日付け → →May 27, 2015

イスラム教ギャングに乗っ取られたイギリスの町、何千と言う少女たちが十数年に渡って強姦され続けている!

もう数年前になるが、2008年に私はイギリスに住むライオンハートというブロガーの話をしたことがある。彼は自分の住むイギリスの町がイスラム教徒暴力団に牛耳られて地元の婦女子が無理やり売春させられたり、麻薬売買の巣窟になっていくのを憂いて、それについてブログに書いていたところ、イギリスの人権擁護法という悪法のもとに逮捕されてしまった。 地元の政治家や警察はモスレムギャングによる少女(若い子は12歳くらいから)強姦が普通になっていることをイスラム教有権者の票を失うことを恐れて黙認してきた。警察も暴力団と癒着してモスレムギャングのやることは完全放置。かえってギャングの悪行を告発したライオンハートのような善良な市民を反対に逮捕したりしてきた。

あれから7年経った今になって、やっとイギリスの町で起きているモスレムギャングの長年にわたる千何百という少女たちへの連続強姦が明るみになってきた。

今年2月のWNDフェイスサイトの記事から読んでみると、去る2月、ロサーハム(Rotherham)市の市議会全員がイギリス政府によって辞職させられた。それというのも長年にわたるパキスタンイスラム教徒ギャングによる千何百という未成年の白人少女たちへの度重なる強姦を見てみぬ振りをしてきたばかりか、その犯罪を隠蔽していたことに関する責任を負わされたのだ。

政府の調査によると、主にパキスタン人を中心とするモスレムギャングたちは1997年から2013年に渡り、何千という子供たちを強姦し続けてきた。だが地元政府は政治的に正しくあることに執着し、人種差別者の汚名を着せられるのを恐れるあまり、この凶悪犯罪に目を瞑ってきた。地元政府関係の職員はイギリスの白人たちは人種差別者の汚名を着せられることを極端に恐れるあまり、モスレムギャングたちに抵抗できなかったのだと証言している。

市は市で起きるさまざまな問題に関して、人種にからむ問題はことごとく隠蔽し、市職員にも人種に関する話はしないようにと口を封じていた。職場での会話のみならず、近所のパブなどでのプライベートな会話すらも禁じていたという。

警察もモスレムギャングの息がかかっているため、少女たちが訴えても取り合ってくれなかったと少女の一人は証言している。ある時午前2時ごろ集団強姦されて自分の血や汚物でびっしょり濡れた姿で警察に駆け込んだ少女は、警察官から相手にしてもらえず追い返されたという。

他にも少女たちは割れたガラスのビンで暴行されたり、銃を頭に突きつけられて野蛮人の足に口付けさせられたと訴えている。だが警察官は警察の時間を無駄使いしているとでもいうような態度で少女たちをあしらった。それでも自分は暴行されたと訴えた少女たちは反対に逮捕されたりした。

これが文明国イギリスで起きていることなのか?サウジアラビアやUAEならともかく。

パメラ・ゲラーがインタビューした女性は、自分を強姦した100人近い男たちが、公然と今でも町を歩いている。顔を合わせないようにこの女性は常に変装して町に出るという。地元のタクシーの運転手はほとんどがモスレムギャングかその手先。地元のファーストフードレストランの営業者もほとんどモスレムギャング。

怒った地元市民たちは、Rotherham市議会に対して刑事犯罪責任を負わせるべきだと署名運動を始めた。

政府調査書の著者ルイーズ・ケイシーは、市議会は人種差別をしないようにとするあまり、かえって市民を傷つける結果を招いたと書いている。

ケイシーは市議員たちが市で起きている問題、特に強姦について討論することを避けていたのは、ブリティッシュナショナルパーティやイングリッシュディフェンスリーグといった極右翼の政党に悪用される可能性を極度に恐れていたからだという。つまり自分らの権力を維持するために市民、特に子供たちの、人権を完全に踏みにじり、十数年も子供たちへが拷問し続けられるのを目を瞑っていたというのである!なんたる非国民!地元市民が怒るのは当たり前だ!

外交問題分析者でイスラム教に関する書籍の作家でもあるサージ・トリフコビック(Serge Trifkovic)氏は、イギリスモスレムギャングの行動は、征服した土地のインファデル(非イスラム教徒)と呼ばれる地元民に対する典型的な態度だという。

現在ISISが占拠した土地では、地元の男たちは虐殺され少女や女性たちが集団強姦されては性奴隷として売りさばかれている。これはイラクでもシリアでもアフリカでも全く同じことが起きている。イスラム教には征服した土地のインファデル女を集団強姦し続けることが勝利者として当たり前の行為という野蛮な因習があるのだ。トリフコビックによると、ロサーハムのモスレムたちは、あたかも市を征服した戦争勝利者のように振舞っているという。

反イスラムテロリスト運動家のパメラ・ゲラーもコーランには非イスラム教の女性を性奴隷とすることを良しとする説がいくつかあると語る。

旧日本軍による韓国婦女子強制連行だの性奴隷制度があったと騒いでいる人々は、今現在イスラム暴徒が世界中でやっているこの行為に目を向けてもらいたい。強制連行とか性奴隷というのはこういう恐ろしい行為を言うのだ!貧しい家庭の子供たちの身売りと一緒にしないで欲しい。全く!

こういう場所はなにもイギリスだけに限らない。今やヨーロッパ中でモスラム暴力団に制覇されて警察も入っていけない「ノーゴーゾーン」(対入り禁止地域)が幾つもある。

私が頭にくるのは、モスレムギャングたちの暴虐よりも地元市民及び政府の無抵抗さにある。トリフコビックやゲラーが言うように、モスレムがこのような野蛮な行為を繰り返すのは奴らの自然な状態であるから特に驚かない。だが、何故このような悪行を地元政府は放置しているのだ?何故自国がモスレム暴力団に内側から乗っ取られていくのを指をくわえて観ているのだ?

ニューヨークのゲイトストーンインスティトゥートのソエレン・コーレン(Soeren Koren)氏はヨーロッパ諸国の多様主義が講じてイスラム教移民を一般人から隔離してきた方針に問題があると語る。

トリフコビックもゲラーもこのような状態はこの市だけに限らず、イギリス各地で起きているに違いないという。それはライオンハートが2008年にルトン(Luton)という自分の住む町でパキスタンギャングが地元の白人少女たちに強制売春させているという話を書いていたことを思えば、あきらかにローセンハム市だけの問題ではない。

何故今になってローセンハム市の問題が明るみに出たのか解らないが、よその市でも地元政府や警察がイスラモフォビアの汚名を着せられることを恐れて何もできない状態が続いていることは間違いない。この間も、ロンドンのラジオアナウンサーが14歳の娘のためにタクシーを呼ぶ際、アジア人ではない運転手を指定したいと依頼したところ、「人種差別者だ!」と言われてタクシー会社が彼女の勤めるラジオ局に苦情を述べ、なんとこのアナウンサーは首になってしまった。

イギリスのタクシー運転手がモスラムギャングに牛耳られていることは周知の事実。そしてこれらのタクシー運転手による強姦が後を絶たないのも誰もが知っていることなのだ。にも関わらず、それを口にしたら人種差別者として仕事を首になる。イギリスには言論の自由はないのだ。

二年前にもオクスフォードシャイアーカウンティ議会が地元モスレムギャングたちによる思春期前後の少女たちへのグルーミングと呼ばれる連続強姦を阻止しなかったとしてthe British National Society for the Prevention of Cruelty to Children (NSPCC)という市民団体から批判された。この裁判においても犯人のモスレムギャングたちは地元政府や警察の目と鼻の先で堂々と犯罪を繰り返していたことが明らかになった。NSPCCは地元警察の積極的な黙認を指摘している。

ダービー市の政治家ジャック・ストローがパキスタン人にとっては白人少女たちは簡単に手に入る獲物だと語って激しい批判を受けた。先の裁判の裁判官は犯人と被害者の人種は単なる偶然で、こういうことはイギリス各地で起きているなどとぬかしたという。

普通のイスラム教徒ではないイギリス人の男たちが地元女性を何年にも渡って性奴隷にしているという例があるなら教えて欲しい。いったいイギリス及びヨーロッパ諸国は何時までイスラム暴力団の言いなりになるつもりだ?そうやって戦争もしないで内側から自分らの国々をモスレム野蛮人に乗っ取られてもいいのか?

イギリスよ目を覚ませ!イスラムに国を乗っ取られるな!

May 27, 2015, 現時間 1:07 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 25, 2015

イスラム教徒のゲイバッシングを隠すメディア

最近シアトルやサンフランシスコといった左翼リベラルが牛耳る都市でイスラム教徒によるゲイバッシングが頻発している。ここでいうバッシングというのは文字通り暴力である。にもかかわらず地方メディアはこれらの事実を報道しない。どうやらリベラルメディアにとってイスラム教徒はゲイより権力があるらしい。

今年(2015年)の2月、サンフランシスコではゲイ男性を狙ったBBライフルによる攻撃がなんと一晩に11件も起きた。パメラ・ゲラーによると、にもかかわらずSF市の検察官はその事実を隠し、メディアに報道しないよう圧力をかけたという。

一人の男性は道を歩いていて突然おもちゃのBBガンで顔を撃たれた。BBガンは実弾ではないが硬いアルミの玉が出るので、撃たれたら結構痛い。目などに当たれば失明する可能性もある。小鳥などはBBガンで殺すことも可能。被害者の通報で警察が出動し犯人の三人はすぐに捕らえられた。

犯人たちは従兄弟同士のイスラム教徒三人で、自分らの犯罪をビデオに撮っていた。しかもこのビデオには他にも、その晩に彼らが襲った10件の犯罪が録画されており、どれもこれもゲイを狙った攻撃であることがわかった。(ゲラーのサイトに張ってあったビデオはユートゥーブが取り下げたらしく観られない。)ビデオには三人が笑いながら被害者に玉を撃っている映像が写っていたという。

シアトル(ワシントン州)では、アリ・ムハマッド・ブラウンなる男が二人のゲイ男性を殺害した罪で起訴された。ブラウンは以前に連邦警察(FBI)から海外のジハディースト支持のイスラムグループに入ろうとしたとして起訴されたことがあった。しかしこの事実は二人のゲイ男性殺害事件の記事には掲載されなかった。

ニューヨークにあるゲイナイトクラブがイスラム教徒によってガソリンをぶちまかれて放火された。しかしこの放火事件も犯人の宗教やホモフォビックの動機については報道されなかった。

ついこの間の5月19日、テキサスのレストランで二人のゲイ男性が一人のイスラム教徒によって椅子で頭から殴られるという事件が起きた。犯人はバイナ・エル・アミンというイスラム教徒で、いま逃走中。現場にいた証人の話によるとエルアミンはゲイを侮辱する言葉を発しながら攻撃したという。ビデオに写った攻撃は、暴れるエルアミンを回りの人たちが止めようとして、一旦は収まったかに見えたときに、後ろを向いた男性たちに向かってエルアミンが木の椅子を振り上げて頭から振りかざしてすごい勢いで殴るシーンがはっきりと見える。向かい合っての喧嘩ならともかく、油断している相手に後ろから襲い掛かるという卑怯さ。さすがイスラム教徒だ。やり方が汚い。これについても地元の警察は犯人は犯罪の常習犯だとは言ったが、ホモフォビックのイスラム教徒だとは発表していない。

白人警官による黒人犯罪者の射殺はそれが正当防衛でも大騒ぎするメディアも、何故か犯人がイスラム教徒の場合は被害者が普段ならメディアびいきのゲイたちですら沈黙するというこの有様。これがキリスト教徒によるゲイバッシングだったら今頃メディアはヘイトクライムだとかなんだとかが鳴りたて、サンフランシスコではゲイプライド行進なみのデモ行進が起きていること間違いなし。ところが加害者がイスラム教徒だと普段はうるさいゲイたちすら沈黙を守るというのはどういうことなのだ?

無害なキリスト教ケーキ屋に嫌がらせをしている暇があったら、自分らを襲いまくっているホモフォビックのイスラム教徒相手に立ち向かったらどうなのだ?自分らの身の安全よりも左翼リベラルの政治的に正しいことのほうが大事なのか?

仲間がいくら殴られても、ゲイバーが焼かれても、そうやって黙っているつもりなのか?

なんと情けない偽善者たちなんだ!

May 25, 2015, 現時間 2:10 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 24, 2015

リベラルによる言論弾圧、リベラルジャーナリストの告発

この間から私は言論の自由について色々書いてきた。日本もアメリカも建前は自由社会で言論の自由は保証されているはずだが、何かと言論を規制する動きはあちこちで見られる。これは日本でも同じようなことが言えるが、リベラルによる言論弾圧は最たるものだ。長年リベラル派でジャーナリストのクリスティーン・パワーズの新著The Silencing: How the Left is Killing Free Speechは、いかにリベラルメディアが統一思想を強制し反対意見の言論を弾圧するかという内容。

この間、ラジオでパワーズがこの本について語っていたのだが、昔はリベラルこそが自由社会のリーダーとして体制の言論弾圧に立ち向かうという姿勢だったのに、いったん自分らが体制となると、他の意見や思想は徹底的に弾圧する姿勢へと変わってしまった。リベラルにとってリベラルであることが普通なので、それ以外の考えは受け入れられないという姿勢をとると言っているのを聞いた。

私から言わせると、今更何いってんの?という気もしなくはないのだが、ずっとリベラルというぬるま湯にどっぷりつかっているとジャーナリストといえども外のことが見えないようだ。

面白いなと思ったのは、パワーズはフェミニストを自負してきたが、昔クリスティナ・ホフサマーズの「誰がフェミニストを乗っ取ったのか」という本が出版された時、周りのフェミニストたちから『ホフサマーズは過激派右翼保守だから、彼女の書いたことなんか読む必要はない。』と言われたのを真に受けて読まなかったという。だが、後になって興味が沸いて読んでみたら『へえ~いいこと言ってるじゃない』と思ったんだそうだ。

これを聞いていて数年前、小山エミもホフサマーズのことを「極右翼といっていいほどの保守派論者」だと言っていたのを思い出した。

やっぱりリベラルの間ではリベラル思想にちょっとでもたてつく人間は「極右翼」とか言われて黙らされるようだ。実はホフサマーズは自分のことをリベラルな民主党支持者だと言っている。最近の彼女のブログでそう書いてる。カカシから言わせれば昔はともかく、最近のホフサマーズはかなり保守派だと思うね。いい加減自分でそれに気づいてくれないものだろうか?

ま、それはそうとして、リベラルであることが普通なのだから右翼保守の意見は聞かなくてもいいといわれて素直に、はあそうですか、と聞いてしまったパワーズの姿勢もおかしなものだ。我々保守派はリベラルの考えは嫌でも聞かされているが、そうでなくても敵対する相手が何を言っているのか知っておくのはよいことである。

リベラルが違う意見を徹底的に弾圧するのは、単に相手の人格を否定したり侮辱したりといった程度ことでは済まされない。ホフサマーズが大学などで講演をしようとすると、先ずリベラル生徒たちが学校に抗議して講演そのものをやめさせようとする。学生以外の外部の団体もホフサマーズは「強姦促進者だ」「ヘイターだ」とかいって抗議文や電話攻撃をし、臆病な大学側が講演の招待を取り下げるなんてことはしょっちゅう。それがうまくいかず実際にホフサマーズが学校に現れれれば、講演会場で騒音を立てたり、会場の前で抗議デモをやったりする。時には講演を聴きに来た観客に暴力を奮ったりする。

こういう扱いを受けているのはホフサマーズに限らない。自分らが敵対する相手にこういうことをしてきたラディフェムたちも、今やトランス批判が原因で自分らも言論の場を奪われている。講演約束していた大学へ行ってみると突然キャンセルされていたり、なまじ講演が可能になっても暴力的脅迫を受け厳しい警備が必要だったりする。

昨日紹介したノースリッジ大学のロペズ教授も、同性の両親に育てられた苦労話をしたおかげで、出世を妨げられたり、学問調査の費用を取り下げられそうになったり、他の大学での講演を次々にキャンセルされたり、家族の身の危険を感じるような脅迫を受けたりしている。

最近結構リベラルジャーナリストの間からもこういう意見を聞くようになった。だが一旦リベラルのファシスト的考えに気がついてしまうと、リベラルを続けていくのは難しくなるのではないかと思うが、どうなのだろうか?

May 24, 2015, 現時間 9:41 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 23, 2015

同性カップルに育てられた子供たちの悲痛な叫び

同性の親に育てられた子供は後になって苦労するという話を以前したことがあるが、最近になって、同性に育てられて成長した子供たちの間で同性婚に反対する声が聞かれるようになった。同性同士の結婚を認めるということは単に好きな同士が一緒になるというだけでは事は収まらない。今、米国最高裁は同性結婚の合法性について審議の最中だが、同性カップルの家庭に育った当の子供たちの言い分は十分に吟味する必要があると思う。

レズビアンカップルに育てられたケイティ・ファウストという女性は、最高裁判官で同性結婚に同情的と思われているアンソニー・ケネディー裁判官に宛てた手紙のなかで同性カップルに育てられた子供たちが、どれほどつらい思いをしているか、子供たちのためにも同性婚を合法化してはならないと切々と訴えている。

ファウストは子供には父と母が必要だとする。そして同性婚はその自然な家族構成を破壊するものだと主張する。

出産と子育てということに関しては、同性カップルと異性夫婦とでは全く同率ではない。子供たちのためにも二つの形は全く別に扱われるべきである。

故意に子供たちから根本的な権利を剥奪するような方針を我々は支持したり強制したり促進したりするべきではない。

実体験から来る思想だけに、彼女の言葉は鋭く厳しい。彼女は子供の頃、母親とそのパートナーの顔をうかがって如何にレズビアンに育てられている自分が幸せかと同性愛社会の集まりなどで語っていた。無論それは嘘だった。本当は実の父と母が離婚したことはファウストにとって一生涯で一番傷ついた出来事だった。彼女は周りの女たちを決して嫌っていたわけではないが、この女たち全員と父親ひとりを取り替えることが出来るなら何時でも取り替えていたという。

また、最近同性カップルに育てられた子供は異性夫婦に育てられたこどもより賢く育つなどと言う怪しげな調査結果が発表されたりしているが、それに関してもファウストは、離婚や未婚や死別などで片親を失った子供たちに関する悪影響は社会学的に証明されているにも関わらず、同性家庭で異性の片親が失われることが、子供たちに全く悪影響を及ばさないなどというのはおかしいではないかと問いかける。

やはりレズビアンカップルに育てられたへザー・バークウィットという女性もフェデラリストへの投書のなかで、同性カップルに育てられた子供が、失われた異性の片親を恋しく思う気持ちを訴えることは難しいと書いている。バークウィットは父親と別れた母親とレズビアンの恋人の二人に育てられた。バーウィックは同性両親とその仲間のLGBT社会の中で生きてきたため、LGBT社会には少なからず親近感を持っているという。だが、それでも父親が居ない環境というのは非常に寂しかったという。

同性婚は結婚の定義を変えるだけでなく、子育ての定義も変えてしまいます。それは貴重で根本的な家族構成を否定することを促進し普通化するのです。それは私たちが必要とし深く求めるものを否定し、同時に我々が自然に渇望するものを不必要とするのです。私たちは大丈夫だ、私たちは傷ついていないと。

でも誰がそれについて語ることが出来るかといえば、それは私たちなのです。(略)

わたしたちのような同性の両親を持つ子供たちには(他の子達のような)声が与えられていません。私だけではありません。私のような子は他にも大勢居ます。多くの人はあなた方に言うのが怖くて何も言えないでいます。なぜならあなた方(同姓カップル)は何故か私たちの言うことを聞いてくれないからです。あなた方は聞きたくないのです。私たちが同性の両親にそだてられたことで傷ついているなどといったら、私たちは無視されるかヘイターという汚名を着せられるだけでしょう。

同じフェデラリストに載った、バークウィットの手紙は生ぬるいとばかりに同じくレズビアンカップルに育てられたブランディ・ウォルトンが同姓カップルに宛てた手紙は、もっと手厳しい。バークウィットが今でもLGBT社会に少なからぬ親近感を持っていると書いたのに対しウォルトンは、

LGBTのような不寛容で自己中心で、他人には熱烈な情熱で寛容を求めながら、そのお返しは絶対にせず、時には仲間にすら不寛容な社会に、私は絶対に迎合しない。(LGBT)社会は彼らに同意しない人は誰彼かまわず攻撃する、違う意見がどのように愛情をこめて表現されようとお構いなしである。

ウォルトンは父母のそろった安定した家庭を求めるあまり、男性関係で苦労しひどく傷ついた。しかし現在の夫に出会い自分が母となったことで、やっと本当の家族とはいかにすばらしいかを感じている。そしてその体験が、子供にとって父親と母親の居る家庭がいかに大切であるか、同性両親や片親が異性両親よりいかに劣っているかを実感しているという。

これはほんの氷山の一角に過ぎない。同性カップルに育てられた子供たちが、異性夫婦に育てられた子供たちより恵まれて育つなどという調査は科学的とはいえないばかりでなく、私たちのような子供を対象にしていない。人々は知るべきだ、同性両親に育てられた子供たちのなかには、同性カップルによる養子縁組や同性婚に同意していない人々が結構居る。にも関わらずそういう意見は新聞の見出しに載らない。

何故、我々が同性カップルの子供たちの声をなかなか聞くことが出来ないのかといえば、同性のみの子育てに反対する意見はLGBT社会から非常な迫害を受けるからである。

ロバート・ロペズという男性はカリフォルニア州ノースリッジ大学古典英語教授で、2012年の8月、レズビアンの両親に育てられた自分の体験談「二人のママに育てられて」を出版した。

単純に言えば、同性両親に育てられるというのは非常に難しいことだった。それは近所の人の偏見が理由ではない。近所の人たちは私の家庭の中で何が起きているかほとんど知らなかった。はたからみれば、私は育ちが良く高校でもストレートAの成績で卒業した優等生だった。

だが心の中で私は混乱していた。

ロペズの目的は単に自分の体験は難しいものだったという話をしたかっただけで、同性婚や同性カップルによる養子などについても特になにも語ってこなかった。ところが、ロペズの体験談が出版された直後、スコット・「ローズ」・ローゼンズウィッグ(Scott “Rose” Rosenzweig)という男が同大学及び教授の同僚のメルアドに抗議のメールを送ってきた。その内容はロペズのエッセイは「ゲイバッシング」だというもの。これが、ロペズ教授に対するLGBT社会からの攻撃のはじまりだった。

それから教授はインターネットでゲイバッシングの最たる悪者として攻撃の的となった。教授の書いたことや彼の思想や背景は左翼リベラルの常套手段の歪曲に次ぐ歪曲で批判された。教授は二回に渡って反論を発表したが、一度同性愛の敵とレッテルを貼られた以上何を言っても無駄だった。

教授への嫌がらせはこの程度ではすまなかった。それについて書くとものすごく長くなってしまうのでまた後ほどに改めて書こうと思うが、早い話、LGBT活動家のおかげで教授は同大学での出世を邪魔され、生徒や同僚や家族や友達までもが巻き込まれて、自分や家族の身の安全すら脅かされるほどの攻撃を三年近くずっと受けているという。これが単にレズビアンカップルに育てられたつらい子供時代の体験談を書いたことがきっかけだというのだから恐ろしい。

どうりで同性カップルの子供たちが自分らの気持ちをおおっぴらに表現できないわけである。

反対意見は徹底的に弾圧する。それが左翼リベラルのやり方だ。

だが今こそ我々はこうした子供たちの悲痛な訴えに耳を傾けねばならない。同性婚は文明社会の基盤を根底から崩すものだ。断じて許してはならない。

May 23, 2015, 現時間 1:53 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 17, 2015

去勢男たちに乗っ取られた現代フェミニズム

先日から、小山エミが韓国人慰安婦の問題で話題の人になったらしいという話をしているが、実はそれとは全く無関係な調査をしている最中に、またまた小山エミの名前にぶち当たり、何故私は彼から逃れられないのだろうと苦笑してしまった。実は前々からフェミニズムが男から女(MTF)に転換した去勢男たち(トランス女と呼ばせてもらう)に乗っ取られつつあるという話を聞いていたが、そのことについて色々検索していたら小山エミが2001年に書いたトランスフェミニズムマニフェストなるものを発見した。それを読んでいて、小山について長年そうではないかと思っていた疑惑がやはりそうだったのかという確信に変わった。結論からいえば、小山自身が男から女へと転換を図ったトランス女だったということだ。

カカシが小山のことを当初かなり誤解した理由は、私自身が非常にナイーブで、LGBTやトランスによるフェミニズム乗っ取りについて全く無知だったということにある。カカシが小山のことをレズビアンと呼んだり、レズビアンフェミニストの話をしたりしたときに、小山が『カカシさんに説明してもわからないと思う』と書いたり、ラディフェミに対して少なからぬ敵意を抱いているという印象を持ったのも、今思えばそういうことだったのだなと納得がいく。ま、小山の写真をみれば、あれが普通の女性でないことは一目瞭然なのだが、女性だという先入観を持ってみていたので、唖然としてしまった覚えがある。(ミスター苺は常に「あれは男だ」と言っていたが。)

2014年8月発行のニューヨーカーに載ったミッシェル・ゴールドバーグの記事が解りやすくラディフェム(極フェミニスト)対トランス女(について語っているのでそちらの記事を読みながら現在のフェミニズムについてちょっと考えてみたい。

最近、トランス女を女として認めているリベラルフェミニストたちと、トランス女はあくまで男であり、女子トイレとか女子更衣室や、女性のみを対象としたイベントにトランス女たちを入れるべきではないという姿勢をもったラディフェムたちとの間で大きな亀裂が生じている。だが情勢はラディフェムたちにかなり不利。ラディフェムはトランス女たち率いるリベラルフェムたちに圧倒されており、今やフェミニズムはトランス女と呼ばれる去勢男たちに乗っ取られてしまっているのだ。

最近になってトランス女たちの権力が顕著となってきたが、実は、トランス女たちによるフェミニズム乗っ取りはもう40年以上も前からその兆しをみせていた。

最初にフェミニストたちの間でトランス女の存在が問題となったのは、1973年にロサンゼルスで開かれた西海岸レズビアン大会で当時はまだ珍しかったトランス女でフォークシンガーのべス・エリオットの演奏を許可するかどうかでもめたことにあった。大会の主賓演説をしたロビン・モーガン(女性)はトランス女について、

私は男を「彼女」とは呼ばない。32年間男中心社会で苦しみ生き延びてきて「女性」という肩書きを獲得した。それを女装して数分間町を歩いてひやかされた(多分それも楽しんで)くらいの男が、よくも、よくも、私たちの苦痛がわかるなどというな。 いや、我等が母の名において、我らの名において、我々は断じて彼を妹などと認めてはならない!

と語った。ゴールドバークはこういう意見は最近では少数派になったがラディフェムと呼ばれる人々の間では強く信じられた信念だという。カカシとしてはラディフェムのほうに肩を持つね。トランス女たちは自分らは男の身体で生まれたが頭脳は女性だと主張するが、ラディフェムは男らしいとか女らしい考え方とか行動というのは、男中心の社会が決め付けたものであって「中和された服従」なのだと主張している。

ゴールドバークは、ラディフェムの考える性別はアイデンティティーというよりも社会の地位と受け取れるという。つまり、男として生まれた人間はたとえ後に女になることを選んでも、男としての有利な立場は一生保持されるというもの。女になるという選択権があるということ事態、男に女の立場など理解できるはずがないというわけだ。であるからトランス女を女性として認めよと要求するのも男としての権限を振りかざしているに他ならないというのだ。

トランス女たちや、その支持者たちはトランス女が受けるひどい差別や嫌がらせなどからトランス女の間での自殺率が高いことなどをあげてラディフェムの考えがいかに偏見に満ちたものであるかを主張する。だが最近トランス女たちの権力は目にあまるものがあり、ラディフェムたちのほうがずっと虐待されている。

去年の5月にオレゴン州のポートランドで行なわれたラディフェムの演説会も最初はクエーカー図書館の会議室で行なわれるはずだったのが、土壇場になってトランス活動家による抗議によりイベントがキャンセルされてしまい別の場所に移動せざるおえなかった。こういうことは何もこれがはじめてではない。2012年にロンドンで行なわれたラディフェム大会は、当初コンウェイホールで行なわれることになっていたが、大会はトランス女の参加を拒否していたことと、反トランスとして有名なシーラ・ジェフェリー女史が演説をするということで、トランスジェンダーの活動家らによる圧力に屈してコーンウェイホールは大会の開催を拒否。結局ラディフェム大会は別の秘密の場所で開催された。カナダのトロントで開かれた2013年のラディフェム大会もまたトランス活動家により土壇場で場所を変えざる終えないという状況に追い込まれた。

ラディフェムたちはトランスによる時として暴力的な妨害に対して「ジェンダー批判の鎮圧」だとして抗議したが時すでに遅し。トランス側はラディフェムは差別的なヘイト団体だというレッテルを張り、新しくラディフェムを侮辱する言葉としてTERF/ターフ(trans-exclusionary radical feminist. トランス阻害過激派フェミニスト)という単語を作り出し、ラディフェムたちの弾圧により力を入れている。

トランスによるラディフェムへの攻撃は尋常なものではない。ツイッターでのラディフェム攻撃は脅迫まがいのものが多く、ある若いブロガーはナイフをかざしたセルフィーを撮って「ターフをつれて来い!」というサインをかざしたりしている。こういう命を狙うような脅迫状が多くなったため、ラディフェムのウェッブサイトではそういうコメントを記録するまでになった。ラディフェムでディープグリーンレジスタンス(DGR)というエコ(環境)フェミニストグループを作ったリーラ(?)・キース(Lierre Keith、女性)はトランスたちはラディフェムが彼らを女性と認めないことにひどく腹を立てていると語る。

キースのグループ自体、かなり過激なエコテロリストグループらしいが、その暴力的な姿勢よりもトランスに対する姿勢の方が問題視されている。彼女たちの考えでは男としての特権を持って生まれた人間がどんな手術をしようと女になどなれない。それは白人が日焼けして黒人だと主張しても認められないのと同じだ。このディープ、、が始めて会合を開いた2011年、男から女への転換中の男性の女性専門寝室への入室を拒否した。「男性が支持者として会合に参加するのは結構ですが、女性が寝る部屋や女子トイレへの使用は許可できません」と言うのが理由。あったりまえだろうと思うが、これが問題なのか?

キースのこの態度がトランス派にはかなり気に障ったと見え、去年の2月キースがオレゴン大学で環境保全法についての演説をするはずだったのが、トランス支持派の生徒会の猛反対を受け、命の危険すらあるということでキースは6人の警察官に護衛されて壇上に立ったという。

最近は、一旦は自分はトランスだと思い込んで転換への道を歩み始めた人々が、やっぱり自分はトランスではないと気がついて元の性に戻ろうとする人が少なからず増えている。カカシは女から男へ転換しようと決心して男性ホルモンを一年以上も打っていた人が、やっぱり止めることにしたと涙の宣言をしているユーチューブビデオを何本か発見した。彼女たちは自分のなかで「男っぽい女」でいることが本当の自分なんだとやっと納得できた人たちである。

しかし、性転換が難しいとしたら、逆戻りはもっと大変だ。それは身体にかかる負担もそうだが、トランスを拒絶したとしてこれまで仲間としてつきあっていた人たちから背信者として攻撃を受けるからである。そんななかの一人、ヒース・アトム・ラッセル(女性)は大学在学中にトランス治療を始め大学のトランス人権団体から祝福されていた。しかし四年生のときにシーラ・ジェフェリー著の「アンパッキングクイアーポリティクス(同性愛政治解体)」という本を読み、FTMは男性優位社会に迎合する行為だという主張に感動し性転換をやめたという。カカシが発見したビデオでの告白では、彼女にはレズビアンとしての良きロールモデルがおらず、女が好きだから自分は男であるべきだという間違った考えに感化されてしまったのだという。

彼女の体験はシーラ・ジェフェリーの新作「ジェンダーハーツ」にも登場するんだそうだ。カカシはジェンダーハーツは作品紹介の部分しか読んだことがないが、やっぱりちゃんと読むべきだな。

シーラ・ジェフェリーはオーストラリア出身で今はロンドンの大学教授で、フェミニズムに関する本を9書も書いている権威あるフェミニスト。普段なら新作発表はロンドンの大学書店で行なわれるのだが、今回大学側から厳重な警備が必要だと警告され、新作発表は招待客のみで行なわれることとなった。またジェフェリー女史は、ロンドンの大学にある自分の事務所のドアから名札を外したという。トランス女は女ではないと主張しただけで命まで狙われるとは何と言う恐ろしさだろう。

フェミニストがトランスジェンダーに批判的な本を書いた例はなんと1979年にまでさかのぼる。元尼さんのレズビアンフェミニストジャニス・レイモンドが書いた「ザ・トランスジェンダー帝国、シーメール(彼女・男性)の作成」彼女は尼から医者に転向した人で、医者の立場から性転換手術による身体的精神的な弊害について書いた。レイモンド女史は女性から男性への転換手術について、「すべての転換は女性の身体を強姦するものだ。「トランスセクシュアルによるレズビアンフェミニズムは女性の性と精神を冒涜するものである」としている。このような考えは40年前は主流メディアからも斬新な考えとして好評を受けた。それに比べてジェフェリー女史の「ジェンダーハーツ」はメディアからはほぼ完全無視の状態。時代は変わったものである。

レイモンド自身、彼女に対する風当たりが近年ひどくなってきたことを感じている。彼女は今、トランスに関する問題よりも人身売買についての研究に専念しているが、去年の8月ノルウェー政府からの招待で売春婦登録に関する法律について語るはずだったのが、行ってみると招待が引き下げられていた。それというのも彼女はトランスフォビアだという投稿が主流新聞に載ったからだという。

トランスというか、ジェンダーに関する考えが劇的に変わったのは何と言っても大学だ。特に文科系の大学では生徒はどんな性別の代名詞を使いたいか聞かれるのは普通だという。日本語ではあまり彼とか彼女という代名詞は使わないが、英語だと他人の話をするときはhe/sheの区別が必要。ところが最近は “ze,” “ou,” “hir,” “they,” なかには“it” なんてのもあるんだそうだ。カカシも最近フェイスブックでは20いくつの代名詞があると聞いてぶっとんだくらいだから。面倒くさいから中性の「あの人」みたいな言葉をつくったらいいんじゃないのかと思うね。

最近では大学の保険が性転換手術の費用負担をしたりするところも増えているんだとか。ハーバードやエールやドューク、カリフォルニアのUCシステムもそうなんだとか。医療といえば、先にあげたラッセルが大学で女性は妊娠によって弾圧されているという話をしたとき、他の生徒からまじで「でも女性でも男の場合はどうなの?」と聞かれたという。なんだそりゃ?

もっと複雑で笑っちゃうが冗談じゃない話がある。フェミニストといえば人口妊娠中絶の権利を主張するのが定番だが、ニューヨークの人工中絶基金( the New York Abortion Access Fund)という中絶費用が出せない若い妊婦たちへの費用提供のための基金では、去年の5月、妊婦を「女性」と呼ばないことに決めたという。女性というと女から男へのトランス男たちを排除することになるからだという。何でトランス男が妊娠するんだよと聞くのは野暮なのだろうか?NARALとか中絶専門施設のプランドペアレントフッドなどにも「女性」という言葉使いをしないようにという圧力がかかっているそうだ。

こういう言葉使いの変化について批判するのはシスジェンダー(cisgender)の特権にしがみつく行為だというのが若いフェミニストたちの言い分。シスジェンダーというのは要するにトランスではない人たち、つまり正常な人間のことをさす。左翼リベラルってのはやたらとくだらない言葉を作り出して、周りにその言葉使いの使用を強制する。単に正常人と呼べ、と言いたいね。

古いタイプのフェミニストたちはこういう新しい考えについていけない人が多い。サラ・セイント・マーティン・リン(41歳女性)は昨年ベイアリアガールスロックキャンプの委員会から辞任を要求された。それというのも彼女がミシガン女性音楽祭the Michigan Womyn’s Music Festivalに関連しているというのが理由。女性という意味のwomanをわざわざWomynとつづるほどの過激派フェミニストたちの音楽祭は、女性に生まれた女性のみの参加しか許可していない。

この音楽祭でトランス女が追い出されるという事件がもう20年以上も前にあったという話は小山エミのエッセイを読んで知ったのだが、その後手術後のトランス女はいいのではないかという話が持ち上がり、その際手術前のトランス女たちが抗議してはちゃめちゃなことになったらしい。まったく事実は小説よりも奇なりというが本当である。

さて俗にミシフェストと呼ばれるこの音楽祭は毎年8月に開かれている。創設者はリサ・ボーゲルで始まったのは1976年、彼女がまだミシガン大学の学生だったころに始め、いまでもボーゲルが主催している。音楽祭とはいうものの、音楽もさることながら、大事なのは毎年何千という女性が集まり、キャンプを設置し女性だけの女系コミュニティーを作ることに意義があるのだとボーゲルは言う。人によっては豪華なコスチュームで現れる女性もいれば、素っ裸で歩き回る女性もいる。もしも世の中が女性だけだったらどういうふうな社会になるだろうというファンタジーの世界を作り出すのが目的だという。

彼女にとって夜一人歩きをしても安全を感じられる場所は大事なのだという。ここは女性が無防備でも安心できる場所であり、こんなところは他にないと。「明日、誰でも大歓迎ということになったら、それはそれでクールな場所かもしれないけど、我々が我々であることの深い意味での自由な意識は変わると思います。」

トランス活動家たちからすれば、トランス女は女性にとって危険な存在だといわんばかりのボーゲルの考えは非常に侮辱的に取れる。

トランス女で生物学者のジュリア・セラノ(MTF)はトランス女が居ると普通の女性が不快になるというのは、ゲイやレズビアンが更衣室にいると不快だというのと同じ理屈だという。セラノについてはジェフェリーの新著のなかで「フェミニズムを自分の変態的性欲に合わせるべく変えようとしている」としてかなり手厳しく批判されている。セラノは今や現代フェミニズムの新星として大人気者、大学の講演などでひっぱりだこだ。抗議がキャンセルされたり警備が必要なラディフェムたちとは大違い。

2003年、セラノは約百人のトランスたちとキャンプトランスなるキャンプを設置しミシフェストに抗議した。この抗議キャンプは最初にトランスたちがミシフェストから追い出された1994年から時々開催されていた。それまではミシフェスト参加者との遭遇は比較的平和的だったというが、その年はトランスキャンプがあらされケーブルが盗まれたり水源が止められたりという嫌がらせがあったという。

それ以後、トランスたちの作戦は、ミシフェスト参加ボイコットを使った嫌がらせへと変更された。おととし、ミシフェストで長年レギュラー出演していたザ・インディゴガールズは突然、トランス参加を認めるまではミシフェストでの演奏はしないと宣言。去年のヘッドライナーのハンター・バレンティーノも同じ理由で参加を辞退。逆にミシフェストで演奏したパフォーマーたちは別の場所でボイコットを受けたりしている。ファンクシンガーのシェリー・にコールは彼女のバンドがミシフェストに出演するとわかったとたん、ブルックリンのショーから下ろされてしまったという。.

ベイアリアガールスロックキャンプの幹部から辞任を余儀なくされたセントマーティンリンは、首になるまで自分がラディフェムだという意識はなかったという。だが、ミシフェスト攻撃運動やラディフェムへの攻撃が過激化していくのをみるにつけ、女性として生まれた女性のみの大会は存続されなければならないと強く思うようになったという。

トランス活動家のサンディー・ストーン(MTF)は、ラディフェムたちはトランス女たちの邪魔をしないで欲しい、ラディフェムを避けるのはトランス女の責任ではないという。

カカシが思うに、ラディフェムはトランス女たちの邪魔をしているのではなく、トランス女たちがラディフェムの区域に侵入しようとしてくるのを防ごうとしているだけだ。ラディフェム主催のミシフェストをボイコットするのはいいとしても、何故ミシフェストに無理やり参加を要求しなければならないのだ?

トランス女という去勢男たちにフェミニズムが乗っ取られてしまったというのも皮肉な話ではあるが、トランス女たちの横暴はフェミニズム乗っ取りだけでは済まされない。今や過激派トランス活動家によるトランス女を女子トイレや更衣室に入れろという運動は全国各地で起きており、カリフォルニア議会は市民の許可も得ず勝手にトランス女の女子専門施設入室を許可する、バスルームビル(いわゆるトイレ法)を通してしまった。これについてはミスター苺やカカシもその抗議署名運動に加わり、次の選挙でトイレ法廃止案を投票項目に加えるべく運動に参加している。(前回は署名数不足といういいがかりをつけられて項目に載らなかった。)カリフォルニアのトイレ法はいまのところ施行差し止め中。にもかかわらず多くの学校で不法な施行がすでに始まっている。

左翼リベラルのやることは常に保守的な組織を破壊することにある。だが、トランス女を女性専門施設に入れろというのは、一時期男性のみだった商工会やビジネスクラブに女性の入会を許可しろというのとはまるで違う。またゲイやレズビアンを軍隊に入れろというのとも違う。なぜかと言えば、ゲイやレズビアンが傍にいて不快になる人が居たとしても、それ自体軍隊の仕事に支障はきたさない。また、更衣室などで同じ性の同性愛者が居たとしても、それ自体危険な状況ではない。

だが、女子トイレや更衣室に男性が居ることは、単に女性が不快になるだけでなく、女性の安全を脅かすことになる。それはトランス女が危険だというより、トランス女を装う変態男たちの使用をも許可することとなるからである。

以前にも書いたがカリフォルニアのトイレ法は、自分が女性だと思っているだけで女装もしていないどう見ても男にしか見えない男が女子トイレや更衣室に入室するのを許可するという信じられない法律なのだ。ある個人が頭のなかでどんな妄想を描いているかなど他人に解るはずがない。これは幼児わいせつ癖のある変態男でも、自分は女だと主張しさえすれば女子トイレに入れるとなれば、女性の安全など絶対に保てない。

今なら、女子トイレに入ろうとする男がいたら警備員が注意をすることも可能だが、トイレ法が通れば普通の男がずかずか女子トイレや更衣室に入っても誰も文句は言えないのである。この間のプラネットフィットネスで起きた事件など、文句をいった女性会員が会員権を剥奪されるなど、まるで常識が通らない世の中になりつつある。

ラディフェムたちがトランス女たちに圧倒されていることは、これまでのラディフェムのやり方からして「いい気味だ」とかいってやりたい気もしなくはないが、トランス横暴の被害者はラディフェムだけに収まらない。そこが重大な問題なのである。

May 17, 2015, 現時間 11:29 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 10, 2015

カカシの勝手な翻訳が引用されて話題になったって話し

本当にどうでもいい話なので、本日は口語体で話させてもらおう。実は私が小山エミについて書いた2008年のエントリーがやたらにヒット数が多くなってるので、何でだろうと思ったら、私が勝手に使った「レズ坊」という単語が変なところで引用されて話題になったらしい。

先ずことの起こりは秦郁彦という日本の官僚で歴史家という人が、正論という雑誌だかなんだかに小山エミについて

『フェミニスト、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、など多彩な社会活動を扱う活動家」と自称するが』

と書いたことに対して

秦郁彦せんせーが、『正論』でわたしに名指しで言及している。しかし戸塚せんせーと組んでツアーするとか嘘だし、レズ坊とか両性体質とか聞いたことがない言葉がいくつもw そんなの自称したことないよ!

と反応しそれに関する多々の意見がツイッターで交わされた模様。ツイッターをまとめたのがこのページ

で、いったいこのハチャメチャな発言はどこから来たんだろうということになって誰かが、その出所はここじゃないの、といってリンクを張ったのがなんと拙ブログの小山エミに関するエントリーだったというわけ。

実は私の書いた原文はこれ。

エミ・コヤマは自分のことを尻軽女であると書いている。そしてフェミニスト、東洋人、生き残り、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、ジェンダークィアー(?)そしてクリップポリティクス(?)といった多様の社会問題を取り上げている活動家なんだと説明している。

しかし、これは私の勝手な概訳であり鍵括弧にも入れてないので、小山の直接の発言ではないことは文脈からはっきりしているはず。事実、この文章の前にきちんと英語の原文も添えておいた。下記がそれ。

Emi Koyama is a multi-issue social justice slut synthesizing feminist, Asian, survivor, dyke, queer, sex worker, intersex, genderqueer, and crip politics, as these factors, while not a complete descriptor of who she is, all impacted her life. Emi is currently the director of Intersex Initiative. Emi lives in Portland, Oregon and is putting the emi back in feminism since 1975.

私が「レズ坊」とか「おカマ」とか「両性体質」とかいう言葉使いをしたのは、dyke, queer, intersexという英語はそのままでは意味が伝わらないだろうと思ったからで、わかりやすい日本語に私なりに書き換えたに過ぎない。

エミちゃんは気に入らないみたいだが、はっきり言って「レズ坊」ってレズビアンで男性っぽい人のことを示し、多少侮蔑的な要素も持つdyke(ダイク)の訳としてはぴったりだと思うんだけどね。私は昔、男っぽい格好をしていることが多く、宝塚の女役みたいな可愛い女の子と一緒にいたら、男性から「レズ坊」と呼ばれたことがあるのだ。決して存在しない言葉ではないよ。

それから「おカマ」という言葉も、日本語で男性の同性愛者で特に女性っぽい人のことを示すことばで、主に男性で女性っぽい同性愛者を侮蔑的に示す言葉であるqueer(クイアー)の訳としては適訳だと思う。

はっきり言ってカカシの訳は全然問題ないと今でも思う。

ここで問題があるとしたら、秦郁彦氏が私の概訳をそのまま引用してしまったということ。多分私のページからではなくて、誰かが引用に引用を重ねたどっかからのページからの引用なんだろうと思う。小山が自分のことをどういうふうに書いているかということは、実際に小山のウェッブページに行けば読めることなので、それをしないで誰かの引用をそのまま小山が書いたことであるかのように書いてしまったというのはプロの執筆家として怠慢だね。

これじゃ突っ込まれても文句はいえないだろう。

でももし私の訳した「レズ坊」が流行り言葉になったら、何か賞でももらえるのだろうか?

May 10, 2015, 現時間 4:14 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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日付け → →May 7, 2015

言論の自由がヘイトスピーチになる時

この間、テキサス州で行なわれたモハメッド風刺漫画コンテストについて、もう少しでテロ攻撃の被害者になるところだった主催者のパメラ・ゲラーに対して、ゲラーの活動はイスラム教徒を挑発する行為だという批判の声が高まっている。そのなかで「何時(いつ)フリースピーチ(自由な言論)がヘイトスピーチに変わるのか」という質問をした人が居た。私はその時、思わずラジオに向かって「NEVER!(絶対にない!)」と叫んでしまった。

だいたいからして、私はヘイトスピーチという概念そのものが非常に恐ろしいものだと考える。ヘイトスピーチとは名誉毀損や脅迫や暴力扇動といった今でも違法とされている言論ではなく、単に誰かが『嫌な気持ちになるような言論』という非常に漠然とした概念であり、往々にして政治的に正しくない意見(現在のアメリカや日本では右翼や保守の意見)弾圧に使われているからだ。

CNNのニュースアンカー、クリス・クォモなどは、「ヘイトスピーチは言論の自由で保証されていない」とツイッターとまで書いている。

それについて当のゲラー女史はこのように反応している。

先ず第一に、私の活動は「ヘイトスピーチ」などではない。私は人々が知りたくない真実を語るだけだ。それを彼らは「ヘイトスピーチ」というラベルを貼る。そして「ヘイトスピーチ」は(米国憲法)補正案第一条で保証されていない、と自称弁護士のクリス・クォモは私の活動について述べている。

つまり、クリス・クォモは政権がある種の言論が「ヘイトスピーチ」として規制される独裁政権の下に行生きるいというのだ。そうでなければ彼はもうすでにそういう社会に生きているとでも考えているのだろう。氏は合衆国がある人々の意見や見解が違法となり他の意見が強制される社会になることを望んでいるようだ。

それはまさに合衆国憲法と真っ向から相反するものである。そしてまさにそれこそが私の戦う相手なのだ。

クリス・クォモは合衆国憲法にまるで無知であり、ここで彼の暗い独裁的な本心が暴かれたのである

ところでゲラー女史がイスラム国の暗殺名簿に載ったという話は昨日もしたが、それについて女史はFBIに連絡を取ったが、いまだにFBIからは何の反応もないという。アメリカ国内でテロ未遂事件がおき、アメリカ市民が名指しで暗殺脅迫をされているというのに、オバマ政権はまるで無関心というのはどういうことだ?

オバマ政権がイスラム国の脅威を認めたくない理由ははっきりしている。オバマ政権になってからブッシュ時代には弱体したテロリストが再びその威力をぶりかえしてしまったことをオバマ王は認めるわけにはいかない。なんとかアメリカ市民にイスラムテロリストの脅威を過小評価して伝えようとしているところに、イスラムテロリストの脅威を口うるさく表現して怯まないゲラーの存在は目の上のたんこぶである。オバマ自身ゲラーがテロリストに殺されてしまえばいいと本気で信じているくらいだろう。

アメリカ主流メディアはこぞって、もしゲラーが暗殺されても自業自得と口を揃えてが鳴りたてている。

テロリストの暴力に怯むことが自由社会といえるのか?言論の自由をたった一人の女性に任せるまでにアメリカは衰退してしまったのか?

もしもイスラム教がゲラーが言うような暴力的な宗教ではないというなら、イスラム教徒は彼女の言論の自由を守るために断じてテロリストの暴力に立ち向かうべきだ。ゲラーがそうい言ったわけではないが、イスラム教が暴力的だとか野蛮だとかいう批判に対しての反応が常に暴力であるのなら、イスラム教徒にヘイトスピーチだのなんだのと文句を言う資格はない。

テロリストに何を言おうと無駄な話だが、アメリカや他の自由社会がヘイトスピーチなどという言論弾圧を奨励するのであれば、我々も野蛮なテロリストとたいした変わりはなくなってしまう。

日本もヘイトスピーチ規正法などという言論弾圧法を断じて許してはいけない。

May 7, 2015, 現時間 7:24 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 5, 2015

テキサス、モハメッド風刺漫画コンテストにテロリストが乱入、警備員一人怪我、犯人二人射殺される!

先日テキサス州で、モハメッド風刺漫画コンテストが行なわれている最中、二人のイスラム教テロリストが会場に乱入し非武装の警備員二人に発砲したが、その場に居た別の警備員のピストルで二人は射殺された。さすがテキサスなんだよね。これがフランスだったら「モハメッド風刺漫画コンテスト参加者12人モスリムテロリストに殺害される!」とかいう見出しになるところだったのだが、このコンテストの主催者はイスラム過激派の行動を予測して会場には厳重な警備体制を張っていた。非武装の警備員ひとりが足に怪我をした他は参加者にも警察官にも怪我はなく、無事犯人二人が射殺されて終わるという結果となった。

さて、このコンテストを主催したのはパメラ・ゲラーという女性で、保守派政治活動家。主賓としてデンマークの政治家で反イスラムとして有名なガート・ワイルダー氏を迎えた他、拙ブログでも紹介したことのある反イスラム教のロバート・スペンサー氏ら300余名が参加していた。

本日になって、イスラム教テロリスト軍団のイスラム国(ISIS)がこれは自分らの仕業だと声明文を出した。無論アメリカ国内のテロが実際に彼らの仕業かどうかということは確認できないが、ISIS親派テロリストの仕業であることに間違いはない。

にもかかわらず、アメリカメディアはイスラム教過激派のテロ行為を糾弾する間もなく、この催しを主催しゲラー女史への批判に余念がない。何故わざわざイスラム教徒の感情を逆撫でするような催しを行なったのか、何故わざわざ暴力を挑発するようなことをしたのか、言論の自由というが、そこまでする必要があったのか、などといった非難が殺到した。

特にガート・ワイルダーやロバート・スペンサーはイスラム過激派やテロリストへの批判というより、イスラム教そのものに問題があると常に唱えている人々なので、そういう人々を主賓として迎え、モハメッドの虚像を描くこと自体を罪としているイスラム教徒の神経をあえて逆撫でするようなコンテストまでやる必要があったのか、という批判である。

だが、それに対してパメラ・ゲラー女史は、まさにこれは必要なことだったと主張する。私も全く彼女に同意する。

カカシは何度も言論の自由について語ってきた。誰の神経も逆撫でしないような誰でも同意できる意見なら言論の自由を保証する意味がない。多くの人が聞くに堪えない意見だからこそ守られなければならないのだと。アメリカ国旗が焼かれたり踏みつかれたりする行為は言論の自由として認められている。マリア像が像の糞で作られたり、十字架が尿に付けられるなどの冒涜も言論の自由として認められている。それならば何故モハメッドの虚像を描くことが言論の自由として認められないというのだ?言論の自由があるというのなら、それこそ政治的に宗教的に侮辱的で正しくない意見こそ認められずに何の意味があるというのだ?

ガート・ワイルダーやロバート・スペンサーがどれほどイスラム教を侮辱しようが、言論の自由のあるアメリカで彼らの命が脅迫されるべきではない。アメリカ国内でどれほどキリスト教やユダヤ教が侮辱されようと、侮辱した人間を乱射しようなどという過激派は一人もでない。だが、イスラム教だけは特別なのか?イスラム教だけは単なる漫画ですらもおちょくれないのか?こんなマイナーなイベントですら許容できずに参加者を乱射しようなどという人間が現れる宗教にこそ問題があるのではないか?

ゲラー女史がモハメッドの風刺漫画コンテストをわざわざ主催したのはそこにあるのだ。彼女が他に方法がないというのはまさにその点にあるのだ。

いったい世界中のどんな宗教がたかが漫画程度で大量殺人テロを企てたりするのだ?

いったい世界中のどんな宗教が異教徒というだけで何百人もの首をちょん切ってユーチューブで公開したりするのだ?

いったい世界中でどんな宗教が処女が男性にめくばせしたというだけで惨殺したりするのだ?

いったい世界中でどんな宗教が強姦された女性を姦通罪を侵したとして生き埋めにして投石の刑に処したりするのだ?

いったい世界中でどんな宗教が女性の性欲を抑えるために女児の性器を切除したりするのだ?

イスラム教以外のどんな宗教がこんな野蛮なことを今でもしているのというのだ?それなのにそのことを話すことさえ許されないというのは自由の国アメリカにおいて許されていいのか?

ゲラー女史を批判する前にメディアは、特に女性のジャーナリストたちは、こういったイスラムの野蛮さについて深く考えるべきではないのか?

May 5, 2015, 現時間 6:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 2, 2015

反フェミニストに論弁の場を与えるな!反対論はややこしくなるだけ

この間からクリスティーナ・ホフサマーズ女史のツイートを追っているのだが、左翼リベラルというのはよくよく反対意見を聞き入れる寛容性のかけらもないとみえる。ホフサマーズ女史が演説をしたワシントンDCのエリート大学ジョージタウン大学では、演説の終わったこの後においてさらにアンチ、ホフサマーズ姿勢を崩さない。

まずはジョージタウン大学の大学新聞の社説から。

性犯罪の統計は誇張だとし由緒ある調査を「統計歪曲」などと主張する人間に発言の場を与えるということは、会話妨害の引き金を引くことにしかならず、大学が約束した生存者への資源を増加させる発展を妨げるに他ならない。
解決法や生存者への資源から目をそらせるこのような手口にはどんな場もない、特にジョージタウンにそんな場所はない。(略)生存者の生の体験の姿勢を否定することは、(ジョージタウンの)価値観と真っ向から対立するものだ。

どのようにして問題を解決するかではなく、「誇張されている」かどうかを議論するのは、ジョージタウンの生存者への侮辱であり、無行動の原因となる。

「議論の時間は終わった、行動、行動、行動!」という訳だな。だが、行動の元となる証拠が間違っていたらどうするのだ?間違った証拠を元に行動に移ったら、社説のいうところの大事な資源の無駄遣いであるだけでなく、もしかしたら逆効果となる可能性もある。実際の問題をきちんと把握せずに有効な解決策は望めない。

ところで、この社説のコメント欄のなかで指摘があったが、当日のホフサマーズ女史の演説は大学構内の強姦の文化についてではなく、女性と男性の均衡性に関する神話についてだったとか。ジャーナリストなら演説の内容くらいきちんと把握してから批判を書いて欲しいものだね。

さて、同じジョージタウン大学の生徒サービス委員会は、女史の講演を主催した共和党生徒会に対し、女史の講演に抗議に来た生徒たちの映像は、本人たちの同意の下に撮影されたものではないので、これらの生徒たちの写っている部分は記録映像から取り除くようにと命令した。もし共和党生徒会がこの指導に従わないときは、委員会そのものが行動に出るという脅しまで含まれていた。

大学で行なわれるイベントではビデオ撮影は記録として残されるのは普通だ。女史の演説のあった会場でもビデオカメラがあちこちに設置されていた。同会場に入場した以上、それが普通に参加する目的であったにせよ抗議であったにせよ、観客として撮影されることは誰にでも明らかであり、会場に入場した時点で撮影されることに同意したことになる。

無論大学側はそのようなことは十分承知である。彼らの目的はホフサマーズ女史の演説ビデオ没収にあるのだ。

こうまでして反対意見を黙らせたいというのは、よっぽど自分らの主張に自信がないのということだな。ま、ラディカルフェミニストたちの常套手段なので今更驚かないけどね。で、最近反トランスのラディフェミたちが、フェミニスト会合から締め出されて、言論の場を失いつつあるという話を聞いて、自業自得だろうと思ったのも、彼女たちが常にこういうことをしてきたんだから因果は回るだなと思ったからだ。反トランスに関してはラディフェミの言い分には同感だが、彼女たちが親トランスフェミたちに虐げられても同情の感はまるで沸かないね。

May 2, 2015, 現時間 3:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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