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June 3, 2017

「人種別卒業式で多様性を祝う」なんじゃそれ?

教育と政治

”Colleges Celebrate Diversity With Separate ‘Commencements’人種別卒業式で多様性を祝うというニューヨークタイムスの見出しを観て、「これって皮肉で書いてるのかな?」と一瞬目を疑った。しかし内容を読む限りNYTはこれは良いことだと思っているらしい。「多様性」と「人種別」という言葉を同じ文章でこのように書けるところがさすが左翼の二重思考。

6月といえばアメリカは卒業シーズン。これまでも黒人学生だけの卒業式を行ってきた大学はあったにはあったが、今年に入って人種別卒業式を大々的に行う大学が一挙に増えた。この間紹介したエバーグリーン大学での黒人学生による白人排斥事件でもわかるように、最近なぜか黒人および有色人種による自発的な人種隔離が流行りだしている。これは非常に由々しきことである。

読者諸氏もアメリカでは1960年代頃までアメリカ南部では白人と黒人を隔離する法律があったことはよくご存知だろう。

マーティン・ルーサー・キング牧師らが筆頭となって起きた市民運動は、まさにこの悪法を撤廃すべき運動であり、その激しい戦いは1954年から1964年公民権法の設立まで続いたのである。多くの黒人および白人の共和党人権派によって撤廃されたこの隔離制度を、なんと現在当の黒人たちが再び復活させようというのだ。彼らには「隔離すれども平等」がどれほど不平等な思想だったかが解っていない。それをやっているのが歴史上人種差別大好きな後退派左翼なのは頷けるが。

大学での人種隔離制度を実行したなら、一番被害を受けるのは黒人・ラテン系生徒たちである。だいたい人種多様な大学で各人種でクラス分けするなど可能なはずはない。それで大きく区分けすれば一方で白人および東洋人その他の少数民族、もう一方で黒人および色の濃いラテン系、といった二つのグループに分かれることが想定される。しかしこれは誰もが知っている事実なのだが、大学は以前にも紹介したアファーマティブアクション(AA)制度を取り入れて学力い黒人やラテン系の生徒を多く取り入れている。AAで入った黒人の入試テスト成績は狭き門を通って入ったトップクラスの東洋人に比べて100点満点で30から40点も違うという事実があるのだ。

ということは、もし黒人およびラテン系のみのクラスが編成されれば、事実上これは大学の落ちこぼればかりのクラスという結果になってしまう。黒人やラテン系でも成績が良く高度の教育を受けたい生徒たちは白人側のクラスを好むだろう。白人側は人種差別の汚名を着たくないのでどんな人種でも受け入れるはずだからだ。

こうなっていったい誰が一番損をするのか、それは落ちこぼれクラスに押し込められた当の黒人やラテン系生徒たちだ。せっかく親に高い授業料払ってもらって有名大学に行かせてもらっているのに、二流の教育しか受けさせてもらえなくなるのだ。低い成績を取ればそれが人種差別だと騒ぎ立てて何も学ばずに卒業証書だけもらってみても、実際に実社会に出た時にそんな似非卒業証書など何の役にも立たない。特に自主的にしろ黒人ラテン隔離クラスに所属していた学生たちは、もうそれだけで企業から敬遠されること間違いなしだ。「隔離すれども平等」なんてことが事実上不可能なのは誰でも承知だからである。

本当の意味での競争を身に付けずに世の中を渡るのに必要な教育も受けずに、君たちは黒人だからラテン系だから特別なんだよ、努力なんかしなくていいんだよ、成功しなかったらそれは白人の人種差別によるもんなんだから、と言われたことを鵜呑みにして、いったいどんな社会人になれるというのだろうか?

人種隔離制度は邪悪な制度だった。そして今もその邪悪性は変わっていない。

こういうことになったのも、アメリカの大学が黒人・ラテン系生徒を存分甘やかしてきたのが原因である。迷惑なのは若者たちだ。

June 3, 2017, 現時間 12:28 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

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May 31, 2017

白人をキャンパスから追い出す日に抗議した教授吊し上げにあう(アップデートあり!)

宗教と文化 , 左右思想 , 教育と政治

アップデートあり:

先日、ワシントン州にあるエバーグリーン州立大学において、黒人を中心に有色人種の生徒たちが「白人が居ない日」という催しを決行し、退席を拒んで授業を続行した白人教授が暴力的な生徒たちから吊し上げを食うという事件が発生した。

エバーグリーン大学では1970年代から「黒人の居ない日」という催しが年に一回行われてきた。これは70年代に書かれた戯曲から原点を発しているとかで、黒人が世の中にどれだけ貢献しているかを白人に認識させるための、いわゆるストライキ運動が始まりだった。最近では黒人だけでなく、他の有色人種もこのストライキに参加していた。ところが今年から学生たちは趣向を変えて、有色人種が欠席するのではなく、生徒及び教授や事務職員に至るまで白人たちを一日学校から追い出すことを提案した。

これに異論を唱えたのが生物学のブレット・ウエインスタイン教授。自発的に欠席するのと他人の退席を強制するのとではまるで意味が違う。前者は弾圧に対する抗議であるが、後者は弾圧そのものだ。どんなグループも他のグループを追い出すべきではないし、出ていかない人々を悪者扱いすべきではない。大学構内において個人の権利はその個人の人種によって決められるものであってはならない。また特定の人種が他の人種を標的にするのは不適切である。私はその日も学校へ来るつもりなのであしからず。教授はそのような内容のメールを学校側と生徒会の双方に送った。

さて、一か月後「白人の居ない日」の当日、その日も教授はいつも通りに出勤して講義を始めた。すると数分もしないうちに教室の外に百人近い生徒たちが集まり大声で「ウエインスタイン出てけ」「ウエインスタインは辞任しろ」と騒ぎ始めた。なんだろうと教室の外に出た教授を待ち受けていたのは怒り狂った生徒たち。添付したサイトにその時の模様の映った動画がある。言葉はわからなくても、教授が冷静に生徒たちと会話を交わそうとしているのに生徒たちが怒って怒鳴っているのがわかるはず。生徒たちはバリバリなリベラルで自称「革新派」のウエインスタイン教授を「レイシスト!」と罵っているのだ。人種によって他人を差別してはいけないという教授がレイシストということになるんだから、まったく後退派左翼のやることは本末転倒。

誰かが警察を呼んだが、学校経営者側は構内警察に何もしないように支持。教授は身の危険を感じてその後数日学校に行かれなかったという。

教授はデイブ・ルーベンとのインタビューで、左翼生徒は普段ならリベラル革新派として左翼の味方であるはずの副学長や教授や警察署長がレイシストの汚名を着せられたのは偶然ではないと語る。後退派左翼連中は本来ならば味方であるほど意見が近い人々の、ほんのちょっとの意見の違いを取り上げて激しく非難することによって、どのような異見も許さないというファシスト的姿勢を明確にしているのである。

保守や右翼よりも、革新派やリベラルたちを恐怖におののかせ、少しなりとも他の考えを持つことを断固禁止する。これこそファシストの道である。宗派の違うモスレム同士の殺し合いの方が異宗教徒への暴力よりずっと激しいのとまったく同じ理屈だ。

大学キャンパスは本当に安全地帯からどんどん遠のいていく。

アップデート! 6/2/2017現在

エバーグリーン大学は大学への脅迫があったとして
本日木曜日突然閉鎖された
。警察はこれがどのような脅迫であったのか詳細は述べていない。

May 31, 2017, 現時間 10:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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March 4, 2017

マイロ・イヤナポリスを弁護する意外な人々

アルト・ライト(アルタナ) , 教育と政治 , 狂ったメディア

ちょっと最近私はマイロ・イヤナポリスに執着しているように思われるかもしれないが、彼に起きたことをきちんと理解するのは言論の自由こそが人類にとって一番大切な人権だと思うカカシとしては、言論の自由のチャンピオンを買って出たマイロを決して沈黙させてはならないと考える。

マイロについては左翼も右翼も色々なことを書いたり話したりしているが、どれもこれも表面的な批判だけ。もっと理解力があると思っていた人々が彼を完全に誤解していて、マイロに同情的な人々でさえも、彼の本質をしっかり理解できていないということを知って非常に残念に思っている。

私はとっても悲しい。これまで私自身が右翼保守だと思っていたのに、とっても失望している。

何で事の真相がはっきりしないうちからマイロが幼児虐待者だと決め付けるのだ?彼の釈明に少しは耳を傾けてやれよ。昔のビデオや音声なんてどんなふうにも編集できるではないか、全体を聴いて本当に彼が幼児性虐待を奨励しているという証拠があるなら別。でも単にテープの一部だけ切り取って継ぎ接ぎに編集した音声だけで、これまでのマイロのジャーナリストとしての功績を一切無視してしまうのか?

それが右翼保守のやることなのか?

というのが私の事件直後の感想だが、最近になってマイロを弁護している二人のブロガーをマイロが自分のフェイスブックで紹介していたので読んでみた。特にこのレイチェル・フルトン・ブラウン教授(シカゴ大学歴史学教授)の洞察力はすごいなと感心した。、

マイロ同様、ブラウン女史もカトリック教徒で、去年の9月頃からマイロのファンになった。彼女曰く、マイロは道化師なのだ。この道化師というのはシェークスピアのリア王に出てくるようなピエロのこと。誰もが自分の社会的立場を失うのを恐れて思っていても言えないことを、王様のお墨付き道化師は遠慮もなく口にして笑い飛ばす。道化師だけが王の怒りを恐れずに真実を述べられるのだ。

多くの宗教保守はずっと左翼リベラルの笑いの種にされてきたが、クリスチャンだから反撃できないでいた。それをマイロは遠慮なくSJW(社会正義戦士と名乗る左翼連中)をおちょくって笑い飛ばした。フェミニストも、ゲイも、トランスジェンダーも、同じようにおちょくって、人々にSJWを笑ってもいいんだよと許可を与えてくれたのだ。

同時にマイロは犠牲者精神を完全に拒絶する。彼は本当の弱者は守るが、犠牲者気取りで、弱さを武器に他人をコントロールしようとする人間を嫌うのだ。しかしクリスチャンだからそうした犠牲者への攻撃は武力ではなく笑いで反撃する。だからこそ彼は自分の性虐待という被害に対してすらも、笑い飛ばして冗談にして反撃したのだ。そのことを道徳的に自分は崇高だと思い込んでるステファン・マリノーなどは理解できないのだ

マイロは道化師だから左翼とともに右翼や保守派もおちょくる。彼のどうみてもオネエな身振りや、敬虔なクリスチャンならとても口に出来ないような汚い性的な言葉使いは、とうてい右翼保守が浮け入れられるものではない。こんな下品な奴に保守派の代表みたいな顔をされたくないと忌々しく思っていた右翼保守は多かったはずだ。

右翼保守のナショナルレビューの社説より。

保守派の間では右系のハエが飛び回る度に声援を送るのが流行っているが、「アラシ」は保守派ではない。単に大学の民主党を怒らせることに価値はない。保守派のなかには常に左翼扇動者と戦っている立派な人格を持ち、落ち着いて気の効いたことを元気よく言える人たちがいくらでもいる。

つまり、右翼保守体制派はマイロの演説の内容より、その話方が気に入らないというのである。もっとお行儀よく威厳のある演説をやれというのだ。は!自分たちと違うスタイルの人間は受け入れないというのであれば、左翼連中のやっていることとどう違うというのだ?

こういうふうだから今回マイロに起きたことが右翼保守による計画的な政治的暗殺だったというのも納得がいく。

ブラウン女史はマイロは政治家ではなく、文化人なのだという。マイロにとって大切なのは西洋文明を守ること、本当の意味での正義を守ること、そして常に真実を述べることにある。だから、今回のことで彼がジャーナリストとしてのキャリアを引退し、今後はエンターテイナーとして生きていくと決めたことは良い結果になったと彼女は言う。

マイロを才能あるエンターテイナーとして認めているのがこの二つ目のブログ。自称アルト・ライト白人国粋主義のスペンサー・グイン。

マイロは素晴らしいドラマを作り出す。彼はともかく見ていて面白い。これは蔑みではない。 人々を楽しませることができるというのは授かり物であり、とても必要なものだ。マイロを愛いすも嫌うも、マイロはニュースを楽しくするだけでなく、興奮させてくれる。何百万という人たちが彼が次に何をするのか楽しみにしている。メディアに生きるものにとって、とてもよい商売だ。それに彼の格好は決まっている。あのおどけた金髪の髪型、奇抜な洋服、まるでデイビッド・ボウイかマドンナかといった感じだ。実際彼は劇画のヒーローか何かで物語りの展開を見ているようだ。先ず第一幕は毒舌で衝撃的な人物として颯爽と登場。第二幕は文化戦士として毎日のように活躍。第三幕は右から見放され左から毛嫌いされる。今我々は第四幕の彼の崩壊を見ている。次の幕は上がるのだろうか?マイロはこの危機を乗り越えられるのだろうか?

グインもブラウン女史同様、左翼がマイロを嫌悪するのはともかくとして、右翼保守がマイロを受け入れられないことや、リバタリアンのアルト・ライトのなかでもマイロを見放す人々が居る現象について語っている。グインもまた、一時はマイロの味方だったはずのステファン・マリノーのビデオについて、

42分間に渡るマリノーのマイロに関する話を観ていて、リバタリアン派のアルト・ライトもマイロの弁護には消極的だということははっきりした。これは残念なことだ。マイロにとっては痛手だ。

カカシもマリノーのビデオは半分くらい観たが、要するにマリノーはマイロが幼児性虐待に関して軽々しく物を言いすぎるということが気に入らないらしい。だが、自分には聞くに堪えない発言を守ってこそ言論の自由は守れるのだと、マリノーは普段から言っていたのではないのか?だからこそ一般人が口ごもるようなことを平気で言うマイロを支持していたのでは?

グインはアルト・ライトがマイロを躍起になって責めてはいないものの、積極的に弁護もしていない理由はわかるとしながら、それでもマイロはアルト・ライトにとって強い味方になりうると語る。

先ず第一に、グインはマイロがアルト・ライトに損害を与えるとは思えないと語る。彼自身自分はアルト・ライトだとは言ってないし、自分らも彼を同胞として受け入れる気はない。アルト・ライトの回りで活躍しているマイロが自分の性嗜好について何を言おうとアルト・ライトには関係がない。だったら左翼との戦いに有効なマイロを味方につけることに何の損があるというのか?

グインに言わせるとアルト・ライトではないが、左翼と戦っている他の人々のことを考えてみても、マイロほど効果のある人物はない。カカシも時々紹介しているロバート・スペンサー、パメラ・ゲラー、ミッセル・モルキンといった保守派もがんばって入るが、マイロほどのスターではない。

それにマイロとアルト・ライトを一緒くたにしてアルト・ライトを責めるような人間は、もともとアルト・ライトのことなど支持していない連中だ。マイロが居なくても別のことでアルト・ライトを責めていただろう。

右翼にとってマイロが味方についていた方が心強い。もしマイロが右翼からの攻撃に嫌気が差して敵に回ったらどうする?それこそマイロは手ごわい敵になってしまうだろう。マリノーは左翼のリナ・ダナムが自分の妹が子供の頃に性的虐待をしたことを平気で自分の自叙伝に書いていたことと比べて、確かにマイロはダナムに比べたら雲泥の差があるが、だからと言ってマイロの言動が許されるわけではないと語る。

だが、グインはそれに同意できないという。我々は戦争中なのだ。左翼との戦いに勝つためには、味方の些細な落ち度をいちいち重箱の隅をつっつくように攻め立てている余裕はない。マイロは自分の体験を軽々しく語ったかもしれないが、彼が実際に子供を虐待したという証拠があるわけでもなく、幼時と大人の性行為を奨励するNAMBLAなどという団体を支持しているわけでもない。

公開された音声についてグインとカカシの解釈は全く同一だ。つまり、マイロのキャラは人々が衝撃を受けるようなことを言うことにあるので、次から次へとショッキングな供述をしているうちに危険な境界に入ってしまったのだ。マイロが自分が13歳の時に自分を性的に虐待した神父のことを「オーラルセックスがうまくなったのも、マイケル神父のおかげだ」などと口走ったりしたのも、実際にマイロがそう思っていたからではなく、聞いている人々に衝撃を与えることが目的だった。それは文字通りに真に受けるべきではないのだ。

ブラウン女史もグインもマイロのそういう危険すれすれのユーモアを理解している。

カカシが残念に思っているのは、私が今まで頭がいいと思っていた右翼保守の人々の多くが、マイロの危険すれすれユーモアを全く理解できなかったということにある。ステファン・マリノーなどはその口だ。もっとも多くの人々が最初から忌々しい目の上のたんこぶだったマイロを破壊する絶好の機会とばかりに積極的に誤解することを選んだのも事実だが。

グインは最後にマイロは根本的に善良な人だと思うという。グインは以前にマイロがどこかの大学で演説した時、保守派の男子学生が大学構内の左翼とどのように戦ったらいいのかと質問した際、マイロはためらわず即座に、最大の復讐は、ちゃんと勉強してよい仕事につき、お金を儲けて美人の奥さんをもらい、たくさん子供を作って幸せになることだと語ったという。グインはそれを聴いて涙が出るほど感激した。

確かにマイロ自身は右翼や保守派の鏡ではないかもしれない。だがこれはマイロ個人の問題ではない。これは文明社会をどうするかという問題なのだ。そしてマイロは文明社会を守る強い味方なのだ。

ブラウン女史もグインもそういう意味でマイロを応援している。

そしてカカシも。

早くマイロには立ち直ってもらって、また前のように元気に活躍してもらいたいと思う。マイロは本当の意味での文明社会正義の味方なのだから。

March 4, 2017, 現時間 3:47 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

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February 3, 2017

激化する左翼過激派の暴力、奨励する左翼メディアと馬鹿芸能人たち

アルト・ライト(アルタナ) , 左右思想 , 教育と政治

先日のカリフォルニア州立大学バークレー校で起きた暴動事件は日本のメディアも報道するほど話題になったようだ。下記はよもぎねこさん紹介の朝日新聞の記事より。

反トランプデモが暴徒化、米大学閉鎖 講演会場に花火も

ロサンゼルス=平山亜理 2017年2月3日00時50分  米カリフォルニア州にあるカリフォルニア大学バークリー校で1日、トランプ大統領を支持する英国人コメンテーターが講演することに反対する若者たちのデモが暴徒化し、大学が閉鎖された。米CNNなどが伝えた。

 講演する予定だったのは、保守的なニュースサイト「ブライトバート・ニュース」のミロ・イアノポウロス氏(カカシ注:カカシが「マイロ・イヤナポリス」とカタカナ表記してきたMilo Yiannopoulosのこと。実際には「マイロ・ヤナーポリス」というふうに聞こえる)。数千人が集まったデモは、当初は平和的だった。ところが黒装束姿の数十人が加わり、講演会場に
花火などを投げつけたり、窓ガラスを割ったりした。講演は中止された。

 トランプ氏は2日、「カリフォルニア大バークリー校が言論の自由を許さず、異なる意見をもつ無実な人に暴力をふるうなら、連邦政府の資金を打ち切ろうか?」とツイッターに書き込み、デモを批判した。(ロサンゼルス=平山亜理)

マイロ大嫌いなベン・シャピーロに言わせると、この暴動はマイロの名前を広く知らしめることになり、今までマイロなんて聞いたこともなかった人に彼の新しい本の宣伝をするようなものだ。もし暴動主催者の意図がマイロを黙らせることにあったとしたら、これは全くの逆効果になっただろう。民主党のリベラル評論家のロバート・ライシュなどはこの暴動はアルタナライトの陰謀だとまで言ってるくらいだ。

さて英字のハフポの記者が現場に居たということで、現場からの報道という記事があった。

記者によると最初や平和的に大学の生徒たちが抗議に何百人か集まっていただけだったのが、講演が近づくにつれ黒装束に暴徒が集まり始めた。彼らは花火を警官に投げつけたり校舎に突進したりしはじめた。騒ぎが始まって20分くらいしてから警察は群集に解散するよう呼びかけた。スプロールプラザ広場で火事が起きたが、警察は消防署を呼ばなかったという。消防隊には危険な状況だったからというのがその理由。

この記者の報告で非常に興味があるのが、この記者がバークレー市警察及びバークレー大学警察が抗議者らに対して見せた自制に感動したとあることだ。やたらに必要以上の応戦をして事が荒立つのを防いだのは懸命だったというもの。荒立つのを防ぐもなにも事はすでに手がつけられないほど荒立っていたのだ。それというのも警察の見せた「自制」というより無行動のおかげだ。

さて、この暴動について左翼リベラルのラジオトークショー、リチャード・ファウラーは、マイロには全く同意できないが、マイロには演説をする権利があるのであり、あのような暴動は許されるべきではないと語った。そしてあのような行動に出た暴徒らは左翼リベラルを代表しないとも語った。残念ながらこういう意見の人は左翼リベラルのなかでは少数意見である。

しかしここで私がちょっと気になったのは、ファウラーがアルタナライトは白人至上主義の別名だと断言し、同席していたベン・シャピーロがそれに異論を唱えなかったことだ。無論シャピーロも常々アルタナライトは白人至上主義だと言い張っているから当然といえば当然だが。

この状況に対してトランプ大統領は、UCバークレーは連邦政府管轄化にある公立大学なので、憲法を守れないなら連邦政府からの支援金は差し止めるべきかもしれないというツイートをしたことに対し、ファウラーは暴動は大学の責任ではないと主張した。

それについてベン・シャピーロは、ナチスを殴っても言いということから始まって、自分と同意出来ない人間はすべてナチだとなり、だから異見者は殴っていいという理屈になってしまうとしたうえで、学校側がすべきことをしなかったことが問題だと指摘した。

噂によるとマイロを招待した大学の共和党学生たちは警備のために6千ドルからを支払ったという。ところが警察は確かに配置されていたとはいうものの、1000人を超す抗議者たちを扱うには全く不十分な少人数で、会場の前にいちおう鉄のガードレールを置いたりはしていたが、抗議者が演説参加者に物を投げたりこぶしを奮ったりしても彼らをすぐに制止するなどと言う行為には全く出なかった。

シャピーロは大学側が警察に何もするなと命令していたのではないかという。実はこういうことがおきたのは今回が初めてではない。シャピーロの演説もマイロの演説も他の大学で警備が必要だといわれて他の演説者よりも多くの警備費用を負担したにも関わらず、配備された警察官は抗議者が講壇に登ってマイクを取り上げたり演説者になぐりかかったりするのを黙ってみているなどということが何度も起きているのである。

大学側はトランプ大統領がいうような支援金の削除といった憂き目には合いたくない。だから自分らが受け入れ難い保守派の演説者でも建前上は招待を拒むわけには行かない。それで、一応は招待は許可するが、主催者に法外な警備費用を押し付けたり、それでも相手が怯まなければ警備費を取っておいてわざと抗議者を煽っておいて警備を完全に怠るというやり方で保守派意見を弾圧するのである。

実は皮肉なことにUCバークレーは以前に「言論の自由」活動が起きた大学だった。UCバークレーでは1966年にも学生ヒッピーたちによる暴動が起きたことがあった。その時は時の共和党知事が強硬な手に出て暴動を鎮圧した。その知事とは後にアメリカ大統領になったロナルド・レーガンその人だった。

その時のビデオはこちら。 

レーガン知事は3000人を超す学生たちが騒ぎ始め、地元警察の手に負えなくなると緊急事態指定をしカリフォルニア州軍を出動させた。皮肉なことにこの州軍にはデモに参加していたバークレー校の学生も混じっていたそうだ。ビデオのなかで知事の強行な手段に抗議する大学側の職員たちの姿が写っているが、レーガン知事は「何日も、生徒たちが脅迫していたのに、君らはなにもしないでいた。」と責めると、「我々は生徒たちと話し合いをしてきた、、」と職員。「話し合うことなど何があるというのだ!れっきとした大人の君たちがだらしないからこういうことになったんだろうが」と言う意味のことを言って立ち上がった。

元ヒッピーのジェリー・ブラウン(民主党)現知事にはこんな勇気も意志もない。なにせブラウン知事は学生や暴徒と同意見なんだから、暴徒が取り締まわれるわけがないのだ。ことが劇化したなら、本当にトランプ大統領によって州軍を出動してもらうことになるかもしれない。まったく困ったものだ。

February 3, 2017, 現時間 8:40 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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February 2, 2017

左翼過激派による暴力激化、マイロの演説でバークレー大学暴動

アルト・ライト(アルタナ) , 左右思想 , 教育と政治

昨日も書いたように、最近左翼過激派による暴力行為が頻発している。昨晩アルタナライトの王子様ともいうべきマイロ・イヤナポリスがカリフォルニア州立大学バークレー校において前売り券売り切れの演説をする予定だったのが、現れた反マイロ抗議者百人以上に混じって黒装束にスキーマスクをつけた暴徒らが花火やレンガを警備員に投げつけたり鉄棒で参加者の殴りかかったりマイロファンの女性たちにペパースプレーをかけるなどの暴力行為に出た。暴動は会場前の出入り口のみならず近所にあった銀行のATMが壊されるなど、手のつけられない状況となったため演説はキャンセルされた。

ここでも何度か紹介しているが、保守派の演説者による講演が暴力的な抗議デモで阻止されたのはこれが初めてではないし、また特に今始まったわけでもない。だが、一年くらい前からこの傾向はかなり激化しており、阻止される演説者の数も増えてきた。

マイロやベン・シャピーロなどは過激派が邪魔するリストのナンバー1と2かもしれないが、他にも旧フェミニストのクリスティーナ・ホフソマーズやゲイ活動家でトークショーホストのデイブ・ルービンや哲学者のピーター・ボゴシアン教授(Christina Hoff Sommers, Dave Rubin, and philosophy professor Peter Boghossian)など、保守派でなくても充分に左翼思われない演説者はやはり同じような目にあっている。

最近、対ファシストという意味でアンティファと名乗る非常に暴力的な過激派グループが台頭しており彼らはブラックブロックという黒装束でスキーマスクという忍者みたいな格好で現れ暴れまくる。彼らはシャピーロがスノーフレーク(雪片)と馬鹿にしていた傷つきやすい左翼リベラル連中とは違ってブラックライブスマターやモスレム野蛮人のように非常に暴力的で危険な奴らである。異見者は暴力で黙らせるというそのやり方はモスレムそっくり。黒装束に隠れてモスレムテロリストが混ざっていたとしても不思議ではない。無論こいつらはおよそアンチファシストなどではない。

シャピーロは長年に渡る大学での左翼教育がこうしたキャンパスファシズムを生み出したのだという。

教授たちは生徒たちには「安全地帯」といって自分の考えに挑戦する考えを聞かなくてもいい場所が必要だと教えた。微細な攻撃には過大な反撃が必要だと教えてきた。それはどんな言論であろうとも自分を傷つけるものは暴力なのであり、暴力には暴力で対応すべきだというふうに生徒たちには理解されてしまったのだ。

私は左翼連中によるこの安易な言葉の定義拡大や縮小に非常な脅威を感じていた。また、彼らは敵側が使う言葉を奪い取って全く違う意味で使って言葉を無意味にする方法も良く使ってきた。これについて私は以前にも話したことがある。

たとえば単なる性的なからかいをハラスメントもしくはレイプなどと呼ぶ。つまり、道を歩いていて可愛い子に男たちが「お姉ちゃん、かわいいねえ」とからかう行為をハラスメントと呼び、デートでお互い納得してセックスしたのに後で後悔した女性が「レイプ!」と叫ぶなどがそれだ。マイロやシャピーロの演説を聴いて反感を持った学生たちは「保守派に攻撃を受けた」と言い張る。言葉は「暴力だ!」と言い張る。だったら言葉の「暴力」に本当の暴力で反撃して何が悪い!という理屈になるのである。

問題なのは、本来ならば若い学生たちのこうした短期な行動を大人のリベラル達が諌める(いさめる)べきなのに、彼らまでが一緒になって若者をたきつけているのだから始末が悪い。下記は大人であるはずのリベラル連中からのツイート。

ハリウッド映画監督ジャッド・アパトウ、「こんなの序の口だ。何時になったら未だにトランプを支持している奴らは何がかかっているかがわかるのだ?」

バークレー市のアレグイン市長「言論をつかって人々を差別し偏狭を促進することは許されない。ヘイトスピーチは我が市では歓迎されない。」

ハリウッドやリベラル政治家らによってこうした暴力行為が奨励されれば、暴力行為は激化する一方だろう。そしてそんな行為が誰のためになるのかといえば、馬鹿左翼はわかっていないが、トランプ政権そのものだ。

暴力行為は明らかな違法行為である。違法行為は取り締まりがやりやすい。なぜなら新しく法律を通したりしなくても既存の法律を施行すればいいだけの話だからである。左翼過激派が本当に独裁政権を恐れているのなら時期尚早な攻撃は命とりである。なぜならもしトランプが本当の独裁者なら治安維持を理由に左翼活動家の運動を厳しく取り締まる口実を作ってしまうからだ。自分らの普通の生活をやたらにデモだ暴動だで邪魔される普通の国民はトランプ大統領の法と秩序を歓迎するだろう。

ファシズムでないものをファシズムと呼び、そうでない人々をレイシストだホモフォブだ外国人疎外者だといい続ければ人々はいい加減に堪忍袋の緒が切れる。それでこれまでは移民にしろリベラルにしろ同情的だった人々の感情すらも逆撫でしてしまうのだ。もしトランプが本当の独裁者なら、こんな格好な口実はない。

左翼リベラルエリートたちが馬鹿過激派の暴力を奨励していると、必ずや自分らの党が危機に陥る結果となる。それでいいならどんどんやって頂戴よと私は言いたい。こんなデモでマイロやシャピーロや多の保守派演説家が痛手を受けるかといえばとんでもない。敵側に騒がれれば騒がれるほど彼らの言論が正当化され彼らの人気が上がるのである。

それでいいならどんどんやってよね。ただ地元のカカシは充分の身辺の安全に気をつける必要があるが、、

February 2, 2017, 現時間 6:16 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

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December 17, 2016

米大学、左翼リベラルの気持ちを傷つける言論の自由断固反対!

ネット戦争 , 教育と政治

前回、最近のアメリカの大学は有色人種や女子大生の扱いが生ぬるいという話はしたが、彼らのことは甘やかしている大学も、こと白人男子への対応は厳しい。

最近アメリカの大学キャンパスでは言論の自由が迫害されまくっている。大学がエリート学校になればなるほどその傾向が高まる。特に白人男子学生の権利は迫害しまくられている

ハーバード大学では、男子サッカーチームの誰かが同大学の女子学生について品定めををしたとして、チーム全体が一シーズンの謹慎となった。チームの選手たちの品定めの対象となった女子学生たちは、事件発覚当初笑って済ませていたにも関わらず、話が大きくなって回りからセクハラだと評判になった途端に「失望した」「侮辱された」「ショックを受けた」などと劇的な反応を示した。

コロンビア大学ではレスリングチームのメンバー達がプライベートに交わしたメールが漏れて大学のブログで公表されるという事件があった。その内容には黒人への差別用語が使われていたり、女性を性的に侮辱する言葉が含まれていたという。大学のスポーツチームの男どもの更衣室談義が下品なのは当然。そんなのいちいち気にするほどのことか?女の子たちだって集まれば他人の噂話をしているだろうに。最近はプライベートな話すらソーシャルメディアなどでアップされてしまうからうかつに噂話もできやしない。で、コロンビア大学は即座にチーム全体を謹慎処分にした。このメールに参加していなかった別のチームメンバーのことなどおかまいなしである。

コロンビア大学は以前に強姦の犠牲になったとかいう女子大生が一年間マットレスを担いで活動するという馬鹿げたことが起きた大学。彼女の話は完全なでっちあげだったのだが、彼女自身はなんのお咎めなし。無実の罪を着せられた男子学生は大迷惑を被ったのに。男子運動チームのメンバーがくだらない噂話をしたら謹慎処分。女子学生が他人に恐ろしい犯罪の無実の罪を着せるのはお咎めなし。まったくのダブルスタンダード。

このエントリーを書こうと思っているうちに、今度はプリンストン大学の水泳チームが人種差別的女性蔑視的な発言を仲間同士のメールでしていたことが発覚して謹慎処分になった。メール内容の詳細はあきらかにされていない。

これらのスポーツチームのメンバー達が実際に女子大生を強姦したとかいうのであれば話は全く別だ。しかし多少下品な発言をプライベートでしていたというだけで謹慎処分というのは行きすぎだろう。はっきり言って私はそういう下品な発言は、コーチからの厳重な忠告や周りの女子大生からの冷たい蔑みの目で制裁すればいいと思う。

カカシは何度もだいぶ以前に言論の自由について書いてきたが、聞くに堪えない下品な発言や嫌悪に満ちた発言は、法によって裁くのではなく、社会が制裁すればいいのだと強調してきた。今もその考えは変らない。以下2008年のエントリーから一部抜粋。

言論の自由という権利は個人が元来持っているものではあるが、他人の言動によって自分の気持ちが傷つけられない権利などというものは存在しない。であるから仮にそのような言動が悪意に満ちたものであったとしても、その言動によって傷付かない権利など政府が守る義務がないどころか、政府はそのようなことに口出しすべきではないのだ。なぜならそのような権利を守ろうとしたら、それは必ず言論弾圧に結びつくからである。(略)

無論言論の自由とは自分勝手なことをいって誰からも批判されない権利という意味ではない。私が他人の気持ちを傷つけるような言動をとった場合、社会の人々から私のそのような発言を批判されたとしても文句はいえない。(略)

合法であるということと道徳的に正しいということとは違う。(略)不道徳な行為は社会が制裁すればいいのである。(略)

人権擁護法の恐ろしい点は、このような道徳的な意見の違いを「差別意識である」とか「少数派の人権を迫害するものである」などといって思想の自由を弾圧することにある。一見弱者を守るように見えるこの法律は、必ずや思想の自由、宗教の自由、言論の自由を迫害するものとなるのである。

大手小売店のターゲットがトランスジェンダーのために男女共用施設を設置するのは、ターゲットの自由である。大手シリアル会社のケロッグがトランプ支持のブレイトバート紙での広告を取り下げるのもケロッグ社の自由である。こうした行為は法律で禁じられるべきではない。それに抗議した消費者がこれらの会社の製品をボイコットするのも自由だ。多くの人々から嫌われる言動はそうやって社会が制裁していけばいいのだ。法律で裁かれることではない、いや裁かれてはならないのだ。

December 17, 2016, 現時間 10:43 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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これがアファーマティブアクションの結果だ!甘やかされた黒人インターンに脅かされたカカシの職場

アルト・ライト(アルタナ) , 教育と政治

先週の水曜日、うちの職場でおかしなメールが出回った。まだ入社したばかりのインターンが社長や会長を含む全重役並びに社員全員に宛てて上司がおばあちゃんの葬式に行かせてくれない、と全て大文字の苦情メールを発信したのだ。ネットのソーシャルメディアなどで全てを大文字で書くときは、怒鳴っていることを表現する。いかに自分が怒っているかを表そうとしたのだろうが、到底プロフェッショナルな行為ではない。

彼自身が書いたメールの内容を読む限り、このインターンはまだ大学在学中の見習い社員。ところが無断欠席が多かったようで与えられた課題もこなしておらず、このままでは大学卒業も危ういと、配属された直接の上司から度々忠告を受けていたようだ。先日祖母が危篤という連絡があって会社を休もうとしたが、上司からきちんとした書類を提出しなければ休暇許可は出せないといわれ、そうこうしているうちにおばあちゃんが死んでしまったらしい。

インターンは自分には休暇を取るのにわざわざ上司に許可を求める義務はない、上司のいう課題もインターンプログラムの卒業課題には含まれていないのでやる必要はない、なのに課題をこなさなければ卒業できないとか脅すのはハラスメントだ!上司は私が黒人だからと人種差別している!上司はトランプ支持で自分はヒラリー支持だったからパワハラしている!とかなんとか訳の解らないことを延々と綴っていた。

同僚たちと「これじゃあ、無断欠席して葬式から帰ってきても仕事は首だろうね。」と話ていたら、職場の最高責任者から彼は即日解雇され警備員エスコート付きで職場から出て行ってもらったという連絡メールがあった。

ところが翌日の木曜日になって、このインターンが会社の敷地内をうろうろしているという知らせがあった。うちの会社は多々の企業機密を扱うため門番(古いかな?)の警備員に従業員としての身分証明書を提示しないと会社の敷地内には入ることは出来ない。なのでその証明書を取り上げられたはずのインターンがどうやって敷地内に入り込んだのか疑問なのだが、かなりだらしない警備だな、こういう人間は八つ当たりして乱射事件を起こしかねないということで、危険を感じる社員は即退社してよろしいという御触れが出た。

最近の大学では大学生に対する扱いがまるで幼稚園児でも扱っているように生ぬるい。一年くらい前に大学の学長に泣きながら罵声を飛ばす黒人女子学生が話題になったが、彼女は制裁されるどころかかえって学長の方が首になったり、主に黒人学生を中心にしたわけの解らないデモがあちこちの大学で起きているのに、大学側はこうした生徒のいいなりになっていたり、トランプが当選したら授業を停止して学生たちのデモ行進を援助するなど、やっていることが滅茶苦茶である。

今の大学は引き金警告だの安全地帯だのと言って、生徒たちの気持ちが傷つくようなことは一切禁止。そんなところで若者は責任ある社会人になれるわけがない。このインターンにしてみても、度重なる無断欠勤に対してまるで反省の色を見せないどころか、自分には上司から欠勤の許可を得る義務はないとか、課題をこなす責任もないとか、それでどうやってインターン完了の証書をもらおうというのだ? それともこの男子学生は自分が黒人だということでアファーマティブアクションで成績も満たないのに大学入学し、勉強もしないでインターンプログラムに入れてもらったので、インターンになっても仕事をしなくていいとでも考えていたのだろうか?これまで何もかも与えられてきて甘やかされてきたから、社会人になっても同じことが許されると錯覚しているようである。

有色人種を特別扱いするアファーマティブアクションや繊細な大学生の気持ちばかりを重視する大学教育は、結局責任ある社会人を養成するという義務を怠っている。今後もこういう無責任社会人がどんどん出てくることは想像に難くない。

December 17, 2016, 現時間 9:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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December 5, 2016

カルポリ大学、左翼学生の圧力に屈せず、マイロの講演を許可

アルト・ライト(アルタナ) , 左右思想 , 教育と政治

カリフォルニア州ポリテクニーク大学(略してカルポリ)でマイロ・ヤナポリス(正しい発音はこちら)の講演が来年1月31日に予定されているそうだが、またしても極左翼社会主義生徒たちが、なんとしてでも講演を阻止しようと躍起になっている

過激革新派のSLOソリダリティーという生徒グループはカルポリ共和党生徒会が主催する言論の自由イベントを阻止しようと、大学当局に圧力をかけたが、学校側は左翼生徒たちの訴えをきっぱりと拒絶し、月曜日の下記の声明を発表した。

カルポリ構内は様々な意見やアイデアや思想を自由に共有できる環境である。たとえそれが悪趣味もしくは気分を害するようなものだったとしても。視点を検閲することは言論の自由を脅かすことになり、我が大学の主旨に反する。言論の自由及び思考や意見を自由に交換する、たとえ自分らの意見とは合い違えるものだとしても、それこそが学生の成長と今日のグローバル至上で成功するための準備として大事なことなのである。

あっぱれ~カルポリ!さっすが我が母校。誇りに思うぞ。ヤナポリスの講演は全国各地のリベラル大学で阻止されている。カリフォルニアでも幾つかの学校が講演許可を出さなかったり、ドタキャンしたり、法外な警備費を要求したり、暴力的な左翼生徒らの暴動を見てみぬ振りをして講演者や参加者の安全保持をわざと怠ったりしてきた。そういうなかでカルポリの今回の声明は新鮮な息吹という感じである。

しかし諦めないのが左翼リベラル。SLOソリダリティー生徒たちは木曜日になって別の方法で講演を阻止しようと企んだ。SLOのメンバー、ハイジ・ペターソンは、講演の形式を講師の演説ではなく、パネル座談会形式に変えさせようと訴え、ネット上で署名運動を始め、土曜日の段階で400の署名が集まったという。

生徒たちは以前にも別の演説者の講演が大学の寄付者からの要求で形式変更された例があると訴えている。しかし生徒らが持ち出した前例は同大学の農学部への募金運動で、形式変更は大学の大事なスポンサーからの要望だった。つまり全然事情が違うのである。

今回のことでカルポリは他の大学よりは根性があるのかといえばそうとも言えない。ただ、カルポリは言論弾圧で以前に生徒から訴えられて4万ドルの補償金を払ったこともあるので、こういうことには敏感なのだ。

しかhし、学校当局は何とかこの問題を穏便に済ませたいと考えているため、この形式変更には応じる可能性がある。

大学革新派がマイロを沈黙させることができるかどうかという問いに対してマイロは、

「あり得ない」

と応えた。

December 5, 2016, 現時間 7:51 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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December 4, 2016

左翼オンライン紙バズフィード、トランプ支持学生たちの「実態」を追う

アルト・ライト(アルタナ) , 左右思想 , 教育と政治

極左翼社会主義でアメリカでは侮蔑的にSJWと呼ばれている自称社会正義戦士たちのオンラインメディア「バズ・フィード」の日本語版を発見した。リンクをなくしてしまったのだが、全文コピーしてあったので掲載しちゃおう。いっちゃなんだがこの米井香織という翻訳者、翻訳大苦手のカカシより翻訳下手だね。日本語がどうしてこんなふうになってしまうか理解は出来るのだが、それにしても解りにくい訳だ。しかし、それでもよくよく読んでみたら極左翼メディアにしてはしっかりした取材をしている。

題して『トランプ氏を支持した「物言わぬ多数派」の学生たち、白人男性による最後の抵抗』。

ドナルド・トランプが米大統領選挙に勝利して1週間経ったころ、デラウェア大学では、多くの学生が選挙結果に打ちひしがれていた。デラウェア大学は、民主党の支持者が多いデラウェア州の公立大学で、ジョー・バイデン副大統領の出身校でもある。教授たちは授業を取りやめ、デモ行進に協力した。そして、学生たちが気持ちを整理し、不安を取り除くことができるよう、議論の場も設けた。

大学とは学問の場のはずで、なんで教授たちが学生のデモに協力したりするのか?授業を受けたい学生たちの迷惑など完全無視だ。

一方でトランプに投票した学生たちは興奮している。支持する候補者が勝利を収めただけでなく、民主党の「アイデンティティー政治」作戦が失敗に終わったためだ。ヒラリー・クリントン陣営は、女性やマイノリティ、LGBTのコミュニティーなど、しばしばアイデンティティーによって政治的な立場が形成されるグループの票を集めようとしていた。ところがその思惑は外れ、さらに、「頑迷な差別主義者」と言われるのを好まない白人の支持者たちも失うことになった。

トランプは、大卒者の支持を得て当選したわけではない。大卒者の過半数がクリントンに投票した。ただし、白人の大卒者に関しては、わずか4ポイント差ながらトランプ派が上回っていた。トランプに投票した全米の大学生たちは、「Make America Great Again(米国を再び偉大な国にしよう)」と書かれた野球帽をかぶって、胸を張って食堂に現れるようなことは決してない。しかし、自らを「ポリティカル・コレクトネスの侵食とひそかに戦う反逆者」と認識している。

SJW紙としては的確な分析だろう。アメリカの大学構内は右翼保守もしくは非極左翼リベラルの学生たちには非常に居心地の悪い場所である。下記などその典型。強調はカカシ

「トリガー・ウォーニング(映画や本などで、一部の人の気分を悪くさせるかもしれない部分がある可能性を、前もって警告しておくこと)」、「セーフ・スペース(主に教育機関などの、差別や攻撃的な発言に直面することのない場所)」、「マイクロ・アグレッション(自覚なき侵害)」など、今や主流となった「進歩的な学生運動」の概念に不満を抱くすべての大学生にとって、トランプの勝利は朗報だった。

翻訳者によるトリガーウォーニング、セーフスペース、マイクロアグレッションの説明は左翼リベラルの建前を表すもので、本質はいずれも非ポリコレ思想や発言を弾圧する手段である。これをきちんと説明すると、下記のようになる。

  • トリガーウォーニング=引き金警告=左翼社会主義プロパガンダでない発言を前もって警告すること。
  • セーフスペース=安全地帯=左翼社会主義プロパガンダ以外の発言を許さない場所
  • マイクロアグレッション=微細侵害=一般人が何気なくする発言を左翼社会主義者が歪曲して人種差別と責め立てること
これらの思想が「主流になった進歩的な学生運動」と言い切ることろが、いかにも左翼紙らしい。聡明な読者諸氏はご存知だろうが、「革新的」とか「進歩的」というのも左翼社会主義者が好んで使う暗号である。こういう言葉を乱発する人間は自分は主流だと言い張るかもしれないが左翼なのは間違いない。

であるからこれを普通の日本語に翻訳すると、

引き金警告や安全地帯や微細侵害だのという言葉使いで、左翼社会主義以外の言論や思想弾圧を普通に行なう社会主義概念が、幅を利かす学生運動に不満を抱くすべての大学生にとってトランプ勝利は朗報だった。

となる。

ところでトランプ支持派の学生たちは極左翼のバズフィードの取材になかなか応じてくれなかったという。よしんば応じてくれたとしても、苗字は使わないでくれと言われたそうだ。それもそうだろう。左翼の多い大学構内でトランプ支持がばれたらどんな報復を受けるかわからないのだから。

この記事では大学構内では今や少数派となっている共和党やトランプ支持の保守派学生たちの意見が幾つか偏見なく掲載されている。何度も言うが極左翼のバズフィードとしては意外と公平な取材になっていると思う。

最後に載ってる民主党ヒラリー・クリントン支持のブラウンという女子大生の意見を読んでいて笑ってしまった。強調はカカシ。

黒人のブラウンは、「何よりもどかしいのは、有色人種やトランスジェンダー、女性の命が実際に危険にさらされているということだ」と話す。「もしクリントンが大統領になったとしても、白人男性の命が危険にさらされることはない」

トランプ当選が決まってから、暴力行為の被害者になっているのはトランプに投票した学生や、トランプ支持と疑われただけの白人ばかり。先日もトランプ支持の元軍人の家が何者かによって破損され放火されて全焼した事件がおきている。

それをいうなら選挙前にもトランプ応援集会でトランプ支持者たちがヒラリー派に数々の暴力を受け、民主党の運動員がトランプ集会に暴力団を送って暴力を扇動していたことは、拙ブログでも何回か紹介している。また、ブラックライブスマター(BLM)の黒人たちが白人も黒人も構わず警官を暗殺しまくっている事件にしたところで、オバマ大統領は見て見ぬ振りだ。そういう時代にあって、クリントンが大統領になったらクリントンを支持しなかった人々の「命が危険にさらされることはない」などとブラウンの言葉はむなしい。

それに比べてトランプ派によるクリントン派への暴力などひとつも起きていない。にも関わらずブラウン言う。

「トランプの支持者たちから聞こえてくるのは、『私個人は人種差別主義者ではない』という言葉だ。それは、『人種差別主義者を積極的に支持していた』と言っているようなものだ」とブラウンは指摘する。「問題を無視することを選んだということは、驚くほど恵まれているからだ。私は女性として、有色人種の女性として、恐怖を感じている。困難な数年間になるだろう」

トランプは選挙運動中にも有色人種を差別しようとか、有色人種はすべて駆り立てて収容所に送ろうとか一言も言っていない。実際に自分が人種差別者でないと主張することが人種差別者だというこの理屈。白人による人種差別など起きていないという真実を言うことが「問題を無視している」とか「驚くほど恵まれている」とかいうことになる。

有色人種だという彼女は自分だってちゃんとした大学で大学生やっている恵まれた環境にあるではないか。教授はじめ周りのみんなが自分に気兼ねして、トリガーワーニングしたりセーフスペースつくったりしてくれてるじゃないか。自分が言いたいことを言っても成績下げられたり停学や退学の恐怖にさらされたり、回りから暴力を奮われたりしていないではないか。

右翼保守学生たちは人種差別者と呼ばれることを恐れて言いたいことも言えない。トランプを支持したことも言えない。自分の好きな芸能人の講演すらBLMやSJWの暴力で阻止される危険にある。そういう人たちが驚くほど恵まれているとかよく言えたもんだ。

また、ブラウンによれば、トランプは独自のアイデンティティー政治を成功させたという。無視されることに嫌気が差していた多数の白人に訴え掛けるという手段によってだ。

「これは、権力を保持したい白人男性による最後の抵抗だ」とブラウンは語った。

これは当たっているかもしれない。だとしたら、左翼社会主義者らによるアイデンティティー政治は激しく逆効果だったということになる。にも関わらず左翼社会主義者たちはさらにこの姿勢を強硬に押し通していくつもりらしい。ま、せいぜい頑張ってよね。

次ページにこの記事の全文翻訳を張っておく。

トランプ氏を支持した「物言わぬ多数派」の学生たち

「白人男性による最後の抵抗」
ドナルド・トランプが米大統領選挙に勝利して1週間経ったころ、デラウェア大学では、多くの学生が選挙結果に打ちひしがれていた。デラウェア大学は、民主党の支持者が多いデラウェア州の公立大学で、ジョー・バイデン副大統領の出身校でもある。教授たちは授業を取りやめ、デモ行進に協力した。そして、学生たちが気持ちを整理し、不安を取り除くことができるよう、議論の場も設けた。


一方でトランプに投票した学生たちは興奮している。支持する候補者が勝利を収めただけでなく、民主党の「アイデンティティー政治」作戦が失敗に終わったためだ。ヒラリー・クリントン陣営は、女性やマイノリティ、LGBTのコミュニティーなど、しばしばアイデンティティーによって政治的な立場が形成されるグループの票を集めようとしていた。ところがその思惑は外れ、さらに、「頑迷な差別主義者」と言われるのを好まない白人の支持者たちも失うことになった。

トランプは、大卒者の支持を得て当選したわけではない。大卒者の過半数がクリントンに投票した。ただし、白人の大卒者に関しては、わずか4ポイント差ながらトランプ派が上回っていた。トランプに投票した全米の大学生たちは、「Make America Great Again(米国を再び偉大な国にしよう)」と書かれた野球帽をかぶって、胸を張って食堂に現れるようなことは決してない。しかし、自らを「ポリティカル・コレクトネスの侵食とひそかに戦う反逆者」と認識している。

「これは新しいカウンターカルチャーだ」。デラウェア大学の学生ジャレッドは、スーツにネクタイを締め、学内で開催された共和党支持者の集まりに参加した。「ケント州立大学で抗議行動を起こしたヒッピーと同じだ」。ジャレッドが話しているのはおそらく、1970年に起きたベトナム戦争への抗議行動のことだろう。この抗議行動では、州兵が非武装の学生たちに発砲し、4人の死者が出た。

「あるいは、90年代のグランジだ」と別の学生が賛同する。

デラウェア大学の4年生で、「共和党を支持する大学生委員会デラウェア支部」の支部長を務めるアンドリュー・リップマンは、カリフォルニア大学バークレー校は1960年代、言論の自由を求める抗議行動で有名だったと話す。しかしリップマンに言わせれば、現在のバークレー校は「保守的な発言を黙らせる」ことで有名だ。「保守的な発言は憎しみに満ちていると考えられているためだ」

「トリガー・ウォーニング(映画や本などで、一部の人の気分を悪くさせるかもしれない部分がある可能性を、前もって警告しておくこと)」、「セーフ・スペース(主に教育機関などの、差別や攻撃的な発言に直面することのない場所)」、「マイクロ・アグレッション(自覚なき侵害)」など、今や主流となった「進歩的な学生運動」の概念に不満を抱くすべての大学生にとって、トランプの勝利は朗報だった。

リップマン自身はトランプの熱狂的な支持者ではなかったが、教室や寮、キャンパスで「トランプを支持している」とは言いにくいと語る学生たちの報告に懸念を感じてきた。リップマンが求めているのは言論の自由だ。彼は選挙の2週間前、「ブライトバート・ニュース」の記者で、オルタナ右翼の思想家として知られるマイロ・ヤノプルスの「デンジャラス・ファゴット(危険なゲイ)」ツアーを大学に招いた。

ヤノプルスは、トランスジェンダーは精神障害だという持論を語っている人物だ(米精神医学会は2012年、「性同一性障害」を診断マニュアルから削除することを投票によって決定している)。

ヤノプルスの講演会の当日、キャンパスに貼られたミシェル・オバマとケイトリン・ジェンナー(性同一性障害を公表し、女性名のケイトリンに改名した陸上オリンピック金メダリストのポスターの顔の上に、「トランスジェンダーはゲイだ」と書かれていた。講演会が行われること自体に驚いていた学生たちは、このポスターにさらに大きなショックを受けた。ヤノプルスは多くの大学で拒絶されている人物だが、結局、講演会は満席の聴衆を集めた。



「マイロ・ヤノポロス氏のイベントを宣伝する『トランスジェンダーはゲイだ』と書かれたポスターは警察に取り外された」



「今晩のマイロ・ヤノポロスのイベントを宣伝するポスター。警察が取り外した」

デラウェア大学共和党支持者の会は、ポスターとは無関係であるという声明を発表した。それでもリップマンは、たとえ気分を害する(あるいは恐れる)人がいたとしても、大学生たちはタブー、そして保守主義に触れたいと思っており、触れる必要があると話す。

「もし(集まった学生たちが)友人と(自分が思っていることについて)話すことができたなら、ここ(共和党支持者の会)に来て話す必要があるとは思わないだろう。彼らには感情のはけ口がない」とリップマンは分析する。「彼らは口を封じられているように感じているのだ」

BuzzFeed Newsの取材に応えてくれたトランプ支持派の学生たちは、クリントンに「嘆かわしい」と言われて腹を立てた「サイレント・マジョリティー」たちに共感していた。「トランプへの投票:決定打は私が通うリベラル派の大学」と題された「ニューヨーク・タイムズ」紙の論説で、ウェズリアン大学のある学生は、オルタナ右翼について調べてみた結果、「言論の自由を無条件で受け入れ、それを誇りにする、多様で知的、多面的なコミュニティー」であることがわかったと述べている。

ウェズリアン大学は、コネチカット州ミドルタウンにある左派色の強い大学だ。オルタナ右翼は「人種的な不満に支えられた」集団ではない、とこの学生は続ける。彼らはただ「テクノクラシー(科学技術を重視した政策)」を求めているのだ、と。

しかし、全米の大学にいる隠れトランプ支持者の多くは、人種差別主義者と呼ばれることを恐れ、BuzzFeed Newsに対してフルネームを明かしてくれなかった。

ニューヨーク大学の4年生ダニエルは「現在の状況を考え」、名字を明かさないことを条件に取材に応じてくれた。選挙の翌日、教授たちが国の状態についてジョークを言ったとき、「イライラした」とダニエルは振り返る。

「ニューヨークでトランプに投票した者などいるはずないから、誰も傷付かないだろうと思い込んでいるようだが、その前提は完全に間違っている」と語るダニエルだが、彼によれば、キャンパスにトランプ支持者はほとんどいないという。ニューヨーク大学がキャンセルしたヤノプルスの講演会で仲間たちに会いたかったと、ダニエルは話す。

「ニューヨーク大学では、あらゆる人を受け入れる必要があると皆が考えている。しかし、それを実際に強く主張すれば、今度は別の種類の少数派が生まれてしまう」。例えば、「セーフ・スペース」の概念に疑問を投げ掛けようとすれば、「偽善者、あるいは迫害者と非難される」。白人の男性だという事実は「有利に働かない」

「その雰囲気は、もちろんわれわれは開かれた議論を行うよ、私たちの信念と完全に一致していればね。という感じだ」とダニエルは述べる。

ノースカロライナ州ダーラムにあるデューク大学のある学生は、ポリティカル・コレクトネスへの嫌悪感を抱くようになったのは高校生のときだと話す。ある授業で、密入国の移民は「違法」だという作文を書いたら、厳しく非難された。

白人だからという理由で、アジア系の学生同盟の集まりから締め出されたこともあるという。「皆がポリティカル・コレクトネスに強い関心を持っていたため、発言は検閲され、何も聞き入れてもらえない状況だった」

デューク大学でも、クラスメイトと教授陣がリベラル派だとわかっていたため、トランプを支持していることは誰にも言わなかった。そして選挙後、フェイスブックでトランプに関する投稿を始めた。しかし、ある授業で、選挙についての考えを書くよう言われたとき、再び不安感に襲われた。「教授はこう付け足した。『言いたいことを何でも言えばいい。ただし、自分の発言がもたらす結果をよく考えた方がいい』」

もしトランプを支持していることを公に認めたら、評価が下がり、孤立するぞという警告のように聞こえたという。

この学生は2度目の取材を断わった。大学内でトランプへの抗議行動が開催されるという情報を手に入れ、身の危険を感じたためだ。学生は電子メールで、「デューク大学では憎悪が拡大している」と報告してきた。

デューク大学の別の学生ブリタニーは、ゼミの授業で無記名の調査があったが、トランプの支持者は自分だけだったと話す。選挙後、デューク大学の学生は無期限のサポートと「ヒーリング」のサービスを受けられるようになった。そしてブリタニーは、公の場では、勝利の興奮を隠さなければならないと決意した。

「サイレント・マジョリティーであることを肌で感じた」とブリタニーは振り返る。「多くの人が、トランプに投票すると言うことをためらい、恐れていた。レッテルを貼られ、嫌がらせを受けることさえあるからだ」

デラウェア大学のジャレッドは、「この大学の多数派は、人種差別主義者や性差別主義者と呼ばれることはなく、さらに、あなたの意見は誰かのアイデンティティーを脅かすものだと指摘されることもないというドグマ」から逃れることができないという脅威を感じ、それを理由にトランプを支持する若者層が存在すると話す。寮の世話人をしている友人たちは、選挙の結果を知って泣き叫ぶ学生たちを慰めなければならなかったという。「ばかばかしい」とジャレッドは吐き捨てた。

21歳のライアン・デュビッキーは、大学近くのバーでレモン・ドロップ・マティーニを飲みながら、同じ大学やほかの大学の苦悩する学生たちをあきれ顔で眺めていた。

「ハーバード大学の彼らは、安全ピンを身に着け、ドッグセラピーのようなものを受けていたと知っている」とデュビッキーは話す。「嫌な言い方はしたくないが、今の彼らはただの泣き虫だ。ただの選挙だというのに」。もし本当に政治に関心があるのなら、教授に泣き付くのではなく、州や地元の政治に参加すべきだと、デュビッキーは述べる。

「教授たちは、トランプが勝ったという理由でテストや授業を取りやめた。だからトランプが勝ったのだ」とデュビッキーさんは指摘する。「人々はポリティカル・コレクトネスやアイデンティティー政治にうんざりしていた。トランプは完全な対極に位置していた」

もしかしたらデュビッキーは、新しいタイプのトランプ支持者そのものかもしれない。まず、デュビッキーはゲイだ。そして、社会的価値観はリベラル派だが、経済的な価値観では保守派という立場をとっている。もし前回の大統領選挙で投票可能な年齢に達していたら、バラク・オバマに投票していたという。

しかし、LGBTのコミュニティーを脅かすトランプではなく、クリントンに投票すべきだと友人たちに言われるたび、心の中でいら立っていた。「クリントンは私に語り掛けているだろうか? 監獄のような世界に属している人間は求めていない」とデュビッキーは語り、スマートフォンに保存されている1枚の写真を見せてくれた。トランプがLGBTの旗を持つ写真だ。

デラウェア大学の学生たちの75%が白人だが、デュビッキーもその一人だ。友人はあまり多様ではないと自認している。しかし、デュビッキーに言わせれば、「クリントンは少数派対白人という構図を描き、選挙戦を行っていた。彼女の決起集会を見ても、少数派の人種ばかりで、白人はいなかった」

デュビッキーには、クリントンを支持する友人も複数いたが、政治について話すことがあまりなかったため、関係はうまくいっていた(大学にいるとき、仕事をしているとき、共和党のボランティアをしているとき以外は、テレビドラマ「フレンズ」の再放送をよく見ている。お気に入りはシーズン5だ)。

デュビッキーは、選挙の1週間後、デラウェア大学のデニス・アサニス学長が学生たちに送った電子メールを笑いながら紹介してくれた。「受け入れ難い出来事が起きてしまった。われわれのコミュニティーでは、敵対的で侮辱的、憎悪さえも感じる行動が起きている。今後は、言論の自由と多様性が共存し、さらに花開くコミュニティーを目指していきたい」

デュビッキーはこの電子メールに居心地の悪さを感じたという。

「他人の意見や信念を尊重しなければならないと伝える電子メールを送ってくるのは大学だけだ。私はすでにそのように育てられている」とデュビッキーはフェイスブックに感想を書いている。「だから、ミレニアルという自分の世代が嫌いなのだ」

大学近くのコーヒーショップでは、民主党支持者の会を率いるジャエリン・ブラウンが、この電子メールに別の反応を示していた。それでは不十分で、遅過ぎる。これがブラウンの考えだ。

なぜアサニス学長は全米で報告されているヘイトクライムをトランプの当選後に非難したのだろう? なぜ1週間もたってから、打ちのめされ、恐怖を感じている自分のような学生を慰めようとしたのだろう? ブラウンはトランプの支持者を1人も知らない。友人たちは政治に熱心なフェミニストだという。ブラウンは今、誰がトランプに投票したのだろうと考えずにはいられなくなっている。

黒人のブラウンは、「何よりもどかしいのは、有色人種やトランスジェンダー、女性の命が実際に危険にさらされているということだ」と話す。「もしクリントンが大統領になったとしても、白人男性の命が危険にさらされることはない」

ブラウンは2017年5月にデラウェア大学を卒業する。一度は政治の道に進むことを考え、2015年の冬休みにはクリントンの選挙運動を手伝った。しかし、今はかつてほど確信を持っていない。

「トランプの支持者たちから聞こえてくるのは、『私個人は人種差別主義者ではない』という言葉だ。それは、『人種差別主義者を積極的に支持していた』と言っているようなものだ」とブラウンは指摘する。「問題を無視することを選んだということは、驚くほど恵まれているからだ。私は女性として、有色人種の女性として、恐怖を感じている。困難な数年間になるだろう」

トランプは、全米に広がるポリティカル・コレクトネスを終わらせると断言しているが、これまであざ笑ってきた同じ進歩的な概念を受け入れようともしている。マイク・ペンス次期副大統領がブロードウェイのミュージカル「ハミルトン」を観に行ったとき、「無礼」な扱いを受けたことについて、トランプは11月18日付けのツイートで、劇場は「常に安全で特別な空間でなければならない」と非難したのだ。

また、ブラウンによれば、トランプは独自のアイデンティティー政治を成功させたという。無視されることに嫌気が差していた多数の白人に訴え掛けるという手段によってだ。

「これは、権力を保持したい白人男性による最後の抵抗だ」とブラウンは語った。

翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

この記事は英語から翻訳されました。

December 4, 2016, 現時間 1:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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November 11, 2016

トランプ勝利はポリティカルコレクトネスへの挑戦だ!

アメリカ内政 , 教育と政治

アップデート:よもぎねこさんが、カカシが下記に紹介したペギー・ヌーナンの論文の公式日本語版と共に鋭い指摘を加えて紹介してくれているのでご参照のこと。

トランプの勝利が明らかになった火曜日の深夜から、あちこちの大学キャンパスやその近隣で若者らによるデモ行進や暴力行為や暴動まがいの騒動が起きている。彼らは民主主義によって決められた選挙結果が気に入らないらしい。彼らは文明社会の基本がまるで理解できていないようだ。いったい一流大学で何を学んできたのだと聞きたいね。

トランプの勝利は多くのアメリカ人がトランプこそがポリティカルコレクトネスを破壊してくれると確信したからだと語るのはパメラ・ゲラー。

私はもう何年もこの問題に注目してもらおうと努力してきた。大学構内で組織的権力を得た極左翼が人々が間違ったことを考えたり言ったりすることを罰するポリティカルコレクトネスこそが問題なのだと警告してきた。そしてドナルド・トランプが共和党予選で深刻に脅威的な存在になってきた頃から警告してきた。大学構内外を問わずこのポリティカルコレクトネスの氾濫に激しい憤怒の念を抱いている多くの人々は、それに立ち向かおうとする人物なら誰にでも権力を委ねるだろうと。

ゲラーは、風変わりなイギリス人でおカマの保守派評論家であるマイロ・イアナポリス(ユーチューブビデオ)が保守派大学生の間で大人気者になり、あちこちの大学に講演者としてひっぱりだこというのも、学生たちがマイロの意見に同意しているというより、マイロが真っ向からポリティカルコレクトネスに反抗して憚(はばから)ない態度が好かれているのだという。

カカシも含めて多くの共和党保守派はトランプを共和党候補として受け入れるのを拒んできた。ネバートランプの筆頭ともいえるベン・シャピーロなどがそのいい例だろう。シャピーロとマイロはトランプの候補性に関してツイッターで罵倒バトルを繰り返し、マイロのファンたちがシャピーロに反ユダヤ人的侮辱を浴びせかけたことなどもあって(生まれたばかりのシャピーロの第二子をガス室に送れとか)シャピーロとマイロは全く相容れない関係だ。

しかし、マイロ自身は特に反ユダヤ的な思想を持っているとも思えない。マイロは常に自分のファンやフォロアーたちが何を言おうと自分の責任ではないと主張してきた。マイロ自身が責任があるのはマイロの言動だけだと。

私から言わせるとお行儀のいい保守派のベン・シャピーロに比べてマイロは下品なことでもどんどん言う。それでも何故かあのブリティッシュアクセントで言われると上品に聞こえる、なんてのは余談だが。私はシャピーロやマイロの大学構内の演説をユーチューブで何回か見ているが、二人が言っていることはそれほど変わらない。また目が覚めるような斬新なアイデアも述べていない。いや、それどころか一般人が密かに考えていることだろう。それが何故今やポリティリーインコレクト(政治的に正しくない)ということになるのか。それはいかに大学キャンパスが左翼過激派に乗っ取られてしまったかを示すものだ。

マイロがシャピーロより多少人気があるとしたら、それは彼の周りを憚らない下品で傲慢な態度だろう。マイロは下品で傲慢で聞くに堪えないスピーチこそ守られなければ言論の自由は成り立たないという点を強調したいのだ。

極左リベラルのやり方はいつも同じ。反対思想や意見の全面的排斥弾圧である。だからシャピーロやマイロの講演は学校側が率先して弾圧しようとする。学校側が過激派生徒に暴力を煽って講演者や参加者を暴力で弾圧しようとする。だが、そうやって弾圧しようとすればするほど保守派及び常識ある生徒たちからの反感がつのるのである。

ゲラーはトランプはマイロが大学キャンパスでやったことをアメリカ全体でやったのだという。マイロ自身、トランプ現象を人々がトランプ方針に同意したからだと理解するのは正しくないという。トランプ現象はポリティカルコレクトネスへのささやかな抵抗だ。

保守派評論家のミッシェル・モルキンも同じようなことを言っているが、もうひとつ大事な点を指摘している。

左翼リベラルはトランプは大金持ちの白人で、彼の支持者は皆無学で低層階級の白人ばかりだと主張していた。ネバートランプ保守派のなかでは少数派有権者にもっと人気のある候補者を選ぶべきと主張する人もいた。しかし蓋を開けてみるとトランプは意外にも黒人やラテン系から、いや女性からさえも、支持をこれまでの共和党候補たちよりも多く受けていたのである。

何かと悪者扱いされてきた白人(特に男性)がトランプ支持をするのはわかるとしても、なぜ少数派のアメリカ人がトランプを支持するのか。それは人種や性別だけで政治観念が決められるアイデンティティーポリティクスに嫌気がさしている少数派アメリカ人が増えたからだ。

たとえばカカシにしてみたところで、普段カカシは自分のことを日系アメリカ人とか思ったことがない。周りから「あなた何人?」と聞かれたら「アメリカ人」と応えている。あえて人種を聞かれたら「日本人」と応えるが、政治的見解は日系だからということで左右されたことはない。

それと同じで黒人ならこうあるべき、女性ならこうあるべきで、それに従わない人は裏切り者ででもあるかのように攻め立てられる風潮にうんざりしている人々が少数派と言われる人々の間にも結構いるのだ。

ベン・シャピーロは、これまでずっと左翼リベラルメディアがどんな保守派候補でも「人種差別者だ」「女性蔑視者だ」「同性愛恐怖症だ」と攻め立ててきたことが、トランプ攻撃の効果を弱めたのではないかという。前回の共和党候補者のミット・ロムニーは道徳的にまるで落ち度の無い人だった。敵も見方も彼の人柄に汚点など見つけられる人はなかった。にも関わらず彼に対して左翼リベラルはトランプに向けたと同じ非難を浴びせかけた。ロムニーとトランプが同じなら、人々がそれに耳を傾けなくてもしょうがないだろう。オオカミだ、オオカミだ、と何度も嘘をつけば真実も信じてもらえなくなる。

自分はどうではないのに、あまりにも長年「レイシスト!」と呼ばれ続ければ、「それがどうした!」となるのも当然。そういう罵倒が効果を生むのも、言われた本人が回りからそう思われるのを恐れるという前提がある。もし言われた本人が気にしなければそんな侮辱は意味がない。

トランプ現象は、人々に「それがどうした!」といえる勇気を与えたということなのではないだろうか。

November 11, 2016, 現時間 10:49 AM | コメント (3) | トラックバック (0)

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October 15, 2016

トランスジェンダーは現実社会を破壊する

フェミニズム , 同性婚 , 教育と政治

最近欧米の大学を中心に「社会正義戦士」(Social Justice Worrier - SJW ソーシャルジャスティスウォリアー)と名乗る若者たちが、我々一般人が普通に信じている常識になにかといちゃもんをつけるようになった。そろそろ近づいているハロウィーンなどでも、これまでは普通に着ていたインディアンやベリーダンサーの衣装などが文化盗用だとか人種差別だとか言われて攻撃されるようになった。ごく普通に男性を彼と呼ぶことや女性のみが女子トイレを使うべきだという考えすらトランスジェンダーを名乗る人々から差別だと攻撃される。こうしたちょっとしたことで傷つくトランスジェンダーに代表されるSJWたちのことを、取るに足らないとか可憐は雪片などといって馬鹿にしていてはいけないと警告する人がいる。トランスジェンダーたちは実は我々文明社会の常識を破壊しようとする戦士たちなのだと。

本日紹介したいのはPronouns, Ordinary People, and the War over Reality by Anthony Esolen(代名詞、普通の人々、そして対現実戦争)というエッセー。著者のアンソニーエソレン教授はアメリカはロードアイランド州プロビデンス大学の英語学教授。

トランスジェンダーらに代表されるSJWたちは今や我々人間の根本にある性別を破壊しようとしている。だが、人間にとって性別の認識は現実を把握するために非常に大切なものなのだとエソレン教授は言う。

さて、他人の性別は我々が最初に気が付き最後まで印象に残るものである。何故そうなのかは容易に理解できる。いかなる生物においてメスとオスを混乱することが有益であるはずはない。性別は犬や猫や馬や多くの鳥の種別の身体よりも人間の身体により強く標されている。男の顔は女の顔とは違う。女の声は男の声のようではない、たとえ女がグリアー・ガーソンであろうと男がフランキー・バリだろうとである。男の肩は女の肩のようではないし、女の腰は男のそれとは違う。男と女は髪の毛の先まで違うのだ。誰もが女のすべすべした顎や男のはげ頭に気が付くように。

だから時々男か女かわからない人に出会うと一般の人々は非常に不安になる。性別のはっきりしない人は完全に人間とは思えないのだ。よって我々誰もが即座に把握する現実をあたかも誤りであるかのように振舞うのは人間の本能や言葉や共通体験や現実を把握する能力に対する暴力であると教授は言う。

もし「道を歩いている男がいる」と言えないのであれば、人間の存在に関するほかのどんなことに関して信頼できる判断ができるのか。

性別ほどはっきりしているものはない。アイゼンハワー大統領が良い指導者だったかどうか、良い夫で父親だったっかどうか、といったことには人それぞれ違う意見があるだろう。だが、アイゼンハワーが男だったという事実に誰もが同意できなかったとしたら、言葉そのものが意味を失う。

最近SJWたちはしきりに彼とか彼女とかいう従来の代名詞ではなく彼女達がでっちあげ架空の代名詞の使用を要求している。これは色々な性癖の人間に安心感を与えるためだと主張するが、本当の目的は他人を不安にさせ居心地を悪くさせることにあるのだと教授は言う。SJWたちは普通の見解を破壊し普通の人々が言葉の地雷に当たらないようびくびくして歩くのをほくそ笑んで楽しんでいるのだ。いや、実を言えば一般人が失敗して地雷にあたって爆発することを望んでいる。そうなればさらなる「教育の機会」が訪れ、さらに厳しい現実弾圧を目指すことが出来るからである。

エソレン教授は彼・彼女以外にSJWが作り上げた数知れない代名詞には非常に醜く恐ろしい謀略が隠されていると語る。これらの代名詞は言葉を豊かにするどころか、かえって我々の誰もが所持している男女識別能力という現実を破壊しようとするものだという。

だが、何故SJWたちはこのようなことをするのだろう?何故一般人が何世紀にも渡って培ってきた男と女という現実を破壊しようとするのだろうか?

教授は「誰が得をするのか?」と問いかける。

第一に得をする人たちは、自分自身が混乱している人たちである。自分の妄想に他人を巻き込むことによって自分は正常だと思い込みたいのだ。女の振りをしている男を女と認めろということは、エルウッド・P・ダウドが身長180センチのハービーウサギを空想の友達として持っているだけでなく他人にハービーと握手をすることを要求するようなものだ。そしてもしキリスト教のケーキ屋さんが「ハービーなんて居ない。居る振りをする気もない」などと言おうものなら自分の妄想を否定したケーキ屋に凄まじい報復を加えるのだ。

第二に得をするのは思想上の仲買人。大学教授や人事課の課長や人権弁護士や役人や一様性を目指す「多様化」運動家たち。やつらは自分たちで地雷を埋め込んでおいて地雷地図を売りつける。井戸に毒を落としておいて自分らの井戸の水を高い金で売りつける。一般人が勝手に汚染されていない水を発見して飲んだりすれば高い罰金を課す。彼らは混乱と衝突を求める。なぜならそれらが彼らに富と力をもたらすからである。

第三に得をするのは家族という文明社会の基盤を心から嫌う人々だ。性革命は常に普通の家族や一般の男女及び子供たちの日常生活を脅かす。 性に関する道徳は家族を内外からの脅威から守るものだ。一緒に暮らしている男女でも単に性欲だけで結ばれていたり、浮気や衝動的な性行為を許容すれば、夫婦という絆は弱り家族という構成が成り立たなくなる。男が一国城の主となり得るのも家族としての伝統や法律がその城を守っているからである。それがなくなって得をするのはいったい誰なのか?それは自身が家族を構成できない、家族としての生活を楽しむことが出来ない人々だ。自分らが幸せな家庭を築くことが出来ないので他人の幸せな家庭を破壊することに喜びを見出すのである。

一番怖いのはもちろん第三の人々だ。我々一般人は自分が獲得できない美しいものを破壊しようなどとは思わない。だが、SJWたちは、まさに自分が得られない現実の完全破壊を望んでいる。SJWの人間はその名の通り戦士である。彼らはベン・シャーピーロが言うような可憐な雪片などではないのである。彼らの目的は我々が常識としてはぐくんできた現実を破壊することにあるのだ。

SJWが好き好んで使う「ミクロアグレッション」という言葉がある。それはミクロ単位の小さな攻撃だが繰り返されるうちに巨大な攻撃へとつながるという意味。だが実際にこのマイクロアグレッション戦略を施行しているのはSJWそのものだ。最初は差別につながるとか平等を目指してなどときれいごとを言って小さなことから要求してくる。彼・彼女をやめて本人が求める代名詞を使えとか、MTFに女子トイレや施設を使わせろとか。だが、こうしたひとつひとつの行為を認めてしまうと、それは我々が大事にしている現実を少しづつ少しづつ削っていくことになり、いずれ全てが破壊されてしまう。

SJWたちがイスラム教徒と同調しているのはこういう共通点があるからなのだろう。

だから私は誓う。SJWの要求にはひとつたりとも応えない。鬘をかぶってスカートを履いてる男を「彼女」などとは死んでも言わない。勢力に屈服して自分が見ている現実を否定せざる負えないようなファシズム社会に生きる気は毛頭ない。

October 15, 2016, 現時間 4:31 PM | コメント (1) | トラックバック (1)

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October 7, 2016

左翼リベラルが弾圧する「35項目」言論に反論

人権擁護法 , 左右思想 , 教育と政治

前回紹介したマウラ・J・コリンズ女史の「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」について反論したいと思う。35項目全部に対しての反論は時間の無駄なので、この本の根底に流れるコリンズ教授自身の偏見について語りたい。

先ずコリンズ教授の本の原題名は"Dumb Things Well-Intentioned People Say"というもので、英語風でなく日本語風に意訳すると「悪気はないのに言ってしまう失礼な表現」となる。この題名からも解るように、これら35項目の表現をした人々は、決して相手を傷つけようとしてこういう表現を使ったのではない。コリンズ教授自身が認めているように、彼女の本が対象としているのは相手を傷つけたくないと思っている礼儀正しい人々なのである。彼女曰く、人は知らず知らずのうちに他人の気分を害するようなことを言ってしまう。気をつけないと友達や職を失ったり訴えられたりするので気をつけようというものだ。

しかし彼女の表向きの意図はどうあれ、彼女の真意は多数派の人々を常に不安定な状態にして、左翼リベラルが彼らを完全コントロールしようというものである。

35項目の中で一貫している主旨は『少数派には多数派には絶対に理解できない独特な体験がある』というもの。この根底には多数派は誰もが少数派に対して偏見を持っており、少数派は常に差別的な多数派によって弾圧されている犠牲者であるという前提がある。であるからして多数派が少数派の体験に理解を示したり、少数派が少数派特有の体験だと信じていることを多数派にも起きると指摘したり、多数派が自分は人種差別意識など持っていないと主張したり、多数派が多数派や少数派の違いなど意識したことがない、などという供述は少数派を騙すための偽りだと主張するのだ。

前回も述べたように、これはコリンズ教授自身の偏見に他ならない。自分が人種や男女差別やLGBTQへの偏見傾向があるからこそ他人もそうに違いないと思い込んでいるのである。コリンズ教授がレズビアンだから偏見がないというのはナンセンス。よく、白人以外は人種差別者になりえないと言い切る人がいるが、そんな馬鹿げたことがあるはずがない。差別意識は誰もが持ち得る意識である。

はっきり言って、この程度の発言が「~々差別だ」といえること事態、アメリカがどれほど差別意識の無い国なのかという証拠である。本当の意味での差別が存在する文化、たとえばインドのカースト制にしろイスラム圏に異教徒に対する差別にしろ、差別が当たり前に日常茶飯事にされて多数派も少数派もそれを受け入れている国々では少数派は文句も言えない。女性の権利など最初から認められていないイスラム文化では、名誉殺人などといって男性の言いなりにならない女性が簡単に殺されてしまう。そんな社会ではハニーとかスイートハートなんて言葉使いにいちいち腹を立てる女性はいないだろう。

左翼リベラルが本気で人権というものに興味があるなら、自由な国アメリカでまるで悪気のない人間の発言をもって重箱の隅をつっつくようなことをやってないで、本当に人権迫害をしている諸外国に挑戦してはどうなのか。本当の意味で差別や弾圧に抗議してはどうなのか?

こういうくだらない本を書き諸大学を講演して歩く人間が居るというのも、そしてそれを多用性だとかいって新入生の必読本にする大学があるというのも、アメリカの大学がいかに左翼リベラルに支配されているかを示すものである。

October 7, 2016, 現時間 5:11 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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左翼リベラルが禁止する言葉使い35項目発表!

教育と政治

この間、JBプレスでアメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けずエスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦という記事を読んでその話をしようと思っていた矢先にアメリカのマディソン大学が新入生ように用意した多様性を求める学生が避けるべき言葉使いという記事を目にしたのでその話をしたいと思う。だが先ずJBプレスの記事から一部引用すると、、

カリフォルニア大学は、「バークレー校」や「ロサンゼルス校」など10大学の連合体として、学生23万8000人、教員19万人を抱える大所帯だ。2015年、その頂点に君臨するナポリターノ学長がすべての教員に向けて発した通達が、関係者を驚かせた。  それは、教員は次のような表現を口にしないよう求めるものだった。

「アメリカは機会の土地だ」(America is the land of opportunity.)

 これは勤勉に働けば報われるという意味の、アメリカ人が誇りにしてきた言葉だ。だが学長によれば、この言葉は「有色人種は怠け者で能力が低いから、より努力する必要があることを暗示」するものであり、人種差別につながるリスクがあるという。

 一方で、さまざまな人種・民族の共存を意味する「アメリカは人種のるつぼ」(America is a melting pot)、「人類はひとつ」(There is only one race on this planet, the human race)も禁句とされた。これらの言葉は個々の人種・民族が培ってきた文化の軽視につながりかねないため、授業はもとより学生たちとの雑談においても使われるべきではないという。

 驚くばかりの気の遣いようだが、今のアメリカはそこまでする必要があるのか。こういう社会で一般市民はどのようにして暮らしているのか。

これでも解るように、これまでなら普通にされてきた会話が一つ間違えると人種差別とかホモフォビアとか女性蔑視とか言われかねないので、左翼リベラルは毎日びくびくして口が利けない状態にある。

さてそれでジェイムス・マディソン大学が新入生向けに発表した「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」について紹介しよう。実はこれはマウラ・J・コリンズという女性白人教授が何年か前に書いた本が基本となっている。

何故私が彼女のことをわざわざ白人女性と書いたかといえば、彼女の本(というよりエッセー)には自分が白人であることに対して極端な罪悪感を持った左翼リベラルという姿勢がありありと描写されているからである。普通の人間が使う何気ない言葉使いが場合によっては人種差別だのホモフォビアと取られかねないので使わないようにという忠告は、彼女自身がいかに常に差別意識を持ったまま暮らしているかという証拠である。

ずっと以前になるが、私はヤフーの掲示板でアメリカに数ヶ月暮らしたことがあるという左翼リベラルの日本人に出会った。彼はアメリカ人はどんなに正義感面していようと一皮向けばすべて人種差別者だったと言い、常にアメリカ人への憎悪をあからさまに見せていた。また、2~3年前にもツイッターでアメリカの白人はどれだけ行儀よくしていようと実は差別主義者ばっかりだと言い放つ日本人に出会った。

二人に対しての私が言ったことは、あんたらは左翼リベラル白人としか付き合ったことが無いからそういう印象を持ったのだ。確かに左翼リベラル白人はあんたらが言うとおり偽善者が多い。彼らは少数民族を嫌い同性愛者も嫌っている。だがその気持ちに対して非常な罪悪感を持っているから、勤めてそれを隠そうとしてかえってわざとらしくなってしまうのであると。

この二人が実際に差別意識など持っていない保守派白人と多少でも付き合えば、こんな偏見は持たずに帰国できただろうに残念なことである。皮肉なのはこうした日本人に限って左翼リベラル白人の垂れ流すプロパガンダに完全に踊らされていることが多い。

前述のツイッターの男からは「あんた英語が出来なそうだけど、アメリカ人とつきあったことあんの?」と言われて苦笑した。浅知恵というのは恐ろしいもんだ。

さてそういう罪悪感に満ちきっているコリンズ教授が「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」を紹介しよう。何故言ってはいけないのかという説明のいくつかをコリンズ教授のビデオで観たので付け加えておく。はっきり言ってコリンズ教授の理由づけは言いがかりが多いのだが、それについてはまた回を改めて私の感想を述べるとしよう。今回はともかく紹介のみ。

よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目
  1. 「私の友達の何人かは(少数派)」日本語風に言うと、多数派人種の人が「私にも○○人(少数派)の友達が何人かいる」という表現。少数派の友達がいるからといって人種差別意識がないという証明にはならない。こういう見え透いた言い訳は相手を馬鹿にしているように取られる。
  2. 「あなたの気持ち本当によくわかるわ」同情しているように聞こえるが、多数派が少数派の気持を本当に理解できるわけはないので、相手をバカにしているように取られる。
  3. 「あなたを(少数派)とは思っていない」コリンズ教授は自称レズビアン。誰かからレズビアンだと思っていないといわれて顔をしかめたら、相手が「あなたは普通の人だという意味」といい直して余計にひどいことになった。こういう言い方は少数派は普通ではないと言っているように取られる。
  4. 「同じことが私にも起きた」空港で自分だけ列から外されて念入りに調べられたとかいうような、自分も同じような体験をしたとしても、その体験の理由は少数派の人々の体験とは違う。相手の少数派としての体験を過小評価していると取られる。
  5. 「冗談だよ、そう真剣にとるなよ。」
  6. 「『あなたがた』はどう思います?」
  7. 「あなたは何(何人)?」もしくは「本当はどこから来たの?」特に東洋系アメリカ人にこういう質問が多くされる。東洋人は皆外国人という偏見の表れなので止めろ。
  8. 「私は(肌の)色は見ない」もしくは「私は(肌の)色盲」他人の人種に気がつかない人などいない。相手の少数民族としての文化を否定することにもつながる。
  9. 「あなたはとても明晰だ」あなたと同じ人種の人は普通馬鹿が多いと言っているように聞こえる。
  10. 「昔はずっとよかった。ちょっと我慢しろ」
  11. 明らかにアメリカ生まれ育ちの有色人種に対して「あなた英語がお上手ですね。」というと、人種が違う人は外国人だという先入観をあらわすことになる。
  12. 黒人に向かって髪の毛や清潔さについて語ること。
  13. LBGTQに向かって「あなたがたがプライベートで何をしようと勝手だ。」というと公の場でLBGTQ風の行動をとることは許されないと言っているようなものなので駄目。
  14. 「もちろん、でもあなたは「良い」(少数派)人だ。」あなたは例外だがあなたと同じ少数派に属する人は皆悪人だという意味に取れるので駄目。
  15. 「あなたの顔はとっても可愛い」それって私は太ってるっていう意味?
  16. 「私は奴隷を持ったことはない」
  17. 「この国に住むならこの国の言葉を学ぶべき」
  18. 「あの人はいい人だ。悪気で言ったんじゃない。」
  19. 「同じことをあなたのような(少数派)に言ったけど気にしなかっよ。」
  20. 女性を「女の子」「ハニー」「スイートハート」などと呼ぶ。
  21. 有色人種が「同じことではない」と言う。
  22. 信心深い人が「罪を憎んで罪人を愛せ」という。
  23. 白人男性が「今や俺達こそが差別されている」と言う。
  24. 老人にのことを「可愛い」という。
  25. トランスジェンダーに対して「あなたはどっち?女、男?」と聞く。
  26. 他人の同性の伴侶のことを「友達」と呼ぶ。
  27. 「なぜ(少数派)はいつも一緒に座るの?彼らはいつでもくっついている。」
  28. 「人は靴紐で自分らを引っ張るべき」落ち込んでいる時は他人に頼らずに奮起すべきという言い回し。
  29. 身体障害者に対して「勇敢だ」と讃える。
  30. 「それってすごいオネエ。それって知恵遅れ」
  31. 「我々は皆人間という人種だ、私には違いが見えない。」
  32. 「あなたがピンクでも紫でもオレンジでも構わない。私は誰も同じく扱う。」
  33. トランスジェンダーに向かって「手術はしたの?」と聞くこと。
  34. ユダヤ教徒に向かって「あなたは幸運だ。あなたのクリスマスは一週間も続くんだもの。ユダヤ教の冬のお祭りはハニカと言ってクリスマスと同時期に一週間ほど続く。
  35. 「またポリティカルコレクトネス(政治的に正しい)本の一巻だね。」

October 7, 2016, 現時間 3:32 PM | コメント (0) | トラックバック (1)

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June 12, 2016

トランス許容方針に疑問を抱いた途端にヘイターにされた左翼リベラル活動家

フェミニズム , 左右思想 , 教育と政治 , 独裁者オバマ王の陰謀

以前にも書いたが左翼リベラルは異見を許さない。常に寛容とか許容とか反差別とか多様性とか言ってる割には、多少なりとも主流意見から踏み外した人間には容赦なく攻撃を加える。いままで肩を並べて革新派運動を行なってきた同胞でも、リベラル体制方針に対して「それはちょっと違うんじゃないの?」といったら最後、所属していた左翼団体を追い出すだけでなく、その後も執拗に徹底的に叩きその人物の名誉を完全破壊しようとする。

先日もちょっと触れたが、ACLUという極左翼市民団体のジョージア支部長に就任したばかりのマヤ・ディラード・スミスという黒人女性が同団体のトランスジェンダー支援方針に疑問を抱いたことが原因で辞任を余儀なくされた。左翼リベラルからの彼女への攻撃は迅速かつ猛烈である。シンクプログレス(革新思想とでも訳すべきか)というサイトに掲載されたこの記事などはその典型である。

抗議の辞任をしたのはマヤ・ディラード・スミスという黒人女性。最年少で最近ACLUジョージア州支部長に抜擢された女性弁護士として非常な期待をされていた。その彼女が何故このような大事な立場を自ら辞任などということになったのか。彼女は自分がACLUのトランス方針に疑問を抱いたきっかけをこう説明する。

私が小学生の娘たちを女子トイレに連れて行った際、いずれも(身長)180センチを超え、野太い声をした、明らかに男性の、三人のトランスジェンダーの若者たちが入ってきました。子供たちは身の危険を感じて明らかに怖がっていました。私も非常に不安になりました。私は子供たちの数ある質問に対して、多くの親がそうであるように、私もまた全く答えに詰まってしまいました。

それで、私はACLUに就任してから色々質問をしてきました、たとえば『トランスジェンダーの人権を推進するにあたり、それが女性や女児に与える影響とは何か、子を持つ親たちの人権に与える影響とは何か』といった単純な疑問を投げかけてきました。

記事の著者ザック・フォードの記事だけ読んでいると、スミスとACLUの亀裂はスミスの反トランスジェンダー偏見だけのような印象を受けるが、スミスが添付したビデオインタビューを聞いていると、スミスが疑問を抱いたのはACLUがどんな問題に対しても片一方だけの狭い考えに凝り固まっており、競い合う人権があった場合、ひとつの団体の人権を守るために他の団体の人権が損なわれることについて、きちんとした討論がされていないという点だ。たとえば同性愛者の人権を守るために宗教家の人権が損なわれるといったように。トランスジェンダーを守るためにおきる女性や子供への影響がきちんと吟味されていないことにスミスは疑問を抱いたのである。

フォードはスミスがトランスジェンダーについて単に無知だったというなら仕方ないが、彼女自身がトランス男たちの存在に不快感を持ったと述べていることを批判し、スミスが子供たちから受けた質問を武器にして反トランス運動家に豹変したと指摘する。

スミスは中庸を目指してトランスと一般人がお互い納得できる解決策を探そうという主旨でユーチューブビデオを作製。彼女や子供たちの質問を幾つか投げかけているが、その中でも最も大事な質問を要約すると、

質問することさえ許されずに、トランスジェンダーについてどのように学べというのか。

この問題について双方が安心して討論できる場所はあるのか?

単にトランスジェンダーとは何かといった質問をするだけなら問題はないが、スミスがトランスジェンダー女子を「ボーイズ」と表現し、「『彼』が男の子のお手洗いで不快な思いをするのは可愛そうだけど、、」という「間違った」代名詞を使っているところにスミスの偏見が丸見えだと批判する。だが、それはフォード自体のトランス女は女だと決め付ける偏った判断にある。

フォードはちょっとネットで検索すればトランスジェンダーとは何ぞやという質問の答えはいくらも得ることが出来るというが、それは全く正しい供述ではない。私のようにトランスジェンダー問題に興味を持った人間が色々調べてみて解ったことは、トランスジェンダーという正しい定義は存在しないということだ

だから本物のトランスジェンダーとトランスを装った変態との区別はどうつければいいのか、という反対派の質問に推進派はきちんと答えることが出来ないのである。トランスジェンダーというのが医学的にきちんと証明できるというのであれば、トランスの人々は常にトランス証明書でも所持しておく必要がある。だが、現在トランス許容法を施行している施設において、そのよな証明書を求めるところはない。フォードの質問を許さない態度はこの文章を読めば明らかだ。

中庸を求める必要性そのものが崩れるのは、トランスジェンダーの人々がトランス立ち入りを許可を悪用して、トイレなどの施設で人を襲った事件は一つも起きていないことにある。何年も前からこのような方針を取っている州や市がいくらでもあるというのにである。保守派がトランスでない男たちがトイレなどへのアクセスを悪用したとする例にしても、彼らはきちんと逮捕されていることからして、トランス許容法が犯罪を誘発することにはならないという証拠だ。

自称トランス女が女性施設で犯罪を犯した例は一つもないというのは嘘である。トロントの女子シェルターでトランス女と称する男が数人の女性を強姦した例や、トランス女と称して女子刑務所に移転を許可された連続強姦魔が女子受刑者を数人強姦した例など、数え上げたらきりがないのだ。フォードやトランス法支持者らのいいぶんは、性犯罪を犯す人間は本物のトランスではないという屁理屈だ。トランスジェンダーは性犯罪を犯した途端にトランスジェンダーではなく単なる変態男に変わるのだ。だから、トランスジェンダーがトランス許容施設で性犯罪を犯した例は一つもないという理屈になるわけ。これも、トランスジェンダーとはなんぞや、というきちんとした定義がないから起きる現象なのだ。

また、性犯罪はもともと犯罪であるからトランス許容法があろうとなかろうと関係がないというのが推進派の論理である。しかし、トランス許容法は性犯罪の定義をも変えてしまうのでこの論理はまるで意味がない。他の多くの人々が指摘しているように、男子が女子施設に立ち入るという「違法行為」を合法にしてしまえば、性犯罪の大半を占める「覗き」を合法にすることになる。実際に写真を撮ったり、女子の身体に触れたりしなければ犯罪ということにならないというなら、大の男が股間の一物を怖がる女子に披露する行為はどうなるのか?女性の身体をじろじろ見てにたにたする行為はどうなるのか?推進派はそういう質問に全く答えずに、トランスの存在に不快感を持った女性が悪いのだと責め立てるのみ。

フォードはスミスが子供たちと一緒に体験したトランス「女」たちとの遭遇において、スミスの対応は最悪だったと責める。フォードは一般女性よりトランス「女」のほうがよっぽども公衆トイレでハラスメントや暴力に合っているというのだ。しかしトランス「女」の75%以上が体験したという「ハラスメントや暴力」とはどういうものなのかをよくよく読んでみると、

女子トイレに入ろうとして立ち入りを拒否された。

女子トイレで女性たちから出て行けと言われた。

女子トイレから腕力で追い出された。

私はトランス「女」たちが冷遇された体験というのは、てっきり男子トイレでおきたものだと思っていたのだが、彼らの体験はすべて女子トイレで起きている。つまりそれだけ一般女性は男子の女子施設立ち入りに拒絶反応を示すということだ。それだけではない。このアンケート調査で明らかなのは、75%に及ぶトランス「女」たちは、明らかに女性には見えない男性だということである。つまり、彼らを追い出した女性たちにとって彼らは単なるドレスを着た男にしか見えなかったということなのだ。

ザック・フォードは名前からして男だが、スミスのような一般女性や女児たちの母親としての心配はすべてトランスフォビアとして片付ける。女たちは鬘を付けて醜い脛毛まるだしでミニスカートをはき大型ハイヒールを履いている男たちがずかずかと自分らの空間に入ってくるのを大手を広げて歓迎しろというのである。

まさしく男尊女卑のなにものでもない!

June 12, 2016, 現時間 11:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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May 30, 2016

言論の自由が脅かされる大学キャンパス、保守派演説者への妨害をキャンパス警察は完全無視

教育と政治

2月にカリフォルニア州のロサンゼルス大学で、保守派講演家ベン・シャピーロの演説が左翼過激派によって暴力的な妨害にあったという話をしたが、今度はイギリス人保守派政治評論家のミロ・イヤナポリスのドゥ・ポール大学における演説がブラックライブスマターという過激派左翼運動家らによって暴力的に妨害され、運動家の黒人男女が壇上に上がりマイクを乗っ取って意味もなく笛を吹くという態度にでた。主催者側の生徒がキャンパス警察を呼んだが、現れた警察官たちは何もせずに妨害者は好き勝手にやりたい放題をした。ミロはこの講演にあたり、ミロ及び主催者は1000ドルの警備費用を学校側に支払ったとしている。ミロは後に警察の職務怠慢について学校側から警備費用の返済を求めた。

はっきり言って、主催者側は返済どころか学校側を詐欺の疑いで訴えるべきだろう。警備をするという契約で支払ったのに、現れた警察官たちの態度からして何もしないように学校側から命令がでていたことは明白だ。これはベン・シャピーロの時も同じで、警察官は配置されていたが妨害者の暴力を阻止しようというそぶりも見せなかった。

よく、個人の講演がこういう民間人抗議者らによって妨害されることは言論弾圧ではなく、それこそ抗議者らの言論の自由表現だと主張する輩がいる。(他人の言論の自由を妨害することが言論の自由として守られる?そんな馬鹿な理屈があるか?)彼らの理屈は政府が個人の言論を弾圧しない限り、それは言論の弾圧にはならないというものである。

しかしながらここで考えてみよう。私立大学の場合はともかく、公立大学は公共の場である。そこでひとつの意見は尊重するが別の意見は拒否するというのは明らかに言論弾圧だ。そしてこれが大事なのだが、学校側が保守派の講演を拒否することが違法なのでやむ終えず許可しても、妨害者の暴力を意図的に阻止しないとしたら、これは体制による言論弾圧とはいえないだろうか。体制による直接的な暴力制裁はしなくても、一般人を自分らの手先として暴力を奮わせておいて自分らは見てみぬ振りをするなら、それは単に暴力的制裁を派遣社員に任せたに過ぎない。

これが言論弾圧でなくて何なのだ、と私は聞きたい!

体制派が黙認している以上、左翼リベラル運動家が保守派の集会を暴力によって邪魔する行為は今後どんどんエスカレートするだろう。保守派たちはこうした過激な動きにどのように対応すべきなのか色々対策を取る必要がある。

ある教授は公演中に抗議者が大声を上げ始めたら講演者は黙ってスライドショーを始めてはどうかという。声が聞こえないなら目で抗議者たちが特に嫌がるようなメッセージを見せてはどうだろうかと提案する。だがそういうことが続けば妨害者たちはスクリーンにペンキを投げるなどしてスライドショーを妨害するだろう。

ミスター苺は、保守派は大学構内での講演は諦めて、大学の外で講演場を借りて警備は自分らで補えばいいという。無論講演は有料になるが、抗議者からの暴力的妨害を避けられるなら価値があるのではないかという。有料なら抗議者たちも参加費を払わなければならない。そして参加者の持ち物を厳しく調べ、笛だのラッパだのスローガンの書かれた横帯などは没収の上、そういう物を持参した人間は参加費用を返済せずに追放する。

しかしこれも、講演会場となる場所の持ち主に対して妨害者たちが爆弾脅迫などを行なって講演会場が予約を拒否する可能性は高い。すでにそういうやり方で多くの保守派講演がドタキャンされている。

政府が本当の意味で言論の自由を尊重しないからこういうことが起きるのだ。だからこそ憲法を尊重する人間に政権を握ってもらわなければならないのだが、、

心配だ、、、

May 30, 2016, 現時間 1:17 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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March 19, 2016

ノープラットフォームやヘイトスピーチは言論弾圧の合言葉

フェミニズム , 人権擁護法 , 教育と政治

日本に「ヘイトスピーチ」という嫌らしい英語がアメリカから輸入されて久しい。だが今度はイギリスで始まった「ノープラットフォーム」という新しい言論弾圧の言葉を紹介しよう。この忌まわしい言葉は最近カナダやアメリカでも広がっている。

先ずプラットフォームというのはこの場合「講壇」という意味を持つ。その前にノーをつけることによって「講壇を与えない」という意味になる。このノープラットフォームには「アンセーフ(安全ではない)」という言葉がつき物で「安全ではない人間に講壇を与えない」というふうに使われる。きちんとした日本語に訳すと「危険思想を持つ人間に講演の場を与えない」という意味である。

しかしこの「アンセーフ/危険思想」というのが曲者で、要するに極左翼の思想に合わない思想ではあるが、左翼でもどこまで左翼でなければならないのかという枠がどんどん広がるため、10年前なら左翼の神様みたいだった人でも現在の左翼思想に追いつけないと、ある日突然「危険人物」のレッテルを貼られて講壇を取り上げられてしまう。こうして誰かの講壇を取り上げる行為を「ノープラットフォーミング」というが、この言論弾圧行為は左翼リベラルな大学構内で非常に奨励されている。

左翼連中がデイビッド・ホロウィッツやパメラ・ゲラーやベン・シャピーロといった保守派の言論弾圧をするのは理解できるとしても、実は最近のノープラットフォーミングは左翼同士の間の内部争いに使われることが多くなった。これまで左翼リベラルの大御所だったフェミニストやゲイ活動家までもが危険人物としてノープラットフォームの対象になっている。

たとえば、イギリスのヨーク大学で、ゲイ人権活動家のピーター・タッチェルがトランス批判をしたフェミニストの大御所ジェメイン・グりアーを支持したことで「トランス恐怖症」で「人種差別者」だと責められて全国学生連合(NUS)代表者から競演を拒まれるという例などがその典型だ。タッチェルが何十年にも渡ってゲイやトランスの人権運動に力を注いでいたことなど完全無視。トランス批判は断じて許すべからずという態度で本来ならLGBTの恩人みたいな人でもノープラットフォームである。また、長年に渡って人種差別排斥運動をつづけてきたニック・ロウレスがイスラム教徒によるイギリス少女性奴隷について批判したことを理由に「イスラモフォビア」の「人種差別者」としてNUSはノープラットフォーミングした。ロウレスが長年に渡って反モスレム差別運動をしてきたことは完全無視である。

しかしノープラットフォームは言論弾圧ではないという意見もある。

添付したサイトのエッセーを読んでみると、名声ある組織や個人が社会的に受け入れられない思想を持つ人間に講壇の場を与えたり講壇を共にしたりすれば、その人間を正当化する恐れがある。だから組織には彼らの壇上の場を奪う権利があるというのである。

確かに講壇の場となる組織が私設のものであればその通りだ。キリスト教の教会がイスラムのイマームに講壇を与える義理はない。また、黒人教会がKKKのメンバーに演説の場を与える必要もない。だが、実際にノープラットフォームの場になるのは公立の大学であったり市の公民館であったり公園だったりする。こうした公共の場における特定の思想を持つ人々による講演を禁じることは政府による言論弾圧に他ならない。

サイトの著者は誰でもどんな思想を持つのは自由だが自分が好む場所で常に演説できるとか誰かに無理やり自分の演説を聞かせる権利はないという。それは確かにそうだ。だが、もし演説者の意見が実際に聞く価値のないほどひどいものであるならば、放っておいても観客は集まらないだろう。主催者側も人気のない演説者の講演などキャンセルせざるおえなくなる。それが続けば自然とその演説者の講演は行なわれなくなる。演説者の意見が聞く価値がないほどひどいかどうかは観客となる人々の判断に任せればいいではないか?

だいたい聞く耳持てないほどひどい意見という基準は誰がつくるのか?その例をあげてみよう。

あるフェミニストが男性による女性への暴力を批判するにあたり、加害者がモスレムだったことを指摘するとイスラモフォビアとなってノープラットフォーミング!

ある講演者が女性を強姦から救うべしと演説した際に、だが大学構内における強姦の数は誇張されていると批判すると強姦奨励者ということになりノープラットフォーミング!

男子学生の自殺防止について演説しようとしたリポーターが男女差別と言われてノープラットフォーミング!

つまりだ、聞く耳持てないほどひどい意見というのはその場において権力ある人間の独断で決まる。権力者の気に入らない言論が沈黙させられるなら、それこそ言論弾圧の定義そのものである。ノープラットーフォーミングはまさしく言論弾圧以外の何者でもない。

March 19, 2016, 現時間 4:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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February 27, 2016

言論の自由が弾圧されるファシスト大学キャンパス

教育と政治

先日2016年2月25日、保守派政治評論家でトークラジオのホストのベン・シャピーロ(32歳)がカリフォルニア州ロサンゼルス大学(California State University in Los Angeles、CSULA)にて演説をした際、シャピーロの意見に反感を持つ暴力的な集団に妨害され暴動寸前の状態になるという事件が起きた。保守派の演説者が大学で講義を行なう場合、左翼の過激派が妨害するというのは何も今にはじまったことではない。拙ブログでもそうした事件を何件か取り上げてきたが、2007年のデイビッド・ホロウィッツの件などが典型である。(カナダでの例はこちら

シャピーロはまだ32才という若さだが、もっと若い頃から色々な大学で講義を行なってきた。だが今回のような目にあったのは初めてだと語る。シャピーロは神童で確か15歳くらいで大学を卒業してハーバード法律大学を主席で卒業するという天才。しかし、さすがに若いだけあって、保守派演説者の演説が暴力的に阻止されてきたことを肌で感じたことがなかったのだろう。また他人の話を聞くことと自分の身に起きることは別である。

さて、ことの起こりは数週間前、ベン・シャピーロはCSULAのYoung America’s Foundationという保守派生徒会から講義の依頼を受けた。シャピーロは全国の大学を回って演説を行なっているが、その皮切りがシャピーロの地元であるロサンゼルスの大学となったわけである。

ところが、CSULAにシャピーロが来ると解ったことに対する反応はものすごく暴力的なものであった。同大学のロバート・ウエイド教授は主催者の生徒をぶっとばしてやると脅迫。ブラックライフスマターという黒人運動の活動家であるメリナ・アブドラ教授はフェイスブックで苦情を発表。教養ある大学教授とは思えないような下品な黒人言葉を使って「これは問題だよ、あんたらどうするつもりなんだい」と暴力を扇動した。それに答えて、これもひどく下品で無教養な黒人言葉の綴りで、まるでやくざのチンピラが姉御から命令を受けたかのように、「自分と手下たちがあの綺麗な顔を見られないようにしてやる」「自分たちが済ました後にはしゃべることなんかできなくなる。」というような返答が続き、他のCSULAの生徒たちはこのイベントは生徒たちの命に関わる、そして精神的な健康を害するものだと書いた。

講義が予定されていた数日前、同大学のウィリアム・コビノ校長はYAF生徒たちに講義は中止したと通告。校長の言い分は、よくよく吟味した結果、ベン・シャピーロの講義はシャピーロとは異なるさまざまな意見の講義者たちを加えたグループ討論会の形で行なうためしばらく延期するというものだった。

保守派の言論を「多様性」とか「言論の自由」という名の元に弾圧するのは左翼の常套手段である。校長のこの発表はYAF生徒たちに警備費用を払わせようとして失敗した直後の出来事であった。CSULAは公立大学なので、学校側に警備の責任がある。また講義者の見解を理由に差別することは憲法で禁じられている。

しかしいったいシャピーロの演説の何がそんなに気に入らないのか。なぜ左翼たちな彼の言論をそこまで弾圧しようとするのか。シャピーロの演説の題名は「多様性が問題になる時」というもの。左翼や黒人運動家はシャピーロの演説は人種差別だと主張するが、実は演説の主旨は黒人市民運動の父、マーティン・ルーサー・キングが主張した「人々は肌の色で判断されるのではなく、その人格によって判断されるべき」というものなのである。ブラックライブスマター運動は「人間はすべて肌の色によってだけ判断されるべき」という正反対の思想であり、黒人を特別扱いしないのは人種差別だという歪曲した思想なのである。また、シャピーロが敬虔なユダヤ教徒であるということも忘れてはならない。アメリカの黒人の多くがイスラム教に感化されている。先に述べた教授の「アブドラ」という苗字も本名ではなく、イスラム教に改宗した時にもらった改宗名であること間違いない。黒人間の嫌ユダヤ教は普通。

さて、講演が無期延期となったことに対し、シャピーロとYAFは即座に校長には講義を中止する権限がないとして、イベントは決行すると発表した。シャピーロは自分の出演しているラジオ番組やフォックスニュースなどの全国ネットのメディア番組でその旨をはっきり発表したため、このニュースは国中に知れ渡ってしまった。カカシも朝通勤中の番組でシャピーロがいきり立って「邪魔するならすればいい、だが私は怯まない!」と言っているのを聴いた。

シャピーロ側は学校を無理やり訪問すれば不法侵入で逮捕される可能性もあることも覚悟したそうだが、開演1時間半前という土壇場になって学校側は講義中止を取りやめた。多分大学側も弁護士と相談して講義中止が訴訟につながる可能性を恐れたからだろう。

その後の模様はYAFのライブストリームやシャピーロのツイッターなどで刻時々報道された。講義の始まる二時間くらいまえから講義者の暴徒が会場前に現れ、会場の出入り口を塞いで講義をききに来た人々が中に入るのを妨害した。大学の警備員や警察は大学側から講義者の運動を邪魔しないようにいわれていたらしく、妨害者たちは好き勝手に妨害を続けた。しかし参加者たちも黙ってはいない。妨害者たちと押し合いへし合いをしながら何人かは会場に入ることができた。

シャピーロ側は元イスラエル軍人だったボディーガードを連れて登場。大学警察は参加者たちを会場の裏口に誘導して数人づつこっそりと会場へ入場させた。ストリームビデオでシャピーロが演説中に参加者がちょろちょろと入ってくるのが見られた。

会場の外には何百人という暴力的な妨害者が集まり、その騒ぎは暴動寸前というかなり厳しい状況へと発展。リポーターや参加者が妨害者たちに殴る蹴るの暴力をうけ、病院に運ばれる人まで出た。

なんとかかんとかやっとシャピーロの演説は始まったが、途中何者かが火災警報機を鳴らした。授業中に誰かがこんなことをしたら、生徒はすに退学になるはずだ。しかし保守派の講義を邪魔したこの生徒たちは何の罰も受けないのだろうとシャピーロは講義のなかで語った。

それでもシャピーロは話し続け、一時間ほどの演説のあと質疑応答があって講義は終わった。シャピーロによるとライブストリームは6万人の視聴者があり、その後数時間にわたってさらに20万人の人々が見たという。講演を妨害などしなければせいぜい百人程度の観客で済んだものを、大げさに反対などするから観客が26万人に膨れ上がってしまった。まったく皮肉なものである。

講演終了後、シャピーロと生徒たちは外の抗議者たちに立ち向かって何か言おうかと相談しあったが、シャピーロのボディガードが外は完全に暴動寸前。ちょっとでも何かが起きたら手の付けられない状況になる可能性があるとして、シャピーロはそそくさと警官数人に守られて脱出したそうだ。

これが自由の国アメリカの大学で起きた現実である。

シャピーロはこれに懲りず、全国の大学を巡る講演ツアーを決行すると発表。

「もろい雪片たちよ、我々は自由と共にやってくる」

と宣言している。

ところでこれには後日談がある

講演を妨害された主催者のYAFは、この暴力沙汰はコビノ校長に責任があるとして、法律的な処置を検討中だと発表した。

また、反対に抗議に参加した生徒たちのなかには、コビノ校長が自分たちをシャピーロ支持派たちに立ち向かわせておいて十分な援護をしてくれなかったとしてコビノ校長の部屋の前で座り込みを行ない、校長の辞任を要求している。自分らの違法行為を好き勝手にやらせてもらっておいてまだ足りないというのだ。我侭な子供の言いなりになればなるほど、子供はわがままになっていく。これで校長が首になったら自業自得である。

February 27, 2016, 現時間 10:49 AM | コメント (0) | トラックバック (1)

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November 28, 2015

エリート大学でなにを学んでいるのか、学生たちのこどもじみた癇癪行為

教育と政治

最近アメリカのエリート大学で少数民族(特に黒人)の間で、大学構内が少数民族にとって安全な場所ではないという抗議デモがさかんに行なわれている。ミズーリ大学では黒人運動家の学生たちがでっちあげた嫌がらせによって、学長が辞任に追い込まれるという騒ぎにまでなった。下記は学生側の言い分を一方的に信じたAFPの記事より。

【11月10日 AFP】米ミズーリ大学(University of Missouri)での人種間の緊張への対処をめぐって物議を醸していたティム・ウルフ(Tim Wolfe)学長が9日、辞任した。同大学では、アメリカンフットボール部の黒人学生らが、学長が辞任するまで部活動をボイコットすると宣言していた。

 学内では、黒人の学生らに対して人種差別的な中傷が行われていた。地元メディアによると、10月には寮の壁に人の排せつ物で鉤(かぎ)十字が描かれる出来事も起きていたとされる。

 先週末には、強豪として知られる同大学のアメリカンフットボールチームの黒人学生数十人が、学長が辞任するか更迭されるまでは、試合を含めた部活動をボイコットすると宣言していた。(略)

ミズーリ大学ではこのほかにも、アメリカ合衆国創設の父のひとりであるトーマス・ジェファーソン大統領の銅像まで、彼が奴隷を持っていたという理由で撤去せよという運動が起きている。 またプリンストン大学では同大学の設立に貢献したウッドロー・ウィルソン大統領の名前を構内から消去しようという動きもある。学生たちはウィルソン大統領が単に人種差別者だっただけでなく、バリバリの左翼革新派だったと知ったらどうするのだろう?

エール大学では、ハローウィーンのコスチュームを巡って、ある教授(白人)が白人の少女が一日だけポカハンタスやムーランの格好をしたからって何が悪いのか。言論の自由ではないか。と言ったことが発端となり、黒人女学生が女性教授の声明は少数民族の学生を不安にさせるものだとヒステリックにその教授の夫で学長に食って掛かるという信じられない光景がユーチューブなどで公開された。

あのね~いったいあんたたち何歳なの?それでよく大学生やってるね。甘ったれるのもいい加減にしろ!いったい今の大学では学生に何を教えているのだ、と聞きたくなるような出来事の連続である。左翼リベラルによる教育が何十年も続けばこういうことになるという典型的な例だろう。

ミレニアム世代といわれる2000年以降に生まれた18歳から25歳くらいの人たちの間では、他人を傷つけるような言葉使いは言論の自由で守られるべきではないという信じられない意見がほぼ半分もあるという世論調査も出ている。現に先のミズーリ大学では他人の言葉使いに傷ついたら警察に届けるようになどという勧告まで出てしまった。こんなことをやってるから学生たちの横暴に強制されて学長が辞任なんていう情けないことになるのである。こんな身勝手な主張にこうも容易く折れてしまう学長なんざ、さっさとやめてもらったほうがいい。

しかし、ミズーリ大学のなかにも、このような過激派学生たちの運動に嫌気がさしてる良識ある学生も多く居る。ただ、反対意見を述べると人種差別者だとかヘイトスピーチだとか批判されるので、なかなか意見がいえない状態にあるようだ。大学構内で自由に政治議論を交わせないというのも大学が左翼リベラルに乗っ取られてしまった結果である。

そんなミズーリ大学の学生たちが、なんとバリバリ右翼保守の政治評論家ベン・シャピーロを招待して講演を主催した。保守派の講演なのに、左翼学生たちからの妨害も起こらず、数百人の学生で満席になった会場でシャピーロは質疑応答も混ぜて一時間半の講演を行なった。

シャピーロの講演の内容についてはまた改めて紹介しよう。

November 28, 2015, 現時間 10:52 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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June 21, 2015

女性の自己防衛は強姦防止効果があるのに抵抗が強いのは何故か

フェミニズム , 教育と政治

最近フェミニストの間では大学構内で強姦が蔓延しているという神話がまことしやかにささやかれている。囁くというより喚かれているといった方が正しい。女子学生は大学在学中の四年間で強姦にあう可能性が20%以上もあるという似非調査が幅を利かせているのだ。実はこの調査は嘘八百というかものすごくひどい調査なのだが、ま、それはそれとして置いといて、女子生徒を強姦魔から守ろうと自衛教室を設けその効果について調査した大学がある。その結果、自衛は非常に役立つという結果が出た。ところが何故かフェミニストたちからは自衛を奨励するどころか批判する声の方が多く聞かれる。

ニューイングランドジャーナルオブメディスンに発表された調査によると、女子大生に性犯罪の兆しに気がつく訓練及び性的攻撃に抵抗する術に関する徹底した訓練を施したところ、次の年、この訓練を受けた女性は受けなかった女生徒に比べ46%近くも強姦にあう可能性が減ったというもの。

この訓練の中で一番効果があったのは、女生徒たちに性犯罪が起きる状況を避ける術を教えたこと。つまり、どういう状況が危険であり、どのように状況がエスカレートするのを防ぐかという知識を与えたことにある。

女性の人権向上を建前にしているフェミニストたちが何故この訓練に関して批判的なのかといえば、性犯罪防犯の責任をすべて女性に託しているということにある。襲われた時にどのように自分を守るかということを教えるのは、強姦は起きるものなので女性はそれに備えるべきという前提があり、男性に強姦をしないように教育するということが欠けているというものだ。これは病気に例えるなら、病原を取り除かずに病状だけを治療するようなものだというのだ。

こういうことを言う人に聞きたいのだが、じゃあ、あなた方は出かけるときに家の鍵をかけないのかと。

はっきり言ってだ、野蛮なイスラム社会じゃあるまいし、アメリカの大学に通っている男子学生が強姦が悪いことだと知らない訳はない。大学生にまでなって学校で「強姦は犯罪です。やってはいけません」なんて教えられなきゃ態度を改められないような人間は文明人の資格はない。そういう状況であえて強姦に及ぶような不道徳な人間にはそんな教育は意味がないだろう。

しかし、女性が自分の態度を改めて強姦を防ぐということは、強姦魔に「私ではなく、別の子を強姦してよ」という言うようなものであり、強姦を減らすことには役立たないという意見もある。だが、女子大生たちが自衛に非常な神経を払い自衛訓練なども受けていれば、大学構内における強姦の数を減らすことは出来るはずだ。「別の子」が居ないような学校になることに勤めればよいではないか、何故それがいけないのか?

フェミニストの言うことは洋の東西を問わず個性がない。これはずっと以前にカカシが出会った自衛は害あって益なしと唱えていた日本のフェミニストたちの言ってたことと全く同じである。

無論我々はフェミニストたちの建前を信じてはいけない。彼女達の本当の目的が女性を守ることにあるなどと間違った考えを持つと彼らの行動の意味が理解できくなる。だいたい現代フェミニストたちはフェミニズムより社会主義のファシストだ。彼女達の本当の目的は人々をコントロールすることにあるのだ。

社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。

アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。

左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。

学校側がどれだけ自己防衛教室などを設置しようと、フェミニストたちの学校批判は収まらない。彼女たちの目的は架空の強姦文化を推し進めることによるフェミニストのコントロールする学校体制をつくることにあるのだ。

June 21, 2015, 現時間 2:03 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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January 11, 2015

黒人生徒の人種差別ツイートを指摘した白人学生が反対に人種差別の汚名を着せられる訳

人権擁護法 , 対テロ戦争 , 左右思想 , 教育と政治 , 狂ったメディア

前回のエントリーで私は自分の価値観を侮辱する意見こそ守られなければならないと書いたが、それをしないとどういうことになるかという典型的な例を読んだので、書いておきたい。

ブランディーズ大学の黒人女子学生カディーシャ・リンチが、先日監視中のパトロールカーに乗っていた二人の警察官が暗殺された件に関して、「殺された警官に同情など出来ない」とか「アメリカに聖戦を挑む」「なぜ黒人はこの国をやきはらってしまわないのだろう」などといった非国民的で人種差別的なツイートをした。彼女の口座は今は関係者のみの非公開になっているが、当時は誰でも読める公開口座だった。リンチは大学でも黒人生徒会長などをやって活躍する権力者だったことでもあり、彼女の発言は注目すべきだと判断したのが、同大学の白人男子生徒で大学新聞の記者でもあるダニエル・マエル。

マエルは彼女のツイート内容をそのまま自分のフェイスブックで紹介したところ、反対に完全な人種差別者扱いをされ、暴力的な脅迫メールや電話などがかかてくるようになったと言う。しかも大学は、彼の報道の権利を守るどころか、黒人女子生徒をストーキングしているといって退学の勧告までしたという。まったく話がさかさまである。

これについて言論や表現の自由について色々書いている有名な弁護士、アラン・ドーシュイッツ教授は「ミス・リンチには無論このような卑しむべき見解を持つ権利がある、それが公共の場であろうと私生活であろうと。ナチス、KKKや他の偏狭者が彼らの見解を表現する権利があるように。」

リンチが自分の公開ツイートで書いたことをそのまま紹介したマエルのことを「中傷された」といい始めたことに関して、同教授は 「誰かが掲載した言葉を再掲することは中傷や誹謗やその他の名誉毀損にはなりえない。なぜなら、自らが自らの発した言葉によって中傷されるなどあり得ないからである。」

マエルはリンチが公共ツイートでこんなことを書いてるよ、と紹介しただけなので、法律上これは名誉毀損などというものにはなり得ないのだと教授は言うのだ。

だが、法律がどうでもこれは大学構内のこと。この大学はいみじくもオランダで反イスラム運動をしていたアフリカ系女性議員を招いておきながら、イスラム教生徒らの反対にあってキャンセルした大学でもあり非常に左翼リベラル偏向が強い。だから左翼リベラルの発言はどのような人種差別に満ちたえげつないものであっても見てみぬふり、いやそれどころか奨励すらするが、それを「おかしいのではないか」と指摘したら最後、人種差別者呼ばわりされて退学の危険すらあるのだ。

リンチは生徒会を煽ってマエルの処分を要請する署名運動を行なった。東洋人生徒会もこれに同調して一緒にマエルを責め始めた。(なんで?殺された警察官の一人は中国系なのに。)

マエルを支持する生徒たちが存在しないわけではないが、学校側や権力ある左翼リベラル生徒からの報復を恐れて沈黙を守るしかない。マエルに同意する生徒は報復を恐れて匿名でメルアドを作ってそこからメールを送ってきたりしているという。

アメリカの大学はどこもかしこも左翼思想に独裁されている。左翼思想ならどんなひどい内容でも許容され奨励されるが、それに反発するとヘイトスピーチだ、セクハラだ、ストーキングだ、といわれて潰されてしまう。だから大学構内において保守派には言論の自由は存在しない。

自分の持つ価値観を侮辱する発言を保証してこそ言論の自由は守れるのだといったのはこれが理由だ。

ところでここでひとつ不思議なことがある。リンチは自分の言ったことを後悔していないという。自分の言ったことを誇りに思っているのであれば、それを再掲されたことを怒る理由がどこにあるのだ?リンチは自分が細々と書いていたツイートを紹介してもらってマエルにはお礼こそ言え文句を言う筋合いなどないではないか。

多くの人が誤解しているが、言論の自由とは好き勝手なことを言って誰からも批判されない自由ではない。言論の自由という権利には自分の言ったことに責任を持つ義務がついてくるのだ。

本来ならば大学という教育の場が言論の自由とはなんぞやという正しい見解を生徒に教えるべきだ。だが、今の大学は左翼リベラルの思想を推し進め保守派の意見を撲滅するため生徒たちを洗脳しているのだ。

こんな大学、高い授業料払って行く価値があるのだろうか?

January 11, 2015, 現時間 2:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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April 5, 2014

東洋人を圧伏するカリフォルニアのアファーマティブアクション復活運動は共和党のチャンス!

教育と政治

カリフォルニア州の公立大学入学の資格に人種を考慮に入れてはいけないという提案209番という法律がある。この法律が通ったのがちょうどカカシがコミュニティーカレッジという日本でいうなら公立の短大のようなところに行っていた頃だったので、4年生大学に編入する際に私が日本人であることはまるで影響がなかった。

同ブログでも何度となくお話してきたが、アメリカにはアファーマティブアクションという制度がある。もともとは有色人種が大学入試時や就職の際に白人より差別されないようにするという目的で作られたもので、元来大学などへ入学する文化のない有色人種の若者が大学に行きやすくするように政府が手助けするというのが名目だった。しかし、それがいつの間にか有色人種を白人より優遇するという制度に変わってしまった。

特に問題なのはコータとよばれる人種別枠組み制度。州の人種構成の割合をほぼそのまま大学の生徒にあてはめ、黒人は何%ラテン系は何%と決める訳だ。すると州で非常な少数派である東洋人の枠組みは他の人種より極端に減ってしまう。ところが、生徒の学力は人種によって非常な違いがあり、特に東洋人は優秀な生徒が多く大学受験をする生徒が他の人種よりも圧倒的に多いため、東洋人の一流大学への倍率は他の人種の何十倍にもなってしまうという非常に不公平な現象が生じた。

たとえば、ある中国系生徒がバークレー大学を受験した際、学校の成績はオールAで、SATと呼ばれる全国学力テストもほとんど満点だったのに受験に落ちてしまった。ところが同じ大学に受験したラテン系の受験生はこの中国系生徒の6割程度の成績だったのに入学したなんてケースは日常茶飯事だった。それで1990年代後半のカリフォルニアではユダヤ系や白人や東洋系の生徒らによる大学を相手取った訴訟が続発していた。それが提案209へとつながったわけだ。

さて、最近になってこの法律を覆そうという動きが、黒人やラテン系の間で起きている。

民主党が圧倒的多数を占めるカリフォルニア州上院議会は提案209番(大学入試に人種を考慮に入れては行けないという法律)を覆すSCA5という法案を提案し、たった20分の討議で可決。今度の選挙で州民の支持を得ることができれば、20年ちかく続いた人種平等の大学入試制度が黒人ラテン系優勢の人種差別制度へと逆戻りすることになる。

即座に州人口の14%を占めながら大学進学率は30%以上という東洋系市民の間から異議の声があがった。なにしろアファーマティブアクションで一番損をするのは東洋人。皮肉なことにかつてユダヤ人たちがそうであったように、東洋系は学力が他の人種よりも圧倒的に勝り大学進学志望者も他の人種よりも極端に多いことが仇となり、全体的な人口比率は低いため人種別のコータ制になると一番弱い立場に置かれる。

ロサンゼルスタイムスによると、東洋系市民から学力の劣る多人種の枠組みが増えた場合、自分達の子供達が大学に入れなくなるのではないかという心配が生まれた。特にWeChatという中国語ソーシャルネットワークでは心配する中国系カリフォルニア市民の声が高まった。このバックラッシュによって提案者はSCA5を撤回せざるおえなかった。

しかし、ベルガーデン市代表で中南米系党員会のリカルド・ラーラ会長は、まるで怯む様子をみせない。今度の州選挙ではアファーマティブアクションと英語とスペイン語の二カ国語教育の復活を求めて選挙運動に挑むと息巻いている。

はっきり言ってこれは、共和党が民主党が独占する州議会の議席を多少でも取り戻す絶好の機会である。

カリフォルニア州には160万の東洋系有権者が住むとされている。そのうち42%以上が民主党に登録している。カカシのような共和党登録者はたったの25%。2008年の全国選挙ではなんと64%の東洋系がオバマに投票。2012年の選挙では何と79%がオバマに投票!これは州のラテン系の72%を大きく上回る数字。え〜なんでえ〜?

しかし、SCA 5の通過を機会に、共和党州上院議員候補のピーター・クオ(台湾生まれの保険会社勤務)氏は、反アファーマティブアクションを選挙運動の軸にしようと決意した。彼の選挙区であるイーストベイは40%がアジア系で完全に民主党独占地区。しかしアファーマティブアクションによって民主党の票が割れて完全青(民主)地区が赤(共和)に変わればカリフォルニア全体の政治色に異変を及ぼすことになる。

だいたい東洋系が民主党支持である必要は全くない。ハリウッドの影響かもしれないが、共和党は人種差別の党だというリベラル左翼のプロパガンダがカリフォルニアでは浸透してしまい、実際には保守であるべき東洋人でも民主党を支持してしまうことが多い。

何度も書いているが、東洋人は中国系にしろ韓国系にしろ日本系にしろ、そして最近はベトナム系にしろ、教育を重んじる文化がある。そのため一世代目は英語もはなせず学歴が低くても、二世代目になると大学進学は当然のようになるし、弁護士や医者やビジネスマンになるのは極普通。だから東洋系にはアファーマティブアクションもバイリンガル教育も必要ない。いや必要ないどころか、これらの制度は東洋人が一番損害を受ける制度なのである。

カリフォルニア州の人口割合は、白人の数が減る一方、東洋系市民の数がラテン系を追い抜きつつある。今回アファーマティブアクション復活提案がすぐに撤回されたことで、カリフォルニアにおける東洋系の力が顕著となった。これで東洋系を共和党に引きつけることが出来れば、青一色のカリフォルニアも変われるかもしれない。

April 5, 2014, 現時間 10:56 AM | コメント (3) | トラックバック (1)

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September 17, 2013

ウィスコンシン州で三番目に大きな学校区、労働組合を拒絶

Tea Party , 教育と政治

ウィスコンシン州では、昔から労働組合が幅を利かせ、特に州公務員の労働組合は暴力団まがいであった。2010年に当選したウォーカー知事(共和)が州財政を建て直す名目で多々の提案をしたが、そのひとつとして労働組合の権力を大幅に削減する法律が通った。

2011年にカカシはこれについて色々書いたが、ウィコンシン州で教員を勤めるという日系アメリカ人女性とのやり取りは愉快だった。

さて、当時労働組合がやっきになって止めさせようとした提案に次のような項目があった。

団体交渉権について、基本給料の率に関しての交渉権を制限する。昇給の額はthe Consumer Price Index (CPI)を上回ってはならない。契約は一年ごととし新しい契約がむすばれるまで給料は凍結される。組合は一年ごとに選挙をおこない組合としての資格を維持しなければならない。経営者側が組合費を集めることは禁じる。団体交渉の対象となる従業員でも組合費を支払う義務はない。 この法律からは地方警察や消防署及び州パトロール隊の従業員は除外される。

ケノシャ教育委員会はこの項目のもとに今年は組合との契約を更新しないことに決定した。項目10条(Act 10)は、組合による団体交渉権を毎年見直す仕組みであるが、他の二つの区の教育委員会は今年も組合の団体交渉権を承認した。ケノシャ委員会はウィスコンシンで三番目に大きな教育委員会。彼らとの契約が更新されなかったのは組合としてはひどい痛手だ。

ウォーカー知事の項目10条が通ってからというもの、ウィスコンシン州では組合員の数が13.3%から11.2%まで減った。それで組合は項目10条を何度も州の法廷に引き出して違憲だと訴えてきたが、どの訴訟も敗訴に終わっている。ついこの間9月11日にも最近の判定が出たばかり。2012年にはウォーカー知事ならびに副知事や数人の州議員たちの弾劾選挙まで行ったが、すべて組合の敗北に終わっている。

この法律が通って明らかになったことは、ウィスコンシン州の公務員は自ら進んで組合に所属していたのではないということだ。組合が幅を効かせていられたのは、州政府がほぼ強制的に組合加入を要請し、組合費も州政府が給料から差し引くなど自動的に行われていたからだ。いっぱんの公務員は自分らに選択の余地はないと思っていたのだ。

もしも組合が公務員たちの役に立ち、労働者から愛されていたならば、組合加入の是非を個人の労働者に任せても加入率が減る必要はない。以前に書いたウィスコンシン州教員さんの意見が大半であったならば、組合は一年ごとの見直しを恐れる必要などないはずである。

アメリカの労働者は往々にして組合の価値を認めていない。労働組合は労働者の面倒などまったくみずに、組合員から集めた会費で私腹を肥やし民主党の選挙運動や賄賂に使って自分らの権力を強めているだけだ。ケノシャ教育委員会の教員たちは、この腐敗した労働組合を拒絶したのである。非常に賢明な決断だ。

September 17, 2013, 現時間 9:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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January 17, 2012

教育よりコントロール、学校が肥満児の生活を監視する!

健康管理 , 教育と政治

ジョージ・オーウェル著の「1984年」という小説にビッグブラザーという政府の監視機関が出て来る。この小説は共産主義を批判する未来空想小説だが、この社会では家のあちこちにテレビモニターが置かれており、このテレビは単に人々がテレビ番組を観るだけでなく、政府が人々の生活を監視するためのモニターとして使われている。それで、アメリカでは、政府が何かと人々の生活を監視する行為を「ビッグブラザー」と呼んでいる。

さて、アメリカの教育委員会が極左翼なのはもう公然に事実だが、またまた教育界のビッグブラザーぶりが幅を効かせている例を発見。

ニューヨーク州ロングアイランドのある学校では、肥満児に電子モニターを着用させ、生徒らの活動を一日中監視することになった。腕時計のようなこのモニターは、子供達の心拍数や睡眠状態などを観察することが出来る。ベイショアスクールの体育部長は10機のポーラーアクティブモニターを注文。この春から使用を始めるという。

着用者の情報はウェッブサイトにアップロードされ、教師や生徒がパスワードを使ってアクセスすることが出来るという。

この機会はすでにニュージャージー州のセントルイスやサウスオレンジの学校で使われており、両親らの間からプライバシーの侵害になるのではないかという心配がされている。

しかしベイショアー小学校の体育部長テッド・ナジェンガスト(Ted Nagengast)氏は「肥満の蔓延と闘うためのすばらしい道具です。子供達にリアルタイムで『自分が活動的か、活動的でないか?』を教えてくれます。子供達がもっと活動的になれる機会を与えたいのです。」

そんなことしなくても昔みたいに、休み時間は校庭に出て遊べ!と教師が子供達に指導すればいいだけの話ではないのか?

カカシが子供だった頃は、みんな昼休みに校庭で遊びたくてうずうずしていた。だから給食を食べるのもそこそこにみんな外にでてドッジボールしたりバレーボールをしたりしていた。そういうゲームでなくても、ジャングルジムに登ったり、単に鬼ごっこしたり、とにかく子供達が有り余るエネルギーを発散させるには、身体を動かすのが一番だった。

さて、このモニターだが、両親には無許可で学校が勝手に子供達に着用させているということで、プライバシーの侵害だと両親からかなり苦情が出ている。

セントルイスのロス小学校に子供が通っているベス・ヒューブナー(Beth Huebner)さんは、四年生の自分の息子がそんなモニターを付けていたとは全然しらなかったという。「ウェッブサイトの安全性やデータがどこへ送られているのかといった情報は一切もらっていません。」

親が医師と相談して子供の活動具合を観察するというのであれば話は別だが、学校が親に無断で子供の生命徴候を観察し、そのデータを保存するとなると、いったいそのデータがどのように使われるのか非常に心配だ。

最近、ミッシェル・オバマ王妃が率先して「子供の肥満蔓延と闘う」というのが流行っているが、私は肥満を「蔓延」という感染病みたいな言葉で表すこと自体に多いに反感を持っている。日本でもメタボリックシンドロームとかいって大騒ぎしているが、あたかも肥満を身体障害みたいに扱うのもどうかと思う。

確かに肥満は病気につながるが、肥満自体は病気ではない。だれかからビールスで移されるというものでもないし、薬を飲めば治るといったものでもないのだ。肥満と闘うのは食生活の改善と運動を増やすことしかない。自分がどれだけ運動していないかなんてことは、モニターなんぞ付けなくてもちょっと気をつければ解るはずだ。

最近アメリカの小学校では、予算が足りないとかいって体育の授業を削るところが多い。こんなくだらない機械に金をかける予算があるなら、有能な体育や保険の教師を雇って、子供達に運動や健康な食生活の指導をすればいいではないか。くだらない左翼リベラルの教育をする暇があったら、体育の時間を増やせばいいのだ。

また、食生活は親の協力がなければいくら学校だけ頑張っても意味がない。この間大人になって100kgを超す肥満になってしまったというブロガーのサイトを読んでいて面白いことを知った。彼は自分が子供の頃から痩せていた記憶がないというのだ。おばあちゃん子だったから、甘やかされて欲しい時に好きなだけお菓子でも何でも食べることが出来たそうだ。

学校の身体検査で肥満と診断された子供達は、親を学校に招いて健康な食生活について家族ぐるみの食生活改善について理解を仰ぐのが正当だろう。

もちろん、教育委員会は本当は子供の肥満なんぞ別にどうでもいいのだ。単に肥満を理由にこどもたちをいかにコントロールできるかが問題なのだ。ミッシェル王妃がマクドナルドのハッピーミールを禁止させようとしているのも、目的は子供の肥満と闘うことではなく、マクドナルドを恐喝して政治献金を出させることが本来の目的。

教育委員会のこうした横暴を妨げるには、親達が子供が学校でどういう教育を受けているのか、充分に注意を払う必要がある。そして親に無断で子供達にモニターを付けたり、薬物を飲まされたりするようなことは、親は断じて許してはならない。

January 17, 2012, 現時間 10:15 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 17, 2011

カリフォルニア、公立学校で同性愛歴史の教育を義務化

同性婚 , 教育と政治

先日イリノイ州の高校で経費節約のため国語作文を必須科目から除外したという話を書いたばかりだが、今回は同じく赤字で州立大学の月謝が2割だか上がるという状態にあるカリフォルニア州において、今回公立学校の社会学に同性愛の歴史を組み入れることが義務化された。

民主党が圧倒的多数を握るカリフォルニアの州議会は、公立学校の社会学のクラスで歴史的に同性愛、両性愛、性転換者などがどのように貢献したかを教えることを義務化する法律を通し、同じく民主党のブラウン知事が署名した。

わずかにいる共和党議員たちは反対したが、なにせ民主党が圧倒多数だからどうしようもない。

無論このような教育は子供達を同性愛に勧誘することにつながるのではないかという批判が出ているが、民主党議員やこの法律の支持者は保守派の心配を「下種の勘ぐり」といって笑に伏す。いつものことだ。

しかし、私は彼らの本当の目的は子供たちを堕落させることにあり、同性愛へを寛容に受け入れるという名目での勧誘はそのひとつの手段だと確信する。

法律の発案者はサンフランシスコ出身の(当たり前!)マーク・レノ州上院議員で、支持者たちは、こうした教育はゲイやレズビアンの生徒への偏見をなくし学校などでいじめにあわないようになると賞賛している。

「今日は我々の教科書や教材が今後LGBTアメリカ人の貢献を除外しないようになったカリフォルニアにとって歴史的な日です。」

学校でいじめに会う子供たちは同性愛者とは限らない。いや、そうでない場合の方が多いはずだ。学校におけるいじめの問題は同性愛云々の前に学校側がいじめ対策をきちんと取らずに、こどもたちの安全を確保していないことにある。科目で同性愛に対する理解度を深めるなんてことをやってみても、いじめ行為そのものが受け入れられない悪い行為だという認識をこどもたちに植え付けなければ意味がない。そのためには馬鹿みたいに同性愛者の貢献なんてことを教えるよりも、いじめ常習犯を徹底的に罰し、被害者のこどもたちをいじめの暴力から守ることのほうが先決だ。

無論左翼リベラルのカリフォルニア民主党員たちの目的が本当に同性愛者への理解を深め子供のいじめをなくすことにあるなんて馬鹿な話は私は頭から信じていない。

左翼リベラル達はもう1960年代から子供達の性解放に励んで来た。性への規制はあらゆる社会で道徳と結びつく。無宗教で非伝統的な左翼リベラルにとって既成の道徳観を根底から覆す事は必要不可欠なことであり、それをするのに一番手っ取り早いのが子供達の性意識の変革だ。

この科目が必須となった以上、同性愛は不道徳な行為であると信じる親達は、自分らの教えに反した考えを子供達に教育されることを拒絶できない。どうしても嫌だと思うなら子供を私立の学校に送るか家庭教育するしかない。多くの親達にそんな余裕はない。第一多くの親達は公立学校で子供達が何を教えられているのかよく知らないというのが現実だろう。

左翼リベラルの教育者たちは、こうやって子供達を洗脳し、より役に立つ愚か者達の教育をすすめていくのである。

July 17, 2011, 現時間 9:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 15, 2011

イリノイ州の高校、経費節約のため作文の試験を廃止

教育と政治

イリノイ州の公立高校では、今後経費節約のため高校卒業のための学力テストから作文の試験を取り除くことにしたという。

はっきり言って、この見出しを読んだだけで、なんだそりゃ、と言いたくなるような話なのだが、冗談抜きで本気らしい。断っておくが、この作文とはフランス語とかスペイン語の外国語での作文ではなく、英語という国語の作文のことなのであしからず。

イリノイ州の教育委員会によると、作文の採点にはリーダーと呼ばれる人たちを多く雇わなければならないため非常に高くつくのだという。それで作文の試験を廃止することで240万ドルの節約ができるというのだ。イリノイ州ではすでに中学や小学校の学力テストから作文を廃止している。

また、作文の採点には読み手の主観も入るため、読み手によって採点もまちまちになる恐れがある、などというくだらない言い訳もされている。高校生の作文の採点もろくろく出来ないというのは、採点する方の読解力に問題があるということではないのか? イリノイの公立学校の教育を受けているとこういうことになるといういい例だ。

高校卒業して読み書き計算が出来なくてどうやってまともな仕事に就くのだ、大学に行くのだ、と思っていたら、進学する生徒達は別の試験を受けなければならないらしい。

優秀な高校生徒を対象にしているアドバンスドプレイスメントというプログラムに参加したい生徒や大学進学用の全国標準テスト(SAT)を受けるためには、作文は必須科目である。ということは、高校生の段階で文章が書ける子と書けない子の二つのグループに別けるということになるのだ。

日本でも多分そうだろうが、最近はツイッターや携帯メールの普及で、少ない文字で多くの情報を伝達する方法が普及しているため、言葉使いをはしょったり綴りを簡略化したりするのが普通になっている。

ところが、学校できちんと作文を教えていないので、こうしたメール用の簡略文章が普通の書き方なのだと勘違いしている若者が少なくない。

大学教授をしている私の友人は、大学院の生徒から"you"の代わりに"U"、 "because" とするところを"cuz"などと綴られたメールを受け取ってショックを受けたと話していた。実はかく言う私も同僚からそのようなメールをもらったことがあり、いくら同僚同士の社内メールでも、転送などで上司や他社の人間が見る事もあるわけで、公式文書にそのような書き方をするのは不適切である。

だが、イリノイの公立学校を出たような若者には、そんな常識さえ通用しなくなるのだろう。

ところで、学校が国語作文を教えるお金がないというなら、いったい何に金を使ってるんだ、と私は問いたい。左翼リベラルのプロパガンダを教える同性愛者を受け入れる訓練とかいうクラスは削られていないんじゃないかなあ〜と思うのは私だけではないはず。

July 15, 2011, 現時間 6:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 14, 2011

ニュージャージー州の教育委員会、州民の増税を訴えながら自分らは数年にわたって税金未払い

教育と政治

増税に大反対のクリスティー州知事を心から憎んでいる増税大好きなニュージャージーの教育委員会が、なんと2005年以来ずっと税金未払いで $56,730.31の先取特権を税務署に抑えられているという。

教務員労働組合は何かと金持ちの税金を引き上げろだの、固定資産税の値上げをうったえるだの、他の州民から税金を巻き上げることには熱心だが、自分らはもう6年も税金支払いを滞納しているというのだから呆れる。

もっとも自分らは特権階級だから税金など払わなくてもいいのだと思ってる訳だから、他人の税金がどれだけ上がろうと知ったこっちゃないと言うのも理屈かな。

July 14, 2011, 現時間 10:01 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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May 8, 2010

カリフォルニア: 星条旗模様のTシャツを着て登校した高校生が家に帰された

教育と政治

この間、上海で行われている万博の日本館で国旗掲揚を見送ったという話をきいたばかりだが、去る五月五日、今度は何とアメリカ国内で、星条旗の模様のついたTシャツを着て登校した高校生五人が下校を命ぜられるという事件がおきた。

カリフォルニア中部のモーガンヒル市、五人の生徒が国旗を象徴する赤白青のシャツをシンコデマヨの日に着て感情を掻き立てた翌日、湾岸の高校では緊張感が高まっている。木曜日の朝早く、50人から60人のラテン系生徒が授業を欠席して、モーガンヒルズライブオーク高校から市役所まで行進し、名前は明らかにされていない当校の副校長による、シンコデマヨでアメリカ国旗のTシャツを着ていた生徒にシャツを裏返すか下校するかを命じた学校側の決断への支持を示した。

抗議者のひとり二年生のジャスティナ・ピエドラは、「無視する事もできたわ。でもあのひとたち去年もやったのよ。私たちに対する侮辱だわ。」と生徒達について語った。「今年もやりたかったのよ。計画的だわ。あの人達はおもしろがっているけど私たちを傷つける行為よ。私たちは彼らと平等なのよ。」同級生のリズベス・ルイーズもまた侮辱を感じたという。「あのひとたちに私たちをしたげにする権利はないわ。」「あれはアメリカがあるべきではない姿だということを証明しているだけよ。」

一方ウェスリー・スミス学長は学校区の教育委員会は愛国的な服装をすることを禁止していないという声明文を出した。「校内の安全は学校の職員にとって非常に大事なことであり、昨日の職員の決断も安全を重視してのものであったが、愛国的な服装をしていることは罰せられるべきではなかった。」とスミス学長は語った。

この話は保守系のブログやトークラジオなどで取り上げられたため、あっという間に全国的な話題になってしまった。バージニア州のヨークタウンの学生達は「モーガンヒル高校の五人を支持する」というフェイスブックぺージを設立したりした。

どうやらモーガンヒル高校では、去年も星条旗を翻した学生たちに対して、ラテン系生徒が「威圧されている気がする」という苦情を学校側にしていたらしい。それで今年も学生同士で喧嘩が起きたりしないように、ラテン系生徒らの感情を逆なでするような愛国的な格好はするなというのが副校長の気持ちだったのだろう。

スミス学長も語っているように、この高校のある学校区の教育委員会でも、愛国心を示す服装は禁じられておらず、禁じられるべきではないと発表している。

シンコ・デ・マヨ:五月五日といえば日本ではこどもの日で休日だが、アメリカではシンコ・デ・マヨ(スペイン語で五月五日と言う意味)とよばれるメキシコの祭日として親しまれている。1862年にメキシコがフランス軍にプエブラの合戦とかいう戦いで勝った日。面白い事にアメリカでは大騒ぎされるが、当のメキシコでは祝日でもなんでもない。メキシコの公式な独立記念日は9月16日である。

カリフォルニアはメキシコと国境を接していることでもあり、メキシコ系移民が非常に多く、地元市民との摩擦も起きやすい。

最近、メキシコと国境を接するアリゾナ州で既存の連邦移民法を厳しく施行する法律が通り、全国的にリベラル市民団体から抗議の声が上がっている中、モーガンヒルズ高校としてはこれ以上メキシコ系学生を刺激したくないという気持ちがあったのだろう。

だが、私は学校側の臆病な態度もだが、ラテン系生徒たちの自分勝手ないい分にも腹が立った。侮辱されたとかなんとかいうなら、アメリカ国内の学校でメキシコの旗を振り上げてメキシコの祭日をこれみよがしに祝う事は、移民として自分らを受け入れてくれたアメリカに対して失礼ではいのか? アメリカ国内でアメリカ国旗掲揚を否定する行為はアメリカへの侮辱ではないのか? 第一、ラテン系生徒たちもアメリカ人ではないか。

移民の子孫である自分らがアメリカ人としてきちんと義務教育を受けられる事実に感謝し、メキシコの祭日を祝うと共にアメリカの寛容性も祝うという意味で、二つの国旗を掲げるくらいの気配りをしていれば、ラテン系でない他の生徒達の感情を逆撫ですることにはならなかったはずだ。それをしないで我が物顔の行為をするから他の生徒達からの反感を買って、反対に星条旗のTシャツを着ていこうと頑張る生徒が出てくるのだ。何故ラテン系生徒の感情を逆撫でする行為はいけなくて、そうでない生徒の感情を逆撫ですることは許されるのか?

副校長は校内の安全性を重視したというが、それは裏を返せば、ラテン系生徒は感情をちょっと逆撫でされたくらいで暴力に走る野蛮人だという偏見を示しているにすぎない。明らかに副校長は星条旗Tシャツの生徒らが学校側の決断に怒って暴動を煽動するなどという心配はしていないわけだから。

本来ならば、学校側は暴力沙汰を起こす生徒達に対して断固たる処置をとるべきだ。どちらが始めたにしろ喧嘩は絶対に許さないという姿勢を示していれば、誰が何の国旗を翻そうと問題はないはずである。

しかし、授業をさぼって市役所に繰り出したラテン系生徒たちの行為は、こうしたラテン系への偏見をさらに強化してしまい、それこそ、それでなくても移民問題で過敏になっている一般市民の感情を逆撫でしてしまったといえる。

ところで日系生徒が鯉のぼりのついたTシャツを着ていったらどうなっていたんだろうか?多分誰も気がつかなかいだろうな。(笑)

May 8, 2010, 現時間 10:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 2, 2009

オバマ式教育、学校内安全とは同性愛促進のこと!

フェミニズム , 教育と政治 , 独裁者オバマ王の陰謀

以前に私はオバマ王によって次々に任命される怪しげな特別顧問たちの話をしたが、またまたその顧問のひとりのスキャンダルが話題を呼んでいる。

今度は『学校内安全特別顧問』のケビン・ジェニングス氏にまつわる話だ。

左翼の既存の言葉を全く違う意味で使って一般人を惑わす手段については、以前にも左翼の二枚舌を見抜く方法で説明したことがある。

既存する言葉の定義の書き換える(Law of tendentious redifinition)

左翼連中はすでに存在している言葉の意味を自分勝手に都合のいいように書き換えるのが得意だ。これにはもともと衝撃的な意味のある言葉の定義を拡大し、元の意味で解釈した一般人に間違った印象を与えるやり方と、言葉の提言を縮小し元の意味で話をしている論敵の説がその言葉にはあてはまらないというやり方や、ごく普通に使われてきた言葉を突然差別用語だと勝手に指定したりするやり方がある。

私はリベラルではないので次々に書き換えられるリベラル風言葉使いにはついていけないのだが、(無論奴らの狙いはそこにあるのだ)リベラルがいう「校内安全」とは、「学校内において同性愛し好の生徒や教師が誰からも批判されずに野放しで同性愛を促進できる環境」を指すようである。

少なくともオバマ任命の「学校内安全特別顧問」のケビン・ジェニングスがそう解釈していることは間違いない。保守派の間では、過激な同性愛促進者が大統領任命の教育関係の特別顧問などという大事な職につくことに関して非常な批判をかもし出しているのだが、左翼の間では保守派によるジェニングスへの批判は「反同性愛者的な差別」であり、保守派はジェニングスの思想を「歪曲」し「虚偽」の供述をしていると反対に攻撃態勢にはいっている。

左翼ブログのメディアマタースなどは、著名な保守派のジェニングス批判を集めて、いかに彼らが「嘘」をついているかを列挙している。だがここでも左翼による定義の書き換えを理解していないと意味が通じなくなる。

左翼が言う「嘘」とは、「事実に反する事」という意味ではなく、「左翼思想促進を邪魔する不都合な事実」のことを言う。だから、「ジェニングスが同性愛を学校内で促進するという行為は良いことである」と解釈すればそれは事実だが、それが悪いことだと解釈すればそれは「嘘」ということになるのである。現にメディアマタースはジェニングが積極的に同性愛促進をしているという「事実」そのものには異論はないのだ。

しかしジェニングスが実際にしたことは、いつか「ほとんどのストレートな人々が同性愛が悪い事であるとは思わなくなる」日がくることへの希望を表現したにすぎない。FRC(保守派グループ)はジェニングの供述を歪曲したが、Good As Youというブログが指摘しているように、ジェニングは寛容について話していたのだ。 氏は「謝った情報によるステレオタイプ」に対抗し、同性愛に関する見解を時とともに変えていくために、GLSEN(同性愛活動グループ)の「本日からの使命」は「希望を失わず世界が別の場所になるという信念を失わない事」 にあると語った。ジェニングスはまた「ほとんどのストレートな人々が、誰かが同性愛を促進していると聞いた時に、それが必ずしも何か悪い事で、促進すべきではない事だと解釈しないように」なる日が来て「ストレートな人々が『同性愛を促進したからって何が悪いんだ?』とかストレートな生徒たちが『プロム(卒業祝賀会)の前に、お前とボーイフレンドでうちへ来てタキシードの試着をしないか?』とか言えるような日が来る希望を語っただけだ。

男同士でタキシードの試着をしあうなんて考えただけでも気持ち悪いが、そういう行為が普通に行われる学校内での環境づくりをしたいというなら、それこそまさに学校内において同性愛を促進していることになるではないか。保守派が抗議しているのはそういう思想の持ち主がアメリカの教育方針を決めるような立場に立つ事なのである。アメリカの信心深い保守派の間では、同性愛は「罪」であると考えている人も多くいるのだ。

さて、問題なのはジェニングスが同性愛者であり同性愛促進運動家であるということだけではない。今回氏の教師としての過去に教師としてはあるまじき行為があったことが明らかになった。

それは21年前、氏が高校の教師をしていた時に当時15歳だった生徒からバス停の公衆便所で知り合った大人の男性の家に行き性行為を行ったという話を打ち明けられた。アメリカの法律では、未成年が大人と性行為を行った事実を知った場合、教育者やカウンセラーという立場にある人は、即刻その事実を当局に通知する法的義務がある。だがジェニングスはそのことを未成年虐待行為として当局に通知しなかった。氏は教育者として未成年者を性的変態の大人から守るという法的義務を怠ったのである。

この話が最初に公になった時、ジェニングスは、そんなことはなかったとすっとぼけていたのだが、ジェニングス自身が、その生徒に大人との関係を断ち切るように指導するどころか、セックスの際にはコンドームを使うようにと、性関係を支持する態度をとったことを誇らしげに語っている2000年の講演のオーディオテープが明らかになり、ジェニングスは自分の過去の行動に対して多少の後悔はしていると表明せざるおえなくなった

21年後、今思えばもっと他の行動を取るべきだったと解ります。もっと詳しく事情を聞き、法律及び医学当局に相談すべきでした。当時教師はそのような場合における訓練を受けていませんでした。すべての教師が基本的な準備をしておくべきでした。私は校内安全・麻薬防止の顧問として、もっと積極的に教師の教育を手助けしていきたいと思います。

過去の過ちから学んで顧問として励むというのは感心する心構えである、なんてこんなうすっぺらな「謝罪」を受け入れるのはナイーブというものだ。この表明を掲載した記事の著者デイヴィッド・ブローディはジェニングスが20年以上も前におきたことを謝罪した以上、これ以上保守派はジェニングスをリンチする道具がなくなったのではないかと書いている。

ブローディの政治思想がどんなものなのかは知らないが、問題はもっと奥深いところにある。ジェニングスは保守派から批判を受けるまで、自分の行動が教育者としてあるまじき態度だったということに気がつかなかった。いや、それどころか、15歳の未成年と大人の男性との性関係を奨励した自分の行為に多いに満足し、そのことを同性愛関係の講演で誇らしげに語ったりしていたのである。21年前に自分は無知だったからなどという言い訳は全く通じないのだ。

第一、ジェニングス氏がどんな教育をうけたのかは知らないが、21年前でも、これが未成年の少女がバス停で知り合った見ず知らずの大人の男性の自宅へ行ってセックスしたという話だったら、その話をきいて、それを当局に通報しない教師などいただろうか? 少年がついていった大人が大量殺人鬼や強姦魔だったらどうなっていたと思うのだ? 

それを少年にコンドームを付けるように指導して大人とのセックスを奨励したのは、ジェニングス自身、未成年と大人との性関係が悪い事だと思っていない証拠だ。ジェニングスはそのような行為が一般の子供達から異常だとか悪い事だとか思われない環境づくりをしたいと宣言しているのである。

こんな人間に教育政策の顧問をやらせてもいいのか?

保守派の批判はそこにあるのだ。

October 2, 2009, 現時間 8:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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February 24, 2008

人権擁護法反対! アメリカの悪制度アファーマティブアクションに学ぶ

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 教育と政治

お断り:このエントリーは数時間前に掲載したものを訂正して書き直したものです。特定の人物への個人攻撃のような内容があったのでその部分を削除しました。数時間前の内容と多少違う面があることをご了承ください。

米国で少数民族や女性が大学への入学や就職の際に不当な差別を受けないようにと設けられた制度にアファーマティブアクション(AA)というものがある。これについて私は何度かその悪質な特質について、大学入試や就職の際に特定の少数民族が優遇される人数枠組みを決めたいわゆるクォータ制を例にあげて、ここやここで述べてきた。

私の説明するような形ではアファーマティブアクションは存在しないと主張する人もいる。厳密な意味でアファーマティブアクションという法律が存在しないと言うのは正しい。AAは連邦政府の方針であり、その適用は州単位でそれぞれの地域が自分らに見合ったと思われる規則を設立して行うことになっているからだ。しかしAAを適用するために設立された規制や規則は私がいう通りの結果を生んでいるのであり、そんな法律は存在しないから、カカシのいっていることは真実ではないという言い方はそうした現実を無視した非常に不誠実な意見である。

AAには良い面もあれば悪い面もあると主張する人は、アウトリーチ(勧誘)という制度に重点を置いて話をしている。アウトリーチとは、普通では大学入学などには不利な立場にいると思われる少数民族が一流の大学に入れるように種々の方法で援助をするというのが建前になっている。だが、時間もお金も手間もかかるアウトリーチなどという制度は簡単に適用できるものではない。結果的に簡単に適用出来るクォータ制度が優先し、アウトリーチなど現実の日の目を見ないのが普通だ。つまり建前はどうあれ、現実的にはAAの適用は少数派優遇のクォータ制となったり、アウトリーチという名目で少数派受験生の成績が水増しされたりする形で落ち着いてしまうのである。だから私に言わせればAAに良い面など存在しない。

悪法アファーマティブアクションが生んだ訴訟例:

AAの悪質な制度は1961年の創設当時から問題になっていた。1969年には当時のニクソン大統領が、AAの目的は差別廃止の「目的と予定表」(goals and timetable)であって、少数民族優遇システムであってはならないと説明しなければならないほどだった。しかし、その不公平な適用は1970年代から最近では2001年に至るまであちこちで訴訟の対象となっている。

最初にアファーマティブアクションによる不公正な大学入試制度に関する訴訟を紹介しよう。私は以前にアメリカの大学入試システムをこのように説明した。

大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており、詳細は学校によって違うがここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。 これは文化の違いによるのだが、黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。 ということは同じ大学へ志願しているにもかかわらず人種によってその倍率が全く違うということになってしまうわけだ。

下記の訴訟例を吟味してみよう。

1979年、カリフォルニア州立大学対バッキー(the University of California v. Bakke): 大学の不公平な入学制度に挑戦した一番有名な訴訟は、1979年にカリフォルニア州立のデイビス医学大学においておきた。当時UCデイビスでは、100人中の16人は少数民族のためにとっておくという人員枠を決めており、入学の基準も少数民族と白人学生とでは全く違う二重基準になっていた。アラン・バッキーという白人学生は自分よりも成績の劣る少数民族の学生が合格したのに自分が入学を拒否されたのは人種差別であり、憲法違反であるとして大学側を訴えた。

合衆国最高裁判所は、人種が大学入試基準の一部として考慮されることは正当だが、融通のきかない人員枠決めは正当ではないと判決をくだした。

1996年、カリフォルニア州、提案209条: 1990年代の後半からカリフォルニアを中心に、アファーマティブアクションによる不公平な大学入学システムを廃止しようという運動が起きた。カリフォルニアの黒人ビジネスマン、ワード・コネリーは1996年に特定の人種や性別を優遇する入学システムを全面的に廃止する法律、提案209条を提案。カリフォルニア州市民の圧倒的多数の同意を得て議案は通過した。しかし、小山エミが「賛成する人などどこにもいない」といっている少数民族優遇システムを支持する運動家らが、この法律は憲法違反だとして州を相手に訴訟を起こし、一旦は地方裁判所(U.S. District Court)で議案の施行一旦停止判決がでたが、後の高等裁判所の審査によって(9th Circuit Court)判決は覆され法律として成立した。しかしその後も少数民族女性優遇システムを支持する人々の間からこの法律への訴訟は後を絶たない。

ところで、この法律が通って以来、バークレーのような一流大学への入学生は減ったが、カリフォルニアの州立大学全体では少数民族の卒業率が増加した。つまりAAによって自分の能力にあわない高度な大学へ行って落ちこぼれていた少数民族の学生たちが、自分の能力にあった大学へ入ったため、卒業率が増えたということだ。いくら一流大学へ入っても、ついていけずに落ちこぼれるくらいなら、二流大学でもちゃんと卒業したほうがいいに決まっている。AAの少数民族優遇制度がいかに少数民族を傷つけてきたかという証拠だ。

1996年、ホップワード対テキサス大学法律学校(Hopwood v. University of Texas Law School):シェリル・ホップウッド並びに三人の白人受験生がテキサス大学のアファーマティブアクションに挑戦して起こした訴訟。ホップウッドたちは自分たちが入学を拒否されたのは学力が劣るにも関わらず一部の少数民族が優先されたからだと主張。 その結果、法廷は(the 5th U.S. Court of Appeals)は大学のアファーマティブアクションによる入学制度を差しとめるように命令し、同時に1978年のバッキー訴訟で、人種が入学審査の際に考慮に入れられるのは正当であるとした判決は不当であったと裁断した。これが原因でテキサス州は1997年から入学審査に人種中立の制度を取り入れることになった。

2003年、グラッツ、ハマチャー/グラッター対ミシガン州立大学 Gratz and Hamacher / Grutter v.The Regents of the University of Michigan

2003年に最高裁判所が下した判決は、ミシガン州立大学のAA制度に対する二つの訴訟がもとになっている。ミシガン州立大学と法律学校の双方で、人種を基準にした大学受け入れ制度は憲法違反であるという訴えが起きたが、地方裁判所は人種が入学基準の一部の要素となることは正当であると判決をくだした。ただし大学のほうで少数民族の受験生に水増し点があてがわれる制度は改正されるべきであるとした。後に最高裁は人種を考慮することは憲法違反であるとすでに判決が出ていることから、この判決は覆された。

不公正な就職制度

AAが適用されるのは大学入学審査の時だけではない。就職や職場での昇格や解雇の時などでも考慮される。私はそのことについてこのように説明した。

AAは才能のあるなしに関わらず、ある企業はある一定数の少数民族や女性を雇わなければならない、それだけでなく、昇進の時でも人種や性別を考慮にいれなければならない。仕事のできない少数民族や女性でもやたらに解雇できないといった非常に厳しい規制がある。こうなってくると企業は少数民族や女性を雇う利点を見いだすことができない。かえって少数民族や女性には迷惑な政府介入なのである。

これに関して企業におけるアファーマティヴアクションはあくまで企業が自主的に行なうもので、それを強制するような法律は存在しないという人がいる。これも厳密には正しい。しかしここでどうして企業が自主的にAAを起用したりするのか考えてみる必要がある。AAの実施は企業にとって合理的でも経済的でもない。ではなぜそんなことを強制もされていないのにやるのか?

アメリカではAAとは別にEqual Employment Opportunity Law (EEO)という職場での差別を禁じる法律がある。職場で差別を受けたと思う従業員はEEOCという連邦施設に苦情を訴えられるようになっている。企業が差別訴訟を避けるための予防対策としては、AAを自発的に適用することが最善の方法なのだ。つまり、「わが社はAAを取り入れており人種差別はしておりません」と言うように。

しかし州立の大学でさえアウトリーチなどという面倒くさいことが出来ない以上、企業でのAAでそんなことが出来るはずがない。であるから必然的に簡単なクォータ制度が取り入れられてしまうわけだ。1000人の従業員のうち黒人が一人しかいないという企業はたとえ偶然そうだったとしても、黒人の市民団体から人種差別をしていると訴えられかねないし、やたらに黒人を解雇すれば、黒人差別だといってまたまた訴えられる恐れが十分にあるからだ。

これがどのような結果を生むか、これも訴訟例をあげて吟味してみよう。

1986年、ワイガント対ジャクソン教育委員会(Wygant v. Jackson Board of Education): 少数民族の教員を守るために、年功では勝る少数派でない教員が先に解雇されたことで教育委員会が訴えられた訴訟。最高裁判所は教育委員会の少数民族を保護する目的でも少数民族でない教員から解雇するというのは、雇用の際に少数民族を優遇するというのとは違って、個人に与える損害は大きく正当化できないとして勝訴となった。

AA方針は法律ではなく企業が自発的に適用するものだというが、AAを導入していない公営施設は存在しない。つまり、公務員は必然的にAAの元に生きることになる。それでなくても解雇が難かしい公営施設は民間企業よりも神経質にAA方針を貫こうとする。AAは法律ではないから強制されているわけではないという議論がどれほど空しいかが良く分かるはずだ。

さて、AAそのものに行使力はなくても、裁判所によってクォータ制度が強制されるという例がある。

1987年、合衆国対パラダイス(United States v. Paradise):

アラバマ州の公共安全局(the State of Alabama Department of Public Safety )では組織的に黒人差別をする傾向があるとして、何度も訴えられた。その結果裁判所は、局の従業員の25%が黒人になるまで、白人が一人雇われるごとに一人の黒人が雇われるか昇格されなければならないとした。このクォータ制は上訴されたが、この場合は極端な人種差別を是正するためにやむ終えない処置であったとして維持されるべきと判決が下された。

雇用や昇格にクォータ制度を用いなければならないという法律が存在しなくても、このように裁判所が企業に制度を強制することが出来れば、法律と同じ機能を果たすわけだ。

AAにはほかにも悪い点があるのだが、長くなるのでそれはまた別の機会に続けよう。とにかく、人種や男女差別を廃止する目的で作られた制度が、結果的に一部の少数民族や女性優遇のシステムになってしまったという例として、アメリカのアファーマティブアクションからは、今人権擁護法を考えている日本社会にとって良い反面教師となるはずである。

February 24, 2008, 現時間 8:18 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

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February 10, 2008

カカシさん、日本語が変よ

教育と政治 , 日常の出来事

きょうは日曜日で特にお話することが思い浮かばないので、ちょっととりとめのない話をしよう。

私のブログの読者の方々からよく聞くのは「カカシさんの日本語は変だ」というご意見である。どういうふうに変なのかという具体的なことを指摘して下さる方が少ないので、どうすればいいのかちょっと困惑する。(コメンターのエマニュエルさんのように政府機関の名称や軍階級の訳が間違っているとか具体的なご指摘は非常に助かる、、でもマニーさん、お手柔らかに!)これは言い訳でもなんでもないが、はっきり言って言葉使いがおかしいのはカカシのみならず、最近はアメリカでも日本でも不思議な言葉使いをする人が増えていると思う。

最近の若いもんは手紙一つ書けん!

実は先日もらった30歳くらいの日本人男性からの手紙の終わりに、「前略、敬具とか難しい言葉つかえなくてすみません。」と書かれていたのをみて驚いてしまった。これは、私が面倒くさい挨拶を飛ばして「前略」ではじめて「敬具」で終わらせた手紙への返事だった。(注:コメンターの方から「前略」ではじめて「敬具」で終わるのはおかしいとご指摘を受けた後、自分の書いた手紙を読み直してみたら「かしこ」で締めくくってあった。相手の返事に「敬具」とあったのでてっきり自分で書いたものと勘違いしていた。)

「前略」という書き出しは、堅苦しい挨拶抜きで書く時の決まり文句だが、それを「難かしい言葉」と言われたのには驚いた。最近の若者は(30歳といえば十分に大人の社会人だが)いったいどういう教育を受けているのだろうと首を傾げてしまったのである。

しかしこういう傾向があるのは何も日本だけではない。この間も私は職場でメールの冒頭に"Dear Sirs,"と書いていたら、私より若い上司に「"Sir"というのは将校クラスの人につける敬称だから下士官に使ってはいけない」と注意された。私の手紙の相手が曹長の位だったので、彼は私が間違えたのだと思ったらしい。しかし間違っているのは上司のほうなのだ。普通アメリカで公式な手紙を書く場合、相手のことをよく知らない時は"sir"を使う規則になっているのだ。軍隊の位とは何の関係もない。私の若い上司はそういう常識を知らないのである。

そういえば最近もらうメールで、"Dear Kakashi,"ではじまって"Sincerely yours,"で終わるものをみたことがない。これは日本語でいえば「拝啓」と「拝具」の部類だが、メールだからなのか普通の手紙だったらそうではないのかよくわからないが、若い頃に秘書としての教育を受けたカカシとしてはこういうふうに何でも非公式になっていく傾向は全く好ましく思えない。

手紙を書くのが苦手な人には不思議な概念かもしれないが、昔ながらの手紙の書き方というのは手紙をかけないひとのためにあるのである。何故ならば、冒頭の季節の挨拶だの手紙の終わりに書く決まり文句などを覚えていれば、内容が希薄でも一応手紙として成り立つからだ。それを知らないと何もかも最初から考えなければならず、手紙を書くことが結構難かしい課題となってしまうのである。

法律家だった父が昔、新しく雇った若いアシスタントについて「最近の若いもんは手紙ひとつまともに書けん」と嘆いていたが、その時の「若いもん」とはカカシの年代のことを指していた。私が書いた手紙についても「カカシの手紙は字が汚い上に誤字脱字が多くて読めたもんじゃない」と言われたものだ。まさかこの年になって私も父と同じように「最近の若いもんは、、」というとは思っていなかった。(笑)

左翼に乗っ取られた教育制度

ミスター苺は職業が物書きなので文章はきちんと書く人だが、彼がいうに最近の若いもんが手紙ひとつ満足にかけないとしたら、それはひとえに左翼に乗っ取られた教育制度のせいだという。

私が高校生の頃はまだまだ詰め込み教育の真っ最中で、ゆとり教育なんて言葉は聞いたこともなかった。

今は冒頭しか覚えていないが「月日は百代の過客にして、行き交かふ年も又旅人なり。」とか「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。」なんてのは無理矢理暗記させられた覚えがある。勉強大嫌いで日本での大学受験は完全に失敗したカカシでも一応このくらいは覚えているくらいだから当時の詰め込み方針もまんざら悪くなかったのかもしれない。

数学専攻だったミスター苺は昔、大学生に数学を教えていたことがあるが、その時理数系の学生ですら「証明」の意味が分かってない学生が多く驚いたといっている。「でもダーリン、幾何をやっていれば証明なんて当然でしょう?」とカカシが聞くと「ユークリッド幾何学ならね、でもそんなもの、今時教える中学校なんてないよ。」ミスター苺にいわせると、最近のアメリカの公立学校では数学をきちんと教えられる教師など存在しないという。なにせ他の学部で落ちこぼれた学生が教育学部に集まるので数学が苦手どころか数学恐怖症の人が多いのだそうだ。そんな人間に数学を教わる学生はいい迷惑である。数年前に教育学部の学生で分数の足し算ができない人に算数を教えてあげたことがあった。大学生にもなってなんでこんな算数ができないのだろうと不思議に思ったものだ。(なんでそんなやつが大学に受かったのだ?)

まさか日本の学校もこんなふうになってるんじゃないだろうなあ。

でもやっぱりカカシさんの日本語は変よ!

私が義務教育を受けたのはいまから?十年前なので、変な日本語を書く言い訳は全くないのだが、あるとしたら文章の書き方をきちんと習ったのはアメリカの大学へ行ってからだったということかもしれない。だから私は常に英語を念頭に置いて文章を書くため日本語の表現が不思議なものになってしまうのだ。

いつだったか、私は誰かに「それは真っ黒な嘘」といったことがある。「ちょっと待ってよ、それは真っ赤な嘘でしょう?」と言われて、あ、そうだっけ、と思い出した。英語では悪いことは黒と表現するからてっきり真っ黒だと思い込んでしまったのだ。もっともこういうことはよくあることで、私は日本語のことわざと英語のことわざが混合してしまうことが少なくない。ある時私は「ない袖は振れない」といいたくて、"I can't shake a sleeve I don't have."と言ってアメリカ人に「なんじゃそれ?」という顔をされたことがある。(笑)

そういういい加減な日本語を書いているカカシが「最近の若いもんは、、」なんていう資格は全くないのかもしれない。言葉なんてものは時代と共に変化するもので、いつまでも抵抗していても意味はない。特にネットでのチャットや携帯電話のテキストメッセージなどによる略語が普通の文章にもはいってくるようになれば、さらに我々の話し言葉も書き言葉も変化していくことだろう。

確かにカカシの日本語は変だが、それより分けの分からない日本語がさらに横行するようになるのは時間の問題なのだろう。

February 10, 2008, 現時間 2:38 PM | コメント (9) | トラックバック (0)

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January 29, 2008

人権擁護法と男女共同参画に共通する政府介入と人権侵害

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 教育と政治

私はずっと人権擁護法とジェンダーフリーについて別々に書いてきたが、人権擁護法と男女共同参画にはその根底に共通する概念が存在する。それは政府による団体主義の強制であり、個人の人権迫害である。

無論人種差別や男女差別の廃止は奨励されるべきことだ。しかしそうしたことは個人レベルで個々が判断して変えたければ変えていけばいいのであり、政府が介入すべきことではない。これらの法律が人権迫害につながるのは、個人のし好や思想に関することを国がいちいち干渉してくるからである。私が以前に人種差別をなくす法律は存在しないでも書いたように、嫌いなもの同士を無理矢理法律で一緒に仕事や勉学をさせてもかえって反感を買うだけで差別排除にはかえって逆効果なのだ。

また擁護法のように一部の人間を政府が特別扱いするということは、必然的に他のグループの人間を組織的に差別するという結果を生むのである。これは人種差別や性差別をなくす目的で作られたアメリカのアファーマティブアクションが政府が奨励する人種や性差別へと変化してしまったことがいい例だ。これについてもう一度私の過去ログから引用する。

アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。...

ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった。...

大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており...ここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。...黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。... 

たとえば単純計算である大学の100人の枠のなかで、黒人志願者が20人、東洋人志願者が100人だったとする。同じ大学へ志願したにもかかわらず黒人の志願者は全員入学できるが、東洋人の合格倍率はなんと10倍。

今やアメリカの大学では女子生徒のほうが男子生徒を上回っているにも関わらず、いまだに女子を優先する大学が後を絶たない。しかし男女平等を主張する左翼フェミニストたちがこの女性上位の状況に文句をいう気配は全く見られない。いまや女子優遇男子冷遇法となったアファーマティブアクションを廃止すべきだという左翼フェミニストなど存在しない。

左翼フェミニストといえば、以前に左翼フェミニストと議論を交わしていたブロガーさんで、ここでも何度か紹介したBruckner05さんは男女平等を政府が政策として起用した場合、単に男女差別はやめましょうというような啓発だけでは済まない、「公的広報のガイドライン、啓発パンフレット、意識調査、学校教育(教科書、副読本)、行政の講座等々」を使って国民意識が操作がされると書いている。強調はカカシ。

行政は法律に基づいて施策を行い、男女共同参画社会基本法は「ジェンダーフリー思想に基づく男女共同参画」を「国民の責務」としているのである。そしてその実現を確かなものとするため国内本部機構を設け、監視の役割まで持たせている。....

呼び掛けはやりました。あとは国民の皆さんの自由選択ですよ、では終わらない。意識啓発は、その自由選択が政府が望む方向に確実に変化し、その変化が広く深いものとなるように、と意図して行われているのだ。...

...施策の効果を上げようとすればするほど、介入の度合いは激しくなる。

差別意識を減らすなどという国内政策はそのうち、その成果を国民の意識調査で判断するなどという柔なことだけでは済まなくなる。政府介入は必ずエスカレートする。Bruckner05さんが紹介している家庭内暴力に関するDV防止法などもその典型だろう。括弧内はカカシの注釈。(ちなみにDV防止法は先日改正(改悪?)されたそうだ。)

自由な社会には“機会の平等”こそふさわしいのに、男女共同参画は“結果の平等”を目指す。その実現には上からの強権発動が欠かせないから、これはまぎれもない全体主義だ。「性差より個人差」「性別にとらわれない社会」と言いながら、他方、徹底して「女」にこだわるダブルスタンダード。数値目標によって女性の参画比率を恣意的に引き上げ、DVは事実上、女性のみを保護対象にし、女性限定で起業支援、健康支援をするなど露骨な逆差別。

人種差別も男女差別もこれは個人の意識の問題である。国がすべきなのは差別につながる法律を排除することであって、法律による意識介入ではない。一部の少数派を擁護するという建前で一部を優遇し他を冷遇するのであれば、まさにそれは政府が奨励する組織的差別に他ならないのだ。

January 29, 2008, 現時間 12:25 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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October 30, 2007

キャンパス左翼とイスラム過激派に対抗する方法

教育と政治

アメリカの大学では左翼思想が横行し、保守派思想が弾圧されているという話はこの間もしたが、今回もそれを象徴するような出来事があった。

デイビッド・ホロウィッツという極右翼の作家がいる。彼は1960年代にはバリバリの左翼運動員で、かなりあくどい政治活動をしていた人なのだが、それが友人が自分が信用していた極左翼の市民団体に殺されたことがきっかけで、左翼の悪に気づき心を入れ替えて右翼に転向した人だ。このホロウィッツがエモリー大学の共和党クラブに招かれて「イスラモファシストを知る週間」の一貫として大学構内で演説をおこなうことになった。ところがそれをききつけた左翼団体やイスラム系の学生たちが、ホロウィッツの講演を邪魔しようと大学の公会堂に団体で入り込み講演がはじまるや否や大声で怒鳴り散らし、ホロウィッツの演説が全く観客に聞こえないような騒ぎを起こした。警備員が特に騒いでいる若者を追い出そうとすると若者は「全員を追い出せはしない。みんな立ち上がれ!」と関係者を立ち上がらせて大騒ぎ。ついに警察が呼ばれて講演は中止。ホロウィッツは警察官に護衛されて立ち去るという結果になった。

このときの詳細やビデオはフロントページマガジンで見ることが出来る。

この間デンマークでヨーロッパのイスラム化に抗議するデモ行進の主催者が待ち伏せをくって暴行をうけた事件や、カナダの大学でイスラエルの著名人を招いた講演会が、イスラム系暴徒によって集まった観客が暴行を受けるなどして講演が阻止された事件などもそうなのだが、いま、世界中で過激派イスラム系と左翼連中が共謀して保守派思想を弾圧する事件があちこちで起きている。

こういう事件を見るたびに私はおもうのだが、左翼及びイスラム過激派に敵対する講演会やイベントを主催する側は、自分らの行為がどれほど危険を伴うものなのか充分に覚悟して、それに対する事前の処置をとってもらいたいということだ。イスラム系テロリストにしろ左翼市民団体にしろ、言論の自由になど興味はない。彼らは自分らこそが正しいと信じ異論はどのような手をつかっても(テロを含む)封じ込めようという堅い意志のある恐ろしい敵なのだということを自覚してもらいたい。

大学のキャンパスは保守派には非常に危険な場所である。やたらに自分の意見を表したりしたら、教授からは落第点をもらうし、学校側からは言いがかりをつけられて退学になったり、他の生徒から訴えられたりする。場合によっては暴力を振るわれ殺されかねない。自由の国アメリカでこのようなことが横行するなど信じられないことだが、講演を中断されたホロウィッツが「ナチスのブラウンシャツもこうやって反対意見を封じ込めた」と語っているように、イスラミストや左翼は悪度さでは全くナチスと同じなのだ。

しかしだからといって保守派生徒たちは身を守るために沈黙を守らなければならないのだろうか?言論の自由や思想の自由が保障されているはずの自由国家の大学で、自分の意見を述べることが命にかかわるという状況をそのままにしておかなかればならないのだろうか?いや、それは違うだろう。「悪が栄えるには善人が何もしないでいればいい」という言い回しがあるように、保守派学生や教授たちは黙っていては、アメリカ大学の状況は悪化する一方である。

では具体的にどうすればいいのか?大学の共和党生徒たちが保守派の政治家や作家を招くのは大いに結構なことだし、どんどんやってもらいたいと思う。ただし、そのような行為には危険が伴うことを覚悟して、警備体制をしっかり敷いておく必要がある。そこでカカシは大学内の左翼にどう対処すればいいのかをが考えた対処策は次のとおり。

大学内の警備員をあてにしてはならない。

大学事態が右翼や保守派をきらっているのに、その大学が提供する警備員など最初からやる気があるはずがない。暴徒が暴れても見てみぬふりをするのがおちだし、暴れた生徒も処分をうけないと鷹をくくっている。事前に募金運動などをして民間の警備会社を雇うか、地元警察に相談して警察官を派遣してもらえるかどうか折り合う必要がある。

あからさまな妨害者を締め出せ。

プラカードや横幕をもって現れた人々は、最初から騒ぎを起こす目的で入場しようとしていることは明白。入場する際にプラカードや横幕を持った人々は入場させないとあちこちにサインを張り、もってきた人たちがこうしたものを捨てられるようなゴミ箱を会場からかなり離れた場所に設置しておくこと。入場口でまだ持っている人間はプラカードをその場で捨てようがどうしようが入場させない。またハンドバッグやバックパックに大きな音のでる笛やラッパを隠し持っている人間も入場させないこと。講演を静かに聴く意志があれば、こんなものは必要ないはずだ。

会場内で騒いだ人物は即座に強制的に取り除くこと。

こういう団体には必ず先導者がいる。騒ぐつもりで入場しても、誰かが始めないと自分からは何も言えない臆病者が大半なので、一番最初に騒いだ奴をかなり乱暴に強制撤去するすれば、後の奴らは怖気づいて何も出来なくなる。とにかく最初が肝心。

我々は自由社会に住んでいるので、思想や言論の自由は当たり前だと考える節がある。だが、世界中の多くの国で言論の自由は独裁者によって弾圧されてきた。我々がアメリカの大学や欧州でみていることは、そのほんの一例に過ぎない。我々自由主義の人民がこの神に与えられた権利を守ろうというのであれば、それは命がけで守らなければならない大切なものだということを充分に自覚すべきである。戦いの危険を顧みずに戦場へ挑むのは勇敢かもしれないが愚かでもある。戦いは勝たなければ意味がない。左翼やイスラム過激派と対抗しようというのであれば、それなりの自衛を考えるべきだ。自由のために勇敢に、そして賢く戦おう。

October 30, 2007, 現時間 10:55 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

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September 10, 2007

なぜ戦を学ぶのか、 その2

教育と政治 , 防衛

今日も引き続きビクター・デイビス・ハンソン教授の「なぜ戦を学ぶのか」を考えてみよう。

歴史への無知がもたらす弊害

イラク戦争が「失敗している」とか「泥沼だ」と語る人々は、かならず「四年間も続けて3000人以上の莫大な犠牲者をだして、、、」と続ける。しかしこれが別の時代なら、四年も戦って味方の戦死者がたかが3000人ですんでいるなら、たいした紛争ではないと判断されていたことだろう。19世紀の中東に植民地をもっていたイギリス帝国の軍隊は、中東各地で頻繁におきていた紛争の鎮圧でもっと多い割合でイギリス兵を失っていたに違いない。だが当時のイギリス国民はイギリス兵の犠牲が多すぎるとか泥沼だから即撤退すべきだなどとは言わなかった。この程度の犠牲は帝国が植民地を守り通すためにはやむ終えない犠牲だと考えていたからだ。

こうした歴史的事実を国民が全く知らないと、国が実際に戦争状態になったとき、いったいどうしていいのか分からなくなって麻痺状態になる可能性があるとハンソン教授はいう。歴史的な基準による比較が出来ないと、現在の状況を正しく把握することができない。

わが国の政治家も国民も1777年12月や1941年12月、そして1950年の11月に下された不能でひどい決断によって大規模な犠牲を出し、一時市民が絶望状態になった事実を覚えていないようだ。これでは今日これほど多くの人々が、イラクにおける暴力沙汰が歴史上初めてのことだとだ考えるのも無理もない。

イラク戦争で3000余名の犠牲者を出しているという事実は無論軽々しく扱われるべきではない。しかし前世代のアメリカ人はたった二か月ちょっとの戦闘でイラクでの戦死者の四倍もの戦死者を出した沖縄戦線を大勝利だと考えていた。そうしてそのまま日本での本土決戦を続けるつもりだったのである。

前例がどんな場合でも同じようにあてはまると考えるべきではない。ドイツは第一次世界大戦でロシアに3年で勝ったのに、フランスは4年かかっても落とせなかった。2001年にタリバンを数週間で崩壊させ一年以内に新政権を設立することができたからといって、フセイン打倒後のイラクも同じようにスムーズに運ぶということにはならない。それぞれのお国柄や文化、政治、地理、経済といったものがあまりにも違い過ぎるからだ。

それよりも過去の戦争に関する知識があれば、新しい状況をより広い視野で見ることができるようになる。戦争におけるテーマや感情や建前は何世紀も特に変わりはない。紀元前415年に、当時ギリシャ世界のなかでも最大の民主主義を誇っていたシシリーを攻め入ったアテネの悲劇はイラク戦争の前例としては全く役に立たないかもしれない。だがこの戦争はどのように戦争前には熱狂的に戦争を支持していた市民が戦場から受ける悪い印象に失望して戦争を見放すようになるのかを教えてくれる。

カカシは戦争をすると犠牲者が出るといって戦争を反対する人に出会うと、では戦争をしなけば絶対に犠牲者が出ないと断言できるのか、と聞き返すことにしている。ハンソン教授も歴史的にみて、将来の被害を避けるために今戦うべきなのだという考えは頻繁に拒絶されてきたという。アレキサンダー大王や、シーザー、ナポレオン、そしてヒットラーなどの遠征も、もし初期に無数にいた敵が団結して彼等に立ち向かっていれば早期に集結させることが可能だったはずだという。そうやって敵の脅威が増大する前に戦争をしなかったばっかりに後々に起きた損害の膨大さは測り知れない。

現在においても同じことがいえる。ソロボダン・モロソビッチの独裁はNATO軍の空軍によって比較的簡単に制圧することができたが、それは十年近くに渡ってモロソビッチが地域を弾圧し何千何万という市民を虐殺した後のことだった。先進国が当面の被害を恐れて戦闘に躊躇したために、多くの犠牲者が見殺しにされたのである。「戦争とは醜いものだ。しかし最も醜いものではない」とイギリスの哲学者ジョン・スチュワート・ミルは言う。「腐敗し士気の落ちた愛国的心境から戦争はどんな場合でも価値がないと考えるほうがよっぽど悪い」

歴史を無視すると、現代社会は戦争をコミュニケーションや外交の失敗だと解釈するようになる。あたかも攻撃者が自分達が何をしているのか解っていないかのように。米下院議会のナンシー・ペロシ議長はブッシュ政権の対テロ戦争に不満を抱き、シリアへ飛びアサド大統領に中東のテロリストに資金援助をするのをやめてもらうよう説得に行った。女史はアサド大統領の闘争性はアサドの独裁政権がレバノンやイラクの民主主義が感染してシリアを破壊する前に破壊しなければならないという考えからくるものではなく、我々のよそよそしくごう慢な態度がもたらしたものであると信じ切っていた。

ウィリアム・テカセム・シャーマン元帥の手紙やウィリアム・シャイアーズのベルリン日記に現れる国家同士の問題を参考にせず、テレビの人気カウンセラーが語る個人のライバル意識を参考にするから何でも話せば分かるという甘い考えが生まれるのだとハンソン教授は言う。

しかし歴史的にみて、誤解から生じた戦争というのはほとんど見つからないのである。悪意に満ちた意志とそれを阻止する勢力がないことから始まる戦争のほうがよっぽども多いという。マーガレット・アトウッドが詩に詠んでいるいるように、「戦争は戦争をはじめるものが勝てると思うから始まるのである。」ヒットラーしかり、ムッソリーニや東条しかり、当時の西洋諸国の非武装状況を考慮に入れれば彼等が勝てると考えたのも無理はない。ビン・ラデンが911でアメリカを攻撃したのも、外交の失敗ではなく、20年間に渡るアメリカへの攻撃に対してアメリカからはなんの反撃もみられなかったことが原因だ。この無行動がビンラデンにアメリカは戦わないという印象を与えてしまったのだ。

歴史を知らないとはじめるべき戦争をはじめずにかえって被害を増大させてしまうという間違いを起こす。歴史を知らないと交渉が不可能な場合でも意味のない外交を継続させ相手の勢力増加を許してしまう。歴史を知らないとこちらの躊躇を敵から弱みとみられてしまう。

戦争の歴史をしらないことで起きる弊害は大きい。

September 10, 2007, 現時間 9:48 AM | コメント (1) | トラックバック (1)

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September 9, 2007

なぜ戦を学ぶのか?  その1

イラク関係 , 対テロ戦争 , 教育と政治 , 防衛

今月からネットアクセス不能になる日が度々あるので、例によって興味深い話題をいくつか特集してみたいと思う。

今回は歴史学者のビクター・デイビス・ハンソン(Victor Davis Hanson)教授の「なぜ戦を学ぶのか?」(Why Study War?)という論文を数回に分けて紹介しながら私の意見なども混ぜて皆様と一緒に考えてみたい。

戦争の歴史に興味がない歴史学者たち

ハンソン教授はアメリカの大学生にテット攻勢(注1)はアメリカ軍の大勝利だったなどという話をすると、激しい反論にあうのではなく、皆ポカーンとした顔をしていると言う。「テット攻勢?何それ?」てなもんである。またつい最近に公開された「300」という映画の元となったテルモピュライの戦いになってくると、この300人の話など聞いたことがないだけでなく、ペルシャ戦争そのものに関してすら全く知識がない人がいかに多いかを知ってがっかりしたと書いている。

ま、テット攻勢は当たり前だが、カカシはスパルタの軍隊やペルシャ戦争については多少の知識はあったとはいうものの、正直な話テルモピュライの戦いについてはスティーブン・プレスフィールドの炎の門を読むまではほとんど何も知らなかった。

しかしハンソン教授はアメリカの教育システムを考えれば、一般のアメリカ市民が軍事的な知識に欠ているのも無理のない話だという。

私が大学院に通っていた30年前ですらも、どうして一方が勝ち他方が負けるのか、長官や愚かな指揮官、技術の停滞や発展、そして教育や勇気や国民の意志や文化といったものが戦争の勝ち負けにどういう影響をもたらすのかといったことを調べる学問であると一般的に理解されている軍事歴史というものはすでに大学では時代遅れとみなされていた。今日の大学ではこの主題はもっと人気がない。

この状態は非常に嘆かわしいことである。民主主義社会の市民は戦争知識を持つことが必要だ。特にこの大量破壊兵器の時代ではなおさらである。

教授はもともと軍事歴史の専門家ではなく、スタンフォード大学で博士号を取る主題に古代ギリシャにおいてペロポネシア戦争中にスパルタ軍が行ったアテネ攻撃のもたらした農業への悪影響を選んだのがきっかけだったという。

しかし農業と戦争が古代ギリシャの特徴であるにも関わらず、大学側の態度は冷たかった。古代ギリシャの哲学者や作家や政治家に興味のある歴史家はもうほとんどいなかった。19世紀に書かれたスパルタ兵の構成やギリシャ兵法などの古代戦争に関する数々の歴史書など誰も読んでいない。『まるでアメリカの大学は歴史そのものの始まりが古代ギリシャの歴史家であるHerodotus と Thucydidesが書いた戦記だったということを忘れてしまったかのようだった。』と教授は語る。

どうしてアメリカのアカデミックは戦争に対する興味を失ってしまったのであろうか?この背景には何があるのだろうか? まず明かな理由はベトナム戦争だ。カーター大統領の時代のアメリカではベトナム戦争は最初からやるべきではない戦争でアメリカの大敗に終わった二度と繰り返してはならない悲劇だったという考えが一般的だ。 本来ならば、どうしてこのような戦争が始まったのか、どうして負けたのかということを研究すべきなのだが、教育界の姿勢はそういう不愉快な歴史は最初から勉強すべきではないというものだったのだ。

二つの世界大戦後に発明された核兵器も軍事歴史への興味を失わせた原因のひとつだ。ボタン一つで世界が滅びるような時代に過去の軍事歴史など学んでもあまり役に立ちそうもないという議論が平気でされた。

また1960年代に生まれた理想的で非現実的な世界観の影響も忘れてはならない。これは戦争が起きるのはお互いの誤解から生じるものであり、片方の恐怖やプライド物欲によって始まるとか、ましてや単に世の中には意味もなく戦争をはじめる悪いやつがいて、善人が何もしないことで戦争は激化するなどといった考えは人間性を理解していない証拠だという世界観である。

現在の教育界における軍事歴史への無関心はもっとひどい。今や軍事歴史を専門に研究したり教えたりしている教授の数は数えるほどしかいない。2004年に退役軍人から教授となったウィスコンシン大学のエドワード・コフマン教授によれば、同大学で歴史を教えている1000人の教授のうち軍事歴史を専門にしていたのはたった21人だったという。さらに戦争を専門にしている学者は同僚から疑いの目でみられているという。

歴史を教える立場の大学がこれでは学生がきちんとした歴史を学べるはずがない。日本の若い人たちの第二次世界大戦に関する知識を考えると、日本の大学も多分同じようなものなのだろう。戦前の日本が民主主義だったなどと平気で言う人が多いのも明治維新から始まった日本の軍国主義の歴史を全く知らないことからくるものだ。日本はヨーロッパ諸国の帝国主義が弱まってきた頃、自分達も帝国主義に遅蒔きながら参加しようと富国強兵に励んだ。日本の近代歴史は軍国主義の台頭を無視しては語れないはずなのである。

にも関わらず、民主主義で平和に暮らしていた日本にアメリカが突然攻めてきたとでもいうようなことを言い出す日本の若者をみると、日本もアメリカも軍事歴史を正しく教える必要性を切に感じる。

注1:テット攻勢とは (1968年、1月30日 - 1969年6月8日)ベトナム戦争中におきた連続攻撃作戦のことで、南ベトナム解放戦線(ベトコン)の強力な数部隊と北ベトナム軍(PAVN)の部隊が南ベトナム軍とアメリカ軍に対して計画的一斉に行った攻撃だった。(略)攻勢は旧正月の祝いのなかで輝かしくはじまり、1969年の6月まであちこちで分散的に続いた。

September 9, 2007, 現時間 9:30 AM | コメント (0) | トラックバック (1)

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April 3, 2007

ホロコーストも十字軍も教えちゃ駄目! イギリスの諸学校歴史の書き換え

ヨーロッパ , 宗教と文化 , 教育と政治

イギリスではイスラム教生徒らの気分を害さないようにと、学校のカリキュラムからホロコーストや十字軍に関する授業を削除する傾向が増えているという。イギリスの教育界も左翼連中に乗っ取られたとみえる。以下はデイリーメール紙から

政府の調査では諸学校でイスラム教生徒の気分を害さないため、歴史の授業からホロコーストを削除するところが増えていると発表した。

調査によると教師のなかにはホロコースト否定論を信じる生徒を傷つけるのを恐れてこのような虐殺を教えたがらない人がいるという。

また11世紀にエルサレムでキリスト教徒とイスラム軍が戦った十字軍について教えることに抵抗する傾向もある。それというのもこれは地元のイスラム聖廟で教えられていることとよく矛盾するからである。

この調査により学校によっては歴史を使って政治的に正しい政策が促進されているという批判が上がっている。

この調査は小学校と中学校の歴史の授業を対象に行われたが、教師らはこれらの話題に反発した「反ユダヤ思想」をもっているイスラム系生徒らから抗議を受けるのを怖がって、なるべくはやくこの問題を取り上げるのをやめようと必死らしい。

歴史教育アドバイザーで元トーリー政権のアドバイザーだったクリス・マクガバン氏は「歴史は政治的なただしさの道具ではありません。子供たちはこうした問題のある主題に関して知識を得る手段をもつべきです。それが口にあったものであろうとなかろうと。」

ナチスドイツではユダヤ人を悪徳な金貸しだとか、女性を冒涜する犯罪者だらけだとかいうイメージ作りから始まり、ユダヤ人迫害への道へと進んだ。イギリスをはじめヨーロッパでは今まさにその歴史が繰り返されようとしている。

もう二度と起こしてはならないという歴史の教訓がユダヤの敵過激派イスラム教徒らによって書き換えられていくのをイギリスの教師らは正面から立ち向かうどころか、生徒から反論されても子供たちに適切な説明をする能力もなければ根性もなくただ避けて通ろうというのである。

すでにイスラム過激派の対象はユダヤ教だけでなく反キリスト教へも進んでいる。そのうちイギリスの生徒らは十字軍の存在すらも知らずに育つことになる。ヨーロッパの暗黒時代に終止符を打ち、ルネッサンスを迎えるにいたって重大な役目を果たす十字軍の歴史。エルサレムがキリスト教の手からイスラム教徒に奪われたのを奪い返した歴史もイギリスは忘れようとしている。

まったく情けない。偉大なる帝国の名が泣くよ。

April 3, 2007, 現時間 12:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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September 16, 2006

行き過ぎ左翼教師のふてぶてしい訴訟

教育と政治

「依存症の独り言」坂眞さんが教室で政治活動をしていた教諭が解雇になったのを不満として訴訟を起こした事件について語っておられる。私はこの事件は全然しらなかったのだが、日本でもこういうことがあるのかと考え込んでしまった。

社会科の授業で配布した資料で、先の大戦を侵略戦争ではないと東京都議会で述べた議員らを実名で批判したことなどをめぐり、都教委から3月に分限免職処分とされた千代田区立九段中(3月末に廃校)の元教諭増田都子さん(56)が15日、都などを相手に処分の取り消しと総額300万円の慰謝料の支払いなどを求める訴えを東京地裁に起こす。「政府見解にも反した都議の誤った歴史観を批判したにすぎない。処分は都教委の教育内容への不当な介入で違法」と主張している...

東京都足立区立第十六中学校で、社会科として担当の増田都子教諭(48)によって「紙上討論」なる授業が行われていた。その紙上討論とは、「憲法、戦争責任、君が代・日の丸、従軍慰安婦、南京大虐殺」等のテーマについて生徒に意見を書かせるものだった。

問題となった授業は「沖縄の米軍基地」をテーマにした授業で、増田教諭の偏見的な考えにより、「沖縄の人達はもちろん、抵抗できる限りしましたが米軍は暴力(銃剣とブルドーザー)でむりやり土地を取り上げて基地を作ったのが歴史的事実」等という、米軍を一方的な「悪」とみる偏向授業であった。その授業を受けた、日米両国籍を持つ生徒(父親がアメリカ人で母親が日本人)の母親が増田教諭の授業内容に疑問を提起したところ、増田教諭が二年生の各クラスで2日間にわたって、その母親を非難、中傷するプリントを配った。

私も高校の時、授業中に赤旗新聞を読んで、共産党のビラをくばっていた教師がいた。私の卒業式の時、「君が代」斉唱を暴力で阻止しようとしたのは生徒ではなく一部の教師たち。おかげで我々の卒業式は左翼教師による暴動に展開するかと思われた。教頭のとっさの機転で大事は免れたもののどうも後味の悪いものとなった。

アメリカでも教育界の左翼化はひどく、小中高はもとより大学になるともっとひどい。私の大学は技術系だったためそれほどでもなかったが、それでもある時必須科目で取った世界史のクラスでは教授が完全なフェミニストで、中世のヨーロッパ歴史もフェミニストの偏見に満ちた教材が使われ、その内容はいかにカトリック教が女性を弾圧する宗教であったかというものだった。ところがうちのクラスにはカトリックの尼さんが三人もいたことや、ラテン系のカトリック教徒が数人いたこともあって大騒ぎになってしまった。結局ヨーロッパの歴史はスキップしてアフリカの歴史へと展開してしまった。(笑)

ミスター苺も自分の高校時代の恩師の引退パーティに招かれ出席した時、祝辞を述べた数学の教師が生徒やOB,父兄の前でなぜかブッシュ大統領の悪口をいいはじめたという。そしてこれが延々と続いたというのだから驚く。恩師のパーティを台無しにしたくなかったのでミスター苺は歯を噛み締めて我慢していたが、あまりに気分が悪かったので恩師への挨拶もそこそこに早々にひきあげてしまった。あの数学の教師は授業中も数学そっちのけで政治活動をしているのだろうか。どうりでアメリカの子供は数学を学ばないわけである。

この間カリフォルニアで移民問題で大きなデモがあったが、地元の小中学生が授業をさぼってデモ行進に参加したのに、どの学校も学生たちに罰を与えなかった。表向きは学生たちのデモ参加は学校側は禁止したことになっているが、裏で教師たちが生徒達をあおっていたことは容易に想像がつく。

日本の教育界の左傾も問題ではあるが、増田教諭が解雇処分になったというだけでも、日本はまだまだましである。アメリカでは教育委員会や労働組合のちからが強すぎて、このようのな不届きな教師を簡単に解雇することができない。特に教師が有色人種であったりしたら人種差別の切り札を振り回して、訳の分からない市民団体まで口出しして大騒ぎになるだろう。

日本では公正な裁判によってこの教師が敗訴することを願うものである。

September 16, 2006, 現時間 3:18 PM | コメント (0) | トラックバック (1)

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