April 6, 2008

「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな!

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。

【4月5日 AFP】トーマス・ビーティー(Thomas Beatie)さんは、女性として生まれた後、性転換手術を受けて法的に男性となったが、現在妊娠中。雑誌で妊娠が告白されるや性同一性障害者の権利をめぐり、米国で議論が白熱している。

 ビーティーさんは、胸部の整形手術を行い、男性ホルモン療法を受けながらも、女性生殖器を残すことを決心していたという。性転換後に結婚した妻が子宮を摘出したため、人工授精で自分が妊娠することにしたという経緯を公表して以来、数々の雑誌が「彼」を取材した。

 人気のテレビ司会者オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)のトーク番組にも出演した。うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

 ビーティーさんの妊娠は、前月米国のゲイ雑誌「Advocate」に投稿した「愛の労苦(Labor of Love)」と題するエッセイのなかで告白された。

このLaborという言葉はだじゃれで、Laborには「労苦」という意味と「出産」という意味があるのでそれを掛けているのだ。ま、そんなことはどうでもいい。私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい。

男女双方の性器及び染色体を持って生まれたいわゆる両性体質の人が、幼い頃に医者が便宜上選んだ性別にどうしても馴染めず反対の性別を選ぶという例はあってもおかしくないと思う。こういう体質の場合はホルモンの関係もあって見かけと中身が一致しないことはあるからである。

しかし、生物学的に何の異常もなく、はっきりとした性を持って生まれた人間が、大人になって「自分は常に異性であると感じていたので整形手術をして異性に見えるようになりたい」と言うのはどうもいただけない。

それでもまだ、自分は異性ではなく同性に愛情を感じるというのであれば、自分は間違った性で生まれてきたのだと感じたとしても、まあわからなくはない。

だが、私に分からないのは、普通の性を持つ異性愛者として生まれ、異性に対する欲望は全くかわっていないのに自分は異性であると主張する人である。手術後にも女性としての妊娠機能を保ちたいと思っているひともそうだが、手術後も元の性の特質をそのまま保っておきたいと考えるなら、なぜ「性転換」手術などする必要があるのだろうか。

よく、ジェンダーフリーを売り物にする人たちはジェンダーは持って生まれた性に捕われないものだと主張する。もしそれが本当なら、「性転換」という概念自体が成り立たない。つまり、持って生まれた性と自分のジェンダーのアイデンティティーが矛盾してもよいというのであれば、生物学的には女性でも自分は男性だと主張するのは個人の勝手だが、特に男性に見えるような手術をしたり戸籍を男性に変えたりして周りの人間に無理矢理自分は男だと認めさせる必要はないはずである。しかも女性として子供を生むという機能を保ちたいならばなおさらだ。

私は男性から女性への「性転換手術」を行った人物が女性のマウンテンバイクトーナメントに参加したカナダの例をテレビのドキュメンタリーでみたことがある。この人物の私生活は常に野外でするスポーツに始終しており、特に女性らしい生活をしているとはいいがたい。しかもデートする相手は特に男女どちらとは特定していないというのである。だとしたらどうしてこの人が「女性」に「性転換」などする必要があったのだろうか?(レースに勝つための性転換だったとしたらこんな人間を参加させるカナダのスポーツ業界にも問題がある。)

また女性として生まれながら乳ガンでお乳を失ったのをきっかけに男性ホルモン治療を受けながら、男性に魅力を感じるとして男性とつきあっている「元女性」の例も読んだことがある。どうしてこの人は単に男っぽい女性として好きな男性とつきあう普通の生活を望まないのであろうか?女性でもいくらでも男性顔負けの運動神経の人は存在するし、男性が多い学問でも才能を見せる女性はいくらでもいる。(ちゃんと縦列駐車できる女性もいるし、、)それなのになぜあえて男性の同性愛者という異常な生き方を選んだのであろうか?

男女双方の性の特性を両方持って生きたいのであれば、元々持って生まれたジェンダーをそのままにしておいても何の差し支えもないはず。それをわざわざ整形手術で見かけを変えたいというなら、これは美容整形の域を出ない。そんな安易がファッション感覚で「性転換」手術を受けるなど、あまりにも無責任すぎはしないか?

私はこれらの問題は現在の医学会に大きな責任があると考える。いくら最新の整形技術のおかげで、見かけだけはなんとなく異性に見えないこともないという手術が可能だとしても、可能だからやってもいいという理屈は道徳に反すると思う。自分が特定の性に生まれながら異性であると信じ込むひとたちに必要なのは性器整形ではなく精神治療のはずである。

これもテレビのドキュメンタリーでみたのだが、男性として生まれ異性愛者として妻子もある人が、女性になりたいという幻想を拭え切れないので精神科のお医者さんに診てもらったところ、このヤブ医者は彼に性転換をすすめたというひどい例があった。男性は医者に説得され妻子を捨てて性転換手術を受けてしまったのである。捨てられた妻は医者を夫を洗脳したとして訴えていたがその訴訟がどうなったのかその後のことは私は知らない。

性器整形は鼻を高くしたり目をぱっちりさせるような美容整形とは訳が違うのだ。妻子を持ち自らも異性愛者と認めている男性に性転換をすすめるなど医者としてあるまじき行為である。この男性は明らかに精神異常を煩っておるのであり、いかにして男性として生きることが正しい行為であるか理解させるのが医者としての義務である。それを怠って安易に「性転換手術」を治療として施すなど医者の風上にもおけない人物だ。訴えられて当然だろう。

私は原則として「性転換」という名前の性器整形手術には反対だ。整形して見かけを異性に変えることを考えるまえに、自分の個としての自我の確率に力をいれるべきだ。男として女として生きるということは、見かけだけで決まるのではないのだから。

April 6, 2008, 現時間 11:25 PM

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