が敵対するような戦争をやったのか。そのことを理解できないから、南部軍英雄の彫像を破壊したり、国歌斉唱の時に起立しないで膝をついてみたり、星条旗を冒涜したりする馬鹿人間が出てくるのだ。南北戦争の本当の意味を国民が理解していたら、アメリカ国民がアメリカに誇りをもちこそすれ恥を感じるようなことは断固あり得ないはずだ。
繰り返すが奴隷解放を歌って北部軍を率いた大統領は誰あろう共和党のエイブラハム・リンカーンである。
"Those who don't know history are doomed to repeat it." 「歴史を忘れるものは歴史を繰り返す」 ー Edmund Burke エドモンド・バーク。
風と共に去りぬ -あらすじ
物語は南北戦争勃発寸前の南部ジョージア州アトランタ市で始まる。主人公のスカーレット・オハラは通称タラという大農場を持つアイルランド系移民の金持ち令嬢。(タラというのはオハラ氏の祖国アイルランドの出身地の名前)負けん気の強いうら若きスカーレットは慕っていたアシュレーに激しく求愛するが、彼が従妹のメラニーと結婚するつもりだと聞いて、腹いせに好きでもない男と結婚してしまう。
そうこうしているうちに南北戦争が始まる。夫のチャールズはわずか結婚二か月で戦地で病死。若くして未亡人となったスカーレットは大邸宅を負傷兵たちのために明け渡し、戦争中ずっと負傷兵の看病に身を尽くす。
南部は負け、スカーレットの大農場も破産。金に困ったスカーレットは怪しげな手段で金儲けをして裕福で危険な魅力を持つレット・バトラーと結婚。二人の間には娘が授かるが、スカーレットの思いは今もアシュレーのもの。スカーレットはレットの献身的な愛情を素直に受け止められない。そんな二人の間に悲劇が訪れる。二人の愛娘が落馬してこの世を去り、スカーレットとレッドの亀裂はさらに深まる。そんな折、アシュレーの妻メラニーが病死。メラニーの死に振り乱すアシュレーを見て、やっとスカーレットはアシュレーの弱さを知り、レットの深い愛を悟り、自分がどれほどレットを愛するようになっていたかを悟る。
レッドの本当の愛と自分の気持ちを知ったスカーレットはそのことを伝えようとレットのもとに行くが、レットは荷物をまとめて家を出ていこうとしていた。あなたを愛している、あなたが居なくなったら私はどうすればいいの、というスカーレットに対し、レッドは、
「正直なところ、俺にはもうどうでもいいことだ」"Frankly my dear, I don't give a damn."
という名台詞を残して去っていく。残されたスカーレットは私はどうすればいいの、といったんは泣き崩れるが「それは明日考えよう、明日は明日の風がふく」と言って立ち上がる。
ーーーーーーあらすじ終わりーーーーー
大変長らく皆さまにご迷惑をおかけしましたが、やっとこさMovableTypeバージョン4.21へのアップグレードが完成しました。もう長年バージョン3.なんたらの旧式を使っていて限界が来ていたのですが、面倒くさくて放ったらかしにしておいたら全然書けなくなってしまいました。サイトホストのお姉さんに色々助けてもらって、ウエッブをファイアーフォックスに切り替えたらどうなのと言われたので、試してみたら見事成功!
こんなこと言いたくないですが、エクスプローラーエッジはものすごく使いにくいです。もう絶対に使いません。
え~とそれで、読者の方からツイッターのほうで変な投稿が続いてますけどサイト乗っ取られたとかじゃないですよね、というようなお問い合わせまでいただきましたが。実はミスター苺がヘルプデスクのお姉さんと色々試しに書いていて、彼は日本語が書けないので英語でテストテストみたいなことをふざけて書いてたのが、そのままフィードに載ってしまったようです。あとで消しときますんで、どうもすいませんでした。
ではこれからもご愛読よろしくお願いいたします。
]]>アメリカ・バージニア州で白人至上主義者とそれに抗議する人々が衝突した事件を受けて、トランプ大統領が白人至上主義者を名指しで非難しなかったことをめぐり波紋が広がっている。
バージニア州で12日に起きた衝突では白人至上主義者に抗議する人々に車が突っ込んで女性1人が死亡し、車を運転していた20歳の男が殺人などの疑いで逮捕されている。
トランプ大統領「さまざまな立場の人の憎悪と偏見、暴力を強く非難する」
事件後、トランプ大統領は「さまざまな立場の人」と述べるにとどまり、白人至上主義者を直接非難することを避けたため、身内の共和党議員からも「不十分だ」と批判が出ている。
これを受けて、ホワイトハウスは13日、「非難した対象には、もちろん白人至上主義者など全ての過激主義団体が含まれる」と声明を発表するなど釈明に追われている。
どっちも悪いということがどちらかを擁護していることになるという理屈はおかしい。ファシストとコミュニストのどちらが悪いか?どっちも同じように悪いだろう。ナチスによる大虐殺とスターリンや毛沢東による大虐殺とどっちがあくどいと言えるのだ?量から言えば共産主義者のほうがよっぽどもひどいが。
実はこの衝突。確かに白人至上主義者たちが始めようとしたラリーが発端ではあるが、暴力行為を始めたのは左翼テロリスト集団のアンティファの方である。ニオナチだろうがKKKだろうが平和的に集会をする権利はアメリカの言論の自由が保証している。彼らはきちんと正規の手続きを踏んで集会の許可をもらっていた。ところが当日、市警察が出動し集会を遮った。集会に集まってきた人々は行き場がなくなりぶらぶらしているところへ、黒装束に身を固め武器で重装備した左翼テロリスト、アンティファの連中がやってきて白人至上主義者と思われる人々に暴力を振るい始めた。
そこへ一台の車が突っ込み、その場に居た女性が殺され何十人というけが人が出た。車を突っ込んだ犯人は白人至上主義者だったことは解っており、すでに逮捕されている。
トランプ大統領が言うように、この騒動はどっちも悪い。特に車を左翼連中の間に突っ込んだ男の行為は許しがたい。しかしながら、暴力をふるい始めたのは左翼の方で、白人至上主義者たちが無意味に人々を襲い始めたわけではない。私は白人至上主義者は大嫌いであるが、彼らだけに責任があるかのような報道には非常に腹が立つ。
先ずあたかも白人至上主義がアメリカで主流化しているかのような報道の仕方はおかしい。アメリカでいまだに本気でニオナチだのKKKだのと騒いでいる人間は数えるほどしかいない。こんな連中は全くアメリカ文化に危機をもたらすような存在ではないのだ。また、こういう連中とアルトライトを一緒くたにするのも危険だ。確かにアルトライトの中に白人至上主義的傾向はあるし、特に反ユダヤ教徒的思想があることも事実だ。しかし、アルトライトの連中は「4ちゃん」というアメリカ版「2ちゃんねる」の掲示板やツイッターなどのソーシャルメディアでは強気なことを言ってはいるものの、これまで暴力的な集会など開いたことはない。
しかし共産主義アンティファは違う。これまでも拙サイトで何度も紹介してきたように、自称アンティファ実態はファシスト連中は、保守派集会や演説を暴力で阻止しようとしてきた。去年のバークレー市での暴動も一方的に左翼暴力団によって起こされたものだ。
白人至上主義の暴力について右翼保守派は即座に糾弾した。共和党議会からも断じて許さないという強い発言が出ている。しかし民主党議会をはじめ後退派左翼からはアンティファの暴力を糾弾する発言は全くない。それどころか、かえって彼らの暴力を奨励するような発言が目立っている。主流メディアなど完全にアンティファの方を持っているのだ。
これはアメリカにとって非常に危険な状況だ。
もしアメリカで社会主義であるファシズムを台頭させたいと思っているなら、これほど格好な手段はないのだ。アンティファ連中はナチを殴るのは正当だと言い張るが、彼らがナチだというのは自分らに同調しない人間すべてを指す。単に道を歩いている老人に切りかかったり、星条旗を持って平和的に行進していた女性を引きずり倒したり、駆け付けた警察に尿の入った瓶を投げつけるはどの暴挙を働いている。
こういうことが続けば、一般の人々には、法と秩序を唱え西洋の文化を守ろうと言っている白人至上主義者たちの言い分の方がまともに思えてくる。左翼が何もかも人種で区分けする政治思想を唱えれば唱えるほど、これまで人種問題など全く興味のなかった善良な白人たちを白人至上主義に追い込んでしまうのだ。
何もかもが、白人のせいだ、白人が悪の根源だ、白人であること自体が悪なのだ、と言われ続ければ、普通の白人たちが白人の権利を守れと唱える白人至上主義者たちに同調したくなるのは人情というものだ。
すでに後退派左翼はアメリカの歴史を抹殺すべく、英雄の彫像を片っ端から破壊しようと躍起になっている。彼らは忌まわしい奴隷の歴史を称えるような彫像を取り除きたいと言ってはいるが、本当の目的はそうではない。左翼の本当の目的は奴隷制度の根本が左翼にあることやKKKはもともと南部の民主党が始めたものだった歴史的事実を抹殺し、すべての悪が右翼保守派によるものだったと人々を洗脳することにあるのだ。
しかしこのような行為は左翼を台頭させるより、社会主義右翼であるファシズムの台頭を促すものだ。
もし白人至上主義が主流化されたら、これはひとえに後退派左翼のおかげである。
]]>NGOの言い分はリビアや他のアフリカからおよそ長い海の旅にはふさわしくない粗雑なボートで命からがら逃げて来る人々が溺れ死ぬのを防ぐことが目的だとしているが、もしそれが本当ならわざわざヨーロッパへ連れてこなくても、海で拾った時点で元の国へ連れ戻してあげればいいだけの話。違法移民たちはある程度の沖まで出ればNGOの船に拾ってもらえると思うから粗雑なボートでも出かけてくるのだから。
NGOが密輸業者たちと結託しているという記事をイギリスの突撃ジャーナリスト、ケイティ・ホピキンスも書いている。この記事”Katie Hopkins on NGOs colluding with traffickers in Sicily” は7月に一瞬イギリスのデイリーメイル誌に掲載されたが、反ポリコレ過ぎてすぐに取り下げられてしまった。元記事は消えてしまったので一部だけを次ページに残しておく。英語で読みたい読者は参照のこと。
ケイティによるとNGOの船に乗ってシシリーの港についた経済移民たちの態度は、まるで花金でバーミンガムに繰り出した若者が散々どんちゃん騒ぎをした後にタクシーに乗って帰るかのような態度だという。
イタリアのレンズィ前首相が地中海で救助された移民はすべてイタリアの港に連れてきてもいいと同意したおかげで、イタリアは移民対策でなんと負債がGDPの132%、失業率12%。他のヨーロッパ諸国はこれはイタリアだけの問題だとそっぽを向いている。
これに怒っているのが現首相のPaolo Gentiloni 他のヨーロッパ諸国が公平な数の移民を受け入れていないと苦情を述べている。
ケィティはリビア密輸業者とNGO船とイタリアの湾岸警察による移民運搬共同作業は非常に効率的だという。イタリアの港についてからの取り扱いもメディアの目になるべく触れないように十分な考慮がされている。今年だけですでに9万3千人がリビアからシシリーにやってきた。
救援にあたっているNGOの一つ、子供たちを救え船のVos Hestia号の代表者によると、船は湾岸警察からの直接の命令がなければ出航しないという。何時出航しどこで密輸業者の船と待ち合わせるのかという問に関する答えは、いかに湾岸警察とNGO船が協力しあっているかをはっきりさせるものだった。
問:今夜出航することを乗組員はどうやって知ったのですか。誰が移民の船との待ち合わせの段取りをつけているのですか?
答:我々は国際海域においてイタリア湾岸警察と打ち合わせて動きます。領海に近づくのは湾岸警察の指示があった時のみです。
しかし最近になってイタリア政府の移民政策は風向きが変わってきた。
この間(8月2日)、ドイツのNGOの船が違法移民を運搬しているとしてイタリアの湾岸警察に拿捕されるという事件があった。
イタリア警察によると、ドイツのNGOグループは水曜日、リビア海岸で密輸業者の船から直接違法移民を受け取ったとしてNGOの船を拿捕した。
この船はJugend Rettet によって操業されており、シシリーからちょっと先の小さな漁業村であるLampedusaの港で拿捕された。ここは何百何千という移民が海で救助され連れてこられた村である。
イタリア当局は違法行為があったとしても、その動機は極めて人道的なものだなどと言っているので、この船の乗り組員が罰せられるかどうかは不明。
拿捕されたオランダ籍のthe Iuventa船は、去年の6月と9月に三回に渡って怪しげな行動をしていたことが今回の拿捕の理由となった。捜査によると移民たちは救助されたのではなく、NGOと密輸業者らの慈善の打ち合わせ道理、移民をエスコートしてきた密輸業者から海でドイツのNGOの船に乗り換えたというもの。その後移民たちはイタリア軍の船か、もしくは他のNGOの船に引き渡された。
Jugend Rettetというグループはドイツを基盤にしている若いボランティアの集まり。そのホームページでは「地中海において人々の命を救い人道的な状況を向上させることを目的とする。」としている。
グループの言い分は自分らはローマの救援センターからの依頼で捜索と救助の任務に出かけたに過ぎないと主張。グループの代表者は乗り組員が密輸業者から報酬を受けていたという証拠はないとし、密輸業者と親密な関係があるという証拠もないとしている。密輸業者とJugend Rettetが結託しているという疑いは「SFの世界だ(空想科学小説)」と語っている。
しかしイタリア当局はいくつかのNGOの「救助」が結果的に密輸業者への加担と化している事実について語っている。Jugend Rettetはイタリア内務省が最近設立した新しい規則への合意を拒否したNGOグループのひとつである。
2018年の選挙をひかえ、Paolo Gentiloni首相率いる与党は移民対策に厳しい姿勢を見せ始めている。多くのイタリア市民が難民申請手続きを待つ大量の移民の存在に不満を抱いているからだ。
イタリア政府はイタリア軍がリビアの湾岸警察と協力してリビアから密輸船がヨーロッパに向かって出発しないよう援助することを決めた。イタリア防衛庁は海洋封鎖ではないと主張しているが、反移民派の野党は封鎖を要求している。
7月の段階でイタリア政府は20万の移民をヨーロッパに放つと言っていたが、それと同時にイタリア籍以外の船の入港を拒むとも脅迫していた。今回の拿捕はその小手調べといったところだろうか。
もしイタリア政府が選挙前のパフォーマンスだけでなく、本気で移民受け入れを差し止めようと考えているのであれば、かなり遅すぎる観はあるが、それでもやらないよりはずっとましだ。なんにしてもこれ以上の現状維持は不可能なのだから。
]]> Katie Hopkins on NGOs colluding with traffickers in SicilyThese economic migrants having been ferried to the island by charity rescue boats seemingly as responsive and as easy to hail as an Uber taxi after a big night out in Birmingham.
He wanted to stress that the organised trafficking of individuals had been given a stamp of approval by the former prime minister, Renzi, who agreed that the European border and coastguard agency, Frontex, could bring all migrants rescued in the Med to Italian ports.
Renzi's decision-making has generally proven to be a disaster for the Italian economy. Debt is at 132% of GDP and unemployment remains high at 12%. Critics argue it is Italy alone that must now take accountability for the failures of its former leader.
Others are less than impressed that Europe is happy to make economic migrants an Italian problem.
The current prime minister Paolo Gentiloni is said to be 'livid' that other parts of Europe have refused to take a 'fair share' of migrants.
Katie sits on a wall daubed with anti migration graffiti spray painted in the city of Catania where migrants are delivered into the port after being collected from just off the Libyan coast
The efficiency is almost clinical. And the protection against prying eyes and the watching world is made perfectly clear. I asked how I might get access to the work of the Port Authority, or join the coastguard on their vessel. The officer told me I needed approval from Rome.
I asked him if the Pope was senior enough to make that decision and he laughed at the truth of the thing. The headquarters of the International Organisation for Migration is based there, as is the authority for interacting with the migrants.
The organisation estimates that 93,000 migrants have arrived in Italy from Libya so far this year. It is a number they can be certain of, given the level of co-ordination between the people traffickers, the rescue vessels and the Italian coastguard teams.
Save The Children's Vos Hestia: A glorified migrant ferry to Europe?
I spoke with a press officer of Save the Children's ship Vos Hestia, and she told me their ship does not move without direct authority from the coastguard. When I asked how they knew when to leave port, and where to rendezvous with the people traffickers, the level of authority of the Italian coastguard became clear:
Q: How does your crew know to leave this evening – who is co-ordinating the rendezvous with migrants at sea?
A: We work under the coordination of the Italian coastguard in international waters, moving closer to territorial waters only if instructed by the Italian coastguard.
Q: When does your crew plan to return?
A: We operate
To shock the world into taking notice, some members of the Italian government are beginning to talk tough.
Deputy Foreign Minister Mario Giro has threatened to release 200,000 migrants with Schengen documentation into Europe, a decision described by Mattia Toaldo, a senior analyst at the European Council on Foreign Relations, as the nuclear option.
And in its frustration, the Italian government has threatened to close its port to all non-Italian vessels.
As loud as these things have been shouted, Gefira says they are empty threats: 200,000 migrants are not grouped at the border waiting to surge into neighbouring states, which would anyway stand up their army in response; Austria has already sent 750 troops and armoured vehicles to defend its border with Italy. And, quite simply, the port is not going to close.
Quite the opposite, in fact. It turns out that when you zoom in from the long-range view on this tiny island and come face to face with the facts on the ground, the pictures of huge ships so crammed with migrants that they spill out from every deck and stairway appear monumentally different. Staggeringly so. There is no chaos or confusion.
Instead there are German levels of calm and co-ordination. There is no sign of the marauding migrants I encountered scrambling for the fence under tear gas fire at Calais.
And no forgotten dumping suburbs like those I found in Sweden, where women fear to venture out alone.
I visited the Port Authority and spoke unofficially with a senior officer at Port Augusta.
In his sparkling whites, he made it very clear the process for the transfer of migrants is protected, co-ordinated and impeccably controlled.
All ship shape, clean and tidy. The coastguard decides which port the migrants will be shipped to, the receiving bays are readied – such as these Red Cross ones in Catania – and transfers are arranged to designated migrant zones.
Katie Hopkins investigated people trafficking in Sicily. There, she found that migrants are processed with stunning efficiency. Stations like this port in Catania port, pictured, where migrants are delivered by the NGO ships are deserted as new arrivals are quickly processed and taken to other parts of Italy and into Europe
確かに自分が知らない異文化の物事を教えられることなく理解する(察する)のは難しいことです。難しいというよりほとんど不可能だと言った方が良いと思います。発言する側の人間が心の端に留めておくべきことです。私も外国人と話すときは十分に気を付けなければならないと感じています。
ただ、個人差はありますが、外国人と比較して「察する」ことが得意な日本人が日頃から感じている「外国人に対する不満」については理解して頂きたいのです(略)
1しか理解出来ない外国人のために日本人は一生懸命自分の考えていることを1から10まで順番に口に出して説明したり文章を作ったりします。日本人同士ならやらなくて済んだことを、「外国人に気を遣って」時間と労力を割いているのです。本来やらなくていいことをやっているので、余分なコストがかかります。
ところが、外国人はこの状況を直接言葉に出して指摘されない限り「察する」ことが出来ないので、日本人は不満を持ちます。何故なら、外国人は日本人が普段から支払っている余分なコストに対してほとんど気付かないし、感謝もしないからです。そうやって積もり積もった不満は、「外国の文化への無理解及び偏見」へと姿を変える場合があります。
もしも日本人をコミュニケーションを取る外国人の大多数が「普段やっていないことをわざわざ私のためにやってくれて本当にありがとう」「私のために時間と労力を割いてくれてありがとう」「あなたの気遣いと思いやりに感謝します」などと表現出来るようになっていけば、日本人の不満もなくなっていくのではないかと思います。
元米防衛庁のラムスフェルド長官が言った「知らないことを知らない」というのがまさにこれだろう。つまり、外国人は日本人が色々気を使ってくれているということに気が付いていない。だからお礼の心を持つことさえ出来ない。
もしもシマさんが、日本に来る外国人観光客やビジネスマンについて語っているのだとしたら、これは外国人にもかなりの責任がある。他国へ行けば習慣が違うのは当たり前だ。たとえ短期間の観光でも日本での心得くらいは勉強はしてきてほしいし、観光会社もガイドブックなどで細かく教授してほしい。
観光客に多く来てほしいと思っている日本側がおもてなしの気持ちで外国人の祖業の悪さを多めに見るのも実は逆効果になっている。これは日本だけではないが、欧米における現在のモスレム移民の問題も、ホストカントリーによる行きすぎた「寛容さ」に期を発していると私は思う。
アメリカでは公式文書が何か国語にも翻訳されて発布される。この間うちの近所で選挙があったが、たった一つの項目の住民投票の文書が何十ページもあった。それというのも同じことが何十か国の言語で書かれていたからなのだ。投票権があるということはアメリカ市民のはずだ。それなのにこの程度の英語も理解できないで選挙もなにもあったもんじゃないだろう。そこまで外国生まれの人間に気を遣うローカル政府の「寛容」さは行きすぎだ。
外国人であろうと何であろうと地元政府は徹底的に地元の法律を施行すべきだなのだ。たとえば歩きながらの喫煙や吸い殻のポイ捨てが違法ならば、単に注意するだけに留まらず、きちんと罰金を課せばいいのだ。英語でいうところの、"Ignorance of the law is no excuse" 「法律は知らなかったでは済まされない」である。
それに私から言わせると中国人観光客の行儀の悪さは確信犯だと思う。どこの国でも普通の道路上や他人の庭で脱糞や排尿が許されるはずはないし、商店に置かれている食品をやたらに手掴みにしてもいいとは思えない。これは日本人が文句を言わないのをいいことに好き放題をやっているとしか思えない。だったら日本人も寛容だの思いやりだのと言ってないでこういう輩は徹底的に取り締まればいいのである。
これは日本に限られたことではない。今や欧州で起きているモスレム野蛮人に対する信じられないような「寛容」や「親切」は言ってみれば、野蛮人に文明国の規則など理解できないはずだという人種差別の裏返しである。これらの国々は自国民同様外国人も同じ法律で裁くべきなのだ。地元の規則が理解できないなら、そういう教育をする機関を設けるなりなんなりするのはいいが、それでも規則を破る人間は徹底的に厳しく取り締まり、最終的には国外追放くらいの覚悟をしてほしい。そうすれば野蛮人が我が物顔で欧州を闊歩するなどということは防げるはずなのだ。
それと日本人を19年やったカカシの中にも染み込んでいることなのだが、日本人は他人が自分に気に入らないことをしても、相手にも色々あるだろうから今回は黙っておこうと我慢してしまう傾向がある。だがこれをすると相手はこちらの気も知らずに同じことを繰り返す。それが何度も続いてついにこっちは堪忍袋の緒が切れて爆発してしまう。何も言わなくても解ってもらえるはずだという日本人の甘えが通じない相手だとこういうことが生じる。
私はアメリカに来たばかりの頃にこれでかなり損をした。最初に住んだホームステイの家族とは、何か言われたらとにかく謝っておけば「素直な子だ」とわかってもらえると思っていたら、間違いばかりをする間抜けな子と思われた。付き合った何人かのアメリカ人男性に対しても「私がこれだけ気を使ってやってるのに、なんなのよ、あんたは!もう知らない!」と爆発して決別を迎え、相手は私が何を怒っているのかさっぱりわからずに終わってしまうという経験を何度かした。カルチャーショックというのはこういうことを言うのだろう。
日本人には面倒臭いことだが、今や嫌が応でも外国人と接しなければならない時代だ。日本人らしくないことでも場合によっては正直に言った方がいい。最初から正直に言ったほうが相手に対してかえって親切ということもあるのだから。
]]>女性差別文書で男性社員を解雇 米グーグル 解雇男性は反発
米IT大手グーグルは8日までに、ハイテク業界に女性が少ないのは生まれつき技術職に向いていないのが要因だ、とする社内文書を作成した男性社員を解雇した。文書は社外にも広まり、性差別的として社内外から批判の声が出ていた。欧米メディアが伝えた。
グーグルのスンダル・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は従業員向けのメールで「われわれの行動規範に違反し、一線を越えている」と批判。ピチャイ氏は夏期休暇を切り上げ、この問題に関する社員集会を開くという。男性社員は解雇に反発しており、訴訟となる可能性がある。
男性社員は文書で、男女の好みと能力に違いがあるのは「生物学的な理由」と主張し「ハイテク業界と指導者層で、女性が男性と平等な立場を実現できていない理由を説明できるかもしれない」と記していた。(共同)
グーグルのスンダル・ピチャイ最高経営責任者(CEO)はこのメモについて、「我々の職場で性別における有害なステレオタイプを促進するような言葉によって(略)我々の特定の同僚が生物学的に職種に適さない傾向があるなどと言うのは無礼でありオッケーではない。」と語った。
デイリーワイヤー誌のベン・シャピーロによると、この”not OK"「オーケーではない」という言い方は暗号で、実は「そとに連れ出し貼り付けにして明け方火あぶりの刑に処せ」というに等しいぐらいの厳しい糾弾である。
このメモの著者はジェイムス・ダモアー(James Damore)という白人男性で、グーグルでエンジニアとして働いていた。ダモアーはグーグル社における右翼保守思想弾圧や、不効率な女性及び少数派への特別扱いについて批判したのであり、女性が男性に比べて劣るなどとは一言も言っていない。特にグーグルに努める女性社員が男性社員に比べて不能だなどとは一切言っていない。
彼はIT系や管理職に女性の数が少ないのは、生物学的な男女差に起因するものがあり、必ずしも女性差別によるものではないと説明した。さらにダモアーは統計的に女性と男性が仕事に求めるものは違うことを示し、グーグルが女性社員を増やしたいなら、女性の入社志望者の基準を下げるのではなく、パートの仕事を増やすなど、女性に魅力ある職場を作ることに努力すべきだと提案したのだ。
男女の賃金の差や管理職における女性の数の少なさについてはアメリカだけでなく、最近は日本のフェミニストからも多く苦情が出ているようだが、完全な男女平等社会であればどんな職種でも男女が半々になるはずだという考えは、男女の差を全く無視した考えから来るものだ。
女性は人間関係の円満さを求める傾向があるので、ストレスが高く競争が激しい分野より和気あいあいな職場を求める。また家庭を優先させるため勤務時間が長い管理職も自ら敬遠する傾向がある。それで必然的に女性の平均賃金はこうした職種に就く男性よりは低くなる。が、もし女性でも家庭をある程度犠牲にしても男性社員との激しい競争に打ち勝てる人は、それなりの地位についている。
カカシは大学は工学部出身だが、機械にしろ電気に建築しろ工学部における女生徒の割合は一割程度だった。しかし女性が理系に向かないのかといえばそれは違って、科学でも化学や生物学および医学系、そしてわが母校が誇る酪農・農業科学などには女生徒が非常に多かった。つまり女性は機械よりも生きたものに興味があるということだ。
大学がこうなので、機械及び電気工学専門の職場であるカカシの職場では必然的に女性エンジニアの数は一割程度。わが社の女性社員は圧倒的に人事課とか総務課の仕事についている。カカシがこの一割のエンジニアに含まれることは言うまでもない。
平均的な女性と平均的な男性の違いを指摘することは決して一個人の女性の能力を軽視するものではない。ダモアーはグーグルから「男女差のステレオタイプを促進している」として解雇されたが、シャピーロ曰く、グーグルの「多様性方針」こそが男女差のステレオタイプに基づいたものだという。
職場の文化を豊かにするためにもっと多くの女性を雇わなければならないという考え方そのものが、女性は男性と違うという思想に基づくものだ。ザ・ブレーズ誌のマット・ウォルシも、もし男と女が同じなら、女性が特に職場に貢献するものはないはずだと指摘する。
もっと女性社員の数を増やすべきだという考えは、女性が男性と違った特有な才能を持っているからでなければ成り立たない。女性と男性が全く同じなら職場の男女の比率が同率でないからと言って特に問題はないはずだ。だがもし、女性には男性とまったく違った特性があると主張するなら、その特性が女性をある種の職場から遠ざけている可能性も考えなければならない。女性には特性があると言っておきながら、その特性が男性とは違うのだと指摘することを差別だと言い張るのはおかしい。女性が男性と同じなら女性は特別ではない。女性が特別なら男性とは違う。どっちなのか?
グーグルは民間企業なのでどんな理由で社員を解雇しようとグーグル社の勝手ではあるが、常に多様な意見の交換を促進していると掲げている同社が、社風の保守派弾圧思想を批判した社員を即解雇したというのは、いかにダモアーの指摘が正しかったかを証明するものだ。これで同社においてダモアーの意見に賛成している社員は口をつぐまざる負えなくなっただろう。
しかし、ダモアーのような賢い男性が、このメモが炎上することに全く気が付かなかったとは思えない。はっきり言ってダモアーは確信犯だと思う。ダモアーはこのメモが社内内部で収まるなどとは考えていなかったはず。このソーシャルメディアの時代、しかもグーグルというネット情報検索エンジンの会社の第一線で働く彼が、自分のメモがソーシャルメディアで拡散されないと考える方がおかしい。そうなればフェミニスト連中が女性蔑視だと言って騒ぎ立て、後退派メディアが歪曲報道をやって、会社に恥をかかせたと怒ったグーグルがダモアー解雇、、となることは最初からわかりきっていたことだ。
ダモアーはグーグルを訴える覚悟があると言っているが、最初からそのつもりでグーグルを挑発したことは明らかだ。グーグルはダモアーが言った通りの反応を示した。実際ダモアーが勝訴する可能性があるかどうかはわからない。だが今後彼はこのことを利用して保守系メディアで活躍できるはずだし、すでに採用の依頼が来ているという話もある。なんにしても今後の彼の人生は結構明るいのかもしれない。
]]>このIdentityという言葉は非常に訳しにくい。私は日本の高校の哲学の時間にこの言葉を最初に聞いたが、日本語の教科書にさえこの言葉は「アイデンティティー」とカタカナで書かれていた。そのくらい日本語にはしにくい単語だ。平たく言うならば、自分が何かという意識だ。自己意識とでもいうのだろうか。
このアイデンティティーというのは個人だけでなく国にもある。この「国のアイデンティティー」というものは非常に大切だ。これが薄れると外敵からの攻撃に無防備になってしまうからだ。今のヨーロッパを見ていればそれがよくわかる。
欧州にはカトリックという欧州全体をつなげる伝統的なアイデンティティーがあった。しかしそれ以上に個々の国々でそれぞれの伝統に沿った国民性というものがあった。それを根底から破壊しにかかったのが左翼思想の社会主義だ。
左翼主義が蝕む欧州はもう何十年も前から世俗主義を押して宗教をおざなりにしてきた。社会の基盤である結婚制度を破壊してきた。離婚が多いだけでなく、同性婚を早くから認め、それでいて未婚の母も普通という状態を作って結婚を意味のないものにしてしまった。男女同権という名目のもとに女性人権とは無関係なフェミニズム思想が横行してバイキングの伝統を持つ男たちが骨抜きにされた。挙句の果てが極端な少子化と自己文化の衰退。多様文化主義だの民族多様性だのばかりを強調して自分らの伝統や習慣とは相いれない異文化を不用意に歓迎した。外敵が侵略を講じるにはもってこいの状況が整っていた。
そしてここ2015年にはじまったアラブ・アフリカからのモスレム大移動。欧州が国民性を失うパーフェクトストームの到来だ。
自分たちの文化や伝統に自信を持てない欧州人は自己意識旺盛なモスレムに太刀打ちなどできるはずがない。外敵に脅威を示す人々を白人至上主義などといって毛嫌いする輩も、なぜかモスレム至上主義者らには何の脅威を示さない。自虐主義もここまでくると自殺願望としか思えない。
さて、ではアメリカはどうなのか。
何度も繰り返してきたが、欧米と一口に言ってもアメリカと欧州とではこのアイデンティーに関して雲泥の差がある。この間もイギリス人によるアメリカの印象で紹介したように、アメリカ人はやたらと愛国心を強調する。祝日でもないのに町中のあちこちに星条旗が掲げられている。一般の民家でさえ正面玄関や前庭に旗を掲げるのは珍しくない。苺畑家でも早起きのカカシが国旗掲揚の役目を背負っている。
大昔にカカシの父が「アメリカは移民の国だから、常にアメリカ、アメリカ、と言っていないと国としてのアイデンティティーを失ってしまうのだ。」と言っていた。確かにそれもあるが、アメリカはアメリカ人になりたい人たちの集まりだからと言った方が正解だと思う。
よく、アメリカは移民の国だからアメリカとしての伝統や文化がないと勘違いする人が居るが実はそうではない。オバマ前大統領が進め急速に大量に取り入れたモスレムナンミンや中南米からの違法移民は全く別だが、従来アメリカに合法に移住して来た人々のほとんどがアメリカの自由な文化に憧れてやってきた。彼らは自国で宗教や人種や政治の問題で迫害されてきた人々であり、アメリカに来て本当の自由を獲得しようとした人々だ。だからかえってアメリカで生まれ育った人々よりも、よりアメリカ人であることが多いのだ。
ここでいう自由とは、単に個人が他人の迷惑を考えずに好き勝手なことをするという意味でもなければ、効率だけを考えて他人との人間関係を無視してもいいという意味でもない。で以前に引用したこういう意見だが、
移民社会とは、個々人の歴史的なルーツの共通項がないので、生活の便宜ばかりが優先され、実力主義とばかりに、誰もが個人プレーでしのぎを削り、後先や周囲の状況をあまり考えずに、先を争って自己主張をする。従って、新米か古参かの区別さえなく、単純に右翼か左翼か等の表面的なレッテル付けで人を罵倒し合って、とにかく五月蝿い。
これは完全な誤解だ。移民社会は個人の出生地や家柄や人種に捕らわれずに個人の才能だけで判断されることが理想だ。よくアメリカンドリームと言われるのは、誰でも文無しの状態からドナルド・トランプみたいな実業家になる可能性があるという意味。階級制度や宗教差別で生まれた時から人生が決まっている社会との一番大きな差はここにある。
アメリカ人は個人主義だから周囲のことを考えないというのは全くの間違いである。アメリカはジュデオクリスチャンの伝統があり、特にプロテスタントの影響が強い。19世紀末や20世紀初期、移民がアメリカに早く馴染むようにと英語教室があちこちに設けられたが、これらは政府機関ではなくキリスト教会主催の慈善事業が主だった。チャリティーの面ではアメリカ人は非常に気前の良い国民だ。世界中のどこの天災でも国家としての支援金は他国から劣ることはあっても、個々のアメリカ人による寄付金は常に世界最高。アメリカは個人の権利を重んじる国。だからチャリティーも個人の判断でされるものであり、国から押し付けられてするものではないのだ。
アイデンティティーの面で日本は恵まれていた。もともとほぼ単一民族だから、これが日本だと常に考えてくる必要はなかった。いわゆる日本人になら解る暗黙の了解というものがあったからだ。しかし今の時代これでは通用しない。今までは特に何の努力をしなくても日本人としてのアイデンティティーは確立されていたかもしれないが、外国からの移民がどんどん入ってくる社会になったらそんな呑気なことは言っていられなくなる。
日本が好きで日本文化に融和したいと考える外国人なら毛色が違おうが言葉が多少苦手だろうが大した問題ではない。だが、まったく日本の文化を取り入れる気持ちがなく、自分らの文化を地元の日本人に押し付けようとする外国人が大量に入ってきたら、これは問題だ。日本人は根が優しいので、これを利用しようとする外敵が居ることに十分気を付けるべき。安易に移民を受け入れるのは非常に危険だ。
しつこいようだが、カカシは日本を離れて30余年。日本に帰国するのは一年置きぐらい。だから私の日本観は一コマづつのスナップショット。継続してみていないからその変化に気づきやすい。それで日本社会の西洋化はここ30余年目まぐるしいものがあると感じる。
欧米の良い面を真似するのは決して悪いことではないが、欧米左翼の変な男女同権主義だの多文化主義だのPCだのを取り入れすぎるのは問題だ。また、日本語が変な外来語に冒されているのを聞くとものすごく残念だ。私が居た頃からカタカナ英語は普通に使われていたとはいうものの、最近はやりすぎなのではないかと思う。
外敵から国を守るのは国民のアデンティティー。アメリカも日本をそれを忘れるとヨーロッパの二の舞を踏むことになる。
]]>ディフェンドヨーロッパがどういう運動なのか、そのホームページによると、
毎週、毎日、毎時間、船いっぱいに積み込まれた違法移民がヨーロッパの海を埋め尽くしている。侵略が起きている。この大量の移民が我らが大陸の顔を変えている。我々の安全と我々の生き方を脅かされている。我々欧州人は欧州の母国で少数派になる危険がある。(略)
我々の目的はNGOの行動を記録し、彼らが人身売買の密輸入者たちと共謀していることを暴露し、彼らの違法行為を阻止することにある。
彼らは自分たちのことをアイデンティタリアンと呼び実際に募金運動でCスターという船を調達。色々な苦労をしながらリビア沖に繰り出し、リビアからアフリカ人をヨーロッパに密運搬しているNGOの悪行を暴露しようと頑張っている。無論彼らの行動を好ましく思わないヨーロッパ諸国の政治家たちが彼らの運動をことごとく邪魔しているのは言うまでもない。
先ず出発の時点で彼らの動きはことごとく監視されていた。カナダのフリーランスジャーナリストのローレン・サザンが従軍(?)記者として一緒に行動しているが、彼女はすでにヨーロッパ諸国の警察に目を付けられているので、どこへ行っても秘密警察に付け回されたと語っている。それで運動のメンバーたちは自分らの行動をはっきり公開せず、種々のメディアを利用して自分らの行動に関してフェイントをかけた。この運動には大反対のハフィントンポストはそのフェイントに一役買わされたことに激怒している。
政府が国民を守るために何もしないければ、いずれはこういうことが起きることは火を見るよりも明らかだった。今はまだ数少ない若者たちが自費で船を出してNGOを冷かしている程度かもしれないが、この状況がエスカレートすることは間違いない。海上だけでなくヨーロッパ国内でもジェネレーションアイデンティティーのような若者たちが立ち上がるだろう。
政府が侵略者を止めないなら、我々が止める。市民がそう思うのは当然だ。これはヨーロッパの存続がかかっているのだから。
]]>ウエイズは自称革新派リベラル。トランプ大統領に「抵抗」して今年初めに行われた左翼主催の反トランプデモの「女性行進」にも参加した。しかし彼女はこの女性行進で指導者としてもてはやされている何人かの女性たちに対して少なからぬ懸念を抱いている。何故、革新派ともあろうものが、こんな暴力的過激派人間をフェミニストの代表者みたいに崇め奉るのかと。
先ずソーサー女史。なんといっても四人の代表者の中でも一番目立つ存在。「ヒジャブをつけた地元女性」として売り物だが実はかなり問題な見解を過去に述べた歴史がある。
とはじまってウエイズは、ソーサーが反シオニストで「シオニストより気持ち悪いものはない」と2012年にツイッターで書いたりしているのがその一例だとし、フェミニストの代表みたいに扱われているソーサーがいかに反フェミニストの思想であるシャリアを支持しているかを指摘している。ソーサーは反イスラミストのフェミニストで女性器切除の犠牲者でもあるアヤン・ハーシ・アリ女史に対して下劣な言葉で侮辱。アリは「本当の女ではない」ので彼女の女性器を取り上げてやりたいなどとツイートした過去がある。
彼女のこうした行動を彼女も彼女の支持者たちも、そんなのは昔の話だと言って取り合わない。そしてそうした攻撃は極右翼のイスラモフォビアからくる理不尽な攻撃だと言い張る。ウエイズは指摘していないが、ソーサーはどこかの大学での講演したとき、質疑応答の際に彼女のアリ女史に対するツイートについて質問された際に、「あんたは白人男性だ」と先ず質問を無視。あたかも白人男性にフェミニズムについて語る権利はないといったように男性に怒鳴りつけただけで、自分が書いて削除したツイートについては過激派右翼の陰謀だと言い張った。
彼女のツイートは大昔のもので人は時としてバカげたことも言うので、今はそうは思っていないというのであればそれはそれである。しかしソーサーのアリ女史に対する発言が単なる序章であったことは、先日7月16日、女性行進がAssata Shakurというテロリストに「お誕生日おめでとう」のツイッターを送った時の出来事ではっきりしている。Assata Shakurは本名ジョアン・チェスィマードという殺人犯でFBIの指名手配になっているテロリストだ。彼女は警官を殺して有罪になりキューバに逃亡。今でもキューバに潜在中だ。
なぜ左翼がこんなテロリストを応援するのだというニュースキャスターのジェイク・タッパーの発言に対してソーサーはタッパーはアルトライトに参加して自分をいじめにかかったとツイートした。ウエイズは事実無根な気違い沙汰に煽られているドナルド・トランプやその支持者たちとジェイク・タッパーを一緒くたにしてアルトライトと批判するのはいくらなんでも馬鹿げていると指摘する。
いったいいつから国産テロリストを批判することが極右翼特有の姿勢だということになったのか。その姿勢は基本的な道徳観と愛国心からくるものだったはず。
ウエイズはソーサーだけでなく問題のある指導者を何人か挙げている。Assata Shakur のようなテロリストを賞賛しているだけでなく、キューバの独裁者フィデロ・キャストロに追悼の念を送ったマロリー。黒人暴力団ブラック・パンサーの一員で6人の警官を殺そうとして有罪となった男を賞賛するペレズ。双方とも黒人至上主義のルイース・ファラカンの奨励者。
ウエイズが指摘した以外にも、女性行進にどういうえげつない人々が集まったかはカカシも過去に書いている。特にこの女とか。
ダーナ・ヒルトン(Donna Hylton)-女性行進で演説をぶった元売春婦の黒人女性。実は1985年に仲間(女二人と男三人)と一緒に不動産会社の男性を誘拐し20数日間監禁し散々拷問にかけて殺した罪で25年の懲役を受けていた殺人犯だった。この拷問のしかたが残酷なのだが、とくにひどいのは男性の肛門に鉄棒を突っ込んだり、スパナで男性の睾丸をひねくり回したりしたとある。何故そんなひどいことをしたのかという問いにヒルトンは「どうせ奴はホモだったんだから、、」と答えたそうだ。恐ろしい~!
ウエイズは左翼は保守派よりも内部の取り締まりをする勇気があるのかと問いかける。それとも反トランプ感情に押されてこれらの嫌悪に満ちた人々を無視するのかと。
革新派リベラルによる左翼批判が危険なのはウエイズも十分承知だ。こんなことを書けば自分もアルトライトの味方をしているとかイスラモフォビアだとか批判されるのかもしれないと書く。
しかし私はテロリスト奨励には立ち向かう。独立したフェミニストの声を侮り、民主主義を嫌い、独裁政権を奨励することにも立ち向かう。もしそうすることが現在のアメリカの革新派フェミニスト運動の常軌を逸しているというなら、それはそれで仕方ないだろう。
私から言わせれば、アメリカのフェミニスト運動など昔からこんなものだ。しかし遅くてもずっと気が付かないでいるよりはましだ。革新派リベラルはこうして自分らの運動が後退派左翼に乗っ取られていたことを悟るのだ。
]]>しかし今回彼女が自分のブログで書いたカカシに対する批判は理不尽だと思うので説明させてもらいたい。
ことの起こりはカカシがリリーさんのフェイスブックで彼女が好まない呼称を使ったことに発する。リリーさんは自分のフェイスブックに本名を提示しているが、普段はニックネームであるリリーという呼称を好んでいるようだ。実はリリーさんと最初にネット上で知り合ったときに彼女がいくつかの名前を使い分けていたので、どの名前で呼べばいいのだろうかと聞いたことがある。恥かしながらカカシは他人の名前を覚えるのが不得意なのでその時言われた名前を忘れてしまった。で、彼女がフェイスブックやツイッターで使っているリリーというハンドルネームでいいのだろうと思って今まで使ってきた。しかしながら、先日彼女のFBにコメントした際に、間違って彼女がFBで提示している本名を使ってしまったことで彼女の怒りに触れたようだ。
確かに彼女の好む呼称を忘れたのは私の落ち度なのだが、だったら「○○ではなくて××と呼んでください。」と言えば済むことなのに、彼女は個人的にそういうメッセージを送るのではなく、自分のブログで不特定多数の読者に向かってカカシの不作法を発表して批判するという手段に出た。
私は今までリリーさんに対して意図的に失礼なことを言ったことはない。気が付かずに失礼な行為に出てしまったのなら謝りもするが、単なる失態に対していくらなんでもリリーさんのこれはやりすぎだ。彼女がそこまでするのであれば、私も手袋を脱がせてもらう。
私は彼女とのやり取りが始まった当初、彼女が私を「カカシ夫人」と呼ぶことに抵抗を覚えた。呼ばないでくれと頼んだがそれは不適切だと拒絶された。日本ではわからないが、相手が呼び捨てで呼んでくれと言っているのにをれを拒む行為はアメリカでは非常な失礼になる。しかし彼女はアメリカ人ではないので、私は彼女の失礼を無視した。そんなことで言い争っても意味がないと思ったからだ。
しかし今回呼び名の話が出たついてに、私は彼女のことを彼女が好むリリーさんと呼ぶから、私のこともカカシさんと呼んでくださいとお願いしたところ、こういう答えが返ってきた(直接ではなく彼女のブログで)
相手をどのように呼称するかは、最初から最後まで一貫していなければおかしい。(略)
だが、インターネット上の公開情報の場合、わざわざハンドルネームを出しているなら、何か理由があってのことであろうと察し、最初から最後までそれで呼称するのが、作法ではないだろうか。
この「不思議な」と訳した人は(カカシ注:これはカカシのこと)、私宛の呼称を少なくとも三度、コロコロ変えた。意識的か無意識的かは判別し難いが、それは、私に対する印象や態度が、文脈によってコロコロ変わっていることの証左であるか、所詮、他人のことだからと、いい加減に軽く扱っているのだろう。または、ご自身の内面の動揺が露呈されているのかもしれない。
その上、唐突に交換条件として、それなら自分をこのように呼ぶように、と指示が出された。
これこそが、論旨の乱れ、もっと言えば、日本語を使っていても、文化の暗黙の了解、約束事が全く読み取れていないことの証拠だと、私は考える。(強調はカカシ)
カカシはアメリカ人で日本人の繊細な神経を理解できない。それで本名と共にハンドルネームが明示されているのは親しくもない人間に本名を呼ばれたくないという意味だなどというリリーさんのお気持ちは全く理解できなかった。
リリーさんが言う通りアメリカ人の私には、「暗黙の了解」や「約束事」は全く読み取れなかった。
それにしてもリリーさん自身が理解できない外国の文化を単なる田舎者だと侮蔑する行為は日本的な礼儀に反しないのだろうか、若干19年間日本人をやった人間としてそれはそうとは思えないのだが。
アメリカの西海岸は日系を含めたアジア系移民が多いので、それでもコミュニケーションが成り立ってきたのかもしれないが、私は西海岸に行ったことはないし、多分、行くことはないだろう。だとすれば、日本語である以上、言語コミュニケーションのルールは守っていただきたい。
カカシ個人を批判するのはいいとしても、カカシがアメリカ西海岸に住んでいるからといってアメリカ西海岸に住むアメリカ人全体をこのように侮辱する行為は如何なものなのだろうか?言語コミュニケーションのルールとやらはりりーさんが勝手に作り出したものであって、国際的な規則ではない。最初からきちんと提示されていないものを外国人が理解できるはずだと思い込むのはどうかと思う。
私は何故リリーさんにここまでひどく罵倒されなければならないのかが理解できなかった。しかし彼女の他のエントリーで明らかにカカシに向けた批判を読んで納得した。
二十歳前後で、日本から国籍を変えて他国に永久移住することに関して、私ならあまりメリットを感じない。仕事や留学など、契約して数年程度の目的滞在型ならともかく、全面移住するとなれば、言葉のハンディや文化読み取り能力には、並々ならぬ努力を要するはずだからだ。
例えば、いくら英語が良くできたとしても、ネイティブでなければ、必ず100%よりは劣る。劣るということは、その100%ではない中途半端な言語能力で自分自身が図られ、それに応じて、本来の実力以下に仕事が当てがわれるということになる。
日本にいて充分に暮らしていけるのに、こんな屈辱的選択を、なぜみすみす選ばなければならないのだろうか。
他人が外国に移住する気持ちが解らないからといって、その選択が間違っているという言い方はおかしいだろう。リリーさんが母国を愛する気持ちは立派だし、日本が世界で一番素敵な国だと誇りを持つのも素晴らしいことだ。そういう人にはぜひ日本の文化保持に貢献していただきたい。しかしながら自分には理解できない人間の価値観というものもある。何故私がアメリカ移住を決心したのか、それは一言では説明は不可能なので省くが、それはそれなりの理由があるのだ。
移民社会とは、個々人の歴史的なルーツの共通項がないので、生活の便宜ばかりが優先され、実力主義とばかりに、誰もが個人プレーでしのぎを削り、後先や周囲の状況をあまり考えずに、先を争って自己主張をする。従って、新米か古参かの区別さえなく、単純に右翼か左翼か等の表面的なレッテル付けで人を罵倒し合って、とにかく五月蝿い。その結果、いちいち能率は下がるし、ミスはあちこちで連発するし、人間関係は簡単に壊れるし、細やかな微細さもなく、よろず大雑把。文化的な繊細さや洗練には程遠い。
従って、誰もが感情的にもささくれ立ち、精神衛生上、誠によろしくない。
インターネットは公開情報ではあるが、基本的な礼節や常識は、国を超えて守られるべきものである。
移民社会には伝統がないというのは偏見だ。
私が何故アメリカは偉大な国だと思うのか、それについてはこれからも説明していくつもりだ。私がブログを書き始めた理由というのも、このようにアメリカ社会について無知な人がアメリカを完全に誤解して批判するのを少しでも是正したいと思ったからなのだから。