カテゴリー → →フェミニズム

August 11, 2017

グーグル社員による異見弾圧社風批判メモが炎上、社員は即刻首

フェミニズム

先日米グーグルの社員が同社による行き過ぎたポリコレを批判する内部メモを書いたが、それが社外に流出してネットなどで大炎上。メディアはメモの内容を全く読みもせず、それがあたかも極度な女性蔑視のメモであるかのように報道。メモの著者である男性社員は即刻グーグル社を解雇された。下記はメディアによる典型的な偏向報道。強調は記事による歪曲部分である。

女性差別文書で男性社員を解雇 米グーグル 解雇男性は反発

米IT大手グーグルは8日までに、ハイテク業界に女性が少ないのは生まれつき技術職に向いていないのが要因だ、とする社内文書を作成した男性社員を解雇した。文書は社外にも広まり、性差別的として社内外から批判の声が出ていた。欧米メディアが伝えた。

 グーグルのスンダル・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は従業員向けのメールで「われわれの行動規範に違反し、一線を越えている」と批判。ピチャイ氏は夏期休暇を切り上げ、この問題に関する社員集会を開くという。男性社員は解雇に反発しており、訴訟となる可能性がある。

 男性社員は文書で、男女の好みと能力に違いがあるのは「生物学的な理由」と主張し「ハイテク業界と指導者層で、女性が男性と平等な立場を実現できていない理由を説明できるかもしれない」と記していた。(共同)

グーグルのスンダル・ピチャイ最高経営責任者(CEO)はこのメモについて、「我々の職場で性別における有害なステレオタイプを促進するような言葉によって(略)我々の特定の同僚が生物学的に職種に適さない傾向があるなどと言うのは無礼でありオッケーではない。」と語った。

デイリーワイヤー誌のベン・シャピーロによると、この”not OK"「オーケーではない」という言い方は暗号で、実は「そとに連れ出し貼り付けにして明け方火あぶりの刑に処せ」というに等しいぐらいの厳しい糾弾である。

このメモの著者はジェイムス・ダモアー(James Damore)という白人男性で、グーグルでエンジニアとして働いていた。ダモアーはグーグル社における右翼保守思想弾圧や、不効率な女性及び少数派への特別扱いについて批判したのであり、女性が男性に比べて劣るなどとは一言も言っていない。特にグーグルに努める女性社員が男性社員に比べて不能だなどとは一切言っていない。

彼はIT系や管理職に女性の数が少ないのは、生物学的な男女差に起因するものがあり、必ずしも女性差別によるものではないと説明した。さらにダモアーは統計的に女性と男性が仕事に求めるものは違うことを示し、グーグルが女性社員を増やしたいなら、女性の入社志望者の基準を下げるのではなく、パートの仕事を増やすなど、女性に魅力ある職場を作ることに努力すべきだと提案したのだ。

男女の賃金の差や管理職における女性の数の少なさについてはアメリカだけでなく、最近は日本のフェミニストからも多く苦情が出ているようだが、完全な男女平等社会であればどんな職種でも男女が半々になるはずだという考えは、男女の差を全く無視した考えから来るものだ。

女性は人間関係の円満さを求める傾向があるので、ストレスが高く競争が激しい分野より和気あいあいな職場を求める。また家庭を優先させるため勤務時間が長い管理職も自ら敬遠する傾向がある。それで必然的に女性の平均賃金はこうした職種に就く男性よりは低くなる。が、もし女性でも家庭をある程度犠牲にしても男性社員との激しい競争に打ち勝てる人は、それなりの地位についている。

カカシは大学は工学部出身だが、機械にしろ電気に建築しろ工学部における女生徒の割合は一割程度だった。しかし女性が理系に向かないのかといえばそれは違って、科学でも化学や生物学および医学系、そしてわが母校が誇る酪農・農業科学などには女生徒が非常に多かった。つまり女性は機械よりも生きたものに興味があるということだ。

大学がこうなので、機械及び電気工学専門の職場であるカカシの職場では必然的に女性エンジニアの数は一割程度。わが社の女性社員は圧倒的に人事課とか総務課の仕事についている。カカシがこの一割のエンジニアに含まれることは言うまでもない。

平均的な女性と平均的な男性の違いを指摘することは決して一個人の女性の能力を軽視するものではない。ダモアーはグーグルから「男女差のステレオタイプを促進している」として解雇されたが、シャピーロ曰く、グーグルの「多様性方針」こそが男女差のステレオタイプに基づいたものだという。

職場の文化を豊かにするためにもっと多くの女性を雇わなければならないという考え方そのものが、女性は男性と違うという思想に基づくものだ。ザ・ブレーズ誌のマット・ウォルシも、もし男と女が同じなら、女性が特に職場に貢献するものはないはずだと指摘する。

もっと女性社員の数を増やすべきだという考えは、女性が男性と違った特有な才能を持っているからでなければ成り立たない。女性と男性が全く同じなら職場の男女の比率が同率でないからと言って特に問題はないはずだ。だがもし、女性には男性とまったく違った特性があると主張するなら、その特性が女性をある種の職場から遠ざけている可能性も考えなければならない。女性には特性があると言っておきながら、その特性が男性とは違うのだと指摘することを差別だと言い張るのはおかしい。女性が男性と同じなら女性は特別ではない。女性が特別なら男性とは違う。どっちなのか?

グーグルは民間企業なのでどんな理由で社員を解雇しようとグーグル社の勝手ではあるが、常に多様な意見の交換を促進していると掲げている同社が、社風の保守派弾圧思想を批判した社員を即解雇したというのは、いかにダモアーの指摘が正しかったかを証明するものだ。これで同社においてダモアーの意見に賛成している社員は口をつぐまざる負えなくなっただろう。

しかし、ダモアーのような賢い男性が、このメモが炎上することに全く気が付かなかったとは思えない。はっきり言ってダモアーは確信犯だと思う。ダモアーはこのメモが社内内部で収まるなどとは考えていなかったはず。このソーシャルメディアの時代、しかもグーグルというネット情報検索エンジンの会社の第一線で働く彼が、自分のメモがソーシャルメディアで拡散されないと考える方がおかしい。そうなればフェミニスト連中が女性蔑視だと言って騒ぎ立て、後退派メディアが歪曲報道をやって、会社に恥をかかせたと怒ったグーグルがダモアー解雇、、となることは最初からわかりきっていたことだ。

ダモアーはグーグルを訴える覚悟があると言っているが、最初からそのつもりでグーグルを挑発したことは明らかだ。グーグルはダモアーが言った通りの反応を示した。実際ダモアーが勝訴する可能性があるかどうかはわからない。だが今後彼はこのことを利用して保守系メディアで活躍できるはずだし、すでに採用の依頼が来ているという話もある。なんにしても今後の彼の人生は結構明るいのかもしれない。

August 11, 2017, 現時間 2:59 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 5, 2017

後退派左翼の過激ぶりに愛想をつかす革新派リベラル

フェミニズム

最近今まで自分をリベラルとか革新派だと思っていた人たちが、後退派左翼の過激派ぶりに呆れかえって愛想をつかすというケースを多く見るようになった。今回は、こともあろうに左翼リベラルの象徴ともいえるニューヨークタイムスに最近のフェミニストの指導者ともてはやされている過激派女性たちへの批判が載った。バリ・ウエイズ女史(BARI WEISS)著の革新派が嫌悪を奨励する時は読む価値あり。

ウエイズは自称革新派リベラル。トランプ大統領に「抵抗」して今年初めに行われた左翼主催の反トランプデモの「女性行進」にも参加した。しかし彼女はこの女性行進で指導者としてもてはやされている何人かの女性たちに対して少なからぬ懸念を抱いている。何故、革新派ともあろうものが、こんな暴力的過激派人間をフェミニストの代表者みたいに崇め奉るのかと。

先ずソーサー女史。なんといっても四人の代表者の中でも一番目立つ存在。「ヒジャブをつけた地元女性」として売り物だが実はかなり問題な見解を過去に述べた歴史がある。

とはじまってウエイズは、ソーサーが反シオニストで「シオニストより気持ち悪いものはない」と2012年にツイッターで書いたりしているのがその一例だとし、フェミニストの代表みたいに扱われているソーサーがいかに反フェミニストの思想であるシャリアを支持しているかを指摘している。ソーサーは反イスラミストのフェミニストで女性器切除の犠牲者でもあるアヤン・ハーシ・アリ女史に対して下劣な言葉で侮辱。アリは「本当の女ではない」ので彼女の女性器を取り上げてやりたいなどとツイートした過去がある。

彼女のこうした行動を彼女も彼女の支持者たちも、そんなのは昔の話だと言って取り合わない。そしてそうした攻撃は極右翼のイスラモフォビアからくる理不尽な攻撃だと言い張る。ウエイズは指摘していないが、ソーサーはどこかの大学での講演したとき、質疑応答の際に彼女のアリ女史に対するツイートについて質問された際に、「あんたは白人男性だ」と先ず質問を無視。あたかも白人男性にフェミニズムについて語る権利はないといったように男性に怒鳴りつけただけで、自分が書いて削除したツイートについては過激派右翼の陰謀だと言い張った。

彼女のツイートは大昔のもので人は時としてバカげたことも言うので、今はそうは思っていないというのであればそれはそれである。しかしソーサーのアリ女史に対する発言が単なる序章であったことは、先日7月16日、女性行進がAssata Shakurというテロリストに「お誕生日おめでとう」のツイッターを送った時の出来事ではっきりしている。Assata Shakurは本名ジョアン・チェスィマードという殺人犯でFBIの指名手配になっているテロリストだ。彼女は警官を殺して有罪になりキューバに逃亡。今でもキューバに潜在中だ。

なぜ左翼がこんなテロリストを応援するのだというニュースキャスターのジェイク・タッパーの発言に対してソーサーはタッパーはアルトライトに参加して自分をいじめにかかったとツイートした。ウエイズは事実無根な気違い沙汰に煽られているドナルド・トランプやその支持者たちとジェイク・タッパーを一緒くたにしてアルトライトと批判するのはいくらなんでも馬鹿げていると指摘する。

いったいいつから国産テロリストを批判することが極右翼特有の姿勢だということになったのか。その姿勢は基本的な道徳観と愛国心からくるものだったはず。

ウエイズはソーサーだけでなく問題のある指導者を何人か挙げている。Assata Shakur のようなテロリストを賞賛しているだけでなく、キューバの独裁者フィデロ・キャストロに追悼の念を送ったマロリー。黒人暴力団ブラック・パンサーの一員で6人の警官を殺そうとして有罪となった男を賞賛するペレズ。双方とも黒人至上主義のルイース・ファラカンの奨励者。

ウエイズが指摘した以外にも、女性行進にどういうえげつない人々が集まったかはカカシも過去に書いている。特にこの女とか。

ダーナ・ヒルトン(Donna Hylton)-女性行進で演説をぶった元売春婦の黒人女性。実は1985年に仲間(女二人と男三人)と一緒に不動産会社の男性を誘拐し20数日間監禁し散々拷問にかけて殺した罪で25年の懲役を受けていた殺人犯だった。この拷問のしかたが残酷なのだが、とくにひどいのは男性の肛門に鉄棒を突っ込んだり、スパナで男性の睾丸をひねくり回したりしたとある。何故そんなひどいことをしたのかという問いにヒルトンは「どうせ奴はホモだったんだから、、」と答えたそうだ。恐ろしい~!

ウエイズは左翼は保守派よりも内部の取り締まりをする勇気があるのかと問いかける。それとも反トランプ感情に押されてこれらの嫌悪に満ちた人々を無視するのかと。

革新派リベラルによる左翼批判が危険なのはウエイズも十分承知だ。こんなことを書けば自分もアルトライトの味方をしているとかイスラモフォビアだとか批判されるのかもしれないと書く。

しかし私はテロリスト奨励には立ち向かう。独立したフェミニストの声を侮り、民主主義を嫌い、独裁政権を奨励することにも立ち向かう。もしそうすることが現在のアメリカの革新派フェミニスト運動の常軌を逸しているというなら、それはそれで仕方ないだろう。

私から言わせれば、アメリカのフェミニスト運動など昔からこんなものだ。しかし遅くてもずっと気が付かないでいるよりはましだ。革新派リベラルはこうして自分らの運動が後退派左翼に乗っ取られていたことを悟るのだ。

August 5, 2017, 現時間 9:41 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 30, 2017

トランスジェンダー押し付けも肥満奨励も同じ穴のむじな

どうでもいいニュース , フェミニズム , 優しい痩身法

最近、トランスジェンダー関係の記事で、女なのに男性ホルモンを摂取して男に見える女が、「男も生理になる」とか言って生理の血液で汚れたズボンの股間を写した気持ち悪い写真をツイッターにアップしていた。自分が男になりたい人間が生理の苦痛に文句言うなんていい加減にしろよと思ったのだが、彼女の苦労が一体このカカシに何の関係があるのかと聞きたくなった。

彼女が自分を男に見せたいと思うのは勝手だ。それで短髪にして男性ホルモン摂取して男装するのは彼女の趣味だから私はどうでもいい。でもそれならどうして何の関係もないカカシや不特定多数の人々が彼女の生理で汚れたズボンを見なくちゃならないのだ? そんなことをする不可思議な女を何故無関係な他人が男と認めなければならないのだ?

もっとひどいのなると、トランスジェンダーとデートしないのはトランスフォビアだなどと言い張る奴まで居る

先日ナタリー・ヘイグというプラスサイズ(デブ)モデルが、飛行機で偶然隣り合わせになった男性が自分の体重について悪口を友達とのメールで交わしていたのを目撃して激怒し男性を怒鳴りつけ、その模様をビデオに撮ってインスタグラムだかのソーシャルネットワーキングにアップした。

この男性は隣に座った肥満女性について友達へのメールで「この女がメキシコ料理を食べなかったことを願うよ」とか「メキシコ人を食べちゃったんじゃないの」とか書いていた。それをこの肥満女は自分のスマホで撮影し、後に男性に対して、彼のメール内容は自分をひどく傷つけた、そういう行為は今後慎むようにと説教を始めた。

はっきり言って、この世の誰にも傷つけられない権利などない。彼女は太ったことを売り物にしているモデルだ、そうやって自分の体をひけらかしているのなら、それに対する批判もどんと受け止めるくらいの度胸を持つべきだろう。

さて、これに関連してデイリーコーラーという新聞にデイビッド・フックステッドという記者が「肥満モデルをもてはやすのは止めてくれ」という記事を書いて避難を浴びている。

フックステッドは最近スポーツイラストレイテッドという男性向きスポーツ雑誌にプラスサイズのモデルによるビキニ姿が多く出るようになったことについて、男は肥満モデルのビキニ姿など見たくないと書いてネット上で炎上してしまった。自分だって太ってるくせに他人のスタイルを批評できた柄か、というのがまあ大半な批判。

しかし一男性読者であるフックステッドが太っているかどうかは問題ではない。一般の読者が肥満モデルが表紙を飾るスポーツ雑誌など買いたがるかどうかが問題なのだ。

なぜモデルが痩せているのかと言えば、それは社会が美とはこうでなければならないと押し付けているからではなく、そういうモデルを見たいと思う人が消費者の大半を占めるからだ。もし肥満モデルを掲げることで雑誌の売り上げが伸びるのであれば、スポーツ雑誌にしろファッション雑誌にしろ肥満モデルを重宝するだろう。

誰がどんな人に魅力を感じるかは個人の自由だ。それを誰かに押し付けられる行為は私は我慢が出来ない。

女を(男を)男(女)と呼べ、肥満モデルを美しいと言え、そういうふうに真実を歪曲し人々の本意を曲げることを体制が押し付けるやりかた、それこそがファシズムなのだ。

July 30, 2017, 現時間 11:03 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 29, 2017

どうしてトランスジェンダーは軍隊に属さないのか

フェミニズム , 防衛

先日トランプ大統領がトランスジェンダーによる米軍隊勤務禁止方針を発表したことによって世間は色々と騒いでいる(NHKー日本語)

アメリカのトランプ大統領は、心と体の性が一致しない「トランスジェンダー」の人たちについて、アメリカ軍で働くことは認めない方針を明らかにし、民主党や人権団体などから批判が相次いでいます。

これはトランプ大統領が26日、みずからのツイッターに書き込んで明らかにしたもので、「アメリカ政府はトランスジェンダーの人たちがいかなる形でも軍で働くことは認めない」としています。

その理由についてトランプ大統領は「われわれの軍は圧倒的な勝利を収めることに集中しなければならず、トランスジェンダーがもたらす多額の医療コストや混乱が負担になるべきではない」と主張しています。

オバマ前政権は去年、トランスジェンダーの人たちのアメリカ軍への入隊を禁じる規則を撤廃すると発表していて、アメリカのメディアによりますと、アメリカ軍で兵士などとして働いているトランスジェンダーの人は2000人以上いると見られるということです。

トランプがこの方針をツイッターで発表したことには問題があるが、方針そのものは妥当だ。トランスジェンダリズムというのは精神病であるから、そういう精神病患者は軍人には適さないからである。

それについて、トランスジェンダーがどれほど精神的に不安定であるかという話をダン・マクラフリンがUSTSという2015年のトランスジェンダー調査を用いて指摘している。18歳から25歳を対象に行われたこの調査によると、


  • 53%が現在深刻な精神的問題を抱えている(一般人は10%)、
  • 40%が自殺未遂の体験がある(一般人4.6%)、
  • 48%が過去一年以内に自殺を考えたことがある(一般人4%)、
  • 82% がこれまでの人生で自殺を考えたことがある、
  • 29%が過去一か月以内にに大麻などの違法麻薬摂取をした(一般人10%)、
  • HIVやエイズ感染度が一般人より多い。

トランスジェンダーをどのように軍隊に配属させるかという便宜上の問題以前に、トランスジェンダーの精神問題は非常に深刻だ。自身および同胞の命に係わる決断を究極な状況で常に要求される軍人がしょっちゅう自殺を考えているようではお話にならない。こういう問題を抱えた人間は極力避けるのが軍隊の責任だ。

さて、仮に全く精神異常のないトランスジェンダーを入隊させたとしても、トランスの配属には多々の問題が生じる。どちらの更衣室やシャワー室を使うかということもだが、医療費や治療をどうするのかも問題だ。冒頭で添付したNHKの記事では医療コストは誤差の範囲などと書かれている。

米医師会「医療コストは国防予算の誤差の範囲」

トランプ大統領の方針を受け、アメリカ医師会は26日、会長名で声明を発表しました。声明では、「トランスジェンダーの人たちを軍から除外する医学的な根拠はない。トランスジェンダーの人たちがもたらす医療コストは国防予算の誤差の範囲で、愛国心のあるアメリカ人が国に奉仕する機会を拒否する口実に使われるべきではない」と指摘して、多額の医療コストがかかることを理由として挙げたトランプ大統領を批判しています。

国防費が大幅に削られて必要な節約している軍隊に対して、誤差の範囲とかよく言うよと言いたい。軍隊の人間がどれだけ犠牲を払っているかお前らに何が解る。軍事病院で人手が足りずにどれだけの退役軍人が必要な治療を受けられないか、それを考えたらトランスジェンダーの性転換手術まで国防費で払えとか平気な顔して言えないはずだ。第一軍隊が治療費を負担するとなったら、それだけの目的で軍隊に入ろうとするけしからん奴も出てくるはず。

ま、それはともかくだ、軍隊ではトランスジェンダーでなくても持病のある人間は入隊させない。例えば喘息持ちとか極度のアレルギー体質とか常に常備薬を必要とする糖尿病患者とか、最初から特別な治療を必要とする人間をわざわざ入隊させないのは当然の配慮だ。これは単なる経費の問題ではない。戦場で常備薬が切れて任務を果たせなくなったら、本人だけでなく周りにも大迷惑だ。人の命に係わるのだから。

トランスは常に異性ホルモンの投与が必要だし、もしトランス経過中なら整形手術など色々な治療が必要になる。健康に必要がない整形手術のために長期にわたって隊から抜ければ隊のモラルにも関わる。

つまり、最初から多くの問題を抱えているトランスジェンダーを無理に入隊させることに何の意義があるのかということが問題なのだ。軍隊には入りたい人間が誰でもはいれるわけではない。先ほども述べた持病のある人間の他にも、年齢が行きすぎていたり身長が足りなかったり肥満だったり過去に麻薬を使った体験があったり、と色々な理由で不合格になる人がいる。単にトランスもその部類に入るのだとして何が悪いだろう?これは同性愛者の場合とは全く違う。

ところで話はすこしずれるが、カカシが常にMTF(男性から女性への)トランスジェンダーによる女性スポーツ参加を反対している理由として、いくら男性が女性ホルモンを打って去勢手術をしてみても、男は男、女との競争は不公平であり、女性にとって危険だということをあげてきた。しかし最近読んだ記事で、男女の体の違いは私が思っていた以上に大きいということに気が付いた。この記事によると、、

テスタストロンという男性ホルモンは強く頑丈な骨格を作り出す。特に男性の骨盤の発達には大事なホルモンだ。加えて重たいものを持つ力と効率のいい動力も与える。テスタストロンは心臓の大きさやその機能にも貢献するため、平均男性は平均女性より40%も有酸素運動能力が高く持久力も長い。女性は男性よりも心臓が小さいので、同じ量の血液を心臓に送り込むためには高い心拍数を必要とする。

とするならば、例えトランスジェンダーが大人になってから女性ホルモンを摂取しはじめたとしても、もともとある男性ホルモン分泌が減るわけではないし、大人になるまでにすでに作られた骨格や心臓の大きさを変えることは出来ないので、女性よりもずっと有利な肉体を保持していることに変わりはない。こういう人間が生物学的な女性と対等に競争するなど女性にとってどれだけ不公平であるかが解るはずだ。

さて、実はこの記事はデイビッド・フレンチが何故女性が戦闘員として適さないかという議論で書いたものなのだが、私はこれには賛成できない。なぜかというと、これはあくまでも平均的男性と平均的女性を比べたものなので、男性にも女性にも例外はいくらでもいるからである。

例えばアメリカン忍者ウォーリアーの参加者は圧倒的に男性が多いが、それでも最近は各地域で数人の女性たちが男性顔負けの活躍をしている。女性特別枠を作らなくても、30人の予選通過者のなかに2~3人の女性が入っていることは珍しくない。予選挑戦者の9割が男性だとしたら、彼女たちは70%以上の男性を打ち負かしたことになるのだ。こういう人になら戦闘員をやってもらってもいいはずだ。

以前から言っているが、女性でも軍隊の基準(女性用の低い基準ではなく)にかなっている人ならどんな任務にも就けるべきだ。無論その数は男性のそれよりは少ないだろう。だが少ないから無視していいということにはならない。女性だろうと男性だろうと仕事のできる人にやってもらえばそれでいいのだ。軍隊にとって大事なのは戦時に一番役に立つ適任者を職務に付けることだからである。

July 29, 2017, 現時間 2:27 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 2, 2017

なぜ左翼ユダヤ系はイスラムを支持できるのか

フェミニズム , 左右思想

最近の後退派左翼の運動ではモスレムでシャリア推進派のリンダ・ソーサーなる女の台頭でも象徴されるように、なにかとユダヤ系の人権が迫害されている。左翼の集会などでは革新派と自負するユダヤ系参加者たちが、集会のあからさまな親パレスチナ・反イスラエルな方針やホロコースト否定主義者論などが平気で飛び交う会場の空気にいたたまれずに退場するシーンが何度も繰り返させている。大学の反人種差別集会ではあからさまに「ユダヤ人お断り」と掲げられたものさえあった。レズビアンプライドを祝うダイクマーチでユダヤ民族の象徴「デイビッドの星」を掲げていたユダヤ系参加者が退場を強制されたという話はこの間もしたばかり。

にもかかわらず、ソーサーの人気の裏にはアメリカのユダヤ系市民団体の支持が貢献している。今日はジェームス・カーチック(James Kirchick)のこの記事を参考に読んでみる。

ちょっと前ソーサーがユダヤ系が半数近くを占めるニューヨークの大学で卒業式の祝辞を述べた際、地元ユダヤ系を含む多くのニューヨーク市民からソーサーは演説者としてふさわしくないという批判が出た。その時、彼女を弁護して公開手紙を発表したのは誰あろう左翼ユダヤ系市民団体だった。

「我が国において多くの少数派が政府の最高の地位から標的とされている今、(略)我々は共通する境界の橋掛けとなり、お互い団結することを決意するものである。」

同じくソーサーの弁護を買って出たのは、the Anti-Defamation Leagueというもともとユダヤ人への差別や迫害と戦うことが目的で創設された市民団体。

我々のイスラエルに関する見解の違いは大きいが、我々は彼女には自分の意見を表現する言論の自由が保証されていると信じる。

しかし、この「橋掛け」を買って出たユダヤ系団体の思い込みは完全なる一方通行。ソーサーはパレスチナ系アメリカ人としてシオニストと同席することを拒み、パレスチナ人としてアラブ人としてモスレムとして、ユダヤ系の人々の気持ちを慮って自分らの態度を変えるつもりは一切ないと断言している。

ソーサーはシオニズムはフェミニズムとは相いれない考えだと主張している。(これが女性器切除や幼児強制結婚を推進するシャリア支持者がいうんだから笑っちゃう)ソーサーはアンタイセメティズムは黒人差別やイスラモフォビアのような差別とは違うと言い張る。ユダヤ人は組織的な差別を受けていないからだと。(は!ナチスドイツ下で6百万というユダヤ人が組織的に殺されたけどね。)しかもソーサーはシオニズム=イスラモフォビア、よって反シオニズム=フェミニズムだとこじつける。であるから、立派な革新派であるためには必然的にアンタイセメティズム(反ユダヤ民族)でなければならないという理屈だ。ソーサーの台頭によって左翼運動からユダヤ人がいかに排斥されているかが伺われる。

ここで、左翼ユダヤ系は、立派な左翼でいるためには自分たちの宗教や民族に対する暴力を無視してその差別を過小評価しなければならないという悲劇に直面する。それでもソーサーのような魔女を支持できるということは、つまるところ、左翼ユダヤ系にとって「ユダヤ人としての価値観」は左翼でいることの二の次三の次なのだ。

カーチック曰く、左翼連中は常にユダヤに対する暴力や差別はユダヤ人による妄想だと言い張る。最近はホロコーストですら犠牲者はユダヤ人だけではなかったとしてユダヤ人の被害を過小評価する傾向がみられる。近年アメリカではユダヤ人は白人だから(黒人のユダヤ教徒もいるのだが)、女性や黒人やモスレムのように弾圧されている少数民族の部類に入らないという議論も多く出てきた。だが、矛盾していることに、ユダヤ人以外の民族が人権迫害の被害を受けると、ホロコーストが引き合いに出される。「アフリカのホロコースト」とか「シリアのアンネ・フランク」とか。ところがこういうことを言う人に限ってユダヤ人の本当の被害や苦しみに関しては全く興味を示さない。

これはモスレム運動家がモスレム移民批判をする側を「ナチス!」と言って騒ぐのと同じく矛盾した理屈だ。ところで第二次世界大戦中イスラム圏はナチスドイツと組んでユダヤ人撲滅に加担したのだということを覚えておくべき。今、モスレムが反モスレム移民のユダヤ人に向かって「ナチス」と叫ぶ皮肉さに左翼連中は気が付いているのだろうか?

カーチックによると、もうだいぶ以前から左翼の間でホロコースト否定論もしくはホロコースト過小評価論が広まっている。従来ホロコースト否定論者といえば極右翼と決まっていたのだが最近はそうでもないのだ。

ホロコーストを否定する左翼には二つのグループがある。一つは反資本主義で労働者の苦労を唱えるグループ。労働者の苦労はホロコーストの下では影が薄い。よってホロコーストによるユダヤ人の苦労を過小評価することで自分らの葛藤を強調しようとするのだ。

もうひとつのグループは反帝国主義グループ。彼らはアフリカやアラビアが帝国主義の犠牲者だとする見方。アフリカ人やアラブ人がユダヤ人を嫌っていることは周知の事実。ホロコーストの事実を認めることは、イスラエル国の存在を正当化することとなる。だからホロコーストという歴史的事実は煩わしいのである。

それにカカシが思うに、ユダヤ人は犠牲者としてのステレオタイプにあてはまらない。普通、左翼団体が人権弾圧の被害者として持ち出す少数派は、未だに何らかの苦労をしているものだ。貧乏であるとか犯罪者が多いとかテロリストになってしまうとか。だから差別のせいでこの少数派はこんな不幸な思いをしていると言えるわけだ。しかし世界最大の弾圧や差別をの被害を受けているユダヤ人はなぜか世界中で成功を遂げている。もし世界中で一番弾圧を受けてきているユダヤ人が差別や弾圧に打ち勝って成功してしまうとしたら、他の人種もいつまでも過去の弾圧を言い訳に成功できない理由がなくなってしまうのだ。

南アフリカが自分らの貧困を過去のアパルトヘイトのせいに出来ないのもその一つ。

つまるところ、ユダヤ教というのは左翼思想にとって非常に邪魔な存在なのだ。

ではいったい、このような左翼主義に迎合する左翼ユダヤ人の神経というのはどうなっているのか?

ミスター苺曰く、ナチスドイツ時代にもUボートと呼ばれる裏切り者ユダヤ人が居た。彼らはユダヤ人でありながらナチスに協力し、ユダヤ人であることを隠して暮らしている人々の血筋を暴露して告発した者たちである。彼らはそうやってナチスに媚びることで自分らだけが例外として生き延び、自分らの立場を高めようとした下衆(ゲス)たちである。(世界的な左翼悪玉のジョージ・ソロスはUボートだったという説もある。)

左翼ユダヤ人たちが、人種差別者の左翼に迎合することで、自分らの立場を高め、ユダヤ排斥から自分らの身だけは守られると思っているなら愚かとしか言いようがない。どれだけ左翼に媚びようと彼らがユダヤ人であることを左翼は絶対に許さないだろう。利用価値がなくなればユダヤ人として殺されるのだ。

言ってみればユダヤ人は炭鉱のカナリアだ。ユダヤ人が排斥し始められる時、それが独裁主義社会台頭の兆しなのだと知るべきである。

July 2, 2017, 現時間 3:17 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 29, 2017

男女の差を認めないことは女性差別につながる

フェミニズム

先日、往年のテニスプロ、ジョン・マッケンローは、その何気ない発言でJohn ちょっとしたトラブルに巻き込まれた。マッケンローは女性テニス選手としては最高の天才とされるセリーナ・ウィりアムスも男女混合のランキングでは700位くらいになるだろうと語ったことが女性蔑視として批判されたのである。マッケンローはNPRというラジオ局でのインタビューでウィリアムスの才能について語っていたのだが、下記の部分が問題にされた。

司会:男性選手について話してきましたが、もちろん女性にもすばらしい選手がいますよね。セリーナ・ウイリアムスさんについてお話しましょう。マッケンローさんは彼女は女性選手のなかで最強だとご自分の本に書いてらっしゃいますね。

マッケンロー:女性の中で最高です、間違いなく。

司会:なぜ女性と限定するのですか、世界的にも最高の選手とはいえませんか?

マッケンロー:え、いや、、それは違います。世界中の選手のなかでですか?

司会:は、世界中のテニス選手のなかでも最高でしょう。なぜ女性選手と限定するのですか?

マッケンロー:いや、それはもし彼女が男性選手権で戦えば多分世界で700位くらいに位置すると思われるからです。

この発言のどこに問題があるというのか。女性の中では世界最強な女性でも男性と比べたらずっと劣るというのは生物学的な事実であり、フェミニストが好き勝手に書き換えられることではないのだ。

女性と男性の能力が全く同等であるという考えは決して女性にとて良い結果を生まない。かえって女性を危険にさらす。スポーツひとつとってみても、上記のフェミニストの言う通り男女混合で競争すれば、ほとんどの競技で女性が日の目を見ることがなくなる。格闘技なら女性が死傷する危険も生まれる。

私はアメリカ版サスケ、アメリカン忍者ウォーリーアが大好きで毎年観ている。もうこのシリーズはかれこれ8年目になる。最初の頃は圧倒的に男性のみの競技で、女性が予選を通過することは先ずありえなかった。しかし最近になって女性でも第一コースを完走する人が出てきて話題になっている。

三年前、女性で初めて地区予選第一コースを完走したケイシー・カタンザロは、翌朝のテレビ番組でインタビューを受けたりあちこちのテレビ番組でひっぱりだこになった。二年後にベガス決勝戦で第一コースを完走して女性初の第二コース進出を果たしたジェシー・グラシアなんか本当のワンダーウーマンと評判である。

なぜ彼女たちがこんなにもちやほやされるのかといえば、彼女たちが女性なのにほとんどの男性が失敗する競技で堂々と競争しているからである。彼女たちが男性なら、それなりに人気はあっても、これまで決勝進出を果たしたほかの何百人の男性たちと同じだ。

サスケにおける女性勝者の割を観ればわかるように、すべての競技が男女混合なら、ほんの一握りの天才的ワンダーウーマン以外はスポーツ競技で活躍できないということになる。

男女の生物学的違いを認めなければ、言わずと知れたトランスジェンダーを名乗る女装男らによる女性スポーツ制覇につながる。今はまだほんの数人の女装男が地方の陸上競技でちまちま競争しているだけだが、そのうちにどうみても女性には見えない手術もしてないホルモンも摂取していない完全な男が女を装って女性スポーツに侵略してくること間違いなしである。そうなって損害を受けるのは無論、女性だ。

こうしたことはスポーツ以外の場所でも当てはまる。それについては回を改めて書くことにしよう。

June 29, 2017, 現時間 11:14 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 27, 2017

イスラムの女性虐待についてフェミニストからは質問なし

フェミニズム

先日の25日(6/25/17)、シカゴで行われたゲイプライドの一部である毎年恒例ダイクマーチ(女性同性愛者行進)でユダヤの象徴である「デイビッドの星」旗を掲げていた三人の参加者が退場を求められるという事件が起きた。主催者によると行進は親パレスチナおよび反シオニストの行進であるため、イスラエル国旗に記されているユダヤの象徴を掲げることは参加者の安全を損ない不安にさせるものであるということであった。他にもアメリカの星条旗を掲げていた女性が退場をもとめられるという場面もあった。何故ダイクマーチが特定の民族を守り、特定の民族を迫害する行進になってしまったのか、参加者のなかにも疑問を投げかける人々もいた。

皮肉なのは、同性結婚を認めているアメリカや中東で唯一同性愛者の人権を認めているイスラエル国の旗を阻害する行為だ。パレスチナがメンバーのイスラム圏の国々では同性愛行為そのものが違法であり、多くの同性愛者が極刑を含めひどい迫害を受けているという事実をこのダイクマーチの女たちは完全無視している。

欧米のフェミニストたちがイスラム教による女性や同性愛者弾圧に無関心なのは今に始まったことではないが、先日もアメリカの議会公聴会でリベラルと称するフェミニスト議員たちがいかにイスラムの女性虐待に興味がないかを象徴する出来事があった。

去る6月22日、アヤーン・ハーシ・アリとアスラ・Q・ノマンジューン(AYAAN HIRSI ALI and ASRA Q. NOMANIJUNE )という二人の元イスラム教徒がアメリカ議会の前でモスレム社会による女性虐待の実態について証言したが、常に女性の味方を装っている民主党女性議員の間からは何の質問もないという不思議な現象が起きた。(アリ女史についてはよもぎねこさんが詳しい紹介をしてくれているので是非参照のこと。)

それについて二人の女性はこの不思議な体験を語っている。

アリ女史とノマンジューン女史が証言をする一週間前、カリフォルニア代表民主党上院議員のカマラ・ハリス女史は共和党上院議員が、ハリス議員によるジェフ・セッション司法局長への尋問を途中で妨げたことで、議会はいまだに男女差別の文化があると大騒ぎをした。しかしその一週間後に、同じハリス議員は国土安全保障に関する公聴会でイスラム教による極悪な女性虐待について証言した二人の女性の証言を完全無視した。

二人の女性は国会での公聴会ということで非常に緊張していたのだが、ハリスを含め他三人の民主党女性議員からの質問は全くなかったと語る。

これは単なる落ち度では済まされない。マッククリスタル上院議員(女性)は一時、公聴会のテーマそのものに疑問を覚えると語った。「特定の宗教を歪曲し悪と偏向するのは異例だ。」と彼女は「宗教に固執すべきでは」なく「心配だ」だと付け加えた。

結局質問は二人の女性を招待した共和党のウィスコンシン州代表ロイ・ジョンソン議員とモンタナ州代表スティーブ・ダニエル議員によるものに留まった。

聖廟の司教者たちの前で我々が透明であると同じように民主党女性上院議員の前でも私たちは透明なのだ。

ハリス議員やその他の民主党女性議員たちのこれまでの言動から、彼女たちが女性問題について無関心であるとは誰も思わない。ではなぜイスラム教による女性虐待に関してだけは無関心で居られるのだろうか?いや、無関心どころの騒ぎではない。彼女たちの行為は積極的な隠蔽だ言論弾圧だ。

なぜ自称革新派の女性たちはイスラム教による明らかな女性虐待に目をつむるのだ? 他宗教や文化によるものであれば絶対に許されない女性虐待をなぜイスラム教にだけは許すのだ?イスラム圏に住む女性の身などどうでもいいというのか?それこそ人種差別ではないのか?

「男女賃金不均衡や妊娠人工中絶医療機関や職場での男女差別に関しては色々言うことのある人々からは、未だに名誉殺人や幼女結婚や一夫多妻制や性奴隷や女児性器切除といった虐待に対する発言がない。」

議会で証言したのは民主党が好む有色人種のアフリカ人とインド人女性。元イスラム教徒としてイスラム社会を非常に理解している体験者である。彼女たちの証言は実際の体験談であり、誰かによる推論や他人の受け売りではないのである。にもかかわらず、いや、だからこそ、民主党フェミニストたちは彼女たちの証言を聞きたくなかったのだ。

その答えは簡単だろう。もし彼女たちが本気で過激派イスラム教思想の真実を認めたなら、ランプ大統領による過激派イスラム圏諸国からの移民規制に対する批判が成り立たなくなる。元モスレムの女性たちの証言が事実であったならば、イスラムは平和な宗教だという民主党によるプロパガンダが崩れてしまうからだ。

後退派左翼にとって、本当の意味での女性人権などどうでもいいのだ。イスラム教に同調することで自分らの政治権力を強めることが出来さえすれば、女性人権など地に落ちろである。彼・彼女たちにとって女性の安全など最初から問題ではないのである。フェミニストなどという言葉は最初から無意味なのだ。

後退派左翼のアジェンダが実を結ぶに至っては、常に犠牲になるのが女子供という弱者であることを我々は肝に銘じておくことが必要だ。

June 27, 2017, 現時間 6:35 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 4, 2017

ストックホルム症候群、フェミニストの国スエーデンの街角から女性が消えた

フェミニズム , ヨーロッパ , 狂ったメディア

この間、トランプ大統領がスエーデンはナンミンのせいでひどいことになっているという話しをして、アメリカメディアやスエーデン政治家がトランプをおちょくったという話をしたが、インフォワーというオンラインニュースで記事を書き、ユーチューブでヴロガー(ヴィデオブロガーの略)でもあるポール・ジョセフ・ワトソンがツイッターで、『トランプ大統領をあざ笑ってるリベラル連中の一人でもスエーデンのノーゴーゾーンに滞在する勇気のある奴が居たら、旅費を払ってやってもいいぜ』と書いたところ、ティム・プールというアメリカ人の独立リポーターが自分がスエーデンのノーゴーゾーンに行って取材してきてやる、とワトソンの挑戦を受け入れた。

プールは最初、マルモのモスレム人街でアラビア男とスエーデン女性のカップルを訪問。二人ともマルモは安全で午前三時でも奥さんは一人で外を歩けると話しているビのデオをアップ。ほ~れみろ、スエーデンが危険だなんて右翼のでっちあげだとほくそえんだのもつかの間 (もっとも旦那の方は移民の90%がイスラム国を支持していると気軽に言ってのけたのだが)、別のノーゴーゾーンRinkebyという町を訪れたところ、彼の周りに人相の悪い男たちが集まり始めたため、警察に付きわれて街を立ち去ることとなった。警察官はプールをその場で逮捕したら回りに50人からの暴徒が集まって石を投げられるだのひどいことになっていただろうと語ったという。

後退派左翼のプールにもこれでちょっとは現実が見えただろうか。

さて、スエーデンが安全だなどと最初から思っていなかったイギリスのケイティ・ホプキンズという女性記者のリポートを読んでみよう。

彼女は去年からスエーデンの知り合いたちから、是非スエーデンに来てスエーデンのひどい現状を取材して欲しいと嘆願されていた。本当は去年の12月に行くはずだったのだが、航空会社のストライキで今まで延期になっていた。やっとこさスエーデンを訪れたホプキンズを待っていたのは思った以上にひどいスエーデンの現実だった。

私がスエーデンに着陸して12時間もしないうちにナンミン収容所は放火と思われる火事で崩壊、警察を狙ったのか聖廟を狙ったのか手榴弾が聖廟近くのゴミ箱で発見され、マルモ市では別の手榴弾が爆発してけが人が出た。

こうしたことが問題かどうかは議論の余地があるかもしれないが、はっきり言ってこれは気違い沙汰だ。21世紀のスエーデンで、超革新派として理想の国とされていたその国で、こんなことが起きているなど信じ難い。

スエーデンのNHKとも言える国営放送局のカメラマンはなぜスエーデンの現状がこうも政治的な扱いを受けるのかとホプキンズに質問したという。彼女はいったどっちが気が狂っているのかという目で彼を見返した。

スエーデンといえば、一昔前まではフェミニストの国として知られていた。男女同権の先端を行く国で、世界で一番平和で安全な国として福祉国家の鏡とさえ言われて崇め奉られていた国なのである。20年前に大量の移民を受け入れ始めるまでスエーデンの女性たちは世界で一番美しく自由奔放という評判だった。それが今やどうなってしまったのか。

  • 宗教や人種に関わらず女性は皆外に出るのが恐ろしくて家のなかに閉じこもったまま。
  • 外でたむろしているのは若い外国人ばかりで、出会う男たちは白人女性のホプキンズを面と向かって売女呼ばわりし性的ジェスチャーをしてみせる。
  • 実情についてインタビューに応じた女性は他のフェミニストから人種差別者と責められるのを恐れて仮名を使い顔を出すのを拒んだ。
  • テレビ局の報道者はごみ箱に設置された手榴弾をあたかも通常のことであるかのように報道する。

バス停でひとりバスを待っていたホプキンズはこんなにひとりぼっちだと感じたことはないという。それというのも外に居るのは若い男たちばかりで、女性は老いも若きも一人も歩いていないからだ。街をたむろしているナンミン男たちは当てもなくぼんやりしてる。誰も仕事などしておらず、スエーデンの気前のいい生活保護で一日やることもなく過ごしているのだ。

確かスエーデンでナンミンの就職率は30%にも及ばないという話だ。

女性たちが怖くて外に出られない国、これがフェミニスト先進国の成れの果てなのか?

アメリカでフェミストを気取る女たちが「女性行進」でリーダーとして持ち上げてる女はなんとモスレムテロリスト。デモでアラーアクバルの音頭を取り、イスラム教こそフェミニストの強い味方などと信じられないことを言っているのを、アメリカの馬鹿フェミどもが鵜呑みにしているのだからわからない。あの女たちは本当にそこまで馬鹿なのか?

アメリカでトランプの移民規制に反対して女性器を表すピンクの帽子など被って「女性行進」などというデモをやっているフェミニストたちに、このスエーデンの現実を是非知ってもらいたいものだ。そういう意味でトランプがスエーデンを持ち出し、メディアがトランプをおちょくったことで、スエーデンの移民問題が注目されたのはよいことだったといえるだろう。

March 4, 2017, 現時間 8:37 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 19, 2017

スエーデン、移民による犯罪実情を告発した警察官、ヘイトクライムで捜査対象に

フェミニズム , ヨーロッパ , 狂ったメディア

この話は一週間くらい前のことなのだが、スエーデンの警察官が二人立て続けにスエーデンにおける移民たちによる凶悪犯罪の実態について勇気ある告発をした。読者諸氏はもうご存知のことであるが、スエーデン政府は自国でおきる移民による犯罪をことごとく隠し続けてきた。ここ1~2年で急増した移民による問題が生じるずっと以前から、スエーデンでは移民によるひどい犯罪が問題になっていた。そのあまりの問題に、スエーデン政府は犯人の出生地を統計に取らないという処置を取って移民による犯罪の実態を隠しとおしてきたのである。

政府とメディアが強力して極悪犯罪の犯人像を隠すのはスエーデンに限ったことではない。そのやり方についてはナスタチウムさんも紹介してくれている。

先日(2月7日)ピーター・スプリンガー(Peter Springare)というこの道47年というベテラン警察官が、自分のフェイスブックにスエーデンにおける大半の犯罪が移民によって犯されていると現場の現状を赤裸々に掲載したところ、当局から「人種嫌悪を煽る行為」をしたとして捜査の対象になった。

スプリンガーさんはもう自分は47年も勤めたのだから、真実を述べて罰せられようとどうでもいいとして、貯まっていた鬱憤をフェイスブックでぶちまけたのだ。

今週私が月曜日から金曜日まで携わった事件は、強姦、強姦、強盗、傷害、強姦傷害、そしてまた強姦。恐喝にゆすり、警察官への暴力、警察官への脅迫、麻薬、麻薬、殺人未遂、また強姦、、、、、(まだまだ続くが省略)

容疑者はアリ・モハメッド、まふもっど、モハメッド、モハメッドアリ、モハメッドが二人続いて、クリストファー(本名ならね)。麻薬取引でスエーデン名がひとつ混ざっていた。そしてまたモハメッド、モハメッドアリ、とモハメッドが何度も続く。

容疑者の出身国はイラク、イラク、トルコ、シリア、アフガニスタン、ソマリア、ソマリア、シリア、またソマリア、不明、不明、スエーデン。半分以上の容疑者の出身国が不明なのはちゃんとした書類をもっていないから。ということはつまり自分の身元や出身国や国籍について嘘をついているという証拠。

私が言っているのは örebro 区域だけの話。これらの犯罪がUtredningsförmåga市の100%を占める。こういう状態がもう10年から15年続いている。

スエーデン検察はすでにスプリンガー氏の取り調べを開始した。スエーデンでは移民に関する犯罪を告発することがヘイトクライムになるからである。しかし、スプリンガーさんのフェイスブックポストは一般市民や警察官から多大なる支持を得ており、すでに7日の段階で92000の「いいね」クリックがあった。

スプリンガーさんを支持するグレーターゴッセンバーグの警察官Tomas Åsenlövさんは、コード291という移民の犯罪を隠す規則の施行を強制されていると語る。「スエーデン市民は今こそ真実を知らされなければならない。」とÅsenlövさん。このコード291は移民が関係した犯罪のすべてを隠す規則で、容疑者の顔写真公開を禁じるなども含まれている。

若い警察官は上司を批判したりおおっぴらにピーターを支持することが出来ないのは解る。それをやったら未来はない。別の仕事に応募しようにも雇用主から不忠義な奴だと決めつけられてしまう。(略)

だが、いまや匙は投げられた。このことで指導者たちも目をあけて現実逃避を止められるかもしれない。

さあ、どうだかね。スプリンガーさんやÅsenlövさんはもう引退直前なので首にされようがどうしようがどうでもいいと思ってこういうことを書いているが、若い人が内部告発できなくては事態は変らない。一人二人の警察官が何を言ってみてもスエーデン政府がその方針を変えるとは思えない。

私はスエーデン政府はもう終わってると思う。政府自身が移民問題について正面から向き合うつもりなど全くない以上、スエーデン警察官にしろ一般市民にしろ自分らの手でスエーデン国家をスエーデン人のために取り戻す必要がある。

それには政府のやり方に不満な警察官や軍人が職務を辞任して有志ある一般市民と共に民兵軍を設立し革命を起すしかない。もし現役の政治家たちを選挙で追い出せないなら、もう武力で立ち向かうしかないだろう。スエーデンは完全に占領下にあるのだ。

最後に同日警察に向けられた暴力事件についてご紹介して締めくくることとする。


警官の自家用車が爆発、警察標的の暴力急増 スウェーデン


2017年02月07日 19:19 発信地:ストックホルム/スウェーデン

警官の自家用車が爆発、警察標的の暴力急増 スウェーデン スウェーデン南部マルメで鉄道の警備に当たる警察官ら(2015年11月11日撮影、資料写真)。(c)AFP/TT NEWS AGENCY/STIG-AKE JONSSON

【2月7日 AFP】スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)郊外で6日未明、警察官の自宅前に止めてあった自家用車が爆発する事件が発生した。スウェーデン当局は国内で警察官を標的にした暴力が急増していることを懸念している。

 事件は午前0時過ぎ、ストックホルム郊外の緑豊かな街タビー(Taby)で発生した。爆発による負傷者はいない。これまでに逮捕された人物はいない。また警察は犯罪組織による犯行とはしていない。

 スウェーデン警察庁のダン・エリアソン(Dan Eliasson)長官は声明で「司法もしくは警察の関係者が脅迫や攻撃にさらされており、その数が多すぎる」と述べた。

 欧州の他国に比べてスウェーデンの犯罪率は低いが、政府の統計によると、2016年に報告された警察官に対する身体的暴力事件は86件で、前年比で65%増加している。

 警察労働組合の幹部はスウェーデン通信(TT)に対し「警察を黙らせ制圧しようとする脅迫や暴力行為はかつてなく増えている」と述べた。

 被害に遭った警察官の身元は公表されていないが、氏名はインターネット上に流出している。事件現場の住所は同国4番目の都市である東部ウプサラ(Uppsala)で麻薬密売捜査を担当している警察官の自宅住所と同一だという。(c)AFP

February 19, 2017, 現時間 12:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 17, 2017

トランス『女』は生物学的にも男じゃないって言える神経

フェミニズム , 科学

アップデートあり:後記参照。

ユーチューブでちょっと有名なライリー・J.デニスという男が居る。彼の存在を知ったのは若いアルトライト連中が彼のビデオをしょっちゅうおちょくっているからなのだが、今回はエブリデイフェミニズムという後退派左翼馬鹿フェミサイト、いつもトンデモビデオをこさえているデニスとしても特に突拍子もなく馬鹿げた見出しがついていたのでつい読んでしまった。(さすがにビデオを見る気にはなれなかったが)。題していや、トランス女は生物学的にも男子ではない!No, Trans Women Are NOT ‘Biologically MaleFebruary 10, 2017 by Riley J. Dennis というもの。

先ずデニスを知らない読者のために説明すると、彼は自称「トランス女」なのだが、日本のテレビ番組で人気のあるオネエさんたちと違って女性に見せようという努力を全くしてない男だ。彼は髪の毛を伸ばしてマスカラをつけている以外は女性の振りさえしていない。興味のある人はリンク先からビデオでも見ていただければわかるが、声も男のまんまだし話し方も全く男そのもの。ホルモン治療も整形手術もする気はないと常に言っているし生まれつきな女性以外には魅力を感じないとも認めている。

最初にデニスはトランスジェンダーなんぞ存在しないと思っている人は最初からこのビデオを見ないでくれと言っている。このビデオはトランスジェンダーの存在は認めているが、生物学的な性を変えることは出来ないと考えている人のためのものだという。それで性別(ジェンダー)は社会的構造であるが、性(セックス)は生物学的であると考えるのは間違いで、真実は性も生物学的なものではなく社会的構造なのだ、とデニスは主張するのだ。

だいたい性と性別が別物だという考えからしておかしい。カカシちゃんは生物学的には女子だが性別は男子だ、なんて何の理屈にもなっていない。セックスとジェンダーは同義語であり切り離すことは出来ないのである。だから、性は生物学的なものだと信じている人は、それがセックスでもジェンダーでも同じことなので、デニスの屁理屈がどういうものなのか紹介したいと思う。

カカシがトランスの人がよく使う言い回しで特に嫌いなのが「生まれたときに指定された性別」という言い方だ。人間は生まれた時点で誰かに「はい、あなたを男子/女子と指定します」などと言われるわけじゃない。あえて誰かが指定したとしたら、それは神様だろうが、デニスは無宗教者だというからそれも無理。

性/性別は単に生物学的な識別である。一般には新生児の性器でその識別は行なわれる。確かに性器がはっきりしていない新生児も居るが、その場合は染色体を調べればはっきりするし、それで中性だった場合にはインターセックスという例外として識別される。 インターセックスはあくまでも例外である。

性の識別は科学的にはっきりしている。いつか人間の染色体まで変えることが出来る日が来るかもしれないが、今の段階では性は男女の二つしかない。そしてそれは受精したときから一生変ることはないのである。

デニスの屁理屈は、『一般人は染色体だのホルモンの検査だのを受けるわけではなく、性器の形で男子か女子かを決められている、しかし最近は整形やホルモン治療で見かけなどいくらでも変えることが出来るようになったのだから、生物学的にも異性への転換が可能になった。』というものだ。

デニスがこういうことが言えるのは、彼が生物学を全く理解していないからだ。一般に男子と女子の違いは見かけで区別がつく。しかし男女の差は見かけの違いだけではなくもっと複雑なものだ。先ず第一に生殖機能の違い。女性には妊娠して出産するという機能がある。どれだけ男子が女子に見えたとしても彼が子供を宿して生むことは不可能である。同時に男子には女子を妊娠させることが出来るが、どれだけ男性ホルモンを受けていようと彼女に女子を孕ませることは出来ない。

もちろん女子でも不妊症の人も居れば男子でも女子に妊娠させることが出来ない人もいる。閉経した女子が女子でなくなるのかといえばそうではない。生殖機能は男女を区別する上で非常に大事な要素ではあるが全ての要素ではない。

筋肉や骨の密度、骨格の違い、内臓の違い、そして近年明らかになった脳の違いなど、男女の差は数え上げたらキリがない。確かに我々は双方ともヒトではあるが男と女ではまるで別な動物であるかのごとく違うのである。

生物学的な違いは我々の自我に非常に大きな影響を与える。個人が自分が何たるかを感じるとき、この遺伝子とは切っても切れないつながりがあるのだ。どれだけホルモン剤を摂取しようと性器を整形しようと人の中身を変えることは出来ない。

それでもまだ、ホルモン治療やいた~い去勢や乳房除去手術などをやって、より異性にみせようと努力しているひとならともかく、デニスのようにそんな努力を全くせずに、どうみても単なる女装男が女性だと感じただけで生物学的にも女性になれると言い切れるその神経って、いったいどうなってんだと私は聞きたい!

毎月の生理の痛みや不快さを感じたこともない男に女の何がわかるっつうの!初潮の苦しさ、長年に渡る生理の不快さ、予期せぬ生理に衣服を汚してしまった恥かしさ、妊娠や出産の喜びと苦しみ、または女性に生まれながら不妊に悩む苦しみ、10年にも渡る更年期のつらさ、そんなもの何にもわからないくせに、想像もつかないくせに、

そういういう男が女面(おんなづら)するな!

アップデート:実は~、デニスはあたかも自分がトランスジェンダー女の代表みたいな顔をしているが、トランス女でもデニスを嫌っている人はかなり居て、そのなかでもデニスは本当のトランス女ではないと言い張るトランス女たちが結構居るということを知った。

彼ら(彼女ら?)によると、普通トランス女は自分の男性的な体格には嫌悪感を持っているのだという。考えてみれば体は男なのに心は女だと信じている人々にとって、常に男性を思い出させる男性器や骨格やのど仏などは自分が男性であることの確証として忌み嫌われるのというのも理解できる。

ところがデニスは別のビデオのなかで、自分の体のなかで特に嫌いな部分はないと言っている。繰り返すがデニスは髪を多少長めに伸ばしていることと、マスカラを塗っている以外はとりたてて女性らしい格好をしていない。彼が好んで来ているタンクトップの外にはみ出している幅広い肩幅や筋肉質な腕や人一倍大きな喉仏にしても、まるで男性そのもの。そういったものをデニスは特に隠そうとしていないし声も完全に男のままで話し方も全然女らしくない。

生まれた性に一致した身体に全く抵抗がなく(よってホルモン治療も整形手術も受ける気がない)生物学的な異性に性的魅力を感じる人間って、単に普通の男じゃん!彼のどこがトランスジェンダーなんだよ?!という疑問が生じるのは当然。

で、とあるトランスジェンダーブロガーによると、デニスは本当は生物学的にも精神的にも完全な男だが、トランスジェンダーを装って、馬鹿げたビデオを作り続けることによって本当のトランスジェンダーをおちょくって、その信用度を落とそうとしているのではないかというのである。

もし、デニスがトランスジェンダーのパロディキャラを演じているとしたら、彼のばかばかしいビデオは大成功を収めているといえる。なにせアルトライトからもフェミニストやレズビアンやトランスといった左翼連中からもデニスはバンバン叩かれて、彼のビデオのヒット数はうなぎのぼり。ユーチューブはヒット数が多ければ多いほどお金になるのだから、デニスの狙いはそこにあるのかもしれない。

February 17, 2017, 現時間 7:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 12, 2017

男と女の脳みそは違うのだ!

フェミニズム

女性と男性の頭脳は違うという話は以前にもポリコレによって脅かされる女性の健康でしたが、今回は久しぶりにまともな記事を掲載したロサンゼルスタイムスでの論文を紹介しよう。著者はデボラ・W.ソーというカナダはトロント市のヨーク大学脳科学者。「中性教育の徒労」という男女の頭脳には明白な違いがあるという記事。

ソー博士の研究はすでに常識人なら誰もが実感している男女間の脳の違いを証明するものだ。どれだけフェミニストやらジェンダーフリーだのジェンダー流動体だのトランスジェンダーだのと言った人々が、性別は社会的構造であると主張し、子供は男女を問わず白紙の状態で生まれてくるのであり、乳児の頃から全く男女の区別をせずに育てれば、子供たちは誰もが同じように中性に育つと主張してみても科学とは争えないのである。

男女はまだ物心つかない乳児の頃から男児と女児では全く違う性質を示すことが多々の研究で明らかになっている。(研究などしなくても男女の子供を育てたことのある親ならすでに既知の事実だが。)

たとえばおもちゃの好み一つ取ってみても、男女では明確な違いがある。一般に女の子はお人形のような社交術の発達に役立つものに魅かれるのに対し、男の子は自動車とかトラックのような空間認識を育てる機械的なものを好む。

最近発表された研究によれば、9ヶ月の乳児でも男女の差は現れ始め、18ヶ月にもなれば子供たちは自分の性に対する意識など全くないにも関わらずその差ははっきりするという。また、女児が胎児のときに多くの男性ホルモンを吸収すると生まれてから男っぽい性質を見せるようになる。つまり、男女の性質の差はホルモン摂取の量に深く関わりがあるということらしい。

興味深いのは人間だけでなく類人猿でも同じような傾向があり、ベルベット猿を使っての研究では、若いメスザルはお人形にオスザルは車輪のついたおもちゃに惹かれた。これらの猿は飼育係から特別なオスメス区別は受けていないにも関わらずだ。

こうした科学的なデータがあるにも関わらず、中性運動はどんどん勢力を増し、昨年ナショナルアカデミーオブサイエンスで発表された研究では男女の脳は全く同じだと結論付けている。男女差は生物学的なものではなく人工的に創造された社会構造だと主張したのだ。

しかしながら、多大なる神経画像調査により、男と女の脳には明らかな違いがあることがわかっている。126の別々の調査により、男性の脳みそ容積は女性のそれよりも大きいことが発見された。また男性の脳にはより多くの白い接続体が前方から後方につながっているのに対し、女性の脳の接続体は右と左との間につながっているという。

先に男女の脳は同一だとした調査のデータを他の科学者が再度吟味した結果、このデータを使って73%の割りで男女の脳を見分けることができたという。しかしこの発見はメディアから注目を浴びなかった。

男女中性教育の元となったのは、幼児を男女で区別して育てることによって個々の才能の可能性をくじくことにつながるのではないかという考えだ。女の子でも技術系の職について欲しいし、男の子でも社交的技術を身につけて欲しいという、親心から出たものである。

しかし男女の子供たちの性別的な傾向というのは環境というより胎児のときの男性ホルモン量の影響を強くうけている。だから、子供たちの性別によって好きな行動を規制されるということさえなければ、子供たちが性別に合った行動を好むことには全く問題はないのだ。

ソー博士は同じくLAタイムス掲載の別の記事でも、男女の脳の働きを政治に結びつけるフェミニストやトランスジェンダーを批判している。

フェミニストは男女同権が講じて男女の頭脳までも同じだと言い張る。トランスジェンダーは男女は違うのだから異性の性質を強く見せる個人は異性であるべきと主張し思春期前の幼児に異性ホルモン投与を奨励したりする。ソー博士はこのどちらも間違いだと語る。

このことは統計学でいうところのベルカーブというわれる正規分布を理解できればわかりやすい。私は統計学は専門ではないのだが、素人の理解力で説明すると、ある種の統計を取ってその結果を線グラブにした場合、一番数の多い傾向が線グラフで鐘形の頂点になり、両極端になるにつれ数が減って鐘形の両淵になる。

正規分布は N ( μ , σ 2 ) と表記します.これはカッコ内の2つの値, 平均 μ と 分散 σ 2 が決まれば正規分布が一意に定まることを意味しており,この平均 μ と 分散 σ 2 を母数(parameters)といいます.

 正規分布は平均 μ を中心として左右対称になった西洋の釣鐘と似た形状の曲線(ベルカーブ)の分布形を描きます.

つまり、男女の性質というのは傾向を示すものであり、男子なら/女子なら、平均的にこういう性質を持った人が多く居る、という意味に過ぎない。そしてこの性質は脳の構造や男性ホルモンに非常な影響を受けているというもの。だから個人によっては極端に異性っぽい人もいれば極端に性一致している人もいるというだけのことなのだ。

男女の脳に差があるからといって、それは決して男女間に優劣があるという意味ではない。以前にも書いたように種目の違う運動選手を比べて陸上競技選手とレスリング選手のどちらが優れた運動家かなどと聞くのと同じである。男女には違いがある。だがその違いはそれぞれ別々の形で現れるものであり、その適正を理解することは男女差別でもなんでもない。

公平な社会であれば、極端に異性っぽい人が異性の多い仕事に着くことを可能とし、自分の性にあった行動が好きな人は、好きな行動をすることが出来る。そうやって社会が個人個人の行動選択を尊重しさえすれば、男女の差があることを認めたとして何の問題もないはずだ。

男女は同じだとか、男女の区別は社会構造にあるとか、性別は流動性があるとか、そういうおかしなことを言う人たちこそ、男女差別意識から抜けられない人々なのだとカカシは思うね。

h

February 12, 2017, 現時間 2:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 27, 2017

どうしてリベラル集会にはえげつない連中が集まるのか?

ウォール街を占拠せよ , フェミニズム

本日は先週行なわれた自称「女性行進」とは対照的に本当の女性行進であるマーチフォーライフ(命のための行進)という妊娠人工中絶反対デモが同じくワシントンDCで行なわれている。このマーチは毎年もう何十年にも渡って行なわれてきているのだが、主流メディアは完全に無視し続けてきた。今回は副大統領のマーク・ペンスが出席し、集まった人々に激励の弁を述べた。よい始まりである。

実はカカシは若い頃(20代前半)は妊娠人口中絶がそれほど悪いことだとは思っていなかった。ま、年代から言って欲しない妊娠をする可能性があった頃は、もしもの時の解決策が必要だと感じていたからだ。しかしその後色々な事情があって、今では中絶そのものに反対になった。特に妊娠三ヶ月以降の中絶は母体に危険を及ぼすとか、胎児に重度の障害があるとか言う場合は除き、すべきではないという結論に及んだ。しかし中絶を法律で禁じるべきかどうかということに関しては中期以降の堕胎のみという考えに落ち着いている。

それはともかく、この間の自称「女性行進」ではプロライフと言われる中絶反対の女性たちの参加は拒否された。人工中絶を反対する女性と賛成する女性はアメリカの女性の間で46:47%で、ほぼ半分半分の状況にある。ということはこの間の女性行進は「女性のため」と言いながら、女性の半分を疎外したことになる。な~にが女性行進なんだ!

ところで、以前にリベラルたちが集まったウォール街占拠のときもそうだったが、どうもリベラル連中が集まるところでは得体の知れないえげつない連中が集まる。保守派のティーパーティの集会ではリベラルがなんと言おうと白人至上主義の連中やナチスやファシスト連中など全く来なかった。もしも間違ってそういう奴らが混じった場合には、参加者が即座に退場を強制し、主催者も参加者もこぞってそういう奴らを糾弾した。

ところがリベラル集会に集まってくるえげつない連中に関しては参加者からも主催者からも全く批判の声が聞かれない。いや、それどころかこういう奴らを歓迎し賞賛している。何故なんだろう?

シャイア・ラバフ(Shia LeBeouf) - 売れない男優でくだらない街頭パフォーマンスなんかもやってるラバフは昨日軽傷害やハラスメントの罪で逮捕された。ラバフは「彼(トランプ)は我々を分裂しない」と芸術と称して壁などにスプレーで落書きをしたりしている姿がテレビでも放映されていたが、反対意見のトランプ支持者男性と言い争いになり、ラバフが男性のスカーフをもぎとったり男性にひっかくなどの暴力をふるったため警察が呼ばれた。ラバフは駆けつけた警察と口論になり、その場で逮捕された。自分が勝ってに暴力を使って反対意見を押しつぶそうとしているくせに、な~にがトランプに分裂させないだ、馬鹿。

リンダ・サーサワー(Linda Sarsour) - パレスチナ人女性でハマスやイスラム国の親派。シャリア法を促進している。イスラム教徒の女性人権を命がけで守ろうと運動しているアヤーン・ヒルシ・アリ女史の女性性器を取り上げろなどとツイッターに書いたりしている、およそ女性人権派とはいえない女。

ダーナ・ヒルトン(Donna Hylton)-女性行進で演説をぶった元売春婦の黒人女性。実は1985年に仲間(女二人と男三人)と一緒に不動産会社の男性を誘拐し20数日間監禁し散々拷問にかけて殺した罪で25年の懲役を受けていた殺人犯だった。この拷問のしかたが残酷なのだが、とくにひどいのは男性の肛門に鉄棒を突っ込んだり、スパナで男性の睾丸をひねくり回したりしたとある。何故そんなひどいことをしたのかという問いにヒルトンは「どうせ奴はホモだったんだから、、」と答えたそうだ。恐ろしい~!

セシル・リチャーズ(Cecile Richards) - 妊娠人工中絶専門医療機関プランドペアレントフッドの女会長。PPは堕胎した胎児の臓器を違法に販売していたことが発覚して大スキャンダルになった。連邦政府からの運営費を支給されているが、堕胎以外にも妊婦の診察や乳がんの検査や避妊相談も受けているといっていたことが嘘だったことが最近明らかになっている。

マドンナ - 落ちぶれ中年歌手。一時期は一斉を風靡した人気歌手だったが、いまや落ちぶれた50過ぎのおばさん。下品な言葉だらけの演説でホワイトハウスをぶっとばしてやりたいと本気で考えたなどと言ったため、FBIから捜査対象になった。芸能人ならなにをいってもいいと思ってる馬鹿。

演説をぶった人間のほかにも参加者の男性がインタビューをしていた女性記者を殴って逮捕されたり、トランプ支持者の女性の髪の毛に火をつけたり、戦死者の両親に唾を吐きかけたり、飛行機のなかで親トランプ乗客に怒鳴り散らして飛行機から降ろされたり、とにかくひどい奴らが多くあつまった。しかも女性行進後の町はごみだらけ。以前にティーパーティ集会のあとは前よりきれいになっていたという例があったのとは全く逆。

なぜリベラル集会ってのはこういうことになるのか。非常に不思議だ。

アップデート:ザブレーズに載ったコラム。に興味深いことが書かれていた。先週の女性行進がプランドペアレントフッドを中心とし、プロライフ女性たちを拒絶したことにより、主催者側の思惑とは裏腹に、自称「女性行進」はリベラル女性の集会だったと印象付けてしまった。特に人工中絶を中心にしたことにより、今まで無視され続けてきたマーチフォーライフ集会が保守派の女性行進としてメディアから大きく取り上げる結果を招いたというのだ。また、カカシが指摘したように、リベラル女性行進における参加者たちの行儀の悪さも大きく取り上げられたため、多くの国民が、あの集会はリベラル過激派集会だったのだという印象を持つに至った。これは完全に計算違いだったのではないかという記事だ。

January 27, 2017, 現時間 2:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 26, 2017

何故フェミニストにはブスが多いのか

フェミニズム

今日は風邪を引いて寝込んでいるので、ちょっと軽い話をしよう。

以前に誰かが「フェミニズムはブスがボーイフレンドを作る手段だ。」と言ったことがある。同じくキャリアウーマンにはブスが多いという説もある。当たり前だがこれは私の説ではない。一応カカシはキャリアウーマンなのでそういう全体的な言い方には賛成できない。ま、自分で言うのもなんだが、カカシはきれいなほうだと勝手に一人で納得している(ミスター苺には強制的に賛成させている。)

なぜこんな話を持ち出したのかというと、この間の「女性行進」についてステファン・モリノー(Stephan Molyneux)というビデオブロガーが何故フェミニストにはブスが多いのかという話をしていたのを観たからだ。

1)モリノー曰く、普通、美しい女性は経済的に成功している男性と結婚できる。それで福祉などに頼る必要はないし、旦那の収入から多くの税金が取られるのも嫌なので小さい政府を望む保守派になる。また、旦那の経済力に頼れる場合、専業主婦及び母親業にも専念できるから家族の大事さを強調するようになる。

2)ブスでも頭のいい女性は男性に頼らず自分でキャリアを求めるようになる。こういう強い女性はフェミニズムに惹かれる。

3)一番性質(たち)が悪いのはブスで頭の悪い女性。ブスなので玉の輿には乗れないが、頭が悪いからキャリアウーマンにもなれない。それで政府の福祉にたよるべく、弱者の人権とか言う言葉を振りかざしてフェミニストになる。

2)と3)の女性たちは男にもてないことを悲観して自分たちの不幸せはすべて男のせいだと責め立てる。フェミニズムが女性のための運動というより反男性運動になってしまうのはこのせいだというのだ。

とまあ、こういう理屈だ。あんまり単純すぎると思うが、確かに既婚女性に共和党支持が多いというのは普通。独身女性はキャリアウーマンでもやはり政府に頼り勝ちになる。結局女性は誰かを頼りにしたいという本能があるからなのだろう。

しっかし美しいキャリアウーマンも居るしね、ハリウッドのバリバリフェミニスト女優たちは美人だし、こういう単純な理屈にはちょっと賛成できない。ただ、ブスで頭の悪い女がフェミニズムに走るというのは一理ありかもしれない。この間の反トランプ「女性行進」でも、「私の性器を摑ませない」とか書かれたシャツを着ているオバサンが居たが、「あんたなら心配ないよ。」といいたくなるようなブスだった。

ファットアクセプタンス(肥満体許容)とか言って醜い超肥満体を自慢気にさらけ出してる女たちとか、髪の毛を紫に染めて黒い口紅つけて鼻穴や唇にいくつもピアスをつけて、体中醜い刺青をいれてるような女は普通の男性からは敬遠されるだろう。私はああいう格好をする女たちは、自分の外見に自信がないから、わざと奇抜な格好をして「私は異性になど興味がない」という口実にしているのだと思っている。あの変な格好は自分の醜さを隠すための楯なのだ。

自分を磨けばいくらでも美しくなれる女性は多いのに、そういう努力はしないで自分を好きになってくれない男性たちを責めてフェミニズムに走る、、なんかみじめだね。どうりで彼女たちはいつも怒っているわけだ。

確かに保守派のビデオブロガー女性たちには美人が多く、フェミニストブロガー女性たちにはブスが多い。これはカカシの単なる観察で科学的な統計ではないのであしからず。

January 26, 2017, 現時間 1:18 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

ゲイ白人男性による有色及びトランス差別

フェミニズム , 同性婚

この間の「ウイマンズマーチ(女性行進)」と名づけられたリベラル女性たちによるわけのわからないデモ行進では、ピンクの猫型毛糸帽子が目立ったが、猫の属名プシーは女性性器を意味することから、あの帽子もプシーキャップと呼ばれた。それだけならまあいいとしても、その他に女性性器をかたどったピンクの着ぐるみを着て参加した女性があちこちに居た。これはトランプが10年以上も前に「女性を性器で摑んでやる」という下品なことを言ったことから、トランプへの抗議として使われたらしい。しかし女性の人権運動をするのに女性を性器で表すというのは女性に対して侮辱ではないのか?フェミニストたちは常に女性を性の対象としてだけ扱うなと言っているのに、自分らの抗議運動を女性性器で象徴するのは矛盾しているだろうに。

ところで、この性器強調に対してトランスジェンダーたちからクレームが付いた。「女性性器のある人間だけが女性ではない」というものである。(マジで、、)女性性器があるから女性というのは定義だからね、そうでない人が女性を名乗るのはおかしいはずだが、今の世の中不思議である。

さて、別の話だが、ペンシルベニア州にあるフィラデルフィア市では、ゲイバーフッドと呼ばれる同性愛男性が集まる繁華街において、有色人種に対する人種差別が横行しているとして市長が飲食店やナイトクラブの経営者に「公平な営業」訓練を受けるようにと命令している。

同市の人間関係協会はゲイバーフッドの経営者たちはほとんどが「白人シスジェンダー男性」(シスというのは生物学的な性別を受け入れている普通の人のことを示す造語)に占められているとし、人種差別やトランス差別が横行しているというもの。

普通LGBTQ社会は保護の対象となる少数派としてこういう問題で責められることはないが、保護対象にも段階があり、いくらゲイといえども白人シス男性はその中でも下の下の存在。つまり、まともであればあるほどリベラル差別の対象となるわけ。

アイデンティティーポリティクスを進めれば進めるほど、誰が一番保護を必要とする少数派かということで勢力争いがおきるのは当然。

この間の「女性行進」でもパレスチナ人のテロ親派女性が主催者の一人として参加していたが、モスレムとフェミニズムや同性愛者人権が共存できるはずはない。特に暴力的なモスレムにこれらの運動が乗っ取られてしまう日は近いだろう。そうなってからフェミニストやゲイたちはどうするつもりなのか。興味深いことである。

January 26, 2017, 現時間 10:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 21, 2017

トランプ就任直後のフェミニスト行進、彼らは本当の女性虐待と戦う勇気があるだろうか?

フェミニズム

昨日の金曜日(1月20日2017年)はトランプ大統領の就任式だった。反トランプ派のデモというより暴力沙汰が起き、何故か親ヒラリーだったバンクオブアメリカやスターバックスの建物が破損され、一人が逮捕された。本日の土曜日、反トランプ派の自称フェミニストたちが率先して女性行進とやらを行なっている。しかし、このウィメンズマーチの目的は一体何なのか、一般女性にはちょっとよくわからない。

この行進では女性の権利が主題となっているが、トランプが大統領になったからといって女性の権利が迫害されるという危険はまるでない。トランプは女性から参政権を奪うとも言ってないし、女性労働者の賃金引下げなどうたっていないし、フェミニストたちが大事にする妊娠人工中絶を違法にするとも言ってない。

この集会は20万人からの女性が大統領就任式と同じ道筋を通って行なわれる予定。また、DCまでこれない人のために、全国各地の都市で同じような集会が予定されている。

しかし同じ女性でも特にこういう運動に興味のない女性も多くいることであるし、あたかも女性全体を代表するかのような名称は辞めてもらいたいというのが私も含め一般女性たちの希望だ。どうせなら正直にトランプ政権に抵抗する女性の会とか、過激派フェミニストマーチとか名づければ、その目的がはっきりするのに。

主催者側は、この行進は決して反トランプとか抗議とかいったことが目的なのではなく、トランプ政権が脅かすと思われる様々な女性問題やリベラル問題について語ることにあるという。 イベントでは人種によるプロファイリング、地球温暖化、妊娠人工中絶や、LGBTQなどの諸問題を取り上げる予定だという。行進の公式ウェッブサイトによると、関連団体は堕胎児臓器違法販売で悪名高いプランドペアレントフッド、人権キャンペーン、左翼黒人市民団のNAACPそしてラテン系左翼団体ヴォトラティノなど177の連帯団体の名が示されている。そのなかに胎児の命を守ろうという「命のための行進」女性団体の名前はない。それどころか、プロライフ(人工中絶反対派)の女性たちは集会参加を拒絶されたそうだ。これだけでも、いかにこの「女性行進」がほんの一部の女性たちだけの集まりであるかがわかるはず。

ところで今回、比較的女性にとって安全なアメリカと言う国で、あたかも勇敢であるかのように行進している女性たちは、野蛮人侵略者たちに日ごと夜ごと強姦の憂き目にさらされている欧州の女性たちを救うためにパリやマルモやドレスデンで同じような行進をする勇気があるだろうか?女性の権利を高々に歌い上げるフェミニストたちは、シリアやイラクなどで、非モスレムの女性たちがモスレム過激派によって性奴隷にされている事実についてこのイベントで一言でも話す勇気があるだろうか?

ありもしない米国大学キャンパス内での四人に一人が強姦されるなどという架空の犯罪を抗議しておいて、実際に四人に一人の女性が強姦されているスエーデンのことにはまるで興味がないフェミニストたち。ブルカを着ていない女たちは強姦を望んでいるなどと言って憚らないモスレム聖教者がいくらでもいるのに、身元も確かでないモスレム移民を大量に受け入れたオバマ政権への批判はまるでなく、危険人物は入国させない、犯罪を犯した移民は国外追放といって、国民の特に女性の身を守ろうとしているトランプに抗議する。

いったい、彼女たちの本当の目的は何なのだろう?

January 21, 2017, 現時間 10:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 15, 2017

4人に1人の女性が強姦される国とは?アメリカ大学構内ではない!

フェミニズム , ヨーロッパ , 移民問題

先日物凄く気分が悪くなる記事を読んだ。本当はこんな話したくない。しかし難民受け入れを深刻に考えている国々は今のスエーデンの実情をしっかり受け止める必要がある。ヨーロッパにおけるモスレム移民の悪行を報道しているパメラゲラーのサイトで、スエーデン女性が性奴隷としてフーカカフェの地下に幽閉されていたという記事が紹介されていた。

シリア「難民」の二人の男がスエーデン政府援助費でフーカカフェを開店したが、どうもカフェ内で怪しげな人物が多く出入りしているとの連絡をうけ、スエーデン警察ががさ入れしたところ、なんとカフェの地下室に鎖でつながれたスエーデン女性を発見。女性はこの地下室でカフェ経営者の性奴隷として何度も強姦され拷問を受け続けていた。

被害者の女性はマルモで四人の「難民」に銃を突きつけられて誘拐された後、このカフェにつれてこられた。女性は即座に待ち受けていた三人の男たち合わせて七人から数度にわたってあらゆる残酷なやり方で輪姦されたという。この記事では彼女がどれだけ長い間この地下室に閉じ込められていたのか書かれていないが、何日にも渡って拷問を受けたことは確かである。

腹が立つのは、凶悪犯のカフェ経営者二人が逮捕されたとはいうものの、二人は強姦罪に問われ四年の禁固刑を言い渡され3万ドルの罰金を要求されただけ。誘拐罪や強姦罪には問われていない。何とか国外追放を言い渡されたものの、この罰あまりにも軽すぎる。第一彼女を誘拐した四人の男たちや、カフェ経営者二人に加わって強姦や拷問に参加した男たちはどうなったのだ?

さらに腹が立つのは、犯人のひとりは2010年にスエーデンに違法に入国し、難民申請で拒絶されていたにも関わらず、書類のない移民として滞在が許可されていた。もう一人は2014年に入国し月々800ドルの生活保護をうけ、就職斡旋所から無料教育まで受けていたという。

実はこの事件が発覚した数日前にも難民を装う野蛮人たちによる強姦が日常茶飯事になっているスエーデンでも最悪の集団強姦事件が起きていた。被害者の女性は難民センターにおいて残虐な強姦に会い、彼女の衣服からはなんと48人もの精液が摘出されたという。

特にひどいのは犯人グループの首謀者と思われる25歳のラフィ・バハドゥーリ。アフガニスタンからの移民で以前に数人の女性を強姦した罪で起訴されていたにもかかわらず、スエーデン移民省から雇われ通訳として難民キャンプで働いていたのだ。

スエーデン裁判所は強姦に加わった5人の「未成年」の国外追放を拒否。なぜなら国外追放をすればこれらの人間がシャリア法のもとで危険にさらされるからだという。ちょっと待ってよ、これらの自称未成年によてひどい危険にさらされたスエーデン女性の被害者はどうでもいいっつうの?モスレム移民たちはスエーデンの未成年に寛容な法律を利用して30過ぎのおっさんでも未成年と偽って入国するため、スエーデン法廷は常に極悪犯人たちに軽い刑罰を加える結果となる。この被害者を襲った犯人たちはほとんどが未成年として扱われた。そして彼らに与えられた刑罰はというと、強姦者たち4人には強姦罪、そしてその模様を撮影した者一人は児童ポルノ罪に問われ、四人の強姦者に15ヶ月、もうひとりに13ヶ月という信じられないほどの軽い禁固刑が課せられた。

なんで児童ポルノ罪と強姦罪の刑罰の差がたったの二ヶ月なわけ?

それにだ、48人の精液を摘出したなら、なぜ難民キャンプに居る男ども全員のDNAサンプルを取り、誰が強姦に参加したかを調べ共犯と確定された「難民」を全員国外追放にしないのだ?有罪となった犯人たちですらたった15ヶ月の禁固刑、しかも国外追放なしである。こんなやつらにスエーデンの刑務所なんかリゾートホテルのようなものだ。そんなの何の罰にもなっていないではないか。出てきたら同じことを繰り返すだけ。しかも一人は前にも数人の女性を強姦している前科者なのだ、この軽い刑罰はどういうことなのだ?

いったいスエーデンは自滅を図りたいのか?

いまやスエーデンでは四人に一人の女性が強姦される危険にさらされている。これは年齢は関係ない。確かに若い女性が狙われるのは当然としても、90歳の女性でも4歳の女児でも、それをいうなら男児でも、野蛮人たちの強姦からは免れないのだ。

このような状況にスエーデンのフェミニストたちは何をしているのだ?それをいうならアメリカの大学キャンパスでレイプカルチャーだなんだと騒いでいるフェミニストたちは何もいうことはないのか?同じ女としてフェミニストとして欧州の女たちの苦しみを救ってやろうという気持ちにはならないのか?

関連記事としてナンミンウォッチさんがドイツでも増える強姦に女性たちがおびえているという記事を紹介している。

January 15, 2017, 現時間 2:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 12, 2016

現実離れした現代フェミニズム、フェミニズムを再び偉大にするにはどうしたらいいのか

フェミニズム

私が尊敬する旧フェミニストの大御所クリスティーナ・ホフ・ソマーズ女史の最近のコラム「フェミニズムを再び偉大にする方法(How to make feminism great again)」という話をちょっと読んでみたい。

ヒラリー・クリントンが大統領選で大敗してからというもの、過激派フェミニストたちの振り乱しようは見苦しいばかりである。人気テレビ番組「ガールス」スターのリナ・ダナムは蕁麻疹が出て療養中だとか、人気歌手のケイティー・ペリーなどツイッターで「革命来る!」と叫び、現代フェミニストのリーダーロビン・モーガンなどは「病める父系社会は女と死闘中だ。」とまで書いている。

しかし多少良識あるフェミニストたちの間では、最近のフェミニズムはエリート過ぎるのではないかという反省もみられる。しかしソマーズ女史はそのもっと上を行き、現代フェミニズムはアメリカ社会から離れてしまったというより、現実社会から完全に離れたものになっていると語る。この現実離れしたフェミニズムを再び地球に連れ戻すためには一体なにをしたらいいのか、ソマーズ女史には提案がある。

第一に、合衆国を父系社会と呼ぶのはやめること!

父系社会というのは男性だけが権力を持ち女性には何の権限もない社会をさすが、女性が国務長官になったり連邦裁判官になったり主流政党の大統領候補にまでなれる社会を父系社会と呼ぶのは正しくない。にも関わらず、なぜフェミニストたちは女性は未だに虐げられた存在だという嘘を触れ回るのか。

アメリカの女性の給料は男性の2/3だとか、四人に一人の女子大生が強姦の犠牲になっているとか、女性はネット上で激しいセクハラや暴力にあっているとか、虚偽の女性虐待説がまかり通っている。こうした虚偽の訴えは本当の問題解決から資源を取り上げることになり、害あって益なしである。

今日の女性運動は男性も女性と同じように葛藤していることを認めるべき

現代社会で生きている以上、苦労をしているのは女性だけではない。男性もそれなりに苦労しながら生きている。確かひ大会社の社長とか科学者とか国会議員とかはは、まだまだ女性の数は少ないかもしれない。しかし労働者全体を見た場合、男性の方が圧倒的に重労働で危険な仕事についている。職場で怪我をしたり死んだりするのは男性(特に労働階級)が女性より圧倒的に多いのだ。

また教養の面でもラテン系や原住民の女性は白人男性よりも高い率で大学に進学している。無教養な男性が増え社会の経済を支えられなくなって困るのは男性だけでなく女性も同じである。

過去の女性運動は女性の平等な権限を勝ち取ることにあり、その功績はすばらしいものがある。しかし現代のフェミニズムは一部の人々の権力争いにと成り果てている。「どうも彼女達は金星と火星の間ではゼロサムゲームしかないと考えているようだ。」とソマーズ女史。これは昔恋愛学のジョン・グレイ著の「男は火星、女は金星からからやって来た」という本の題名から来るもの。ゼロサムゲームというのは戦いでどちらかが勝てはどちらかが負けるという意味。

しかしほとんどの女性は男女の間で戦争が起きているなどとは考えていない。普通の女性にとって男子は敵ではない。彼らは兄弟であり息子であり夫であり友達なのだ。普通の女性はフェミニストが考えるような理想の女性像を求めていない。2013年に行なわれたピューリサーチ調査によれば、アメリカのお母さんたちに、どのような役割分担が理想かというアンケート調査を行なったところ、61%のお母さんたちがパートか専業主婦が理想だと応えたという。ロンドン経済学校の社会学者キャサリーン・ハーキム女史も西欧州においても同じような結果が出ていると語る。

フェミストらは自分らが理想に描く女性像を支持しない女性たちを自らを嫌う男尊女卑主義者として軽蔑するが、いまは2016年、1960年代とは違うのだ、女性の自由な意思を尊重すべきなのでは、とソマーズ女史は問いかける。

フェミニストたちが男女には全く何の違いもないと主張することによって女性全般を傷つけている。医学的な男女の差は議論の余地がない。だが、だからといってそれを理由に女性蔑視をすべきだなどとは誰も言っていない。

本当の男女平等社会というのは、女性だから男性だからといってその役割を限定するのではなく、個人の自由な選択と個々の才能によって判断されるべきなのである。女性の大半が専業主婦を求めるならその選択は尊重されるべきだ。しかし女性でも科学者や兵士や工学士を求める人が居るなら、男子と平等に機会を与えられるべきで、同じように保育士や看護士になりたい男性にも同じように雇用の機会が与えられるべきなのだ。

そうやって個人の自由な選択を可能にさえしておけば、たとえ結果的にある職種に男子が多かろうと女子が多かろうと、それは差別ではないのである。フェミニズムの一番の問題は女性をひとつの集団として判断し個人としての才能を無視していることにある。そうやって一番傷つくのは、やはり女性なのに。

December 12, 2016, 現時間 8:10 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 11, 2016

ポリコレによって脅かされる女性の健康

フェミニズム , 科学

ちょっと前に読んだ記事なのだが、男女の脳の違いを研究している科学者たちは、女性蔑視の汚名を着ることを恐れて自分らの研究発表が容易にできないという内容だった。それで、女性特有の脳の病気など、治せる可能性のある病気の治療がままならないという。

ここ何十年、フェミニストたちは男性の脳も女性の脳も同じだと主張してきた。その非科学的な政治的に正しい説は、性別に適した薬品の開発をきわめて難しくしているという。この記事によると神経学者らによれば、男性と女性の脳はあきらかに違う。

男と女では筋肉や骨格や運動神経など大差がある。病気にしたところで心臓病は女性より男性の方が多いことや、男性に子宮がんはあり得ないとか、男女差があることは誰もが認めることだ。それなのに脳みそだけが男女全く作りが同じと考える方がおかしい。

フェミニストたちが間違える点は、違う=優劣がある、と思い込んでいること。 たとえばオリンピックの選手でマラソン選手と体操選手のどちらが優れたアスレートか考えたとき、どちらも優れた運動選手であることに変りはないが、それぞれ違った意味で優れている、比べようがない。それと同じで男女の脳はつくりは違うかもしれないが、それぞれ違った面で優れていると考えれば特に問題はないはず。

男性と女性とで脳のつくりが違うので、薬に対する脳の反応にもかなりの違いがあるという。しかし科学者たちはフェミニストたちからのセクシストという批判を恐れて救命の可能性がある薬品開発に消極的なのだという。.

UCLA大学のラリー・カヒル脳神経生物学者は主流神経学会の間で嫌われ者になることは承知のうえで、女性の脳卒中患者に効果的な薬品開発について神経学調査医学ジャーナルにその結果発表をした。そのなかで博士は女性にとって効果のやる薬品が男性にも効果があるとは限らないと記す。

たとえばアルツハイマーは男性と女性とでは脳のどの部分が影響を受けるかが違うのだという、つまり、男性と女性とでは脳の細胞の死に方が違うのだ。その差がわからなければ双方に見合った適切な治療は困難になる。

カヒル博士は男女の脳の差についての研究はしないようにと警告されたが、脳移植が麻痺した手を動かす可能性のある研究をあえて進めている。また同博士はLazaroidsという薬品の研究についてのべった。この薬品は男女合同のテストではその効果が明らかではなかったが、それは単に男子には効果があったが女子にはなかったというだけのことかもしれないという。だが、研究者たちは女子と男子の違いを認めようとしない。よってこの薬品の本当の効果力を正しく調べることが出来ないで居るのだ。

さて、ここで私は興味深いことに気が付いた。脳神経学の専門家たちが男女の脳の違いについてまともな研究発表をすることすら憚られる時代に、実際に男女の脳の違いを証明する検査を普通に行なっている医師がいるのだろうかということだ。

聡明な読者諸氏はもうカカシの疑問をお察しだろう。そう、トランスジェンダーの人々が自分らは精神病患者なのではなく、生物学的な性とは違う異性の脳みそを所持しているだけだと言い張っていることに注目していただきたい。脳神経学者でないトランスたちにどうしてそんなことがわかるのか?彼らは脳神経科のお医者様にペットスキャンでもやってもらって自分が異性の脳みその持ち主であることを証明してもらったのか?

いや、それはあり得ないだろう。なぜならカヒル博士がいうように、そのような研究はノンポリコレとして学会では認められていないからである。

最近トランスジェンダーのポリコレのほうがフェミニストのポリコレよりも優勢だ。男女の脳に違いはないと主張するフェミニストたちはしょっちゅうトランスポリコレの連中から講演を阻止されている。ターフという侮蔑語まで作られて罵られ虐げられている。となると、トランスジェンダーたちは遂に脳神経学者の男女脳研究を可能にしてくれるのだろうか?

私はそうは思わない。かえってトランスジェンダーたちはその研究を阻止するだろう。万が一男女の脳を簡単に見分ける方法が開発されたとしても、トランスジェンダーたちはそんな検査は拒否するだろうし、もしもトランスジェンダーの識別を脳検査によって行なうなどという法律を誰かが提案しようものなら、トランスコミュニティーから大バッシングを受けること間違いない。

なぜか? それは自分はトランスジェンダーだと言い張っている人々は心の底ではそうではないと知っているからだ。いや、確信はしていなくても、自分はトランスではなく単に精神異常なだけかもしれない、と認めることが怖いのだ。自分がトランス女だと言い張っていた男性が検査によって男性の脳を持っていることが判明したら、もうすでにしてしまったホルモン治療や去勢手術などどうすればいいのだということになる。

科学が政治によって左右されることは本当に恐ろしい。だが、地球温暖化似非説がここまでまかり通ったのも政治と金がらみである。だから誰もが本当だと思っていることが通らず、科学的に間違ったことが横行してしまうのだ。

そしていつもどおり、フェミニストたちの間違った考えの犠牲になるのは他ならぬ女たちである。本当のフェミニストなら今すぐ男女の脳は同一だなどという非科学的な考えは捨てて、科学者たちの研究の邪魔を止めて欲しい。

December 11, 2016, 現時間 9:59 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 3, 2016

ビクトリアシークレットはレイシストだ!多様文化主義さえ人種差別になってしまう昨今の文化盗用思想

フェミニズム , 左右思想

先日コスモポリタン女性雑誌のファッションコラムを書いてる中国系記者のへリーン・ジャング(Helin Jung)という女性が先日発表されたビクトリアシークレットの東洋テーマのデザインが文化盗用だとして批判的なコラムを書いて話題になっている。元記事のリンクは何故か切れているので本文を読むことは出来ないのだが、それを取り上げた記事がいくつかあったので抜粋だが読んでみた。

ジャングのコラムは「なぜビクトリアシークレットは人種差別的下着デザインを止められないのか」という題名。 "Why Can't Victoria's Secret Stop Designing Racist Lingerie?" なんで下着が人種差別主義だということになるのかというと、ジャングによれば、最近発表されたデザインで、白人や黒人のモデルたちが東洋文化に感化されたデザインの下着やネパール女性がデザインしたというアクセサリーなどをつけていたとして、これは人種差別だ!というもの。なにそれ?

『ビクトリアシークレットがウインクで明らかな文化盗用を異文化を祝福するものだなん言い換えるのに騙されちゃ駄目よ。(略)同社と製作幹部は恥知らずにも気に入ったイメージだけあっちこっちからつまんで継ぎ接ぎに縫い合わせただけ。それで世界的だとかいうのよ。冗談じゃないわ。こんなの滅多切りデザインよ。』

ま、こんな感じ。きちんとしたA hack jobの訳語が見つからないのだが、要するにまとまりのつかない滅多切りといった感じだ。引用した記事によるとジャングはさらに中国製の布を使っているのは中国人を「馬鹿にしている」という。

『東洋的な表現は理解度もなければ会話をしようともしていない。(略)溝を埋めてもいない。モデルに竜を巻きつけることで中国の消費者と結びつけると思うなんて馬鹿にしてるわ!』

『ビクトリアシークレットは、グローバリズムとか多様文化主義とかいう好意的な言葉で私の反応に先制攻撃をかけたみたいで、『私たちは皆人類という人種のメンバーだから世界の全てが全ての人たちのものだといいたいらしい。『でも世界がより接続するにつれて人種差別や父系組織や主に白人企業が自分らの収益を得ようとするのよ。私は騙されないわ。』

同記事の記者はジャングによると「多様文化主義までレイシストになってしまうらしい」と締めくくっている。

この記事のコメント欄に「文化盗用というなら中国がアメリカから盗みまくってる軍事機密はどうしてくれるんだよ」というコメントがあって笑ってしまった。

文化盗用というなら中国は文化盗用の王様だろう。しかもジャングがいうような外国文化の影響を受けたという合法的なものではなく、世界中の商標や特許を無断で使って偽者をどんどん製作している。アメリカのディズニーや日本のアニメキャラなど中国ではあふれかえっているし、アップルの携帯電話そっくりの偽者とか衣類とか鞄とか、中国製の偽者が世界中にあふれているではないか。ビクトリアシークレットは他人のデザインを盗作したわけでもなく、他文化の影響を受けた自分なりのデザインをしただけ。他社の商品を無断で盗作している中国が文句を言えた立場じゃないだろう。

もっともジャングが中国系だからといって中国代表面するのもなんだけどね。

1980年代にラスベガスのショーで日本をテーマにしたディナーショーを観たことがある。ただ、ベガスのショーだからショーガールたちの脚も乳房も露(あらわ)に見せなければならないこともあって、振袖や襟の部分は着物風だったがあとはなんだかわからないハチャメチャな衣装だった。もちろん髪の毛はお団子をいくつもくっつけた大きなアップにお箸を何本も差し込んだような不思議な髪型だった。

これを日本人観光客で満席の会場で観たので、日本人たちは大笑い(男性陣は大喜び)で大歓声が上がった。あの時は誰も日本人が「馬鹿にされている」なんて考えも及ばなかった。

余談だが、同時期、同じベガスでカカシはコンピュータ会社のコンパニオンガールとしてコンベンションに参加したことがある。昼間はミニスカでがんばったのだが、夜のパーティでは着物を着ることになった。当時髪の毛が長かったカカシは髪をセットするためにベガスの大ホテルにある美容室に行ったのだが、ここで着物を着ると白人美容師に言ってしまったのが大間違い。「あ、日本髪結ってあげる」とばかりに美容師さんが張り切ったのはいいのだが、出来上がった髪は火山のよう高くそびえており、それにド派手ななスパークリングの蝶々がドテっとくっついていた。

カカシはパーティ会場に行き着くまでに日本人に会いませんようにとずっと祈っていたのだが、なにせばブル全盛期だからホテルは日本人観光客が一杯。アメリカ人や他の外国人からは賛美の目で見られたが、日本人からは軽蔑と呆れみの目で見られた(様な気がする)。

とにかく恥かしかった!

December 3, 2016, 現時間 7:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 23, 2016

少数民族が得をする国、アメリカの白人がマイノリティーを装うわけ

フェミニズム , 人権擁護法 , 同性婚

アメリカは人種のるつぼである。よってアメリカにおいては人種に関する話題が後を絶たない。しかもBLMのようなアメリカの左翼リベラルがことあるごとに国内の『人種問題』を誇張して報道しまくるので、諸外国においてアメリカ国内における『人種問題』に関して完全なる誤解を招いてしまう。

この間、私のトランスジェンダーに関する記事にトラックバックを送ってくれた東大出の凡人というイギリス在住(?)の日本人ブロガーさんのエントリーを読んでいて、他国よりは理解度がありそうなイギリス在住人にすら、ここまでアメリカを誤解されてしまうのかと改めて驚いた。

東大出の凡人さんのトランスジェンダーに関する意見にはおおむね同意するのだが、人種に関する記述についてはかなり気になったことがある。

黒人になりたい白人は極めて少ないと思うのだけれど、白人になりたい黒人は多いと思う。例えば、白人と黒人のハーフ。

オバマ大統領もその一人で、3歳の時に両親が離婚したので、彼は白人のお母さんによって、そして10歳からは祖父母(母の両親=白人)によって育てられた。だとすると、「白人のお母さん/おじいちゃん/おばあちゃんなのに自分はなんで黒人なの?」とオバマ少年が思ったとしても不思議ではないし、現実に彼はそのような違和感を抱いた旨の発言をしている。

悲しいかな、白人の母親から生まれても黒人が父親だと世間は白人と認めてくれない。だから、心の中では「白人のお母さんから生まれた自分は白人のはず」と思うのだけれど、世間が「黒人」としか見てくれないので仕方なく「黒人」たる自分を受忍しているハーフは数多い、と私は確信する。そういう人たちが「自分は白人!」とカミングアウトしたら、社会は彼らを「白人」として遇するだろうか?

答えは当然「ノー!」になりますが、マイケル・ジャクソンみたいに自己改造できたら認めてやってもいいのでは・・・と個人的には思う。

東大さんはかなり誤解しているのだが、どうみても黒人に見える人が自分が実は白人と黒人のハーフなのだとかカミングアウトしたからといって別にアメリカ「社会」は何とも思わない。そんな人はいくらでも居る。それを言うならば、アメリカの黒人はほぼ誰もが白人との混血なので、たとえ両親が黒人に見えても子供は白人に見えるという例は珍しくない。(ビヨンセなんてほぼ白人だ)それで、どうみても白人に見える人が実は両親は黒人だったということがわかったとしても、今のアメリカでは別に問題にならない。いや、かえってその方が得をする可能性の方が高い。

東大さんが言うような黒人差別が存在していたのは黒人が組織的に法律で差別されていた1960年代までであって、ジムクロー法のような、黒人は学校を含めホテルやレストランや公衆トイレや水飲み場に至るまで白人とは一緒の公共施設を使うことが出来ないという法律があった時代に限られる。

オバマ大統領は白人と黒人のハーフであるが、彼は昔から自分の黒人性を強調してきた。大学時代から自分はケニア生まれだと嘘をついて黒人市民運動に参加したり、自叙伝でも自分を育ててくれた白人の母よりも乳児の自分を捨てた黒人の父への憧ればかりをつづっていた。オバマは黒人だという理由で差別を受けたこともない。いやそれどころか、彼は黒人であることの特権を散々利用してきた。オバマが黒人でなかったら彼のような政治的に未経験な男が大統領の座を得るなど絶対に考えられないことだった。

東大出の凡人さんは、この記述の前に黒人に化けていた白人女性運動家について述べているが、実はアメリカでは少数民族を装う偽有色人種白人が結構いるのである。

  • エリザベス・ワレン:民主党政治家のエリザベス・ワレンは、自分はチェロキーインディアンの血筋だと偽って大学教授の座を得た。後になってチェロキーのチの字も血筋に入っていないことがばれたが心はインディアンとか言って開き直っている。
  • レイチェル・ドレザル:東大出の凡人さんがテレビで見たのはこの人だと思う。以前にカカシが紹介した金髪白人女性。色黒の化粧をして髪をアフロにして黒人だと偽って黒人市民運動の幹部を務めていた。
  • ショーン・キング:黒人だと偽ってこともあろうにブラックライブスマターを組織。過激な対警察暴力を煽っているけしからん奴。だが実際には両親ともに白人。本人は今でも自分は白人と黒人のハーフだと言い張っている。

アメリカの左翼リベラルは「白人特権」とかいう言葉を使っていかに白人が生まれながらにして優遇されているかを強調するが、実は今のアメリカ社会、少数派の有色人種であったほうが得をすることの方が多いのだ。(ただし、少数派でもユダヤ人、中国人、日本人、韓国人は除く。)何故少数派である方が得なのか、それについては以前ここで説明した。

アメリカにはアファーマティブアクションという制度がある。もともとは有色人種が大学入試時や就職の際に白人より差別されないようにするという目的で作られたもので、元来大学などへ入学する文化のない有色人種の若者が大学に行きやすくするように政府が手助けするというのが名目だった。

しかし、それがいつの間にか有色人種を白人より優遇するという制度に変わってしまった。 特に問題なのはコータとよばれる人種別枠組み制度。州の人種構成の割合をほぼそのまま大学の生徒にあてはめ、黒人は何%ラテン系は何%と決める訳だ。すると州で非常な少数派である東洋人の枠組みは他の人種より極端に減ってしまう。

ところが、生徒の学力は人種によって非常な違いがあり、特に東洋人は優秀な生徒が多く大学受験をする生徒が他の人種よりも圧倒的に多いため、東洋人の一流大学への倍率は他の人種の何十倍にもなってしまうという非常に不公平な現象が生じた。

たとえば、ある中国系生徒がバークレー大学を受験した際、学校の成績はオールAで、SATと呼ばれる全国学力テストもほとんど満点だったのに受験に落ちてしまった。ところが同じ大学に受験したラテン系の受験生はこの中国系生徒の6割程度の成績だったのに入学したなんてケースは日常茶飯事だった。

それで1990年代後半のカリフォルニアではユダヤ系や白人や東洋系の生徒らによる大学を相手取った訴訟が続発していた。

聡明なる読者諸氏にはこれで白人が少数民族を偽る謎が解けたのではないかと思う。大学入試の際に、自分は白人だと名乗ればより高い学力を示さなければ入れないが、黒人だと名乗れば今の学力でも充分に入れる。また、黒人だといえば白人には支給されない奨学金が得られる場合などもある。また、大学教授でも少数民族の教授が少なすぎる大学なら、自分はインディアンの血筋だと言い張れば白人であるより就職の可能性が高まる。

以前に色黒のインド人が医学大学の入試をしたとき、インド人はたとえ黒人でも少数民族の枠組みには入らなかったため、髪の毛を三部狩りの坊主頭にして長いまつげを切ってアフリカ系黒人を装って医学大学に入ったという男性の告白記を読んだことがある。結局彼は勉強についていけずに脱落したそうだが。

今のアメリカの風潮では「犠牲者」を気取る人がちやほやされる。だから多数派の白人でいるより、なんらかの少数派を装い、それが少数民族であれ同性愛者であれトランスジェンダーであれ、自分は差別をされている犠牲者だと言い張れば、それで箔が付くというわけ。

。。。。。。。。。

さて、話はちょっとずれるのだが、イスラム移民について結構いい記事を書いている「無敵の太陽」というブログがある。紹介しようかとも思ったが、いかんせんこの著者はものすごい人種差別者。特にユダヤ人が大嫌いで未だにユダヤ金融陰謀説なんぞを本気で信じてるひどい男。その彼がアメリカの白人夫婦が異人種の子供を進んで養子にもらうことに関して書いている。そのなかで彼の人種差別度が赤裸々になる部分があったので張っておく。

偽善主義で人種差別的なアメリカの左翼リベラル白人でもここまでは言わない、というより思わないだろう。彼はいかにアメリカの白人が人種差別主義であるかをあらわそうとして自分の人種差別意識を表してしまった。それに気がついていないだけ重度だね。

読者諸氏には私が何故そう思ったのか、下記を読んでいただければお分かりいただけると思う。もし解らなかったら、それこそご自分の人種に関する考えをもう一度見直してみる必要があるだろう。強調はカカシ。

異人種を敬遠する我々から観ると、このような里親をちょっと疑いたくなってしまう。「本当に愛情を持って育てられるのか? 」と訊きたくなる。でも、そんな心配をするのは日本人の余計な癖で、個人主義が徹底しているアメリカ人には馬耳東風。子供の面倒は20歳まで。それ以降は勝手に暮らせ、親と子供は別の人生を歩むもの、というのがアメリカ人の考え方だ。厳しい言い方をすると、貰われた子供は養子縁組という幸運に感謝すればいいだけで、里親が「子育て」という趣味を“楽しむ”ことができれば問題なし。そんなことよりも、実子を持てなかった夫婦は悲しみを慰めるための何かが必要で、その役目を犬、猫、養子のいずれかが果たせばよいのである。アメリカ人にはご先祖の偉業を受け継ぐ子孫とか、絶やしてはいけない高貴な血筋、なんて考えは無いから、自分が生きている間に「充実した時間」を持てれば満足なのだ。ということで、家門の存続など気にしないから、白人の赤ん坊をゲットできなかった夫婦は、貧しい第三世界で適当な子供を入手して、人間に近い「ペット」として可愛がっている。

October 23, 2016, 現時間 11:30 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 15, 2016

トランスジェンダーは現実社会を破壊する

フェミニズム , 同性婚 , 教育と政治

最近欧米の大学を中心に「社会正義戦士」(Social Justice Worrier - SJW ソーシャルジャスティスウォリアー)と名乗る若者たちが、我々一般人が普通に信じている常識になにかといちゃもんをつけるようになった。そろそろ近づいているハロウィーンなどでも、これまでは普通に着ていたインディアンやベリーダンサーの衣装などが文化盗用だとか人種差別だとか言われて攻撃されるようになった。ごく普通に男性を彼と呼ぶことや女性のみが女子トイレを使うべきだという考えすらトランスジェンダーを名乗る人々から差別だと攻撃される。こうしたちょっとしたことで傷つくトランスジェンダーに代表されるSJWたちのことを、取るに足らないとか可憐は雪片などといって馬鹿にしていてはいけないと警告する人がいる。トランスジェンダーたちは実は我々文明社会の常識を破壊しようとする戦士たちなのだと。

本日紹介したいのはPronouns, Ordinary People, and the War over Reality by Anthony Esolen(代名詞、普通の人々、そして対現実戦争)というエッセー。著者のアンソニーエソレン教授はアメリカはロードアイランド州プロビデンス大学の英語学教授。

トランスジェンダーらに代表されるSJWたちは今や我々人間の根本にある性別を破壊しようとしている。だが、人間にとって性別の認識は現実を把握するために非常に大切なものなのだとエソレン教授は言う。

さて、他人の性別は我々が最初に気が付き最後まで印象に残るものである。何故そうなのかは容易に理解できる。いかなる生物においてメスとオスを混乱することが有益であるはずはない。性別は犬や猫や馬や多くの鳥の種別の身体よりも人間の身体により強く標されている。男の顔は女の顔とは違う。女の声は男の声のようではない、たとえ女がグリアー・ガーソンであろうと男がフランキー・バリだろうとである。男の肩は女の肩のようではないし、女の腰は男のそれとは違う。男と女は髪の毛の先まで違うのだ。誰もが女のすべすべした顎や男のはげ頭に気が付くように。

だから時々男か女かわからない人に出会うと一般の人々は非常に不安になる。性別のはっきりしない人は完全に人間とは思えないのだ。よって我々誰もが即座に把握する現実をあたかも誤りであるかのように振舞うのは人間の本能や言葉や共通体験や現実を把握する能力に対する暴力であると教授は言う。

もし「道を歩いている男がいる」と言えないのであれば、人間の存在に関するほかのどんなことに関して信頼できる判断ができるのか。

性別ほどはっきりしているものはない。アイゼンハワー大統領が良い指導者だったかどうか、良い夫で父親だったっかどうか、といったことには人それぞれ違う意見があるだろう。だが、アイゼンハワーが男だったという事実に誰もが同意できなかったとしたら、言葉そのものが意味を失う。

最近SJWたちはしきりに彼とか彼女とかいう従来の代名詞ではなく彼女達がでっちあげ架空の代名詞の使用を要求している。これは色々な性癖の人間に安心感を与えるためだと主張するが、本当の目的は他人を不安にさせ居心地を悪くさせることにあるのだと教授は言う。SJWたちは普通の見解を破壊し普通の人々が言葉の地雷に当たらないようびくびくして歩くのをほくそ笑んで楽しんでいるのだ。いや、実を言えば一般人が失敗して地雷にあたって爆発することを望んでいる。そうなればさらなる「教育の機会」が訪れ、さらに厳しい現実弾圧を目指すことが出来るからである。

エソレン教授は彼・彼女以外にSJWが作り上げた数知れない代名詞には非常に醜く恐ろしい謀略が隠されていると語る。これらの代名詞は言葉を豊かにするどころか、かえって我々の誰もが所持している男女識別能力という現実を破壊しようとするものだという。

だが、何故SJWたちはこのようなことをするのだろう?何故一般人が何世紀にも渡って培ってきた男と女という現実を破壊しようとするのだろうか?

教授は「誰が得をするのか?」と問いかける。

第一に得をする人たちは、自分自身が混乱している人たちである。自分の妄想に他人を巻き込むことによって自分は正常だと思い込みたいのだ。女の振りをしている男を女と認めろということは、エルウッド・P・ダウドが身長180センチのハービーウサギを空想の友達として持っているだけでなく他人にハービーと握手をすることを要求するようなものだ。そしてもしキリスト教のケーキ屋さんが「ハービーなんて居ない。居る振りをする気もない」などと言おうものなら自分の妄想を否定したケーキ屋に凄まじい報復を加えるのだ。

第二に得をするのは思想上の仲買人。大学教授や人事課の課長や人権弁護士や役人や一様性を目指す「多様化」運動家たち。やつらは自分たちで地雷を埋め込んでおいて地雷地図を売りつける。井戸に毒を落としておいて自分らの井戸の水を高い金で売りつける。一般人が勝手に汚染されていない水を発見して飲んだりすれば高い罰金を課す。彼らは混乱と衝突を求める。なぜならそれらが彼らに富と力をもたらすからである。

第三に得をするのは家族という文明社会の基盤を心から嫌う人々だ。性革命は常に普通の家族や一般の男女及び子供たちの日常生活を脅かす。 性に関する道徳は家族を内外からの脅威から守るものだ。一緒に暮らしている男女でも単に性欲だけで結ばれていたり、浮気や衝動的な性行為を許容すれば、夫婦という絆は弱り家族という構成が成り立たなくなる。男が一国城の主となり得るのも家族としての伝統や法律がその城を守っているからである。それがなくなって得をするのはいったい誰なのか?それは自身が家族を構成できない、家族としての生活を楽しむことが出来ない人々だ。自分らが幸せな家庭を築くことが出来ないので他人の幸せな家庭を破壊することに喜びを見出すのである。

一番怖いのはもちろん第三の人々だ。我々一般人は自分が獲得できない美しいものを破壊しようなどとは思わない。だが、SJWたちは、まさに自分が得られない現実の完全破壊を望んでいる。SJWの人間はその名の通り戦士である。彼らはベン・シャーピーロが言うような可憐な雪片などではないのである。彼らの目的は我々が常識としてはぐくんできた現実を破壊することにあるのだ。

SJWが好き好んで使う「ミクロアグレッション」という言葉がある。それはミクロ単位の小さな攻撃だが繰り返されるうちに巨大な攻撃へとつながるという意味。だが実際にこのマイクロアグレッション戦略を施行しているのはSJWそのものだ。最初は差別につながるとか平等を目指してなどときれいごとを言って小さなことから要求してくる。彼・彼女をやめて本人が求める代名詞を使えとか、MTFに女子トイレや施設を使わせろとか。だが、こうしたひとつひとつの行為を認めてしまうと、それは我々が大事にしている現実を少しづつ少しづつ削っていくことになり、いずれ全てが破壊されてしまう。

SJWたちがイスラム教徒と同調しているのはこういう共通点があるからなのだろう。

だから私は誓う。SJWの要求にはひとつたりとも応えない。鬘をかぶってスカートを履いてる男を「彼女」などとは死んでも言わない。勢力に屈服して自分が見ている現実を否定せざる負えないようなファシズム社会に生きる気は毛頭ない。

October 15, 2016, 現時間 4:31 PM | コメント (1) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 11, 2016

今更トランプの古い女性蔑視発言にびびってる場合じゃない!

アメリカ内政 , フェミニズム

先日共和党大統領候補のドナルド・トランプが10年前にテレビ番組の収録中にホットマイクで吐いた女性蔑視の発言が出回り、嫌々トランプを支持していた共和党体制派の下院議会ポール・ライアン議長が激怒。トランプと一緒にするはずだった選挙運動会合からトランプを締め出すこととなった。

トランプの女性蔑視傾向は何も今更はじまったことじゃない。我々ネバートランプ派が予選の時点からずっと指摘してたことだ。トランプの今の奥さんは三人目だが、三人とも元トップモデル。前妻たちとの離婚も既婚中にトランプが若いモデルと浮気して小さい子供たちがいるのに文字通り新しいモデルと取り替えてきたのだ。また妻でない他の女性たちと浮気した話や既婚女性に無理やり迫って不倫させたことなど、トランプは過去のインタビューで自慢げに語っていた。だから10年前のえげつない発言が今更表ざたになったからといって何なんだと私はいいたい。そんなことが問題になるなら、何故最初から予選で勝ったりするのだ?彼に投票した人々はしらなかったでは済まされないだろう。

選挙運動も大詰めに迫ってきた今日、今後もトランプのセクハラ疑惑や訴訟などの話がどんどん表ざたになるに違いない。ここに民主党の偽善がある。ヒラリーの夫のビル・クリントン元大統領がセクハラ及び強姦常習者だったことは周知の事実。ホワイトハウスでインターンと性交したことが原因で弾劾までされたクリントンを被害者の女性たちを攻撃することで守り続けてきたヒラリー・クリントン。

セクハラだの強姦だのを持ち出して一番困るのはヒラリーの方ではないのか?民主党政治家ならどれだけ女性を虐待してもいいが、共和党政治家がちょっとでもえげつない発言をしたら絶対に許さないというのは偽善もはなはだしい。

私はトランプは大嫌いだ。最初からこんな奴に共和党の代表などやって欲しくなかった。しかしトランプはきちんとした予選を通じて人々が選んだ共和党候補である。私腹を肥やし自分の権力固持のために平気で自国民を犠牲にするようなヒラリーよりはずっとましである。

ヒラリーに国を任せてイランや中国やロシアに大きい顔をされたら、トランプの女性蔑視などとは比べ物にならないほど女性が虐待されるのだ。トランプの昔の女性蔑視発言などにびびっている場合ではない!

October 11, 2016, 現時間 10:18 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 22, 2016

左翼リベラルによってモスレム野蛮人の生贄にされた西洋の女たち

フェミニズム , ヨーロッパ , 移民問題

この記事はブレイトバートロンドン版に去年載ったものなのだが、先日ドナルド・トランプの息子がツイッターで紹介すると、ガーディアン紙のアメリカ版ブログにおいてこの話は嘘八百のでっちあげだという批評が載った。

もし私がことの背景を全く知らずにこの記事だけを読んだのだとしたら、著者がでっちあげたという話もそうなのかもしれないと思ったかもしれない。だが、ここ数年すでに多々の情報源から同じような話を聞いてきた私としては、彼女の体験談は非常に真実味がある。

ブレイトバートの紹介によると著者のアンマリー・ウォータース女史はレズビアンで元左翼市民運動の活動家。彼女の体験記は20年前にさかのぼる。

当時オランダのアムステルダムで安価な下宿先を探していたアンマリーはなんとか自分の予算にあった下宿先を探しだした。しかしそこに住み始めて間もなく真夜中に荷物をまとめて逃げ出す羽目になった。それというのもモスレムの大屋が彼女に性交渉を迫り、彼女の拒絶を理解しようとも受け入れようともしなかったからである。

その8ヵ月後、アンマリーは女友達と同居していたアパートに、夜遅く大屋の男が勝手に入り込むとすぐさまズボンを脱ぎ、あたかも当然という顔でにたにた笑い股間の一物を掴みながら女たちに近づいてきた。二人はその場でリュックに手荷物を詰め込んで逃げ出した。二年の間に二回も女は誰でもセックスの義務があるかのように振舞う「汚らしい小男たち」 によって住居を失う羽目となった。

どちらの場合も大屋はモロッコからの移民だった。また別の時だが友達と二人で道を歩いていたとき、タクシーの運転手が汚物を窓から彼女たちめがけて投げつけたという。当たらなかったが。

そして極最近、アンマリーがデンマークのコペンハーゲンからマルモに電車で行った際、電車がスエーデン領域に入るや否や、今やスエーデンでは普通となった光景を目にした。金髪の若い女性がジョギングの途中、「中近東人らしき男たち」の前を通ったところ、男たちは女性のいくてをさえぎり罵声を浴びせかけ股間の一物を握って女性を脅かしたのである。マルモの駅に着くと「親パレスチナ」デモに遭遇。今ではスエーデンでは普通になった反ユダヤのデモだった。

スエーデンが今やヨーロッパのレイプ首都となっていることは読者諸氏もよくご存知のことと思う。だがスエーデン政府は未だにその事実を認めようとしていない。近隣のノルウェーでは首都のオスロで起きた強姦事件のすべて西洋人ではない移民によるものだという統計が出ている。同じような話はデンマークでも聞かれ、強姦犯罪の犯人はほぼ間違いなくイスラム教徒である。

イギリスでは中東出身のモスレム野蛮人たちに1000人を超す未成年の少女たちが性奴隷として十数年に暴行されてきた事実がある。そしてドイツだ。近年のメルケル首相の国境開放政策によりドイツ女性たちはモスレム強姦魔たちの餌食となっている。ドイツの難民キャンプでは男性同伴でない難民女性たちが常に強姦の被害にあっていることは周知の事実である。

にもかかわらずドイツ政府はこのひどい状況に対して何もしようとしない。いや、そういう事実があることすら認めようとしない。

アンマリーは訴える。ヨーロッパの女性たちは今何が起きているのかしっかり見極める必要があると。モスレム移民たちにとって女はすべて奴隷なのであり、彼らは女は男たちの要求に何時でも何処でも受け入れなければならないと本気で信じているのだ。移民のなかで強姦を働くのは極端な一握りの少数などではない。これらのモスレム移民にとって強姦は普通なのである。

「女性が虐待されるのは何処の世界でもあることだ。しかしほとんどの国でそれは違法だ。だがイスラム諸国ではそれが法律なのである。」

アンマリーのこの発言にはちょっと誤りがある。彼らの出身国でも強姦が合法である国はない。問題なのは強姦は違法でも強姦の犠牲になった女性も姦淫の罪で罰せられるという男尊女卑の法律があるため、強姦被害者は被害を訴えることが出来ないのである。また、たとえ法律で罰せられなくても強姦被害にあった女性は夫をはじめ家族から見放され、ひどい時には名誉殺人などで家族から殺される可能性もある。被害者が泣き寝入りをせざる終えない社会構成がなされているため、強姦は事実上合法ということになってしまうわけだ。

アンマリーいわく、今ヨーロッパにいるパキスタン、アフガニスタン、ソマリア、といった国々からの移民は目につく女はすべて性交渉の対象だと思い込んでおり、強姦するのが当たり前という姿勢だ。こんな野蛮人を大量に受け入れれば地元女性が被害にあうのは目にみえて明らかだったはず。それなのにヨーロッパは何故このような被害を見てみぬ振りを続けるのだ?ヨーロッパの指導者たちはいったいどれだけの女たちが被害にあえば目がさめるのだ?

スエーデンのストックホルムで瀕死の女性を強姦したソマリア人のスエーデン弁護士はこのような危険な男をソマリアに強制送還するのはソマリアの女性たちに危害をもたらすことになるので許可すべきではないと言い張った。スエーデンの女性たちにもたらす危険はどうでもいいということらしい。今やスエーデンではスエーデンの高齢者が歯の治療に12000ドルの治療費を要求されるのに対し、住民権もないモスレム移民の歯はたったの6ドルで治療してもらえるという。ドイツではドイツ市民が住居から強制立ち退きを要求され、ドイツ女性の危険にさらすモスレム強姦魔たちの住居に当てられている。

この強姦危機に対してヨーロッパ諸国の首脳たちの反応はといえば、モスレム移民の規制ではなく、ヨーロッパ女性たちの自由を規制するに至った。

ドイツでは女性たちに一人で電車に乗らないようにとか、若い少女たちに短パンを着て出歩かないようになどアドバイス。どれもこれも「誤解」を招かないようにという注意つき。アンマリーいわく、最近のドイツ語ニュースピークでは「強姦」のことを「誤解」というらしい。

強姦魔たちが好き勝手に町をたむろするのに対し、強姦されない責任は女たちにあるという。これは危ないから夜道の一人歩きは止めましょう程度の注意ではない。そのうちに女の子たちがスポーツに参したり普通の生活をすることすら「誤解」を招くのでしないようと言われるようになるだろう。これだけ女性の自由を迫害されて、フェミニストを自負していたヨーロッパは恥かしくないのか?

モスレム人口が増えるにつけ、言論の自由が迫害されていることは言うまでもない。ヨーロッパでおきる強姦も乱射事件も大量刺傷害事件についても報道が自由に出来ない。モスレム移民やメルケルの移民方針に否定的な記事もかけない。フェイスブックやツイッターでもモスレムや移民政策に否定的なことを書いたりすればすぐに削除され、そのうえに罰金や禁固刑に処される危険がある。

しかしここで疑問に思うのは、どうしてヨーロッパの首脳たちは自国の民をここまで苦しめるのであろうか?何故西洋の首脳陣は自分らの歴史と伝統である西洋文化を破壊しようとするのであろうか。アンマリーに言わせると、欧州の首脳陣は欧州の植民地政策に関して極端な罪悪感を持っている気がするという。欧州の元植民地だった国々が欧州に慰謝料を要求したりすると、それに応じなければならないという態度をとる。植民地政策や奴隷制度があった(アラブ諸国などは未だにある)国々は何も欧州だけではない。なのに欧州だけがその罪の償いを永遠にし続けなければならないかのようである。

ヨーロッパのことだけを語っているが、中国や南北朝鮮から度重なる謝罪要求に対応し続ける日本の状況と非常に似ている。それを言うならアメリカも全く同じだ。オバマ大統領ほどアメリカ嫌いな大統領は歴史始まって依頼初めてだ。オバマ王が大統領になった当初、保守派トークショーホストのラッシュ・リンボーはオバマ政策が失敗することを祈ると語ってリベラルはおろか保守派からも散々批判された。しかしリンボーはオバマの目的はアメリカ社会を破壊することにあるのであり、そのような政策には断じて賛同できないという姿勢だったのだ。オバマは最初からアメリカ社会を根底から変革すると公言していた。オバマが現在のアメリカ社会は悪だと思っていたとしたら変革というのは完全なる破壊と考えるのが理にかなった解釈である。そう考えれば、オバマが従来の同盟国を足蹴にし敵にひれ伏す理由がおのずと理解できるというものだ。

ドイツをはじめスエーデンにしろオランダにしろノルウェーにしろイギリスにしろフランスにしろだ、欧州の首脳陣の最終的目的が欧州破壊にあるとしたら欧州を忌み嫌う野蛮人らに門戸を開放することの意味がはっきりする。彼らは自国の利を優先するどころか自国の破壊を望んでいるのだ。

欧州首脳陣の歪んだ罪悪感のためにモスレム野蛮人の第一の生贄になるのは西洋の女たちなのである。

September 22, 2016, 現時間 7:14 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 10, 2016

女装男子生徒にセクハラされた女子生徒及びその父母、学校を訴える

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

トランス生徒が自由に施設を選べるトランスジェンダー許容規則を施行したミネソタ州のバージニア市の中学校で、トランスジェンダーを扮する女装男子生徒が女子生徒の更衣室やシャワー室で女子の前で卑猥な踊りをしたり股間を露出するなどの行為をとったことに対し、数人の女子生徒らとその親たちが学校が女子生徒のプライバシーを守るための充分な措置をとらなかったとして学校及び連邦政府司法局を相手に訴訟を起した

訴訟を起したのは生徒とその父母の11家族で、原告らはバージニア市の公立学校において生徒らが好き勝手に異性の施設を使用できる規則を撤回するよう求めている。

「学校の方針は生徒らの安全と人権を守るためにあるべきであるにも関わらず、バージニア市公立学校はそれをしていない。教育委員会や司法局がそれをしていないのは明らかである。」と原告側の弁護士ゲリー・マカレブ氏は言う。「どのような子供も更衣室のような親密な場所を異性と共有することを強制されるべきではない。」と同氏。

被告とされているのは連邦政府司法局長のロレッタ・リンチ女史及びバージニア市教育委員会とその局長ジョン・キングJR氏。

オバマ王の司法省は学校区への連邦政府普及金を人質にとって、全国の教育委員会にトランスジェンダーの生徒らのために生徒が好む性の施設使用を強く促しているのに応え、バージニア市の教育委員会はトランスジェンダー許容規則を取り入れた。

訴訟内容は政府は大事な教育費を違法な方針を取り入れるために人質にすべきではない、学校区も生徒らの安全とプライバシーを金銭と引き換えにすべきではないと主張している。

訴訟によると、トランスジェンダーを名乗る男子生徒Xは女子更衣室やお手洗いの使用や女子運動チーム参加も許可された。しかし生徒Xは女子更衣室でみだらな行為をし、女子生徒が泣いて部屋を逃げ出す結果を招いた。この男子生徒Xがしたとされる行為は、

更衣室で女子生徒の体型についてひやかしたり、原告女子生徒Fのブラのサイズについて語り、自分の身体の一部と取り替えてあげるなどと言った。

男子生徒Xは性的にみだらな歌詞の曲を大きな音でかけ、それにあわせて腰を振ったり、ポールを使ってストリッパーのように性行為を示すような動きをしたり自分のスカートをめくってパンティーをみせびらかすなどした。

学校側は不愉快な思いをしている女生徒たちに別の更衣室の使用を許可したところ、原告女子生徒Bを含む上位運動クラブの女子生徒らのほとんどが予備の更衣室を使うようになった。学期の真ん中ごろから原告女子生徒Aは使用されていない男子バスケチームの更衣室使用を許可された。

しかししばらくすると男子生徒Xはそれらの更衣室にも現れるようになり、女子生徒Aが下着姿でいるところで同じく着替えをしている他の女子生徒の前で自分のパンツをぬいだ。この事件は生徒Aにとってどこへいっても自分のプライバシーを守ることが出来ないと、心に深い傷を負わせた。

原告側の弁護士によると、学校側は女子生徒らやその親たちによる度重なる苦情を完全に無視したという。「学校側は非常に非同情的でした。これこそまさに我々が警告してきたことなのです。生徒たちのプライバシーを取り除けば、悪い結果を生むのは当然です。」

この弁護士の言うとおり、トランスジェンダー許容法を取り入れれば必ず女装変質男子による女子へのセクハラが起きると反対派はずっと訴えてきた。しかしその度にそういう規則を取り入れた施設では何の問題も生じていないというのが許容派の言い分だった。実際に起きている問題を無視して問題が起きていないと言い張るのは非常に不誠実な言い分である。女子生徒らのプライバシー侵害しておいて、傷ついた女子生徒たちの気持ちを完全無視して『何の問題も生じていない』といえるそのふてぶてしさ。これこそ左翼リベラルによる女性への攻撃だ。

関連したニュースで、五つの州において宗教系病院の医師らが、医師らの意見に逆らって大人及び小児に対して、オバマ政権の連邦政府が強制しているトランスジェンダー治療を施ことに反対してオバマ政権に対して訴訟を起した。

オバマ王は最近、アフォーダブルケアと呼ばれる連邦政府医療保険において、性同一傷害を特別保護対象とし連邦政府提供の医療保険による治療を拒否されない対象とした。これはどういう意味かというと、連邦政府の医療保険制度に参加している病院においては、トランスジェンダー治療を拒否することが出来なくなるというものだ。

たとえば、この法律によれば、婦人科の医者がトランスジェンダー「男」のために健康な女性には医療上不必要な子宮摘出や乳房摘出手術を施すことを強制される。場合によっては思春期前の子供に異性ホルモンの投与を行なうなど医師の立場として患者には危険と思われる治療まで強制されるというもの。

この危険な法律を撤回させようという訴訟はテキサス、ウィスコンシン、ネブラスカ、ケンタッキーそしてカンサスの共和党知事らが筆頭になって起された。

なぜオバマ王はこうも執拗にトランスジェンダーアジェンダを人々に押し付けようとするのだろうか。トランスジェンダーはアメリカ人口のわずか0.03%の人々がわずらう精神病である。精神病ならば、患者に見合った治療をすべきなのであり、その判断は政府ではなく個々の医師が状況に応じて下すべきである。それを何故連邦政府が性同一障害の治療は性転換だけだと決め付けて、反対する医師等の判断を無視して性転換手術ばかりを強制したがるのか。もし、患者に必要なのが手術やホルモン投与ではない精神カウンセリングだったら取り返しがつかないではないか。

実を言えば、この二つの例はトランスジェンダーが問題なのではない。オバマ王がトランスジェンダーの人権になど全く興味がないのは一目瞭然。オバマ王の陰謀はトランスジェンダーを口実にアメリカ国民の自由を剥奪することにある。

女性のプライバシーを奪い、医師等の個人的判断を違法にする。子供たちの健康な発育の責任を親から奪い取り政府が肩代わりしようとする。国民がなにもかも政府の言いなりになる国。オバマが目指すのはそういう国なのである。

独裁政権で最初の犠牲になるのは常に弱い立場に置かれる女子供であるのは言うまでも無い。

September 10, 2016, 現時間 2:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 2, 2016

なんで普通の男がトランス女を演じてはいけないのか?

フェミニズム , 同性婚

今日、ハリウッドリポーターというオンラインニュースを読んでいてなんだこりゃと思う記事があった。その内容は「男優にドレスを着せて鬘をかぶせ化粧をさせただけではトランス女を正しく演じることは出来ない」というもの。記事の著者はニック・アダムスで、GLAADという同性愛市民団体のメンバー。

当然ながら(ハリウッド映画界による)また男にドレスを着せてトランスジェンダー女を演じさせる決断はトランスジェンダー市民の神経に触る。なぜならこれは多くの人々にとってトランスジェンダー女は実は男だと見られているという厳しい現実を思い出させるからである。このメッセージは毒気に満ちており危険である。

アダムスはこのような思想がトランス女による女子トイレ使用禁止といった法律につながるのであり、トランス女を女性と間違えて軟派した男が「あいつは野郎だぜ」と仲間にからかわれて21歳のトランス女を殺害するに至るという原因となったのだという。アダムスは50人を超すトランス女がそういうふうに殺害されたと主張する。カカシはこの数値はかなり眉唾ものだと思う。だがそれがたとえ真実だとしても、ハリウッドが男性俳優をトランス女の役に起用することが寄与するものだという考えは飛躍しすぎだ。

先ず俳優というのは定義上役柄に扮するのが仕事である。自分ではない他人を装うのが仕事だ。であるから普通の男優がトランス「女」に扮するのは、彼にとってはもうひとつの役柄に過ぎない。歌舞伎や宝塚で役者が異性の役柄に扮するのが普通の日本出身のカカシにとって、役柄と俳優の性別が一致しないことなど別にとりたてて騒ぎ立てるようなことではない。ましてやトランス女は元々男である。男が演じて何が悪い?

いったいGLAADの連中は何にそんなに神経を尖らせているのだ?

トランスジェンダーは人口の0.03%にも満たないという。その非常に小さい少数派のなかから役柄にぴったり当てはまり、しかも映画やテレビの主演級俳優として成り立つ人材を探すのは容易なことではない。それはまるで宇宙飛行士の役は宇宙飛行士しか演じてはいけないと言っているようなもので、実際の宇宙飛行士で年齢や性別や人種がぴったり合う人を見つけるだけでも大変なのに、しかも演技が出来るひとを探すなど不可能に近いだろう。いや、それをいうなら役柄が人間でなく吸血鬼やゾンビだったらどうするのだ?本物の吸血鬼やゾンビを探せとでも言うのか? 頼むよ~!

もう何十年も前のことになるが、ロンドンのミュージカルでミス・サイゴンのベトナム人とアメリカ人の混血児の主役を白人男優が演じることが問題になったことがある。しかし反対に100%東洋人男優(たとえそれベトナム人でなくても)を起用した場合には問題にならなかったといういきさつがあった。

このダブルスタンダードはアダムスも例外ではない。アダムスはハリウッドが流行の先端を行きたいのなら、トランス俳優をトランスではない役柄につけるべきだという。なぜなら(社会の傾向は)その方向に向かっているからだと。そしてトランス俳優がどんな役柄も演じることが出来ると一般視聴者に解ってもらうことにも役立つという。

ここにアダムスの理屈に矛盾が生じる。普通の男優がトランス女を演じるのは許されないが、トランス俳優が自分とは医学的に異性の性の役柄を演じるのは歓迎されるべきというのである。

アダムスは自分の言っていることがどれほど皮肉な現実を表しているかに気がついていない。だいたいトランスジェンダーこそが究極のコスプレだ。アダムスはトランス女でない普通の俳優にトランス女の現実は理解できないという。だがそれを言うなら、生物学的な男が鬘をつけドレスをつけ化粧をしただけで本物の女のなんたるやを理解するなど不可能だ!たとえどれだけの女性ホルモンを摂取し去勢手術や豊胸手術を受けようと男の遺伝子を女に変えることなど出来ないのである!

そういう男に生まれた人間が女装しただけで女と言い張ることを許せと要求する人間が、男に生まれた俳優が男に生まれた女装男の振りをすることを許さないという理屈はどこからくるのだ。男が男を演じて何が悪いのだ?

鬘をつけドレスを着て化粧しただけの男を女と認めろというGLAADなんかより、ハリウッドの配役の方がよっぽどもまともだと思うね。

September 2, 2016, 現時間 6:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 29, 2016

肥満受け入れ派によるフィットネス派への猛烈な攻撃

フェミニズム , 優しい痩身法

アメリカでは最近肥満体を受け入れようという動きが活発だ。それについて書こうと思っていたのだが、「苺畑より」ではかなりのトピずれ(懐かしい言葉)かなと思ってダイエットブログ専門のルナおばさんのところで掲載してもらった。しかしルナおばさんのブログは零細すぎて読者がほぼゼロというだけでなく、何故かダイエットの話に政治がからんできたことでもあるので、せっかくだからこちらに転載させてもらう。

以下ルナおばさんのサイトより。

**********

最近肥満大国のアメリカでは「太っていてもいいじゃないか」という肥満体型を受け入れようという運動が流行っています。もうここ2~3年そういう運動がおきていて、プラスサイズのモデルとかネットでも人気者がいるし、ファッション雑誌やスポーツ雑誌ですらプラスサイズのモデルがフィーチャーされています。モデ痩せだけが美ではないという風潮が受け入れ始めたのはよいことだとは思いますが、どんなサイズでも健康でいられると言って、それが健康美を目指すことへの妨げとなってしまうとこれはかなり問題があると思います。

アメリカでいう肥満というのは日本でちょっとぐらい太っているといった程度ではないのです。特に肥満受け入れ運動に積極的な人というのは100%以上の超肥満、つまり標準体型の二倍の体重といった人が圧倒的に多いのです。日本人の女性で身長160センチの標準が60キロとしたら超肥満は120キロですよ!こんな体型で健康体を保てるはずがありません。

それでもアメリカは自由な国なので個人が自分の体重が多いことに満足しているというなら、それはそれで本人の勝手で済みます。でも実際はそうではないのです。「肥満受け入れ運動」は自分が太っていることを容認するという意味ではなく、自分が太っていることを社会に無理やり認めさせるという運動なのです。これが問題になる理由はおのずと明確になります。

もっとプラスサイズの洋品店を増やせとか就職の際に太っているからといって差別するなとかいう程度ならまだしもですが、もっと現実的に理不尽な要求につながります。たとえば

健康保険及び生命保険の掛け金

就職先で入れる団体保険ではなく個人的に入る健康保険の場合は、本人の健康度によって掛け金が変ります。病気になりやすいと判断される人の掛け金は割り高になるのは当然。タバコを吸う人や危険な仕事をしている人や肥満な人は掛け金が高めになります。同じ理屈で早死にする可能性の高い人の生命保険の掛け金も割高になります。肥満受け入れ運動家たちは肥満者の保険料が高いのは肥満差別だから止めるべきだと訴えるのです。

飛行機の座席料

飛行機のエコノミークラスで一つの座席に納まらないほど太っている人は二席分の座席を購入することが勧められています。空席が多い機なら別ですが、満席の機に乗りたいなら二席分購入は義務です。しかしこれは肥満者への差別であるとてして、航空会社はもっと大きな座席を作り、料金は普通のエコノミーと同じにしろという要求です。

洋品店などがプラスサイズ専門のコーナーを設けるのは商業的に有益な作戦かもしれません。ファッション雑誌やスポーツ雑誌がプラスサイズモデルを起用するのも雑誌の売り上げ増加につながるかもしれません。でも保険会社や航空会社のような一般企業に利益の見合わない要求をするのは理不尽というものです。割高料金を払いたくないなら本人が痩せればいいだけの話なので、その自己責任を棚に上げて企業や社会にその責任を負わせるというのはどんなものでしょうか?

肥満受け入れ運動家たちの要求はこうした社会機構だけでなく人々の言動にまで広がっており、それが非常な言論弾圧にもつながっています。 次ページに続く。

続きですが、最近肥満受容認運動家たちによるフィットネス派への攻撃が猛烈になってきています。以前にも「何故肥満を自慢するの?」と問いかけて大批判を受けたマリー・カングさんの話をしましたが、パーソナルトレーナーとか栄養士とかお医者さんたちは健康体を促進するのが仕事です。それが最近は「健康な生活習慣を身につけ健康な身体を作ろう」というメッセージを「ファットシェイミング(肥満を恥かしめる行為)」といって批判する人が増えています。

そういう肥満容認傾向に腹を立てたのが元陸軍新入兵の教官で今は民間人フィットネスインストラクターのジョン・バークという人。一年ほど前バークさんのユーチューブビデオがちょっとした話題になりました。彼はビデオのなかで、『太っていることはオーケーじゃない!太っている人の姿を見るのは不快だ気持ちが悪い。肥満体は自己規制のきかない象徴だ!病気などで太ってしまう人もいるが大抵の肥満者は怠慢なだけだ。肥満を受け入れるのは単に怠慢でいたいだけのいい訳だ!』というようなことを五分間に渡って教官の口調で怒鳴り散らし肥満人を罵ったのです。

彼が言いたかったのは言い訳ばかりしていないでフィットネスへの努力をしろということで、そのメッセージはもっともなことなのですが、その言い方がかなり厳しいということでこれをみた多くの人々が彼に反感を覚えネット上で炎上してしまったというわけ。軍隊では兵士のフィットネス度が生死の境になるわけですから、その鍛え方は一般人を鍛えるのとは違います。言葉使いも口調も厳しいものになるのは当然のことです。でもそのやり方が一般人に通用するかといえばこれは議論の余地ありでしょう。

しかし私が脅威を覚えたのはバークさんのビデオよりもバークさんへの異常なまでもの批判と糾弾です。2~3年前にマリー・カングさんが「あなたの言い訳は何?」というポスターで批判を受けた時もひどかったけど、バークさんへの批判も相当なものでした。どうしてこんなにもフィットネス派のモチベーションスピーチに批判が集まるのでしょうか?

人にはそれぞれモチベーションの受けかたが異なります。三児の母なのに美しいガングさんの体を見て「あ、三児のママでもあんなふうになれるんだ。私も頑張ろう」と思う人もいれば、「あんな体には絶対になれない。気が滅入った。やけ食いしよう」となる人もいるでしょう。また陸軍教官に怒鳴られて「畜生!あんなこと言われて悔しい。がんばるぞ!」とやる気の起きる人もいれば、「怒鳴られて腹たった。やけ食いしよう」となる人もいるでしょう。

なんですぐやけ食いになっちゃうのかという不思議さもありますが、相手にやる気を起させようとするやり方には色々あるはずで、ひとつのやり方だけが正しいとはいえません。でも他人のやり方が気に入らないからといって、それが正しくないとは決め付けられないはずです。現にこのやり方は軍隊では断然効果があるわけですから。

一般的に肥満体の人に恥をかかせるような言動は失礼であり、すべきではないと思います。聞かれてもいないのにダイエットのアドバイスとか余計なお世話もしてほしくありません。しかし自分の商売が肥満体の人に痩せるようやり気を起させることが目的となれば話しは別です。相手を奮起させるやり方は千差万別であり恥をかかせるのも一つのやり方として受け入れるべきだと思います。そういうインストラクターが好みでないなら別なインストラクターに行けばいいだけの話です。バークさんのようなやり方が人気がなければバークさんはフィットネスインストラクターとして成功しないでしょう。彼のことをいろいろ批判せずとも自然に彼の商売は成り立たなくなります。市場に任せればいいのです。

私が一番嫌なのは自分が肥満であることを批判されたくないからといって肥満は不健康だという意見や健康体をつくるために努力すべきだという意見を弾圧しようという動きです。自分が太っていることで満足しているならそれはそれでいい。でもその生活習慣を正当化しないでほしい。フィットネスを目指している人々の努力を妨害しないでほしい。フィットネスを促進する人々の言論を弾圧しないでほしい。

それだけです。

August 29, 2016, 現時間 8:57 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 23, 2016

裁判官、オバマ王のトランスジェンダートイレ使用命令を阻止

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

オバマ王が全国の学校区においてトランスジェンダー自称の生物学的な男子に女子施設の使用を許可せねばならないとした命令について、連邦法のタイトル9に触れる違憲であるとしてテキサス州並びに他の州が訴えていた訴訟で、先日月曜日(8・22・2016)連邦裁判所はオバマ命令を一時的に差し止める判決を下した

連邦地方裁判所のリード・オコーナー裁判官はタイトル9と呼ばれる連邦教育法の性別定義はあいまいではなく、生物学的及び体質的に男子と女子の性区別を生まれた時点におけるものと明確にしているとと判決を下した。

タイトル9というのはアメリカの教育界における男女差別を禁止する法律である。トランスジェンダー運動家はよくタイトル9を口実にしてトランスジェンダー差別をするなと称えるが、この裁判官の判決によればタイトル9において男女の区別は生まれつきの性別ときちんと定義付けられているというのものだ。

この判決は全国の学校区に当てはまるものであり、トランスジェンダー生徒の権利や方針とは無関係で、連邦政府は学校区にトランスジェンダートイレ法を強制する権限がないことを意味する。

女子生徒のプライバシーを守ろうという運動にとって、この判決は最近二度目の勝利である。今月最初、バージニア州の学校で自称男子のトランスジェンダー生徒による男子施設使用について学校側が禁止する権限があるという判決が連邦地方裁判所で出たばかり。

オコーナー裁判官は共和党の州政権の、オバマ政権が5月に出した命令について学校側の意見を尊重すべきだという主張にも同意した。

この判決が新学期の始まる9月前に出すことは非常に重要だった。なぜならば、オバマ政権はオバマ命令に従わない学校区から連邦資金の配布を差し止めると脅迫していたからである。テキサス州の政治家らはオバマ王は法律を自分勝手に書き換えようとしていると怒っていたが、一応今のところ裁判官はそれに同意した形になる。

しかしこの法律は個別の学校がトランスジェンダー生徒の異性施設使用を禁止するものではない。ただ、連邦政府にはその命令権がないというだけ。しかも一時的な差し止めというだけなので、この先どういうことになるかは解らない。だが、トランスジェンダートイレ法という狂気的で邪悪な法律を完全に永久的に廃止する第一歩として歓迎したい。

ところで関連するニュースで、今年の4月に自称トランスジェンダーが好き勝手にトイレや試着室を選べる方針を実施した大型小売店チェーンのターゲットで異変が起きている。同チェーンは最近2千万ドルをかけて全店に男女共用個室トイレを設置すると発表した。あきらかに異性と一緒にトイレなど使いたくないというバックラッシュへの対応である。ターゲットの4月の発表から、不買運動には1400万人を超える署名が集まったが、実際に不買を決め込んだ客の数ははるかに多いと見え、売り上げ自体ががた落ちという大打撃を受けているのだ。

それでもターゲット側はトランスジェンダー方針を変える気はないと強気。ただ、この方針に賛成な人も反対な人もいることは確かであり、双方の意見に耳を傾けているとターゲットのスポークスマンはいう。個室トイレはすでに1800あるうちの1400の店に存在するとのことで、2017年までにそれをすべての店に設置する計画だという。

ターゲットの三ヶ月ごとの売り上げは7.2%減、顧客の数も最近二年間で始めての減少という悪影響が出ている。

トランスジェンダー方針を実施しているのはターゲットだけではない。4~5年前からトランス方針を実施しているメイシーズ百貨店では女子トイレを使用している女装男性を追い出した警備員や、女子試着室を使おうとした男性を拒否した店員が解雇されるという事件が起きたりしていた。メイシーズは最近経営不振で多数の店を閉める発表をしたばかり。トランス方針とは無関係かもしれないが方針が店のイメージを上げなかったのも事実。

August 23, 2016, 現時間 2:21 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 30, 2016

人種に関する色盲は人種差別という不可思議な議論

フェミニズム

最近人種に関するエントリーを書くことが増えて気づいたのだが、私のブログのカテゴリーには「人種」というものがない。なぜかというと、それだけ私自身、「人種」というものに気を取られることがないからである。だが最近になってユーチューブなどで本当の意味での人種差別など全く体験したことがないような若い世代が、人種人種と騒ぐようになり、そのなかでも目だって聞こえるようになったのは「人種に関する『色盲』は人種差別だ」という議論である。英語でいうカラーブラインドというのは、要するに相手の肌の色にこだわらず相手の人格で相手を判断するという意味で使われる。黒人運動の父と呼ばれるマーティン・ルーサー・キングが「私には夢がある」で語った、人々が肌の色ではなく中身で判断される世界を夢に見ると語ったことでも有名である。

なのに何故最近人々を人種ではなく人格で判断することが「人種差別」ということになるという摩訶不思議な議論が騒がれるようになったのか。

ひとつの議論としては、相手の人種に盲目であるということは、相手の人種に全く気がつかない、もしくは気がついても気にしないという意味だが、それは人種がもたらす相手の人格をも無視することになるというものだ。また、相手の人種に気がつかない人間などいるはずはないので、自分は人種に対して色盲だという人間は人種に気がつかないふりをして潜在する人種差別を隠そうとする偽善者だという意見もある。

一般に人は他人も自分と同じように物を考えると思っている。だから自分が人種に執着している人間は、実際に人種に全く関心を持たない人の気持ちが全く理解できないし、そんな人間がいるはずがないと思うのだ。しかし実際にはカカシのように普段他人の人種に全く気がつかない人間も存在する。

それは変でしょう、カカシさん、話している相手の肌の色が黒いか白いか気がつかないってこたあないでしょう、と言われるかもしれないが、それは私にとって相手の髪の毛が金髪か茶髪か程度の差でしかない。

その例をちょっと紹介しよう。

ちょうど10年前の7月、インディペンデンスデイ(独立記念日)という映画が大人気になった。その時、新聞の記事で今夏ナンバー1の映画の主演は少数民族だという文章があり、私は正直言って「へ?誰が少数民族なの?」と本当に理解できなかった。主役男優はウィル・スミスだけど、、彼のどこが少数、、、あ~あ、そっか~、彼は黒人だね。と自分の中で結論が出るまで2~3分かかった。私はウィル・スミスをアメリカの俳優としては見ていたが、特に黒人だという意識では見ていなかった。

ある時友達同士でミックスカップル(異人種夫婦)の話をしていて、私は「私の知り合いにミックスカップルなんていないなあ」と本気で言ったことがある。一緒に居たミスター苺が「いるじゃないか、ケンとゲイルが」というので、「へ?ゲイルってラテン系かなんか?」ミスター苺「ばか、ゲイルは白人、ケンは黒人だよ。」といわれて「あ、そうか」などと言っていたら、他の友達から「お前ら何言ってんだよ。自分らの顔みてみろ!」と言われてしまった。え~なんで?あ、そうかミスター苺はユダヤ系でカカシは仏教系?違うってば、、いや、これは決してミスター苺も私も冗談でとぼけて言ったのではなく、本当に自分らの人種の違いを普段意識していないことから起きた会話なのである。

こういう本当の意味での色盲人は案外多いはずだ。人種差別というのは相手の人種が自分と違うことが何か問題になるという前提でおきることなので、相手の人種に本当に気がつかない人が相手を人種によって差別するなどということはあり得ない。それなのにわざわざ相手の人種に拘って、相手の人間形成に人種が影響を及ぼしたことを把握すべきだという考え人種差別撲滅に貢献するというのは話が逆である。

私が観たこのユーチューブなんかその典型。彼女の見解は組織的にも個人的にも人種差別は存在しているのに、自分はカラーブラインドだ人種には気がつかないと言い張るのは存在する人種差別を無視するだけで問題解決にはつながらない、というものだ。

だが彼女のいう「組織的な人種差別」というのは、人種差別者が生み出した架空の差別を原点にして語られている。たとえば黒人が拘束されている率は白人よりも多いという例をとってみても、拘束されている人間の人種だけを見て黒人が多いからそこに差別があると考えることこそ人種差別だ。

こういう統計を見て最初に聞かなければならないことは、同じ罪を犯した黒人と白人では拘束される率に差があるのかということである。拘束されている黒人が有罪なら、拘束されている黒人の数がおおかろうが少なかろうが人種差別とは無関係である。

また、家政婦や掃除婦といった手作業の大半をラテン系の女性がしているということも、これがアメリカ社会がラテン系に対して人種差別を行なっているからだと結論づけることこそ人種差別である。家政婦や掃除婦といった仕事は言葉のハンデがあっても出来る仕事だから新移民には好まれるというだけのことではないか?ラテン系女性でも言葉を学び教養があれば普通の会社にも勤められるし医者や弁護士や政治家にもなれる。ラテン系だからというだけで才能があるのにこういう仕事に就けないというのであればそれは差別といえるが、そうでないならラテン系への組織的な差別があるという理屈は成り立たない。

リベラルの悪い癖は結果における人種の配分が人口分布と一致しない場合は、その原因が人種差別にあると決め付けることだ。人には向き不向きや好みというものがある。また、人種ではなく民族による文化の違いというものもある。アメリカのように移民で成り立ってきた国ならそれぞれの人々の伝統的文化の影響というものもある。そういう違いを無視して何もかもが人種差別のせいだと言い張ることこそ人種差別である。

私が思うに、このユーチューブを作った若い女性に代表されるリベラルの若者たちはその交際範囲がリベラルの友達や親や大学教授らに限られるため、そうした人々の偽善が全てだと思い込んでいるのである。つまりリベラル偽善者たちが「私はカラーブラインドだ」というとき、彼らはそう振舞っているだけで本当はものすごい人種差別者であることを人々は察している。なぜなら自分らもそうだからだ。それでリベラルでないほかの思想の持ち主たちも自分たちと同じような偽善者なのだと勝手に思い込むのである。

よってカカシのような右翼保守派が人種なんて考えたことが無いというのを本気で信じることが出来ないのだ。人種に拘らず人々をその人格で判断する行為、本当の意味でのカラーブラインドこそが人種差別廃絶のもっとも効果的な手段であることを彼らは理解することができないのである。

1

July 30, 2016, 現時間 10:20 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 26, 2016

女子トイレ立ち入りなんていってる場合じゃない、トランスジェンダーは銃武装して身を守るべき!

アメリカの銃規制/銃砲取り締まり法 , フェミニズム , 同性婚

フェイスブックの友達から男から女のトランスジェンダーが銃武装による護身について書いている記事を紹介していた。

著者のニッキー・スターラードは、LGBT社会の間で反銃派が非暴力抵抗を称えていることを批判。LGBT人間こそ自己防衛に備えるべきだと訴える。なぜならばLGBTが暴力の被害者になる可能性は一般人よりずっと多いからだというのである。今こそLGBTは非暴力の思想を改め、自分らを守ってくれない政治家に投票するのはやめるべきだと言う。

LGBTが特に暴力の対象になるとは思わないが、それでもこの間のオーランド乱射事件では明らかにゲイが狙われたのであるから彼、スターラードのいうことも納得がいく。

スターラードはゲイの銃愛好家で知られるピンク・ピストルというグループのメンバーで、このグループはここ数日でその会員数が1500人足らずから四倍以上になったという話だ。LGBT社会にとってトランスジェンダーが女子トイレを使えるかどうかなんてことより、どうやって本当のホモフォブであるイスラムテロリストから身を守るかということのほうが先決だろう。

さてスターラードのような親銃トランスジェンダーについて次期カリフォルニア知事とされる親LGBTと自負するギャブン・ニューサム副知事は、親銃トランスはNRA陰謀にの手先でディスかスティング(吐き気を催すほど気持ちが悪いといった意味)と述べ、LGBT社会からかえって顰蹙を買っている。

ニューサムはトランスに限らずLGBTで銃規制に反対する人間はNRAの手先だとして下記ように書いている。

NRAのグループはカリフォルニアにおいてトランス社会を使って常識的な銃安全法と戦っている。彼らの嘘に満ちた戦いにトランス社会を悪用するのはこれまでにおいても最も気持ちの悪いやりかただ。

ニューサムのこの発言は、NRAへの批判というよりトランス及びLGBT全体への批判と取られたようでサンディエゴゲイレズビアンニュース(SDGLN)の投書欄に下記のような意見が載った。

「ギャブンはザ・ピンクピストルスを聞いたことがないのか?彼らはNRA団体ではない。彼らはLGBTQ社会が自衛できるように尽くしているグループだ。LGBT社会を攻める前にもっと勉強しろ。」

「悪用だ?トランス社会をそういうふうに見てるのか、お人よしですぐ他人に利用されるとでも?それとも何か、お前の見解と一致する意見しかもっちゃいけないってのか?

「ニッキーは(憲法補整案)第二条の長年の支持者だ。(略)NRAのせいだとかニッキーの努力がお前が提案している合法市民の権利の規制に対する最近の反応だと決め付けるのはやめろ。お前はLGBTQ社会がNRAの犠牲者にされているようにいうが、お前こそが彼らを犠牲者にしようとしているのだ。

ギャブン・ニューサムが次期カリフォルニア知事になることは先ず間違いない。そうなったらカリフォルニアはもっと反銃になるだろう。これは非常に心配なことだ。

June 26, 2016, 現時間 9:07 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 20, 2016

ゲイの間で高まる銃購入

アメリカの銃規制/銃砲取り締まり法 , フェミニズム , 同性婚

なぜかカカシのフェイスブックの友達は親銃派が多いのだが、その一人が同性愛者の間で銃購入をする人が増えているという話を教えてくれた。

コロラド州の銃販売店ではオーランドの乱射事件直後銃販売率が高まったとしている。こういうことは乱射事件が起きる度に起きる出来事なので期待通りではあったが、今回はその客層にゲイやレズビアンといった同性愛者が非常に多く含まれているという。

ピンクピストルズという同性愛者銃愛好クラブは、事件後突然その会員希望者が増えた。このクラブはかなり零細なクラブで、事件前の日曜日の会員数は全国でも1500人足らず。それが事件後一週間の今日はなんと3500人にも増えたそうだ。

また、ゲイ男性が非常に多い西ハリウッドのあちこちで面白いビラが貼られている。このポスターはゲイを象徴する虹色の背景に海兵隊のマスコットであるガラガラ蛇の旗をかたどって「撃ち返せ」と書かれている。

もちろんLGBTの公式な姿勢は銃法規制にあるのだが、個人的には自分を守りたいと思っている人のほうが多いはずである。今やゲイポルノ映画では最大と言われる映画会社ルーカスエンターテイメントの創設者で会長のマイケル・ルーカス会長は「イスラム教はゲイに嘔吐している」と指摘する。

ブレイトバートニュース所属アーロン・クレインのラジオ番組で、ルーカスは民主党はゲイを洗脳しようとしていると語る。「イスラム教は女を嫌う。女たちに嘔吐する。ゲイに嘔吐する。」「過激派イスラム教はゲイを殺す、奴らは(ゲイに)嘔吐するのだ。」

ルーカスは、オバマを始め民主党は、オーランドの虐殺事件をイスラム教徒による反同性愛者テロ事件という焦点から、犯人の個人的な同性愛者としての葛藤へと話を変えようとしているという。歴史的にいって同性愛者は圧倒的に民主党支持なので、その支持層を失わないために民主党はやっきになっているというのである。

ルーカスはリベラルメディアはゲイが民主党の主旨から離れないように一生懸命運動していることに憤りを感じている。民主党の姿勢はイスラム教のホモフォビアはキリスト教やユダヤ教のそれと全く変わらいというもので、ゲイ社会がその思想からはずれないようにしているという。

いいですか、私はこのダブルスタンダードには非常な不満を覚えます。もしこれがキリスト教徒やユダヤ教徒による行為だったら、即座に(テロの動機は)過激派キリスト教とか過激派ユダヤのせいだと言ってるはずです。

それがイスラム教となるとそうは呼べない。モスレムがイスラム教の名のもとにしたものだとそうはならない。これは一人の男が同性愛者であることの内面的な葛藤だということになる。それが(テロ行為の)動機だということになる。

もしくは犯人は一匹狼で精神的な問題があったから、それが理由で妻を殴っていたとか、銃法規制が緩いせいで奴が銃を買うことが出来たとか言うことが(原因)だという。そういうこともあったかもしれない。でも根源にあるのは激派イスラム教です。

またルーカスはオバマがイスラム教による同性愛者への虐待について言及しなかったことにも不満を抱いている。ルーカスはオバマはリベラルなのでイスラム教のホモフォビアをきちんと理解していないのではないかという。

リベラルは何かとイスラム教徒は虐待された少数民族だという偏見を持っているので、大量殺人鬼がモスレムだと解っていてもそれを認めたがらないのだとルーカスは言う。問題なのはオバマがそれを認めたがらないだけでなく、他の人々にもそれを悟られたくないと考えている。それが問題なのだと。

ルーカスは半分正しい。オバマは国民にイスラム教が悪の根源なのだと思わせたくない。なぜなら、イスラム教テロリストがアメリカ国内を危険にさらしていると認めたら、ではオバマは危険な敵を前になにをやっていたんだということになり、その責任を問われるからである。

今日も今日とて私はアメリカのアイダホ州で多くのシリアからの野蛮人を難民と称して受け入れた市で、8歳の幼女が思春期前のモスレム少年三人に輪姦されたという記事を読んだ。犯人の少年たちは射精もできずに幼女に放尿したという。そして野蛮人の親はその行為を褒め称えたというのだ。しかも同市の市議会はその事件をもみ消して市民に知らせまいとしていたのである。

リベラル政治家たちがモスレム野蛮人の残虐行為を隠せば隠すほど国民の政府への信用は落ちる。私はアメリカがヨーロッパのようになってしまわないうちにアメリカ市民が立ち上がってくれることを望む。そのためにはアメリカ市民は断じて銃を諦めてはならない!

June 20, 2016, 現時間 7:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 12, 2016

トランス許容方針に疑問を抱いた途端にヘイターにされた左翼リベラル活動家

フェミニズム , 左右思想 , 教育と政治 , 独裁者オバマ王の陰謀

以前にも書いたが左翼リベラルは異見を許さない。常に寛容とか許容とか反差別とか多様性とか言ってる割には、多少なりとも主流意見から踏み外した人間には容赦なく攻撃を加える。いままで肩を並べて革新派運動を行なってきた同胞でも、リベラル体制方針に対して「それはちょっと違うんじゃないの?」といったら最後、所属していた左翼団体を追い出すだけでなく、その後も執拗に徹底的に叩きその人物の名誉を完全破壊しようとする。

先日もちょっと触れたが、ACLUという極左翼市民団体のジョージア支部長に就任したばかりのマヤ・ディラード・スミスという黒人女性が同団体のトランスジェンダー支援方針に疑問を抱いたことが原因で辞任を余儀なくされた。左翼リベラルからの彼女への攻撃は迅速かつ猛烈である。シンクプログレス(革新思想とでも訳すべきか)というサイトに掲載されたこの記事などはその典型である。

抗議の辞任をしたのはマヤ・ディラード・スミスという黒人女性。最年少で最近ACLUジョージア州支部長に抜擢された女性弁護士として非常な期待をされていた。その彼女が何故このような大事な立場を自ら辞任などということになったのか。彼女は自分がACLUのトランス方針に疑問を抱いたきっかけをこう説明する。

私が小学生の娘たちを女子トイレに連れて行った際、いずれも(身長)180センチを超え、野太い声をした、明らかに男性の、三人のトランスジェンダーの若者たちが入ってきました。子供たちは身の危険を感じて明らかに怖がっていました。私も非常に不安になりました。私は子供たちの数ある質問に対して、多くの親がそうであるように、私もまた全く答えに詰まってしまいました。

それで、私はACLUに就任してから色々質問をしてきました、たとえば『トランスジェンダーの人権を推進するにあたり、それが女性や女児に与える影響とは何か、子を持つ親たちの人権に与える影響とは何か』といった単純な疑問を投げかけてきました。

記事の著者ザック・フォードの記事だけ読んでいると、スミスとACLUの亀裂はスミスの反トランスジェンダー偏見だけのような印象を受けるが、スミスが添付したビデオインタビューを聞いていると、スミスが疑問を抱いたのはACLUがどんな問題に対しても片一方だけの狭い考えに凝り固まっており、競い合う人権があった場合、ひとつの団体の人権を守るために他の団体の人権が損なわれることについて、きちんとした討論がされていないという点だ。たとえば同性愛者の人権を守るために宗教家の人権が損なわれるといったように。トランスジェンダーを守るためにおきる女性や子供への影響がきちんと吟味されていないことにスミスは疑問を抱いたのである。

フォードはスミスがトランスジェンダーについて単に無知だったというなら仕方ないが、彼女自身がトランス男たちの存在に不快感を持ったと述べていることを批判し、スミスが子供たちから受けた質問を武器にして反トランス運動家に豹変したと指摘する。

スミスは中庸を目指してトランスと一般人がお互い納得できる解決策を探そうという主旨でユーチューブビデオを作製。彼女や子供たちの質問を幾つか投げかけているが、その中でも最も大事な質問を要約すると、

質問することさえ許されずに、トランスジェンダーについてどのように学べというのか。

この問題について双方が安心して討論できる場所はあるのか?

単にトランスジェンダーとは何かといった質問をするだけなら問題はないが、スミスがトランスジェンダー女子を「ボーイズ」と表現し、「『彼』が男の子のお手洗いで不快な思いをするのは可愛そうだけど、、」という「間違った」代名詞を使っているところにスミスの偏見が丸見えだと批判する。だが、それはフォード自体のトランス女は女だと決め付ける偏った判断にある。

フォードはちょっとネットで検索すればトランスジェンダーとは何ぞやという質問の答えはいくらも得ることが出来るというが、それは全く正しい供述ではない。私のようにトランスジェンダー問題に興味を持った人間が色々調べてみて解ったことは、トランスジェンダーという正しい定義は存在しないということだ

だから本物のトランスジェンダーとトランスを装った変態との区別はどうつければいいのか、という反対派の質問に推進派はきちんと答えることが出来ないのである。トランスジェンダーというのが医学的にきちんと証明できるというのであれば、トランスの人々は常にトランス証明書でも所持しておく必要がある。だが、現在トランス許容法を施行している施設において、そのよな証明書を求めるところはない。フォードの質問を許さない態度はこの文章を読めば明らかだ。

中庸を求める必要性そのものが崩れるのは、トランスジェンダーの人々がトランス立ち入りを許可を悪用して、トイレなどの施設で人を襲った事件は一つも起きていないことにある。何年も前からこのような方針を取っている州や市がいくらでもあるというのにである。保守派がトランスでない男たちがトイレなどへのアクセスを悪用したとする例にしても、彼らはきちんと逮捕されていることからして、トランス許容法が犯罪を誘発することにはならないという証拠だ。

自称トランス女が女性施設で犯罪を犯した例は一つもないというのは嘘である。トロントの女子シェルターでトランス女と称する男が数人の女性を強姦した例や、トランス女と称して女子刑務所に移転を許可された連続強姦魔が女子受刑者を数人強姦した例など、数え上げたらきりがないのだ。フォードやトランス法支持者らのいいぶんは、性犯罪を犯す人間は本物のトランスではないという屁理屈だ。トランスジェンダーは性犯罪を犯した途端にトランスジェンダーではなく単なる変態男に変わるのだ。だから、トランスジェンダーがトランス許容施設で性犯罪を犯した例は一つもないという理屈になるわけ。これも、トランスジェンダーとはなんぞや、というきちんとした定義がないから起きる現象なのだ。

また、性犯罪はもともと犯罪であるからトランス許容法があろうとなかろうと関係がないというのが推進派の論理である。しかし、トランス許容法は性犯罪の定義をも変えてしまうのでこの論理はまるで意味がない。他の多くの人々が指摘しているように、男子が女子施設に立ち入るという「違法行為」を合法にしてしまえば、性犯罪の大半を占める「覗き」を合法にすることになる。実際に写真を撮ったり、女子の身体に触れたりしなければ犯罪ということにならないというなら、大の男が股間の一物を怖がる女子に披露する行為はどうなるのか?女性の身体をじろじろ見てにたにたする行為はどうなるのか?推進派はそういう質問に全く答えずに、トランスの存在に不快感を持った女性が悪いのだと責め立てるのみ。

フォードはスミスが子供たちと一緒に体験したトランス「女」たちとの遭遇において、スミスの対応は最悪だったと責める。フォードは一般女性よりトランス「女」のほうがよっぽども公衆トイレでハラスメントや暴力に合っているというのだ。しかしトランス「女」の75%以上が体験したという「ハラスメントや暴力」とはどういうものなのかをよくよく読んでみると、

女子トイレに入ろうとして立ち入りを拒否された。

女子トイレで女性たちから出て行けと言われた。

女子トイレから腕力で追い出された。

私はトランス「女」たちが冷遇された体験というのは、てっきり男子トイレでおきたものだと思っていたのだが、彼らの体験はすべて女子トイレで起きている。つまりそれだけ一般女性は男子の女子施設立ち入りに拒絶反応を示すということだ。それだけではない。このアンケート調査で明らかなのは、75%に及ぶトランス「女」たちは、明らかに女性には見えない男性だということである。つまり、彼らを追い出した女性たちにとって彼らは単なるドレスを着た男にしか見えなかったということなのだ。

ザック・フォードは名前からして男だが、スミスのような一般女性や女児たちの母親としての心配はすべてトランスフォビアとして片付ける。女たちは鬘を付けて醜い脛毛まるだしでミニスカートをはき大型ハイヒールを履いている男たちがずかずかと自分らの空間に入ってくるのを大手を広げて歓迎しろというのである。

まさしく男尊女卑のなにものでもない!

June 12, 2016, 現時間 11:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

また起きたイスラム圏での欧州女性強姦事件、被害者のオランダ女性は姦淫の罪で逮捕される

フェミニズム , 宗教と文化

まったくこういう事件がいくつ起きれば欧州の女性たちは学ぶのだろうか、外国人女性はイスラム圏の国に遊び半分で出かけていってはいけないのだ。

今度はカタール(Qatar)においてオランダ人女性が薬を盛られて集団(?)強姦の被害にあい、それを警察に届けた被害者の女性が反対に姦淫の罪で逮捕されるという事件が起きた。

女性はオランダから休暇で来ていた22歳の旅行客。お酒を飲むことが許可されているダハホテルで飲んでいた自分の飲み物に何者かに薬をもられ気を失った。気がつくと見知らぬアパートに一人で置き去りにされていた。気を失っている間に強姦されたと悟った女性はすぐ警察に通報。警察はすぐさま被害者の女性を逮捕。姦淫や違法飲酒などの理由で拘束した。

イスラム圏には原油で金儲けした裕福な国々がいくつかある。西洋諸国とも交流があり、都心はまるで西洋の都市と見分けがつかないほど西洋化している。一流ホテルは豪華でバーやレストランではお酒も出す。だから諸外国の旅行客やビジネスマンは自分らの国と似ているからその習慣や法律も同じなんだと勘違いするケースが多い。それについては同ブログでも何度も書いてきた

これらの国々では法律上は無許可の飲酒は禁じられているが、バーやレストランではいちいちお客に飲酒の許可証などを調べたりはしない。むこうも商売なのでお客がお酒を飲みたければ構わずに出すのだろう。大抵の場合これは問題にならないらしいが、一旦犯罪の被害者になった場合、警察は加害者を捕まえてくれるどころか、かえって被害者が無許可飲酒をしていたとして逮捕されるなどという例が珍しくないのだ。これに強姦が絡むと被害者の女性は一年半とかの禁固刑に処せられる可能性があるので、イスラム圏で犯罪の被害者になった外国人は警察になど届けないでさっさと帰国することをお薦めする。命があったことだけでも幸いとして諦めたほうがいい。

ところでカタールの治安はどんなものかという質問がヤフーの知恵袋にあった。この回答はかなり無責任だと思うね。

質問:カタールは中東だけど、危険な場所に行かなければ、治安は悪くないという認識で宜しいでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答

カタールやUAEなど中東の湾岸諸国は、どこもみな極めて治安がよく、日本よりも遥かに安全で快適です。治安の点についてはまったく何の問題もありません。
これらの国は基本的に安全で豊かですから、旅行者にとっても極めて快適です。
”平和富裕ボケ”といえるほどまったく安全です。

中東で絶対に行ってはいけない危険なところは、ご存知のとおり、イラク北部、シリア、イエメンです。

カタールは小さな国ですし、観光客が遊びに行くようなところは、ひとつある大きなショッピングモールくらいでしょう。街中は一般的に他の湾岸諸国の都市と似たような感じです。


June 12, 2016, 現時間 12:35 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 11, 2016

男を女と呼ばせる政府、トランスを巡るトラブル全米各地で頻発

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

「男子を女子トイレに入れよ」法を推進している側の言い分は常に、トランス許容法を起用している地域や施設において全く問題は起きていないというもの。だが、この問題を注意深く観察し始めたカカシの耳には、トランス許容法によるトラブルの話が毎日のように入ってくる。許容法推進側は稀におきる個々の体験談は問題が起きている証拠にはならないと言う。統計からすると性犯罪は増えていないと言い張る。だが、覗きという性犯罪を合法にしたうえに、実際に人々から出ている苦情を完全無視して、いったいこの悪法が世の中に与える悪影響をどうやって正確に把握することが出来るのか?

まず、最初の話はこちら。テキサスにある大型トラック運転手らが休息を取るトラックストップのバーベーキューレストランで男子女子トイレに入るべからずという張り紙が張られた

実はこのレストランにはここ1~2年、女装した一人の大男が現れるようになったのだという。この男は暴れ馬や牛を乗り回すロデオで働く男で、乗り手が馬や牛から落ちたときに動物の注意を自分にひきつけて乗り手を守る役目をするクラウンの仕事をしているらしいという。ロデオで働くような男だから男中の男。どうみても女には見えない筋骨たくましい男なんだそうだ。

それが何故か、長髪のかつらを付けてミニスカート履いてハイヒールでお店にバーベキューを食べに来るという。実際にこの男がトランスジェンダーなのか、単にロデオのキャラとして女装をしているだけのピエロなのかは解らないが、店の女子従業員や常連の女性客からの要請で店主はこの男が女子トイレに入らないように張り紙を張ったのだという。これは最近のトランス許容法とは無関係な決断だったと店主は言っているが、許容法への抗議だと取られるなら、それはいっこうに構わないそうだ。

テキサス州のヒューストン市で去年この法律が取りざたされた時、(ヒューストン市では市民投票でトランス許容法は圧倒的多数で否決された。)トランス許容法反対派が「鬘(かつら)を付けてスカートをはいただけの大の男が女子トイレに入ることができるようになる。」として反対したのに対し、推進派の反論は単に反対派は『ヘイターだ!、被害妄想だ!トランスフォビア(恐怖症)だ!』というだけで、許容法を悪用する痴漢への対処について全く説明しなかった。

さて、女装男が女子トイレや更衣室やシャワー室に入ってくるということもさりながら、オバマが全国の学校区に圧力をかけているトランス方針にはもっと重大な問題がある。

アラスカ州の高校で 男子生徒が女子陸上競技に参加を許され 全アラスカ州大会で三位に入賞。四位以下になった女子選手やその父母から苦情が殺到するという事件が起きた。

特に四位になった女子生徒の母親は三位の選手が男子だったことを競技の後になって知り、学校側にも抗議し、ツイッターで胸のうちを打ち明けたが、それに対して当の男子生徒が『あなたの娘がもっと真剣に練習すれば勝てたのに』というようなことをツイートしたため、この母親の怒り爆発。五位になった選手の母親なども加わってツイッター上で大騒ぎになった。

しかし一位と二位になった女子生徒はこの男子が三位だったことから、男子だからといって特に不公平に優位ということはないと語っている。だが、それは違う。それは単にトップクラスの女子はかろうじて平均男性より優れていたというだけの話で、トップレベルではないが、そのすぐ下のレベルの男子がトランス女と称して女子競技に参加すれば女子に勝ち目はない。

オバマ王はタイトルIX(ナイン)という連邦法を建前にトランス女の女子競技参加拒否は性差別を禁止するタイトルIXに違反すると言い張る。だが、タイトルIXはもともと中高大学において女子選手が男子選手と同じように運動する機会を与えられるよう保証する法律である。男子競技のほうが人気があるため、なにかと女子競技はおざなりにされやすい。それを是正するための法律だったのだ。その女子生徒のスポーツ参加を保証する法律を使って女子競技を破壊しようとするオバマのずうずうしさ。

個人競技において女装男が優位なのもさることながら、これがチーム競技や格闘技になったら男が優位なだけでなく女子の身の危険を招く。FMAでトランスと戦って散々な目にあった女子選手が、自分はトップレベルの女子と何度も戦ったが、あんなに力強いパンチを受けたのは初めて、と語っていた。当たり前だ。相手は男なのだから。彼女がかたわにされたり死んだりしなくて幸いだった。

何故オバマはこんな気違いじみた方針を全国の学校区に強制しようとするのか。その本当の目的は無論トランスジェンダーの人権を守るなどというものではない。トランスジェンダーを正常な人間として扱い、男を女と呼ばせることは、政府が国民に絶対服従を求める前奏である。女子トイレの男子を招きいれ半数を占める国民を恐怖に陥れる、男子を女子競技に参加させ女子競技を破壊する、社会が女性を大事にしなくなれば文明は衰退する。国民が常に政府に善悪の判断を任せる国は独裁者の思う壺である。これによってオバマが独裁者として君臨するファシズム国家が実現するのだ。

パワーラインのアモガールが書いているように、政府が国民に男を女と呼ばせることが出来るなら、国民は何でも政府の言いなりになるだろう。

ところで、この間人権擁護市民団体のACLUジョージア州支部の役員がトランス許容法を巡って辞任した。彼女は同団体の役員としては最年少のやり手だったが、カリフォルニア州で幼い娘二人を連れてトイレに入った際に、背も高く骨格もいい声の太い女装男に遭遇。娘たちが怖がってお手洗いにいけないという状態が発生した。

ACLUはトランス許容法を熱意的に支持しているが、彼女がその方針に疑問を投げかけたところ、非常な反発を受け団体との亀裂が生じたため辞任を余儀なくされたというもの。

普通の女なら自分が一番プライバシーを守りたい空間を見ず知らずの男と共有したいなどとは思わない。普通は家族だって嫌だろう。本当の女ならその気持ちは本能的にわかるはずだ。男女共同トイレなんて別にどうってことないじゃん、というのはほとんどが男だ。このトランス許容法を推進しているのもすべて男だ。女性がこんな法律を支持するとしたら、はっきり言ってあんたはバカだといいたい。ヨーロッパで難民大歓迎とか言って救済運動をしていた白人女性が集団強姦されてびっくりしているのと同じ。強姦魔を大手を広げて受け入れるなんぞ愚の骨頂である。

トランス女たちが女子施設への立ち入りをこうも執拗に要求するという事実が、彼らが本当の女でないことを証明している。本当の女なら男が女の空間に入り込むことにどれだけの不快感を覚えるか本能的に理解できるはずだからである。

それが出来ないお前らは女じゃない!

June 11, 2016, 現時間 10:06 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 23, 2016

男子を女子トイレに入れるな!トランスジェンダートイレ法に一歩も譲れない理由

アメリカ内政 , フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

信じられないことだが、世界最強の自由国(であるはず)のアメリカ大統領が、なんと全国の小中高学校区において男女の区別なく生徒の好むトイレ及び更衣室そしてシャワー室に至るまでその使用を許可するよう命令した。そのことで全国各州から猛烈な反対の声が上がっている。断っておくが、大統領命令といっても、大統領には立法権限がないため、連邦政府に施行権限はない。ただ、オバマ王はオバマ王の命令に従わない学校区への連邦政府からの補助金を差し止めると脅迫している。しかし多くの学校区がたとえ補助金を失っても大統領の命令に背くものと思われる。なぜならこれは女子生徒を必然的に危険にさらす悪方針だからである。

以前にも書いたが、左翼リベラルが最終的に求める社会はすべての市民が常に恐怖におののいて不安で居る社会だ。個人の力を弱めることによって市民が大きな政府に頼らなければならない社会が左翼リベラルの理想なのである。だから彼らは常に社会の常識を破壊しようとする。男女を区別することは社会の基盤だ。それは男女を不公平に差別するという意味ではない。男女の違いをわきまえた上で差別をしない社会と言う意味だ。

しかし一般の人々は左翼リベラルの求める極端な社会像を想像することが出来ない。だから保守派が左翼リベラルが男女平等を唱えるとき、彼らの最終目的は男女の差を完全無視し、このままいけば男女が同じトイレやシャワー室を使う社会を求めるようになる、と警告したとき「そんなばかな、右翼保守の被害妄想だ」と一笑に付してきたのである。

それがどうだ?やっぱりそうなったではないか?

それでも多くの人々が、別にトイレくらいいいじゃないかという。特に女子トイレは全て個室だから、別に隣にトランスジェンダーのオネエさんが入っていても解るわけではない。そんなに大げさに騒ぎ立てることではないのでは、と言う。

だがそうじゃないのだ、トイレぐらい別にいいじゃないか、という考えは非常に危ない。なぜなら、一旦生物学的男子の女子トイレ立ち入りを許可すれば、次は更衣室になり、その次はシャワー室になり、日本なら銭湯の女湯や温泉の女湯にまで男子の女子施設立ち入りを許可しなければならなくなるからである。トイレがいいなら女湯は何故だめなのだということになるからだ。すでにオバマ王の命令のなかには更衣室もシャワー室も含まれている。これらの規則は右翼保守の被害妄想ではないのである。

男女共用施設法を押しているトランスジェンダー活動家たちは常に、こうした規則を施行した施設において特に犯罪率が上がったという事実はないと主張する。だが、男子が女子施設に入るという違法行為を合法にした以上、覗きの犯罪は減って当然。第一、彼らは明らかに覗きの理由で女子施設に立ち入った男子らによって、恐怖におののいている女子や女児やこどもたちの両親による抗議などは「問題」として全く取り上げていない。

だがすでに、男女共同施設方針を施行すると公表したアメリカ大手小売店ターゲットでは、各地の支店で明らかに男に見える人物が女子施設への使用を要求するという事件が起きている。ターゲットだけではない。同じような方針を施行したロス洋品店でも女子試着室に男性が入ってきたことで苦情を述べた女性客が店員から同店は差別行為をしない方針を取っていると言われただけで無視されるという事件が起きたばかり。

この方針を取り入れる企業や公共施設が増えれば増えるほどこういう事件が増えるだろう。そうと解っているのにオバマ王が義務教育の場でこの方針を強制しようとする本当の理由は何なのか。明らかに0.3%にも及ばないと思われるトランスジェンダー生徒の安全とは無関係である。だとすれば人口の50%を占める市民の安全を脅かすような方針を無理やり市民に押し付けようという行為は女性弾圧以外に他ならない。

大学キャンパスで女性の安全地帯を訴えるフェミニストたちは何をしているのだ!

オバマ政権の本当の目的はトランスジェンダーを守ることではない。彼らの本当の目的はアメリカ社会を根底から覆すことにある。そのためにはアメリカの基盤となっている常識や道徳観念を破壊することが一番手っ取り早いのである。私は常に一夫一婦制の結婚こそがアメリカ文明社会の基盤だと述べてきた。その結婚制度を崩した今、次の課題は男女の差という常識を崩すことだ。矛盾していると思うかもしれないが、男女を全く同じように扱うことで一番被害を蒙るのは女性なのである。

何故西洋では騎士道というものが生まれたのか。西洋社会では大昔から女性を大事にするという基本がある。これは女性は弱いものだから守らなければならないという気持ちからくるものだ。男が戦うのは女子供を守るためといっても過言ではない。だから女を守れない社会は文明が進まないのだ。モスレム社会や男尊女卑の極端な一部の東洋諸国を見てみればこれは明らかなはずである。

だが、もしも、女も男も全く何の変わりはないということになれば、男が女を守る必要性もなくなる。モスレム男たちに冒涜される自国の婦女子を守ろうともしない腰抜け欧州男たちを見ていれば、男が女を守らなければならないという観念を攻撃してきたフェミニズムがどれだけ欧州を落ちぶらせたかがわかるというものだ。

無論私は男性に比べて女性が劣ると言っているのではない。女性の優れた点は男性のそれとは違う面で現れるのであって、筋力の面で男女を同じ土俵に置くことの愚かさは常識のある人間なら誰にでもわかるはずだ。

オバマ王及び左翼リベラルの最終目的は、アメリカがアメリカたることを崩壊することである。アメリカの自由主義、資本主義、本当の意味での男女平等主義といったアメリカの文明社会を破壊することである。トイレ法はその小手調べにすぎないのだ。こういうことは最初が肝心。同性婚では負けたが、我々保守派は断じてトイレ法で譲ってはいけない。

アメリカ社会がアメリカがアメリカたることを守りたいのであれば、このような変態方針は断じて認めてはならないのだ!

May 23, 2016, 現時間 3:13 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 19, 2016

トランプを巡って分裂する保守派

アメリカ内政 , フェミニズム

読者諸氏お久しぶりです。実は一週間半ほどまたまたハワイ出張していた。行く前はハワイならいいかってな気持ちで出かけたが、行って見るとやっぱり仕事で行くところではないなあと思う。ま、真冬の東海岸に飛ばされることを思えば幸運を感謝すべきなのだろうが。ゴールデンウィークに重なったので日本人観光客で混みあっているかと覚悟して行ったのだが一月に行ったときよりずっと空いていた。

ハワイ出張中に聴いていたトークラジオは、朝の通勤時間は超トランプ親派のマイク・ギャラガー、帰りは反トランプだが共和党のために嫌々ながら支持するというデニス・プレーガー、ホテルに帰ってからはポッドキャストでトランプ絶対反対のネバートランプ派のベン・シャピーロ。どのトークショーホストも私は結構好きで時間帯が合えばよく聴いていた保守派たちなのだが、ことトランプを巡ってはそれぞれ意見が完全分裂。自分は絶対正しい、相手は完全に間違っているという姿勢が誰からも感じられてちょっと悲しい。面白いのは、親トランプ派も反トランプ派も相手を「本当の保守派ではない、リベラルだ、体制派だ」と攻撃していることだ。マイク・ギャラガーなどは「ネバートランパー達によるトランプ攻撃は左翼リベラルによるそれよりひどい。対ヒラリーとして団結しなければならないときに、何故共和党内部でこれほどまでに反トランプ攻撃が起きるのか全く理解できない。」と言っていた。

そうかな、私には完全に理解できるけどね。考え方が全く違う完全な敵よりも、考え方が99%同意できる仲間同士で最後の1%の相違が「背信者!死ね!」となるのはどの世界でも同じだ。過激派イスラム教徒が最も嫌うのが元々キリスト教だったりユダヤ教だったりしている多民族ではなく、イスラム教を捨てて異教に改宗する人々であるように。最初からの敵より裏切り者への憎しみの方が強いのだ。

格言うカカシがネバートランプ派なのは読者諸君もご承知の通り。とは言うものの、私は多少デニス・プレーガー風のヒラリーよりはまし派に変わりつつある。特に先日トランプが最高裁判官任命候補としてあげた人々のリストを考えると、もしトランプが本当にこれらの人々の誰かを議会に承認させることが出来るのであれば、それだけでもトランプを支持する価値はあると考えている。

ミスター苺いわく、トランプはエゴティストで自分が人気者となり大統領の座を利用して私腹を肥やすことしか考えていない。実際に政治などには興味がないので内政にしろ外交にしろ真剣に取り組む気持ちなど全くない。であるから専門家を回りに固めて自分は王様のように王座に座ったまま何もせずにふんぞりかえるだけで後は回りに任せるのではないかという。であるから自分の人気を高めるために人々が望む方針を取るだろうから、下院も上院も議会を共和党で固めれば共和党議会のいいなりになるのではないかというのである。だとしたら共和党は断じて両議会を共和党有利に保持しなければならない。

だが、ヒラリーの場合は違う。ヒラリーはどれだけ不人気であろうと左翼リベラル方針を押し通す。ヒラリーは自分の敵に対して永遠に敵意を持ち続ける。ヒラリーによるアメリカ憲法嫌悪は相当なものであり、言論の自由にしろ銃法所持の権利にしろヒラリーは何もかも破壊しようとするに違いない。ヒラリーが保守派や中庸の裁判官を任命するなどあり得ない。となれば、ヒラリーによって任命される超左翼の最高裁判官がこの先何十年にも渡って最高裁判所に君臨することになるのである。バイバイアメリカ憲法だ。

そう考えるならば、いつまでもネバートランプとも言ってられないのかもしれない。

だが、ネバートランプ側が対ヒラリーを考えてもトランプを支持できないという理由は、トランプとヒラリーを比べた場合、トランプのほうがまだましだという考えに同意できないからだ。ヒラリーもひどいがトランプもひどい。どちらが大統領になってもアメリカの将来はひどいことになる。今トランプを支持して自分の保守派としての信念を曲げるよりも、トランプ絶対反対派の信念を貫き通して将来の保守派運動に専念することのほうが長い目でみてアメリカのためになるという考えなのだ。それだけではない。トランプを共和党代表として認めることは、共和党が保守派であるという評判を完全に破壊させることであり、共和党というブランドを永久的に傷つけることになると考えている。

ネバートランプ派の中でも感情的になっていない理屈のわかる人々は、もしトランプが本気で保守派裁判官を任命し議会に承認させることが出来ると確信したら気が変わるのではないかと思う。それでも絶対にトランプは嫌だと言い張るとしたら、反トランプ感情が講じて憲法最優先の根本を忘れてしまっているとしか言いようがない。トランプが生粋の保守派層の支持を仰ぎたいなら、自分がいかに憲法優先主義であるかを保守派に訴える必要がある。

トランプが自分は分裂者ではない統一者だといいたいなら、トランプ支持者によるネバートランプへの攻撃を扇動するのではなく、反トランプの共和党有権者に協力を促す努力をすべきである。親トランプ派が反トランプ派を攻撃すればするほど、反トランプ派の姿勢は強硬になる。トランプが本当のリーダーなら、その点をしっかり考えるべきだろう。

May 19, 2016, 現時間 9:45 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 1, 2016

トランスから元の性に戻った女性が語る、トランス社会女性弾圧の実態

フェミニズム

トランス女がフェミニズムを乗っ取ってしまったという話は以前から聞いているし、拙ブログでも何回か紹介したことがあるが。が、先日トランスジェンダーに関する記事を集めている4thWaveNowというブログに載った女から男(FTM)へのトランスジェンダーとして二年間生きて、一年前から生まれた性の女性に戻る努力を始めたマックスという女性の体験談を読んで、トランス社会における女性迫害及び弾圧の事実を知って改めて驚いている。

マックスは子供の頃から男勝りで男の子とまじってサッカーをしたりしていた。16歳ごろからFTMに関する書物を読みまくり、ネットでFTMのブログを読んだりFTMと呼ばれるほかの10代の女の子たちと友達になって色々話をするにあたり、自分もFTMなんだと思い込むようになった。心の片隅では自分が自分にトランスだと思い込ませようとしているという気持ちもあったが無視した。

自分の心の痛みは、単に間違った身体に生まれてきたからだと思い込むほうが簡単だった。間違っているならただせばいい。そう思ったマックスは17歳にして両乳房の摘出手術をおこない、男性ホルモン治療を始めた。

しかし本格的なトランスの道を歩み始めても心の痛みは消えなかった。完全なFTMになることで幸せになれると思っていたのにそうではないとなると、そういう気持ちを打ち明ける相手が居なかった。トランス専門セラピストはやはりFTMの元女性。マックスは自分のトランス願望は単なる自分のなかにある女性蔑視だったのではないだろうか、という質問をFTMのセラピストは一笑に付したという。

マックスの問題点は男性になりたかったというより、女性であることが嫌だったといったほうが正しい。しかも彼女の女性観は何故か女性であることが社会的に非常に不利であるという長年に渡る左翼リベラルフェミニズムの神話を信じきっていたことにある。これがサウジアラビアとかUAEとかエジプトとかの社会ならわかるが、アメリカ社会で1995年に生まれた女性がいったい社会からどれだけ虐待されているというのか、今のアメリカ社会で女性弾圧など全く馬鹿げている。若いとこうも左翼の嘘に感化されてしまうものなんだな。

ではマックスが何故男として生きることを止めたのかというと、これは男から女(MTF)へ変わろうとしているトランス女による女性虐待が大きな原因となっている。トランス社会ではMTFの権力が圧倒的に強く、トランス女たちは元々女性であるFTMに非常な敵意を抱いている。MTFは自分たちが女性として生まれてこなかったことで誰よりも迫害を受けていると主張し、女性として生まれたFTMはMTFより恵まれているのだと言い張る。元々女性に性欲を覚える男性で特にこれといった治療も手術も受けておらず、自分を「彼」から「彼女」と呼ぶように他人に強要する以外はどうみても男に見える人間が、自分はトランス女として虐待されていると主張する。

しかもこういう人間に限って自分はレズビアンだと言い張り、レズビアンの女性やMTFといった医学的な女性とつきあいたがる。自分は女だから安全だと言って女性を安心させておいて、いったん彼女の部屋にはいると強姦魔に豹変する男もいる。こうしたMTFの男たちによる暴力に苦しむレズビアンやMTFは少なくないのだそうだ。いくら女装してみても男は男だ。どれだけホルモン治療を受けていようが女は女だ。男の暴力に勝てるはずはない。だが、彼女たちがMTFによる暴力を訴える場所がない。トランス社会でMTFの女性虐待を訴えれば裏切り者として非常な制裁を受けるのだ。

また、LGBT社会においてレズビアンやMTFに対してFTMとの交際を迫られる例が多く、元々の女性としか付き合いたくない女性たちも、トランス女を拒絶することが政治的に正しくない行為として責められるのを恐れて無理やり元男のMTFと付き合っている人も少なくないという。

マックスは個人的に20人余りの暴力MTFを知っているという。犠牲者になった女性たちは内々に情報を交換してこういう悪い奴らの餌食にならないよう警戒しているというが、誰が味方で誰が敵かわからないので情報交換は非常に難しい。下手をすると「トランスフォビア」とか「ヘイター」とか汚名を着せられてひどい目にあわされるからだ。

マックスが自分はやはり女だったと気が付き女として生きると宣言したことで失った友達は数知れない。彼女は女だけの空間の大切さを知らなかったという。トランス社会では自分は女だと言い張る男たちにによって女性の空間が侵されている。だから彼女はトランス女たちとトイレやシャワー室や更衣室を共用したくないという。彼女はトランス女たちの性犯罪嗜好を十分わきまえているからだろう。トランス女が性犯罪を犯さないなど、それこそ神話だ。

マックスはトランス社会にどっぷり使っていたときは、トランス女は本当の女ではないというフェミニストの書物を読むのは厳禁されていた。彼女自身これらの書物はトランスフォビアだと思い込んで読まなかった。いまにして思えば、もっと早くにそういう本を読んでおくべきだったという。

だが、マックスはまだ20歳。まだまだ人生は長い。トランスジェンダーのヒステリアに感化されて乳房を切除してしまったり男性ホルモンを乱用してしまったりして自分の身体に取り返しのつかない害を与えてしまったことは非常な悲劇である。

私はこれまでトランスジェンダーにしろLGBTにしろ、彼らに対してほとんど何の意見も感情も持っていなかった。彼らは単に異性の格好や振りをしたいだけの変態であり、一般社会に悪影響を及ぼさない限り勝手にクイアーな生き方をすればいいと思っていた。昔は女装男を外でみかけても変な人だなと思っただけだったが、最近そういう男を見かけると吐き気がするようになった。唾を吐きかけたくなった。

LGBT活動家たちは彼らの生き方を我々一般人に押し付け、我々が何千年にも渡って伝統的に培ってきた社会的道徳観を根本から覆そうとしている。男女共同トイレ法がその言い例である。だが、こんなのはまだまだ序の口。LGBTの陰謀はもっともっと深く大きい。今我々が彼らの攻撃を食い止めなければ、今後もどんどん極端なほうへと進むであろう。

今こそ我々一般常識人は立ち上がってLGBTの横暴に抵抗すべきときである。彼らの横暴を許せば、我々文明社会に未来はない。

May 1, 2016, 現時間 9:50 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 25, 2016

左翼リベラルによる女性への戦闘攻撃

フェミニズム , 左右思想

米民主党は何年にも渡って「共和党による女性への戦闘」というスローガンを掲げてきた。しかし多々の問題を深く追求すると、実際に女性に戦闘行為を繰り返しているのは誰あろう民主党、否、いまや民主党を牛耳る極左翼リベラルたちである。

無制限移民受け入れ政策:

オバマ政権は米墨国境警備を完全に怠り、故意に無制限に違法移民の流入を許容している。これによって何度も米国で犯罪を犯して強制送還された犯罪者たちが幾度も舞い戻ってきている。こうして舞い戻ってきた犯罪者たちの犠牲になる大半は女性である。サンフランシスコで違法移民に殺された女性の例などをとってもわかるようにオバマの無制限違法移民受け入れによって、連続強姦魔が自由にアメリカを徘徊し女性を狙っている。メキシコ暴力団は中南米から逃れたい女性たちを騙して性奴隷として連れてくることも非常に多い。

モスレム優先の難民受け入れ政策

オバマ政権は難民と称してシリアなどアラビア諸国から危険なイスラム教徒を大量に受け入れている。同ブログをご愛読の諸氏には明白だろうが、モスレム難民を大量に受け入れて一番被害を受けるのは女性である。イスラム教の男尊女卑で野蛮な教えによる女児の性器切除にはじまって、ヒジャブをつけない女子への硫酸攻撃、姦淫の汚名を着せられた女性への名誉殺人、そして誰彼かまわず非モスレム女と見れば集団強姦しまくるモスレムレイプギャングたち。ヨーロッパで頻発している輪姦事件を見ればモスレム移民の大量受け入れが女性にとってどれほど危険なことであるかがわかるはず。しかもこうしたモスレム移民の悪行を指摘すればイスラモフォビアの人種差別者として沈黙を余儀なくされ、黙らなければ命を狙われる。

妊娠人口中絶無規制政策

ユダヤ・キリスト教を基盤とするアメリカにおいて、妊娠人口中絶は非常に深刻な問題である。女性が簡単に中絶手術を受けられることは女性解放であるかのように勘違いする人が多いが、実は妊娠した女性が容易に中絶手術を受けることによって一番被害を受けるのは胎児なのは言うまでもないが、妊娠中絶は女性にとっても非常なトラウマとなる

中絶が容易だと、性交という行為に女性と結婚して夫として父として生きるという責任がなくなる。となれば無責任な男どもが恋愛感情などまるでなしに女性を利用してポイ捨て出来る。セックスにさんざん利用された挙句に捨てられるのは女性のほうだ。妊娠したって中絶すればいいじゃないかと言われてしまい、結婚して子供を生み育てたいという女性たちの夢が壊される。

中絶は下手をすると後々の妊娠にも響くし、身体的には大丈夫でも精神的な打撃は計り知れない。フェミニストたちが教えない汚い事実がそこにあるのだ。

男女共同施設使用政策

表向きはトランスジェンダーの人権擁護ということになっているが、この政策で一番得をするのは女性施設への無制限な立ち入りを許された変態男たちであり、これによって一番被害を受けるのは女性たちだ。 男子トイレに女子が混ざったとしても男性は不快かもしれないが特に脅威は感じないだろう。だが、大の男が(男たちが)女子トイレに入ってくることによる女性が感じる脅威は計りしれない。トイレ程度ならまだ個室があるからいいとはいうものの、これが浴場の脱衣場や浴室だったらどうなるのか?普通の女性なら男性の存在に脅威を覚えないなどということはあり得ない。特に幼い子連れの母親だったらどう思うだろうか?

トランス女の女性競技参加許可政策

どんなに外見が女でも、医学的な男は普通の女より骨格も大きく筋力も強い。同じ訓練を受け、同じ才能のある男に対して女は立ち向き出来ない。男子を女子競技に参加させれば女子の身体を危険に及ぼす。男子ではまずまずの競技者でも女子の間ではダントツに有利だ。男子を女子競技に参加させることによって被害を受けるのは女子競技者たちである。

大学キャンパスのノープラットーフォーム政策

アメリカやイギリスやカナダの大学で横行している講演者拒否運動。どんな人々が講演を拒否されるのかといえば、イスラム教の女性弾圧を訴える元イスラム教の女性、トランスジェンダー女を医学的な女性より優先する方針を批判するフェミニスト、架空の強姦文化や男女賃金不均衡という嘘を暴くフェミニストなどである。ノープラットフォームは架空の危機を促進することによって女性たちが直面する真実の危険から目を背けさせ、女性を無知なまま危険な状況に追い込む女性弾圧行為である。真実の危険に無知であることによって一番被害を受けるのは女性だ。

銃法規制政策

銃は偉大なる均衡手段である。つまり、か弱い女性でも銃をきちんと使えば体重が二倍以上の筋肉粒々男からも身を守ることが出来るということ。強姦魔でなくても強盗が筋力では圧倒的に弱い女性を狙うのは当たり前の話し。銃法所持を規制するよって一番の被害を受けるのは女性だ。


このほかにも、左翼リベラルが押す反女性政策は色々あるが、彼らがいう表向きの理由ではなく、これらの政策が誰にとって一番得なのか、そして誰が一番損をするのか、それをよくよく考えれば、左翼リベラル政策の多くが対女性戦闘攻撃であるということがわかるはずだ。

本当に女性に戦闘攻撃をし続けているのは左翼リベラルなのである。

April 25, 2016, 現時間 10:50 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 24, 2016

米大型スーパー、ターゲットが男女共同施設を宣言して苦情殺到

ビジネス , フェミニズム

先日、アメリカの大型スーパー、ターゲットがこれより『自分が同一視できる性別の施設を自由に使ってもよい』という規則を施行すると宣言した。そのことで消費者から苦情が殺到。保守派グループがボイコットを呼びかけ24日の段階ですでに340,000人の署名がオンラインで集まったという。カカシもターゲットのフェイスブックに苦情を書き込んだが、ほんの数分で何百という反新方針のコメントが殺到していた。

先ず最初にみたのがこのコメントなのだが、それに対するターゲットの答えに笑ってしまった。

アイリーン:ターゲット、明確にしてください。ターゲットはすべての性別が男女どちらでもトイレや試着室を使うとが出来ると言っていますが、そうなのですか? ターゲットはトイレを監視していないと聞いています。そんな余裕はないと。ということは男性が男の格好をして、トランスジェンダーではなくて、単に女性のトイレをつかいたいだけの人が、小さい子供なども使っている女子トイレを使うことが出来るということですか?これはトランスジェンダーの問題ではありません。彼らには誰も気がつかないでしょう。でも明確にしてください。簡単な質問です。トランスジェンダーではない普通の男性が男性の格好をしたまま女子施設を使うことが出来るのですか?

ターゲット:ハイ、アイリーン。もっと詳しい説明が必要とのご指摘ありがとうございます。私どもはすべてのお客様に見合った性別のトイレや試着室のご使用を歓迎いたします。

アイリーン:そんなの答えになってない!

この質問に関する他の消費者からのコメントが一時間以内で800くらいついていたがターゲットの規則に抗議するものが圧倒的に多い。

ケイト:私も同じ疑問があります。ターゲットからの不明確な回答から察するにターゲットはお客への関心を失ったものと考えます。ということはお母さんたちの買い物客は必要ないということですね。結構です。もう行きません。

ライアン:ターゲットはPCリベラルに媚びへつらっているだけだ。トランスなんて、たった0.3%の人口にも満たないのに、なんで99.7%の人口が嫌な思いをしなきゃならないんだ?勝手にしろ。

もちろんターゲットの新規則に賛成する意見も少ないがいくつかあった。

ジェシカ: ターゲットには家族用のトイレがあります。そんなにあり得ないような事態が心配なら、そちらを使ったらいいじゃないですか。新規則が出来る前から男性が女性施設を使うことは出来ました。何もかわっていません。性犯罪はいまでも違法です。トランスジェンダーを責める前に性犯罪自体が許されない行為とすることに努力すべきです。

ティナ: アイリーンはヒステリーを起してるわ。

ブライアン: 男にしろ女にしろトイレで人を襲うのは違法だ。それは今も以前も変わっていない。トランス男も女もいままで普通に施設を使っていた。これからもそうするだろう。偽りの怒りは止めろよ。

800以上のコメントにざっと目を通してみたが、抗議派はトランスジェンダーではなく、ごく普通の男がこの規則を悪用して女子施設を使用することを恐れているのに対し賛成派は、トランスジェンダーを変質者扱いするな、という頓珍漢な答えか、抗議者をトランス恐怖症だとか偏狭者だと侮辱するものだけで、何故このような規則が必要なのかという説明をする人は居ない。それどころか、ブライアンのように、トランスジェンダーはこれまでも誰にも気が付かれずに自分の好きな施設を使っていたとするコメントもいくつかあった。そうであるならば、何故今更大々的に新方針として宣伝しなければならないのか。

ライアンが指摘しているように、トランスの人口はアメリカ人口の0.3%にも及ばないという。だったらそういう人たちこそ個室トイレを使えばいいのであって、50%以上の買い物客に対して親規則が嫌なら個室トイレを使えというのは理不尽だ。

カカシが何度か指摘してきたように、トランスジェンダーという概念は何も今に始まったことではない。昔はトランスベスタイド(女装男)とか、日本ではニューハーフとか呼ばれていた。外見からどう見ても異性に見えるひとなら、その外見に合わせた施設を使えばいい。コメンターのブライアンも指摘しているように、大抵の人は彼・彼女達がトランスだとは気がつかないだろうから。

問題なのはターゲットが誰でも自分が同一視できる性別の施設を使っていいと大々的に宣言したことによって、変態男たちが女子施設に入り込んで覗き行為をすることを合法化してしまったということだ。ブライアンのように人を襲う行為は今でも違法だという人もあるが、直接他人に触れたり写真を撮ったりしなくても、多くの州では現在の法律では単なる覗き行為も違法だ。だが、このような規則がまかり通るなら、男子が女子施設に入り込んで裸の女性をじろじろ眺めて喜んでいても、同室している婦女子には文句が言えないということになる。これまでなら、変な男が女子施設に居ると訴えるだけで警察を呼ぶことが可能だったのに、男子が女子施設に居るということが違法ではないということになれば、婦女子がどれだけ不快な思いをしても何もできないという危険な状態が発するのだ。

現に男女共用法を通したワシントン州のシアトル市でそういう事件が起きている。

共用法を促進する人々は、トランスジェンダーの許容を訴えるが、何故それがそんなに大事なのかという理由をはっきりさせていない。男女施設を区別することはトランス差別ではない。女装男が男子トイレに入るのがいやなら個室を使えばいいし、いやな思いをしたくないなら女装するな、と言いたい。自分から他人に衝撃を与えるような格好をしておいて、差別するなと命令するのは全く理不尽だ。それにしたってトランスはたった0.3%の人口であり、普通の市にそんな人間が全く居ない可能性のほうがずっと高い。架空のトランスのために50%に及ぶ婦女子が犠牲にされるというのはどういう理屈なのか?

もっともボイコットというのはそう簡単にはいかない。ソーシャルメディアで「もう二度と行かないからな!」なんていってても、何かが必要でターゲットが一番便利で安いからとなれば、絶対行かないというわけにはいかないだろう。カカシの場合はターゲットは近所にあるが特にしょっちゅう行く用はないのでボイコットは簡単だ。ただ、出張などして回りにターゲットしかなかったら問題。

本当のボイコットは政治知識のある保守派団体やその支持者によるものではなく、ターゲットの新規則など全く無知なごくごく普通の家族連れの主婦などがトイレや試着室で変態男に出くわしたときにはじまるのだ。

シアトル市の市営プールで女子更衣室に居た男性が施設の職員の要請を拒否して退室しなかったように、ターゲットで大の男が居座っているのを家族連れのお母さんが店の職員に文句を言って、「店の方針で男子の女子施設使用は許可されています。私どもには何も出来ません。嫌なら個室をつかってください」と言われた時こそ、このお母さんは言うだろう。「こんな店、二度と来ない!」そして彼女は家に帰って家族や隣近所や友達にその恐ろしい体験談をし、誰も彼もが「そんなことになっていたとは知らなかった。二度と行かない」となれば自然とボイコットは成功する。

それにしてもターゲットは、もしこの新方針を悪用して変態男による犯罪が生じた場合の訴訟などについて全く考えなかったのだろうか?そんなことは絶対におきないという左翼リベラルの口車に乗せられてしまったのだろうか?

ターゲットの新方針がターゲットの売り上げに響くかどうかは、現在ターゲットに寄せられた苦情だけでははっきりしない。今後数ヶ月の間に人々がどのような形で不買行為をするかにかかっている。私は組織的な不買運動というのは好きではない。ただ、より多くの消費者にターゲットの新方針をはっきり伝えることは大切だ。それによって消費者がターゲットでの買い物をするかどうかは、個人の判断に任せるしかない。

この問題はいずれ資本主義の市場が解決してくれるだろう。

つけたし:日本語でこの件について書いてるリンクを張っておこう。おんなじことに関しても、ずいぶん意見の違いがあるものだ。

『ニックネームとかもう恥ずかしい年頃の30代半ば女』のブログ「ボイコット」

オレは女だ。 女湯に入れないのは差別だ!! LGBT

April 24, 2016, 現時間 10:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 22, 2016

男女共同トイレも支持、左翼リベラルの本性を現したトランプ

フェミニズム , 同性婚

アップデートあり、後記参照のこと

常に自分は政治的に正しくない人間と言い張っているドナルド・トランプだが、先日トランプは戸籍上男子の女子施設使用禁止法律を通したノースカロライナ州について意見を聞かれたとき、NC州の法律は極端で、法律など通さずににそのままにしておくべきだったと語り、ケイトリン・ジェナーのようなトランスジェンダーが女子トイレを使用することにも全く抵抗はないと語った。

はっきり言って「そのままにしておく」ことを拒否して男女共同施設の施行を始めたのはシャーロッテ市であり、ノースカロライナ州はその非常識な規則を覆すべく新法の発足を余儀なくされたのである。

ま、それはそうとしてだ、共和党保守派なら絶対に同意できない男女共用法をトランプが簡単に支持してしまうということに自称保守派のトランプ支持者たちは目を向けるべきである。トランプは常に自分は政治的に正しくないことでも平気で言うという姿勢をとってきた。トランプファンがトランプが好きな大きな理由はトランプが政治的に正しくないことを誰に遠慮するでもなく堂々と発言してしまうことにあったはず。トランスジェンダー許容のトイレ法はその政治的に正しいPCそのものだ。何が反PCなのか?

それでもトランプ支持者たちがトランプに愛想をつかす気配は全くない。ということは、トランプの支持者たちは元々保守派などではなかったということだ。

トランプだけではないが、NC州の法律が通ったおかげで、有名人や大企業がNC州で商売をする気はないというボイコットをはじめた。これは一時的にはNC州に経済的な痛手を負わせ、また同じような法律を通そうとしているほかの州にも牽制をかけることになるという狙いもあるのだろう。だが、思うに、このような強硬手段はかえって逆効果なのではないかと思う。

私はこの問題が大々的に全国的に取り上げられることは非常によいことだと思う。なぜならば、これまで左翼リベラル連中はこれらの男女共同施設規則を水面下で潜伏的におこなってきた。一般市民たちは全くそんなことに気がつかないでいたので、カリフォルニアなど学校区が勝手に通した規則を覆す運動がなかなかはかどらなかった。しかし、こうやってメディアが大々的に取り上げることによって、左翼リベラルの押してきた法律は単にトランスジェンダーを差別しない法律ではなく、女子施設に無差別に男子を入れる法律であることが多くの人々に理解されるようになったからだ。

どれだけ政治的に正しくいたいと思っている人々でも、普通の女子がみしらぬ男子とお手洗いや更衣室や浴場を共用したいなどと思うはずがない。この間もトランスジェンダーのリアリティー番組を制作している女性スタッフが男女共同お手洗いについて苦情を述べているという記事を読んだが、口でなんと言おうと実際にこういう規則が施行されて迷惑を蒙るのは女性である。

私が思った通りかどうかはわからないが、4月12日から19日の一週間で男女共同施設を支持する率が46%から38%に下がったそうだ。支持率が46%もあったというのは驚きだが、思うに支持すると答えた人々の多くはトランスジェンダーを差別しないような施設を設置すべきといった考えで支持したのではないだろうか。実際に左翼リベラルの法律が女子施設に女性に否応言わせずに無差別に男子の使用を許可するという内容であることを十分に理解して支持した人々が46%もいたというのは信じがたい。

ここ一週間で8%もの支持率が減ったということは、やはり問題が大きく取り上げられて、その内容の実態への理解度が深まったからなのではないか。

とすればこれからもこの問題はもっともっと大きく取り上げられ、賛否両論どんどん議論を交わしてもらいたいものだ。

アップデート:4・23・2016、ドナルド・トランプはこの翌日、フォックスニュースのショーン・ハナティー司会の番組で、トランスジェンダー男女共同トイレ法に関する見解を撤回した。トランプがNC州の法律を批判した際、保守派の間ではトランプが意見を撤回せざる終えなくなるだろうと予想していたが、やっぱりそうなった。何故トランプがしょっちゅう自分の見解を撤回したり釈明したりしなければならないのかといえば、トランプは保守派の振りをしているだけで本当の保守派ではないので、保守派が多々の問題についてどのような見解を持っているか無知だからである。共和党の候補として出馬したからには共和党のプラットフォームくらい勉強してもよさそうなものなのだが、そういう努力を全くしないのがトランプだ。もっともトランプファンはそんなことには全く興味がないようであるが、、

April 22, 2016, 現時間 8:15 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 10, 2016

あなたの脳は男性的?それとも女性的?

どうでもいいニュース , フェミニズム

この間フェイスブックであなたの脳は男性的?それとも女性的?というクイズがあったのでやってみたら、50-50という結果が出た。(笑い)私の脳はかなり中性的ってことらしい。ちなみにミスター苺にもやらせてみたら75-25で圧倒的に男性頭脳であることが判明。よかったね、下手したらトランスジェンダーと言われるところだったもんね。

ま、こんな10足らずの質問で誰かの脳が男性的か女性的かなんてわかるはずはないが、例え異性的な脳だという結果がでたとしても、女っぽい男や男っぽい女がいるのは当たり前でそういう個人差があるから世の中は面白いのである。誰もが性別のステレオタイプにキッチリとはまる必要はない。

以前にマツコ・デラックスが出演していた番組で、女性と男性の考え方の違いについて特集しているものがあった。その時トランスベスタイドのマツコさんは「あたしってこういう女性と男性の違いについての番組にいくつか出てますけど、その度に自分は男なんだなあとつくづく感じるわ」と言っていた。マツコさんの場合は女性の振りをしているというより、女装男というキャラクターを演じているだけで、自分が女だという意識は全くないようだ。

リンクしたサイトは日本語なので、皆さんも暇があったらやってみてはいかがかな?

April 10, 2016, 現時間 9:43 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 7, 2016

意外に多いトランス女による女性攻撃

フェミニズム

アップデートあり:

前回も話したトランス男女の公衆施設共用法について、カカシがあまり焦点をあててこなかったトランス自体の性犯罪について語りたいと思う。カカシも含めて共用法に反対な区別派の議論は、トランス女が女子に危害を与えることを恐れているのではなく、トランス女を装った変態男が女子に危害を与える可能性をおそれているのだというものである。共用派のほうもトランス女が女子を襲った例はゼロだと主張する。だが実際には、トランス女が犯した性犯罪の例は意外と多いということを知って私は驚いた

このサイトに記載されている50件以上のトランス女の犯罪をみてみると、我々があまり意識していない変態の実情が明らかになる。いってみれば我々はトランスジェンダーとは何なのかということをきちんと理解できていないということだ。

色々読んでみて私なりに考えてみたところ、大きく分けてトランスジェンダーには二通りあると思う。

1) 子供の頃から女の子っぽく、恋愛対象や性交渉の対象は生物学的な男性のみ。物心ついたときから自分は女性だと感じていて、男っぽいことは何一つしたことがない人。見かけもなよっとしていて女性と言っても十分通用する。

2) 男でありながら自分が女性であると考えることで性的快感を覚える人。自分は女だと想像しながら女性と性交することを好む。トランスジェンダーだとカムアウトする以前は極普通の男性として結婚もし子供を持ったり、軍隊の特別部隊とか、戦闘パイロットとか、フットボールの選手とかいった男っぽい仕事をしていた。(手術後もそういう仕事を続ける人も多い。)

問題になるのは第二のカテゴリーにはまる男たちだ。これらの人々は自分は女だと精神科医に訴えたり自分に言い聞かせたりしてはいるが、およそ女らしい行動をしていない。女装趣味があるという以外は完全に男であり、男に見える人が多い。

性犯罪を犯すトランスジェンダーはこの第二カテゴリーにはまる人がほとんどである。同サイトに掲載されている自称トランスジェンダーの犯罪者の例をちょっと挙げてみると、、

テキサス州のダラス市、ポール・ウィザースプーンという男は幼児性虐待の前科者。保釈中にトランスジェンダーを主張して女子トイレに入り罰金を課されるが、自分は女であり女子トイレに入る権利があると主張。

カリフォルニア州、リチャード・マスブラッチは自分のアパートの女性管理人を縛り上げて電気ショックで拷問した後に強姦。終身刑を言い渡されたが、受刑中に自分はトランスジェンダーだと主張して女性収容所への移行を求め認められた!

オーストラリア、ノエル・コンプトン・ホールはヒッチハイカーを殺害し22年の受刑中、トランスジェンダーを主張して女性刑務所に移された。女子刑務所移行後三ヶ月もたたないうちに女子受刑者を何人も強姦し、一人には妊娠までさせてしまった。

カナダ、カルガリー市、マシュー・ハークス。5歳から8歳の幼女を60人以上も性的に虐待した変質者。たった7年という受刑後、自分はトランスジェンダーだと言い張り、今は女の振りをして生きている。カナダではすでに共用法が施行されているところが多いので、ハークスは合法に女子施設を使用できる。

私は女性用の施設に覗きや写真撮影を目的に入り込む女装男の事件について、犯人の男たちが女装をしているのは単に女性施設への入室を可能にするための変装だと思っていた。だが実は、女性に扮するということに快感を覚える変態も多くおり、自分が女だという妄想を持って女性に乱暴を働くことに喜びを見出す人間も多いようである。

自分が女だと思っている以上、性犯罪者でもトランスジェンダーであることに変わりはない。となれば、こういう人間が女性施設に入ることは共用法が通れば可能となる。既存の法律では、女装男が女性施設に入ること自体が犯罪とされるので、こういう犯罪者が女性施設に容易に入り込むことは出来ない。だが、共用法が通れば、このような性犯罪者が堂々と大手を振って女子専門施設に入ることができるようになるのだ。

共用派はこれらの犯罪者は本物のトランス女ではなく、トランス女を装った変質者だというかもしれないが、先に上げた受刑者の二人の例でもわかるように、本物のトランス女か女装趣味の変質者なのか、精神科の医者でも区別がつかないのに、我々一般人に区別がつくわけがない。

共用派たちは共用法が通った市や学校などでは特に問題は生じていないと主張する。だが、これらの市の警察や学校区の教育委員会などは共用派からの圧力を受けているから、問題が生じていてももみ消している可能性は大である。

たとえば、先日も上げた市営プールの更衣室に男性が居た件など、プールの職員は警察を呼ばなかった。共用法律上、男子が女子更衣室に居ることは違法ではないからだが、プールを使用していた女性客からは苦情が出ていても警察が呼ばれていない以上、警察の記録には残らない。

トランス共用法を悪用して性犯罪を犯した例は一件しかないというこの記事では、体験談は証拠とは言えない。犯罪率の統計こそが真実なのだと主張する。だが、犯罪が警察に届けられなければ犯罪としての記録は残らないわけだから、警察の記録だけでは統計として不十分である。だいたい共用法を悪用して性犯罪を犯した例がカナダで起きた一件だけというのは嘘である。最初に紹介したサイトでは、自称トランスジェンダーによる性犯罪事件を何十件も紹介している。

これは銃法取締法についての議論で、銃が自衛には役に立たないと主張する人々の議論と共通する面がある。反銃派は自衛で犯罪者が被害者に殺された事件だけを数えて、犯罪者に銃で殺される被害者の数のほうが銃で犯人が殺される数よりもずっと多いことから、銃による自衛は効果がないと言い張る。銃が一度も発砲されず、単に銃を見せて犯罪者をおっぱらったというような犯罪を未然に防いだ場合には警察の記録にも残らないので、銃が自衛に使われた例の統計には含まれないのだ。

こうした統計を正しく取るためには、一般市民へのインタビューで、「銃を使って身を守ったことがあるか?」というアンケート調査をする必要がある。それと同じで、共用法が通ったことで問題が起きているかいないかは、警察や学校への問い合わせだけでなく、これらの地区に住む人々へのアンケート調査が必要だ。

アンケートでは、共用法を施行している学校などの更衣室を使って何か不自由なことはあったか、と言う質問を生徒や父母に聞いてみる。共用法を施行しているスポーツクラブや市営プールなどでも、使用者や施設の管理人に問題があったかどうか聞いてみる必要がある。

それに、共用法が施行されている公衆トイレで、いかにも男性という人が入ってきても、一般女性が脅威を覚えたり不快感を持ったりすることは「問題」とされない。いかに女子使用者たちが施設の管理人や職員に苦情を述べても、合法である以上誰にも何も出来ない。ということは、どれだけ女性たちが嫌な思いをしたとしても、これは問題が起きている数には含まれないのである。

男子が女子施設を使用している場合、特に犯罪とわかる行為に及ばない場合には、これまでであれば痴漢行為と思われる行為も必ずしも犯罪として取り扱われなくなる。つまり、これまでなら女子更衣室やシャワー室の壁に穴をあけて覗き見していた男が、トランスジェンダーを装って女子施設に入り、回りに気づかれないように女性の裸を見て楽しんでいたとしても、回りの女性たちには何も言うことができない。

大学キャンパス内での架空の強姦の文化をでっちあげ安全地帯だなんだとがなりたてているフェミニストたちは、ことトランス女たちがかもし出す女性への脅威については沈黙である。いやそれだけでなく、男性に邪魔されない女性だけのプライバシーを守ることを主張する人々を「トランスフォビアだ!ヘイターだ!」とトランス女たちと一緒になって侮辱する。

女性を自称トランス女の変態男から守る安全地帯は必要ないのだろうか?

アップデート:

トランスジェンダー男女共用法を施行している施設で何の問題も起きていないという共用派の主張は信じられなかったので色々検索していたら、こんな記事を見つけた。

これは、先日シアトルの市営プールでの事件が起きたのと同じワシントン州のピアース郡とキッツアプ郡のYMCAにおいて、トランスジェンダー男女共用法を施行したところ、子供たちの安否を気使う親たちから1000以上も苦情が殺到したという事件。

去年の4月、二つの郡にあるYMCA施設においてトランスジェンダーが自分の好む更衣室を使用することを許可する規則を施行したが、それについてYMCAは施設を使用する青少年やその親たち、及び従業員やボランティアたちにも、規則の施行について公式な発表を怠ったことから、心配した親たちから苦情が殺到したのである。

同YMCAでボランティアをしているジル・ハーマンさんという女性は、新しい規則では誰でもどちらの更衣室に勝手に入ってこれるようになっており、子供たちを危険にさらすものだとラジオのインタビューで答えている。

「だれかが(どちらの更衣室にでも)入ろうとするのを(従業員)は止めることができないのです。駄目だということが出来ないのです。つまりどんな男でも『私はトランスジェンダーだ』といえば(女子更衣室に)入れるのです。」

「従業員も知りませんでした。一般の人も知りませんでした。YMCAは会員にも入会希望者にも知らせないつもりだったのです。」

ハーマンさんはYMCAの地方幹部に問い合わせたところ、YMCAはトランスジェンダー許容について色々な対策をとって、公民館で公聴会もひらき50人の一般人が参加したといいわけをしたそうだ。父母の間からは更衣室のドアに新しい規則についての説明書を張るべきではないのかという質問があったというが、YMCA側の回答は単にトランスジェンダーの人権云々のみで、会員の身の安全についての説明は一切なかったという。

ハーマンさんは、異性が同じシャワーを浴びるなど考えられないとし、裸の男が女子更衣室にいたら、それはセクハラだとも語った。しかしハーマンさんはYMCAから「新しい規則が不快な人は個室をつかえばいい」と言われたそうだ。

なんで1%にも及ばないトランスジェンダーのために50%の女子が個室を使わなければならんのだ?トランスジェンダーのほうこそ個室を使うべきではないか。

さて、ハーマンさんのラジオインタビューの話が地元新聞で取り上げられると、YMCA会員や会員を子供に持つ両親などから1000通以上の苦情がYMCAに殺到した。なにしろYMCAは会員にもその両親にも新規則について全く公表していなかったのだから親たちが怒るのは当たり前だ。

あまりの苦情に驚いたYMCAは急遽規則を変更。トランスジェンダーは家族用の個室を使い、一般の更衣室への入室は許可しないことにしたという。

YMCAが当初、新しい規則について公式な発表をしなかったのは、トランスジェンダーの会員は比較的少ないため、特に影響はないと思われたからだという。

共用法を通した州や市や学校区で、同じような問題がいくつも起きているはずだ。いったいどのくらいの問題をメディアはもみ消しているのだろうか?

地元LGBTの代表者はやたらに恐怖を煽るような言動が未だにあるのは嘆かわしいみたいなことを言っている。

April 7, 2016, 現時間 2:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 3, 2016

女子シャワー室に男が!俺は女だ、悪いか!

フェミニズム

今年の2月、ワシントン州のシアトル市営プールの女子更衣室に男性が居るという苦情が出て、プールの職員が男性に立ち退くよう命令した際に、自分にはそこに居る権利があると男性が居直るという事件がおきた。問題なのはこれが単なる痴漢さわぎではなく、男性は何故か女子更衣室に入る権利があると言い張ったことだ。

シアトル市はトランスジェンダーが自分らが同一視する性別の公共施設使用を許可している市で、今年の2月にその規則を覆そうとする州法が負けたばかり。

プールの職員は警察を呼ばなかった。それというのも、こうした公衆施設において、トランスジェンダーによる更衣室使用をどう扱うかという指導が全くされていなかったことから、職員らは自分には女子更衣室に居る権利があると主張する男性をどう扱っていいのかわからなかったからだという。

職員の話によると、男性は別に自分はトランスジェンダーだと名乗ったわけでもなく、職員たちは更衣室の中にいた女性たちからの苦情を聞くまで男性が女子更衣室に居ることを知らなかったという。

トランスジェンダーを巡る公共施設使用の法律が全国各地で取りざたされている。法律の名前は各地で違うので、混乱を防ぐため同ブログではトランスによる異性トイレ使用をみとめよとする法律を男女共用法、生まれた性の施設のみ使用せよとする法を男女区別法と呼ばせてもらう。

区別派は共用をゆるせばトランスを装った痴漢が出るという主張をしているのに対し、共用派は共用法が通された学校区や市において何の問題も起きていないとしている。特に共用派は共用法を通せば公衆トイレでの痴漢行為が増えるという区別派の説はすでに完全に破壊された神話であると主張する。

同ブログでは以前にも左翼リベラルが好んで使うdebunking myths(ディバンキングミス=破壊された神話)という言葉使いについて書いたが、普通相手の説をディバンクしたと言った場合、それは相手の説が間違っていると証明したという意味で、神話というのは全く事実無根のおとぎ話であるという意味である。しかし左翼リベラルがこの言い回しをするときは、全くそういう意味では使われていない。彼らが「あなたのいいぶんはすでに破壊された神話である」と言った場合、それは「嘘だ嘘だ嘘だア~」という意味。つまり、まるで根拠もなく相手はうそつきだと言い張る行為である。

私はネットで「破壊されたトイレ法の神話」で色々検索してみたが、どれを読んでもだいたい、共用法を通したどこの市や地区でも区別派がいうような犯罪は起きていない、と書かれているだけで、どうやってそういう犯罪が起きていないと証明したのかという調査結果が示されていないのだ。

また、あるLGBT系のサイトによれば、共用法が通った後にトランスジェンダーが性犯罪を犯した例はない、とあった。誰もトランス女を女子トイレに入れたらトランス女が女性を襲うなどとは言っていない。トランスに扮した変態男が女性を襲う可能性について述べているのである。こういうのを藁人形論理というのだ。

共用法が通っても特に問題は起きなかったということを証明するためには、共用法の通る前の公衆トイレや脱衣場などにおける犯罪率と通った後の犯罪率とを比べ、女装した男やトランスに扮した男による犯罪はまるで増えていないという調査結果を出してこそ、相手の説は間違っているということが証明されたということになる。だが、神話は破壊されたとするどの記事を読んでみてもそうしたしっかりした調査結果を提示しているところはない。法律が通った市の警察や職員へのインタビューではそのような結果は出ていないとする記事でも、どういう質問をしたのかという詳しい調査書が提示されていないので簡単に信用することは出来ない。

さて、シアトルの事件に話をもどすと、時期的にシアトルの共用法を覆す州法の是非が問われている時期だったこともあり、シアトルのこの男性は、もしかしたら区別派で、わざと女子更衣室に入ることによって共用派の問題点を象徴しようとしたのではないかという意見もある。だが、男性の意図は別として、現実にこういう男性が現れた場合、市の職員はどう対応すべきなのか全く指導されていなかったというのは事実である。

以前にも紹介したが、一足先に男女共用シャワー室を設立したカナダのトロントの大学では去年10月、男女共用シャワー室で女子学生の裸姿をスマホで撮影した男子生徒が逮捕された事件があった。こういう事件に関しても、共用派は、覗きや痴漢行為はすでに犯罪なので共用法が通ったからと言って犯罪が増えるという理屈はおかしいという。だが、問題なのは、犯罪は起きてしまってからでは遅いので、最善の方法は犯罪防止である。女子施設に明らかに男性に見える人間の入室を許可した場合、女子トイレや更衣室に男性がいると苦情を受けても、施設の経営者や職員たちにはその男性を退去させる正当性がなくなるのだ。この間ノースカロライナで共用法を覆す区別法が通ったが、その時、スポーツジムを経営する男性が、共用法がまかり通れば、ビジネスオーナーとして女子更衣室を使おうとする明らかな男性を追い出す権威を失うと訴えた。

女装したりトランスを装った男による覗きや痴漢行為は決してめずらしくない。(こちらのフェミニストのサイトでそういう例をたくさん集めている。)
先日ロサンゼルスで、女装した痴漢男が女子トイレでトイレを使用している女性の姿を何時間にも渡って撮影していてつかまったという事件がおきた。

日本でも、去年の11月に白浜の温泉で女装した男が女湯の脱衣場にはいってスマホ撮影をして逮捕されたという事件がおきている。

カナダでは、トランス女を装った痴漢男が女性用シェルターに入り込み、センター住人の女性を数人強姦するという事件もおきている。

共用法が当てはまるのはトイレや脱衣場だけではない。刑務所の場合も問題がある。刑務所は明らかに男子と女子が区別されているが、腕力や暴力がものをいう刑務所で、元男性のトランス女が女子刑務所に収容された場合、このトランス女の男性特有の暴力性や腕力によって普通の女子収容者が危険にさらされるのは目に見えている。

またここではっきりしないのは、いったいトランスジェンダーとは何なのかという定義だ。トランスといっても色々ある。身体的には完全に男(女)なのに精神的には女(男)だと思い込んでいるだけからはじまって、ホルモン摂取や整形もしているが性器はそのままの中途の人や、性転換手術もしっかり行なって戸籍まで異性に変えてしまったひとなど色々である。

どうみても異性に見えるまで変わってしまった人は別として、どっちつかずの人やどう見ても異性には見えない人たちが「私はトランスだ!」と言い張った場合、ビジネスや公共施設の職員たちはどう対応したらいいのだろうか?

こういう過激な法律を通すときは、事前に法律を施行する際の実践的な手続きについてもっと考慮すべきではないのか?単に反対派の意見は神話だと言って切り捨てるのではなく、こうした心配について、もっときちんとした答えを用意すべきである。そうでないと先のシアトルでの事件のように、職員たちはどうしていいかわからず戸惑うという結果になるのだ。

共用法を通した人々はこのような混乱について全く考慮していないのか、いや、ミスター苺いわく、その混乱こそが彼らの本当の目的なのかもしれない。

女装した男が女子施設に侵入した事件色々、上げたらキリがないんだよね。

女マネキンに化けてショッピングモールの女子トイレに侵入した男。

女装して大学の女子更衣室に侵入して女子学生の裸を撮影していた男。

女装して女子脱衣場に入った覗き常習犯男、再度逮捕される。

April 3, 2016, 現時間 10:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 2, 2016

ドナルド・トランプ、度重なる女性への侮辱に女性票は減る一方

アメリカ内政 , フェミニズム

三月中旬のCNN世論調査で73%の女性有権者がトランプに良い感情を持っていないと答えていることがわかった。最近持ち上がった多々ある女性攻撃もその原因ではあるが、元々トランプは女性にいい感情を与えない傾向がある。

女性有権者の「良い感情をもてない」率は去年の12月の59%から14%も上がっている。共和党内ですら12月の29%から39%へと10%も増えている。ちなみに男性有権者で「良い感情をもてない」率は54%で、去年から特に変化はない。

ドナルド・トランプが女たらしなのは自他ともに認める事実である。トランプは最初の奥さんと浮気が原因で離婚したが、浮気相手だった二度目の奥さんとも、三人目の奥さんとの浮気が原因で離婚している。三人とも元モデルで似たようなタイプの美女。数年ごとに新しいモデルの車、、じゃない嫁に、取り替えているというわけ。その間にも人妻だの権力者の女性と浮気した話など、トランプは長年に渡って恥じも外聞もなく自慢してきた。トランプには女性に対する敬意というものが感じられない。トランプにとって女性は単なる欲望の対象及び飾りに過ぎない。典型的なミソジニスト(男尊女卑思想者)である。

リアリティーショーのテレビスターで居る間はそれでもよかったかもしれないが、大統領候補となっても全く変わらない女性蔑視な態度が女性有権者の間から非常な嫌悪感をかもし出している。

日本でも浜村淳さんのラジオで紹介されたくらいだからすでに話題になったのだろうが、反トランプでクルーズとは無関係な政治団体がトランプの妻のヌード写真を政治広告に使ったことに怒ったトランプは、自分の奥さんの裸の写真とクルーズの奥さんが変な表情をしている写真を両方に比べて『俺の嫁はお前の嫁より美人だ』とツイートして非常な顰蹙を買った。

次に起きたのがトランプの選挙運動事務長がミッシェル・フィールドという女性記者の腕をつかんで青あざをつくった事件。フィールドがトランプ事務局に自分の勤めていた新聞社を通じて苦情を述べると、トランプはフィールドを「妄想をみている」とか「注目を浴びたがっている売女だ」などと公の場で侮辱し、フィールド記者が数年間前にウォール街占拠の取材中に逮捕されたことなどを持ち出して記者の住所まで公開したため、フィールドは警察に被害届を出すに至った。

どちらの出来事も、トランプ次第でどうにでもなる些細な出来事であった。それを我々が何日にも渡ってテレビやラジオやネットで聞かされ続けている理由は、ひとえにトランプの反応にあるのである。

トランプ夫人のヌード写真が政治広告に使われたことに関して、トランプが「うちの嫁は美人じゃろう、、、」と笑って済ませばそれで済んだものを、わざわざ容姿が売り物のヌードモデルの嫁の写真と写真写りのよくない他人の奥さんの写真を比べて相手の奥さんを侮辱するなど、やり方がゲスで幼稚である。クルーズの「トランプの奥さんは愛らしい人だが、(夫人の)ハイジは私の愛だ。」という大人な反応とは対象的だ。

そういうやり方は卑怯なのではないかとのCNNのアンダーソン・クーパーからの質問に対し、「最初にやったのはクルーズのほうだ」などと答え、質問したクーパーに「五歳児のようないいわけ」だと批判された。

フィールドの件にしてもそうだ。最初に苦情を訴えられたときに「事務局長はやりすぎた。怪我をさせるつもりではなかった。申し訳ない。」と謝ってしまえば済んでいたものを、被害届けが出されてもトランプは謝るどころか、かえって記者への攻撃を激化させた。最初は、誰もフィールドの腕を掴んでいないといっていたのに、フィールドが腕を掴まれたビデオが公開されると、フィールドこそがトランプの腕を最初に掴んだので事務局長は記者をトランプから引き離そうとしたのだなどと嘯いた。

リベラルでMSNBCのクリス・マシューズですら、「偶然誰かにぶつかった時ですら、謝るのが礼儀というものではないですか。謝ってしまえば済んだことではないんですか。」とまともな質問をしたが、トランプは謝ったところで同じことになったと全く反省の色を見せない。

ことトランプの報道となると、トランプ支持のブレイトバートやフォックスニュースより左翼リベラルメディアのほうがまともに見えてしまうという恐ろしさ。まったくどうなっているのだろう?

さて、この二つの事件に続いてとトランプはまたもや女性の神経を逆撫でするようなことを言った。同じくクリス・マシューズから、妊娠人工中絶を反対する宗教家の間では中絶を受けた女性も罰せられるべきだという考えがあるが、どう思うかと問われると、女性に対してもなんらかの罰が処されるべきだと答えたのである。

中庸及びリベラル系の女性は人工中絶を違法化すること自体賛成できないのに、法律を変えて女性を罰するなどという考えは断固受け入れられない。だが、人工中絶は違法化すべきと考える保守派の女性でも、中絶を受ける女性もまた降ろされた胎児と共に「被害者」であるという考えが強く、女性を罰するなどとんでもないという姿勢なのである。長年民主党員だったトランプはそんな基本的な共和党の姿勢にすら無知なのである。

無知といえばトランプは政治家として必要最低限の知識もない。オバマより劣るのではないかと思われるほどひどい。それについてはまた回を改めてしよう。

April 2, 2016, 現時間 8:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 27, 2016

女子トイレに男を入れるな、でもトランス男はどうなる?

フェミニズム , 同性婚

この間ノースカロライナ州でバスルームプライバシー法という公共の場における異性のトイレやシャワーの使用を禁止する法律が通った。左翼リベラルはこれは反トランスジェンダー法だと言い張るが、州としては主に公衆トイレやシャワーなどで女性のプライバシーを守るためという理由から出来た法律である。

なぜそんな当たり前の法律を今更通す必要があったのかというと、ノースカロライナ州のシャーロッテ市の市議会がトランスジェンダー保護を名目に、ビジネスや公共施設において自分に適したと感じる性別の施設使用を保証させるという規則を通そうとしたからである。ノースカロライナ州のパット・マクローリー知事はシャーロッテがそのような規則を通した場合には、自動的にそのような規則を禁じる州法律を通すと警告していた。シャーロッテ市議会が知事の警告を無視して規則をつくってしまったため、今回の法律が通ることとなったのである。

しかしながら、トランス社会の間から、同州は女装した変態男のことばかりに注目して、トランス男(女から男へ転換した人々)のことは全く眼中になかったのではないかという意見が出ている。

大抵の場合、我々はトランスジェンダーというとMTFと呼ばれる女装男性のことを想像する。テレビ番組などで女性より色っぽいきれいなオネエさんたちをよく見るせいなのか、FTMの存在は忘れがちになる。

しかし実際には、女から男へのFTMのほうが実際の性別は非常にわかりにくい。男性は骨格が女性と違うので女性ホルモンで多少まろやかな線が出ても、全体的にはやはり男だとわかる人が多い。だが、女性が男性ホルモンを得て筋トレなどして筋肉隆々になったりすると、意外と男性として通ってしまう人が多い。

で、今回のノースカロライナ州の法律では出生届けの性にあった施設を使うとあるそうで、だとすると髭もじゃの筋肉隆々のどうみても男性にみえるFTMも女性私設を使用しなければならなくなるという理屈だ。

だが、はっきり言ってこういうのは重箱の隅をつっつくような理屈だ。どちらでも自分の外見にあった私設を使えばいいではないか。

今はどちらのトイレを使っているのだ?

トランスジェンダーリズムは別に今にはじまったことではない。もう30年以上も前からホルモン治療とか性転換手術は行なわれていた。これらの人々は特にトランスを守る法律などなくても普通に暮らしていた。ノースカロライナの法律はトランス女を装った痴漢に女性が襲われたりするのを防ぐことが目的なのであり、トランス男が男子トイレに入るのを禁止したり、女子トイレ使用を強制したりすることが目的ではない。誰もトイレの前で出生届をチェックしたりするわけではないのだから回りに迷惑のかからないように好きなほうに入ればいいだろう。

ミスター苺は、トランスジェンダーがどちらのトイレを使うかということは、実はトランス保護トイレ法を推し進めている左翼リベラルにとってどうでもいいことなのだという。本当の目的は常に一般の人々を不安定な状況におくことにある。トランスジェンダーは今のところその道具とされているだけだ。

March 27, 2016, 現時間 3:52 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 26, 2016

幼児のトランス治療は幼児虐待という声明文に物申す!

フェミニズム , 同性婚

先日紹介したアメリカ小児科医学大学(ACP)の幼児期におけるトランス治療は幼児虐待だという声明文に早くも反論が載ったので紹介しよう。

まずこの反論はACPが小児科医の団体を装った反LGBTのヘイトグループだと断定している。どうして左翼リベラルが議論するときは相手側を単に「意見の違う人々」とせず「憎しみを持つ人々」というふうに表現するのだろうか?幼児の身の安全を守るという立場は同じでも、単にそのやり方が違うだけだという考えはまるで受け入れられないらしい。常に自分らのやり方が最善なのであり、それ以外のやり方はあってはならないものという左翼リベラル特有の奢りである。

反論の著者はザック・フォード。記事の載ったシンクプログレスというのは極左翼サイト。フォードによると私がアメリカ小児科医大学と訳したThe American College of Pediatricians (ACP)という団体はまともな小児科医の団体ではなく極右翼の政治団体で、その会員数せいぜい300人なんだそうだ。ACPを会員数6万人の正規の小児科医師会ザアメリカンアカデミーオブペディアトリックス(the American Academy of Pediatrics)と混乱すべきではないとしている。

たしかにフォードのいうとおりACPは医師会というより小児科医300余名で成り立つ保守派市民団体だといったほうがいいだろう。だがそうだとして、彼らの言っていることが間違っているかどうかはまた別である。フォードに言わせるとACPの声明内容はすでにその間違いが証明されているものばかりだと主張する。

まずフォードはACPはすべてのトランスジェンダーが精神病患者だと決め付けているが、ACPが引用しているDSMでは全くその正反対のことが書かれているという。まず下記は先日私が書いたACP声明の意訳だが、

一個人が自分が別のものであるように感じるというのは混乱した思想である。医学的に健康な男児が女児であると信じたり、医学的に健康な女児が男児であると信じたりするのは、客観的にみてこれらの子供たちの心の根底に精神的な問題が存在するものであり、そのように治療されるべきである。これらのこどもたちは性別齟齬(GD)もしくは(GID)と言われる精神病でアメリカ精神医療鑑定と統計教本(Diagnostic and Statistical Manual of the American Psychiatric Association (DSM-V))にも記されている。

まず、ACPは性別を混乱している子供たちがすべて精神病患者だとは言っていない。それはフォードの勝手な歪曲である。ACPは単に、性別を混乱して悩んでいる子供たちは心を病んでいるのであって身体の病気があるかのような外的な治療をすべきではないといっているのだ。

DSMには、生まれた性に適応しないということ自体は必ずしも精神病とは言えないとされ、自分が異性だとはっきり主張し、それを悩んでいる場合のみ治療されるべきだと書かれている。

もともとACP声明は思春期を遅らせるホルモン投与治療を受けるような子供たちについて書かれているわけで、病気でないなら治療など必要ないはずだ。治療を受ける必要がある以上こういう子供たちは必然的にGender Dysphoria= GD(性別齟齬)という診断がされてしかるべきだ。

トランスジェンダーが病気ではないなら何の治療も必要ない。だとすれば子供たちが単に異性っぽい嗜好があるからといって親が悩む必要はない。危険なことや違法行為に至らない限り好きなようにさせておけばいい。どうせ思春期がくればGDと診断された84%の子供たちが自分の性を受け入れるようになるのだから。

フォードは『84%以上の子供たちが、、、』という「神話」はすでに「間違っていると証明されている」調査結果を基にしたもので、この数字は全く正しくないと言い張る。

フォードがいうに、この調査の対象となった子供たちはGDと診断された子供たちだけでなく、単に自分の性に違和感を持っているというだけの子供たちも対象にされていることと、対象となったサンプルの数が少なすぎる点などをあげ、この調査結果は無効であると断言している。

フォードは「間違っていると証明されている調査」というのを直接リンクせず、その調査の誤りを完全に暴露したとされる記事にリンクしていたので、カカシはそこからまたリンクをたどって元々の調査のリンクにたどり着いたのだが、そのサイトに載っているのはアブストラクト(摘要)だけだった。しかし、そのアブストラクトを読む限り、幼年期にGDと診断された10代の子供25人を対象に調査を行なったとあるので、フォードがいうGD以外の子供も対象にされているというのは嘘である。また対象数が少なすぎるというのも、GDそのものが非常に珍しい病気であるから一つのクリニックでGDと診断された子供のうちアンケートに答えてくれた人だけという非常に限られたサンプルしかないのは仕方のない話だ。

それにしてもひとつのクリニックでGDと診断された25人のうち21人もの青年たちが思春期を過ぎたら症状がなくなってしまったと証言しているということは決して無視できない。フォードが言うような調査のやり方に問題があるとは思えない。よしんば調査のやり方に問題があったとしても、調査結果が間違っていると断言することは出来ない。であるからすでに「間違っていると証明されている」というフォードのほうこそ間違っている。

次に、フォードはACPがいう「異性ホルモンを摂取したり性適合手術を受けた大人の自殺率は一般人の20倍にも登る。」と書いていることも「神話」だと言い張る。これはスエーデンでの調査からくるものだが、フォードはこの調査では異性ホルモン摂取や性適合手術が自殺に結びついているとは書かれていないと主張する。たしかにそうである。だが、ACPもこうした治療が直接自殺に結びつくとは書いてない。他人が言っていないことを、こんなバカなことを言ってる、といって反論することを藁人形議論というのだ。

さて、でそのスエーデンの調査というのはどういうものだったのかというと、カカシ自身がすでに紹介しているのでそこから抜粋する。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

このとき、カカシも、

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

と書いた。フォードは自殺の原因は家族や友達からの孤立や社会からの差別にあるという調査結果を紹介している。トランスの自殺率が高いということは誰もが認める事実であるが、その原因はひとつではないだろう。だが、以前にも書いたようにGDが病気ならば、ホルモン摂取や適合手術という治療を受けた人々病状が良化するどころか返って悪化しひいては自殺にまで及ぶとすれば、そして自殺率が健康なひとたちのそれと比べて20倍も多いということは、これらの治療はGDの治療として効果的ではないと結論づけるべきである。少なくとも最適な治療とは言いがたい。

またフォードはジョンホプキンス大学のポール・マックヒュー教授のことをアメリカで顕著な医師のなかでただひとりトランスジェンダー平等扱いを拒絶する医師だというが、カナダで幼年期のGD治療はこのましくないと発表して仕事を首になった小児科医もいる。このように考えている医師らは他にいくらでもいるだろう。だがその見解を発表すればすぐにLGBT社会から差別だヘイトスピーチだと批判され、仕事まで失いかねないので、大抵の医師たちは口ごもっているに過ぎない。

ま、左翼リベラルの反論なんてのはこんなもんだ。フォードや左翼リベラルが好き好んで使う「神話」とか「ディバンク(間違っていると証明される)」という言葉があるが、彼らのいう「神話」とは自分らが賛同できない学説のことであり、「ディバンク」とは単に自分らが嘘だ嘘だあ~!と声高に叫ぶことでしかない。

はっきり言ってフォードの反論は全く反論になっていないというのが私の感想。

March 26, 2016, 現時間 5:35 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 22, 2016

全国小児科医学大学トランスジェンダー思想は幼児虐待声明発表!

フェミニズム , 健康管理 , 同性婚

昨日(2016年3月21日)アメリカ小児科医学大学(American College of Pediatricians)がジェンダー思想は子供を傷つけるという声明文を発表した。この声明は常識ではあるが、最近非常識がまかりとおるようになったこの世の中で、この声明発表は画期的なものである。カカシは何度も子供の性適合治療は幼児虐待だと説いてきた。しかしここにいたって著名な小児科医たちの公式な声明が出されたことは非常に喜ばしいことだ。

アメリカ小児科医学大学は教育者及び立法者らに訴える。こどもたちに薬品や手術による異性模写が普通の生活であると受け入れさせる方針のすべてを拒絶せよ。思想ではなく事実が現実を断定するのである。

同声明文は性やジェンダーについて幾つかの項目を挙げて詳しく述べているので簡単に紹介しよう。

  1. 人間の性は生物学上XYとXXという健康な遺伝子による二種類に分けられる。正常な人間は男子か女子のどちらかとして生まれるように出来ている。人間の性は二種類であるのは種の存続という目的のために出来た自然な形である。時として性器発達に異常のある人間が生まれることはあるが、これは医学的な奇形として認められており、第三の性ではない。
  2. 誰もジェンダー(性別意識)を持って生まれてこない。誰もが生物学的な性を持って生まれてくる。自分が男か女かという意識は社会的及び精神的な概念であり客観的で医学的な概念ではない。誰も自分が男か女かという意識を持って生まれてこない。この意識は発育の段階で叙々に培われるものである。この発育の段階で、どのような工程でもおきうるように、道を外れることはしばしばある。これは子供の主観的な見解や人間関係や子供時代の不幸な体験などに左右される。自分が「異性であるように感じる」とか「(男と女の)間に居るような感じ」という人々は第三の性を持つのではない。これらの人々が生物学的に男子であり女子であることに変わりはない。
  3. 一個人が自分が別のものであるように感じるというのは混乱した思想である。医学的に健康な男児が女児であると信じたり、医学的に健康な女児が男児であると信じたりするのは、客観的にみてこれらの子供たちの心の根底に精神的な問題が存在するものであり、そのように治療されるべきである。これらのこどもたちは性別異常症(GD)もしくは(GID)と言われる精神病でアメリカ精神医療鑑定と統計教本(Diagnostic and Statistical Manual of the American Psychiatric Association (DSM-V))にも記されている。
  4. 思春期は病気ではない。思春期を遅らせるホルモン投与は危険である。元に戻すことが可能であろうとなかろうと、このホルモンは思春期を迎えないことにより再生能力の未発達や他の病気を健康な子供にもたらす弊害がある。
  5. DSM-Vの調査によれば、性適合障害に病む男児の98%女児の88%が思春期を迎えると共に自分の性を受け入れるようになるという統計がある。
  6. 思春期阻止ホルモンによって異性模写をする子供たちは青年期を迎えてから異性ホルモンの摂取が必要とされる。異性ホルモン(テストステロンやエストロゲン)は健康体に高血圧や脳卒中や癌といった非常な危険を及ぼす薬である。
  7. 異性ホルモンを摂取したり性適合手術を受けた大人の自殺率は一般人の20倍にも登る。98%の男児や88%の女児が思春期以後自然に治る精神状態に対してこのような危険な治療を施す必要がどこにあるだろうか?
  8. 一生薬品や手術による異性模写が普通であると子供に信じ込ませることは幼児虐待に他ならない。(強調はカカシ)。性不適合が普通だと教育界や法制度をほどこすことは子供やその保護者たちを混乱させるだけであり、より多くの子供たちが「性適合治療医院」へ足を運び危険な思春期阻止治療を受ける結果を招く。このような治療は子供たちを生涯において癌誘性及び他の毒素を持つ異性ホルモンの摂取や大人になって不必要な整形手術を受ける結果をもたらすのである。

性適合障害は精神病だと主張したフェミニストが講壇の場を失くしたり、トランスジェンダーだといって男子金メダル受賞者がスターとしてもてはやされる狂った時代だが、人間は男子と女子の二つの性で成り立っているという科学的事実は変えることはできない。幼子を持つ親たちが早急にそれに気がついてくれることを祈るものである。

March 22, 2016, 現時間 9:12 PM | コメント (3) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 20, 2016

イギリスの著名人たち、全国学生連盟(NUS)の言論弾圧に抗議デモ

フェミニズム , ヨーロッパ , 人権擁護法

昨日紹介したイギリス(及びカナダやアメリカの)ノープラットフォーム(講壇拒否)という言論弾圧政策について、ついに我慢しきれなくなったイギリスの学者や著名人たちが17日、全国学生連盟事務所(NUS)の前で抗議デモを行なった。

デモの音頭をとったのは昨日ヨーク大学での講演を拒否されそうになったゲイ活動家のピーター・タッチェル。参加者は哲学者のACグレイリング、科学者のリチャード・ダウキンス、そして作家のサルマン・ラシディーなど際最たる面々。著名な学者や作家とともに60人あまりの学生たちも参加して、狭いロンドンの街角でタッチェルはメガホンを使って言論の自由の大切さを説いた。

はっきり言って保守派の言論がイギリスの大学で弾圧されて久しい。今回のようなデモはもっと早く起きるべきだったのだが、遂にノープラットフォームが左翼リベラルの言論弾圧につながったことから人々の目が覚めたようだ。

もともとノープラットフォームは「ファシストや人種差別者に講壇の場を与えない」という建前だった。しかし、昨日も書いたように、ファシズムだの人種差別だのといった定義は決断者の独断でどんどん変化していく。たとえばモスレム野蛮人による欧州女性たちへの共謀な性犯罪について言及すると「イスラモフォビア」の汚名を着せられる。その人物が何十年にも渡って反モスレム移民差別運動をしてきた功績など完全に無視されるといったように。ファシストとかレイシストと言った言葉は、もうその言葉の本来の定義とは関係なく単に相手を沈黙させるための侮蔑語へと変化してしまった。であるからノープラットフォーム政策は単なる勢力争いの道具と成り果てたのである。

ノープラットフォームこそがファシズムそのものの方針なのである。

さて、著名人たちが立ち上がった背景にはモスレムの台頭がある。欧州のモスレム移民たちは周到に欧州の左翼リベラル思想をうまく起用して自分らの権力強化に悪用する。

タッチェルはNUSが最近イラン人で共産主義フェミニストのマリアム・ナマズィーが無宗教学生ソサエティー主催の講演を拒否されたことについて、

「イスラム過激派たちが自由に演説することは各大学で許されているにも関わらず、我々革新派が反対意見を述べることはことごとく拒否されるか規制されるかしている。

「我々は『イスラモフォビア』であるとか『憎悪を扇動している』などと歪曲した批判を浴びている。だが実際には我々こそイスラム過激派の持つ背信者や女性やLGBTやユダヤ人や穏健派イスラム教徒への憎悪に挑戦しているのだ。

「我々は偏狭心に反対し言論の自由を守る。我々はNUSや他の学生連盟もそうすることを訴える。言論の自由は人権の根本的な権利であり、守る価値があるのである。」

また、タッチェルはアメリカ創設の父トーマス・ジェファーソンが言った「悪い言論に立ち向かえるのは良い言論だ。」とも語った。

こうした大学では「安全」という言葉を歪曲して使い、大学は生徒たちにとって「安全地帯」であるべきなので、生徒たちは危険思想から守られるべきという建前を主張する。だが、たとえばチャールズ・へブドを支持するといったTシャツを着て構内を歩き回ればモスレム学生が危険を感じるという理由で禁止されても、イスラム教徒特有の服装がユダヤ人学生にとって危険を感じるから禁止すべきなどということには絶対にならない。こうした規制は常に誰が権力を持っているかで決まるのであり、公平な施行などあり得ないのである。

NUSのメーガン・ダン会長は新聞やテレビでの報道は歪曲されてNUSの目標は言論弾圧にあるかのように報道されているが、実はそれは真実からかけ離れたものだと語る。

「日ごとの現実はメディアの注目をどう集めるか長けている人たちの言っていることとは違います。彼らは学生連盟がどのように機能しどのように決断を下すのかについて語り合おうとしません。構内では毎年何千という講演が行なわれています。公開討論は学生連盟の真髄です。

「一般の学生や教授たちはピーター・タッチェルなどの著名人のような(幅広い)講壇はありません。私たちは皆私たちの意見を聞いてもらう権利があります。非常に広い講壇のある人たちが私たちを弾圧するというのは非常に皮肉です。」

自分らの独断で人々の演説の場を奪っておいて、その決断について拒絶された人々が「語り合おうとしない」といえるところがずうずうしい。また、人々に講壇を場を与えよと訴えることが「弾圧する」ということになるといえるところがさすが本当のファシストだけある。

March 20, 2016, 現時間 2:40 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 19, 2016

ノープラットフォームやヘイトスピーチは言論弾圧の合言葉

フェミニズム , 人権擁護法 , 教育と政治

日本に「ヘイトスピーチ」という嫌らしい英語がアメリカから輸入されて久しい。だが今度はイギリスで始まった「ノープラットフォーム」という新しい言論弾圧の言葉を紹介しよう。この忌まわしい言葉は最近カナダやアメリカでも広がっている。

先ずプラットフォームというのはこの場合「講壇」という意味を持つ。その前にノーをつけることによって「講壇を与えない」という意味になる。このノープラットフォームには「アンセーフ(安全ではない)」という言葉がつき物で「安全ではない人間に講壇を与えない」というふうに使われる。きちんとした日本語に訳すと「危険思想を持つ人間に講演の場を与えない」という意味である。

しかしこの「アンセーフ/危険思想」というのが曲者で、要するに極左翼の思想に合わない思想ではあるが、左翼でもどこまで左翼でなければならないのかという枠がどんどん広がるため、10年前なら左翼の神様みたいだった人でも現在の左翼思想に追いつけないと、ある日突然「危険人物」のレッテルを貼られて講壇を取り上げられてしまう。こうして誰かの講壇を取り上げる行為を「ノープラットフォーミング」というが、この言論弾圧行為は左翼リベラルな大学構内で非常に奨励されている。

左翼連中がデイビッド・ホロウィッツやパメラ・ゲラーやベン・シャピーロといった保守派の言論弾圧をするのは理解できるとしても、実は最近のノープラットフォーミングは左翼同士の間の内部争いに使われることが多くなった。これまで左翼リベラルの大御所だったフェミニストやゲイ活動家までもが危険人物としてノープラットフォームの対象になっている。

たとえば、イギリスのヨーク大学で、ゲイ人権活動家のピーター・タッチェルがトランス批判をしたフェミニストの大御所ジェメイン・グりアーを支持したことで「トランス恐怖症」で「人種差別者」だと責められて全国学生連合(NUS)代表者から競演を拒まれるという例などがその典型だ。タッチェルが何十年にも渡ってゲイやトランスの人権運動に力を注いでいたことなど完全無視。トランス批判は断じて許すべからずという態度で本来ならLGBTの恩人みたいな人でもノープラットフォームである。また、長年に渡って人種差別排斥運動をつづけてきたニック・ロウレスがイスラム教徒によるイギリス少女性奴隷について批判したことを理由に「イスラモフォビア」の「人種差別者」としてNUSはノープラットフォーミングした。ロウレスが長年に渡って反モスレム差別運動をしてきたことは完全無視である。

しかしノープラットフォームは言論弾圧ではないという意見もある。

添付したサイトのエッセーを読んでみると、名声ある組織や個人が社会的に受け入れられない思想を持つ人間に講壇の場を与えたり講壇を共にしたりすれば、その人間を正当化する恐れがある。だから組織には彼らの壇上の場を奪う権利があるというのである。

確かに講壇の場となる組織が私設のものであればその通りだ。キリスト教の教会がイスラムのイマームに講壇を与える義理はない。また、黒人教会がKKKのメンバーに演説の場を与える必要もない。だが、実際にノープラットフォームの場になるのは公立の大学であったり市の公民館であったり公園だったりする。こうした公共の場における特定の思想を持つ人々による講演を禁じることは政府による言論弾圧に他ならない。

サイトの著者は誰でもどんな思想を持つのは自由だが自分が好む場所で常に演説できるとか誰かに無理やり自分の演説を聞かせる権利はないという。それは確かにそうだ。だが、もし演説者の意見が実際に聞く価値のないほどひどいものであるならば、放っておいても観客は集まらないだろう。主催者側も人気のない演説者の講演などキャンセルせざるおえなくなる。それが続けば自然とその演説者の講演は行なわれなくなる。演説者の意見が聞く価値がないほどひどいかどうかは観客となる人々の判断に任せればいいではないか?

だいたい聞く耳持てないほどひどい意見という基準は誰がつくるのか?その例をあげてみよう。

あるフェミニストが男性による女性への暴力を批判するにあたり、加害者がモスレムだったことを指摘するとイスラモフォビアとなってノープラットフォーミング!

ある講演者が女性を強姦から救うべしと演説した際に、だが大学構内における強姦の数は誇張されていると批判すると強姦奨励者ということになりノープラットフォーミング!

男子学生の自殺防止について演説しようとしたリポーターが男女差別と言われてノープラットフォーミング!

つまりだ、聞く耳持てないほどひどい意見というのはその場において権力ある人間の独断で決まる。権力者の気に入らない言論が沈黙させられるなら、それこそ言論弾圧の定義そのものである。ノープラットーフォーミングはまさしく言論弾圧以外の何者でもない。

March 19, 2016, 現時間 4:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 13, 2016

トランスジェンダーポスターボーイ(ガール?)が共和党支持で口から泡のリベラルたち

フェミニズム , 同性婚

オリンピック金メダル受賞者で一年前にMTFトランスジェンダーとしてカムアウトしたケイト(ブルース)・ジェナーが共和党支持であることは周知の事実だったはずだが、最近ジェナーが共和党大統領候補の一人テッド・クルーズを支持しているとか、民主党候補の一人ヒラリー・クリントンを厳しく批判したことなどから、トランスコミュニティーやリベラルの間からジェナー叩きが始まった。トランス活動家のゾーイなんたらいうMTFが{誰かジェナーはトランスジェンダーだと思い出させるべき」などと批判した。トランスジェンダーだったら自動的にリベラルでなければならないという考え。ここにアメリカ左翼リベラルのアイデンティテイーポリティクスの真髄がある。

ジェナーはカムアウトした途端に一躍トランスコミュニティーのポスターボーイもといガールになった。単に胸に偽乳房を入れて顔整形してドレス着ただけで、50年以上も男性陸上競技金メダリストとして生きていた男が突然女性として多々の(女性の)賞を受賞するに至った。勇気ある行為と左翼リベラルはジェナーをちやほや褒め称えた。

ところがジェナーはトランスジェンダーとしてのステレオタイプにはまらない。そりゃそうだ、共和党支持の政治的に保守な男が豊胸手術うけてドレス着たら左翼リベラルに変わると考えるほうがおかしい。しかもジェナーは去勢手術は受けていないし受ける気もないと語っている。

私が最近注目しているイギリス人のゲイ保守派タレントのミロ・イアノポウラス(Milo Yiannopoulos)が以前に、イギリスではゲイだとカムアウトするよりゲイで保守党支持とカムアウトするほうがよっぽども危険と言っていたが、アメリカでもそれは同じ。左翼リベラルが支配する芸能界などでは特にそうで、仕事から干されたくなかったら保守派タレントは自分の政治的な意見についてはだんまりを決め込むのが懸命。

ゲイだったら、トランスだったら、女だったら、有色人種だったら、左翼リベラル思想を持つべき、そうでない人間は裏切り者の背信者として排斥もしくは暴力的な攻撃を受けるべしというのが左翼リベラルの思想だ。どうりでモスレム野蛮人たちと気が合うわけだなリベラルは。

しかしジェナーの場合、人々の注目を浴びたくてトランスジェンダーになったのだろうに、共和党支持だなどとおおっぴらに発言してしまうと彼主演のリアリティーテレビの視聴率に支障を来たすのではないだろうか?芸能界のパーティにも招待されなくなるのでは? 

それとも人気がなくなったらまた普通の男に戻るつもりなのかな?

March 13, 2016, 現時間 10:42 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 21, 2016

セックスとレイプの違い、言葉の定義は大切

フェミニズム

年末にドイツのケルンで起きたモスレム野蛮人による大量性犯罪事件について、イギリスの労働党のジェシー・フィリップス(女性)議員が、ケルンで起きた事件などバーミンガム(イギリス)の下町で毎週末おきることと変わりないと発言したことで、バーミンガム警察はバーミンガムはそんな野蛮な都市ではないとかんかんに怒るといういきさつがあった。問題なのはフィリップス議員はバーミンガムでケルンで起きたような重大犯罪が起きているという意味で言ったのではなく、ケルンで起きた事件などバーミンガムで若い女性が週末に道端で「からかわれたりひやかされたり"baited and heckled"」するのと大差ないことで、大騒ぎするようなことではないという意味での発言だった。

この発言はフリップス議員がイギリスが移民を多く受け入れる際に、ケルンで起きたような事件がイギリスでも起きるのではないかという質問に答えた際のもので、ケルン事件はそれほどたいしたものではなかったと移民問題を過小評価する目的での発言だったのだ。

強姦や悪質な痴漢行為を単なるからかいやひやかしと比べるというふうに、比較にならないことを同じような意味で取り扱うことは非常に危険だ。左翼リベラル連中はやたらにこうやって言葉の定義を書き換え、自分らの都合のいいように使おうとするから十分なる注意が必要である。

その関連で、この間ひょんなことからMTFの小山のエミちゃんのツイッターで、彼が「セックスとレイプの違いはなにか」という質問をされているのにぶちあたった。断っておくがカカシはエミちゃんのツイッターを追っているわけではない。慰安婦問題などで別の人のツイッターを追っていたらエミちゃんのツイッターに出くわしたのである。で、その質問に対するエミちゃんの答えはと言うと「セックスとレイプの区別もつかないバカとは話をしたくないから話しかけないでくれ」というものだった。相手が質問の答えを催促すると、エミちゃんは彼のことを「ストーカー」とか「レイピスト脳のバカ」とか言って逃げてしまった。

どういう過程でこういう会話になったのか解らないが、多分質問者はセックスとレイプの違いがわからないのではなく、エミちゃんの考える違いについて、その定義を示して欲しいと言っているのだろうと思う。何故そんな質問が出てくるのかといえば、慰安婦が単なる売春婦だったのか、それとも人身取引の犠牲者だったのかどうか、という関連で、自発的に売春をしていたならセックスといえるが、人身取引の犠牲となり性奴隷として無理やり働かされていたならすべての性行為がレイプと考えられるから、そのへんの違いをはっきりさせてもらえないだろうかという流れだったのだと思うからである。

ここで慰安婦問題の議論をするつもりはさらさらないが、最近アメリカの大学内でフェミニストたちがやたらとレイプとかレイプカルチャーとかいう言葉を振り回すのをみるにつけ、レイプとセックスを混同することの危険性を感じる。エミちゃんが質問者のことを簡単に「レイピスト(強姦者)」呼ばわりしたことなどがいい例である。

アメリカ大学生フェミニストたちのいうレイプというのは、単に若い男女がコンパなどで酔っ払って意気投合してセックスをした後、女性のほうが自分の浅はかな行動を後悔して男性を責めるという例がほとんどである。レイプしたと責められた男子学生のほとんどが合意の上でのセックスだった。強制はしていないと証言している。(酔っ払っていたのでよく覚えていないという例も多い。)

問題なのは、こういう後悔セックスをレイプと呼ぶことによって、本当の意味でのレイプ被害が過小評価されてしまうということだ。道を歩いていて見ず知らずの数人の男性から手足を引きちぎられるかのような暴力的な攻撃を受けたケルンの女性たちの被害と、酔っ払って別に好きでもない男性と寝てしまった後悔セックスとを混同すれば、文頭で述べたイギリス議員のような馬鹿げた発言につながってしまうのだ。

だから、そういう意味でエミちゃんへの質問者がその違いについて明確な定義を求めたのであれば、正当な質問であり相手をレイピスト脳などといって侮辱するのは、かなり不当だと思うね。

もっとも二人の会話をきちんと追ったわけではないから、双方がどういういきさつでこのような会話を交わしたのかはわからないので、これはこの会話に関する私の解釈が正しいとすれば、という注意書きを加えておく。

February 21, 2016, 現時間 12:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 14, 2016

フェミニズムに破壊されたバイキングの戦士たち

フェミニズム , ヨーロッパ

北欧で頻発しているモスレム野蛮人らによる婦女暴行にバイキングで知られる北欧の勇ましい男たちは何をしているのだ、自分たちの女たちが冒涜されているのを黙ってみているのか?という疑問を持ったのはカカシやミスター苺のみではあるまい。それについて、バイキングの歴史を持つ北欧男たちを骨抜きにしたのは誰あろう西洋社会のフェミニズムなのだというコラムを見つけた。元記事はブルッセルジャーナルの英語版で2006年に書かれたものだが、これを最近翻訳しているのがこちらのサイト。

北欧でのムスリムによる女性たちへの暴力に関して、バイキングに何が起きたのかと僕はよく質問された。ヴァルハラの天地で酩酊しているのかと。確かにバイキングは野蛮人だったが、それでも神秘的な幻想感がある。しかし、娘がムスリムに迫害されているのをスルーする今日の北欧男児は、物語の中のバイキングより野蛮だ。

(略)諸悪の根源は北欧を蹂躙したフェミニズムだ。フェミ娘たちは北欧の屈強なる男児の防衛本能を衰滅させることに何十年も力を尽くしてきた。その結果、北欧は愚か西欧文明全体が大いに衰退したのだ。

ノルウェーでムスリム移民の紅世なる狂気に正面から対峙しているのは右翼の進歩党だけだが、支持者の3分の2が男性だ。一方、移民推進役たる社会主義左翼党の支援者は3分の2が女性だ。

(略)男の資質は当世の共喰い社会では不可欠だ。女は純粋すぎて、自己の政策が齎しうる長期的に不都合な現実と向き合おうとしていない。

女性が舵を取れば子供を犠牲にするような政策は取らないと主張していたフェミストたちが、自分らの子供たちの未来を破壊するモスレム移民に「平然と笑顔を浮かべて」受け入れる理由はなんなのかといえば、モスレムは自分らと同じように弾圧された犠牲者の立場から自分らフェミニストが忌み嫌う既存の西洋文化に立ち向かう同志という気持ちがあるからだと著者は語る。
 
ノルウェーのフェミニズムは単に平等主義から反差別という思想に劣化し、企業における就業率の獲得といういわゆるクォーター制を設立したり、教科書内における「偏向的」とされる記述を書き換えるなどの運動に熱をあげた。著者はそのフェミニストらの「主張作法」をモスレム野蛮人は見事に流用し、ノルウェーにおけるモスレムの立場を向上させたという。

スウェーデン左翼のグドルン・シューマン議員は2002年、男性による女性への暴力に罰金刑を課し、スウェーデン男児をすべてタリバンのようと評した。アフトンブラデット紙はこれに対し、「その通りだ。男は皆タリバンだ」と応酬した。(略)

シューマンらは「核家族に死を!」と叫び、核家族内の男子優先的秩序の強化を糾弾する。2000年、フェミ娘ホアンナ・リテルの集団はミス・瑞典娘の生放送会場に乱入した。リテルは4年後、「白人とは出産しない」という記事を執筆し、「傲慢で搾取的で虚栄的な性狂」白人を糾弾して、「非白人の皆さん、私はただ彼らに唾吐いただけです、有難う」と記した。


 
このように西洋男性の男性的な傾向を悪者扱いすれば、男性は本能的に女性を守ろうとする欲望を失ってしまう。それが何十年も続けば、今更西洋女性が危機に陥っているからといって簡単に女性を守ろうという意欲がわかないのは当然だ。
 
著者は現代フェミニストがモスレム男の横暴に寛大などころか異常な憧れを抱くのは、自分らが破壊し骨抜きにした西洋おとこたちより、女性の絶対服従を強制するモスレム男たちに魅力を感じるという歪んだ気持ちを持つからだという。

元クリケット選手のデンマーク人ラルス・ヘデガードは「服従への夢」という随筆で、女がムスリム移民を推進するのは、ただの思想的純粋さではなく、本能的性向なのだと説いている。ヘデガードはこう書いた。「女がシャリーアへの道を整える理由は、ただ女がその服従精神に本能から魅せられて、シャリーアを求めているからだろう」。英人フェイ・ウェルドンも「女性は服従にこそ性的に魅光される」と述べる。ならば、許可なしの外出を許さない砂漠の首長たちの方が、フェミ化した男児よりも魅力的にみえるのはやむを得ないかも知れない。「服従」(帰依)を真名とするイスラムに改宗する西洋人は男より女の方が多い。女はそんなに絶対支配に弱いものなのか?改宗した女性の手記を読むと、イスラムの家族観には確かに女性をより惹きつけられるものがあるようだ。「女は家事、男は野良仕事」がイスラムでは守られている。キリスト教では人生の目的意識を満たすことができないのだろうか?

そうだろうか。思うに西洋社会は、特に欧州はキリスト教を拒絶し世俗化したことが、イスラム教に隙をつかれる原因になったのだ。もしも欧州人が今も敬虔なキリスト教徒だったら、イスラム教の歪んだ教えに誘惑されることなどなかったはずである。フェミニストに代表される左翼リベラルは既存の伝統や文化を根底から破壊しようとはするが、それに取って代わるものを提供しない。宗教への信心をなくした人々は何も信じなくなるのではなく何でも無差別に信じるようになると誰かが言っていた。フェミニストたちがイスラム教に惹かれるとしたらそれが原因だろう。

実は西洋の男たちは元々女性を大事にする傾向があった。うる覚えだが、バーナード・ルイスの著書のなかで、19世紀のイギリスに留学していたアラブ人がイギリスの男性が女性に常に敬意を示すことを興味深く記述した例をあげている。たとえば乗馬中の男性が同じく乗馬中の女性に行き当たった場合、男性は必ず女性に道を開け帽子をちょっと手で掲げて挨拶をする。女性は男性に会釈をして通り越していくといったように。いまでも欧米社会では男性が女性の荷物を持ってあげたりドアを開けたりという女性優先といった礼儀は残っている。著者はタイタニックの例を挙げる。

タイタニックと共に沈んだ男を顕彰するワシントンの記念碑を例に挙げよう。この事故では73%の女が助かり、8割の男が藻屑となった。何故か?「児女優先」の規律が守られたからである。これに感謝して「全米女性協会」が1931年記念碑を建てた。記念碑には「タイタニックと命運を共にし男の勇者たちよ…貴方達は児女を救命するために命を捧げた」とある。

その理由は私には解らないのだが、男性が女性を大事にする文化は何故か男尊女卑の文化よりも発展する。女性を単なる性交や出産のためだけの奴隷のように扱う文化は何時まで経っても中世以前の野蛮文化から抜け出すことができない。文明社会において女性の精神的貢献は必要不可欠なものなのだ。

しかし、女性を大事にし外敵から女性を守るためにはその社会に強い男の存在が必要だ。強い男たちは女性の社会進出を弾圧するものではない。いや、強い男が居てこそ肉体的に軟弱な女性の頭脳が生かされるのである。

著者は欧州の少子化はフェミニズムの活動によって「男女が育児を第一の目的とする中今の意識」が破壊されたからだという。「人間は社会的動物だ。結婚は『女性抑圧のための陰謀』ではない。無神論的なダーウィン主義でも、人生の目的は生殖だったではないか」と著者はいう。だが、やはり宗教による子孫の存続という概念が薄れれば子供を生み育てることの意義が失せてくるというのも納得がいく。

カカシが何度も書いているように、少子化の原因は結婚制度の破綻が大きい。特に欧米ではフェミニストのおかげで結婚せずとも容易に性交渉ができるようになったことや、女性の立場が強くなると結婚して慰謝料だけとられてすぐ離婚されてしまうことを恐れる男性が増えたことなどがあるからだろう。

北欧は「性平等天国」とよくいわれるが、外国人は北欧ほど男女が離縁状態にある国はないと論評する。その通りだ。急進フェミ娘たちが男女間の協力でなく反目を煽ったので、北欧人は外国文化の中に理想の相手を発見する。驚くほど多くの男女が性文化により保守的な東アジアや南米などの国から伴侶を連れてくるようになった。世界の反対側まで行って伴侶を見つけるとは、なんという「性の平等」だろう。文化マルクス主義と連携してPC主義の検閲に協力する西欧フェミニズムこそ、西洋文明を軟弱化させ、ムスリムの侵略に手を貸した諸悪の根源である。

(略)コペンハーゲン大学の調査によると、離婚の悪影響は男の方により大きく、40~50歳の死亡率の高さとなって顕現する。「崩壊家族で育つ子供の数と離婚の相関性は高い」ことを考えると、離婚防止戦略は必要だろう。

フェミニストたちは北欧男性の女性を大事にする文化を女性弾圧だと言い張り破壊してきた。女や子供を守る結婚制度を破壊してきた。そうやってかつての勇敢なバイキング戦士たちを骨抜き男にすることに成功した北欧女性たちは北欧男たちが考えもしなかった完全なる女性弾圧侵略者の性奴隷と成り下がる危機にさらされている。

いや、そうなる前に、北欧の腑抜け男たちがご先祖様の男気を思い出して目覚めるのを求める。そのためには欧米は(日本も含めてだが)文明社会の破壊を謀るフェミニズムを撲滅すべきだろう。

バイキングの戦士たちよ、目覚めよ!欧州を守れ、女たちを守れ、文明社会を取り戻すのだ!

February 14, 2016, 現時間 10:58 AM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 9, 2016

幼児の性同一性障害治療を巡って首になった小児精神科医にみる政治と科学

フェミニズム , 同性婚 , 科学

私は以前から性同一性障害の治療は性転換手術にあるという考え方に非常な疑問を持ってきたが、それが幼児に対する治療である場合は特に、親が幼児を性同一性障害患者として異性となることを奨励するのは幼児虐待だと主張してきた。思春期を迎える前の子供の性同一性障害専門医で子供が生まれた性を受け入れる方が好ましいという思想で治療を進めていた医師が性同一性障害医療クリニックから解雇されたという記事を読んで、この問題は医療や科学とは全く別のトランス活動家の政治活動に悪用されていると痛切した。

左翼市民運動の活動はどんな運動でも元になる問題とは別に、自分らの左翼権力促進が根本であることがほとんどである。だから女性解放運動にしろ、黒人運動にしろ、同性愛人権運動にしろ、本当の目的は社会から差別されたり弾圧されたりしている少数派の人権を守ることではなく、運動の主導権を握っている人間らの権力を強化することにある。

幼児の性同一性障害を専門に治療してきた精神科医ドクター・ケニス・ザッカー医師はこの道では有名な研究家である。現在65歳のザッカー医師はカナダのトロント市の病院で何十年も幼児期の性同一性障害の治療と研究にあたっており、何冊も研究書を発表している。そのザッカー医師が突然にして彼が勤める(幼児及び少年と家族の性同一性クリニック) the Child Youth and Family Gender Identity Clinic (GIC), を解雇された。その理由というのも、医師の幼児の性同一性障害は子供の成長に任せてなるべく異性変更への道を強制しないという姿勢がトランス運動家らの怒りを買ったからである。

ザッカー医師は決して性同一性障害が存在しないと主張しているわけでも、思春期を越した青少年が性転換に進むことを拒絶しているわけでもない。同医師の治療法は、思春期前の幼児の性同一性に関する混乱は幼児期だけに起きる一時的なものであったり、周りの環境に左右されたりするもので、本当の意味での性同一性障害とは判断できない場合が多いため、あえて早急に異性への変更に取り組むべきではないという常識的な考えに基づいている。

それをトランス運動家たちは、ザッカー医師がトランスの子供たちを無理やり普通の子供に戻そうと野蛮な治療を行なっているかのように訴え、その政治力で医師をの解雇を実現させてしまった。これは本当に性同一性障害やその他の精神病に悩む幼児に対して非常な悪影響を及ぼすものだ。

私は性同一性障害という精神病が存在しないとは思っていない。いやむしろ持って生まれた自分の性を受け入れられないのは精神病だと考えるのは当然のことだと思っている。だが性同一性障害が病気であるならば、その治療法はきちんと科学的に研究されるべきであり、政治が介入すべきことではない。

もしもホルモン投与や整形手術によって障害者の病気が本当によくなるというのであれば、それはそれとして認められるべきことだ。しかし性適合手術を受けた人々の自殺率は受けなかった人々と比べて同率かもしくはかえって高いという調査がある。治療が治療前の症状を悪化させているとしたら、これは有意義な治療方法とは言いがたい。

それでも分別のわかる大人がすることであれば、危険覚悟の治療も許可されるべきかもしれないが、それが幼児となるとそう簡単にはいかない。

子供というのは周りの環境に左右されやすい。男勝りの女の子が回りから「あんたは男の子に生まれてきたらよかったのにね。」と常に言われたら、自分は単に男の子の遊びがしたいだけの女の子が自分は男であるべきなのだと思い込んでしまう危険は多いにある。また、自分が異性だったらいいのに、と願うことと自分は異性であると思うこととは別である。そういう子供をいっしょくたにして異性への転向を回りが奨励するのは危険である。一旦異性への転向の道を歩み始めてしまうと、子供が途中で気が変わっても元の性に戻るのは回りの環境を考えると非常に難しい。単に男っぽいもしくは女っぽい女児や男児でいれば、気が変わってもどうということはないが、一旦自分は異性だと言い張りまわりにもそのように対応するよう要求してきた子供が、気が変わったと言ってまた回りの対応を変えてもらうというのはかなり勇気のいることである。

何度も書いているが、性同一性障害を精神病として扱わずに差別されている小数派民族であるかのように扱うことに問題がある。だいたいトランスジェンダーという考え方自体、いわゆるアイデンティティーポリティクスというステレオタイプを使った差別である。

男女という性別に関しては、それぞれそれなりの傾向がある。男と女が違うのは当然の話だが、どのグループにもそのグループの特質からは離れる例外者は存在する。たとえば男性のほうが格闘技は得意であるというのは一般的な傾向ではあるが、女性でも力強く格闘技に優れている人もいる。そういう人を無視して女性は戦闘員には向かないから受け入れないという考えは女性差別である。また、男性でもスポーツ観戦よりファッションショーのほうが好きという人もいるだろう。だから彼は女々しい男だと言い張るのは男性差別だ。

ところがトランス活動家はそういう差別的なステレオタイプを強調し、女性がズィーナやワンダーウーマンのように強かったら彼女は男であるべきだと主張し、男性が裁縫や料理が好きだったら女であるべきだと主張するのだ。そして彼らはこのステレオタイプを幼児にまで押し付けようというのである。

皮肉なことだが、数十年前左翼リベラルたちは幼児の性別は持って生まれた性よりも周りの環境によって決まると決め付けていた。だから男児でも女児でも性別を無視した教育をすればどちらの性にもなり得るという実験をしたが、それは徹底的な失敗に終わった。現在の左翼リベラルたちは、幼児が幼児特有の幻想を使って異性の違いを学ぶ自由を奪い取り、幼児に自分らの持つ性のステレオタイプを押し付けようとしている。何故男勝りの女の子ではいけない?何故おままごとの好きな男の子ではいけないのだ?

子供たちはそうやって自分らのアイデンティティーを確立していく。大人たちはそっと彼・彼女たちをみまもってやればいいではないか。

ザッカー医師のそんな親心は左翼リベラルには全く通用しなかったようだ。

February 9, 2016, 現時間 11:06 AM | コメント (4) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 12, 2016

自国女性の安全などどうでもいいヨーロッパの指導者たち、頻発するモスレム移民の極悪性犯罪を隠すわけ

フェミニズム , ヨーロッパ , 移民問題

大晦日にドイツの数都市で起きたモスレム大集団によるドイツ人女性大量襲撃事件は、そのあまりの規模と悪質さによって遂に欧州以外の国々にも知り渡ることとなったが、実は去年の夏、スエーデンで行なわれた野外コンサートでも同様の性犯罪事件が起きていたことが今になって明らかになった。

APのニュースによると、去る月曜日、スエーデンの警察が去年の夏にミュージックフェスティバルに参加していた10代の少女たちが大量にモスレム教徒に性的暴行を受けていたことを隠蔽していた事実が明るみに出た。 警察はスエーデンの新聞Dagens Nyheterが報道するまで去年の8月に起きた事件を隠していた。ストックホルム警察はフェスティバル会場で多くの少女たちが被害を受け、200人以上のモスレム男たちが一時拘留され会場から追放されていたことを認めた。だが逮捕者が出たかどうかは不明。報道官は悪質な犯罪を考えると、その時に報告するべきだったと語った。

あったりまえだろうが! 被害を受けた少女たちの数はどのくらい居たのか、犯罪者の数がどのくらいだったのか、その犯罪の内容がどのようなものだったのか、事件が起きた当日に報道されていれば、その後もそういう場所へ出かけていく若い女の子たちも用心のしようがあるというもの。また、野外コンサート主催者側の警備の参考にもなったはずだ。それなのに何故このような悪質な事件を警察が隠していたのかといえば、それは警察だけの判断ではなく、政府からの圧力があったからに他ならない。

Dagens Nyheter紙によると、警察の高官は警察が移民に関する犯罪を公にすることに遠慮がちになるのは、 移民の脅威を強調する極右翼のスエーデン民主党の手のうちにはまってしまうからだと語ったそうだ。すでにスエーデン民主党の支持率は急激に上がり、今や20%以上の支持率を得るに至っている。

ドイツにしてもスエーデンにしてもそうなのだが、寛大な移民政策を取っている欧州諸国にとって、移民による犯罪は非常に都合が悪い。移民に反対するライバル政党に権力を奪われる可能性があるからである。つまりこれらの国々の指導者たちは自国の婦女子の身の安全などより、自分らの権力維持にしか興味がないのだ。

ドイツの事件が起きた当初、ケルンの市長は犯人グループが難民だと決め付けるべきではないなどと言っていたが、つかまった男たちのほとんどが最近シリア難民と称してやってきた移民であることがわかっている。

パワーラインブログの著者も書いているが、ヨーロッパの左翼リベラルは自国の婦女子がどんなに冒涜されても自分らの権力維持さえ出来ればかまわないようだ。

スエーデンが今やヨーロッパのレイプ王国になってしまったことは拙ブログでも何度も書いてきた。そしてスエーデン政府がその事実を隠蔽してきたことについても書いてきた。大晦日のケルン事件によってヨーロッパ全土に広がったモスレム土人たちによる悪質な性犯罪がやっと世界にも知られるときが来た。

アメリカの女性ブロガーは、何百人というドイツ人女性が襲われていたとき、「ドイツ男たちはどこに居たのだ?」と問いかけている。女性に同伴していた男性数人がモスレム男たちによって暴行を受けたという話は聞いたが、襲われている女性を救おうとしてモスレム男たちに立ち向かったというドイツ人男性の話は聞いていない。

ヨーロッパ中の女性たちがモスレム男たちに冒涜されているのをヨーロッパの男たちは見てみぬ振りをするつもりなのか?

どうするのだ、ヨーロッパは!?

January 12, 2016, 現時間 6:04 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 11, 2016

遂に隠し切れなくなったヨーロッパのモスレム暴挙、ドイツメディアがマルケル首相の移民痴漢行為隠蔽を批判

フェミニズム , ヨーロッパ , 狂ったメディア , 移民問題

ドイツをはじめヨーロッパ中で起きているイスラム移民による地元女性攻撃をこれまで必死に隠し通してきたヨーロッパメディアだが、去年(2015年)大晦日にドイツのケルンで起きた集団痴漢事件は、その規模の大きさと悪質さに地元警察による必死な隠蔽努力にも関わらず地元新聞が遂に事件を報道。それを世界儒の主流メディアが取り上げたため、コメンターのアンデルセンさんがリンクを付けてくれたように日本でも報道された。

女性襲撃、90人被害届=アラブ系集団犯行の情報-独

2016年1月6日(水)7時14分配信 時事通信


 【ベルリン時事】ドイツのメディアによると、西部ケルンの警察は5日、同市の中央駅近くで年越しの際に多くの女性が男の集団に囲まれ、体を触られたり、財布や携帯電話を奪われたりしたと明らかにした。これまでに約90人から被害届が出ているという。
 犯行に関与した人数は千人に上るともみられ、計画性が指摘されている。警察は被害者らの証言を基に、容疑者は主にアラブ系や北アフリカ系の若者とみられると語った。
 難民受け入れに反対する政党は「難民流入時の管理不行き届きが原因」と訴えた。一方、マース法相は「問うべきは容疑者の出身ではなく、犯行そのものだ」と述べ、難民問題と結び付けることを戒めた。 

実はこの事件については、私が愛読している反イスラム運動家のパメラ・ゲラーのサイトで一月の三日にすでに報道されていた。彼女はヨーロッパ各地の知り合いからヨーロッパで起きているイスラム教徒による暴挙を知らされているが、ドイツではツイッターやフェイスブックやインスタグラムなどのソーシャルメディアが言論規制を施行しており、大晦日の事件について目撃者や被害者によるエントリーが次々に消されてしまうという状態だった。事件当初ケルンの警察は大晦日はおおむね平穏だったという報告をし、警察が事件について隠蔽しようとしたことがあとになって暴露された。事件に対するあまりにもお粗末な対応(1000人を超える暴徒の警備にあたった警察官はたったの150人)と隠蔽によってケルン警察署長は辞任に追い込まれた。

事件の実態は当初の報道よりもずっとひどく規模も大きく、女性襲撃はケルンだけでなくドイツの多々の大都市で起きていた。警察に被害届を出した犠牲者の数はすでに600人を超えている。

襲撃の内容も単に身体を触られて携帯を取られるといったやわなものではなく、もっと暴力的で悪質なものだったことが被害者らの証言で明らかになってきた。先ずモスレム暴徒たちはロケット花火を大晦日のお祭りで込み合う群集に投げ込んだ。人々が驚いて逃げ惑っている隙に、数十人の男たちが若い女性を囲みこみ、一緒に居たボーイフレンドやエスコートの男性には殴る蹴るの暴行を与え、女性に対しては胸や股間をまさぐるだけでなく、洋服を引きちぎったり逃げようとした女性を殴ったり、ナイフで切りかかるなどの危害を加えた。一人の女性は上着のフッドに花火を投げ込まれ上着が焼けて肩や背中に重度のやけどを負った。襲われた女性の中には強姦された人もいた。、

このようなひどい事件が報道されるまで三日もかかった理由は、ドイツには情報規制があるからで、大本営報道局に成り下がっているドイツ主流メディアは政府に批判的な報道はしない。特に今問題とされている移民問題に関しては政策の妨げになるような移民による犯罪事件には沈黙を守るのが常となっていた。一般市民でもドイツでは政府の移民政策を批判すると罰金を課されたり禁固刑になる。「イスラム教移民は強制送還すべきだ!」などとフェイスブックに書いたりすると「ヘイトスピーチだ!」といって罰せられる可能性があるのだ。

その主流メディアが三日もかかったとはいうものの、遂に事件の真相を報道し、事件を隠蔽しようとした警察や政府までもを批判するようになったということは特筆の価値ありである。

広場付近のホテルで働く目撃者のインタビューのビデオを見ていて興味深いと思ったのは、目撃者の男性は自分の目でモスレム移民による暴挙を目撃するまでは、モスレム男たちのよる強姦や暴動の話は、ペギダなどの反移民運動団体がでっち上げたプロパガンダだと思っていたと話していたことだ。テレビや新聞では全く報道されていなかったのだから、考えてみればそう思うのも仕方ないのかもしれない。だが、実際にモスレム暴徒による暴虐が無視できない規模となった今、主流メディアですら政府の言いなりにならずに報道し始めたわけだ。

となるとドイツ市民の世論が突如として反イスラム移民に変わる日は近いかもしれない。

January 11, 2016, 現時間 5:51 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 11, 2015

LGBTからTを外そう!

フェミニズム , 同性婚

今、小さいながらも、同性愛及びフェミニストたちの間でトランスジェンダーをLGBT運動から削除しようという運動が始まっている。非常に零細な運動だから何処まで行くのかは解らないが、それでも同性愛者の中からトランスジェンダーの強硬なやり方に少なからぬ反感を持っている人が居ることは外部から見ていても面白い。

トランスを批判するのは、今のアメリカでは政治的に正しくない行為なのだが、そんなことは全く気にしないフェミニストやゲイ・レズビアンは何人かいる。

フェミニスト作家のカミリア・パグリアもそのひとり。彼女は西洋社会におけるトランスジェンダーの台頭は文化の廃頽と崩壊の症状だと語る

社会が不穏になってくるとエログロナンセンスが流行るというが、イスラムに侵される西洋社会は、本当の脅威ではないトランスフォビアなどという架空の脅威に執着することで、本当の脅威から目を背けようとしているのかもしれない。

パギラ女史の意見は、カカシが拙ブログで書いてきたこととほぼ同じだ。女史はトランスたちが言う色々な性があるという主張は大げさだとし、性適合手術を受けたところで、細胞ひとつひとつに組み込まれた性別を変えることは出来ない、と性適合手術が性同一性障害の唯一の治療という考えにも疑問を抱いている。

しかし彼女が一番心配しているのは、親が思春期も迎えていない幼児をトランスだと決め付けてホルモン治療を施したりする行為である。私も以前からこういう行為は幼児虐待だといってきたが、パギラ女史も同意見。

「親たちはいまや子供を治療の対象にしていますが、これは幼児虐待の一種だと思いますね。ホルモンで育成を遅らせるとか、手術するとか、間違っていると思います。同意できる大人になってからそういうことはすべきです。」

子供の気持ちは発育の上で色々変化する。大人になって気持ちがしっかりしてからでも遅くはないはず。

かく言うカカシも、子供の頃は男の子に生まれてくればよかったと何度も思った。自分が男の子だという意識があったわけではない。私は発育が早かったからもう10歳くらいで男子を性的に意識していた。ティーンアイドルの男の子とか見ていると、男の子は格好いいなあ、私もああいうふうだったらいいのにと思った。でも私の「男の子だったらいいのに」は裏を返せば健全な女子として異性にあこがれたというだけの話しである。だがそういう子供にトランスに熱中している親が下手な入知恵をして「カカシちゃんは男勝りだから男になるべきよ」などといってホルモン治療なんぞされた日には、取り返しのつかないことになっていただろう。

ブレイトバートニュースで最近コラムを書いてるイギリス人でバリバリのゲイであるミロ・イアノポウロス(Milo Yiannopoulos)も常々トランスジェンダーには批判的だ。ミロはゲイの立場から、トランスのやり方はゲイ社会とは真っ向から対立するものがあるという。

ゲイ文化というのは社会の枠に対してどれだけ挑戦できるかという自己表現の文化であり、母なる自然が作り上げた偉大なる実験体だと主張する。だから英雄や偉大な発明家にはゲイが多いのだとしたうえで、自分もそうした特殊な才能を持つゲイのひとりだと自慢。

それに比べてトランス活動家のやってることは、他人の行動を制御することばかり。トランスたちはヒューモアのかけらもない、差別屋で嫌悪的で退屈な奴らだという。トランスは法律を作って他人の行動をコントロールすることしか興味がない。

「正気言って、もうトランスはたくさんだよ。」

ミロは、そう思ってるゲイやレズビアンはけっこう居るはずだという。ただ、そういうことを口に出すとトランスが権力を握っているLGBTコミュニティーのある運動家から締め出しを食うのでやたらなことはいえないのだ。以前にも紹介したが、トランス女は女性ではないといったフェミニストの大御所大学教授の面々が多々の講演かキャンセルされるている。

以前にも紹介した考えだが、トランスはその根本からして反同性愛者だという議論がある。ゲイやレズビアンは男ならこうあるべき女ならこうあるべきというステレオタイプの常識を破って生きている人々だ。だがトランスは社会のステレオタイプにわざと自分を当てはめてしまおうとする考え方だ。

男性が女性っぽいしぐさをしたり、女装趣味があったり、男性に恋をしたりするのは、男性としてのステレオタイプに当てはまらないので、トランスの理屈でいくと、すぐさま女性となって暮らすべきとなってしまう。あげくのはてに極端なホルモン治療や性適合手術を押し付けてくる。男性でも女性でも単に一風変わったクイアーな人々で暮らすことを許容しないのだ。

ミロも指摘しているが、性同一性障害が精神病であるならば、その治療法は異性ホルモン投与や性転換手術にだけ限りるのは建設的なやりかたではない。精神病なら先ずは精神カウンセリングからはじめるべきではないのか。自分を異性と思い込む妄想の治療は他にも色々あるはずで、なぜいつも整形手術にまで及ばなければならないのだろうか。

トランスの台頭で、一番迷惑を蒙るのは女性や子供たちであるが、ゲイやレズビアンたちも被害を受けるのだ。LGBTからトランスを取り除こうといい始めたグループは、トランスが推し進めるトイレ法は女子や子供が安心してトイレやシャワーの使用ができなくなる女性迫害の悪法だと訴える。

本来なら同性愛者の味方であるはずのいわゆるゲイマガジンや左翼フェミニスト系のマガジンなどでも、トランスが幅を利かせて圧倒的なトランス支持。これらの雑誌はラディフェミは極右翼のプロパガンダを信用してトイレ法が女性や子供を虐待するという「神話」信じていると批判する。トランス支持派はトイレ法によって女子がトランス女から暴力を受けた例はひとつもないという。だが、トイレ法反対派は最初からトランス女が女性を暴行するとは言っていない。トランス女のふりをした痴漢男が覗きや痴漢を行なう危険性について述べたのである。それをわざとすりかえて「そんな例は一件もない」といってのけるずうずうしさ。

トイレ法の怖さは、単に男子生徒が女子生徒の更衣室に入ってこれるというだけでなく、女性だと言い張る男子の女子運動チーム参加も許容する。もともとスポーツ競技で男女を分けるのは、男子と女子では肉体的強さに極端な差があるからだ。こういうスポーツに女装男(かならずしも手術は必要ない)を取り入れて女子チームとして競技するなら、女装男のいないチームは圧倒的に不利である。これが女子競技といえるのか?

その言葉とはうらはらに、左翼リベラルのやることは常に女子供を犠牲にする。同性愛社会もトランスによって被害はうけても何の恩恵もうけてはいない。LGBTからTをはずすのは当然の道理だと思うけどね。

トランス支持派が「神話」だといいはるトランスを装った強姦魔の例:

トランス女を装って女性シェルターで連続強姦に及んだ変態男つかまる。

トロント市ではこの間ヒューストン市の住民投票で棄却されたトイレ法を2012年に通してしまった。その同市において、クリストファー・ハムブロック(37歳)なる男は、トランス女を装えば女性専門シェルターに入れると考え、トランスを装って同施設に入会し、2012年にシェルターに住む数人の女性を強姦した罪で2014年有罪となった。


November 11, 2015, 現時間 4:00 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 6, 2015

男を女子トイレに入れるな! ヒューストン市民投票バスルームビル(トイレ法)を断固拒否

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化

アップデートあり:コメンターのアンデルセンさんが紹介してくれた記事で、日本でも同じようなことが起きる可能性があると感じた。後部参照。

先日ヒューストン市で行なわれた選挙において、性適合障害男性の女子用施設の使用を許可する法案が、市民投票によって惨敗した。この法律はヒューストン市議会が二年前に強引に通し施行して三ヵ月めに市内の牧師や神父らの訴えで一時差し止めになっていたもの。法律反対派が十分な署名を集めたことから今回の選挙で市民投票にかけられ決着をつけることとなったのである。

ヒューストンの法律は、正式にはヒューストン平等人権法(HERO)提案1という名前で、その名目上の目的は性同一性障害や性嗜好によって就職や公共施設の使用や住宅選択などで差別されないためというもの。企業、個人営業、住宅など、違反者は最高5千ドルの罰金を課されるというもの。ただし宗教団体は対象にならない。

トランスやゲイやレズビアンを差別しないことの何がいけないのか、という疑問が生まれるのは当然だが、「差別しない」とは具体的にどういうことを指すのか。ここに問題があるのだ。

この法律では、自分が女性だと感じている男が女子トイレや更衣室やシャワー室を使用することが可能になる。実際に性適合手術を受けていようといまいとに関わらずである。ということは、実際にトランスジェンダーではない覗きや痴漢男が女子施設に入室しても一般人は文句を言えないことになる。女性が脅威を感じても警備員を呼ぶことも警察を呼ぶことも出来なくなるのである。極少数の変態人間の性嗜好のために人口の五割を占める女性たちが犠牲になるという悪法なのである。

無論法律提案者の言い分は、人権を平等に守る差別を禁止する法律のことをトイレ法などという言葉を使って市民を怖がらせるのは卑怯なやり方だというもの。この法律の目的はトランスジェンダーやゲイやレズへの差別をなくすことにあり、女子トイレやシャワー室に変態男が入るのを許可するものではない。反対派の言ってることは嘘だ、嘘だ、嘘だらけだア~!というものだ。

しかしここで私は反対派の言い分は嘘だと言う支持派に聞きたい。

この法律において、全く女性に見えない普通の男が自分は女性だと言い張って女子施設を使用することは可能となるのか?

もしその答えが「イエス」であるならば、もうそれ以上の議論は必要ない。他にどんな差別廃止だの人権だの平等だのという言葉で飾り立ててみても、変態痴漢男による女性や女児への危害を誘発するような法律は断じて通すべきではない。これ、常識である。

『反対派の主張は一般人に恐怖を煽るだけの嘘八百だ』という支持派の意見を二つほど読んでみたが、上記のシンクプログレスにしてもこの記事にしても、反対派はアンタイゲイだとかヘイトスピーチだとか言うだけで、それがどういうふうに嘘なのかという説明がまったくされていない。

支持派の言い分は、HEROはトイレ法ではない、この法律は差別をなくすためのもので、女子トイレとは関係ないの繰り返しである。

もし10歩譲ってこの法律の意図が女性や女児を痴漢の危険にさらすものではないとしても、この法律がその危険を誘発するのであれば同じことである。この法律によって女性や女児が危険にさらされる可能性がないというのであれば、この法律がどのように痴漢が女子用施設を使用することを防ぐことが出来るのか説明すべきである。

法律支持派は極右翼が恐怖を煽ることによる憎しみに満ちた運動によって法案が崩れたと主張するが、事実は一般市民の常識がものを言った結論だったのである。

カリフォルニアでも全く同じ法律が今訴訟によって差し止め状態にある。市民の署名が集まればヒューストンと同じように住民投票に持っていけるのだが、カリフォルニアはテキサスよりはずっと左翼リベラルである。まだまだその道は険しい。

だがいずれはカリフォルニア州民も常識で投票してくれるもと私は期待している。

白浜、女装して女湯入った疑い

2015年11月8日(日)19時42分配信 共同通信

 和歌山県警白浜署は8日、男性なのに女装して公衆浴場の女湯に入ったとして、建造物侵入の疑いで中国人の自称会社員、夏良容疑者(36)を現行犯逮捕した。

 同署によると、着物姿にロングヘアーのかつらを着用し女湯の脱衣場に侵入。バスタオルを巻いて風呂に入り自撮り棒を使ってスマートフォンで撮影を始めたため、不審に思った女性客が浴場の係員に通報、110番した。

 スマホには入浴中の女性は写っていなかった。夏容疑者は容疑を認め「女湯からの景色がきれいと聞いていた」と話しているという。

 逮捕容疑は8日午前10時半ごろ、白浜町の露天風呂「崎の湯」の女湯に、侵入した疑い。

November 6, 2015, 現時間 9:22 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 31, 2015

チェコの反モスレム女性マネキンに見た韓国慰安婦像のつまらなさ

フェミニズム , ヨーロッパ , 東洋危機 , 移民問題

最近のヨーロッパの移民問題に注目していて気がついたのは、モスレム移民を大手を広げて歓迎しているのは主に西ヨーロッパの国々で、東ヨーロッパ諸国は移民の通過さえ快く引き受けていない。特にオーストリアと国境を接しているチェコではアメリカも含め、西側諸国のメディアが報道しないモスレム移民の脅威についてきちんと報道しているように思える。

さて、そのチェコのプラハで、去る8月、白いシーツにくるまれて血まみれになって座っている女性のマネキンがあちこちに置かれた。これはモスレム移民によって急増している強姦に抗議した反モスレム運動の一部だった。マネキンの横には「強姦の末妊娠」とか「姦淫の罪」とかいう罪名が書かれた看板が置かれており、あきらかに投石処刑になったモスレム女性の姿を描写したものだった。ビデオのリンクはこちら

私は以前から思っていたのだが、韓国の慰安婦問題で女性の人権云々の唱える自称フェミニストたちや、アメリカの大学で大学構内のレイプカルチャーなどとが成り立てる女学生たちは、何故本当の女性虐待の最たるものであるイスラム教を批判しないのだろうか。

第二次世界大戦中の慰安婦のことを「性奴隷」だったと批判している暇があったら、実際イスラム国やボコハランなどのモスレムによって略奪され奴隷とされたイラクのヤジーズ族やシリアのキリスト教徒やアフリカの女子中学生などについての批判をすべきではないのか。何十年も昔の話を掘り返して「二度と繰り返してはならない」などとくだらない像など建てて人権擁護の運動家みたいな自己満足だけして、今現在起きている女性虐待、人権迫害の事実に全く無関心な奴ら。

ま、韓国政府がそういうことをやるのは政治的な理由だから理解できるとしても、一般の韓国人やアメリカ人や日本人までもが、いつまでも慰安婦問題を取りざたする動機がまったく理解できない。

慰安婦像建設や日本政府による謝罪や保証を反対する人々の気持ちは無論理解できるが、私が反対運動すらもあまり興味が持てないのは、世界中で今現在起きている恐ろしい悲劇について、世界中の人々が目を瞑っているように思えるからなのだ。

シリア難民の件は日本には関係ないと思う人も多いのかもしれない。だが、これはシリア難民問題だけでは収まらない問題なのである。シリア難民は単なる症状なのであり、これはモスレム世界侵略の兆候なのである。それを理解しないと日本もいずれひどいことになる。ヨーロッパ諸国がモスレム国になったら世界中が第三諸国へと変化するのだ。

フェミストたちが現在の状況を男尊女卑だなどと贅沢に苦情を言ってるうちに、女性たちは全身をブルカで覆うことを強制され、イスラム教を信じない男女が奴隷として売買され、同性愛者は投石処刑される、などということが日常茶飯事になるのである。

イラク・アフガン戦争の頃は突撃派記者として米軍に従軍したりして活躍したマイケル・ヨンなど、本来ならヨーロッパの移民問題やシリア戦争などについての取材をしているべきなのに、東南アジアで細々と慰安婦問題の記事を書いているというのも、何か情けない気がする。

フェミニストと自負して全くモスレムの女性虐待に無言な人間など、フェミニストの風上にも置けない。

プラハに建てられたちゃちなマネキン人形のほうが立派な彫刻家による銅像なんぞより、よっぽども迫力がある。

October 31, 2015, 現時間 11:45 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 10, 2015

トロントの大学、男女共同シャワー室で男子生徒が女子生徒の裸を撮影

フェミニズム , 同性婚

ここでも何度か紹介したが、アメリカの各地でいわゆるバスルームビル(トイレ法)という悪法が提案されて問題になっている。この法律はトランスジェンダーの人々が自分が正しいと感じる性別のトイレやシャワー室や更衣室の使用を許可するというもの。テキサスやカリフォルニアでは反対派の強い抵抗に合い、11月に行なわれる選挙で市民の直接投票でその是非が決められる予定である。さて、PC派が優勢なカナダではいち早くこの悪法が施行されていたようだが、昨日トロントの大学で男女共同シャワー室で男子生徒が携帯電話のカメラを使って入浴中の女子生徒を隠し撮りするという事件が起きた。大学側はこの事件を真剣に取り扱い、男女共同シャワー室制度は一時的に停止すると発表した。

アホか!

性欲旺盛な大学生の男女を裸で同じ部屋に置いておいて何も起きないと思うほうがおかしい。だが、左翼リベラル典型メディアのタイムスの記事が象徴するように、トイレ法支持者はそんな心配は保守派の被害妄想だと主張している。

注意:タイムスは読者を混乱させるためにか「バスルームビル(トイレ法)」は保守派がトイレやシャワー室の男女共同使用制度を阻止するために提案したものだとしているが、一般にバスルームビルとは男女共同使用促進案のことを指す。混乱のないようにここでは保守派の提案は「反トイレ法」とさせてもらう。

保守派は(反トイレ法)は人々のプライバシーや公共安全のために必要だという。保守派の一部ではトランスジェンダーは妄想を持っていると主張する。「女だと思い込んでいる男が女子トイレに入ってくるなんてとんでもない」とメリーランド州の女性は2014年に行なわれたLGBTの非差別法の公聴会で供述した。しかしもっと一般的な議論は、トランスジェンダー女性に門戸を開けるということは、女性の空間に性犯罪者や十代の男子らの覗きを招き入れる危険があるというものだ。(略)

しかしそんな心配を正当化する根拠は全くない。(強調は本文より、カカシではない) すでにいくつかの州や学校区や企業が、トランスジェンダーの人々が自分らの性アイデンティティーと一致する施設の使用を保証する制度を施行しているが全く問題はおきていないという。革新派(カカシ注:左翼リベラル)のメディア注犬のメディアマタースが、この方針を施行している17つの学校区に、セクハラやわいせつ行為があったかどうか聞いたところ、そのような行為があったという話はまったくなく、(メディアマタースは)こうした心配は保守派や政治家たちが人々の恐怖を煽って自分らのLGBT恐怖症を隠そうとしているにすぎないと主張している。

保守派の被害妄想ね、トランス恐怖性人間が恐怖を煽っているだけね、

ハッ!

私がこういう公聴会で質問を許されたなら、ひとつ聞きたいことがある。

「この制度において、トランスではない普通の男性が自分はトランスだと言い張ったばあい、彼の女子施設への入室は許可されるのか?」

ということだ。いまや小型カメラは誰もが持っている時代。普通に歩いていても女子のスカートの下からパンツの撮影をするようなけしからん変態男がいくらもいるというのに、女子シャワー室に男子の入室を許可しておいて、女子生徒の裸の隠し撮りがおきないと思うほうがおかしい。この事件は起こるべくしておきたことと言える。

メディアマタースが調査したという学校区の関係者たちの証言も当てにならない。彼らはこの法律を完全支持している人々であり、実際に問題が起きているなどということを公表するはずがない。実際に警察沙汰にでもならない限り、問題が起きても学校側や教育委員会がもみ消す可能性が大である。すでに被害を受けている女子生徒や父母たちが脅迫されて沈黙を強いられているとも考えられる。

このトロントの大学での事件は、トイレ法反対派には非常に良い例として、今後の反対運動に多いに使ってもらいたい。

October 10, 2015, 現時間 11:41 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 4, 2015

政治トークショーでトランスジェンダー(女装男)に挑戦して脅迫された保守派評論家の反撃

フェミニズム

以前にもピアース・モーガンの反銃所持姿勢に真っ向から挑戦して圧勝した保守派政治評論家のベン・シャピーロが、三ヶ月ほど前にテレビのトークショーで番組の途中で別のゲストであるトランスジェンダー(女装男)から首をつかまれ脅迫されるという事件があった。これだけならさほど話題にはならなかっただろうが、番組の翌日シャピーロはこの女装男を傷害罪で警察に訴えたことで大きな話題となった。

ことの起こりは今年の7月、CNNのドクタードリューという政治討論会番組で、左翼リベラル6人対保守派のベン・シャピーロ一人と言う公平なゲスト構成での討論で、元オリンピック陸上金メダル選手のブルース改めケイトリン・ジェナーがアーサーアーシュ賞に輝いたことについての話しが出た。シャピーロ以外のリベラルたちはジェナーのことを褒めちぎっていたが、それに対してシャピーロは、「なぜ妄想を祝福するのだ」と疑問を投げかけた。

シャピーロは、ジェナーの遺伝子はどの細胞をとってみてもXYという男子であり、ジェナーは男性器も取り除いていないレッキとした男性であり、精神病患者の妄想を奨励するのはおかしいと話しはじめると、シャピーロの隣に座っていた元男性リポーターで今はトランスジェンダーでゾーイ・ターと名乗る女装男が「あなたは何を言っているか解っていない、遺伝子で性別が決められないことは誰もが知っている。あなたは遺伝子の知識などない、、」と責め始めた。それに答えてシャピーロは、「あなたの遺伝子は何ですか、サー?」と問いかけた。「サー」というのは男性に向けられる敬称で、尊敬をこめた丁寧な言葉遣いである。シャピーロは決して皮肉で言ったのではなく、意見の違う相手に敬意を評しての言葉使いをしたのであるが、ターは男の敬称で呼ばれたことに激怒し、シャピーロの首筋をつかんでシャピーロを自分のほうに引き寄せ、「それは止めろ、さもないと救急車で送り返すぞ」と脅した。

このおよそ文明人と思えない行為にシャピーロはびっくりして、「それは政治討論会にふさわしくない発言ではありませんか?」と上品な態度を崩さずに質問した。

シャピーロは後に、このビデオをみた母親が「レディとは思えない態度ね。」と感想を述べたことに対し、自分はターの失礼な態度に驚いたため、即座にそういうことは思いつかなかったと語っている。それは当然だ。シャピーロは男なのでターの下品ではあるが男としては珍しくない態度を不思議に思わなかっただけだ。実はこのビデオを見た女性であるカカシの反応もシャピーロのお母さんと同じだった。

後にターをインタビューしたリポーターはターが「普通の女性なら当然な反応をしめしただけよ。」と答えたといっているが、これこそいかにターが女性を理解していないかを顕著に表している。

普通の女性は意見の違う相手に対して暴力的な脅迫はしない。特に相手が男性ならなおさらである。それは物理的に身体も大きく筋力も強い男性に女性は腕力では対抗できないからである。たとえ相手が同じくらいのサイズの人間でも男と女の筋力は比べ物にならない。だから女性は男性と立ち向かうとき、暴力ではなく別なやり方で応戦するのだ。

ターは女装しているとはいえシャピーロよりもずっと図体がでかく腕力もありそうにみえる。理論上で戦えない野蛮な男なら小柄なシャピーロを暴力で威嚇するのはオスとして自然な行為である。だがターが本当の女性であれば、たとえシャピーロが小柄でも男性に対して暴力で脅迫するなどということは普通ありえない。そんなことをしても男性には真剣にあつかってもらえないし、第一女性には男性にないもっと強力な武器があるからだ。

同じ討論会に参加していた本物の女性は、シャピーロのようなトランスに対する憎悪がトランスジェンダーたちの自殺につながるのだ、と感情に訴えた。シャピーロの単なる意見を「憎悪」にすりかえ、トランスたちの自殺をシャピーロのような意見が原因だと罪悪感を押し付ける、卑怯ではあるが、非常に女性的な攻撃である。普通の女性ならこういうふうに感情に訴えた応戦をする。ターのやり方はいじめっ子男子の典型であり、およそ普通の女性の対応ではない。

シャピーロは常に左翼リベラルによる反対意見弾圧を「ブリー」という言葉で表している。「ブリー」とはいじめっ子という意味だが、「いじめる」という動詞にも使われる。シャピーロは左翼リベラルのブリーには断固戦う必要があると述べているが、今回もターの脅迫を警察に訴えるというやり方でシャピーロは左翼リベラルのブリーに応戦した。

無論左翼リベラルの間ではシャピーロが腰抜けだとか、警察い訴えるなど女々しいとか批判しているが、もしもこれが反対にシャピーロが女装男の首をつかんで「黙らないなら救急車で送り返すぞ」などとやった日には、いったい何秒番組で持っただろうか、とシャピーロは後に番組の司会者であるドクタードリューに質問している。

保守派の正当な意見をハラスメントだ人種差別だと大騒ぎする左翼リベラルも、自分らの行為を批判されると相手の反応が大げさだと言う。ひとりのリベラルリポーターなどシャピーロこそが「ブリー」だと言い張る。6対1の討論会で袋叩きにされながら整然と反対意見を述べたシャピーロにゲストの一人が暴力で脅迫したのに、シャピーロこそがいじめっ子だという。

さすがリベラルならではの屁理屈だ。

October 4, 2015, 現時間 5:18 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 27, 2015

本当の女性虐待よりネット上の言葉の暴力を規制すべきと言う現代フェミニストの偽善

フェミニズム

ブレイトバートニュースでMilo Yiannopoulosが、国連フェミニスト団体がネット上での女性に対する暴力を規制すべきという訴えをしている記事を報告している。

この「女性や少女に対するネット上の暴力」云々というキャンペーンは、彼女達の求める言論規制にに従わないサーチエンジンは政府によってアクセスを禁じるべきという訴え。で、どのような女性にたいする暴力的な言論や画像や動画が規制されるべきだというのかといえば、

UNはどのような内容を規制すべきだというのだろうか?ISISの勧誘ビデオ、たとえば女性を強姦と奴隷の生活におびき出すような?シリアからの処刑ライブストリーム?復讐ポルノやスナッフビデオ?ウェッブは危険でトラウマを起す内容には事欠かない。不均衡に女性に悪影響を及ぼす内容が満載されている。

とミロは書く。全くその通りだが、フェミニストがそんなことに興味があるはずがない。国連フェミニストたちが規制したいのはフェミニストの発言に対する批評である。国連で発言したフェミニストのアニータ・サーキーシアンによると、ネット上の「ハラスメント」は違法とか合法に関わらず、毎日のように「嘘つき」「お前は駄目な奴だ」といった暴力的で嫌悪に満ちた発言やそうした発言を含むビデオに問題があるという。

ユーチューブでフェミニスト関連のビデオを見ていると、確かに馬鹿げたフェミニストの考えを批判するビデオがいくらでもある。しかしどのビデオでもフェミニストたちを暴力で脅迫するような内容は見当たらない。実際フェミニストたちの主張は馬鹿げたものが多いから、暴力的な脅迫などしなくても、いくらでもいわゆる「つっこみ」を入れる隙がある。彼女達の言ってることをそのまま繰り返すだけで、いかに彼女達が馬鹿げているかが顕著になるので批評すら必要ない気もする。

ま、とにかく、であるのでフェミニストたちはそういう真実の暴力や脅迫の犠牲にはなっていないので、彼女達はハラスメントとか脅迫の定義を変えようとしているのだ。つまり、アニータ・サーキーシアンによれば「お前は駄目な奴だ」という単なる批判が「ハラスメント」ということになり規制の対象になるというのである。

ゾーイ・クィンというフェミニストはパトレオンというサイトで月々3000ドルも集めて、世界中を飛び回っていかに自分が「ハラスメント」の犠牲になっているかという講演を行なっている。だが、実際に彼女が誰によってどのような犠牲になっているかその実態はつかめていない。

つまるところ、フェミニストたちは実際に世界で起きている恐るべき女性虐待には全く目を向けず、自分たちのフェミニストアジェンダへの批判の声を押しつぶそうとしているのである。ひ弱な女性たちが自分らの弱さを認められずに「いじめないで~」と悲鳴を上げているだけなのだ。

彼女達は口だけは威勢がいいが、実際に女性虐待の悪と戦う勇気などまるで持ち合わせていない。本当の悪には立ち向かう勇気がないから存在しない架空の悪と戦おうとする。そしてその戦い方は反対意見との議論ではなく、反対意見弾圧である。自分らの勝手な妄想をただただ独り言のようにつぶやき、いやが鳴るたて、聞きたくない我々に無理やり押し付ける。自分だけで正義ぶってる偽善者なのである。

September 27, 2015, 現時間 4:07 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 25, 2015

中絶した胎児の臓器販売がばれたプランドペアレントフッド、政府からの補助金は停止されるべきとフィオリナ候補

アメリカ内政 , フェミニズム

共和党から大統領に立候補しているカーリー・フィオリナ女史は、前回のフォックスニュース主催の討論会で中絶した胎児の臓器を販売していたことがばれたプランド・ペアレントフッドへの政府からの補助金は差し止めるべきだと主張した。これに対してプランド、、の方はフィオリナが表現した隠しビデオの内容は事実ではないと反撃している。

プランドペアレントフッドというのは妊娠人工中絶施設で一応非営利団体として政府から多額の補助金をもらって経営されているが、最近になって中絶した胎児の臓器を病院や医療研究所に販売していたということが、保守派の団体が臓器の顧客を装って隠し撮りしたビデオによって暴露された。これについて詳しく日本語で書いているサイトがあるのでご参照のこと。

2014年7月、PPが堕胎する女性に赤ちゃんの臓器や細胞の販売を持ち掛けているのではないかとの噂に動き出したのは、医療専門家とジャーナリストで構成され、医学の倫理と進歩について監視活動を続けている「The Center for Medical Progress」という団体であった。2名がバイオ医薬品企業の社員のふりをし、ロサンゼルスのレストランでPPのシニアディレクターであるデボラ・ニューカトラさんとビジネスランチ。それを隠しカメラが撮影し続けたのであった。

グラスのワインをかたむけながら説明するデボラさん。「堕胎した赤ちゃんから摘出された臓器や細胞を欲しがっている人が世の中には大勢おり、時には下肢や筋肉まで求められている。中絶を行うウチの施設では、潰さないよう気を付けながらそれらを摘出している。特に心臓、肺、肝臓に関しては評判がよい」などと語っている。

アメリカの連邦政府は人工中絶を合法として認めているが、多くのアメリカ人が宗教的な理由から中絶には反対している。単に中絶を合法とするだけならまだしもだが、PPのような中絶施設を税金で補助するというのは中絶反対の有権者にとっては非常な憤りを感じる。しかも、そのPPは非営利団体と名乗りながら、堕胎した胎児の臓器を販売して大儲けしていたというのだから許せない、と思うのは当然。フィオリナはそういう保守派の人々にPP政府補助金の差し止めを訴えているのである。

共和党議会もPPへの補助差し止めの法案をすでに提出しているが、上院のミッチ・マカーノ議員は腰抜けなので、上院でこの案が通ることは先ずないだろう。よしんば通ったとしても、オバマ大統領は大統領否決権を使って否決すると宣言している。

8月に行なわれた世論調査では63%の有権者がPPへの補助金差し止めに反対と答えているが、主流メディアが臓器販売の隠しビデオについてほとんど報道していないので、どれだけの有権者が臓器販売スキャンダルを知っているのかかなり怪しい。共和党議会がオバマや民主党に屈せずに法案を推し進めれば、メディアもスキャンダルについて語らざる終えなくなる。そうなれば国民のPPへの支持も減るのではないだろうか。

共和党の体制派ははなからこの法案を通す戦いには尻込みしている。だが、保守派共和党員の間からは、これは戦う価値のある法案だという声が高まっている。それでもマカーノ議員が提案を進めるのを拒否すれば、共和党上院リーダーの座を失う可能性がある。私はいい加減マカーノにはやめてもらいたいと思っているので、これはいい機会かもしれない。

September 25, 2015, 現時間 12:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 21, 2015

女性の自己防衛は強姦防止効果があるのに抵抗が強いのは何故か

フェミニズム , 教育と政治

最近フェミニストの間では大学構内で強姦が蔓延しているという神話がまことしやかにささやかれている。囁くというより喚かれているといった方が正しい。女子学生は大学在学中の四年間で強姦にあう可能性が20%以上もあるという似非調査が幅を利かせているのだ。実はこの調査は嘘八百というかものすごくひどい調査なのだが、ま、それはそれとして置いといて、女子生徒を強姦魔から守ろうと自衛教室を設けその効果について調査した大学がある。その結果、自衛は非常に役立つという結果が出た。ところが何故かフェミニストたちからは自衛を奨励するどころか批判する声の方が多く聞かれる。

ニューイングランドジャーナルオブメディスンに発表された調査によると、女子大生に性犯罪の兆しに気がつく訓練及び性的攻撃に抵抗する術に関する徹底した訓練を施したところ、次の年、この訓練を受けた女性は受けなかった女生徒に比べ46%近くも強姦にあう可能性が減ったというもの。

この訓練の中で一番効果があったのは、女生徒たちに性犯罪が起きる状況を避ける術を教えたこと。つまり、どういう状況が危険であり、どのように状況がエスカレートするのを防ぐかという知識を与えたことにある。

女性の人権向上を建前にしているフェミニストたちが何故この訓練に関して批判的なのかといえば、性犯罪防犯の責任をすべて女性に託しているということにある。襲われた時にどのように自分を守るかということを教えるのは、強姦は起きるものなので女性はそれに備えるべきという前提があり、男性に強姦をしないように教育するということが欠けているというものだ。これは病気に例えるなら、病原を取り除かずに病状だけを治療するようなものだというのだ。

こういうことを言う人に聞きたいのだが、じゃあ、あなた方は出かけるときに家の鍵をかけないのかと。

はっきり言ってだ、野蛮なイスラム社会じゃあるまいし、アメリカの大学に通っている男子学生が強姦が悪いことだと知らない訳はない。大学生にまでなって学校で「強姦は犯罪です。やってはいけません」なんて教えられなきゃ態度を改められないような人間は文明人の資格はない。そういう状況であえて強姦に及ぶような不道徳な人間にはそんな教育は意味がないだろう。

しかし、女性が自分の態度を改めて強姦を防ぐということは、強姦魔に「私ではなく、別の子を強姦してよ」という言うようなものであり、強姦を減らすことには役立たないという意見もある。だが、女子大生たちが自衛に非常な神経を払い自衛訓練なども受けていれば、大学構内における強姦の数を減らすことは出来るはずだ。「別の子」が居ないような学校になることに勤めればよいではないか、何故それがいけないのか?

フェミニストの言うことは洋の東西を問わず個性がない。これはずっと以前にカカシが出会った自衛は害あって益なしと唱えていた日本のフェミニストたちの言ってたことと全く同じである。

無論我々はフェミニストたちの建前を信じてはいけない。彼女達の本当の目的が女性を守ることにあるなどと間違った考えを持つと彼らの行動の意味が理解できくなる。だいたい現代フェミニストたちはフェミニズムより社会主義のファシストだ。彼女達の本当の目的は人々をコントロールすることにあるのだ。

社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。

アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。

左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。

学校側がどれだけ自己防衛教室などを設置しようと、フェミニストたちの学校批判は収まらない。彼女たちの目的は架空の強姦文化を推し進めることによるフェミニストのコントロールする学校体制をつくることにあるのだ。

June 21, 2015, 現時間 2:03 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 14, 2015

人種は生まれつきだが、性別は社会的建造だと言える左翼リベラルの倒錯した理屈

フェミニズム , 狂ったメディア , 科学

昨日も紹介したが、レイチェル・ドレンザルという地方黒人人権団体の幹部を務め、大学で黒人学の教授までやっている、いわゆる黒人の人権活動家である女性が実は白人だったという話が今ものすごい話題になっている。特に元オリンピック男子陸上金メダリストのブルース・ジェナーが性転換中を発表した直後のことだったこともあり、男が髪型を変えて化粧してドレスを着れば女だということになるのなら(ジェナーは性別適合手術をまだ受けていない)白人が髪型を変えて黒っぽい化粧をすれば黒人ということになるのではないか、という問いかけがあちこちでされている。だがこれについて、黒人運動家の間からは、ドレンザルとジェナーを比べるのは筋違い。人種は生まれつきだが性別は社会的創造だ、と平気で言い張る輩がいて全く笑っちゃうのであった。

白人のレイチェル・ドレンザルが10年近くも黒人として生きてきたことに関して、ドレンザルは気がふれていると主張する意見が多く聞かれる。ツイッターでは“dolezal crazy” (クレイジー)とか“dolezal nuts” (気違い)といったハッシュタグには多くの意見が寄せられている。

それについてフェデラリストのショーン・デイビスは、

ドレンザルがしてきたことと、ジェナーが現在していることと、いったいどういう違いがあるというのだ?レイチェル・ドレンザルは黒人ではない。ケイトリン(ブルースの女性名)ジェナーは女ではない。(略)レイチェル・ドレンザルが洋服を変えメーキャップを変え髪形を変えても黒人にはなれない。明らかな理由から皆それにはほぼ同意している。赤をいくら青を呼ぼうとも赤は魔法のように青には変われない。

にもかかわらず、左翼やメディアはブルース・ジェナーが名前を変えて洋服を変えてメーキャップをかえて髪型をかえただけで、女に変われると言い張る。どうもってくればでジェナーは英雄だがドランザルは精神病患者だという理屈が成り立つのだ?

『ドレンザルが白人として黒人運動に参加していたなら問題はないが、黒人の振りをしていたことに問題がある』と書いているツイッターに対し、デイビスはジェナーがガールスカウトの指導員になるのは問題ないのかとたずねたところ、返事は「ケイトリン・ジェナーは女性の振りをしているわけではない」という返事が返ってきた。

ちょ、ちょっとまったあ、多少でも事実を把握できる人なら、何の手術を受けてない(手術をしたからといって染色体を変えられるというわけではない。染色体のみが性別を確定できる。)ジェナーが女性の振りをしているわけではないって? いったいどうすればジェナーがやっていることとドレンザルがしてきたことが酷似している事実に気がつかないでいられるのだ?ほぼ一夜にして人種は社会的建造であり性別は生物学的建造であるという観念が逆転してしまったようである。

デイビスが言うように、単なる女装男が自分は女だと主張しただけで社会が彼を女だと認めなければいけないというのであれば、自分は黒人だという白人の主張も認めるしかない。それがいけないというならその理由をはっきりさせるべきだ。

もっとも左翼リベラルがきちんとした理屈で反論など出来るわけはない。彼らの反応はジェナーとドランザルを比較すること自体がトランスフォビアでありレイシズムなのだ、やめろ~!である。議論できないと相手を差別者扱いして黙らせるのが左翼リベラルの常套手段。

それよりは、まだましな議論をしている場合でも、これなんか読んでいて私は笑ってしまった。要約すると、「トランスレイシャル」という観念は、黒人としての差別とか弾圧とかいった体験を肌で感じたことがない人間が、黒人の特権だけを利用する行為だ。こういう行為は人種のステレオタイプを促進することに他ならず、黒人の振りをしさえすれば黒人であることを「感じる」ことが出来るという誤った観念を広めることになるというもの。

あれ~?この議論、どっかで聞いたことないかあ?「トランスレイシャル」を「トランスジェンダー」に置き換え、「黒人」を「女性」に置き換えれば、これはラディフェムがトランス女について言ってることとそっくりそのままではないか?

はっきり言って、白人が黒人の振りをしたからといってそれほど害があるとは思えない。こんなことは、政府や大学や企業が少数民族に対する特別扱いを止めれば済むことだ。白人であろうと黒人であろうと東洋人であろうと、大学入試の合格点数が黒人のほうが白人や東洋人よりずっと低いとか、就職の際に黒人が優先されるといたことさえなければ、誰がどんな肌の色で暮らそうと社会的な影響は全くない。

だが、男性が女性として女性社会に侵入してくることの弊害は膨大である。時を同じくして女子MMAのトランス女選手ファロン・フォックスが相手のタミカ・ブレンツに対して圧倒的な勝利を遂げた際、ブレンツ選手に大怪我を負わせるという事件が起きた。ブレンツ選手はこれまで色々な女子選手と戦ってきたが、このように圧倒的で強烈なパンチを受けたのは初めてだと、男子と女子の肉体的な莫大な違いについて語った。

もうすでにトランス女による女子スポート侵略は始まっている。どれだけ女装しようと男は男だ。女子が男子とまともに立ち向かって勝てるはずはない。単に試合に負けるだけならまだしも、これは女子の安全に関わることである。トランス女を女子スポーツに参加させることは女性虐待である。女性差別である。

ま、そのことについてはまた後日話すとして、トランスジェンダーが認められるならトランスレイシャルも認めるべき。この二つは切っても切り離せない関係にあるのだ。単に相手をトランスフォビアとかレイシストと呼ぶだけでは解決できない問題である。

June 14, 2015, 現時間 10:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 13, 2015

黒人を装って地方黒人団体幹部になっていた金髪の白人女性

フェミニズム , 人権擁護法

事実は小説よりも奇なりとはよくいったもので、地方黒人団体の幹部として活躍していた黒人女性が、実は全く黒人の血が混じっていない生粋のヨーロッパ系白人であることが、彼女の両親によって明かされるという事件が起きた。

NAACPという黒人市民団体のワシントン州スポケーン支部の支部長で、地元大学の教授でもあり、地元警察の市民代表までやっているレイチェル・ドレザルという女性が、実は白人だったことが先日両親の告発によってあきらかになった。両親によるとドレザルはチェコ、スエーデン、ドイツ、の血統で、多少アメリカインディアンの血が混ざっているが、アフリカ系の血は全く混ざっていないということだった。レイチェルの両親は黒人の子供を四人養子にしたが、その頃からレイチェルは黒人を装うようになったという。レイチェルはもう何年も黒人として生きてきたのだ。

ドレザルは黒人であることで色々差別を受けたとか言って、地元警察に人種差別の被害届などをいくつも出したりしていた。それが原因で彼女の背景が明らかになってしまったというわけ。

だがここで、金髪の白人女性が、髪の毛を染めてアフロにし肌の色を黒くしてまで、何を好んで黒人を装う必要があるのかという疑問が生まれる。アメリカという国の住人でない日本の読者諸氏の間には、アメリカ左翼メディアが垂れ流す『アメリカではいまだに黒人差別がひどい』というプロパガンダを信じている人もあるだろう。だが現実はその反対。以前にも何度かお話したように、アメリカでは過去の人種差別を是正するという目的でアファーマティブアクションなる法律がある。大学入学や就職や昇進に関しても、白人であるより黒人や女性やその他の少数民族であったほうが有利な場合が多くある。(例外は東南アジア系以外の東洋人、中国人、日本人、韓国人は少数民族としての特別扱いは受けない、というよりかえって差別される。)

特に大学教授のように競争率の激しい職種になると、白人であるよりなんらかの少数民族であったほうが仕事を得やすい。以前にエリザベス・ワレンという大学教授が自分はアメリカインディアン系の血筋だと嘘をついて教授の座を得たというスキャンダルもあった。

実は左翼リベラルで特に人権運動に携わる白人の中では、何かしらの少数民族を装う人は結構居るという話だ。だいたい何かの血筋が1/16なんて人なら、見た目では何人種なのかわからない。私のソーシャルメディアの友達の女性は、自分もかなり色白の黒人だが、彼女の旦那さんもやはり色白のラテン系。それで二人の間に生まれた子供二人は金髪で見た目は完全に白人。黒人とラテン系の混血には全く見えない。

はっきり言ってアメリカ人なんて多かれ少なかれこういう人が多い。だから人種なんて全く意味がないと私は思うね。それなのに人種によって特別扱いしたり差別したりということが起きるのは、本当に馬鹿馬鹿しい限り。だが、一番そういう人種差別を行なっているのが何と言っても左翼リベラル及び黒人やラテン系の人権団体なのだ。

さて、この話がブルース・ジェナーの性転換の話の直後だったこともあり、男が自分は間違った性の身体に生まれたと宣言さえすれば女だということになるのなら、自分は間違った人種に生まれたと宣言した人が別の人種として生きて何が悪いんだということになる。という議論があちこちで聞かれる。

人種は性別と違って本当にどうでもいいことだから、かえってこっちのほうが説得力あるように思うね。

June 13, 2015, 現時間 2:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 11, 2015

トランス社会の台頭にたじたじの情けない現代フェミニズム

フェミニズム

ここ数回の選挙運動で民主党は共和党が女性に戦いを挑んでいるというプロパガンダを流し続けている。大学などでは在りもしない強姦文化/レイプカルチャーが話題になり、無実の罪を着せられた男子学生が大被害を受けたり、女子学生の繊細な神経を逆撫でするような講義はあらかじめ引き金警告(トリガーワーニング)をするようにとか言われて、大学教授たちはびくびくでまともな授業が出来ない有様。だが、実際にフェミニズム及びは女性全体に戦いを挑んでいるのは共和党や保守派や男子大学生などではなく、超過激派左翼のトランスジェンダー活動家たちなのである。

この間ニューヨークタイムスのオプエドに載ったエリノア・バーケット女史のコラムがそれを如実に現しているので、ちょっと読んでみたい。バーケット自身フェミニストのジャーナリストで、元女性研究学の教授。ドキュメンタリー映画製作でアカデミー賞を受賞したこともある。

彼女のコラムの題名は「何が女性を作るのか?」という直訳になるが、要するに「女性とは何ぞや」という意味だ。

まず、最近性転換中であると発表した元男子陸上10種目の金メダリストブルース・ジェナーが、自分は女性の脳を持っていると発言したことに対し、女性と男性では脳が違うのか、とバーケットは問いかける。

一昔前、ハーバード大学のローレンス・H・ソマーズ教授が男女の頭脳は違うという学説を発表して大批判を受けたことがある。教授はすぐさま男女差別者だといわれ同僚からは総すかんを食い、卒業生徒会からの献金が取り下げられるというひどい罰を受けたりした。

それがブルース・ジェナーが自分は女性の頭脳を持っているというと、いまや左翼リベラルたちはジェナーを聖人かなにかのように崇め奉っている。

カカシ自身は女性と男性では頭脳の働きが違うという説は納得がいく。女性と男性では同じ問題を解いているときでも脳の別の部分を使っているという研究を読んだことがある。また、男性は距離感覚に長けているので、縦列駐車とか女性よりもはるかにうまい。だが女性は言語面に長けているので、外国語を覚えるのは女性のほうが早い。これは別にどちらの性の頭脳が優れているとか劣っているとか言う意味ではない。生物学的に男性の頭脳と女性の頭脳を区別することはペットスキャンを撮ればわかるらしい。だが、ジェナーがそういう身体検査を受けたという話は聞いていない。

バーケット女史が腹を立てているのは、彼女自身がフェミニストとして身体の面では男女の違いは明らかであるが、頭脳の面では男女差はない、男女は平等だと何十年にも渡って主張しつづけ戦ってきたことをトランスたちが破壊しつつあることである。また、ジェナーが女装してバニティーフェアという女性雑誌に胸を押し上げたコルセットを着て女性のステレオタイプな姿で現れたことに関しても、女性の価値は外見だけではないと主張しつづけてきたバーケットの怒りをさらにかきたてる。

私の68年間の人生のほとんどの間私は女性たちの、我々の頭脳、我々の心、我々の身体、そして我々のムードすらもひとつの小さな箱におしこめ作り上げられたステレオタイプと戦ってきた。それが突然私が味方と思っていたひとたちが、自分たちを革新家だと誇るひとたちが自己の信念を熱烈に支持するという人たちが、女性と男性の頭脳における些細な違いによって人々の人生は最初から決められているという考えを受け入れてしまっている。

このようなナンセンスが何世紀にも渡って女性を弾圧してきたのだ。(略)ジェナーやソマーズによって我々は定義されない。それは男性が非常に長い間してきたことだ。

バーケットはトランス女が男性を捨てたいというならそれは勝手だが、自分らのの威厳を獲得するために女性たちの威厳を踏み潰すようなことはやめてもらいたいと語る。

カカシ自身、バーケットの意見には賛成だ。トランス女たちが自分たちのことを昔から女性と感じていたと語る時、彼らにとって実際に女性であることの意味などわかるはずがない。バーケットはビジネス会議の時に男性が自分の胸を見つめていたり、セックスの後でバースコントロールピルを飲んだかどうか忘れた恐怖や、混みあった電車の中で突然生理が来たときの困惑や、同僚男性の給料が自分よりはるかに多かったり、体力の差から強姦魔を恐れる気持ちなど、トランス女たちにそんな女性体験は一度もないという。

女性として生きるということは、一生を通してこういう体験をしてきたということにある。トランスジェンダーの人々がやたらに誇張する女性らしさとは程遠いものである。

だいたいからして、ブルース・ジェナーは男性としての特権をフルに生かして生きてきた典型である。ジェナーは若い頃から運動神経が発達していて、大学でも陸上の奨学金で推薦入学。女性で運動競技の奨学金をもらって大学入学するのは非常に難しい。女子スポーツは男子スポーツより虐げられているのは現実。特にジェナーが大学に行った1970年代なら今よりずっとひどかったはず。オリンピック選手としてのトレーニング中も、ジェナーは女子運動選手のようにウエイトレスのアルバイトなどする必要はなかった。背も高く立派な体格のジェナーは夜道を歩いていても何も恐れることなどなかったはず。ジェナーは1976年当時世界一のアスレートだったのだ、男の中の男だったのだ、そんな人間に女性の何がわかるというのだ?

女性の頭脳というのは色々な女性体験を元に序々に形成されたものだとバーケットは言う。

「私は間違った身体で生まれてしまった」というのも非常に侮辱的だとバーケットは言う。あたかも女性は乳房と膣によって定義されるかのような言い方だ。

バーケットはラディフェムなので彼女自身も左翼リベラル。であるから少数派の権利をやたらに主張するという面ではトランスジェンダーたちに同情する面もあると語る。だが、トランス活動が主流化するにあたり、どうしても問題になるのは、トランス女たちが自分たちの権利を「女性の権利」として主張することにある。トランスジェンダーの運動は、一般社会からの差別をなくすというよりも女性たちに対して、女性という定義を改定せよと求めるものだ。

最近では女性や女性専門用語を使うことがトランスフォビアだと責めたてられる例がいくつもある。たとえば、2014年1月、人工中絶権利の運動家マーサ・プリムトンが「1000の膣の夜」という催しを主催したとき、「膣」という女性性器の言葉を使うことで膣を持たないトランス女を阻害することになると大批判を受けた。その批判にも負けず「膣」という言葉を遣い続けると主張したプリムトンはターフ(トランス疎外者)というトランスが作り上げた侮蔑的な形容詞を投げかけられた。膣がなければ妊娠できない、そんな女に人工中絶は必要ないだろうが、そういう常識が通用しないのがトランス社会。

この「膣」という言葉が問題になった例として、1990年代にフェミニストの間で大人気になった「ザ・バジャイナモノローグス」(膣の独白)という芝居がある。これは女性独特の性体験について数人の女性たちがそれぞれ語るお芝居。それが、2015年の1月、マウント・ホーリーダイク女子大学では、このお芝居が「女性であることに関して非常に狭い見解を持つもの」という理由で上演をキャンセルした。

トランス女たちは「膣」という言葉を使わず「正面の穴」とか「体内性器」とかいう単語を使えと主張しはじめた。女性性器を穴扱いするな!と私は言いたいね!こういういことを言うことこそ女性を尊敬していない証拠。

最近では「女性」という言葉すら差別用語だと批判する輩が出てきた。拙ブログでも以前に紹介したが、中絶専門の医療センターで「女性」という言葉使いをしないようにと働きかける運動がある。その理屈は中絶は女性だけの問題ではないからというもの。もしこれが中絶の決心は父親にも関係があるというなら解るが、そういう意味ではない。ここで言う女性以外の人というのは、生物学的に女性として生まれながら生殖器だけは残して男性として暮らしていながら妊娠したトランス男たちのことを指している。

以前にも言ったが、女性として究極の役割である妊娠出産をあきらめることが出来ずに、自分は男だと主張する人間の精神状態は明らかに異常である。しかしこれらの異常者からの圧力で女性専門医療センターが「女性」という言葉使いが出来なくなっている。

また、女子大学ではトランス男たちの扱いで複雑な状態が起きている。私から言わせれば自分は男だと言い張る人間が何故女子大にいるんだと思うが、彼女たちは自分は男だといいながら女子大の生徒会などで活躍しているというのだからよくわからない。自分は女だと言い張るトランス女たちを受け入れている女子大はあるのだろうか?

女子大でもエリート中のエリートウエルスリー大学では生徒たちの間から「姉妹愛」や「彼女」という代名詞を使わないようにという要求が多く出てきているそうだ。

今や女性という概念を正しく定義つける権限はトランス人間だけに与えられた特権となったのか、トランス人間以外に本当の女性は存在しないのか、とバーケットは問いかける。

もしトランス社会の目的が男女という二つに一つのステレオタイプを壊すことにあるのであれば歓迎するが、もしそれが女性であることのアデンティーを弾圧しこれまでの女性運動の葛藤や苦労を消し去ろうというのであればそれは絶対に受け入れることは出来ないとバーケットは言う。

現実は、まさにバーケットが恐れるとおり。トランス運動家たちの目的は女性という定義の破壊だ。女性の権限弾圧だ。フェミニストたちが男女には全く差がないと主張した時からこの運命は決まっていた。男女は明らかに違うが、それを認めたうえで差別しないという方針を取っていればこういう道にはつながらかっただろう。

今、若かりし頃のブルース・ジェナーのような男子陸上選手が自分は女だと言って女性競技への参加を主張したらどうなる?今後女性競技は全てトランス女によって占拠されてしまう。女性競技は破壊される。

トランス女を女性として認め受け入れることは女性運動を完全に破壊するのみならず、女性の立場を極端に弱める方向へとつながる。女性人権の弾圧につながる。トランス女ほど男尊女卑のグループも存在しない。彼らは普通の男性よりよっぽど差別意識が強く偏狭で汚らしい運動家たちである。そういう意味で普段はラディフェムとは相対する意見を持っているカカシだが、ことこの件に関しては私はラディフェムを全体的に応援したい。

June 11, 2015, 現時間 1:22 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 7, 2015

ブルース・ジェナーの性転換は単なる売名行為

フェミニズム , 同性婚 , 科学

元オリンピック陸上競技金メダリストのブルース・ジェナーが今流行りのトランスジェンダーだと告白してメディアは大騒ぎ。整形手術後(まだ未完成らしい)の写真をファッション雑誌で公開した姿が美しいと評判。

は!どこも整形していない普通の男性だって女装して厚化粧してプロの写真家に撮ってもらえば信じられないほどきれいになるし、それにくわえて多々のエアブラッシやフォトショップでいくらも欠点は補える。こんな写真だけ見ても本人が実際に女に見えるかどうかはかなり怪しい。

トランス女を本物の女性として扱うかどうかという点については賛否両論がある。無論私は性転換手術なんか受けようという人は精神病を患っているのであり、その精神病に迎合するような態度を社会はとるべきではないと考えている。実はそれについて色々書こうと思っていたところ。

しかしながら、ジェナーに対する応援にしろ批判にしろ、ジェナーの本当の目的は人々の話題の種になることにあった。

ミスター苺は、ジェナーが金メダルを獲った当時、ジェナーは国民的英雄として人気の的だった。スポーツ選手を宣伝に使う朝食シリアルの箱に顔写真が載ったり、今風に言えばイケメンが幸いしてコマーシャルやバラエティーショーやトークショーなどひっぱりだこだった。しかしそれはもう40年以上も前の話し。それ以後は俳優に転向するでもなく、スポーツキャスターになるでもなく、今の若い人で陸上選手としてのジェナーを知っている人は少ないと思う。

最近のジェナーはキム・カダーシアンというリアリティーショーの美女ヒロインの継父ということでテレビに出演してはいるものの、あくまでも脇役。これといった名声があるわけではない。

ところが、自分はトランス女だと発表した途端、左翼リベラルメディアや芸能人やひいてはオバマ王までジェナーは英雄だとか勇敢だとか訳のわからない賞賛を浴びせ、今やジェナーは一躍トップスターの座に押し上った。ジェナーの演説講演費はトランス発表前の4倍の額になったというし、ジェナー主役の性転換の過程を追ったリアリティテレビ番組の公開も真近いという。

単なる売名行為だけのためにここまでやるか、という疑問もあるかもしれないが、大昔中国では宦官(かんがん)といって、自ら去勢して宮廷勤めをする人間が多く居た。宦官になることよって出世し莫大な権力を得る可能性があったからだ。タイでは今でもトランスは職業みたいなもの。同性愛者でも性同一性障害でもない男性が金儲け目的でトランス手術を受けることが後を絶たない。

そう考えれば名声や金儲けのためにトランス女になることをジェナーが決意したとしても、今の時代変態的な行為ではあるといえ、全く理解できないこともない。

まったく不思議な世の中になったものである。

June 7, 2015, 現時間 4:34 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 17, 2015

去勢男たちに乗っ取られた現代フェミニズム

フェミニズム

先日から、小山エミが韓国人慰安婦の問題で話題の人になったらしいという話をしているが、実はそれとは全く無関係な調査をしている最中に、またまた小山エミの名前にぶち当たり、何故私は彼から逃れられないのだろうと苦笑してしまった。実は前々からフェミニズムが男から女(MTF)に転換した去勢男たち(トランス女と呼ばせてもらう)に乗っ取られつつあるという話を聞いていたが、そのことについて色々検索していたら小山エミが2001年に書いたトランスフェミニズムマニフェストなるものを発見した。それを読んでいて、小山について長年そうではないかと思っていた疑惑がやはりそうだったのかという確信に変わった。結論からいえば、小山自身が男から女へと転換を図ったトランス女だったということだ。

カカシが小山のことを当初かなり誤解した理由は、私自身が非常にナイーブで、LGBTやトランスによるフェミニズム乗っ取りについて全く無知だったということにある。カカシが小山のことをレズビアンと呼んだり、レズビアンフェミニストの話をしたりしたときに、小山が『カカシさんに説明してもわからないと思う』と書いたり、ラディフェミに対して少なからぬ敵意を抱いているという印象を持ったのも、今思えばそういうことだったのだなと納得がいく。ま、小山の写真をみれば、あれが普通の女性でないことは一目瞭然なのだが、女性だという先入観を持ってみていたので、唖然としてしまった覚えがある。(ミスター苺は常に「あれは男だ」と言っていたが。)

2014年8月発行のニューヨーカーに載ったミッシェル・ゴールドバーグの記事が解りやすくラディフェム(極フェミニスト)対トランス女(について語っているのでそちらの記事を読みながら現在のフェミニズムについてちょっと考えてみたい。

最近、トランス女を女として認めているリベラルフェミニストたちと、トランス女はあくまで男であり、女子トイレとか女子更衣室や、女性のみを対象としたイベントにトランス女たちを入れるべきではないという姿勢をもったラディフェムたちとの間で大きな亀裂が生じている。だが情勢はラディフェムたちにかなり不利。ラディフェムはトランス女たち率いるリベラルフェムたちに圧倒されており、今やフェミニズムはトランス女と呼ばれる去勢男たちに乗っ取られてしまっているのだ。

最近になってトランス女たちの権力が顕著となってきたが、実は、トランス女たちによるフェミニズム乗っ取りはもう40年以上も前からその兆しをみせていた。

最初にフェミニストたちの間でトランス女の存在が問題となったのは、1973年にロサンゼルスで開かれた西海岸レズビアン大会で当時はまだ珍しかったトランス女でフォークシンガーのべス・エリオットの演奏を許可するかどうかでもめたことにあった。大会の主賓演説をしたロビン・モーガン(女性)はトランス女について、

私は男を「彼女」とは呼ばない。32年間男中心社会で苦しみ生き延びてきて「女性」という肩書きを獲得した。それを女装して数分間町を歩いてひやかされた(多分それも楽しんで)くらいの男が、よくも、よくも、私たちの苦痛がわかるなどというな。 いや、我等が母の名において、我らの名において、我々は断じて彼を妹などと認めてはならない!

と語った。ゴールドバークはこういう意見は最近では少数派になったがラディフェムと呼ばれる人々の間では強く信じられた信念だという。カカシとしてはラディフェムのほうに肩を持つね。トランス女たちは自分らは男の身体で生まれたが頭脳は女性だと主張するが、ラディフェムは男らしいとか女らしい考え方とか行動というのは、男中心の社会が決め付けたものであって「中和された服従」なのだと主張している。

ゴールドバークは、ラディフェムの考える性別はアイデンティティーというよりも社会の地位と受け取れるという。つまり、男として生まれた人間はたとえ後に女になることを選んでも、男としての有利な立場は一生保持されるというもの。女になるという選択権があるということ事態、男に女の立場など理解できるはずがないというわけだ。であるからトランス女を女性として認めよと要求するのも男としての権限を振りかざしているに他ならないというのだ。

トランス女たちや、その支持者たちはトランス女が受けるひどい差別や嫌がらせなどからトランス女の間での自殺率が高いことなどをあげてラディフェムの考えがいかに偏見に満ちたものであるかを主張する。だが最近トランス女たちの権力は目にあまるものがあり、ラディフェムたちのほうがずっと虐待されている。

去年の5月にオレゴン州のポートランドで行なわれたラディフェムの演説会も最初はクエーカー図書館の会議室で行なわれるはずだったのが、土壇場になってトランス活動家による抗議によりイベントがキャンセルされてしまい別の場所に移動せざるおえなかった。こういうことは何もこれがはじめてではない。2012年にロンドンで行なわれたラディフェム大会は、当初コンウェイホールで行なわれることになっていたが、大会はトランス女の参加を拒否していたことと、反トランスとして有名なシーラ・ジェフェリー女史が演説をするということで、トランスジェンダーの活動家らによる圧力に屈してコーンウェイホールは大会の開催を拒否。結局ラディフェム大会は別の秘密の場所で開催された。カナダのトロントで開かれた2013年のラディフェム大会もまたトランス活動家により土壇場で場所を変えざる終えないという状況に追い込まれた。

ラディフェムたちはトランスによる時として暴力的な妨害に対して「ジェンダー批判の鎮圧」だとして抗議したが時すでに遅し。トランス側はラディフェムは差別的なヘイト団体だというレッテルを張り、新しくラディフェムを侮辱する言葉としてTERF/ターフ(trans-exclusionary radical feminist. トランス阻害過激派フェミニスト)という単語を作り出し、ラディフェムたちの弾圧により力を入れている。

トランスによるラディフェムへの攻撃は尋常なものではない。ツイッターでのラディフェム攻撃は脅迫まがいのものが多く、ある若いブロガーはナイフをかざしたセルフィーを撮って「ターフをつれて来い!」というサインをかざしたりしている。こういう命を狙うような脅迫状が多くなったため、ラディフェムのウェッブサイトではそういうコメントを記録するまでになった。ラディフェムでディープグリーンレジスタンス(DGR)というエコ(環境)フェミニストグループを作ったリーラ(?)・キース(Lierre Keith、女性)はトランスたちはラディフェムが彼らを女性と認めないことにひどく腹を立てていると語る。

キースのグループ自体、かなり過激なエコテロリストグループらしいが、その暴力的な姿勢よりもトランスに対する姿勢の方が問題視されている。彼女たちの考えでは男としての特権を持って生まれた人間がどんな手術をしようと女になどなれない。それは白人が日焼けして黒人だと主張しても認められないのと同じだ。このディープ、、が始めて会合を開いた2011年、男から女への転換中の男性の女性専門寝室への入室を拒否した。「男性が支持者として会合に参加するのは結構ですが、女性が寝る部屋や女子トイレへの使用は許可できません」と言うのが理由。あったりまえだろうと思うが、これが問題なのか?

キースのこの態度がトランス派にはかなり気に障ったと見え、去年の2月キースがオレゴン大学で環境保全法についての演説をするはずだったのが、トランス支持派の生徒会の猛反対を受け、命の危険すらあるということでキースは6人の警察官に護衛されて壇上に立ったという。

最近は、一旦は自分はトランスだと思い込んで転換への道を歩み始めた人々が、やっぱり自分はトランスではないと気がついて元の性に戻ろうとする人が少なからず増えている。カカシは女から男へ転換しようと決心して男性ホルモンを一年以上も打っていた人が、やっぱり止めることにしたと涙の宣言をしているユーチューブビデオを何本か発見した。彼女たちは自分のなかで「男っぽい女」でいることが本当の自分なんだとやっと納得できた人たちである。

しかし、性転換が難しいとしたら、逆戻りはもっと大変だ。それは身体にかかる負担もそうだが、トランスを拒絶したとしてこれまで仲間としてつきあっていた人たちから背信者として攻撃を受けるからである。そんななかの一人、ヒース・アトム・ラッセル(女性)は大学在学中にトランス治療を始め大学のトランス人権団体から祝福されていた。しかし四年生のときにシーラ・ジェフェリー著の「アンパッキングクイアーポリティクス(同性愛政治解体)」という本を読み、FTMは男性優位社会に迎合する行為だという主張に感動し性転換をやめたという。カカシが発見したビデオでの告白では、彼女にはレズビアンとしての良きロールモデルがおらず、女が好きだから自分は男であるべきだという間違った考えに感化されてしまったのだという。

彼女の体験はシーラ・ジェフェリーの新作「ジェンダーハーツ」にも登場するんだそうだ。カカシはジェンダーハーツは作品紹介の部分しか読んだことがないが、やっぱりちゃんと読むべきだな。

シーラ・ジェフェリーはオーストラリア出身で今はロンドンの大学教授で、フェミニズムに関する本を9書も書いている権威あるフェミニスト。普段なら新作発表はロンドンの大学書店で行なわれるのだが、今回大学側から厳重な警備が必要だと警告され、新作発表は招待客のみで行なわれることとなった。またジェフェリー女史は、ロンドンの大学にある自分の事務所のドアから名札を外したという。トランス女は女ではないと主張しただけで命まで狙われるとは何と言う恐ろしさだろう。

フェミニストがトランスジェンダーに批判的な本を書いた例はなんと1979年にまでさかのぼる。元尼さんのレズビアンフェミニストジャニス・レイモンドが書いた「ザ・トランスジェンダー帝国、シーメール(彼女・男性)の作成」彼女は尼から医者に転向した人で、医者の立場から性転換手術による身体的精神的な弊害について書いた。レイモンド女史は女性から男性への転換手術について、「すべての転換は女性の身体を強姦するものだ。「トランスセクシュアルによるレズビアンフェミニズムは女性の性と精神を冒涜するものである」としている。このような考えは40年前は主流メディアからも斬新な考えとして好評を受けた。それに比べてジェフェリー女史の「ジェンダーハーツ」はメディアからはほぼ完全無視の状態。時代は変わったものである。

レイモンド自身、彼女に対する風当たりが近年ひどくなってきたことを感じている。彼女は今、トランスに関する問題よりも人身売買についての研究に専念しているが、去年の8月ノルウェー政府からの招待で売春婦登録に関する法律について語るはずだったのが、行ってみると招待が引き下げられていた。それというのも彼女はトランスフォビアだという投稿が主流新聞に載ったからだという。

トランスというか、ジェンダーに関する考えが劇的に変わったのは何と言っても大学だ。特に文科系の大学では生徒はどんな性別の代名詞を使いたいか聞かれるのは普通だという。日本語ではあまり彼とか彼女という代名詞は使わないが、英語だと他人の話をするときはhe/sheの区別が必要。ところが最近は “ze,” “ou,” “hir,” “they,” なかには“it” なんてのもあるんだそうだ。カカシも最近フェイスブックでは20いくつの代名詞があると聞いてぶっとんだくらいだから。面倒くさいから中性の「あの人」みたいな言葉をつくったらいいんじゃないのかと思うね。

最近では大学の保険が性転換手術の費用負担をしたりするところも増えているんだとか。ハーバードやエールやドューク、カリフォルニアのUCシステムもそうなんだとか。医療といえば、先にあげたラッセルが大学で女性は妊娠によって弾圧されているという話をしたとき、他の生徒からまじで「でも女性でも男の場合はどうなの?」と聞かれたという。なんだそりゃ?

もっと複雑で笑っちゃうが冗談じゃない話がある。フェミニストといえば人口妊娠中絶の権利を主張するのが定番だが、ニューヨークの人工中絶基金( the New York Abortion Access Fund)という中絶費用が出せない若い妊婦たちへの費用提供のための基金では、去年の5月、妊婦を「女性」と呼ばないことに決めたという。女性というと女から男へのトランス男たちを排除することになるからだという。何でトランス男が妊娠するんだよと聞くのは野暮なのだろうか?NARALとか中絶専門施設のプランドペアレントフッドなどにも「女性」という言葉使いをしないようにという圧力がかかっているそうだ。

こういう言葉使いの変化について批判するのはシスジェンダー(cisgender)の特権にしがみつく行為だというのが若いフェミニストたちの言い分。シスジェンダーというのは要するにトランスではない人たち、つまり正常な人間のことをさす。左翼リベラルってのはやたらとくだらない言葉を作り出して、周りにその言葉使いの使用を強制する。単に正常人と呼べ、と言いたいね。

古いタイプのフェミニストたちはこういう新しい考えについていけない人が多い。サラ・セイント・マーティン・リン(41歳女性)は昨年ベイアリアガールスロックキャンプの委員会から辞任を要求された。それというのも彼女がミシガン女性音楽祭the Michigan Womyn’s Music Festivalに関連しているというのが理由。女性という意味のwomanをわざわざWomynとつづるほどの過激派フェミニストたちの音楽祭は、女性に生まれた女性のみの参加しか許可していない。

この音楽祭でトランス女が追い出されるという事件がもう20年以上も前にあったという話は小山エミのエッセイを読んで知ったのだが、その後手術後のトランス女はいいのではないかという話が持ち上がり、その際手術前のトランス女たちが抗議してはちゃめちゃなことになったらしい。まったく事実は小説よりも奇なりというが本当である。

さて俗にミシフェストと呼ばれるこの音楽祭は毎年8月に開かれている。創設者はリサ・ボーゲルで始まったのは1976年、彼女がまだミシガン大学の学生だったころに始め、いまでもボーゲルが主催している。音楽祭とはいうものの、音楽もさることながら、大事なのは毎年何千という女性が集まり、キャンプを設置し女性だけの女系コミュニティーを作ることに意義があるのだとボーゲルは言う。人によっては豪華なコスチュームで現れる女性もいれば、素っ裸で歩き回る女性もいる。もしも世の中が女性だけだったらどういうふうな社会になるだろうというファンタジーの世界を作り出すのが目的だという。

彼女にとって夜一人歩きをしても安全を感じられる場所は大事なのだという。ここは女性が無防備でも安心できる場所であり、こんなところは他にないと。「明日、誰でも大歓迎ということになったら、それはそれでクールな場所かもしれないけど、我々が我々であることの深い意味での自由な意識は変わると思います。」

トランス活動家たちからすれば、トランス女は女性にとって危険な存在だといわんばかりのボーゲルの考えは非常に侮辱的に取れる。

トランス女で生物学者のジュリア・セラノ(MTF)はトランス女が居ると普通の女性が不快になるというのは、ゲイやレズビアンが更衣室にいると不快だというのと同じ理屈だという。セラノについてはジェフェリーの新著のなかで「フェミニズムを自分の変態的性欲に合わせるべく変えようとしている」としてかなり手厳しく批判されている。セラノは今や現代フェミニズムの新星として大人気者、大学の講演などでひっぱりだこだ。抗議がキャンセルされたり警備が必要なラディフェムたちとは大違い。

2003年、セラノは約百人のトランスたちとキャンプトランスなるキャンプを設置しミシフェストに抗議した。この抗議キャンプは最初にトランスたちがミシフェストから追い出された1994年から時々開催されていた。それまではミシフェスト参加者との遭遇は比較的平和的だったというが、その年はトランスキャンプがあらされケーブルが盗まれたり水源が止められたりという嫌がらせがあったという。

それ以後、トランスたちの作戦は、ミシフェスト参加ボイコットを使った嫌がらせへと変更された。おととし、ミシフェストで長年レギュラー出演していたザ・インディゴガールズは突然、トランス参加を認めるまではミシフェストでの演奏はしないと宣言。去年のヘッドライナーのハンター・バレンティーノも同じ理由で参加を辞退。逆にミシフェストで演奏したパフォーマーたちは別の場所でボイコットを受けたりしている。ファンクシンガーのシェリー・にコールは彼女のバンドがミシフェストに出演するとわかったとたん、ブルックリンのショーから下ろされてしまったという。.

ベイアリアガールスロックキャンプの幹部から辞任を余儀なくされたセントマーティンリンは、首になるまで自分がラディフェムだという意識はなかったという。だが、ミシフェスト攻撃運動やラディフェムへの攻撃が過激化していくのをみるにつけ、女性として生まれた女性のみの大会は存続されなければならないと強く思うようになったという。

トランス活動家のサンディー・ストーン(MTF)は、ラディフェムたちはトランス女たちの邪魔をしないで欲しい、ラディフェムを避けるのはトランス女の責任ではないという。

カカシが思うに、ラディフェムはトランス女たちの邪魔をしているのではなく、トランス女たちがラディフェムの区域に侵入しようとしてくるのを防ごうとしているだけだ。ラディフェム主催のミシフェストをボイコットするのはいいとしても、何故ミシフェストに無理やり参加を要求しなければならないのだ?

トランス女という去勢男たちにフェミニズムが乗っ取られてしまったというのも皮肉な話ではあるが、トランス女たちの横暴はフェミニズム乗っ取りだけでは済まされない。今や過激派トランス活動家によるトランス女を女子トイレや更衣室に入れろという運動は全国各地で起きており、カリフォルニア議会は市民の許可も得ず勝手にトランス女の女子専門施設入室を許可する、バスルームビル(いわゆるトイレ法)を通してしまった。これについてはミスター苺やカカシもその抗議署名運動に加わり、次の選挙でトイレ法廃止案を投票項目に加えるべく運動に参加している。(前回は署名数不足といういいがかりをつけられて項目に載らなかった。)カリフォルニアのトイレ法はいまのところ施行差し止め中。にもかかわらず多くの学校で不法な施行がすでに始まっている。

左翼リベラルのやることは常に保守的な組織を破壊することにある。だが、トランス女を女性専門施設に入れろというのは、一時期男性のみだった商工会やビジネスクラブに女性の入会を許可しろというのとはまるで違う。またゲイやレズビアンを軍隊に入れろというのとも違う。なぜかと言えば、ゲイやレズビアンが傍にいて不快になる人が居たとしても、それ自体軍隊の仕事に支障はきたさない。また、更衣室などで同じ性の同性愛者が居たとしても、それ自体危険な状況ではない。

だが、女子トイレや更衣室に男性が居ることは、単に女性が不快になるだけでなく、女性の安全を脅かすことになる。それはトランス女が危険だというより、トランス女を装う変態男たちの使用をも許可することとなるからである。

以前にも書いたがカリフォルニアのトイレ法は、自分が女性だと思っているだけで女装もしていないどう見ても男にしか見えない男が女子トイレや更衣室に入室するのを許可するという信じられない法律なのだ。ある個人が頭のなかでどんな妄想を描いているかなど他人に解るはずがない。これは幼児わいせつ癖のある変態男でも、自分は女だと主張しさえすれば女子トイレに入れるとなれば、女性の安全など絶対に保てない。

今なら、女子トイレに入ろうとする男がいたら警備員が注意をすることも可能だが、トイレ法が通れば普通の男がずかずか女子トイレや更衣室に入っても誰も文句は言えないのである。この間のプラネットフィットネスで起きた事件など、文句をいった女性会員が会員権を剥奪されるなど、まるで常識が通らない世の中になりつつある。

ラディフェムたちがトランス女たちに圧倒されていることは、これまでのラディフェムのやり方からして「いい気味だ」とかいってやりたい気もしなくはないが、トランス横暴の被害者はラディフェムだけに収まらない。そこが重大な問題なのである。

May 17, 2015, 現時間 11:29 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 10, 2015

カカシの勝手な翻訳が引用されて話題になったって話し

どうでもいいニュース , フェミニズム

本当にどうでもいい話なので、本日は口語体で話させてもらおう。実は私が小山エミについて書いた2008年のエントリーがやたらにヒット数が多くなってるので、何でだろうと思ったら、私が勝手に使った「レズ坊」という単語が変なところで引用されて話題になったらしい。

先ずことの起こりは秦郁彦という日本の官僚で歴史家という人が、正論という雑誌だかなんだかに小山エミについて

『フェミニスト、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、など多彩な社会活動を扱う活動家」と自称するが』

と書いたことに対して

秦郁彦せんせーが、『正論』でわたしに名指しで言及している。しかし戸塚せんせーと組んでツアーするとか嘘だし、レズ坊とか両性体質とか聞いたことがない言葉がいくつもw そんなの自称したことないよ!

と反応しそれに関する多々の意見がツイッターで交わされた模様。ツイッターをまとめたのがこのページ

で、いったいこのハチャメチャな発言はどこから来たんだろうということになって誰かが、その出所はここじゃないの、といってリンクを張ったのがなんと拙ブログの小山エミに関するエントリーだったというわけ。

実は私の書いた原文はこれ。

エミ・コヤマは自分のことを尻軽女であると書いている。そしてフェミニスト、東洋人、生き残り、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、ジェンダークィアー(?)そしてクリップポリティクス(?)といった多様の社会問題を取り上げている活動家なんだと説明している。

しかし、これは私の勝手な概訳であり鍵括弧にも入れてないので、小山の直接の発言ではないことは文脈からはっきりしているはず。事実、この文章の前にきちんと英語の原文も添えておいた。下記がそれ。

Emi Koyama is a multi-issue social justice slut synthesizing feminist, Asian, survivor, dyke, queer, sex worker, intersex, genderqueer, and crip politics, as these factors, while not a complete descriptor of who she is, all impacted her life. Emi is currently the director of Intersex Initiative. Emi lives in Portland, Oregon and is putting the emi back in feminism since 1975.

私が「レズ坊」とか「おカマ」とか「両性体質」とかいう言葉使いをしたのは、dyke, queer, intersexという英語はそのままでは意味が伝わらないだろうと思ったからで、わかりやすい日本語に私なりに書き換えたに過ぎない。

エミちゃんは気に入らないみたいだが、はっきり言って「レズ坊」ってレズビアンで男性っぽい人のことを示し、多少侮蔑的な要素も持つdyke(ダイク)の訳としてはぴったりだと思うんだけどね。私は昔、男っぽい格好をしていることが多く、宝塚の女役みたいな可愛い女の子と一緒にいたら、男性から「レズ坊」と呼ばれたことがあるのだ。決して存在しない言葉ではないよ。

それから「おカマ」という言葉も、日本語で男性の同性愛者で特に女性っぽい人のことを示すことばで、主に男性で女性っぽい同性愛者を侮蔑的に示す言葉であるqueer(クイアー)の訳としては適訳だと思う。

はっきり言ってカカシの訳は全然問題ないと今でも思う。

ここで問題があるとしたら、秦郁彦氏が私の概訳をそのまま引用してしまったということ。多分私のページからではなくて、誰かが引用に引用を重ねたどっかからのページからの引用なんだろうと思う。小山が自分のことをどういうふうに書いているかということは、実際に小山のウェッブページに行けば読めることなので、それをしないで誰かの引用をそのまま小山が書いたことであるかのように書いてしまったというのはプロの執筆家として怠慢だね。

これじゃ突っ込まれても文句はいえないだろう。

でももし私の訳した「レズ坊」が流行り言葉になったら、何か賞でももらえるのだろうか?

May 10, 2015, 現時間 4:14 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 2, 2015

反フェミニストに論弁の場を与えるな!反対論はややこしくなるだけ

フェミニズム , 狂ったメディア

この間からクリスティーナ・ホフサマーズ女史のツイートを追っているのだが、左翼リベラルというのはよくよく反対意見を聞き入れる寛容性のかけらもないとみえる。ホフサマーズ女史が演説をしたワシントンDCのエリート大学ジョージタウン大学では、演説の終わったこの後においてさらにアンチ、ホフサマーズ姿勢を崩さない。

まずはジョージタウン大学の大学新聞の社説から。

性犯罪の統計は誇張だとし由緒ある調査を「統計歪曲」などと主張する人間に発言の場を与えるということは、会話妨害の引き金を引くことにしかならず、大学が約束した生存者への資源を増加させる発展を妨げるに他ならない。
解決法や生存者への資源から目をそらせるこのような手口にはどんな場もない、特にジョージタウンにそんな場所はない。(略)生存者の生の体験の姿勢を否定することは、(ジョージタウンの)価値観と真っ向から対立するものだ。

どのようにして問題を解決するかではなく、「誇張されている」かどうかを議論するのは、ジョージタウンの生存者への侮辱であり、無行動の原因となる。

「議論の時間は終わった、行動、行動、行動!」という訳だな。だが、行動の元となる証拠が間違っていたらどうするのだ?間違った証拠を元に行動に移ったら、社説のいうところの大事な資源の無駄遣いであるだけでなく、もしかしたら逆効果となる可能性もある。実際の問題をきちんと把握せずに有効な解決策は望めない。

ところで、この社説のコメント欄のなかで指摘があったが、当日のホフサマーズ女史の演説は大学構内の強姦の文化についてではなく、女性と男性の均衡性に関する神話についてだったとか。ジャーナリストなら演説の内容くらいきちんと把握してから批判を書いて欲しいものだね。

さて、同じジョージタウン大学の生徒サービス委員会は、女史の講演を主催した共和党生徒会に対し、女史の講演に抗議に来た生徒たちの映像は、本人たちの同意の下に撮影されたものではないので、これらの生徒たちの写っている部分は記録映像から取り除くようにと命令した。もし共和党生徒会がこの指導に従わないときは、委員会そのものが行動に出るという脅しまで含まれていた。

大学で行なわれるイベントではビデオ撮影は記録として残されるのは普通だ。女史の演説のあった会場でもビデオカメラがあちこちに設置されていた。同会場に入場した以上、それが普通に参加する目的であったにせよ抗議であったにせよ、観客として撮影されることは誰にでも明らかであり、会場に入場した時点で撮影されることに同意したことになる。

無論大学側はそのようなことは十分承知である。彼らの目的はホフサマーズ女史の演説ビデオ没収にあるのだ。

こうまでして反対意見を黙らせたいというのは、よっぽど自分らの主張に自信がないのということだな。ま、ラディカルフェミニストたちの常套手段なので今更驚かないけどね。で、最近反トランスのラディフェミたちが、フェミニスト会合から締め出されて、言論の場を失いつつあるという話を聞いて、自業自得だろうと思ったのも、彼女たちが常にこういうことをしてきたんだから因果は回るだなと思ったからだ。反トランスに関してはラディフェミの言い分には同感だが、彼女たちが親トランスフェミたちに虐げられても同情の感はまるで沸かないね。

May 2, 2015, 現時間 3:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 26, 2015

『引き金警告』『安全地帯』という言葉で女性を馬鹿にするフェミニスト

フェミニズム

この間、私が尊敬する元フェミニストのクリスティーナ・ホフ・サマーズ女史がオハイオ州のオバーリン大学で演説を行なった。確かオバーリン大学といえば、醜い裸体をテレビで毎週披露しているレナ・ダナムの出身校。彼女自身が「在学中に大学共和党員にレイプされた」という嘘で騒いだ、あの大学である。

ホフ・サマーズ女史は現代フェミニストの宿敵なので大学での講演など開けないのが普通だが、オバーリン大学の共和党生徒会の招きによって講演が可能となった。女史は、「大学キャンパスにおけるレイプ文化など存在しない」とか「賃金の男女格差は嘘だ」などと遠慮なしにビデオブログやツイッターなどで主張しているので、ばりばり女子大学生フェミニストたちが彼女の講演に敵対心を持って会場前に出された講演紹介の看板に落書きや張り紙を張ってみたり、観客席から野次を飛ばしたりしたのを見ても、まあ、左翼リベラル大学生なら普通の行動なので驚きはしない。

しかし、ホフ・サマーズ女史が楽屋で打ち合わせをしていたとき、会場に二人のどうみてもレズカップルと思われる醜い女子生徒が観客の前に立ち、「引き金警告(トリガーワーニング)」と「安全地帯(セーフルーム)」のご案内をした。これはどういう案内かというと、ホフ・サマーズの演説には強姦に関する話題が含まれているため、それを聞いた女性たちが恐怖感を覚えて気分が悪くなる可能性があるので、女史の演説で気分が悪くなった人は近くに「安全地帯」となる休憩室があるのでそちらをご利用ください。というものだった。

実は、この「引き金警告」とか「安全地帯」というのは最近フェミニストたちの間で使われるようになった新しい言論弾圧のやりかたで、特に大学内での講義や演説で生徒の気持ちを傷つける可能性のある内容が含まれている場合は、それをあらかじめ生徒たちに警告しなければならないという概念。そしてそうした授業などで傷つけられた女子生徒たちが安心して気持ちを落ち着けるために休憩できる場所を「安全地帯」として設置すべしというもの。で、この安全地帯として設けられた部屋にはぬいぐるみとか毛布とか女の子が安心できるようなものが置いてあるんだそうだ。

馬鹿にしないでよ!女をなんだと思ってるの?ビクトリア時代のイギリスじゃあるまいし、女性をやたらにか弱い性として差別しないでくれる?

元来のフェミニストであればそのように怒るところなのだが、フェミニスト自身が考え出したというところが皮肉である。まったく最近の若いフェミニストたちは根性がないな、情けない。せっかく先代のフェミニスト諸姉が築き上げてきた男女同権やたくましい女性像をこんな形で崩してしまうとは。

だが実は、この引き金警告というのが曲者なのである。大学内ではすでにこのシステムを起用するところが増えているが、大学教授が自分の講義のなかで誰かの気持ちを傷つけるかもしれない内容がある場合、あらかじめ生徒に警告しなければならない。で、もし警告した内容に生徒が異議を唱えた場合、教授はそのまま授業を続けられるのだろうか?特定の授業でより多くの生徒を傷つけるような内容の科目はそのまま大学で残るのだろうか? 

たとえばである、地理の授業で「日本海」と書かれた地図をみて韓国人留学生が「傷ついた!」といって騒ぎ立てたら、どうなるのだろう?

どんな授業でもどんな内容でも気分を害さない人間がひとりも出ないということはありえない。私なんか分けわかんない授業についていけなくて傷ついた記憶がいくらもあるからね(笑)。

人々の言論の自由を奪うやり方は、大抵が誰かの「人権を擁護するため」という口実で始まる。私は左翼リベラルが常に使う弱さを武器にしたやり方が大嫌いである。「強姦文化」にしてみても、「共和党の女性に射掛けた戦い」とかにしてみても、自分らを犠牲者扱いし「か弱い女性をいじめるあなた方はなんて非道な人間なの」という立場から相手を弾圧するための道具である。「引き金警告」だの「安全地帯」だの、一見笑ってしまうような馬鹿馬鹿しい観念だが、本当の目的は左翼リベラル以外の言論弾圧にある。そのことを忘れてはならない。

オバーリン大学のフェミニスト活動家たちは、ホフ・サマーズ女史を学校に招待した共和党支持生徒の名前を「強姦文化を促進する者たち」と書かれたポスターに大々的に表示して大学の廊下内のあちこちに貼り付けた。彼女たちにとって「大学内で強姦が蔓延している」という自分らの説に少しでも異論を唱えることは「強姦文化を促進する」ということになるのだ。そして反対意見を述べる人々は断固糾弾し脅迫し弾圧し沈黙させる。

左翼リベラルの常套手段である。

April 26, 2015, 現時間 9:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 25, 2015

5歳の幼女をトランスとして育てるのは幼児虐待だ!

フェミニズム , 同性婚

先日カリフォルニアはサンディエゴに住む若い両親が自分の5歳の娘はトランスジェンダーだとして男の子として育てる決意をしたという記事を読んで、そりゃ幼児虐待だと即座に思った。

ジェフ・ウィティングトンとその妻のヒラリーは5歳の娘レイランドを男の子として育てることにしたと、サンフランシスコ初の同性愛市長で暗殺されたハービー・ミルクの名前を取った第六回ハービーミルク多様性朝食会でその「勇気ある決断」を評されインスパレーション賞を受賞した。夫妻は5歳の「息子」のトランスへの「長旅」を始めたと誇らしげに語り、男の子姿で現れたレイランドも1000人の観客の前でお辞儀をして自分はトランス子供だと自慢げに挨拶した。

ウィティングトン夫妻は、自分の娘が2歳の頃に自分は男の子だと宣言したことからはじまって、レイランドは常に女の子の服装を嫌がり、男の子の活動を好んだことから、我が娘はトランスに違いないと思い込み、娘が5歳になったのを境に娘の髪の毛も短くして名前も変えて学校も変えて男の子として育て始めたという。

この親アホじゃないの?

と思うのが普通の人間の反応であるはず。娘が自分は男の子だと言ったら「あなたは女の子よ」と言ってあげるのが親だろう。2歳の幼児に男の子も女の子もないのだ。親に正してもらわなければ男女の違いなど理解できない。

だが今や極左翼リベラルLGBTに文化を占領されてしまったアメリカではそんな常識的な批判をすることさえ許されない。ウィティングトン夫妻の記事は主流メディアでは賞賛するものばかり。『夫婦の勇気ある決断』とか『トランスへのジャーニー』とか劇的な言葉使いで夫妻を英雄扱いしている。

まるで裸の王様である。アメリカメディアにはこの夫妻のしていることが幼児虐待だと指摘するものは居ないのか?そう思って色々さがしていたら、ようやく一人私と同じことを書いてるマット・ウォルシという男性のブログを発見した。

マット曰く、この年頃の子供は親の言うことはほとんど本当だと信じ込む。だから親に言われれば、太っちょの白ひげの赤い服を着た爺さんが暖炉の煙突から毎年一回贈り物を届けにくるなんて話しも簡単に信じる。

私も子供の頃よく言われたが、女の子のくせに男の子のものが好きな娘に向かって「お前は本当に男みたいだね、男にうまれてくればよかったのにね」などといったら、感性の強い子供なら親を喜ばせようとして「僕は男の子!」と言い張るかもしれない。子供にはまだ自我の確立が出来ていない。常識も理屈も通用しない。はっきり言って思春期を迎えるまで、自分が何たるかなどということをしっかり把握している子は先ずいないだろう。だから子供には想像の友達がいたり、ぬいぐるみの動物を本物のように扱ったり、自分は女の子なのに男の子の振りをしたりしてみる。そんな子供に自分をトランスジェンダーだと思い込ませるのは簡単である。

親であれば、子供なら誰でも通り過ぎる成長の過程を、なるべく子供の想像力を損なわないようにある程度の妄想は黙認しながらも、危ないときは手を貸してあげるげきだろう。子供が「僕はスーパーマン」といって風呂敷を首に巻いて走り回っているのは放っておいてもいいが、空を飛ぶといって窓から飛び降りようとしたら、親は即座に止めなければならない。

それを大の大人が子供の妄想を助長させてそれを何か勇気ある行為であるかのようにメディアで大々的に発表するというのはどういう神経なのだ?マットも指摘しているが、ウィティントン夫妻は単に娘を利用して自分らが左翼リベラルの間でちやほやともてはやされたいだけなのではないかという。これは娘のトランスというより、娘を洗脳して自分らの名声獲得に利用しているだけなのではないかと。だとすればまさしく幼児虐待である。

この間から私も書いてきたが、だいたいトランスという概念自体が、これまでジェンダーフリーを主張してきたフェミニズムの概念に反する。左翼リベラルは常々、「男とか女というステレオタイプに拘るべきではない」と主張してきた。女の子はおままごとをし、男の子だったらバレエ教室より野球をやらせるべき、といった男女のステレオタイプを子供に押し付けるべきではないといい続けてきた。

だとしたら、女の子であるレイランドがドレスを嫌がり、ズボンが好きで野球帽かぶって外で運動するのが好きだからといって、「この子は男の子なんだ」と決め付けることは、女の子を女の子としてのステレオタイプに押し付けようとする行為ではないのか?

だいたい男女の考え方や素質の傾向にはものすごい個人差がある。たとえば日本人成人女性の平均身長を線グラフで表した場合、左端の120センチくらいの人は少なく、だんだんとなだらかな線が右上がりになり160センチくらいのところが一番高くなり、その後170になってくると右下がりになり、180センチくらいではほぼひらべったくなるだろう。しかし両極端の120センチや180センチの女性も存在する。女性の平均身長が160センチだからといって、120センチや180センチの人は女性ではないなどと言う人はいないはずだ。

それと同じで、女性的とか男性的という性別的な傾向の度合いはひとそれぞれであり、ステレオタイプは単に平均的な性質を述べているに過ぎず、その平均に当てはまらない人々は男女ともに少数派ではあるが存在するのだ。

普通の女の子がおままごとを好むからといって野球やサッカーが好きな子は女らしくないというなら、オリンピックの女子選手はすべて女らしくないということになってしまう。女性は普通エンジニアなどの職種には付かないが、そういう仕事をしている人は女らしくないのか?女性が軍隊に入ったり消防士になったり警官になったりしたら女性らしくないのか?

5歳の子供がドレスが嫌いでも、おままごとが嫌いでも、だから何なんだ、と私は聞きたい。男の子がスカートをはくのとは違って、女の子がズボンを履いて学校に行ったからといってどうということはないだろう。髪の毛もショートカットが好きならそうさせてやればいい。だが、あくまで娘は女の子なのだということを親はきちんと教育すべきだ。いくら思春期前は男の子を装っていても、いずれは女性の身体になるのだから、そうなってから子供が混乱しないように常に自分は女性であるということを親はきちんと納得させるべきだ。

だいたいトランスという概念ほど自己を拒絶する不寛容な概念もない。女性の身体で生まれたからと言って社会が決めた女性の役割を果たさなければならないという義務はない。特に自由社会のアメリカではそれが可能だ。何故ステレオタイプのジェンダーに自分を無理やり当てはめようとするのか?

OK,あなたは男と感じている。だったら女に生まれながら男と感じるという人間として生きていくことのどこがいけないのだ?何故世間が認める心身ともに男にならなければならないのだ?一生男装の麗人を生き抜けばいいではないか?

自分で自分を拒絶しておきながら、社会に寛容を強制させるトランス活動家に私が怒りを覚えるのはこの点だ。しかもそれを5歳児にまで押し付けるとは、、

こんな親は親失格である。

April 25, 2015, 現時間 9:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 13, 2015

トランスが傷つけるフェミニズムのあり方、ジェンダーハーツ

フェミニズム

前々から紹介しようと思っていた本がある。これは自他共に認める過激派フェミニストのシーラ・ジェフェリー著「ジェンダーハーツ」。あえて訳せば『性別は傷つける』かな?この内容は、トランスジェンダーの政治権力をフェミニストの立場から批判するもの。

私はどんな過激な思想を持っているひとでも、信念を持っている人には一応の敬意を持つ。なので左よりリベラルよりも、徹底的な左翼の人とか、フェミニストでも過激派で完全な女性優位主義者のほうが口だけ寛容とか多様性とか言って自分らの信念をご都合主義で歪曲する人たちよりずっと尊敬できる。

で、私は前々から本当のフェミニストならトランスという概念を受け入れられないはずだと思っていた。これは女性から男性へ、男性から女性へと、転換しようとしているどちらの人々に関しても同じだ。もっともその理由は異なるが。

女から男へ(FTM)は、女性を拒絶している。はっきり言ってフェミニストからしてみればこれほどの裏切りはない。要するに女であることを誇りに思い女性の立場を推進するどころか、女を拒絶して男になろうなんていうのは男子優位社会を自ら促進するようなものだ。

男から女へ(MTF)はフェミニストの敵だ。彼らは女じゃない。彼らに女みたいな面をされたくない。そう思うのは当然。歴史上弾圧されてきた女性の葛藤を元々男のMTFに理解できるわけないだろう。男としての有利な立場をずっと保ってきた人間が整形してホルモン剤摂取したくらいで女面するな、ってなもんである。

というのは私の見解だが、ジェフェリー女史の立場はちょっと違う。彼女にしてみれば、やたらに「ジェンダー」と言って性別を区別すること自体に問題がある。女性はハイヒールを履いてスカートを着て無償の家事を喜んで行ない、男性は着心地の良い服を着て仕事に専念できるべき、といったようなステレオタイプを強調することを拒絶してきた彼女達にとって、トランスジェンダーはそのステレオタイプを推進する最たるものである。トランスの横暴は「性別」という観念がフェミニズムに損害を与えるまたひとつの例である。

MTFが率先するトランス活動は、元々男なので筋力も本当の女性たちより強いし、性格も積極的で攻撃的な人が多い。男性同性愛者のゲイたちの支援を受け、MTFの政治的権力がフェミニストのそれより強まっているのも、権力を求めそれに対して活動する行動力は男性のほうが女性よりも勝るからである。そういう偽女を女性の運動に導入すれば、彼らが活動を乗っ取るのは時間の問題だ。いや、もうすでにトランスの権力は極フェミニストたちを無力な少数派へと追い込みつつある。

ジェフェリー女史はそのトランス(特にMTF)により、トランス否定派の極フェミニストたちが、どれほど言論を弾圧されているかを訴えている。トランス活動に批判的な会合や活動はトランス活動家によって妨害され、会場からイベントをキャンセルされることが多くなってきたことや、彼女自身がフェミニスト会合で演説することすら許されない状態が起きているという。(現代フェミニズムを批判して立ち入り禁止になった元フェミニストのクリスティーナ・ホフ・サマーズを思い出す。)

女として生まれるということに選択の余地はない。生物学的に女であることで受けた差別や迫害は個人の選択によるものではない。このような女としての体験を単に「女でありたい」人間が理解できるはずはない。ジェンダーという概念は選べても性は選べないのだ。トランス女に本当の女性の体験は理解できない。

ジェフリー女史は、女とはどうあるべきかという形付けは男性優位社会が女性に押し付けてきたものだと主張する。そしてMTFトランスの意味づける女性像は、まさに男による女性像の押し付けであるとする。

元々フェミニズムは権力者である男性が女性を下級階級の従僕として都合よくつくりあげた女性像からの逸脱を目指すものであった。女性は強姦、強制的な妊娠や出産によって男性から虐げられてきた。フェミニズムはどの男性による女性弾圧への革命から始まったのだ。にもかかわらずMTFトランスを女性として受け入れるということは、男性による女性像を受け入れることに他ならない。

ジェフェリー女史は最近はフェミニスト会合などで、MTFが主賓として招かれ「女性の体験談」などを語ることが増えてきていることをひどく嘆いている。女史はまた、MTFの多くが伝統的に男性が持っていたラフな職業(パイロット、軍隊の特別部隊出身など)を持ち、妻子持ちの人も多くいることを指摘。こういう男たちに女としての何がわかるというのか?

女史は同著のなかで、あえてMTFやFTMといった言葉使いはせず、トランスジェンダー男、女という呼び方をしている。どんな手術を受けようとホルモン剤を摂取しようと生物学的な性を変えることは出来ないからである。

同著ではトランスとして性同一適合手術(SRS)まで受けておきながら、後になってその決断を後悔し、現在は元の生物学的性に戻っている人たちの勇気ある活動にも触れている。この「勇気」というのは本当で、今やSRSが性不適合障害の唯一つの治療として受け入れられている現在、それを批判することはトランスの政治権力に相反することになり、そのバックラッシュは生半かなものではないのだ。

トランス政治が我々一般人の生活にも危害を与えつつある現在、ジェフェリー女史の著書は非常にタイムリーだと思う。一読の価値ありとみた。

April 13, 2015, 現時間 12:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 12, 2015

アメリカの大学、無実の罪を着せられた男子生徒からの訴訟激増

フェミニズム

アメリカの大学において性犯罪の冤罪を着せられ大学から停学や退学などの処分を受けた男子学生が人権侵害されたとして大学を訴える事件が急増している。特に2010年以前は指で数えるほどしかなかった訴訟が、2010年ごろから急激に増え、2014年から2015年になるとなんと40件ちかく発生している。いったい大学では何がおきているのか。

ウォールストリートジャーナルによると、連邦政府教育委員会は1972年に通った男女平等法律タイトル9に乗っ取って、大学構内における性犯罪をもっと厳しく取り締まるようにと全国の大学に勧告状を送った。

特に大きな変化として、 “preponderance of evidence” 「だいたい正しいと思われる証拠」があれば処置してよいというもの。これは具体的にどういうことかというと、問われた罪がだいたい50%くらい信頼性のある証拠があれば、有罪として処分に移ってもよいという意味。これはこれまでの75%以上の信憑性が必要とされていた“clear and convincing evidence"「明らかで納得のいく証拠」と大きな違いがある。

この基準でいくと、被害者を名乗る方が加害者とされた方よりも圧倒的に有利であり、普通の法廷なら検察側が被告が疑いの余地なく有罪であることを証明しなければならないのに対し、この基準だと被告が自分の無罪を証明しなければならなくなる。多くの大学は被告の男子生徒に弁護士をつけることも許さず、、きちんとした法的アドバイスもせず一方的に男子生徒を罰している。

ルイス・マクリードさん24歳もその一人。マクリードさんは卒業を二週間に控える去年の春、強姦の罪でデユーク大学を退学になった。彼は同大学の女子学生とバーで出会い、自分の部屋でセックスをした。マクリードさんは同意の上だと主張しているが、女性は翌日、自分は酔っ払っていて性交渉には同意していないと警察に訴えた。地元警察は取り調べの結果マクリードさんを起訴しなかった。警察は強姦があったことすら認めていないのに、学校側は女性側の言い分を全面的に認めてすぐさまマクリードさんを退学処分にした。マクリードさんはこの大学側の処分は不当であるとして大学を相手に訴訟を起した。

マクリードさんのようなケースは2014年から2015年にかけて全国各地で40件ちかくも起きており、その多くが学校側との示談で終わっている。つまり、学校側の処分が不当であったと認めざる終えない件が大半だということだ。マクリードさんの件も、法廷はマクリードさんが無罪である可能性が非常に高いため、大学側に「退学処分」という記録を正すようにと命令した。マクリードさんはすでに就職が内定しており、卒業証書がもらえればそれでいいと語っている。

ここでも何度も書いてきたが、オバマ政権及びフェミスト団体は何故かアメリカの大学内での性犯罪が深刻な問題になっているという説を強め、5人に1人の女子学生が大学在学中にレイプされていると主張。この数は全くのでっちあげなのだが、オバマ政権の教育委員会はそれを理由に大学内での性犯罪取り締まりを厳しくするようにと勧告しているのだ。それによって被告として冤罪を着せられる男子生徒が激増。公平な法的裁判を受けなかったとして学校を訴える男子学生も激増しているというわけだ。

ハーバード大学の法律教授は教育委員会の新基準は気違い沙汰だと非難している。

同大学は、最近連邦政府からタイトル9に即して大学の方針を変更するようにと勧告されそれに同意した、それに対して同大学の人権及び家族法の専門エリザベス・バーソレット教授(Elizabeth Bartholet)は、連邦政府が勧告する新規則は「気違い沙汰」であり歴史がこの法律が如何に誤ったものであるかを証明するだろうと語る。

同教授は法律ブログに下記のようなメールを送った。:

連邦政府がハーバード大学がタイトル9に違反したとする決断は政府によるタイトル9の誤った解釈にほかならない。教育委員会の人権委員会による決断は最終的に法律として認められるものではない。法廷こそが法の解釈に責任があるのだ。そして法廷はいずれ政府による解釈を拒絶すると信じる。現在の法廷の裁断は最高裁判所も含め、セクシャルハラスメントに関し、わいせつ行為による被害を受けた側の人権を守るとともに、誤って罪を着せられた側の人権及び個人の恋愛関係に関しても、もっと均衡の取れた姿勢をとっている。

同教授はハーバード大学は連邦政府の勧告に挑戦すべきであって安易に折れるべきではなかったと強く批判している。

はっきり言って私が男子大学生だったら女性とのデートは怖くて出来ない。お互い同意の上でセックスしたと思ったのに、後になって女性がその行為を後悔したり、痴話げんかのすえ、腹いせにレイプをでっちあげる女子生徒によって、自分の将来は台無しにされる可能性が大きいからである。

もともと引っ込み思案でおとなしい男子生徒だったら、大学在学中は女子大生とは付き合わないと決める男性も多くでるかもしれない。女子大生にとって男女交際に消極的な男子学生が増えることは良いことなのだろうか?

ミスター苺はよく、フェミニストとは醜くてモテナイ女の集まりだ、とひどいことを言っているが、自分たちはどうせ男女交際など出来ないので、他の女の子たちが男の子たちと付き合いにくい環境をつくることこそ、彼女たちの本当の目的なのかもしれない。

April 12, 2015, 現時間 10:21 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 6, 2015

バージニア女子大生狂言輪姦事件で明るみに出たメディアの大学は強姦魔の巣窟という奇妙な思い込み

フェミニズム , 狂ったメディア

去年にバージニア州立大学の構内のパーティで、暴力的な輪姦の被害にあったという女子大生の事実無根の話を掲載したローリングストーン誌が、今回改めて何故このような嘘がまことしやかに同誌に掲載されてしまったのかという自己調査を行い、その調査結果を発表した。

ことの内容を詳しく知りたい方は拙ブログの女は強姦されたという嘘は付かないって本当?どんどん異様な事実が明らかになるバージニア女子大生の狂言輪姦事件をご参照願いたい。

この調査結果を断片的に読んでみたが、要するに、記事を書いた女性記者がアメリカの「大学構内において強姦が蔓延している」という偏見をジャッキー(仮名)という女子大生の証言が完全に裏づけする形となったため、それ以上の取材をせずに彼女の言い分をそのまま鵜呑みにしてしまったというのが原因である。以前にも書いたとおり、アメリカの大学構内で起きる強姦事件数は構外で起きる事件よりもずっと少ない。にもかかわらず何故かメディアやフェミニストたちは、男子大学生による女子大生への性犯罪が非常な問題になっているという迷信をなんとしてでも広めたいようだ。

こういう事態になってもまだ元記事を書いたサブリナ・アーデリー記者は、男子大生による女子大生への犯罪は深刻な問題だという自説を変えようとしない。彼女の謝罪文を読んでみるとそれは明らかである。

ローリングストーンの読者の皆様はじめ、編集者及び同僚の皆さん、バージニア大学の関係者の方々、そして私の記事によって実際に性犯罪の被害者でありながら名乗りでるのをおそれるようになってしまった人々に対して深くお詫びを申し上げます。

この謝罪では彼女が一番迷惑をかけた人々への謝罪が抜けている。ジャッキー及びアーデリーの記事で無実の罪を着せられたフラタニティーの男子生徒たちである。彼らは意味もなく学校を停学になり、フラタニティーを閉鎖され、他の生徒や世間から白い目でみられて、今後の就職活動やその他の社会的活動に多いに支障をきたした。にも関わらず、アーデリーは彼らに対する侘び心は微塵も持ち合わせていないのだ。それは、彼女のなかに、彼らが今回の事件では無罪でも、他に同じようなことをやっているに違いないという偏見があるからである。

最近各地の大学で、男女交際に関する厳しい規則が次々に設立されている。しかしそのどれもこれもが、男女間の性交渉において何か問題が生じた場合、全ての責任が男子生徒にあるという立場から書かれている。

たとえばとある男女が合コンでお互い飲みすぎてそういう関係になってしまったとしよう。もしも彼女が酔っていたので適切な判断が出来ず性交渉に同意してしまい後になって後悔した場合、彼女はそれを「レイプ!」と言って彼を責め立てることが出来る。女子生徒には「酔っていたから」といって許される行為が男子生徒には絶対に許されない。

この前にも紹介したレナ・ダナムの件でも、彼女は男子生徒を自分の部屋に招きいれ、お互い裸になってベッドにまで入ったのに、途中で気が変わったのか、後になってその体験があまりよくなかったと後悔したのか、何年も経ってから「私は大学時代にレイプされた」と当時の同級生を名指しで責めた。

これじゃあ男子学生は怖くてやたらに女子大生と付き合えない。さて、これに関して私の好きなパワーラインで時々書いてるペンネーム、アモガールが面白いことを書いている。

私は一生涯で一度も、セックスを期待、いや強く希望せずに、すっぽんぽんになって男性とベッドインしたことはない。少なくとも私はそう。

教えてほしいんだけどさ、私は古い人間だから若い女の子たちに聞くんだけど、男性の前で裸になってあなた方は何の反応も求めてないわけ?(「見せもんじゃないよ、単に隣の寮部屋の平均的な裸の女性が寝ようとしているだけだ、スポーツ番組でも見て無視しろ」ってなもん?)

幼稚園生の時代からきゅうりにコンドーム着せてた世代でしょう、それが男性の性欲についてこれっぽっちも知識がないってのはどういうことよ。

もちろん長年に渡る結婚生活のなかでは、「あなた、お休み」といって寝てしまうことはある。でも服を着ていない男が服を着ていない女とあったかい心地よいベッドで一緒にいて何にも起きないってな本はかけないでしょうが。(ここで幼稚な「やった、やらない」賭けジョークを挿入)男性はささやかなヒントは見失うかもしれない。でも普通の健康な男なら、自分のベッドに自主的に裸の女がはいってきたら今夜はラッキーなことが起きると取るのは当然。

それが嫌なら、いったいあなたそこでなにをしてるわけ?

アモガールは同記事のなかで、自分から裸になって男性のベッドに入って男性が何もせずに寝返りして寝てしまったら、それこそ頭にくると書いているが、全く同感だ。女が自分から迫って拒絶されるほど恥かしい事はないからね。強姦の被害者に「そんなところで何をしていたんだ」と聞くのは被害者を責める二次レイプだとか言うフェミニストがいるが、ここまで来るとこの質問は適切だろう。

何度も繰り返しているが、後になってセックスを後悔した、もしくは振られた腹いせに復讐しようとかして、虚偽な強姦罪をでっちあげる行為は邪悪だ。それは無実の罪を着せられた男性に対しても、本当に凶悪な強姦の被害にあった女性たちに対しても非常な冒涜である。

April 6, 2015, 現時間 12:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 4, 2015

イスラム圏に拡大する企業がインディアナ州の宗教の自由を批判する偽善

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化

先日インディアナ州で通過した宗教の自由を守る法律”Religious Freedom Restoration Act」”(信教の自由回復法)について紹介したばかりだが、それに関してアップル社のクック会長ら大手企業が批判的な意見を表明していると話題になっている。

Appleの最高経営責任者(CEO)Tim Cook氏を含むテクノロジ業界の大物たちは、新しい「信教の自由」に関する法をめぐって、インディアナ州に圧力をかけている。同法は同性愛者などに対する差別に利用されるおそれがある、と批判者たちは主張する。

 Cook氏は米国時間3月27日、Appleは同法に「深く失望」している、とツイートした。Appleは、世界で最も成功している企業の1つで、最も人気の高いブランドだ。(略)

その通り。アップルは世界中にその企業を拡大しているが、特に興味深いのはアップルによるサウジアラビア進出。サウジといえば極端な男尊女卑で女性は運転も出来なければ野外での一人歩きは禁止。外出の際は家族の男性同伴のうえに頭巾着用が強制されている国。同性愛はもちろん違法。同性愛者はそうとわかればその場で逮捕されて拷問の上斬首される(かどうかはわからないけど)ような国。そういう国に同性愛弾圧について何も言わずに自社の企業を進出させておいて、インディアナ州のマイナーな法律を批判するってのは偽善にもほどがある。

ところで、この記事ではこの法案についてきちんと説明がされているので、そのまま抜粋させてもらうと。

 

問題となっている法案「Religious Freedom Restoration Act」(信教の自由回復法)は3月26日、インディアナ州知事のMike Pence氏の署名によって、法律として成立した。州政府や地方自治体の行為は、その行為が「説得力のある政府の利益を促進するのに不可欠」であり、それを実行する「最も制限の少ない手段」であることが示されない限り、「信仰を実践する人々の権利に大きな負担を課してはいけない」と同法は宣言している。

 1993年に可決された連邦法に基づく同法は、信教の自由に関連する問題の解決に関して、明確な法的指導を提供するだけだ、と支持者は主張する。

アメリカではすでに同性愛行為そのものは違法ではない。同性結婚も州民の意志を無視した行為とはいいながら、法廷によって合法になった州もいくつかある。(カリフォルニアではまだ合法ではないので間違えないように。)

このRFRAは決して同性婚者やその支持者を差別してもいいという法律ではなく、自分の宗教の施行に関して極端な弊害がある場合は、個人でも企業でもその行動を拒否する権利があるというもの。つまり同性婚に反対な人を無理やり同性結婚式に参加させたり、ケーキ屋さんに同性婚ウエディングケーキを無理やり焼かせたり、写真家に結婚式の写真をとらせたり、といって行為を政府が強制することはできないという法律。

ともかく、同性愛活動家たちのダブルスタンダードや偽善は、彼らが攻撃の標的をキリスト教徒に絞り、キリスト教よりもずっと厳しく同性愛行為を禁止しているイスラム教に対しては全く無言であるという点だ。何故同性愛者たちはアメリカでもイスラム教徒の多いミシガン州のディアボーンあたりのケーキ屋さんに行って、同性婚祝いのウエディングケーキを焼いてくださいと頼み、断られたらどれだけイスラム教徒がヘイトな宗教だと主張して訴えたり嫌がらせをしたりしないのだろうか?

という疑問が生まれるのは当然である。それで、イスラム教ケーキ屋さんに同性婚ウエディングケーキをたのんだらどうなるかという実験をした隠しカメラのビデオが最近公開された。ラウダー・クローダーという保守派のコメディアン・評論家がゲイに扮してイスラム教徒経営のケーキ屋さんを幾つか尋ねて、同性婚のウエディングケーキを焼いてくれと依頼したところ、どこの店も即座に断った。どの店も彼を失礼な態度で応対したりはしなかったが、「うちでは出来ません、~さんの店ならやってくれるんじゃないでしょうか」というのが共通した答えだった。

ところで、インディアナ州にあるメモリーピザというピザ店が、FRFAについてどう思うかというテレビのインタビューで、自分らの店はキリスト教徒経営なので、同性結婚式のための出前だったら断るかもしれない。と答えたことがあだとなって、全国中のゲイやその支持者たちから同店のフェイスブックにヘイトメールが殺到し、消費者によるレストラン批評のページでは悪評が何百と掲載され、いっぱんのお客さんから受ける注文用の電話もヘイトコールによってふさがり、全く商売あがったりの状態となってしまった。

こんなひどいことをしたゲイやその支持者の活動家たちは、先のビデオでウエディングケーキ作成を断ったモスレムの店にもヘイトメールやヘイトコールを送るだろうか、何故か疑わしいね。

それにしても何故同性愛活動家にしろフェミストにしても彼らにとって最悪の敵であるイスラム教の冒涜を完全無視するのだろうか?「平等だの寛容だの全く語彙にないイスラム教の悪行は完全無視して、ただ放っておいて欲しいだけのキリスト教徒を容赦なく攻撃する運動家たちの本当の目的は何なのか?

実はその答えは非常に簡単だ。同性愛活動家もフェミニストたちも実はその本性は社会主義者ファシストである。彼らの目的はアメリカの本来の姿を破壊することにある。オバマ自身、アメリカを生まれ変わらせたいと正直に言って大統領になったのだから、その支持者が同じ考えだと考えるのは道理。

アメリカを破壊するためにはアメリカの基盤となっているユダヤ・キリスト教を破壊することが大事。イスラム教はアメリカ文化には無関係なので攻撃の対象にはならない。いや、それどころか、反アメリカという点で今のところ自分たちと同じ側に立っていることから、かえってゲイ活動家もフェミストもイスラム教に迎合するきらいがあるという皮肉な状況が生じる。無論アメリカ破壊の暁には両者ともに権力争いをするのだろうが、それはまた後の話。

April 4, 2015, 現時間 10:20 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 14, 2015

プラネットフィットネスはジムではない、まじめな運動を敬遠する不思議なビジネスモデル

フェミニズム , 健康管理

先日、プラネットフィットネス(PF)というジムで女子更衣室に居たトランス男性について苦情を述べた会員が逆に会員権を剥奪されるという事件を紹介したが、このPFというジムは昔から色々な件で話題になっているジムであることがわかった。トランス事件が起きるずっと前からPFでは、何故か普通のジムなら当たり前の行為をしているメンバーを他のメンバーを威圧しているとか圧倒しているという変な理由で追い出すことが多く、これまでにも地方では話題になっていたようで、行き過ぎた服装規制が問題で訴訟が起きたこともあった。こんなにメンバーをひどく扱っていては商売にならないのではないかと思うが、メンズヘルスという雑誌に載ったこの記事によると、PFによるメンバーへの失礼な対応は偶然ではなく方針であり、実はそれがPFのビジネスモデルだというのである。

PFには「他人を威嚇・圧倒しない」という原則があり、特に行使されるのが下記の二項目。

  1. ノーグラントルール、運動中に唸ってはいけないという規則。筋トレをやったことのある人なら「う~」と唸ることで力が出ることは周知の事実。しかし、あまり筋トレに親しみのない人の前で重たいバーベルを持ち上げて唸ったりすると、周りの人たちを圧倒するので、禁止。250キロのバーベルを使っていた男性がこの規則を破ったとして会員権を剥奪された。
  2. 自分の体系を誇示する服装は駄目。タンクトップ、お腹が出る服、ジーンズ、バンダナ、といった服装は、体型の良いひとの体つきを誇示し、あまり体型に自信のない人たちを威嚇するため禁止。フィットネスモデルの女性や筋肉ムキムキの男性がフィットした体型を誇示して他のメンバーを威圧しているという理由で脱会させられた。

特に不思議なのが「クランクヘッドアラート」という警報。

PFのスタッフがメンバーがあまりにも筋トレに熱中しすぎて他のメンバーを圧倒していると感じたときに鳴らす火事警報のようなベル。上記のビデオはデイリーショーというお笑い番組がPFを取材したときの模様。警報が鳴ると記者は「確かにこの警報は圧倒されませんよね。」と皮肉たっぷりに漏らしている。

PFでは「無批判区域」「威圧しない雰囲気」を自慢にし売り物にしている。しかし、それは、個々のメンバーが他のメンバーを批判したり威圧しないという意味であって、PFのスタッフによるメンバーへの批判や威圧は度を越している。規則違反をした人に対して警報を鳴らすのは回りの人から注目を浴びる辱めでありハラスメントだ。ある消防署の団員はスタッフと唸り声を巡って口論になって警察まで呼ばれたといっている。

いったいそこまでしてどうしてPFは真剣に運動しようとするメンバーに嫌がらせをするのだろうか?

上記のメンズヘルスの記事の著者、ルー・シューラーはこう説明する。普通のジムでは年初めになると今年こそはと思った人々が多く入会するが、バレンタインズデーくらいになると会費だけ払ってこなくなる人が結構居る。実はレギュラーメンバーが比較的安い会員費でジムの使用が出来るのも、欠席会員がいるからなのだ。もしもメンバー全員がレギュラーみたいに毎日せっせとジム通いをしたら、機械にしろマットにしろシャワーにしろすぐに駄目になってしまい修理費がかさむ。だからジムとしては会費だけ払ってめったに来ない客のほうが好ましいわけだ。

PFの狙いはこの最たるもの。PFはコマーシャルからして「ここはジムではありません、プラネットフィットネスです」といううたい文句で、筋肉もりもりやフィットネスモデルには来ないでくださいといわんばかりの宣伝をしている。PFの会員費は月々たった10ドルという安価。それでどうやってもとを取るのかといえば、それは数で勝負する。

もちろん入会した会員がみんなで押し寄せたらとてもやっていけないのは承知。だからまじめに通ってくる会員はかえって迷惑というわけ。250キロもつかってベンチプレスなんかやるムキムキマンは迷惑このうえない。フィットネスモデルもカーディオマシンを使いすぎるから駄目。だからまじめに運動しているメンバーに言いがかりをつけて辞めさせたり会員権を剥奪するのは計画的な行為だというのである。

そんな馬鹿なビジネスモデルってある?

しかしPFは事業としては大成功しているようだ。1992年の創業以来、アメリカのフィットネスクラブが低迷状態になった2011年でも、ただひとつ成長しておりカナダやプレルトリコにも足を伸ばしているというから、このやり方は正しいのかもしれない。PFのサイトにいってみると、フランチャイズをはじめたのは2003年。現在全国で827箇所にジムがあり、会員数は5百万人とか。

問題はプラネットフィットネスにあるのではない。同社は自己の方針を明確にしている。問題なのはPFを真剣に運動する場だと誤解して入会してしまうメンバーにある。一ヶ月たった10ドルでそんなことは先ず不可能だろう。

ノーグラントルールや厳しすぎる服装規制だけなら、まあ一ヶ月10ドルじゃこんなもんかで済むかもしれないが、トランス男の女子更衣室使用は問題だろう。なぜならこれは、上記の二つの規則とちがって会員全員に影響をもたらす規則だからである。今やインターネットでニュースがすぐに全世界に伝わる時代。トランスだと主張しただけで、男が好き勝手に女子更衣室に出入り出来るとなればそれを悪用する人間が絶対に出てくる。それによってなにかしらの事件が起きれば、単なる「無批判区域」とか「威圧しない雰囲気」などと言っていられない。

はっきり言ってこの方針への逆噴射はかなりなものになると思う。奢れる平家も久しからず、いつまでもこのビジネスモデルが大成功を続けられるかどうか見ものである。

March 14, 2015, 現時間 12:21 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 8, 2015

フィットネスジムの女子更衣室に居た自称トランス男について苦情を述べた女性が会員権を奪われる

フェミニズム , 健康管理 , 同性婚

プラネットフィットネスの女子更衣室で、自称女性のトランス男が自分の隣で着替え始めたのを見た女性メンバーが、女子更衣室に男性がいるとフロントデスクに苦情を述べたところ、同ジムではトランスの人が自分が同一視する性の更衣室を使っていいことになっていると説明した。納得のいかなかったこの女性はジムの本社にも苦情を述べたが、答えは同様。それで女性はジムに出かけていって他の女性メンバーらに、「このジムでは男性に女性更衣室を使わせている。そのことを入会時に明らかにしなかった」と話たところ、トランスのメンバーに恐怖感を与える態度に出たとして会員権を奪われた。

このジムではメンバーが他のメンバーから恐怖感を与えられないよう保証する主義があるのだとか。だったら女子更衣室で男性に見られることで恐怖感を持つ女性たちの権利はどうなるんだ、と聞きたいね。

苦情を述べた女性はイベット・コーミアーさん。彼女の隣で着替えていた人物は同見ても男にしか見えなかったとイベットさんは言う。

「私はびっくりしてショックを受けました。彼は男に見えました。彼は全く女には見えませんでした。これはとってもプロフェッショナルとはいえません。とても恐ろしいことです。」

トランスが自分の性別に一致すると「感じる」方の更衣室だのシャワールームだのトイレを使えるという規則は、女性にとって非常に危険なものだ。テレビなどでよく出てくるニューハーフのような綺麗どこなら別だがイベットさんが遭遇したようなどう見ても男にしか見えない人間だった場合、この男が本当にトランスなのか単に女性の裸を観たいだけの痴漢なのか区別がつかない。今や携帯などのカメラでいくらも隠し撮りが可能な時代。脱衣場で裸の女性の写真を取り捲ったり、一人で着替えている女性に襲い掛かるけしからん奴が出てくるのは時間の問題。

そうでないとしても、女性として、男性の前で着替えたり、シャワーを浴びたり、トイレに行ったりするのは不愉快この上ない。相手がトランスだろうと誰だろうと決して安全な気持ちになれない。そのようなことをメンバーに強制する規則は、それこそメンバーに恐怖感を与えないというジムの精神に反するではないか?何故一握りの変態の気持ちを大事にして圧倒的多数の女性の気持ちを侵害することが許されるのだ?

トランス男が男性の更衣室で着替えるのが恥かしいというなら、トイレの個室に入って着替えればいい。それがいやなら着替えはうちに帰ってからすればいいだろう。

実はカカシはもうずいぶん前になるが、ホリデースパという今はないジムに通っていたことがある。このジムは設立当初、更衣室だけでなく、運動の場所も男女区別をしていた。男性の前でエアロビとか筋トレをするのが恥かしいと感じた女性たちのことを思ってのことだったのだろう。ある時、このジムの女性用エアロバイクを漕いでいると、その前のあったバイクに後ろ姿がどう見ても男性と見える人物が乗り、バイクを漕ぎ始めた。その人の肩幅は私の1.5倍くらいはあり、太ももの太さは二倍以上はあった。しかも単に太いだけでなく、ものすごい筋肉質。女性だったらプロレスの選手でもあんな脚はしていない。

私はもう少しで、「すいません、ここは女性専門の部屋ですけど」と言うところだったのだが、その人がバイクから降りたとき、長めの髪の毛を後ろに振ったしぐさが非常にわざとらしく女性っぽかったことと、胸が大きかったことから、「なんと醜い女だ、、」と思って口ごもったことがある。

後でよくよく考えてみたら、あの人はトランスだったんだろうなと思う。

あの人は少なくとも女性に見える努力はしていたので、私は何も言わなかったのだが、あれがひげ面のおっちゃんだったらフロントに文句を言っていた。しかし現在のトイレ法などでは、外見がどうあれ自分が女性だと思う人間は女性のシャワー室に入れるのだ。これは痴漢を大歓迎しているのと全く同じだ。

ちょっと余談だが、この間空港で機長の制服を着た背の高い男性がコーヒーを買っているのを観た。この人が目に止まったのは、彼が機長には不似合いな長髪だったことと、耳にダイヤのイヤリングをしていたことだ。変な格好の人だなとおもってしげしげと見つめてしまったら、なんと化粧をしてるし胸も出ている。

でも骨格はどうみても男性。コーヒーを注文した声も完全に男性。これが俗に言うトランスなんだな、と感心してしまった。それにしても男性のままで居ればかなり格好いいのに、どうして醜い女性になりたいんだろう、と非常に不思議に思ってしまったのだった。

March 8, 2015, 現時間 2:37 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 4, 2015

第三者の目で慰安婦問題で対立する双方のグループを見てみたい

フェミニズム

先日からアメリカ国内における慰安婦像建設を巡って、アメリカで左翼日系団体と保守在米邦人及び日本の団体が対立しているという話を書いてきた。私はどちらの団体にも所属していないので、いちおう第三者として双方の団体についてお話したいと思う。が、ここではっきりさせておく必要があるのは、私はアメリカの保守派である。そして慰安婦像建設には断固反対派。であるから決して中立な立場ではない。

前回も書いたとおり、この件に関してだけ言えば日本の保守派団体の人たちと意見が合っているが、他の件でどのような見解を持っているひとたちなのかわからないので、安易な交流は避けるべきなのではないかと思った。それで一応反対派で在米のエドワーズ博美という人についてちょっと調べてみた。

ふぇみwikiによると、

エドワーズ博美 (えどわーず・ひろみ)は山口県岩国基地内にあるメリーランド大学分校の日本語教師。『正論』2002年10月号に掲載されたプロフィールによると、「メリーランド大学アジア学部卒、同大学院心理カウンセリング修士課程修了。カリフォルニアコースト大学心理博士課程在籍。メリーランド大学、セントラル・テキサス大学講師。本職は母親業及び主婦業」。

『正論』2002年10月号に掲載された「脱・家庭崩壊社会への胎動 フェミニズムの害に目覚めたアメリカリポート」という記事は、米国のアンチフェミニズムの書籍や保守系シンクタンクの報告書をネタ元に。フェミニズムがいかに米国で支持を失いつつあるかを力説したが、肝心の事実関係に間違いが多いと批判されている。この他、山口県に本部をおく保守系出版社日本時事評論社の出版物に記事や講演録を寄稿している。

「肝心の事実関係に間違いが多いと批判」しているのは多分フェミニスト諸君なのだろうが、実際に彼女がどういう思想をもっているかは下記の論文を読むとよく理解できる。(pdfファイル)

結婚して母になることはなぜ大事なのか - 全米調査が語る離婚の弊害と家族のあり方 エドワーズ博美

この論文の主旨は、伝統的な結婚が子供の教育ひいては社会の安定のためにいかに重要であるかということであり、離婚や未婚の母の害などについてデータを出して述べられている。まず冒頭で彼女が私が尊敬するクリスティーナ・ホフ・サマーズ女史の話をしていることからしてもうすでに気に入った。

彼女はアメリカ海兵隊員のご主人と結婚してから軍人の家族が通える大学に入学して三人のお嬢さんを育てながら10年かけて修士まで取ったそうだ。現役ではなく大人になってから大学に行ったという点でカカシと似ているが、子育てしながら修士までとるとは大変なことだ。独身で仕事もしないでのうのうと大学へ行った私とは大違い。

エドワーズさんは、日本でも外国人選挙権を反対する演説などもしており、移民に関する考え方は私に近いと思われる。ただ、ちょっとアメリカでの実情を美化しすぎているようにも思える。アメリカの移民問題は日本よりも深刻だが、アメリカがそれにきちんと対処しているかのような発言はちょっとし違うのではないかと思う部分もある。もっともエドワーズさんの演説はオバマ大統領のめちゃくちゃ移民政策が公になる以前のことだったのかもしれないが。

さて、これに対抗している小山エミらが筆頭となって始めたFeNDは、私がエミちゃんのことを全くしらなかったとしても、そのホームページの紹介欄を読んだだけでどれだけハチャメチャな極左翼を通り越したクレージー団体であるかがわかる。まず名前からしてJapan-U.S. Feminist Network for Decolonization (FeND) (脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク)。ちょっと待ってよね、いったい日本やアメリカがどの国を植民地にしてるっての?

こちらホームサイトから抜粋。

脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)は、日本とアメリカ両方による植民地主義に対抗する運動家と研究者のネットワークです。

FeNDの創立者は、米国在住の日本にルーツをもつ人たちです。わたしたちは、南カリフォルニアやその他の米国の地域における在米日本人(日系アメリカ人ではありません)の一部などによる極右の歴史修正主義運動に対抗するために当団体を立ち上げました。例えば南カリフォルニアの歴史修正主義者らは、 日本軍「慰安婦」制度の被害者たちに捧げられた銅像を建てたカリフォルニア州グレンデール市に対して、訴訟を起こしています。

また、わたしたちは、沖縄・ハワイやその他のアジア太平洋地域における米軍の駐留、日本の再軍国主義化などにも反対します

あのですね~、ハワイはアメリカの州ですよ、植民地じゃありません!

というわけで、このグループがどのくらい狂っているかはこれを読むだけで明らかだと思う。アメリカが世界各国に基地を置いているのは世界平和を守るためであって植民地が目的ではない。また、日本が軍備強化することは必ずしも旧日本帝国のような植民地政策を始めるという意味でもない。

どうも軍事強化=帝国主義、と結びつける輩が多くと困る。

はっきりいってなでしこアクションの人たちは、こんなグループは相手にしないほうがいい。そんなことに大事な時間や費用をついやすべきではない。テキサス親父やマイケル・ヨン氏もこんな奴らのいうことを真に受けないほうがいい。

ところでなでしこアクションの人が12月にグレンデールに来て、グレンデールの中心街にあるアメリカーナ野外モールのクリスマスのデコレーションに感動されたよし。こんな素敵な町なのに慰安婦像なんかあるのは残念とのこと。まったくその通り。

あんな目障りなものはとっとと撤去してもらいたい。

January 4, 2015, 現時間 11:54 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

性同一性障害少年の自殺を口実に障害治療を違法にしようとする動き

フェミニズム , 同性婚

去年のクリスマスに、性同一性障害に病む17歳の少年、ジョシュア・(リーラ)・アルコンが走行中のトラックの前に飛び出し自殺した。少年は女子であると主張する少年の病気を無理やり治療させようとした両親への抗議文をフェイスブックに掲載した。これを悪用して同性愛団体がトランスジェンダーコンバージョン治療を違法にしようという署名運動を始めた。

私は以前から性同一性障害の治療が野蛮な性転換手術のみであり、他の治療法を認めたがらないトランス社会の横暴なやり方に非常な苛立ちを感じている。記事にあるようなコンバージョン治療というものがどういう類のものなのかわからないが、カリフォルニア州では、性同一性障害患者に「あなたは自分が異性であるという妄想をもっているだけかもしれない」という精神カウンセリングをすることすら違法となっている。これが正しい医療といえるだろうか?はっきり言ってこれは言論の自由迫害だ。実際に性転換手術をうけてから自殺する人の数は手術を受けなかった人より多いという調査結果もある。

ジョシュア少年が自殺したのは悲劇である。だが、彼の自殺が実際にコンバージョン治療によるものなのか、彼をトランスだと思い込ませたうつ病にあるものなのか現時点では解らない。

この件に関しての記事は全てコンバージョン治療が悪質な拷問であるかのように書いているが、その治療というものが一体どういうものなのかという具体的な例が出されていない。また、治療によって良くなった人たちがいるのかどうか、つまり成功率や失敗率に関するデータがまるで表示されていない。

コンバージョンセラピーを違法にせよ! と騒ぐ前に我々は次のことを学ぶ必要がある。

  1. コンバージョンセラピーとは具体的にどのようなものを指すのか

  2. 治療の成功率/失敗率はどのくらいなのか

  3. 治療の結果、自殺に追い込まれた患者はどのくらいいるのか

  4. 他にどのような治療法があり、その成功率/失敗率はコンバージョンに比べてどのよういなっているのか

繰り返すが、性同一性障害の治療が性転換だと決め付けるのは非常に危険だ。私は性転換手術をしたことを後悔している人たちの記事をずいぶん読んだり聞いたりしたが、手術後の自殺者も多い。そのことについては去年にも書いたことがある。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

コンバージョン治療を違法にせよとわめきたてる運動家の理屈でいけば、手術後患者の自殺率が一般社会の自殺率より20倍もあるような治療は断固違法にすべきということになるが、トランス運動家の間に性転換手術反対の声は聞かれない。それどころか性転換手術以外の治療は断固阻止するという動きのほうが圧倒的に強い。

トランス運動家は、手術を後悔して元の性に戻りたいという人々の声を暴力的に沈黙させている。

彼らの目的はまよえる子羊を救うことにあるのではない。彼らは自分らの変態的な生活を無理やり一般社会に押し付けることにある。だからちょっとでもトランス人口を増やすことが目的なのであり、性同一性障害に病む患者を治療することなど全く興味がないのだ。

私は「コンバージョンセラピーは違法にすべし」という法律は絶対に通してはならないと思う。特にこの治療の内容が具体的でないことが一番危険だ。

さて、関連記事だが、アメリカの老齢者用健康保険が性転換手術費用を支払うことになり、74歳の男性が女性になる転換手術を行なった。

国民の税金をこういうふうに無駄遣いするとは、いい加減にしてもらいたいね!

January 4, 2015, 現時間 10:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 2, 2015

アメリカで繰り広げられる日本を巡る左右運動

フェミニズム , 左右思想

アップデートあり(1月4日):

この間、ひょんなことから私が先の戦争中(イラク・アフガン戦争)に追っていたマイケル・ヨンというフリーの海外記者が、何故か日本と韓国の慰安婦問題について書いているという話をしたばかりだが、ヨン氏は最近自分の英語のサイトとは別に日本語でもサイトを立て、英語と日本語の両国後でエントリーを書いている。

私は彼の書いている内容は過激で反韓感情を丸出しすぎているように思え、ちょっと抵抗あるのだが、それはまあいいとして、日本語の翻訳がひどい。ヨン氏の英語はアメリカ英語だが、かなり皮肉たっぷりのアメリカ的言い回しが多いので、日本語に訳すとへんてこな文章になり意味が伝わりにくい。私もミスター苺の書いた英語のエントリーを何回か拙ブログで日本語に訳したことがあるが、私の訳が下手すぎて意味が伝わらないことが多かったように思う。それで私は英語を日本語に訳すときは、そのまま訳さず先ず原文をきちんと理解してから自分なりに日本語の文章を創作するようにしている。そうでないと日本語の意味が通じなくなることがほとんどだからである。

さて、本題に移ろう。実は、小山エミなどが中心となってFeNDという在米邦人/日系人のフェミニスト団体が創設された。この団体は言わずと知れた極左翼団体。そしてこの団体が創設された目的というのも、日本の極右翼国粋主義と戦うためというものだ。で、真っ先に彼らの宿敵として名指しされているのが、なでしこアクション(在特会関連)、論破プロジェクト幸福の科学関連)エドワーズ博美さん(フェイスブックはこちら)といった人たち。この中には言わずと知れたテキサス親父ことトニーマラーノ氏も含まれている。 これらの面々が集まった記念写真がこちら。

小山のエミちゃんがご丁寧に「慰安婦否定論者たち」という見出しつきでサイトに掲載しているのから転載させてもらった。

私は日本の保守派団体の事情は知らないので、これらの団体がエミちゃんが言うような極右翼なのか、バリバリの国粋主義者なのかなんともいえない。

実を言うと、私がアメリカにおける慰安婦像建設には断固反対であり、日本が韓国に補償金を払ったり謝罪をする義務はないと思いながらも、アメリカにおける慰安婦像反対運動に積極的に参加しない理由は、そうした運動を率先しているひとたちの本質がいまひとつつかめないからである。

それに比べてアメリカの左翼リベラルの実情は理解できるし、左翼リベラルの偽善的なキーワードもすぐに見つけられるので、FeNDが極左翼フェミニスト団体であることは一目瞭然。カカシとは絶対に相容れない思想の持ち主であることは明白。しかし彼女たちと立ち向かっているから反対側は私と同意見なのかといえばそれはそうともいえない。敵の敵は必ずしも味方ならず。いくら慰安婦問題や竹島などの件で意見があっても、旧日本政府のナチスドイツとの同盟は正しかったとかイスラエルは撲滅すべきとかいうアンタイセメティズムの団体だったりしたら目も当てられない。(これらの団体がそうだといっているのではないのであしからず)

ところで、エミちゃんが紹介した「慰安婦否定論者たちの顔」という写真の見出しが気に入らないとして、テキサス親父ことマラーノ氏がFeNDでコメントを書いている。その内容はエミちゃんの日本語ブログに書かれているから引用。

マラーノ氏の当初の言い分は、自分は「慰安婦」の存在を否定しているわけではないのだから、慰安婦否定論と呼ぶのは間違いだ、というものだった。しかし歴史否定論というのは、ある歴史的事象について重大な事実を否認することをさすので、この反論は当たらない。ナチスドイツによるホロコーストはあったけれども本来の目的は虐殺ではなく国外追放だったとか、ヒトラーらナチス幹部は虐殺を知らなかった、あるいは犠牲者の人数は数千人に過ぎなかったという論者たちも、ホロコーストの存在自体を丸ごと否認する論者たちと同じく「ホロコースト否定論者」と呼ばれるのと同じだ。

つまり、慰安婦という女性たちが居たことは事実でも、日本軍に強制連行されたとか、20万人もいたとか、というのはおかしいのではないか、という疑問を持つことが慰安婦否定論者ということになるという理屈だが、実はこの理屈でいうと小山エミも慰安婦否定論者ということになってしまうのだ。

彼女自身が慰安婦問題についての考えを詳しく書いているエントリーでは、実はカカシとほとんど意見が同じなので笑ってしまった。

性的人身取引(ヒューマントラフィッキング)の問題について取り組んでいて一番問題だと思うのは、メディアや政治家などが、センセーショナルな例外的ケースに飛びついて、より一般的な例を見ないことです。たとえば、サディスティックな極悪犯が、幼い少女を誘拐して、毎晩何十人もの客を相手に売春させている、みたいな話ですね。

そういう例がないとは言わないですが、決して多くはない。もっとよくあるのは、恵まれない環境にいる十代後半の人たちが、家出したり、家から追い出されたり、あるいは施設から逃げ出して、生活のために売春をするケースです。そのなかで、住む家を与えるかわりに、搾取しようとする人に出会ったりする。

性的人身取引の問題を解決するには、かれらが家出したり逃げ出したりする根本的な原因、それはたとえば貧困であったり、家族のホモフォビアであったり、ほかにもいろいろ理由があるわけですが、それらに対処する必要があります。

(略)

その経験から考えるに、慰安婦問題においても、センセーショナルな例だけに注目し、それが全体であるかのように言うことで、議論を間違った方向に導いている人たちがいます。吉田証言がその最たるものですね。まああれは特殊例ですらなかったですが。

そういうセンセーショナルな取り上げ方は、「日本に対して不当である」以前に、実際に被害を受けた元慰安婦の方たちに失礼でもあります。

元慰安婦の方たちの証言をきちんと聞けば、とくに朝鮮半島においては、騙されたり売られたりして慰安所に連れてこられ、借金を負わされて売春を強要された、という証言がほとんどです。決して吉田証言のような暴力的な誘拐ではない。(とはいえ、性道徳の厳しい韓国社会において、少なくとも初期においては、暴力的に誘拐された、以外には告白できなかった、という事情はあったかもしれません。)

いっぽう、より前線のほうになると、軍によって直接連れ去られた、という証言が増えます。前線では、食料の補給もままならないことが多く、現地の軍が住民から直接接収したことも多かったようなので、慰安婦の補給が追いつかない前線で慰安所を設置しようと、そのような行為に出た部隊があったというのは、ありえる話だと思います。実際に、オランダ人女性に対する拉致暴行で戦犯裁判が確定している件も、そういう状況で起きたものだと思います。

ここまで常識がわかっているのに、なぜ韓国の理不尽な要求を擁護して日本政府を攻め立てる団体に加入したりするのか、私にはそこのところがわからない。

旧日本軍が韓国の女衒らに騙されて集められた慰安婦たちをそうと知っていながら雇っていたなら、旧日本軍にも責任がある。その点は私も同意する。が、しかし、それは今は存在しない帝国日本の支配下にあった今は存在しない旧日本軍の責任であり、現日本政府の責任ではない。

にもかかわらず、現日本政府は何度も韓国に補償金を払い、しなくてもいい謝罪を続けてきた。いったい韓国はこれ以上日本になにをやれというのか?

とここまで考えるとヨン氏が自分のサイトで書いていることに戻る。結局韓国は日本から金をゆすり取るのが目的。慰安婦問題も単なる口実。普段なら売春婦などを抱擁している図なんざ絶対みられたくないと思ってるような政治家たちが、ジャパンバッシングとなると年老いた「慰安婦」をテレビに出演させて偽の同情心丸出しで政治の道具に使っている。

フェミニストといわれる人たちが、そんな政府の女性利用に手を貸すというのはいったいどういうことなのだろう?

無論その答えは簡単。左翼フェミニストの目的は女性救済にあらず。女性を利用して自分らの政治的権力を高めるのがそもそもの目的。

この問題左翼団体も右翼団体も私にはちょっと近寄りがたい。

アップデート

ヨン氏の日本語サイトに翻訳が下手だなあ、という失礼なコメントを残したカカシに対して、非常に丁寧な返答をしていただいたので、こちらとしても失礼をお詫びした。翻訳はプロでなければそう簡単に出来ることではないし、私自身も結構日本語訳が下手すぎると批判された体験もある。見ず知らずの人に失礼すぎたことを言ったことに深く反省している。下記はヨン氏翻訳者さんからの返答。

苺畑カカシ 様

コメントありがとうございます.
Yonさんの文体はシンプルですが洗練されています.そのためかえって訳出が難しくなっています.

翻訳はボランティアでやっています.こなれた日本語に再変換する時間がありません.
そのため原文にできる限り忠実に訳出することにしております.
これが多少というか,かなり読みにくい,かたい訳になっている理由です.

誤訳のご指摘,文章の改善等の提案など,お知らせください.
改訂版に反映させます.

ご協力ありがとうございます.

January 2, 2015, 現時間 12:47 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 29, 2014

え、なんでマイケル・ヨンが韓国慰安婦について日本語で書いてるの?

フェミニズム

皆さんはマイケル・ヨンという突撃ジャーナリストのことをご存知かな。自分も元軍人でイラク戦争時代から従軍記者としてイラクにも行っていたことがあるし、中東などでも体当たり取材をしていた人。拙ブログでも何回か紹介したことがあるが、最後に引用したのは2008年。彼のブログは一応お気に入りにしてあったのだが、あまりアメリカ軍の活動が活発でないので、最近はあまり見ないでいた。ひょんなことから彼の名前をまた聞いたので、久しぶりに彼のサイトに行ってみたら、突然日本語が出てきてびっくりした。しかも内容が韓国慰安婦の問題で、韓国側の主張はすべて嘘だったというもの。

この記事が書かれたのは11月の末のことなので、ま、カカシはちょっと遅れを取ったようなのだが、実は以前にもマイケル・ヨンが慰安婦問題に何故か関わっているという話をどっかで聞いたことがあった。ネットというのはおかしなもので、ひとつの題材についてちょっと調べ始めると意外な人たちの名前が飛び出してくる。左翼フェミニストの小山エミが慰安婦問題で在米日本人や日系人の子供がいじめにあっているというのは嘘だでっち上げだという記事を書いているのをみつけたのも偶然なのだが、その関係の記事を読んでいるうちにマイケル・ヨンの名前が出てきて、え、なんで?ということになったわけ。

ヨンの主張は非常に面白い。彼の主張は20万からの韓国女性が強制的に慰安婦として働かされていたという事実がもし本当だとしたら、日本軍や韓国人男性はどの様な行為をとらなければならなかったか、という軍人としてロジスティクス【logistics】 {軍事用語で兵站(へいたん)の意。企業の物流合理化の手段。原料の手当てから販売まで、物流を効率的に管理するシステムをいう}の立場から語っている。

先ずヨンは、当時日本軍には韓国人の兵士が多くいたことを指摘。ということはもし日本軍が強制的に韓国女性を連行したのであれば、韓国人男性もその行為に加担しなければならなかったはずだというもの。

ヨンは当時の韓国の人口は約2,300万人で、現在のテキサス州の人口は約2,600万人と似ていとし、もしテキサスの女性20万人が軍隊に連行されそうになったら、テキサスの男たちは黙っていないという。しかも軍隊のなかに多くのテキサスの男たちが混じっていれば、軍隊のなかで殺し合いが起きること間違いなし。韓国人男性が特別臆病だったというなら別だが、自国の女性が20万人も強制連行されるのを韓国人男性が指をくわえてみていたというのはどう考えてもおかしいというのだ。

ま、韓国は日本にほとんど抵抗なく併合されてしまったから、韓国男が極端に腰抜けだったというのは事実かもしれないがね。

とはいうものの、私はヨンの次の点に感心した。

20万人からの女性を管理し養うとなると居住施設や食料や衣服などが必要となる。しかも嫌々仕事をしている人間を管理したり警護したりするには人件費もかさむ。戦争真っ只中の日本軍に20万人もの慰安婦を養う余裕があったのだろうか?

この件について日本軍の将軍や提督の立場からも考えてみよう。日本は米国、オーストラリア、イギリス、中国、さらに連合国とも戦争している最中である。 どう考えても手いっぱいのはずだ。特に米国は海軍と海兵隊が進軍し、日本兵を見つけ次第どこであろうと攻撃していたのである。

軍隊の全ての指揮官は、常により多くの兵力と補給を求めるものだ。それが世の中の常である。誰か将軍に聞いてみるといい。もしくは企業の経営者に聞いて みるといい。競争相手に勝ちたい時、あるいは防御したい時には何が必要かと。彼らは常により多くの経営資源(=人、物、金)を欲しがるはずである。

20万人の女性を強制連行して、彼女たちを監視し、移動させ、食べさせる目的に経営資源を費やす将軍がいるとすれば、どんな種類の馬鹿なんだろうか。わざわざもう一つの戦争を作っているようなものだと気付くはずだと思うが?

実際に強制連行があったかないかは別として、ヨンの掲げたこの二つの疑問は非常に大切であり答えを要する。

この問題だけではないが、私は常にもし「Aが本当だとするならばBが起きなければならないはずだ」という考え方をすべての人がすべきだと考えている。それが出来れば物事が事実かどうかは割合簡単に把握することが出来るからだ。

たとえば、地球温暖化が実際に起きているのであれば、地球の温度は上がっているはず、、、あんまり単純すぎる例かな?(笑い)

December 29, 2014, 現時間 12:28 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 11, 2014

どんどん異様な事実が明らかになるバージニア女子大生の狂言輪姦事件

フェミニズム , 狂ったメディア

先日も紹介したバージニア大学の女子大生ジャッキーが2年前に同大学の男子生徒7人から暴力的に輪姦されたという話しだが、事件があったとされる当日の真夜中にジャッキーから呼び出されて彼女から直接話しを聞いたという三人の友達の証言がジャッキーの供述と全く違っていることがわかった。また、ジャッキーが当日デートしたとされる人物の実在性まで疑われており、この輪姦話はどんどん異様な展開を見せている。

このワシントンポストの記事によると、、、

2012年9月28日、土曜日の午前一時、バージニア大学の新入生仲間のランドル、アンディ、とシンディは、前の晩に化学の授業で一緒になった二年生とデートすると出かけていった同級生のジャッキーからヒステリックな電話を受けた。

ジャッキーのもとにかけつけた三人は彼女のうろたえぶりから、彼女の身に何か恐ろしいことが起きたのだと察した。ジャッキーによると、前の晩にデートした二年生に彼が所属するフラタニティーの建物に連れて行かれて、中にいた五人の男子学生からオーラルセックスを強制されたということだった。

この夜のことを、ワシントンポストは三人の証人一人々別々にインタビューしたところ、三人の話はローリングストーンに載ったジャッキーの話とは全く違っていた。

先ず、ジャッキーは、7人の男子生徒から殴られガラスのテーブルの上に投げ飛ばされ、壊れたテーブルのガラスの破片の上で強姦されたと証言している。

ジャッキー自身、当日友達にそんな話はしなかっただけでなく、三人は当日ジャッキーが切り傷や打撲傷を負っていた形跡は全くなかったと証言している。実際もしジャッキーが言うような暴行が彼女に加えられていたのだとしたら、即座に病院にいかなければ出血多量で死んでいただろう。悠長に友達に電話などしている余裕などなかったはずである。

ローリングストーンの記事のなかで描写される、駆けつけた友達三人の冷たい反応についても、三人は全く違うと主張する。元記事では三人が自分らが大学内での社交的な影響を考え、ジャッキーには警察に届けることをとどめたとあるが、実際はその逆で、三人が警察に届けるようにと強く勧めたのをジャッキーが嫌がって自分の寮に送って欲しいと主張したのだという。

友達として彼女の支えになってあげようとしたのは当然だが、三人は当初からジャッキーの話はおかしいと思ったという。それというのもジャッキーがデートをしたというドリューという二年生の存在が怪しかったからである。

ハンサムな二年生の正体

新入生のジャッキーは同じ一年生のランドルと意気投合。当初彼女のほうは積極的にランドルとの恋愛関係を求めたが、ランドルは拒否。その後はアンディ(男子?)とシンディ(女子)四人で友達として付き合っていた。

そのうちジャッキーは自分が救命隊員の仕事をしているときプールで出会った、化学の授業でも一緒になったというドリューという上級生の話をするようになった。興味のあった友達はこの男子生徒がどんな人なのかジャッキーに聞き始めると、彼女はドリューのものだという電話番号を教えてくれた。三人は携帯でドリューとメールを数回やりとりしたが、その際にドリューは自分のものだという顔写真を送ってきた。

だが、ジャッキーがドリューを三人に紹介することはなく、三人は実際にドリューに会ったことがない。三人はだんだんとドリューなる人物が本当に実在するのかどうか怪しむようになっていたという。

ワシントンポストの取材によると、実はドリューが送ってきた写真の主は全くの別人で、ジャッキーの出身高校の上級生のフェイスブックに載っていた写真だったことがわかった。この男性はジャッキーとは全く別の州の大学に通っており、事件当日はその大学の運動イベントに参加していた。男性はジャッキーとは面識がなく、バージニア大学のあるシャーロッツビル市には何年も行ったことがないと証言している。

ジャッキーがローリングストーンで描写したドリューは彼女が友達三人や後に大学のカウンセラーに話たものともかなり食い違っている。特に当時ジャッキーはドリューがフラタニティーのメンバーであるとは誰にも話していないのである。ローリングストーンはさらに、ランドルに取材を求めたが断られたと記載したいるが、ランドルはそんな要請は受けておらず、頼まれれば取材には喜んで応じていたと話している。

大学側によるとジャッキーの言うドリューなる生徒は大学に在学していない。また、大学のどのフラタニティーにもそんな男子生徒は居ないという。

事件から数ヵ月後にジャッキーから相談を受けた大学のカウンセラーも、ジャッキーが強姦されたことは信じきっているにも関わらず、ジャッキーが自分にした話はローリングストーンの話とは違っていたと証言し、警察に届けなかったのはジャッキーの意思だったとはっきり言う。

私はワシントンポストの記事を読んでいて、ジャッキーの身に何かが起きたのは2年前の9月28日ではなく、もっと以前なのだと感じる。それは彼女の身に外的な何かが起きたというより、精神面で何か恐ろしいことがおき始めていたということだ。

私は精神科の医者ではないが、他の精神患者の話しを幾つか読んで学んだことがある。それは、精神分裂症の患者は大抵が大学生くらいになるとその症状がはっきりしていくるということ。それというのも子供のうちは現実と空想の世界がはっきりしなくてもそれほど生活に支障をきたさないが、親の庇護から離れて独立しはじめる大学生になってくると、現実と妄想の世界を切り離せないと、現実社会で生きていくことが不可能になるからである。

故レーガン大統領を襲ったジョン・ヒンクリーという男も精神分裂症だった。彼は大学に行くため親元を離れて暮らしていた。ヒンクリーは大学に通ってガールフレンドも出来たと親には伝えており、三年近くも親から仕送りを受け取っていた。だが、どうもおかしいと思った父親が息子が暮らしているはずのアパートを訪ねてみると、息子は家賃滞納でアパートからはとっくに追い出されており、大学もずっと以前に退学したかされたかしていた。父親が一番ショックを受けたのは、ヒンクリーが詳細に渡って手紙に書いていたガールフレンドが、実在しないことを学んだときだったという。

ジャッキーが精神分裂症だなどと素人の私が勝手に診断できるわけはないが、こういう話を平気ででっち上げることが出来るというだけでも、ジャッキーなる女性は普通ではない。だが、問題なのはこういうおかしな人の話を裏も取らずに全く取材せずに事実として雑誌に掲載してしまった記者や編集者の態度である。

大学構内強姦が多いという嘘

この間も紹介した別の事件、リナ・ダナムも件でもそうなのだが、別の記者がちょっと関係者にインタビューするだけで、事件がどんどん崩れていくのに、元の記者が全く取材を怠るということはいったいどういうことなのか?

最近何故か左翼リベラルフェミニストの間で、大学キャンパスにおける強姦問題が注目を浴びている。何故彼女たちが大学キャンパスを標的にしたのかわからないが、実は大学構内で起きる強姦は構外よりもずっと少ないという統計が出ており、大学キャンパス内で起きる強姦事件は全体の0.3%くらいなのだそうだ。だが、フェミニストたちは大学内は女子学生には危険な場所だ、男子学生や大学側は女子大生を虐待しているという自説を推し進めるのに余念がない。

だから、リナ・ダナムの大学時代に保守派共和党学生にレイプされたという嘘や、ジャッキーの7人の大学生に輪姦されたという妄想が、裏づけもせずに大々的に報道されてしまうのだ。

最近ダナムは自分が話した「バリー」という名前は仮名で実在の人のことではないと認めた。だが、実在する保守派共和党クラブ員だったバリーという男性が受けた被害は、今更ダナムが謝っても取り返しが付かない。彼女の場合は確信犯だ。彼女はそういう男性が存在することを知った上で、読者が誤解して彼を強姦魔だと思い込むことを狙っていた。だが彼の姿形をとっぴょうしもないものにすることで、後で別人だ仮名だと誤魔化せると計画していたのだ。これも大学内における強姦の話を推し進め、保守派共和党員の名誉を傷つけることが最初から目的だったのである。

ジャッキー自身も左翼リベラルのフェミニスト活動家であり、彼女の話を書いた記者も過激派だ。

左翼リベラルにとって事実などどうでもいいのである。自分のはちゃめちゃな説が通せれば嘘だろうと妄想だろうともってこいなのだ。

だからこういう奴らには絶対に騙されてはならないのだ。

しかし一番頭にくるのは、こういうふうに強姦されたと嘘をつく女がいくらも居ると、本当に被害にあった女性たちがはた迷惑をこうむる。実際に被害にあった人たちが信じてもらえなくなるからだ。

常に思うのだが、フェミニストこそ女性の敵である。

December 11, 2014, 現時間 9:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 6, 2014

女は強姦されたという嘘は付かないって本当?

フェミニズム

先週感謝祭で家族が集まったとき、女性が強姦されたという嘘はつかないと主張する義妹たちと議論になった。最近有名人やエリート大学キャンパスを巡る女性強姦の話しが主流メディアで色々とりざたされているからなだ。義妹たちの理屈は、女性にとって自分が性的な冒涜をされたという話を公表するのは非常に恥かしいことだ、なかなか信じてもらえなかったり、そうなったのは自分が悪いと批判されたりすることも多い、そうなると解っているのに何を好き好んで嘘など付くだろう、そんなことをする女性は存在しないというのである。ところが最近話題になった三つの事件のどれもこれも、きちんとした捜査が始まると、被害者とされる女性たちの供述が非常に怪しくなってきた。

  1. リナ・ダナム、人気女優が自叙伝の中で大学時代に保守派共和党の男子学生に強姦されたと暴露した件。
  2. ビル・コスビー、1960年時代からの人気黒人コメディアン俳優が、数人の女性から1960年から1970年にかけてキャリアを援助すると言って呼び寄せられてレイプされたと訴えられている件。
  3. バージニア大学の女学生「ジャッキー」(仮名)という女性が二年前に7人の同大学の男子学生から輪姦されたという件。

どの事件も現在ゴシップ雑誌のみならず主流メディアが「女性への暴力」という肩書きで大々的に書きたてているのだが、そのどれもこれもが本髄を正そうとすると崩れてしまうという、どうやら虚実の訴えであったことが明らかになってきた。しかしもともとの訴えが非常に深刻であることから、加害者とされた人々への被害は多大なるものがある。

ではそのひとつひとつを吟味してみよう。

1.リナ・ダナム、保守派共和党男子学生のバリーに強姦された!

一つ目は人気テレビ番組「ガールズ」のプロジューサーで自分が主演もしている女優のリナ・ダナム。今大ベストセラーになっている彼女の自叙伝「ノットザットカインドオブガール」(そんな娘じゃないわ)の中で、ダナムはオハイオ州で大学生時代、「バリー」という大学でも有名な保守派で共和党の男子学生にレイプされたと書いている。

ところがブレイトバートオンライン紙の記者が彼女の出身校のオバーリン大学に行って取材したところ、確かに彼女が大学生時代にバリーという共和党員の男子学生が在学していたことはわかった。しかし、当時のバリーを知っている人たちによると、このバリーはダーハムが言うような大学の図書館で働いていたことも、大学のラジオ番組でDJをしていたこともなく、顔に口髭があったとか、カウボーイブーツや帽子をかぶっていたというような描写とはおよそ当てはまらないことがわかった。これは当時の人たちの記憶に頼らなくても、バリーは大学の共和党サークル活動を活発にしていた人気者だったので、当時大学で色々と演説したりしているビデオや写真がいくらも残っている。記者は自分の目でバリーがダナムが描写する男性とは全く別人であることを確認した。

記者によると、このバリー・ワン(苗字仮名)はリナ・ダナムとは全く面識がなく、当時も彼はダナムのような同級生が居たことは知らなかったと証言している。ましてやダナムを強姦したなどという事実は当然否定している。

考えただけでも、ダナムのようなバリバリ左翼フェミニストが保守派共和党員の活動家のバリーと接点があるということがおかしい。いったいそんな二人がどんなパーティで一緒になるとうのか。例え仮にバリーがダーハムの居るパーティにたまたま出席したとしても、保守派共和党のバリーと左翼フェミニストのダナムが意気投合してダナムのアパートへ一緒に行くなんてことは考えられない。いったいバリーとダナムにどんな共通の話題があるというのか。それでもリナ・ダナムが絶世の美女とかいうのであれば話もわかるが、ダナムはお世辞にも美人とは言えず、人気番組のガールズのなかでも小太りの裸を意味もなくさらけ出すことで評判である。

それではダナムは別のバリーについて書いたのだろうか。しかしバリーという名前はそれほど一般的ではなく、ダナムが在学中に在学していたバリーはバリー・ワンしかいない。ましてや共和党サークルで活躍していたバリーといえばバリー・ワンしか当てはまらない。これではオバーリン大学と共和党サークルのバリーで検索した人たちは、バリー・ワンがダナムの強姦魔であると思い込む可能性は多いにある。現在は妻子もちのバリー・ワンさんは家族関係や職場での評判に亀裂が生じ非常に迷惑している。現在バリー・ワンさんは弁護士を雇って相談中ということだが、バリー・ワンさんにはダナムを名誉毀損で訴える要素がいくらもあると思うね。

もしもこのバリー・ワンがダナムの言う強姦魔ではないのだとすれば、ダナムは即座に訂正謝罪すべきである。だが、ダナムの目的は最初から保守派共和党員の評判を傷つけることにあったのだから、訂正などするはずがない。バリー・ワンに起きた人災をほくそ笑んでみていることだろう。

2. ビル・コスビーは連続強姦魔なのか?

若い世代の人にはビル・コスビーといってもピンとこないかもしれないが、ウィル・スミスやウエスリー・スナイプやデンゼル・ワシントンのずっと以前に、まだまだハリウッドの黒人差別がひどい時代、黒人俳優というよりも、たまたま黒人という登場人物として、しかも主役としてテレビで一躍スターとなったのがビル・コスビー。コスビーはコメディアンとしてもその才能は最たるもの。面白いし格好いいしで1960年代はアイ・スパイとか格好いいスパイ役で大人気だった。1980年代には30分ものの家族コメディー「コスビーショー」で美人の奥さんがいる四人の子持ちのお父さん役でまたまた大人気。黒人家族のステレオタイプを逸脱した中流家庭を描いて白人視聴者からも愛される番組だった。

最近は、コスビーは若い黒人青年男女に向けて、常に白人からの人種差別に文句ばかり言っていないで、自分で自分の道をひらうくべし、という保守的な内容の演説をあちこちで行なって引く手あまたであった。またテレビのスペシャルなどでも活躍しており、この12月にもコスビーのスペシャル番組が計画されていた。

ところが最近になって、1960年代から1970年代にかけて、コスビーに強姦されたという数人の女性たちが名乗りを上げた。この話が出たのが11月だったため、12月に予定されていたコスビーの日程はすべてキャンセルされてしまった。これによるコスビーの金銭的な打撃は大きいが、それ以上にコスビーの人格への打撃は多大なるものがある。

だいたい50年以上も前に起きたことを今更持ち出してくるということ自体がおかしいが、そんな昔のことではアリバイを出すこともできないし、無実であることの証明などほぼ不可能である。

実は2005年にも原告側の一人の女性はコスビーを訴えており、その時は裁判にならず示談で終わっている。ここではっきりさせておくが、示談とは原告が必ずしも非を認めたということではない。裁判で大騒ぎになって時間とお金をかけて争うと、裁判で勝ってもかえって被害が大きくなることもある。特に有名人の場合は強姦などという話題が長引くのは好ましくない。だから原告にある程度の金をはらって追っ払うというのはよくやることだ。それを利用して裁判をゆすりに使う悪い奴らが幾らでもいる。

すでに示談になっているのに、10年たってまたまた同じ罪で訴えるというのもおかしな話だ。また別の女性は、やはり10年前にゴシップ雑誌に自分が強姦されたという話を売ろうとしたが、雑誌の編集者が話しの真相が怪しすぎるというので掲載しなかったという。ゴシップ雑誌に拒否されるほど中身のない訴えとは、どれほど基盤のないものなのか?

3、大学生数人に輪姦されたという女子学生の供述は真実無根、記事を掲載したローリングストーンが訂正謝罪

先月、ジャッキー(仮名)という女子大学生が二年前にバージニア州立大学のフラタニティー(男子学生用クラブ寮)で行なわれたパーティにおいて、7人の男子学生から三時間に及ぶ暴力的な輪姦をされたという話をローリングストーンがバージニア大学は女性への性的暴行に対する対応がなっていない例として取り上げた。

もしこれが事実ならば大学内で大変な犯罪が起きたことになるため、大学側は事件があったとされるフィカイパサイ寮を閉鎖、関わったとされる男子生徒を停学処分にしていた。だが、警察の協力を得た綿密な捜査の結果、ジャッキーの言うような事件は起きておらず、すべては事実無根であることがはっきりした。特に、ジャッキーが襲われたという日に寮ではパーティは行なわれていなかったことがわかった。また、当日ジャッキーと話をしたという友人もジャッキーがショックを受けていたようではあったとはしながらも、雑誌に書かれたような暴行を受けた傷跡は見られなかったと証言している。

ローリングストーン誌は記事の掲載当初、ことがことだけに容疑者とされる男子学生に連絡を取らないでほしいというジャッキー当人の意思を尊重して男子学生たちにはインタビューしなかったことを認めている。

現役大学生にとって数ヶ月の停学は非常な損害だ。先ずその学期は台無しになるので、次の学期の単位は今学期の単位取得が必要だから、一ヶ月の停学は学生にとって一年の遅れを意味することもあり、卒業間近だったり就職内定だったりしているシニアだったら大打撃だろう。生徒がもしスポーツ選手だったりした場合、選手権にも出られないし、プロへの転向も難しくなってしまう。

第一一般市民が弁護士やとって無実を証明するとなるとかかる費用は並大抵のものではない。家族にかかった負担は大変なものだっただろう。

これらの告発に共通している点は、訴えられている方が保守派男性だということ。告発している女性たちにはそれぞれ保守派男性を糾弾したい、お金をむしりとりたい、名誉を汚したい、というアジェンダがある。そういう女性たちは普通なら恥かしくておおぴらに話せないようなことでも自分は被害者だといって大嘘をつけるのだ。

女は強姦されたという嘘は付かないというのは迷信だ。

December 6, 2014, 現時間 4:02 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 27, 2014

宇宙探索機科学者、着ていたシャツが女性蔑視と責められ涙の謝罪

フェミニズム

クリティーナ・ホフ・サマーズといえばフェミニストの大御所であるが、彼女はあまりにも常識がありすぎて、現在の過激派左翼フェミニストたちからは目の敵にされている。彼女については以前にもカカシは紹介したことがあるが、最近彼女はユーチューブでファクチャアルフェミニストという番組をはじめた。そこで彼女は過激派左翼フェミニストの非常識な活動を色々紹介している。

本日はこのシャーツゲート。マット・テイラー宇宙工科学者といえば、この間彗星に探索機を着陸させた偉大な学者のひとりである。そのテイラー博士が彗星探索機着陸成功の記者会見の際に着ていたシャツが意外な問題をかもし出している。

物議を醸したのはテイラー博士の着ているTシャツである。露出の多い女性がプリントされたTシャツが「記者会見の場にそぐわない」「性差別主義(sexiste)的だ」として問題になったのである。

このインタビュー映像はTwitterで「炎上(enflammer)」、謝罪会見を行う騒ぎとなった。テイラー博士は「重大な誤りで、たくさんの人から非難された。非常に申し訳なく思っている」と言って謝罪した。

まったくなんで左翼フェミニストはこういうくだらないことでいきり立つのかね。そんな暇があったなら、このプロジェクトに参加している女性科学者たちを讃えることに専念してはいかがなものか。

テイラー博士は多分自分もかなりのリベラルなのだろう。そうでなければこんなくだらない批判に涙の謝罪なんてことにはならないはず。ま、公式インタビューの場にこういう下品なシャツを着ていくというのも非常識といえばそうだが、そこはエキセントリックな科学者のこと、そのくらい大目にみてやればいいのに。な~んて寛容度が全く通じないのが過激派フェミニストの特徴。

炎上したツイッターの会話ではテイラー博士はセクシストだと批判する声が多いが、そのなかで、「私が彗星に探索機を送れるような科学者なら着たい服を着るよ」という男性もいた。私も全く同意見である。

私がこの科学者なら次の記者会見では、「フェミニストの方々にはまことに申し訳のないことをした。私は女性への敬意を表するため、今回は半裸などという失礼な絵ではなく全裸女性の絵のついたシャツを着てきました。」とでも言うね。

ところで、ホフサマーズ女史はずいぶん昔から活躍しているので、かなりのお年なのかと思っていたのだが、このビデオを見て、彼女が結構若々しくて綺麗なのでちょっと驚いてる。英語に自信のある方は下記参照。

November 27, 2014, 現時間 10:31 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 18, 2014

カカシは典型的日本女子の悪い例という意見

フェミニズム

というご意見をNさんから頂いたので、拙ブログからは追放するとは書いたものの結構おもしろいメールなので全文公開する。Nさんは共産主義を嫌っているという面だけは救いがあるので今までおつきあいしたのだが、「日本人女子は、、」という人種及び女性差別の言い分にはうんざりである。もてない「オタク」男の悪あがきにしか見えないね。

以下はカカシのコメント抜きのNさんのエントリーである。但し強調はカカシ。

==========

カカシさん。
その後の調査報告をしようと思います。

既に、カカシさんの観点には極めて政治思想の上で偏った
日本人女子の悪い
ポイントとして、露呈する結論に
なったので、特に返事は求めません。

私は、カカシさんと異なり、感情論での分析を避けている
人間なので
、多数の情報源との情報の一致を最重要視している
ポイントが最もカカシさんが、私を理解出来ないポイントでしょう。
正直、在米でありながら、未だアメリカにおいて、市民として
表面的にしか、溶け込めていないカカシさん
がそこにいます。
それは、いかに英語に堪能、そして、文化を知ろうとも、日本
の宗教の構図とカトリックとの関わり、それに助けられた、
アメリカ人との結婚に至るまで、キリスト教の考え方を
上辺だけで理解し、カカシさん自身が知ったかぶりをして
しまっているが故に言える事でもあります。

ブログで発言されている、
If you want peace, Prepare for war
知ったかぶりでラテン語までご披露されていますが、余りこういう
事はされない方が良い。本当の悪人に利用されますから。
(殆どの自信家の場合には、利用されている事にさえ全く
気づかないものです)
一応一般的に流布されている文言は
Si vis pacem, para bellum
で良いかと思います。
一応ロ-マ帝国の軍事学者という触れ込みになっていますが、
まず、先に言える事は、時代背景が全く異なる、現代にこの文言を
適用する概念が間違いであり、カカシさんが、いかに頭が古く、
柔軟性が無いかを説明するものとなります。

もっとも、この時代の日本で教える世界史には、単にロ-マ帝国
というだけで、東西ロ-マの分岐、流れには、大学同様に、教えて
いませんから、カカシさんが、鵜呑みにするのは理解出来ます。

簡単に言えば、東ロ-マから始まった、ユダヤの想定されなかった
好戦的な態度が、現在の神学の思想の根元を原点とする戦わねば
領土が侵されるという、旧ロシアの基礎思想とも連結される
事から来ています。
日本では全く説明されていませんが、神学(リベラルア-ツ)とは、
日本では左翼思想に分類される側になり、現中国の道教から
部分的に貰っています。
これが、正教会と結びつき、方やIRA、方や、イタリア修道会
のシチリア側との接点宗派として、成り立っていますから、
先の思想の、「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。」
という概念は、アメリカ人ならば、ある程度理解出来るでしょうが、
カカシさんの様に、日本の宗教(真言宗、臨済宗、天台宗、曹洞宗、
国家神道、浄土宗、浄土真宗、戦好きで僅かな人達にだけ信仰
された、日蓮宗)の相互の相関図など分かりますまい。

日本でも、キリスト教では、日本キリスト教会と日本基督教団
がありますわな。それぞれの、本部を知る日本人女子に会った
試しがありませんから、いかに見た目だけでアメリカ人と
結婚したがるかが分かります。つまり、バカばかりです。

言うまでも無く、道教は、その昔、鑑真が、現在の曹洞宗として
日本に輸入した事が教科書には書かれています。
曹洞宗、臨済宗(映画=陰陽師 という事さえ、アナタは知りますまい)
は、禅宗と言われ、座禅を組む事で、御仏に、礼儀を示して、
導きを求めます。
奈良の大仏は、基本が天台宗ですが、曹洞宗も受け入れているため
台座に座っています。台座というのが、重要な意味を持ちます。
この曹洞宗の閉鎖的な思想が、更に閉鎖的になり、内向きな、
ロシア正教会と、合体すれば、そりゃ、領土が奪われると、毎日
疑心暗鬼になりますわな。
これが、上記の汝平和....。なんですわな。

でも、元から疑心暗鬼だから、外交が極めて下手で内向きな
側面があった、即ち、情報収集が極めて下手だから、常に軍備
増強していなくては、不安で安眠出来ないと読めます。
しかし、いたずらに、軍備増強をすれば、いかに敵国だろうと
外交の前に、相手に戦争を今すぐ始めるゾと誤解を与えてしまう。
だからこそ、ロシアは、昔から領土拡大による軍備に頼る平和主義
しか、唱えられなくなり、国民も同時に、騙さなくてはならない
事から、常に、必要も無いのに、相手国を威嚇していなくては
国民からの反逆の恐れも含めて、国が維持出来なくなる。
そういう思想にカカシさんは、全く気づいておらず、彼らの
戦略通りに、威嚇で、武装させ、戦争開始への、大義名分を
中国に与えようとしている。
世間知らずにも程があるってものですな。


因みに、情報を平等に集めた結果、書籍や、議員の情報と
ネットの報道各社の情報を収集した、分析結果では、悪さを
しているのは、日中間で、臨戦状態になる事で、中国に
外交ル-トを強く持つと言われる、創価学会、公明党
の銭欲しさの悪ふざけと、中国共産党の、資金不足から
来る、抜き差しならない崩壊への焦りですな。

現時点の習近平政権の焦りの理由は、戦争を始めても、
中国共産党幹部の海外逃亡で、共産党そのものが崩壊する
直前の状態にあり、逆に、戦争を起こさなければ、徐々に
拡大しつつある、騙された事に気づいた、国民からの
中国共産党本部への大反乱による、実質崩壊の板挟み
から、尖閣列島への侵略行為を限界点として、行っている
という事です。
何故なら、尖閣列島までなら、米国防長官が安保条約
に言及するだけで、済み、日本の自衛隊出動から、
日本人に緊張感を与えて、創価学会、公明党経由で
中国共産党運営費用が、日本の税金で賄えるという
非常にせこい考え方が現時点の全てです。
これが、私の言及した、中国のレ-ルの意味です。

いかに、アナタが騙されやすいか、お分かりかな。

それと、もう一つ、
「もう、お返事は書けない。」
これも、外交素人、言わば、営業素人だと、
自ら世間を知りませんと白状する人の
特徴です。国として、相手国にこんな返事を
書いたら、即刻戦争です。
気軽にその時の気分で風見鶏になり、自由に
職務放棄をしてしまう、アナタはその立場に
いたとしたら、どうなりますかな?
優柔不断も手伝って、直ぐに決断出来ますまい。

返事として書かれた、文面は立派なものですわ。
しかし、中身が全く無い、教科書通りにしか、説明
とスピ-チが出来ない、日本人女子の、悪い常識です。

責任を逃れたい余りに、社会主義圏に亡命しか無いでしょう。

April 18, 2014, 現時間 7:45 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 8, 2014

日本とアメリカ、男性とは違う女性の見る社会

フェミニズム , 東洋危機

コメンターのNさんから非常に興味深いメールを頂いたので、少しづつご紹介していきたいと思う。メールの本題とは少しずれるのだが、女性としてちょっと気になった部分があったので少し書きたいと思う。

先ずはNさんのメールからの抜粋:

カカシさんが、来日されて、実際にしばらく滞在されながら、訪日アメリカ人の様子を眺められると、かなり印象を悪くされると思います。裏で日本人に対する悪口など少なくありませんから。多くは、交際日本人女子の悪影響です。日本人を殆ど信用していない事が見て取れます。

アメリカに行く女子は、折角渡米して、日本の正確な情報を提供してくるかと思いきや、白人男と寝ることばかり考える輩が減らない事です。その上、日本人男子の悪口を酒の肴にしたがります。これは、噂話では無く、民主党側になりますが、国会議員支援者で米駐在員経験者と、秘書を含む外務省経由の情報なので、ある程度信憑性が認められると判断しています。
帰国後に経験談として渡米して、あたかも才色兼備であるかのごとく宣伝しアメリカでは実際はお荷物渡米だったという事情が少なくありません。(略)

この事から、未だ例えば、米人女子の態度は極めて悪く日本に伝わっています。分かりやすく言えば、日本人が会話をしようとしても、睨み付けて一言も会話をしないか、英語で悪口ばかり言って相手にしないとか、自分で相手にされないのだから、一般日本人は完全落第生であるとかを、コソコソ裏で吹聴するため企業管理職は真顔で信じてやはり噂を広める一役を買います。

実はこの内容には二つの誤解がある。ひとつは日本人女性は白人男性に対して節操がない、もうひとつは白人女性は日本人男性を馬鹿にして一瞥もくれない、というもの。私はこのどちらにもNさんの無理解があると感じるので、それぞれ反論したいと思う。


  1. 日本女性は白人と寝る事ばかり考えている

    1980年代に家田荘子とかいう似非ノンフィクション作家が日本女性は誰とでも寝る尻軽女でアメリカでは俗に「イエローキャブ」と呼ばれているとかいう大嘘を書いて評判になった。当時アメリカにすでに住んでいて多くの白人男女とつき合って来たカカシは一度もそんな話をアメリカ人から聞いた事がなかった。この本が出た後ですら、日本人からは「日本女性はそういう評判があるそうですが、、」と聞かれることはあっても、アメリカ人からは日本女性のそんな悪い評判をきいたことはない。

    Nさんも家田荘子の嘘にたぶらかされた一人なのではないだろうか。アメリカ人男性とつき合う日本女性が多いからと言って、それ自体は日本女性の節操とは無関係である。アメリカに居るのだから比較的人口の多い白人の男女とのつきあいが増えるのは当然。あえて白人を避けない限り、つき合う相手が白人になるのはそれほど不思議なことではない。

    ただ、ひとつ言えることは、アメリカ軍人が他所の国に渡航したり駐留したりした時、米軍基地付近で米兵相手に集まって来る商売女はどこの国にもいる。特に東洋の港はフィリピンにしろ韓国にしろ日本にしろ米兵は大人気である。そういうふうにしか東洋女性との接触のなかったアメリカ人は、東洋女性を性の対象として見る節があるのは否めない。

  2. 白人女性は日本人男性を馬鹿にしている

    白人女性が日本人男性にそっけない態度を取るのは、必ずしも彼女達が日本人男性を馬鹿にしているからとはいえない。

    実は日本にいる多くの白人女性が昔から体験していることなのだが、彼女たちがジョギングや自転車に乗ったりして普通の道を通っている時に、日本人男性から無造作に触られたり抱きつかれたり、ひいては抱きかかえられてラブホテルに連れて行かれそうになったりすることがある。そして回りの日本人はそれを目撃しても被害者が白人女性だと完全無視して警察も呼んでくれない、なんて話はよくきく。

    日本人男性が白人女性を性の対象としてしか見ず、失礼な態度でナンパばかりしていれば、白人女性が見知らぬ日本人男性を警戒するのは当然。日本人男性が話かけても睨み返されるのは彼女たちのそういう体験が過去にあるからなのではないだろうか?

それからもうひとつ、日本に居るアメリカ人が日本の悪口ばかりを言っているという件。実はこれは別に今に始まったことではない。私が子供の頃、東京の丸の内のビジネス街あたりで、アロハシャツにバミューダショーツの出で立ちで、頭には麦わら帽子を被った白人の中年男が、通りをへだてた所に居た別の同じような恰好の白人に声をかけた。「ヘイ、ジョージ!何買ってんだ?」みたいなことをいったんだろうと思う。昔はアメリカからハワイ経由で日本に来るアメリカ人が多かったので、多分ハワイで2〜3日観光した後その気持ちを引きずって日本に来たのだろう。そういう人の多くが日本人の店員に英語で話しかけて通じないと、「英語の解る奴はいないのか?」と怒鳴り散らしたりしていた。私は子供心に「なんてアメリカ人て行儀が悪いんだろう」と思ったものである。

でも、それを言うなら1970年代中頃に土地成金になって海外旅行を始めた日本人も行儀が悪いという点では結構悪名高かった。海外駐在になった日本人ビジネスマンやその細君らが、仲間が集まればアメリカ人の悪口で花が咲くなんてことはしょっちゅうだった。今でもそういうことはあると思う。

私自身は、自分を受け入れてくれたホストカントリーの悪口を言うべきではないと思うが、外国に住んでいれば自国が懐かしいこともあるし、ホストカントリーをきちんと理解できずに苦情をいうこともある。ま、いってみれば外国人の愚痴みたいなものなので、そう真剣に批難すことでもない。外国で暮らすということはなかなか難しいこともあるのでね。

ただ、何年もその国に住んでいながらその国の悪口ばかりいい、ホストカントリーに自国の習慣を押し付けようという輩にはうんざりする。そんなに嫌なら帰れ!と言いたくもなる。

この次はNさんのコメントの本筋に触れようと思う。今回はちょっと気になったことだけ感想を書かせてもらった。

April 8, 2014, 現時間 9:33 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 9, 2013

カリフォルニアのトイレ法は女性差別だ!

フェミニズム , 同性婚

常識では信じられないことがカリフォルニア州を含めアメリカの各地で起きている。その名もトイレ法(バスルームビル)。これは性同一傷害者が自分が同調する性の施設を自由に使うことが出来るというもの。特に女装趣味や性転換手術を受けていなくても、自分は女性だと感じていると主張しさえすれば、どうみても男にしか見えない男子でも女子トイレのみならず女子シャワー室や更衣室に自由に出入りすることが出来るというものである。しかも常に自分は女性だと意識していないくても、一時的に女性と感じると主張しさえすれば何時でも女子施設を使うことが可能となる。

同性愛運動家たちの表向きの理論は、性同一障害者が差別されないため、というきれいごとだが、実際にこんなことが実施されれば、女子生徒の裸を見たいという男子生徒らが女子シャワー室に入り込む可能性は大である。何時なんどき男子が入って来るか解らないシャワー室や更衣室で女子学生達は安心して着替え等できるはずがない。

女子施設の使用はなにも男子生徒のみとは限らない。男性職員や学校を訪問中の大人の男性も女子施設の使用が可能となる。ということは女児のシャワー室や更衣室で中年の変態男が素っ裸で歩き回っても親たちは学校に文句を言えないのである。こんなところに親たちは安心して子供たち預けられるだろうか?

女子トイレを男子が使えるというだけでなく、この法律にはもっと深刻で危険な項目が含まれている。それは自分が同調する性のスポーツに参加することが出来るというもの。性転換手術を受けていない普通の身体の男でも女性スポーツに参加できるのである!

誰が何と言おうと男子と女子とでは身体のつくりが違う。男子のほうが圧倒的に筋力がある。これまで女子と男子が別々のスポーツ競技を行って来たのも女子と男子ではその能力に差があり過ぎて比べ物にならないからである。

にもかかわらず、自分が女子だと言い張る男子を女子スポーツに参加させるとなってくると、女子生徒にとっては非常に危険な状況が生じる。ゴルフや陸上のような個人競技ならまだしもだが、サッカーやバスケットのようなグループ競技、特に柔道やレスリングのような格闘技となってくると、これはもう女子にとって命に拘る危険が生じる。どんなに強い女性でも同じように訓練した男性に勝てるはずはない。いや勝ち負けのことより大怪我をする可能性は大であり、これはヘビー級とライト級のボクサーを同じリンクに上げるのと全く変りがない。

トイレ法は女子にとって精神的にも肉体的にも非常に危険な法律であり、明らかな女性差別法である。

このような明らかな女子迫害法についてフェミニストたちから異論は出ない。今さら驚かないけどね。

September 9, 2013, 現時間 9:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 10, 2013

慈善活動ボランティアのイギリス女性二人、モスラム過激派に硫酸をかけられる

フェミニズム , 対テロ戦争

アフリカのズィンズィバー島の孤児院でボランティア活動をしていた二人のイギリス人女子学生がバイクに乗った暴徒によって硫酸をかけられるという残酷な事件で、ロンドンの病院に入院した二人の容態は良好とのことだ。

襲われた二人のティーンエージャーは、カーティー・トループとケイティー・ギーで二人とも18歳。二人は高校から大学に進学するまでの一ヶ月間の休み中にズィンズィバーの孤児院で慈善活動をしていた。道を歩いていた二人はバイクに乗った二人の男から頭から大量の硫酸をぶっかけられた。二人は近所のカフェに走り込みトイレで水を浴び、近くの海に飛び込むなどして硫酸を出来る限り洗い落とした。カフェにいた人たちの話では二人とも体中硫酸に覆われていたという。

犯行はズィンズィバーのイスラム化を望むUamsho と呼ばれるイスラム過激派グループの仕業とみられている。グループは去年の11月の穏健派イマームへの硫酸攻撃やカトリック牧師の殺人事件にも関連があると見られている。

確かイギリスでもビクトリアシークレットの店員が帰宅途中の道でブルカを着た何者かによって硫酸をかけられるという事件があった。気に入らない人間(特に若くて美しい女性)に硫酸をぶっかけるのが最近のイスラム過激派のやり方になっているようだ。

幸いにして被害後の二人の処置が適切だったせいか、二人の傷はそれほど深くないとのこと。全治回復するだろうとのことだ。まったくそう願いたい。まだ18歳で顔や身体をめちゃくちゃにされてはたまらない。

どうしてイスラム過激派のやりかたはこうも野蛮で残酷なのだろう?こんなことをしてどうやって布教を広めることが出来るのだ?何故キリスト教やユダヤ教のように慈善活動をして地元の人々を助けながら信者を増やして行く布教をしないのだろう?なぜ他宗教の人間を傷つけ殺し地元民の恐怖を煽って嫌がる市民に宗教を強制することしか考えられないのか?

ズィンズィバー島の人々がこんな野蛮で残酷な宗教を拒絶することを望むものである。

August 10, 2013, 現時間 9:09 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 4, 2013

意外に多い、いい加減な診断で性転換手術を受けて後悔する患者達

フェミニズム , 健康管理

この間、自分を男子と思っている中学生女子生徒と学校側との訴訟について書いた時に、性同一性障害の実態について色々と検索していた際、男性から女性への性転換手術をしたことを後悔している男性達の告白サイトを日本語でも英語でも多数発見した。彼らの告白を読むに付け、私が常々感じていた性同一障害の治療を即「性適合手術」に結びつけることの悪を改めて確認することとなった。

ずいぶん以前に男から女への性転換手術をした人たちの話を何かのドキュメンタリーで観た事がある。その番組によると、性転換には時間がかかり、色々な段階をふまなければならないとあった。先ずは患者が本当に性同一性障害であるかどうかの精神診断がされ、女性ホルモン投与が適切な治療法であるかどうかが吟味される。患者は手術前に少なくとも一年間女性として暮らす、そしてそれで絶対に女性になりたいという願望が失せない人のみ手術を受けることが出来る、というものだった。

ところが、私が読んだ数々のサイトでは、金儲け主義で性転換手術を行う病院がいくらもあり、カウンセリングもいい加減で、本人が「自分は女性であるべきだと思う」と言っただけで即女性ホルモンを大量に処方したり、「一年間女性として暮らした」と本人が言いさえすれば、その確認もなしに簡単に手術を許可する医者がいくらでもいるということを知った。これはアメリカでも日本でも程度の差こそあれ事情は同じようである。

それで実際には複雑な精神病に苦しむ患者が自分は性同一性障害者だと錯覚し性転換さえすれば自分は幸せになれると思い込み極端で取り返しのつかない去勢手術に及び、女性ホルモンや手術の後遺症及び精神的な打撃に苦しむという悲劇が多く生じているのだ。

男性/女性に生まれた人が、自分は異性であると実際に知ることは不可能だ。男と女は単に性器の形が違うというだけではない。どれほど女っぽい/男っぽい人でも実際の異性とは違う。男女の違いは肉体の違いはもとより思考回路や感情移入なども全く異なるのだ。どれだけ自分は異性と同調できると感じても、異性であることの本当の意味など誰にもわからない。きちんとした精神科医ならば、自分が異性であると感じる人々の根本的な問題に取り組むであろうし、安易に取り返しのつかない性転換手術など勧めるはずはない。

悲劇なのは、どう見ても女性には見えないような普通の男性が、特に40過ぎの中年男性が突然女性になりたいといって性転換手術を受けてしまう例だ。まだどっちつかずの未成年の頃からホルモン剤投与を行えば、男性でも女性に見えるように変化することは可能かもしれない。(それにしても異性ホルモンを長年摂取することの弊害ははっきりしない。)だが40過ぎまでごく普通の男性として生きてきた人間がちょっとやそっとホルモン剤を摂取したり去勢した程度で普通の女性に見えるような変身など出来るはずがない。結局去勢されただけの変態人間として余命を過ごさなければならなくなる。

そのようなことをすれば、安定した職を失い妻子にも見放され親兄弟からも敬遠されるという悲劇を招くことになる。そうやって孤独に追い込まれて自殺する人も少なくないようだ。

最近はメディアや同性愛活動家が煽って、性同一障害患者の妄想に迎合する傾向があるが、本当にこういう精神病を患う人のことを思うのであれば、きちんとした精神カウンセリングを重視するべきである。精神障害者の妄想に迎合することは患者の健康にかえって悪影響を及ぼす。

もっとも左翼連中の本当の目的は変態者を増やすことにあるから、ごく普通の市民に変態者への迎合を強制するのも理解できるというものである。

August 4, 2013, 現時間 8:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 30, 2013

オバマ政権、性同一性障害の女子生徒を男子扱いせよと学校に圧力をかける

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

身体的には女子なのに自分は男子だと主張する、いわゆる性同一性障害の女子生徒が修学旅行の際に男子生徒と別室になったことに異議を唱えて、女子生徒の親が性差別を主張して学校側を訴えている訴訟において、オバマ政権はこの女子生徒を男子生徒として扱うよう学校に圧力をかけているという。

オバマ政権の司法省は過去二年にわたりカリフォルニア州にあるアーケディア市教育委員会に対し、性同一性障害の女子生徒に男子専門の施設を使わよと命じ、そうしないことは性別のステレオタイプに従わない生徒に対する性差別だと圧力をかけている。

そして司法省はさらにもって生まれた性とは異性と主張する生徒に対し、学校区が男子施設使用の許可を与えるだけでなく、生徒が望むのであればプライベートな施設も提供すべきだとしている。

オバマ政権には常識が通じないらしい。

ここで少し疑問に思うことがあるのだが、性同一性障害というのはいったい何なのだろうかと思い、色々調べてみたところ、これは精神病の一種であるらしいことがわかった。もって生まれた医学的な性別と自分の精神的な性別が一致しないという障害であるが、もしこれが本当に精神病であるならば、正しい対応はその障害に迎合するのではなく、障害そのものを治療することにあるはずだ。自分を男子を錯覚している女子を男子として扱うなど以ての外である。それを両親が率先して学校に要求するなど親としてあるまじき態度である。

私が思うに、この女子生徒は本当は学校で男子生徒と同じ施設を使いたいなどとは思っていないはずだ。彼女は自分が他の女の子たちと比べ男っぽいことに悩んでいるはずで、学校で自分だけが特別扱いされることなど望んでいるはずはない。思春期の女子である我が子に男子と同じ更衣室やシャワールームを使わせろなどと本気で求める親はわが子のことより自分らの変態的政治思想を重んじているとしか思えない。

ところで性同一性障害と診断されて、性転換手術まで受けたにもかかわらず、後悔している人たちが結構いるということを知ったので、そのことについては次回改めて書きたいと思う。

July 30, 2013, 現時間 11:07 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 21, 2013

強姦の被害者が罰せられる国,アラブ首長国連邦の野蛮な法律

フェミニズム , 宗教と文化

今日のニュースでUAE(アラブ首長国連邦)のドバイでノルウェー人の女性が強姦の被害を警察に届けたところ、結婚外性交渉をした罪で16ヶ月の禁固刑を言い渡されるという記事を読んで、ああ、またかと思ってしまった。

以前にもオーストラリアの女性が自分が働くドバイのホテルで同僚数人に睡眠薬を飲まされた挙句に集団強姦され、肋骨を折るほどの重傷を負ったにもかかわらず、被害を警察に届けたところ、やはり結外性交渉をした罪で10ヶ月の禁固刑にしょされ、恩赦で8ヶ月で釈放されたという事件や、お酒を飲んだ帰りに三人の地元男性に誘拐され数時間に渡って集団暴行にあったイギリス女性が、許可なしに飲酒した罪に問われ罰金を要求されたというを読んだことがある。(幸いにして警察は彼女が強姦された話を信じなかったため、彼女は結婚外性交渉の罪には問われなかった。)

UAEは国際的なビジネスで栄えており、ドバイには近代的なビジネス街が立ち並び、ホテルやバーなども西洋風で外国人の居住者の数が地元民を上回るという。それで外国人、特に西洋人たちは、ドバイの法律が自分らの国の法律と同じようなものだと勘違いするケースが多く、UAEの法律が回教によって仕切られているという事実に無知な人が多いのだ。

はっきり言って、イラク戦争以来、イスラム教の男尊女卑な女性にたいして非常に理不尽な法律について無知な西洋人が多いということのほうが私には不思議なのだが、外国へ行くならその土地のことを多少は知った上で行くのが訪問者としての責任だ。

強姦された女性が反対に罪に問われて禁固刑になるような国では被害者は泣き寝入りをせざる終えない。イスラム教の法律では強姦はイスラム教徒の男性4人の証言がなければ強姦としては認められないというばかげたしきたりがある。それを重々承知の地元男性はそういう事情を知らない隙だらけの外国人女性を食い物にしているのである。表沙汰にならないだけで、いったいこれまでどれだけの外国人女性が集団暴行の犠牲になってきたかわからない。もし女性たちが今でもUAEに住んでいるとしたら、彼女たちが真実を語ることは不可能である。

私は外国人女性はどんな事情があってもドバイへ行くべきではないと思う。一人で行動していなくても、泊まっているホテルの従業員から案内のガイドや一緒に働く同僚やバスやタクシーの運転手らから襲われる例が後を絶たないからである。

私が読んだ何件かの事件でも、加害者が被害者と顔見知りであるとか、ホテルのバーなどで隣通しになった人などから睡眠薬を飲まされた上に集団強姦されるというのが多い。以前のオーストラリア人女性の場合は、自分の勤めるホテルのバーでお酒を飲んでいたところに同僚が話しかけてきて知らないうちに薬を盛られたと言っているし、今回のノルウェー人の女性も出張中のドバイで同僚とお酒を飲んだ際に薬を盛られて強姦されたと語っている。イギリス人女性の場合はちょっと事情が違うが、彼女はバーにいた男性に薬をもられた言っている。

以前にアメリカの女性兵士がバスの運転手に襲われた事件では、兵士が反対に運転手を素手で取り押さえて警察に突き出すというハッピーエンドで済んだが、彼女が兵士ではないか弱い女性だったらどういうことになっていたのか、結末は容易に想像がつく。またUAEのホテルのプールで水着姿で涼んでいた西洋人女性記者がホテル従業員に強姦されたという事件もあった。

いい加減我々は学ぶべきだ。イスラム諸国では文明社会の常識は通用しない。我々が普通と思う法や規律は存在しないのである。そんな国に経済的な機会があるからといって外国人女性がのこのこ行ってはいけないのである。それを承知であえて行くというのであれば、それなりの対策を整えた上で行ってほしい。それにしたってどれだけ安全なのかわからないが。

私は絶対に行かないからね!

アップデート:この記事を読んだ翌日の7月22日、この女性は宮廷から恩赦をもらい無事にノルウェーに帰国することになった。多分国際社会からの批難を受けて国の評判に拘ると恩赦にしたのかもしれない。ま、この件はそれで済んだかもしれないが、UAEは犠牲者を罰する法律を見直すべきである。

July 21, 2013, 現時間 8:41 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

July 3, 2013

荒れるエジプトでまたも西側女性記者が集団強姦に遭う

フェミニズム , ヨーロッパ , 狂ったメディア

一年前にモスラム同胞隊の代表として「民主投票」で選ばれたモルシ大統領の辞任を要求してここ数日大型デモがおきているが、二年前にアメリカの女性記者ララ・ローガンが集団暴行された同じタルヒール広場で今度はオランダ人女性記者が集団暴行にあうという事件がおきた。記事によると被害にあったのはディナ・ザカリアさん22歳で、エジプト25ニュースの記者。タヒリール広場で取材中に五人の男から暴行され、手術を受けるほどの重傷を負ったとある。

またかよ、だから女性記者(特に白人のうら若き女性)をエジプトへ行かせるなと何度も書いてるじゃないかあ、、、といい加減あきれかえっているのはカカシだけではない。保守派コラムニストのデビー・シュラセルなる女性も「強姦されたオランダ人記者に流す涙なし」とかなりキツい事を書いている。

シュラセルはエジプトに取材にいく西側の女性記者たちはこぞってリベラルで、エジプトやアラブ諸国でおきている動乱をナイーブに自由を求める市民運動か共産主義革命か何かと思い込んで反政府側を応援する気持ちで行っている人が多いと言う。二年前に被害にあったララ・ローガンしかり、その後に続いて被害にあった数人の西側女性記者たちしかりである。そして今回のディナ・ザカリアもそうに違いないとシュラセルはいう。

強姦されたオランダ人記者に流す涙なんかないわ。彼女もイスラムの民主主義抗議者たちを応援していたに違いないもの。彼らの多くがモスラム同胞団のモルシに投票しておいて、今になって抗議デモをやっているのよ。なぜならモルシ並びに彼が率いる党が彼らが思ったような党じゃなかったから。驚きよね!

私は女性のことを家畜以下のセックスおもちゃくらいにしか思ってないようなイスラム圏の国々に出かけて行って、彼らが西洋の紳士みたいに振る舞うとおもってる記者がどうなったって知ったこっちゃないわ。そんなことを期待してエジプトなんかに行って、モスレムの革命派を応援してそんな目にあったからって一滴の涙も出ないわ。強姦された西洋人の女たちはリベラル妄想を持って自分らが神の仕事でもしてるかのように野蛮人を応援し、その野蛮人を民主主義者だと思い込んでる。でも奴らは民主主義者なんかじゃないただの野蛮人なのよ。そういう「民主主義者」によって人々が「解放される」っての?わらっちゃうわ。

シュラセルは名前から言ってユダヤ系。文章からもかなり信心深いユダヤ教徒をおもわせる。だから彼女のモスラムに対する嫌悪感は理解できる。

だが、エジプトで暴行を受けている女性は何も能天気な西側女性記者に限らない。本日の新聞によると、地元女性への暴行もひどい勢いで頻発しており、ここ4日間の間でわかっているだけでも何と91件もの婦女暴行事件が起きている。しかもこれらの暴行は非常に暴力的な集団強姦で、一人の女性に何十人ひどい時には100人近い野郎どもが数十分から一時間半に渡り素手のみならず刃物や鞭やこん棒などを使って女体を虐待しまくるという恐ろしい攻撃である。暴行を受けた女性達は手術を要する重傷を負う事も稀ではない。また、これらの女性達の救出に当たったボランティアの人々も暴徒から凶器で攻撃を受けるのはごく普通である。

シュラセルはホスニ・ムバラクが大統領だった時代にはこんなことは起きなかったと言う。確かにムバラクは独裁者だったが、軍隊や警察の忠誠心を握っていたので普通の犯罪は厳しく取り締まられていた。ところが今は治安維持にあたるはずの警察も軍隊もモスレム同胞隊とうまくいっていない。そんな動乱のなかで女性への犯罪など野放し状態である。

エジプトの事態は悪化の一方をたどっている。モスレム同胞のモースィ大統領を支持したオバマの手先と見られているエジプト大使(女性)の身の安全が気遣われる今日この頃である。

July 3, 2013, 現時間 10:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 24, 2013

左翼圧力に負けた! ゲイメンバーの入会を認めたボーイスカウト

フェミニズム , 対テロ戦争

小学校三年生の時、時期外れの大雪が降った。父は早朝から興奮して私と妹を起こし、外に出て雪だるまを作った。よく作れたので母がカメラを持ち出して父と妹と私と雪だるまを一緒に写真に撮ってくれた。その時カカシの同級生のミキオ君が恰好いいボーイスカウトのユニフォームで颯爽と現れ、「大雪で線路が塞がっているので学校は休みだよ」と教えてくれた。ボーイスカウトのメンバーだったミキオ君はボランティアとして近所中に学校閉鎖の情報を触れ回っていたのである。

ミキオ君はカカシの初恋の人だった。小学校で一年から三年まで一緒で、家が近かったのでよく一緒に通学していた。学校帰りの公園でブランコに乗りながらミキオ君は「カカシちゃんとずっとこうしていたいなあ。」といった。カカシも「私もミキオ君が大好き」と答えたものだ。ミキオ君は栄養不足でしょっちゅう青鼻をたらしていたけど、ボーイスカウトのユニフォームを着た時のミキオ君は格好よかったなあ。

アメリカのボーイスカウトは大部以前から同性愛者の入会を認めろと強い圧力にかけられていた。しかしキリスト教の教えをモットーとしている同協会としては同性愛者を認めるとことは会の信念に拘ることとしてずっと抵抗してきた。だが遂にボーイスカウトはその圧力に負けて同性愛者の入会を許可すると決定した。悲しい日である。

カカシとミスター苺は長年ボーイスカウトに献金してきたが、献金用の封筒が届く度に「リベラルの圧力に負けるなよ!」と書いて小切手を送って来た。だが、今回の決定によって今後我々がボーイスカウトへの献金をすることはない。

何故なにもかもがゲイアジェンダに乗っ取られなければならないのだ?

何故善良な信心深い国民の教えが変態達によって歪曲されなければならないのだ?

トランスジェンダーとかいって去勢して女性ホルモン投入しただけの変態男たちが女性スポーツに侵略して来たり、自分が男か女かわからないという精神病患者のために変態男どもに女子トイレやシャワー室が侵略されたり、いったい常識はどこへいってしまったのだ?

ボーイスカウトにゲイを入会させよと唱えた人間たちの最終目的がボーイスカウトの寛容を求めるものだなどと考えるのはナイーブ過ぎる。奴らの本当の目的は伝統的な宗教団体の破壊である。ボーイスカウトにゲイが入会すればゲイのスカウトリーダーやマスターも認めざる負えなくなる。そうなればゲイスカウトリーダーによる子供達への性的いたずらなどへの訴訟が起こり、ボーイスカウトはその存在が脅かされるようになるのである。実際にゲイのスカウトリーダーによるわいせつ行為が起きるかどうかなど関係ない。自他ともに認めるゲイリーダーに対して少年達がわいせつ行為を受けたと訴えたらどのように弁護するのだ?そういう訴訟があちこちで起きれば、結局ボーイスカウトは訴訟によって破壊されるのである。

ゲイメンバー入会を強く求めたゲイアジェンダの奴らの最終目的はボーイスカウト破壊にあるのだ。それが何故ボーイスカウト幹部は理解できないのだ?

ゲイメンバーを認めたボーイスカウト。これはボーイスカウト終焉の始まりなのである。私にはボーイスカウトの息子はいない。だがボーイスカウトに息子達を託した多くの親達が今回の決定をどのように観るか、ボーイスカウトの終わりは近いとカカシは踏む。

May 24, 2013, 現時間 3:16 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 21, 2013

フェミニストなら怒るべき、トランスセクシャルを女性スポーツに参加させるな!

フェミニズム

オリンピックでは、ドラッグ検査の他にセックスチェックという検査があった。外見は女性に見えても実際は男性である選手が女性競技に参加するのを防ぐためである。共産圏の選手達は女性が男性ホルモンを摂取して男か女かわからないような選手が多かったので、去勢を受けた男性が女性と偽って女性競技に参加したりしては不公平という理屈だったのだ。ところがそのオリンピック協会が2011年から女性ホルモン治療を二年以上受けて来たトランスジェンダーによる異性競技への参加を認めた。最近では格闘技にすらトランスセクシャル男が女性として参加し話題を呼んでいる。

女性のMMA(格闘技)の選手として颯爽と現れたフォルン・フォックスは、実は男に生まれ整形手術をしていた所謂トランスセクシャル男性であることが暴露された。常識ある世界ならこんな男は詐欺師としてMMA協会から追放されてしかるべきだが、今やリベラルが牛耳るアメリカではフォックスを女性として競技に参加させるだけでなく、それを批判したMatt Mitrioneという男性MMA選手を反対に罰するというまったくハチャメチャな状態が起きているのだ。

トランスセクシャル男性を女性競技に参加されるというのは、女性競技への攻撃であり、女性への冒涜である。男性競技者としてはそこそこの男でも、「性転換手術」を受けて外見だけ女に見えるようにすれば女性プロスポーツで花形選手になれるというなら、いずれ女性スポーツはトランスセクシャルに乗っ取られてしまい、女性スポーツそのものが破壊されるだろう。

実際に自分は女だと思っている性同一性障害とかいう精神病を患ってなどいなくても、整形手術を受けることで富や名声が得られると考える男性が「性転換手術」を受ける可能性は多いにある。いや可能性どころか、タイなどでは特に同性愛者でも性同一性障害者でもない普通の少年が売春のために性転換手術を受けることが横行している。

最近カリフォルニアでは、小中高学校の女子トイレや女子更衣室などに性同一傷害を持つ男子生徒の使用を許可すべきという信じられない法案が提案されており、リベラルにしか居ないカリフォルニアの議会では、この法案が通りそうである。

自分は女性だと言い張って女子トイレや女子シャワー室を使用するようなティーンエージャーがいるだろうかと不思議に思うかもしれないが、別に性同一性障害者だと証明する義務は課されていないので、男子生徒が集団で女子更衣室に居座っても女子生徒には文句をいう権利がない。はっきりいって年頃の娘達が男性がたむろするトイレやシャワー室を使うとは思えないので、こんな法律は事実上女子専用トイレやシャワー室をなくすのとおなじであり、完全な女子差別であり、ひどいセクハラである。差別をなくす目的としながら、実際には女子生徒を差別する皮肉な法律なのである。

もっとも法案を出した政治家達の目的はトランスやバイやホモセクシャル生徒達への差別を減らすことにあるのではなく、一般常識や道徳観念の破壊にある。そのために女性が犠牲になることなど何とも思わないのである。

はっきり言って、このあからさまな女性への暴行に対しフェミニスト達が沈黙していることが私には理解出来ない。トランスセクシャルや性同一性障害者への特別扱いで一番の犠牲になるのは一般女性達なのだ。フェミニスト達は声を揃えてこの理不尽な方針に抗議すべきである。

トランスセクシャル男性は女性ではない。普通のスポーツ競技ではホルモン剤などの筋肉増幅剤を摂取してはいけないことになっているが、フォックスが女性としての外見を保つためには女性ホルモンを摂取する必要がある。話によると女性ホルモンを摂取している限りトランスセクシャル男性は男性筋肉を失い女性と同等の筋力になるというが、そのような医学的調査は全くされていない。

整形外科医のジョニー・ベンジャミン医師はオリンピック教会のガイドラインは医学に基づくものではなく、単なる政治的圧力に負けた協会の方針であると語る。

ドクター・ベンジャミンによると、男女の筋力や骨格の違いは思春期後に極端な差が出るため、大人になってからの整形手術やホルモン投入が医学的な男性を女性にするという事実はない。女性ホルモン治療を受けた男性の骨や筋肉がどのように変化するのかという調査もされていない。トランスセクシャル男性の競技選手が女性選手よりどのくらい有利な立場にあるのか、きちんとした医学的調査は存在しないのである。そういう調査が存在しない以上、トランスセクシャル男性選手は女性選手として扱われるべきではないとドクターベンジャミンは主張する。

「私が言いたいのは、我々には充分な知識がないのです。充分な医学的情報がない以上、安全を先決させるべきです。それがきちんとわかるまでは私は支持できません。どのような危険が伴うのかわからないからです。」

私が女性選手だったなら、政治的に正しいとかなんとかいうことより男性と格闘するという危険性について考えるだろう。すでにMMAの女性選手の何人かはフォックスとの試合は安全性の立場から拒否すると公言している。すべての女性選手がフォックスとの試合を拒否しなければこのような方針はずっと続くだろう。

May 21, 2013, 現時間 12:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 9, 2013

「妊娠男」離婚を求めて最高裁に訴訟を求める

フェミニズム , 同性婚

2008年に性転換後に妊娠出産した男性として話題になったトーマス・ビーティー氏が、今度は離婚を巡って話題を起こしている。この話はカカシも2008年当時取り上げている。

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。(略)私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい

ビーティーは乳房摘出手術をし男性ホルモン治療を受けて多少あごひげが生えていたりもし外見は男に見えないくもない。だが、子供を生むために子宮は保存し、子宮摘出手術を受けて妊娠不可能だった「妻」に代わって、2008年の最初の出産に続いて人工授精で3人の子供を出産した。

しかし「結婚」9年後の今、ハワイで一緒になった二人の関係は破局。アリゾナで離婚訴訟を起こした。しかしアリゾナ法廷は、ビーティーは生物学的に女性であり、同性結婚を認めていないアリゾナ州においては同性結婚の離婚は認められないとしてビーティーの訴訟を棄却した。自分の子供達を私生児にしたくないと感じたビーティーは、アリゾナ法廷の裁断を不服として最高裁に訴えている。

ビーティーの場合、彼女は自分は女性だとは考えていないので、彼女の結婚は同性結婚だったという意識はないのだろう。しかし、いくらなんでも三人もの子供を生んだ女性を男性として扱えというのは理不尽な話だ。

同性カップルの結合を結婚という形で認めることになれば、必然的にビーティー氏のような異質な「結婚/離婚」についてまともに考えなければならなくなる。

さて、2008年当時の記事を読んでみると、

うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

とある。だが、女性として生まれ、きちんと女性機能を持っている彼女にとって、子供を生みたいという欲求があるのは当然のことで、その同じ欲求が男性にもあるかなんてことは、生物学的に女性である彼女にわかるはずはない。彼女の子供を生みたいという強い欲求はそれは「性を超えたひととしての欲求」からではなく、単に彼女の女性としての母性本能からくるものではないのか。自分が女性であることを忌み嫌って乳房どころか健康な子宮もとってしまうというならまだ話はわかるが、女性と男性を決定的に分ける妊娠出産という欲望と機能を保った彼女が、自分は男性だと主張するのは矛盾に満ちている。

彼女自身の矛盾に満ちた自己の確立は彼女個人の問題であり我々には関係がない。だが、その矛盾を正当なものとして社会に認めろとなってくると話は別である。なぜ我々一般人が彼女の変質的な欲望につき合わなければならないのか。

問題なのは、同性婚という例外を社会が公式に認めた場合、別の形の結合も結婚として認めなければならないとなってくるのは自然の成り行きである。ひとつでも例外を認めれば他の例外も考慮しなければならなくなる。だが、そうやって例外をいくつも受け入れてしまえば、結婚制度そのものの価値が失われる。何でもありは何にもないのと同じだからである。

ビーティーのような判例が普通に議論されるようになるのも、同性結婚が真剣に吟味されることにより、いかに我々の社会が乱れて来ているかという証拠である。

April 9, 2013, 現時間 12:11 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 24, 2013

米軍、女性戦闘員を認める!

フェミニズム , 防衛

オバマ王政権の政策にはほぼ全て反対なカカシだが、軍隊への同性愛者入隊の公認は、そのなかでは稀なケースだった。そして今回は女性戦闘員を公式に認めることが発表され、同性愛者同様、軍隊での男女平等を唱えて来たカカシとしては非常に喜ばしいことである。壊れた時計も一日に二回は正しいというからな。

(CNN) 米軍は女性兵士を戦闘任務に就かせないと定めた方針を撤回し、戦闘任務や戦闘部隊にも女性を配属する方針を決めた。複数の当局者が23日にCNNに明らかにした。パネッタ国防長官が24日に正式発表する。

ただし24日から全面解禁に踏み切るわけではなく、まず評価段階として、各支部に現在女性が配属されていない任務や部隊の現状を調べた上で、配属のスケジュールを作成する。

特に陸軍と海兵隊は、身体基準や性別を特定しない宿舎の状況について調べ、90日ごとに進捗状況を報告する。

国防高官は「年内に開放できる任務もあるだろうし、特殊部隊や歩兵部隊などはもっと時間がかかるかもしれない」と説明する。パネッタ長官は、2016年1月までに調査を完了し、女性兵の配属をできるだけ進める方針。

しかし調査の結果、女性に開放すべきでないと判断した任務や部隊については、例外扱いを求める可能性もあるという。

女性の配属をめぐっては、人権団体の米自由人権協会が国防総省を相手取って訴訟を起こし、女性が戦闘任務から除外されているのは公平を欠き、時代遅れだと主張していた。原告団には名誉戦傷章を受章した女性も加わり、戦闘任務からの除外は昇進にとって不利になると訴えていた。

守派を自負しているカカシではあるが、同性愛者の軍隊公式入隊や女性戦闘員に関してはリベラル派と言えるのかもしれない。というより私は個人主義者なので個人をその個人が所属する団体によって判断されるのが嫌いなだけである。

同性愛者でも女性でも個人的に才能のある人であれば軍隊で生かされないというはおかしい。せっかくの人材をそういう意味のないことで差別するのはもったいないことだ。

女性はすでに危ない前線で働いていることでもあるし、この際公式にその存在を認めるのは当然。オバマ政権にしては珍しく良い政策をとったと思う。

January 24, 2013, 現時間 5:28 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 7, 2012

ドバイで集団強姦にあったイギリス女性に無免許飲酒の罰金課される

フェミニズム

石油で豊かなアラブ首中国連邦(UAE)のドバイで、イギリス人女性が三人のイラン人に誘拐され一晩中数度に渡って集団強姦されたうえ、それを警察に通報したところ反対に無免許で飲酒していたとして当局から罰金を課されるという事件があった。

イギリス人がUAEの警察や裁判所と揉めるのはこれが初めてではない。実は、イギリス人が逮捕される可能性は世界中のどこの国よりもUAEがダントツに高いのだそうだ。

ドバイには西洋から観光客やビジネスマンが多く訪問する。それに合わせて西洋風の豪華なホテルやレストランやビジネスビルが建ち並んでいる。それで訪問する外国人は自分らの国に居るような錯覚にとらわれ、外見が似ているから中身も同じだろうという誤った安心感を持って油断し自国に居るつもりで振る舞うと大変なことになってしまう。

いくら外見は文明の高い西洋のように見えても、UAEの中身はまだまだ野蛮な男尊女卑の回教徒国である。性被害者の権利など認められるどころか、そんな概念の存在意識すらない。

この女性は夜友達と出かけてひどく酔っぱらって帰って来る途中に三人の男に誘われて車に乗ってしまった。男達は一晩中この女性を暴虐し、その模様を録画したという。やっと解放されて帰宅してからルームメートの女性と一緒に被害を警察に届けた際、女性は免許を持たずに飲酒していたことをみとめたことから、約二万二千円の罰金を課されたと言うもの。

強姦の二次被害については日本でも以前に色々取り沙汰されるが、イスラム圏における二次被害は単に女性が派手な恰好をしていたとか夜道を一人で歩いていたとして、自己責任を問われて裁判で不利になるというような柔な物ではない。

2010年にも、同じくUAEで6人の男に集団強姦にあった18歳の女性が、反対に破廉恥行為を理由に一年の禁固刑に処されるというひどい事件が起き、世界中から批難を浴びたことがある。

確かサウジアラビアでは、デート中の十代の女性が数人の男達に襲われ集団強姦にあった際、女性が家族でない男性と外出していたとして、100回の鞭打ちの刑に処されるという事件があり、やはり世界中から非難囂々だった。

このような状況にあっては、女性は強姦被害を警察に届けるのを恐れるだろうし、その女性たちの弱い立場を利用して女性を冒涜する悪い男達が後を断たないだろう。世界のフェミニストたちは、こういうけしからん国のシステムについてもっと声を大にして抗議して欲しい。

December 7, 2012, 現時間 9:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 21, 2012

エジプトへ女性記者を派遣するな!度重なる女性記者への集団暴行、今度はフランス女性記者が襲われる

フェミニズム , 中東問題 , 狂ったメディア

2011年にアメリカのCBS女性記者ララ・ローガンがエジプトのタリヒール広場での集会を取材中に集団暴行を受けた話はもう有名だが、その後も同じく2011年、やはりタヒリ広場で取材中のフランス人女性記者カロライン・シンズ、エジプト系アメリカ人記者モナ・エルタハウィ、今年の6月にも同じくタヒリ広場で今度はイギリス人女性記者ナターシャ・スミス22歳がローガンと全く同じように集団暴行を受けるという事件が起きている。

そして昨日(10/19/12)今度はフランス人記者ソーニャ・ドリディ24歳(Sonia Dridi )がタヒリ広場でひどい暴行を受けたとフランス24テレビは報道している。

「傷ついたというより怖かった」とドリディは土曜日、自分のツイッターページに書いている。イギリス人の記者について「昨晩広場で私を守ってくれたアシュラフさんに感謝しています。暴徒はもの凄い勢いでした。彼のおかげで解きは放れた暴徒の手から逃れることができました。」

ドリディの同僚で一緒に取材をしていたアシュラフ・カーリルによると、取材中に暴徒たちが二人の回りに集まり襲いかかった。アシュラフはドリディを両手で顔と顔をつけてしっかり抱きしめ集団の手から彼女を守ったという。30分ほどの攻撃だったが、もっと長く感じられたという。

二人はなんとか鉄のドアがあるファーストフードの店に逃れ、やっとの思いで車に乗って命からがら脱出した。どさくさにまぎれて彼らの身の回り品が奪い取られた。

いったい何度うら若き女性記者達が身体を引きちぎられるようなひどい目に合えば、西洋メディアは学ぶのだ?エジプトへ女性記者を送るな!少なくとも熱気づいた野蛮な男どもが集まるところへボディガードも付けずに金髪美人女性を送り込む事の愚かさを学べ!このアホ!

私は犠牲者を責めたくはない。どんな人でもこんなひどい目にあって自業自得だなどというつもりはない。だが、グリズリー熊の生息地にライフルも持たずにのこのこ出かけて行って、グリズリーに食い殺されたら、やはりどうしてそんなところへ丸腰で出かけていったんだ、殺された側にも責任があるのではないか、と問いたくなるのは当然である。

皮肉にもフランスに基盤を置く国境のない記者達(RSF))が去年の11月にエジプトに女性記者を送らない方がいいという勧告を発表して、ジャーナリストの間から男女差別だと非常なバックラッシュを受け、その声明を撤回し訂正したことがある。

その時にもカカシは今回と同じことを書いた。明らかにタヒリ広場にあつまる野蛮人たちは人間ではない。奴らはメスを見れば襲いかかるサカリのついた野生動物と同じだ。そんな奴らに道徳だの礼儀など説いてもまるで意味がない。西側のくだらないフェミニズムを振り回して、何人の女性達を犠牲にすれば気が済むのか?そんな場所と知っていてうら若き美女たちを送り込む西洋メディアの行為こそ女性虐待ではないか、男尊女卑ではないか!

私は仕事柄中東での仕事をする可能性が多少ある。同じ部の同僚達がバハレーンやサウジアラビアやトルコに結構行っている。だが私は上司に私はアメリカ市民であり、女性であり、東洋人種であることなどを考慮に入れて、絶対にイスラム圏への出張はしないと断言している。

女性であることだけでも危ないのに、反米の中東でアメリカ市民権を持っていることや、東南アジア系の労働者を奴隷扱いしているサウジなどで、私は公平で正当な扱いを受けるとは思えない。やたらに外出したりすればどんな目に合わされるかわかったものではない。そんな場所に仕事だからといって派遣されても私は絶対に行かない。それを拒絶して解雇されたり降格されたりしたら女性差別で職場を訴えるくらいの覚悟はある。私は海軍シールチームのメンバーじゃないんだからね。

西洋、いや世界の女性記者達よ!どれだけエジプトの状況が特ダネにつながると思っても、エジプトに丸腰で行かないでほしい。とくにタヒリ広場に金髪を翻してカメラマンと二人キリで取材なんて愚かな真似はしないでほしい!

もう二度とタヒリ広場で女性記者が集団暴行に遭ったなんて話は聞きたくない。

October 21, 2012, 現時間 7:32 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 3, 2012

移民高官、セクハラ容疑で辞任

アメリカ内政 , フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀 , 移民問題

女も偉くなるとセクハラする奴が出て来るという話。オバマ政権の国土安全保証局ジャネット・ナポリターノ女史の長年の側近で、移民税関局の女性高官が、少なくとも三人の男性にセクハラを働いた容疑をかけられ辞任した。

セクハラ容疑をかけられたのはスザーン・バー女史。本人は容疑は事実無根だとしているが局に迷惑をかけたくないという理由で辞任を決意したと語っている。

バー女史は局の先月から、ジェームス・T・ヘイズという移民局員から男女差別を理由に訴えられているが、セクハラの疑いはこの訴訟から派生したもの。ヘイズ氏は、バー女史が経験や実績のあるヘイズ氏をさしおいて、実力の劣る女性を昇進させ、苦情を言ったヘイズ氏への罰としてワシントンDCの本部からニューヨーク支部に左遷したというもの。

また、バー女史は、少なくとも三人の男性局員にオーラルセックスを迫るなど嫌らしい行為をしたという苦情が述べられている。

この訴訟ではナポリターノも女尊男卑の局を経営している責任者としてバー女史に並んで訴えられている。

国土安全保障局はナポリターノ女史が局長になって以来、女尊男卑がひどいという話は前々からきいていたが、実際にセクハラ訴訟がたてられたのは今回が最初だろう。

September 3, 2012, 現時間 9:02 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 26, 2012

性懲りもなく「共和党による対女性戦争」に固執する民主党

アメリカ内政 , フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

このあいだミズーリ州の共和党上院議員候補のトッド・アルキン氏が、強姦された女性の身体は遮断する、とか言って、きちんとした強姦の場合は女性は妊娠しない、なんぞとアホな発言をした。ミズーリは共和党確実と思われていたが、アルキンの失言によりずっと遅れを取っていた民主党候補の支持率がぐっと上がってしまった。

最近ミット・ロムニーとポール・ライアン(大統領/副大統領候補)の人気に押され気味の民主党はここぞとばかりにこの失言を取り上げ、ほれみろ、共和党は強姦を容認しているとか、共和党は強姦による妊娠の場合ですらも人口中絶を違法にするつもりだとか、大喜びである。

そこで民主党はまたぞろ「共和党による対女性戦争」論を持ち出し、長年の共和党支持とかいう女性たちを使って「共和党女性は民主党に投票すべき」などというテレビコマーシャルを早速制作。なんとしてでも今回の選挙を共和党による女性への攻撃として進めて行きたいらしい。

しかしこの作戦はうまくいかないだろうと私は思う。共和党の女性達は民主党が思うほどアホではない。共和党はロムニーを始めライアンも共和党議員たちもアルキンの発言は容認できないとすぐに批判したし、共和党議会はアルキンに候補を降りるべきだとすら言っている。本人のアルキンも、候補は降りないと言っているものの、発言に関しては大変申し訳ないことを言ってしまった、誤った医学的知識を信じて無知な発言であったと、かなり恐縮して謝っている。

民主党がアルキン発言を共和党の顔にしようとしても、共和党はこぞって氏の発言を即座に糾弾しているので、あまり説得力がない。

それに、どんな場合でも人口中絶は好ましくないという考えは共和党の中ではごく普通なので、確かにアルキン氏の「きちんとした強姦」発言は過激だったとしても、氏の人工中絶に関する考えそのものは民主党が考えるほど過激なものではない。人口中絶が違法になることを極度に恐れている女性たちはすでに民主党支持だし、多くの共和党支持の女性たちはプロライフと言い人工中絶にはもともと反対なので、共和党が政権を握ったら人工中絶は違法になる、なんぞと言われても、それを歓迎しこそすれ脅しになどならない。

となると、民主党が共和党から引き裂こうしている女性達とは普段こういう問題にはあまり興味を持っていない中庸の女性達ということになるが、そういう女性達は妊娠中絶云々なんてことより経済問題により関心を持っている。

女性に対する戦争というなら、主婦業や子育てに専念したい女性達が、この不況で夫が失業したり減俸されたりして自らパートに出ることを強いられていることや、育ち盛りの子供たちに必要な食品の値段が買い物に行く度に値上がりしていることや、子供たちをあちこちに連れて行くために必要不可欠な車のガソリンの値段が入れる度に高騰していることなどのほうが、よっぽども女性に対する戦争ではないか? そうやって家庭のやりくりに四苦八苦している女性たちに、リベラルな未婚女性が妊娠を心配せずに遊びほうけることが出来るように彼女らの避妊費を負担しろということのほうが、よっぽども主婦や母親たちへの攻撃である。

その戦争を女性達に射かけているのは誰あろう民主党及びオバマ政権ではないか!

今アメリカで一番大事な問題は経済であり、核兵器装備間近のイランや北朝鮮や、シリアやエジプトなどアラブ諸国の過激化である。ロシアや中国も油断がならない。

そんな時に妊娠人工中絶の話なんて、はっきり言ってどうでもいいことのはず。

月曜日からフロリダで開催される共和党大会においては、共和党はこの話は無視して経済と防衛に関してロムニー政権がいかにオバマ政権とは違った政策を取り、アメリカをこの屈況から救う計画があるかに焦点を当てるべきだ。

民主党が民主党大会をすべて中絶に焦点をあて、性懲りもなく対女性戦争に執着しようというなら勝手にやらせておけばいい。そんな話題で民主党を支持するような女性達はすでに民主党支持であり、中庸や無所属の人々の関心は別のところにあるはずだ。共和党はその関心を集めればいい。

明日のフロリダは嵐らしい。

August 26, 2012, 現時間 11:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 19, 2012

パンセクシュアルってなによ

どうでもいいニュース , フェミニズム

テキサスで始めてオープンなレズビアンとして下院議員に選ばれたマリー・ゴンザラス議員(民主)は、先日実は自分はパンセクシュアルであると発表した

ゴンザラス議員はレズビアンというよりバイセクシャルとして知られているが、彼女はバイというジェンダー二進法は信じないという。彼女は21歳の時にバイとしてカムアウトしたが、女性だけでなく、トランスジェンダーや「ジェンダークィアー」と呼ばれる人とも交際したことがあると語る。

そういう色々なセクシュアリティー全部を含む言葉をこれまで探して来たという彼女は、すべてをひっくるめるという意味のパンが適切だと考えたと言う。

はあそうですか、って感じなのだが、で、何故そんなことを我々が知る必要があるのかと言う疑問が当然生まれる。ゴンザラスの仕事は下院議員としてテキサス州を代表することにあるわけで、彼女が誰と床を共にしようとどうでもいいことのはず。テキサス州のソドミー法は、かなり最近とはいえ撤廃されているのだから。

私が何時も不思議に思うのは、左翼リベラル連中は自分らのセックスについてやたらに公に話し過ぎる。それでいて我々がそれについて苦情を述べると「保守派は常に我々の寝室に乗り込んで来る」と言い張る。自分らでこっちが聞きたくもない性嗜好の話をしておいて、それに異論を唱える事を干渉だというのである。

はっきり言って彼女が誰と寝ようと相手が大人の人間である限り私には興味がない。

しかし、ゲイアンドレズビアンビクトリーファンドという基金運動の会長は、テキサスのLGBTが本物によって代表されているのはすばらしいことだ、公平と自由のために立ち上がり発言してくれる人がいるのは誇らしい、てなことを言っている。また同基金のスポークスマン、、おっとスポークスパーソンは、バイの下院議員は数人いるが、彼らが自分らの好む表現をメディアに伝えるのはいいことだという。

「そういう教育はいいことですよ。」

何がいいんだかさっぱりわからん。

August 19, 2012, 現時間 4:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 4, 2012

過激派フェミニストに見る左翼リベラルの道徳規準

フェミニズム

前回に紹介した『対女性戦争の裏にあるもの』というナオミ・ウルフのエッセーを読んでいて、左翼リベラルの屁理屈には完全に呆れてしまった。彼女達は普通の言葉をその言葉の意味通りに使わない。わけのわからない屁理屈で辻褄をあわせようとする。いったいどういうふうに考えればそういう結論が出てくるんだというような話かたで、私には彼らの思考回路が全く理解できない。

そんなことをミスター苺に話したら、「それはねえ、君が左翼リベラルの道徳規準を全く理解していないからだよ。彼らには彼らの理屈があるんだ。それは君や僕の考える理屈とは全く異なるものなんだよ。」と言われてしまった。そして彼らの思考回路を理解しないまま、彼らはなんて馬鹿なんだろうなどと油断していると大変なことになるとも。

ナオミ・ウルフのエッセーでも下記の段落は非常に興味深い。私には錯乱した理屈と不適切な比喩に満ちた文章に見えるのだが、これこそ左翼リベラルの考え方が顕著に現れる文章である。左翼リベラル特有の意味もなく複雑な文章は翻訳が難解なので、だいたいの意訳をさせてもらった。英語に自信のある読者は原文をお読みになることをお薦めする。

ブラッドリー・マニングやジュリアン・アサンジを黙らせようとしたのと同じ体制が、医師に中絶に関するアドバイスを禁止するのであり、他人の個人的なメールや電話の会話を盗み読みしたり聴いたりするNSA(全国警備省)の捜査を認可した体制の感覚は、同意した男女のシーツの間に入り込んでコンドームへのアクセスを規制するのと同じ感覚だ。その同じビッグ・ブラザーの衝動が女性が女性の医療提供者との間で決めるべきことを政府の役割だといって割り込んで来る。

つまり女性は常に政府によって性を管理され監視されコントロールされているのだ。これこそがこれまで「ジェンダー」と呼ばれて来たものだ。 以前にも書いたように、人々の性的プライバシーをコントロールする行為は、閉鎖された社会が人々への虐待に使う常套手段のひとつである。

ブラッドリー・マニングやジュリアン・アサンジとは、前者はアメリカの軍事機密を違法に外国人に売った元軍人。後者はその情報を買い取ってウィキリークというけしからんサイトで全世界に漏洩した極悪非道な悪人。彼らの流した情報によってアメリカのみならず自由社会の安全は重大な危険にさらされることとなった。ウルフはその情報漏洩が良いことだと主張するだけでなく、そのような国家機密を守る行為と妊婦への中絶アドバイスの規制とを一緒にするという、非常に不適切な比喩をしている。

特に、ウルフの紹介した法律では、医療関係の人々が患者に中絶に関するアドバイスをしなくてもいい、というもので、してはいけない、というものではない。何故これが医師らの言論の自由を迫害するという理屈になるのか、宗教上の理由から患者に中絶の話をしたくない医師らに強制的にアドバイスをさせることこそ憲法違反ではないか?

また、宗教上の理由から避妊や中絶を禁止しているカトリック教会に対して、これらの医療サービスを保険の対象にして負担せよと雇用主に強制する行為こそ、政府による宗教迫害のコントロールではないのか? その政府による強制行為を止めさせようとする共和党が国民コントロールをしようとしているというのは話が逆さまだ。

ウルフの「コンドームへのアクセスの規制」という言葉使いの不誠実さには反吐が出る。誰もコンドームを買ってはいけないとは言っていない。女性に避妊をするなとも言っていない。ただ税金では払わないよといってるだけだ。そのどこがコントロールなのだ?自分の道徳に反することだからしないといっているカトリック教会に、その教えに反して強制的にサービスを提供しろということのほうがよっぽども政府によるコントロールではないか。

国民の生活に逐一口を出して、細かいことまで統括しようとしているのは誰あろう左翼リベラルのブラク・フセイン・オバマ王政権である。

国民皆保険を国民の意志を無視しておしつけ、それによって人々の宗教の自由を迫害し、誰がどのような医療サービスを受けられるか上からコントロールしようとしているのはウフル愛する左翼リベラル政府のほうである。

子供の肥満が社会問題だと言って人々が摂取する砂糖や塩の量の規制を促しているのはオバマ夫人のミッシェル夫人である。公共施設の自動販売機で砂糖入りソーダの販売を禁止したり、マクドナルドのハッピーミールにつけるフレンチフライの量を規制したりしているのは、皆左翼リベラルの民主党か共和党とは名ばかりのリベラル議員たちである。

性によるコントロールというなら、カリフォルニアの小学校では強制的に子供達が同性愛教育をうけさせられているのはどうなるのだ?

州民投票では必ず否決される同性結婚を裁判や議会を通じて強制的に施行しようとする行為はどうなのだ?

では、ここで上記に羅列した質問を左翼リベラルの思考回路を理解出来るというミスター苺に説明してもらおう。

左翼リベラルは個人や地元政府や州政府に政策を任せておくと、多数派による独裁が起きると考えている。中央政府には常に地方政府の横暴から少数派を守る義務がある。中央政府(アメリカでは連邦政府)による国民の権利を守る法律や政策に反対するということは、それ自体が国民の人権を迫害する行為になるという理屈なのである。

無論左翼リベラル中央政権による国民を守る法律というのは、政権がこうあるべきと考えた権利であって、実際に個々の国民が守られるべきと考えている権利とは必ずしも一致しない。いや、一致しないことのほうが多いだろう。

ウルフに言わせれば、保守派が人工中絶問題は連邦政府がとやかくいうことではなく州政府の判断に任せるべきだというと、それは、州政府の横暴を許すということになり、それに関して連邦政府がなにもしないということは、個々の国民の権利を迫害することになるのだ。実際にその州の人間が州の法律に同意しているかどうかなどということは問題ではない。個々の州民が連邦政府に自分らの生活の一部始終に口出しされたくないと考えることは、州政府のコントロールを容認することだと解釈されるのである。

おまけとして、左翼リベラル女優たちの出演している反共和党ビデオを紹介しておこう。エンベッドするにはあまりにも気持ち悪いビデオなので、興味のある人はリンク先へいってご覧あれ。

http://www.youtube.com/watch?v=4iMBUoxLOmA

内容は、「私は共和党支持です」と名乗る女性たちが、それぞれいかに共和党による女性の性に関する規制を支持しているかを語るもの。ショッキングに描こうとしてか、女性達が政府には自分の「膣」に入り込んで欲しい、と「膣」という言葉を乱発するので非常に気色の悪いビデオになっている。

左翼リベラルにとって保守派が他人の避妊や中絶費を税金で払うのはお断りだと主張する行為は、政府が女性の性生活に介入してくることになるのだ。我々保守派が政府には我々の生活に口出ししないでほしいというと、保守派は政府による国民コントロールを支持していると主張する。

それにしても、このビデオを観ていて感じたことは、いかに左翼リベラルが保守派女性を理解していないか、いかに左翼リベラルは保守派や一般有権者を馬鹿にしているかが伺われる。こんな下品で下劣なビデオで、保守派や無所属の女性達が騙されると思ってることにあきれかえるというもの。

ミスター苺曰く、このビデオをより多くの有権者に観てもらいたい。これによっていかに民主党が国民を馬鹿にしているかがはっきりするからと。

June 4, 2012, 現時間 9:40 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 3, 2012

フェミニストの言う共和党による「対女性戦争」とは何か?

フェミニズム

今日は、ナオミ・ウルフという左翼フェミニストが書いた共和党による「対女性戦争の裏にあるもの」というコラムを紹介しながら、如何に彼女達の議論が屁理屈であるかを証明しよう。

ウルフは、最近多々の州で通されている法律を見ていると、あたかも突然女性達が社会秩序を乱すような行いに出ているのではないかと錯覚する、と始める。そうでなければ下記のような法律が次々に提案されることの説明がつかないと。

提案されたり最近通過した法案は、フェミニストがとっくの昔に勝ち取ったと思っていた、女性自身の身体への所有権と基本的な命の選択の権利を攻撃するものである。

ウルフは保守派の対女性戦争標的のナンバー1となっているのがプランドペアレントフッドだという。プランド、、とは、家族計画という意味で産児制限や性教育サービスを供給し、避妊及び妊娠人工中絶手術を主に行っている医療機関で、施設は全国各地に存在している。ウルフは全国各地でプランド、、への政府援助を止めさせようとする動きが出ていることが、プランド、、への攻撃であると主張する。政府つまり血税による人工中絶機関への資金援助を廃止した、もしくはしようとしている州は、メイン、テキサス、アリゾナ、オハイオ、テネヒー、インディアナ、ノースカロライナ、そしてキャンサスといった州である。

ここで注意しなければならないのは、これらの州は決して中絶手術を違法にしたわけでもなく、プランド、、を閉鎖せよと命じたわけでもない。ただ単に税金によるプランドへの援助を止めると決めただけだ。

プランドはもともと低所得者の家庭に正しい家族計画の知識を供給するという目的で設立された。その資金は政府からの援助と民間企業やプライベートの寄付などで成り立っている。法律によって政府からの援助金は産児制限のみで中絶に使われてはならないことになっているが、そんなことが無視されて中絶に使われていることは公然の秘密になっていた。

また去年、全国各地のプランドの施設に、違法移民の未成年少女売春宿を経営するにつけ、性病検査や中絶について相談したいという怪しげな男女が訪れた。明らかにヒモ風の男と売春宿のおカミ風の女に、プランドの職員は丁寧に避妊や中絶について手ほどきしている映像が隠しカメラでばっちり撮られるというスキャンダルがあった。実はこれは市民ジャーナリストの
ジェームス・オーキーフらによる覆面取材だったのだが、低所得の女性を助けるという建前で政府から資金援助をしてもらっておきながら、違法移民の少女たちを性奴隷にしようというヒモ男女に平気でアドバイスを与えた、しかもそれが全国各地のあちこちの施設で起きたということで、いったいプランドは国民の血税を何に使っているのだ、ということになったわけ。

あからさまに性の奴隷を使った売春宿のヒモの相談に、やすやすとアドバイスを与えるようなプランドのほうが、よっぽども女性の敵ではないか。そんな施設への資金援助を廃止することのどこが、女性への戦争ということになるのだ?

標的ナンバー2は、女性の人工中絶の権利そのものだとウルフは言う。ここでカカシの個人的な意見をはっきりさせておくと、私は妊娠人工中絶は全面的に反対である。ただし、妊娠人工中絶を全面的に違法にすべきだとは考えていない。不道徳な行為を常に政府が取り締まるべきという考え方に私は反対だからだ。

ただ、受精した卵子は単なる細胞ではない。いくら女性の体内にあるからといって、母親の一存でその命が奪われていいとはどうしても思えない。体内の宿った命が何時から母親とは別の人間としてみなされるのか、それによって法律は決められなければならないと思う。

2011年から、11の州において92にも渡る人工中絶を規制する法律が通っているとウルフはいう。アリゾナ州ではこの4月妊娠18週以降の中絶を違法とする法律が通り、また中絶手術を受けることもより困難になったという。

18週と言えば、妊娠四ヶ月以上である。すでに赤ん坊の形も出来て脳みそも人間並みのものが出来ているはず。この時期での中絶は殺人と言ってもいいくらいだ。ここまで来たらいくら自分の体内に宿っているからといって、勝手に殺してもいいということにはならないと思う。この法律は私から言わせれば非常に常識的なもので、これが女性への攻撃だといウルフの見解は全く理解できない。母体も人間なら胎児も人間のはず。

他には待機期間を強制する法律がある。ユタ州で通った法律では、妊娠中絶を決心した女性が考え直す時間を72時間与えるというもの。似たような法律がサウスダコタ州でも通っている。

妊娠中絶などという大事な決断を下すにあたって、三日ぐらい考えたっていいだろうが。命が関わっているのだ。いくら自分の体内にあるものだからといって、母体だけの命ではない。胎児の未来を完全に抹殺しようというのだ、もう少し考え直してもいいではないか? ここで中絶以外の方法を色々カウンセリングを受けたり出来ればそれに越した事はない。それが何故女性への攻撃ということになるのだろう?中絶をしてしまってから後悔しても遅い。後で心に残る傷を考えたら、非常に温情的な法律だと思う。

ウルフは州によってはある種のアドバイスを医療機関にて与えることを違法にするという憲法違反な法律が提案されているとして、カンサス州の法律を例にあげているが、これは単に医師や看護士が妊婦に人工中絶に関する情報を提供しなくてもいいというもので、人工中絶に関する情報提供をしてはいけないという法律ではない。アドバイスをする権利を剥奪すれば確かに言論の自由に反するが、言いたくないことを言わない権利を保障することのどこが憲法違反なのだろう?

ウルフによると、中絶手術を施す医師を罰する法案が提案されているという。場所によっては中絶手術を行った医師を殺害することが合法になるなどという法案もあったとか。はっきりいって私はそんな提案がまともに出たとは思えない。ウルフはどこの州のどこの議会でそんな話がされたのかという詳細を書いていないので、医師への暴力が認められるなんてことは私は信じない。

この立法の嵐はなんなのだ?命の尊厳の問題なのか?本当にそうだと信じられたらどんなにいいだろう。

ほう?ではなにが目的でこのような法律が立て続けに通ったとウルフは考えるのか。

ウルフはフェミニストの立場から人工中絶に反対だという人たちの考えは理解できるし尊敬するという。散々男に利用されて妊娠したうえに捨てられたり、売春を強制され妊娠が仕事に差し支えると中絶を強制されるような女性を救いたいという人々のことは、方針には賛成できないが気持ちは解るという。

しかしながら全国各地で人工中絶に関する法律を通そうとしている団体の目的はそのようなものではないとウルフは言う。

全国各地で同じような法律を通そうとがんばっているこの団体は、中絶をせず子供を生んで未婚の母となった低所得の女性から喜んでフードスタンプを取り上げるのと同じ団体だ。乳児のいる女性軍人を平気で戦地へ送り込む冷酷なやつらなのだ、、と。

ではウルフはこの『団体』が次々に人工中絶を規制する法律を通そうとする真の目的は何だと思うのか?

その真相にひらめいたというウルフの考えを読んで、私は大笑いしてしまった。なんと彼女はこれらの法律は政府による国民コントロールが目的だ、と言うのである。

確かに政府が人工中絶について誰が誰にどんなアドバイスをしてもいいか悪いか、人工中絶をする際には三日間頭を冷やせとか、なにもわざわざ法律で決める必要はないというウルフの意見には私も賛成だ。何度も言うが、不道徳な行為は必ずしも違法にされるべきではない。

だが、国民コントロールこそを究極の目的としているウルフのような左翼リベラルの連中が、保守的な政府による規制はプライバシーの侵害だとか、言論の自由及び人権迫害だとか文句を言えた義理か?

ウルフのコラムは人工中絶の話からアメリカ帝国による国民コントロールへと話が進む。

次回へつづく。

June 3, 2012, 現時間 10:43 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 27, 2012

保守派ティーンの反同性結婚メッセージに左翼リベラルから脅迫状殺到

フェミニズム , 同性婚 , 左右思想

アップデート&バンプ:マデリンのビデオはユートゥーブから取り下げられた。マデリンからの抗議に対してユートゥーブはビデオがユートゥーブの規則に違反するものだと通知した。汚い言葉使いをしているわけでも、脅迫的なことを言っているわけでもないのに、なにが行けないと言うのか? もっとたちの悪い同性愛結婚支持のビデオは放送禁止用語が羅列されているようなものでも規制されないのに、ユートゥーブは保守派の言論はとことん弾圧する姿勢らしい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

左翼リベラルは常に保守派や右翼のことを「憎しみ」という意味のヘイトという言葉で表現する。保守派が「同性結婚には反対だ」というと、憎しみに満ちた人という意味でヘイターとか、同性愛恐怖症とか、差別者、と相手を罵倒する。だが、本当のヘイターたちとは自分らのことなのだという皮肉な状態に彼らは気がつかない。

左翼リベラルにとって言葉自体には意味がない。彼らにとって大事なのはその言葉がかもしだすイメージである。実際に状況がその言葉の定義に当てはまるかどうかはどうでもいいのであり、その言葉の与えるイメージによって相手の人格を攻撃し相手を黙らせようとするのが目的。

ノースカロライナ州で同性結婚禁止の憲法改正案が通った話は前回したが、それについて一夫一婦制を唱えるユートゥーブビデオを発表したマデリン・マコーリーという16歳の少女に寄せられた、同性結婚支持者からのコメントはそれこそ本当のヘイトメールばかり。中には彼女の命を狙う正真正銘の脅迫状も含まれている。

注意:以下、卑猥な表現が続くので嫌いな人は飛ばすように!

「おい、お前は本当に馬鹿なおマ○○コだな、でもよ、おれのち○○をしゃぶらしてやるぜ。」

「この雌犬はキチガイだぜ」

「憎しみを煽る狭心者!この女は現代の奴隷制度も支持するに違いない。」

「サラ・ペイリンのせいだ、、ため息」

「おい、俺はあんたにあったばかりだが、あんたは本当にキチガイだぜ。ほら銃をやるから、安全装置は外してくれよ。

そして極めつけは、サラ・ペイリンの膣と名乗るコメンターのこれ。

「怒ったゲイの集団がお前のケツを追い回してぶっ殺すのを見たい。」

どうして左翼リベラルの連中による女性への攻撃は常に性的な表現になるのだろうか?何故こういう汚い言葉使いで個人攻撃するしか脳がないのか?

同性結婚を支持する人たちのユートゥーブ動画をいくつか観たが、どれもこれも言葉使いが汚な過ぎて、私のような者には最初の一分も持たない。しかも大の大人が作っている動画でも、いってることが幼稚すぎて16歳のマデリンの足下にも及ばないものばかり。そして何かと言えば反対意見を述べる人を「ヘイター」扱い。相手を罵倒する以外に議論がないのである。

よく言われることだが、保守派と左翼リベラルの違いは、保守派は反対派の考えは間違っていると考えるが、左翼リベラルは反対派は悪だと考える。よって保守派は正論を唱えて相手を説得しようとするが、左翼リベラルは罵倒して相手を黙らせようとすることにある。

本当のヘイトマンガー(憎しみを煽る者)とは左翼リベラルのほうなんだがね。

May 27, 2012, 現時間 3:05 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 25, 2012

オバマ政権の対宗教戦争

フェミニズム , 健康管理 , 同性婚 , 宗教と文化 , 独裁者オバマ王の陰謀

オバマ政権始め民主党やリベラルは、保守派や共和党が女性に戦いを挑んでいると言いがかりをつけ、「対女性戦争」を今回の一般選挙のキャンペーンとして使っている。だが、実際に誰かが誰かに戦いを挑んでいるとしたら、それはオバマ政権の方であり、その標的はカトリック教会及びユダヤ・キリスト教というアメリカ文化の基本となる宗教そのものである。(イスラム教は無論例外)だが、民主党がでっち上げた架空の「対女性戦争」が、女性有権者の間で全く影響を及ぼしていないのとは反対に、オバマ王による「対宗教戦争」は、オバマ王支持層の間に大きな波紋を生んでいる。

先日、アメリカ全国各地で無数のカトリック教会及びカトリック系大学などが、一斉にオバマ政権のいわゆるオバマケアと呼ばれる国民皆保険制度に対して抗議すべくオバマ政権を相手取って訴訟を起こした。その理由は、オバマケアが雇用主に強制している従業員保険による避妊費用負担は、避妊を否定しているカトリック教に対して、アメリカ憲法第一条で保障されている宗教の自由を迫害するものだというもの。これについては以前にも教会がオバマケアを拒絶する声明を出した時に書いた事がある。

カトリック教会はこれまで、その人道的な立場から、福祉社会を率先する民主党の強い味方だった。無論我々保守派からしてみれば、民主党の言う「福祉」とは政府が国民を統括し弾圧するための道具なのであり、実際の福祉とは無関係なことはよくよく承知していた。であるから、これまでのカトリック教会による民主支持は誤った観点から始まったと言える。だがそれが、オバマ王のあまりの傲慢な態度にカトリック教会は漸くその事実に気づいたようだ。

この訴訟がオバマの再選選挙にどのような影響を与えるか、CNNのカファティーファイルでは、オバマ政権は訴訟について何も声明を出していないが、長年の支持者である教会を敵に回すことがいいことであるはずはないと語る。だが、それだけでなく、カファティーはオバマ王は最近カトリックだけでなく、同性結婚を巡って、やはりオバマの誠実な支持者であった黒人キリスト教会を怒らせるような発言をしたと指摘する。

先日オバマ王が同性結婚を公に支持した発言と、それを真っ先に支持した黒人市民団体NAACPの声明は、これまでオバマの熱狂的な支持層であった黒人キリスト教会とその信者達をまっぷたつに割る衝撃を与えた

近年NAACPは黒人の人権を守る市民団体などというのは建前で、単にその影響力を使ってリベラル左翼政策を促進する民主党の手先と成り下がっている。であるから、個人的には同性愛者を嫌っているメンバー達も、政治的な理由でオバマの政策には全面的に賛同するのは特におどろくべきことではない。

だが、黒人教会の多くは、実際に敬虔なクリスチャンが多く、聖書の教えに従うのであれば、同性結婚を支持することは出来ないのである。となってくると、それを公に歓迎したオバマ王を支持することも難しくなるというわけだ。

比較的リベラルなキリスト教徒らからは、せっかく黒人が大統領になるという歴史的な出来事が起きたのに、たったひとつの事柄だけで、その快挙を台無しにするべきではないという意見も出ている。だが、オバマが大統領に立候補した時、オバマ自身が敬虔なキリスト教徒であるというイメージを大々的に打ち出していた。オバマの両親がイスラム教徒なので、オバマは特に神経質に自分のキリスト教ぶりを主張したのである。多くの黒人市民はオバマが自分と同じ神を信じ、自分らと同じ価値観を持つ、下手をすれば救世主のような存在だという印象を持っていた。であるから最近のオバマの発言は神の教えを冒涜するものであり、自分たちへの裏切りであるとも取れるわけだ。

比較的知られていることだが、黒人社会は白人社会よりもマッチョな文化が存在し、同性愛は一般社会よりも受け入れられていない。最近行われたピュウーの世論調査では、白人の間で同性結婚の支持は47%なのに対し、黒人の間での支持は39%に留まっている。

このことだけで、黒人層によるオバマ支持が減るかどうかはまだよくわからない。だが、オバマや民主党が黒人は圧倒的にオバマ支持だとたかをくくって油断していると、大変なことになるかもしれない。

ところで、最近いくつか発表された世論調査において、アメリカ市民の間では同性結婚を支持する人の数が増えているという結果が出ているが、私にはどうしても納得がいかないのである。もし本当に半数近くのアメリカ市民が同性結婚を支持しているというなら、なぜ全国各地の州で同性結婚を否定する結婚は一夫一婦制のみという法律や憲法改正案が出る度に、州民の圧倒的な支持を受けて可決されるのだ? 比較的リベラルで、圧倒的に民主主義のカリフォルニア州ですら、一夫一婦制の正式な確立をした憲法改正が過半数で通っている。同性結婚を合法にした州は、どこも州民投票によるものではなく、裁判所や議会の決断によって決められたものに限る。州民投票によって同性結婚が認められた州は存在しない。

10月末に民主党の全国党大会が開かれることになっているノースカロライナ州でも先日5月9日、同性結婚を禁止する憲法改正案が圧倒的多数の州民投票で通過した。

世論調査と選挙結果がこのように大きく食い違う理由について、ミスター苺がこんなことをいった。アンケートを受けた回答者たちは、質問者に正直に答えていないのではなかというのだ。世論調査で問題なのは誘導質問などもあるが、それよりも、回答者が質問者がどのような答えを期待しているか察知し、質問者が気に入るような答え方をする場合が多いという。

たとえば、「あなたはお手洗いに行ったら必ず手を洗いますか?」という質問に対して、実際に洗わない人でも、洗わないとは答えにくいはず。いくら匿名でも質問者に自分の不清潔な習慣を知られるのは恥かしいと思って「必ず洗います」と答える人も結構居るのでは?

ということは、メディアなどで日夜連続で同性結婚を支持しない人間は同性愛恐怖症の差別主義者だと決めつけるイメージを押し付けれている市民からしてみれば、同性結婚に反対しますと正直にアンケートに答えにくかったという可能性は多いにある。世論調査で嘘をついても別に罪になるわけではないし、調査でどれだけ自分のプライバシーが守られているか解らない場合、見ず知らずの人に自分の正直な意見をいうのは憚られるということもある。

昔のように、誰も同性結婚など支持しておらず、メディアでも同性愛は異常な行為だという描写が普通だった頃は、こういう調査で同性結婚に反対すると答えることに抵抗を持つひとは少なかったはず。だからこういった世論調査で国民の意見を正確に把握するのは難しい。州民の本音は州民投票に現れる。

さて、そうしたことを考えると、オバマ王の最近の行動はどうも腑に落ちない。何故オバマ王は自分の支持層に波紋を及ぼすようなことを立て続けにするのだろうか? 避妊費用負担にしろ同性結婚にしろ、そんなアジェンダを押しているのは一部の過激派だけだ。そんなことに肩入れしても特に票が集まるとは思えない。それよりも、それに反対する人々の怒りを買うことのほうが問題なはず。いくら経済という国民が一番きにしている問題から話題をそらせたいからと言って、このような話題を選ぶのは的外れにもほどがあるのでは?

どうもオバマのやることは理解できない。

May 25, 2012, 現時間 11:12 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 23, 2012

米共和党が女性支持を失っているという嘘

アメリカ内政 , フェミニズム , 左右思想

民主党がでっち上げた共和党による『対女性戦争』"war against women"によって、共和党が女性票を失っているという世論調査が次々に発表されたが、実はそうでもないことがだんだんと明らかになってきた。

避妊を巡って左翼リベラルが大騒ぎをしていた当初でも、一連の騒ぎによって共和党が女性票を失ったというのは嘘だった

4月の始め、サンドラ・フルークの避妊に関する証言の直後、ワシントンポストやニューヨークマガジンなどが、わずかながらに共和党が増やしていた女性からの支持が、今度のことで帳消しにされたといってとある世論調査を発表した。しかしながら、主流メディアはこの世論調査をかなり歪曲して報道していた。

確かにNBC/Journal pollによると、騒ぎ後民主対共和では女性支持が14点も離れていた。しかし、この騒ぎが起きる以前には15点の差があったのだ。つまり共和党の女性支持はわずかながら増えていたわけだ。

また共和党大統領候補ミット・ロムニーの女性支持率は2月半ばの37%から3月中旬の39%とほぼ横ばい。避妊薬騒ぎは全く影響を受けていない。

そして今度のヒラリー・ローゼンのアン・ロムニーへの攻撃後にされたヒル世論調査では、共和党やミット・ロムニーが働く女性を尊敬していると答えた有権者の方が、民主党が専業主婦を尊敬していると答えた人より、49%対27%で多かった。

オバマ大統領が専業主婦を外に働きに出ている女性に比べて尊敬していると思うかという質問には、37%思うと答え35%が思わないと答え、29%がわからないと答えた。どうやら有権者は、オバマ政権が距離を置いたにも関わらず、ローゼンはオバマの意見を述べたものと考えたようだ。

女性票だけを観てみると、ロムニーとオバマのどちらが女性問題を理解しているかという質問に対して、46%対41%でロムニーのほうが有利と出ている。

ザ・ヒルポール世論調査の結果からは、特に女性と男性とで答えの差は見られなかったが、女性のなかで既婚者と独身者を比べてみると非常な違いがあることが解る。

独身女性は54%対35%と圧倒的にオバマh氏時であるのに対し、既婚女性の間では47%対26%と圧倒的にロムニーが人気がある。

独身女性が民主党を支持する傾向があるのは、生活に関する不安を政府によって支えてもらいたいという意図があるからで、それが結婚すると家族で経済を賄えるようになるため、かえって政府の介入が邪魔になり、比較的個人の生活に干渉しない共和を支持するようになるのではいかと考えられている。

April 23, 2012, 現時間 8:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 16, 2012

何故フェミニストはアン・ロムニーを嫌うのか?

フェミニズム

この間、民主党アドバイザーのヒラリー・ローゼン女史が共和党大統領候補有力指名のミット・ロムニーのアン夫人を「一生のうち一度も働いたことがない」と言って批判した件で、コメンターのマックさんが、「最近の女性は、フェミニズムを間違った捉え方してる女性が多い。」というコメントを引用し、「私もそう思います。女性が男性化する事が、本来のフェミニズムだとは、私は思えません。」と書いてくれたが、この傾向は最近というより、フェミニズムが左向きになった20年以上も前から起きていたことだ。

このことについては旧フェミニズムの母とも言える、クリスティーナ・ホフ・ソマーズが1995年に発行されたWho Stole Feminism?「フェミニズムを乗っ取ったのは誰か」という本のなかで、アメリカのフェミニズムが左翼思想に乗っ取られた経過を書いている。(カカシもホフ・ソマーズ女史についてはここで触れている。)

現在のアメリカフェミニスト達及び左翼リベラルが何故ロムニー夫人をこうも嫌うのか、ブックワーム(文字通り「本の虫」という意味)というブログがおもしろいことを書いている。

先ずヒラリー・ローゼンが『子育ては仕事ではない』宣言をした後、フェミニストの女性達が次々にローゼンの弁護をツイートしたが、その内容がこぞって、お金を貰っていなければ仕事とは言えないというものだった。

私はある程度の歳なので覚えているが、男達が家事を馬鹿にして、給料をもらっていなければ本当の「仕事」とは言えない、などと言えばフェミニスト達がいきりたって激怒した時代があった。つまり、ローゼンのコメントを弁護しようとする女達は、1960年代70年代によく言われた悪名高い"male chauvinist pigs"(熱狂的男尊女卑主義の豚)と言われた男達が女達に向って言った言葉をそのまま使うはめになってしまったのだ。これによって革新派ほど後退派だということが、またもや証明されたのである。

アメリカのフェミニスト達は、日本でもそうなのかもしれないが、個々の女性の地位向上などには興味がない。彼女たちの目的は全体的な女性という集団の権力拡大である。フェミニストや左翼リベラルが言う「女性問題」というのは、いかに政府が女性という集団の左翼化を援助するかという問題であり、日々の生活のなかで個々の女性達が直面する苦労をいかにして緩和するかなどという問題ではない。

つまり、言ってみれば、子育ては誰の責任なのか、という根本的な問題がここにある。

全体主義のフェミニストの立場からすれば、政府ではなく個々の母親が子育てをするということ自体が許せない事実なのだ。何故なら個々の母親に育てられた子供達は、政府が望むような左翼主義者になるとは限らないからだ。彼女たちが一番嫌うのは個人主義。アン・ロムニーや、家庭教育をしているコメンターのマックさんみたいな母親は、政府や主流メディアのいいなりになる歩兵を育てることを邪魔する恐るべき存在なのである。

左翼のアン・ロムニーへの敵意は彼女の夫の富や彼女/彼らの共和党という立場や、アン・ロムニーが外へ出て働くより子育てを選んだということなどを通り越している、とブックワームは言う。左翼連中にとって、アン・ロムニーは個人主義の最たる者であり、全体主義者のフェミニスト達にとっては最も脅威なる宿敵なのである。

どうりで左翼はアン・ロムニーを毛嫌いするわけである。

April 16, 2012, 現時間 8:33 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 13, 2012

「子育ては仕事じゃない」オバマ陣営女性アドバイザーの発言が波紋を呼ぶ

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

アメリカの経済はひどい状態にあり、イランや北朝鮮などとの外交もハチャメチャになっている現在、民主党やオバマ王陣営にとって、経済問題といったアメリカの現状など選挙運動の話題にされては困る。そこで民主党は架空の共和党による"War Against Women"「対女性戦争」なるものをでっちあげ、話題を変えようと必死になっている。

それについて、CNNのアンダーソンクーパーの番組で、民主党アドバイザーのヒラリー・ローセンなる女性が、共和党大統領候補指名ほぼ間違い無しのミット・ロムニーは何かと女性と経済の関係についてアン夫人の意見を聞くというが、「アン・ロムニーは生まれてこのかた仕事などしたことがない」と語ったことが大旋風を巻き起こした

先ずCNNの番組のあったその晩、ロムニー夫人は初めてツイッターで反撃した。

@AnnDRomney. 私は家にいて五人の男の子を育てる選択をしました。信じてください。これは大変な仕事でした。

アン・ロムニーに言われるまでもなく、子育てをしたことがある人なら誰だって「子育ては仕事じゃない」なんて言えないだろう。

アン・ロムニーはその後フォックスニュースの番組で、ローゼンは自分が五人のいたずらっ子たちを育てている頃のロムニー家に来るべきだったとし、五人の男の子の子育てが容易なことではなかったことを語った。またロムニー夫人はマルティプルスクラローシスという難病を持ち乳癌の生存者でもある。ま、言ってみれば主婦の鏡みたいな人だ。

私がキャリアとして選んだ母という仕事は、大変な責任です。

アン・ロムニーはローゼンが仕事をしながら子育てもしたという事実を賞賛しながら、しかし専業主婦として母親業に専念するのも選択だと強調。その選択は尊重されるべきだと語った。

そうなのである、民主党や左翼リベラルは何かと言うと「女性の選択の権利」を主張するが、自分らが認めない選択をした女性達に対しものすごい攻撃をする。ヒラリー・ローゼンの発言はそれをまさに象徴するものだ。第一、一般人への批判はオフリミットのはずでは?

このヒラリー・ローゼンなる女性は民主党ロビーイストでゲイレズビアンバイセクシャルなんたらの活動家で、およそ伝統的なアメリカの女性像とはほど遠い。それでなくても民主党は普段から保守的なアメリカの価値観に攻撃的な態度を示していると思われているので、今回のローゼンの発言は一般市民からも非常な反感を買うと思われる。

ローゼンは直接オバマの選挙運動には参加していないが、大統領のアドバイザーとしてホワイトハウスには頻繁に招かれている。ホワイトハウス側も「しまった」と察したようで、即座にローゼンから距離を置く発言をツイートしている。

すべての母親が一生懸命働いています。すべての女性が尊重されるべきです。ーミッシェル・オバマ大統領夫人。

ヒラリー・ローゼンの発言には全く同意できません。彼女の発言は間違っています。家族はオフリミットです。彼女は謝るべきです。ー ジム・メシナ氏、オバマ選挙運動主任

ヒラリー・ローゼンのアン・ロムニーへの発言には失望しています。不適切で失礼です。ー デイビッド・アクセルロード、オバマ占拠運動指揮

しかしローゼンは怯まない。アン・ロムニーの反撃に連続ツイート。

私はアン・ロムニーに敵意はない。ただミットが女性が家計を支えるために苦労している話に彼女を専門家として持ち出すのは止めてほしい。彼女は専門家なんかじゃない。
@AnnDRomney 解ってほしい。私はあなたに敬意を示す。ただあなたのご主人は女性と経済についてあなたをいちいち持ち出すべきじゃない。
あ、ところで、ツイッターにようこそ。ここはとっても楽しいけど時として厳しいところよ。

嫌らしい〜!意地悪女が人を見下してエリート面してるのが見えるようだ。いかにローゼンが専業主婦や母親を軽蔑しているかが伺われる。

ローゼンはCNNのインタビューで更に反論。

これはアン・ロムニーや私が働いてるかどうかと言う問題じゃない。金銭的に余裕のある女性は家にいて子供を育てる選択をすることができる。ほとんどのアメリカ女性には、そんな選択の余地はない。彼女たちは働きながら、さらに子育てもしなくてはならない。そういうことについてロムニー陣営からは何も聴こえてこない。そうするかわりに私を攻撃している。結構よ、攻撃してちょうだい。でもね、それはこの件に関するロムニーのお粗末な経歴を消す事はできないのよ。

じゃあ、お伺いしますけどね、なんで一般家庭の主婦は家計を支えるために仕事に出なくっちゃならないんですか?なんで彼女達は専業主婦を選択する余裕がないんですか?

それはあんたら左翼リベラルが何かと自由市場を邪魔して、高い税金取り立てて、一般家庭が旦那さんひとりのお給料だけではやっていけない社会にしたからではないか!!!!!

ローゼンや左翼リベラルの言う、女性問題に関する「お粗末な経歴」というのは、ロムニーが政府によってシングルマザーへの生活保護を唱えたり、未婚女性の避妊や人工中絶への政府からの援助を拒んでいるという意味。ローゼンらにとって、自由市場の繁栄を促進させ、税金を減らして一般家庭の収入を増やすことによって、女性が政府になど頼らずに子育てにしろ避妊にしろ自由に出来るような社会をつくることは、女性問題を考えているということにはならないのだ。

オバマ王の「お粗末な」な政策によって、原油の値段は急高騰。これによって五人の男の子たちを学校やサッカー練習にSUVで送り迎えして走り回ってる母親の生活がどれほど苦しいものになっているか、ローゼンや左翼リベラルのエリート女性達は気がついているのか?

若い未婚の女性達が好き勝手にセックスしたいからって、オバマケアが国民の血税使うなど、税金の無駄遣いをさんざしておいて、そのための増税でどれだけの専業主婦が止むなく外に仕事に出なければならなくなっているか、ローゼンは考えた事もないだろう。

ところで、話は変わるが、常に女性の味方だとか、男女平等とかを唱えているオバマ王だが、ホワイトハウスで努める女性達のお給料は男性達に比べてずっと低いという統計が出ている。

2011年のホワイトハウススタッフの記録によると、女性従業員の平均年収が5万ドルなのに対し、男性は7万1千ドルと、女性より17%高いことが解った。これだけでホワイトハウスが男尊女卑だと断定することはできないが、面白い事実である。

それから、オバマ再選選挙運動のボランティアやインターンの若者は圧倒的に白人男性が多いそうだ。へんですねえ〜、多様性はどこへいったのかな?

April 13, 2012, 現時間 10:31 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 31, 2012

ウィスコンシン州美人副知事に対する悪質な侮辱に無言の左翼リベラルメディア

フェミニズム , 左右思想 , 狂ったメディア

サンドラ・フルークなるプロ左翼市民に対する些細な侮辱を大げさに騒ぎ立てた左翼リベラルメディアだが、もっと悪質な攻撃を受けているのが保守派の女性だと完全にだんまりを決め込むのが左翼メディア。

ウィスコンシン州では共和党のウォーカー知事による経済立て直しに腹を立てた労働組合暴力団員たちが、ウォーカー知事を弾劾しようと躍起になっているが、同じく保守派の副知事、レベッカ・クリーフィッシ女史も弾劾せんと猛攻撃を行っている。

無論左翼リベラルはちょっとでも左翼リベラルの女性が右側から責められると、些細な事で女性蔑視だセクシストだといって大騒ぎするが、相手が保守派女性となったらその攻撃の仕方は紳士淑女の保守派には絶対に出来ないような悪質なものばかりだ。

同州マディソン市のラジオDJ、ジョン・スライ・シルベスターなる奴は、クリーフィッシが保守派ラジオトークショーホスト全員にオーラルセックスをしてあげたとか、大勢の男性をならべて次々に集団セックスを行ったとか、女史が癌生存者であることをおちょくったり女史の家族を侮辱したりした。「あんたの旦那があんたの親友と寝てることを願うね。」などと言ったりしている。

そしてさらにシルベスターは、クリーフィッシさんの娘や息子が母親の悪質な行為を毎日嫌というほど聞かされて学校でいじめられて帰ってくる事を望むなどとけしからんことを言っているのだ。

左翼連中は公人はどれだけ侮辱されてもいいが、一般市民への侮辱はオフリミットだと言っていなかったか?だからラッシュ・リンボーは責められるべきなのだと。クリーフィッシ副知事は公人でも彼女の夫や子供達は一般市民だ。その人たちへの侮辱はどうなるのだ?

あ、そうでしたね、

ザッツトータリーディファレント!

March 31, 2012, 現時間 7:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 30, 2012

プロパガンダで悪いか! 海兵隊を好ましく描写したケイティ・ペリーのミュージックビデオ

ウォール街を占拠せよ , フェミニズム , ヨーロッパ

ケイティー・ペリーという若手歌手は今アメリカで人気があるみたいだ。私のように芸能ニュースに疎い人間にはポップ界で誰が人気者かなんてことはわからないが、その彼女の新しいミュージックビデオでは、失恋した彼女が海兵隊に入隊し基礎訓練を体験している姿が好意的に描写されている。本来ならば、フェミニスト諸君はこういう独立心のある強い女性を敬うべきであるが、当ブログでもしょっちゅう書いてるように、アメリカのフェミニストは左翼第一でフェミニズムは二の次。左翼の大嫌いな軍隊を美化しているとして、悪名高いフェミニスト作家のナオミ・ウォルフは、ペリーのビデオは親海兵隊のプロパガンダだとフェイスブックで批判した。

ケイティー・ペリーのビデオ観た? まるっきり親海兵隊プロパガンダじゃないの!海兵隊からお金もらって作ったのかどうか是非知りたいものだわね。なんたる恥知らず。私は彼女はとても好きな歌手だったけど、暴力を美化する行為に私と同じように腹が立ったなら、彼女のボイコットを提案するわ。

下記が問題のビデオ。

私はペリーなる歌手のことなど全然しらないが、確かに海兵隊に女性をリクルートするには完璧なビデオだ。これを親海兵隊プロパガンダだというならそれはそうかもしれない。だが、だったら何が悪いんだ、と私は聞きたいね!

ウルフはご自分は女性蔑視や差別が横行し婦女暴行も日常茶飯事というオキュパイなんたらに参加して、わざと警察官を挑発した姿をビデオに撮って自分をニュースの中心にし、それをネタにして本まで書いてる人間だ。自分の行動をルポしてリポーター気取りの人間が他人のミュージックビデオをプロパガンダだといって批判する権利があるのかと批判する記事もある。

左翼リベラルはプロパガンダの専門家だ。自分らのすることなすこと全てプロパガンダではないか。最近のハリウッドの戦争映画なんて反戦反米プロパガンダばっかである。それがたま〜に親米や親米軍の映画やビデオが出て来ると「プロパガンダだ、プロパガンダだ!」と言って大騒ぎ。プロパガンダが気に入らないってんならてめえらのやってることは何なんだよ!

カカシ注:はい、声を揃えて言いましょう。せ〜の、ザッツトータリーディファレント!!!!

March 30, 2012, 現時間 11:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 25, 2012

一般選挙に向けて左翼リベラルの熾烈な言論弾圧

フェミニズム , 狂ったメディア

二週間前のラッシュ・リンボーが避妊運動家サンドラ・フルークを侮辱した事を口実に、左翼リベラル運動家たちはメディアマタースという左翼団体の先導を受け、リンボーの人気ラジオ番組を打ち切らせようと猛烈な攻撃を仕掛け始めた。いや、始めたという言い方には語弊がある。何故ならメディアマタースのデイビッド・ブロックという男は、クリントン政権時代に一躍人気者となったリンボーに腹を立て、2004年から20年以上に渡ってリンボーの番組を打ち切らせようと執拗に攻撃してきた男だからである。

数日前ブロックは、ポリティコドットコムにおいて、リンボーの番組スポンサーが左翼リベラルの圧力に負けてどんどん番組から降りて行くことによって、リンボー番組の終わりは近いと宣言した。

ラッシュ・リンボーのラジオショーの糧となっていた財政モデルは、ここ数週間のうち少なくとも100社に渡る番組スポンサーの離脱によって崩れつつある。(中略)

メディアマタースフォーアメリカは、「ザ・ラッシュ・リンボー・ショー」を組織創設の2004年当初から観察してきたが、フルークに対してされたような口調や期間での攻撃は、リンボーはじめ他のメディア人物からも、これまでにされた例は記憶にない。

その理由から、メディアマタースは他の無数の団体と共に番組スポンサーに対し、リンボーの番組を経済的に援助することがいかに彼らの銘柄にとって不利益であるか教育を始めた。

スポンサーがリンボーに対して取っている行為が憲法で保証されている言論の自由を迫害するものだという神話がある。だが事実はその反対である。これこそが憲法第一条の力を示威(じい)するものなのである。

さて、これに対して番組から、同じくポリティコ紙面において反論が載った。

メディアマタースの言う財政モデルとはブロックの銘柄支持のみであり彼らの目的は言論弾圧以外の何者でもない、と番組報道官のフライアン・グリンクリッチ(Brian Glicklich)は語る。ブロックによる番組スポンサーへの圧力は何も今日に始まったわけではなく、今年の一般選挙に向けてすでに三年前から着々と計画されていたものだ、今回のフルーク事件はその計画を実行に移すための単なる口実に過ぎないとグリンクリッチは言う。グリンクリッチはまた、保守派の口調に対して猛烈な批判をするメディアマタースは味方の同じような言葉使いには無頓着だと指摘する。

事情が違う、と彼らは言う。だが彼らが言う場合には常に何やら不可能な屁理屈によって事情が違うということになる。だが事実は彼らは単なる偽善者なのだ。

しかしメディアマタースの悪質さは偽善などでは留まらない。ブロックはリンボーの番組スポンサーを「教育」し始めたと書いているが、そのやり方がえげつないのだ。

メディアマタース暴力団の要求は単純だ。『我々の敵を糾弾せよ、さもなくば敵とみなす』というもの。彼らは対象となるスポンサーの電話番号やメールアドレスやフェイスブックやツイッターのリンクを配布し順繰りに数々の小企業に対して番組から降りろと脅迫する。

お客さんはメールにしろ電話にしろ抗議の数に圧倒されて会社と連絡がつながらない。また、会社の社員達は抗議者への対応に手一杯で接客する余裕がなくなってしまうのである。「これがお前の言う教育なのか、デイビッドさんよ」とグリンクリッチ。

商売にとって宣伝は非常に大事だ。企業が宣伝する場所を選ぶ時は特にこれといった政治的な考えなど考慮にいれていない。単に一番効果的により多くの消費者の耳に宣伝が届く場所を選んでいるに過ぎない。その企業から宣伝場所を奪うということは、企業に対する営業妨害に他ならない。

メディアマタースは企業にお客さんに話しかけてはいけないというのだ。こうしてビジネスが縮小され従業員がリストラされたり会社自体が倒産したりしたら、メディアマタースは誰を責める?多分自分たちではないだろう。

以前にも書いた通り、ザ・ラッシュ・リンボー・ショーはアメリカ一の人気ラジオ番組であり何百万という聴取者がいる。リンボーショーのスポンサーになりたがっている企業はいくらもある。特に今回の話題でかえって聴取者が増えているくらいなので、実際にブロックのいうように100社のスポンサーが離脱したとしても、スポンサーになりたくてうずうずしていた他の会社が取って代わるだけだから番組自体は特に痛くも痒くもない。

それよりも、一番被害を被っているのはグリンクリッチが指摘しているようにメディアマタースの攻撃対象となり、番組スポンサーを降りざる負えなくなった小企業である。大企業ならちょっとくらいの嫌がらせや脅迫を乗り切るだけの経済的な余裕はある。だが、地方で二つ三つの寝具店を営むような中小企業にとってメディアマタースの脅迫を乗り切る力はない。そうやって中小企業が効果的に宣伝する場所を奪う行為が言論の自由を保証する「憲法第一条の力を示威(じい)するもの」だなどとデイビッドの野郎は平気で嘯(うそぶく)のである。

さて、これとは別に、圧倒的左翼リベラルの権威下にあるカリフォルニアはロサンゼルスにおいて、市議会は地方テレビ局やラジオステーションに対し「人種差別」や「男女差別」的な言葉使いを規制する議案を通した。

市議会は13−2の投票で「ロサンゼルス市のラジオやテレビ局の経営者は番組出演者が人種差別や男女差別的な侮蔑語を公共の電波において使用しないよう極力の注意をはらうことを促す」規制案を通した。

だが差別的な言葉使いというのは、非常に主観的な判断を要する。例えば保守派DJがオバマの政策は国のためにならないと言ったとしよう、左翼リベラルに牛耳られている市議会の判断によれば、オバマ大統領は黒人だからオバマへの批判はすべて人種差別的な発言だと言えばそれで通ってしまう。同じように男女差別にしろ批判の対象が左翼リベラル女性なら、これはすべて女性蔑視だといって批判されることは必定だ。

ところが何故か保守派への攻撃は保守派の黒人をアンクルトムだの家事専門の黒人奴隷に対する侮蔑的な呼び名を使ったり、ペイリンのような保守派女性を女性性器を表す侮蔑後で侮辱しても、公人への批判は許されるとかなんとか屁理屈こねて無視されることは目に見えている。

左翼リベラルは常に反対意見の弾圧に余念がない。彼らは多様性だの自由だの民主主義だのといった体のいい言葉を振り回すが、彼らほど独裁的で弾圧的な思想を持つ人もいない。

だが私はアメリカ市民は左翼リベラルが思うほど馬鹿ではないと信じる。左翼リベラル連中やメディアマタースのような暴力団が我々の言論の自由を弾圧しようとすればするほど、アメリカ市民は彼らの悪質な本性に気がつくはずである。今こそ保守派ラジオやブログや他のメディアは、左翼リベラルの攻撃に断固立ち向かう勇気が必要なのである。

March 25, 2012, 現時間 11:24 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 16, 2012

苦学生が聞いて呆れる、納税者に自分の避妊費用を負担させろといいながら、自分は金持ちの恋人と世界旅行

フェミニズム , 狂ったメディア , 独裁者オバマ王の陰謀

三年間で三千ドルにも及ぶ避妊費用を奨学金で大学に行っている自分のような苦学生が負担するのは非常に困難だとして議会で証言したサンドラ・フルークなる自称一介の女子大生(本当は30歳のリベラル政治活動家)は最近金持ちの恋人と連れ立ってスペイン旅行をしたという。自分には避妊薬を買う金がないからジョージタウン大学が負担すべきだと言っていたフルークだが、スペイン旅行をするお金はあるわけね。

女性蔑視の発言が問題になっているビル・マーは、サンドラ・フルークを一般市民と言ったが実はとんでもない。フルークはオバマ再選運動のれっきとした工作員である。

フルークはもともと避妊権利活動家だったが、議会での証言後有名になったこともあり、現在元オバマ大統領のコミュニケーション局長で毛沢東の崇拝者アニタ・ダンが経営するSKDKニッカーボッカーというPR会社がフルークの活動PRを無料で担当している。

また、ビル・オーラーリーによると、フルークの恋人はウィリアム・マターパール(William Mutterperl)という金持ちで、ここ数年、民主党候補何人にも政治献金をしているバリバリの民主党運動家である。

オーラーリーはフルークに関して自分のフォックスニュースの番組のなかで下記のように語った。

「六日間に渡って我々は30歳のジョージタウン法律学校の学生がオバマ再選の主流な選手になると言って来た。「昨晩、我々は彼女が無料でただでSKDKnickerbockerというPR会社からPR援助を受けることになったと報道した。これは良い事だ。なにしろご存知のようにサンドラには避妊薬を買うお金もないのだから。しかしサンドラの話は避妊に留まらない。現在彼女は春休みで恋人とカリフォルニアで過ごしているが、この恋人はウィリアム・マターパールという民主党の実力者であり、すくなくとも56回も民主党候補や支持団体に政治献金を送っている。 それ自体は決して悪い事ではない。私は単にその事実を指摘しているにすぎない。」

明らかにフルークには有力なスポンサーが着いている。避妊薬を買うお金がないといいながら、フルークは全国を飛び回り、テレビやラジオを含めあちこちの舞台に出演し演説をぶっている。誰がこの費用を払っているのだ?

オラーリーはさらにフルークが浮上したタイミングも都合が良過ぎると語る。フルークはオバマ政権がカトリック教会に避妊や堕胎を保険で負担する法律を強制しようとして非常な批判を浴びている最中に都合良く現れた。

フルークの挑発的な発言にリンボーが軽々しく乗ってしまったことで、一見すると正義の味方オバマ王が颯爽と現れてフルークの女性としての名誉を守る、というふうに見えるが実はそうではない。

オラーリーはフルークはオバマ王の手先であり、有権者はこのような小細工に騙されてはならないと語る。問題なのは一ヶ月で2290兆ドルの国家赤字をだしたオバマ王なのだ。その事実から目をそらしてはならないと。

March 16, 2012, 現時間 10:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 13, 2012

オバマ陣営の「共和党は女性の敵」というスローガンが裏目に出た一週間

Tea Party , フェミニズム , 健康管理 , 独裁者オバマ王の陰謀

共和党大統領候補たちの最初の弁論会が開かれたとき、クリントン大統領(民主)の主席補佐官だった司会者のジョージ・ステファノポリスが突然避妊の話を持ち出した。候補者たちの間では避妊の話など全くでていなかったので、何故ステファノポリスが突然こんな場違いな質問をするのか皆首をひねった。 しかし数週間後、オバマ王が、自分が発案したオバマケアと呼ばれる国民皆保険の新しい規則に、宗教で禁じられていようといまいと、すべての雇用主が従業員の避妊や堕胎を健康保険で支払わなければならないと発表してはじめて、人々は「ははーん、そういうわけだったのか」と納得がいったのである。

アメリカの保守派は信心深い人が多く、特に避妊や堕胎には非常に神経質になる人が多い。それが無宗教なリベラルや無所属の人々から見ると、保守派の信心深さは「過激な右翼」という印象を与えることがある。オバマ王および民主党の狙いはここにあった。

オバマ王の代になって国家赤字が歴史上最高になり、ガソリンの値段がブッシュ時代の二倍以上にあがり、失業率も前代未聞のこのときに、女性の避妊治療を国民保険が払うか払わないかなどということが話題になること事態おかしい。だが民主党は単に話題を変えるというだけでなく、話題の焦点を女性に絞ることにより、あたかも共和党が過激な宗教右翼で女性の敵であるという印象付けをしようとしたのである。

先週議会で避妊にかかる費用が三年間で3000ドルという話をした女子大生にしても、わざと過激な発言をして保守派を挑発するのが目的だった。残念なことにラッシュ・リンボーがその挑発にまんまと乗せられて、この女子大生を「あばずれ」とか「娼婦」とか呼んだことで、民主党はこれを利用していかに共和党が男尊女卑の偏見に満ち満ちているかを証明できると大喜びした。アメリカのフェミニスト団体のNOW(ナウ)などは、リンボーの発言は「神からの贈り物だ」といって歓喜した。

ところが、蓋を開けてみると、結果は民主党が望んでいたこととは正反対のものとなった。本日発表されたCBSの世論調査によると、オバマの支持率はこれまでで最低の41%にまで落ちてしまったのだ。

今朝、ラッシュ・りんポーのラジオ番組を聴いていたら、リンボーはざまあみろ、と言わんばかりに大喜びしていた。ま、そりゃそうだろうな。

しかし何故、民主党による「共和党は女性の敵だ」というキャンペーンンは効き目がなかったのだろうか?

まず、アメリカ国民はオバマ王や民主党が思うほど馬鹿ではない。人々は今回の選挙の焦点は経済であることを十分に理解している。保険が避妊や堕胎を含むべきだなどという話は先ず失業率を減らし、国家赤字を減らし、ガソリンの値段を下げてからにしてくれと言うのが本音だろう。

それにだ、オバマ王によるカトリック教会への強制的な態度も批判を浴びた。避妊云々よりも、宗教の自由というアメリカ憲法の第一条を踏みつけにするオバマ王の姿勢はカトリック教徒のみならず、一般のアメリカ人の間でも非常な反感を買ったのである。

そして、最後に左翼リベラル連中がりんポーの言葉使いを批判しすぎたことがかえって裏目に出た。 自分らがしょっちゅうやっていることを棚にあげ、リンボーの言葉尻をつかんで鬼の首でも取ったように大騒ぎをしたことが、かえって左翼リベラル連中のこれまでの女性蔑視の行動を暴露する結果となってしまったからだ。

それというのも、これまで保守派はリンボーも含めティパーティーのメンバーなどに対して、左翼リベラルのトークショーホストや新聞や政治家たちは当ブログでは再掲できないようなひどい侮蔑語を浴びせてきた。サラ・ペイリンやミッシェル・モルキンのことを女性の性器をあらわす非常に下品な言葉で侮蔑するなど左翼リベラルにとっては日常茶飯事。リンボーおよびティーパーティー全体のことをナチスと呼んでみたり、「お前ら死ね!」なんて脅迫をツイッターなどでするのは普通である。

リンボーへの批判の声が聞かれると同時に、これまで自分らが散々ひどいことを言われてきた保守派たちは、リベラル連中の悪態を次々に暴露した。インターネットの時代だ。過去にひどい発言をしていれば、特にそれを悪いことだと思っていない連中のことだから、音声にしろ映像にしろ色々記録は残っている。リンボーの発言がそんなにひどいものだというなら、ビル・マーなんていうリベラルコメディアンの発言はどうなるんだ、というわけである。

リベラルコメディアンでトークショーの司会などもしている毒舌のマーは、オバマ選挙運動に100万ドルの献金をしたといって自慢していたので、リンボーの言葉使いは批判しても自分に献金するコメディアンの発言は批判しないのか、とオバマ王への批判も高くなっている。

いつまでも共和党を悪者扱いする小細工がものを言うと思ったら大間違いだ。オバマ王よ、観念せよ!

March 13, 2012, 現時間 8:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 3, 2012

避妊にかかる費用が三年間で三千ドルという計算は変じゃない?

フェミニズム , 健康管理 , 宗教と文化 , 独裁者オバマ王の陰謀

先日米議会の、公聴会でジョージタウン大学法律学校に通う女子大学生が、避妊に保険が効かないと、自分と同じ立場にある女子大生たちは、法律学校三年間の間3000ドルという多額の避妊費用を負担することになり、それでなくても学費や生活費で大変な苦学生達に多大なる負担を負わせることなると証言した。

「ジョージタウン大学の40%の女子学生が(大学が避妊費を保険で負担しないという制度)によって、経済的にも精神的にも苦しんでいる。」「保険が効かないと、ご存知のように女性が負担する避妊費用は在学中3000ドルとなる」

この証言に関して、保守派ラジオトークショーのラッシュ・リンボーやグレン・ベックなどは、そんなにセックスしたいのか、とか、破廉恥な女学生の性生活のために国民が避妊費を負担するなら、国民はヒモ同然だ、などという批難を浴びせた。

ラッシュ・リンボー:

ジョージタウン大学のサンドラ・フルークによると、ジョージタウンの女子学生達はセックスのやり過ぎで自分らでは避妊費用を払うことができなく、生活苦に陥っているという。

またグレン・ベックのラジオ番組では、ベックのアシスタントの男性二人が:

パット:「3000ドル! どれだけセックスすれば三年間の法律学校在学中にそんな金がかかるんだ?」

ストゥー:「在学中毎日三回やらなきゃ追いつかないよ。」

注:ストゥーの計算はコンドーム1個が約1ドルとして、三年間に三千ドルかかるとしたら、そのくらいの数が必要という意味。

さらに二人は、セックス依存症か売春婦ならそういうことも可能だろうとか、土曜日までためておいて週末に21回やるという方法もあるとか散々おちょくった。

パット:「誰がそういうのを破廉恥だとかあばずれとか言えるんだ?いいじゃんか、みんな俺たちが払うべきだ。」

私から言わせると、彼らの批判はちょっとお角違いで不公平だ。しかし話があまり進まないうちに背景を説明しておくと、すでに「恩を仇で返したオバマ王、カトリック教会に戦いを挑む」で詳しく書いたが、簡単に説明しておくと、独裁者オバマ王が国民の反対を押し切って無理矢理通した国民健康保険制度のひとつとして、最近新しく宗教で避妊や堕胎を禁止している団体が雇用主である場合でも、従業員の避妊や堕胎にかかる費用を保険の対象にしなければならないという規則が加えられた。保険省によるこの理不尽な要求に、これまで民主党支持だったカトリック教会はオバマ王に反旗を翻した。

私がリンボーやベック番組の批判が不公平だと言った理由は、どれだけセックスすれば避妊に3000ドルもかかるのか、という批判である。女性のする避妊はセックスの回数とは直接関係がない。避妊薬のピルはセックスをしているいないにかかわらず毎日飲み続けていないといざという時に効果がない。向こう何年間か妊娠したくないのであれば、毎月一パック21錠から28錠入りの避妊薬を、生理の周期に合わせて毎日一錠づつ飲み続ける必要がある。今月はセックスの予定がないから一ヶ月飛ばすとか言うように、途中で間を空けるわけにはいかないのである。

だから避妊薬を飲んでいる女性が必ずしも色好みのあばずれ女というわけではないのだ。そういう批判は避妊法をきちんと理解していない男によるかなり不公平な言い方で、女性として彼らの批判にはちょっと腹が立った。

しかしながら、フルークの言う三年間で三千ドルの負担という金額はおかしいという批判は事実。ちょっとネットで調べただけでも、普通の避妊薬ピルは6ヶ月分たったの102ドル。三年間でも612ドルくらいの負担で、どうってことはない。特にジョージ・タウンのようなIBリーグに通う学生は金持ちが多いからおこずかいで充分に賄える金額。

もちろん堕胎薬や堕胎手術を加えたら、かなりの費用がかかると言うのは当然だが、母体に危険を及ぼすような妊娠であれば、普通の保険は負担するはずだし、単なる避妊のための堕胎だとしたら、それを宗教団体の雇用主に要求するのは理不尽というもの。妊娠しても養子に出すとか育てるとか他に方法がいくらもあるのに人工中絶を選ぶのであれば、堕胎費くらいは自分とボーイフレンドで負担するのは当然だろう。それまで何で無関係な納税者が負担しなければならないのだ?

ベック番組では、フルークが公立奨学金で大学に通っているということから、学費を政府から出してもらって、さらに避妊薬まで税金で負担しろというのか、と批判しているが、これは正当な批判だと思う。

ところで、このフルークなる女子大生は、議会での証言に関してオバマ大統領じきじきに激励の電話を貰ったとか、リンボーや保守派からの批判で沈黙させられはしないとテレビのトークショー番組ではりきっている。

一方リンボーのほうは、「破廉恥」「あばずれ」といった言葉使いが問題になり、ラジオ番組のスポンサーがいくつか降りるという被害にあった。しかしリンボーは大人気のトークショーホストだから、他にいくらもスポンサーはつくだろう。

March 3, 2012, 現時間 10:14 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 22, 2012

信じられない、子供の性転換増える!

フェミニズム

最近少数ではあるが、ジェンダーアイデンティティーディスオーダー(性別意識混乱症)といって、自分が持って生まれた性別と反対の性であると思い込む子供達に対し、親が早期にホルモン治療などを施し性転換を行う例が増えて来ているという。

ロサンゼルスに住む8歳児、女の子として生まれたが18ヶ月の時に「僕は男の子」と宣言した。両親は最初はショックを受けたが以来娘を男児として育て、思春期に入る兆候が見え次第ホルモン治療を始めるつもりだと母親はAPニュースに語った。

ちょっと待ってよ。1歳6ヶ月の子供が言ったことを真に受けて子供に性転換のホルモン剤を与えるって、子供の「治療」より、親の精神鑑定を最初にすべきじゃないの? 

女児への性転換の治療を受けている11歳の男児を持つレズビアンの両親は、性転換は早いうちに施すべきだと自分らの決断を正当化している。

レズビアンのなかには男性を極度に嫌う人が多い。この両親は男に生まれた子供の性を嫌うあまり、子供を洗脳し性転換治療を強制しているのではないのか、だとしたらこれは幼児虐待以外の何物でもない。

ボストンの子供病院にアメリカ初の小児性別意識医療クリニックを開いたノーマン・スパック医師は、こういう子供はいくらでも居る。門戸を開ければどんどんやって来る、小児科医はその事実をもっと認識すべきだとインタビューで語っている。

異性の恰好をしたり振りをしたりするのは、子供たちの間では極普通に起きる遊びのようなものだが、この子供達はそういう遊びを通り越し、実際に自分は間違った性に生まれたと確信しているのだという。

一般に性別意識混乱症と診断されているこうした子供達のことを、スパック医師は「混乱症」と呼ぶのには弊害があると言う。最近色々な調査によって、こうした子供達は脳が異性に近く形成されている可能性があるとスパック医師は言う。しかも同医師によると、一万人に一人の割でこのような子供が存在するという。本当かね、かなり眉唾だが。

しかしである、こんな幼少の時から後もどりの出来ない医療を施すというのは危険きわまりない。18歳以下の子供の性転換に関与する小児科医もどうかしている。はっきり言ってこのような行為は幼児虐待として違法にされるべきだ。

確かに幼児の頃に異性の恰好や振る舞いを真似る子供はいるが、そういう子供は必ずしも自分は異性に生まれるべきだったと考えているわけではない。単に他の精神的な悩みが女装という形で現れただけかもしれないのだ。きちんとした精神鑑定を受け、根本の問題を明白にしてカウンセリング等を受ければ、極普通の男の子になれるかもしれない。

まだ身体が出来上がっていない18歳以下の子供に性転換治療を施すのは危険だという批判もあるが、だが未成年にこうした治療を施す小児科医に言わせると、早いうちに治療をはじめないことのほうが子供を傷つけることになると主張する。

性別意識混乱症を患う子供達は思春期を過ぎると自己流で性器を切り取ろうとしたり、学校でからかわれたりしてノイローゼになったり自殺を計ったりするという。だが、異性になるための治療を受けている子供達からはそういった問題はなくなるとスパック医師は主張する。

もしもこの男児が身長180cm以上で肩幅も広く筋肉質な体型に育つはずの子だったらどうするのだ?こんな子に女性ホルモンなど思春期から打ち始めたら、いったどんな怪物に成長するかわかったものではない。そのほうがよっぽども他人から変な目で見られ辛い思いをすることになるのではないか?

第一、後になって自分はやっぱり男だったと悟ったらどうする? 男嫌いのレズビアンの両親に好かれたくて子供の頃は女の子になりたいと本気で思っても、年が行くにつれて自分は男だという意識が強くなったとして、ホルモン治療を長年受けた以上取り返しがつかない。

そんなことを医師ともあろうものがやってもいいのか?

テキサスやロサンゼルスのクリニックでも、性転換治療を小児科でほどこした例がいくつもあり、ロサンゼルスの患者には8歳という子もいる。

性転換に使われているホルモン剤は、思春期が早期に来過ぎる子供の治療のために使われるものだが、本来は性転換のためのものではない。スパック医師は一時的に成長を遅らせ、子供が精神的に落ち着いたら永久的な性転換に移るという。しかし医師の患者の97人のうち永久性転換を求めなかったのはたった一人だったそうだ。

思春期前の子供なら性別がはっきりしない場合が多いので、早期に治療を始めれば性転換は後になってするより容易であるとスパック医師が考えるのは理解できる。しかしセックスホルモンは大量に摂取するのは危険である。スパック医師が使っている量は無害な量だと主張するが、そんな若い時期から長期に渡って一生セックスホルモンを摂取することの弊害はまだあきらかになっていない。

性転換手術は18歳以下の未成年に施すことはできないが、スパック医師は16歳の女児の乳房撤去手術には関わった事があると認めている。しかし、思春期にホルモン治療を受ければ女児は乳房の発達を防ぐ事が出来、極端な手術は必要なくなるという。

冒頭に述べた8歳の女児。母親は彼女にセックスホルモンの治療を始めれば胸は大きくならないというと女児は非常に喜んでいると語る。この女児は男児として小学校に在籍しているという。

母親は、娘に女の子の身体について教えたが、娘はそれを完全拒否。幼稚園の頃からドレスを着ることを拒み男の子の名前で呼ばれることを主張した。母親は最初は一時的なものだと思ったが、もしかしたらレズビアンなのではないかと思いセラピストに相談した。その時はじめて性別意識混乱症なるものが存在することを知った。

親として子供がそのような意識を持っていることを受け入れるのは辛かったと言う。通いつけの小児科の医者はこの女児を男児として扱うことを拒否。私立の小学校もこの女児を男児として入学させることを拒絶した。そしてやっとロサンゼルスの子供病院のトランスジェンダークリニックおいて、ジョー・オルソン医師という専門家を見つけることができた。

幼稚園児がドレスを着たがらないとか、男の子の名前で呼ばれたがるくらいどうってことないだろう。それを小学校は男児として入学させるとか、思春期になったらホルモン治療をさせるとか、どういう親なんだと私は聞きたい!子供の性別意識を受け入け入れるのが辛かったなどというのは私には信じられない。

普通の親なら、子供が異常に育たないように普通の子になるように努めるはずだ。相談に言ったセラピストが小児科の医者や学校に娘を男児として扱わせろなどと薦めたなら、冗談じゃないといって別のセラピストへ行くべきだ。

男の子がドレスを着て学校へ行くとなると問題だが、女の子がドレスを拒絶するくらいどうってことないだろう。名前が気に入らないと言うなら、男名のニックネームで呼ぶのもかまわない。男勝りでスポーツが得意なら、好きなようにラフなスポーツをさせればいい。だが、幼稚園児が自分は男だと主張したからといって、両親が「そうよ、あなたは不幸にして女の子の身体に生まれた男の子なのよ。」などと迎合する必要がどこにある?

子供が何と言おうと「あなたは女の子として生まれて来た。だから私たちはあなたを女の子として扱います。」とはっきりさせるべきだ。娘が18歳を過ぎて、どうしても性転換をしたいというなら、それは仕方ない。だが、まだアイデンティティーなど確立できない子供に取り返しのつかないホルモン治療をするなどもってのほかだ。

こんなことは断じて許されるべきではない!

February 22, 2012, 現時間 8:42 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 29, 2011

共和党黒人大統領候補のセクハラ疑惑に固執するリベラルメディアの偏向

アメリカ内政 , フェミニズム , 左右思想 , 狂ったメディア , 独裁者オバマ王の陰謀

共和党大統領候補のひとり、ハーマン・ケイン氏のセクハラ疑惑について以前に書こうと思って途中になってしまったエントリーがあった。今日になって、あらたに別の女性がケインと13年間にわたって不倫関係にあったと名乗り出て来たので、やっぱり書いておこう。

ケイン氏は、他の共和党候補らと違って政治家としての経験はまるでなく、大手ピザチェーンの元社長、全国レストラン協会の会長を何年も勤めたビジネスマンである。

歯に衣を着せない率直で斬新な態度が保守派の間で人気を呼び、立候補以来人気急上昇であった。しかし出る釘は打たれる。特にケイン氏は黒人なのでリベラルからは目の敵にされる。

ここで説明しておく必要があるのだが、アメリカの左翼リベラルは表向きは少数民族の人権を尊重するとか、人種差別反対とか男女平等とか、多様文化主義だの寛容だのと騒ぎ立てるが、彼らほど差別意識が強く他文化に対して不寛容な輩もいない。

特に少数民族がリベラル思想を拒絶して保守派だったりすると、KKKさながらの攻撃を容赦なく射かけてくる。ケイン氏への攻撃が他の白人候補者への攻撃よりひどいのは、まさに左翼リベラル主義の人種差別意識が理由である。

さて、数週間前にケイン氏のセクハラ疑惑が浮上してから、アメリカの三大ネットワークはたった一週間で84回もケインのセクハラ疑惑に関するニュースを報道した。これに比べて1998年の当時大統領だったビル・クリントン氏に強姦されたと名乗り出たワニータ・ブロードリックに関する報道はその直後の週でもたったの4回に留まった。

アメリカのリベラルメディアはリベラル政治家によるセックススキャンダルは過小評価するくせに、保守派となると、それが特に黒人の場合は、どうでもいいようなくだらない話が過大評価されて大々的に話題にされる。

1991年にパパブッシュから最高裁の裁判官に任命された黒人判事のクレアランス・トーマス判事は、数年前に一緒に働いていたアニタ・ヒルという女性弁護士にセクハラをしたという疑惑で大騒ぎになったことがある。しかし、実際に被害者として名乗り出たヒルの言い分が100%事実だったとしても、トーマス判事の罪状はといえば、ヒルの面前で多少卑猥な冗談を述べたといった程度のくだらないものだった。

後にリベラルが一笑に伏したクリントン元大統領が実際にホワイトハウスでインターンにさせたオーラルセックスや、ポーラ・ジョーンズに対するクハラ疑惑やワニータ・ブロドリックに対する強姦疑惑などとは比べ物にならないくらいどうでもいい出来事だった。

にも関わらず、トーマス判事のセクハラ疑惑は何週間にも渡ってメディアで取り沙汰され、トーマス判事はもう少しで最高裁判所の判事の座を逃すところだった。

その時トーマス判事はリベラルが黒人に対して使う武器は昔ながらの性的不祥事のぬれぎぬをかけることで、ワシントンでは、自分が実際に何をやってきたかではなく、人々が自分が何をやったと思っているかが問題にされると語った。

ケイン氏は当初、このセクハラ疑惑が表沙汰になったのは、ライバル候補のリック・ペリー陣営に乗り換えた元ケイン選挙運動事務所従業員の仕業だと言っていたが、私はそうではないと思う。私はこれは現大統領のオバマ王の陰謀に間違いないと確信している。

オバマ王はこれまでにも、ライバル候補のスキャンダルを暴露してライバル達の立候補を辞退させたことがいくらでもあるのだ。オバマ王の選挙運動の汚さは悪名高い。オバマ王にとって、黒人のケイン氏が共和党候補になられては非常に都合が悪い。相手が黒人ではオバマへの批判は人種差別だという言い訳は通用しなくなる。

また、オバマに不満を持ち始めている黒人有権者の間からも、黒人だからという理由で自動的にオバマが選ばれるという保証はなくなる。

だから、共和党の予備選が始まる以前の今のうちに、強力候補者を破壊しておこうという魂胆である。

セクハラを訴える女性達を悪者扱いしたくはないが、深刻な訴えなのでその内容は充分に吟味されなければならない。

女性1:匿名、1990年代にケイン氏に対してセクハラ苦情を訴えた。訴えはレストラン協会が訴訟保険から慰謝料$45,000ドルを払って示談となった。

女性2:カレン・クラウシャー,55歳。元ジャーナリスト。10年前にケインに対してセクハラの苦情を訴え$35000ドルで示談になった。

本人は名乗り出る気はなかったが、ワシントンポストにすっぱ抜かれたので仕方なく名乗り出たという。現在オバマ政権で働くスタッフ。 2010年からコミュニケーションディレクターとして財務省で働いている。

カカシ注:示談になったからといってケインが有罪だったということにはならない。裁判になれば勝てるかもしれないケースでも、裁判にかかる金と時間を考慮にいれると、こっちが悪くないと思っていても示談にして、さっさと片付けてしまったほうが得な場合はいくらでもある。私もそうやって自分が悪くない交通事故の訴訟でうちの保険会社が相手に慰謝料を支払ったことがある。

女性4:シャロン・バイレック、50歳。1997年にケインに職探しの相談をしにいった時に、車のなかでオーラルセックスを強要されたというもの。ただし彼女はその時に警察に届けたりレストラン協会に訴えるなどといった公式な行動は何もとっていない。

バイレックは名乗り出たのは売名行為でも経済的な理由でもないとしているが、彼女の弁護士はセレブの弁護で有名なグローリア・アウレッド。彼女のような高い弁護士が金にならない訴訟に手を貸すはずがないので、背後で多額の金が動いていることは憶測できる。

バイアックは過去に二回破産宣告をしており、多々の民間企業から訴えられ、一万ドル以上の滞納税金の他に、アパートの家賃踏み倒しやクレジットカードの借金など、合計すると4万ドル以上の借金がある。

名乗り出たのは売名行為でも金目当てでもない?は!どうだかね。

女性5:ジンジャー・ホワイト。1990年代の終わりにケンタッキーのルイジアナで知り合って以来、ケイン候補と13年間に渡って愛人関係にあったという。携帯の記録ではホワイトとケインの私用電話の間で61回のの会話やテキストが記録されており、早い時で午前4時半、遅い時で夜7時52分という記録が残っている。数ヶ月前、ケイン氏が本格的に選挙運動を始めた頃に別れた。名乗り出た理由はセクハラを訴え出た女性達へのケイン氏の扱いが理不尽だったからということ。

しかし、この女性の背景にはちょっと問題がある。ホワイトは失業中の子持ち独身女性。2001年にも上司に対してセクハラを訴えたことがあり、それは示談となっている。また23年前に破産宣告をした記録も残っており、アトランタ地域で過去6年にわたって7回の立ち退き命令を受け取っている。

また、ホワイトの元ビジネスパートナーはホワイトからの度重なる電子メールやテキストによる、訴訟を起こすという脅迫メッセージを受け取り、「ストーキングからの一時的な保護命令」を求めたことがあるという。

というわけで、セクハラ疑惑とはいっても、どうも怪しげな女性達の怪しげな訴えばかりであり、実際にどんなことがあったのかはっきりしない。それでも火のないところに煙は立たないというから、こうも色々な女性から苦情が出ているとなると事実なのかもしれないと思う有権者は出て来るだろう。オバマ王の狙いはもちろんそこにある。

リベラル候補者なら女性関係のスキャンダルなど問題にならない。だいたい左翼リベラルは自分らにも全く道徳観念なんてものはないのだから。クリントン大統領のあからさまな女性関係は全く問題にならなかったし、オバマ王の麻薬経験も喫煙趣味も全く問題にならなかった。だから彼らがライバル候補のこうした過去を暴露するのは偽善に満ちている。

とはいえ、保守派は道徳観念が強い。もともとケインを支持しようかどうか迷っていた人々の間では、これらのスキャンダルが悪影響を及ぼす可能性は多いにある。

November 29, 2011, 現時間 10:54 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 28, 2011

「危ないから女性記者をエジプトへ送るな」という訴えは女性差別なのか?

フェミニズム , 狂ったメディア

ここ数日間にエジプトで起きた二件の西洋女性記者への性的暴行事件が元で、国境なき記者(Reporters Sans Frontières RSF) がエジプトは特に女性にとって危険な場所なので、女性記者の派遣は当面差し控えるべきだという声明文を発表した事に対し、世界各国の記者たちから批判が殺到。RSFは止むなく勧告を撤退し、女性記者派遣の際は記者の身の安全を最優先させるべきだと声明文を訂正するに至った

確かに厳密な意味でいえば差別は差別だが、実際にエジプトが特に女性記者にとって危ない場所であるかぎり、そういう危ない場所には行かないほうがいいという勧告を、単に女性差別だといって撤回させるのは非常に無責任だ。

RSFフランス支部の元々の声明文は、

当面の間、メディアはエジプトの情勢の取材に女性記者を派遣するのを停止すべきである。このようなことになるのは誠に遺憾であるが、暴力や暴行を考慮に入れた場合、これ以外の対策はない。

といった内容だった。しかし、これには世界中のメディア組織から苦情が殺到。数時間後にRSFは勧告声明文を、

派遣記者や地方記者の安全を保つのは最優先である。タヒリ広場の取材は男性よりも女性にとって危険である。メディアはこの事実に面とむかうべきである。

というふうに訂正を余儀なくされた。

RSFの勧告は、今年はじめにアメリカのララ・ローガン女性記者が集団暴行を受けた同じエジプトのタヒリ広場で、先日暴動の取材をしていたフランスのカロライン・シンズ女性記者がカメラマンとひきはなされて性的暴行を受けた事件と、エジプト警察に拘束されたアメリカ人記者モナ・エルタハウィ女性記者が12時間にわたって数人の警察官から性的暴行を受けたという事件に端を発している。エルタハウィさんはその際両手首を折る怪我を負った。

しかし、イギリスのチャンネル4テレビで編集を勤める自分も危険な場所からの海外特派員として実歴のあるリンズー・ヒルサム女史は、RSFの元の勧告を撤回するよう抗議した。

私たちは何十年も編集長たちに女性記者を公平に扱ってもらうよう闘って来た。いかにして報道の自由に尽くして来た組織がこのような差別的な方針を推薦出来るのか理解できない。

ヒルサム女史にいわせれば、確かに女性に対する性的暴行やハラスメントは深刻な問題ではあるが、だからといって女性はそのようなことに威圧されるべきではないとする.男性記者も襲われたり殺されたりしているが、男性記者に取材に行くなとは誰も言わないではないか、というもの。

しかし、カイロの地元のある女性記者の話によると、エジプトにおける女性への性的暴行は革命後とみにひどくなったという。

「私は長年エジプトにいて、こんなひどいハラスメントにあったことはありません。「今日のタヒリ広場には何かおそろしく威嚇的な雰囲気があります。以前のタヒリよりギタギタと汚い感じがします。」

この女性記者はチュニージアやリビアやバハレンからもリポートしたことがあるベテランだが、タヒリにおける女性への痴漢行為や性的暴行のレベルはこれまでになくひどいものだという。しかし彼女はだからといって女性は威嚇されてはならないという。女性には女性の見解というものがあり、女性の立場からの報道は大事だと語る。

シドニーモーニングヘラルドの女性記者、ルース・ポーランドさんは、確かにカイロの抗議デモにおける女性記者への暴行はここ数週間目立ってひどくなっていると語る。しかし、

「フランス人記者の件はおそろしくひどいものですが、編集長が女性記者をエジプトへ派遣するのをやめることによって状況が安全になるというわけではありません。」

だが、犠牲になる女性記者の数を減らすことは出来るではないか?

以前にも書いたが、戦争地帯など危険な場所へ派遣される特派員たちは、それなりに特別な訓練を受けてから行くことになっているが、そのなかに女性に対する性的暴行に関する情報は全く含まれてない。そのような話を持ち出すことそのものが女性差別と批判されかねないからだろう。

女性への痴漢行為や婦女暴行はエジプトでは深刻な問題らしい。カイロ本拠のハラスマップという組織を経営するレベッカ・チャイオ(Rebecca Chiao)さんは、エジプトでは女性が外へでる度に、実際に触られるにしろ口述にしろ、何かしら性的嫌がらせに遭うのが普通だという。

2008年に行われたアンケートによると、83%の女性が性的嫌がらせにあったことがあると答えている。そして嫌がらせにあった3/4の女性がベイルを被っていたと答え、98%の外国人女性が威嚇されたり痴漢行為をされたりしたと答えている。

だが、エジプトに派遣された女性記者たちは、この事実をどれだけ把握しているのだろうか?

2月に被害を受けたローガン記者は、後のインタビューで、エジプトにおける婦女暴行がこんなにもひどいものだということを全く知らなかったと語っていた。ローガンのようなベテラン記者でもそうなのだから、他の記者達の間でもそれほど実情が理解されているとは思えない。

女性特派員たや編集者たちは、RSFの勧告を女性差別だのなんだのといって抗議してる暇があったら、危険な場所へ女性特派員を送り込む際には、女性はどのような注意をしなければならないのか、もっときちんとした訓練を施す努力をしたらどうなのだ?

少なくとも女性だけで野蛮人の暴動のまっただ中に取材に出かけるなんてアホな行為は今後一切控えてもらいたい。これは女性差別ではなく常識だ!

November 28, 2011, 現時間 2:01 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 27, 2011

またも女性記者がエジプトで集団レイプに遭う、女性記者をエジプトへ送るな!

フェミニズム , 狂ったメディア

南アフリカ出身のアメリカ女性記者、ララ・ローガンさんが、エジプトで取材中に群衆に囲まれて20数分に渡り集団暴行を受けた話はここでも取り上げたが、ローガンさんが暴行を受けた全く同じタヒリ広場で、今度はフランス人女性記者カロライン・シンズさんが全く同じように群衆に囲まれ殴られ服をひきちぎられ、「レイプとしか言いようのない扱い」をされ、数人のエジプト人の救出されるまで、約45分間に渡って暴行を受けたという。シンズさんと一緒にいたカメラマンの女性もシンズさんとひきさかれて暴行を受けた。

また、一時間後、今度はエジプト出身のアメリカ女性記者Mona Eltahawyさんは、エジプト警察によって拘留されている間、警察官数人から体中まさぐりまくられたという。何人の手が彼女の下着に手を入れてきたかわからないとEltahawyさんはツイッターでリポートしている。

「国境のない記者(RSF)」のフランス支部は、一旦女性記者をエジプトへ送らないようにと勧告声明を出したが、非常なバックラッシュを受けたため、エジプトへの記者派遣には記者の安全を最優先するようにと声明を訂正した。

「国境のない、、」フランス支部が当初に出した、こういう場所へ女性記者やカメラマンを送るなという勧告は適切だと思う。今年の2月にすでにローガン記者への暴行事件が起きているエジプトで全く同じような状況が起きているところへ、なぜフランスのテレビ局は金髪で青い目の美人記者を女性カメラマンと二人きりで送り込んだりしたのだ? 興奮しまくってる若い男達の間にそんな女性二人を送り込んで何も起きないと思う方がどうかしている。

女性を送るなという勧告に批判が集まったというが、野蛮人の暴動を取材していて男女平等などというきれいごとを言っていても意味がない。だいたい暴動が起きているまっただ中に、か弱い女性を送り込むことで、いったい何が得られると言うのだ?

以前にアフリカでトッツィーとフッツィーという種族がもの凄い殺戮を繰り返して居た頃、アフリカに取材に行っていたアメリカ人の黒人記者が、アフリカへは黒人記者はいかな方がいいと言っていた。皮肉なことにアフリカにおける種族差別はアメリカ国内の人種差別などとは比べ物にならないほどひどい。鼻が低い高い、肌の色が多少白い黒いで、敵対する種族と間違われれば、その場で釜で滅多切りされるなんてことは普通に起きる。

文明社会における男女平等だの人種差別禁止だのといった観念は野蛮社会では全く通用しない。そんな観念が西洋記者達の身を守ってくれると思うほうが甘い。

エジプトへ女性記者を送るなという勧告を批判した人々は、女性の夜道の一人歩きは危ないからしないようにと警告した人々を「自己防衛を説くのはセカンドレイプを誘発する、黙れ!」と言って大騒ぎしたフェミニストの連中と似たような物だ。理屈はどうあれ危ない場所は危ないのだ。きれいごとを言っていても身は守れない。

この話は、野生のグリズリー熊の生息地へライフルも持たずに出かけて行って、キャンプ中に熊に襲われ食われて殺されたカップルを思い出す。二人は自然愛好家でグリズリーに非常な興味を持っていたが、野生動物にそんなことは興味はない。腹の減った熊には二人は単なるランチに過ぎなかった。

いったい何人の女性記者が犠牲になれば、西洋メディアは学ぶのだ? 今後こういう危険な場所へ取材に出かける女性たちは、それこそ本当に自己責任だ。5〜6人の白人ボディガードを付けて自分も武装して、襲われたら4〜5人はぶっ殺してやるくらいの覚悟がないなら、こんな危ないところにノコノコ出かけて行かないで欲しい。

November 27, 2011, 現時間 9:53 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 17, 2011

オバマ政権の男尊女卑明るみに出る、元スタッフ達の告白

フェミニズム

2009年にも当ブログで、私はオバマ政権内の女性差別について書いたことがある。オバマは男性スタッフ達と一緒にゴルフをしたり、ホワイトハウス内部でフットボールやバスケットボールのトーナメントを行なったりして、女性スタッフには参加出来ないイベントが沢山おこなわれて女性達は疎外されているという話をした。

今回出版されることになったロン・サスキンド氏著の”Confidenceman: Wall Steet, Washington and the Education of a President”は、元ホワイトハウススタッフ200人をインタビューして書かれたもの。それによると、ホワイトハウス内部は女性にとって非常に険悪な環境であり、女性スタッフは何かと性差別を受けているという。

サスキンドは、毛沢東崇拝発言で顰蹙を買った元コミュニケーションディレクターのアネット・ダン女史がある会議において、『ホワイトハウスは女性にとって法廷が指定する「険悪な環境」という定義に完璧にあてはまる』と語ったと書いている。(ダン女史本人は、そんなことを言った覚えはないと語っているが。)

「私は一片の肉片のような気がした。」と語ったのは元経済アドバイザーのクリスティーナ・ロマー女史。英語で"a piece of meat"という表現は、取るに足らない存在という意味。

ダン女史も2008年のオバマ選挙運動のテレビ広告に女性が一人も登場していないことに苦情を発したことがある。当時彼女は女性の視点が全く反映されていないと不満を述べていた。

オバマ王が男性スタッフを贔屓して女性スタッフをないがしろにするボーイズクラブ的姿勢は以前から他でも指摘されていた。それにしても左翼リベラルたちの偽善には今更ながら呆れる。

常に右翼や保守を男女差別だ人種差別だと差別者扱いしておいて、実際に本当の差別を行っているのは自分らのほうなのだから。

問題なのは、左翼リベラルの少数派が左翼リベラルによる差別を黙認していることにある。差別行為は右翼や保守派の場合のみに問題にされ、加害者が左翼リベラルなら問題にならないというわけ。

確かアン・コールターが書いていたが、左翼リベラルには「犯罪」そのものは存在しない。存在するのは「犯罪者」のみ。つまり、ある種の行為が犯罪となるかどうかは、その行為を行う人によって決められるというもの。

本当のフェミニストならオバマ政権の男尊女卑を真っ向から批難すべきなのだが、多くのフェミニスト達はフェミニストである前に左翼リベラルだから、左翼リベラルの政治家を批判するようなことは絶対に出来ない。だから左翼リベラルの職場における男尊女卑は多分右翼保守派での職場よりずっとひどいと想像できる。

加害者が左翼リベラルの人気者オバマ王では、男尊女卑など問題にならないというわけ。偽善だね。

September 17, 2011, 現時間 11:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 24, 2011

デルタ航空は本当にサウジ行き便からユダヤ人乗客を拒否し女性乗客にブルカ着用を強制するのか?

フェミニズム , 宗教と文化

航空会社が他社と提携するのは普通だが、アメリカの航空会社が他国の航空会社と提携した場合、アメリカの法律と他国の法律との矛盾が思わぬ問題を引き起こすことがある。最近デルタがメンバーであるスカイチームアライアンスという世界の航空会社14社からなる提携チームにサウジアラビア航空が参加するに当たり、デルタ航空がサウジ航空のユダヤ人搭乗拒否や女性差別の方針を受け入れるとすればアメリカの法律に違反することになるとしてFAAによる捜査が始まった。

デルタ航空は同社は乗客を宗教や人種や性別で差別する方針は全くないと主張する一方で、提携している国々の法律には従わなければならないとしている。ということは、サウジアラビアがユダヤ人の入国を拒否し、サウジ国内における女性の服装を厳しく規制していれば、サウジアラビア行きのデルタ便は必然的にその方針に従わなければならないという理屈になる。

ちょっと待てよ、それでは理屈が逆ではないか? サウジアラビアが国際社会のチームメンバーとしてスカイチームアライアンスに参加するなら、アライアンスの他国のメンバーがサウジに合わせるのではなく、サウジがチームの規則に合わせるべきなのではないか?もしそれが出来ないのであればチームはサウジの参加を拒否すべきだったのだ。

スカイチームはアムステルダムが本拠の国際チームなので、ヨーロッパの会社はユダヤ差別に全く抵抗がないというならそれはそれで彼らの勝手だ。しかし、デルタはアメリカの航空会社であり、人種や性差別はアメリカでは明らかに法律違反なのであるから、サウジアラビア航空のチーム参加に異議を唱えるべきだったのだ。その異議が否決された場合はそんな差別的方針を持つ航空会社とは提携は結べないとしてスカイチームから脱退するくらいの覚悟が必要だった。

自分らは差別方針は持っていないが差別方針のあるサウジアラビアの法律に従うというなら、差別をしているのと全く同じではないか。よくそんな人を馬鹿にしたようなことを平気な顔して言えるものだ。

サウジアラビアの方針では、イスラエルパスポートを持つ乗客や、イスラエル入国のスタンプがパスポートに押されている人、またイスラム教以外の宗教的印刷物やシンボルの持ち込みは違法(たとえば聖書とか、十字架とか、仏教のお経とか数珠とか)。女性はブルカを被っていなければならないとか、男性同伴でない女性はサウジに着いた際に男性が迎えに来ていなければならないとか、色々面倒くさいことがある。

私は仕事の都合で会社指定の航空会社を使わなければならないことになっている。但し、他社の社員と合同で行動しなければならない場合とか、きちんとした理由さえあれば別の航空会社を使うことも許可されている。今後出張の際にデルタ航空が指定された場合には、ユダヤ人や女性を差別するような航空会社を利用することは出来ないとして、断固デルタ使用は拒否する。

そもそもデルタがサウジアラビア航空をメンバーに加えたのは利益が目的だったはず。それならば議会による捜査も当然のことながら、アメリカ国民が一斉にデルタをボイコットして痛いところを突くことこそ、自由社会のアメリカにとって一番適切な抗議だろう。

June 24, 2011, 現時間 4:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 8, 2011

ララ・ローガンが破った沈黙の掟、女性海外特派員が黙って耐えて来た性的暴行の現状

フェミニズム , 狂ったメディア

昨日ララ・ローガンがエジプトで受けた暴行体験をテレビ番組で語った時に、最後の方で彼女が言ったことが非常に印象に残った。

ローガン:ひとつ私が非常に誇りに思っていることは、意外だったのですが他の女性リポーター達が私が沈黙の掟を破ってくれたと語ったことです。これまでみんなが経験して一度も公言しなかったことを。

司会者: それはどういう意味です?

ローガン: 女性は性的な暴力について決して文句は言わないという掟です。誰かから「だからそんな場所に女性が行くべきではない」と言われたくないからです。ジャーナリストとして多くの女性たちがこういう目にあっていると思います。でもだからといって仕事を止めたくない。何故なら彼女たちもわたしと同じように仕事に賭けているからです。彼女たちはアドレネレン中毒なんかでも栄光にどん欲なわけでもありません。ジャーナリストという仕事を信じているからやっているのです。

これまでにも海外特派員として女性ジャーナリストは数々の恐ろしい場所へ出かけて行って取材をしてきたが、男尊女卑など当たり前の国や戦争の混乱で犯罪者がすぐには罰せられないような場所では、女性ジャーナリストへの性的暴行は頻繁に起きる。特に西洋以外の場所では白人女性は皆娼婦だという感覚で性的対象と見られ勝ちである。

加害者はテロリストや犯罪者とは限らず、通訳にやとった現地人だったり、ボディガードや警察官だったりする。

そんななかでセクハラやひどい時には強姦といった目に会った場合、たいていの女性ジャーナリストは沈黙を守る。直属の上司にすら報告しない女性が多い。ましてやローガン記者がやったように大々的に公開してしまうなどということは先ずしないと語るのがジュディス・マットロフ(Judith Matloff)という自分も20年間海外特派員をやったというベテラン記者。

彼女は2007年に"Foreign Correspondents and Sexual Abuse" (海外特派員と性的暴行)という論文を発表している。

この論文のなかでマットロフ女史は女性記者が強姦などの被害にあったことを公開しないのは、辱めを受けたことが公になるのが恥かしいからというよりも、そのことによって「だから女は連れて行けない」と言われて仕事を失うのが怖いからだという。

海外特派員の世界は競争が激しい。男同士でもどれだけ危険な場所で特殊な情報を取材してくるかで出世の道は違ってくる。そんな男の世界で元々女ごときがやるべき仕事ではないと思われているものを、頑張って海外取材に行かせてもらえるようになったのに、そんな場所でセクハラに合いました、強姦されました、などと泣き言を言えば、新聞社にしろテレビ局にしろ経営者に女性記者を企画からはずす良い口実を与えてしまう。

女性記者たちの沈黙の掟は非常に厳しいため、実際にどのくらいの女性記者が性的暴行の被害にあっているのか確かなことは言えないのだが、2005年にブルッセルの国際ニュース安全委員会(International News Safety Institute)が行った調査によると、回答者29人のなかで半数以上が職場でセクハラや性的暴行を受けたと回答した。しかも暴行が強姦の場合でも親しい友達にすら言わなかったという答えが普通だった。

この調査をおこなったロドニー・パインダー氏は調査後にとある幹部女性記者と話していて、彼女の口が非常に重いことに驚いたという。女性記者たちが性的暴行の話をしたがらないのは、1)職場において男女平等の立場を失う、2)新しい企画に就かせてもらえなくなる、と恐れるからだという。

マットロフ女史が個人的に知っている限りでも、イラクで警備員が真夜中に女性記者の部屋に入って来て寝ている記者を犯した例、アフリカで通訳の男性が記者を強姦した例、など女性記者たちは加害者を刺激するようなことは何もしていない。保守的な地元民の眉を潜めるような派手な格好をしていたわけでもない。これらの加害者は単に犯罪を犯す機会があったからそれを悪用したに過ぎないのだ。

しかし、被害にあったことを女性達が通告しないので、経営者側は特に編集長が男性だったりすると、女性におおいかかる戦地での危険性を充分に理解できないことが多い。

例えば、1990年代にモスクワで若い女性記者がロシア兵たちに誘拐され集団強姦された事件は内輪では誰もが知っていることだったが、事件が事件だっただけに仲間内ですら同情の手を差し伸べることが出来なかったと言う。

またマットロフ自身も1995年にアンゴラの空港で同僚の女性記者二人で地元警察官から銃を向けられ、仲間と「楽しい事をしよう」と脅かされたことがあった。結局脅しだけで何も起きなかったので、彼女も同僚も編集者に報告しなかったという。「何も起きなかったんだし、いまさら報告したってしょうがないわ。」と思ったからだそうだ。

問題なのは、記者達があまりにも沈黙を守るため、海外特派員の安全項目にセクハラや強姦への対策といった項目が全くないことにあるとマットロフ女史は書く。予防注射だの、手荷物の手引きだと色々な項目がある割には、女性の身を守るための犯罪予防対策や犯罪の被害にあった際の心構えなど、なにひとつアドバイスがないという。男女同権がこれだけ言われるアメリカで、しかも時代の先端を行くジャーナリスト達の間でこんなに女性の安全が無視されているとは驚くかぎりである。

今回ローガン記者が自分の被害を公開したことで、新聞社やテレビ局など女性特派員を戦地へ送り込む経営者側からも、もっと女性の安全を守る対策を取ってくれるようになって欲しいと思う。また、ベテラン女性記者たちは、仲間同士どのような場所でどのような危険が待っているか、そんな時はどう対処すべきなのかといった自衛対策の情報交換なども行ってほしい。そして被害にあった際にはお互い相談にのってあげられるような組織も作っておくべきだと思う。

戦地でローガン記者のように群衆に囲まれてしまったら、どんなに注意していても被害は避けられなかったかもしれない。だがどんなに友好的に見える人々でも、自分がか弱い女性であり外国人なのだという認識で常に気をつけていれば、被害は最小限で抑えることが出来るかもしれない。海外特派員という仕事は危険がつきものだ。男でも危険な仕事だ。ましてや女なら、さらなる注意が必要だろう。少なくとも最低限の予防策くらいは特派員マニュアルに書かれてしかるべきだ。

フェミニストの皆さんは、スラットマーチなんてやってる暇があったら、こういうところに注意を払うべきなのでは?

May 8, 2011, 現時間 9:57 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 5, 2011

何故団体交渉はいけないのか?

アメリカ内政 , フェミニズム , 宗教と文化 , 左右思想 , 独裁者オバマ王の陰謀

ウィスコン州の労働組合の団体交渉権を規制する法案はいまだに民主党議員が他州に逃げ隠れして投票に参加しないので、法律が宙ぶらりんになっているなか、オハイオ州で同様の法案が意外と簡単に州上院議会を通過した。このオハイオ州の法案が法律として施行されるようになれば、ウィスコンシン州の17万5千人より倍以上も多い35万人の組合員に影響を与えることになる。オハイオ州のJohn Kasich知事も共和党。

「これは納税者との労働組合の不均衡をただし、機能させるための大切な第一歩です。」とオハイオ知事。

さて、この団体交渉権 "Collective Barganing"とは一体何か。そして何故それが経済難を抱える諸州で問題にされているのか考えてみよう。

先ず、団体交渉とは何か? これは要するに経営者と労働者が個々に労働条件や賃金を交渉するのではなく、労働者が労働組合という団体を通じてひとつの団体として経営者と交渉するやり方だ。19世紀後半から20世紀初期の労働者は過酷で危険な労働条件で働かされていた。日本でもああ野麦峠などでも描写されているように、当時の労働者は経営者に対して労働条件の向上を求めるなどという発言権はほとんどなかった。

アメリカでは危険な炭鉱の落盤で何百人という労働者が生き埋めになったり、シャツ工場の火事で一度に何百人という女工が焼け死んだ事件(工員がさぼらないようにと出口に外から鍵がかけられていた)などがあり、職場の安全状況を向上させる動きが出た。当時の労働者は皆若く教養もなかったし、現在と違って貧富の差も激しかった。家族経営の中小企業ならばともかく、大企業においては、一個人の工員が経営者と個人的に労働条件や賃金の交渉など、なかなか出来なかったのである。

そういう状態にあれば、労働者が一体となって組合を作り、団体として経営者と交渉するというのも理屈にあうし、効率がいい。よって私は労働組合の発足や初期の役割について否定する気はない。だが、すでに初期の段階から団体交渉が含む問題は明らかだった。1930年代ごろからすでに組合ボスたちの腐敗は悪名高い。現在も大手の組合ボスたちの給料は10万から50万ドルだそうだ。

現在における団体交渉の弊害について、下記のような就職活動者を考えてみよう。

学士を持つAは若く未婚。応募した会社に数年勤めたあとは一旦社会人を止めて修士の資格をとるべく大学にもどるつもりだとしよう。長年勤める気はないので、62歳過ぎなければもらえない年金とか、健康だから健康保険なども特に必要ないと思ってる。後で数年間無収入になるので今のうちに稼ぎたいから多少の残業などなんとも思わない。特に休暇などなくてもいいと思ってる。

もう一人は前の会社をリストラされた中年で子持ちのB。あと10年で定年。いまさら転職の気持ちなどさらさらない。この会社でぎりぎりまで働いて引退するつもり。上の子はそろそろ高校受験。下の子はまだ小学生で病気がち。Bにとって家族ぐるみの健康保険は非情に大事。給料からかなり引かれても仕方ない。家族と過ごす時間が大事だし奥さんとセカンドハネムーンにも行きたいので、長期で取れる休暇は必要不可欠。歳が歳なのであまり残業が多いと体がもたない。

AとBの二人では仕事に求めるものが全く違う。自由市場に任せるならば、AもBも個人的に自分にあった条件で雇用主と交渉し、Aならば保険や年金などのベネフィットはほとんどいらないからその分給料をあげてくれとか交渉することができるし、Bならば基本給料は低くてもいいから年金が高く質のいい健康保険がついてくる条件を求めるだろう。

ところが、労働組合が団体交渉をすると、もしAとBが同じ職種の同じレベルの仕事に応募した場合、二人が受け取る条件は全く同じになる。それでAは欲しくもないのに年金や保険料を給料から差し引かれ、Bは身体がもたないのに長時間の就労を余技無くされる可能性がでる。組合は個人の能力とか必要性とかを全く考慮に入れないからだ。

これは実際にある組合が要求した労働条件なのだが、一日に8時間以上働いた場合は残業手当を払わなければいけない。それはそれでいいのだが、例えば前の日に4時間しかはたらかなかったので、今日は12時間で埋めあわせをする、という融通が利かない。それで、病気がちの子供を病院につれていくためにBが月曜に早引けして火曜日にその埋め合わせ残業をするといったことは簡単に出来ない。あらかじめ、週に40時間以上働かない限り残業はなくてもいい、日によって早い日もあれば遅い日もあるという融通の効くスケジュールをBが経営者と交渉して決めることは不可能なのである。

また、経営者側も、Aのほうが仕事が出来るのでBには辞めてもらってBの給料を上げよう、などと勝手な判断は出来ない。ここでも労働組合が口を出してくる。どういう条件なら従業員を辞めさせることが出来るのか非情に細かい項目があり、公務員の場合、単に仕事が出来ないというだけでは先ず辞めさせられないのが現実。

アメリカの公立学校の質の低さは悪名高い。これは決して、アメリカに質のいい教師が居ないという意味ではなく、質のいい教師も悪い教師も同じように扱われるし、教師自身の定期的な学力テストや生徒のテストの点で教師の昇給を考えるなどといったことは、いくら校長がやりたくても組合が承知しない。公立学校の教師を辞めさせることは大変なことで、生徒に猥褻行為をした教師ですら有給のまま自宅謹慎で何年も辞めさせられないというひどい状態が起きているのだ。

特にひどいのは公立学校の用務員。ある学校区では組合が用務員は床を一週間に一度しか拭かなくてもいいという労働条件を通させた。これではカフェテリアで子供がスープをこぼしても、用務員は床を掃除しなくてもいいということになる。もっとも公立学校の用務員は何年も学校になど足を踏み入れたことがないという人も多く、しかも給料は年間10万ドルとかいう法外な金額だったりする。つまり、用務員とはたんなるタイトルであって本当の職業ではない。これは地方政治家に多く献金した政治活動家の家族に与えられる褒美のようなものになってることも多い。

それでも組合への加入が個人的な選択によるものであるならばそれでいい。上記のAのように自分には能力があるから他人に交渉など頼む必要はないと思っている人なら、わざわざ会費を払って組合に参加する必要はないだろう。だが、公務員の場合、多くの州において組合加入は強制的である。よしんば加盟しなくても、給料から会費を天引きされるのは普通で、厳密的にはこれは違法なのだが、組合とべたべたのオバマ政権は、この労組の違法行為を見てみぬ振りだ。

ウィスコンシンのウォーカー知事が辞めさせようとしていることのひとつに、この強制加入の禁止だ。労働組合は会費を政治運動に使っている。しかも95%の組合が民主党のみに献金しているのだ。よしんば労働者が共和党支持者で、民主党政策に大反対だったとしても、彼の給料から強制的に差し引かれた会費は直接民主党政治家の懐に入ってしまうのである。こんな理不尽なことが多くの州で長年つづけられてきたのである。

ウォカー知事や他の共和党知事は、こうした労働組合の身勝手な独裁政策を辞めさせようとしているのだ。彼らと民主党政治家たちとの癒着により、州公務員の給料や年金は民間企業の従業員の倍以上になっているという。傾く州財政のなかで、何故民間の納税者が公務員が自分らよりずっといい条件で働くために犠牲を払って税金を負担しなければならないのか、考えただけでも不公平である。

これはまさに、党メンバーだけが贅沢三昧をしていた共産主義国家の体制と全く同じだ。自由市場に反する社会主義だ。

最近の労働組合員たちのデモを見ていると笑ってしまうのは、彼らはウォーカー知事のことを「独裁者だ」とかリビアのカダーフィやエジプトのムバラクと同じだとか言っている。だが、実際に暴力で自分らの意志を通そうとしているのは組合のほうだ。ウィスコンシンでは共和党の議員が労組の暴力団員に囲まれてかなり危ない状態になった。

また、デモ中の組合メンバーにクレームをつけたティーパーティーのメンバーが組合暴力団員から暴行を受けたにも関わらず、警察官組合のメンバーである警察官は反組合の市民を守ろうとしなかった事件なども起きている。

アリゾナで民主党議員の集会が狂人の乱射でめちゃくちゃにされたときは、あれほどサラ・ペイリンやティーパーティーを、暴力をあおっているとして攻撃していた民主党やリベラルメディアは、こうした左翼側の組合やその支持者たちの暴力的な言葉遣いどころか実際の暴力行為すら批判もせず黙認し続けている。

労働組合べったりのオバマ大統領などは、完全に組合に肩入れしている。

通信業労働者(CWA)の電話会議に出席したヒルダ・ソリス労働省長官は、労働組合の抵抗を「誇りに思う」とし、「戦い続けよう」と励ましの声を送った。

政権が明らかに労働組合の味方をしていることに気をよくしたのはCWAの会長。「(長官の言葉は)歴史的な言葉です。政権の人員があきらかに私たちの味方をしてくれている。これは大統領の言葉であることを忘れてはなりません。」

まさしくその通りだ。大統領自らが団体交渉という完全な社会主義を支持しているのだ。

困ったことに、アメリカ国民の多くが労働組合の団体交渉権を支持している。リベラルメディアの報道の仕方にもよるが、共和党知事や議員たちは、ここではっきりと民間の組合と公務員の組合の性質の違いをはっきりと納税者に説明し、共和党は決して労働者を敵に回そうとしているのではないことを明らかにしなければならない。

ウォーカー知事や他州の共和党知事たちが州公務員の労働組合と立ち向かっている理由は、公務員労組の力が増大することによって納税者の負担が高まり州財政が危機に追い込まれるのだ。共和党はそのことを市民に説明し、共和党こそが労働者の真の味方なのだとわかってもらうひつようがある。

そうでないとこの次の選挙でオバマはじめ民主党は、共和党は労働者の大敵だと、またまたプロパガンダを流すこと必定だからである。いまや労働組合こそが真の労働者の敵なのであり、特に公務員労働組合は納税者の敵である。高い税金を払いたくないのであれば、公務員組合の力を激減させることが大切だ。ウォーカー知事はじめ共和党政治家はそのことをよくよく有権者に説明してほしい。

March 5, 2011, 現時間 8:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 2, 2011

ララ・ローガンを襲った暴徒に対し裁きを呼びかける声に批判的なエジプト人たち

フェミニズム , 宗教と文化

アメリカに長年住んでいて、今はカイロ住まいのエジプト人カリム・モーヒーさん31歳は、ホスミ・ムバラク大統領失脚を祝った狂気的な暴徒に襲われたララ・ローガン記者への暴力に抗議する集会を開こうとエジプトの同胞に呼びかけている。だが、この呼びかけに対し、集会に反対する人の声が高まっている。それというのも、実際にローガン記者がエジプト人の暴徒によって暴行を受けたという事件が本当かどうか疑わしいと考えるエジプト人が多くいるからだ。

ローガン記者への暴行事件を最初に取り上げたときに、アラビア語のメディアであるアルジェジーラは完全無視を決め込んだことは書いた。しかし当のCBS以外のアメリカのメディアや日本も含め他国のメディアは一斉にこの事件を取り上げたため、事件があったことを知らないのはアラビア語メディアのみにニュースを頼っているアラビア人だけかもしれない。

とはいうものの、あれだけあちこちで記者団が取材をして何台ものカメラがあったにも関わらず、ローガン記者への攻撃を撮影した映像はない。群集のなかで携帯電話で撮ったビデオがあるという噂はあるが、実際にそれを観たという人でそのビデオを公表できる人はいない。

それで、そんなひどいことが実際に起きたなら、アルジェジーラやアルアラビアが大々的に報道するはずで、それが起きていないのは事件そのものが起きていないのだと言い張るエジプト人も多くいる。

また、襲ったのは反ムバラクの群集ではなく、ムバラク派が大統領の失脚を怒ってアメリカ人記者を襲ったのではないかという意見も多く聞かれる。自分の同胞がそんなひどいことをしたなど信じたくないのが心情というものだろう。

モーヒーさんは、エジプト側からは公式な謝罪は一切なかったとして、抗議の集会を開きたいと意志を示している。

モーヒーさんは、海外生活をするエジプト出身者を対象にしたネットサイト、カイロスカラーズやフェイスブックなどでも、暴徒への裁きを求める記事を載せた。モーヒーさんの目的はララ・ローガン記者への攻撃を抗議することをきっかけに、エジプトで増えている女性虐待について人々の目を覚まさせたいというものだ。そしてエジプト政府と軍隊はローガン記者を襲った暴徒たちを裁くべきだと訴えた。

しかし集まったコメントは皆かなり冷ややかなものだった。

「セクハラに対して戦う団体を是非みたいとはおもうけれど、外人が襲われたということだけを強調するのはどうかとおもう。(略) 私たちは皆襲われているわ。どこにいても誰にでもおきることよ。エジプトだろうとどこだろうと男からセクハラを受けない女性なんていないわ。人生なんてそういうもんよ。変態はどこにでもいるわ。革命とは関係ないのよ」アーワ・アテフ・シャラビー(女性)

2008年に行われたエジプトの女性人権センター(ECWR)の調査によると、外国人女性の98%、そしてエジプト人女性の83%がエジプト人男性からセクハラを受けたと答えている。そして62%のエジプト人男性がセクハラをしたことがあると認めたが、そのうちの53%は女性に原因があると答えたという。

他の記事でも読んだのだが、エジプト人女性は外を歩いていて男性から痴漢行為をされるのは日常茶飯事だということだ。また、現場を取材していた別のアメリカ人女性記者も群集から臀部や胸部を触られるなどしたという。ただ、彼女の場合は日本の満員電車の痴漢行為程度のものだったようだが、一人の若者は彼女のお尻をかなり強く掴んだそうだ。普通なら彼女は怒って相手に抗議するところだが、状況が状況だっただけに、やたらな抗議はもっと攻撃をエスカレートされるかもしれないと思い無視したという。幸いこの女性記者への痴漢行為はその程度のものだったらしい。

集会に反対しているのはエジプト住まいのエジプト人だけではなく、海外にすむエジプト人からも、どうせ集会を開くならエジプトにおける女性虐待やセクハラに対して一般的に抗議すべきで、外国人記者の事件だけの焦点をあてるべきではないという声も聞かれる。

エジプトのフェミニスト団体は、モーヒーさんがこういう集会を主催するには適していない、もっと女性運動に長年関わってきた団体が主催すべきだと抗議している。もっともエジプトのフェミニスト団体ECWRは、そんな運動をする気配もなければ、ローガン記者への攻撃について何一つ批判的な声明を出していない。ま、フェミニストなんてのはどの国にでも単なる左翼でじっさいに女性の立場向上になんか興味がないので、エジプトも例外ではないのかもしれない。

また、女性虐待問題は今のようにエジプトが動乱状態にあるときに持ち出すような話題ではないという意見もあったが、モーヒーさんは、エジプトが既存の体制を覆そうとしている時こそ女性の人権を訴える絶好の機会であると主張する。「鉄は熱いうちに打て」である。

私もローガン記者への攻撃だけに焦点を当てるべきではないという意見には賛成だが、女性全般という言い方をすると人々の心のなかでは概念が広すぎてぴんとこないような気がする。一人の名前も顔もある女性への攻撃だからこそ、これは無視できないことなのだという実感が沸くのではないだろうか?

ローガン記者事件をきっかけとして、今後二度とこのようなことが起きないよう、暴徒を厳しく処罰すべきだと主張することは決して時間の無駄ではないと思う。

無視できないのは、イスラム教の国では、強姦された女性が鞭打ちの刑に処されるような掟もある。サウジアラビアではデート中に数人の暴徒の集団強姦された女性が鞭打ちの刑を言い渡され、不服であると提訴した女性弁護士が弁護士免許を剥奪されるという事件が数年前に起きてイスラム圏以外の国から強い批判を受けたことがある。

また、イランでは強姦された女性は淫乱女として下半身を埋められて投石処刑される決まりになっている。

エジプトはそこまでひどい国ではないが、それでもイスラム教の影響でかなりの男尊女卑が存在することは事実であり、従って女性虐待などさほどなんとも思わない男性が多いのだろう。

集会は4日に開かれるということだが、どのような集まりになるのか興味深い。

March 2, 2011, 現時間 8:53 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 30, 2010

主演男優はカムアウトすべきではない? 軍隊より保守的なハリウッド映画界

フェミニズム

どうでもいいような芸能ニュースだと思って読んでいたら、おもしろい結末だったのでちょっと取り上げよう。イギリス男優のルーバード・エベレットが、最近BBCラジオのインタビューで、ハリウッド映画のコネ主義について批判した。映画界の重役達のお気に入りになると、才能がなくて何度不作に主演しても次から次へと主役につけるという話のなかで、ジェニファー・アニストンの例を上げた。

確かに彼女の出演する映画はどれもこれも似たようなロマンチックコメディばかりで、これといって印象に残るようなものはない。興行成績も今ひとつで、私もテレビや飛行機の機内映画にでもなっていなければ観る機会はほとんどない。

エベレット曰く、ハリウッドでスターになるのは、芸があるなしに関わらず、ハリウッド業界から気に入られているかどうかにかかっているのだそうだ。

もっともカカシから言わせれば、そんなことは今更エベレットに言われなくても明白だ。アニストンのみならず、リチャード・ギアとかケビン・コスナーとか、カリブの海賊でヒットが出る前のジョニー・デップとか、昔一つか二つヒットがあっただけで、ここ20年近くヒットらしい映画など全くないのに、次から次へと高予算の映画に主演している俳優が何人か居る。

こういう人たちに共通しているのは、大抵がバリバリのリベラルだということだ。ハリウッドの映画業界はもうここ何十年とリベラルに仕切られているから、ハリウッド俳優にとって保守派で共和党支持であることを認めるのは、同性愛者だとカムアウトするより命取りになる。仕事を失いたくなかったらリベラルのふりをするか、自分は政治には疎いから解らないという振りをしているのが懸命だ。

ところが、面白いことにエベレットはハリウッドはホモフォビア(同性愛恐怖症)だと言う

エベレット自身は自分が同性愛者であることを1980年代後半に公表したが、その決断は自分の役者としてのキャリアに多大なる損害を与えたという。

「芸能界は異性愛者には理想的に合ってます。とても異性愛的なビジネスなんです。異性愛の男性たちによって牛耳られているし、権力の序列があるのです。」

エベレットは自分が同性愛者としてカムアウトして以来、ハリウッドでもイギリスでもその後1〜2本出演依頼があったきり、10年間ほとんど仕事が来なかったという。それで仕方なくヨーロッパへ移ったのだそうだ。エベレットのフィルモグラフィーを見る限り、結構毎年一本の割で映画やテレビ出演はしている。もっとも自分が期待していたような大作での主役ではないという意味ならそうかもしれない。

「ハリウッドはリベラルの振りをしていますが、本当は非常に保守的な世界なのです。」

私はこの「ハリウッドはリベラルの振りをしている」というところが非常に面白いと思った。往年の映画やテレビミニシリーズの大スターで、何年か前に同性愛嗜好を公認したリチャード・チェンバレンも主演男優はカムアウトしないほうがいいと語っている。

「役者が働いているということ自体が一種の奇跡ですからね。ほとんどの俳優はゲイではないわけですから、働いてる役者がわざわざ『自分がゲイだということを誰が知っていても構わない」なんて言うのは馬鹿げてますよ。特に主演男優タイプの人はね。(略)私個人としては主演タイプの男性のカムアウトはお薦め出来ません。」

我々保守派から言わせると、芸能界は同性愛者優遇主義があるような気がしていたが、内部にいるゲイの役者から言わせるとそうでもないらしい。最近の映画やテレビなどでは、あからさまなゲイのキャラクターが主役になっているものも少なくないので、芸能界はゲイに親好的に見えるが、それは表向きのことで、裏を返せばかなりのホモフォビアというわけ。

もっともアメリカの芸能界が偽善的なのは今に始まったことじゃない。女性へのセクハラなども、普通の企業は神経質なほど気を使っていて、特に軍隊などでは男性が密室で女性と二人っきりにならないようにという厳しい規則があり、どんなに音が煩くても部屋のドアを開けっ放しで話をしている男女を良く見かけるくらいだ。

ところが、ハリウッドではキャスティングカウチといって、女優が役をもらうためにディレクターと性交渉を持つなど当たり前のようにされているし、年齢差別だの人種差別だのごく当たり前に行われている。

(もっともゲイの多いファッション界では異性愛の男性が同性愛のデザイナーに媚びを売るなど普通らしいが、、)

ま、映画がある種の主役を求めていれば、その役割にイメージが合わない役者を使わないのは当たり前だから、そういった差別がいけないとは思わない。だが、エベレットが言うように、才能があるでもなく興行成績も悪い役者が、単にハリウッドの仲間内だというだけで仕事を得るのは自由競争の規則に反する。

私個人としては、俳優の性嗜好など知った事ではないので、特に隠す必要はないが、わざわざ公表すべきことだとも思わない。

サイレント映画の頃にノエル・カワードという劇作家で舞台俳優だった男性がいる。ルックスもよかったので後に映画にも主役男優として出演したりしていた。

彼がゲイであることは内輪では誰もが知っていた事なのだが、もうとっくに役者を引退していた1970年代になって、回りの人から何故カムアウトしないのかと聞かれた時に、今でも自分をヒーローとして胸に秘めているおばあちゃんたちの夢を壊したくないからだ、と答えたと言う。役者はイメージが第一。ファンの夢が壊れるような私生活は隠しておいた方がいいと思ったのだろう。

実は私もカワードの意見に賛成だ。例えば、キアヌ・リーブスとかジョディ・フォスターとか、同性愛者だろうという噂は昔からあるが、自分からゲイだと認めない限り、ファンはリーディングマンやレイディという幻想を保つことが出来る。公私ともに認めるゲイの役者が異性とラブシーンをやったら、見ている方としてはかなり幻滅。(例えばジョージ・クルーニーがゲイだとか言ったらカカシは許さない。)

同時に私はその俳優がリベラルか保守派かということも特に興味がない。保守派なら別にいいが、リベラルだったら知りたくないというのが本音だ。才能もあり非常に好感の持てる俳優がサラ・ペイリンをこき下ろしたりすると完全に幻滅する。これはゲイであるより深刻だけどね。

December 30, 2010, 現時間 11:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 23, 2010

米軍隊、遂に同性愛者の勤務を公に認める!

フェミニズム , 同性婚 , 独裁者オバマ王の陰謀 , 防衛

クリントン大統領がパパブッシュに対抗して大統領選に出馬した時、大々的に公約しておきながら、いざ大統領になった途端に回りの圧力に負けてポイッと放り出してしまったのが、この同性愛者の軍隊勤務合法化だった。クリントンは根性がなかったので、合法でも非合法でもないどっちつかずの「聞かない、言わない」という黙認法で妥協してしまった。以来この話は誰も触ることの出来ないタブーとなっていた。

それが今回共和党の反対を押し切って、レイムダック期間を利用し、オバマと民主党は強攻に既存法を撤回し、同性愛者たちは晴れて公に軍隊に勤務することが可能となった。以下毎日新聞より。

米国:同性愛公言者、軍隊に門戸 「黙認政策」を廃止 大統領公約、法案成立へ

 【ワシントン古本陽荘】米上院(定数100)は18日、オバマ米大統領が公約として掲げてきた同性愛者と公言する人の軍への入隊を認める法案を採決し、賛成65、反対31で可決した。下院でもすでに可決されており、大統領の署名を経て成立する。

 93年に導入された、同性愛に関し「ドント・アスク、ドント・テル」(聞くな、言うな)を原則とする「黙認政策」を廃止するもので、17年ぶりの改革となる。黙認政策の下、約1万3000人の同性愛者が除隊を余儀なくされており、オバマ大統領は就任前から、同性愛者の軍入隊制限の撤廃を公約に掲げてきた。

 大統領は法案可決後、「米国の国家安全保障をむしばむ政策を終わらせるための歴史的な一歩だ」とした声明を発表した。今後は、国防総省が関連規則の変更に関する計画を策定するが、同省は新規則の周知徹底や教育に時間を要するとの姿勢を示しており、実際の実施時期がいつになるかは不透明だ。

 海兵隊トップのエイモス司令官は、同性愛者の受け入れに反対する姿勢を明確にしており、実施までには紆余(うよ)曲折が予想される。

ここではっきり言わせてもらおう。私はオバマ王は大嫌いである。彼のファシスト風行政には全く賛同できない。レイムダックセッションで、野党の反対を押し切っての強攻な手段も感心しない。とはいえ、風見鶏のクリントンがいとも簡単に投げ出した法律を、後でかなりの仕返しが期待できるというのに強攻に押し通したオバマの勇気は讃える価値があると思う。

特に、私は以前から同性愛者が合法に軍隊に勤務することには賛成だった。実を言うとクリントンが大統領候補だった時、もしカカシに投票権があったならそれだけでクリントンに投票するつもりだったくらいなのだ。

この件についてはカカシも過去にいくつかエントリーを書いている。

どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』

黒人を軍隊で白人の兵士と混合させた時も、女性兵士を男性と一緒に軍艦に乗せたりした時にも色々と反対はあった。だが、いざ隣り合わせで一緒に仕事をしていると、黒人だろうと女性だろうと大した差はない、ごく普通の軍人同士だということが解って来た。

特に同性愛者は、公にされていなかっただけで、これまでにもずっと勤務してきたのだから、公になったからといって何が変わるというものでもない。ゲイ男性と一緒にシャワーを浴びるのは嫌だとかいうくだらない言い訳は、仕事が忙しくなってくればどうでもいいことだ。

だいたいだ、二人並んでシャワーが浴びられるほど広いシャワー室があるような贅沢なところで仕事をしてる人間が文句言うな!私なんざ誰も居ない変な時間を見計らって20人部屋にひとつしかないシャワーを浴びてるんだぞ!

とにかく、私は公平な人間なので、評価すべきことはきちんと評価したい。

オバマ大統領、あなたの勇気に敬意を表する。公約を守ってくれてありがとう!

December 23, 2010, 現時間 12:14 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

September 26, 2010

イスラム諸国の横暴を思わせる中国の傲慢な態度

フェミニズム , 東洋危機

今回の中国漁船船長の釈放については、ちょうど先週一週間ほど日本に帰省して居たので、実家の父とも話をすることが出来た。父は「これは非常にまずい外交だ」と言っていた。

那覇地検が、尖閣諸島周辺の日本領海での巡視船への衝突事件で逮捕、送検されていた中国人船長を処分保留で釈放する決定を公表したことに24日、与党・民主党からも失望や疑問の声が相次いだ。党代表選後、内閣支持率の上昇に勢いを得た菅首相だが、中国の圧力に屈服した格好の今回の決定は、今後の政権運営に大きな影響を与えそうだ。菅直人首相の求心力低下にもつながり、民主党代表選で首相に敗れたばかりの小沢一郎元幹事長の「復権」を早めることになるかもしれない。

日本は三権分立社会であるから、検察の判断で釈放が決められたのであれば、議会はとやかく口を出せないというのは本当だが、本当に検察側独自の判断だったのかといえばそれはかなり疑わしい。かえって管政権は中国の圧力に屈服して検察に圧力をかけ、三権分立を言い訳に責任逃れをしているように見える。

船長釈放の交換条件として現在逮捕されているフジタ社員たちの釈放を確保できたというならまだしも、理不尽な拘束をされた人たちへの面会さえも許されていない。これでは中国の完全勝利とみられても仕方ないだろう。

中国の日本への態度を観ていると、イスラム諸国による西洋諸国への態度と酷似するものがあると感じる。それは自分らの悪行は棚に上げて、他人から多少でも自分らに都合の悪い行為をされるとそれがあたかも人民や文化全体への攻撃であるかのように大騒ぎする点である。

フジタの件のみならず、中国では日本市民を含む外国人が大した根拠もないのに、ちょくちょくスパイの疑いで逮捕されている。これらの人々には弁護士が面会することもままならず、事情がわからないまま長年の拘束が続けられているのだ。

また、中国では未だに人身売買は公然と行われており、北朝鮮からの脱北者女性のほとんどが中国で売春奴隷として売買されていることは周知の事実。

そういう国が、やたらと日本の占領時代の話を持ち出して人権問題を批判したりすると、いい加減にしろよ、と言いたくなる。日本の過去に中国市民を虐待した歴史がないとは言わないが、日本はすでにそういう文化を悔い改め民主国家として生まれ変わったのと比べて、中国は昔からの野蛮な弾圧的政治体制を全く改めず、未だに自国民や外国人を弾圧しているではないか。

問題なのはそういう野蛮な国の横暴に日本がやたらに屈服してしまうという点だ。こういう国に善意など通用しない。こういう国との外交であるのは力関係だけだ。

イスラム教徒でもそうだが、奴らは自分らが崇高な存在だと信じている。他の人間は下位なのであり、自分らが特別扱いされるのは当然のことなのだと思い込んでいる。だからアメリカで聖廟が建てられるのは当たり前の権利だが、サウジアラビアでキリスト教会建設など断固許せない行為という理屈になる。

中国にしたって同じことだ。

自分らによる人権迫害や市民虐待は当たり前。中国民族こそが崇高な民族なのであり、他民族は自分らを敬い従うべきだと考えているから、日本が過去の「過ち」を謝るのは当たり前、賠償金を払うのは当たり前、船長釈放は当たり前、なのである。

そんな当たり前のことをして中国がその行為に感謝などする訳がない。

日本が何をしようと、中国政府から善意など絶対に期待できないのだ。もういい加減にそのことに日本政府は気付き、中国の態度にいちいち怯えるのは止めてほしい。

中国から日本が敬意を評されることがあるとしたら、それは日本は中国の脅しには怯まないという強攻な態度しかない

無論強攻な態度は実際の軍事力によって支えられなければならない。アメリカからの敵国に対する脅しが多少でも効くのは、アメリカの軍事力と、いざとなったら軍事行使もいとわないという意志が後ろ盾があるからだ。

そのアメリカでさえ、オバマのような弱体が大統領になった途端、イランや北朝鮮などの敵国から舐められるようになった。野蛮国に対していかに闘う意志が大切かという証拠である。

中国との貿易関係を深めることは大切だ。中国人が日本に多く来る事はかまわないと思う。多くの中国人に自由な日本の良さを理解してもらうことで、彼らが自国政府の独裁性に気づいてくれれば、これは決して悪い事ではない。

だが、中国からやたらな軍事行使をされないように、日本もそれなりの武装をして、いざと言う時にはそれを使う意志があるという態度を示さなければならない。私は何も日本に中国と戦争しろと言っているのではない。中国からの横暴に立ち向かうにはそれなりの準備が必要だと言っているのだ。

September 26, 2010, 現時間 9:15 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

August 9, 2010

ゲイ裁判官の陰謀!州民の意志完全無視して一夫一婦制は違憲と判定

フェミニズム , 同性婚

今月四日(8/4/10)、連邦地裁は2008年11月にカリフォルニア州の住民が圧倒的多数で可決した、結婚は一夫一婦制のみという法律「提案8号」が違憲であると判定を下した。下記の記事が比較的詳しく書かれているので一部掲載する。

カリフォルニアの同性婚禁止は違憲 米連邦地裁が初判断 2010.8.5 10:51

【ワシントン=犬塚陽介】同性婚を禁止した米カリフォルニア州の決定は法の下の平等を保障する米国憲法に違反するとして、同性カップル2組が起こした訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁は4日、同性婚の禁止は「道徳観や宗教観のみを根拠にしている」と、法的根拠がないとの判断を示し、決定を違憲とする判決を下した。

米国世論を二分する同性婚問題で、連邦裁判所が判断を示したのは初めて。反対派は連邦第9巡回控訴裁判所に控訴する方針で、訴訟が最終的に連邦最高裁までもつれる可能性も強まっている。

訴訟の争点となったのは、2008年11月にカリフォルニア州の住民投票で可決され、州最高裁も追認した同性婚を違法とする「提案8号」の合法性。ウォーカー裁判長は判決で、提案8号は同性愛者を特別視した上で「不公平な待遇を合法化している」と指摘し、同性愛者のみ結婚を許さないという合理的な根拠はないとした。

ウォーカー裁判官の判定には色々と問題点が多い。

先ず第一に、提案8号は同性婚を特別視しているわけではない。この法律は一夫多妻婚も認めていないし、近親婚や既婚者との結婚も認めていない。提案8号は同性婚を禁止する法律ではなく、結婚の定義を一夫一婦制に限るとしているもので、とりたてて同性婚のみに不公平な法律ではないのである。

また、ウォーカー裁判官は裁判中には明らかにしていなかったが、自身が同性愛者であり、同性婚促進運動家である。本来ならばこのような偏向に満ちた裁判官が判定すべきではないのにも関わらず、ウォーカー裁判官は自分の偏向を隠して判定にあたったのである。これだけでもこの判定は無効にしてもいいくらいだ。

提案8号では同性同士の結婚は認められないが、同性愛者が結婚することを認めないわけではない。つまり、同性愛嗜好の人が異性と結婚する分には全く問題ないのだ。つまり、ウォーカー裁判官がいうように「同性愛者のみ結婚を許さないという」法律ではない。

この裁判は連邦最高裁まで控訴されるだろうから、同性愛者のみなさんは、あまり急いで結婚などに及ばない方が懸命と思われる。

私が同性婚に反対する理由は以前から色々書いているが、最近の関連記事は下記。

本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的
だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?
結婚の定義における性別対人種の違い
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる
同性結婚は文明社会を破壊する
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2

August 9, 2010, 現時間 3:17 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 16, 2010

アメリカ小児科医協会、女児の陰部切除という野蛮な因習を認める

フェミニズム , 宗教と文化 , 移民問題

アメリカに移住したイスラム教徒が、女児を祖国に送り返してアメリカでは禁止されている陰部切除という野蛮な処置を受けさせているということが問題になっているが、何とアメリカ小児科医協会は、この因習を止めさせるためにアメリカ国内で女児の割礼を許可すべきだという見解を発表した。

ちょっと待てよ。それは話が逆さまではないか? 

この因習について良くご存知のない方のために説明するが、女児の割礼は男児の医学的処置とは全く違う。女児の陰部のかなりの部分を切り取るという、医学とは無関係で野蛮な伝統に基づく非常な苦痛を伴う危険な処置である。

アフリカやアジアや中東のイスラム圏諸国で広く行われているが、大抵の場合、不衛生な場所で麻酔も使わず、医師でもない家族や近所の女たちが女児を何人かで羽交い締めにしてカミソリを使って非常に敏感な部分を切り取るというものすごく野蛮な行為である。中国で昔行われていた纏足などと並んで女性への虐待行為である。

不衛生な場所でこのような大掛かりな切除を行えば、傷口が化膿し尿道症並び種々の病状の原因となり、不妊症になったり、時には死に至ることもある。またよしんば完治したとしても、心の傷はそのまま残る。クリトリスを完全切除するのだから、大人になってからの性行為にも多いに支障をもたらす。

さて、問題なのは、イスラム圏諸国から移住してきた移民たちが、移住先の文明国にもこのような因習を持ち込んでくるということである。本来ならば、こうした行為への適切な処置は、受け入れ国が移民に対して、そのような行為はこの国では違法であり、幼児虐待として見なされ法によって罰せられるということを説明するところからはじまり、それでも実際にそのような行為を行った場合には断固たる処罰をすることである。文明国ではそのような野蛮な行為は断固認めないという姿勢をはっきりさせるのが本筋だ。

移民達はそうやって新しい国の習慣を学び、最初は抵抗しても二代目三代目となるうちに、出身国ではなく移住先の国の習慣を受け入れるようになるのだ。他のどの国からの移民も、そうやってアメリカ人になってきたのだ。

それを何故、女児虐待に限って、文明国のアメリカで許可しようなどというのだ?

アメリカ小児科医協会のいい分はこうだ。このような習慣は国内で禁止しても移民たちは女児を外国に送り返して危険な処置をうけてしまう。だから、アメリカ国内で医師による安全な切除を許可することによって、そのような危険を防ごうというものである。

アメリカンアカデミーオブペデイアトリックスの声明文によると、彼らのいう安全な措置というのは、クリトリス全面切除という危険なものではなく、陰部の皮をほんの少し切るだけというピアスほどの危険も伴わない措置だという。移民達の慣習や伝統に対して同情的な理解を示すと言う意味で、医学的には害にも益にもならない儀式上の処置を許可するという、いわゆる妥協案だというのだ。

確かに、医師による処置であれば医学的な問題は解決するかもしれない。だが、それでは女児及び女性虐待を許可するという文化的な問題が解決していない。

中国での纏足にしてもアフリカやイスラム圏の陰部切除にしても、その根底には女性の独立性を妨げるという女性虐待の意識がある。

中国で纏足が行われたのは、足の小さい女性は美しいとされたからだという表向きの理由とともに、そんな足では満足に動くこともできず、嫌な相手と結婚させられても逃げることが出来ないという、女性を閉じ込めておくという効果があった。

女児の陰部切除は、女性のヒステリーな気性を緩和するためという表向きの理由の裏に、性的に敏感な部分を切り取る事によって、女性が性行為によって快楽を得られないようにし、夫以外の男性と性交を結びたいという欲望を防ごうというのが本当の理由だ。

なぜ文明国が女性虐待の伝統や宗教を持つ野蛮な文化に迎合する必要があるのだ? そのような文化に対して敏感であるべきという考えそのものに私は非常な抵抗を覚える。

この事に関してはBare Naked Islamというブログに色々な人たちの意見が載っている。

そのなかでも説得力があると思われるのは、一部でも陰部切除を合法にしてしまえば、これまでアメリカの法律に守られて親族からの圧力に耐えて娘の陰部切除を行わないでいた母親たちが、それを行わない口実を失ってしまうという理屈だ。

だいたい全面的に悪い行為を妥協として一部だけ認めるという理屈がおかしいではないか。

アフリカやイスラム圏諸国では未だに奴隷制度が伝統的に残っているが、こうした文化に理解を示すために、妥協として移民には一部奴隷制度を認めるというのと変わりがない。

そういうことを異文化への理解を示すとかいう理由で多少でも妥協していけば、そのうち、娘の貞操を守るという理由で野蛮国のあちこちで行われている名誉殺人も、妥協として娘を殺すのは良くないが、鞭打ちなどの拷問程度なら許可するとかいうことになりかねない。

陰部切除は女性虐待の象徴である。そのような悪習は形の上だけでも文明国に存在してはいけないのだ。アメリカは男女同権の国である。女性虐待の象徴を一部たりとも認めるべきではない。

これに関してはEuality Nowなどのフェミスト団体も断固反対している。

そういう意味で今回の小児科医協会の声明は、医師としての気持ちは理解できるが、解決法への方向を見間違えていると言える。

May 16, 2010, 現時間 10:10 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 9, 2010

左翼フェミニスト?そんなの常識じゃん!

ネット戦争 , フェミニズム , 左右思想

この深町さんて人のサイトにコメントしたかったのだが、なぜか『はてな』は私のメールアドレスを認めてくれないので登録できないでいる。

で、深町さんのエントリーを読んでいて面白いなと思ったのは、彼が私の意見よりも、私の文章のスタイルに苛立ちを覚えたということである。

特に私の「〜と反対に問いたくなるのは私だけだろうか?」という部分にかなり引っかかったらしい。しかし、深町さんが「個人的にイラッと」きた部分の話をする前に、私が苛立った部分からコメントしよう。

早々に「左翼のフェミニスト」とレッテルを貼り、「おれは議論なんかするつもりはなく、ただカラオケがしたいんだ」という意思表示が示される。ご本人も「議論の余地はない」と書いてらっしゃるのだが……。

私が討論の相手にすぐレッテルを貼りたがるという批判は、以前に掲示板で議論していた頃から良く言われたことだ。しかし、私のように長年左右討論をしているものから言わせたら、話している相手が左翼か右翼かということは簡単に解る。左翼フェミニストともさんざんやりあったことがあるから、彼らのやり方はすぐに気がつく。「防犯は個人責任ではなく政府の責任である。」はどう見ても左翼思想だし、特に「自己責任を問うのは犠牲者を責める行為である。黙れ」と言って討論相手を加害者扱いして黙らせるやり方は左翼フェミニストの常套手段。こういう相手には左翼フェニストのレッテルがぴったりはまるのだ。

だが私はこういった左翼連中と違って意見の違う人間を黙らせようなどとはしない。相手に左翼というレッテルを貼ったからといって、だからそれで議論は終わったなどと片付けたりもしない。深町さんの文章を読んでいるといかにも私がそう書いたように解釈出来るので原文を添付すると、、、

女性が強姦魔から自衛する行為を促すのは女性差別なのかという問題が議論されていた話はしたが、、、思った通り、(曾野綾子さんの原文は)左翼のフェミニストたちが大騒ぎするほどの内容ではない、過激な左翼フェミニストでなければ常識と取れる内容だった。(略)

曾野さんが、男尊女卑の最たるアラブの保守的な国の慣習を持ち出すのは不適当だと思うが、夜中に危険な場所で一人歩きをすべきではないというのは常識すぎて議論の余地はない。

さて、それでは深町さんが苛立った部分はというと、、

しかしそのわりには「常識」とか「私だけだろうか?(議論の余地はないと仰っているにもかかわらず)」という個人的にイラッとくる言葉があった。レッテル貼りと「常識」「私だけだろうか?」たったひとつのエントリにこうもイラつきワードを盛り込むってなかなかできないなあと感心すらしてしまった。また書き手自身が自分の意見をたいして信じていないのだとも。

「私だけだろうか?」や、それに政治家や新聞の論説委員が使いたがる「その考えはいかがなものか」というフレーズ。森達也氏がかつて著書でさんざん述べていたことではあるが、「私」という主語をやすやすと放棄して、姿の見えない不特定多数のなかに埋没しようとするいかがわしい言葉である。たいがい力強い主張の後に用いられることが多い。「郵政民営化には絶対反対……と思うのは私だけ?」といった感じ。自分の主張の重さに耐えきれない弱さが思わず露呈してしまうというか。

私はこれを読んでいて、日本語にはレトリカルクエッション(rhetorical question《文法》[U]修辞疑問, 反語;[C]修辞疑問文, 反語文)という文章スタイルは存在しないのだろうかと不思議に思ってしまった。

ここでいう私の「〜と思うのは私だけだろうか?」という文章は、文法的には疑問形になっているが、実は疑問文ではなく、「〜と思うのは私だけではない!」という断固たる断定文である。これは自分の意見に不安を持って相手に問いかけている文章ではない。

例えば、「政治家による汚職は許されるべきであろうか?」という文章は、文法的には疑問文であるが、明らかに「許されるべきではない」という意味であり、疑問文にすることで断定した書き方よりも印象深い効果を与えようとしている単なるスタイルである。別に読者をだまくらかそうというような「いかがわしい言葉」使いなどではない。

私が議論の余地がないと言ったのは曾野さんのエッセーの内容についてだ。だが、私が議論しているのは曾野さんの書いていることをヒステリックに批判している左翼フェミニストについてである。彼女達には「強姦犠牲者を二次被害から守る」という表向きとは違った、もっと個人の力を弱めて政府の力を強めようとする社会主義的な、それこそいかがわしい思想が伺われるということだ。それについては、もっと解りやすく説明しているので、深町さんにも是非このエントリー「左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由」を読んでいただきたいものだ。

さて次に深町さんがひっかかったのが「常識」という言葉。

「常識」というのも謎の言葉である。「そんなのは常識!」などとあらゆる場で登場するけれど、あるときは自分の説明不足を不特定多数の誰かにすがろうとして、またあるときはやはり自分の主張の重さや尖りに我慢できないときに用いられる。「温暖化なんて嘘……と思うのは私だけ? えーと……それが今の常識!」というような。「おれ、なんだか過激な主張したけど心配だなあ。リスクを回避したいなあ。いっちょ手を打って置くか」という打算と臆病が入り混じったような思考と、つねに主語を「私」ではなく「私たち」「みんな」にしていないと不安で仕方がないという自分レスな人にとってはきわめて便利なフレーズだ。「あいつ死ねばいいのに。ホント、マジでみんな思ってる」と、なにかにつけて「みんな」をつけなければ安心できない人種だ。

個人の防犯は自己責任という考えは、個人主義の保守派思想を持った人なら常識だと思うだけだ。それが過激な意見に聞こえる深町さんは多分左翼リベラル思想の持ち主だろう。

この曖昧&主語のすり替え言葉がいつごろから広まったのだろう。(略)

大人になるにつれ、なかなか何事も断定的な物言いなどできなくなってくる。曖昧なところに落ち着かざるを得なくなる例のほうが圧倒的に多い。(略)しかし他の言葉がいかにぼんやりとしていても、発言の主だけははっきりさせておきたいという自覚ぐらいはある。「そんなのは常識だ!」と言われても、どこの誰の常識なんだとむかっ腹を立てるようにしている。

では「温暖化は常識だ今更議論の余地はない」と言い張って、どんどん経費のかかる政治政策を施行している政府に対して、「いったいどこの誰の常識なんだ?」と深町さんは腹を立てたのだろうか?

もし、右翼や保守の常識だけが受け入れられないんじゃ片手落ちだ。しかし左翼リベラルの常識でも疑う余地ありとするならそれはそれでいいだろう。他人の言うことを鵜呑みにすべきではないという意見には異論はない。

ところで、私が非常に嫌な気持ちになったのはこの部分。

新聞の社説やブログで見かける「私だけであろうか」というフレーズ。「おれ信念あり」「おれ逞しい」と言いたげな人ほど自覚もなくよく使ってる。「共感しろオラ。お前も思うよな?」と、力強く主張しながら数を恃むというヤンキー的なもたれ方というか。

ここでいう深町さんの「ヤンキー」というのは誰をさすのかな? 厳密的には「ヤンキー」とはアメリカ南部の人々が北部の人々に対して使った侮蔑的な差別用語。アメリカ人一般をさすなら「ヤンクス」となる。アメリカには人種が多様であるように思想もまた多様である。それをひとくくりにして、「ヤンキー的」という表現は感心しないね。で、この「感心しない」という動詞の主語は「私」カカシである。念のため。

April 9, 2010, 現時間 4:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 13, 2010

マリブ女性、崖から飛び降りて強姦魔を振り切る!

フェミニズム

ローカルニュースだが、見出しが目についたので読んでみた。

南カリフォルニアのマリブ市で、強姦されそうになったジョガーが崖から飛び降り、丘を100フィート滑り降りて攻撃から逃れるという事件がありました。

ロサンゼルス郡シェリフのデレク・サバティニ警部によると、この女性は落ちた時に得た切り傷の手当のためマリブ市の病院に運ばれたと言うことです。

被害者の女性によると、お昼近くにポイントドームステートビーチにてジョギングを終わらせ崖のふちに立っていると、突然後ろから抱き抑えられ、男の腕を振り切るまで数分もみあったといます。女性が崖を走り逃げ崖から飛び降りたのはこの時です。

犯人の男は女性が乗って来ていたトヨタランドクルーザーに乗って逃走しました。犯人の捜索は継続中で、まだ捕まっていません。

この間もサンディエゴでジョギングしていた若い大学生女性が強姦されたうえ、殺されるという事件が起きたばかり。この事件の犯人は捕まったが、なんとこの男、以前にも幼児連続強姦の罪を問われ捕まっており、ほんの数年の禁固刑を受けた後保釈されたばかりの身だったという。

昨日も、連続強姦で指名手配になっていて20年近くも逃げ通して捕まった男が、たった三年の刑期を終えて釈放されるという話を聴いた。この男を刑務所に送り込んだ検察官が怒って釈放される地元に警告の記者会見をするという異例な発表があった。

なんだってこういう奴らがのこのこ道を歩けるんだ? 連続強姦魔は一生強姦魔だ。改心などしないのだ!どうして終身刑や死刑にしないのだ!本当にアメリカの司法システムはどうかしてる。

それはともかく、強姦魔から逃れるために、とっさに崖を取び降りるなんて凄い勇気だ。打ち所が悪ければ死んでしまう。もっとも強姦魔に素直に従っても殺される可能性は非常に大きい訳だから、だったら一か八かで飛び降りるというのも手かもしれない。

欲をいうなら、犯人の男が崖から落ちて死んでくれれば良かったに。

とにかく、女性に大事がなくて本当に良かった。

ところでジョギングをしたり、道を歩いている際に、ipodなどで耳を塞がないこと!音が聞こえないと回りの状態に気がつかず、変な男に近寄られてもわからないことが多い。また、携帯などで話をしていると話に熱中して注意散漫になる。後ろから来る車に気がつかずにはねられるといった可能性も大きい。どうぞくれぐれもご注意あれ!

March 13, 2010, 現時間 11:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 11, 2010

モスレムのゲイバッシングを黙認するアメリカゲイ社会

Tea Party , フェミニズム , 宗教と文化 , 左右思想

私は以前に、アメリカのフェミニスト達がモスレム(イスラム教徒)らによる女性弾圧について沈黙を守っていることを批判したことがある。アメリカのフェミニスト団体は女性の立場向上よりも左翼リベラルとしての立場を重く考える。というより、フェミニズムなど左翼主義促進のための一つの手段にしか過ぎない。だから、女性問題と左翼主義が対立した場合には、必ず左翼主義が優先される。(イスラム圏社会はおよそ左翼主義とは言えないと思われるかもしれないが、右翼保守のブッシュ政権が対抗していたので、敵の敵は味方という安易な考えがここで働くわけだ。)

どうやらこの傾向は同性愛者たちの間にもあるらしい。

ゲイペイトリアット(同性愛の愛国者)の著者ブルース・キャロルがビッグジャーナリズムで書いている記事によると、先月26日、(2/26/10)サンフランシスコで起きた同性愛男性がビービーガンで撃たれるという事件について、SFのメディアは驚くほど犯人像の表明に消極的だという。

ヘイワードから来た従兄弟同士三人は、サンフランシスコでビービーライフルを使って通りがかりの男性の顔に向けて撃ち、その状況をビデオ撮影した疑いで、パトロール中の警察官に取り押さえられた。車のなかにあったビデオカメラには攻撃の様子が撮影されていた。

犯人三人は、シャフィア・ハシミ(Shafiq Hashemi, 21)、サイード・バサム(Sayed Bassam, 21)、そしてモハメッド・ハビビザダ(Mohammad Habibzada, 24)。三人とも犯行を認めており、サンフランシスコにはゲイバッシングの目的で来たと白状しているという。

さて、これがテキサスやユタから来た白人が犯人だったら、今頃「右翼過激派のヘイトクライム!」とかいって大騒ぎになっていたこと必定。ティーパーティなども引き合いに出されて、「ティーバッガーの暴走」とかいって主流メディアはでかでかと書き立て、すぐさまドキュメンタリー映画にでもなっていたことだろう。

それが犯人が明らかにモスレムだと解ると、主流メディアどころか、ゲイで知られるサンフランシスコのテレビローカルニュースにしろ地方新聞やゲイ専門誌ですら、この事件の犯人像についておそろしいほどの沈黙を守っているというのである。

アメリカでも一番人気のゲイマガジン、アドボケート(the Advocate)でも、犯人像やその動機について全く触れていないという。

イスラムが動機のゲイバッシングについては、タウンロードやジョーマイゴッドといった左寄りゲイブロガーたちも完全沈黙を決め込んでいるが、すくなくとも彼らは犯行そのものが起きたという事実は認めている。それが極左翼のパムスハウスブレンドやアンドリュー・サリバンのデイリーディッシュになってくると、事件があったことすら無視。一時期、モスレムによるゲイバッシングもあると認識していたサリバンなどは、この話を取り上げそうなものだが、ニュースが耳に届いていないと見えて、何も書いていない。「好都合だな」とブルース。

アメリカのゲイコミュニティーに通じていない人たちは、基本から理解する必要がある。政策やアドボカシーの決断をするゲイリベラル活動家やリーダー達は、長いことモスレム過激派によるゲイやレズビアンへの脅威を無視してきた。ヒューニューマンライツキャンペーン(the Human Rights Campaign)ギルファンデーション( the Gill Foundation)ナショナルゲイアンドレズビアンタスクフォース(the National Gay and Lesbian Task)といったリベラルの「ゲイ人権」団体は、それよりもアメリカのキリスト教徒によるゲイやレズビアンへの攻撃について毎日のように心配している。

イスラム圏諸国では同性愛嗜好であるというだけで絞首刑になるなど日常茶飯事だ。にも関わらず、アメリカの同性愛活動家たちは法廷による同性愛結婚の強制や、税金を無駄使いした教育場での子供の同性愛勧誘に忙しく、イスラム圏政権による組織的なゲイ殺害に興味がない。外国で起きていることならまだしも、その脅威がアメリカ海岸にも乗り上げ始めていることにすら興味がない。

ほんの先月、クリーピングシャリアというブログがバンダービルト大学のモスレム司教によるこんなコメントを報告している。

イスラム教では同性愛への罰は死刑だというのは本当かという質問に対し、イスラム教学の教授であるアワディ・A・ビンハズィム司教は「はい、罰は死刑です。」と答えている。そして自分はイスラムの教えに従うとさえ断言している。

こうしたイスラム教学はサウジアラビアではなく、ナッシュビルやテネシーの大学でも教えられているのだ。

だが、アメリカのゲイ活動家が優先するのは、同性結婚に反対するアメリカのキリスト教徒への反撃のみ。

また、アメリカのゲイ活動家の基本的思想として、反資本主義、反民主主義、反戦、そして反イスラエル、といった感情が何十年にもわたって深く根付いている。2003年から2007年に行われた反イラク戦争の集まりに参加した人なら、親共産主義や反資本主義や反ブッシュのサインやスローガンに混じって虹色の旗(非公式のゲイ/レズビアンのシンボル)を見るのは避けられなかったはずだ。

この「コミュニーティー」においてアメリカでゲイであるためには、先ず最初に「主流」であることを拒絶し、個人主義や自由や資本主義や憲法や投票権や愛国心を放棄しなければならない。それがすべてチェックできたかい?そしたらクラブ参加大歓迎。

イスラム脅威に立ち向かうなどアメリカゲイ体制の遺伝子とは完全に異邦なものだ。彼らにとって敵は共和党であり、ストレートな男達であり、アメリカ軍隊なのだ。

サンフランシスコや世界中で起きるモスレムによるゲイバッシングに関して、アメリカのゲイコミュニティーの姿勢は、それこそまさに、「聞くな、言うな」なのである。( “don’t ask, don’t tell” )

これだからカカシが以前から指摘しているように、アメリカのゲイ達は同性結婚には躍起になるくせに、同性愛の正式軍隊勤務には興味がないというわけだ。彼らはゲイの味方なのではなく、単にゲイ達を左翼主義促進の道具につかっているに過ぎないのだ。これはフェミニストと全く同じこと。

左翼は常に少数派を利用するのだ。

March 11, 2010, 現時間 5:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 2, 2010

米軍上層部、同性愛者の公式な軍隊勤務を奨励

フェミニズム

この間オバマ王は同性愛者の軍隊勤務について、「聞かない、言わない」法を撤回すると発表したが、火曜日、上院議会でマイク・ムレン海軍大将、統合参謀本部議長も、既存の法律は「同胞市民を守るために嘘をつくこと」を強制するものだとして、その撤回を嘆願した。また、防衛庁のロバート・ゲーツ長官もムレン大将同様、1993年に設立されたこの法律施行の緩和を促した。

オバマ王は一年以上も前から、この法律を撤回すると宣言だけして全く何の行動も起こしていなかったのだが、軍上層部でもこの法律の撤回を本気で考える動きがあるというのであれば、望みは持てるかもしれな。

だいたい、同性愛者であることを隠してさえいれば勤務できるというのは、この間からカカシが色々書いているように、ゆすりの原因にもなるし、第一これらの人々の人権を迫害するものだろう。ここはひとつ、保守派の皆さんも、変な偏見は投げ捨ててこの悪法撤回に賛成してもらいたいものだ。

何度も指摘したように、同姓結婚と違ってこのことによってアメリカの道徳観や伝統が失われるというものではない。同性愛者が何十年にも渡って米軍で勤務してきたことは暗黙の了解であり、いまさら同性愛者だからといって優れた軍人にはなれないなどという言う人はいないだろう。

これは黒人兵と白人兵を混合させたときと同じで、兵士にとって問題なのは頼りになる同胞であり、その人間が自分のプライベートな時間で誰とデートしていようと軍隊の士気には無関係だ。

はっきり言って軍隊というところは民主主義ではないので、上から命令が下されれば下は多少不満があっても従う。であるからリーダーシップがしっかりしてさえいれば、こういう変革は案外すんなりいくものなのだ。

ミスター苺が海軍に居た頃、同胞の将校らに同性愛者と並んで勤務することに抵抗があるかどうか聞きまわったことがあるそうだ。これは正式な統計を取ったわけではないが、将校の間では別に気にならないとした人がほとんどだったのに対し、下士官のほうでは嫌だという人が結構多かったという。

これが反対だと問題だが、将校の間で抵抗が少ないのであれば、この法律は撤回してもさほど問題はおきないものと思われる。

ま、今後一年くらい調査した末に決断が下されるという話なので、今すぐというわけにはいかないのだろうが、なるべく早い結論を望みたい。もっともオバマ王が相手では、いったい何時になるのかあてにはならないのだが。

February 2, 2010, 現時間 7:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 23, 2010

何故フェミニズムは理解されないのか

フェミニズム , 左右思想

多分日本でもそうだろうが、初期の目的はどうあれ、いまやフェミニズムというと、ちょっと「勘弁してよ」と敬遠したがる人が多いのではないだろうか。アメリカではフェミニズムなどという社会的な運動は今や時代遅れ。フェミニズムなど一部の左翼運動家以外は誰も興味を持っていない。

もうほぼ男女同権を獲得したアメリカ社会では、特に今更フェミニズムなどという動きは必要ないが、まだまだ女性差別がある日本で、女性の地位向上という本当の意味でのフェミニズム運動が一部の過激派によって台無しにされてしまったことは残念でならない。

それにしても、なぜフェミニズムは一般市民に理解されないのであろうか? マサキチトセというフェミニストの書いたエッセーによると、これは意図的なものだそうだ。

このエッセーは、WANという世界的なフェミニスト団体の日本支部と東大ジェンダーコロキアムと共催して行った「男(の子)に生きる道はあるか?」というライブイベントに関する感想文である。

アップデート:

WANが国際的な組織ではないという指摘が私の知らないところでされてるようなのだが、アメリカに全く同じWomen's Action Networkという名前のフェミニスト団体があり、そのミッションステートメントが日本のWANに非常に似ている。

国際的な組織で160カ国に支部をもち35000人のメンバーを持つと誇るWomen's Action Network (WAN)というフェミニストグループも存在する。

同じ名前で、同じような目的の国際組織が存在していることは確かである。全く無関係な組織であるというなら、同じ名前はただの偶然かもしれないし、もしかして日本の組織は国際組織のファンなのかもしれない。ま、部外者の私にはそこまでは解らない。

「一般の人にわかりやすい言葉で話して下さい」と言われる経験は、私たちフェミニストには日常茶飯事だ。そう言われるたびに私はその言葉に憤りを感じ、口をつぐむ。時には相手に噛み付くこともあるけれど、そこまでして相手に分かってほしいと思っているかというとそうでもない。何が頭に来るのかと言ったら、それはフェミニズムに「わかりやすさ」を求め、「わかりやすくないなら私はそれに賛同しないぞ」と、言外にほのめかす態度なのだと思う。そしてまた、自分がわからないということを「一般の人」という安易なカテゴリーを使って、あたかもかれらを代弁しているかのような振る舞いで当然のように開き直っている様子も、苦手だ。「一般の人」とはいったい、誰のことを言っているのだろう。

偶然というほどでもないが、隠フェミニスト記でこのイベントに関する紹介があり、ビデオのほうもちらっと見ていたが、途中でつまらなくなって観るのを止めてしまった。内容があまりにも内輪のじゃれ合いという感じがしたし、第一、彼女たちの使う語彙の中に、私の知らない言葉がぽんぽん飛び出して来て、私にはこのおなごせんせ達が何をいってるのかさっぱり解らなかったからだ。

それで私は「どうしてこう左翼エリートは一般人に理解できない言葉使いをするのかなあ。」と思っている矢先にこの批判を読んだので笑ってしまったのだ。

普通一般の人が「一般の人にも解るように話してください」というのは、「専門家ではない私みたいな者でも解るように話してください。」という意味であり、別に自分が不特定多数の一般人を代表するという意味で言ってるわけではないだろう。

これはフェミニストに限った事ではないのだが、左翼エリートは「一般人」が使わない言葉を使って聞く方をたぶらかす傾向がある。やたらに意味のないカタカナ英語を並び立て、聞いてる方が理解できなかったり誤解したりすると、あたかも自分らは頭がいいんですよ〜、わかんないあんたが馬鹿なのよ〜、という態度を取る。ミスター苺に言わせると、相手に理解出来るように話せないのは自分が解ってない証拠なんだそうだ。私から言わせたら相手をわざと煙に巻くのが目的なんだと思うが。

その点マサキはかなり正直だなという気がした。(強調はカカシ)

  私が常日頃からこういうことを言われるのは、私にとってフェミニズムとクィア理論が密接に結びついているからかもしれない。(略)その両方をきちんと分けられない私にとって、「一般の女性」や「一般の人」という言葉はほとんど意味を持たない。なぜならそういう言葉が発せられるとき、ほとんどの場合、異性愛の、貧困ではない、障害のない、人種・民族的にマジョリティの、先進国の人を指しているからだ。(略)マジョリティを「一般」というレトリックで欺瞞的に表現するその態度こそ、私が批判したいと常日頃思っているようなイデオロギーだ。

 フェミニズムは、あるいは、私が信じ、惹かれているタイプのフェミニズムは、「一般」に迎合したりしない。これまでも私の尊敬するフェミニストたちは、一般を挑発するような言葉を作り出したり、反感を買いやすい主張やパフォーマンスをしたり、そして案の定強い反発を受けて来た。(略)

 もちろん世の中を変えようというときに、特に社会政策を変えようというときには、多くの人の賛同を得る必要がある。しかしフェミニズムが容易に「一般」に受け入れられるとき、それは必ずしもフェミニズムの思想の発展や広がり、普及を意味するとは限らない。「一般」受けする思想には、常に危険が伴う。それはジュディス・バトラーがお茶の水女子大学に講演にやって来たときに、彼女の文章は難解でエリート主義に陥っているのではないかという質問に対する返答として、抵抗なしに受け入れられる言説はつまり現状既に社会に織り込み済みの言説であって、それでは理解可能性の領域の拡大を狙うことはできないと言っていたこととも共鳴する。(略)

そもそも「一般的」とされるような現存の言語を用いて語ることは、正にその言語が同性愛嫌悪的でトランス嫌悪的で女性蔑視的であるときに、ほとんど不可能なのである。その点において私は既にある程度語る言葉を制限されているのであり、更にそれを「一般向け」に翻訳せよというのは、二重の暴力を行使することを意味する。

 過去十数年のあいだクィア運動の中で培われて来た言語、更に言えば過去1世紀(あるいはそれ以上)のあいだフェミニストたちやゲイ・レズビアン運動の担い手が紡ぎだして来た言語、黒人解放運動や障害者運動がなんとかして、あらゆる言葉をつなぎ合わせ、作り出し、また本来の意味から引き剥がし自らの言葉に変えて来た言語。それらは、私たちが日常を生き延びるために、私たち自身の人生をよりよく理解し、よりよいものにするために、日々の実践の中から生み出された言語である。私は、あらゆる理論はそのように作り出されたと思うし、またそうではない理論には魅力を感じない。わかりにくいフェミニズムこそ、私の理解可能性の領域を広げてくれるし、社会の変化への希望を感じさせられる。

私はいつもどうしてフェミニズムの話になると、ゲイやレズビアンといった同性愛嗜好がくっついてくるのか不思議でしょうがないのだが、このマサキチトセなる人も、実を言うと女性ではない。彼の自己紹介を読んでも、何がいいたいのか解りにくい。

マサキチトセといいます。自分のことは a homosexual asian male butch from California, New Zealand and Japan (カリフォルニア・ニュージーランド・日本からきた同性愛・アジア系・男性のブッチ) と表現しています。現在は群馬県の館林市に住んでいて、近所の塾講師・ジェンダー/セクシュアリティ系の研究所のスタッフ兼翻訳者・文化系ウェブサイトの管理をやっています。

ブッチというのは男っぽい女性のことを意味するので、レズビアンの男役にも相当するが、実際に男性に生まれた人がブッチというのはおかしいし、彼のように女装趣味の男性では、まるで意味が正反対である。ま、あえて一般人に通じない言葉で自分を表現したいというのだから、彼のサイトはその目的を果たしていると言える。一般人のカカシにはまるで彼の言ってる事が理解出来ないもの。

ま、それは別にいいのだ。

彼/彼女らが一般人の理解を求めていないというならそれはそれでかまわない。でもだとしたら、我々一般人の生活習慣や文化を変えるようなことは止めてもらいたい。自分らの内輪だけで細々とクィアー(風変わりな)生き方を楽しめばいいのだ。

ところが、それがジェンダーフリーとかいって子供達の教育に悪影響を及ぼそうとしたり、同性結婚を押し付けようとしたり、既存の言葉の定義を勝手に書き換えて、元の意味で使う人々を差別者扱いしたりする、といった傲慢な態度になるからバックラッシュなんていうふうに一般人からの反感を買うのである。

少数派は多数派に迎合する必要はない。そういう生き方をしたけりゃ自由な国に住んで要る以上どうぞご勝手にと思う。だが、一般人に理解できない言葉使いを主張したいなら、フェミニズムが日本社会で理解を得られなかったとしても文句は言えない。彼らが主張する特権を得られないからと言って癇癪を起こさないでほしい。

January 23, 2010, 現時間 12:46 AM | コメント (7) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的

フェミニズム , 同性婚 , 左右思想

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。

本日はその最終回。

本当は、ゲイ活動家にとって、軍隊勤務の同性愛者をクロゼットに押し込んでおいたほうが都合がいい。それは自分に弱みのある人間のほうが左翼の社会主義を頼る可能性が高いからだ。自分に自信のない弱い立場にある人間ほど政府とか市民団体とかを頼りにする人はいない。

それに、もともと左翼連中は軍隊が嫌いだ。実際に軍隊に勤めたいゲイなんか奴らは大嫌いなのだ。何故かと言えば軍人になりたい同性愛者なんて多数派に迎合した裏切り者にすぎないと解釈されるからで、左翼フェミニストたちが軍隊に勤める女性達の戦闘員としての地位向上などに何の興味も示さないのと全く同じ理屈だ。

主流ゲイ団体にとって、ゲイがオープンに軍隊勤務出来るようにするなんて事は時間の無駄なのだ。それは主流フェミニスト団体が女性を戦闘員として昇格させることと同じくらい意味がないことなのだ。結論からいえば左翼は常に、個人の力を強めることよりも団体としての権力を増強させることにしか興味がない。

左翼市民団体は特定の問題に関する特定の解決方法を求めない。彼らが望むのは社会が彼らの望む不思議な形に変革することにある。彼らは既存の社会を根本的に破壊しスターチャイルドもどきの新人類を作ることを望む。言ってみればマルクス主義者が呼ぶところの「新ソビエトマン」の作成である。

彼らはまた大変革主義者でもある。彼らにとって宇宙規模の変革のみが彼らの目的を達成できると信じている。だから、部分的な問題解決は前進とは見なさない、それどころか後退と考える。部分的成功は組織への圧力を弱め、組織を破壊せず生存の可能性を強める。それこそ変革者たちの求めることと正反対なのだ。

だから、ヒステリックになって同性結婚を支持し、混み合う交差点で座り込みして『抗議』したり、商店のショーウインドーを割ったりして、計らずもクリスタルナクト(Kristallnacht)の真似をして、第8法案(Proposition 8:一夫一婦制のみが合憲とする法律) に投票した市民を同性愛恐怖症の差別者だと唾飛ばしながら叫ぶ奴らが、なんでゲイの軍隊勤務には沈黙なのか、どうして同性結婚は特別なのかといえば、同性結婚は大変革という目的に役立つが、軍隊勤務は役立たないからだ。

同性結婚は個々の力を強めない。なぜなら個々の家族にとって同棲を結婚と呼ぶかどうかなど大した意味はない。利益はすべてゲイ団体に行く。ゲイ団体の権力が強まるだけだ。

これはアメリカ社会は絶望的に差別主義だという、左翼得意の攻撃にぴったりあてはまる。この問題では右と左、共和党と民主党のあいだで完全な境界線がみられる。保守派は伝統的な結婚を支持し、リベラルは同棲結婚を支持する。だから同棲結婚を合法化すれば、特に法廷によって強制させるということは、右翼の犠牲のもとに左翼に多大なる利益を与えることになる。同性結婚を強制させることによって、西洋道徳の真髄である伝統的結婚は根本的な変革を遂げる。そしてこれが実現すれば、ユダヤ・キリスト宗教及びすべてのアメリカ伝統が底からひっくり返るということは、右も左も認めることである。左翼はまさにそれを求めているのであり、保守派はそれを防ごうとしているのだ。

もし人々が伝統的な宗教の自由が、同性愛を認めない自分らの協会や寺院で自由な宗教活動を守ってくれると思うなら甘い。ゲイ活動家がいくら、ゲイ結婚のライフスタイルを一般市民には強制しないなどと保証してみても、そのうち我々は、同性愛をみとめない我々の協会や寺院で、同性カップルの結婚式に参加させられ、一緒に写真をとられ、祝福を強制される。そしてこれらの「夫婦」が一般の夫婦と同じように養子をとることも認めさせられる。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、それは起きる。協会や寺院がそれに反発すれば左翼得意の訴訟が待っている。

だからゲイ活動家らとの妥協などあり得ない。保守派連中でゲイ活動家と妥協できると思ってるお人好しは、すぐにこれが常に左翼が勝つように出来てるトリックだということに気がつくはずだ。

左翼連中がどれだけ否定しようとも、一旦市民には結婚を規制する権利がないという前提をつくってしまえば、結婚は二人という単位でなければならないという規制をとっぱらうのは容易である。そうやって奴らは、二人以上の複数の結婚への道への地盤を敷こうとしているのだ。

「愛し合っているから」という理由で二人の男性が結婚できるというなら、愛し合っている三人の男性が結婚できないという理屈がどうして成り立つのだ?いや、それをいうなら二人の女性と二人の男性は何故いけないのだ?

コーランが奨励する、ひとりの男と四人の女では何故いけないのだ? これによってまたまたイスラム教のシャリア法の一部が我々の社会に注入されることになる。

「結婚」がなんでもありなら、結果的にはなんにもないのと同じだということに人々はそのうちに気がつくだろう。そうなれば、すでにヨーロッパ諸国で起きているように, 結婚しようという人々の数は極端に減り、少子化がどんどん進む。

もちろん、イスラム移民は産児制限などしないから、こうやってすでに人口でヨーロッパ諸国を乗っ取ろうとしているイスラム教がアメリカをも乗っ取る事が可能となる。

同性結婚は伝統的な結婚に向けられた毒矢である。同性結婚の目的はゲイの結婚を認めることではない。同性結婚の結末はアメリカをシャリア法に友好的な国に変貌させ、一夫多妻性を奨励する国となることである。

破壊への道は明確だ。にもかかわらず俺たちはその道をすでに歩き始めている。同性結婚を認めるということは、西洋文化の価値観を捨てるということだ。同性結婚を許すとういうことは、俺たちが文明人として集団自殺をすることなのだ。

西洋の文明が滅びて栄えるのは野蛮人だけだ。

January 23, 2010, 現時間 12:43 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 22, 2010

だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化 , 防衛

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。

本日はその第五話。

さて、同性結婚はプライバシーの問題なのではないか、という議論を考えてみよう。

この議論はドウ考えてもおかしい。社会に同性結婚を認めよという要請がなんでプライバシーってことになるんだ?

まったく。

これに比べてソドミー法は、典型的なプライバシー侵害だった。同意した大人同士が閉ざされた扉の向こうでなにをしようと誰に迷惑がかかるというのだ?

だからなんで同性結婚なんだよ?

さて、いい加減に俺が最初に答えがあるといった「何故」という質問に答えよう。

どうして同性愛活動家たちは、簡単に国民を説得できるゲイの軍隊勤務合法化よりも、国民の多数派が反対している同性結婚に力を入れるのか?

敵の支配こそ権力の増強となる

俺が思うに、ゲイ活動家はオープンに軍隊に勤務したいなんて思っちゃいない。何故ならゲイが本当の意味でアメリカ社会に溶け込むことなんて望んじゃいないからだ。同性愛共同体のthe Gay and Lesbian Alliance Against Discrimination (GLAAD)とか、エイズ活動の the AIDS Coalition to Unleash Power (ACT-UP)だの、the Lamda Legal Defense やEducation Fund、そしてEquality Californiaなんていう市民団体の権力は、個人で闘う力を得た主流なゲイなんかから来るのではないく、臆病で依存症で孤立した弱い人々の唯一つの希望として頼られることによって力を得るのだ。

「革新的」と言われるthe ACLU, People for the American Way, Democracy Alliance, そしてムーブオン(MoveOn.org)なんていう市民団体はリベラルを力づけるなんてことは絶対にしたくないのだ。何故なら力ある個人はこんな市民団体なんか必要としないからだ。左翼の市民団体のスローガンは常に「君たちは弱者であり無力だ。だから我々に頼るしかないのだ。我々に金を払え、君らのために闘って上げよう」組合が弱く無力な労働者の代表を気取るのと全く同なのだ。

ゲイ活動家も全く同じだ。彼らは常にことを個人の力と全体とのゼロサムゲームだと考える。活動家が個人と全体のどちらの味方かは明らかだろう。

主流な同性愛者に左翼は興味がない。フェミニスト各団体や環境団体と同じように、ゲイ活動家も左翼が最優先、ゲイであることなど二の次なのである。

January 22, 2010, 現時間 4:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 21, 2010

結婚の定義における性別対人種の違い

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化 , 対テロ戦争 , 防衛

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。

本日はその第四話。

結婚の定義における、性別対人種の違い

同性結婚と異人種間結婚における比較には問題がある。それというのも異人種間結婚については、カリフォルニア最高裁の1948年のペレズ対シャープ裁判(Perez v. Sharp, 32 Cal.2d 711, 198 P.2d 17)で人種が結婚の定義に用いられることが違憲であると判断された頃から、市民の間ですでにほぼ合意が得られており、法廷が市民の意見を率先したわけではなかった。

1948年の判例に始まって1967年 (Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)) で連邦最高裁において、最終的にアメリカにおける異人種間結婚禁止は違憲であるという判定が出た時には、1865年から1870年に起きた南北戦争も含み1964年の人権法も経て、すでに国民の間では人種差別は不法であるという認識が広く受け入れられていた。

だいたい科学的に人種の差別など証明できないし、黒人や白人や黄色人種などの間に決定的な差など存在しないことは科学者の誰もが認めることだ。

だが同性結婚にはこのどれもあてはまらない。

国民全体どころか州民の間ですら同性結婚が普通の結婚と同じように扱われるべきだなどという合意は存在しない。州によっては同性結婚支持派がかろうじて多数派を占めるというところがあるかもしれないが、(それにしたってかなり疑問だが)同性結婚の合法化が州民全体の意見として受け入れられている州など存在しない。

ここ数年における同性愛活動家による訴訟が起きるまでは、同性結婚を認める州など存在しなかった。同性結婚の前例などまるで存在しなかったのである。

それにくらべて、1776年、合衆国の最初の13州のうち多数派の7州までもが異人種間の結婚を認めていた。同性結婚はあきらかに法廷が率先しており、法廷の判決は市民の間から出た同性結婚をみとめないことが違憲だといった社会的合意への反応ではない。同性結婚憲法改正法だの憲法の見直しだのといった連邦政府の決議など全くされていない。

憲法に関する議論と言えば、1996年の the Defense of Marriage Act of 1996で、結婚は一夫一婦制であるべきという反対の議論はあっても、民主党が与党を占めている2007年から2009年にわたる議会ですらも、一夫一婦制を違憲とするという法案など提案されたこともない。それどころか、あちこちの州で同性結婚を禁止する法律が通されているくらいだ。

つまり、アメリカにおいて全国的にも地方的にも同性結婚を支持するという考えは市民の合意を得ていないのである。これはバーモント州議会のように甘やかされた左翼エリートのペットプロジェクトとして残っているだけなのだ。

そしてもちろん、人の性別(ジェンダー)は人種とは違って、特別な場合を除いて、生物学的にその違いが決定的に証明される。

結論として、結婚に関して語る時、人種と性別では全く比べ物にならないのである。

January 21, 2010, 現時間 11:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 19, 2010

『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』

フェミニズム , 宗教と文化 , 対テロ戦争 , 防衛

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。

本日はその第二話。

『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』

同性愛者の公な軍隊勤務を反対するに関しては非常に多くの問題点がある。

俺(ミスター苺)はこれまでゲイが秘密裏に勤務する方がオープンに勤務するよりも望ましいという納得のいく意見を聞いたことがない。

今日において、ゲイ男性がストレート男性より劣っているなどという議論がまともだなんて考える奴はいないだろう。ゲイ男性がひ弱だとか女々しすぎてストレートな男性と並んで闘えないなんて馬鹿げたことを言う奴はいない。ただひとつ聞かれるのは、反対意見としてはかなり弱いが、オープンなゲイがいると(内密にしているのとは違って)回りのストレートな人間が居心地がわるいからといったくだらない理由だけだ。

同性愛行為をする傾向のある人物が軍隊の規律や士気に悪影響を与えるというのは、全く証明されていない偏見にしかすぎない。これは「女はPMSがあるから戦闘パイロットにはなれない」と言ってるのと同じで全く根拠がない。

こんなのは、単にホモに見つめられるのが嫌だという、以前に「黒人と一緒に仕事なんかできるか」といっていた人種差別者たちと同じで、性嗜好の違いへの偏見に過ぎない。どちらの場合も同性愛者とか黒人といった当人に問題があるのではなく、偏見を持った人間の過敏な神経が問題なのだ。

今日、誰かがゲイだということが解ったからと言って、隊の士気が乱れるなどという根拠はない。それどころか、ほんの一部の差別者を除けば、ほとんどの兵士らは同性愛が明らかになって辞任させられる仲間を懸命にかばうくらいだ。

同性愛者が隊の士気を乱すなどという理屈は1950年代かそれ以前なら信じられたかもしれない。黒人と白人兵を混ぜた軍隊への反対論が、社会がヒットラーによる人種差別を見せつけられる以前になら成り立ったように。しかし、いまや、「ゲイは気持ち悪い」などという反論は偏見への執拗な執着以外の何者でもない。

ゲイにその嗜好を隠すことを強要するのは、彼らをゆすりの犠牲者にする可能性が高い。暴露されることを怖れて敵に手助けをする者も出るかもしれない。

ゲイは人口のほんの2〜3%にしか及ばないが、その道徳心は一般人口と変わらないだろう。とすれば、ほとんどのゲイたちは国に危険を及ぼすくらいなら除隊を選ぶだろう。だが、なかにはキャリアの方が何よりも大事だと思う兵士もいるはずだ。ストレートな将校のなかに浮気をする人間がいるように。

単に浮気願望があっても実行に移さない人間を除隊させることが出来ないのとは違って、ゲイ男性やレズ女性は同性愛の傾向があるというだけで除隊されることが合法なのである。現在の法律ではゲイ男性が実際に同性行為を行わなかったとしても、そういう嗜好があるというだけでキャリアを失うという罰を受けるのだ。

同性愛者または両性愛者は、自分の性的嗜好を明らかにした、もしくは同性の人間と結婚しようとした、ということが明かになれば除隊をやむなくされる。たとえ同性結婚が合法な州での結婚であり、入隊前のことで、今は離婚して同性愛主義は止めたと言う人であっても、そいうい過去があったことが暴露されれば強制的に除隊なのである。

他に何の欠点もなく、何の悪行も犯してない人に、多くの人々が生まれつき持っていると信じる性嗜好のみによって、アメリカ市民が軍隊で勤務できないというのである。

我々が我々であることを理由に我々の文明を破壊しようという敵との闘いにおいて、どの市民も武器を持って社会を守る権利があるというのはリバティに関する問題だ。にもかかわらずこの法律は憲法は市民が軍隊において勤務する権利を認めていないと主張するのだ。

法律上はそうなのだろう。だがすべて合憲であることが道徳的に正しいということにはならない。

もし対テロ戦争が西洋文明にとって岐路となるものであると信じるなら、我々は気持ち悪いとかいうくだらない理由で良い兵士を拒絶する余裕はない。

軍隊か結婚か、それが問題だ

このように議論すれば、大抵のアメリカ人はこの「聞かない、言わない」政策は非常に不公平でアメリカ的でないと考えるはずだ。しかもアメリカの防衛に危険を与えるとなればなおさらだ。つまり、ゲイ活動家がその気にさえなれば、簡単に勝利を得られる問題なのである。にもかかわらず、彼らはほとんどこの問題には興味を示さない。

国民の大半が反対している同性結婚にこれだけ熱を入れるのは何故なのだろうか?俺からみたら、ゲイ活動家は現在の結婚制度を変えたいというより、破壊したいという雰囲気すら感じられる。一部の過激派なんて人々の意志を踏みにじって結婚制度を破壊することにオルガズムを感じるんじゃないかと思わせる。

これは決して数の問題ではないだろう。同性同士で結婚したがってるゲイの数が軍隊に入りたい人間より多いってことはないはずだ。いや、それどころか、同性結婚が合法な州での傾向をみていると、ゲイのなかで結婚したいと思う人の割合はストレートな人口より遥かに低い。

じゃあ、何故なんだ? 何故反対が多い困難な問題を、沈黙の多数派から自分らを浮き立たせ切り離すような戦いを、有権者が機会を与えられる度に拒絶してきた問題を選ぶのだ? 何故多数派がほぼ同意できる、保守派ですら味方にできる、アメリカ人の道徳や良心に訴えることが可能な問題を選ばないのだ?

テキサスのソドミー法(同性愛を含む多々の性行為を禁止する法律)を違憲とする最高裁の審判を考えてみてほしい。国民のほとんどがこの決断に異存を示さなかった。一部の保守派が騒いではいたが、ほとんどのアメリカ人は「今更そんなの当たり前だろ」と思った。これは自由なアメリカ人が自由に愛情を表現する権利の問題だったからだ。

これと同じように自由の権利として、「聞かない、言わない」政策の廃止も可能なはずである。

January 19, 2010, 現時間 6:18 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 18, 2010

専門家が語る役に立つ防犯を見直そう

フェミニズム

自衛論云々の話が出た時に、『防犯の専門家でもないひとが、誰でもやってるようなくだらない自衛を説くな』と批判する人がいた。こちらの方が典型なのでちょっと引用。

特別、なにか目新しい、効果的な方法をあげることもできていないのに。 「何十年もやってきたので、もうそれは知ってます。それだけでは無理です。防げません。」 と、意味がないよ、と言っているのに。

それをやったこともない人が、「無意味じゃない」って。
何の根拠があって、意味がある、と断言できるのだろう。

だって、自分がしてきたことでもないのに。
防犯や武道のプロでもないのに。

こういうことを書いた人はこの人だけではないが、普通の人が思いつくような自衛など「誰でもしている」という発言には私は非常な疑問を感じていた。何故かと言うと、私自身も、気をつけなければいけないと思いつつ、ついうっかり忘れることがあるし、全く無防備だなと感じる知り合いが私の回りにも結構居るからである。

それで色々検索していたら防犯のプロが書いている、こんなサイトを見つけた。書いてるひとは佐伯幸子という防犯専門家。

さえきゆうこ、安全生活アドバイザー。92年より「頭を使って身を守る方法?知的護身術」を提唱。子どもや女性の安全対策を中心に、暮らしの中のあらゆる場面での危険を指摘、排除する方法を分かりやすく解説。危機管理のスペシャリストとして、講演やTV出演をこなす一方、著書9冊の執筆など精力的に活動。

この人のサイトでは実際に起きた犯罪を元に、どのように防犯するかという話が書かれている。引用する部分は2002年に書かれたもので、今回の一連の討論とは直接関係ないが、やはり私が思った通り、出来ることをしないで被害にあっている人が結構いる。

鍵のかかっていない部屋を狙った連続強姦魔

東京都小平市を中心に平成13年10月頃から、ひとり暮らしの女性をねらった婦女暴行事件が未遂を含めて20件連続発生しています。被害者の多くは学生など二十代の女性で、自宅のカギをかけ忘れたか、かけていなかった、いわゆる「無施錠」のところを侵入されています。

犯行は夜の10時から深夜2時くらいの間に集中しています。ほとんどの被害者が就寝中でした。犯人の男は目出し帽で覆面をして、「騒ぐと殺すぞ」などと脅迫した上で乱暴しています。カッターナイフのような刃物を突きつけられた被害者もいるようです。

佐伯さんによると、親から離れて始めて一人暮らしをするようになった若い女性は、自分が部屋に居る時に部屋の鍵をかける習慣のない人が多いと言う。また、オートロックの建物だからとその効果を過信してしまう人が案外いるという。オートロックでも建物に住む人全員が注意していなければ意味がない。やはり最後の砦は自分の部屋の鍵。

実を言うと、かく言う私も建物内の洗濯部屋に行くだけだからという気軽な気持ちで鍵をかけずに部屋を留守にして、その数分の間に泥棒に入られた事がある。もし、私が戻って来た時、泥棒と鉢合わせになっていたらどういうことになったのか、考えただけでも恐ろしい。

昼間のピンポーンにドアを開けた主婦が被害に

平成15年4月1日この事件の犯人23歳の男が逮捕されました。犯人は外国人を装った日本人の二十代の男3人でした。(内二人は今年初めに逮捕済。最後の一人が捕まったことで報道された)。「引越のあいさつに来ました」と言われれば、ドアを開けてしまう、という人情を逆手に取った卑劣な犯行でした。(2003年4月3日加筆)

真っ昼間からそんなことがあるのかと思うかもしれないが、佐伯さんに言わせると、昼間は男性が居ない家が多いことから、家には女子供だけ、子供は人質にも使えるということで、意外と狙われることが多いのだと言う。

マンションなどで、同じ建物の住人のふりをして、「下の階のものですが、水が漏ってます」とかいってドアを明けさせた例もあるというから、隣近所にどういう人が住んでいるのかということも知っておく必要があると佐伯さんは言う。

また、引っ越しの挨拶に来たというなら、管理人さんに連絡して本当にそんな人が引っ越して来たのかどうかを確認するという手もある。とにかくドアを明けないで、明けたとしてもチェーンをしたままにするとかして、知らない人を中に入れないことが大事だという。

この他にもこのサイトには色々役に立つ防犯方法が書かれているので、女性に限らず男性にも是非読んでほしいと思う。

このサイトを読んでいて思ったのだが、私自身当たり前だろそんなこと、と思っていたことを意外としていない人が多かったり、言われてみればそうだが、自分では気がつかなかったなんてことが沢山あった。

例えば、窓ひとつとってみても、留守なのに窓が開きっぱなしになっている家、レースのカーテンやぬいぐるみが飾ってあって女性の一人暮らしがすぐにバレる部屋、遅くなっても電気が着かない家、といったように、その部屋や家の住人の家族構成や生活パターンが窓を見てるだけでわかるのである。

だから、タイマー付きの電灯を付けるとか、女性の一人暮らしならカーテンは中性的なものを選ぶとか、洗濯物も男物も混ぜて干すとか、工夫が必要かもしれない。

自衛論否定者たちも、「そんな自衛は誰でもしている、そんなんじゃ役に立たない」といって自衛論を踏みつけてしまうのではなく、だったら役に立つ自衛を一緒に考えようよと言えば、もっと説得力があるような気がする。

January 18, 2010, 現時間 5:15 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?

フェミニズム , 宗教と文化

同性結婚について何回か書いて来たので、今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾を考えてみたい。

これはカカシが書いたものではなく、去年の5月にミスター苺が書いたものでMartial Arts and Marital Dartsというエントリーから引用した。非常に長いので、何回かに分けて一週間の連続という形で書いてみたいと思う。

本日はその第一話。

どうしてゲイ左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?

これは非常に興味深い疑問だ。普通ならゲイにとって利益となることを成し遂げることが同性愛活動家の目的なはずで、軍隊での勤務をゲイが秘密裏にしなければならになどという、間違いなくゲイの自由を理不尽に妨げる法律を取り除くことに先ず力を注ぐべきではないだろうか?

不思議なことに、同性愛活動家達はこの息も止まるような基本的な自由の迫害を無視して、同性結婚の方に力を入れている。もちろんゲイ活動家のウェッブサイトを深く掘り下げて読めば、ゲイを侮蔑する発言をしたどっかの将軍を批判する記事が三ヶ月くらい前に書かれたことがあることは否定しない。

だが、毎日のようにメロドラマよろしく同性結婚の話が新聞の第一面でカラー立体写真でこれぞとばかりに現れるのとは対照的に、ゲイ軍人への対応は冷ややかだ。

しかも、各州の法廷が州民の意思を無視して無理強いしなければ成立しない同性結婚とは違って、今日、いますぐにでもバラク・H・オバマの一筆で1993年の「聞かない、言わない」法によるゲイの公式軍隊勤務禁止法は撤回できるのである。

オバマ王は選挙運動中の公約にも関わらず、その約束を未だに果たしていない。そしてペンタゴン(防衛省)はゲイに関する法律を変える予定は全くないという。


俺(ミスター苺)が聞きたい根本的な質問は、なぜゲイの正式軍隊勤務合法化よりも同性結婚のほうが優先されるのかということなのだ?

読者諸君は驚くかもしれないが、俺には俺なりの回答があるんだよな。

続く。

January 18, 2010, 現時間 3:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 17, 2010

民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化 , 対テロ戦争 , 防衛

同性結婚についてはずいぶん熱弁を振るうリベラルたちが、同性愛者の軍隊勤務合法化についてはあまり興味がないのは何故なのだろう? はっきり言って、こっちのほうがよっぽども違憲だと思う。

国のために闘うというのは市民の基本的な権利のはず。それを同性愛嗜好だというだけで拒否されるのは同性結婚などという特権が与えられないというのとは全く度合いの違う問題がある。

17年前に、民主党のビル・クリントンは大統領になるまえに、同性愛者の軍隊勤務の合法化を公約して当選したが、与党の民主党からの抵抗に怯んで大した運動もせずあっさりと諦めてしまった。私はそれまでクリントンのファンだったが、一気に彼への信頼感を失った。

その時、妥協案として軍隊方針の指導者的立場にあるアイク・スケルトン民主党下院議員(Rep. Ike Skelton (D-Mo.) )が提案し定着したのが「聞かない、言わない」法だ。これは同性愛者が内密に軍隊に勤めている分にはかまわないというもの。つまり同性愛者でもそれがばれなければいいというかなり害ある法律。

大事な職種についている軍人が何かの拍子で同性愛者であることが公になったらこの人のキャリアは終わりなのである。それが勲章をいくつも貰って戦場で勇敢な活躍をした人であってもだ。こんな不公平な法律ってあるだろうか?

同性愛がばれなければいいということは、ばれたらおしまいということであるから、これはゆすりの原因にもなる。

軍隊に居る間恋愛関係も肉体関係も全くない人などいないだろう。同性愛者は恋人の存在を隠さなければならない。もしも関係が破綻して恨みを持った元恋人に裏切られたらどうなるだろうか?

極秘情報を持つ軍の上層部の人間が同性愛者であることを他国のスパイに知られたらどうなる?

こういう悪法は国家防衛にも悪影響及ぼす。

バラク・オバマも同性愛者軍隊勤務合法化を公約して大統領になったが、クリントンの時と同じスケルトン議員が断固として引かない姿勢をしめしている。オバマにはクリントン異常の根性があるだろうか?

私にはかなり疑わしいのだが。

January 17, 2010, 現時間 8:17 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 13, 2010

差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる

フェミニズム , 同性婚

カリフォルニアの同性結婚裁判について私のエントリーに反論しているnodadaなるサイトがあり(以前に腐男子とか言ってた人と同一人物かな?)はてなのブックマークでも似たようなコメントが多かったので、この人のエントリーをサンプルに個人主義と団体主義の違いについて考えてみたいと思う。前後の関係が解らない人は先ずこちらこちらを読んでいただきたい。

ちょっと背景を説明すると、カリフォルニアでは去年、結婚は一夫一婦制のみの間でされるべきという法律が州民投票によって通ったのだが、それに異論を唱えた同性結婚支持派が州を訴え、そういう一夫一婦制法はカリフォルニアの憲法に違反するという理由で訴えを起こした。カリフォルニア最高裁が違憲であるという裁断を下したため、州民は今度はカリフォルニアの憲法そのものを改正し、一夫一婦制を合憲とする投票を行い、これでも圧倒的多数で州民の合意を得た。これに関するエントリーは後部に付け加えておくのでご参照のこと。

さて、今回の裁判はこの法律が合衆国の憲法に違反するという理由でカリフォルニア州を相手取って訴えている訳だ。今行われている裁判はまだ連邦裁判所の地方裁判の段階で、ここでは裁判官がかなり同性結婚に同情的であるため、原告側が勝つだろうと思われている。

先の二つのエントリーで、私が強調したかったのは、


  • 同性結婚は州民の過半数が反対し、二回の投票で拒絶されているにも関わらず、同性愛者たちが法廷をつかって一般市民に無理矢理に押し付けようとしようとしていること。

  • しかも原告側の同性結婚支持過激派たちは、弁護側に暴力的な脅迫を与え、弁護チームを解体させようとしていること

である。それで私は先日、

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

と書いたが、それに対してノダダは、

自分の言ってることが 「世の中には同性婚など自分の気に入らない法律を通しただけで同性愛者の安心・生存を脅かす異性愛者がいるんだから、犯罪化されたり殺されたくなかったら異性愛者のいう事を聞いておかないと損だぞ。少数派で下級市民のくせにヘーコラせず異性愛者を怒らすと怖いんだぞ。だから俺の言う事聞けよコラ。あ、でも実行犯は俺じゃないよ、他の人。俺は事実を教えてあげてる善人だからヨロピク。皆のためだから(はぁと)」 といった話でしかない事になぜ気づけないかなー。まんまヤクザの言い分ですよね。 「私はそれがいいことだとはひとつも書いていない」と言うけれど、異性愛者と同・両性愛者(もっと言えば非異性愛者)との不当な権力差を自明視(他人事として放置)しておきながら、「自衛のためだ、黙っておけ」と言うのはヒドく暴力的だし、それ自体がマジョリティによる差別的支配。

と彼の勝手な解釈をしている。

私は同性結婚支持派が多数派の合意を求めるための運動をするというのであれば特に異論はない。問題なのは支持派の州民投票の結果を無視した理不尽な訴訟や恐喝といった違法行為なのである。前回も書いたように、もしも支持派の主張が州民一般にも納得され、選挙で同性結婚が合法ということになるのであれば、私個人がどう思っていようとそれはそれで問題はない。

(だいたい、異性間の一夫一妻制婚姻を認めるならモノガミーな同性婚を認めない正当な理由はないのに、一体どうして自分の主張が差別でないと言えるのか不思議) つーか、お前の頭の中にはそんな差別主義な異性愛者しかいねーのかよ、ていう。

一旦同性結婚を許せば、『何故モノガミー(一対一)に限定するのだ?何故ポリガミー(一夫多妻制度)はいけないのだ?』という議論に発展して結婚そのものの意味がなくなるから駄目なのだ。私が何故同性結婚に反対なのかという話はすでに詳細に渡って書いているので、そのリンクも後部に張っておくから興味のある方は後部をご参照のこと。
 

彼女がいう、過激派の暴力による「威嚇」の事実がいかなものか知らないんだけど、もしも本当に「同性愛者が同性愛者というだけで差別されることに反対」するなら、「同性愛者の平等(というか性的指向に関する差別の是正)を訴えることや、一部の過激派がいることで差別的行動に出る異性愛者がいても、私はそれに反対する」と主張するのが論理一貫してると思います。ソドミー法のような性行為の犯罪化も、同性婚規制も、どちらも(同性愛者を狙った同性愛者以外も被害を被る)同様な差別のはずなので。

このことについて、私はコメント欄でこのように返答した。

一部過激派の悪行を指摘しているだけなのに、私が同性愛者全体を嫌っているというふうに解釈するのは、一部過激派の悪行のために同性愛者全体を悪者扱いする同性愛差別者と全く同じ思想だと思うね。

  しかし、ノダダは
↑むなしいほど伝わらないね。

と返答している。何故伝わらないのだろうか?

それはノダダも同性愛者差別者も、人を個人として扱わず、何かの団体に所属している人という全体主義で扱っているからである。

私をイスラモフォビアとか呼んだ奴らも同じ部類だが、私が一部のイスラム教過激派の悪行を指摘すると、私がイスラム教全体を批判していると解釈する。なんでもかんでも一事が万事なのである。個人個人の差など無視。常に全体でしか考えられない。

そういう考えで迷惑を被るのは無関係なのに同類だと思われる人々だ。

同性愛者だからといって同性結婚を支持しているとは限らない。ましてや意味のない訴訟を起こしたり反対派に暴力をふるったりする行為など許せないと感じている同性愛者はいくらもいるだろう。しかし過激派の違法行為がひどくなればなるほど、すでに個人と団体の区別がついていない人たちの間で、「軒先貸して母屋取られる」じゃないが、「下手に出ればつけあがってからに」と忌々しく思う人たちも出てくるだろうと私は言っているのだ。

じゃあ、同性愛者たちはそれが怖くて沈黙を守らなければならないのかと言えば、無論そうではない。同性愛者たちは社会の法律を守り、多数派の意図も尊重したうえで(選挙の結果を尊重すると言う意味)地道に自分らの信じる道徳を説けばいいのだ。

繰り返すが、文明社会では少数民族を少数だというだけで迫害することは許されない。少数派が社会の秩序を乱さない限り、多数派が少数派を弾圧したり差別したりすることは出来ないのである。だが、少数派が弱い立場にあることは事実なのであり、多数派に差別や弾圧の口実を与えるような違法行為は取るべきではない、というのが私の主旨だ。

それでも私が同性愛者に対して差別意識があると感じるのは、ノダダ自身が個人と団体の区別がつかない差別者であるゆえである。


関連記事

カリフォルニアにおける同性結婚裁判の背景:

カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日

私が同性結婚に反対な理由:
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2

January 13, 2010, 現時間 7:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 10, 2010

自己責任説より強姦への無理解を攻撃すべき

フェミニズム

一連の自衛は自己責任かという話題について、カカシが特に書いてこなかった二次被害について、今日はきちんと私の意見を表明しておきたいと思う。

私は最終的には個々が自分の身を守るしかないと思っているが、それは決して、回りが協力する必要はない、とか、警察や行政には何の責任もないというかいう意味ではない。ましてや被害者が自衛対策を取っていなかったという理由で、強姦のような極悪犯罪を犯す人間の罪が軽くなるべきだなどとは思いも寄らない。被害者の防犯対策と加害者の罪はまるで別である。

以前にも書いたが、私も二次被害は経験している。アメリカは強姦被害者に対する偏見が日本ほどはひどくないとはいうものの、それでも私が被害を受けた1980年代では、まだまだ警察官や検察官らの間ですらも被害者に対する心遣いというものがほとんど見られなかった。ましてや世間一般の男性の間では強姦に関する理解度はゼロに近かったと言っていい。

先ず第一に、強姦事件の事情聴取をする警察官が男性であること。被害者が男性であれば別だが、女性の被害者が警察官に屈辱的な攻撃の詳細を事細かく話さなければならないことがどれほどつらいか、ましてや見ず知らずの男性にその話をするのは、それだけ考えても告訴などしたくなくなる。

それに加えて警察官に「あんたがだらしないからだ」とか「あんたがふしだらな女だからだ」といった批判的な態度を取られたら、気の弱いひとなら、ここで終わりだ。

私の場合は強姦が起きたことすら信じてもらえず、同居していた恋人に浮気がバレたので強姦話をでっちあげたのだろうと、事情聴取をした検察官から面と向かって言われて裁判にもならなかった。

性的には結構オープンなアメリカですらこれだから、保守的な日本の場合はもっとひどいのだろう。

よしんば裁判に持って行く事が出来たとしても、弁護側が被害者の生活習慣や自衛対策を弁護に使うことを裁判長が許可したりすれば、ここでも被害者は彼女の人生そのものを吟味される。アメリカでも昔の強姦裁判では、女性がそれまでに何人の男性と性交渉があったかなどという意味のない話題が持ち出され、被害者が屈辱的な思いをすることがよくあった。これではいったいどちらが裁かれているのかわからない。

私は断固そのようなシステムには反対だ。被害者の態度や生活習慣と加害者の罪とどういう関係があるというのだ?そんなことが本当に弁護の議論として許可されているのだとしたら、日本の裁判制度には非常に深刻な問題があるといえる。

しかし、こうした二次被害があるからといって、被害者の自己責任を説いてはならないという理屈はおかしい。自分を危険な場所や状況に置かない責任は誰にでもある。親が子供に知らない人に着いて行ってはいけません、と普段から教育しておく責任があるのも、子供を犯罪者の手から守る最小限の自衛だろう。

ここで問題にしなければならないのは、個人には自衛の自己責任があるからといって、強姦の罪が加害者ではなく被害者にあるという考え方である。以前に私が例に出したオーストラリアのイスラム教イマームなどは、集団強姦にあったオーストラリア人の女性に向かって、「(ブルカ)を被っていない女は布の被っていない肉と同じ。」と宣言し、だから男たちが強姦したくなって当然なのであり、強姦加害者に罪はないという発言をして多大なる批難を浴びた。

今回の曾野綾子のエッセーに対する反応は、まるで曾野綾子がこのイマームのようなことを言ったかのような反応だ。ま、曾野もイスラム教の習慣を良い例として出しているので、批難される要素が全くなかったとは言えないが。

二次被害を避けるためには、自己責任説を攻撃するのではなく、加害者への容認や寛容性を攻撃すべきだ。自己責任説の攻撃に精力を注ぐよりも、強姦とはいったいどのように極悪な犯罪であるのか、本質への理解度を高めることが先決だと思う。

確かに「自衛をしていない女は強姦されて当然」などと平気で言うけしからん奴も居るだろう。だからといってナイーブかもしれないが「こうしたら犯罪が防げるのではないか」と善意で言っている人々を一緒くたにして、だから自衛の自己責任を説くべきではない、としてしまうのは、今後被害にあうかもしれない人たちに対して無責任過ぎる。

自己責任説と二次被害とは別の話だ。二次被害は自己責任説から来るのではなく、「だから加害者は悪くない」という極悪な犯罪への無理解から起きるのである。何度も言うが強姦はセックスではない。これは暴力的な極悪犯罪である。

防犯設備のついていない家に泥棒がはいったからといって泥棒の罪は軽くならない。それなら何故強姦被害者だけがその自衛責任を追ってすべての罪をかぶらなければならないのだ?

そこに焦点をあてて問題を追求すべきなのではないか?

自衛論否定者はそこでピントがずれてしまっていると思う。

January 10, 2010, 現時間 9:31 PM | コメント (9) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

カリフォルニア、弁護人を脅迫する同性愛者たちの暴挙

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化

カリフォルニアでは今、前回の選挙で設立された、一夫一婦制のみが合法な結婚である、という州憲法改正が連邦憲法に反するという理由で訴訟を起こしており、その第一審議が明日から始まる。

ご存知のようにアメリカは連邦制なので、結婚制度も州によってまちまちである。だが慣例として他の州での結婚も合法として認めるのが普通だ。しかし、最近同性愛者たちの活発な活動によって、州によっては同性結婚を認めるところも出て来ているため、既存の法律のままでは同性結婚も認めざる負えなくなる。

そこで、たとえ他の州で合法的に結婚した同性夫婦であっても、カリフォルニア州ではその結婚が合法であるとは認めないという法律が州民投票によって設立されたわけだ。

その市民の意志を踏みにじるべく、カリフォルニアの同性愛活動家たちが、州を相手取って訴訟を起こした。問題なのは州の司法局もシュワッツルネッガー知事も、この訴訟に対して弁護を行わないという姿勢を明らかにしたため、先の憲法改正案を提案した6人が州代表として弁護人に立つということになった。

ところが、同性結婚に同情的な裁判官は、裁判の模様をYouTubeで逐一放映すると発表した。

過去にも同性愛活動家たちは暴力を使って同性結婚反対派を威嚇していたが、YouTubeなどで大々的に裁判の模様が公開されれば、弁護人や証人らの顔や名前が知れ渡ってその嫌がらせも攻撃も一層激しくなる恐れがある。

すでに弁護側の一人がその可能性を恐れて弁護チームから外してもらいたいと申請するほどになってしまった。

この人はハクシング・ウィリアム・タム(Hak-Shing William Tam)さんという人で、先の法案に関連するという理由で、過去にも命をねらう脅迫状を受け取ったり、家屋を破損されたり、道ばたで嫌がらせを受けたりしたことがあったという。今回弁護人になり、自分がもっと公になることで自分や家族への暴力攻撃が増えるのを恐れているという。

今回の裁判では同性愛者側が勝つことが予測されているが、その後弁護側が控訴し、裁判は連邦の最高裁判所まで行くであろう。そうなれば同性愛結婚は完全に違法となることは解りきっている。

だが、それには時間がかかり、その間にカリフォルニアでは同性愛結婚が合法となってしまうため、同性結婚の急増がおこる。後になって同性結婚が違法となって合法だった時の結婚を無効にするとなると、またまた問題が起こる。

連邦最高裁で、一夫一婦制のみを合法な結婚とすることは憲法違反ではない、という判断がされれば、全国の州でカリフォルニアのような憲法改正案が通り、すでに裁判所が強制的に同性結婚を合法とした州以外で同性結婚が認められることはなくなる。

私は結果ははっきりしていると思う。ただ、そこへ行き着くまでには何年もかかり、その間に同性愛者と一般市民とのあいだで激しく癒されない傷が生まれるはずだ。

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

同性愛は違法であるというような古くさい法律を取り除くことには賛成だった人々の間ですら、同性愛者は権利を与えれば与えるほど態度がでかくなって人々の平和を脅かすと思われたら、これまで得たせっかくの権利を台無しにしてしまう恐れがある。

私には同性愛主義の友達が結構いる。個人的に私は彼らに恨みもつらみもないどころか好意を持っているし、彼らが同性愛者であるというだけで差別されるべきではないと考える。しかし、同性愛活動家のあまりにも理不尽で傲慢な態度を見せつけられるにつれ、やはり同性愛や違法にしておくべきだったのではないか、と普段は同性愛者に同情的な人のこころも揺らぐのではないだろうか?

追記:結構このエントリーにも反響があるみたいなので、下記に関連記事を掲載しておこう。コメンターの意見が典型だとしたら、卒倒おこす可能性あり。ご自分達の責任で読んでいただきたい。

カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
マサチューセッツの同性結婚を導いた夫婦が離婚

January 10, 2010, 現時間 2:38 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 9, 2010

イギリス:自衛否定が行き過ぎるとこうなるという例

アメリカの銃規制/銃砲取り締まり法 , フェミニズム , ヨーロッパ

以前から人権擁護法などを設立して個人の自由を奪いつつある英国で、偶然なことに自衛問題に関する事件があったのでご紹介しよう。

マイリーン・クラスさん(31歳)は、イギリスでは人気者の女性タレント、元歌手で今はテレビの司会やモデルなどの仕事をしている。先日、彼女が2歳になる娘と一緒と二人きりで居た時、自宅の台所で料理中、十代の青年二人が彼女の家の庭に入って来て、台所から侵入しようとしたため、クラスさんは持っていた包丁を振り回して侵入者を追い払った。

青年二人が逃げた後で警察を呼んだクラスさんは、警察官から刃物を振り回すのは「凶器を使った」行為で違法かもしれないと警告されたという。自分の家に居てもである!

これがアメリカだったら、家主が青年二人を撃ち殺しても場合によっては罪に問われない可能性は多いにある。

イギリスではこういう恐ろしい話がいくらもある。家主が強盗と格闘の末取り押さえた後、警察は強盗を処罰せず、家主を過剰防衛で逮捕。強盗を証人にするなんてことが起きているのだ。信じられない事だが、英国では自己防衛は違法なのである。

自衛は否定しないが、自衛に関する議論は否定するなどという言っている人々の意見が行政に反映されれば、上記のようなことは日本でもアメリカでも起きうる。

みなさん、充分にご注意されたし。

追記:イギリスでも昔は銃砲所持は合法だったが、1950年頃全面的に違法になった。以来イギリスでは凶悪犯罪が激増。しかしその度に自己防衛への規制が厳しくなるだけで、防犯対策はほとんどされていないというのが現状。銃砲所持が合法のアメリカでは、どうなのか、現状は下記のエントリーをご参照のこと。

銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2

追記 2:同じことを繰り返して別のエントリーを書くとこの話に興味のない読者を失うので、追記として書かせてもらう。

私への批判をするコメントは大きく分けて次の三つ。

  1. そんな話してんじゃねんだよ、勘違いもはなはだしい、外野はすっこんでろ。
  2. 正当防衛とか過剰防衛なんて話がなんで自衛論に関係あんだよ?
  3. 藁人形議論:俺たちは自衛を否定してんじゃなくて、自衛論を否定してんだよ、まだわかんねえのかよ。

私の話てることが、批判者の話している事と違うのであれば、無関係なエントリーにコメントなどしないで無視すればいいだけの話。そちらこそ外野である。

正当防衛が行き過ぎれば過剰防衛になる。どこまでが正当でどこからが過剰なのか、それは個人にどれだけの防衛権利があるのかということで決まって来る。防犯は警察の仕事であり個人にその責任がないという考えが大きければ大きいほど正当防衛の幅は狭まる。それが行き過ぎればどんな自衛も違法だということになってしまう。英国の例がそれだ。自衛は個人の責任かどうかという話において、過剰防衛規制は多いに関係がある。

個人の自衛責任を唱えてはいけないという考えは、自衛そのものを否定していることと実質的には変わりはないと言ったはずだ。藁人形論というのは、自分が答えやすい問題提議をしてそれをなぎ倒すやり方を言う。コメンター達は自衛否定は藁人形だと言いたいらしいが、何度も言うように自衛論否定=自衛否定である。よって私の書いていることは藁人形論ではない。

January 9, 2010, 現時間 8:14 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由

ネット戦争 , フェミニズム , 左右思想

コメンターのBoyFridayさんも指摘しているように、一連の自衛論争で自衛(論)を否定する人たちの根底には左翼リベラルの匂いが漂っている。もし、読者のなかで被害者の気持ちをさらに傷つけたくないという理由で自衛論否定を支持している人がいるならば、はっきり言わせてもらう。あなた方は左翼リベラルの嘘にたぶらかされていると。

誰が投票して選んだわけでもないのに、勝手に被害者の代表だの女性の味方だのを気取って、個々の女性に出来る効果的な自衛を否定する奴らの本心は、女性救済でも女性の地位向上でもない。彼女達の本当の目的は自分らの運動家としての社会的地位を向上させ、左翼の社会主義を促進することにある。

もし、彼女達の本当の目的が女性を救うことにあるのであれば、これ以上女性が強姦魔の被害に合わないような効果的な方法に耳を傾けず、自衛など役に立たないといって最初から自衛の効果を過小評価したり、自衛に関する議論を弾圧しようなどとするはずがない。

彼女たちは「君らの語るような自衛は誰もが実践していることで、今更指摘されるまでもない。」とは言っても、それでは、「もっと効果的な自衛方法を議論し合おうではないか」という提案は絶対にしない。それどころか自衛について議論すること自体が有害だとして、議論そのものを止めさせようと必死だ。

どうして彼女たちはこれほどまでして、個人による自衛行為を否定するのであろうか?

お断り:カカシは『自衛を否定しているのではなく、自衛を説くことによる被害者への攻撃を否定している』という理屈は認めない。私は自衛論が被害者を傷つけるという前提そのものを受け入れない。自衛は認めるが自衛に関する議論は認めないなどという、左翼リベラルの言論規制に従う気持ちも毛頭ないのであしからず。

社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。

アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。

左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。

今なら、自分も犯罪の被害者だったから被害者の気持ちが解るといって、あたかも女性代表みたいな顔をしていられるが、そんな奴らを頼りにしなくてもいくらも防犯方法があるなどと一般市民に知られたらそうはいかない。

女性の気持ちを傷つけることになるから、なんてのは一般の心優しい読者をたぶらかせて自衛論を弾圧するための口実に過ぎない。

犯罪の被害者の気持ちを傷つけてしまうかもしれないと思って自衛を語るのを控えている読者の方々に申し上げる。こんな奴らに遠慮する必要はない。

だいたい外野は黙ってろとかいう奴らに聞きたい、いったい誰が内野だとか外野だとか決めたんだよ。誰があんたらを自衛討論の議長に選んだんだよ、とね。被害者だというだけでそういう権威があるというなら、カカシも被害者のひとりとして、自己防衛を否定するなどけしからん、自衛論の討論は奨励すべきだと主張したら、彼女たちはどうするんだろうね?

January 9, 2010, 現時間 2:56 AM | コメント (3) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 6, 2010

六割以上の強姦被害者が自衛は役に立ったと回答、自衛否定論こそ有害である!

アメリカの銃規制/銃砲取り締まり法 , フェミニズム

自衛は役に立たないとか害あって益無しとか言って自衛を否定する人々の意見とは裏腹に、強姦の被害にあった際、自衛は非常に効果的であるという非常に興味深い統計があるので紹介しておく。

これはアメリカの2006年の犯罪統計のまとめで、英語ではthe 2006 National Crime Victimization Surveyという報告書。

そのなかで、特に強姦の被害者として実際に襲われた時点で何らかの自己防衛手段を使って抵抗した人(銃や刃物などの武器を使わず、声を張り上げた、逃げた、蹴った、殴ったといったような)に、その自衛は役に立ったかどうかという質問をした時、役に立ったと答えた人が63.8%も居たという。反対にかえって状況を悪化させたと答えた人は13.8%、状況は好転もしたが悪化もしたと答えた人は1.9%。どちらとも言えないと答えたのが12.7%、わからないと答えたの人が17.8%だった。

襲われたら最後、どんな抵抗をしても無駄だとか、自衛は害あって益無し、なんて何の根拠もないのに口から出任せを言う人のいうことを信用して、実際に襲われた際に全く無抵抗で相手の言われるままになるのは、安全どころか非常に危険だ。自衛否定論は、逃げられるかもしれない状況をあえて否定してしまっていることで、非常に有害である。

ところで、自衛は否定しないが自衛論は否定するとはどういう意味だ? 「自衛をしない人間は強姦されて当然だ」という論を自衛論だと勝手に定義づけているなら、今すぐ止めてもらいたいものだ。話がややこしくなる。

アップデート:

下記のコメントで圧倒的多数意見は、『「自衛」を否定したのではなく、「自衛論」を否定しているだけだ、お前は読解力ないな! 』というものだ。

しかし『自衛は個人の責任であり、効果的である』という論説は、被害者を傷つけるだけで有益無害であるから、自衛の大切ささえ説いては行けないという理論は、結果的には自衛を否定することになる。自衛論を悪用する馬鹿がいるから自衛論そのものを弾圧しようという行為は自衛否定と全く同じ行為だ。

相手が自分と意見が異なるのは、相手が自分のいってることを理解できていないからだ、という考え方は自衛否定派たちの傲慢さを物語る。彼らのやっていることは実質的には自衛否定なのだ。彼ら自身がそれに気づいているから、「自衛は限られていて役に立たない」と何百回も言ってたくせに、自衛の効果をはっきり提示されると「自衛否定など最初からしていない。」という敗北宣言となるわけだ。

アップデート2:

私が自衛(論)否定者たちの言ってることを理解できずに自衛を奨励している、と決めつける人が非常に多いのでもう一度言う。私は自衛否定者と自衛論否定者を混同してなどいない。「自衛否定ではなく自衛論否定をしているのだ」という当人が繰り返し「自衛は役にたたない」と書いているのを私は何度も読んだ。

自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、フランチェス子の日記

フランチェスコは「自衛を説くことは有害」だと断言している。自衛は否定しないが自衛を説くことは否定するなんてのは屁理屈もいいとこだ。

「自衛」を主張したって無意味です。 本当に、狙われたら最後、逃れようがないのです。 (略) 性犯罪以外にも、ひったくりや強盗もあるし、自衛は大切です。 そんなのはわかっています。 はっきり言います。誰だって自衛はしているのです。 女性は誰でもしている、ものごころついた頃からしているのです。 私も今でもしています。ずっと。

それでも、被害に遭うのです。
自衛しているにしろ、していないにしろ、被害に遭うのです。
狙われたら最後、防ぎようがない。あなたは悪くない

「自衛は大切です」といいながら、自衛などしても強姦は「防ぎようがない」と自衛の効果を否定している。これは自衛は役にも立たないと言っているのと全く同じだ。

ところで今気がついたのだが、二人とも『「自衛論」を説く人は、』とか『「自衛論」を主張しても』とは書かかずに、どちらもそれぞれ『「自衛」を説くひと』、『「自衛」を主張しても』と書いている。二人とも自衛も自衛論も同じ意味で使っている。

はっきり言って、自衛論否定は自衛否定と同じである。自衛論とは、自衛に関する個人責任を追求する論理であり、自己責任の追求は被害者を傷つけることになるからすべきではない、という考えは自衛の責任は個人にはないと言っているのと同じだ。

自衛の自己責任を否定するということは自衛を否定しているのと実質上なんの変わりもない。しかも、自衛に関する話をする事自体いけないということになるなら、人が自衛の方法を学ぶ事を否定しているのであり、自衛否定以外のなにものでもない。自衛に必要な情報や議論を弾圧しておいて、「なにも、自衛をするなとはいってない」など、よくも平気な顔して言えるものだと思う。

私は自衛(論)否定者の言っていることを誤解して批難しているのではない。私は自衛(論)否定者たちの言っていることを100%理解した上で批難しているのだ!

いい加減、ちゃんと読めよ。

追記: 日本では現実的ではないが、アメリカでは一般市民の所持する銃砲によって凶悪な犯罪が阻止された例がいくつもあるので、それについても紹介しておこう。銃砲による自衛は、一個人による防衛がどれだけ役に立つかという究極な例といえる。下記は私が二年くらい前に書いたエントリーからのリンク:

銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2

January 6, 2010, 現時間 10:26 PM | コメント (7) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 4, 2010

被害者だからって自衛論を否定する権限があるのか?

フェミニズム

私は911事件で家族を失った人や、イラクやアフガニスタンで息子や夫や妻を失ったという人が、あたかも自分が対テロ政策の専門家になったような口を聞くのにはかなり頭にきていた。自分が被害者だからとか当事者だからというだけで、突然その人間がテロの専門家になれるという意識が理解できない。同じように、自分が犯罪の被害者になったことがあるというだけで、突然犯罪学の専門家にでもなったつもりで「自衛論を説くな」とか命令する輩には、はっきり言って私は非常な憤りを感じる。

あんたら、何様のつもりよ?あんたらのくだらない犯罪論のせいで、防げるかもしれない被害が防げずに、被害に合わなくてもいい人が被害にあったら、どういう責任をとってくれるわけ?

自衛論は被害者を傷つけるって?セカンドレイプだって?何を根拠にそんないい加減なことをいってるわけ?

こういうことを言う人たちってのは、自衛は個人に責任があるという主張をすると、「それみろ、薄着をしている女が悪いんだ、ミニスカートで男を誘惑する女のせいなのだ、俺がわるいんじゃない。」と思って、極普通の男が突然強姦魔に変身するとでも言うのか?そうだとしたら、それこそ神話じゃないか?

普通の男は女性を強姦したいなんて想っていない。普通の男は、たとえどれだけ性欲を感じても、女性の意志に反した乱暴なことをしたいなどとは考えていない。何故なら好意をもっている女性に嫌われたい男性なんていないからだ。

女性の意志を無視して、いや、あえて嫌がる女性を無理矢理自分の支配下に起きたいなんて想ってる男は元々変態なのだ。そんな奴は自衛論の是非になど興味はない。そういう奴の犯行を阻止することが出来るのは、奴が奴の欲望を実行に移すことを困難にする状況をつくることであり、終局的には当の被害者となりうる女性の手にかかっている。

自衛を唱えると、実際に被害にあった人が裁判の際に「自衛をしていなかったからいけないんだ。」と責められる可能性があるからすべきではない。という人に対しては、私はよくアメリカで言われる「6人に運ばれるより、12人に裁かれることを選ぶ」ということわざの方を選ぶね。

つまり、自分の身を守るために加害者を殺したとして、殺人罪で裁判にかけられ12人の陪審員に裁かれたとしても、死んで6人に棺桶を担がれるよりはまし、という意味。

悪いけどね、被害者にとっては、強姦された後の裁判で犯人が有罪になろうがどうなろうが、強姦されたっていう事実を変えることは出来ない訳でしょうが。そんなことより、強姦されないように気をつける方が先決じゃないの?

私は自衛論否定者の言う事を読むにつれて、この人たちは被害者の気持ちとかなんとか言う割には、本当は被害者のことなんか本気で考えてなないんじゃないかという気がしてくる。本気で被害者を減らしたいなら、なるべく多くの女性に効果的な自己防衛のやり方を教えるべきだ。被害者なら自分の体験を生かして他人が同じ目にあわないように色々教えるてあげるべきだ。被害者に被害にあわないような自衛論を説くな、なんて馬鹿なことを言えるはずがない。

とおもうんだけどね。

アップデート:

私がフランチェスコさんの書いてることをきちんと読めてないという指摘があったので、具体的にひとつひとつの点を分析させてもらう。

自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、

女性の夜の一人歩きは避けましょうとは、口を酸っぱくして言われていることなのに、まだまだ夜道の一人歩きをして襲われる女性が後を絶たない。あきらかにそんな「自衛はすでに皆やっている」という供述は誤りである。

夜道を一人歩きしないことが「現実に全く即してない」生活をしている人は、その生活を見直す必要がある。職場が遠過ぎるなら引っ越すとか、職場の従業員や雇用主も含めた人々で相談して、夜遅く徒歩で帰る従業員の送り迎えなどを考え直すことをお勧めする。

被害に遭うのは自衛がたりなかったからだという間違った認識を人々に植え付け、被害者を傷つけ、萎縮させ、黙らせてしまう。これはセカンドレイプであり、このような二次加害は、性被害をうけうるすべての男女を抑圧しつづけ、未来の被害者をもあらか傷つけている。

被害者がセカンドレイプで傷つかないようにするには、被害者の届けを扱う警察や病院や相談所などの人々が被害者に対しての心遣いをどうするか、というきちんとした教育を受けることが大切だ。自衛論を否定する暇があったら、そういう人々への理解を求める運動に力を入れてはどうなのだろうか?

自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分さえ守れないだろう非力な人間の「ぼくのかんがえた自衛」など有害無益。「自衛を説くのが無意味だとおもわない」という人は、舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われても、絶対に無傷(襲われてる時点で無傷じゃないから無理なはなしだけれど)でいられる方法とか、もしくは性犯罪者を事前に見分ける方法、性犯罪者と出会わないようにする方法をおしえてください。もちろんふつうに日常生活をおくりながら、です。それならきいてやってもいいわー。よろしくね。

「自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分」では試してみた事もないのに、役に立たないと決めつけて、自衛を否定する事こそ有害無益。こういうのはハイジャックされたらおとなしく犯人のいいなりになっていなさいと言う人と同じ。この間の航空機爆破未遂事件でも乗客の「自衛」が300人以上の人々の命を救った。

公共の場所で襲われる人というのは、攻撃者からみて弱者に見える場合が多い。だから襲った場合に面倒な抵抗をしそうな人間は犯罪の被害者にはなりにくい。常に自分の回りの環境に注意を払う人、歩いている時に目的を持って歩いている人、武器をもっていそうな人などがそれだ。

また、性犯罪者を事前に見分ける方法とまではいかないが、怪しげな行動をする人を見抜く方法というのはある。これは警察官や警備員が常に受けている訓練と同じだ。個人だけでなく、隣近所の人々が、公園で一人で子供の遊びを見ている変な男がいたら、話しかけてみるとか、近所に見慣れない人がいたら、挨拶をしてみる、というだけでも犯罪者を遠ざける役に立つ。

万全の注意をしていても100%防犯が可能とは言えない。しかし、少しでも被害を少なくする事が出来るのであれば努力する価値はある。100%の効力がないから全く努力は無駄というのはあまりにも極端な考えだ。

っていうかそんなことより、身近な人が被害に遭った際、二次加害を加えないための注意事項(有害無益な「ぼくのかんがえた自衛」を説くな、もそのひとつ)や、ウェブで不特定多数の被害者を傷つけないための配慮のがよほど重要だとおもうんだけれども、なぜかそっちにはぜんぜん興味ないみたいで、そこからおのずと透けてみえるものがありますよね。

ウェッブで不特定多数の被害者の気持ちを傷つけない事の方が、今後被害者を増やさないようにすることより大切だという考え方には全くついていけない。私にとって最優先なのはこれ以上の被害者を出さない事だ。人々を犯罪から守ることのが一番大切だ。申し訳ないが私にとって、犠牲者の気持ち云々は二の次である。事件後の被害者への対策は、また別の問題として議論されるべきであり、自衛の是非に関する問題と混合されるべきではない。

正直な話、フランチェスコや他の自衛論否定者には、被害者の数を減らそうということに全然興味がないように思える。そういう行動からは、個々としての女性をあくまでも弱者として留まらせておこういという、なにやら悪どい政治的アジェンダが透けて見える。

January 4, 2010, 現時間 9:42 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 3, 2010

自衛は無意味ではない!

フェミニズム

ちょっと一部でまだ続いている強姦に関する話題だが、「あなたは悪くない」というブログで、『自衛』を主張したって無意味ですというエントリーがあって、そりゃ違うだろ、と思った。

そんな書き方をすると、それこそ「素人は黙ってろ」と言われそうなのだが、犯罪の被害者になったことがなければ防犯について語ってはいけないということはないはずで、自分の経験を生かしたこと以外は語る価値はないというのもかなり傲慢な言い方のような気がする。

と、前置きをした上であえて言わせてもらうなら、カカシは性犯罪の被害生存者である。英語でいうならサバイバーというやつだ、ということを告白しておこう。

信用できると思っていた友人や恋人から「なんで隙を見て逃げなかったんだ?」とか、無理矢理連れて行かれたのに「そんな時間になんで一人で男の部屋にいったりしたんだ?」とか反対に責められた経験もある。届け出た警察でも、屈辱的な犯罪の過程を根掘り葉掘り聞かれた末に、取り調べの刑事から「浮気を隠すために強姦話をでっちあげたんだろう。」と一笑に伏された経験もある。

だから私は完全なる部外者ではない、その私が自衛は大切だといえば多少は重みがあるのではないかと思う。

上記の「あなたは悪くない」のトピ主さんは、自衛を提唱する人は強姦神話を信じているのではないか、という質問をしている。

夜道、一人歩き、見知らぬ人による犯行。 「挑発的」な服装をした被害者が狙われる。

加害者は、性欲が異常な、ごく限られた小数の人間。
ほんの出来心で、“つい”かっとなって性欲が抑えられずに犯行に及ぶ。

よって、彼らの性欲を刺激しないようにすればいい。
と思っているのではないですか?

私はだいたい強姦を「性犯罪」と呼ぶこと自体が間違っていると思う。強姦はセックスではない。強姦は暴力であり冒涜である。強姦魔の動機は性欲云々ではなく、相手を徹底的に支配したいという欲求から来る。だが、そういう奴は決して自分は強くない。自分の力に自信がないからこそ、弱いものを狙うのだ。

トピ主自身も、強姦の被害に合うのは、派手な格好をしている人というより、おとなしそうな人、被害にあっても抵抗しそうにない人、などが狙われると書いているように、加害者は被害者を非常に気をつけて選ぶ。だから、加害者の標的にならないためにはどうすればいいのか、という対策を考えることは無意味ではないはずだ。

私は自分自身の体験から考えて、確かに回りの人から「なぜ〜をしなかった?、なぜ〜をした?」と問われたことは悔しかったが、それでも後になって冷静に考えた時、自分にも出来ることがあったと思える。その時はその術を知らなかっただけだ。

それは決して被害者を責めるとかいうことではなく、実際にそういう立場になった時、犯罪から逃れる術を考えておくことは建設的なことだ。それを「狙われたら最後、逃れる術はない」とか「自衛などで防げるわけがない。」とかいう言い方は、これから被害にあうかもしれない人たちに対して、非常に無責任なアドバイスだと思う。

たとえば、こんなシナリオを想像してもらいたい。

ある若い女性の家に夜10時を過ぎた頃、レストランに勤めていた女友達のA子から電話があって、もうすぐ仕事がひけるから一緒に飲みに行かないかと誘いがある。女友達の同僚でこの女性も顔見知りの男性がおごってくれるとの話であった。

指定の飲み屋に行くと友達はまだ来ておらず、おごってくれるという彼女の同僚の男性が一人で飲んでいた。やってきた女性を見てかれは「A子ちゃんは、まだ仕事が終わらないから先に飲んでてと言ってたよ」と彼女からの伝言を伝えた。しかし20分くらいしても彼女が来ないので、その男性は「電話してくる」と言って席を立った。

戻って来た彼は、「いつ終わるか解らないから先に始めててと言っていた。腹へったから別の場所にいこうぜ。移ってから彼女にまた連絡すればいいから。」と言った。若い女性は彼の車に一人で乗りこんだ。しかし、行き先は別のレストランではなかった。

さて、この話が実話だったとしたら、「あなたは、、、」のトピ主さんが言うように、そんな解りきった自衛など誰でもしていると言う主張は正しいといえるだろうか? 

この女性の行動はちょっと軽卒だと言えないだろうか?

若い女性が夜遅くに飲みに出かけるという行為自体が問題だとは言わないまでも、女友達の同僚という男性のいうことを完全に信用してしまうということには疑問を持つ。

この女性はこの男性とは単なる顔見知り程度の関係。信用出来る相手だと判断する根拠はない。なのに、彼の車に一人で乗ってしまった。後で友達に連絡するという彼の言葉を信用してしまった。いや、それをいうなら、彼は席を立った時、本当に友達に電話したのだろうか? この時、この女性が自分で彼女に電話していたら? いや、彼女が来るのを待ってから場所を変えようと言い張っていたら?

もうお察しがついたと思うが、これはカカシの身に実際に起きた事だ。机上の空論でもなんでもない。私は決して自分が悪かったとは思っていない。加害者が絶対に悪いと思っている。だが、犯罪が起きる前の段階で、それを避ける術はあった。彼の車に乗った後でも、逃げる機会はいくつかあった。しかし私にはそれが解らなかった。相手の男性を怖いと感じながらも、私にはまだ自分が強姦の被害者になりつつあるとは信じられなかった。いや、信じたくなかった。だからおとなくし言いなりになれば傷つけはしないという相手の言葉を信じたりした。

後になって賢くなった私があの時の私に「カカシ、その男には下心があるよ、付いて行っちゃ行けないよ、信じちゃ駄目だよ」とアドバイス出来るものならしたいと思う。無論今となってはそれは無理だ。しかし、同じような目にあいそうな別の若いお嬢さんたちに、そういうアドバイスをしてあげることの何がいけないのだろう?そうすることが何故被害者を責めるということになるのだろうか?

私を襲った男は、最初から私を狙っていた。私の女友達を使って私をおびき寄せた。用意周到に犯罪を計画した悪どい奴である。人間のくずである。

しかし、私がうぶでなかったら、もう少しそういう悪い奴の手管を見抜く術を知っていたら、そいうことを教えてくれる大人が回りに居たら、大事は防げたかもしれない。

トピ主さんは、「考えられる限りの自衛は誰だってしている。」というが、果たしてそうだろうか?

例えば、たとえ刃物や銃器で脅されても、おとなしく攻撃者に付いていったりせず、相手をどついて逃げるとか、運転席に座っている時に運転席側から人が乗って来てカージャックされそうになったら、自分はとっさに助手席側のドアをあけて逃げるとか、普通の人は普段考えているだろうか?

自衛論者のふたつのブロガー(narusasaの日記オタク入門中)に対して上記のトピ主は、「あなたは、性犯罪をなくしたいですか?それとも性犯罪を増やしたいですか?」と問いかけているが、私には自衛を提唱することが性犯罪を増やすことになるとという前提は受け入れられない。

強姦をしようなんていう人間の欲求は相手が自衛をしているかどうかでは変わらない。ただ、自衛をしている人が増えれば犯罪者の行動範囲は限られる。極端な話だが、アメリカでは小銃所持が合法になった地区では強盗や強姦などの犯罪が極端に減ったという例がある。誰が武装しているか解らない場所は犯罪者は避けるからである。

私にはそれが悪いことだとはどうしても思えない。

そこで、酷な言い方かもしれないが、私はあえて彼女にききたい。

あなたは犯罪の犠牲者を減らしたくないのですか?

January 3, 2010, 現時間 2:33 PM | コメント (5) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 31, 2009

机上の空論ではない自衛論、一人旅で気をつけたいこと

フェミニズム

大晦日なのにしつこくて申し訳ないが、今回は個人が簡単に出来る(するべき)自衛についてお話したい。ところで、自衛を唱える人に対して私は理不尽な批判が多くあるように思えてならない。それは、

  1. 自衛を個人に強要しようとしている。

  2. 自衛は個人のみの責任であり社会は関係ないと唱えている

  3. 自衛をしないで被害にあったら自業自得、加害者のせいではないと主張している。

はっきり言って、イスラム教のシャリア法を強制するタリバンじゃあるまいし、女の子のミニスカートは違法にすべきだなどと本気で言う日本人はいないだろう。社会の治安を良くして行く努力が必要なのは当たり前だが、社会が変わるのを待っている余裕はないので、自分たちで出来るところから始めようと言うのが自衛論者たちの姿勢だと思う。第三に至っては馬鹿馬鹿しくて話にならない。

私は自衛論を批判する人に、あなたは出かける時に家の戸締まりはしないんですか?とお聞きしたい。

ところで「自衛論者は我々が自衛をしていないと思っているのか?」と聞く人があった。ここであえて言わせてもらうならば、非常に多くの人が出来る自衛を充分にしていないと私は思う。

これは私自身が犯罪の犠牲者になったことがあるので言えるのだが、自衛というのは、常に考えていないと、何かあった時ではとっさに判断できない。何かあってから「ああ、あの時ああしておけばよかったのに、あんなことをしなければよかったのに」と思うことはよくある。後にして思えば自分が常識的な防犯をしていなかったことに気づき、自分を蹴りたくなることもある。

普段から、こういう場合にはこうしよう、ああしよう、という計画があれば、たとえ犯罪にあっても、被害を最小限に抑えることが出来るというものだ。

私がこれからお話する自衛法は職場で強制的に受けさせられた自衛法セミナーからの受け売りだが、決して机上の空論ではなく、私も常々こころがけているものである。

以前にもお話した通り、カカシは出張が多い。女性のひとり旅は常に危険を伴う。もちろん、これは女性でなくても充分に気をつけるべきことだ。

飛行場:

飛行場のゲートロビーなどで会議前の最後の準備とばかりにおもむろにノートパソコンを開けるのはいいが、回りでどんな人が見ているから解らない。企業秘密や個人情報を含む画面が出るような仕事をするなら、画面が真正面からではなくては見れないようになっているモニターを選び、後ろに誰が座っているかに注意を払う。

携帯電話で重要な話はしない。回りの迷惑も考えず、やたら大声で他人が聞きたくもない話をする人がいるが、誰が聞いているかわからないのだ、人に知られたくない話は厳禁。

送迎バス:

バスの中で見ず知らずの人と、自分が何処から来てどこへ行くのかというような話はしない。ま、飛行機のなかでハワイには休暇で行くとか話す分にはかまわないが、私はどこどこの何と言う会社に勤めていてこのような企画についてる、なんて詳しい話を聞かれもしないのに話す人がいるのには驚く。新婚旅行とか家族旅行ならともかく、一人旅ならこういう話は厳禁。

ホテル

ホテルの場所は繁華街は避ける。たとえ職場から多少遠くても、治安の良さそうな場所を選ぶ。その地域に行った事のある人や、地元の人に相談するとよい。

部屋の位置は、一階、特に外の通りに面している部屋は避ける。外から誰が泊まっているか丸見えになる部屋は駄目。

やたらに自分の部屋番号を人に教えない。信用できる友達や同僚なら別だが、ホテルのロビーなどで大声で「私は203号室よ、あなたは?」とかいう会話はしないこと。誰が聞いているか解らない。

おつきあい

出張先でのお付き合いもほどほどに。酔っぱらって歩けなくなるほど飲まないのは当たり前だが、カカシは勧められると調子に乗るほうなので本当に自重が必要。また、夜の一人歩きは危険なので男性に送ってもらうのは当然。しかし、その男性が送り狼にならないように、部屋には安易に入れないこと。男性がお手洗いを借りたいと言ったらロビーの公衆お手洗いをつかってもらうようにする。(注:自分は普通のおばさんだから、そんなことはあり得ないという油断は禁物。性犯罪の犠牲者は若い女性だけだと思ったら大間違い。)

また、あなたが男性なら安易に女性の部屋に入らない。後でセクハラされたとか言いがかりを付けられる可能性も考える必要がある。

というわけで、今回は誰でもできる一人旅での注意事項を掲載した。このアドバイスを聞くも聞かぬも本人の自由、強制はしない。あなたも大人だ、ご自分のリスクで行動してくださいな。

アップデート:関連することで、女性の一人旅での注意事項を書いている人がいたので、ここでも紹介しておこう。やっぱMITで修士を取ろうなんていう頭のいい人は言う事が違うわ。

海外で一人旅の女性がモテないで済む方法

  1. バー・レストランでは、テーブルの二人席に座る。
  2. 目をあわさない
  3. 目が合っても、愛想笑いしないで普通の表情でいる。
  4. 興味がない人とは頑張って話さない
  5. 間違ってもおごってもらわない

詳しい説明は全文をお読みになることをお勧めする。

December 31, 2009, 現時間 4:14 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 30, 2009

おばさんでもミニスカートは履くよ

フェミニズム

私がひょんなことから口を出した曾野綾子さんの「用心するということ」に関するエントリーを通じて、それに関する意見を色々読ませてもらった。

しかし、いくら自己防衛奨励側が、用心するということは、決して加害者の罪を軽減するという意味ではなく、被害者がどれだけ隙を見せていようと、加害者にそれを悪用する権利はないのだと繰り返しても、反対派はまだ我々が被害者を一方的に責め立てているという歪曲した解釈を変えようとしない。

はっきり言わせてもらうが、家に多々の警備設備を設置してガードマンを何人も配置させている家であろうと、ドアや窓を開けっ放しにしている家であろうと、盗みに入った泥棒の罪は同じである。強姦魔が女性を襲った場合に、その女性が酔っぱらって動けない状態であろうと、正気で攻撃者の顔を引っ掻くくらい暴れられる女性であろうと、強姦という罪の重さに変わりはない。

ところで、曾野綾子のエッセーのなかでも、ミニスカート云々という下りが、かなり顰蹙を買ったようだ。

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

曾野さんがいう、「結果」とは男性の気を引くという結果であり、強姦という結果を期待しているという意味ではないだろう。いくらなんでも曾野さんはそんなことは言ってない。しかし、彼女の批判をしているohnosakikoというブロガーのは、曾野さんの考え方は、保守とか右寄りとかいうことよりも、昭和6年生まれのお嬢さん育ちで、思春期に潔癖性を叩き込まれたという生い立ちに影響されているのではないかと書いている。

「親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。」というエッセイの締めくくりは、まさに思春期に純潔教育を叩き込まれた女性の言い分である。

そういう人の中には、ボディラインを強調したり露出の多い服を着た若い女性が1人でいるところを見れば、すぐさま以下のような連鎖が心の中で起こる人が一定数いるのだろうと思う。()内は件のエッセイより引用。

・男の目を引くじゃないの!ったく今時の女の子は警戒心もなくてお気楽なもんねえ。(最近の日本人は用心することをしない)

  ↓

・私たちの若い頃はそんな勝手なことは許されなかった。そんな格好しようもんなら後ろ指指された。(性的商売をしていると思われても仕方ない)

  ↓

・だからあれは男を誘ってる格好よ、薄々わかってやってるのよ。(その服装は結果を期待しているからだ)

  ↓

・襲われても仕方ないわ。(経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい)

曾野綾子の性道徳のあり方や差別意識の源を「保守だから」「右寄りだから」とする人は多いと思うが、どんな時代をどういう人として生きたかを考えると、話は単にそうした政治的ポジションだけに帰結するものではない気がしている。

ここでちょっとファッシン歴史のおさらいをさせてもらうと、ミニスカートが最初に流行ったのは1960年代、昭和40年代である。いまから50年近くも前なのだ。日本でも当時の芸能人、黛ジュンとか森山加代子とか、いまのミニスカートなんて比べられないほど短いスカートでテレビに出演していた。

それを言うなら、昭和9年生まれの我が母ですら、子供の授業参観日にミニスカートを履いて行って、クラス中の男の子が後ろを向いてしまって授業にならなかったなんてこともあった。(うちのママの脚線美は近所では有名だったのよ。)

つまり、おばさんたちは頭が古いからミニスカートを履く若い女の子たちの気持ちがわからないなんて解釈はナンセンスなのである。今ミニスカートで闊歩しているお嬢さん方のおばあさま方の時代からミニスカートは履かれていたのだから。

ところで、今思い出したのだが、若い頃(1980年代)、当時住んでいたロサンゼルス郊外のある町付近で歩いていたら、突然車が近くによってきて、「〜はいくら?」と聞かれたことがある。〜とは性行為の一つのことだったのだが、うぶな私には一瞬何の事か解らなかった。相手の表情からハッと気がついて急いで家にかえり、家族にその話をしたら、「そんな格好で外を歩いているからだ!」とミニスカートを履いていた私は反対に叱られてしまった。

後で知ったのだが、私が歩いていた大通りは、当時「たちんぼ」の売春婦が多く出没していた場所だったのだ。

私は別にミニスカートを履くなといっているわけではない。かく言う私もこの年でミニスカートもホットパンツも履く。見せられる脚があるなら、見せたっていいじゃん、というのが私の考え。

し、か、し、

そういう格好をするのであれば、時と場所を選ぶ必要がある。

例えば、浜辺でビキニ姿で裸足で歩いているのは別にかまわない。これは普通だ。しかし同じ姿で海岸からひとつ通りを隔てたレストラン街でそういう格好であるくのはどうだろうか?アメリカの海岸近くのレストランで「シャツ無し、靴無し、サービス無し」と書かれた場所が結構あるのも、ここはすでにビーチではない、それなりの格好で来てほしいという意味だ。

曾野さんのエッセーを読んでいても、彼女はミニスカートを履くなとは言っていない。ただ履くのであれば時と場所を考えろと言っているように思える。

今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。

曾野さんは、「日本以外の」と特定しているが、日本でも同じことだ。去年、佐世保の米海軍基地付近のホテルに泊まった時に感じたことがある。それは、ある程度の時間になると、普通の女性の姿が見られなくなり、繁華街を歩いている女性のほとんどが水商売関係の女性になることである。

同じ繁華街でも、新宿あたりで若い男女がコンパの行き帰りに歩いているといった雰囲気とは、まるで違っていた。

特にセーラーアリー(水兵裏道)と呼ばれるあたりの繁華街は、女性では怖くて一人では歩けない。私は二人の男性のエスコート付きだったが、歩いている女性たちの胸もあらわにしたぴちぴちのミニスドレスは、どうみても場末ホステスのコスチュームであり、そういう女性たちは米兵にうれしそうに触られていたし、自分からもべたべたしがみついていた。

そういう商売をしている人なら強姦されてもいいという意味では決してない。だが、そういう商売をする女性なら、よっぱらった水兵たちが、そういう女なら何をされても文句を言わないだろうと勘違いする可能性には充分注意する必要がある。

女性が男性を魅了したいと思うのは自然な感情だ。美しい胸元や脚線美を披露したいと思うのも多いに結構。そういう容姿を持っているならどんどんやっていただいてかまわない。真っ昼間の浜辺ならビキニもショーツも多いに結構。夜遅くボディコンのドレスを着るにしても男性エスコート付きとか、車で送り迎えをしてもらえるパーティ会場やクラブなら全く問題ない。

親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。

というのは、何も戦前生まれの潔癖主義を叩き込まれていない現在でも充分に通用する忠告だと思う。

December 30, 2009, 現時間 1:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 28, 2009

遅ればせながら、曾野綾子さんの「用心すること」エッセーについて

フェミニズム

以前に私が紹介したレフティさんのブログで、女性が強姦魔から自衛する行為を促すのは女性差別なのかという問題が議論されていた話はしたが、その話題の元となったのが曾野綾子さんが産経オピニオンに掲載した「男は獣」という内容のエッセーだったというので、原文を産経のサイトでは探してみたら見つからなかったので、原文を再掲しているこちらの方tyokorataの日記のサイトをリンクさせてもらう。

思った通り、左翼のフェミニストたちが大騒ぎするほどの内容ではない、過激な左翼フェミニストでなければ常識と取れる内容だった。特にミニスカート云々には同調する部分が多い。ま、前置きはともかく、これが原文。

産経新聞 オピニオン 「用心するということ」

外出時間やスカート丈・・・結果に責任

警察が、夜11時以降の公園の立ち入りを禁止するという条例を作ろうとしたら、それは「憲法に違反する」と若者からの突き上げがあった、という。警察は「憲法に違反しません」と言う。警察がこういう防止策を講じようとしたのは、もちろん最近残酷な犯罪が起きているからだろう。

もちろん決定的に悪いのは犯人だが、被害者の遺族の気持ちを考慮せずに言えば、最近の日本人は、用心するということをしない。大学生がアルバイト先から、暗くて自分でも気味が悪いと思うような夜道を歩いて帰る、ということが本来は常識外なのである。

アラブの保守的な国なら、娘たちは、毎朝父か兄かに送り迎えをされて登校する。1人で外出したり、外国へ旅行したりすることは、考えられない。欧米の国でも夜道を1人で女性が歩いたりすることは非常識な行動だと、なぜ日本では教えないのだろう。

今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。
 
基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。

ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。

先日パリのデパートをのぞいたら、果たして最新ファッションが並んでいた。しかし町行く人たちは、保守的で質素な服装ばかりで、私はすこしがっかりしたのだが、

 「午前中から最新ファッションの人なんかで歩きません。そういう人は夜遅くです」
 「ほんとうに最新流行を着こなすお金持ち階級は、車に乗って移動するんです」

という2つの返事で納得させられたのである。

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟のうえでしなさい、と私なら言いそうである。

日本の女学生の制服のスカート丈が短か過ぎるというのは、アメリカ住む中年伯母さんのカカシ自身もずっと感じていたことだ。これは私個人だけの意見ではなく、一緒に日本に出張したアメリカ人の中年女性からも同じ感想を述べられたことがある。また、アメリカ人の同僚の男性から、日本のエロアニメの女の子たちの格好は大げさに描かれていると思っていたが、日本に行って女の子たちがそっくりの格好をしていて驚いたと言われたこともある。

私服なら本人が自主的に着る服だから本人の責任云々を問うのはいいとしても、制服となると、生徒の身の安全を守るべき立場にある学校が、女学生の身を危険にさらすような制服を強制するのは感心しない。

曾野さんが、男尊女卑の最たるアラブの保守的な国の慣習を持ち出すのは不適当だと思うが、夜中に危険な場所で一人歩きをすべきではないというのは常識すぎて議論の余地はない。

私は仕事柄出張が多い。女性が一人で泊まるのだから、宿の手配には男性と違い色々気をつけなければならないことがある。

例えば、ドアが道路に面しているモーテルは厳禁。女性が一人で泊まっていることが外から丸見えだからである。また米軍基地付近はもとより、繁華街にあるホテルも駄目。単にうるさいだけでなく、やたらに歩いていると酔っぱい絡まれる恐れがある。

同僚と一緒に出張していると同じホテルに泊まっていたほうが何かと都合がいい事もあるが、一緒に行く同僚が男性で、特にそういう安全対策に鈍感な人には、私は自分が女性であることを強調し、男性のようにやたらな場所には泊まれないのだということを解ってもらうようにしている。それで駄目なら別々のホテルに泊まるしかない。

また同僚の男性と同じホテルでないほうが、別の意味で都合のいいことも多い。同僚だからといって自分の部屋番号をやたらに男性に教えるのも問題だし。

こうした常識的な自衛は別に女性差別でも何でもない。世の中には悪い奴がいるのであり、常に警察に頼れるとは限らないのだから、自分の身は自分で守ろうという話に過ぎない。

はっきり言って、女性の独立を唱えるはずのフェミニストが自分の操を守る行為を他人任せにすることのほうがおかしくないか?

私は以前に自己防衛のための格闘技教室に行った事がある。アメリカだったので、この教室で防衛のための銃の使いかたも教えてもらった。講師の女性は、学生寮に押し入った強盗に強姦された自分の『ルームメイト』の話をし、彼女は自分も含め他の女性にも犠牲者になってほしくないという気持ちからこの教室を始めたと語っていた。

この教室に参加した女性たちは、自分達が女性差別を受けているなどと考えただろうか?そんな悠長なことが言えるのは、自分が犯罪の被害者になったことがないからではないのか、と反対に問いたくなるのは私だけだろうか?

December 28, 2009, 現時間 8:40 PM | コメント (7) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 21, 2009

自称左翼ブロガーの個人主義に思う

フェミニズム , 左右思想

以前に、カカシからみたらどうしても保守派には見えない、日本の自称保守派ブロガーについて書いたことがあるが、今回は反対にカカシからみてどうしても左翼には見えない自称左翼ブロガーの話をしたいと思う。

このブロガーのハンドル名はその名もまさにLefty(左利き。英字への変換は面倒なので、レフティとカタカナ表示で呼ばせてもらう。

レフティはここ何回かに渡って、女性が強姦魔から身を守るべきだと主張することは女性差別につながるのだろうか、という疑問を投げかけている。

「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」(自衛厨と呼ばれています) VS 「自衛すべきというのは女性差別だ!派」(便宜的に性差別派、とでも言っておきましょうか) です。 「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」の方はこの一行だけで主張のほぼ全ての要点が集約されているのでいいですが、「自衛すべきというのは女性差別だ!派」の方は何と言うか、一言で説明しずらいので、実際に言ってる人の例を挙げときますんで読んでみてください。

(略)

一言で言うのは難しいので二行で言うと、「強姦するのは男で、悪いのは男なのに、なぜ犯罪を避けるように女の方が努力しなければならないのか。これは性差別。」ってことらしいです。

レフティは、女性が強姦魔の性欲を掻き立てるような格好で歩くべきではないとか、独り住まいの女性がいくら顔見知りとはいえ、大して親しくない男性を部屋に案内したりすべきではないとも語っている。

私は無論、レフティの言ってる事は常識だと考える。これは決して犠牲者を責める意味ではなく、世の中には悪い奴がいるのだからで自分の身は自分で守りましょう、という極当たり前の考えから来るものだ。しかしそれが当たり前だと思うのは私が保守派だからであって、現在の左翼としてはレフティのように犯罪防止の責任が社会にあるなどと言わずに、個々の女性にあるなどというのは言語道断な発言である。

下記のコメントを読めばそのことがはっきりする。

気に障るというか、君らの言う「自分の身は自分で守りましょう」って言説は無意味なんだよ。

そんなお題目は、第二次性徴後の女性なら誰でも知ってる。嫌でも周囲から吹き込まれるし、実際に自分やクラスメイトが痴漢の被害にあったりで、否が応でも自分の身体が欲望の対象である事を自覚させられるからな。

性的な面における男と女の生育環境は決定的に違う。
まずこれを理解しろ。

金銭的にも労力の面でも、日常生活の中で持続可能な形で、自分の身の安全をどう守るのかについて、多くの女性は既に考えてるし、悩んでる。

それをお気楽に「自分の身は自分で守りましょう」とか「自衛は大切ですよ!」とか本当に疲れるわ。

だからその先を言ってくれよ。
単なる原則論なら、学校の保健教師で間に合ってる。

>現状で良いとは言って無いと思うんですけど?

なら君は現状に改善の余地有りだと思ってるんだな?
だったら理想を述べるなだなんて安易に人の発言を揶揄すべきじゃない。

現実的に個人で取れる対策に限界がある以上、性犯罪の被害を減らすためには、最終的に治安を良くしていく以外ないだろうが。

個人に「気をつけろ」などと安易な助言をする暇があったら治安向上対策を考えろ、というのは典型的な左翼の言い分であり、左翼なら個人の責任云々よりも社会の責任を問うのは当然だ。だが、実際に地域の治安を良くしたければ政府やお役人や男性社会をあてにするほうがよっぽども無駄だと思うね。それこそ理想論もはなはだしい。と思うのは私が右翼だから。(笑)

他にも、女性が自分で気をつけてないと思うのか、とかレフティのアドバイスは誰もが知ってる事で今更言われるまでもない、といったようなコメントもある。強姦された被害者の気持ちも知らないでこの冷血漢、みたいなことも過去に言われているらしい。

アメリカでも強姦された被害者の行動を問うという行為自体が、「被害者を責める行為」として左翼フェミストなどから抗議が出るので、これらのコメントは別に目新しいものではない。

私は別にここでレフティの言ってる事が女性差別につながるのかどうかという議論に参加したい訳でもなく、レフティのいい分が正しいと弁護したいわけでもない。それよりも私はレフティの議論の根底にある、彼の信念に興味があるのである。

例えば、レフティは強姦は何時いかなる場合でも悪であると断言している。

いついかなる場合においても、加害者が鬼畜な行動を起こさなければそんな悲劇は起きなかったんだから、加害者が100%悪いに決まってる。

当然の話。

双方加害者の交通事故じゃないんだから。

被害者はそんなこと全く望んでいないのに、加害者の一方的な都合で加害者が起こしたことなんだから、加害者が悪い。これ以外の結論はありえない。

それを、
「被害者も20%悪い」なんて言ってると勝手に思いこむから、
「被害者を侮辱する行為」とか「セカンドレイプ」とか「性犯罪者予備軍」とか相手に罵詈雑言を投げつけたくなるんじゃ?

繰り返します。
加害者が悪い。
これ以外の結論はありえない。

そう、保守派ならそう思う。でも左翼は強姦が「何時いかなる場合にも悪い」とは考えていない。これは加害者が有名な映画監督で被害者が13歳の少女だった場合には、少女が監督を誘惑したんだから監督は禁固刑になるべきじゃないなんて本気でいったりする。ポランスキー監督の事件がそれだ。

セクハラだってデイトレイプだって左翼政治家によるものなら罪にならない、と考えるのが左翼。(クリントン元米大統領がそのいい例)

レフティは犯罪の被害者にもそれなりに責任があるとは言っているが、被害者がたとえどんなに隙だらけで不注意な行為をしていたとしても、加害者の悪行が減るとは一言もいっていない。悪行は何時いかなる場合にも悪なのであり、そのことに変わりはない。

私がレフティが左翼とは思えないと言っている理由は、レフティには最近の左翼に見られない信念というものがあるからなのだ。

そして決定的なのはカカシのコメントへのこの返答。

僕も、自分がなぜ左翼を自称しているのかわからなくなってきたんですが、一応、「高福祉社会、機会の平等が理想」だと思ってるからです

高福祉社会は別として、結果の平等ではなく「機会の平等」としているところが、もうすでに現在の左翼からかなりかけ離れた思想だ。これは私が以前に左翼変態フェミニストのエミちゃんとも何度かやり合った時に話したエクイティーフェミニズムにつながる。

つまり、女性にも男性と同じように成功する(そして失敗する)機会を与えるが、女性だからといって特別扱いはしない。人の価値は性別や人種や宗教ではなく、その人個人の能力によって判断されるべき、という個人主義の考え方は昔はどうあれ、今や左翼の信じる思想ではない。

レフティさんが、自分を誇りある左翼と呼びたいのは、多分古い時代の理想的な左翼を念頭においてのことなのだろう。だが残念なことに、現在の左翼は洋の東西を問わずレフティさんのような信念はもちあわせていない。

レフティさんにはお気の毒だが、この際レフティさんは社会の変化と自分の思想との調節をすべきなのではないだろうか?

December 21, 2009, 現時間 12:33 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 27, 2009

左翼の女性虐待に耐えかねて保守派になった元フェミニストの告白

フェミニズム

この間から私はサラ・ペイリンに向けられた左翼からの激しい攻撃について書いて来たが、それと関連して、左翼やリベラル連中のあまりの女性虐待に耐えかねて保守派に考えを変えた元フェミニストのエッセーを読んだので、そのエッセーを読みながら、左翼・リベラルの女性蔑視及び虐待について考えてみたい。

エッセーはAmerican Thinkerというブログでロビンというハンドルネームで書いているカリフォルニア州北部のキャンパスタウン、バークレー在住の心理セラピストの女性。若い女性の多くが、か弱い自分を男性からの強姦や性的虐待から守ってくれるのは民主党だという、間違った先入観をもっている。左翼・リベラルは自分たちの支持する民主党こそが少数派や女性の人権を守る政党なのであり、保守派や保守派が支持する共和党は人種差別や男女差別者のあつまりである、というメージをアメリカに植え付けることに成功してきた。主流メディアが民主党のメッセージを日がな夜がなら報道するのだから、男性からの暴力に怯える若い女性が民主党の甘い言葉に騙されるのも無理はないのかもしれない。

ロビンも大学時代からそういうふうに左翼リベラルに騙されて来た女性だった。

ロビン自身、薄々ではあるがリベラルの偽善には気がついていた。例えば、女性を虐待している男性はロナルド・レーガンのような男性ではなく、差別されているとされる少数民族であったり、フェミニスト運動で一緒に看板を持ってデモ行進に参加してくれたリベラル男性たちも、いざロビンがちんぴらに絡まれても守ってくれなかった。また、リベラル政策は女性を男性の虐待から守るどころか、男性の悪いそぎょうをかえって促進していることにも気がついていた。

その他にも、もっと早くリベラルの偽善をきちんと確認できるヒントはいくらでもあったとロビンは言う。バークレーで出会う極左翼・リベラルの男達は嫌な奴らばかりだったし、どの文化もそれぞれ値打ちがあるという都合のいい思想から、若い娘をおもちゃにするリベラル中年男の話を自分のところに相談にくる女性からいくつも聞かされていたからである。

しかし、ロビンは自分の選んだ政党が間違っているとは認めたくなかった。それで悪い面に気づきながらも見て見ぬ振りをしていたのだという。だが、その彼女でも我慢の出来ないことが起きた。

それは二年前、大統領選挙に出馬したヒラリー・クリントンにライバル側から向けられた執拗なまでの性的な嫌がらせ攻撃であった。

遂に私を目覚めさせたのは去年の初め頃、ヒラリー・クリントンとその支持者達に向けて発せられた「雌犬」「魔女」そして「化け物」といった言葉だった。私は現実に衝撃を受けた。汚らしい言葉使いは保守派から発せられたのではなく、リベラルの男女から発せられたものだったのだ。

保守派女性を長年やってれば、こんなことはショックでも何でもない。左翼・リベラルが女性の味方などではないことは、とうの昔からお見通しだ。保守派の女性達は、ヒラリーが攻撃されるずっと以前からもう何十年も自称フェミニストのリベラルどもからブログ紙面には書けないような侮辱を言われて来たのだ。

確か以前にもそんなことを書いた覚えがあったので、過去ログを探してみたら2007年4月に書いたこんなのがあった

女性ブロガーに性的な嫌がらせコメントを残すのは案外女性である場合が多いようだ。特に左翼女性による右翼女性への攻撃はえげつないものが多い。ドクターヘレンという保守派のブロガーが受けたという嫌がらせの内容をよんでいて、カカシは口をあんぐりとあけてしまった。なぜなら彼女が受けた嫌がらせは私が受けているものとそっくりだったからである。...

ドクターヘレンは左翼のフェミニストブログから、彼女のご主人が大学教授であることから、ミセス教授などと言われたという。女性を配偶者の職業を使って呼びかけるやり方は女性蔑視ではないのかとドクターヘレンは問いかける。そういえば、ミッシェル・マルキンも彼女のコメンタリーは白人の旦那さんが代わりに書いてやってるのではないかなどとコメントをする人がいた。また、私に対しても私の意見は主人の意見の受け売りだと書いた左翼サイトがあった。

ロビンも一旦目が覚めると、左翼・リベラル連中の極端なミソジニー(misogyny女性蔑視もしくは女性嫌い)に気がついたという。

そうなってくると、ポニーテイルで妊娠人工中絶支持のデモ行進に参加している男達は、単にフリーセックスが容易に出来るという自分勝手な理由で参加しているだけであることや、女性の職場進出を喜ぶのも、女性が働けば自分が楽を出来るからに過ぎないということに気がついた。

そしてサラ・ペイリンの登場。私も何度も指摘しているように、左翼からのサラ・ペイリンへの攻撃は半端なものではない。これまでにも頭のいい保守派の女性に対して、左翼から嫌らしい攻撃がなかったわけではないが、ペイリンへの攻撃はこれまでより度を超してひどいものがある。

左翼のペイリンに対する態度はいつも通りの政治とは違う。ペイリンの体型や性生活に焦点をあてることによって、左翼達は彼女を冒涜しているのだ。

彼らは彼女を集団暴行しているのだ。そして彼らのこの行動はホワイトハウスの公認の上でされているのだ。

左翼はペイリンに宣戦布告をした。なぜなら彼女は彼らの存在を脅かすからである。リベラルは女達が彼らに依存し怯え、黒人たちのように、民主党に投票してもらう必要があるのだ。

強く自立心のある女、ペイリンはリベラルの守護を必要としない。アラスカの荒れ野に彼女を置き去りにしても、彼女は問題なく生き残るだろう。ペイリンはリベラルから何も必要としないし求めない。ヘイトクライム法のおだても、彼女が憎悪する人工中絶も。

ペイリンは深く固い信心を持っている。彼女は救世主気取りのオバマの指図など受けない。

だから左翼は彼女を破壊しなければならないのだ。そして彼らはそれを最も悪どいやり方で行っている。彼女を象徴的に強姦するという行為で。

まさしく強姦魔のように、彼らは彼女の身体を物質扱いして、彼女の人間性を否定している。彼らは彼らの目で彼女の衣服をはいでいる。(略)

サラ・ペイリンへの集団暴行で、左翼は本性を表した。か弱きものを守るどころか、左翼は男も女も子供も邪魔になるものはすべてなぎ倒す。希望と変革運動などではなく、憎しみの煮えたぎる釜だ。

左翼の本性が現れているのは、ペイリンに対する攻撃だけではない。ミスユニバースのカリフォルニア代表キャリー・ペリジャンの件をみていても、そのひどさは一目瞭然。

先ず、根拠のない言いがかりでミスカリフォルニアの冠を剥奪されたペリジャンは、ミスユニバースパージェントを相手取って訴訟を起こした。パージェント側も反対にペリジャンを訴えたが、その際に、ペリジャンが豊胸手術を受けていたことなどを公表してペリジャンに恥を掻かせた。しかし裁判は、その後示談となり決着がついたかに見えた。

ところが、示談内容の公開はしない条件付きの示談であったにも関わらず、示談契約署名のインクが乾かないうちから、その内容がひそひそ声で漏れ始めた。無論漏らされた内容はペリジャン側に不利なものばかりなのだから、パージェント側が流していることに先ず間違いはない。だが、内容は公表しないという規制がある以上、ペリジャンはそのことについてテレビのトークショーなどで聞かれても答えることはできない。それを悪用してラリー・キングなるスケベ爺がペリジャンにインタビューをした時、示談の内容についてしつこく質問し、その話はオフリミットのはずだというペリジャンの抗議を、いかにもペリジャンが質問を避けているかのように報道して、またまたペリジャンを侮辱した。

ペリジャンの「トップレス」と称する映像が公表されたが、実際に観てみると、確かにブラはしてないが後ろ向きで背中とパンティーだけのなんともない映像。これだったらお茶の間のテレビドラマで、もっときわどいものがいくらも放映されている。また彼女の「自慰ビデオ」もあるという噂も流されている。それにしたってそんなものが本当に存在するのかどうかはっきりしない。ペリジャンが示談に応じたのはこのビデオのせいだという噂にしても、単にペリジャンを攻撃するデマかもしれない。

単にペリジャンが結婚は一夫一婦制であるべきと主張しただけで、左翼連中は彼女の一生を完全に破壊しようとしているのである。たかがミスコンの参加者を、ここまでして破壊する理由がどこにあるのだ?

だが私は左翼・リベラルによる女性虐待は裏目に出ると思う。左翼・リベラルは自分らが主流ではないということに気がついてない。サラ・ペイリンの新書があっという間にベストセラーになったことでも解るように、五人の子持ちで障害者と解っている子供をあえて生んだ母の鏡ともいえるような女性は、アメリカでは非常に人望が厚いのである。

また同性結婚についても、結婚は一人の男性と一人の女性の間のみで認められるべきという考えはアメリカでは多数意見である。この間の選挙でも非常にリベラルなメイン州で、結婚の一夫一婦制がはっきり確認された事でも解るように、ペリジャンの意見は過激でもなんでもない普通の意見なのだ。その普通の意見を述べただけで、変態中年醜男がその醜い顔をもっとひしゃげてアメリカ代表みたいな美しいキャリーちゃんを冒涜する姿が左翼・リベラルの顔ならば、一般のアメリカ市民もロビンと同じように左翼・リベラルの女性虐待に嫌気がさす可能性は大いにある。

ロビンの言う通り、いまやアメリカの左翼ほど女性を憎み虐待する集団はアメリカに存在しない。どうりで女性虐待主義の過激派イスラム教テロリストたちと気が合う訳である。

November 27, 2009, 現時間 11:40 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 20, 2009

サラ・ペイリン旋風にリベラルもたじたじ

フェミニズム

サラ・ペイリンと言えば、今やアメリカでは大人気の将来有望の若手政治家女性。以前から当ブログでも、元アラスカ知事で去年の選挙では共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリン女史の不思議な人気についてはいくつか取り上げて来た。(詳しくは後部を参照されたし。)

副大統領候補が選挙中に大統領候補と一緒に相手側から色々叩かれるのはよくあることではあるが、それにしてもペイリンへの攻撃は普通ではなかった。他の候補者なら特に取り上げられないような、私的なことまでぐちゃぐちゃと取り上げられ、事実ならともかく嘘八百のデマを集めたオバマ支持者制作ビデオがYouTubeなどで紹介されたり、週末のコメディ番組で意地悪なキャラでパロディにされたり、ペイリンの個人メイルがハッキングされたりと、その激しさは前代未聞のものがあった。

それでも、普通は、選挙が終われば副大統領候補のことなどすぐに遠い記憶の彼方に去ってしまうものなのだが、ペイリンの場合は一年後の今日に至るまで、全く話題が途絶えることがない。しかも今回ペイリン自叙伝が出版されるや否やベストセラー。本の宣伝のためにあちこちのテレビやラジオのインタビュー番組に出演しているペイリンを巡って、支持者も反対者も大騒ぎ。本のサイン会では本屋さんを二重に巻くほどのファンが殺到。今やアメリカではサラ・ペイリン旋風が吹き捲くっている。

【ニューヨーク=阿部伸哉】昨秋の米大統領選で、共和党の副大統領候補として一躍、有名となったサラ・ペイリン前アラスカ州知事(45)が、大統領選中の裏話などもつづった自叙伝を発売。いきなりベストセラーとなるなど、全米で再び注目を集めている。

 自叙伝発売翌日の十八日、ペイリン氏はミシガン州で本の宣伝ツアーを開始。AP通信によると徹夜組を合わせ、開店前から数百人の行列ができた。

 タイトルは「Going Rogue」(ならず者路線)。米ネット小売り大手アマゾン・コムでは発売数週間前から書籍部門トップに。最新号の米ニューズウィーク誌でも表紙を飾り、テレビ出演でも引っ張りだこになっている。

 七月に突然、州知事を引退。「次期大統領選への準備か」とうわさされ、今回の出版も話題づくりの一環との見方もある。銃所有の権利擁護や人工中絶反対など、共和党内でも「右寄り」な姿勢を鮮明にしており、保守層には依然、人気が高いが、本人は「(出馬は)今は視野にはない」とけむに巻いている。

この本を巡って、ペイリンを憎むリベラル派の連中は完全なヒステリー状態。特にAPなどは11人もリポーターを担当させて「事実検証」を行ったというのだから呆れる。結構著名で評判も高かったアンドリュー・サリバンというジャーナリストなど、ペイリンの本は最初から最後まで出鱈目だらけなので、それを逐一リポートするためにブログを二日間休んで分析するなどと言い出す始末。

それでも彼らが見つけたという「間違い」はほんの数カ所で、しかも間違いとは言えないようなくだらないものばかり。たとえばペイリンは『自分はあまり高級はホテルには泊まらない』としたことに対して、APは一度ペイリンは家族と一緒に一泊700ドルのホテルに泊まった事があると指摘。だから『あまり泊まらない』と書いたのであって『一度も高級ホテルに泊まったことがない』とは書いていないんじゃないか、ばっかじゃないの。

それにしても、フェミニズムを唱えるリベラル派によるサラ・ペイリン女史への攻撃は激しい。今回のインタビューツアーのなかでもサラのおかげで2007年以来最高の視聴率を収めたオプラ・ウィンフリーなどはペイリンに対する敵意丸出しだった。もっともウィフリーはシカゴ出身のリベラルでオバマを大々的に支持している人間だから、当たり前と言えば当たり前だが。

そのなかでもウィンフリーによる、『5人の子供を育てながら、どうやって副大統領の任務を果たすつもりだったのか』という質問はフェミニストを誇るオプラにはあるまじき質問だ。

これが反対に保守派の男性トークショーホストがリベラルの女性政治家にした質問だったら、翌日ホストは全国のフェミニストからつるし上げに合い、謝罪を強要され涙の記者会見を行う羽目になっただろう。それが同じ質問でも、リベラルの黒人女性ホストが保守派の女性政治家に向けた質問ならフリーパス!数日後の今日になっても、「子育てしながら副大統領をやって何が悪い!女性差別だ!」という声はアメリカのフェミニストたちから全く聞こえてこない。

ま、アメリカのフェミニストのダブスタは今に始まったことではないから驚きはしないが。

それにしても、リベラル連中がサラ・ペイリンをこうも嫌うのはどうしてなのだろう?無論ペイリンを嫌っている保守派がいないわけではない。ペイリンが副大統領候補になると発表があった晩、日本に居た私のところに時差も考えずに午前4時に電話して、さんざん文句をたれた保守派の友人などは、ペイリンに投票するくらいならオバマの二期目を見たほうがまし、なんて本気で言いかねない。

ま、そういう保守派はともかくとして、保守派のトークショーホストとして大人気のラッシュ・リンボーに言わせると、リベラルがこうもペイリンを攻撃するということは、それだけリベラル連中がペイリンを政治家としてリーダーとして恐れている証拠だという。確かに取るに足りない政治家なら叩く必要はないが、次の選挙でオバマに挑戦する強敵と見なせば、今のうちに叩いておこうとするのは当然だ。

ペイリンは元ミスアラスカだったこともあるほどの美女。45歳の今でもスポーツ雑誌で運動着姿の健康美を披露したりしているくらいだから、保守派女性の見かけをぼろくそに言う癖のあるリベラル連中はあら探しが出来なくて欲求不満に陥っているというわけだ。

リベラルがペイリンを嫌うのはそれで説明がつくが、保守派が嫌いのは何故だろう? それについてはミスター苺が面白いことを言った。

「サラは魅力的すぎて、保守派のオジンの心を掻き立てるんだよ。オジン達はそれを認めたくないから反感を持つんだろう。」

なるほど〜。カカシが職場のオジンたちに反感を持たれるのと同じ理由だな、、(笑うな!)

ペイリン関係の過去エントリー:

オバマケアの「死の審議会」とは何か? サラ・ペイリンが説明
恐ろしや、役人が癌患者に自殺を促すオレゴン州の健康保険制度
オバマケアを批判したサラ・ペイリンを気違い扱い、反対意見は断固弾圧するオバマと民主党
サラ・ペイリン、アラスカ知事職辞任の影響はいかに?
オバマ選挙法大違反疑惑! YouTubeのペイリン攻撃ビデオはオバマ選挙事務所の仕業!
ここまでやるオバマファン? サラ・ペイリンのメルアドをハッキング!

November 20, 2009, 現時間 7:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 4, 2009

保守派が健闘した火曜日の米地方選挙

アメリカ内政 , フェミニズム

昨日の火曜日はアメリカ各地で選挙があった。そのなかでも特に注目を浴びていたのが、空席になったニューヨーク州23地区の下院議員特別選挙。久しぶりに共和党候補が優勢になったニュージャージー州とバージニア州の知事選。それからメイン州での同性結婚などである。

何故、ニューヨーク23地区の特別選挙が話題になったのかというと、前任の共和党のジョン・マックヒュー議員が陸軍長官に任命され空席になった席の後がまとして、地元の共和党委員会が共和党員とは言い難いほどリベラルなディーディ・スコズィファバを候補に上げた。このことに激怒した地元保守派共和党員たちは、党のお偉方に反旗を翻し、保守派無所属候補としてダグ・ホフマンという無名のビジネスマンを候補にあげていたからだ。

保守派運動家の勢力はすさまじく、選挙運動中からスコズィファバの人気は急落し、彼女は選挙前に候補から脱落。結局民主党候補のビル・オーウェンズと保守派候補のダグ・ホフマンの一騎打ちとなり、接戦の末残念ながらオーウェンズが勝ったようだ。

結果的に民主党が勝ったとはいえ、ニューヨークの共和党が圧倒的に保守派支持であることが顕著となったこの選挙。保守派の間で全国的な注目を浴びたという事実も否定できない。共和党上層部は今後リベラルな候補を上げる前に、共和党はかなり保守派になっているという事実をしっかり見極める必要がある。

ホフマン氏は今回は駄目だったが、全くの無名だったビジネスマンがほんの一ヶ月程度の間にここまで人気を得ることが出来たのだ。数ヶ月後に迫った次の通常選挙予選では公式に共和党の候補者となれるよう頑張っていただきたい。

負け戦はニューヨークだけで、バージニア州の知事戦は共和党ロバート・マクドネル氏の圧勝だった。なんとその差18%!カカシは8月9月とずっとバージニアに居たが、マクドネル氏の人気は大した物だった。また、もう十数年共和党を選んだことがないニュージャージー州で、もっとも腐敗した知事と言われていた現職のジョン・コーザイン知事を破って共和党のクリス・クリスティーがなんと5%差で当選。ミスター苺は昨日、3%以上の差で勝たないと、悪名高いニュージャージー民主党のいかさま勢力が働いて絶対に逆転負けすると言っていたのだが、さすがに5%の差となるといかさまも効かなかったらしい。

メイン州で同性結婚を認めるかどうかという投票では、53:47で認めないが圧勝した。これまでに31の州で同じような投票が行われたが、その度に州民に賛否を訪ねた場合には、州民から拒絶されるという結果となった。31回の選挙のうち31回とも拒絶。

メインといえば、ゲイの避暑地として有名なプロビンスタウンなどがあるくらいで、結構同性愛者には寛容な州。そんな州ですら同性結婚は拒否されたのだから、アメリカ人が同性結婚をどう思っているかを悟って、ゲイの方々も無駄な闘いは諦めてほしいものだ。

というわけで、今回の選挙は保守派がかなり健闘した。無論これは独裁者オバマ王にとっては良い結果とはいえない。ニューヨーク23区がかろうじて民主党に行ったとはいえ、大事なふたつの州を保守派共和党に取られたのはかなり痛いはず。来年の中間選挙が楽しみになってきた。

アップデート:産經新聞の古森さんもこのことについて書いているので、リンクを張っておきます。

ニュージャージー州での共和党の勝利はさらに大きな衝撃波を広げています。この州は元来、民主党が圧倒的に強い地域でした。しかも民主党の現職知事のジョン・コーザイン氏が共和党の新人クリス・クリスティ氏に負けたのです。

ニュージャージー州の知事選にはオバマ大統領自身が熱を入れ、最近だけでも5回もコーザイン知事応援の遊説に出かけていました。投票日の2日前の11月1日にもオバマ氏は州内各地を回っていました。しかし有権者はオバマ氏の支持する候補を拒否したのです。 この結果、オバマ政権は医療改革法案の希望どおりの推進がきわめて難しくなりました。民主党への批判の高まりに、民主党の連邦議員たちの多くが敏感に反応し、大統領の推すリベラル志向の法案には難色を示すようになるからです。

November 4, 2009, 現時間 7:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 27, 2009

何? オバマ王はセクシストってまさか!

フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

週末のニューヨークタイムスを読んでいて思わず吹き出してしまう記事があった。なんと左巻きのNYTがオバマはセクシスト(性差別者)であると主張しているのだ。

まさか、あのオバマ王がセクシスト? 何を根拠にそんなことを言うのだ?しかし記事によると、オバマは男性ホルモン旺盛で、お互いを男性「ドゥード」と呼び合う若い男達に囲まれているという。

最近、これが最初ではないが、高レベルのバスケットボールトーナメントがオバマ大統領主催で完全に女性抜きで行われたことで、(男女差別の)疑いは女性運動家やリベラルなブロガー達の間でふくれあがった。

無茶言うなよ。オバマ王に女とバスケを一緒にやれってのか?しかしNYTはオバマ政権の主要な地位はすべて男性によって占められており、女性はあまり目立たない存在にあると主張する。

しかし読者諸君は、そんなことはないだろう、オバマ政権には結構女性が高い地位についているはずだ、と反論するかもしれない。ちょっと考えただけでも、ヒラリー・クリントンやバレリージェッラットや毛沢東崇拝のアニタ・ダンといった女性達が思い浮かぶ。現にバレリー・ジェラット女史は、

国務長官のヒラリー・ロダム・クリントンをはじめ6人の女性高官が存在する。また女性では最高裁判長官のソーニャ・ソトマイヤー女史、健康顧問のナンシー・アン・デパーレット女史、家庭内暴力対策顧問のメロディー・バーンズ女史などが居る。政権が提供した資料によるとホワイトハウスの従業員は、男女ほぼ五分五分の割合である。

と語っている。しかし最近国務長官のヒラリー・クリントンがどれだけオバマ王にないがしろにされているかは、同ブログでも書いているので、読者諸君も良くご存知のことだろう。

NYTは確かにオバマ政権に女性がいることはいるが、重要な地位はすべて男性に制覇されていると言い切る。で、ジェラット女史のいうヒラリーを含めた6人の高官はというと、、

  • ヒラリー・クリントン国務長官
  • ジャネット・ナポリタノ国土防衛長官
  • ヒルダ・ソリス労働長官
  • キャサリーン・セベリウス保健長官
  • リサ・ジャクソン環境保全長官
  • スーザン・ライス国連外交官
  • 経済アドバイザー、クリスチナ・ロマー会長

先ず、労働省や保険省や環境保全省の長官と言った地位は伝統的に女性の地位とされている。これらの地位は形ばかりで国の政策には特に影響を及ぼさない。

国務長官や国連外交官といった地位は元来は重要な地位であるが、オバマ王は数々の特別顧問を任命して従来の地位を意味のないものにしてしまっている。

現に三十数種にわたるオバマの特別顧問のうち、女性の占める割はなんとたったの9分であり、そのなかでも女性のついている地位は伝統的にお飾り程度に女性が着くと決まっているものだけだ。これで男女の比率は五分五分だなどとよく平気な顔をしてい言えるものだ。

私の職場は男女の比率が9:1という場所なので、スポーツファンの男性達の団結は身にしみるほど感じている。だったら私もバスケットやフットボールに興味を持てばいいではないかと言われるかもしれないが、休みの時にスポーツを観る暇なんてない。なにしろシャルウイダンスを観るのに忙しいのだ。

民主党メディア作戦家に言わせると、オバマは確かに重要な地位に女性をつけてはいるが、オバマの女性スタッフへの対応は男性のそれと比べて公平ではないという。

「オバマには男子運動部でありがちな女性に対しては持てない男性への親近感が感じられます」とオバマ政権の女性スタッフと頻繁に会話を交わしているクリントン前大統領の選挙アドバイザーだったトレーシー・セフル女史は語る。

そこへいくと、ジョージ・W・ブッシュはちがっていた。ブッシュは重要な地位に幾人もの女性を任命した。政策アドバイザーだったカレン・ヒューズ女史などがそうだが、ブッシュは任命した女性をお飾りのように扱うどころか、彼女たちの権限を拡大して、多大なる責任を課していた。国土保証アドバイザーのコンデリーザ・ライス女史などは、その才能を買われてアメリカ初の黒人国務長官だったコーリン・パウエル氏の跡を継いでアメリカ初、黒人女性の国務長官となった。肩書きだけでなにも実権も持たないヒラリーと違って、ライス女史は中東にしろ東洋にしろ、世界狭しと飛び回ってブッシュ外交の推進に努めた。

女たらしで悪名高いビル・クリントン政権ですら、ジャネット・リノ司法長官やマデリン・オーブライト国務長官といった女性たちは、冗談でもお飾りだったなどとは言えないほど実権んがあった。

男性と女性が別々な付き合い方をするというのは自然だ。女性であるカカシ自身、休みの日に同僚の男達と一緒にスポーツバーに行ったり、クラブに行ったりしたいとは思わない。以外の男達とつきあいたいとは思わない。しかし職場での集まりは個人的な付き合いとは違う。どこの世界に上司やお得意先とのゴルフが個人的な付き合いだなどと思う人がいるだろうか?

好むと好まざるとにかかわらず、職場において上司との「つきあい」は昇格やおいしい企画を取るためには必要な活動だ。

一人の若い女性スタッフは(大統領を)おおっぴらに批判したくないとの考慮から、他のスタッフ同様匿名を希望した上で、ホワイトハウスでのスポーツファン的なムードには時として苛立ちを感じるし、興味のない人は多少疎外感を持つと語っている。職場においてこのようなことは良くある事ではあるが、ソポーツによる団結感は上司へのコネにつながることもある。

最近、ベン・フィンケンバインダーという新人報道アシスタントは、そのハンデ無しのゴルフ才能を買われ、オバマ氏と四人でのゴルフに招待された。(CBSテレビ局の記録によると、オバマ大統領は大統領になって以来すでに23ラウンドのゴルフをしているが、その間に女性を招待したことは一度もない。もっとも記録者によれば招待客の名前は必ずしも公表されないという。またホワイトハウスの報道官によると今週末にはメロディー・バーンズ女史がゴルフに招待されているという)

アスレチックという面では何もオバマ大統領が最初ではない。ジョージ・W・ブッシュのマウンテンバイキング趣味は有名だった。しかしブッシュ前大統領は、バイクレースにプロの明日レートを含め多くの女性を招待することでも知られていた。

もちろんオバマ大統領もホワイトハウスも女性差別など馬鹿馬鹿しいと笑に伏してはいるものの、そういうレッテルを張られるのは今後のこともあるので良くないと判断したらしく、オバマ王は男達とのバスケゲームに対抗して女性相手にビスケット付きのお茶会や女性だけのベイビーシャワー(妊婦を囲んで女性たちがあつまり出産後に必要な品物をプレゼントする会) を主催するなどして女性たちのご機嫌取りをした。

オートミールのビスケットだのベイビーシャワーなど子供騙しも甚だしい。女だと思って馬鹿にしないでよ、と言いたいわ全く。

で、オバマ王の出席しない女性だけのイベントを主催するはめになってダン女史はどう感じているのかというと、特に気にしていないそうだ。大統領と一緒にバスケットボールが出来ないからってなんぼのもんじゃいというとこらしい。

「ここでは、そういう社会ですから 私は阻害されてますけど」 と女史。「特に気にしてません。」

それにしてもリベラルの本性ってのは興味深い。常に保守派のことを性差別社だの人種差別者だのと批判しておきながら、自分らが崇拝する大統領が恥かしげもなく女性差別をしているのに、フェミニスト達は何も言う事はないのだろうか?

アメリカのフェミニストなんてそんなもんだ。

October 27, 2009, 現時間 7:55 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 12, 2009

ホワイトハウス、オバマ批判の同性愛者は「取るに足りない末端のインターネット左翼」と侮辱

アメリカ内政 , フェミニズム , 独裁者オバマ王の陰謀

Americablog(アメリカブログ)という同性愛系ブログは、昨晩ワシントンDCで大規模な同性愛者人権集会後のNBCテレビのニュースについて興味深いことを書いている。NBCのホワイトハウス担当ジョン・ハーウッド記者は、ホワイトハウスは左翼の期待に充分に応えていないという心配はないのかという質問に下記ように応えた。

バラク・オバマは90%以上の民主党支持者とうまくいっており、ホワイトハウスは反対派はほんの一部『末端のインターネット左翼』に過ぎないと考えている。

ホワイトハウスが反対派をどのくらい真剣に受け止めているかを示すものとして、一人の高官は記者に、ああいうブロガーたちはパジャマから服に着替えて、極度に分裂している国での政治は複雑で難しいということに気づくべきだと語った。

同性愛者たちがオバマの口約束を信じ期待して支持している間はうまいことを言っておきながら、一旦その無行動に不満を示し始めると「末端のインターネット左翼」とレッテルを張り、パジャマから着替えて現実を見ろと来たもんだ。これがオバマ王が the Human Rights Campaignという同性愛者人権擁護団体の前で、公式な軍隊勤務や同性愛結婚の合法化に努めると約束した舌の根も乾かない翌日のことなのだから馬鹿にしている。

アメリカブログのジョンはホワイトハウスの「極度に分裂している国」という言い方について、上院でも下院でもオバマの党である民主党が多数議席を握り、票数から言って共和党はほぼ不能に近い状態なのに何を言ってるのだと抗議する。

これが極度に分裂してるって?これが大統領が公約を破らざるおえないと民主党が理解しなきゃいけない状態だっていうのか?

大統領と与党が議会を完全に支配できる状況で公約を守れなかったら、いったい何時守ることができるのかというわけだ。

ホワイトハウスの高官達こそパジャマを脱ぎ捨て時々新聞をよんだらどうなんだ。そうすれば俺たちは先の選挙に勝ったんだということに(それにはブログやゲイのコミュニティーが大事な役割を果たしたってことにも)気がつくはずだ。

また別の同性愛系ブログPam's House Blendでは、

私に言わせたら、ホワイトハウスは正しい種類の*1LGBTたちと食べたり飲んだりした後、私たちに宣戦布告をしたも同然。誰かがこれに応える必要があるわ。

と述べている。

(*カカシ注1:LGBT: The Lesbian, Gay, Bisexual & Transgender, レズビアン、ゲイ、両性愛し好及び性転換者一般を指す。)

ここでカカシとしても不思議なのは、何故オバマ王はLGBTの期待に応えて公約を守らないのかということだ。アメリカブログのジョンが指摘しているように、議会は民主党が与党で多数議席を握っていることでもあるし、特に軍隊への同性愛者公式受け入れは共和党でも支持があるはずなので、オバマがその気になれば*2DADT法は充分に撤回できるはずだ。

(*カカシ注2 DADT: Don't Ask Don't Tell, クリントン大統領と当時与党だった民主党議会との間で生まれた妥協策で、現在軍隊で努めている軍人が同性愛者であるかどうかを本人に「聞かない」そして本人もそれを「言わない」限りは同性愛者でも軍隊に居られるが、一旦他人から同性愛者であることを暴露されたり、自分から同性愛者であることを認めた場合には除隊を余儀なくされるという、かなり差別的な法律。)

出来るはずのことをしないということは、する意志がないということだろう。

だが、何故なのだ?LGBTとの約束を守ると何か都合の悪いことでもあるのか?

すべての人々に寛容であるべきなどときれいごとを言ってる民主党の間でも同性愛はメディアが煽るほど受け入れられてはいないということか?

ミスター苺はそのどちらでもないという。オバマはLGBTの人々に自分らは弱者でありオバマ政権に頼らなければいけない立場であるとずっと思わせておきたいのだという。だから個人の人権を強めるような軍隊での正式な勤務を許可するわけにはいかないのだと。

同性愛の人々はオバマのこういう汚い陰謀に利用されている事実に気がついているだろうか?

ところでこれについてカカシの個人的な意見を述べておく。私は同性愛者は正式に堂々と軍隊で勤務すべきであると考える。同性愛者だろうた誰だろうと愛国心のある人が国のために戦うという権利は守られるべきだからだ。

ただし、何度も強調してきたように、同性同士の結婚には断固反対する。結婚は一夫一婦制であるべき。それが文明社会の基盤だからだ。それについてはここここで説明しているので興味のある方は参照のこと。

October 12, 2009, 現時間 10:39 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 11, 2009

口先ばっかり、中身のないオバマ政策に同性愛市民団体もうんざり

フェミニズム , 人権擁護法 , 独裁者オバマ王の陰謀

オバマ王は盛大な同性愛者集会を前にして、昨晩、10月10日、the Human Rights Campaignというアメリカの同性愛者の間でも最大の市民団体主催晩餐会で演説をした

ここでオバマ王は予測通り、今後折りを見てクリントン時代の妥協策*Don't Ask Don't Tell法を廃止し、同性愛者たちが堂々と公式に軍人として認められる法律を提案するつもりだと発表し、また、職場における同性愛者たちの平等な扱いについても努力していく意志をあきらかにした。

*注:Don't Ask Don't Tell クリントン大統領と当時与党だった民主党議会との間で生まれた妥協策で、現在軍隊で努めている軍人が同性愛者であるかどうかを本人に「聞かない」そして本人もそれを「言わない」限りは同性愛者でも軍隊に居られるが、一旦他人から同性愛者であることを暴露されたり、自分から同性愛者であることを認めた場合には除隊を余儀なくされるという、かなり差別的な法律。

しかし、同性愛者たちの間では、オバマの宣言がどのように実現されるのかという点については、あまり高い期待はもたれていない。

運動員のなかにはオバマの約束は以前にも聞いている。今回は達成期日を聞きたいと語るひともあった。運動家の草分けでエイズ記念クィルト製作者のクレヴ・ジョーンズ氏は、オバマはすばらしい演説をしたが、「我々が求める切実な質問に応えていない。それは何時かということだ。」「大統領は以前にも交わした約束を繰り返しただけで、我々が待ち望んでいる目的を何時達成するのか語らなかった。」日曜日にナショナルモールで開催される大規模な同性愛人権集会の主催者副会長であるジョーンズ氏は語った。

the Servicemembers Legal Defense Network(軍人のための法律的アドバイスをする団体)の重役であるオーブリー・サービス(Aubrey Sarvis)氏は, オバマの誓いには元気づけられるが、オバマは「機会を損ねた」と語り、氏の団体は「法律を撤回する特定の期日を明らかにしなかったことに失望した。」と付け加えた。

ミスター苺は、オバマは来年2010年の中間選挙にむけて、ふたたびこの誓いを持ち出し、同性愛市民団体などから民主党候補への支持を仰ごうという魂胆で、実際にこの法律を撤回する意志などこれっぽっちもないのだと言う。カカシも全く同意見。オバマが同性愛者を嫌っていることは、オバマがユダヤ人を嫌っているのと同じくらい周知の事実。票が欲しいから選挙前はうまいことを言うが、選挙が終わってしまえば公約なんかなんのそのだ。これまでオバマは公約を守って実現させたことなど一度もないのだから。

ところで、カカシがファンの変態フェミニスト小山エミが、オバマの無実績な9ヶ月を分析している。彼女(彼?)はずっとブログ更新をしていなかったので、病気して入院でもしたのかなと心配していたのだが、(エミちゃんのことだからポートランド公営保健に加入しているんだろうな。)エミちゃんは、オバマが何一つ公約達成を実現できないのは、保守派による不公平な邪魔が入っているせいだとしながらも、そうした障害を乗り切れないのは、やはりオバマの経験不足と人望の薄さにあると、まともなことを書いてる

オバマが目指した「熟議的民主主義」が空回りしている大きな要因として、やはりかれが大統領になるのが早過ぎたという点があると思う。議会というのはある意味「仲良しクラブ」的な共同体であり、政治思想的な対立や連帯とは別に、人間同士の付き合いがある。仮に政治的にまったく相容れない相手でも、どういう場合ならこの人は本気だとか、精一杯譲歩してくれているとお互い了解しあっているからこそ、妥協が可能になることだってある。オバマはクラブの最も新しいメンバーの一人でありながら、十分に信頼関係を築かないうちに大きな地位についてしまった。ゲーム理論的に言っても、プレイヤ同士に信頼がないところでは協調関係は成り立ちにくく、目先の利益に振り回されてしまう。

大統領という任務は政治初心者がつくような仕事ではない。政治家一年生でしかもワシントンにも国際社会にも何のコネもないオバマ王が、口先だけ何を約束しようと、それを実現させることなど出来るはずはない。議会がいくらオバマと同じ民主党でも、議会には議会のアジェンダがあり、オバマの思い通りにされては困るという思いがある。オバマが議会に責任があるな各庁の長官を差し置いて、特別顧問なるものをいくつも設立しているのもオバマと民主党議会の間に信頼関係がないことを物語っている。

同性愛者たちはオバマ王を信用していない。だが、彼らは共和党を毛嫌いしている。オバマ王や民主党に苛立ちを感じながらも、共和党を支持するなど出来るはずはない。彼らに出来ることは、積極的にオバマ並びに民主党を応援しないことだ。共和党を嫌っているからといって民主党にさんざん馬鹿にされても民主党を応援すれば、同性愛者たちは今後とも利用されるだけでコケにされるのがオチだからである。

October 11, 2009, 現時間 9:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 10, 2009

アフガン戦況悪化、フェミニストは何をしてるのか?

フェミニズム , 対テロ戦争 , 独裁者オバマ王の陰謀

1998年、タリバンがアフガニスタンの政権を握った時、ビル・クリントン政権は、タリバンが女性の人権を保証しない限り、タリバンを正式なアフガニスタン政権としては認めないと宣言した。このことを熱狂的に支持したのは、全米女性機構(NOW)である。女性の人権向上をモットーと自負するNOWがタリバンの女性虐待と戦うのは当然の話だ。

2001年911多発テロ直後の10月、ブッシュ政権はアルカエダの首脳部をおとなしく差し出さないなら武力行使も問わないとして、タリバン政権に事実上の宣戦布告をした。タリバン政権による女性虐待に激怒していたNOWはこのブッシュの決断に歓喜しブッシュ政権によるアフガニスタン侵攻を全面的に支持し応援したか、、と言えばそんなことは全くなかった。

2001年以前はあれだけアフガニスタンのタリバンによる女性虐待に関する記事を多数掲載していたNOWの公式サイトでは、アメリカがアフガニスタン戦争を始めた2001年10月以降はほとんどアフガニスタン関連の記事を掲載していない。

ほんのたまにNOWがアフガニスタン関連の話題を取り上げたのは、それによってブッシュ政権を批判する時だけだった。下記の2002年5月の声明文においては、女性虐待の最たるタリバン政権を倒し、アフガニスタンに民主主義を復興しつつあるブッシュ政権の努力を評価するどころか、NOWはブッシュ政権は女性の人権復旧に努力していないと逆にブッシュを批判している。

女性の人権が完全に復旧されない限り、アフガニスタン臨時政権の成功はあり得ない。アフガンの女性や少女たちの人権は女性が平等に参加できる真実の民主主義なくしては保証されない。ブッシュ政権はアフガニスタンと世界にした約束を守らねばならない。その第一歩として、公約通りISAF (北大西洋同盟平和維持軍)平和維持兵の数を増やし、アフガニスタン国中における平和維持を保証すべきである。

安全と民主主義なくしてはアフガニスタンはテロリストの餌食となる。ブッシュ政権よ、口先だけでなく実行に移せ。アフガニスタンの民主主義復興に女性の人権完全保証を含む事こそ、対テロ戦争において一番大事なことなのである。

2002年の段階で、積極的にアフガニスタンの平和維持に取り組んでいたブッシュ政権に増兵を促し、まだまだ平和維持への努力が足りないと抗議していたNOWは、2009年10月現在、戦況が悪化し現場の将軍が増兵を嘆願しているなか、ブッシュ政権にしたようにアフガニスタンへの増兵をオバマ政権に訴えているかといえば、、そんなことは全くない。

今年になって唯一つ8月24日付けのアフガン関連の記事では、悪化するアフガン状況を背景にしながらも、タリバン台頭を憂うのではなく、その批判の対象は現アフガン政権のカルザイ大統領に向けられている。

そして、先日オバマ大統領が示した、タリバンによる政権参加も止む負えないという姿勢に対して、女性の敵タリバンに妥協するなどもってのほかと、NOWがオバマ政権に断固たる抗議したかといえば、、、そんなことは全くない。NOWによるオバマ関連の記事はオバマ崇拝記事だけだ。

無論、ここで読者の方々は、なにもNOWだけがアメリカのフェミニストではあるまい。アフガニスタン戦争を支持している女性団体はあるはずで、彼女達の意見も聞くべきなのではないかとおっしゃるかもしれない。

そこで、色々検索していたら、Feminist Majority Foundationという女性団体の会長が、アフガニスタンを見捨ててはならないというエッセイを書いているのを発見した。

アフガニスタンはひどい状況である。そのことに異論はない。単純に立ち去るべきだと感じる人もいる。だが我々はそのような立場は支持できない。なぜならば、それによる女性や少女達の払う代償は計り知れないだけでなく、アフガニスタンの失態によるアメリカの責任は重大過ぎるからである。

今ここで米軍がアフガニスタンから撤退すれば、アメリカは再びアフガニスタンの人々にかわした約束を破ることになり、この国は再びタリバンの手に落ちることになるだろう。

断っておくが、このFMFという団体はブッシュ政権によるアフガニスタン空襲やイラク戦争には反対していた。アフガニスタン国内での空襲はアフガン市民を危険にさらすという理由で、イラク戦争に関しては、アフガニスタンをおざなりにしているという理由だった。

実際にはブッシュ政権はイラク戦争が始まってもアフガニスタン駐留軍の数を減らした事はなく、ブッシュ政権中の8年間、米軍がタリバン及びアルカエダへの攻撃の手を緩めたことはない。このブログでも何度も紹介したが、アメリカが指揮を取るNATO軍によってタリバンやアルカエダの総攻撃は何度も失敗し敵側は大打撃を受けていた。主流メディアが忘れて報道しなかったからといって、ブッシュ政権がアフガン情勢を無視していたという考えは間違いである。

ブッシュ政権時代に安定していたアフガニスタン状況がオバマ政権になって急激に悪化したのがその証拠だ。実際に戦っている戦争から目を離すとどういうことになるか、オバマ政権の失態がよく物語っている。

ま、それはともかくだ、本当にアフガニスタンの女性達の人権を慮るのであれば、フェミニストたちはアメリカによるアフガニスタン撤退を支持できるはずはない。私はFMFの考え方には色々と疑問を感じはするが、少なくとも女性人権保護という立場において一貫した姿勢を持っているという点において、NOWのような偽善団体とは大きな違いがあると評価できる。

本当のフェミニストならオバマ政権の優柔不断を批判しアメリカ軍のアフガン増兵を支持すべきである。アメリカ国内においてそうしたフェミニストの声がまだまだ聞かれないのは、残念な限りである。

October 10, 2009, 現時間 11:34 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

October 2, 2009

オバマ式教育、学校内安全とは同性愛促進のこと!

フェミニズム , 教育と政治 , 独裁者オバマ王の陰謀

以前に私はオバマ王によって次々に任命される怪しげな特別顧問たちの話をしたが、またまたその顧問のひとりのスキャンダルが話題を呼んでいる。

今度は『学校内安全特別顧問』のケビン・ジェニングス氏にまつわる話だ。

左翼の既存の言葉を全く違う意味で使って一般人を惑わす手段については、以前にも左翼の二枚舌を見抜く方法で説明したことがある。

既存する言葉の定義の書き換える(Law of tendentious redifinition)

左翼連中はすでに存在している言葉の意味を自分勝手に都合のいいように書き換えるのが得意だ。これにはもともと衝撃的な意味のある言葉の定義を拡大し、元の意味で解釈した一般人に間違った印象を与えるやり方と、言葉の提言を縮小し元の意味で話をしている論敵の説がその言葉にはあてはまらないというやり方や、ごく普通に使われてきた言葉を突然差別用語だと勝手に指定したりするやり方がある。

私はリベラルではないので次々に書き換えられるリベラル風言葉使いにはついていけないのだが、(無論奴らの狙いはそこにあるのだ)リベラルがいう「校内安全」とは、「学校内において同性愛し好の生徒や教師が誰からも批判されずに野放しで同性愛を促進できる環境」を指すようである。

少なくともオバマ任命の「学校内安全特別顧問」のケビン・ジェニングスがそう解釈していることは間違いない。保守派の間では、過激な同性愛促進者が大統領任命の教育関係の特別顧問などという大事な職につくことに関して非常な批判をかもし出しているのだが、左翼の間では保守派によるジェニングスへの批判は「反同性愛者的な差別」であり、保守派はジェニングスの思想を「歪曲」し「虚偽」の供述をしていると反対に攻撃態勢にはいっている。

左翼ブログのメディアマタースなどは、著名な保守派のジェニングス批判を集めて、いかに彼らが「嘘」をついているかを列挙している。だがここでも左翼による定義の書き換えを理解していないと意味が通じなくなる。

左翼が言う「嘘」とは、「事実に反する事」という意味ではなく、「左翼思想促進を邪魔する不都合な事実」のことを言う。だから、「ジェニングスが同性愛を学校内で促進するという行為は良いことである」と解釈すればそれは事実だが、それが悪いことだと解釈すればそれは「嘘」ということになるのである。現にメディアマタースはジェニングが積極的に同性愛促進をしているという「事実」そのものには異論はないのだ。

しかしジェニングスが実際にしたことは、いつか「ほとんどのストレートな人々が同性愛が悪い事であるとは思わなくなる」日がくることへの希望を表現したにすぎない。FRC(保守派グループ)はジェニングの供述を歪曲したが、Good As Youというブログが指摘しているように、ジェニングは寛容について話していたのだ。 氏は「謝った情報によるステレオタイプ」に対抗し、同性愛に関する見解を時とともに変えていくために、GLSEN(同性愛活動グループ)の「本日からの使命」は「希望を失わず世界が別の場所になるという信念を失わない事」 にあると語った。ジェニングスはまた「ほとんどのストレートな人々が、誰かが同性愛を促進していると聞いた時に、それが必ずしも何か悪い事で、促進すべきではない事だと解釈しないように」なる日が来て「ストレートな人々が『同性愛を促進したからって何が悪いんだ?』とかストレートな生徒たちが『プロム(卒業祝賀会)の前に、お前とボーイフレンドでうちへ来てタキシードの試着をしないか?』とか言えるような日が来る希望を語っただけだ。

男同士でタキシードの試着をしあうなんて考えただけでも気持ち悪いが、そういう行為が普通に行われる学校内での環境づくりをしたいというなら、それこそまさに学校内において同性愛を促進していることになるではないか。保守派が抗議しているのはそういう思想の持ち主がアメリカの教育方針を決めるような立場に立つ事なのである。アメリカの信心深い保守派の間では、同性愛は「罪」であると考えている人も多くいるのだ。

さて、問題なのはジェニングスが同性愛者であり同性愛促進運動家であるということだけではない。今回氏の教師としての過去に教師としてはあるまじき行為があったことが明らかになった。

それは21年前、氏が高校の教師をしていた時に当時15歳だった生徒からバス停の公衆便所で知り合った大人の男性の家に行き性行為を行ったという話を打ち明けられた。アメリカの法律では、未成年が大人と性行為を行った事実を知った場合、教育者やカウンセラーという立場にある人は、即刻その事実を当局に通知する法的義務がある。だがジェニングスはそのことを未成年虐待行為として当局に通知しなかった。氏は教育者として未成年者を性的変態の大人から守るという法的義務を怠ったのである。

この話が最初に公になった時、ジェニングスは、そんなことはなかったとすっとぼけていたのだが、ジェニングス自身が、その生徒に大人との関係を断ち切るように指導するどころか、セックスの際にはコンドームを使うようにと、性関係を支持する態度をとったことを誇らしげに語っている2000年の講演のオーディオテープが明らかになり、ジェニングスは自分の過去の行動に対して多少の後悔はしていると表明せざるおえなくなった

21年後、今思えばもっと他の行動を取るべきだったと解ります。もっと詳しく事情を聞き、法律及び医学当局に相談すべきでした。当時教師はそのような場合における訓練を受けていませんでした。すべての教師が基本的な準備をしておくべきでした。私は校内安全・麻薬防止の顧問として、もっと積極的に教師の教育を手助けしていきたいと思います。

過去の過ちから学んで顧問として励むというのは感心する心構えである、なんてこんなうすっぺらな「謝罪」を受け入れるのはナイーブというものだ。この表明を掲載した記事の著者デイヴィッド・ブローディはジェニングスが20年以上も前におきたことを謝罪した以上、これ以上保守派はジェニングスをリンチする道具がなくなったのではないかと書いている。

ブローディの政治思想がどんなものなのかは知らないが、問題はもっと奥深いところにある。ジェニングスは保守派から批判を受けるまで、自分の行動が教育者としてあるまじき態度だったということに気がつかなかった。いや、それどころか、15歳の未成年と大人の男性との性関係を奨励した自分の行為に多いに満足し、そのことを同性愛関係の講演で誇らしげに語ったりしていたのである。21年前に自分は無知だったからなどという言い訳は全く通じないのだ。

第一、ジェニングス氏がどんな教育をうけたのかは知らないが、21年前でも、これが未成年の少女がバス停で知り合った見ず知らずの大人の男性の自宅へ行ってセックスしたという話だったら、その話をきいて、それを当局に通報しない教師などいただろうか? 少年がついていった大人が大量殺人鬼や強姦魔だったらどうなっていたと思うのだ? 

それを少年にコンドームを付けるように指導して大人とのセックスを奨励したのは、ジェニングス自身、未成年と大人との性関係が悪い事だと思っていない証拠だ。ジェニングスはそのような行為が一般の子供達から異常だとか悪い事だとか思われない環境づくりをしたいと宣言しているのである。

こんな人間に教育政策の顧問をやらせてもいいのか?

保守派の批判はそこにあるのだ。

October 2, 2009, 現時間 8:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 22, 2009

フランス、イスラム女性のバーカを禁止に?

フェミニズム , ヨーロッパ , 移民問題

カカシは自由主義者なので、政府が国民にどんな服を着ていいか悪いかなどという法律を作って欲しくはないのだが、この件に関してだけはフランスのサルコージ大統領の意見に同意する。

ニコラス・サルコージ大統領はイスラム教のバーカは、全身を覆う宗教服は女性「弾圧」の印であるとし、フランスにおいて歓迎できないと語った。

136年ぶりに大統領として初めてフランス議会で演説をしたサルコージ氏はバーカの件はフランスにいるイスラム教徒にスティグマを与えるものだとする批判者に面し、公共の場に置けるバーカの廃止を支持する意向を明らかにした。

「我が国において、女性が幕の後ろに隠れ世間から遮断されすべての個性を奪われるようなことは許容できません。」と氏はパリの南西に位置するベルサイユ宮殿において長い喝采を浴びた。

「バーカは宗教の印ではない、服従と卑下の印であると、はっきり言わせていただきます。」「フランス共和制の領土内において、歓迎できません。」

何十人も議員達がフランスにおけるバーカ廃止の研究委員会創設を呼びかけている。フランスでは2004年の公立学校からの廃止にも関わらず、少数ながらバーカを着る傾向が強まっている。

サルコージのいうように、バーカは単なる宗教の服というより、女性を圧迫し社会から遮断するもので、イスラム教徒のフランス社会への融合を拒絶するシンボルのようなものだ。

それだけでなく、公共の場で目だけ網戸のようなちいさな窓から除いているような服では、中に何を隠しているかわからないしテロリストに悪用される可能性は大きい。テロリストとまではいかないまでも、空港や銀行や市役所や裁判所など、身元が確認できないような格好は犯罪者にはもってこいの衣装だろう。こういう服装を違法にしても人権侵害にはならないはずだ。

もちろん反対派は、イスラムキ教の服装だけ廃止するのはイスラム教にスティグマを与え、かえってイスラム教徒を刺激するのではないかと批判する。はっきり言ってイスラム教徒は甘やかされる分暴走してきたのだから、寛容や許容がイスラム教徒らをなだめるどころか、かえって過激派をつけあがらせるだけだということをフランス社会は学ぶべきである。

少なくともサルコージ大統領にはそれが理解できているようだ。

June 22, 2009, 現時間 9:37 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

June 9, 2009

グォンタナモ収容所を閉めてはいけない理由

ネット戦争 , フェミニズム , 対テロ戦争

小山のエミちゃんが私の反論に反論しているのだが、あまりにもこじつけのような反論だし、時差ぼけでやたらにやり合う元気は今ない。グォンタナモ収容所閉鎖について、保守思想のマイク・ロスさんが、エミちゃんのコメント欄で貴重な情報を提供してくれているので、そちらのほうを紹介しておきたいと思う。

でもその前に、彼女の前置きについてひとこと。

わざわざクレタ島(クリートは英語読みで現地語ではクリティに近いらしいのだが、日本語ではクレタで定着しているのでそう表記する。現地語読みするのも日本語として定着した読みをするのも良いと思うけど、第三国の発音でカタカナ表記するのは変だと思う)でバケーション中にわたしの相手なんてしなくていいのになぁ。クレタ島で過ごせる貴重な時間がもったいないでしょ?

昨日、日本に居る父に「クリート島ってとこに行ってたんだよ。」と言ったら「そんな島は知らんなあ、、クレタ島のことかな? だったら第二次世界大戦で海上大合戦のあった島だが、、」と言われて、はじめてクリート島のカタカナ表記はクレタ島だということを知ったカカシであった。(言っとくが、私はクレタ島に遊びに行ったのではないからね。)クレタ島をクリート島と表記したのは、英語ではそう表記されてるからだし、現地の人の発音もそれに近かった。外国住まいのカカシが日本語のカタカナ表記を知らなかったからってどうってことないでしょう。こういうくだらないことを重箱の隅をつつくみたいにほじくるからリベラルは嫌いよ。では本題。

先ず、水攻めにあった三人の収容者がどのような人物であったのかという件について、マイクさんはウィキペディアを引用してこのように説明している。

Wikiによると、水攻め(Waterboard)されたのはカリー・シェイク・モハメッド(Khalid Sheikh Mohamed)とアブー・ザバヤハー(Abu Zubayahah)。この二人がテロリストではなく、テロ支援者の疑いで捕まっただけでしょうか?

紹介されたウィキによれば、カリー・シェイクは911攻撃陰謀を企てた首謀者であり、1993年の貿易センター爆破事件を初めバリのナイトクラブ爆破事件、未遂で終わった2002年のロサンゼルスバンクタワー攻撃計画、アメリカン航空爆破計画、ダニエル・パール記者斬首虐殺事件などにも加担していた事実を認めている。この事実は911調査報告書に記載されているという。ちなみにオバマ政権が公表したCIAの取り調べ法に関するリポートには、取り調べによってどれだけ貴重な情報が得られ、危険がテロ計画が未遂で阻止された事実は一切隠されていた。

もし、テロリスト=自爆で死んだ人の定義であれば、確かにテロリストではありませんが、テロリスト=テロの計画にかかわった、もしくはテロをプロデュースした人の定義でいけば、彼は立派なテロリストです。

また、彼は”戦場”で捕まった。そして、私服で戦闘にかかわったとなると、第二次世界大戦のルールで行けば、その場で射殺されても国際法上問題が無かった人物です。

小山エミやリベラルが解っていない、もしくはわざと解らない振りをしている大切な事実は、グォンタナモの収容者は単なる犯罪容疑者ではなく、不正規敵側戦闘員として捕虜となったテロリスト達なのだということだ。

もし、アメリカが敵国と戦争して敵側の正規軍の兵士を捕虜にした場合、個々の兵士の罪が裁判にかけられるということは先ずない。しかし正規軍の兵士は捕虜としてジュネーブ協定によりその人権も保証されている。

だが、不正規戦闘員の場合はそうした権利は全く保証されていない。彼らは単なる犯罪容疑者でもなければ、正規軍の捕虜でもない。だから普通に民間の裁判で裁かれるべき人間ではないし、だからといって証拠不十分などという理由で解放するわけにもいかない。母国が引き取ってくれなければアメリカ政府が半永久的に拘束する以外にない危険人物ばかりなのである。

ジュネーブ協定に関するエミちゃんの誤解について、マイクさんとエミちゃんのやり取りを読んでみよう。

エミ:兵士はジュネーヴ条約に基づいて捕虜として扱われるべきで、グアンタナモのような扱いは許されません。第二に、理由があって連れて来られたのかどうかは裁判で明かされるべきで、その裁判を受ける権利を否定するのは認められません。

マイク:ジュネーブ条約を読んでください。Guantanamoで収容されている捕虜は対象外です。また、このような人たちは犯罪者として取り扱われるのではなく、処刑される位置づけの人たちです。すなわち、生きている事自体が”恩赦”である存在です。アメリカは現地に引き渡すと殺される存在に対して慈悲をあたえ、リスクをとってまでしても一部を自由にし、リスクをとりたくない、もしくは受け入れ先が無いのが現在残っているわけです。選挙で政治家として発言したオバマ氏でさえ、ブッシュと同じ判断に至っています。

エミ:あの、だからさ、わたしはかれらは犯罪者もしくは捕虜として扱われるべきだ、と主張しているの。犯罪者なら公正な裁判を受ける権利があるし、捕虜ならジュネーヴ条約の保護を受けます。そのどちらでもないと決めつけたのはブッシュ政権であって、わたしじゃないですよ。

マイク:権利のない人を権利のある人同様に”犯罪者”として扱う事は危険です。その為にジュネーブ条約が有ります。あなたはジュネーブ条約を盾にした意見を述べていますが、同時にジュネーブ条約を無意味にしています。その矛盾を理解していただけないのなら話は前進しません。どちらでも無いと決めつけているのはブッシュ政権ではなく、ジュネーブ条約です。一度ジュネーブ条約を読んでみてください。

ジュネーブ協定を強調していながら協定の内容を理解していないエミちゃん。自分で下調べをせずにリベラルトークショーホストの受け売りで物をいうからこういうことになる。

また、こういう人間たちをアメリカ国内の刑務所に収容することの危険性についてもマイクさんはこう説明する。

すでに釈放されている人口のうち、7人中1人は釈放された国でテロを行っています。これまで、テロ容疑でアメリカ国内で逮捕された人は獄内でリクルート行為を行い、その結果、未遂に終わっているが、国内でのテロ事件はこの人たちによって計画され、実行に移されている。

罪が無い人がテロのレッテルをはられる事は問題かもしれないが、Guantanamoにいる囚人はテロに関与していると断言しても良いほどテロに関わってきた人たちだ。その人たちをアメリカの犯罪者と一緒の環境においても良いと言う考え方に問題があるとおもいますが、いかがでしょう? それとも、囚人の家族には説明しなくても良いと?

エミちゃんはテロリストが国内の刑務所に収容された場合の脱走の危険しか考えていない。だが、危険なのは脱走だけではない。

これらテロリストがアメリカ市民の犯罪者をテロ集団に勧誘する可能性も考えなければならない。刑務所で知り合った釈放間近の収容者をスパイに使う可能性もある。また国内に収容すれば、国外では与えられなかったアメリカ国内の法律がテロリストにも当てはまるという議論が生じる。そうなれば、テロリスト仲間の弁護士などを通じて国内でのテロ作戦が実行に移される可能性は大きい。

また、テロリストでも重要人物が何処の刑務所に収容されているかが公になれば、テロリスト仲間による刑務所攻撃テロも充分に考えられる。地元の人が反対する理由はこの危険性を恐れてのことである。

グォンタナモは閉鎖すべきだ、テロリストは国内の刑務所に移すべきだ、と言うのは簡単だが、そうした場合に起きる国土保証に危険を及ぼす大きな弊害についてエミちゃんをはじめ、リベラル連中は全く考えていない。人権がどうの自由がどうのと大騒ぎする割には、アメリカの自由もアメリカ人の人権も踏みにじろうとするテロリストによる攻撃には全く無頓着なリベラルたち。

エミちゃんは以前に、ブッシュ政権時代の取り調べ法は憲法違反だと書いていたが、これには全く根拠がないばかりか、完全な誤りである。エミちゃん風に言えば「嘘」である。それにういてマイクさんの説明はこうだ。

”水攻め=拷問”とするにはまず、拷問を定義しなければなりません。人の命を助ける目的で水攻めなどの行為を行う事は”拷問”ではないと判断されています。すなわち拷問の”Intent”がなければ拷問ではない。これがアメリカ法務省が下した結論です。この結論に基づいて政府の役人が業務を遂行した。それを後からリベラルの方々は”犯罪”扱いにしている。何を根拠に? 人の命を守るため、法の範囲内の行動を行った人を裁判に引きずり出し、人生を破壊し、どのようなメリットをMacskaさんは得られるのですか?

すべてのやり取りを読んだわけではないのだが、きちんと事実調査をしているマイクさんに比べ、いかにエミちゃんが印象だけで事実に基づかない議論をしているかが解る。

June 9, 2009, 現時間 2:55 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 31, 2009

国土安全保障に完全にクルーレスな左翼変態フェミニスト

アメリカ内政 , ネット情報 , フェミニズム , 対テロ戦争 , 独裁者オバマ王の陰謀

昨日は時間切れで詳しくエミちゃんの指摘に対して反論することができなかったので、本日は返答がてら、国防の大切さについて語りたいと思う。先ずはこれ、

オバマが「水攻めにあった三人のテロリストにやたらな同情をしている」という記述には、何の根拠もない。そもそも三人はテロリストではなくテロリズム支援者という疑いを持たれて米国によって拘束された人たちであり、少なくとも拷問を受けた時点において何の犯罪でも起訴されていない。そしてオバマが拷問に反対するのは、必ずしもかれらに同情しているからではなく、拷問をしている国家として国際的な非難を受けるばかりか、かえって反米感情を高め、米国人の命を危険にさらすと判断しているからだ。そのこと自体に異論があるならそうオバマを批判するべきで、オバマは国民の安全をまったく気にせずテロリストにやたらと同情している、というのでは話にならない。

他人のかいてることを嘘偽りだという割にはエミちゃんのこの記述には真実がまったくない。水攻めにあった三人は自他共に認めるテロリストであり、彼らから得た情報によってテロ陰謀が未然に防がれたという事実があるのである。かれらは単にテロ支持者の疑いを持たれたなどという生易しい人物らではない。

水攻めが拷問かどうかという話はとりあえず避けるとして、オバマによる「拷問をしている国家として国際的な非難を受けるばかりか、かえって反米感情を高め、米国人の命を危険にさらすと判断しているからだ。」という考えが、いかにナイーブで国を危険に陥れることになるかという話は何度も指摘して、そのように何度も批判している。だいたい私の文章をちゃんと読んでいれば私が何を批判しているのかは明白なはず。それをわかっていてわざとこういう風に私の文章のスタイルを批判して、本点をずらすやり方は感心しないね。

さて、グォンタナモ収容者に関するこれについても私はエミちゃんの非常識さにあきれてしまった。こと国土安全保障とか戦争とかって話になると彼女はまったくクルーレスだね。

拘束された人たちはテロリストとは限らない。また、オバマ政権が機密メモを公開したのは、そこに書かれた「取り調べ方法」は米国憲法及び国際法に違反した行為であり、今後同じ手法を使わないと決めたからであって、それをテロリストが知ったところで今後アメリカがどのような取り調べを行なうかは分からないはず。だいいち、「水攻め」をはじめとした拷問が行なわれていることはメモ公開以前からも報道されていたことで、オバマが公開したからはじめて知られたわけでもないし、そもそも拷問というからには準備しておけば耐えられるような生易しい手法ではないはず。

グォンタナモに収容されている人間がテロリストとは限らないどころか、ほとんどが、イラクやアフガニスタンでアメリカ兵を殺そうとしたもしくは殺した敵側戦闘員なのだ。彼らは単にテロリストの疑いをもたれて逮捕されたというような犯罪容疑者ではないのである。また、CIAの取調べ法がアメリカの憲法を違反した行為だというのは真っ赤な嘘だ。ブッシュ政権下において、水攻めも含めCIAの取調べ法が憲法に違反するかどうかという調査がおこなわれ、これは違反ではないという判断が下されている。オバマ王は今になって、この判断を下した弁護士を戦争犯罪という罪で裁判にかけようなどと示唆しているのだ。これが国際法に違反したものであるという判断もされていない。しかし、国を守ることと国際法とどっちが大事なのかということになれば、国防を選ぶのは大統領たるもの当たり前だ。

公開された取調べ法は単に水攻めだけではない。他にも色々なやり方が公開されてしまった。たとえオバマ王がこれまでのCIAのやり方に批判的な意見を持ち、今後こういうやり方はしないと決めたとしても、過去のやりかたを公開することは非常に危険だ。

まず、アメリカ政府による取調べ方法が他から流れていた事実があったとしても、政府自体がそれを認めるということには重大な問題がある。アメリカの敵国、特にテロリストが多くでているイスラム圏諸国などは、もともとアメリカは悪魔の国だと信じている。その国の大統領が、「おっしゃるとおりでございます」と認めてしまったら、「やっぱりそうだったじゃないか。やはり破壊せねばならぬ。アラーアックバー」てなことになるのだ。

オバマ王になってからのイランや北朝鮮の傲慢な態度を見ればこれは明らかではないか。ブッシュ政権の頃はブッシュのイラク侵攻を見て、自分の国にも攻めてくる危険性を恐れて多少の遠慮を見せていたイランなど、オバマにそんな度胸はないと踏んで今はミサイル発射の実験はする、戦艦をソマリア沖に出動させるなど、国際社会の批判を完全に無視しての行動だ。北朝鮮は北朝鮮でクリントン時代に交わされた核拡散条約を破って核兵器爆破実験をおこなったばっかり。

次に、テロリストがこのメモから何もまなぶことがないというエミちゃんの見解にはあきれてあいた口がふさがらない。

どの国の軍隊でもそうだが、アメリカ軍には捕虜になった場合、どのように抵抗するかという訓練がある。民間人でも軍関係の仕事をしている人間はその仕事にもよるが、危険性の程度によってそれなりの訓練を受ける。

これがどういう訓練かといえば、これまでにテロリストや敵国に誘拐されたり捕虜になったりした人々の体験談から、どのように振舞うことで情報を守りながら、自分の身の安全を守ることができるかを学ぶものなのである。であるから敵がどのような取調べをするかということを前もって詳しく知っていればいるほど効果的な抵抗ができるのである。

今後どのように変化するにしても、テロリストたちがアメリカの過去の取調べ法から学べることは大いにある。それを今後はやり方がかわるので公開しても問題ないなどどといってのけるクルーレスな人にはまったく驚く。そういう奴が大統領をやってるってことがさらに恐ろしい。

ブッシュ政権の高官らは戦争犯罪者として人道に対する犯罪を裁かれるべきだと思う。というのも、イラクのアブグレイブ刑務所はじめ世界各地における米軍兵士が収容者や捕虜を虐待した件については軍事法廷が開かれており、数百人もの下っ端の米兵が直接虐待に加担した罪で起訴されているのに、それを命令した政府や軍の高官の責任がまったく問われないというのではあまりに不公平だもの。というか、米国は第二次世界大戦中に米国人捕虜を「水攻め」にした罪で何人もの日本軍関係者を処刑しているわけで、ブッシュ政権の高官がまったく同じことを命令したのに処罰しないというのはどう考えてもおかしい。

この文章も嘘だらけ。先ずアルグレイブの問題が明らかになったのは、米陸軍で内部告発があり、それを陸軍が自分らで調査した結果、実際に虐待が存在したことを確認した上で、直接関わった看守数人とその直属の上官が処分された。これは変態の看守ら数人の個人的な犯罪であり、彼らは上からの命令で虐待を行ったのではない。刑務所の管理をしていた准将は除隊処分となったが、彼女も「監督不行き届き」で処分されたのであり、虐待命令を下したという戦争犯罪に問われたわけではない。

日本軍の裁判については私は詳しいことを知らないので、言及はさけるが、前政権の高官を裁判にかけることは非常に危険だ。いくら政治的に反対の意見を持っているからといって、そうやたらにライバル政権の高官を裁判にかけたりすれば、今後政権交代ごとに内乱の危険性をはらむ。アメリカの民主主義が200年以上も続いている理由は、政権交代によって前政権の人間が刑務所送りになったり首をきられたりしない平和的な交代が保証がされているからなのだ。

グォンタナモ収容者について、もうひとつ。

収容者を米国内に「解放する」という話に関しては間違いで、多分上記の「自分たちのコミュニティに連れてくるな」というキャンペーンを「コミュニティ内の刑務所に収容する」ではなく「コミュニティに引っ越してくる」と誤解したのだろう。

エミちゃんは知らないらしいが、グォンタナモに収容されてた囚人は、もう何人も解放されている。たいていの場合は彼らの母国に返還されるのだが、パキスタンとかトルコとかでつかまったテロリストは母国が戻って来れれては困るの返還を拒絶する場合がある。そういう人間をどこに解放するかという問題がおき、一時はアメリカ国内に開放するという話が持ち上がったのだ。もちろんこれには民主党も合わせて国内から大反対が起きたのでオバマは取り下げたのだ。

それから最後にこれ、

民主党を別の呼び方で呼べば国民が民主党に嫌悪感を感じて共和党に寄ってくると考えたのであれば国民をバカにしているとしか思えないけれども

ファシストをファシストと呼んで何が悪い? だいたいブッシュをヒットラーとなぞらえるような選挙運動やってた党が、いまさらこんなことをいう資格はないだろう。第一、民主党のブッシュ批判と違って共和党のオバマ批判は事実なんだから問題ないはず。事実を指摘されたからといって指摘した相手を悪く言うほうこそ、国民を馬鹿にしていると思うがね。

May 31, 2009, 現時間 10:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 29, 2009

貧乏人は子を生むな!オバマ第三世界への中絶基金に調印

アメリカ内政 , フェミニズム , 対テロ戦争

先日の23日、1984年にロナルド・レーガン大統領が禁止し、ビル・クリントン大統領が解禁し、再びジョージ・W・ブッシュが禁止した第三世界への中絶資金援助を、新大統領のバラク・オバマは再び解禁した

正確にいうとアメリカから医療に関する援助金を受け取る団体は、妊娠中絶や避妊についてのアドバイスをしてはいけない、アメリカはそのような団体には援助はしないというレーガンとブッシュ政権の規則をオバマが撤回したのである。これについてハッチさんというアメリカ在住の日本人女性のブログを見つけたのだが、彼女のエントリーを読んでいてカカシはものすごく腹がたった。先ずは彼女のエントリーから。

ちょうどわたしがジョイセフで広報・アドボカシーの仕事をし始めた2001年、ブッシュ政権が誕生した。同時に、リプロダクティブ・ヘルスの国際協力分野にも大きな影響があった。それは、ブッシュ政権によって、通称グローバル・ギャグ・ルール(口封じの世界ルール。公式にはメキシコ・シティ政策と呼ばれる)がとられたからだ。

 その政策によって、ジョイセフのパートナーでもある途上国で女性の健康を向上させるために活動している家族計画協会などの現地NGOは、いかなる形であれ中絶に関わりのある活動を少しでも行っているとなると、アメリカからの資金援助は受けられないという状況になった。米国からの資金援助を受けるためには実際に中絶にかかわりのある活動は一切行いませんというような署名をさせられるようになった。

 さらに、途上国のリプロダクティブ・ヘルス支援を行っている国連機関である国連人口基金もアメリカからの資金拠出が凍結されてしまった。

 この中絶に関わりのある活動を行えば資金を得られないという政策。途上国の女性の健康問題をまったく無視しているともいえる。女だけの責任で妊娠するわけはないのに、やむをえず中絶を選択しなくてはならない女性が、安全な中絶にアクセスできない状況に陥る。そして、安全でない中絶で命を落とすのは男ではなくて、女。

 オバマ大統領は、そんな状況を覆す政策転換をしたわけだ!!! 当然だ!といいたいが、でも、やっぱりすばらしい。

中絶のどこがそんなにすばらしいのだ、全く。だいたいアメリカに参政権もない外人にアメリカ国民の税金をどのように使うべきかなどという口出しはしてほしくない。ま、自由主義のアメリカではおせっかいな外人でも物を言う権利はあるから仕方ないが。

ハッチさんの書いていることには多くの問題点がある。先ず、彼女は中絶や避妊のことを「リプロダクティブ ヘルス」"reproductive health"と書いているが、これを日本語にすれば「再生」とか「生殖」に関する「保健」という意味になる。中絶や避妊のどこが再生や保健につながるのだとお聞きしたい。

アメリカはジュデオ・クリスチャンといってユダヤ教及びキリスト教の道徳が基盤となって出来た国であり、いまでも非常に信心深いひとが多い。人工中絶に関してもアメリカ国民の60%以上がなんらかの形で反対しており、これに関してバラク・オバマと同じ意見を持つひとは8パーセントだという。

アメリカでは一般に、人工中絶を容認する人々のことをプロチョイス(選択を好む)主義といい、人工中絶に反対する人々をプロライフ(命を好む)主義と呼んでいる。だが、自分はプロチョイスだと言うひとのなかにも、その詳細を吟味してみると、どちらかといえばプロライフに近い主義の人が多い。

上記の記事いおいてカトリック信者を対象におこなったアンケートでは、どんな場合でも中絶は反対と言う人に、母親の命が危険に及ばない限り、とか、強姦や近親相姦によって妊娠した場合は除くといった条件付きの反対も含めると、なんと回答者の63%までがプロライフのカテゴリーにはいるという。

つまり、国民の60%以上もの人間が不道徳で罪ある行為であると考えている行為に、アメリカ国民の税金がつぎ込まれることになったのである。これのどこがすばらしいのだ?

もっとも、大統領の政策がアメリカ国民全員の賛同を得られるというわけではないから、国民の過半数が反対しているからという理由だけで、大統領の政策が正しいものではないという理屈にはならない。ブッシュ政権下のイラク戦争も、多くの国民が反対していたが、国の税金で賄われたわけだから。

しかし、この中絶に関する政策には、もっと重大な問題がある。ハッチさんのサイトを読むと、彼女がすくなくとも一児の母であることがわかる。彼女自身は先進国のアメリカで裕福に子育てをしておきながら、第三世界の途上国家の女達に中絶を勧めるというのは、「貧乏人は子供を生むな」という非常に人種差別的な発想が伺われる。

カトリック教会はこのような自称慈善団体とは違って、大昔から第三世界で貧しい現地の人々の救援活動を行って来た。どんな子供も神から授かった価値ある宝だと説得してあげることのほうが、要らない子供はどんどん殺せと教えるより道徳的だと思うがね。

アメリカはオバマ大統領のおかげで、このような不道徳的な教育の一端を担ぐことになったのである。こんなチェンジ誰が要る?

January 29, 2009, 現時間 1:01 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 18, 2008

カカシ、変態フェミストの挑戦を受けて立つ! オバマと左翼過激派市民団体ACORNの悪質な関係

アメリカ内政 , フェミニズム

カリフォルニア州の結婚に関する憲法改正の決議案第8条が通ったので、自称クィアー(Queer)の左翼フェミニストこと小山のエミちゃんはどう思ってるのかなと思って彼女のブログを覗いてみたら、なんとカカシのことが書いてあるではないか。しかも私がオバマに関してマケイン選挙運動陣営のデマを鵜呑みにしているという指摘である。

ま、すでにオバマが勝ってしまったので、こんな話を今更してもしょうがないかなとは思ったのだが、オバマが大統領選に勝ったのも、小山エミのようなリベラル運動家やオバマべったりの主流メディアが事実を隠蔽し、事実を指摘したマケイン陣営及び保守派を嘘つき扱いしたことが、多少なりとも影響を与えたことは否定できない。

よって主流メディアの嘘や隠蔽による間違ったアメリカ像を正したいという目的でこのブログを始めたカカシとしては、小山エミの挑戦に受けて立つ責任があるだろう。

左翼過激派市民団体ACORNの正体

先ず最初に小山エミが「無視できない」としているのはカカシの書いたこのエントリーのこの部分である。

オバマには選挙違反連続で警察沙汰になっているACORN(エーコーン)という市民団体がくっついている。このグループは選挙権があろうとなかろうと移民や犯罪者に金を払って選挙登録をさせ、その名前を使って投票権を自分らで埋めて郵送するという違反で何人もそのメンバーが逮捕されている。

これについて、小山エミはACORNは低所得者の選挙登録を援助する中立な市民団体であると説明する。

いくら民主主義といっても、貧しい人たちの意見が政治に反映されないので、特に貧困地域において、多くの人たちが有権者登録を呼びかける活動を行なっている。 ACORN もそうした団体の一つで、登録用紙を持参して街頭などで登録を呼びかけ、その場で記入・署名してもらってそれを持ち帰り、まとめて選挙管理委員会に提出している。

こうした活動をする団体は、党派的には中立の立場にあり、登録呼びかけ活動中にその立場を利用してどの候補や政党に投票すべきかという話をすることは認められていない。けれども、貧しい人がよりたくさん投票すれば、自然と貧困層、そしてその多くを占める非白人層の支持を多く集めている民主党が有利になる。だから、民主党は有権者登録の呼びかけに好意的であり、共和党はなにかにつけて文句をつけようとしている。

共和党がACORNの活動に文句をいうのは、そのあからさまな民主党支持とそのあくどい手口について言ってるのであり、低所得者に民主党支持が多いからではない。多少でもACORNの背景を知っているひとなら、彼らがおよそ中立な市民団体などではないことは充分承知のはず。左翼運動家の小山エミがその事実を知らないはずはないので、はっきり言って上記の供述は「おとぼけにもほどがあるね」と言うもんだ。それではACORNがどのように選挙違反をやったのかという話をする前に、ACORNがどんな団体なのかという話からしておこう。

ナショナルレビューに載ったスタンリー・カーツの記事を参考にACORNの歴史を追って観よう。ナショナルレビューは保守派の政治マガジンでカーツは保守派の政治評論家。

ACORNはAssociation of Community Organizations for Reform Nowの略で、「いますぐ改革するための共同体組織編成同盟」とでも訳すのかな?名前からして社会主義丸出しという感じがするが、カーツによるとムーブオン・ドット・オーグ(MoveOn.org)やコードピンクなどと並ぶ「アメリカ最大の過激派グループ」で、その過激ぶりは他の二つをしのぐという。

ACORNは1960年に生まれた過激派新左翼の後裔で、バリバリのアンチ資本主義のグループの中でも最も過激で破壊的なthe National Welfare Rights Organization(全国生活保護権利組織)略して NWRO から別れたグループである。NWROは生活保護事務所に座り込みなどをして生活保護の資格を緩め、より多くの人々が保護を受けることで生活保護のシステムそのものを破壊しようとした。既存の行政組織を破壊することによって新しい社会主義社会を作ろうというのがその目的だった。

ACORNはNWROから目的は変わっても1960年代風の恐喝的まがいの過激な運動方法は変わっていない。ただより賢くなったACORNは地方で活躍し、全国的なメディアのレーダーにひっかからないように運動している。彼らの新しい目的はウォールマートのような大型スーパーを標的に労働者の最低賃金の引き上げをすることだ。無論企業にそんな圧力をかければよ労働者の賃金があがるどころか、スーパーはそういう地方を敬遠するため地元の経済はよけい貧困になるという結果を生んだ。その上ACORNは生活保護法の改正には絶対に反対しているので、貧困な地方では生活保護から抜けられずに何代にも渡って生活保護をうける家庭が多く出来てしまった。しかもACORNは金融機関にもっと厳しい規制を与えるような訴訟をほのめかして多額の「寄付金」を強請り取り民主党候補への選挙運動に横流ししたりしているという。

ACORNの過激的社会主義の思想は彼らの信じられないような主張に現れている。最低賃金を引き上げる法律を通せば、地方の企業は他へ引っ越したがることを充分に理解しているACORNはそういう企業は「出口ビザ」を取得すべきだなどと平気で提案している。これではまるで旧ソ連の共産主義そのものだ。

ACORNの抗議者が連邦準備銀行の公聴会を邪魔したりしたこともあるが、どちらかという地方市議会などへの暴力的な抗議の方が目立つ。オバマが代表するイリノイ州のシカゴなどはその支部がかなり幅をきかせている。バルティモアーでは銀行重役たちの晩餐会に乱入したり、市長の家にバス四台の集団で集まり、家の前で叫び立てて市長の家族を震え立たせたりしたこともある。

このような凶暴な抗議作戦を批判されると、ジョン・アトラスとピーター・ドライヤーという運動家が「右と接する」という論文でACORNの弁護を行ったが、ACORNの暴力的な威嚇作戦が独立した行き過ぎなメンバーによるものだと言い訳するどころか、威嚇作戦は効果があると、ACORNの暴力的なやり方を完全弁護する内容だった。まさしく恥じない過激派である。

ACORNによる組織的な選挙違反

さてここで、ACORNがどのような選挙違反を行って来たのか、ここでその例をいくつか挙げて観よう。

2007年7月、ワシントン州:ACORNによって提出された1800に登る投票登録書が不正に集められたものであったとし、ACORNの従業員7人が起訴された。ワシントン州の記録上最悪の選挙違反であった。ACORN支部は集められた登録書を充分に審議しなかったことを認め、罰金を払い今後従業員の監視を厳しくすることを約束した。(参考、ミッシェル・モルキン

上記のモルキンのサイトでは他にもミズーリ州、オハイオ州をはじめ12の州に渡って行われたACORNによる選挙違反の例が上げられている。

さて時を隔てて今回の選挙においてはといえば:

インディアナ州、レイク群。ACORNは5000の新しい登録書を提出。州当局によるとその最初の2100がすべて偽物であったことを発見した。

フィラデルフィアPhiladelphia:CNNニュースによると、ACORNが提出した8000の登録書に問題があったという。

言っておくが、こんなのは氷山の一角である。ACORNは長年に渡ってアメリカ全土でこのような選挙違反を度々行って来たのである。にもかかわらず変態フェミニストの小山エミは、楽をしたいアルバイトが個人的に勝手にやったことで、ACORN自身も被害者なのであり、ACORNは組織内で登録書をきちんと審議し、メンバー教育もきちんと行い、悪いメンバーは調査したうえ当局に引き渡し、全面的に協力しているといいはる。

ACORN は、集められた登録用紙をそのように分類した上で(つまり、怪しげな登録用紙は「これは怪しいですよ」とはっきり伝える形で)選挙管理委員会に提出し、委員会が不正と判断したものについてはその登録を行なったアルバイトを判定し、もし法的追求があれば警察に協力する。なぜなら、そうした行為は ACORN の評判に傷をつけるものだし、それ以前に ACORN はその件において詐欺の被害者だから。かれらは、できるだけ多くの貧しい人に投票に行ってもらうためにこのような活動を行なっているのであって、不正な登録がいくら行なわれても投票率向上にはまったく寄与しないもの。

「秘書が勝手にやったことでして、、わたくしはその〜全く関知しておりません、、、」とかいっているどっかの政治家みたいで全く説得力ないね、こんないいわけ。ACORNがきちんと監視しているというなら、どうして何年にも渡ってあちこちの支部で何度も何度も同じ『間違い』が起きるのだ?これはいくつもの支店で賞味期限切れの材料を使っていた大手の製菓会社が不正があったのはそれぞれの支店が勝手にやったもので、本社の方針ではないといくら言い張ってみても通らないのと同じである。不正の数が長年広範囲に渡って広がっていれば、それは組織ぐるみの方針であると考えるのが常識。すくなくともACORNは登録書集めにしろ従業員にしろ管理不行き届きであることに間違いはない。だが、ACORNの過激で違法行為もいとわない抗議活動を考慮にいれると、これらの不正が単なる個別の郡然で片付けるわけにはいかない。エミちゃんがこんなに簡単に国民を騙せるとおもってるところにリベラル特有の優越感とおごりがある。どこまで人を馬鹿にするんだとききたいね。

ちなみにACORNはどんな連中を自給8ドルでアルバイトに雇っているのかというと、このラスベガスで起きた選挙違反事件では、集められた65000の登録書があやしげなものだったとされ、しかもアルバイトの59人が前科ものの犯罪者だったというのだ。重犯罪者は他人の個人情報を集めてはいけないことになっている。だからACORNは不正な登録書を集めたこと以外にも前科ものを雇うという違反をしていたのである。

これらの違反がすべて偶然だというなら、何故すべての偶然が左翼のアジェンダに利益になるのかを考えてもらいたい。もし不正が偶然なら、民主党にも共和党にも同様に利益になる不正登録書が集められるはずである。単なるアルバイトが楽してアルバイト料をもうけたいだけなら、登録する人間が民主党でも共和党でも関係ないはずだからだ。それがどうして常に集められた不正登録書はすべて民主党なのだ?アルバイトが単に楽したいだけだとしても、何故常に民主党を選ぶのだ?

その答えはあまりにも明白で今更書く必要もないが、あきらかにACORNがアルバイトをそのように指導しているからに他ならない。

オバマとACORNの関係

しかし、ACORNがどれだけ悪徳で過激な市民団体であるかということがわかっても、それと次期大統領のバラク・オバマとどういう関係があるのかという疑問が生まれる。それが関係大有りなのである。これについてエミちゃんはこう語る。

オバマが ACORN に所属していたというのははっきりした間違い。オバマは政治家になる前に ACORN と似たような活動をする別の団体に所属していたし、ACORN が州政府を訴えたときに弁護士として ACORN を代弁したことはあるけれども、ACORN のメンバーだったことはない。FOX News などでは「ACORN のスタッフを対象に講習会を開いていた」という話も出ているけれども、年に一度のイベントに講師として呼ばれていたというだけ。どこが悪いというのか。

カカシがオバマはACORNのメンバーだっとと書いたことは確かに間違いだったので、それは認めておく。オバマは将来政治家になることをかなり早くから決めていたから、こんな組織のメンバーになるようなヘマは犯さない。ただし、エミちゃんも認めている通り、オバマはACORNの弁護士だったことがある。それというのもオバマはコミュニティオーガナイザー(共同体組織編成家)だったころ、抗議運動などを主催していた実力を買われ、当時のACORNのリーダーからメンバー達の抗議運動や組織編成を指導してほしいと依頼されており、ACORNの過激なメンバーたちはオバマの指導によってその行動を学んでいたのである。つまりACORNメンバーの行動はオバマの思想にもとづくものなのだ。エミちゃんがいうような「時々講師として呼ばれていた」などという甘いものではない。

また、オバマとACORNの長年に渡る付き合いから、ACORNのメンバーの多くがオバマの選挙運動員として1996年の州上院選の時も2000年の連邦上院選の時もボランティアなどとして働いている。

しかし上記のカーツによれば、もっと問題なのはオバマがウッズファンドとジョイスファンデーションという二つの慈善事業の理事をやっていた時のことである。ニューヨークタイムスによれば、この事業の理事としてオバマは組織の予算をあらゆる慈善団体に分配する権限をもっていた。この事業から予算を分けてもらった慈善団体にACORNが含まれていることは言うまでもない。

ACORNのシカゴ支部はオバマが州上院議員の選挙に出た時あからさまにオバマを支持している。

このようにみてみると、ACORNは左翼過激派市民運動団体であり、そのやり方はきわめて悪どく、オバマとも長年にわたってべったりの関係であったことがはっきりする。最後にエミちゃんの書いてるこの部分だが、、

ACORN がオバマに献金しているという話は FOX News や過激保守ブログですら見たことがないのだけれど(ていうか、ACORN そのものは非営利団体なので、候補や政党への献金はできない)、おそらくマケイン陣営が「オバマが ACORN に八十万ドル払った」と宣伝していることの聞き間違えだと思う。八十万ドルという話がどこから出てくるかというと、今年の春に民主党内でヒラリー・クリントンと激しい指名獲得競争をしていた時に、ACORN と関連のある団体に対して、より多くの人に投票を呼びかけるための活動の資金としてそれだけの額を提供したというのが元。この活動は Get Out the Vote (GOTV) と呼ばれていて、選挙前に集めておいた支持者のリストに選挙当日に電話をかけ、「今日が投票日ですよ、忘れずに投票にいきましょう」と呼びかけたりするもの。米国では選挙のたびにどの陣営も行なっていることであり、何の不正も報告されていない。

何の不正も報告されていないどころか、オバマが8万ドルも払って投票を呼びかけてもらった(eighty thousandだから8万なのよね、エミちゃんは私の英語のカタカナ表記に重箱の隅をつつくみたいにほじくるので、今回はつっこませてもらうわね。)ACORNは民主党に有利なように選挙違反の連続をして、その従業員が何人も逮捕され起訴されているのだ。「なんの不正も報告されてない」なんてよくもしらじらしく言えたもんだ。ま、こういうことをすっとぼけるのはリベラル運動家の常套手段だから驚きはしないがね。

というわけなので、カカシがオバマとACORNについて書いたことは、マケインの流したデマでもなんでもなく、真実に基づいたものだったのだ。無論小山エミのようなリベラル過激派運動家がそういう事実をデマだと言って隠蔽することに成功したから、オバマが次期大統領になるなどという悲劇がおきているわけだが、、、

November 18, 2008, 現時間 10:04 PM | コメント (4) | トラックバック (2)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 16, 2008

カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日

フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化

今年の五月にカカシはカリフォルニア州の最高裁が同性同士の結婚を禁止する州法がカリフォルニアの憲法に違反するとして、州民の60%が投票した州法22条を違憲とし、事実上カリフォルニアにおける同性結婚を認めたという話をカリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決したで述べた。

そこでカリフォルニア州の保守派が中心となって、結婚は成人した一人の男と一人の女との間でのみ認められるという憲法改正案を提案、今回の全国選挙の際に州民の投票によってこの憲法改正案の決議案8条は見事に通った。

土曜日、これに抗議した同性愛者たちが全国で一斉に抗議のデモ行進を行った。ロサンゼルスタイムスの記事によると、ロサンゼルスでは、抗議者達が市役所前に集まり、虹の旗や「ミスターナイスゲイはもう止めた」「憎しみにノー」などのスローガンを書いたサインなどをかかげて肩を組んで歌いながらダウンタウンに繰り出したという。

はっきり言って、結婚は「一人の男と一人の女の間のみで認められる」という法律のどこに同性愛者に対する憎しみが含まれているというのか、自分らの身勝手な要求が受け入れられないと、すぐに他人の差別意識や憎しみのせいにするのはリベラル運動家の悪いクセである。

ロサンゼルス警察の概算によると1万から1万2千の抗議者が集まったが、予測された4万をかなり下回る数だったようだ。

いくら運動家たちが抗議のデモ行進をしてみても、カリフォルニア市民が投票して決めたことなので、これ以上どうすることも出来ない。こういうデモ行進は選挙の前に行って市民の理解を仰ぐのが正当なやり方だ。だいたい同性結婚を法廷を使って無理矢理市民に押し付けようとしたことが、今回の憲法改正案につながったのだということを運動家たちは心得るべきである。州民の理解を得たいのであれば、州民の意思を冒涜するような裁判を起こすべきではなかったのだ。

しかし同性結婚奨励派の運動家たちは何故かその「憎しみ」を宗教、特にモルモン教に向けている。運動家達が持っていた看板のメッセージを読んでみると、、

「もし天国が差別するなら行きたくない。」
「同じ聖書が奴隷を正当化した。」
「一夫多妻制度のどこが伝統なのさ?」
「どこに私のゲイ税金控除があるの?」I
「ジョセフ・スミスの33人の妻達。対してゲイの妻はひとり」
「私はゲイに生まれた。お前らは宗教を教えられた。」
「兄貴が結婚する、、また!なんでおれは一度も結婚できねんだ?」

とまあ、宗教にあてつけたメッセージが続く。憎しみを止めろ、とか言ってる割にはどっちが憎しみを煽っているんだとききたいね。ま、左翼市民運動なんてのはいつもこういう偽善に満ちているものだが。

興味深いのは、同性結婚を認める理由として黒人と白人の結婚の例がよく上げられるが、当の黒人は出口結果によると2:1の割で決議案8条に投票したという。黒人と白人の結婚は同性結婚とは全く別もの。一緒にされてはたまらないといったところだろう。

カカシには同性愛の友達が結構いるが、結婚したいと言っている人はいない。過激派の同性愛運動家はこうしたごく普通の同性愛者にとっては非常に迷惑な存在だ。何故なら結婚ではなく、シビルユニオンというほぼ結婚と同じような保証がされるシステムなら、私を含め多くの州民が支持してきた。だが、今回のような極端なやり方をみて、あのシステムは結婚を無理矢理私たちに押し付ける策略だったのだと気がついた州民の多くが今後同性愛者の立場をよくする法律にはその都度疑いの目を向けるようになるだろうから。

November 16, 2008, 現時間 5:41 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 25, 2008

同性結婚は文明社会を破壊する、その2

アメリカ内政 , フェミニズム , 人権擁護法 , 同性婚 , 宗教と文化 , 狂ったメディア

以前に私は同性結婚は文明社会を破壊するというエントリーで、同性結婚を合法にしたスカンジナビア諸国で、結婚制度そのものが崩壊状態にあるという事実を紹介したことがあるが、今回はさらにもっと詳しい調査をミスター苺がしてくれたので、それを紹介しよう。

ヨーロッパ諸国ではすでに結婚する人々の数が激減している。同性結婚が合法であるベルギーやオランダだけでなく、結婚の宗教的価値を往々に見放してきているヨーロッパ全体にこの傾向が強い。結婚の価値が見下されれば結婚そのものの数が減るというわけである。結婚する人の数が減るにつれ、すでに深刻な少子化問題を抱えていたヨーロッパでは出産率の低下は進む一方である。

CBSの調査では、オランダの場合1995年から200年にかけて結婚率はゆっくりではあるが上がりつつあった。しかし同性結婚の合法化運動が置き始めた2000年から実際に合法化された2001年の中頃から上がりつつあった結婚率は急激なUターンをし、その数は急降下してしまった。2005年になると結婚率が最低だった第二次世界大戦当時同率まで落ちてしまったのである。

もうひとつのCBSの表を見てみると、1995年から2000年までは一年間で結婚した人の数は1000人のうち平均5.5人だった。しかし2001年からその数は減り始め、2006年には4.4人というなんと20%の減少となった。

その間の出産率(一人の女性が一生のうちに生んだ子供数)は多少増加し1.53人から1.73人となった。しかしこの増加はすべてモロッコやトルコ生まれのイスラム教徒の移民の女性のおかげである。オランダ生まれのオランダ女性の出産率は2000年から2005年まで、1.7人と全く変化がなく、人口維持に必要な2.1人を大幅に下回る。

無論ヨーロッパに置ける結婚率や出産率の低下をすべて同性結婚のせいにするわけにはいかない。同性結婚をみとめていないフランスでもこの傾向はあるからだ。

しかしヨーロッパ全体で結婚率が減っている理由として次のことが上げられる。

  • どちらの落ち度も問われない、簡単な離婚法
  • 神前結婚を拒絶し世俗式結婚をするカップルが増えていること
  • 同棲や婚外出産への大幅な許容
  • より左翼的社会主義的政府による伝統的な宗教や道徳観の迫害
  • ヨーロッパ全土でおきている一般的な宗教拒絶の姿勢

つまりヨーロッパ人は伝統的な道徳観の大事さを忘れつつあるので結婚が特別な制度であるという考えも失いつつあるのである。だから結婚の定義に同性を含むことに何の抵抗もなくなってしまったというわけだ。

喜ばしいことに、いまのところアメリカではまだ結婚率も出産率も減少の傾向はない。ロサンゼルス・タイムスの世論調査によると、この間州最高裁で同性結婚を一夫一婦制のみに認めるという法律を違憲という判定が出たカリフォルニアは、州民の過半数が同性結婚合法化を阻止するための憲法改正案を支持していると発表している。カリフォルニアはアメリカ国内でも非常にリベラルな州で、州民のほとんどが同性愛そのものには特に問題がないと考えている。そのカリフォルニア州民ですら同性結婚を拒絶しているくらいだから、近い将来アメリカ全土でそのような法律が通るなどということは先ず考えられない。

同性結婚を認める法律が存在しているのは、アメリカではマサチューセッツだけだが、これも決してマサチューセッツ州民が選挙で決めたことではなく、マサチューセッツの法廷が勝手に決めたことなのだ。マサチューセッツの民主党議会はこの問題を市民に問いかけることを徹底的に拒絶している。それは州民投票を行えば州民が同性結婚を拒絶すると知っているからに違いない。

しかしヨーロッパでは、イスラム教移民による横暴のバックラッシからなのか、最近カトリック教が再び人気を挽回しつつある。トーマス・野田神父のサイトでフランスへの巡礼の模様が報告されている。ヨーロッパ中から集まった若いひとたちの姿が多いのは喜ばしいことだ。ヨーロッパ崩壊を防ぐためにも、ぜひともヨーロッパの人々に結婚の大事さをもう一度見直してもらいたいものだ。

May 25, 2008, 現時間 9:32 PM | コメント (1) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 17, 2008

過激派イスラム教徒に蝕まれる英国警察

フェミニズム , ヨーロッパ , 人権擁護法 , 宗教と文化

先日放送協会へ訴えられていた英国のチャンネル4制作部は、訴えが棄却され、訴えていた英国警察側が制作部に謝罪と慰謝料を要求されるという出来事があった。

訴えられていたのはチャンネル4で、英国内の聖廟における暴力的なお説教を暴露したドキュメンタリー「Undercover Mosque(聖廟覆面捜査)」の制作部のメンバー達で、訴えていたのは聖廟のある地元警察の、 ウエストミッドランド警察と検察庁(West Midlands Police and the Crown Prosecution Service)だ。

このドキュメンタリーでは、ある聖廟では聖教師たちが同性愛者やイギリス兵を殺す話や非イスラエル教徒への暴力などを訴えている姿がありありと隠しカメラで撮られていた。警察は暴力を促進している聖廟の関係者を摘発するどころか、反対にその事実を暴露したテレビ局を訴えたのである。原告側のいい分は偏向した編集によって地元の平和を乱そうとしたというもの。まったく話が逆さまではないか。ま、イスラム教暴力団の悪行を暴いたブロガーを逮捕するような国だから不思議でもなんでもないが。

英国ではOfcomと呼ばれる放送業界を監視する審議会のようなものがあるようで、今回Ofcomは原告側の訴えを根拠が全くないものであるとして棄却。さらに原告側に謝罪と慰謝料の支払いを求めた。

以前にも当ブログで、チャンネル4のドキュメンタリーについてや、イギリス警察がイスラム系暴力団への取り締まりに消極的であるという事実はイスラムの横暴に腰抜けなイギリス協会でも紹介している。

イギリスでイスラム教の暴力団が麻薬売買をし未成年の少女たちを売春に追い込んでいるという話は大分前から問題になっている。しかしこうした少女たちの親たちが地元警察に訴えでても警察当局は少数民族の異文化に十分な理解を示していない と責められるのではないかと懸念し、しかもやり過ぎれば人種暴動になりかねないと恐れてイスラムやくざを取り締まろうとしない。

問題なのは今回の事件だけではない。英国の中部や北部のイスラム教移民が多いところでは、地元警察はイスラム教の暴挙をみてみない振りをするのが普通になっているが、最近では警察官のなかにイスラム暴力団メンバーが潜入しているため、家庭内暴力の犠牲となったイスラム教の女性らは警察に被害届を出すのをためらうという。特に警察官がパキスタン系の男性だったら最初から話はしないと言う女性が増えている。パキスタン系の警察官は暴力をふるった男性を取り調べるどころか、かえって夫の暴力から逃げている女性の居所を家族に知らせるというようなことがあるからだという。

女性救済運動をしているあるグループによると、特にウエストミッドランド警察ではこのような傾向が非常に強かったという。

去年紹介されたデイリーメールの記事によると、イギリスの諜報機関MI5の調査で英国内で8人に及ぶ警察官と民間スタッフがアルカエダを含む過激派グループとつながりがあることが疑われている。中にはパキスタンかアフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに参加していた者もいるという。にも関わらず、これらの人物はテロリストとして逮捕されるどころか警察を首にもなっていないというのだ。

イギリスでは警察官に少数民族を多く起用しようという方針がここ数年できたらしいが、イギリス在住のイスラム過激派やテロリストがこの方針を多いに利用してイギリス警察内に潜入しつつあるというわけだ。

これじゃ、バスラの警察がシーア派民兵に乗っ取られたのと何ら変わりはないではないか。そういえばバスラはイギリスの管轄で完全崩壊したいい例だった。その後始末を現在マリキのイラク軍及びアメリカ軍がやっているのである。

自国内でこのざまでは、イラクなどうまくいかないのも当たり前だ。しかし、イギリスはいいのか、このままで?

May 17, 2008, 現時間 9:31 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

May 15, 2008

カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決

アメリカ内政 , フェミニズム , 同性婚 , 宗教と文化

今年の3月8日のエントリーで、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されているという話を紹介したが、本日この法律は違憲であるという判決が下った

この判決は2000年に通った州法22条を覆すものだが、この州法とは、すでに1978年に取り決められた結婚は一夫一婦制という言葉をさらに強調するべく「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」というもので、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた。

民主党が独占するカリフォルニア州議会において、この法律を覆す議案が二回通っているが、知事のシュワちゃんは二回とも拒否権を使って拒絶してきた。その理由は「州民に意志を尊重する」というものだった。ところが、これを最高裁が違憲としたということは、法廷が州民の意志をふみにじったことになる。

この判決には二つの問題がある。ひとつは言わずと知れた同性結婚の合法化による弊害だが、もうひとつは法廷による独裁だ。

同性結婚の弊害については前に同性結婚は文明社会を破壊するで書いているが、一つの州で結婚が認められれば、別の州でも認めざる負えなくなるのでこれはカリフォルニア州の問題だけでは済まされない。

また法廷が気に入らない法律をきちんとした理由もなく違憲としてしまう弊害はこのことだけでは収まらない。アメリカは三権分立を基本としており、法廷に立法権はないはずだ。それが州民の意志を無視して法廷が強引に特定の法律をおしつける行為は非常に問題だ。

では、カリフォルニア州民はこのまま意に反した同性結婚をみとめざるおえないのかというとそうではない。州民には州憲法改正という最後の手段がある。

すでに保守派や宗教グループが協力して憲法改正案を11月の選挙時の項目に入れる運動が起きている。州務長官は6月の終わりまでに選挙項目に入れるだけの署名が集まったかどうか判断を下すことになっている。すでにこのような州憲法改正法は26の州で通過している。これによって憲法が改正されれば、今回の法廷判決は無効となる。

この判決は実は英語で言うところの「偽装した祝福」というものだという見方もある。つまり、11月の一般選挙を前にして保守派が政治に関心を持つ大事な問題が持ち上がったとなると、リベラルが多いカリフォルニアでは普段はあまり元気のない保守派層が何が何でも憲法改正案を通させようと投票に現れるからである。せっかく投票にいったのだから、地元の共和議員にも票を入れておこうということになり、保守派議員には有利な結果が生まれる可能性がある。

また、大統領の大事な役割に裁判官の任命があるが、もし次の大統領が民主党から出れば、連邦政府の裁判官は必ずはリベラルが任命される。特に最高裁ではすでに高齢の二人がおり、次大統領が新しい最高裁判官を二人任命しなければならないことは確実だ。裁判官がリベラルであれば、今回のカリフォルニアの同性結婚のように法廷からリベラルな方針が国民に強制される可能性大である。

全国の保守派がカリフォルニアを見て、次期大統領は絶対に民主党に渡してはならないと考えて、マケインはバリバリの保守派ではないと支持に消極的だった有権者もオバマよりはよっぽどましと気がついてくれるかもしれない。

リベラルの性質はおごりの行き過ぎ。今回はカリフォルニア法廷はリベラルに権限を渡せばどういうことになるかを顕著に表す例であった。そしてこれは保守派の取るべき道をはっきりさせたものと言えるだろう。

May 15, 2008, 現時間 7:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

April 6, 2008

「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな!

フェミニズム , 宗教と文化

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。

【4月5日 AFP】トーマス・ビーティー(Thomas Beatie)さんは、女性として生まれた後、性転換手術を受けて法的に男性となったが、現在妊娠中。雑誌で妊娠が告白されるや性同一性障害者の権利をめぐり、米国で議論が白熱している。

 ビーティーさんは、胸部の整形手術を行い、男性ホルモン療法を受けながらも、女性生殖器を残すことを決心していたという。性転換後に結婚した妻が子宮を摘出したため、人工授精で自分が妊娠することにしたという経緯を公表して以来、数々の雑誌が「彼」を取材した。

 人気のテレビ司会者オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)のトーク番組にも出演した。うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

 ビーティーさんの妊娠は、前月米国のゲイ雑誌「Advocate」に投稿した「愛の労苦(Labor of Love)」と題するエッセイのなかで告白された。

このLaborという言葉はだじゃれで、Laborには「労苦」という意味と「出産」という意味があるのでそれを掛けているのだ。ま、そんなことはどうでもいい。私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい。

男女双方の性器及び染色体を持って生まれたいわゆる両性体質の人が、幼い頃に医者が便宜上選んだ性別にどうしても馴染めず反対の性別を選ぶという例はあってもおかしくないと思う。こういう体質の場合はホルモンの関係もあって見かけと中身が一致しないことはあるからである。

しかし、生物学的に何の異常もなく、はっきりとした性を持って生まれた人間が、大人になって「自分は常に異性であると感じていたので整形手術をして異性に見えるようになりたい」と言うのはどうもいただけない。

それでもまだ、自分は異性ではなく同性に愛情を感じるというのであれば、自分は間違った性で生まれてきたのだと感じたとしても、まあわからなくはない。

だが、私に分からないのは、普通の性を持つ異性愛者として生まれ、異性に対する欲望は全くかわっていないのに自分は異性であると主張する人である。手術後にも女性としての妊娠機能を保ちたいと思っているひともそうだが、手術後も元の性の特質をそのまま保っておきたいと考えるなら、なぜ「性転換」手術などする必要があるのだろうか。

よく、ジェンダーフリーを売り物にする人たちはジェンダーは持って生まれた性に捕われないものだと主張する。もしそれが本当なら、「性転換」という概念自体が成り立たない。つまり、持って生まれた性と自分のジェンダーのアイデンティティーが矛盾してもよいというのであれば、生物学的には女性でも自分は男性だと主張するのは個人の勝手だが、特に男性に見えるような手術をしたり戸籍を男性に変えたりして周りの人間に無理矢理自分は男だと認めさせる必要はないはずである。しかも女性として子供を生むという機能を保ちたいならばなおさらだ。

私は男性から女性への「性転換手術」を行った人物が女性のマウンテンバイクトーナメントに参加したカナダの例をテレビのドキュメンタリーでみたことがある。この人物の私生活は常に野外でするスポーツに始終しており、特に女性らしい生活をしているとはいいがたい。しかもデートする相手は特に男女どちらとは特定していないというのである。だとしたらどうしてこの人が「女性」に「性転換」などする必要があったのだろうか?(レースに勝つための性転換だったとしたらこんな人間を参加させるカナダのスポーツ業界にも問題がある。)

また女性として生まれながら乳ガンでお乳を失ったのをきっかけに男性ホルモン治療を受けながら、男性に魅力を感じるとして男性とつきあっている「元女性」の例も読んだことがある。どうしてこの人は単に男っぽい女性として好きな男性とつきあう普通の生活を望まないのであろうか?女性でもいくらでも男性顔負けの運動神経の人は存在するし、男性が多い学問でも才能を見せる女性はいくらでもいる。(ちゃんと縦列駐車できる女性もいるし、、)それなのになぜあえて男性の同性愛者という異常な生き方を選んだのであろうか?

男女双方の性の特性を両方持って生きたいのであれば、元々持って生まれたジェンダーをそのままにしておいても何の差し支えもないはず。それをわざわざ整形手術で見かけを変えたいというなら、これは美容整形の域を出ない。そんな安易がファッション感覚で「性転換」手術を受けるなど、あまりにも無責任すぎはしないか?

私はこれらの問題は現在の医学会に大きな責任があると考える。いくら最新の整形技術のおかげで、見かけだけはなんとなく異性に見えないこともないという手術が可能だとしても、可能だからやってもいいという理屈は道徳に反すると思う。自分が特定の性に生まれながら異性であると信じ込むひとたちに必要なのは性器整形ではなく精神治療のはずである。

これもテレビのドキュメンタリーでみたのだが、男性として生まれ異性愛者として妻子もある人が、女性になりたいという幻想を拭え切れないので精神科のお医者さんに診てもらったところ、このヤブ医者は彼に性転換をすすめたというひどい例があった。男性は医者に説得され妻子を捨てて性転換手術を受けてしまったのである。捨てられた妻は医者を夫を洗脳したとして訴えていたがその訴訟がどうなったのかその後のことは私は知らない。

性器整形は鼻を高くしたり目をぱっちりさせるような美容整形とは訳が違うのだ。妻子を持ち自らも異性愛者と認めている男性に性転換をすすめるなど医者としてあるまじき行為である。この男性は明らかに精神異常を煩っておるのであり、いかにして男性として生きることが正しい行為であるか理解させるのが医者としての義務である。それを怠って安易に「性転換手術」を治療として施すなど医者の風上にもおけない人物だ。訴えられて当然だろう。

私は原則として「性転換」という名前の性器整形手術には反対だ。整形して見かけを異性に変えることを考えるまえに、自分の個としての自我の確率に力をいれるべきだ。男として女として生きるということは、見かけだけで決まるのではないのだから。

April 6, 2008, 現時間 11:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 22, 2008

人権擁護法絶対反対! 市民の判断よりお上の判断を信じる推進者たち

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 移民問題

社会でおきる差別行為は差別をする法律さえ取り除いてしまえば、後は自由市場が解決してくれる、また人権を迫害するような言動も個人から構成される社会の道徳的な判断によって制裁される、というのがカカシの主題だ。だが、自由市場に任せておいては完璧な解決は望めない、もしくは能率的で早急な解決は無理だと主張する人々が後を絶たない。

人権擁護法推進者や男女共同参画やジェンダーフリーを唱える人々がその部類だが、彼等に共通しているのは、自由市場や個々の市民の判断で解決できない問題が、なぜか法律を通すことによって解決出来ると考えている点だ。例の左翼変態フェミニストや当ブログに宛てられたあるコメンターの意見などはその典型的な例である。私の他人を侮辱するような行為や人道的に正しくない行為は法律で罰するのではなく、社会が制裁すべきだという意見に対してこのコメンターはこう述べた。

カカシさん、あなたは道徳に反する行為に対して社会的制裁を加えることを肯定しています。個々の判断で制裁を加えることは、私刑(リンチ)につながりかねません。

だが人権擁護法によって市民が罰せられる可能性についてはこのように述べている。

悪意で人を傷つける言動が言論の自由で守られると思って、平気で侮辱をするような恐ろしい人のいない、住みよい国なるでしょうね。

なぜ個人の判断は信用できないが政治家や裁判官の判断は信用できるのかという問いに対しては、

立法は議員により、その議員は我々の代表です。選挙で選べるし、意見を述べ、法を改廃することも可能です。民主主義の基本です。

民主主義の基本は「民」である。個々の民の判断力を全く信用しないで、お役人の判断だけを信用するなどという考えが民主主義などであるものか。こういうのを社会主義というのだ。

私に理解できないのは、こういう主張をする人々は、どうして政府が人々の行動に介入することのほうが、個々の市民が個人的な判断を下す行為よりも、より人道的で能率的な結果を生むと確信できるのかということなのだ。

このコメンターは悪意で他人の気持ちを傷つけた人間が国によって罰せられた例として、初対面の女性を「デブ」と侮辱して訴えられ禁固刑になった男性の話をあげている。他人をデブといって相手の気持ちを傷つける行為が違法なら、会う度にカカシをデブといって侮辱する我が母など終身刑の罰を受けることになってしまう。

本来見ず知らずの女性に「デブ」などといって侮辱するようなけしからん男は、周りの人々から白い目で見られ軽蔑され、他の女性たちからも全く相手にされないというような社会的制裁を受ければ十分なはず。この礼儀知らずは社会の道徳観が裁けばよいのであって、法律で罰する必要などない。

だが、人権擁護法が成立すれば、このような事件は日常茶飯事に起きることだろう。なぜなら推進者たちは人々の気持ちは政府が守ってあげる義務がある、、いや政府だけが守る権限があると考えているからだ。不道徳な行為や失礼な行為を細いことまで違法として政府が罰するような世の中は、他人を『平気で侮辱をするような恐ろしい人のいない、住みよい国』になるどころか、盗みや凶暴な犯罪が頻発する心の荒んだ粗雑な世の中と化すのである。

何度も言うように合法であるということと道徳的に正しい行為であるということとは別だ。他人を傷つけるような失礼なことを言わない、というのは親からしつけられた礼儀作法というものだろう。だがそれを法律で取り締まってしまうと個人はそのような行為は道徳的に失礼だと判断する能力を失ってしまう。「違法だからしない行為」はいずれ、「つかまりさえしなければやってもいい行為」という解釈になる。法律が誰にでも均等に適用されるというならまだしも、人々の言動に関してこのような多大なる権限を与えられた役人がその権限を悪用しはじめ、相手次第で適用が不公平になってくればなおさらである。

いくら選挙で選ばれたとはいえ、立法に関わる政治家とはどういう種類の人間たちなのだ? 政治家など自分の政治的権力を常に増幅させたいと望んでいる野心家の集まりではないか。そういう人々が差別をされている少数民族やか弱い女性の救済を道徳心だけで行うとは信じがたい。これらの政治家が表向きや建前はともかく、どれほどきれいごとを言ってみても、彼等が押し進める政策は彼等にとって個人的な利益となることに違いないのだ。となれば、この政治家の野心を利用していくらでもあくどい団体や企業が政治家に取り入って自分の都合のいいような政策をつくってもらうことが可能となる。

このことはお隣の中国を見ていれば歴然としているではないか。政府が人々から信仰をとりあげ、人々による個々の道徳的判断を取り上げた結果、中国人は釘で打ち付けてないものはなんでも盗むと悪評が高い。衛生管理だの安全管理をする役人は腐敗しきっているから、工業廃水は垂れながし、品質管理はずさん、あげくの果てに猛毒殺虫剤を含んだ冷凍餃子や汚染された増血剤や偽グリセリンのまざった歯磨きなどが外国に輸出され、何百人という外国人を殺すはめになる。

日本でも腐敗した政治家の贈賄事件だの、市役所の役人が国民の税金や年金を長年に渡って横領していた事件などいくらでもあるではないか。そのような人間に我々の崇高な人権擁護を全面的に任せて彼等がその権力を悪用しないと推進者たちは本気で考えているのだろうか?

いや、私は前述のコメンターにしろ左翼変態フェミニストにしろ、彼等がそれほどナイーブで愚かだとは思わない。それどころか彼等は政府にそのような絶対的な権限を与えることが、個々の市民の権利を極端に迫害し自由社会を破壊する結果を生むことを十分に承知しているのである。あえていわせてもらうならば、人権擁護法推進者の本当の目的は人権擁護でも弱者救済でもなく政府による市民の完全統制、つまり、共産主義やファシズムのような社会主義の確立なのである。少数民族はその道具として使われているに過ぎない。

我々市民は人権擁護などという上辺だけのきれいごとに騙されてはならない。断じて政府にそのような権限を与えてはならない。個人の行いは個人が責任を持つ社会、それこそが文明社会の基盤である。

March 22, 2008, 現時間 10:27 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 19, 2008

同性結婚は文明社会を破壊する

アメリカ内政 , フェミニズム , 人権擁護法 , 同性婚 , 宗教と文化

先日、私は同性結婚には反対するというエントリーを書いたが、それについて読者の方からいくつかご意見をいただいたので、そのなかから重要な点を言及してみたい。

異人種弾圧のための結婚規制

一時期禁止されていた異人種同士の結婚も見直されたのだから、同性同士の結婚も見直されてもいいのではないですか?異人種結婚を認めるにあたっても、反対派からはそんなことをしたら他の形の結婚も認めざる終えなくなるという意見が聞かれましたが、そのようなことにはならなかったじゃないですか?

アメリカで異人種間の結婚が禁止されていた理由は、異人種への偏見というよりも、少数民族のアメリカにおける社会的な地位の維持が目的だった。多くの人が黒人は白人に劣ると考えていたことは事実だが、黒人と白人の夫婦が白人同士の夫婦とそれほど変わりがあると思われていたわけではない。

異人種同士の結婚を禁止するという制度はヨーロッパでもアメリカでも決して伝統的なものではない。それどころか、アメリカでは奴隷制度をまだ布いていた南部で白人男性による黒人女性との結婚が相次ぎ、混血児が一般の白人社会に入り込むことが日常茶飯事に起きていた。社会的地位が低い少数民族との結婚による混血の存在は、その少数民族の地位があいまいになってしまい、奴隷制度の崩壊にもつながる。異人種の低い地位を維持するためには混血児の存在は非常に問題だ。困った白人社会が悩んだ末の苦肉の策が白人と黒人の結婚禁止だったわけだ。そのほかにも地元インディアンとの結婚や中国人移民との結婚を禁止する法律などが多くの州で通されたが、これもすでにそういう結婚をする人が後を絶たなかったため、法律を通すことでそうした行為を阻止する必要があったのである。

南北戦争が終わり奴隷制度が廃止されると共に、異人種間結婚禁止法はすぐに見直された。1967年のラビング対バージニア(Loving v. Virginia)訴訟で違反するとされた憲法は南北戦争直後の1868年に通った憲法修正第14条なのである。

奴隷制度が廃止された19世紀の終わりごろから異人種間結婚禁止法を全国的に廃止しようという議案は議会で何度も提案されていた。しかしアメリカは連邦制度をとっているため、それぞれの州によって結婚の法律もまちまちであり異人種への姿勢も異なることから、全国的に均一な廃止は出来ないでいた。

南部での禁止法廃止が1960年代までかかったのは、南北戦争後も根強い人種差別意識が残っていたせいだが、1960年代の人権運動と共に、そうした人種差別法が次々と廃止されるにしたがって、異人種間結婚禁止も見直されたのである。つまり、異人種間結婚禁止令というのはもともと少数民族を弾圧するための政治的な法律であり、結婚制度への挑戦ではなかったのである。

男女の違いは明白

異人種間結婚の禁止が人種差別を強制しておきたい権力者によって作られたせいぜい2~3百年程度の歴史しかない新しい制度であったのに対し、一夫一婦制はアメリカ市民、いや文明社会では少なくとも2000年以上の太古の昔から圧倒的多数の市民によって受け入れられ支持されてきた制度である。

いにしえの昔から、どこの社会でも異人種への差別や偏見を批判する意見は聞くことができた。これはどこの世界でも人種が違うからといって人間としてそれほど差があるわけではないという考えがあったからだ。しかし世界ひろしといえども、男と女に差がないという意見を述べるひとなどいない。

生物学的に見て、男は黒人であろうと白人であろうと黄色人種であろうと男であることに変わりはない。多少肌の色や顔つきが違うという以外は人種が違うからという理由で女に子供を生ませて一緒に家庭を築くという意味ではなんの弊害もない。

だが、男と女では生物学的に全く違う。顔立ちや肌の色などという表面的な違いではなく、肉体の構造もその機能もまるで別物だ。はっきり言って男に子供を生むことはできないし、女はほかの女に子供を生ませることはできないのだ。つまり、子供を生んで育てるという種の存続を考えた場合、男女の結婚は異人種であろうと同人種であろうと全く違いはないが、同性同士の結婚では不可能なことである。

結婚は公の行為である。

同性結婚を認めたからといって異性結婚にどういう影響があるというのですか?結婚がどういう形であるか、どのような意味のものとするかはそれぞれの個人もしくは家族に任されるべきではないのか?常に個人の判断が政府の判断よりも重要視されるべきだと主張しているカカシさんが、いったいいつから規制が好きな大きな政府主義になったんですか?

ここでひとつ私ははっきりさせておきたいことがある。私は別に同性愛行為そのものが不道徳であるとは考えていないし、違法であるべきだなどとも考えていない。お互い納得した大人同士が相手を永久的に傷つけるような行為さえしていなければ、閉ざされた扉の向こうでなにをしようと私には一向にかまわない。であるから同性愛者同士が一緒に住むことも全く問題ないと考える。

同性愛者同士の同棲はかまわないのに、どうして結婚はいけないのか。それは同性愛行為も同棲も個人がプライベートにすることであり、社会制度の変更を必要としないからである。

それに比べて結婚とは公(おおやけ)の場で社会の承認と祝福を求める非常に公な行為である。必然的にその社会が結婚はこうあるべきだという規則に従わないものを結婚と呼ぶことは出来なくなる。それを無理やり社会に押し付ければ、社会は結婚そのものを拒絶するようになる。

結婚は特権である。

とはいえ、読者の皆さんは、「どうしてベティとマリーが結婚したら、苺畑夫婦の結婚が意味のないものになるんですか?」という疑問を抱かれるかもしれない。確かにベティとマリーの結婚はカカシとミスター苺の関係を変えるわけではない。個人的に我々の結婚に特定の悪影響を与えるというわけでもないだろう。では何が問題なのか?それは、結婚を誰にでも同じように与えられた権利ではなく、特別な条件を満たした人のみに社会が与える特権だと考えれば解りやすい。

昔私の職場の近くに高給なスポーツクラブがあった。ここは会員費が高いだけでなく、会員になれる資格が非常に厳しく、年収がいくら以上でなければならないとか、他の会員からの紹介がなければならないとか色々うるさかった。よってここの会員であるということが一種のステータスシンボルとなった。ところが会費の安いスポーツクラブがあちこちに出来、このクラブは経営不振に陥った。そこで困ったクラブは会員の資格をうるさく言わなくなった。そうなるとこのクラブの会員であることの意味が全く変わってしまった。別にクラブの施設やサービスが変わったわけではない。個人的にそれまでのメンバーにこれといった悪影響が出たというわけでもない。だが、このクラブの会員であるという特別なステータスシンボルとしての意味合いは完全に消えてしまったのである。そんなクラブに高い会費を出してまで入っている意味はないので、メンバーは続々と辞めてしまい、結局そのクラブはつぶれてしまった。

結婚とはこの特別なクラブの会員になるようなもので、特別な条件を満たしたものだけに与えられる特権なのである。自分は特別だと思って入会したのに、条件をきちんと満たしていない人たちまで無差別に入会させるというなら自分らが入会している意味がない。自然とこのクラブの存在価値そのものが消失してしまうわけだ。となれば、こんなクラブに新しい会員を募るのは難しくなるだろう。

同性結婚は結婚制度を破壊する

同性結婚を認めることは種の存続をも脅かすこととなる。これは決して同性結婚を容認したら、異性愛者が突然同性結婚に走るという意味ではない。以前にも書いたように結婚というものが特権でなくなれば、とりたてて結婚をしなければならない意味が失せるため結婚をする人が減り、必然的に子供を生み育てるひとが減るという意味である。

これは単なる卓上の空論ではない。すでに結婚とはいかないまでも、同性愛者のカップルを法的に認める法律の存在するヨーロッパ各地で、最近結婚する人の数がとみに減っているというのは事実なのだ。

ウィークリースタンダードに掲載されたスタンリー・カーツのエッセイによれば、同性愛カップルを法的に認めたスカンジナビア諸国では結婚せずに子供を生むひとが増えているという。もう10年以上も前に同性結婚を認めたスエーデンやノルウェーでは生まれてくる子供の60%の親が未婚だという。

同性結婚によって、結婚と子育てという習慣が壊されてしまったことと、どのような形の家庭も受け入れられるという考えができ、子供を生むのに結婚している必要はないという理屈になったのだろう。同性結婚という異質な結婚による家庭が許容されるなら、未婚の両親という家庭も別に悪くはないという当然の成り行きである。

同性結婚推進者であるジャーナリストのアンドリュー・サリバンとエール大学教授のウィリアム・エスクリッジJr.がダレン・スピーデール(Darren Spedale)という独立研究者が1990年代におこなったデンマークでの調査をもとに、同性結婚は結婚制度を弱めるどころか強める結果となったと発表した。それというのも、デンマークでは同性結婚が容認されて以来離婚するカップルが減り、結婚するカップルが増えたというのである。

しかしながら、この現象にはからくりがある。1990年代のデンマークでは結婚する人の数が大幅に減った。結婚している人の絶対数が減ったのだから離婚する絶対数が減るのは当たり前である。また、多くの人が結婚せずに同棲しているため、結婚せずに子供を生んだカップルがまだ子供が幼少のうちに離別しても、その率は公式な記録に残らないのである。

結婚するカップルの数が増えたというのも、傾向ではなく一時的なもので、1997年の結婚率がデンマーク史上最低であったため、その後多少盛り返したというだけのものだ。しかも結婚したのはすでに結婚せずに一人目の子供を生んだカップルが二人目の子供が生まれた時点で正式に結婚するといった例がほとんどであった。それにしたところで、最近はその傾向も薄らいでいる。

ノルウェーでは、1990年から2000年にかけて未婚のカップルによる出生がなんと39%から50%に増えた。スエーデンでは47%から55%に増えている。デンマークでは変化はないが、1990年にすでに46%だったというのだからこれもひどい。

スカンジナビアで未婚のまま子供を生む傾向が高まったのはこれらの国で過激派フェミニズムが台頭した1970年代の頃からだが、過半数を超える傾向として拍車をかけたのは同性結婚の容認である。子供を生む国民の半数以上が子供を生み育てるために結婚する必要がないと考えているとしたらこれは恐ろしいことだ。今かろうじて結婚制度が保たれているのは、わずかに残った宗教的な考えから最初の子供を未婚で生んだカップルが二人目のときは正式に結婚しようとしているからで、もしこの傾向すらもなくなったら、スカンジナビアにおいて結婚制度は崩壊の一途をたどるだろう。すでに極端な少子化が深刻な問題となっているヨーロッパでは結婚の減少によってますます少子化が進むであろう。

このままでは、少子化による人手不足で取り入れたイスラム系移民たちによる暴虐に苦しめられているデンマークで、全く産児制限などしないイスラム教徒らに国を乗っ取られるのは時間の問題である。

離婚率と未婚の母の率が高いアメリカとしてはスカンジナビアで起きている問題は他人事ではない。もしここでアメリカも同性結婚を認めれば、アメリカもまたスカンジナビア諸国の二の舞になることは間違いない。そうなって一番不幸になるのは両親なしで育つ子供たちである。

一夫一婦制の結婚は文明社会の基盤である。結婚した両親のもとで育つ子供が文明社会を担うのである。その基盤を破壊すれば、文明社会そのものが破壊される。

そのようなことを阻止するためにも、結婚は一人の男と一人の女との間だけという基本的な制度を断固守って行く必要があるのである。

March 19, 2008, 現時間 1:05 AM | コメント (2) | トラックバック (3)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 8, 2008

ジェンダーフリーは自由社会を破壊する

フェミニズム , 人権擁護法 , 同性婚 , 宗教と文化

今カリフォルニアの法廷では、同性同士の結婚を承認するかどうかという審議がされている。カリフォルニア州は比較的リベラルな州なので、読者のみなさんは、これがカリフォルニア州民の希望によって審議されているとお考えになるかもしれないが、実はその逆である。

加州民は2000年の選挙のときに、国中で同性結婚推進の動きが一部の過激派によって激しくなってきたのを懸念し、「カリフォルニアは一人の男と一人の女との結婚のみを承認する。」という州法が圧倒的多数の市民の同意によってすでに通っているのである。では法廷はなにをやっているのかというと、この法律が合憲であるかどうかを審議しているのだ。

なぜ一夫一婦制が合憲かどうかなどという審議が今さら必要なのか、同性結婚推進者の理屈は、異性同士の結婚が許されるのに同性同士の結婚が許されないのはどの個人も同等の権利を保証されるという憲法に違反するというのである。

彼等にいわせると、異性愛者は好きなもの同士で結婚できるのに、同性愛者にそれができないのは不公平だというわけだ。しかし、異性愛者同士でも好きなもの同士なんの規制もなく結婚できるかといえばそうではない。

結婚というものは、いにしえの昔から、公の結合であり決して個人の好き嫌いだけで決められてきた訳ではない。結婚に関する規制はどこの社会にもあるが自由社会においてもそれなりの規制があり、その規制は性別だけに限らない。年齢や血族関係、そして人数にも規制がある。これらの規制が憲法違反でないなら、性別の規制も憲法違反にはならないはずだ。

無論、アメリカでは異人種同士の結婚が禁止されていた時期があった。その法律は撤回されているので、これと同性結婚の規制とどういう違いがあるのかという質問は出てくる。だが、人種間の差は単に皮膚の色が違うというだけで、黒人の男も白人の男も男であることには変わりはないが、男と女とでは全く生物学的に違うではないか?

第一異人種間の結婚禁止令は法廷によって違憲とされて覆されたのではなく、アメリカ市民が異人種間の違いは全く問題がないとして、議会を通して既存の法律を廃止したのである。一夫一婦制度はアメリカ市民の大半が支持しており、異人種間結婚の規制とはまるで性質が違う。

日本では同性結婚などというものは起こりえないとみなさんがお考えなら、甘い、と申し上げる。アメリカでも同性結婚など大半の市民が認めていない。にも関わらずあちこちの州で同性結婚が法廷を通して州民に無理矢理強制されるという事例がすでに起きているのである。カリフォルニアが2000年に一夫一婦制を改めて法律に取り入れたのは、そうした州で「結婚」した人々がカリフォルニア州でも夫婦と認めよと要求してくるのを拒むのが目的だったのだ。

男女共同参画の基盤となっているジェンダーフリーという性別解消の思想が横行すれば、それが必然的に同性結婚へと結びつくことは目に見えている。性に違いがないなら同性同士の結婚になんの問題があるというのだ、という理屈になるからだ。

一夫一婦制は文明社会の基盤である

数年前、同僚の若い男性何人かと仕事の帰りに飲みにいった時のことである。テーブルにつくや否や、一人の若い男性が席を立った。しばらくしてこの男性は片手にカクテルを持って戻ってきた。カカシは「エリック、あなたガールフレンドいないでしょ?」と聞くと、彼は不思議そうに私の顔をみて「いないけど、どうして?」と聞いてきた。ガールフレンドがいれば、自分の飲み物だけひとりでさっさと買いにいくなど彼女が許すはずがないからである。彼女のいる男性なら、同席をしている女性に「飲み物買ってくるけど、君も何か飲む?」と聞くぐらいの気遣いはする。

異性の伴侶がいる人間は、男と女の違いを知っている。それぞれの強い面も弱い面も知っているから、それを考慮にいれて他人にも接することができる。だが、同性同士でしか付き合いのない人間はその違いを理解できずに間違いをおかすことが多々ある。

これが子育てとなってくると男の父親と女の母親は子供の人間形成には欠かせない要因となる。男の子が強い父親がか弱い母親を守るお手本を見ずにどうやって女性を大事にすることを学ぶのか?母親が父親の辛い時に慰めの役目を果たす図を見ずに女の子はどうやって思いやりを学ぶのか?

アメリカで母子家庭の多い黒人の間で犯罪率が他の人種よりも極端に多いのは決して偶然ではない。父親のいない家庭では男の子が粗雑になるのだ。母親がどれだけ立派でも父親の代わりはできない。

また一夫多妻制度を取り入れているイスラム諸国やアフリカ諸国を見てみた場合、女性の権利はどこでも極端に制限されている。女性の数が男性よりもずっと多いというのならともかく、一人の男性が多くの女性を妻にめとえば、女性にあぶれる男性が出てくる。そうなれば女性は奪い合いになるから、女性は男性の所有物的扱いとなり外へ出さずにかこっておくという扱いになる。サウジアラビアなどで女性が家族の男性同伴でなければ外出できないなどという規則があるのはまさにこれが理由だ。

一夫多妻制度のなかで育つこどもは、父親との交流は少ない。父親は常に母親や子供のそばにいるわけではなく、その時々の気分で母親の元をおとずれるわけだから、子供はほとんど女たちの間だけで育つことになる。

母子家庭や一夫多妻制度における子育ての弊害を考えた場合、ここで試されてもいない両親同性という家族構成を社会に紹介する危険を我々は十分に危惧すべきである。すでに一番理想の一夫一婦制という制度が存在する社会に、なぜ試されてもいない別の制度を人々が望んでもいないのに適用する必要があるのだ?適用するだけの価値があることが全く証明されてもいないのに、その弊害も明らかでないのに次の世代を担う子供たちを実験のモルモットとして危険にさらす必要がどこにあるのだ?

何でもありは何もないのと同じ

同性結婚を許可することがどうして一夫一婦制度の破壊につながるのかという疑問が出るのは当然だ。しかし社会が決めた結婚への規制をひとつ外せば、他の規制についての見直しも必要とされるのは当然だ。好きなもの同士が結婚できるというのなら、血縁者が結婚できないというのはおかしいという理論になる。なぜ兄妹や甥姪では駄目なのかということになる。近親相姦による劣性遺伝の問題も、最近は妊娠中に遺伝子を調べて健康な子供かどうか確かめた上で生めば解決できるのだから。また100人の人間が愛し合っていますといって「結婚」してお互いの扶養家族となって減税の対象となるなどということも大いにあり得る。

結婚がどういう形でも許されるということになれば、結婚による特別な関係は意味のないものとなる。これまで結婚といえば一人の女性が一人の男性とお互いに忠誠を誓い合って一緒に子供を生んで育てていこうという覚悟で結ばれるものであった。それが誰とでも何人とでもただ一緒にいることが結婚だとするなら、結婚そのもの意味は失われる。西洋社会の基盤となってきた両親がいて子供がいてという家族単位も破壊される。そんな意味のないものを特にする必要もないので、「結婚」などする人は極端に減るだろう。そうなれば子供を生み育てるのはいったい誰の責任となるのだ?

ただでさえ少子化のすすむ文明社会で結婚そのものがなくなったら、これは種の存続にも関わる危機ではないか?

家族を破壊するジェンダーフリー全体主義

どっかの左翼変態フェミニストが「個人主義を徹底させるのがジェンダーフリーでしょ」などと大嘘をついていたが、個々の性別を無視することで個人が尊重されるなどナンセンスである。

ファシストのムッソーリーニにしろ、ナチスドイツにしろ、共産主義の旧ソ連にしろ、これらの独裁政権は常に「個人の自由」だの「独立」だの「平等」だの奇麗ごとを言っては国民を騙してきた。ジェンダーフリー推進者も「自由」「平等」「個人主義」など耳障りのいい言葉を使いながら、実際には恐ろしい全体主義のジェンダーフリー思想を我々に押し付けようとしているのだ。その証拠にジェンダーフリーが適用される時にはかならず全体主義の形で適用されている。左翼変態フェミニストたちの二枚舌に騙されてはならない。

全体主義の独裁政権は常に伝統的な家族構成を破壊することで個人から自由を奪ってきた。親の権限を取り除くことで、政府が親代わりをしようというのである。全体主義政権において子供の洗脳は必要不可欠である。だから男女共同参画が学校教育の場で始まったというのは大いに納得がいく。

教育界においてジェンダーフリーがどのように適用されているのか、作家の長尾誠夫氏が書いているサイトから少し紹介しよう。

長尾氏は、このエッセーのなかで小中学校における学校教育がいかに伝統的な家族構成を敵視しているかを例をあげて述べておられるが、家族と専業主婦への敵視と題されるこれなどは本当にひどい。

中学ともなると、その内容も多岐にわたるようになる。(以下、『ジェンダーフリー教育』明石書店より)

ある中学の家庭科教師は、教科書に家族団欒の光景が載り、「家庭は共同生活を営む場で、家族が安心して毎日の生活を送り、明日への活動力をつくりだす場でもある」(開隆堂)とあることから、両親がそろっているのが当たり前で、そうでない家庭の子供に対する差別や偏見が生じると思い、様々な家庭があることを認識させるために、深江誠子という人の手記を読ませた。

深江氏は「五歳で生母と死別し、その後母が三人も変わり、恩義を受けた三番目の母が社会から冷遇されていたのを知り、被差別の立場にある人に関心を持つようになり、自らの子供を差別社会と闘わせるためにあえて私生児した」人である(手記より)。手記に言う。「私は自分の生んだ子を私生児にすることに何のためらいもなかった。私は家庭が波瀾に満ちていたからこそ、既存の結婚制度の欺瞞性を見抜く力を養われた」と。

深江氏がいかなる考えを持とうと自由だが、学校教育とは社会の仕組みや秩序を教えるのが基本であり、反社会的な考えを持ちこむのは禁物だろう。これでは既存の結婚制度や家族を否定しているようなものである。

このような教育を子供にすることが、両親は一夫一婦であるべき、子供は結婚した夫婦の間でだけ生むべきであり、私生児を生むことは自分達の道徳観に反する行為だと思っている親の権利はどうなるのだ?

また、例の左翼変態フェミニストのように性別を確定すること自体が性差別だという考えが横行するなら、学校の性教育で子供たちにセックスは好きな相手となら誰とでもしてもいい、結婚の相手は異性である必要はないと教えることになるだろう。宗教上の理由から同性愛は罪だと教えたい親の個人的な権利はここでも踏みにじられる。

ジェンダーフリーは個人主義を徹底させるだの個性をのばすなど、すべて嘘である。本当の目的は性別を無視することで伝統的な男女間の関係を破壊し、家族構成を破壊し、自由社会の基盤を破壊することにあるのだ。

最近はジェンダーフリーという言葉があらわす内容の恐ろしさが人々の間でも理解されるようになったため、その本来の定義を書き換えて実は全く別物であるかのように表現したり、別の言葉を使ったりしてごまかそうとする動きがある。

ジェンダーフリーが、いつの間にかジェンダーセンシティブとかジェンダーニュートラルとかいう名前に変わっても、読者の皆様、だまされてはいけない!彼等の目的は自由社会の破壊にあるのだということを一時たりと忘れてはならないのである!

March 8, 2008, 現時間 10:05 PM | コメント (13) | トラックバック (5)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

銅像にバーカ! ヨーロッパでイスラム教女性虐待に抗議

フェミニズム , ヨーロッパ , 人権擁護法 , 宗教と文化

アメリカのリベラルフェミニストたちは、クリントン時代にはイスラム圏の女性虐待の習慣にずいぶん批判的であったのに、いったんブッシュ政権になってイスラム教テロリストとの戦いが始まるやいなや、イスラム教への批判を完全にやめてしまった。それどころか、いまだに依然としてイスラム圏の女性虐待を批判するフェミニストたちを「過激派」などといって批判するにいたっている。

そんななか、ヨーロッパのフェミニストたちは自分達の原点を忘れていない。Gate of Viennaによると、去年の9月を皮切りに、ヨーロッパ各地のドイツ語を話す国々で、暴走するイスラム教徒による女性虐待に抗議した女性たちが各地の銅像にイスラム教の女性が着る、頭からかかとまで覆い隠す、バーカという着物を着せる静かな運動を行っているそうだ。

この運動を行っている団体の声明文によると、先日2008年3月6日、この団体はヨーロッパ各地で銅像にバーカを着せる運動をおこなった。これはヨーロッパのイスラム化及びそれによって禁句とされる問題について市民に討論を呼びかけるのが目的である。過去6か月に渡って団体はドイツ、フィンランド、ロシアなどヨーロッパ全土に広めてきた。今回、Berlin, Braunschweig, Dortmund, Düsseldorf, Helsinki, Moscow, Tampere, そして Turku,において、8体の銅像にバーカもしくはスカーフを着せた。ヨーロッパの価値観を強調するため、銅像には「男女平等」と書かれた腕章をつけさせ、片方の手に1948年に国連で適用された人権宣言の条約が書かれた看板をもたせ、もう片方の手にコーランの女性の扱いかたが書かれた看板をもたせた。

彼等はヨーロッパ各地で、バーカやスカーフを着て歩くイスラム教女性の姿が目立つようになってきたことを懸念して、これはヨーロッパ諸国の自由と平等へのあからさまな挑戦だと考えている。そして彼等はイスラムの教えにはヨーロッパの基盤である男女平等、個人の自由、人権といったものとは絶対に相容れないものがあるとし、このことについてヨーロッパ市民は十分に考えるべきだとしている。

以前に私はイギリスのカンタベリー主教がイギリスにも一部イスラム教の法則シャリアを取り入れるべきだと提案したことについて書いたが、この団体は、シャリアとコーランを文字どおりに適用するやり方はヨーロッパの自由主義に真っ向から逆らうものであり、共存は不可能であるとしている。

移民を多く受け入れた国ではどこでも同じ問題を抱えるが、常識的に考えて、移民を受け入れた国が移民に合わせるのではなく、移民してきた人々こそが自分を受け入れてくれた国の文化や法律を尊重するのが筋のはず。にも関わらず、欧米諸国に移住してきたイスラム教徒たちは、自分達の法律をそのまま持ち込み、それが移住先の国の法律に触れようとどうしようとおかまいなしに施行する。そしてホストカントリーの市民が苦情を述べれば、「差別だ」、人権侵害だ!」といって大騒ぎをする。

最近イギリスではスーパーのレジで、イスラム教の店員は酒類を扱わなくてもよいことになったところが出来たという。アメリカでもボストンのハーバード大学でおくゆかしいイスラム教女性のために体育館で女性のみの使用時間を設けはじめた。

イギリスやカナダで人権擁護法がイスラム批判をする人々への言論弾圧につながっていることは、ここでも何度も紹介しているが、欧州諸国でもイスラム批判はほぼタブーな主題となっているようだ。そこでこの団体の目的は、禁制とされているこれらの問題、特に女性虐待の習慣について、ヨーロッパ市民は討論をすべきであると呼びかけているのである。

しかし我々はイスラム教徒の宗教の自由を尊重すべきではないのか、という意見もある。無論、自由諸国においては宗教の自由は尊重されなければならない。だが、それもその宗教がその土地の法律に触れない限りにおいてという条件はつけるべきだ。そうでなければ、その宗教が人間の生け贄を神に捧げるのが習慣だったら、自由諸国で乙女が八つ裂きにされるのを容認してもいいのか、ということになってしまうからだ。

ヨーロッパ諸国では、実際に家族の名前を汚したとして、親の決めた許嫁ではなく自分の好きな人と結婚しようとした女性が父兄に殺されたり、妹の離婚の自由を弁護した兄が父親の雇ったやくざに半殺しの目に合うといった事件が頻繁に起きている。これも、シャリア法で規定されているからといってヨーロッパ諸国は容認してもいいというのか?

このやり方ではイスラム教徒という少数派の人権を守るという名目で、イスラム教社会に生きざるおえない移民個人の人権は無視されている。親がイスラム教徒なら子供は好むと好まざるとにかかわらずイスラム教徒であるとされる。シャリア法では改宗は認められないどころか極刑に値する罪である。このような社会で生きる個人には人権も自由もあり得ないのだ。このような社会で女性がバーカやスカーフを着用するのが彼女たちの自由意志であるなどと考えるのはナイーブすぎる。

この団体の主張は、自由国家に生きる人間は誰もがその自由国家の法律によって守られるべきであり、イスラム教徒も例外であってはならないということだ。本当の意味での人権尊重はイスラム社会の自分勝手な行動を容認することではなく、権力のある一部のイスラム教徒による人権迫害から市民を守ることにあるのである。

我々はこの運動を通じて、特定の宗教運動に禁句となった主題があり、それに即座に対処すべきであるということを提示するものである。禁句とされている主題だからといって我々は黙っているべきではない。この問題を指摘することは人種差別ではない。イスラム社会に生きる女性たちが、それがわが国であろうと外国であろうと、彼女たちの権利について我々が主張しないことこそ人種差別である。かつて西洋の女性たちの人権のために立ち上がった人々はどこへ行ったのだ?イスラム教女性だけは援助もせずに放っておいていいという理屈は成り立たない。

ここでこの団体は人権宣言とコーランを比べ、どこが違っているかを提示している。国連の人権宣言では『すべての人間は生まれながらにして自由であり平等な尊厳と権利を持つ。』

“All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.”

— Universal Declaration of Human Rights, United Nations, Art. 1

とあるのに対して、コーランでは、

“To those (women) on whose part you fear desertion, admonish them, and leave them alone in the sleeping-places and beat them.”

— Quran, Sura 4,34

逃走する可能性のある女ちは、警告せよ、そして寝床に放置せよ、そして殴れ。

以前にとある左翼フェミニストが、どうしてフェミニストがイスラム教を批判しなきゃいけないのだと聞いていた。ぜひとも彼女に読んでほしい声明文だ。

March 8, 2008, 現時間 10:58 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 7, 2008

変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話

フェミニズム , 人権擁護法

男女共同参画という政策にはジェンダーフリーという概念がついて回る。あたかも性別を無視することによって男女平等が実現するかのような不可思議な思想だ。しかし現実には、ジェンダーフリーとは私が当初考えていたよりもずっと悪質な概念であることが最近になってわかってきた。

真実のジェンダーフリーとは男女平等だの女性救済のための思想などではなく、文明社会の基盤となる一夫一婦制という男女間の関係を破壊し、我々の自由社会を根底から覆えそうという恐ろしい概念なのである。この思想は我々が一番大事にしている道徳観や価値観や信仰を嫌い、個人の自由を迫害する全体主義の左翼思想だ。

ジェンダーフリー推進者の真の目的は、人権擁護法が特定の少数派が特権階級となるために提案されているのと同じように、自分達の変態的な性嗜好を一般社会に強制的に押しつけ、伝統的な社会を破壊した上で自分達が理想とする変態社会を作り上げ、ファシストよろしく自分たちがその社会をコントロールしようというものなのだ。

カカシはジェンダーフリー推進者の本質を暴くことによって、この概念がいかに邪悪なもので、我々の愛する自由社会を脅かす非常に危険な思想であるかを証明していきたいと思う。

そこで先ず、今回はジェンダーフリーを押し進める人々とは、いったいどんなひとたちなのか、という話から進めてみたい。

自分が男か女か答えられない人たち

カカシ:あなたをレズビアンといったのは、あなたが自分のことをクィア(同性愛者)だといったことと、あなたは女性であると思ったからですが、違うんですか?

ミス左翼:クィア=同性愛者、ではありません。いまさらあなたにあれこれ説明してそれを理解してもらおうとは思いませんが、同じではないことだけはご理解ください。

上記の会話はこの間もお話した通り、とある左翼フェミニストとの会話の一部である。(カカシ注:オリジナルのエントリーでは実名を使っていたのですが、ご本人から中傷だと苦情をいただいたので、名前の部分は「ミス左翼」と勝手にかえさせていただきました。管理人)
「彼女」が聞かれてもいないのに、自分のことを「クィア」だと言ったことについて私がした質問と「彼女」の返答だ。

この後に他のコメンターの人が「上記の質問は左翼さんが同性愛者であるかどうかということではないでしょうか?」と質問しているが、実はそうではない。この「違うんですか?」という質問にはコメンターさんが考えた「あなたは同性愛者じゃないんですか?」という質問の前に「あなたは女性じゃないんですか?」という質問が含まれているのである。ミス左翼は無論そのことを察知した上で、そのどちらの質問にも答えていない。

自分が同性愛者かどうかという質問に答えるためには、自分が男か女かという質問に答える必要がある。しかし「彼女」にはそれができないのだ。その理由は下記のとおり。

「ミス左翼」の性別は何? 「ミス左翼」は以前この性別とかあの性別とかで自己の確定をしたり、時には性別は無しとまで言ってました。でも最近はそういうことには疲れました。一時期は「ジェンダークィアー」で説明がつきましたが、それが特に確定なしだった頃はよかったのですが、「ジェンダークィアー」と確定する人たちが使うようになったため、これにもあてはまらなくなりました。

今日、「ミス左翼」は特にどの性別という自己意識はありません。しかし全く無性別という性別に強く同調しているという訳でもないのです。正直な話、彼女は自己確定があること、特に性別による自己確定をするということ自体、なんか奇妙だと思うのです。彼女が自分をどう見るかは、彼女の内側にある自身というものよりも、彼女の周りの人たちとの関係ややりとりによって判断されるといったほうがいいと思います。ーーーミス左翼の英語版自己紹介より

「ミス左翼」にとって自己というものは存在せず、彼女の存在は彼女の周りにいるひとたちが彼女にどう反応するか彼女をどう見るかによって決まるというのだ。だから人間としての基本ともいえる性別さえ彼女には確定することが出来ないというのである。自分の自我を他人の目に映った反映でしか確認できない人間とはなんと悲しく情けない存在であろうか。

どうりでミス左翼は個人という単位を軽視するわけである。自身の価値を見極めず、常に全体の中でどこに自分が位置しているかということでしか自分の価値を見いだせないという考え方こそ社会主義(左翼)の根本的な思想である。そのミス左翼のお友達の自称変態人間は自分の性別についてこのように語っている。

セクシュアリテイをイエス/ノーで答えられると思ってる人ってものすごくストレートな感性をお持ちだと思う。答えられる人もいるだろうけれど、それはあくまで一部の人だ。

いや、簡単に考えればすぐ分かる事じゃない?晴れのち曇りみたいに「今日は女だけど昨日は男」みたいな人もいるわけだから。そんな人に「貴方の性別が、男(女)であるのかどうか、YES/NOで答えなさい」と聞く事で「いつも必ずどちらか」であることを求めるのは、無茶ではないか。ーーーノダダ腐男子より

カカシは子供の頃から女子か男子かという質問には色々な場所で答えてきたが、その質問が無茶だと思ったことは一度もない。これは自分の生年月日や親の名前などと同じようにごく普通の個人情報だと思って生きてきたのだが、ジェンダーフリー推進者にはそんな常識も通用しないらしい。

自分達を変態と呼んではばからないひとたち

前述の左翼フェミニストは自分のことを「クィア」であると断言した。しかし自分が何であるかを確定しないミス左翼が使う言葉は注意して読む必要がある。私としてはなるべく日本の読者に分かりやすい訳として「変態」という言葉が一番適切であると考えた。

クィア(名詞)とは普通の英語では1)変態 2)同性愛者(特に男性同性愛者への侮蔑語として使われる)という意味ですから、エミさんが同性愛者ではないと言い張るなら、今後私はエミさんを左翼変態フェミニストとお呼びするより仕方ないですね。ご本人がそう主張なさってるのだから、Who am I to argue?

これに対してミス左翼はもちろん私の解釈は間違っていると主張している。

あなたの理解が不十分です。わたしは何を言われても平気だけど、そんな中途半端な理解で人のセクシュアリティをあれこれ言うと失礼に当たるのでお気をつけください。それぞれの言葉がどう使われているのか知らないし理解するつもりもないのであれば、ある人がゲイだと言えばゲイ、クィアだと言えばクィアという具合に、相手の言った通りを尊重するのが一番だと思いますよ。わざわざ「左翼」とか「変態」とか相手が言ってもいない言葉に言い換えない方が無難です。

いや、自分は理解する意志はあるぞと言うのでしたら、先に紹介した「クィア・スタディーズ入門」をよく読んでください。

というのでそのクィア・スタディーズの説明を読んでみると、、、

クィアをとてもうまく説明したものに、“Anything that is not straight(ストレートでない者はすべてクィア)”という表現がある。ストレートは、「真っすぐ、まっとうな」の意。とすると、クィアは「まっとうではない」ので、そういう意味では「変態」という日本語がいちばん近い。(強調はカカシ)

つまり、クィアとは、自分はまっとうなものとは違う、という差異を示す言葉であって、どう違うかを示す言葉ではない。違いの内容に言及すると、なにがまっとうかを認めてしまうことになるから。中身の違いを言わずにただ「違う」とだけ主張するのがクィアだから、究極的には態度の問題であるといえる。クィアとは、「自分たちはまっとうじゃないよ」という態度のこと。...

したがって、クィアとは特定のグループを指す言葉ではない。ましてや、同性愛者やバイセクシュアル、トランスジェンダーやトランスセクシュアルを指す用語でもない。原理上は、「自分はまっとうじゃない」と言えばだれでもクィア。なにがまっとうかまっとうじゃないかは決めない。そんな線引きはせずに、みんな変態でいいじゃないか、という感じ。だから、クィアとはある意味、非限定的な言葉。いろんなものを含む包括的な用語概念。ーーーミヤマアキラ著クィア・スタディ入門(2)より

私はミス左翼に

あなたは常に『私は〜じゃ、ありまえせん!』とはいうけど、『私は〜です!』といはいいませんね。つまり相手にいつまでも『左翼ちゃんて何なんだろう?』と想像させ、『あなたは〜なんですね?』というと、『違います!』と主張するだけで、では何なんだという質問には絶対に答えない。

と言ったことに対してミス左翼は、

クィアだって書いてるじゃん。あなたが回答を理解できないからといって、「絶対に答えない」などとすり替えるのは不誠実ですよ。

と反撃したが、上記の説明を読むとカカシが言った通り「クィア」とはあえて訳すならば「変態」が一番近いが実は「非限定的な言葉」だとある。つまりカカシが最初から指摘している通り、ミス左翼は自分がなんであるかをはっきり確定することをあくまで拒む人間なのである。だからこそ常にジェンダーフリーの本質を一般市民から隠し通そうとしている推進者の代弁者としては理想的な存在だろう。ちなみにミス左翼が自分のブログで推薦しているノダダ腐男子もクィアは変態という意味だと書いている。

そんな自分にとってYES/NOでセクシュアリティを問われる事は、答えられない問いを突きつけられるようなものだ。だからこそ、私にとってクィア変態、あるいはオカマというのは自己説明に便利なものだ。ーーーノダダ腐男子

自分達の間では自分達を「変態」といってはばからない人たちが、外部のものからそれを指摘されると、その元の言葉が一般社会でどういう意味で使われているかを理解しているので、そういういい方は「失礼にあたるのでお気をつけ下さい」などと白々しいことを言う。これはカカシがせんだって左翼の二枚舌を見抜く方法で説明した通りの手口である。

ジェンダーフリーは性別抜きという意味

英語でこういうふうに「フリー」と言う言葉を使った場合、「〜抜き」「〜無し」という意味になる。「フリー」には「解放する」という意味もあるが、そういう意味で使うなら「フリーフロムジェンダー(Free from gender)」といういい方の方が適切だろう。しかしどちらにしても、ジェンダーフリーとは性別抜き、もしくは性別解消という意味だと解釈するのが適切である。無論これは別に私独特の考え方ではない。

ジェンダーバイアスからのフリー」は、それをとことん追求すれば自動的に「ジェンダーレス」の追求になってしまうような構造になっているのです。「ジェンダーバイアスからのフリー」と「性差否定」とは、もともと連続しているもので、両者の間にはあらかじめ明確な境界線が存在しているわけではありません。ーーー神名龍子
ジェンダーフリーはジェンダーレスと違うと言うが、ジェンダーフリーの提唱者で、男女共同参画社会基本法の理念作りに中心的役割を果たした大沢真理・東大教授は、「ジェンダーからの解放=ジェンダーそのものの解消」とはっきり書いている。ーーーBruckner05

これに対してミス左翼はお決まりだが、Bruckner05さんが大沢教授のいったことを誤解していると主張する。

これは、大沢さんがどういう意味で「ジェンダーそのものの解消」と言ったのか、Bruckner05 さんが理解できていないだけ。ジェンダーというのは辞書的には文化的・社会的な性役割や「男らしさ/女らしさ」といったものを指す価値中立的な言葉だけれども、現実にそれは一種の規範として強制力というか圧力を持つわけ。ジェンダーフリーの立場は「性役割の強制はよくない」「男らしさ・女らしさの強制はよくない」というものだけれど、強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない。(強調はカカシ)というか、辞書的な定義はともあれ、現実には強制力を伴う規範的なものが「ジェンダー」として認識されるわけ。大沢さんが「解消」するべきだという「ジェンダー」は、このような規範のことであり、また性別という差異にことさら大きな意味が与えられ違った扱いの理由とされる社会的構造のことでしょ。

大沢真理の「ジェンダーからの解放」という概念は同じフェミニストの間でも誤解を生む解釈であるとしてかなり批判を得ているので、ミス左翼がBruckner05さんの解釈が間違っていると主張するのはいつもながら不誠実である。しかし実はミス左翼は大沢真理の本音に完全に同調していながら読者をだまそうとしている。これを左翼の二枚舌で分析してみるとよく分かる。

建前:ジェンダーフリーとはジェンダーレスという意味ではない。
条件:ただし社会によって強制された性別は除く。
満たされない条件:強制力を伴わないジェンダーは実質的には考えられない。
本音:ジェンダーフリーとはジェンダーレスという意味である。

上記の神名龍子さんもジェンダーフリーの本質をついてこのように語る。

ジェンダーフリーやその元になったフェミニズムでは、「男らしさ」や「女らしさ」というジェンダーは歴史的・社会的に作られたものであり、それを個人に押し付けられるのだと考える。それと同時に、人間は誰でも皆、その人に固有の「自分らしさ」をもっていると考える。ジェンダーが押し付けられることによって「自分らしさ」が抑圧されると考えるわけだ。

 しかし、ジェンダーフリーでは最初から「ジェンダー」をネガティブな意味でしか扱わないため、本当にジェンダーが「自分らしさ」と相容れないものなのかということが検証されていない。それは、ジェンダーフリー思想の中では疑うことすら許されない「真理」なのである。また、本当にジェンダーを知らずに成長したら「自分らしさ」が発現するという実験も存在しない。強いていえば、狼に育てられたという野生児姉妹の話があるが、彼女達は、ついに人間としていかなる可能性を持つこともなく、その短い生涯を終えた。

1960年代後半から1970年代にかけて、子供たちを対象に中性的な教育をするのが一部の過激派左翼の間で流行ったが、その結果は悲劇的なものだった。男の子と女の子を育てたことがある親なら誰もが知っていることだが、男の子と女の子は全く違うのである。男の子はお人形を与えられてもお人形をトラックのように「ぶーぶー」とやって遊ぶし、女の子はトラックの上にコーヒーカップを乗せてままごとをやりはじめる。

私が思うに、本気で性別解消を唱える変態の存在は女性優遇社会を目指すジェンダーフェミニスト達たちにはかなり迷惑な存在だろう。この山口智美のサイトなどを読んでいるとその葛藤が理解できる。

大沢真理は、ビジョンとプランの目的は「ジェンダー・フリー」の実現であり、ジェンダーそのものの解消、すなわち「ジェンダーからの解放」を意味すると解説している(「21世紀の女性政策と男女共同参画社会基本法」ぎょうせい 1998)。...

 加えて、「ジェンダー」には「社会文化的に与えられた役割」としての意味の他に、「アイデンティティ」としての意味もある。この意味からいえば、「ジェンダーからの解放」という表現は確かに変だ。私が自ら選んで、「女」として「女性解放運動」に関わることもできなくなるかもしれない。

 また、「ジェンダーからの解放」という概念は、「ジェンダーにとらわれない」という意味での「ジェンダー・フリー」と同様、性差別を積極的に解消するために女性を優先的に採用するなど、ジェンダーに着目した政策であるアファーマティブ・アクションやクオータ制などにつながりにくい。こうした暫定的特別措置が未だにほとんど実行されていない日本の現実を考えると、事態は深刻だ。

 この大沢真理が使う「ジェンダー・フリー」と、東京女性財団版の「心や文化の問題」としての「ジェンダー・フリー」とは明らかにズレがある。大沢が「ジェンダーからの解放」を実質上は政策・制度面で「ジェンダー・バイアスをなくす」という視点で捉えているのに対し、東京女性財団版では人々の意識の問題が強調され、制度・実践面に応用される場合に関しても男女の区別(例えば持ち物の色分け、男女のグループ分け、学校での活動における男女のちがいなど)の解消という点に重点が置かれている。...

 アメリカの学者の権威を借りて、「ジェンダー・フリー」という概念を誤読に基づき曲げて紹介し、誰も原典を確認せず、意味のズレが生じても批判も議論もないままに広めた学者の責任は重大ではないか。今こそ、この概念について、しっかり議論や批判をしていく必要があるのではないか。学者の権威を利用しつつ、「ジェンダー・フリー」を推進してきた行政の責任も、問われるべきだろう。ーーー山口智美

山口が理解できないのは、日本でジェンダーフリー推進者たちの目的は女性優位な社会をつくることではないということである。推進者たちは米国学者の説を間違って解釈したのではなく、意図的にわい曲して米国学者の説だと言うことにして、その権威をふりかざしているに過ぎないのだ。山口にはジェンダーフリー推進者が本気で性別解消を唱えているという事実が信じられないのである。

山口はいまでは古くなったジェンダーフェミニストであり、自分が女性であることを十分に自覚し、女性優位な社会を目指している「まっとうな」人間だ。カカシにいわせれば、女性に生まれながら男性が嫌いで女性が好きだというレズビアンも男性の同性愛者も「まっとう」な人間だ。なぜならこれらの人々は自分の性別も性もきちんと把握しており、自己の確立をきちんとして完成させたひとたちだからだ。私はジェンダーフェミニズムには全く賛同できないが、現存する社会のなかで自分達の立場を優位にさせたいという考え方はごく自然であり、賛成はできないが理解はできる。しかしジェンダーフリー主義はそれとは似て非なるものである。

今やフェミニズムは、かつて男女機会均等主義のエクイティーフェミニストたちが女性優位主義のジェンダーフェミニストに乗っ取られたように、今度はジェンダーフェミニストたちからジェンダーフリーを唱える変態フェミニストたちによって乗っ取られようとしているのだ。そしてこの変態フェミニスト達は自由社会にとって、ジェンダーフェミニストたちよりももっと危険な存在なのである。

ジェンダーフリー主義の左翼変態フェミニストたちがどのように自由社会を脅かすのか、それは回を改めてお話することにしよう。

March 7, 2008, 現時間 11:48 AM | コメント (1) | トラックバック (2)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

March 2, 2008

左翼の二枚舌を見抜く方法

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化

私がここ最近議論を交わしてきたあるフェミニストは、私がこれまでに遭遇してきた数知れない左翼連中となんらかわりはない。彼等一般に共通するのは、公平な議論をせず常に卑怯な手段で相手をはぐらかそうとするものである。そこで、私は今回彼等特有の卑怯な議論のやり方をある左翼フェミニストのやり方を例にとっておさらいしてみたい。断っておくが、これは決して特定の人間への個人攻撃ではない。

(A) 満たせない条件付きの提言(Argument by unsatisfiable conditionality)

以前にも左翼の連中は何故か自分を左翼と認めたがらない傾向があると指摘したが、左翼のなかでも多少頭が切れる連中は、一般人の間で受け入れやすい思想とそうでない思想の違いを十分に承知している。だから表向きは常識的なことを言うが、よくよく話を聞いてみるとそれとは全く反対のことを信じていることが多い。我々一般人は左翼のこうした本音と建前を見抜く目を鍛える必要がある。

彼等がどのように矛盾する二つの考えをつなぎあわせるのかというと、「満たせない条件付きの提言」という手段を使うのだ。これは最初に常識的な提言をした後で、「但し〜の場合に限る」というような条件をつける。ところが彼の特定する〜の場合は存在しないため、最初の提言が本当になることはない。結論として彼の最初の提言は覆されてしまうのである。分かりやすい例をあげると、、、

例1

提言(建前):私は自由市場を信じているので、政府介入は支持しない。
条件:但し自由市場が完璧な問題解決が出来る場合に限る。
満たされない条件:自由市場による完璧な問題解決など存在しない。
結論(本音):私は自由市場を信じていないので政府介入を支持する。

例2

提言(建前):(大学や職場で特定の少数民族や女性の人数の枠組みを決める)クォータ制度は支持しない。
条件:但し、ほかに差別是正のための良い方法がない場合にはクォータ制を支持する。
満たされない条件:クォータ制以外の是正方法など存在しない。
結論(本音):クォータ制度を支持する。

無論、この場合彼等が課した条件が実際に存在しているかどうかは彼等自身の判断によるものなので、条件が満たされることは絶対にないのは言うまでもない。

(B) 既存する言葉の定義の書き換える(Law of tendentious redifinition)

左翼連中はすでに存在している言葉の意味を自分勝手に都合のいいように書き換えるのが得意だ。これにはもともと衝撃的な意味のある言葉の定義を拡大し、元の意味で解釈した一般人に間違った印象を与えるやり方と、言葉の提言を縮小し元の意味で話をしている論敵の説がその言葉にはあてはまらないというやり方や、ごく普通に使われてきた言葉を突然差別用語だと勝手に指定したりするやり方がある。

例3

a) 衝撃的な言葉を別の意味で使い、それを知らない一般人に衝撃的な印象を持たせるやりかた:

男性嫌いの過激派フェミニストは男女間における全てのセックスはたとえ合意の上でもレイプだと定義を書き換える。そして書き換えられた意味を説明せずに、妻とセックスした男性のことをあの男は強姦魔だと言って、何も知らない一般人に間違った印象を与える。また、元々侮蔑語であるクィアという言葉の定義を単に異性愛者ではない人という定義に書き換えて、自分はクィアであると言っておきながら、論敵から「じゃあ今後クィアという意味で変態とお呼びしてもよろしいんですね。」というと「変態などといって侮辱するな!」というふうに言い、なにもしらない第三者に論敵からやみくもに変態扱いされたと犠牲者ぶるわけである。(アップデート、3月3日:ミス左翼の推薦するサイトでもクィアは変態と訳されている。)

例4

b) 言葉の定義を都合のいいように狭くするやり方:

私が先日話をしていたアファーマティブアクション(AA)だが、私はこの政策は法律によって市民に強制されていると語った。しかしミス左翼は、「アファーマティブアクションという法律は存在しない。存在しない法律が強制されるわけがない」といいはじめた。確かにAA法という名前の法律は存在しないが、AAは地方政府の設立した規則や法廷での判定などの課程を得て強制されている。普通『法律』というのは、政府が取り決め市民が従わなければならない施行力のある、社会の規則のことを言う。ところが、彼女は『法律』という言葉を『連邦政府が議会で通したもののみ』という非常に狭い意味で定義し、地方政府が取り決めた規則や法廷で出た判定などは『法律』ではないと言い張るのである。こうすることによって、彼女のいう「AAという法律は存在しない」という理屈が成り立つわけだ。一般的に広義な意味で使われている言葉の定義を極端に狭めることで、どれほど的を射た相手の議論も絶対にあてはまらないようにする。これで「あなたの言うことはこのこととは全く関係ない」と言い張るのがこの方法の狙いである。

例5

普通の言葉を差別語にするやり方:

これは非常に単純なやり方だが非常に効果のあるやり方だ。今まで普通にある特定の人々を説明する言葉として使われていた言葉を突然「差別用語だから使ってはいけない」と言い張る。間違った呼び方をすると人種差別者だといわれかねないので、人々は神経質になって常に正しい言葉を使おうとする。例えば、昔黒人はニグロと言われていた。これは単に「黒」という意味で、特に侮蔑的ないい方ではない。ニグロという言葉のついた団体まで存在しているくらいだから。しかしいつの頃からか、これは差別用語だと市民団体が言い出した。今後はアフリカンと呼ばなければならない、いや、アフリカンは差別だ、カラードと呼ぶべきだ、いや、カラードは差別用語だブラックと呼ぶべきだ、いやブラックは差別だ、ピープルオブカラーと呼ぶべきだ、いや、それは駄目だアフリカンアメリカと呼ぶべきだ、、、、というように。このように常に言葉の定義を変えることによって一般人を常にびくびくさせることが目的だ。

(C) 限りなく漠然とした複雑な文章

左翼連中は絶対に自分の考えていることをはっきりと他人が理解できるように表現しない。何故ならば、彼等の目的は自分の考えていることを正しく相手に伝えることではなく、相手を限りなく混乱させることにあるからだ。

左翼連中は非常に簡単な質問の答えでも長々と複雑な文章で答える。しかしよくよく読んでいるとのらりくらりと答えを避けただけで何の答えにもなっていない。それで「つまりあなたはこういうことがいいたいのですね?」というと「そんなことは言ってない!」と、あたかも分からないのはこちらの読解力が不足するせいだとでもいうような言い方をする。それで彼等はまた説明になっていない説明を繰り返し、こちらが「ではこういう意味なのですか?」というと「そんなことは言ってないってばああ〜」とどうしてこんな簡単なことが分からないのだという反応をする。

それでこちらもしびれをきらして「イエスかノーかで答えて下さい!」というと、「こんな複雑な問題をイエスとかノーで答えろというほうに無理がある。」とはぐらかすのである。下記は、とある左翼フェミニストとのコメント欄で交わされた一連の会話だが、これを読んでいただくとカカシのいう意味がお分かり頂けると思う。

カカシ:あなたをレズビアンといったのは、あなたが自分のことをクィア(同性愛者)だといったことと、あなたは女性であると思ったからですが、違うんですか?

ミス左翼:クィア=同性愛者、ではありません。いまさらあなたにあれこれ説明してそれを理解してもらおうとは思いませんが、同じではないことだけはご理解ください。(もし理解したい、とのことでしたら、「デルタG」というサイトで「クィア・スタディーズ入門」というすばらしい連載があるので、一般教養と思って読んでみてはと思います。)

コメンター:クィア=同性愛者ではないという回答ですが、上記の質問は左翼さんが同性愛者であるかどうかということではないでしょうか?私も左翼さんの文章は読んでいてときどきはぐらかしているような印象を受けることがあります

ミス左翼:単純にイエスかノーで応えないからですか? しかし世の中イエスかノーで応えられる問題だけではないでしょう?

自分が同性愛者かどうか、イエスかノーかで答えられないってのもおかしな話だが、彼女がこれを読めといってリンクを貼付けたサイトにいってみると、なんと何章にも渡る一冊の本!なんで私が他人の性嗜好を知るために長々と本を一冊よまなきゃならないのよ、といいたい。はっきりいって私は彼女の下半身にそこまで興味ない。

しかし今後も左翼と効果的な議論を交わすためには、左翼のいう言葉使いも勉強しておく価値はあるかなと思い直した。かなり苦労した挙げ句に該当しそうな部分を斜め読みしてみたら下記のよう部分があった。

Queer(以後、「クィア」とカタカナ表記)はもともと「奇妙な」という意味です。これは古い意味合いなので、いまでは「奇妙な」という意味ではあまり使われないのですが、もとは奇妙だ、ヘンだ、おかしい、という意味で、そこから同性愛者、とりわけゲイ男性を指す蔑称として使われるようになっていました。

.....この言葉を「再盗用」するにあたって、「奇妙な」「まっとうでない」という原義が使いやすくしっくりきたというのは、間違いがないと思われる。つまり、具体的な特定のありかたを指すのではなく、ただ漠然と「変」「普通と違う」というように、社会状況のなかでの自分たちのありかたをあらわすのに、一番使いやすい言葉だったということ。...

クィアとは、どこか奇妙で、普通ではない、変だ、正当ではないという感覚、態度なのだ、ということは強調しておきたい。

性嗜好が「」で「奇妙な」「普通とは違う」「度」の人のことを一般的に「変態」と呼ぶのではないのか?だったらクィアは変態でいいではないか、などと読者がお考えならまだまだ甘い!そのような読解力ではミス左翼には勝てない!

カカシ:だったら『変態』でぴったしじゃない!

ミス左翼:しかし、あれだけ分かりやすいリソースを紹介してもこの程度の理解しかできない人がいるとは驚きました。あれ以上簡単な解説なんてほぼあり得ないでしょう。

分かりやすいもなにも、このサイトには「クィアとは何か」という章に、クィアの定義が一つも載ってない!ただただクィア学の思想はこうである、ああである、とどうでもいいことがだらだらと書き連ねてあるだけで、クィアとはこういう性癖を持つ人のことをいうのであるとはどこにも書かれてない。書かれているなら非常に良く隠されている。ミス左翼が本気でクィアの定義を私に分からせたいと思っているなら、自分がその部分を抜粋して添付すればいいことであり、それをこの本を読めと言って解らないのはお前が悪いという態度をとっているのは、非常に不誠実だが左翼典型のやり方だ。

結局この一連の会話から私はいまだにミス左翼が同性愛者なのか異性愛者なのかわからない。いや、それをいうならミス左翼が女性なのか男性なのかさえも分からない。無論、ミス左翼の本当の目的は我々読者がいつまでも混乱している姿をほくそ笑んでみていることにあるのだからわからなくて当たり前だ。

左翼の二枚舌を見抜くには、左翼の使うこのような数々の手管を十分に研究しておく必要がある。練習として下記にミス左翼とのやりとりをいくつか掲載しておこう。読者のみなさんがどれだけ上記のやり方を指摘できるか試しにやってみるのも悪くない。

****************************
下記はとある左翼(多分共産主義ではなくてファシストらしい)変態フェミニストのコメント欄から一部抜粋しました。

例題1:

ミス左翼:「ブッシュ大統領は純粋な保守派ではない」とか、自分は純粋な保守派だと思っているから言えることであって、そういう純化主義・純化思想は一般社会から見れば過激だとしか言えない。

カカシ:私のことを純粋な保守派だといってくれてありがとうございます。

ミス左翼:言ってません。あなたが自分のことをそう思っているのだろう、とは言いましたが、あなたのことを「純粋な保守派」だとわたしが評価しているわけではありません。

例題2:

カカシ:左翼さんは自分は自由市場を信じるといってますが、あなたは企業や個人が自分達の偏見や差別意識を持つ自由を全く許せない。本当に自由市場を信じるなら、偏見に満ち満ちた企業が自分勝手なやり方で商売に失敗する権利を守るべきです。

ミス左翼:偏見や差別意識の自由は100%完璧に支持します。そしてそれを公に主張する権利も支持します。ネオナチでも「新しい教科書をつくる会」でもカカシさんでも、信条の自由と言論の自由は尊重されるべきです。問題は偏見や差別意識ではなく、差別行為です。

統計型差別においては差別的に行動すればするほど商売に成功してしまう。そればかりかインセンティヴ・ギャップまで生み出して、社会的格差をさらに深刻にしてしまう。市場はこの悪循環を解消する術を持ちません。
 
カカシ:差別への制裁は政府がするのではなく、我々消費者や社会がすればいいのです。それが本当の自由です。

ミス左翼:理想論としては良いですが、まったく現実的でなく話になりません。それができればそもそもこんな問題になってないって。

カカシ:あなたは個人からなる社会が自由市場であなたの気に入る結論を出さない場合は、政府が介入して是正すべきだという考えな訳です。 あなたは市場の決断よりも政府の介入の方を信頼しているわけです。 これがまさしく社会主義の典型的な考えです。

ミス左翼:違います。ほとんどの場合政府の介入は市場の効用を下げることになるので(つまりは人々の平均的な自由度や豊かさが犠牲にされるということです)、どういう施策を導入すればどの程度弊害があるのか冷静に調査したうえで、その弊害を施策の効用と比較して社会的に受け入れるべきトレードオフなのかどうか民主的に決定すべきであるという考えです。...おかしなことを勝手に決めつけないでください。

...市場の失敗によって市場がうまく働かない場合や、市場に任せた結果がわたしたちの社会に広く共有された倫理観・公正観から観て容認しがたい場合も生じます。そのとき、市場の不十分なところを補うためにどの程度なら社会的にコストを負担できるのかは民主的に決定されるべきです。わたしの好みを一方的に押しつけるつもりはありません。

カカシ:つまりまとめると、あなたは自分が気に入った結果を生んでいる限りは自由市場を支持するが、その結果があなたから見て不十分な時には民主主義のプロセスを踏んだ上でという条件付きで政府介入も容認する。 ですね?

ミス左翼:そのまとめは2つの点において正しくありません。

まず第一に、政府の介入をわたしが容認するためには、自由市場の出した結果がただ単にわたしの好みに合わないというだけでなく、公共的な倫理もしくは公正観に反するという判断をわたしが下すことが要件です。...つまり、わたしがある施策を容認するかどうかはただ単にわたしが「気に入るかどうか」ではなく、そこに公共的な理由があるかどうかを基準としているということです。

第二に、市場の結果が不十分なものであったとしても、政府が介入すれば良くなるとは限りません。「市場の失敗」に注意する必要があるのと同様に、「政府の失敗」の危険にも気をつけるべきです。すなわち、政府の介入を容認するためには、介入が実際に社会に利益をもたらすこと、そして介入によってもたらされる社会的な利益が介入によるコストを上回ることが示される必要があるでしょう。

例題3:

カカシ:あなたは「クォータ制を支持しない」といいましたよね?だとしたら裁判で訴えられた企業が示談にしろ判定にしろ、少数民族の雇用昇格のクォータ制を強いられた場合、つまりテキサコとかコカコーラなどのように(ロサンゼルス警察もこれに含まれますが)あなたにその権限があったとしたらこのクォータ制を撤回しますか?

ミス左翼:もしクォータ制より良い方法があるなら撤回しますが、クォータ制であるという事実だけを理由に必ず撤回されるべきだとは考えません。わたしが支持しない施策であっても、何もしないよりはマシな状況だってあり得るわけで。そもそも、裁判の判決や和解条件として導入されるクォータ制はアファーマティヴアクションとは全然違う話なので、両者をごちゃ混ぜに議論するのはやめてね。

カカシ:で、クォータ制は支持するんですか?しないんですか?イエスかノーの質問です。答えて下さい。

ミス左翼:イエスかノーで回答できるような質問ではありません。基本的に、クォータ制は融通が効かず弊害の大きい制度なので、あまり褒められたことではないと考えていますが、絶対に行なってはいけないほどの悪だとも思いません。あくまで与えられた状況に即してでなければ、応えられないのです。

カカシ:つまりまとめると、...基本的にはクォータ制は支持しないが、他に適当な是正策がない時はクォータ制も容認する。ですね?

ミス左翼:そのまとめは正しくありません。なぜなら他に適当な是正策がなくても、クォータ制の弊害の方がもともとの問題より深刻であれば、何もしないことが最善の選択であるということになります。「他に是正策がない」というだけで自動的にクォータ制が容認されるわけではありません。

カカシ:では...アメリカですでに起きている状況でクォータ制以外によい方法がない状況とはどういう状況のことをいうのですか?

ミス左翼:いますぐ特に思いつきませんが、わたしが知らないことだって世の中にはあるのですから、絶対にそういう状況がないとまでは言いきれません。

March 2, 2008, 現時間 2:33 AM | コメント (9) | トラックバック (2)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 24, 2008

人権擁護法反対! アメリカの悪制度アファーマティブアクションに学ぶ

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 教育と政治

お断り:このエントリーは数時間前に掲載したものを訂正して書き直したものです。特定の人物への個人攻撃のような内容があったのでその部分を削除しました。数時間前の内容と多少違う面があることをご了承ください。

米国で少数民族や女性が大学への入学や就職の際に不当な差別を受けないようにと設けられた制度にアファーマティブアクション(AA)というものがある。これについて私は何度かその悪質な特質について、大学入試や就職の際に特定の少数民族が優遇される人数枠組みを決めたいわゆるクォータ制を例にあげて、ここやここで述べてきた。

私の説明するような形ではアファーマティブアクションは存在しないと主張する人もいる。厳密な意味でアファーマティブアクションという法律が存在しないと言うのは正しい。AAは連邦政府の方針であり、その適用は州単位でそれぞれの地域が自分らに見合ったと思われる規則を設立して行うことになっているからだ。しかしAAを適用するために設立された規制や規則は私がいう通りの結果を生んでいるのであり、そんな法律は存在しないから、カカシのいっていることは真実ではないという言い方はそうした現実を無視した非常に不誠実な意見である。

AAには良い面もあれば悪い面もあると主張する人は、アウトリーチ(勧誘)という制度に重点を置いて話をしている。アウトリーチとは、普通では大学入学などには不利な立場にいると思われる少数民族が一流の大学に入れるように種々の方法で援助をするというのが建前になっている。だが、時間もお金も手間もかかるアウトリーチなどという制度は簡単に適用できるものではない。結果的に簡単に適用出来るクォータ制度が優先し、アウトリーチなど現実の日の目を見ないのが普通だ。つまり建前はどうあれ、現実的にはAAの適用は少数派優遇のクォータ制となったり、アウトリーチという名目で少数派受験生の成績が水増しされたりする形で落ち着いてしまうのである。だから私に言わせればAAに良い面など存在しない。

悪法アファーマティブアクションが生んだ訴訟例:

AAの悪質な制度は1961年の創設当時から問題になっていた。1969年には当時のニクソン大統領が、AAの目的は差別廃止の「目的と予定表」(goals and timetable)であって、少数民族優遇システムであってはならないと説明しなければならないほどだった。しかし、その不公平な適用は1970年代から最近では2001年に至るまであちこちで訴訟の対象となっている。

最初にアファーマティブアクションによる不公正な大学入試制度に関する訴訟を紹介しよう。私は以前にアメリカの大学入試システムをこのように説明した。

大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており、詳細は学校によって違うがここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。 これは文化の違いによるのだが、黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。 ということは同じ大学へ志願しているにもかかわらず人種によってその倍率が全く違うということになってしまうわけだ。

下記の訴訟例を吟味してみよう。

1979年、カリフォルニア州立大学対バッキー(the University of California v. Bakke): 大学の不公平な入学制度に挑戦した一番有名な訴訟は、1979年にカリフォルニア州立のデイビス医学大学においておきた。当時UCデイビスでは、100人中の16人は少数民族のためにとっておくという人員枠を決めており、入学の基準も少数民族と白人学生とでは全く違う二重基準になっていた。アラン・バッキーという白人学生は自分よりも成績の劣る少数民族の学生が合格したのに自分が入学を拒否されたのは人種差別であり、憲法違反であるとして大学側を訴えた。

合衆国最高裁判所は、人種が大学入試基準の一部として考慮されることは正当だが、融通のきかない人員枠決めは正当ではないと判決をくだした。

1996年、カリフォルニア州、提案209条: 1990年代の後半からカリフォルニアを中心に、アファーマティブアクションによる不公平な大学入学システムを廃止しようという運動が起きた。カリフォルニアの黒人ビジネスマン、ワード・コネリーは1996年に特定の人種や性別を優遇する入学システムを全面的に廃止する法律、提案209条を提案。カリフォルニア州市民の圧倒的多数の同意を得て議案は通過した。しかし、小山エミが「賛成する人などどこにもいない」といっている少数民族優遇システムを支持する運動家らが、この法律は憲法違反だとして州を相手に訴訟を起こし、一旦は地方裁判所(U.S. District Court)で議案の施行一旦停止判決がでたが、後の高等裁判所の審査によって(9th Circuit Court)判決は覆され法律として成立した。しかしその後も少数民族女性優遇システムを支持する人々の間からこの法律への訴訟は後を絶たない。

ところで、この法律が通って以来、バークレーのような一流大学への入学生は減ったが、カリフォルニアの州立大学全体では少数民族の卒業率が増加した。つまりAAによって自分の能力にあわない高度な大学へ行って落ちこぼれていた少数民族の学生たちが、自分の能力にあった大学へ入ったため、卒業率が増えたということだ。いくら一流大学へ入っても、ついていけずに落ちこぼれるくらいなら、二流大学でもちゃんと卒業したほうがいいに決まっている。AAの少数民族優遇制度がいかに少数民族を傷つけてきたかという証拠だ。

1996年、ホップワード対テキサス大学法律学校(Hopwood v. University of Texas Law School):シェリル・ホップウッド並びに三人の白人受験生がテキサス大学のアファーマティブアクションに挑戦して起こした訴訟。ホップウッドたちは自分たちが入学を拒否されたのは学力が劣るにも関わらず一部の少数民族が優先されたからだと主張。 その結果、法廷は(the 5th U.S. Court of Appeals)は大学のアファーマティブアクションによる入学制度を差しとめるように命令し、同時に1978年のバッキー訴訟で、人種が入学審査の際に考慮に入れられるのは正当であるとした判決は不当であったと裁断した。これが原因でテキサス州は1997年から入学審査に人種中立の制度を取り入れることになった。

2003年、グラッツ、ハマチャー/グラッター対ミシガン州立大学 Gratz and Hamacher / Grutter v.The Regents of the University of Michigan

2003年に最高裁判所が下した判決は、ミシガン州立大学のAA制度に対する二つの訴訟がもとになっている。ミシガン州立大学と法律学校の双方で、人種を基準にした大学受け入れ制度は憲法違反であるという訴えが起きたが、地方裁判所は人種が入学基準の一部の要素となることは正当であると判決をくだした。ただし大学のほうで少数民族の受験生に水増し点があてがわれる制度は改正されるべきであるとした。後に最高裁は人種を考慮することは憲法違反であるとすでに判決が出ていることから、この判決は覆された。

不公正な就職制度

AAが適用されるのは大学入学審査の時だけではない。就職や職場での昇格や解雇の時などでも考慮される。私はそのことについてこのように説明した。

AAは才能のあるなしに関わらず、ある企業はある一定数の少数民族や女性を雇わなければならない、それだけでなく、昇進の時でも人種や性別を考慮にいれなければならない。仕事のできない少数民族や女性でもやたらに解雇できないといった非常に厳しい規制がある。こうなってくると企業は少数民族や女性を雇う利点を見いだすことができない。かえって少数民族や女性には迷惑な政府介入なのである。

これに関して企業におけるアファーマティヴアクションはあくまで企業が自主的に行なうもので、それを強制するような法律は存在しないという人がいる。これも厳密には正しい。しかしここでどうして企業が自主的にAAを起用したりするのか考えてみる必要がある。AAの実施は企業にとって合理的でも経済的でもない。ではなぜそんなことを強制もされていないのにやるのか?

アメリカではAAとは別にEqual Employment Opportunity Law (EEO)という職場での差別を禁じる法律がある。職場で差別を受けたと思う従業員はEEOCという連邦施設に苦情を訴えられるようになっている。企業が差別訴訟を避けるための予防対策としては、AAを自発的に適用することが最善の方法なのだ。つまり、「わが社はAAを取り入れており人種差別はしておりません」と言うように。

しかし州立の大学でさえアウトリーチなどという面倒くさいことが出来ない以上、企業でのAAでそんなことが出来るはずがない。であるから必然的に簡単なクォータ制度が取り入れられてしまうわけだ。1000人の従業員のうち黒人が一人しかいないという企業はたとえ偶然そうだったとしても、黒人の市民団体から人種差別をしていると訴えられかねないし、やたらに黒人を解雇すれば、黒人差別だといってまたまた訴えられる恐れが十分にあるからだ。

これがどのような結果を生むか、これも訴訟例をあげて吟味してみよう。

1986年、ワイガント対ジャクソン教育委員会(Wygant v. Jackson Board of Education): 少数民族の教員を守るために、年功では勝る少数派でない教員が先に解雇されたことで教育委員会が訴えられた訴訟。最高裁判所は教育委員会の少数民族を保護する目的でも少数民族でない教員から解雇するというのは、雇用の際に少数民族を優遇するというのとは違って、個人に与える損害は大きく正当化できないとして勝訴となった。

AA方針は法律ではなく企業が自発的に適用するものだというが、AAを導入していない公営施設は存在しない。つまり、公務員は必然的にAAの元に生きることになる。それでなくても解雇が難かしい公営施設は民間企業よりも神経質にAA方針を貫こうとする。AAは法律ではないから強制されているわけではないという議論がどれほど空しいかが良く分かるはずだ。

さて、AAそのものに行使力はなくても、裁判所によってクォータ制度が強制されるという例がある。

1987年、合衆国対パラダイス(United States v. Paradise):

アラバマ州の公共安全局(the State of Alabama Department of Public Safety )では組織的に黒人差別をする傾向があるとして、何度も訴えられた。その結果裁判所は、局の従業員の25%が黒人になるまで、白人が一人雇われるごとに一人の黒人が雇われるか昇格されなければならないとした。このクォータ制は上訴されたが、この場合は極端な人種差別を是正するためにやむ終えない処置であったとして維持されるべきと判決が下された。

雇用や昇格にクォータ制度を用いなければならないという法律が存在しなくても、このように裁判所が企業に制度を強制することが出来れば、法律と同じ機能を果たすわけだ。

AAにはほかにも悪い点があるのだが、長くなるのでそれはまた別の機会に続けよう。とにかく、人種や男女差別を廃止する目的で作られた制度が、結果的に一部の少数民族や女性優遇のシステムになってしまったという例として、アメリカのアファーマティブアクションからは、今人権擁護法を考えている日本社会にとって良い反面教師となるはずである。

February 24, 2008, 現時間 8:18 PM | コメント (2) | トラックバック (1)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

February 2, 2008

なんで左翼は自分を左翼と認めないのか?

フェミニズム , 宗教と文化

これは読者の皆様もすでにお気付きのことだろうと思うが、保守派や右翼の人たちは自分達の政治思想を隠したりしない。それどころか「私は極右翼です!」などと誇り高く宣言するくらいで、こうした人たちを間違って「あなたは左翼でしょう」などといった日には何時間にも渡ってどういう理由で自分が右翼であり左翼ではないのか延々とお説教を受けること間違いなしである。

ところが、どういう訳か左翼の人たちは自分達がリベラル/左翼/共産主義であることを認めようとしない。それどころかそれを必死に隠して自分達のことを革新派、自由主義者、進歩主義者などと訳の分からない名前で呼んだりして一般市民を煙に巻くのが得意である。

こういう人たちに「あなたは左翼ですか」と聞くと、「私は左翼ではない!」と断言するのではなく、「左翼とか右翼というレッテルで他人を判断しようとすることに問題がある」とかなんとか言われて話をはぐらかされてしまうのがオチだ。

もちろん本当に右でも左でもなく中庸な人は存在する。しかし普通政治的に強い意見を持っているひとは、自分がどちらの傾向に傾いているかを知っている。自分が多種の問題に直面する度に右と左のどちらの方針を支持してきたかを考えれば必然的に自分の傾向があきらかになるのである。だから本当に左翼でも右翼でもない中庸なひとならば、「私は中庸です。」といった後で具体例を出して「私は人工中絶の合法性には賛成ですけど、麻薬の合法化には反対です。」とか、「強い軍隊は支持しますが個人の銃砲所持には反対です」といったように自分の立場をはっきり説明することが出来るはずなのである。

私の知り合いでファシストに近い右翼から立ち直って今は心を入れ替えて保守派孤立主義になった人がいるが、彼にいわせると表向きは個人主義や自由主義を唱えるファシストや共産主義の人間にはこれまでにいくらも会ってきたという。ソ連の憲法には個人の言論の自由などがいくらでも保証されていたというが、実際に国民がスターリンの悪口などいおうものなら強制労働キャンプ送りになった。北朝鮮や中国にしたところで、朝鮮民主主義人民共和国だの中華人民共和国だのと民主主義も共和制も全くないくせに名前だけは立派なものがついているのがいい例である。

実は先日から、例の左翼(多分共産主義)のレズビアンフェミニストの小山エミちゃんが(写真をみてから親しみが生まれてしまったカカシなのよね)自分の経済面における姿勢を示すことで、自分は左翼でもなければましてや共産主義者ではないといいたげなエントリーを書いている。もっとも例によって彼女は「私は左翼でも共産主義者でもありません!」とは断言していないので、判断は読者に任せるといったかなりいい加減な態度をとっている。

フェミニズムに限らず活動家業界というのは、...基本的に「左翼」の方が多いわけだけど、...わたしは...どうしてもその文化に馴染めない部分があった。それを一言で言うなら、「正しい動機」を元に「正しい目的」のために異論を排除したり必要なプロセスを省き、ある不公正を是正するための行動が別の不公正を生み出している可能性に無頓着な活動家たちの傲慢さだ。....

わたしがそうした違和感を感じたのは、...たまたまわたしが、白人社会におけるアジア人というマイノリティ(少数派)であり、クィア(同性愛者)であり、活動家業界のどこにも「自分と同じ人たち」ばかりが集まる居場所を見つけられなかったことに関係していると思う.....

わたしのことを「左翼フェミニスト」と決めつけて批判した人は、左翼やフェミニストは口先で正義を語りながら実際にはこんなに腹黒い奴らだみたいなことを言っていたのだけれど、わたしが思うに問題はその逆だ。腹黒いだけの連中なら、利害によってはどちらにでも転ぶわけだから、まだ行動を予想・コントロールしやすい。問題なのは、活動家業界では「正しい動機」「正しい目的」が現実的なコスト計算やトレードオフの分析を押し退けて、ある行為の正当性の根拠とされてしまいがちなことだ

なにしろ経済学によれば、...社会問題を解決するために政府が何らかの政策を実施することは、基本的に経済の生産性を犠牲にすることになる。そこにどんな「正しい動機」「正しい目的」があろうと関係ない。...それを承知のうえで、それでも看過できない不公正をただすために政府が介入するのであれば、それがどういうトレードオフをもたらすのか冷静に分析・論議したうえで、民主的な決定に委ねるべきだと思う

....わたしは(Thomas Sowell『A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles』を)読みながら「進歩主義のことを悪く言いやがって」と反発するのではなく、かれの言う「束縛的価値観」(保守主義)の方に強く共感した。そしてかれだけでなく、世界のさまざまな不正義や不公正の是正を心から願いつつも、左右双方の活動家業界が主張する短絡的な解決策から距離を取り、より現実的なトレードオフを政策として提示する経済学者たちに共感する。

わたしのことを左翼だとか共産主義者だとか決めつける人がいて、...どういう部分がどのように左翼なのかきちんと説明してもらえた覚えがない。...「左翼」はともかく、「共産主義者」というのはいくらなんでも違いすぎるだろう。

上記の彼女の文章を読んでいると、彼女は自分達の崇高な動機と目的のためにその方針が市場に及ぼす悪影響など全く無視している活動家を批判しているように見えるし、また自由市場や自由競争を尊重しているかのように感じる。しかしながら、彼女は一度もこの自分の信念が現実社会においてどのようにあてはまるのかという説明をしていない。

エミちゃんは、自分を左翼だの共産主義だの決めつける人間がその理由をちゃんと説明していないと言い張るので、この際だから説明しよう。

以前に私は人種差別にしろ男女差別にしろ政府が差別する(女性は何々の仕事についてはいけないとか、黒人はどこそこの公立学校に入学できないといったような)法律さえ取り除きさえすれば、あとは市場が解決してくれると書いた。これは女性や黒人の賃金が白人男性よりも安ければ人種や性別にこだわりのない雇用主が人件費節約のために優秀な黒人や女性を雇うようになるからで、他の企業が人件費が高すぎて経費がかさんで最初の企業と競争できないとなれば、こちらの企業も黒人や女性を雇うようになる。多くの企業が同じことをはじめれば黒人や女性の需要は高まり自然と給料も上がり、そのうち才能のある黒人や女性は白人男性と同等の給料をもらえるようになるというわけだ。

ところがこの自由市場による差別緩和を阻止する悪法がある。これが先に説明したアファーマティブアクションで(AA)ある。AAは才能のあるなしに関わらず、ある企業はある一定数の少数民族や女性を雇わなければならない、それだけでなく、昇進の時でも人種や性別を考慮にいれなければならない。仕事のできない少数民族や女性でもやたらに解雇できないといった非常に厳しい規制がある。こうなってくると企業は少数民族や女性を雇う利点を見いだすことができない。かえって少数民族や女性には迷惑な政府介入なのである。

もしエミちゃんが本当の意味で自由市場を尊重しているのであれば、このような悪法には真っ先に反対するはずだが、私のアファーマティブアクションを支持するかしないかという質問に彼女は「アファーマティブアクションにもいいところもあれば悪いところもある」とか「必ずしも女性優遇なシステムとは言えない」とか言って私の質問から逃げてしまった。

私は最近のフェミニストたちの本当の目的は女性救済ではなく左翼主義の促進であると書いたが、これをエミちゃんは『左翼やフェミニストは口先で正義を語りながら実際にはこんなに腹黒い奴らだみたいなことを言っていたのだけれど、わたしが思うに問題はその逆だ。腹黒いだけの連中なら、利害によってはどちらにでも転ぶわけだから』と言って、利益の追求=腹黒いと解釈している。本当の資本主義者なら利益を追求するのは当たり前。それが腹黒いとはどういう意味だ?しかもこうした活動家たちの動機や目的は現実的トレードオフを考慮にしていないが「正しい」と書いていることも注目されたし。(もっとも鍵括弧をしているから自分では正しいとは信じていないというのであればまた話は別だが。)ここでいうフェミニストたちの「正しい動機や目的」こそが左翼主義の促進なのだ。左翼が左翼主義の促進を望むのは左翼にとっては「正しい」動機であり目的であるから全く矛盾はない。彼女たちが市場でおきる矛盾になど興味がないのは当然である。

そしてそういう左翼主義のフェミニストグループのNOWのことを「自分は嫌いだ」といいながらも、カカシが左翼思想促進の役に立つ時はイスラム教の女性迫害をさんざん批判していたのにイスラム教が保守派から攻撃されるようになった途端に批判をやめてしまったことを例にあげてその偽善を指摘した時、エミちゃんはNOWがイスラム教を批判する理由はないといってこの女性団体を弁護した。つまり、NOWによる左翼主義促進という「正しい動機と目的」のために保守派の不公正を是正するためにイスラム教の悪行を無視するという不公正を生んだ女性グループのごう慢さを批判するどころか弁護までしているのである。

しかもエミちゃんはアフガニスタン戦争後も前と同じく一貫したイスラム批判を貫き通しているフィリス・チェスラーをイスラモフォビアのラディカルフェミニストと言って批判してみたり、エクイティーフェミニズムを唱えるクリスティナ・ホフ・ソーマーズの概念をデタラメな解釈だとして「排除」している。(ソマーズ女史にたいしてはジェンダーフェミニズムを批判したというだけでリベラルな女史に「極右翼といっていいほどの保守派論者」などとレッテルを張って過小評価している。)そして別の件でも旧日本軍(右翼)による慰安婦問題の責任を追求しているのに、当時の共産主義といっていいほど左翼よりだったルーズベルト大統領が総指揮官だったアメリカ軍やその配下にあった韓国軍への責任追及には興味がない。

『「共産主義者」というのはいくらなんでも違いすぎるだろう。』ということにしても、彼女はマルクス主義フェミニズムとはマルクス主義を徹底的に批判したものだと述べて、マルクス主義フェミニズムが共産主義を元にしたものだという事実を読者から隠そうとした。自分がマルクス主義でも共産主義でもないなら、マルクス主義フェミニズムを弁護する理由などないはずだ。

もう一度強調するが、私は別に小山のエミちゃんに恨みもつらみもないし、彼女個人を攻撃するつもりは全くないのだ。ただ彼女は非常に典型的な左翼(多分共産主義者)レズビアンフェミニストであるため、その例をつかって左翼がどのように一般市民を騙しながら右翼と戦うかというその戦法を披露してみただけだ。エミちゃんと議論をしていた空さんが、エミちゃんはこういう議論になれていないのではないかとコメントをしていたが、私は彼女は確信犯なのだと断言できる。

ではどうして左翼は自分を左翼と認めないのだろうか?自分の思想に誇りはないのか?他人に自分の本心を知られると何か都合の悪いことでもあるのか?実を言うと、アメリカのフェミニズムが一般にジェンダーとエクイティーの二つに別れると書いたカカシの最初の文章が、「偽装だ」といったエミちゃんの言葉のなかにこの答えはあるのだ。

つまり、フェミニズムがジェンダーフェミニストによって乗っ取られて以来、エクイティーフェミニストと解される普通のフェミニストたちは自分達をフェミニストと呼ぶのをやめてしまった。この中にカカシが含まれていることはいうまでもない。「あんな左翼と一緒にされたくないわ」というのが大多数のフェミニストの考えだったからだ。ジェンダーフェミニストたちはそのことを十分承知しているから、自分達がジェンダーフェミニストだなどとは絶対に認めないのである。

大きな意味で左翼にしろ共産主義者にしろ動機は同じだ。これらの思想を一般市民が認めないことを彼等は知っている。彼等が左翼だとか共産主義者だということが暴露されれば普通の人はまじめに意見を聞いてくれないことを彼等は十分承知しているのだ。だからその事実はなんとか隠さなければならない。しかし彼等が自分達のことを「自分は左翼ではありません!」と断言しないのは、そのように断言して自分達の仲間から「裏切り者」と思われると困るからである。例えばエミちゃんにしても、左翼である以上アファーマティブアクションを支持しません!とは断言できない。かといって支持します、といってしまえば自分の正体がばれてしまう。だからそういう質問は間違っているとか、そんな単純な答えのでるものでもないとか、いい面もあれば悪い面もあるとかいって保守派や右翼の直接的な質問には絶対に答えないのである。

私がエミちゃんは議論に慣れていないどころか確信犯だといったのはこれが理由だ。

というわけなので、自分の政治的見解をはっきり表明しない人間はリベラル/左翼/共産主義者のどれかだと考えて先ず間違いはない。彼等は自分の思想に誇りのもてないあわれな輩なのだ。

February 2, 2008, 現時間 2:37 AM | コメント (3) | トラックバック (3)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 29, 2008

イスラム教批判はイスラモフォビアなのか?

フェミニズム , ヨーロッパ , 中東問題 , 宗教と文化 , 対テロ戦争

私が二年近く書いてきた過激派イスラム教批判について、ある場所で批判をなさっている方がらしたので、こちらへ来て話されてはどうかとお誘いしたのだが、カカシのブログは読んでいるということなので、彼の私及びアメリカのネオコンに対する批判をちょっと載せてみよう。

まずは一宿一飯さんのあるブログへのコメント。

所詮憶測ながら苺畑カカシさんのイスラモフォビアに関して感じることは、「恐らくこの人は実際にモスリムに合って対話した経験も無ければする気も無く、単に自分の世界観を維持するための仮想的を必要としているに過ぎない」と言うものです。実際に接触してみれば、例えば敬虔なクリスチャン・モスリム・ジューイッシュは「共通する価値観を持っている」訳で、現実にハマス創設者ヤシン師にはユダヤ宗教界における高位の和平支持派ラビとの親交があったと言うような話など実例は幾らでもある訳なのですが。

別に、「真に共存の可能性を持っているのは西欧化した世俗主義者のみ」では無いのですけれどね。苺畑さんの決め付けは多分に「自分の壊れやすく、多分に現実と齟齬を来たしてしまいがちな価値観を守るために、少しでもそれに沿わないものは攻撃せずにはおられない」と言うような衝動的な物に見えてしまう。

一宿一飯さんは私の書いたことを読む前に某ブロガーによる「カカシはイスラム教恐怖症だ」という偏向な意見を読んでしまったため、私の書いていることもそういう色眼鏡をかけてよんだのだろうと思う。もう少し気をつけて読んでくれれば、私が攻撃しているのはイスラム教徒全般ではなく、過激派イスラム教徒およびイスラム教テロリストなのだということがわかるはずである。

常連の読者のかたがたならご存じだが、私はこのブログにおいて我々文明社会はイスラム教全体を敵に回してはならないと何度も強調してきた。イスラムの危機:テロリズムはイスラムの教えに反するにおいて歴史家のバーナード・ルイス博士の言葉を借りてこのように書いた。

現代のテロはイスラム教とほぼ同義語になってしまっているので、テロリズムがイスラムの教えに反するなどといっても、そんなことは頭の弱いリベラル連中のプロパガンダとしか受け止められない読者も多いだろう。私がここで何度も紹介してきたロバート・スペンサーなどもその口で、テロリズムこそがイスラムの真髄だなどと平気で言う。だがここでルイス教授はあえて、イスラムは平和な宗教だと主張する。...

...イスラム教徒はイスラム教を守るために戦うことは義務付けられているが、非戦闘員を殺したり虐待することは禁じられている。死を覚悟で戦うことは期待されるが、自ら命を絶つことは許されない。だとしたら、テロリストのやっていることは完全にこのイスラムの教えに反することになるではないか?何故このようなことをしている人間がイスラム教原理主義者だなどと大きな顔をしていられるのだろう?

...イスラム教過激派はイスラム教の名のものとに西洋に宣戦布告をした。彼らの解釈はコーランの正しい解釈のひとつである。だが、テロリストを正当なイスラム教徒として扱ってはならない。テロリストを原理主義者などと呼んではいけない。コーランの解釈はひとつではない。長くつづられたコーランのなかには戦争を唱える箇所もあれば平和を唱える箇所もある。他宗教に寛容となり、弱いものを守り無実の人間を傷つけてはならないという教えもイスラム教の原理なのである。イスラム教徒の中には、西洋文化の落ち度も理解しながら、また自分らの社会の弱点を捉えながら近代化を進めようとしている人々がいる。前者とは戦い以外に道はない。だが、後者とは歩み寄れる。我々現代人はこの二つのグループを十分に見極める目を養ない、穏健派を出来る限り応援しなければならない。

私は穏健派イスラム教徒となら歩み寄れるという言い方はしたが、歩み寄れるイスラム教徒は「西欧化した世俗主義者のみ」などといった覚えは一度もない。いや、それどころか私はヨーロッパの世俗主義をずっと批判してきている。私の「滅び行く欧州、栄えるイスラムの脅威シリーズ」を読んでいただければ分かるが、私はここでヨーロッパの行き過ぎた世俗主義こそがヨーロッパの崩壊につながると書いている。そのまとめとして目覚めるヨーロッパでこのように書いた。

(マーク)スタインはヨーロッパの世俗主義が現在の欧州の堕落を招いたのだと書いている。私はこれには全く同意見。イスラム教という宗教に対抗できるのはヨーロッパの基盤となっているジュデオ・クリスチャンの価値観しかない。

またカカシはイスラム教こそ悪の根源といいはるロバート・スペンサーの映画を紹介した時もこのように述べた。

私はこのブログでも何度か文明社会がイスラム教徒全体を敵に回すことの危険性を主張してきた。 だから私は悪の根源はイスラムの教えにあるというこのドキュメンタリーの製作者たちの意見には全面的に賛成できないでいる。 特にシューバット氏はイギリスのブレア首相がイスラム教を「平和を愛する宗教」だと何度も繰り返すことに関して、愚かなのか嘘つきなのかどちらかだろう、と言い切ることには全く同意できない。

ブレア首相ほど対テロ戦争に関して自分の政治生命を犠牲にしてまでブッシュ大統領と一緒になって努力してきた政治家はいない。 ブレア首相ほどイスラムテロリストの脅威を正しく理解して戦い続けなければならないと主張した人はいない。 私は911事件以後のこの世の中にブレア首相という立派な政治家がイギリスにいてくれたことを何度神に感謝したか知れない。

「イスラムについて、、」の製作者たちがわかっていないのは、政治家達がイスラムを「平和な宗教」だと主張し、テロリストは過激派であり、本来のイスラム教の教えを歪曲しているのだと語るには理由があるということだ。 イスラム教の人口は12億といわれている。 この中で過激派は約一割というではないか。 彼らはその一割の過激派と戦うために我々文明諸国に対して12億の人々全体を敵に回せというのか? 

無論、数や欧米の戦争技術をすれば、12億の敵をもってしても西洋社会がいずれは勝つだろう。 だが、もしそのような戦争がおきれば、第2次世界大戦どころの騒ぎではなくなるということがこのドキュメンタリーの製作者たちにはわかっているのだろうか?

一宿一飯さんの誤解は過激派イスラム教及びイスラム教テロリストへの批判を、イスラム教全体への批判イスラム教徒への人種差別およびイスラム教恐怖症、と混同してしまっていることにある。イスラム教過激派による犯罪やテロ行為を指摘して批判することは決して個々のイスラム教徒への人種差別でもなければ人権迫害でもない。それを混同してしまうと今ヨーロッパやカナダで起きているような人権擁護法の乱用のようなことが起きてしまうのである。

さて、一宿一飯さんは、私がイギリスのブロガーがイスラム批評をして逮捕状が出たという話を紹介した時、ラディカルフェミニストのフィリス・チェスラー女史のブログからインタビューを引用したことに関して、ラディカル・フェミニストたちのイスラム教蔑視はごう慢であり、イスラム教を批判しているというだけで、カカシが嫌いなはずのラディカルフェミニストを好意的に扱うのは私のアメリカ的なごう慢の現れであるという意見を述べられている。

まず第一に、私はチェスラーなる人がラディカルフェミニストであるという事実は知らなかった。しかし彼女がもしラディカルフェミニストだとしたら、彼女のイスラム教批判は全く理にかなっている。なぜならば、本当に女性優先の思想を持つ人であるならば、男尊女卑の最たるものであるイスラム教を批判するのはごく自然だからである。ラディカルフェミニストと自称する人ならばイスラム教の厳しい掟を恐れるのは当たり前だ。なにしろ強姦された被害者がむち打ちの刑にあうようなイスラム圏国が存在するのである。このような宗教を恐れることはフォビア(恐怖症)などではなく当然な自己防衛的な警戒心である。

私は自分はフェミニストだとか女性救済を目的としているといいながら、敵の敵は味方というせこい考えで非常な女性迫害をしている過激派イスラム教を全く批判しないリベラルフェミニストのほうがよっぽども偽善的だと思う。カカシは自分とは全く意見の合わない人でも信念をもって自分の考えを貫き通すひとのことは尊敬する。それがラディカルフェミニストであれ、共産主義者であれ同じである。反対に言うこととやることが正反対の偽善者は軽蔑する。

一宿一飯さんは、私のパレスチナ人への批判的な考えを『「遅れた、未開な非西欧」に対する敵意』だと考えているようだが、私がパレスチナ人に批判的なのはイスラエルがガザを撤退して自治をする絶好の機会を与えられた時に、ハマスというテロ軍団を政権に選び、自治にはまったく無関心で、ただただユダヤ人殺しだけを念頭において、平和交渉に何度も応じているイスラエルに執拗にミサイルをうち続けているからである。パレスチナ人はアラブ諸国でも民度が低いという悪評の高い民族だ。これはカカシの人種的偏見でもなんでもない。パレスチナ人の子供たちが飢えで死ぬようなことがあったら、これは一重に戦争に明け暮れて自分らの子供たちの将来にむとんちゃくなパレスチナのテロリストどもの責任である。

さて、ここで一宿一飯さんの白人コンプレックスについて反論したい。

..経営者さんは苺畑さんを「アメリカ保守の真似をしている」と評されましたが、私は「大変日本人的な反応」だと感じているのです。

「遅れた、未開な非西欧」に対する敵意と「自分の愛するアメリカ・西欧・白人社会」に固執するが故の「国粋主義」、そしてそれは「自身が日本人であるから」ではないかと。苺畑さんにとって依然憧れの「他者」であるアメリカと言う国の言説は、相互に如何に食い違い、相反していてもそれが「西欧・白人社会・アメリカ」を肯定し補強する範囲においては「矛盾せず」、逆にそれらの価値を批判し、見直そうとする言説には無条件に「敵」のレッテルが貼られるのではないかと。

差別は廃さなければいけないが、それは別に「白人・男性・プロテスタント」の価値観を否定するものでは無い筈なのにこの扱いは何だ、と言うのと同じ感覚を日本人も、そして世界各地のモスリムも持っていると言う事です。

少なくとも私の眼にはネオコンサバティズムとラディカルフェミニズムの「傲慢さ」「愚かしさ」は同じものに映ります。それは一部にドメスティックバイオレンス常習者や過激主義者が居るからと言って「すべての白人男性」「すべてのイスラム教徒」そして「全ての日本人の男」は野蛮で旧弊で遅れていると決め付ける類の愚かさです。

私にとって新保守主義は「保守」でもなんでもない。西洋かぶれの妄言に過ぎません。自分達の文化を否定し、西欧に媚び諂い、彼等にほめて貰う為に他のアジア人を殊更に野蛮と蔑む態度の恥知らずさに「お前達はそれでも日本人か」と怒りたくなることは枚挙に暇がありません。

私はネオコンではない。宗教右翼とか孤立主義の旧保守派とも違うが、どちらかといえば旧保守派に近いと思う。私としてはネオコンはリベラルすぎると思うので。ま、それはいいのだが、この白人に対する羨望という意識は、はっきり言って一宿一飯さん自信の反影だという気がする。アメリカは移民の国であり、その市民の種族も多種多様である。確かに過去には有色人種が差別されるという風潮がなかったわけではないが、カリフォルニアのように出会う人の半分以上が外国出身といういうような社会に住んでいると、白人だから何か特別に偉いなどと感じることはまずなくなる。少なくとも私は白人がうらやましいとか白人になりたいとか思ったことは一度もない。

アメリカにはいい面もあれば悪い面もある。特に日本はアメリカのよくない面を輸入し過ぎると思う。日本の教育界やフェミニストなどが「欧米では〜がとても進んでいる。日本も見習うべき」などといって取り入れる概念が日本社会の役に立ったことなどほとんどないと断言できる。

アメリカに長年住んで、アメリカの保守派思想を取り入れたカカシがアメリカ人なら、アメリカでフェミニスト活動を長年つづけて左翼フェミニストとなった例の小山のエミちゃんも立派なアメリカ人だろう。一宿一飯さんが、欧米を一緒くたにして白人社会と呼んでいるのも、彼が白人はすべて同じだという人種差別意識を持っている証拠だ。

私が生きているのはアメリカであり欧州ではない。欧州とアメリカではその文化に雲泥の差がある。私が価値あるものとしているのは人種や性別や年齢にこだわらずに個人の才能で判断してくれるアメリカの自由主義だ。これは白人であるとかプロテスタントであるとかなどということとは完全に無関係だ。もっとも一宿一飯さんが自由平等は白人プロテスタント男性の専売特許だと言い張るなら、また話は別だが。

January 29, 2008, 現時間 11:40 PM | コメント (8) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

人権擁護法と男女共同参画に共通する政府介入と人権侵害

フェミニズム , 人権擁護法 , 宗教と文化 , 教育と政治

私はずっと人権擁護法とジェンダーフリーについて別々に書いてきたが、人権擁護法と男女共同参画にはその根底に共通する概念が存在する。それは政府による団体主義の強制であり、個人の人権迫害である。

無論人種差別や男女差別の廃止は奨励されるべきことだ。しかしそうしたことは個人レベルで個々が判断して変えたければ変えていけばいいのであり、政府が介入すべきことではない。これらの法律が人権迫害につながるのは、個人のし好や思想に関することを国がいちいち干渉してくるからである。私が以前に人種差別をなくす法律は存在しないでも書いたように、嫌いなもの同士を無理矢理法律で一緒に仕事や勉学をさせてもかえって反感を買うだけで差別排除にはかえって逆効果なのだ。

また擁護法のように一部の人間を政府が特別扱いするということは、必然的に他のグループの人間を組織的に差別するという結果を生むのである。これは人種差別や性差別をなくす目的で作られたアメリカのアファーマティブアクションが政府が奨励する人種や性差別へと変化してしまったことがいい例だ。これについてもう一度私の過去ログから引用する。

アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。...

ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった。...

大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており...ここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。...黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。... 

たとえば単純計算である大学の100人の枠のなかで、黒人志願者が20人、東洋人志願者が100人だったとする。同じ大学へ志願したにもかかわらず黒人の志願者は全員入学できるが、東洋人の合格倍率はなんと10倍。

今やアメリカの大学では女子生徒のほうが男子生徒を上回っているにも関わらず、いまだに女子を優先する大学が後を絶たない。しかし男女平等を主張する左翼フェミニストたちがこの女性上位の状況に文句をいう気配は全く見られない。いまや女子優遇男子冷遇法となったアファーマティブアクションを廃止すべきだという左翼フェミニストなど存在しない。

左翼フェミニストといえば、以前に左翼フェミニストと議論を交わしていたブロガーさんで、ここでも何度か紹介したBruckner05さんは男女平等を政府が政策として起用した場合、単に男女差別はやめましょうというような啓発だけでは済まない、「公的広報のガイドライン、啓発パンフレット、意識調査、学校教育(教科書、副読本)、行政の講座等々」を使って国民意識が操作がされると書いている。強調はカカシ。

行政は法律に基づいて施策を行い、男女共同参画社会基本法は「ジェンダーフリー思想に基づく男女共同参画」を「国民の責務」としているのである。そしてその実現を確かなものとするため国内本部機構を設け、監視の役割まで持たせている。....

呼び掛けはやりました。あとは国民の皆さんの自由選択ですよ、では終わらない。意識啓発は、その自由選択が政府が望む方向に確実に変化し、その変化が広く深いものとなるように、と意図して行われているのだ。...

...施策の効果を上げようとすればするほど、介入の度合いは激しくなる。

差別意識を減らすなどという国内政策はそのうち、その成果を国民の意識調査で判断するなどという柔なことだけでは済まなくなる。政府介入は必ずエスカレートする。Bruckner05さんが紹介している家庭内暴力に関するDV防止法などもその典型だろう。括弧内はカカシの注釈。(ちなみにDV防止法は先日改正(改悪?)されたそうだ。)

自由な社会には“機会の平等”こそふさわしいのに、男女共同参画は“結果の平等”を目指す。その実現には上からの強権発動が欠かせないから、これはまぎれもない全体主義だ。「性差より個人差」「性別にとらわれない社会」と言いながら、他方、徹底して「女」にこだわるダブルスタンダード。数値目標によって女性の参画比率を恣意的に引き上げ、DVは事実上、女性のみを保護対象にし、女性限定で起業支援、健康支援をするなど露骨な逆差別。

人種差別も男女差別もこれは個人の意識の問題である。国がすべきなのは差別につながる法律を排除することであって、法律による意識介入ではない。一部の少数派を擁護するという建前で一部を優遇し他を冷遇するのであれば、まさにそれは政府が奨励する組織的差別に他ならないのだ。

January 29, 2008, 現時間 12:25 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 17, 2008

左翼変態フェミニスト小山エミの正体 ー 改訂版

フェミニズム

アップデート2015年5月10日現在:最近小山エミちゃんは話題の人になったらしく、エミちゃんの名前で検索すると拙ブログのこのページに行き着く人が多いようだ。しかし2008年現在で書いた私の小山エミに関する解釈にはかなりの誤解があった。先ず最近エミの昔の論文を読んでいて確認したことは、小山エミは女性ではなく、男から女へと転換したいわゆるMTFというトランスジェンダーだということ。慰安婦問題の関連でこのページに来られた読者諸君にはだから何なんだ、という気もするかもしれないが、実はエミの活動事態がフェミニズムに関連しているので、女性の立場からフェミニズム活動をするか、トランスとしてするかではかなりの違いがあると思うので、一応記載しておく。では、下記は本題。

*********************************************************************************************************

先のエントリーで小山エミについて延々と書いてきたが、最近わかったことで私の小山の分析にはちょっと誤りがあったことに気が付いたので、改訂版を出すことにした。

小山エミのブログエントリーを2〜3読んでいて私が最初に持った印象は次の通りだ。

このブログ経営者のmasckaさんという人は、そのブログの内容を読む限り、オレゴン州のポートランド在住で、女性学(特に性に関する)専門の教授らしい。アメリカ各地の大学で講演などを活発に行っている人のようだ。

しかしアメリカのフェミニストを見慣れているカカシからみるとmasckaさんは典型的なアメリカの左翼系(多分共産主義者)レズビアンフェミニストに見える。いやいや彼女が同性愛者だという言っているのではない。私がこれまでに遭遇したそういう部類の人に似ている、といっているだけだ。

これに対して小山エミはこう反応した。

この人がレズビアンフェミニストを見慣れているとは到底思えないけどなぁ。わたしはフェミニズムの中でも、レズビアンフェミニズムと根本的に対立する立場なんだけど。

...

 一応念のために言っておくと、レズビアンフェミニズムとはレズビアンたちによるフェミニズム、ではない。レズビアンフェミニズムというのはラディカルフェミニズムの一派で、主に異性愛者の女性たちが、レズビアンという存在を自分たちに都合のいいように勝手に解釈し、植民地化して名乗ったものであり、本当にレズビアンの女性にとってはかなり迷惑な思想なのね。...

...業界人でもないカカシさんがそんなにかれらに遭遇しているとは思えないのね。だからカカシさんはレズビアンフェミニズムが何であるかも知らずに、レズビアンフェミニストではない、ただのフェミニズムを主張するレズビアンのことを「レズビアンフェミニスト」と呼んでいるんじゃないかな、と想像する。

「私はレズビアンじゃありません!」といわないところをみるとかなり図星だったらしい。

私は小山エミの英語のサイトで、彼女が書いている自己紹介を読んで、てっきり私の第一印象は正しいものと勘違いした。

小山エミは2001年から2002年まで最初はインターンとしてISNAに入り、後に活動家のスタッフとなる。ISNAでの体験を生かして、エミはディレクトインターセックスイニシャティブというインターセックスの擁護活動団体をオレゴン州のポートランドを基盤に発足。全国の大学キャンパスを回ってインターセックス、家庭内暴力、障害者説、風俗業者などについて多様な主題でレクチャーを行っている。

エミ・コヤマは自分のことを尻軽女であると書いている。そしてフェミニスト、東洋人、生き残り、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、ジェンダークィアー(?)そしてクリップポリティクス(?)といった多様の社会問題を取り上げている活動家なんだと説明している。1975年からフェミニスト活動をしているんだそうな。自分が同性愛者でなければ他人のことをダイク(レズの侮蔑的な呼び名)とかクイアー(男性同性愛者の侮蔑的な呼び名)などというはずがない。...

小山エミに関しては彼女が本当にレズビアンだとは知らなかったので、単に典型的な「過激派フェミニスト」という意味でこれまでに出会った過激なレズビアンフェミニストに似ていると思ってそう表現しただけだ。それが本当にレズビアンだと言うのだから笑っちゃう。業界人でもないカカシさんにしてはすごい勘じゃありませんか?(笑)



Feminist Emi Koyama

自称尻軽女、左翼フェミニストの小山エミさん

しかし、その後小山エミといくつか会話を重ねるうちに、彼女の政治思想は共産主義というよりも、ファシストに近いと思うようになった。なぜならば、彼女は企業がすべて国営であるべきという共産主義特有の考えは持っておらず、企業が法廷などを通じて政府によって厳しく規制されるべきであるという姿勢だからだ。一応自由市場を信じているとは言うが、市場が問題解決できない時は政府の介入を容認するという考えで、アファーマティブアクションやクォータ制を企業に強制的に適用することなども良しとしている。彼女自身も左翼に見られてもしょうがないとは認めたが、共産主義ってことはないと主張している。

さてそれで彼女がレズビアンかどうかという話に戻るが、これについてはアップデートとして下記のように私は書いた。

先日小山エミは自分は左翼系リベラルのフェミニストだと認めたが、絶対に共産主義者ではないと主張した。それはそれで別にいいのだが、その後に自分はレズビアンではないとも主張している。
わたしはリベラルでありフェミニストであるとは認めているけど、自分は左翼ですと言った覚えはないし(そう見えるかもしれないとは自覚しているけど、「自他ともに」は認めていない)、レズビアンだとも言っていない(このあたりはカカシさんには分かりにくいかもしれないけど...。

小山エミは、「自分は〜ではない」とはいうが、「自分は〜です」とは先ず言わない人なので、他から得た情報などを消化して判断するより他にない。小山エミは自分で自分のことを「クィア」といっている。「クィア」というのは普通は男性の同性愛者をさすが、最近は男性だけとは限らず同性愛者という意味で使うこともあるので、女性であるエミちゃんがクィアだと言い張れば、自然にレズビアンだと解釈するのは常識。それが違うというのなら、エミちゃんは女性ではないのか、それとも彼女が専門にしてる女性でも男性でもないインターセックスとかいう部類の人なのか、それとも男性から女性に性転換したけど今でも男性が好きなあの手のひとなのか、、はっきり言って私のような普通の人間にはクィーアーなひとたち(変態変わった人たち)の言葉使いなんて理解できない。要するにこれが彼女/彼/それ/らの人々のいう「ジェンダーフリー」(性別抜き)という意味なのかもしれない。

実は、カカシは見落としていたのだが、小山エミは自分の性別や性嗜好について前記の自己紹介にきちんと(?)書いていた。それは下記のとおり。訳はカカシ。

エミの性別は何? エミは以前この性別とかあの性別とかで自己の確定をしたり、時には性別は無しとまで言ってました。でも最近はそういうことには疲れました。一時期は「ジェンダークィアー」で説明がつきましたが、それが特に確定なしだった頃はよかったのですが、「ジェンダークィアー」と確定する人たちが使うようになったため、これにもあてはまらなくなりました。

今日、エミは特にどの性別という自己意識はありません。しかし全く無性別という性別に強く同調しているという訳でもないのです。正直な話、彼女は自己確定があること、特に性別による自己確定をするということ自体、なんか奇妙だと思うのです。彼女が自分をどう見るかは、彼女の内側にある自身というものよりも、彼女の周りの人たちとの関係ややりとりによって判断されるといったほうがいいと思います。

私は小山エミが自分が男か女かわからない、また性嗜好も何でも来いの「変態」という意味で「クィア」という言葉を使っているとはとんと気が付かなかったので、彼女は女性で同性愛者なのだからレズビアンでいいのだと勘違いしてしまったわけだ。

一般常識を常識で生きていない人にあてはめようとするのは無理があるということがここでよく分かった。かなり反省!

というわけでまとめると、小山エミさんは、左翼(ファシスト寄り)変態フェミニストである。

カカシはこの不思議な人との出会いで最近のフェミニズムの異様化についてかなり勉強させてもらった。

January 17, 2008, 現時間 11:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

左翼(多分共産主義)レズビアンフェミニスト小山エミの正体

フェミニズム

アップデート:2015年5月9日現在

最近何故か、小山エミさんの名前で検索して私の過去ログのこの記事にたどり着く人が増えたらしい。実は私のエミちゃんに対する第一印象にはかなり誤りがあるので、この記事だけ読んで、「へ~小山エミってそういう人なのか」と判断するのは彼(彼女?)に対してかなり失礼だと思うので、この記事を読むならこちらの改訂版も読んでいただきたい。それから、私は時々彼女の英語の文章を自分なりに勝手に訳しているが、日本語に相当する言葉がないときは適当な意訳をしている。であるから私の自己流訳をそのままあたかもエミちゃんが書いたかのようにどこかに転載したり自分の本に載せたりしないでほしい。彼女が実際になんと言っているのかは彼女のサイトに行くなりしてご自分で調査していただきたい。プロの作家で私の書いたことをそのまま盗作した人がいるが、作家として怠慢極まりないね。

付けたし:エミちゃんの書いた2001年のトランスフェミニズムマニフェスト(英語)という論文のリンクも張っておく。これを読んでエミちゃんの写真を見たり声を聴いたりすれば、エミちゃんがどういう人なのかという想像はつくのではないかと思う。

**********************************************************************************************************
私がここで何度か討論した左翼フェミニストのmacska(小山エミ)という女性は非常に面白い人である。私が彼女のサイトを最初に発見したのは、私がジェンダーフリーという神話というエントリーを書いとき、彼女が私の間違いを指摘したことから始まる。

私の元のエントリーはこうなっていた。

私はジェンダーフリーという言葉を今まであまりきいたことがなかった。アメリカのフェミニズム、つまり女性運動は一般にジェンダー(性別)フェミニズムとクオリティー(質)フェミニズムに分かれるが、ジェンダーフリーというのはその言葉からして性別を完全に無視したものという印象を受ける。

これについての小山エミの批判はこうだった。

アメリカのフェミニズムを「ジェンダーフェミニズム」と「クォリティフェミニズム」に分けるなんて話は聞いたことがない、一体どこから出て来た話なんだろうと言っていたのだけれど、この種の議論を知っている人にとってソースははっきりしている。保守派哲学者クリスティーナ・ホフ・ソマーズが代表作『Who Stole Feminism? How Women Have Betrayed Women』(「デビューボ」でおなじみのエドワーズ博美氏のネタ元)で主張している「ジェンダーフェミニズム」と「エクイティフェミニズム equity feminism」を間違って覚えているだけ。そもそもソマーズの分類自体一般的なものではない(スティーブン・ピンカーが紹介して知られた程度で、一般には使われない)のに、「アメリカでは一般にこうである」とまで言って間違ってるんだから、どーしよーもない。

私はエクイティー(機会均等)をクオリティー(質)と覚えていて、エントリーにもそう書いてしまったので、その間違いを指摘してくれたのは感謝しているのだが、問題はこの概念が一般的に使われないものであるのに、あたかも私がそれが一般的な概念であるかのように書いたと彼女が指摘している点である。この指摘には間違いが二つがある。

間違い1:カカシがジェンダーフェミニズムとエクイティフェミニズムという概念がアメリカでは一般的であると書いたという主張。

先ず、私は『アメリカのフェミニズム、つまり女性運動は一般にジェンダーフェミニズムとエクイティーフェミニズムに分かれる』とは書いたが『アメリカではフェミニズムの概念をジェンダーとエクイティーに分けるが一般的である』とは書いていない。この二つの文章は全く意味が違うのだ。私の日本語は英語を直訳したような文章なので、最初は誤解があったのかもしれないと思ったのだが、度重なる私の説明を小山は単なる言い訳であると言い張って受け入れなかった。

私は単に「フェミニズムという概念は大きく分けてジェンダーとエクイティーの二つの概念に分けることができる」という意味で書いたのです。(エクイティーをクオリティーと書いたことは完全に私の落ち度ですから、それを訂正した時にあなたの誤解についても説明しています。)これはジェンダーをドーナッツとよび、エクイティーをマフィンと呼ぼうといっても同じことです。私の主題は概念なのであって言葉使いではないからです。

これに対する小山の答え。

はい分かっていますよ。そして、それは一般的な解釈ではないのです。ソマーズという学者がこう言っている、と紹介していればOKでしたが、ごく一部の特殊なアジェンダを持った人だけが使っている概念を、一般に通用する概念であるかのように偽装するのはやめましょう。...だからエクイティをクォリティと間違っても別に構わないんですよ。

「はいはい分かってますよ」と言っておいて、その同じ文節で私が「偽装」しているといいはる。私が偽装したと思っているなら私の言ったことを分かったことにはならないし、分かっているなら「偽装」しているという言い方は彼女のわい曲だということになる。小山の文章は得てしてこのような矛盾に満ちている。

間違い2:ジェンダーフェミニズムとかエクイティーフェミニズムという概念は一般的な解釈ではないという主張。

フェミニズムを勉強している人でクリスティナ・ホフソマーズ博士の名前を知らないひとはないし、彼女の概念について親しみのない人もいない。私が言葉使いを間違えたにも関わらず小山がすぐに私が何の話をしているかわかったことがそのいい証拠である。この概念は女性を女性という集団の一員として扱うか、それとも性差別をせずに個人として扱うかというごく普通の概念であり、一般的でないどころか差別問題を取り扱うときは必ず引きあいに出される概念なのである。現に小山自身が数年前に別のブロガーと議論を交わしたときも、相手のBruckner05さんがこんなことを書いているのである。(括弧内はカカシ)

自由な社会には“機会の平等”(エクイティー)こそふさわしいのに、男女共同参画は“結果の平等”(ジェンダー)を目指す。その実現には上からの強権発動が欠かせないから、これはまぎれもない全体主義だ。「性差より個人差」「性別にとらわれない社会」と言いながら、他方、徹底して「女」にこだわるダブルスタンダード。数値目標によって女性の参画比率を恣意的に引き上げ、DVは事実上、女性のみを保護対象にし、女性限定で起業支援、健康支援をするなど露骨な逆差別。

はっきり言って男女同権について言及するなら機会平等をめざすのか結果平等を目指すのかという概念がごく普通に現れるのだ。この概念を左翼フェミニストが受け入れられないからといって、概念そのものが一般的に認められていないと決めつけるところに小山の左翼フェミニストとしてのごう慢さが現れている。

ところで小山エミのブログエントリーを2〜3読んでいて私が最初に持った印象は次の通りだ。

このブログ経営者のmasckaさんという人は、そのブログの内容を読む限り、オレゴン州のポートランド在住で、女性学(特に性に関する)専門の教授らしい。アメリカ各地の大学で講演などを活発に行っている人のようだ。

しかしアメリカのフェミニストを見慣れているカカシからみるとmasckaさんは典型的なアメリカの左翼系(多分共産主義者)レズビアンフェミニストに見える。いやいや彼女が同性愛者だという言っているのではない。私がこれまでに遭遇したそういう部類の人に似ている、といっているだけだ。

これに対して小山エミはこう反応した。

この人がレズビアンフェミニストを見慣れているとは到底思えないけどなぁ。わたしはフェミニズムの中でも、レズビアンフェミニズムと根本的に対立する立場なんだけど。

...

 一応念のために言っておくと、レズビアンフェミニズムとはレズビアンたちによるフェミニズム、ではない。レズビアンフェミニズムというのはラディカルフェミニズムの一派で、主に異性愛者の女性たちが、レズビアンという存在を自分たちに都合のいいように勝手に解釈し、植民地化して名乗ったものであり、本当にレズビアンの女性にとってはかなり迷惑な思想なのね。ある著名なレズビアンフェミニストが「わたしにとってレズビアンになることは大変だった、なぜならわたしは男が好きで、男とセックスするのが大好きだったからだ」と言っていたことに典型的。

...業界人でもないカカシさんがそんなにかれらに遭遇しているとは思えないのね。だからカカシさんはレズビアンフェミニズムが何であるかも知らずに、レズビアンフェミニストではない、ただのフェミニズムを主張するレズビアンのことを「レズビアンフェミニスト」と呼んでいるんじゃないかな、と想像する。

「私はレズビアンじゃありません!」といわないところをみるとかなり図星だったらしい。しかしこのまわりくどい文章を分かりやすい日本語に翻訳するためには彼女の個人情報が必要になってくる。下記はこちらのブロガーさんが紹介してくれた小山エミの英語のウェッブサイトからの抜粋だ。

Emi Koyama worked for ISNA from 2001-2002 first as an intern and then as a staff activist. With her experiences at ISNA, Emi went on to found and direct Intersex Initiative, an intersex advocacy and activist group based in Portland, Oregon. She also lectures at college campuses around the country on various topics, including intersex, domestic violence, disability theory, and the sex workers’ movement.

小山エミは2001年から2002年まで最初はインターンとしてISNAに入り、後に活動家のスタッフとなる。ISNAでの体験を生かして、エミはディレクトインターセックスイニシャティブというインターセックスの擁護活動団体をオレゴン州のポートランドを基盤に発足。全国の大学キャンパスを回ってインターセックス、家庭内暴力、障害者説、風俗業者などについて多様な主題でレクチャーを行っている。(カカシ注:インターセックスとは両性体質の人のこと)

Emi Koyama is a multi-issue social justice slut synthesizing feminist, Asian, survivor, dyke, queer, sex worker, intersex, genderqueer, and crip politics, as these factors, while not a complete descriptor of who she is, all impacted her life. Emi is currently the director of Intersex Initiative. Emi lives in Portland, Oregon and is putting the emi back in feminism since 1975.

エミ・コヤマは自分のことを尻軽女であると書いている。そしてフェミニスト、東洋人、生き残り、レズ坊、おカマ、売春婦、両性体質、ジェンダークィアー(?)そしてクリップポリティクス(?)といった多様の社会問題を取り上げている活動家なんだと説明している。1975年からフェミニスト活動をしているんだそうな。自分が同性愛者でなければ他人のことをダイク(レズの侮蔑的な呼び名)とかクイアー(男性同性愛者の侮蔑的な呼び名)などというはずがない。どういうわけか自分が同性愛者なら同性愛者に対して侮蔑語を使ってもいいという暗黙の了解がアメリカにはあるからだ。しかし私のような保守派がこんなことをいったらいっぺんに「同性愛者恐怖症」のラベルを張られてしまうというダブルスタンダードもある。ま、という背景を念頭にいれると、先の小山エミの反論の意味が次ようのなものであることがわかる。

『私はもともとレズビアンからフェミニストになったレズビアンのフェミニストであって、フェミニストが講じてレズビアンになったレズビアンフェミニストではないのよ。業界人でないカカシさんがレズビアンフェミニストの意味も知らないで知ったようなこといわないでほしいわ。』

先ず、小山エミのいう「レズビアンフェミニスト」とは正確には「ポリティカルレズビアン」(政治上の女性愛者)と呼び、普通のレズビアンとは区別されている。単に「レズビアンフェミニスト」と言った場合にはレズビアンでフェミニストであるというだけの意味でレズビアンが講じてフェミニストになった人とフェミニストが講じてレズビアンになったひととの区別はつかない。私にいわせたらどちらも過激派フェミニストでありたいした差はないと思う。小山エミに関しては彼女が本当にレズビアンだとは知らなかったので、単に典型的な「過激派フェミニスト」という意味でこれまでに出会った過激なレズビアンフェミニストに似ていると思ってそう表現しただけだ。それが本当にレズビアンだと言うのだから笑っちゃう。業界人でもないカカシさんにしてはすごい勘じゃありませんか?(笑)

小山エミは他のブロガーとネット戦争をやるのが好きらしく、最近は空さんとも慰安婦問題で日本やアメリカのフェミニストのダブルスタンダードを指摘されて怒って応戦している。



Feminist Emi Koyama

自称尻軽女、左翼レズビアンフェミニストの小山エミさん

アップデート:(2008年2月25日現在)

先日小山エミは自分は左翼系リベラルのフェミニストだと認めたが、絶対に共産主義者ではないと主張した。それはそれで別にいいのだが、その後に自分はレズビアンではないとも主張している。

わたしはリベラルでありフェミニストであるとは認めているけど、自分は左翼ですと言った覚えはないし(そう見えるかもしれないとは自覚しているけど、「自他ともに」は認めていない)、レズビアンだとも言っていない(このあたりはカカシさんには分かりにくいかもしれないけど、このあたり参考にしてね。カカシ注:レズビアンはダイクとは違うんだそうだ)。わたし自身のセクシュアリティは今の議論に全く関係ないのではないかと思うけれども、その関係のないことを書いたり、「でも絶対マルクス共産主義者ではないと主張する」とわざわざ表記するあたりは、はっきり言って気色悪い。macska というペンネームで書いているのに、わざわざ本名で「エミちゃん」と書くのも嫌な感じだし。

もしカカシさんにわたしに嫌がらせする意図がなく、異なる意見の持ち主にも最低限の礼節を尽くすべきだという考えの持ち主なのであれば、次からこういう表記はやめてもらえないでしょうか。事実と違うことをいろいろ言われても別に痛くも痒くもないんだけど、非常にうざい(そう書けばわたしにダメージを与えられるとほくそ笑む低俗な知性の存在が頭をよぎる)

小山エミは、「自分は〜ではない」とはいうが、「自分は〜です」とは先ず言わない人なので、他から得た情報などを消化して判断するより他にない。小山エミは自分で自分のことを「クィア」といっている。「クィア」というのは普通は男性の同性愛者をさすが、最近は男性だけとは限らず同性愛者という意味で使うこともあるので、女性であるエミちゃんがクィアだと言い張れば、自然にレズビアンだと解釈するのは常識。それが違うというのなら、エミちゃんは女性ではないのか、それとも彼女が専門にしてる女性でも男性でもないインターセックスとかいう部類の人なのか、それとも男性から女性に性転換したけど今でも男性が好きなあの手のひとなのか、、はっきり言って私のような普通の人間にはクィーアーなひとたち(変態変わった人たち)の言葉使いなんて理解できない。要するにこれが彼女/彼/それ/らの人々のいう「ジェンダーフリー」(性別抜き)という意味なのかもしれない。

他人を「嘘つき」呼ばわりする人が最低限の礼儀云々を口にする資格などないというのがカカシの意見だ。

January 17, 2008, 現時間 10:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 11, 2008

フェミニストマガジン『Ms.』が見せたくない広告

フェミニズム

私はこの間からアメリカのフェミニスト運動が左翼運動家にのっとられ、女性人権や男女平等の促進よりも左翼政治促進が優先されているという話をしてきたが、今回それを示す典型的な出来事が起きた。(Hat tip Power Line)

アメリカユダヤ議会(The American Jewish Congress、AJC)がイスラエルにおける女性の地位について、Ms.Magazine(ミズマガジン)に広告掲載を依頼した。この広告はイスラエルの外相Tzipi Livni女史、最高裁裁判所長Dorit Beinish女史、そしてイスラエル議会(the Knesset)の議長Dalia Itzik女史の三人の女性の写真の下に「これがイスラエルだ」とか書かれているものだ。ミズマガジンは昨日AJCの依頼を断った。(広告の写真はこちら

「ほかにどのような結論に達することができたでしょうか」とAJC会長のリチャード・ゴードン氏、「ミズマガジンの出版社もミズマガジンのかなり多くの読者もイスラエルを嫌うあまり、イスラエルどのような良い広告もみたくないと解釈する他に。」

AJCの女性支部長(Director of AJCongress' Commission for Women's Empowerment)Harriet Kurlander女史が広告掲載を依頼したところ、女史は出版社からこの広告は「火の嵐を巻き起こす」といわれた。そしてこの主題には「強い意見が存在する」といわれたという。この主題とはつまりイスラエルについて何か良いことを言ってもいいかどうかという意味と思われる。ミズマガジンのエレノア・スミール女史は受取証に署名をした写真を受け取ったかどうかも、ゴードン氏の一週間にわたる度重なる電話連絡にもまったく応答していない。

ミズマガジンの代表者スージー・ギリガン女史は、ミズマガジンは「女性の権威拡大や生殖の自由についての広告なら大歓迎するが、これだけはできない」としたが、「これ」がなにをさすのかの説明はしていない。

ミズマガジンといえばジェンダーフェミニストの代表のようなものだが、それでも女性の地位向上もイスラエルの場合は認めないということらしい。最近のアメリカ左翼はあからさまに反ユダヤ教意識をあらわすようになったが、左翼フェミニストも左翼意識がフェミニズムを先行するという典型例である。

January 11, 2008, 現時間 5:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 7, 2008

ジェンダーフェミニストの見分け方

ネット戦争 , フェミニズム

アップデートあり、下記参照。

先日から続いているフェミニズムに関する討論で、macskaさん(ペンネームは小山エミ)はかなりお疲れのようなので彼女の最新の反論を取り上げながら、ジェンダー及びエクイティフェミニズムについて最終的にまとめてみたいと思う。その後でmacskaさんが犯した間違いについて指摘してただしておきたい。

まず、macskaさんは、だいたいジェンダーフェミニズムとかエクイティフェミニズムなどという言葉使いは一般的ではなく、フェミニズムをジェンダーとエクイティに分けるなどという概念自体が存在しないとおっしゃる。

macskaさんがそうお考えになるのは当然だ。それというのも、1994年に哲学者のクリスティナ・ホフ・ソマーズ女史がこれらの言葉とその概念を彼女の著書"Who Stole Feminism"で紹介してからというもの、アメリカのフェミニストたちはソマーズ女史をフェミニズムの敵とみなし、彼女の言葉使いから概念まで完全拒否してきた。ソマーズ女史はフェミニスト大会などへの参加をことごとく阻止され、もし女史が会場に現れようものなら警備員に暴力で追い出されるなどということがずっと続いているのである。フェミニストたちはジェンダーとエクイティーという言葉を否定することによってその概念そのものの存在を否定しようとしたのだ。左翼が大半を占めるフェミニストたちがホフ・ソマーズ女史を「極右といってもいいくらいの保守派」などと呼ぶのも、ホフ・ソマーズ女史が実際に保守派だからというより、極左翼のフェミニストたちからすれば宿敵ホフ・ソマーズは右翼に違いないという理屈になるだけなのだ。macskaさんがホフ・ソマーズ女史を保守派と呼びながら、女史が従来のフェミニストたちを批判したということ以外に保守派思想とする根拠を出せないのがいい例である。

しかしながら、カカシは最初からジェンダー・エクイティという定義が一般的にフェミニストたちに受け入れられているなどとは主張していない。はっきりいってフェミニストがこれらの定義を受け入れる入れないは重要ではないのである。ジェンダー・エクイティの概念は単に現在のアメリカのフェミニズムを説明するにあたりホフ・ソマーズが作り出した定義にすぎず、私はそれに従ってアメリカのフェミニストたちを分析しているだけだからだ。

ジェンダーフェミニズムとエクイティフェミニズムの決定的な違いは全体主義と個人主義の違いである。ジェンダーフェミニストは女性を女性というグループの一員として考え、その目的は女性の地位向上にある。だから女性というグループ全体が冷遇されれば怒るが優遇される場合は大歓迎する。それに反してエクイティフェミニストは女性を一個人として考え、女性も男性と同じ機会を与えられ同じ基準で試されるべきだと考える。であるから不公平な待遇はそれが冷遇であろうが優遇であろうが受け入れない。

私が最初にmacskaさんから「左翼(多分共産主義)のレズビアンフェミニスト」という印象を受けたのも、彼女の言葉の節々からジェンダーフェミニズム特有の全体主義を感じ取ったからだ。これまでの彼女のやりとりや特に前回の私の出した質問への返事でmacskaさんに対するカカシのの第一印象が正しかったと確信した。では私の出した三つの質問を振り返ってみよう。

  • 質問1:大学などの理数学部で女子生徒や女性教授の数が男性に比べて極端に少ないことは、応募者数に関係なく男女差別なので女性の数を増やすべきであると思うか?
  • 質問2:歴史的に迫害されてきた少数民族や女子に公平な機会を与る目的でつくられた、これらの人々への特別考慮をするアファーマティブアクションを支持するか?
  • 質問3:タイトル9によって、学校内で男女同じように運動部が設けられその活躍や規模に関係なく同じ予算をあてがわれなければならないという法律を支持するか?

これらの質問に共通している点は女性を女性という団体の一メンバーとしてみるか、それとも女性を一個人として見るかということだ。質問1で、もしも女性の数が圧倒的に少ないのが男女差別が原因だとは限らないと思うなら答えはノー。質問2は明らかに女性優遇をするシステムを支持するかしないかという質問なのだからジェンダーならイエス、エクイティならノー。質問3のタイトル9は女性優遇男子抑圧の典型的な法律だから、女子優遇を支持するジェンダーならイエス。不公平な優遇を支持しないならノー。

こんな単純なイエスかノーかの質問をmacskaさんはこのように誤魔化して答えようとしない。

イエスかノーかと迫る時点で、既におかしいのよ。例えばある学部で女性が少ないだけで差別があるとは言えないけれども、かといって人数の違いは生まれつきの特性の差であって差別は存在しないと決めつけるのもおかしいでしょ。具体的に調査を行なうなり当事者の生の声を聞くなどして、差別の問題があれば対処していくべきじゃん。

 あるいはアファーマティブアクションだって、必要な場合もあれば不必要な場合もあるだろうし、必要だとしてもさまざまなやり方があるわけ。例えばブッシュ大統領はいわゆるクォータ制やポイント制には反対だけれど、テキサス州知事時代には「どの公立高校であってもトップ10%に入る生徒には州立大学への入学を認める」という措置を実施していて、実質的にこれは貧困などの理由で全体的に成績が低い地域の学校に通う、その中では比較的優秀な生徒を救済しているわけ

数が少ないだけで差別があるとはいえないというなら、それ以上の説明は必要ないはず。それでもどうしても説明をつけたいなら、男女の学力審査が均一である限り答えはノーとすればいい。アファーマティブアクションは男女間においては完全に女性優遇のシステム。この場ではそれ以上の説明は必要ない。

macskaさんが単に男女平等を求めるエクイティフェミニストであれば答えは非常に明白なはず。それをごちゃごちゃ言い訳をして答えようとしないのは彼女自身、自分がホフ・ソマーズのいうジェンダーフェミニストだということを十分に承知しているからだ。しかしすべての質問にイエスと答えてしまえば読者が彼女をどう解釈するか分かっているから答えをはぐらかして自分が本当は何を信じているのか隠しているだけだ。macskaさんはこの手の議論は何度もしているとみえてやり方に抜け目がない。

読者の皆様はもうお気付きだろうが、macskaさんは私が彼女のことを左翼だの共産主義者だのレズビアンだのと呼んだことに関して「自分はそうではない!」と何度もヒステリックに怒鳴ってはいるが、ではいったい自分は何を信じているのかという説明を一度もしたことがない。つまり、左翼とはこういうひとたちのことをいうが、私の信じるのはこういうことで左翼とは全く違うとか、マルクス主義フェミニストはこういう方針だが、ここが私と彼女たちとの決定的な違いだとかいう説明がない。自分はポリティカルレズビアンは嫌いだとは言ってるが、どうして嫌いなのかという説明はしていない。

macskaさんが明かにしないのは自分のフェミニストとしての姿勢だけではない。私は最初に彼女がバックラッシュという本の宣伝ブログの経営者のひとりであることを知った時、彼女も著者のひとりなのだろうと思ったのだが、アマゾンに載っていた宣伝には著者の名前が四人しかなく、彼女らしいひとはいなかったので思い違いだったのかと思っていた。バックラッシュの話題がのぼった時もmacskaさんはバックラッシュについて自分が関わった本とは書いていたが自分が共著者であるという事実あきらかにしなかった。

自分の書いた著書を自分で宣伝することが悪いことだとは思わない。いやむしろ資本主義と自由市場を信じるカカシはそういうことは大いにやるべきだと思う。だが自分で書いた著書をあたかも他人が書いたかのように言ってほめたたえるやり方は感心しない。

では最後にmacskaさんが先のエントリーでおかした間違いとおかしな点をいくつか指摘しておこう。以前にmacskaさんは私の間違いを丁寧に指摘してくださったので恩返しである。

  • 間違い1:リベラルの政策は減税と小さい政府。

    今のアメリカの政治界でこんな非常識なことをいう人はいない。リベラルの英雄であるルーズベルト大統領の時代からリベラルの政策は政府が国民の面倒を見るためにその権限は拡大されなければならないというもの。国民年金を最初にはじめたのもルーズベルト大統領だし、現在国民健康保険などをすすめているのもリベラルの政治家たちである。年金を民営化しようなどという話をするのはいつも保守派で、税金をあげないと約束して上げたパパブッシュが大統領選挙の二期目にクリントン候補にまけたのは有名な話。クリントン大統領の時代に税金は大幅にあがった。減税と年金民営化をとなえてリベラルのゴアに勝ったのは今のブッシュ大統領。こうしたことを考えればリベラルが減税と小さな政府を政策としてるなどという考えがどれだけ非常識かがわかるはず。

  • 間違い2:デイビッド・ブロックはゲイだとばれて保守派に見放された。

    こんなとんでもないデマを流しているのは左翼ブログくらいしかない。それを信じてるmacskaさんが左翼なのもこれで明白。ブロックの男色趣味は彼が"Real Anita Hill"を書いていた頃から保守派の間でそれを知らないひとなどなかった。macskaさんは保守派は男尊女卑で人種差別者で同性愛恐怖症だと思い込んでいるからこのようなでたらめを信じてしまうのだ。ブロックが保守派に見放されたのは第2作の"The Seduction of Hillary Rodham"(ヒラリー・ロダムの誘惑)を書いている取材の途中でブロック自身がヒラリーに魅力に誘惑されてしまい、ヒラリーを攻撃するための本がヒラリーをたたえる本になってしまったため、保守派の評論家から叩かれて一気に人気を失ったことをすねて保守派評論家に八つ当たりしたのが原因だ。

  • 間違い3:NOWがタリバン批判をやめたのはタリバン政権崩壊後のことである。

    NOWがタリバン批判をやめたのはアフガニスタン戦争が始まった時であり、タリバン崩壊後のことではない。それにNOWはあれほどタリバン政権に関してブッシュが何もしていないと批判していたのに、いざブッシュ政権がタリバンと戦うことになった時ブッシュ政権を応援しなかったのはなぜだ?あれほどひどい女性迫害政権がブッシュ政権によって崩壊されたのにブッシュ政権やアメリカ軍隊にお礼の一言もないのはなぜだ?

    アフガニスタン戦争を声高に支持しているフェミニストといえば元NOWのメンバーで今はNOWの批評家となったタミー・ブルースくらいだろう。

    それに現在でもタリバン政権は崩壊したがタリバンは滅んでいない。macskaさんは今でもタリバンが北アメリカ同盟の軍隊に執拗にテロ行為をして攻撃を仕掛けている事実をしらないらしい。アフガニスタンを追い出されたタリバンは今度はパキスタンに潜入してパキスタン市民の身を脅かしている。パキスタンで起きる女性弾圧や女性迫害行為はタリバンの影響を大きく受けているのだ。タリバンへを糾弾する理由はまだまだある。

  • 間違い4:フェミニストがイスラム教を批判する理由はない。

    あのー、だからなんでフェミニストはイスラム教を批判しなくちゃいけないんですか? キリスト教についてだって、キリスト教の教義を口実に女性の権利を侵害するような個別の行為については批判したとしても、キリスト教自体が問題であるとか言い出したらおかしいでしょ。同様に、イスラム教だって女性の権利を侵害するような個別の行為を批判することはあっても、イスラム教自体を批判する必要なんてどこにもないのでは。

    macskaさんは以前に『NOW がタリバンやイスラム教原理主義による女性迫害を取り上げていないという点も、まったくのデタラメ。』といっていたのに、それがでたらめでないことをカカシが証明したら、とたんに『どうしてNOWがイスラム教批判をしなくちゃならないんですか』と開き直ってしまった。

    女性弾圧がイスラム教の名のもとでされていればイスラム教もしくはイスラム教徒を批判するのは自然だ。特に政権がイスラム教徒でありその国の法律がイスラム教をもとにしたものであればなおさらではないか?例えばサウジでは強姦された女性がむち打ちの刑に処せられ、彼女の女性弁護士までも弁護士資格をとりあげられるなどの弾圧を受けている。イランでは兄弟に強姦されて妊娠した12歳の少女がイスラム教の名の下に石打ちの刑に処せられている。キリスト教国家でこのような国がひとつでもあるというなら教えて欲しい。女性の人権を守るはずのフェミニストがこれらの女性への暴力に沈黙を保つのは何故だ?NOWにはいくらでもイスラム教やイスラム教政権を批判する理由がある。

アップデート:2008年1月8日現在

NOWが対テロ戦争が始まって以来ほとんどイスラム圏の政権を批判していないという話を昨日したばかりだったが、今日NOWのホームページにいってみたら今月4日付けで上記のサウジの件について批判が載っていた。(対テロ戦争が始まってからのイスラム批判は数えるほどしかない。しかもこの記事の前のイスラムに関する記事は2005年にさかのぼらないとみつからないし、それすらも批判的とはいいがたい。)ほ〜ら、NOWはちゃんとイスラム批判をしているではないかと喜ぶのは気が早い。この事件が起きたのは去年の11月半ばのことで、その時にNOWがこのことを批判しなかったとして周り中から叩かれており、私もそのことを米フェミニストの偽善を暴いたモハメッドという熊のぬいぐるみで12月4日にタミー・ブルースの記事を基本に書いている。つまりNOWは周りからたたかれてはじめて批判の記事を書いたというわけだ。しかも、サウジ政府はブッシュ政権の同盟国だというブッシュへのジャブを忘れないところがさすがである。(裁判では、06年3月に集団暴行を受けた女性(19)が、親族でない男性と会っていたとして、禁固6カ月とむち打ち200回の刑を言い渡された。この判決が欧米メディアで報道され、国際社会から非難が集中。アブドラ国王は07年12月、女性の恩赦を決定した。CNNより)

アップデート2:ひょんなことからバックラッシュの批評を書いているブロガーさんを発見した。彼の批評を読んでいて私の解釈が完全にあっていたことが証明されたので非常にうれしい。私は以前に下記のように書いた。

アメリカのフェミニズムでもそうなのだが、女性運動のはずなのに、性(セックス)に関する話題がやたらに出てくるのはなぜなのだろう。だいたいフェミニズムにトランスジェンダー(性転換手術を受けた人)だのmacska教授専門のインターセックス(男女両方の性器を保持する人)だのレズビアンの話が出てくること自体不思議である。しかしこれがジェンダーフリーの「フリー」が性別を無視するとか超越するという意味だと解釈すれば多いに納得がいく。

つまり、人間には持って生まれた女性らしさとか男性らしさというものがあるのではなく、性器によって社会がその役割を押し付けることから違いが生まれるという考え方が根本にあるため、自分の性に混乱のある人たちの意見が注目されるのではないだろうか。

下記は人権・男女共同参画・性etc.の管理人のBruckner05さんによるマルクス主義フェミニストの上野教授への批評である。(ちなみにBruckner05さんはジェンダーフリーへの批判も分かりやすくまとめているので、ご参照のこと。)

■破綻したジョン・マネーの「双子の症例」にしがみつく上野教授, 2007/8/14

 今やすっかりその破綻が暴露されたジョン・マネーの狂気の人体実験「双子の症例」を鵜呑みにして、「ジェンダーはセックスから独立」説を展開したのが「差異の政治学」論文だ。「双子の症例」の失敗が明らかでなかった時期に書かれたという言い訳は成り立たない。本書は2002年の刊行である。その時期すでに同症例の失敗は暴露されていた。

 同じジェンダーフリー派の伏見憲明氏が1997年刊行の『<性>のミステリー』(講談社)で、同症例の失敗を詳しく紹介して、「性自認や性役割には、ジェンダーよりもセックスが強く作用しているということなのか? 話は再び振り出しに戻った」と、率直に揺れる思いを吐露したのと対照的である。少なくとも本書における上野氏の態度は学問的とはいえない。

 なお、一部に、上野氏は「双子の症例」に一切触れていないと上野氏を擁護する向きもあるが、誤りである。上野氏自身が『バックラッシュ!』(双風舎)所収インタビューで、「双子の症例」が反証されたと知っていた、という趣旨の発言をしているからだ。

 ジェンダーはセックスから独立などしていない。「社会的に作られたから社会的に変更できる」(上野教授)は大間違いである。ジェンダー独立説に依拠して構築された「男女共同参画」の概念も施策も誤りであり、害悪でしかない。

やっばりそうだったのか。

アップデート3:macskaさんこと小山エミは、私がジェンダーフリーのフリーを「抜き」という意味と解釈したことについて、かなり馬鹿げた解釈だという書き方をしていたが、彼女の過去ログからこんなエントリーを発見した。まずは上記のBruckner05さんのジェンダーレスとジェンダーフリーは同義語であることの根拠から。

ジェンダーフリーはジェンダーレスと違うと言うが、ジェンダーフリーの提唱者で、男女共同参画社会基本法の理念作りに中心的役割を果たした大沢真理・東大教授は、「ジェンダーからの解放=ジェンダーそのものの解消」とはっきり書いている。

これに対して小山エミの反論はこちら。太字はカカシによる強調。

 これは、大沢さんがどういう意味で「ジェンダーそのものの解消」と言ったのか、Bruckner05 さんが理解できていないだけ。ジェンダーというのは辞書的には文化的・社会的な性役割や「男らしさ/女らしさ」といったものを指す価値中立的な言葉だけれども、現実にそれは一種の規範として強制力というか圧力を持つわけ。ジェンダーフリーの立場は「性役割の強制はよくない」「男らしさ・女らしさの強制はよくない」というものだけれど、強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない。というか、辞書的な定義はともあれ、現実には強制力を伴う規範的なものが「ジェンダー」として認識されるわけ。大沢さんが「解消」するべきだという「ジェンダー」は、このような規範のことであり、また性別という差異にことさら大きな意味が与えられ違った扱いの理由とされる社会的構造のことでしょ。

 「ジェンダーフリーはジェンダーレスとは違う」というのは、「ジェンダーフリーは(保守派が言うような意味での)ジェンダーレスとは違う」と言っているの。保守派が言う「ジェンダーレス」とは、男と女がみな同じことをしなければいけない社会、あらゆることが50%と50%で分けられなければいけない社会でしょ。大沢さんが求めている社会は、そんなのではないはず。大沢さんの言う「ジェンダーの解消」とは、性別を元とした規範がなく、性別にことさら大きな意味が与えられていないような社会を作ることでしょ。

小山エミの議論の仕方を読んでいて分かったことは、彼女は保守派からの批判をよくよく心得ているため、保守派が好んで使う言葉使いを批判し、あたかも保守派の主張する概念そのものが間違っているかのように読者をはぐらかすということだ。フェミニストたちはジェンダーフリーの「フリー」は性を無視するという意味ではなく性別による偏向や差別から解放されるという意味だと主張する。しかし小山自身が『強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない』と言っている。ということは性別によっておきる男女の差を指摘すること、つまり、男らしさや女らしさを個人に求めること自体が性差別であり偏向・バイアスであり強制だという主張だ。となればBruckner05さんは大沢さんの文章を理解していないどころかその本随をついていることになる。ジェンダーフリーのフリーはまさしく抜き・レスなのであり、ジェンダーフリー=ジェンダーレス=性別無視という意味なのである。


関連エントリー:
エクイティーフェミニストからジェンダーフェミニストへ...
ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動
ジェンダーフリーという神話

January 7, 2008, 現時間 9:48 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 6, 2008

エクイティーフェミニストからジェンダーフェミニストへ

フェミニズム

先ず最初に言っておくが、私の先のブログエントリー、ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動はmacskaさんへの個人的な攻撃ではない。私が攻撃したのはアメリカ及び日本の女性運動を乗っ取った、もしくは乗っ取ろうとしている左翼連中なのである。

しかしmacskaさんは私の意見に関して反論をなさっておいでなので、礼儀としてこちらでも誤解のないよう説明をしておくべきだろう。

実を言えばカカシはmacskaさんが個人的に左翼でも共産主義者でもレズビアンでも全く興味がないし、ご本人がそうではないとおっしゃるならそれはそれでかまわない。個人的にどういう理由でmacskaさんがバックラッシュという著書を応援しているのかということも私はあまり興味がない。問題はmacskaさん個人のし好ではなく、macskaさんが支持している左翼フェミニスト運動なのだから。

レズビアンフェミニスト云々については、フェミニストのなかにはポリティカルレズビアンという人たちがいて、自分は本当は異性が好きなのにもかかわらず、政治的な女性優位を目指すあまり男性とのセックスをあきらめたという過激派がいる。私のいうレズビアンフェミニストとはそういう部類の人々のことだ。私にはレズビアンの友達がいるのでこの件については一応知ってるつもり。知らないで適当な言葉使いをしたわけではないのであしからず。

ま、この辺まではあまり主題とは関係ないことなのでどうでもいいのだが、次の点はちょっと重大。

マルクス主義フェミニズムって、マルクス主義を徹底批判するフェミニズムのことなんですが。あと、上野は「ジェンダーフリー」概念に反対で、「男女平等」を掲げる、まさにソマーズが言うところのエクィティフェミニストなんだけど(笑)

私がアメリカのフェミニズムは共産主義の一角であるマルクス主義者に乗っ取られたと書いたことは撤回するつもりはない。macskaさんはマルクス主義フェミニズムとはマルクスに批判的なフェミニズムだとしているが、ここでいう「批判的」と言う言葉はアカデミックな意味でのことで、その考えに反対しているという意味ではない。上野千鶴子の本も宣伝しているこのサイトでの説明はこうなっている。

マルクス主義フェミニズム

マルクスがほとんど顧慮しなかった性・性別という要因をマルクス主義に導入することで、従来の階級闘争還元的な社会主義フェミニズムの限界を乗り越えようとするフェミニズム理論。1970年代のアメリカを中心に発展。

 マルクス主義フェミニズムは,ラディカル・フェミニズムの見解とマルクス主義を統合する。マルクス主義は資本主義社会における搾取の構造を分析するが,マルクス主義フェミニズムは,社会階級だけでなく,さらに「性階級」をも分析の対象にする。すなわち,女性差別の起源が資本主義的な家父長制のなかにあると主張する。労働と家族の分離,生産労働と家事労働の分断,そして前者の優位性という根強いイデオロギーのなかに,女性差別の複合的要因を見出す。

 労働というと,ものを生産して賃金を得る「生産労働」だけを指すが,マルクス主義フェミニズムは,「再生産労働」という概念を新たに導入する。たとえば育児労働,家事労働,看護・介護労働などが,再生産労働と呼ばれる。

 こうした労働は,ひとが生命を維持し生活を活性化するために不可欠な活動である。それにもかかわらず,賃金が支払われることのない無償労働であって,そのほとんどが女性に委ねられてきた。

 これは,明らかにジェンダーの社会化からくる一種の搾取であって,従来のマルクス主義はこの点を見落としていた。 マルクス主義フェミニズムは,資本主義が資本家と生産労働者と再生産労働者の3層からなる複雑な搾取構造である点を指摘する。

 資本主義の進展にともなって,女性も生産労働に動員されることになるが,そうなると女性は二重の搾取のもとに置かれるという。すなわち,生産労働者として搾取されるうえに,「女性の本来の仕事は家庭だ」とする性役割の不当な押しつけによって,もうひとつの搾取が女性労働者に加えられる,というのである。

マルクス主義フェミニズムはフェミニズムを考えるうえでマルクス主義は不十分であったという意味でマルクス主義に「批判的」ではあるが、マルクス主義の根本に異議を唱えているのではないのである。それどころかマルクス主義の基本を拡大してフェミニズムにあてはまるようにすべきなのだという考え方なのだ。社会主義は個人の所属する団体を重視する考えで、個人の能力によって評価されるという資本的な思想ではない。そういう思想を持っているひとが個人の才能を強調するエクイティーフェミニズムを信じるのは不可能なのである。

現在のフェミニストたちが自分たちのことを「私はジェンダーフェミニストではない、エクイティフェミニストだ。」と主張したがるのは、左翼が自分を左翼と認めたがらないのと全く同じ理由だ。単純にジェンダーフェミニストとかジェンダーフリーといった概念がその本質を理解されるにつれ一般市民から見放されてしまったことを彼女たちは承知しているからだ。しかし自分らをいくらエクイティフェミニストだといってみても実際にそうではないのだから名称だけ変えても意味はない。

本当のエクイティフェミニストかどうかを確かめる方法は簡単だ。

  • 質問1:大学などの理数学部で女子生徒や女性教授の数が男性に比べて極端に少ないことは、応募者数に関係なく男女差別なので女性の数を増やすべきであると思うか?
  • 質問2:歴史的に迫害されてきた少数民族や女子に公平な機会を与る目的でつくられた、これらの人々への特別考慮をするアファーマティブアクションを支持するか?
  • 質問3:タイトル9によって、学校内で男女同じように運動部が設けられその活躍や規模に関係なく同じ予算をあてがわれなければならないという法律を支持するか?

もしこれらの質問にすべてイエスと答えれば、ジェンダーフェミニストだし、ノーと答えればエクイティフェミニストだということになる。

次にクリントンのセクハラ問題に対するアメリカフェミニスト団体、おもにNational Organization of Womenに関する問題。

クリントンのセクハラ疑惑云々については、米国の保守系メディアで繰り返し宣伝されたデマ。疑惑が「クリントンを引きずりおろす」ことを公言していた保守系政治雑誌で(クリントンは殺人犯で麻薬密輸犯だという事実無根の記事に混じって)まず報じられ、原告による記者会見が保守系団体のスポンサーで開かれた時点で、NOW は支援の可能性を探ろうと原告側弁護士と接触を取ったけれども、支援を断ったのは原告側の方。その後 NOW は(事実がはっきりせず、原告との接触もできなかったため)クリントンを一方的に批判することはなかったけれども、クリントンが現職大統領であることを利用して裁判を遅らせようとしたことについては「原告に裁判に訴える機会を与えるべきだ」として批判していた。 NOW が原告のことを「嘘つきだとか田舎者だとかいってさんざん糾弾した」証拠があるなら、それを見せて欲しい。

先ずクリントン大統領のセクハラ問題を「疑惑」とか「保守系メディアで繰り返し宣伝されたデマ」などというところからして、macskaさんのバイアスが完全にばれてるわけだが、NOWのような組織が公式サイトで犠牲者の悪口など言うはずはないし、表向きは公平を保っているような声明文を発表していたことは確か。

しかし保守派のクレアランス・トーマス裁判長にセクハラを受けたといって非常に下らない理由でセクハラを訴えたアニタ・ヒルへの積極的な弁護に比べて、ポーラ・ジョーンズへの扱いは非常に冷たかった。NOWの会長のパトリシア・アイルランドは、右翼がこの事件を利用してクリントンを陥れようとしているとし、ポーラ・ジョーンズはその手先であるかのような声明文を出している。

ジョーンズさんの信用度がこうした関係によって自動的に失われるとは言わないが、右翼指導者たちとのかかわりは彼女の訴えを不誠実なものにしていると考える。

この声明文が発表されたいわれというのも、自分らの政治ライバルのセクハラ被告には厳しいNOWが自分らの支持する政治家によるセクハラを無視していると保守派からさんざん叩かれたことへの返答だった。また、NOWが敵の敵は友達と考えてイスラム教過激派による女性弾圧を無視しているという私の意見についてmacskaさんはこうおっしゃる:

NOW がタリバンやイスラム教原理主義による女性迫害を取り上げていないという点も、まったくのデタラメ。これは単純に、NOW のウェブサイトを「taliban」あたりで検索すれば、女性迫害についての記事や NOW の年次総会で可決されたタリバン非難決議やらがいろいろ出てくる。よくもまあこんなにすぐにバレるデタラメを書けるものだ。ていうか、わたし NOW 嫌いなのに、あんまりデタラメ書くから擁護するハメになっちゃった、どーしてくれる。

これは私がNOWがタリバン批判を「全くしていない」と書いたことへの反論だが、私はNOWがタリバンやイスラム教の女性迫害を一度も批判したことがないと言う意味で書いたのではない。ブッシュ政権がイスラム教テロリストに戦いを挑んで以来全く批判が聞かれなくなったという意味で書いたのだ。

現にNOWは2001年の911事件直後くらいまでは声高にタリバン批判をしていた。タリバン政権下の女性迫害に関してブッシュ政権が何もしていないとか、ブッシュ政権がアフガニスタンに送ることになった支援金についてもかなり批判していたことを私は今でも覚えている。

ところが、一旦そのタリバンを倒すためにブッシュ政権がアフガニスタン戦争をはじめるとなったら、突然静かになってしまった。NOWはアフガニスタン戦争が始まってからタリバン批判を積極的にしていない。タリバンがブッシュの敵となり、タリバン批判が保守派批判につながらなくなった途端にその批判をやめてしまったのである。タリバンで検索して出てくるNOWのこのページでも2001年10月以降のイスラム教批判は見つけられない。

アフガニスタン戦争やイラク戦争がNOWによって取り上げられる場合は、常にこれらの戦争によって状況はかえって悪くなった、もしくはタリバンを倒した後でも女性の立場は良くなっていない、といった批判でしかない。

それから名誉殺人についてだが、これも"Honor Killing"で検索してみるとこのページが出てくるが、"NOW Supports Legislation that Denounces 'Honor' Killings and Violence Against Women"「NOWは名誉殺人や女性への暴力を糾弾します」という題名のページに「イスラム」という言葉が一度も出てこない。'NOW, Nadler Unite Against "Honor Killings"'というページには「イスラム教」と言う言葉はでてくるものの、名誉殺人とイスラム教は直接関係ないという関連で出てくるだけだ。名誉殺人という行為自体は糾弾してもおよそイスラム原理教批判などにはなっていない。それどころかイスラム教批判を必死に避けているのだ。

最後にフェミニストがやたらに「性」を持ち出すことについて、

あのー、トランスジェンダーの作家を紹介したら、どうしてそれが左翼主義の促進になるんでしょうか? マジ分からん。...

フェミニズムはいわゆる「女性」だけでなく、人種も階級も障害も国籍も扱いますがなにか。それらを扱わずに、すべての女性のためになる運動ができるわけがないっての。

左翼フェミニストにかかっては、何もかもが政治に関連付けられてしまうという典型的な発言である。macskaさんはいわゆる"the personal is political"という左翼のモットーに従っていると言える。

追記:macskaさんがクリスティーナ・ホフ・ソマーズ女史が保守派である証拠として、保守派シンクタンクから支援金をもらっているという話を書いておられる。直接ブログのほうにコメントを残そうとしたのだがうまくいかなのでこちらで答えておこう。

保守派から支援金をもらったからといって、調査者自身が保守派であるという証拠にはならない。彼女の調査がたまたま保守派に気に入られたというだけの話である。macskaさんはホフ・ソマーズの著書を読んでいれば彼女が保守派であることは明白だおっしゃるが、私の読む限りそのような印象は受けない。

それでもホフ・ソマーズが極右の保守派だといいはるのであれば、移民、人工中絶の合法性、健康保険、対テロ戦争、銃砲取り締まりなど保守派にとって非常に大切な事柄について彼女がどういう見解を示しているのか是非その情報源を添えた上で提示していただきたいものだ。その上で本当にホフ・ソマーズ女史が保守派だと分かったら、カカシとしてはこんなうれしいことはないが。(笑)

ところで『学問的には左翼よりむしろ保守の主張する「減税、小さな政府」の側をリベラルと呼ぶ伝統がある』というのは19世紀の話だ。20世紀のリベラリズムを「減税、小さな政府」などと定義つけるひとはアカデミックでも存在しないだろう。

January 6, 2008, 現時間 6:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

January 5, 2008

ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動

フェミニズム

ちょっと前に私は『ジェンダーフリーという神話』というエントリーを書いたが、この時、私は日本語でいうところのジェンダーフリーという言葉の意味をあまりきちんと理解しておらず、ウィキペディアで検索した定義をそのまま紹介して、どうやら私が理解しているところのジェンダーフェミニズムのようなものだろうと書いた。

「ラディカル・フェミニズム」においては、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、一方的な支配関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図を持った政治的な概念・用語となっている。

このジェンダーフェミニズムという言葉はアメリカの哲学者クリスティナ・ホフ・ソマーズ女史(Christina Hoff Sommers)がその著書Who Stole Feminism(誰がフェミニズムを乗っ取ったのか)で紹介した造語である。それについて日本語のウィキは下記のように説明している。

ホフ・ソマーズは、この用語を、現代の性役割を批判し、全廃することを望むたぐいのフェミニズムを説明するために使っており、これが、現代のフェミニスト理論の多くの本質的な特徴であると主張する。その代わりにホフ・ソマーズが好むのがエクイティ・フェミニズム (これも同書でジェンダー・フェミニズムと対立するものとして造られた用語)で、その目標は、女性と男性の完全な法的平等および機会均等の確立である。ホフ・ソマーズは、彼女が「ジェンダー・フェミニスト」と呼ぶフェミニストたちが、女性に対する優遇措置を支持し、女性を犠牲者として描くのに対し、エクイティ・フェミニズムは、フェミニズムに存続可能なもう一つの形を提供するのだと主張し、異常なほど女性中心的かつ男性差別的な、現代のアカデミックな中流階級のフェミニスト運動を批判するために、この用語を使っている。

(注)エクイティ (equity) は「公正、公平」という意味を持つ英語。

正直な話、私はソマーズ女史の"Who Stole..."は10年くらい前に読んでいたが、ジェンダーとエクイティフェミニズムという言葉を最初に使ったのがソマーズ女史であることはすっかり忘れていた。それに加えてエクイティをクオリティなどと間違って覚えていてそれをそのままブログエントリーに書いてしまい大恥をかいた。(笑)

幸いなことに私の間違いを親切に指摘して下さった*minx* [macska dot org in exile]というブログがある。このブログ経営者のmasckaさんという人は、そのブログの内容を読む限り、オレゴン州のポートランド在住で、女性学(特に性に関する)専門の教授らしい。アメリカ各地の大学で講演などを活発に行っている人のようだ。

しかしアメリカのフェミニストを見慣れているカカシからみるとmasckaさんは典型的なアメリカの左翼系(多分共産主義者)レズビアンフェミニストに見える。いやいや彼女が同性愛者だという言っているのではない。私がこれまでに遭遇したそういう部類の人に似ている、といっているだけだ。masckaさん自身は自分に張られた左翼というレッテルが気に入らないらしいが、左翼が自分が左翼であることを認めたがらないのは何も今始まったことではない。

アメリカのフェミニズムはもうずいぶん昔に共産主義の一角であるマルクス主義者に乗っ取られてしまった。ホフ・ソマーズ女史がいうところのジェンダーフェミニズムの支持者はすべて左翼だといって間違いない。私がmasckaさんもその部類だろうと判断するのには根拠がある。

これはmasckaさんがリベラルでしかも民主党支持者のホフ・ソマーズ女史のことを『保守派の哲学者』とか『極右と言ってもいいくらい超保守的な論客』などと書いているからで、ホフ・ソマーズ女史が極右にみえるということは自分が極左翼ですと白状しているようなものだからだ。

そのmasckaさんが熱心に特別のブログまで作って宣伝しているバックラッシュという著書はジェンダフリーという概念を批判した人々への反論を集めたもので、四人の著者による共作だが、その一番最初に乗ってる著者の上野千鶴子教授などは完全なマルクス主義者なんだから笑ってしまう。下記はウィキのバイオ。

上野千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 - )は、日本の社会学者。東京大学大学院教授。 専攻は、マルクス主義フェミニズムに基づくジェンダー理論、女性学、家族社会学の他、記号論、文化人類学、セクシュアリティなど。文学修士。富山県上市町出身。代表著作は『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本制』など。

やっぱりね、思った通り。

しかし読者のみなさんは「カカシさん、フェミニストが左翼だからって何がいけないんですか?女性の人権のために戦う人たちが左翼でも右翼でも関係ないじゃないですか。」とおっしゃるかもしれない。

しかし実はそうではないのだ。ここでも以前に私はアメリカのフェミニスト団体の代表的な組織であるNational Organization for Women(全国女性機関、NOW)の話をしたことがある。彼女らの表向きの目的は男性社会で犠牲になっている女性人権の保護ということになっているが、セクハラの代表者のようなビル・クリントン大統領のセクハラ事件ではクリントンを批判するどころかクリントンにセクハラされたという女性犠牲者たちを嘘つきだとか田舎者だとかいってさんざん糾弾したし、女性迫害では最たるもののアフガニスタンのタリバンやアルカエダへの批判など全くしない。アメリカ国内でも何度かおきているイスラム教父親による娘への名誉殺人などについてもNOWは完全に沈黙を守っている。

何故女性運動の組織が女性迫害をするイスラム教徒を糾弾しないのかといえば、今現在彼女たちがもっとも嫌うアメリカの保守派たちがイスラム教テロリストと戦争の必要性を唱えているからである。左翼の彼女たちは自分らの政治的思想が優先して女性の人権を守ることより、保守派政治家と戦うことしか頭にないのである。左翼に女性運動を乗っ取られることの弊害がここにあるのだ。

ところで、以前のエントリーでカカシはジェンダーフリーの「フリー」という言葉は「〜ぬき」という意味なのではないかと書いたが、ジェンダーフリーを説明するサイトでは「これはジェンダー(性別)による偏見を取り除くという意味」だと書かれている。例えばバックラッシュに載せられているジェンダーフリーの説明は下記のようになっている。

ジェンダー・フリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるといわれている。報告書においては、制度面ではなく内面のジェンダー・バイアス(偏見)を低減させるための言葉として位置づけられていたが、 制度面のジェンダー・バイアス(障壁)が少ない状態や、性役割・性的指向に関して自由な状態を指す言葉としても使われるようになった。

バックラッシュ派からは、しばしば「性差否定」という用語説明がつけられるが、それに対しては「ジェンダーレス」との意図的な混同であるという応答が繰り返しなされている。というのも、「ジェンダーフリーな社会」というスローガンを唱える者の多くは、男女を同一のものとして扱うというのではなく、男性、女性と一口にいっても多様なライフスタイルがあるのだから、それらを肯定していくという意味合いで使っているからだ。

ここでいう『バックラッシュ派』とは無論ジェンダーフリー批判家のことである。同ブログでバーバラ・ヒューストンという女性のジェンダーフリーに関する説明も載っているがこれも内容は似たようなものだ。

私がここで最も強く主張したいのは、以下の点です。ある状況下でジェンダーが機能しているのか、どのように機能しているのか、そしてジェンダーに注意を払うべきなのか、それとも払うべきではないのか、性差別をなくすべく導入した方針はうまく働いているのか、などの問題がありますが、これらについて、私たちは抽象的なレベルにおいて答えを知ることはできないのです。このような問題に対しては、(「ジェンダー・フリー」アプロ−チのような)抽象的なレベルではなく、常に個々の具体的な状況に即して、どのようにジェンダーが機能しているか(すなわち、上で述べたような、性差別をなくすべく導入した方針がうまく機能しているかなどの問いについて)を検討しなくてはならないのです。

 したがって、ジェンダー・バイアスをなくすために何を試みたとしても、私たちは常にジェンダー(という観点)に細心の注意を払わなくてはなりません。ジェンダーが関係するときにはそれを考慮にいれ、平等を達成するためにジェンダーを考慮にいれないことが必要であるなら、そうしなければならないのです。

こういうことだけを読んでいると彼女たちは本当はエクイティーフェミニストなのだという印象を受けるが、このような表向きのきれいごとは私は信じない。その理由はやはりアメリカのフェミニズムの実態を知っているからである。

ジェンダーフェミニストたちのダブルスタンダードは悪名高い。大学などで女性生徒や教授のの数がすくない理数系の学部にかんする批判は声高にするが、文科系で女性が圧倒的多数を占める学部への批判は全くない。小中学校で女子生徒が無視されているとさんざん文句をいっておきながら、最近極端に下がっている男子生徒の成績について彼女たちは同情のかけらもしめさない。

アメリカの大学の多くで取り入れられているアファーマティブアクションといわれる少数民族や女性優遇のシステムがどれだけ男子生徒や白人や東洋人(日本、中国、韓国人は優遇対象に含まれていない)に不公平であるかなどと指摘しようものなら、「人種差別者!」「セクシスト!」と攻め立てられる。

彼女たちの本当の目的は男女平等などではなく女性優遇による左翼主義の促進にあるのだ。日本のジェンダフリーを押している人々のことを知れば知るほど、日本でも全く同じことがおきていると私は確信する。

例えば、バックラッシュの著者のひとり小谷真理だが、彼女は日本SF作家クラブの会員だとあり、英語の著書などの翻訳家でもある。しかし彼女が翻訳した著者のサースモンは有名な性転換(男から女へ)作家である。また宣伝ブログで特集されている筒井真紀子という翻訳者もケイト・ボーンスタインというやはり男から女へ性転換した作家の隠されたジェンダーを訳している。

アメリカのフェミニズムでもそうなのだが、女性運動のはずなのに、性(セックス)に関する話題がやたらに出てくるのはなぜなのだろう。だいたいフェミニズムにトランスジェンダー(性転換手術を受けた人)だのmacska教授専門のインターセックス(男女両方の性器を保持する人)だのレズビアンの話が出てくること自体不思議である。しかしこれがジェンダーフリーの「フリー」が性別を無視するとか超越するという意味だと解釈すれば多いに納得がいく。

つまり、人間には持って生まれた女性らしさとか男性らしさというものがあるのではなく、性器によって社会がその役割を押し付けることから違いが生まれるという考え方が根本にあるため、自分の性に混乱のある人たちの意見が注目されるのではないだろうか。

私は男女の違いを認識すること自体が男女差別につながるという考え方を拒絶する。何度も書いているが女性と男性では肉体的にも精神的にも違いははっきりしている。違いがあるからどちらが劣るという意味ではなく、その違いを理解した上で差別しないという姿勢こそが本当の意味でのフェミニズムであると理解している。

ところで、この「バックラッシュ」というタイトル自体、フェミニストの犠牲者意識が明かに現れているものもない。確かに日本社会はアメリカに比べれば男尊女卑は顕著である。私が育った頃に比べればずっとよくなっているとはいうものの、まだまだ男女平等というところまで行き着いてはいない。だから日本のフェミニストへの批判はアメリカなどで起きるようなものとは比べ物にならないほどひどいのかもしれない。

だが私は男女の差を無視したりやたらな女性優遇を主張するのは男女平等の目的を達成するのには逆効果だと考える。ましてや左翼連中に運動を乗っ取られて女性運動が左翼市民団体化した日には日本のフェミニズムは終わりである。

日本のフェミニストたちは、アメリカの女性運動が左翼に乗っ取られた前例を教訓にして、決して女性運動を左翼に乗っ取られないように十分に注意していただきたい。

関連エントリー:
米フェミニストの偽善を暴いたモハメッドという熊のぬいぐるみ

January 5, 2008, 現時間 10:15 PM | コメント (1) | トラックバック (5)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

December 4, 2007

米フェミニストの偽善を暴いたモハメッドという熊のぬいぐるみ

アメリカ内政 , フェミニズム , 宗教と文化

最近イスラム圏の二つの国で女性を虐待する二つの事件が起きた。そのひとつはスーダンで小学校の教師をしていたイギリス人女性が生徒たちがマスコットにしているぬいぐるみの熊に「モハメッド」という名前をつけることを許可したことが、イスラム教を冒涜するとして15日間の禁固刑を受けたこと。そしてもうひとつはサウジアラビアで集団強姦された女性が強姦された際、親族でない男性と外出していたという理由で反対にむち打ちの刑にさらされることになったという事件だ。

まずはスーダンのイギリス人女性教師の事件

ハルツーム(CNN) スーダンの学校での授業中、ぬいぐるみのクマにイスラム教の預言者ムハンマドの名を付けたとして有罪判決を受け、バシル大統領から恩赦を与えられた英国人教師ジリアン・ギボンズさん(54)が、スーダンを出国した。英外務省関係者が3日明らかにした。

ギボンズさんはスーダンを訪問した英上院のイスラム系議員を通じて声明を発表し、「わたしはイスラム教を尊重しており、他人を傷つける意図はなかった」と述べ、自身の行動が苦痛を与えたことについて謝罪を表明した。

ギボンズさんは裁判所から国外退去を命じられた数時間後、旅客機でスーダンを離れた。ドバイ経由でロンドンに向かっており、4日未明にヒースロー空港に到着する予定。空港でマスコミ向けに声明を発表するとみられている。

この記事には詳細が述べられていないが、スーダン政府の15日禁固刑に不満をもったスダーン市民たちギボンズさんの処刑を要求して町で暴力的なデモンストレーションを行っていた。スダーン政府がギボンズさんを国外退去したのも、イギリス政府への遠慮と国内のイスラム市民への配慮との間をとった苦肉の策だったといえるだろう。

そして二つ目のサウジアラビアの事件

サウジアラビアの裁判所はこのほど、集団強姦罪で有罪とされた被告らの上訴審で、被害者の女性側の主張を受け入れて被告らの刑を重くする一方、女性の刑も加重する判決を言い渡した。女性の弁護士がCNNに語った。

集団暴行を受けた女性(19)は昨年の裁判で、親族ではない男性と会ったとして、むち打ち90回の刑を言い渡された。それが、14日の上訴審判決では、6カ月の服役とむち打ち200回の刑に加重されたという。

女性と友人男性を拉致・暴行した7被告に対しては、裁判所が昨年、10カ月〜5年の服役刑を宣告。女性側は死刑が妥当として、この判決への不服を表明していた。上訴審では、7被告に2年〜9年の服役刑が言い渡されたという。

女性の弁護士は「被告だけでなく、被害者の刑まで変えられたことに衝撃を受けている」と話している。裁判所はこの弁護士資格を取り消し、司法省の調べに応じるよう命じたという。

英字紙アラブ・ニューズは情報筋の話として、女性側がメディアを通じて裁判所に影響を与えようとしたことが、刑の加重につながったと伝えた。

カカシがイスラム教が嫌いな一番の理由が女性虐待の方針だ。これは単に女性蔑視などという概念では片付けられない。強姦の被害者が辱めをうけて世間に顔向け出来ないと感じるというのならまだ理解できるが、裁判所が被害者を罰するなど言語道断だ。これでは強姦の被害者が訴え出るなどということは絶対に出来なくなる。本来ならば親族の男性に復讐をしてもらいたいところだが、イスラム社会ではやたらに被害者が親族に訴えようものなら、親族を辱めたといって反対に実の兄弟に殺されかねない。要するに女は男の冒涜に黙って耐えよというのがイスラム教の教えなのだろうか?

さて、このような男尊女卑の裁判に対してアメリカではなにかと女性の人権問題で口うるさいフェミニストたちはどれほどの抗議をしているかというと、これが完全なる沈黙を守っている。

元全国女性協会(National Organization of Women, NOW)のテキサス支部長だった、タミー・ブルースがこのアメリカのフェミニストたちの偽善について書いている。(私の記憶が正しければ、先の大統領ビル・クリントンのセクハラ事件を巡ってタミー・ブルースはNOWがクリントンを批判するどころか、クリントンを弁護し、かえって被害者を攻める姿勢をとったことでNOWを辞任した。)

どうやら(スダーンでは)かわいい熊をモハメッドと名付けるのは予言者への冒涜だが、モハメッドと名乗る男が大量殺人を犯すのはイスラムへの冒涜にならないらしい。

少なくとも過去14年間にわたって、特に1993年にオサマ・ビン・ラデンが西洋文化に宣戦布告をして以来、私たちはイスラム原理教の狂気に直面してきた。そして同時に、いかにアメリカの左翼が臆病かということが暴露された。 その通り、ぬいぐるみの熊をもってして敵の精神異常性に焦点が当てられたと同時に、(アメリカの)フェミニストのだらしない実態が明らかにされたのだ。

国際社会のほとんどからギボンズへの仕打ちに適切な怒りが向けられた、ただしアメリカのフェミニストは例外だ。イギリス国内の数々のイスラム教団体がこの判決を批判した。ギブソン先生のクラスで人気者の男の子ですら先生の弁護に出て、熊は自分の名前からつけたと説明している。

しかし、フォックスニュースからコメントを求められたNOWの代表者は「このことについて見解を述べるつもりはない」と答えている。

これほどアメリカの左翼は堕落してしまったのだ。スダーンの幼いモスリムの男の子のほうがワシントンにいる「女性人権の代弁者」と自称する女性集団よりもよっぽども攻撃を受けた女性を守ろうという勇気と信念を持っている。

もう何年もアメリカのフェミニストの体制は便宜上フェミニストを名乗って民主党左翼のサクラと成り果てていることはあきらかだった。NOWやエレノア・スミールのフェミニストマジョリティーなどというグループは過去五年間に渡るイスラム教テロリストの女性への暴力に完全沈黙を守ってきた。女性問題は彼女たちにとって政治的勢力を得るためにがなり立てる便利なスローガンに過ぎない。

彼女らの悪意に満ちた沈黙はギボンズさんの事件に留まらない。サウジアラビアでは集団強姦された犠牲者が200回のむち打ちと6か月の禁固刑という判決を受けている。なぜかといえば、それは彼女が(強姦された時)親族でない男性と外出というシャリア法に違反する行為をとっていたからだ。彼女が生意気にも控訴したことで彼女の刑はより加算されたのだ。

このような奇怪な暴行にNOWやフェミニストマジョリティーの反応はどうかといえば、ジリアン・ギボンズの時と同様、全く同じく無反応。何故ならば(神よ禁めたまえ)戦うに値する邪悪な敵が存在するなどと認めるわけにはいかないからだ。そして(神よ禁めたまえ)一人の女性のためにアメリカが邪悪な帝国主義ではないかもしれないなど人々に気が付かれては困るからだ。

これは決してフェミニスト団体だけのことではないが、1960年代に創設されたアメリカの人権擁護市民団体はことごとく共産主義者や左翼主義者に乗っ取られてしまった。いまや彼等は人権擁護も女性問題も人種問題も興味がない。あるのはどれだけこれらの問題を悪用して自分達の政治的勢力を得られるかということだけだ。彼等は常に自分達こそが弱いものの味方だと言って、平等と公正を求める保守派を冷酷だとか男尊女卑主義だの人種差別者だのといって批判してきた。

だが、彼等こそが体制のみを重んじ、イスラム圏で野蛮人に教養をつけようと出かけていった善良なギボンズおなご先生や、か弱い19歳の乙女が冒涜されたことなど、自分らの政治勢力獲得に役に立たないものはことごとく無視するか邪魔になるものは敵視するかしかしない冷酷な人間どもなのだ。

タミー・ブルースはここ数年に渡ってアフガニスタンやイラクで婦女子虐待の悪を駆除するため感謝もされず認識もされずにひたすら戦ってきたのはNOWやリベラルや左翼が忌み嫌うアメリカ軍隊そのものだという。アメリカの海兵隊が自称フェミニストから命令を受けていたなら、彼等がこれまでに解放した何百万という女性たちがいまでも奴隷生活をしいられていたことだろうとタミー。

まさしくその通りだ。本来ならば女性虐待のイスラム教過激派の冒涜を真っ先に糾弾し、その過激派の悪と戦うブッシュ政権を率先して支持すべきアメリカのフェミニストたち。しかし彼女等の本性は女性人権擁護でもなんでもない。彼女たちの本来の目的は共産主義の促進だ。女性人権問題など単なる道具にすぎないのである。

無邪気なこどもたちのマスコット熊のぬいぐるみがアメリカフェミニストたちの偽善を暴くことになったのだ。

December 4, 2007, 現時間 12:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

November 13, 2007

ジェンダーフリーという神話

フェミニズム

アップデート:*エントリーの内容に間違いがあったので訂正しました。*

瀬戸さんのブログを読んでいたら、瀬戸さんがジェンダーフリーという言葉を使っているのが目に付いた。実を言うと、私はェジェンダーーフリーという言葉を今まであまりきいたことがなかった。アメリカのフェミニズム、つまり女性運動は一般にジェンダー(性別)フェミニズムと*エクゥイティ(平等)*フェミニズムに分かれるが、ジェンダーフリーというのはその言葉からして性別を完全に無視したものという印象を受ける。フリーという英語はこの場合「~ぬき」という意味になるからだ。だから多分アメリカでいうところのジェンダーフェミニズムと共通するものがあるのだろうという憶測はできる。

ジェンダーフリーは主として「ラディカル・フェミニズム」の一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論、運動が展開されたため、この運動において用いられる「ジェンダー」の概念は、人文系の学問において一般的に用いられる中立的・客観的な意味での「社会的文化的性別」という概念とは異なっている。

「ラディカル・フェミニズム」においては、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、一方的な支配関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図を持った政治的な概念・用語となっている。

また、この運動においては、「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度を失くしてしまおう」という考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうという主張を展開する。

上記の日本語版ウィキの説明を読んでいると、かなりアメリカのジェンダーフェミニズムの悪影響を得ている概念だということがわかる。ではここでジェンダー・フェミニズムとエクィティフェミニズムの違いについて説明しておかなければならないだろう。

先ず私が信じているエウィティフェミニズムだが、これは男女の性別にかかわりなく才能によって個人は判断されるべきという考えだ。つまり、ある会社がセールスマンを募集していたとして、その採用の判断は応募者の性別ではなく、個々の経歴とか才能で判断されるべきというもの。だから私は消防署の隊員であろうと、警察官であろうと、軍隊の戦闘員であろうと、もしある女性が男性と同じように重たいものを持ったり、長距離を走ったり、敵と取っ組み合いをするだけの能力があるのであれば、女性だというだけで特定の職種に応募する資格すらないという考え方には反対なのである。

しかし、これは決してどのような職種にも女性が雇われなければならないという意味でもなければ、女性が男性と同じ率で昇格させられなければならないという意味でもない。たとえば単純な例として、女性は一般的に男性に筋力では劣る。これはそのように作られているのだから仕方ない。無論これは一般にという意味であり、個人的には一般の男性よりずっと力持ちの女性は存在する。しかしその数はまれである。必然的に筋力を必要とする職種では必要な条件に当てはまる女性は男性にくらべて少なくなる。時には全くいないということもあるだろう。しかしこれは単純に必要な筋力を持ち合わせている人間が女性にいなければしかたないことであり、男女差別ではない。

これに引き換えジェンダーフェミニズム、いわゆるジェンダーフリーの思想はこうした男女の違いを完全に無視して、あたかも男女はなにもかもが同じであるかのように扱うというものだ。これは一見公平なようで非常に不公平な(特に女性に対して)思想だと私はおもう。

私の職種はエンジニアリング、日本語でいえば工学だが、こういう職種に女性は少ない。うちの大学などは女性の生徒への考慮はゼロで、工学部の校舎には1990年代まで女子トイレがなかったくらいだ。(笑) しかしこうした職種を選ぶ女性は別にジェンダーフリーを望んでいるわけではない。頭脳では男性に負けない工学士でも、筋力では男性に劣る。そういう女性に男性と同じ重たい荷物を持たせたり、男性でも耐え難い肉体労働の勤務に女性を配置するのは、かえって不公平だと私はおもう。か弱い女性に肉体労働をさせることはかえって女性への差別だと私は考えるからだ。

無論肉体労働に耐えられるタフな女性が存在するのであれば、存分にやってもらえばそれでいい。私の祖母などは重たい荷物を背中にしょって売りまわる商人だった。今はとんと見かけなくなったが、昔は背中に自分の体重以上の荷物かごをしょってあちこち売り歩く女性を見かけるのは極普通だった。その血を引いてる私は普通の女性よりは力持ちだと自負している。しかし、私は個人的に重たいものは筋力のある男性に持ってもらうようにしている。自分で持てる荷物でも必ず男性の助けを求めることにしている。(笑)

男女差別というのは、個人の能力を無視して性別だけで判断するというもので、男女の違いを意識してそれなりに反応することは性差別ではない。私はジェンダーフリーという考え方はか弱い女性に男性の仕事を無理強いする女性にとって非常に迷惑な考え方だと思うし、男性が本能的に持っているか弱い女性を守りたいという意識に反する悪質な考え方だと思う。だから私は女性の立場からジェンダーフリーは女性には害あって益なしと考えている。

*******
アップデート:2007年1月4日

エントリーのなかで私はアメリカのフェミニズムはジェンダーとウォリティーに分けられると書いたが、これはジェンダーとエクゥイティの間違いだったので訂正した。この間違いを指摘してくださったのは*minx* [macska dot org in exile]というブログ。

アメリカのフェミニズムを「ジェンダーフェミニズム」と「クォリティフェミニズム」に分けるなんて話は聞いたことがない、一体どこから出て来た話なんだろうと言っていたのだけれど、この種の議論を知っている人にとってソースははっきりしている。保守派哲学者クリスティーナ・ホフ・ソマーズが代表作『Who Stole Feminism? How Women Have Betrayed Women』(「デビューボ」でおなじみのエドワーズ博美氏のネタ元)で主張している「ジェンダーフェミニズム」と「エクイティフェミニズム equity feminism」を間違って覚えているだけ。そもそもソマーズの分類自体一般的なものではない(スティーブン・ピンカーが紹介して知られた程度で、一般には使われない)のに、「アメリカでは一般にこうである」とまで言って間違ってるんだから、どーしよーもない。

私はこの言葉使いが一般的だと書いたのではなく、一般にこのように分けることができるという分析をしたまで。言葉を間違えたのは私の落ち度だが、もう少し気をつけて読んでほしいものだ。

ところでこのブロガーはカカシのことを「アメリカ保守の真似をする在米日本人ブロガー」とおっしゃているが、私はアメリカの保守派であり真似をしてるわけではないので、あしからず。

November 13, 2007, 現時間 1:03 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

エントリーが気に入ったらクリックしてください。
にほんブログ村 政治ブログへ

© 2006-2015 by 苺畑カカシ - All Rights Reserved