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January 7, 2008
ジェンダーフェミニストの見分け方
アップデートあり、下記参照。
先日から続いているフェミニズムに関する討論で、macskaさん(ペンネームは小山エミ)はかなりお疲れのようなので彼女の最新の反論を取り上げながら、ジェンダー及びエクイティフェミニズムについて最終的にまとめてみたいと思う。その後でmacskaさんが犯した間違いについて指摘してただしておきたい。
まず、macskaさんは、だいたいジェンダーフェミニズムとかエクイティフェミニズムなどという言葉使いは一般的ではなく、フェミニズムをジェンダーとエクイティに分けるなどという概念自体が存在しないとおっしゃる。
macskaさんがそうお考えになるのは当然だ。それというのも、1994年に哲学者のクリスティナ・ホフ・ソマーズ女史がこれらの言葉とその概念を彼女の著書"Who Stole Feminism"で紹介してからというもの、アメリカのフェミニストたちはソマーズ女史をフェミニズムの敵とみなし、彼女の言葉使いから概念まで完全拒否してきた。ソマーズ女史はフェミニスト大会などへの参加をことごとく阻止され、もし女史が会場に現れようものなら警備員に暴力で追い出されるなどということがずっと続いているのである。フェミニストたちはジェンダーとエクイティーという言葉を否定することによってその概念そのものの存在を否定しようとしたのだ。左翼が大半を占めるフェミニストたちがホフ・ソマーズ女史を「極右といってもいいくらいの保守派」などと呼ぶのも、ホフ・ソマーズ女史が実際に保守派だからというより、極左翼のフェミニストたちからすれば宿敵ホフ・ソマーズは右翼に違いないという理屈になるだけなのだ。macskaさんがホフ・ソマーズ女史を保守派と呼びながら、女史が従来のフェミニストたちを批判したということ以外に保守派思想とする根拠を出せないのがいい例である。
しかしながら、カカシは最初からジェンダー・エクイティという定義が一般的にフェミニストたちに受け入れられているなどとは主張していない。はっきりいってフェミニストがこれらの定義を受け入れる入れないは重要ではないのである。ジェンダー・エクイティの概念は単に現在のアメリカのフェミニズムを説明するにあたりホフ・ソマーズが作り出した定義にすぎず、私はそれに従ってアメリカのフェミニストたちを分析しているだけだからだ。
ジェンダーフェミニズムとエクイティフェミニズムの決定的な違いは全体主義と個人主義の違いである。ジェンダーフェミニストは女性を女性というグループの一員として考え、その目的は女性の地位向上にある。だから女性というグループ全体が冷遇されれば怒るが優遇される場合は大歓迎する。それに反してエクイティフェミニストは女性を一個人として考え、女性も男性と同じ機会を与えられ同じ基準で試されるべきだと考える。であるから不公平な待遇はそれが冷遇であろうが優遇であろうが受け入れない。
私が最初にmacskaさんから「左翼(多分共産主義)のレズビアンフェミニスト」という印象を受けたのも、彼女の言葉の節々からジェンダーフェミニズム特有の全体主義を感じ取ったからだ。これまでの彼女のやりとりや特に前回の私の出した質問への返事でmacskaさんに対するカカシのの第一印象が正しかったと確信した。では私の出した三つの質問を振り返ってみよう。
- 質問1:大学などの理数学部で女子生徒や女性教授の数が男性に比べて極端に少ないことは、応募者数に関係なく男女差別なので女性の数を増やすべきであると思うか?
- 質問2:歴史的に迫害されてきた少数民族や女子に公平な機会を与る目的でつくられた、これらの人々への特別考慮をするアファーマティブアクションを支持するか?
- 質問3:タイトル9によって、学校内で男女同じように運動部が設けられその活躍や規模に関係なく同じ予算をあてがわれなければならないという法律を支持するか?
これらの質問に共通している点は女性を女性という団体の一メンバーとしてみるか、それとも女性を一個人として見るかということだ。質問1で、もしも女性の数が圧倒的に少ないのが男女差別が原因だとは限らないと思うなら答えはノー。質問2は明らかに女性優遇をするシステムを支持するかしないかという質問なのだからジェンダーならイエス、エクイティならノー。質問3のタイトル9は女性優遇男子抑圧の典型的な法律だから、女子優遇を支持するジェンダーならイエス。不公平な優遇を支持しないならノー。
こんな単純なイエスかノーかの質問をmacskaさんはこのように誤魔化して答えようとしない。
イエスかノーかと迫る時点で、既におかしいのよ。例えばある学部で女性が少ないだけで差別があるとは言えないけれども、かといって人数の違いは生まれつきの特性の差であって差別は存在しないと決めつけるのもおかしいでしょ。具体的に調査を行なうなり当事者の生の声を聞くなどして、差別の問題があれば対処していくべきじゃん。
あるいはアファーマティブアクションだって、必要な場合もあれば不必要な場合もあるだろうし、必要だとしてもさまざまなやり方があるわけ。例えばブッシュ大統領はいわゆるクォータ制やポイント制には反対だけれど、テキサス州知事時代には「どの公立高校であってもトップ10%に入る生徒には州立大学への入学を認める」という措置を実施していて、実質的にこれは貧困などの理由で全体的に成績が低い地域の学校に通う、その中では比較的優秀な生徒を救済しているわけ
数が少ないだけで差別があるとはいえないというなら、それ以上の説明は必要ないはず。それでもどうしても説明をつけたいなら、男女の学力審査が均一である限り答えはノーとすればいい。アファーマティブアクションは男女間においては完全に女性優遇のシステム。この場ではそれ以上の説明は必要ない。
macskaさんが単に男女平等を求めるエクイティフェミニストであれば答えは非常に明白なはず。それをごちゃごちゃ言い訳をして答えようとしないのは彼女自身、自分がホフ・ソマーズのいうジェンダーフェミニストだということを十分に承知しているからだ。しかしすべての質問にイエスと答えてしまえば読者が彼女をどう解釈するか分かっているから答えをはぐらかして自分が本当は何を信じているのか隠しているだけだ。macskaさんはこの手の議論は何度もしているとみえてやり方に抜け目がない。
読者の皆様はもうお気付きだろうが、macskaさんは私が彼女のことを左翼だの共産主義者だのレズビアンだのと呼んだことに関して「自分はそうではない!」と何度もヒステリックに怒鳴ってはいるが、ではいったい自分は何を信じているのかという説明を一度もしたことがない。つまり、左翼とはこういうひとたちのことをいうが、私の信じるのはこういうことで左翼とは全く違うとか、マルクス主義フェミニストはこういう方針だが、ここが私と彼女たちとの決定的な違いだとかいう説明がない。自分はポリティカルレズビアンは嫌いだとは言ってるが、どうして嫌いなのかという説明はしていない。
macskaさんが明かにしないのは自分のフェミニストとしての姿勢だけではない。私は最初に彼女がバックラッシュという本の宣伝ブログの経営者のひとりであることを知った時、彼女も著者のひとりなのだろうと思ったのだが、アマゾンに載っていた宣伝には著者の名前が四人しかなく、彼女らしいひとはいなかったので思い違いだったのかと思っていた。バックラッシュの話題がのぼった時もmacskaさんはバックラッシュについて自分が関わった本とは書いていたが自分が共著者であるという事実をあきらかにしなかった。
自分の書いた著書を自分で宣伝することが悪いことだとは思わない。いやむしろ資本主義と自由市場を信じるカカシはそういうことは大いにやるべきだと思う。だが自分で書いた著書をあたかも他人が書いたかのように言ってほめたたえるやり方は感心しない。
では最後にmacskaさんが先のエントリーでおかした間違いとおかしな点をいくつか指摘しておこう。以前にmacskaさんは私の間違いを丁寧に指摘してくださったので恩返しである。
間違い1:リベラルの政策は減税と小さい政府。
今のアメリカの政治界でこんな非常識なことをいう人はいない。リベラルの英雄であるルーズベルト大統領の時代からリベラルの政策は政府が国民の面倒を見るためにその権限は拡大されなければならないというもの。国民年金を最初にはじめたのもルーズベルト大統領だし、現在国民健康保険などをすすめているのもリベラルの政治家たちである。年金を民営化しようなどという話をするのはいつも保守派で、税金をあげないと約束して上げたパパブッシュが大統領選挙の二期目にクリントン候補にまけたのは有名な話。クリントン大統領の時代に税金は大幅にあがった。減税と年金民営化をとなえてリベラルのゴアに勝ったのは今のブッシュ大統領。こうしたことを考えればリベラルが減税と小さな政府を政策としてるなどという考えがどれだけ非常識かがわかるはず。
間違い2:デイビッド・ブロックはゲイだとばれて保守派に見放された。
こんなとんでもないデマを流しているのは左翼ブログくらいしかない。それを信じてるmacskaさんが左翼なのもこれで明白。ブロックの男色趣味は彼が"Real Anita Hill"を書いていた頃から保守派の間でそれを知らないひとなどなかった。macskaさんは保守派は男尊女卑で人種差別者で同性愛恐怖症だと思い込んでいるからこのようなでたらめを信じてしまうのだ。ブロックが保守派に見放されたのは第2作の"The Seduction of Hillary Rodham"(ヒラリー・ロダムの誘惑)を書いている取材の途中でブロック自身がヒラリーに魅力に誘惑されてしまい、ヒラリーを攻撃するための本がヒラリーをたたえる本になってしまったため、保守派の評論家から叩かれて一気に人気を失ったことをすねて保守派評論家に八つ当たりしたのが原因だ。
間違い3:NOWがタリバン批判をやめたのはタリバン政権崩壊後のことである。
NOWがタリバン批判をやめたのはアフガニスタン戦争が始まった時であり、タリバン崩壊後のことではない。それにNOWはあれほどタリバン政権に関してブッシュが何もしていないと批判していたのに、いざブッシュ政権がタリバンと戦うことになった時ブッシュ政権を応援しなかったのはなぜだ?あれほどひどい女性迫害政権がブッシュ政権によって崩壊されたのにブッシュ政権やアメリカ軍隊にお礼の一言もないのはなぜだ?
アフガニスタン戦争を声高に支持しているフェミニストといえば元NOWのメンバーで今はNOWの批評家となったタミー・ブルースくらいだろう。
それに現在でもタリバン政権は崩壊したがタリバンは滅んでいない。macskaさんは今でもタリバンが北アメリカ同盟の軍隊に執拗にテロ行為をして攻撃を仕掛けている事実をしらないらしい。アフガニスタンを追い出されたタリバンは今度はパキスタンに潜入してパキスタン市民の身を脅かしている。パキスタンで起きる女性弾圧や女性迫害行為はタリバンの影響を大きく受けているのだ。タリバンへを糾弾する理由はまだまだある。
間違い4:フェミニストがイスラム教を批判する理由はない。
あのー、だからなんでフェミニストはイスラム教を批判しなくちゃいけないんですか? キリスト教についてだって、キリスト教の教義を口実に女性の権利を侵害するような個別の行為については批判したとしても、キリスト教自体が問題であるとか言い出したらおかしいでしょ。同様に、イスラム教だって女性の権利を侵害するような個別の行為を批判することはあっても、イスラム教自体を批判する必要なんてどこにもないのでは。
macskaさんは以前に『NOW がタリバンやイスラム教原理主義による女性迫害を取り上げていないという点も、まったくのデタラメ。』といっていたのに、それがでたらめでないことをカカシが証明したら、とたんに『どうしてNOWがイスラム教批判をしなくちゃならないんですか』と開き直ってしまった。
女性弾圧がイスラム教の名のもとでされていればイスラム教もしくはイスラム教徒を批判するのは自然だ。特に政権がイスラム教徒でありその国の法律がイスラム教をもとにしたものであればなおさらではないか?例えばサウジでは強姦された女性がむち打ちの刑に処せられ、彼女の女性弁護士までも弁護士資格をとりあげられるなどの弾圧を受けている。イランでは兄弟に強姦されて妊娠した12歳の少女がイスラム教の名の下に石打ちの刑に処せられている。キリスト教国家でこのような国がひとつでもあるというなら教えて欲しい。女性の人権を守るはずのフェミニストがこれらの女性への暴力に沈黙を保つのは何故だ?NOWにはいくらでもイスラム教やイスラム教政権を批判する理由がある。
アップデート:2008年1月8日現在
NOWが対テロ戦争が始まって以来ほとんどイスラム圏の政権を批判していないという話を昨日したばかりだったが、今日NOWのホームページにいってみたら今月4日付けで上記のサウジの件について批判が載っていた。(対テロ戦争が始まってからのイスラム批判は数えるほどしかない。しかもこの記事の前のイスラムに関する記事は2005年にさかのぼらないとみつからないし、それすらも批判的とはいいがたい。)ほ〜ら、NOWはちゃんとイスラム批判をしているではないかと喜ぶのは気が早い。この事件が起きたのは去年の11月半ばのことで、その時にNOWがこのことを批判しなかったとして周り中から叩かれており、私もそのことを米フェミニストの偽善を暴いたモハメッドという熊のぬいぐるみで12月4日にタミー・ブルースの記事を基本に書いている。つまりNOWは周りからたたかれてはじめて批判の記事を書いたというわけだ。しかも、サウジ政府はブッシュ政権の同盟国だというブッシュへのジャブを忘れないところがさすがである。(裁判では、06年3月に集団暴行を受けた女性(19)が、親族でない男性と会っていたとして、禁固6カ月とむち打ち200回の刑を言い渡された。この判決が欧米メディアで報道され、国際社会から非難が集中。アブドラ国王は07年12月、女性の恩赦を決定した。CNNより)
アップデート2:ひょんなことからバックラッシュの批評を書いているブロガーさんを発見した。彼の批評を読んでいて私の解釈が完全にあっていたことが証明されたので非常にうれしい。私は以前に下記のように書いた。
アメリカのフェミニズムでもそうなのだが、女性運動のはずなのに、性(セックス)に関する話題がやたらに出てくるのはなぜなのだろう。だいたいフェミニズムにトランスジェンダー(性転換手術を受けた人)だのmacska教授専門のインターセックス(男女両方の性器を保持する人)だのレズビアンの話が出てくること自体不思議である。しかしこれがジェンダーフリーの「フリー」が性別を無視するとか超越するという意味だと解釈すれば多いに納得がいく。
つまり、人間には持って生まれた女性らしさとか男性らしさというものがあるのではなく、性器によって社会がその役割を押し付けることから違いが生まれるという考え方が根本にあるため、自分の性に混乱のある人たちの意見が注目されるのではないだろうか。
下記は人権・男女共同参画・性etc.の管理人のBruckner05さんによるマルクス主義フェミニストの上野教授への批評である。(ちなみにBruckner05さんはジェンダーフリーへの批判も分かりやすくまとめているので、ご参照のこと。)
■破綻したジョン・マネーの「双子の症例」にしがみつく上野教授, 2007/8/14
今やすっかりその破綻が暴露されたジョン・マネーの狂気の人体実験「双子の症例」を鵜呑みにして、「ジェンダーはセックスから独立」説を展開したのが「差異の政治学」論文だ。「双子の症例」の失敗が明らかでなかった時期に書かれたという言い訳は成り立たない。本書は2002年の刊行である。その時期すでに同症例の失敗は暴露されていた。
同じジェンダーフリー派の伏見憲明氏が1997年刊行の『<性>のミステリー』(講談社)で、同症例の失敗を詳しく紹介して、「性自認や性役割には、ジェンダーよりもセックスが強く作用しているということなのか? 話は再び振り出しに戻った」と、率直に揺れる思いを吐露したのと対照的である。少なくとも本書における上野氏の態度は学問的とはいえない。
なお、一部に、上野氏は「双子の症例」に一切触れていないと上野氏を擁護する向きもあるが、誤りである。上野氏自身が『バックラッシュ!』(双風舎)所収インタビューで、「双子の症例」が反証されたと知っていた、という趣旨の発言をしているからだ。
ジェンダーはセックスから独立などしていない。「社会的に作られたから社会的に変更できる」(上野教授)は大間違いである。ジェンダー独立説に依拠して構築された「男女共同参画」の概念も施策も誤りであり、害悪でしかない。
やっばりそうだったのか。
アップデート3:macskaさんこと小山エミは、私がジェンダーフリーのフリーを「抜き」という意味と解釈したことについて、かなり馬鹿げた解釈だという書き方をしていたが、彼女の過去ログからこんなエントリーを発見した。まずは上記のBruckner05さんのジェンダーレスとジェンダーフリーは同義語であることの根拠から。
ジェンダーフリーはジェンダーレスと違うと言うが、ジェンダーフリーの提唱者で、男女共同参画社会基本法の理念作りに中心的役割を果たした大沢真理・東大教授は、「ジェンダーからの解放=ジェンダーそのものの解消」とはっきり書いている。
これに対して小山エミの反論はこちら。太字はカカシによる強調。
これは、大沢さんがどういう意味で「ジェンダーそのものの解消」と言ったのか、Bruckner05 さんが理解できていないだけ。ジェンダーというのは辞書的には文化的・社会的な性役割や「男らしさ/女らしさ」といったものを指す価値中立的な言葉だけれども、現実にそれは一種の規範として強制力というか圧力を持つわけ。ジェンダーフリーの立場は「性役割の強制はよくない」「男らしさ・女らしさの強制はよくない」というものだけれど、強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない。というか、辞書的な定義はともあれ、現実には強制力を伴う規範的なものが「ジェンダー」として認識されるわけ。大沢さんが「解消」するべきだという「ジェンダー」は、このような規範のことであり、また性別という差異にことさら大きな意味が与えられ違った扱いの理由とされる社会的構造のことでしょ。
「ジェンダーフリーはジェンダーレスとは違う」というのは、「ジェンダーフリーは(保守派が言うような意味での)ジェンダーレスとは違う」と言っているの。保守派が言う「ジェンダーレス」とは、男と女がみな同じことをしなければいけない社会、あらゆることが50%と50%で分けられなければいけない社会でしょ。大沢さんが求めている社会は、そんなのではないはず。大沢さんの言う「ジェンダーの解消」とは、性別を元とした規範がなく、性別にことさら大きな意味が与えられていないような社会を作ることでしょ。
小山エミの議論の仕方を読んでいて分かったことは、彼女は保守派からの批判をよくよく心得ているため、保守派が好んで使う言葉使いを批判し、あたかも保守派の主張する概念そのものが間違っているかのように読者をはぐらかすということだ。フェミニストたちはジェンダーフリーの「フリー」は性を無視するという意味ではなく性別による偏向や差別から解放されるという意味だと主張する。しかし小山自身が『強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない』と言っている。ということは性別によっておきる男女の差を指摘すること、つまり、男らしさや女らしさを個人に求めること自体が性差別であり偏向・バイアスであり強制だという主張だ。となればBruckner05さんは大沢さんの文章を理解していないどころかその本随をついていることになる。ジェンダーフリーのフリーはまさしく抜き・レスなのであり、ジェンダーフリー=ジェンダーレス=性別無視という意味なのである。
関連エントリー:
エクイティーフェミニストからジェンダーフェミニストへ...
ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動
ジェンダーフリーという神話
January 7, 2008, 現時間 9:48 AM
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April 3, 2007
女性ブロガーは狙われる! (ほかの女性からだけど、、)
左翼の女性ブロガーが自分のブログや他のブログで自分に向けられた脅迫を恐れて予定されていた講演をキャンセルするという事件が起きた。このことでワシントンポストなどの主流メディアが注目しネット上での脅迫を批判している。脅迫を受けたのはキャシー・シエラという10代の女性ブロガー。
私は決してネット上の脅迫を擁護する気はないが、この事件で大騒ぎしている主流メディアは右翼女性ブロガーが脅迫され続けてきたこの数年間どこにいたのだ? とカカシは聞きたい。アメリカメディアの左翼偏向は今にはじまったことではないから特に驚きはしないが、右翼女性ブロガーのミッシェル・モルキンや、右翼コメンテーターのアン・コルターがさんざんひどいことをいわれていた時はだんまりを決め込んでいたくせに、ちょっと左翼女性が嫌がらせをされると大騒ぎ。
私自身にも明らかに精神異常をきたしている左翼アラシのストーカーがついている。このアラシは私の実名を某掲示板で暴露し、私の写真やミスター苺の写真を貼付けて、ミスター苺の体型についてここでは再掲できないようなわいせつな内容で何か月にも渡っていやがらせを続けている。しかも性的に嫌らしいことばかり書いているこのアラシはなんと女性なのだから呆れてしまう。
しかし女性ブロガーに性的な嫌がらせコメントを残すのは案外女性である場合が多いようだ。特に左翼女性による右翼女性への攻撃はえげつないものが多い。ドクターヘレンという保守派のブロガーが受けたという嫌がらせの内容をよんでいて、カカシは口をあんぐりとあけてしまった。なぜなら彼女が受けた嫌がらせは私が受けているものとそっくりだったからである。
ブログ社会には男女差別が満載されていることに男性はあまり気が付かない。...私も気が付いたことだが、女性蔑視の嫌らしいコメントを私のブログに残す人の多くが男性ではなく女性である。割合からいって政治ブログの読者は75%が男性であることから考えて、男性からのコメントのほうが多いはずだ...多くの男性は女性のサイトを支持している。そうでなければわざわざ女性ブロガーと言葉を交わしたりしないだろう。正直言って、私がもらったひどく悪質なコメントを残すような人は、決まって私の夫の体型についてひどいことをいったりする卑怯者である。
ドクターヘレンは左翼のフェミニストブログから、彼女のご主人が大学教授であることから、ミセス教授などと言われたという。女性を配偶者の職業を使って呼びかけるやり方は女性蔑視ではないのかとドクターヘレンは問いかける。そういえば、ミッシェル・マルキンも彼女のコメンタリーは白人の旦那さんが代わりに書いてやってるのではないかなどとコメントをする人がいた。また、私に対しても私の意見は主人の意見の受け売りだと書いた左翼サイトがあった。
私は最近女性の政治ブログを調査している人から、ネット上で女性だからと差別を受けたことがあるかと質問を受けた。私は「はい。よく他の女性から受けます」と答えた。そして女性からの攻撃は大抵が控えめなものではなく、容姿に関係するものであることが多い。私はある「フェミニスト」ブログで私の書いたことに異論のあったそのブロガーが「彼女のあの髪なんとかならないの?おえ〜」と書いているのを読んで「なんて意地悪なコメントだろう」と感じた。特にこのブロガーは自分のことをフェミニストと誇っているようだったからだ。
もっとも左翼フェミニストは右翼女性は本当の女性ではないと考えている節がある。
リベラルフェミニストによると保守派女性は本当の女性ではない。グローリア・スタイナムがテキサス共和党ケイ・ベイリー・ハッチンソン女性議員について「女装した男」と言ったことを覚えているだろうか? それからNOWのリーダー、パトリシア・アイルランドが民主党支持者に「本物の」女性候補にだけ投票するように呼びかけたことは? またアル・ゴアのファッションコンサルタント、ナオミ・ウルフが外交分析専門家のジーン・カークパトリック女史にたいして「女性の体で感じる体験から全く影響を受けていない」と批判したことは?
そういえばある掲示板でミスター苺が「うちのカミさんがこういうことを言っていた」と何気なく書いたら、「本当の女がそんなことを言うはずがない。」「お前が結婚してるなど嘘だろう。カミさんは架空の女だ」という投稿が女性から続出したという。(笑)
左翼の考える本当の女性とは左翼の考えを持っているひとたちに限られ、右翼の偽女性はどんな嫌がらせをされても右翼の考えなど持っている以上自業自得とでもいうのかな?
April 3, 2007, 現時間 5:54 PM
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March 24, 2007
人種差別男尊女卑まるだしの、とある左翼ブログへの返答
ちょっと船に乗ってネットアクセス不能な状態が一週間続いているうちに、我が「苺畑より」がどっかのブログにリンクされたらしく、やたらとヒット数が多い日があった。
紹介リンクをたぐっていったら、サイトに南米の共産主義極悪大量殺人革命家チェ・ゲバラの写真が載ってるバリバリの共産主義サイト。なんでこんなサイトが極右翼の我がブログをリンクしてるんだろうと不思議だったのだが、どうやらユダヤ人バッシングが目的だったらしい。この共産主義ブログのリンクしたわがブログのエントリーは「北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧」。それについてこの人間の感想を読めばこの著者がどういう種類の人間がよく分かるというものだ。
カナダの大学でイスラム教徒たちが団結して生徒会を乗っ取り、ユダヤ系サークルをいじめた、という事件だ...アメリカ在住の姉さんがブログしてます。それにしてもこの人、バリバリのネオコンだね。さすが高校出たばかりでアメリカまで逝っちゃうお姉さんは違いますな。こういうの、バナナと呼ぶわけだ。表面は黄色く見えても脳味噌は白人。むしろアジア系の容貌に物凄くコンプレックス持っているんで、過剰適応でバリバリのネオコンになる...
オンナってヤツは頭が空っぽなので、相手によってどうにでも思想が変わるわけだ。この馬鹿も、アラブ人の亭主とくっついたら明日から「パレスチナ万歳! ユダヤ人を殺せ!」とか言いはじめるんだろう。ちなみにこちらで顔を晒しています。キチガイって顔を出すのが好きだったりするよね。誰が、とは言いませんが。
まぁ、ユダヤ系の宗教サークルがいじめられるのなんざ身から出た錆なんでどうでもいいが...
この著者の文章から彼の反ユダヤ主義思想や男尊女卑の偏見がありありと伺われる。だがその話をする前に先ずは間違いから正しておこう。
私のエントリーを読んでもらえば解るが、ヒラルというユダヤ系宗教サークルは生徒会からいじめられたなどという生易しい扱いをされたのではない。彼等は生徒会から学校の正式なサークルとして閉め出され予算を完全に断ち切られただけでなく、ヒラル主催の講演会では観客が暴行を受けるなどのひどい目に合い、暴力的な手段で言論が弾圧されるというすさまじい迫害を受けたのである。
またカカシはネオコンではない。ネオコンというのはもともとリベラルから保守派系になった新しい保守派のことで、中絶問題や同性愛結婚などにはリベラルだが経済的に保守派という人が多い。私は社会的にも経済的にも保守派の旧保守ペリオコンである。もっともブログをやり出して気が付いたのは私は結構中庸派保守で移民問題などでは特にバリバリの右翼ではないらしいということだが。(苦笑)
ではこの左翼ブロガーの人種差別と男尊女卑に話をもどそう。
人種主義の恐ろしさ
まずこの人間がユダヤ系サークルの生徒たちがカナダの大学で「いじめ」の対象にあったのは自業自得だという考えに問題がある。もしコンコーディア大学のヒラルが大学の生徒会を閉め出されるような特定の悪事を働いたというであれば無論これは自業自得といえる。だがこの馬鹿サヨブログの著者がいう「自業自得」とはそういう意味ではない。彼はこのサークルの人間たちと同じ民族の他の人々がカナダではなく他の場所で他民族と紛争を起こしているということの責任がカナダにすむユダヤ人たちにも連帯責任があると言っていうのである。
イスラエルとパレスチナが紛争状態にあり、イスラエルがパレスチナを弾圧しているということが例え事実だったとしても(事実ではないが)、同じ民族の人間だからという理由でカナダにいるユダヤ系カナダ人がパレスチナ系カナダ人からどのような弾圧や暴力を受けても自業自得だという考え。これが人種主義でなくしてなんだろう? この馬鹿サヨブログの全体主義な考えと個人の宗教云々おかまいなしに血族だけを重視して弾圧し虐殺したナチスドイツの民族主義といったいどんな違いがあるというのだ? 個人責任ではなく団体責任を問うというのは、さすが全体主義を主張する共産主義者ならではである。
私はもし同じ大学でイスラム系サークルが大学の規則をやぶっていないのに、イスラム系だというだけで閉め出されたら、それに対しても抗議する。言論の自由とは自分が気に入らない人間のスピーチを尊重してこそ意義があるからだ。
左翼特有の偽善、男尊女卑
だいたい女の容貌でしか女を評価できないような腰抜け男なんぞ最低である。(しかもこんな美人をつかまえて劣等感があるとは失礼な! 笑)しかしそんなことより私が何よりもカチンときたことは、この馬鹿サヨ著者の『オンナってヤツは頭が空っぽなので、相手によってどうにでも思想が変わるわけだ。』という女性蔑視である。
男女平等をモットーとする共産主義者が、所詮女には自分独自の考えを持つなど不可能だと考えるというのも、左翼ならではの偽善だ。
この人間は私がアメリカに来て白人男性と結婚したので、白人文化にかぶれて日本人であることに劣等感まで持ち、夫のイスラエル支持に感化されて自分もイスラエル支持になったのだと思い込んでいる。女の私に自我がないと考えればそう思うのも自然だが、真実はその逆なのである。
私はアメリカに住んでアメリカ人と結婚したからバナナ(外身は日本人だが中身はアメリカ人という意味)になったのではない。カカシはもともとバナナだったからアメリカに移住したのであり、保守派でイスラエル支持だったからミスター苺とうまがあって結婚したのである。
アラブ人とつきあったら反ユダヤになる?
私が自分の周りにいる男性の影響で感化される人間ならイスラエル支持になるような要素は何もなかった。10代の頃まで私のイスラエルに関する知識はすべて父から聞いた一般的な話からくるもので、それは2000年前にエルサレムを去ったユダヤ民族が第二次世界大戦後舞い戻ってきて、その後その土地に住み着いたアラブ人をさしおいてイスラエル国を建国したのが紛争の原因だという内容だった。「アラブの真ん中にユダヤ人の国などつくるから紛争が絶えないのだよ。」というのが父の見解だった。
しかし私がはじめてイスラエルという国を意識しはじめたのは1976年のミュンヘンオリンピックにさかのぼる。この事件は去年あたりに公開されたオリバー・ストーンの「ミュンヘン」という映画を御覧になって知った方も多いと思う。これはパレスチナのテロリストがヤサ・アラファトの直接命令を受けドイツのミュンヘンでオリンピックに参加していたイスラエル選手の宿舎を襲撃、数人を虐殺し数人を人質にとり、ドイツ警察との撃ち合いで人質もろともテロリスト全員死亡した事件である。
この時オリンピック協会はオリンピックを一日も休止せず、テロリストの犠牲になったイスラエル選手らに対して黙祷を捧げることすらしなかった。当時中学生だった私は、オリンピック協会のイスラエル選手へのこの扱いには非常な憤りを覚えた。たかがユダヤ人如きが数人殺されたからなんだというのだ、という反ユダヤ差別意識がありありと見えたからである。
たとえ政権同士が争っていたとしても、だからといって罪のないオリンピック選手をテロ行為で虐殺していいという理屈は成り立たないはずだ。そう思った私は中東の歴史に興味を覚えた。そしてあのあたりの状況を注意をしてみればみるほど、イスラエルやユダヤ民族がアラブ諸国のみならず欧米などを含む世界中から不当に蔑視され差別されているという実感が湧いてきたのである。
カカシがアメリカに来たのはその3年後の1979年。この年はイラン宗教革命の年であり、イランがテヘランにあったアメリカ大使館を襲撃してアメリカ人大使および職員50余名を拉致した年である。(人質はその後444日間にわたって拘束された)また、アメリカはひどいオイルショックを迎えており、車のナンバーが奇数か偶数かでガソリンが買える日と買えない日があった。
この話は思い出してもおかしいのだが、カカシがアメリカで最初にちょっとつきあった男性はなんとイラク人!ラマダンの時に遊びにいってお昼にお茶も出なかったのを覚えている。(もっとも夜は彼のお兄さんのところで鳥の丸焼きを囲んで家族そろってお酒も飲んでないのにどんちゃん騒ぎをやったのも鮮明な思い出だが。)また彼の友達のイラク人はものすごいハンサムで当時キャメルというたばこの宣伝をしていたアラブ系モデルそっくりの男前で私はすっかり岡惚れしていた。
その次に知り合いになった男の子はイラン人。いまでも二人で肩を並べて撮った写真が残っている。私は先のイラク人男性にはあまり興味がなかったので年も近いイラン人の男の子とつきあいはじめたら先のイラク人とイラン人の間でかなり険悪なムードが生じた。その時私は初めてイラクとイランは違う国であり、ごっちゃにしたらどちらからも睨まれると知ったのである。
その後つきあったアメリカ人男性の妹はドイツのイスラム教徒街でベリーダンスを踊ってアルバイトしていたこともあるストロベリーブロンド、彼女からイランの音楽を色々聴かせてもらい、イラン系のクラブで彼女の踊りもみせてもらって、私はすっかりペルシャ音楽とペルシャ料理に惚れ込んでしまった。
当時私はあるユダヤ系の家族の家でホームステイをしていた。この一家は敬虔なユダヤ教徒であり、パスオーバーの儀式など本格的にやっていた。しかしこの家の夫人は非常に意地悪な人で、私を女中としてこき使い、気に入らない時には手をあげたし、挙げ句の果てに盗みを働いたとぬれぎぬを着せて、真夜中にスーツケースと私の持ち物を道に放り投げて私を追い出した。
私の出会った最初のイスラム教徒は親切だったし魅力的で愛嬌のあるひとたちだった。私の出会った最初のユダヤ人は意地悪で冷酷なひとたちだった。私の頭が空っぽで相手次第でどうにでも思想が変わるというのであれば、もうこのあたりでカカシはイスラム教に改宗し、反ユダヤ主義になっていてもよかったはずである。だがそうはならなかった。
私はその時すでにイスラム原理教には大きな問題点があると感じていた。私はホメイニのイスラム教宗教革命によってイランが発展した文明国から7世紀に逆戻りしていくのを目の当たりに見たし、イスラム教の厳格な教えがどれほど男尊女卑で人権を無視したものかを学んだ、その後も中東で西洋人がイスラム教テロリストらに拉致され拷問の末虐殺される事件がいくらも起きた。私にはどうしてもこのような行為をあからさまに支持しているパレスチナ人たちを応援し、イスラエルを嫌う気にはなれなかったのである。
また私が最初に出会ったユダヤ人家族の奥さんは冷酷で意地悪だったが、それをいうなら、彼女の例だけで「アメリカ人てなんて意地悪なんだ」と判断することもできたわけだ。だが私はほかに多くの親切なアメリカ人に出会いそれが本当ではないことを知っていた。だからたった一家族の例だけでユダヤ人全体を判断するなど愚の骨頂であると感じたのである。現に次にお世話になった家族もユダヤ系だったがとても親切な家族だった。
個人主義と団体主義
私は子供の頃から団体と個人とをごっちゃにするのが嫌いだった。だから「連帯責任」という概念が非常に嫌だった。中学の修学旅行の時、翌日の行動を自由行動にするか団体行動にするかという時に、先生方が「今晩全員がお行儀よくしていたら明日は自由行動にする」とおっしゃった。しかし一部の男子生徒が部屋のなかでどんちゃん騒ぎをやらかして、結局我々は自由行動をとれなかった。私個人に全く無関係な他の個人の行動に対して何故私が罰せられなければならないのか全く納得がいかなかった。
また私は全体の調和を保つために個人の好き嫌いは多少犠牲になるべきだという考えにもかなりの疑問をもっていた。なぜならどういうわけか犠牲になって我慢を強いられるのは常に私であり、私と合わせるためにほかのだれかが犠牲になってくれることなど先ずなかったからである。だいたい常に不幸な個人が集まって調和をとった団体にいったいどんな価値があるというか私にはどうしても理解できなかった。
今でこそ男女同権は当たり前のようになった日本だが、私が育った頃の日本はそうではなかった。女は結婚したら仕事をやめ専業主婦をやるのが当然という考えが普通だった。当時の日本の感覚では「独身女性とクリスマスケーキをかけてなんと解く?」その答えは「25を過ぎたらもらい手がない。」などという冗談が平気で言われる世の中だったのだ。つまり、性別や世代によって個人がどのような行動をとるべきかという社会的な規制が非常に厳しい世の中だったのである。男性はお医者さんになったり弁護士になったりエンジニアーになったりする選択の自由があるが、女性は女性だというだけで専業主婦の道しかないのか? なぜ女性には選択の自由がないのだ? 私は常にこの質問を自分に投げかけていた。
高卒とほぼ同時にアメリカに来たカカシは、個人の能力を優先するアメリカ社会でキャリアウーマンがバリバリ仕事をするのをみて「あ〜、これこそが本当の自由だ」と実感した。無論、アメリカも常にこういう社会だったわけではない。アメリカ自身も人種差別や男尊女卑を経て1960年代の市民運動などによって大きく変化した国だった。しかし当時の日本とアメリカとでは女性の活躍の面では雲泥の差があった。
女性でもキャリアを目指せる社会では女性だからという甘えは通用しない。これはある意味でかなり大変な責任だ。自由にはかならず責任がついてくる。自由はただではない。能力次第で成功することが可能な社会では失敗すれば能力がないと判断される。この国でキャリアを目指すなら女だろうと男だろうと実力なくしては勤まらない。つきあう男次第でどうにでも思想の変わる空っぽ頭では生きていけない厳しさがあるのだ。カカシが常に自分の仕事が肉体労働の面で女のやる仕事ではないと感じているのもこうした厳しさがある故だ。
ちなみにカカシとミスター苺が結婚したのは私のこうした人間形成がすでに出来た後のことで、二人が出会ってから丁度20年目の1999年のことである。それまで私たちは親友として政治的な討論をいくらでもしたが、我々の意見はあうことより異なることのほうが多かった。また私たちはそれまでお互いに別々な人たちとつきあいながら、失恋する度に「どうして世の中にはいい人がいないのかねえ」と相談しあったりもしていた。灯台下暗しとはまさにこのことをいうのだろう(笑)。
March 24, 2007, 現時間 7:12 PM
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December 9, 2006
どこまで本当? ねつ造を暴露されてひらきなおるAP
昔からアメリカにしろ日本にしろメディアの報道には偏向があることは情報通のひとなら誰でも感じていたことだろう。だが事実に関する情報に記者の個人的な解釈が加わったとしても、あからさまなやらせやねつ造にお目にかかることは先ずなかった。たまに記者による盗作や事実誤認の記事を読むことはあってもこれは例外中の例外という意識があった。
ところがここ数年、主流メディアの報道には非常に怪しげなものが多くなってきたように感じる。いや、というよりも我々が嘘記事を見抜く手段を得たというだけなのかもしれない。我々が知らなかっただけで、もう何十年もメディアは至る所で読者や視聴者をだましてきたのかもしれない。それで主流メディアはブロガーたちの出現により、これまでの嘘八百がそのまま通らなくなってきていることに対応できないでただうろたえているだけだ。
架空の警察官を証人として過去2年にわたり60以上もの記事をねつ造してきたAPは、この期に及んでもまだ自分らの過ちをみとめないどころか、嘘を暴露したブロガー達に八つ当たりをしている。(Hat tip Hot Air)
AP国際記事の編集員、ジョン・ダニスゼウスキー( John Daniszewski)は火曜日、軍による記事の情報元に関する質問は「ハッキリ言って馬鹿げており、事件の真相をある意味で必死で反論したり隠ぺいしようとしているかに見える」と語った。
ダニスゼウスキー氏はさらに記事を再報道をしたと語り、バグダッドのハリヤー地区に送り返した記者により、さらなる承認を発見。証人は事件を証明できるだけでなく当日のつきつめた詳細を語りその内容が火曜日の午後の記事となったという。元の記事は11月24日の金曜日の掲載された...
その残虐な詳細にも関わらず、イラク内政省の報道官、アブドゥール・カリーム・カーラフ准将は、木曜日この事件はただの噂にすぎないと主張し続けている。
「わが軍を噂の現地に派遣させましたが、(市民が)焼きころされた事件があったという場所で何も発見することができませんでした。
というわけだから、ブロガーたちの疑問は深まるばかり。これにたいしてAP編集長キャサリーン・キャロル女史は、金曜日の夜の会議でAPは不確かな情報に関する質問について、何度も報道しなおすことで答えているとし、これ以上の報道は単に何を言っても納得しないブロガーたちをいきり立たせるだけだと語った。
またHot Airhによれば、キャロル女史は内政省にはシーア派民兵がかなり潜入しており、つい最近までその事実さえ隠していた組織であるから、ジャマール・フセイン警察署長の存在について疑問をなげかけているのも情報操作の一部であると言いたげだ。
しかし、嘘をついているのがイラク内政省であるというなら、APは証人であるジャマール・フセインを紹介すればいいではないか。実在する人物で過去に60以上にもわたるAP記事の情報源となったひとだ、喜んで顔写真の撮影に応じてくれるだろうし、どの警察署のどの事務所で働いているか、彼の同僚や部下の証言も掲載すればいいだけの話。いまのままでは、いったいフセイン警察署長がどの警察署の署長なのかさえ不明なのである。
私が思うに、このじゃミール・フセインなる男はストリンガーと呼ばれるイラク人現地記者の創造だ。欧米のメディアは自社の特派員を危険な戦場へ送り込まずグリーンゾーン付近のホテルに留まらせ、危険な場所からの情報はすべてストリンガーによって集めさせている。
だが、このストリンガーからの情報は確認のできないようないい加減な噂が多く、およそイラクの真の姿を映し出しているとはいえないのである。APは過去にもビラル・フセインという現地カメラマンをやとってテロリストキャンプの内部からの特ダネ写真を何枚も掲載したことがある。しかし、この男、テロリストと強いつながりがあるとして後にアメリカ軍に逮捕されている。この男は殺されたイタリア人記者の遺体の横でポーズをとってるテロリストの写真などをとったりしていた。詳細はミッシェル・モルキンが9月に特集している。(Associated Press and the Bilal Hussein case; by Michelle Malkin)

テロリストと一緒に逮捕されたAPカメラマン、ビラル・フセイン(左)フセイン撮影イタリア人記者の遺体の前でポーズを取るテロリストたち(右)
The Jawa Reportによると、APニュースは一連の架空証人やテロリストカメラマンの起用といった所行を反省するどころか、ロイターが以前にとりあげて全く信用性がないことがあれだけ暴露されている緑ヘルメットの男の写真を復活させているという。(注:この緑ヘルメット男のブログはパロディ) 当ブログでも緑ヘルメットの男のことはかなり書いたので覚えておられる方も多いだろう。(ここへいくAP作成のスライドショーをみることができる。)
それではここで、中東発生の主流メディアによるねつ造記事を振り返ってみよう。
眉唾なイラク米兵による悪事報道: イラクはハディーサでおきたとされる米軍兵による強姦殺害事件。あれだけ騒がれたのに捜査の結果何の証拠も得られず誰も逮捕されなかった。今となっては事件が本当にあったのかどうかも不明。ヒズボラの情報操作作戦! ロイターのやらせ写真を斬る: イスラエルによる爆撃後の損害写真の一連だが、同じ男が別人として何度も登場したり、違う橋が同じ名前で登場したりしている。
ニューヨークタイムスやらせ写真がばれて、苦しい言い逃れ: レバノン、タイヤー市にて遺体として写真をとられた人間は別の写真でぴんぴんしていたことが判明。ニューヨークタイムスはころんでけがをした男性と説明書きをつけるべきだったと苦し紛れの訂正。
イスラエル、ロイターの車を空爆の嘘: イスラエルのミサイルに撃たれたはずのロイターの車。しかしミサイルで開いたはずの穴には古いさび後が、、、
仏テレビやらせ映像を指摘され訴訟起こす: パレスチナによる連続テロ事件をあおるきっかけとなったアブデゥーラ親子の殺害事件。あとでやらせがばれて報道したフランステレビ局と暴露した批評家との間で裁判沙汰にまでなっている。
緑ヘルメット男の正体: 今や有名な緑ヘルメットの男。レバノンで被害があるとどこからともなく現れて子供のなきがらをだきながらポーズをとりまくる変態男の正体。
ほかにもいろいろあるので興味のある読者のかたがたは当ブログの「狂ったメディア」カテゴリーをご参照いただきたい。
こうしてみてみると、我々が得ている情報はいったいどこからどこまでが本当なのか全く分からなくなってくる。最近では主流メディアからの報道では飽き足らないと自ら腰をあげてイラクやアフガニスタンに赴くブロガーたちも出てきた。こうしたフリーランスの記者による報道は主流メディアよりはましかもしれないが、彼等には彼等なりのアジェンダがあるわけで、これとてそのまま鵜呑みにすることはできない。
ではいったい我々一介の市民はどうすればいいのだろうか?
情報過多の現代社会では雪崩のように流れ込む情報の濁流を泳ぎながら、真実を見極める力を養うことが未来に生き残るただひとつの道なのかもしれない。
December 9, 2006, 現時間 11:18 AM
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October 17, 2006
YouTube聖戦に挑む保守派ブロガー達
続いてオンラインビデオの話をしよう。 YouTubeのアップロードされた映像に旗が立てられる仕組みはこの間YouTube、グーグルになって情報操作強化!で説明したとおりだが、要するに自分が気に入らないビデオがあったら、友達と共謀して苦情ボタンをクリックしまくればそのビデオには苦情殺到の旗が立ち、検閲官がその苦情に同意すればビデオはブロックされてしまうわけだ。
特にイスラム教を批判したビデオは世界中の教徒がネットで呼びかけを受けて一斉攻撃をするから、あっという間にブロックされてしまう。それに引き換えイスラム教過激派のテロリストプロパガンダはレーダーの下をくぐってアップされたままになる。全く不公平なシステムだ。
このような苦情攻撃の標的となったあるブロガーThe Jawa ReportはこのYouTube聖戦に真っ向から立ち向かうべく宣戦布告をした。 彼の作戦は非常に簡単だ。
1. 反聖戦(ジハーディスト)ビデオを大量にアップロードする。
2. ジハーディストのビデオに苦情攻撃を加え旗を立てる。
向こうが数で来るならこっちも数で反撃してやるというわけである。
Jawa Reportのビデオは下記。 私はビデオリンクはうまく付けられないのでURLをコピーしてみていただきたい。
最初のはこれまで捏造、やらせとわかったジハーディストによる映像を早いカットでリズミカルな音楽にあわせて編集してある楽しいビデオ。
All Your Fakes Are Belong to Us
http://www.flurl.com/item/All_Your_Fakes_Are_Belong_to_Us_u_190855_original
次のはミサイルに当たると車はどういう損害を得るか、実際にミサイルの当たった車とヒズボラがミサイルに撃たれたと騒いでいた赤十字の車などを比べて面白おかしく写しているビデオ。私は大笑いした。
Rocket Ride (Hezbollywood Remix)
http://www.flurl.com/item/Rocket_Ride__Hezbollywood_Remix__u_190782
はっきりいって、YouTubeは苦情が殺到しても規約に反しないビデオをブロックすべきではない。だが民間の企業である以上YouTubeには自分達が不適当であると判断する映像を差し止める権利はある。自由社会ではYouTubeの放映拒否の権利も尊重されなければならない。
であるから、この問題を解決するためにはYouTubeに抗議をするよりも、保守派や言論の自由を愛する人々が集まってYouTube に対抗するビデオアップロードサービスを始めるしかない。それぞれのサービスが自分達の嗜好にあった規約をつくり、外部からの苦情だけでは放映をブロックできない仕組みにしておけばいいのである。
ネット技術は目覚しい発展を遂げている。YouTubeが放映を規制しすぎれば、ライバル企業が現れるのは時間の問題だ。自由社会の問題は市場が解決してくれるものなのである。
October 17, 2006, 現時間 1:58 PM
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ネットビデオ、EUの言論弾圧陰謀
この間私はYouTubeの検閲が最近とみに厳しくなり、特に保守派のビデオが次々にブロックされている話をしたばかりだが、今度はヨーロッパ連合がネット上の活動写真(古い言い方だけどこれが最適な表現)はすべて、公共放送と同じような規約に従わなければならないという法律を作ろうとしている。現在これに反対しているメンバーはイギリスだけ。
テレビ、ラジオ、映画など、は放送規約というものがあり言葉使いやその他の内容まで厳しく取り締まられている。だが、このような規約をアマチュアビデオにまで拡大するとなれば、必ずこれは言論弾圧へとつながる。特にPC(政治的に正しい=左よりの意見)に気を使うEUが取り締まるとなれば、「北朝鮮を攻撃せよ」などというビデオは一発でお陀仏である。また私がここで繰り返しているような、ヨーロッパの過激派イスラム教批判などは、「憎しみを増発する言葉使い」(Hate Speech)として許可されないに決まっている。(その代わりイスラム教徒がユダヤ人はすべて海に追い込むべし、などとやるのは素通りすること間違いなし。)
個人個人が自分の意見を勝手にビデオにしてアップロードし友達の間だけで見ているものまでEUが取り締まることになったら、それぞれの国で保障されている言論の自由など投げキッスをしておさらばしなければならなくなる。冗談ではない!
EUのやることなので、アメリカや日本は口出しできないが、イギリスにはぜひともがんばってこのような言論弾圧提案はつぶして欲しいものである。
参考: EU wants to stifle videobloggers, By Michelle Malkin
October 17, 2006, 現時間 1:05 PM
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October 15, 2006
YouTube、グーグルになって情報操作強化!
私の好きなラジオDJ、ローラ・イングラムが、リンクしていたパロディのビデオがYouTubeからブロックされて観られないと聴取者から苦情が殺到したとラジオではなしていた。ちょうどその前日にも保守派のブロガー、ミッシェル・モルカンも自分がアップしたビデオや保守派仲間の口座が差し止めになったとブログに書いていたのを読んだばかりだった。
なんで突然私のすきな人たちがアップしたビデオが次から次へとブロックされているのか、と思っていたら、YouTubeがグーグルに買収されたというニュース。その翌日から、保守派政治家のアップした選挙運動ビデオがどんどんブロックされるようになったという噂が流れはじめた。しかもリベラルのビデオはそのままだという!
なんか陰謀を感じるぞ〜!
そこでちょっと検索してみたらこのような記事を見つけた。(YouTube blocked video mocking Clinton administration)
YouTubeがブロックしたビデオのひとつ、金正日とクリントン時代のSecretary of Statesであったオルブライト長官がシャンペンを飲んでいるビデオ。裸の女性も出てこないし、暴力も使われておらず、放送禁止用語も使われていない。YouTubeの規約に反するような内容では全くない。
このビデオを御覧になりたい方はHotAirから間接的に観ることができる。
YouTubeはこれまでにも政治的に正しくない(別な言い方をすれば保守的な)ビデオをブロックしてきたことはあったが、グーグルになってからそれが非常にあからさまになっている。
例えば先に述べたビデオはクリントン前大統領を批判したものだが、YouTubeはブッシュ大統領が暗殺される映画の広告ビデオはブロックしていない。YouTubeの反保守派情報操作はそれだけではない。これまでにもイスラム教に批判的なビデオを次々にブロックしておきながら、反キリスト教ビデオはそのままになっていたりする。
YouTubeは誰でもどんなビデオでもアップすることができる。テレビ番組を一本そのままアップしたりすることもできるので、ポルノ並のものがあったり非常に暴力的な映像なども平気でアップされる。ただ視聴者から苦情があまりにも殺到した場合には旗がたち、YouTubeの調査官が見直してブロックするかどうかを決めるらしい。ということは政治的に気に食わないビデオなら仲間と凶暴してYouTubeに苦情のクリックを殺到させれば、どんなビデオにでも旗をたてられることになる。
YouTubeの調査官がリベラルで保守派のビデオが嫌いなら、ここで完全に保守派ビデオを抹殺することができるわけだ。
グーグルは元々リベラル偏向があるといわれているサーチエンジン。そのグーグルがYouTubeを買収したとなると、今後この情報操作はもっとひどくなることが予想される。
October 15, 2006, 現時間 2:43 AM
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