December 5, 2006

アメリカのイスラム化を狙うCAIR

この間からイスラム教市民団体を装った実はイスラム過激派テロリスト集団CAIR(ケア)について何度も書いてきたが、CAIRの支援する下院議員が当選してからというもの最近彼等の活躍はとみに活発になってきた。

先日カカシは米初のモスレム議員聖書宣誓を拒否で、新しくミネソタ州の下院議員に選ばれたイスラム教議員キース・エリソン氏が就任式の際、伝統となっている新約聖書の上に手をあてての宣誓をコーランを使って行いたいと主張していることに関して、新約聖書での宣誓はアメリカの伝統であり聖書をつかった宣誓を拒絶するならアメリカの議員などやるべきではないと発言した人気ラジオDJデニス・プレーガーの話をした。彼の発言は神経質なCAIRの怒りを買ったようである。

ワシントン:イスラム系アメリカ人市民団体はラジオトークショーのDJデニス・プレーガー氏が、先日当選議員が来月の就任式での宣誓を聖書ではなくコーランをつかう計画であることを厳しく批判したことで、氏を連邦政府が提供するアメリカホロコースト博物館の委員会からはずすべきだと訴えた。

「彼のような偏見に満ちた不寛容で差別的な意見をもった人が税金で経営されている施設において、アメリカ人に嫌悪が及ぼす破壊的な影響を与えた、そして今の世の中でも与え続けている憎しみついて教える政策を作る地位につくべきではない。」と CAIRは博物館理事長フレッド・ザイドマン氏あての手紙に書いた。

「大統領任命の立場としてプレーガーの存在はアメリカの宗教への寛容性について好ましくない印象を世界のイスラム教徒に与えるであろう。」とCIARは書いた。

プレーガー氏は人気ラジオDJであるばかりでなく、ユダヤ教の学者でもあり、数々の書籍の著者でもある。ホロコーストの歴史を祀る博物館の理事としてこれ以上の適任者はいないだろう。CAIRの手紙はアメリカの公共施設の役員の任命に口出しする脅迫以外の何者でもない。アメリカの議員ならアメリカのしきたりに従えといったプレーガー氏が「アメリカの宗教への寛容性について好ましくない印象をあたえる」って? 異教徒によるイスラム教批判に怒りくるって世界中で暴動をおこす「寛容な」イスラム教徒を批判もせず、ホロコーストが起きたことさえ否定しているイランと仲良しこよしの宗教団体が、イスラエルを攻撃し続けるテロリストのために募金運動までやってる市民運動とは名ばかりのテロ組織が、宗教の寛容性についてアメリカ人に説教するなど片腹痛いわ!

だが、この間の空飛ぶイマームの件や、イスラム教タクシー運転手による乗車拒否などでも分かるように、アメリカの人口の1%にも満たないイスラム教徒たちは、アメリカでもヨーロッパ風のイスラム化をすすめようと最近とみにその活躍が目立つようになってきた。

先日もアメリカのデトロイト地方で運動ジムでお祈りをしていたイスラム教女性がほかのメンバーにお祈りを邪魔されたことに腹をたててジムのマネージャーに訴えたところ、「ほかの客があなたの神に敬意を示す必要はない」いわれたことで腹を立ててジムの本社に苦情を申し立てるという事件があった。

これらのイスラム教徒のわがままに対していまのところアメリカ人の反応はまちまちである。イマーム事件と乗車拒否があったセントポール空港では先のタクシー運転手らの特別扱い要求は拒絶したが、今回は空港に特別な祈祷室を設けることで問題を解決しようとしている。この祈祷室がイスラム教徒だけでなくキリスト教徒や仏教徒、およびユダヤ教徒のお祈りの場として使えるというのであれば私は特に文句はない。ロサンゼルス空港にはすでにキリスト教の聖堂もあることだし、飛行機に乗る前に静かにお祈りしたい人々への配慮はよいことだといえる。

だが、このような祈祷室でイスラム教徒は他宗教の祈祷者に敬意など示すだろうか? 彼等だけで大声を張り上げてお祈りしているところへ仏教徒が木魚をたたいてお経を読みはじめたり、キリスト教徒が賛美歌を歌いはじめたら彼等は絶対に自分らのお祈りが邪魔されたと苦情をいうだろう。そしてまたぞろCAIRがしゃしゃり出てきて「イスラム教徒専用の祈祷室をつくれ」と言い出すに違いない。

イスラム教諸国は自分らの国々で他宗教に対しては全く不寛容であり、暴力を使って異教徒を迫害する。イスラム教への批判はくだらない冗談ひとつでもいきり立って暴動を起こす。そういう人間が欧州の社会で自分らへの扱いが寛容でないと文句ばかりいうこのダブスタ! これだけでも私は腹がたつが、もっと腹がたつのは欧米社会がヘーコラと彼等の理不尽な要求にいちいち迎合する態度である。

欧米社会がイスラム教徒の暴挙から社会を守る方法はいくらでもある。だがそれには勇気がいる。イスラム教徒が日常の何気ない習慣にたいして下らない要求をしてくる度に欧米は個人レベルで抵抗しなければならない。すでにイスラム教徒による暴力が多大な被害をもたらしているヨーロッパではこれは難かしいが、まだそこまでいっていないアメリカでは今のうちならそれができる。今のうちにそれをしなければならない。

例えば運動ジムにおいてイスラム教徒が静かにお祈りできる場所がないと苦情をいったなら、お祈りの時間にはジムにこないようにと勧めればいい。イスラム教男性がジムにおける女性の運動着が肌を出し過ぎて気が散るといったら、女性メンバーをみないようにと冷たくあしらえばいい。イスラム教をちゃかした冗談をいったコメディアンをテレビやラジオ番組からおろせと苦情がきたら、番組側はキリスト教徒やユダヤ教徒にいつもいっているように言論の自由だといって拒絶すればいい。

イスラム教徒が理不尽な要求をしてもそれがことごとく無視されれば彼等もいずれあきらめるだろう。だが彼等が何か要求する度にアメリカ社会が一喜一憂しているうちは彼等はそれを悪用し続ける。これはデニス・プレーガー氏が先日新聞に書いた通りである。

誰がそういうことを決めるにしても、アメリカの新聞のほとんどの社説がイスラム教徒を怒らせまいとしている。それどころか多くの人々はこれはよいことだという、なぜならアメリカがオープンな社会で、どれほどアメリカがイスラムやコーランに敬意を評しているかを世界のイスラム教徒に示すことになるからだという。

この理屈はアメリカの最大のゴールは世界中から愛されることだと信じている人々を惹き付ける。特にイスラム教徒に愛されることで、アメリカを嫌うイスラム教徒が減れば減るほど(アメリカを爆破しないだろうから)よいことだと信じている。

しかし、このような甘い考えをする人々はエリソンがコーランを聖書のかわりにすることによって反米イスラム教徒の態度は変わらないということを理解していない。いやむしろ反対にエリソンのそのような行為はイスラム過激派を図に乗らせるだけであり、新しい過激派を生み出すのがおちである。それが正しいかどうかは別として彼等はこれが彼等の最大の目的であるアメリカのイスラム化の第一歩と解釈するからだ。

すべての当選した議員が同じ本に手をあてて就任の宣誓をする時、彼等はアメリカの文明の下敷きとなった価値観の元に団結するという確認をする。もしキース・エリソンがそれを変えることを許されるなら、彼がアメリカの団結に与える損害は911のテロリストがもたらしたよりもひどいことになる。私にはこれがイスラム系アメリカ人がアメリカに残したいものであるとは信じがたい。だがもしそうだとしたら、ひどい状況になっているのはヨーロッパだけではないということになる。

December 5, 2006, 現時間 9:14 PM

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