October 13, 2006

イスラム教徒のタクシー運転手の乗車拒否

このあいだから、イスラム教徒の横暴な要求に譲歩や妥協ばかりしているヨーロッパの話をしていきたが、今度はアメリカでも同じような事件が起きている。

ミネアポリスセントポール国際空港で仕事をしているタクシーの間で、お酒類を免税店の透明の袋にいれて持っているお客さんを乗車拒否する運転手たちが増えているという。(Don't Bring That Booze into My Taxi, Daniel Pipesより)この問題が最初に持ち上がったのは2000年のこと、コーランにある禁酒の項をもっと拡大して解釈したタクシーの運転手らが、酒類を輸送する行為もコーランの教えに反すると言って免税店の透明袋に入った酒類を持っている乗客を拒否したのが始まりだ。ある客は16台ものタクシーに続けて乗車拒否されたという。

イスラム教徒の運転手が少ない頃はそれでもどうということはなかったのだが、いまやミネアポリスの空港に出入りするタクシーの四分の三がイスラム教徒となり、その多くの運転手が酒類をもった乗客を拒否して問題になっている。

ミネアポリスの空港ではタクシーがお客を拒否した場合、一旦空港を出てタクシー乗り場の列の最後部に並び直さなければならないため、暇な時は2時間も3時間も自分の番が再び回って来るのを待たなければならない。そこでこの待ち時間を不服に思ったタクシーの運転手らが、空港に特例を出してもらい、イスラム教徒のタクシー運転手が酒類を持っている、または持っていそうなお客を拒否する権利をもつ特別許可を申し出ていた。空港側は宗教を理由に短距離のお客を断る運転手が出るのを恐れ、この申し出を却下した。

しかし、いくつものタクシーに乗車拒否をされた外部からの乗客から苦情が殺到しているため、空港側は酒類を拒否する車は特別な色のライトを車の上につけることを提案した。

この記事の著者パイプ氏は、このような「解決策」は問題を解決するどころか社会的にもっと大きな波紋を呼ぶだろうという。別色のライトを付けるということは、政府がシャリア法を認めるということになる。つまり、地方政府が誰がイスラム教法に従うかを認可するということになってしまうというのだ。

ミネアポリスの空港以外でも同じような要求がでたらどうするのか? パイプ氏は問いかける。国中でそのような特別扱いが要求されるようになるだろう。そのうちバスの運転手なども同じような訴えを起こすだろう。交通機関全体がイスラム教に従うものとそうでないものとに別れることになってしまう。

アルコールだけではない。モスレムのタクシー運転手は他の国では盲導犬も拒否する権利を主張している。将来は袖無しの服を着ている女性や、同性愛者や、未婚のカップルなども拒否されるようになるかもしれない。それをいうならヤマカ(ユダヤ教徒の男性がかぶる帽子)をかぶっている男性や、ヒンドゥー、無宗教者、バーテンダー、(賭博上の)ディ−ラーといった人々も乗車拒否の対象になるかもしれない。

セントポール空港は地元のイスラム教市民団体にお伺いをたてたそうだ。しかしこのthe Muslim American Societyという団体はうさん臭い。元団長の奥方という人はこの団体の目的は『イスラムについて人々を教育し、イスラム教政権を設立する目的で、イスラムの教えに従う』ことだという。

アメリカ国内にイスラム教政権を設立すると表明しているような団体に、政府がお伺いをたてる義理がどこにある? いや、それこそ政教分離の法則に違反することになるはずだ。アメリカの憲法では政府が特定の宗教を強制してはいけないことになっている。イスラム教も例外ではない。

しかし少なくとも今回に限っては、この提案は市民の間で非常に悪評版であったため、案はお釈迦になった。

はっきり言って、このような法案が出ること自体どうかしている。イスラム教徒が自分らの宗教を貫き通すのは彼等の自由だ。だが、それは彼等を受け入れた国の法律や社会慣習と衝突しない範囲内で行われるべきである。もし、自分らの習慣がホストカントリーのそれと衝突した場合にはホストカントリーの習慣に従うべきである。それが嫌ならその国をでていくべきなのであって、その国の慣習を自分らのやり方にかえるように強制するなど話がさかさまだ。

イスラム教徒がほかの宗教の教徒と違って突出する理由は、この地元社会にたいして全く敬意を表さない態度だろう。自分らは地元社会の習慣を尊重もせずあわせようともしない。それどころか、周りの人間の理解が足りない、イスラム教差別だといっては自分らを特別扱いすることを口うるさく要求する。彼等のこの不肝要で拒絶的な姿勢が地元社会の反感を買うのは当たり前だ。

アメリカ社会がこの新しい移民にそのルールをはっきり分かってもらうためにも、彼等の理不尽な要求はことごとく拒絶するべきだ。多種文化主義などというものにごまかされて、不寛容な宗教を受け入れてはならない。この国は自由の国だ。それは毎日細い所から守っていかなければならない。

October 13, 2006, 現時間 2:10 AM

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