February 22, 2007

エルサレム、なぜ通路修復工事が問題なのか

今、イスラエルのエルサレムでは宮殿に続く通路の修復工事を巡ってイスラム教徒による暴力沙汰が起きている。下記は9日の毎日新聞の記事。

エルサレム旧市街のイスラム教の聖地ハラム・アッシャリーフ(ユダヤ名・神殿の丘)につながる通路の修復工事を巡り、金曜礼拝に集まったイスラム教徒が9日、投石などで激しい抗議行動を展開、イスラエル警察が聖地に入場してゴム弾や催涙ガスを使用する事態に発展した。死者はいない模様だが、双方に負傷者が出た。

 イスラム教徒はイスラエル当局が実施している同工事について「聖地が破壊される恐れがある」と激しく反発。指導者らが9日の礼拝にあわせて大規模な抗議行動をするよう呼びかけていた。

 高台にある聖地の下部にはユダヤ教徒が祈りをささげる「嘆きの壁」があり、投石が始まった後、イスラエル警察はこの付近からユダヤ教徒らを退避させる一方、聖地に入場して催涙ガスなどを使用した。イスラム教徒の一部は聖地の「アルアクサ・モスク」内に陣取るなどして抗議を続けた。毎日新聞 2007年2 月9日 21時22分

いつものことではあるが、イスラム教徒側の主張はただの言いがかりだ。この通路はテンプルマウント(神殿の丘)にあるアルアクサ・モスクに続く道ではなく、丘の下部にあるユダヤ・キリスト教の聖地へとつながる通路である。第一、イスラエルはこれまで存在しなかった通路を新しく建築しているわけではなく、すでに存在していた通路が数年前の地震で破壊された際に臨時に建てられた木造通路を、もっと安全な通路へと修復するために工事をしているに過ぎない。通路がモスク破壊につながるというのであれば、とっくの昔に破壊されていたはずである。以前にもイスラムは惜しみなく奪うで書いたように宗教的に価値あるものを破壊するのはイスラム教徒のほうでありユダヤ教徒ではない。

では何故、モスレムたちはこの修復工事にこうもムキになっているのだろうか。実は丘の上から聖地へつながる通路はモスレムが管理しているため、イスラム教徒以外の信者は通ることができない。モスレム以外の信者が聖地へいくためには下部にあるこの通路を通る以外にないのである。つまり、モスレム達はインファデル(不信心者の意味)が聖地に入るのを全面的に阻止しようとしているわけだ。

この話を理解するためには神殿の丘にまつわる歴史的背景を振り返ってみる必要がある。ここでウィークリースタンダードに掲載されたこの記事を参考に考えてみよう。(Ramping Up the Violence, The truth about the Temple Mount controversy. by David Gelernter, 02/26/2007, Volume 012, Issue 23)

先ず考古学の立場から考えてこのあたりは遺跡の宝庫である。ローマ時代から種々の文化が建築しては破壊してきた歴史が地下何層にも渡って埋まっているのだ。であるからイスラエルの考古学者やオーソドックスの宗教家の間でも古い通路のある場所には問題があったため、修復される際にこの通路をどこに建設するかでかなりもめていた。

しかしながらイスラム教徒が通路修復を反対しているのはこのような考古学上の立場からではない。

神殿の丘はエルサレムにあるWagfと呼ばれるイスラム教機構によって管理されているが、丘におけるどのような発掘作業も工事もWagfはイスラエルの承認を得なければ着工できないことになっている。1996年、イスラエル政府は何故か大きなイスラム教地下聖廟の建設を許可した。工事がはじまるとイスラム教徒たちはさらに「非常出口」の必要性を主張。イスラエル政府はこれもまた許可してしまった。

神殿の丘は考古学的にも遺跡の宝庫であると書いたが、Wagfはこの土地における発掘をかたくなに拒んできた。おかげでこの土地にはまだまだ発掘されていない遺跡がぎゅう詰めになっていたのである。その貴重な遺跡がこの「非常出口」工事の際に2000平方メートルにわたり6000トンという莫大な量の土とともに運び出されてしまった。しかもこの土はごみため場に無造作に積み重ねられ放ったらかしにされたうえに、その上に積もったゴミで遺跡もなにもごっちゃになってしまったのである。

これには世界中の考古学者が悲鳴をあげて当時のイスラエル首相エクード・バラク氏にイスラム教徒による工事をやめさせるよう嘆願した。

「世界の世襲財産がダンプトラックによって運び出されてしまっている」とビビカル・アキオロギー・レビュー(聖書考古雑誌)の編集者ハーシェル・シャンクス(Hershel Shanks) は2000年7月のワシントンポストに書いた。「エルサレムの神殿の丘に存在する遺跡を大切に思う人々ならだれもイスラエルがWagfを止められないことに怒るべきだ。Wagfは違法にイスラム教徒だけでなくユダヤやキリスト教徒にも歴史的に貴重な遺跡を破壊している。」

イスラエルでは政党を超えた何十人という著名人がバラク首相にこの破壊をやめさせるようにと嘆願書を送ったがバラク首相は聞き入れなかった。当時バラク首相はパレスチナとの「ピースプロセス」と呼ばれた和平交渉を進めるのに必死でイスラム教徒をやたらに刺激したくないという方針をとっていたからだ。

しかし神殿の丘の管理人としてはおよそ適切ではないイスラム教のWagfなるものが神殿の丘を牛耳っているのか、これもイスラエルの長年に渡る妥協政策が仇になっている。

1947年に国連が英国パレスチナにユダヤ教とアラブの政権を隣同士に創設した際、エルサレムはどちらにも所属しないということで国際化されるはずだった。シオニストたちはこれを受け入れたがアラブ人たちは拒絶した。そして1948年の5月レバノン、シリア、イラク、エジプト、そしてトランスジョーダンのアラブ連盟の連合軍は新しいユダヤ国を攻撃した。彼等はエルサレムを破壊することには失敗したが神殿の丘が建つ旧市街のある、エルサレムの大事な半分を獲得した。その後20年間にわたってヨルダン王国はユダヤ人の旧市街への入境を阻止し西の壁への通路を拒否した。そして彼等は避難したユダヤ人の代わりに組織的に市にあったユダヤ教寺院を次々に破壊した。

1967年(六日戦争)にエジプトが率先して起こしたイスラエルへの攻撃の際、イスラエルは神殿の丘を取り戻した。その時イスラエルはヨルダン人がユダヤ教徒の墓地を掘り起こし墓石を使って道路や公衆便所の建設に使っていたことを知ったのである。

にも関わらずその直後イスラエルは一方的に丘の管理をWagfに引き渡した。これはバラク首相が30年後にWagfによる丘の冒涜を許したのと全く同じ、みじめな胸が張り裂けるほど切実な友情と戦争はもうしたくないと言う渇望からの仕草だった。

むろんこの好意がイスラム教徒によってどのように「恩返し」されたか我々はよく知っている。

先週私はエルサレムの市長が修復工事を一時停止すると発表したのを聞いた。イスラエルがイスラム教徒に好意から妥協する度にイスラム教徒らによる敵意はつのり、その憎悪は一層深まる。もう何十年もの歴史がそれを証明しているではないか、なのに何故イスラエルは同じ間違いを何度も繰り返すのであろうか? 神殿の丘はユダヤ教徒によって建設された大事な丘である。そしてこの土地はユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒にも、そしてイスラム教徒にも大切な聖地なのだ。それをイスラエル政府は遺跡などには何の興味もない野蛮人に明け渡してしまったのだ。

これまで破壊の限りを尽くしてきたイスラム教徒たちがアル・アクサを守るために通路の修復工事を阻止しているなどというのは偽善も甚だしい。かれらは聖地を自分達の手で破壊し続けるのをユダヤ教徒やキリスト教徒に邪魔されたくないだけなのだ。

February 22, 2007, 現時間 5:39 PM

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

トラックバック

この記事のトラックバックURL: http://biglizards.net/mt4.21/agakhantrack.cgi/1812

コメント

前のコメント

登録ありがとうございます。 さん コメントを残して下さい。 (サインアウト)

このサイトへ初めて投稿される場合には、サイト主による承認が済むまで投稿が画面に現れないことがあります。しばらくお待ちください。


登録者を記憶する(URL必要)


© 2006-2015 by 苺畑カカシ - All Rights Reserved