カテゴリー → →左右思想
March 11, 2010
モスレムのゲイバッシングを黙認するアメリカゲイ社会
私は以前に、アメリカのフェミニスト達がモスレム(イスラム教徒)らによる女性弾圧について沈黙を守っていることを批判したことがある。アメリカのフェミニスト団体は女性の立場向上よりも左翼リベラルとしての立場を重く考える。というより、フェミニズムなど左翼主義促進のための一つの手段にしか過ぎない。だから、女性問題と左翼主義が対立した場合には、必ず左翼主義が優先される。(イスラム圏社会はおよそ左翼主義とは言えないと思われるかもしれないが、右翼保守のブッシュ政権が対抗していたので、敵の敵は味方という安易な考えがここで働くわけだ。)
どうやらこの傾向は同性愛者たちの間にもあるらしい。
ゲイペイトリアット(同性愛の愛国者)の著者ブルース・キャロルがビッグジャーナリズムで書いている記事によると、先月26日、(2/26/10)サンフランシスコで起きた同性愛男性がビービーガンで撃たれるという事件について、SFのメディアは驚くほど犯人像の表明に消極的だという。
ヘイワードから来た従兄弟同士三人は、サンフランシスコでビービーライフルを使って通りがかりの男性の顔に向けて撃ち、その状況をビデオ撮影した疑いで、パトロール中の警察官に取り押さえられた。車のなかにあったビデオカメラには攻撃の様子が撮影されていた。
犯人三人は、シャフィア・ハシミ(Shafiq Hashemi, 21)、サイード・バサム(Sayed Bassam, 21)、そしてモハメッド・ハビビザダ(Mohammad Habibzada, 24)。三人とも犯行を認めており、サンフランシスコにはゲイバッシングの目的で来たと白状しているという。
さて、これがテキサスやユタから来た白人が犯人だったら、今頃「右翼過激派のヘイトクライム!」とかいって大騒ぎになっていたこと必定。ティーパーティなども引き合いに出されて、「ティーバッガーの暴走」とかいって主流メディアはでかでかと書き立て、すぐさまドキュメンタリー映画にでもなっていたことだろう。
それが犯人が明らかにモスレムだと解ると、主流メディアどころか、ゲイで知られるサンフランシスコのテレビローカルニュースにしろ地方新聞やゲイ専門誌ですら、この事件の犯人像についておそろしいほどの沈黙を守っているというのである。
アメリカでも一番人気のゲイマガジン、アドボケート(the Advocate)でも、犯人像やその動機について全く触れていないという。
イスラムが動機のゲイバッシングについては、タウンロードやジョーマイゴッドといった左寄りゲイブロガーたちも完全沈黙を決め込んでいるが、すくなくとも彼らは犯行そのものが起きたという事実は認めている。それが極左翼のパムスハウスブレンドやアンドリュー・サリバンのデイリーディッシュになってくると、事件があったことすら無視。一時期、モスレムによるゲイバッシングもあると認識していたサリバンなどは、この話を取り上げそうなものだが、ニュースが耳に届いていないと見えて、何も書いていない。「好都合だな」とブルース。
アメリカのゲイコミュニティーに通じていない人たちは、基本から理解する必要がある。政策やアドボカシーの決断をするゲイリベラル活動家やリーダー達は、長いことモスレム過激派によるゲイやレズビアンへの脅威を無視してきた。ヒューニューマンライツキャンペーン(the Human Rights Campaign)ギルファンデーション( the Gill Foundation)ナショナルゲイアンドレズビアンタスクフォース(the National Gay and Lesbian Task)といったリベラルの「ゲイ人権」団体は、それよりもアメリカのキリスト教徒によるゲイやレズビアンへの攻撃について毎日のように心配している。
イスラム圏諸国では同性愛嗜好であるというだけで絞首刑になるなど日常茶飯事だ。にも関わらず、アメリカの同性愛活動家たちは法廷による同性愛結婚の強制や、税金を無駄使いした教育場での子供の同性愛勧誘に忙しく、イスラム圏政権による組織的なゲイ殺害に興味がない。外国で起きていることならまだしも、その脅威がアメリカ海岸にも乗り上げ始めていることにすら興味がない。
ほんの先月、クリーピングシャリアというブログがバンダービルト大学のモスレム司教によるこんなコメントを報告している。
イスラム教では同性愛への罰は死刑だというのは本当かという質問に対し、イスラム教学の教授であるアワディ・A・ビンハズィム司教は「はい、罰は死刑です。」と答えている。そして自分はイスラムの教えに従うとさえ断言している。
こうしたイスラム教学はサウジアラビアではなく、ナッシュビルやテネシーの大学でも教えられているのだ。
だが、アメリカのゲイ活動家が優先するのは、同性結婚に反対するアメリカのキリスト教徒への反撃のみ。
また、アメリカのゲイ活動家の基本的思想として、反資本主義、反民主主義、反戦、そして反イスラエル、といった感情が何十年にもわたって深く根付いている。2003年から2007年に行われた反イラク戦争の集まりに参加した人なら、親共産主義や反資本主義や反ブッシュのサインやスローガンに混じって虹色の旗(非公式のゲイ/レズビアンのシンボル)を見るのは避けられなかったはずだ。
この「コミュニーティー」においてアメリカでゲイであるためには、先ず最初に「主流」であることを拒絶し、個人主義や自由や資本主義や憲法や投票権や愛国心を放棄しなければならない。それがすべてチェックできたかい?そしたらクラブ参加大歓迎。
イスラム脅威に立ち向かうなどアメリカゲイ体制の遺伝子とは完全に異邦なものだ。彼らにとって敵は共和党であり、ストレートな男達であり、アメリカ軍隊なのだ。
サンフランシスコや世界中で起きるモスレムによるゲイバッシングに関して、アメリカのゲイコミュニティーの姿勢は、それこそまさに、「聞くな、言うな」なのである。( “don’t ask, don’t tell” )
これだからカカシが以前から指摘しているように、アメリカのゲイ達は同性結婚には躍起になるくせに、同性愛の正式軍隊勤務には興味がないというわけだ。彼らはゲイの味方なのではなく、単にゲイ達を左翼主義促進の道具につかっているに過ぎないのだ。これはフェミニストと全く同じこと。
左翼は常に少数派を利用するのだ。
March 11, 2010, 現時間 5:55 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
March 7, 2010
ペンタゴン乱射事件、なんでも右翼に結びつけるな!
昇進を拒絶されて上司を殺した大学教授エイミ・ービショップにしろ、このあいだ国税庁のビルに小型飛行機を突っ込んだジョー・スタックにしろ、今回ペンタゴンのビルで警備員に近距離で発砲して軽傷を負わせ、反対に射殺されたジョン・パトリック・ベデルにしても、まだ詳細も解らないうちから左翼リベラルブログや一部のメディアは犯人達を『過激派右翼』と決めつけ、あげくの果てに反オバマ政権運動のティーパーティーと結びつけて、ティーパーティーが行き過ぎるとこうなる、みたいな報道を始めた。
しかし犯人が残した遺書から犯人像がもっとはっきりしてくると、最初のビショップにしろスタックにしろ今回のベデルにしろ、三人ともどちらかというと左翼的思想を持っていたことがはっきりしてきた。(ビショップはオバマ熱狂者、スタックは反ブッシュ反カトリック教、ベデルは民主党に登録しており、911はブッシュの陰謀といういわゆるトゥルーサーだった。)
とはいうものの、三人とも政治意識が強いというより、その不安定な精神状態から、意味のない理不尽な憎悪を近くにあったものにぶつけたに過ぎず、右翼とか左翼とかいう政治思想が行き過ぎて気が狂ったのではなく、気が狂っているから右翼とか左翼とかの過激な思想に走ったと解釈した方が正しいと思う。
にもかかわらず、こういう単なる気違いの行為を右翼に結びつけて、すぐに右翼を攻撃する左翼のやり方は汚い。
しかし保守派がそういう風にメディアの偏向報道に抗議すると、左翼リベラルは、それを保守派の被害妄想だとか、保守派には心当たりがあるから居心地が悪いのだろうとなどといって、保守派の抗議がいかにも過激派と結びつくかのような報道をする。
本日の左翼オンラインニュース、ポリティコなどはその典型であり、フォックスニュースやトークラジオに煽られた右翼過激派による暴力事件の方が左翼過激派のそれより多いという調査結果が出ていると指摘している。
ポリティコは左翼過激派プログのデイリービーストの著者の、右翼は恐怖心と憎悪を煽って暴力を煽動しているなどという、左翼特有の右翼へのステレオタイプ像を性懲りもなく掲載。ブッシュをヒットラーとか呼んで、911はブッシュの陰謀だったとかいう馬鹿げた陰謀説で人々の恐怖と憎悪を煽ったのはどっちなのかと聞きたい。共和党政治家の家に火をつけて家族もろとも殺してしまえと言ったチャーリー・シーンは左右どっちだったのか、エーコーンや労働組合などの暴力団を使って共和党有権者の投票を暴力で妨害しているのはどっちなのだと。
それを過激派とか暴力とかいうと、なんでもかんでもすぐ右翼に結びつける左翼リベラル。保守派が神経質になるのは当たり前だ!
よく、左翼は右翼や保守派を被害妄想だと批判する。確かに左翼リベラルの汚いやり方に注意を払っていない一般市民からしたら、左翼リベラルの陰謀を指摘する保守派は被害妄想の行き過ぎでどっかおかしいのではないかと思われるかもしれない。左翼リベラルのやり方があまりにも過激であるため、普通の市民には「まさか、いくらなんでも、そんなことはないだろう」と信じられないのは当然だ。
何も知らない人なら、オバマ王はファシストだと指摘している保守派の方が過激に思えるだろう。だが実際に金融企業や自動車企業を国営化してしまったり、健康保険の完全国営化を強制的に押し進めているオバマ王のやり方に注意を払えば、保守派の警告は決して被害妄想でも単なる陰謀仮説でもなかったことが解るはずだ。
過激思想は保守派のものではない。オバマ王が代表する左翼リベラルの考えこそが過激であり左翼暴力を煽動するものなのである。その右翼や保守派は単にその危険性に警鐘を鳴らし、ティーパーティーは左翼リベラル政権による独裁への抗議にすぎない。
ティーパーティーは暴力的な暴動に変化したことはないが、左翼のデモ行進は頻繁に暴力沙汰へと激化する。ワシントンDCで行われた反戦デモの時に、戦争記念碑が左翼連中によって破損されるという例がいくらもあった。ティーパーティーに参加している老人や婦人に暴力を振るっているのは労働組合の暴力団員である。
右翼や保守派を暴力的だの恐怖心や憎悪を煽動するなどと批判する前に、左翼リベラルは自分らの行動を反省してもらいたい。もっとも左翼リベラルのモットーは絶対に反省しないことにあるので、そんなことを期待しても無駄だが。
我々右翼保守派は常に左翼からの攻撃に対して断固対抗する必要がある。何もしないでいると左翼リベラルによって右翼保守の性格づけをされてしまうからだ。だから、暴力事件が起きるたびに、それを右翼に結びつけようとする左翼の陰謀には、そのつど立ち向かう必要があるのだ。(2010-03-07 09:50:48)
アップデート:
苺畑夫妻ともネット仲間のパテリコも、左翼のほうが暴力的な過激派がよっぽども多い事実を沢山例をあげて書いている。時間があったら後で詳細を紹介したいと思うが、英語に自身のある方はご参照のこと。(2010-03-07 10:13:00)
March 7, 2010, 現時間 9:50 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
February 28, 2010
左翼リベラルの反撃、コーヒーパーティーってあなた、歴史しらないの?
ティーパーティーの勢いに腹を立てた左翼リベラル達が、コーヒーパーティなる運動を始めた。設立したのはアナベラ・パークなる若い女性。フェイスブックにその怒りを書き連ねたのが始まりだと言う話だ。
コーヒーパーティを始めましょうよ、スムージーパーティでもレッドブルパーティでもいいわ。でもお茶は勘弁してよね。カプチーノパーティってのはどう?きっとあいつらを腹立てるわよ。エリートぽいってね。一緒になってカプチーノ飲みながら中身と思いやりのある本当の政治会話をはじめましょうよ。
上記の一節を読んだだけでパークがバリバリ左翼リベラルだということは明白。それにしても、お茶会に対抗してコーヒーパーティってのも全く芸がないだけでなく、彼女の歴史知識のなさを思わせる。彼女はアメリカ独立戦争のきっかけともなったボストン茶会事件の歴史的背景を知らないのだろうか?愛国者ぶる割には無知まるだしだという気がする。
リンク先のホットエアーに彼女がコーヒーパーティとはなにかを説明するビデオが載っている。その4分34秒に及ぶながったらしい割には中身のないだらだらした話ぶりを辛抱強く聴いてみたが、要するにパークはお茶会参加者は政府による問題解決への「妨害者」であり、今我々に必要なのは「多様性」を受け入れることと政治プロセスへの「協力」だ。お茶会のおかげでそのプロセスが妨害され、分裂され、会話を交わすことさえ出来ない状態にある。政府は我々の代表であり企業のためにあるのではない。といった内容だ。そしてパークは政府のプロセスを妨害する人間には責任を取らせる必要がある、とまで言っている。
だが、彼女のいう「協力」とは左翼体制への絶対服従であり、「多様性」というのは考えの多様性のことではなく、単に民主党を支持する少数民族を増やすといういみであり、「妨害」とは反体制派の正当な抗議運動であり、「分裂」とは単に異なった意見の健康的な交換をさす。
パークは議会が分裂しているから正当な政治過程が機能しないと言う。だが、左翼政府が独裁的政策を国民や野党の反対を押し切ってむりやり突っ切ろうとするのを野党が抗議することこそ正当な政治過程のはずである。
彼女は政治家は我々の代表だという。企業の代表ではないと。だが、民営企業に勤めて生計を立てている我々一般市民が民営企業をつぶすような政府の横暴に対して、我々の代表である政治家に闘ってもらうのも代表共和制度における市民の権利であり、議員の役目である。第一労働組合の言いなりになる左翼政府は市民の味方と言えるのか?
だから彼女の本音は『保守派連中は左翼政府がやることにつべこべ文句を言わずに服従しろ。左翼政府に反対する奴らは弾圧すべき。政府は左翼の一党独裁にすべきであり、野党の存在など許して政府を「分裂」させるべきではない。反政府連中に抗議の場など与えるな。問題解決は左翼政府に任せろ。じゃまするな、どいてろ!』というものだ。
パークはお茶会は国民の代表ではないという。もちろんそうだ。お茶会参加者自身そうは思っていないだろう。お茶会参加者はオバマ政権が国民の声を無視して勝手なことをやっていることに抗議しているにすぎない。それを「妨害者」とレッテルを張るパークは左翼体制派の独裁主義者なのだ。
ロナルド・レーガン大統領が言った有名な言葉がある。
「非常事態において、問題解決は政府にあるのではない、政府こそが問題なのだ。」
政府の横暴に抗議する権利は民主主義の基本だ。それを「妨害者」などと呼んで侮辱するパークは、左翼プロパガンダビデオなど作ってる暇があったら(それにしたってひどい出来。もう少しマシなスピーチ書けないのかね。)もう一度ボストン茶会事件の歴史を勉強して頂きたい。
February 28, 2010, 現時間 11:39 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
February 27, 2010
オバマの思惑が裏目に出た保健改革法案討論会
先週オバマ王が、健康保険改革案について民主党と共和党の代表を集めて討論会(保険制度サミット)を開き、その模様をテレビ中継すると発表した時、多くの保守派は共和党は出席すべきではないと主張した。オバマがコントロールする討論会など、どうせオバマと民主党が自分らだけの主張をし、反論する共和党を悪者扱いするだけで終わってしまうに違いないというのが理由だった。オバマ王も民主党も口で何と言おうと党を超えた歩み寄りなどする気は毛頭ない、そんなサミットに共和党はみすみす罠に嵌りに出かける必要はない。共和党は断じて出席を拒否すべき、という意見が大半だった。
しかし私は、共和党がうまく立ち回れば、国民にオバマケア(オバマ王と民主党の健康保険改悪案)がどれほど悪い案であるか、そして共和党にはもっと良案があるということを知ってもらう良い機会だと考えた。やり方によってはオバマ王と民主党に恥をかかせることも可能だ。
昨日7時間にも及んで、行われた討論会の結果は、どうやら私が期待した通り、オバマ王と民主党がどれだけ国民を馬鹿にしているか、その傲慢な態度があからさまになり、オバマ王は共和党の攻撃姿勢に反論できず歩み寄りは不可能という形で終了したようだ。
25日の会合は「合意できなくても誰も驚かない」(米紙ウォールストリート・ジャーナル)という事前の予想通りとなった。選挙も意識して、攻撃を仕掛けたのは共和党だった。
2700ページの民主党案のコピーを机の上に積んで、「法案はわが国を破産に追い込む」(ベイナー下院院内総務)と指摘。「根本的な相違」(キル上院議員)があり、超党派の合意を目指すなら民主党案を廃案にし出直すべきと訴えた。
この討論会で、オバマ王の狙いが共和党が考えもなしにただ反射的に民主党の法案を阻止している悪者だという印象を国民に与えることだったとしたら、それは完全に失敗したと、オンライン新聞のデイリービースト紙は書いている。
オバマが、大統領というより生活指導の先生みたいに見えたテレビマラソンの結果は、民主党にとっては多大なる失望に終わった。民主党はこれといった点数稼ぎもできず、議論でも明確な勝利を得ることができなかった。最初に苛立ったオバマが「ラマー、最後まで言わせてくれ」と礼儀正しいラマー・アレキサンダー議員(共和)に対して怒鳴った時から、これが寛大な心を持って問題の解決を色々吟味しようというものではないことは明らかだった。
それどころか、これはオバマがお膳立てした会話の振りをした虚偽の討論であった。にもかかわらず、オバマの事実や詳細について熟知していながら、反射的に傲慢な態度をとり、違う意見に対して不寛容で、大統領にふさわしくない辛抱の足りない態度が暴露された。(しかもオバマはやたらと他人の持ち時間には厳重で、他人の発言を何度も遮っておきながら、自分は制限もなく長々と話した。)
何よりも驚きだったのは、共和党の準備周到さだった。彼らは皆きちんと予習をしてきていた。ラマー・アレキサンダーしかり、トム・コバーン、ジョン・カイル、ジョン・マケイン、デイヴ・キャンプ、ジョン・バラソ、そしてポール・ライアンしかりである
なかでもウィスコンシン州代表ポール・ライアン下院議員の発言はオバマケアの経済的な落ち度を詳細に渡って暴露した。ライアン議員は自ら増税無しの効果的な健康保険改革案を打ち出しており、彼の発言は重みがあった。議員は保険制度改革における共和と民主の姿勢の違いを次のように説明した。
....違いはこうです。私たちはすべての答えがワシントンが何もかも規制することにあるとは考えていません。あなた方が示す問題への取り組み方は、私たちのやり方と非常に異なると信じます。私たちはこういったすべてのことをワシントンによって強制されたくないのです。
ですから、あなた方が人々がどのような健康保険を持つことが出来るかを明確にすることによって、人々がどのような健康保険を買うかを強制しています。
私たちが言いたいことはこれです、全国レストラン協会や全国個人経営企業協会などが会員のために健康保険を設立したいのであれば、彼らは会員たにち見合った良い制度を作れるでしょう。保険制度の競争を規制するのではないく、これらの人々自身にどうするか決めてもらおうではありませんか。
保険の規制を連邦化しその機能の仕方を隅々まで規制すれば、経費はもっと高くつき保険会社同士の競争を減らすことになります。
私たちはシステムの中央化をなくし、中小企業や個人にもっと権限を与え、保険制度にもっと競争させたいのです。しかし連邦化し統一化し強制すれば、これが達成できなくなります。
これが私たちの多いな違いです。
ライアン議員は続けて、オバマケアがどれだけ国家の赤字を増やすか、オバマや民主党がいかにして色々な策略を使ってその経費を隠しているかを詳細に渡って説明した。その間オバマの表情はどんどん固くなり、顔の下半分を片手で覆いながらオバマが激怒しているのを必死に抑えているのが明白だった。
数字や統計や予算など、きちんと勉強して準備周到だった共和党に比べ、民主党の議論ときたら、くだらないお涙ちょうだいの単独例で、しかも、健康保険に加入できなかったお年寄りが死んだ妹の入れ歯をつかっていたとかいう、信じられない作り話をでっちあげて、国民の同情心を買おうというくだらない議論に終始した。
こんな子供騙しの作り話をいくつも連ねるだけの議論で、民主党は国民がアメリカ経済を破綻させるような保険制度改悪案になびくと思っているのだから、民主党の連中がどれだけ国民を馬鹿にしているか明らかというものだ。
討論自体は7時間もあったので、そんなものを普通の週日にきちんと見ていた物好きはそれほどいないが、それでもところどころハイライトはニュースやブログなどでも報道されているので、興味のある人は結構色々観ていることだろう。
オバマケアは、国民にその詳細が知られれば知られるほど支持が減って行く。今回の討論会で明らかになったことは、共和党が保険制度改革を考えもなしに邪魔しているのではなく、民主党が共和党並びに国民の意見を無視して、経済的にも無謀で国民に制度を強制する悪質な案を無理矢理通そうとしているということだ。そしてそのなかで民主党がいかにエリート意識が高く、一般市民を馬鹿にしているが暴露されたのである。
共和党を一方的に悪者扱いしようというオバマ王の思惑は見事に裏目に出たと言える。
February 27, 2010, 現時間 12:24 PM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
February 21, 2010
アメリカ左翼がティーパーティーを恐れる理由
今年から職場の担当が変わって、これまでの長期出張と違い、月曜から金曜までといった短期の出張がずっと続いている。ひとつひとつは長期ではないが、こう移動が多いとかえって疲れる。今月だけですでに四つ目のホテル。
あまりの忙しさにオリンピックを見る暇もなく。ルージュとスキージャンプをちょっと観た程度。ニュースもホテルから支店までの間に聴くラジオニュースくらいしか聴いてない。支店の研究室ではネットアクセス厳禁なので、ブログ更新は週末しか出来ない。
そんなおり、テキサス州に住む気違い男が自分の家に火を放った後、小型飛行機を盗んで国税庁のビルに突っ込んで自殺するという事件が起きた。飛行機の突入角度から言って何百人という職員が働いている階を狙い、多くの犠牲者を出すつもりだったらしい。これによって犯人のジョー・スタックと税務署の職員一人が死亡、何十人という負傷者が出た。
これはどこかのテロ団体に属する者の仕業ではなく、単に政府に腹を立てた男の単独行動だったようだ。
しかし興味深いのは左翼リベラルたちの反応だ。彼らはこの男がオバマ王の増税に腹を立てていたということだけを取り上げて、『今アメリカ中で起きている反オバマ政権のティーパーティー活動が、こういう危険な人間を生み出したのだ』と主張し始めたのだ。リベラルの人気サイト、ハッフィントンポストに寄せられた2000近いコメントには犯人のスタックとティーパーティーを結びつけて侮辱するものがほとんどだった。
- 奴はティーパーティの会員なのは間違いない、ついでにグレン・ベックのファンクラブの会員もね。
- ティーバッグ爆弾
- 自然選択が機能して良かったね。ティーパーティ団結せよ。
- この男はティーバッガーみたいだ。
- たのむよ、ティーバッグがしたたってるぜ。
- やつらが思わせたよりずっと自由に対して危険だよ。恐れよ、奴はティーパーティーテロリストだ!
犯人のジョー・スタックはソフトウエアのエンジニアーだったが、どこかのウェッブサイトにどうして自分がこのような犯行に及ぶに至ったのかという**遺言**を残している。それによると、彼が憎んでいたのはオバマ政権や国税庁だけではなく、ブッシュ前大統領やカトリック教会などへも強い憎しみを持っていたようで、スタックは『共産主義はそれぞれがそれぞれの必要に見合ったと主張する思想であるのに対し、資本主義はそれぞれがそれぞれの汚い欲望に見合った社会をつくることだ』といった内容のことも書いていたという。ポリパンディットがスタックの憎む相手を箇条書きしている、下記はその一部。
**アップデート:ヤスの備忘録さんがほぼ全文を翻訳してくれているので、興味ある方はご参照のこと。
- ジェネラルモータースの重役たち「考え難い悪行を犯した」
- アメリカの医療システム「年間何千何万という人々を殺している」
- 政治家「泥棒、嘘つき、自分勝手で汚い奴ら」
- カトリック教会「下品、腐敗」
- 宗教団体「化け物」
- アメリカ庶民「信じられないほどの馬鹿」
- ジョージ・ブッシュ 「操り人形の大統領」
- 国税庁「ビッグ・ブラザー」
これだけ読んでみても、スタックはおよそリベラル政権を憎む右翼過激派とは思えない。単に自分が不幸なのはすべて世の中のせいだと思い込んだせこい人間のように思える。
にも関わらず左翼リベラルたちの熱狂ぶりはどうだろうか?
これについてカカシはミスター苺に「どうして左翼はこうもティーパーティーを憎むんだろうね。」と聞くと、「いや、左翼はティーパーティーを憎んじゃいないよ。ティーパーティーに恐れおののいているのさ。」という答えが返って来た。ミスター苺に言わせると、リベラル連中はエリート意識が高く一般市民を馬鹿にしているが、左翼は市民に対してもっと現実的な恐怖心を持っている。だから市民の間でわき起こる草の根運動の力強さを正しく把握し、それに脅威を感じているのだ。
左翼は恐れおののいている。なぜなら、他の政治団体に比べ彼らほどポピュラーフロントの恐ろしさを知っている団体はないからだ。そして彼らは今やまさに、その動きを目の当たりにしているのだ。
ポピュラーフロントとは非常に様々な政治力の共同体である。普段なら敵対し合うような団体のリーダー格が稀に同盟を結びはじめる。そうなると団体同士が同盟をむすぶ。結果は既存の体制のダムを押し流すような激しい動きとなるのだ。この動きにはすべての、いや過半数の市民でさえ含まれる必要はない。対抗する他の同盟を押しよけることのできる規模でさえあればいいのだ。つまり、フロントが求めるものをフロントは獲得する。
左翼はポピュラーフロントの止められない生の力を理解している。だから彼ら自身が国を制覇し「共産化」しようとする時の作戦は、かならず既存の体制に犯行するポピュラーフロントの結成であり、それを使って地方政府や植民地支配政府などに対して抗議運動を行う。
ポピュラーフロントが強大化すれば、それは革命につながる。だが革命を起こすのは左翼とは限らない。1979年の比較的資本主義だったシャー政権を倒したイラン宗教革命や、1930年代のナチスファシストらによる共産主義政権の打倒、それから1776年のイギリス帝国に対して行ったアメリカの革命運動などが、そのいい例だろう。
どの運動も、普段なら敵対し対抗しあうような政治団体が、この時だけは協力し合い、体勢に向かって立ち上がった。
愛国心旺盛で小さな政府を求める資本主義のティーパーティーは左翼にとっては最悪の悪夢なのだ。
ティーパーティーは特に共和党の動きというわけではない。だが、共和党の方がティーパーティとの共通点を多く持っていることは確かであり、ティーパーティーを味方につけるには民主党より有利な立場にあると言える。サラ・ペイリンなどの共和党リーダー達はこれまで自分たちが主張してきた政策をそのまま行動に移せばいいだけだからだ。しかし民主党はそういうわけにはいかない。ティーパーティーの要求と民主党が過去40年間に渡ってとなえて来た思想とは全く正反対だ。民主党がそれをすべて撤回し、しかも自分らが誠実であるとティーパーティーを説得するなどということは、そう簡単に出来ることではない。
ポピュラーフロントの力は、この間のマサチューセッツ上院議員特別選挙の時に顕著になった。選挙のほんの二週間前までは民主党の候補だったマーサー・コークリーが58対27で31%も優勢だった。それが二週間後の選挙では52対47でブラウンが圧勝してしまった。これは36%の逆転だ。こんなことは前代未聞である。
一年前に全国各地で細々と始まったティーパーティ運動は、リベラル達がティーバッガーなどといって馬鹿にしている間にも、どんどんその勢力を増している。マサチューセッツ州で起きたような保守派の逆転勝ちが、全国各地の地方選挙で徐々に起きれば、2012年の全国選挙では、民主党議員達が大敗する可能性が出てくるのだ。そうなれば2008年に絶対多数議席を獲得した民主党は、たった四年で全てを失うことになるのである!
リベラルは単に左翼にとって「役に立つ愚か者」でしかない。リベラル連中はティーパーティーの恐ろしさを理解できずにティーバッガーなどといっておちょくるくらいしか能がない。だが左翼は違う。左翼連中はティーパーティというポピュラーフロントのもたらす恐ろしい底力を理解し、それに恐れおののいているのだ。
February 21, 2010, 現時間 10:15 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
February 13, 2010
激化する左翼リベラルのペイリン攻撃
先日のナッシュビルにおけるティーパーティ大会で、その花形的存在を獲得したサラ・ペイリンだが、保守派の間で彼女の人気が上がるにつけ、左翼リベラルによるペイリン攻撃は激化の一途を辿っている。
先ず、ペイリン女史の演説中の写真が公開された時、彼女の手のひらにいくつかのキーワードが書かれていたことを取り上げて、左翼オンラインサイトのハッフィングトンポストなどは、サラ・ペイリンはオバマ大統領のテレプロンプター使用をさんざん批判しておきながら、自分は手のひらのあんちょこを見ながら演説しているじゃないか、などというくだらない批判から始まった。
「エネルギー」「税金」「アメリカ精神の向上」という言葉が明らかに見える。加えて「予算削減」という言葉の上に横線が引かれている。
はっきり言うが、このメモは多分演説のために使われたのではないだろう。演説は準備したものを使ったはずだから。それよりもこれは演説の後に続いた質疑応答の際に、質問の後ちらっと見るためのものだったのだろう。
だが私に言わせれば、それは一層悪い。
メモには詳細がない、単なる一般的な概念であり、しかも彼女が支持するものだ。
大統領候補になるかもしれない人にしては、自分が支持する根本的な信念すら暗記できずにあんちょこをみなければならないってことだ。
アホか!ペイリンのメモは確かに質疑応答中に書かれたものだろう。そしてそれは、自分の信念というより、質問内容の要点をメモったと考えた方が説明がつく。質問がいくつかの部分に別れていた場合、ひとつのことに答えている間に、別のことを忘れる可能性があるからだ。横線が引っ張ってあったのは、そのことについてはすでに済みだったからだろう。
ペイリンの演説を見る限り、彼女はテレプロンプターは使っていなかった。それよりも自分のメモを見ながら演説していたので、時として下を向き過ぎる傾向があったほどだ。あれは少し改める必要があるとしても、演説の練習もせず他人が書いたものを、内容も理解せずにただ読んで発音を間違えたりしてるオバマ王に比べ、自分の書いた下書きを見ながら演説したり、質問の内容をメモったりているペイリンとどっちが市民に好感を持たれるか、ハッフィントンポストの左翼エリートには理解できないのかもしれない。
次にペイリンへの攻撃に使われたのは、ティーパーティ大会でフォックスニュースのクリス・ワラスによるインタビューの際に、ワラスがペイリンの返答に呆れて白目を見せたという噂だ。
ワラス自身は、自分は白目を見せたりなどしていないと言っている。
フォックスニュースのメーガン・ケリーの番組でケリーから、「本当に白目を見せたの?」と聞かれたワラスは
答えはノーだよ。サラ・ペイリンに対するインタビュー後の印象は賞賛以外のなにものでもない。ペイリンかく乱症候群とか人は言うが、彼女は第一級の仕事をしたよ。2008年選挙の共和党大会やその後の選挙運動中にあったような鹿にヘッドライト的な反応とはほど遠いね。
ペイリンかくらん症候群に陥っている左翼ブロガーニュースハウンドのエレンなどは、ワラスがペイリンのスタイルだけを賞賛してインタビューの内容について何も言わなかったと書いているが。そういうエレンこそ、ペイリンの演説内容やワラスとのインタビュー内容については何も触れず、ペイリンのスタイルだけを批判している。
本当に左翼リベラルってのはその偽善主義があまりにも明白でお話にならない。彼らは自分らの言ってることや書いてることをきちんと読んでいるのだろうか、そのうえで真顔でこういうことが言えるというのは、さすが左翼リベラルならではの恥知らずといったところだろう。
ともかく、彼らがペイリンの話している内容に反論できないのは当たり前だ。だが、ペイリンのスタイルだけをとってみても、左翼リベラルのエリート達は何故彼女のスタイルが人気があるのか理解できない。
ペイリンはハーバードやプリンストンといった一流大学の法科を出たような大学教授のような話し方はしない。彼女自身、自分はアラスカのアイスホッケーママ(子供をアイスホッケーの試合につれていくような母親)であると誇り高く自負している。そして彼女の、アメリカに必要なのは軍事総司令官でありテレプロンプターを見ながら格好いい演説をする大学教授ではない。というオバマ批判に我々一般庶民はかなり共感が持てる。
左翼リベラルは常に自分らこそが一般市民の味方だとしながら、彼らほど一般市民を軽蔑し見下している人種もいない。だから我々がオバマ王の国民を馬鹿にしきった話かたに怒りを覚え、逆にペイリンには親しみを感じるのだということが理解できないのだろう。
私個人としては、次の選挙でペイリンが大統領に出馬するのはまだ時期尚早だと思う。だが、彼女が左翼リベラルのエリート意識に脅威を及ぼすというなら、どんどん頑張ってほしいと思う。
February 13, 2010, 現時間 11:41 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
January 23, 2010
何故フェミニズムは理解されないのか
多分日本でもそうだろうが、初期の目的はどうあれ、いまやフェミニズムというと、ちょっと「勘弁してよ」と敬遠したがる人が多いのではないだろうか。アメリカではフェミニズムなどという社会的な運動は今や時代遅れ。フェミニズムなど一部の左翼運動家以外は誰も興味を持っていない。
もうほぼ男女同権を獲得したアメリカ社会では、特に今更フェミニズムなどという動きは必要ないが、まだまだ女性差別がある日本で、女性の地位向上という本当の意味でのフェミニズム運動が一部の過激派によって台無しにされてしまったことは残念でならない。
それにしても、なぜフェミニズムは一般市民に理解されないのであろうか? マサキチトセというフェミニストの書いたエッセーによると、これは意図的なものだそうだ。
このエッセーは、WANという世界的なフェミニスト団体の日本支部と東大ジェンダーコロキアムと共催して行った「男(の子)に生きる道はあるか?」というライブイベントに関する感想文である。
アップデート:
WANが国際的な組織ではないという指摘が私の知らないところでされてるようなのだが、アメリカに全く同じWomen's Action Networkという名前のフェミニスト団体があり、そのミッションステートメントが日本のWANに非常に似ている。
国際的な組織で160カ国に支部をもち35000人のメンバーを持つと誇るWomen's Action Network (WAN)というフェミニストグループも存在する。
同じ名前で、同じような目的の国際組織が存在していることは確かである。全く無関係な組織であるというなら、同じ名前はただの偶然かもしれないし、もしかして日本の組織は国際組織のファンなのかもしれない。ま、部外者の私にはそこまでは解らない。
「一般の人にわかりやすい言葉で話して下さい」と言われる経験は、私たちフェミニストには日常茶飯事だ。そう言われるたびに私はその言葉に憤りを感じ、口をつぐむ。時には相手に噛み付くこともあるけれど、そこまでして相手に分かってほしいと思っているかというとそうでもない。何が頭に来るのかと言ったら、それはフェミニズムに「わかりやすさ」を求め、「わかりやすくないなら私はそれに賛同しないぞ」と、言外にほのめかす態度なのだと思う。そしてまた、自分がわからないということを「一般の人」という安易なカテゴリーを使って、あたかもかれらを代弁しているかのような振る舞いで当然のように開き直っている様子も、苦手だ。「一般の人」とはいったい、誰のことを言っているのだろう。
偶然というほどでもないが、隠フェミニスト記でこのイベントに関する紹介があり、ビデオのほうもちらっと見ていたが、途中でつまらなくなって観るのを止めてしまった。内容があまりにも内輪のじゃれ合いという感じがしたし、第一、彼女たちの使う語彙の中に、私の知らない言葉がぽんぽん飛び出して来て、私にはこのおなごせんせ達が何をいってるのかさっぱり解らなかったからだ。
それで私は「どうしてこう左翼エリートは一般人に理解できない言葉使いをするのかなあ。」と思っている矢先にこの批判を読んだので笑ってしまったのだ。
普通一般の人が「一般の人にも解るように話してください」というのは、「専門家ではない私みたいな者でも解るように話してください。」という意味であり、別に自分が不特定多数の一般人を代表するという意味で言ってるわけではないだろう。
これはフェミニストに限った事ではないのだが、左翼エリートは「一般人」が使わない言葉を使って聞く方をたぶらかす傾向がある。やたらに意味のないカタカナ英語を並び立て、聞いてる方が理解できなかったり誤解したりすると、あたかも自分らは頭がいいんですよ〜、わかんないあんたが馬鹿なのよ〜、という態度を取る。ミスター苺に言わせると、相手に理解出来るように話せないのは自分が解ってない証拠なんだそうだ。私から言わせたら相手をわざと煙に巻くのが目的なんだと思うが。
その点マサキはかなり正直だなという気がした。(強調はカカシ)
私が常日頃からこういうことを言われるのは、私にとってフェミニズムとクィア理論が密接に結びついているからかもしれない。(略)その両方をきちんと分けられない私にとって、「一般の女性」や「一般の人」という言葉はほとんど意味を持たない。なぜならそういう言葉が発せられるとき、ほとんどの場合、異性愛の、貧困ではない、障害のない、人種・民族的にマジョリティの、先進国の人を指しているからだ。(略)マジョリティを「一般」というレトリックで欺瞞的に表現するその態度こそ、私が批判したいと常日頃思っているようなイデオロギーだ。フェミニズムは、あるいは、私が信じ、惹かれているタイプのフェミニズムは、「一般」に迎合したりしない。これまでも私の尊敬するフェミニストたちは、一般を挑発するような言葉を作り出したり、反感を買いやすい主張やパフォーマンスをしたり、そして案の定強い反発を受けて来た。(略)
もちろん世の中を変えようというときに、特に社会政策を変えようというときには、多くの人の賛同を得る必要がある。しかしフェミニズムが容易に「一般」に受け入れられるとき、それは必ずしもフェミニズムの思想の発展や広がり、普及を意味するとは限らない。「一般」受けする思想には、常に危険が伴う。それはジュディス・バトラーがお茶の水女子大学に講演にやって来たときに、彼女の文章は難解でエリート主義に陥っているのではないかという質問に対する返答として、抵抗なしに受け入れられる言説はつまり現状既に社会に織り込み済みの言説であって、それでは理解可能性の領域の拡大を狙うことはできないと言っていたこととも共鳴する。(略)
そもそも「一般的」とされるような現存の言語を用いて語ることは、正にその言語が同性愛嫌悪的でトランス嫌悪的で女性蔑視的であるときに、ほとんど不可能なのである。その点において私は既にある程度語る言葉を制限されているのであり、更にそれを「一般向け」に翻訳せよというのは、二重の暴力を行使することを意味する。
過去十数年のあいだクィア運動の中で培われて来た言語、更に言えば過去1世紀(あるいはそれ以上)のあいだフェミニストたちやゲイ・レズビアン運動の担い手が紡ぎだして来た言語、黒人解放運動や障害者運動がなんとかして、あらゆる言葉をつなぎ合わせ、作り出し、また本来の意味から引き剥がし自らの言葉に変えて来た言語。それらは、私たちが日常を生き延びるために、私たち自身の人生をよりよく理解し、よりよいものにするために、日々の実践の中から生み出された言語である。私は、あらゆる理論はそのように作り出されたと思うし、またそうではない理論には魅力を感じない。わかりにくいフェミニズムこそ、私の理解可能性の領域を広げてくれるし、社会の変化への希望を感じさせられる。
私はいつもどうしてフェミニズムの話になると、ゲイやレズビアンといった同性愛嗜好がくっついてくるのか不思議でしょうがないのだが、このマサキチトセなる人も、実を言うと女性ではない。彼の自己紹介を読んでも、何がいいたいのか解りにくい。
マサキチトセといいます。自分のことは a homosexual asian male butch from California, New Zealand and Japan (カリフォルニア・ニュージーランド・日本からきた同性愛・アジア系・男性のブッチ) と表現しています。現在は群馬県の館林市に住んでいて、近所の塾講師・ジェンダー/セクシュアリティ系の研究所のスタッフ兼翻訳者・文化系ウェブサイトの管理をやっています。
ブッチというのは男っぽい女性のことを意味するので、レズビアンの男役にも相当するが、実際に男性に生まれた人がブッチというのはおかしいし、彼のように女装趣味の男性では、まるで意味が正反対である。ま、あえて一般人に通じない言葉で自分を表現したいというのだから、彼のサイトはその目的を果たしていると言える。一般人のカカシにはまるで彼の言ってる事が理解出来ないもの。
ま、それは別にいいのだ。
彼/彼女らが一般人の理解を求めていないというならそれはそれでかまわない。でもだとしたら、我々一般人の生活習慣や文化を変えるようなことは止めてもらいたい。自分らの内輪だけで細々とクィアー(風変わりな)生き方を楽しめばいいのだ。
ところが、それがジェンダーフリーとかいって子供達の教育に悪影響を及ぼそうとしたり、同性結婚を押し付けようとしたり、既存の言葉の定義を勝手に書き換えて、元の意味で使う人々を差別者扱いしたりする、といった傲慢な態度になるからバックラッシュなんていうふうに一般人からの反感を買うのである。
少数派は多数派に迎合する必要はない。そういう生き方をしたけりゃ自由な国に住んで要る以上どうぞご勝手にと思う。だが、一般人に理解できない言葉使いを主張したいなら、フェミニズムが日本社会で理解を得られなかったとしても文句は言えない。彼らが主張する特権を得られないからと言って癇癪を起こさないでほしい。
January 23, 2010, 現時間 12:46 AM
| コメント (7)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその最終回。
本当は、ゲイ活動家にとって、軍隊勤務の同性愛者をクロゼットに押し込んでおいたほうが都合がいい。それは自分に弱みのある人間のほうが左翼の社会主義を頼る可能性が高いからだ。自分に自信のない弱い立場にある人間ほど政府とか市民団体とかを頼りにする人はいない。
それに、もともと左翼連中は軍隊が嫌いだ。実際に軍隊に勤めたいゲイなんか奴らは大嫌いなのだ。何故かと言えば軍人になりたい同性愛者なんて多数派に迎合した裏切り者にすぎないと解釈されるからで、左翼フェミニストたちが軍隊に勤める女性達の戦闘員としての地位向上などに何の興味も示さないのと全く同じ理屈だ。
主流ゲイ団体にとって、ゲイがオープンに軍隊勤務出来るようにするなんて事は時間の無駄なのだ。それは主流フェミニスト団体が女性を戦闘員として昇格させることと同じくらい意味がないことなのだ。結論からいえば左翼は常に、個人の力を強めることよりも団体としての権力を増強させることにしか興味がない。
左翼市民団体は特定の問題に関する特定の解決方法を求めない。彼らが望むのは社会が彼らの望む不思議な形に変革することにある。彼らは既存の社会を根本的に破壊しスターチャイルドもどきの新人類を作ることを望む。言ってみればマルクス主義者が呼ぶところの「新ソビエトマン」の作成である。
彼らはまた大変革主義者でもある。彼らにとって宇宙規模の変革のみが彼らの目的を達成できると信じている。だから、部分的な問題解決は前進とは見なさない、それどころか後退と考える。部分的成功は組織への圧力を弱め、組織を破壊せず生存の可能性を強める。それこそ変革者たちの求めることと正反対なのだ。
だから、ヒステリックになって同性結婚を支持し、混み合う交差点で座り込みして『抗議』したり、商店のショーウインドーを割ったりして、計らずもクリスタルナクト(Kristallnacht)の真似をして、第8法案(Proposition 8:一夫一婦制のみが合憲とする法律) に投票した市民を同性愛恐怖症の差別者だと唾飛ばしながら叫ぶ奴らが、なんでゲイの軍隊勤務には沈黙なのか、どうして同性結婚は特別なのかといえば、同性結婚は大変革という目的に役立つが、軍隊勤務は役立たないからだ。
同性結婚は個々の力を強めない。なぜなら個々の家族にとって同棲を結婚と呼ぶかどうかなど大した意味はない。利益はすべてゲイ団体に行く。ゲイ団体の権力が強まるだけだ。
これはアメリカ社会は絶望的に差別主義だという、左翼得意の攻撃にぴったりあてはまる。この問題では右と左、共和党と民主党のあいだで完全な境界線がみられる。保守派は伝統的な結婚を支持し、リベラルは同棲結婚を支持する。だから同棲結婚を合法化すれば、特に法廷によって強制させるということは、右翼の犠牲のもとに左翼に多大なる利益を与えることになる。同性結婚を強制させることによって、西洋道徳の真髄である伝統的結婚は根本的な変革を遂げる。そしてこれが実現すれば、ユダヤ・キリスト宗教及びすべてのアメリカ伝統が底からひっくり返るということは、右も左も認めることである。左翼はまさにそれを求めているのであり、保守派はそれを防ごうとしているのだ。
もし人々が伝統的な宗教の自由が、同性愛を認めない自分らの協会や寺院で自由な宗教活動を守ってくれると思うなら甘い。ゲイ活動家がいくら、ゲイ結婚のライフスタイルを一般市民には強制しないなどと保証してみても、そのうち我々は、同性愛をみとめない我々の協会や寺院で、同性カップルの結婚式に参加させられ、一緒に写真をとられ、祝福を強制される。そしてこれらの「夫婦」が一般の夫婦と同じように養子をとることも認めさせられる。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、それは起きる。協会や寺院がそれに反発すれば左翼得意の訴訟が待っている。
だからゲイ活動家らとの妥協などあり得ない。保守派連中でゲイ活動家と妥協できると思ってるお人好しは、すぐにこれが常に左翼が勝つように出来てるトリックだということに気がつくはずだ。
左翼連中がどれだけ否定しようとも、一旦市民には結婚を規制する権利がないという前提をつくってしまえば、結婚は二人という単位でなければならないという規制をとっぱらうのは容易である。そうやって奴らは、二人以上の複数の結婚への道への地盤を敷こうとしているのだ。
「愛し合っているから」という理由で二人の男性が結婚できるというなら、愛し合っている三人の男性が結婚できないという理屈がどうして成り立つのだ?いや、それをいうなら二人の女性と二人の男性は何故いけないのだ?
コーランが奨励する、ひとりの男と四人の女では何故いけないのだ? これによってまたまたイスラム教のシャリア法の一部が我々の社会に注入されることになる。
「結婚」がなんでもありなら、結果的にはなんにもないのと同じだということに人々はそのうちに気がつくだろう。そうなれば、すでにヨーロッパ諸国で起きているように, 結婚しようという人々の数は極端に減り、少子化がどんどん進む。
もちろん、イスラム移民は産児制限などしないから、こうやってすでに人口でヨーロッパ諸国を乗っ取ろうとしているイスラム教がアメリカをも乗っ取る事が可能となる。
同性結婚は伝統的な結婚に向けられた毒矢である。同性結婚の目的はゲイの結婚を認めることではない。同性結婚の結末はアメリカをシャリア法に友好的な国に変貌させ、一夫多妻性を奨励する国となることである。
破壊への道は明確だ。にもかかわらず俺たちはその道をすでに歩き始めている。同性結婚を認めるということは、西洋文化の価値観を捨てるということだ。同性結婚を許すとういうことは、俺たちが文明人として集団自殺をすることなのだ。
西洋の文明が滅びて栄えるのは野蛮人だけだ。
January 23, 2010, 現時間 12:43 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
January 9, 2010
左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由
コメンターのBoyFridayさんも指摘しているように、一連の自衛論争で自衛(論)を否定する人たちの根底には左翼リベラルの匂いが漂っている。もし、読者のなかで被害者の気持ちをさらに傷つけたくないという理由で自衛論否定を支持している人がいるならば、はっきり言わせてもらう。あなた方は左翼リベラルの嘘にたぶらかされていると。
誰が投票して選んだわけでもないのに、勝手に被害者の代表だの女性の味方だのを気取って、個々の女性に出来る効果的な自衛を否定する奴らの本心は、女性救済でも女性の地位向上でもない。彼女達の本当の目的は自分らの運動家としての社会的地位を向上させ、左翼の社会主義を促進することにある。
もし、彼女達の本当の目的が女性を救うことにあるのであれば、これ以上女性が強姦魔の被害に合わないような効果的な方法に耳を傾けず、自衛など役に立たないといって最初から自衛の効果を過小評価したり、自衛に関する議論を弾圧しようなどとするはずがない。
彼女たちは「君らの語るような自衛は誰もが実践していることで、今更指摘されるまでもない。」とは言っても、それでは、「もっと効果的な自衛方法を議論し合おうではないか」という提案は絶対にしない。それどころか自衛について議論すること自体が有害だとして、議論そのものを止めさせようと必死だ。
どうして彼女たちはこれほどまでして、個人による自衛行為を否定するのであろうか?
お断り:カカシは『自衛を否定しているのではなく、自衛を説くことによる被害者への攻撃を否定している』という理屈は認めない。私は自衛論が被害者を傷つけるという前提そのものを受け入れない。自衛は認めるが自衛に関する議論は認めないなどという、左翼リベラルの言論規制に従う気持ちも毛頭ないのであしからず。
社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。
アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。
左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。
今なら、自分も犯罪の被害者だったから被害者の気持ちが解るといって、あたかも女性代表みたいな顔をしていられるが、そんな奴らを頼りにしなくてもいくらも防犯方法があるなどと一般市民に知られたらそうはいかない。
女性の気持ちを傷つけることになるから、なんてのは一般の心優しい読者をたぶらかせて自衛論を弾圧するための口実に過ぎない。
犯罪の被害者の気持ちを傷つけてしまうかもしれないと思って自衛を語るのを控えている読者の方々に申し上げる。こんな奴らに遠慮する必要はない。
だいたい外野は黙ってろとかいう奴らに聞きたい、いったい誰が内野だとか外野だとか決めたんだよ。誰があんたらを自衛討論の議長に選んだんだよ、とね。被害者だというだけでそういう権威があるというなら、カカシも被害者のひとりとして、自己防衛を否定するなどけしからん、自衛論の討論は奨励すべきだと主張したら、彼女たちはどうするんだろうね?
January 9, 2010, 現時間 2:56 AM
| コメント (2)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
December 21, 2009
自称左翼ブロガーの個人主義に思う
以前に、カカシからみたらどうしても保守派には見えない、日本の自称保守派ブロガーについて書いたことがあるが、今回は反対にカカシからみてどうしても左翼には見えない自称左翼ブロガーの話をしたいと思う。
このブロガーのハンドル名はその名もまさにLefty(左利き。英字への変換は面倒なので、レフティとカタカナ表示で呼ばせてもらう。
レフティはここ何回かに渡って、女性が強姦魔から身を守るべきだと主張することは女性差別につながるのだろうか、という疑問を投げかけている。
「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」(自衛厨と呼ばれています) VS 「自衛すべきというのは女性差別だ!派」(便宜的に性差別派、とでも言っておきましょうか) です。 「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」の方はこの一行だけで主張のほぼ全ての要点が集約されているのでいいですが、「自衛すべきというのは女性差別だ!派」の方は何と言うか、一言で説明しずらいので、実際に言ってる人の例を挙げときますんで読んでみてください。(略)
一言で言うのは難しいので二行で言うと、「強姦するのは男で、悪いのは男なのに、なぜ犯罪を避けるように女の方が努力しなければならないのか。これは性差別。」ってことらしいです。
レフティは、女性が強姦魔の性欲を掻き立てるような格好で歩くべきではないとか、独り住まいの女性がいくら顔見知りとはいえ、大して親しくない男性を部屋に案内したりすべきではないとも語っている。
私は無論、レフティの言ってる事は常識だと考える。これは決して犠牲者を責める意味ではなく、世の中には悪い奴がいるのだからで自分の身は自分で守りましょう、という極当たり前の考えから来るものだ。しかしそれが当たり前だと思うのは私が保守派だからであって、現在の左翼としてはレフティのように犯罪防止の責任が社会にあるなどと言わずに、個々の女性にあるなどというのは言語道断な発言である。
下記のコメントを読めばそのことがはっきりする。
気に障るというか、君らの言う「自分の身は自分で守りましょう」って言説は無意味なんだよ。
そんなお題目は、第二次性徴後の女性なら誰でも知ってる。嫌でも周囲から吹き込まれるし、実際に自分やクラスメイトが痴漢の被害にあったりで、否が応でも自分の身体が欲望の対象である事を自覚させられるからな。
性的な面における男と女の生育環境は決定的に違う。
まずこれを理解しろ。金銭的にも労力の面でも、日常生活の中で持続可能な形で、自分の身の安全をどう守るのかについて、多くの女性は既に考えてるし、悩んでる。
それをお気楽に「自分の身は自分で守りましょう」とか「自衛は大切ですよ!」とか本当に疲れるわ。
だからその先を言ってくれよ。
単なる原則論なら、学校の保健教師で間に合ってる。>現状で良いとは言って無いと思うんですけど?
なら君は現状に改善の余地有りだと思ってるんだな?
だったら理想を述べるなだなんて安易に人の発言を揶揄すべきじゃない。現実的に個人で取れる対策に限界がある以上、性犯罪の被害を減らすためには、最終的に治安を良くしていく以外ないだろうが。
個人に「気をつけろ」などと安易な助言をする暇があったら治安向上対策を考えろ、というのは典型的な左翼の言い分であり、左翼なら個人の責任云々よりも社会の責任を問うのは当然だ。だが、実際に地域の治安を良くしたければ政府やお役人や男性社会をあてにするほうがよっぽども無駄だと思うね。それこそ理想論もはなはだしい。と思うのは私が右翼だから。(笑)
他にも、女性が自分で気をつけてないと思うのか、とかレフティのアドバイスは誰もが知ってる事で今更言われるまでもない、といったようなコメントもある。強姦された被害者の気持ちも知らないでこの冷血漢、みたいなことも過去に言われているらしい。
アメリカでも強姦された被害者の行動を問うという行為自体が、「被害者を責める行為」として左翼フェミストなどから抗議が出るので、これらのコメントは別に目新しいものではない。
私は別にここでレフティの言ってる事が女性差別につながるのかどうかという議論に参加したい訳でもなく、レフティのいい分が正しいと弁護したいわけでもない。それよりも私はレフティの議論の根底にある、彼の信念に興味があるのである。
例えば、レフティは強姦は何時いかなる場合でも悪であると断言している。
いついかなる場合においても、加害者が鬼畜な行動を起こさなければそんな悲劇は起きなかったんだから、加害者が100%悪いに決まってる。当然の話。
双方加害者の交通事故じゃないんだから。
被害者はそんなこと全く望んでいないのに、加害者の一方的な都合で加害者が起こしたことなんだから、加害者が悪い。これ以外の結論はありえない。
それを、
「被害者も20%悪い」なんて言ってると勝手に思いこむから、
「被害者を侮辱する行為」とか「セカンドレイプ」とか「性犯罪者予備軍」とか相手に罵詈雑言を投げつけたくなるんじゃ?繰り返します。
加害者が悪い。
これ以外の結論はありえない。
そう、保守派ならそう思う。でも左翼は強姦が「何時いかなる場合にも悪い」とは考えていない。これは加害者が有名な映画監督で被害者が13歳の少女だった場合には、少女が監督を誘惑したんだから監督は禁固刑になるべきじゃないなんて本気でいったりする。ポランスキー監督の事件がそれだ。
セクハラだってデイトレイプだって左翼政治家によるものなら罪にならない、と考えるのが左翼。(クリントン元米大統領がそのいい例)
レフティは犯罪の被害者にもそれなりに責任があるとは言っているが、被害者がたとえどんなに隙だらけで不注意な行為をしていたとしても、加害者の悪行が減るとは一言もいっていない。悪行は何時いかなる場合にも悪なのであり、そのことに変わりはない。
私がレフティが左翼とは思えないと言っている理由は、レフティには最近の左翼に見られない信念というものがあるからなのだ。
そして決定的なのはカカシのコメントへのこの返答。
僕も、自分がなぜ左翼を自称しているのかわからなくなってきたんですが、一応、「高福祉社会、機会の平等が理想」だと思ってるからです
高福祉社会は別として、結果の平等ではなく「機会の平等」としているところが、もうすでに現在の左翼からかなりかけ離れた思想だ。これは私が以前に左翼変態フェミニストのエミちゃんとも何度かやり合った時に話したエクイティーフェミニズムにつながる。
つまり、女性にも男性と同じように成功する(そして失敗する)機会を与えるが、女性だからといって特別扱いはしない。人の価値は性別や人種や宗教ではなく、その人個人の能力によって判断されるべき、という個人主義の考え方は昔はどうあれ、今や左翼の信じる思想ではない。
レフティさんが、自分を誇りある左翼と呼びたいのは、多分古い時代の理想的な左翼を念頭においてのことなのだろう。だが残念なことに、現在の左翼は洋の東西を問わずレフティさんのような信念はもちあわせていない。
レフティさんにはお気の毒だが、この際レフティさんは社会の変化と自分の思想との調節をすべきなのではないだろうか?
December 21, 2009, 現時間 12:33 AM
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エントリーが気に入ったらクリックしてください。![]()
© 2006-2008 by Sachiko Yamada - All Rights Reserved