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September 15, 2017

思想の多様性に敵意丸出しの後退派左翼

宗教と文化 , 左右思想 , 教育と政治 , 旅行記

8月下旬から始まった移動続きの出張だが、本日四つ目のホテルに移動。今日は花金だし今週末は仕事がないので一足先に週末を始めよう。

昨日9/14日の夜、保守派政治評論家のベン・シャピーロがカリフォルニア州立バークレー大学で演説を行った。実は講演の瀬戸際まで実際に講演が実現するかどうか危ぶまれていた。それというのも、左翼ファシストテロ軍団のアンティファ・ファシスト連中がシャピーロの講演を妨害すべく集まってくることが充分に予測されていたからである。バークレー市は今年初旬にマイロ・イヤナポリスの講演を妨害したアンティファの暴力に対して全くといっていいほど警備を施さなかったことで批判を受けていたこともあり、今回はなんと60万ドルという警備費を投入して厳重な警備にあたった。おかげでシャピーロの講演は無事に行われた。

会場の外では1000人を超す反シャピーロ連中が集まり訳の解らないスローガンを叫び続けていたが、警察は武器を持っている人間や覆面をしている人間を次々と逮捕。法と秩序を守り通した。

保守派演説者を招待すると警備費が嵩むと文句を言ったり批判する前に、事態がここまで悪化する前に何故バークレー市は対策をとらなかったのかを考えるべきである。暴力沙汰を起こしているのは左翼過激派のアンティファ連中ではあるが、その暴力を許容どころか奨励してきた大学側やバークレー市にも多いに非がある。

全国各地のエリート大学が、保守派演説者を招待した学生たちに警備費と称して法外な金額を請求しておきながら、左翼暴徒らの暴力を学校側が全く阻止せず、警察に待機命令を出して、左翼の暴力を奨励している。

アメリカのエリート大学の多くが左翼連中たちに乗っ取られてしまった。大学の職員も教授もほとんどが左翼。1960年代の学生運動で過激派だった奴らが今や教授になってるわけだから、右翼や保守派の意見など最初から聞く耳持たないどころか、そういう意見はどんどん排斥している。そういう連中に育てられた現在の学生たちが左翼以外の言論を暴力で阻止しても良いと考えるのは当然だ。しかもそういう暴力的な行動を学校側が見て見ぬふりをするだけでなく奨励までしているとすれば、ことが激化するのはわかりきっていたことだ。

実は、本日のエントリーはこの間よもぎねこさんが多様性について書いているのを読んで、色々思うことがあったので私もそれについて書いてみようと思ってはじめたのだが、なぜアメリカの大学における保守派思想弾圧が多様性と関係があるのか説明しよう。

後退派左翼連中が言うDiversity(ディバースィティもしくはダイバースィティと発音)訳して多様性とは、思想や文化の多様性のことではない。彼らにとって大事なのは人種や国籍の多様性であり、顔や言葉のアクセントの違いは奨励しても、思想の違いは断固許さない。

この多様性という言葉はちょっと前まで使われていた多文化主義と同じだ。多文化主義は他国の文化を尊重するあまり、自国の文化を虐げるという本性がばれて人々から顰蹙を買うようになったので、後退派左翼は新しく多様性という言葉を使い始めたのである。だがどんな言葉を使おうとやっていることは全く同じだ。

後退派左翼の最終的な目的は共産主義を確立することだ。そのためには既存の自由主義文化を破壊することから始めなければならない。多文化主義だの多様性だのはそのための手段に過ぎないのだ。自国の文化と相いれない異文化の人間を大量に受け入れれば自国の文化は衰退する。それが彼らの目的だ。だから彼らの言う多様性とは決して思想の多様性のことを言うのではない。これらの人々に共通している思想はアメリカ文化の完全破壊にあるのだ。

アメリカは移民の国だと言うのは本当だが、だからといってアメリカ特有の文化がないのかと言えばそれは違う。いや、それどころか、他国からアメリカにやってくる移民のほとんどが、アメリカ特有の文化に魅かれ、その文化に自分もあやかりたいと思ってやってくるのだ。格言うカカシもその一人。私はアメリカに住む日本人で居たいと思ったことはない。私は日本を祖国に持つアメリカ人になりたいと思ってアメリカに移住したのだ。

だから私のような移民こそが、本当の意味でのアメリカ文化を守りたいと思っている。私のような移民は外国から来て外国の文化をアメリカに押し付けようとする奴らにものすごく腹が立つ。そんなに自分の国が良かったなら、なんでアメリカに来たんだよ、国へ帰れ!と言いたい。

多様性を唱える奴らは、このアメリカ独特の文化を破壊し共産主義を確立しようとするファシストたちなのだ。(共産主義もファシズムも同じ穴のむじなだ)彼らは暴力で他思想を弾圧し排斥する。であるから多様性などというきれいごとに騙されてはならないのだ。

ここでひとつ付け加えておく。「多様性」という概念は決してアメリカが生み出したものではない。これは欧米の後退派左翼連中が作り出したものだ。日本の保守派の人々がアメリカを誤解するのは、こういう悪い左翼思想がアメリカの左翼メディアを通して日本のメディアに引き継がれ、そのまま日本で報道されてしまうからだ。人種だけの「多様性」は決してアメリカ文化を代表するものではない。自国の文化を犠牲にして外国文化を取り入れるなどアメリカの精神に反する。

本当の意味での思想の多様性という意味であれば、自由社会ならだれでも奨励する。だが、後退派左翼の「左に倣え」の多様性などくそくらえである。日本がこういう悪い左翼思想に毒されないことを願うものである。

September 15, 2017, 現時間 3:18 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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February 6, 2016

アメリカ人でも困惑するホテルのチップ色々

旅行記 , 日常の出来事

拙ブログを検索でたどってくる人の多くが、私が昔書いた「ケチるとひどい目にあう、ホテルのチップ」を読んでいることをに気づいた。ホテルのチップで検索してたどり着いた人が多いらしい。で、そういう検索でアドバイスをしている人の意見を色々読んでみたが、長年アメリカ国内で長期出張を繰り返しているカカシからみても、「そうかなあ?」という意見もかなりあるので、ここでちょっとその話をしてみたいと思う。

ホテルのチップで検索して第一にぶち当たるサイトがこちら、チップの誤った常識という記事。アメリカの一流ホテルで10年間日本人マネージャーをしていたとかいう人が書いたもの。チップをもらう立場の人からの作文だから私としてはそうかなあ、と思うことが結構ある。たとえば、スーツケース3つ、買い物袋2つの荷物をベルマンに運んでもらった日本人がチップを2ドルしか払わなかったという例をあげて、

ベルマンには、荷物1つにつき2ドルを、ドアマンには、1人につき1ドル50セントを払う。端数がでる場合には切り上げる。これがチップのおおよその相場だ。荷物が5つあれば、ベルマンには10ドル。2人でタクシーに乗るのであれば、ドアマンには3ドルを払うことになる。

と説明されている。確かに荷物を5個預けてチップが2ドルは少なすぎる。著者がいうように非常識というのはわかるが、荷物ひとつに付き2ドルはちょっと多いのでは?ま、著者の勤めていたプラザホテルのような一流ホテルになるとそうなのかもしれない。カカシが泊まるビジネスホテルにはベルマンが居ないことも多いからそんな心配は必要ない(自分で持っていくためのカートを貸してくれるホテルは結構ある)。私の場合は荷物ひとつにつき1ドルとしている。ドアマンの1ドル50セントはまあまあかもな。でもタクシーに乗る人の数が増えるとチップも増えるというのは何か不思議。

ところで日本人はチップを払わないという評判がアメリカでは定着しているので、日本人がよくいくハワイのレストランなどではチップが最初からお勘定に加算されていることがある。合計に15%足して払う習慣のある我々は誤ってチップを二度払いするはめになるので要注意である。これについても記事の著者は、、

「勘定書きの中にチップの15%が書かれていた。失礼じゃないか!」こんな苦情を受けることがある。私は「計算する手間が省けるじゃないですか。いずれにせよ、チップとして、15%を払わなくてはならないのだから。」と、言いたくなる。

「チップはよいサービスをしてくれたことへの褒章だから、期待に見合ったサービスが受けられなかった場合には、少なくて良い。」という、誤った常識を持っている日本人が多くいる。ここアメリカでは、チップは労働賃金の一部であり、15~20%は彼等が受け取る当然の権利だ。だから、個人の主観で金額を変えてはいけない。チップを受け取る部署で働く従業員は、その分、給料が低くなっている。彼等の家計を支える主たる収入はチップなのだ。もしサービスに不満があり、チップを払いたくないのなら、チップの額を減らすのではなく、マネージャーに苦情をあげるべきだ。さもないと、日本人はチップの支払が少ないからということで、益々、勘定書きにチップの額が書かれることになる。

私はこの意見にはまるで賛成できない。チップは当然もらえる権利ではない。お客さんが言うように『よいサービスをしてくれたことへの褒章期待に見合ったサービスが受けられなかった場合には、少なくて良い。』というのは「誤った常識」ではない。

余談だが、最近アメリカでは最低賃金を生活賃金といって値上げをする州が増えており、ホテルのハウスキーパーの時給も昔から比べたらかなり上がった。なので、「チップは労働賃金の一部だから、、、15~20%は、、当然の権利」という常識は成り立たなくなってきた。

私はレストランでは普通20%のチップを払うことにしているが、15%のチップがすでに加算されていた場合そしてそれをウエイトレスがきちんと説明しなかった場合には15%以上のチップを払わないことにしている。もしサービスが気に入らなければ10%に下げる場合もある。サービスが良くウエイトレスがきちんと「15%のサービス料が含まれて居ます」と説明してくれれば20%に引き上げることもある。

ところで彼の計算でいくとホテルの宿泊料が一晩250ドルだったら、その15%にあたるチップの代金は一晩37ドル?え~たか~い!そんなチップ払ったことナイ!一流ホテルってのはそういうものか?やっぱ下々の者には理解できないね。最近ハワイのワイキキなどではリゾート料金とかいって20ドルから30ドルが宿泊料に加算されるので、250ドルの宿泊代といっても結果的には280ドル。それにチップも加えたら基本料金は250のはずが317ドルになる計算?これに駐車料を加えたら350を越してしまう。うわっ高い!

カカシが泊まるビジネスホテルでは、ハウスキーパーへのチップは一晩1ドルから2ドルが相場。私個人としては掃除が行き届いていなかったりコーヒーが置いていなかったりしたら払わないこともある。ただ、長期の場合、チップをけちるとサービスも低下するから時々チップを多く置いて「もっとタオルをください」とか「バスルームを汚したので特別の掃除をお願いします」とかメモを書いたりする。普通にやるべき仕事をしてもらうのにチップを大目に置くというのも変な話なのだが、長期滞在するつもりならそのへんの調整は大切。

ところで別のサイトでハウスキーパーへのチップは払うべきかという質問に、「置く必要はありません。日本人の悪しき習慣です。」ときっぱり書いた人が居る。「チップが必要な場合は何か、特別な注文をして手間かけた」時に限り、普通に掃除やベッドメイキングのをしてもらうのは当然の仕事だからチップはいらないというのだ。「因みに、私は一回も枕銭や置きチップをしたことありません。
置かなかったことにより、嫌がらせを受けたこととかは、今まで一度もありませんよ。」とのことである。そうかなあ、気がつかないところで復讐をされてると思うよ、きっと。

実は我がミスター苺もハウスキーパーにはチップを置かない主義。でも彼はカカシのように長期出張するわけではないし、同じホテルに何度も戻ってくるという可能性もないからそれでもいいのかもしれない。彼いわく、チップはその施設に(ホテルにしろレストランにしろ)今後どのくらい行く可能性があるかで決まるという。今後もお世話になる可能性があるなら、チップは弾んでおいたほうが何かのときに融通が利くからである。これは本当の話。

たとえば、ホテルの予約をドタキャンするとキャンセル料金を取られるが、普段からホテルとよい関係にあれば料金を帳消しにしてもらえたり、満室なのに部屋を用意してくれたり、何も言わなくてもアップグレードしてくれたりといったサービスを得られる可能性がある。またラウンジなどへゲストを連れて行った場合、本来ならゲスト料金を取られるところを無料にしてもらったり。同じドリンクを頼んでも量を増やしてくれたりといったサービスが得られる。

ところで最近アメリカでは、レストランというよりファーストフードみたいなお店でもレジのところにチップ瓶が置いてあるところがある。特にスタバのような専門店にそういうところが多くなった。まだマクドなどでは見られないが。カカシの常識としては、お客が自分で飲み物や食べ物を頼んで自分で席まで運ぶ場合、給仕の必要がないからチップは要らないはずという考え。そうでないとどんな場所に買い物に行ってもチップを払うことになり意味がなくなる。

給仕が居ないという点で、ホテルの朝食などブフェ形式になっているところでのチップはどうするかという疑問がわく。ブフェ形式とは日本語でいうバイキング。要するに食品がずらっと並んでいて自分で好きなものを取って食べる形式だから、ウエイトレスにものを注文する必要はない。それでもチップは必要なのかどうか、このへんカカシにはちょっと疑問なのだ。私個人の目安としては、ホステスが居て席に案内してくれるような場所で、ウエイトレスがコーヒーやジュースを持ってきてくれ、給仕の人が汚い皿を取り替えてくれたりする、といったサービスを受けられるのであれば$1くらいのチップを払う。オムレツなどを作ってくれる人が居た場合にはその人にまた$1ドルはらう。サービスが特によければ$2ドルくらい置くこともある。座っても飲み物のオーダーもききにこないようならチップはなし。

ビジネスホテルだと朝食はついていても、すべてセルフサービスのところもある。そういうところではチップはまるで要らない。が、これも長期滞在するなら朝食に携わっている従業員に時々チップをあげてもいいだろう。これは個人の自由だと思うね。

チップのなかでもカカシが一番嫌いなのが車を駐車場から出し入れしてくれるバレエパーカーにあげるチップ。セルフパークの場合はいいが、ハワイなどバレエパーキングしかないホテルも多い。それにセルフでもバレエでもそれほど料金が変わらないところも多く、狭くるしい駐車場を毎晩空いてる場所を探してぐるぐる回る手間を考えたらバレエのほうがずっと便利。しかしバレエパーカーへのチップは一回1ドルが相場だと同僚たちは言うが、毎日最低二回はバレエのお世話になるわけだから最低$2ドルは必要なわけで、荷物の乗り降りを手伝ってもらったらこれにもかばんひとつにあたり$1ドルというのも常識らしいから、車に乗り降りするだけで毎日$2ドルから$4ドルのチップである。前にも書いたがカカシはチップを出張経費として差し引けないので自腹である。バレエだといちにち30ドルから40ドルが普通なので、それを払っているのにさらにチップというのも変な話だよなあ。

というわけで、ホテルに泊まったらチップを払う場所はいくらでもある。その度ごとにチップをはずむと意外な出費になるので気をつけなければならない。カカシなんぞ一ドル札がなくなると部屋に「睡眠中です」のサインを下げてサービスを断ることもある。同僚からは「けち臭い」とけなされるが、、、

February 6, 2016, 現時間 10:42 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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January 24, 2016

出張中メモ

旅行記

またまたハワイに出張中。アメリカ東海岸は記録的な雪だそうで、フェイスブックは雪の写真で満載だ。カカシは運悪くハワイで立ち往生してるよと書いたら『この野郎死んじまえ]てなメッセージが帰ってきた。去年の冬はわたしも吹雪で飛行機がキャンセルになってホテルに2日間缶詰になった。今年はハワイでよかったなあ。

今日はiPadなんで複雑な文章は無理なので、あとでかきたいことのメモだけしておこう。

記録的な寒さ: ここ数年、毎年のように今年の冬は記録的な寒さだと書き続けているが、いったいいつになったら地球温暖化ははじまるのかね。いや、というより記録的にさむい冬が何年続けば温暖化説は間違っていたということになるのだろうか。

アイオワコーカサス: アメリカの大統領選挙の共和党最初の予選があと数日でアイオワ州で行なわれる。ドナルド・トランプが最優勢。わたしはトランプは嫌いだ。テッド・クルーズに頑張って貰いたい。保守的と言われているアメリカのフォックスニュースは最近トランプ一色。なんでフォックスはこうもトランプびいきなのか。フォックスはまるでトランプの選挙運動事務所と化している。トランプはまるで広告費が必要ない。フォックスがやってくれるのだから。

ヨーロッパ移民危機: ドイツのケルンのモスレム移民による性犯罪の被害届けは800件を超えたそうだ。集団強姦の被害者も数人と言われていた当初から数十人にふえた。地元警察による隠蔽の範囲も当初おもわれたより広範囲だったらしい。ドイツの地方都市ではモスレム移民が団体で公共プールに押しよせ、泡風呂で自慰をしたり子供プールに放尿したり女子更衣室に侵入しようとしたりと、信じられない行為に出たため、難民のプール使用を禁止したが、左翼市民団体が人種差別だと騒ぎ立てて難民の使用を阻止できなくなった。プールの職員は地元の女性達がプールを使用しているときはプールは整備中などと口実をつくって難民の使用を許否しているが、他のプール場でもモスレム野蛮人による痴漢行為が頻発しているという。

銃規制: 先の司法長官エリック・ホールダーの大失敗おとり作戦「迅速かつ猛烈」作戦でアメリカからメキシコに渡っていた銃が最近逮捕された麻薬暴力団の親玉エルチャポの隠れ家で発見された。何をやっても失敗だらけのオバマ王である。

January 24, 2016, 現時間 7:21 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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December 21, 2015

カカシ、ワイキキのケチケチ出張より戻る

旅行記

あ~疲れた!久々のハワイ出張。しかし今年はうちの企業は非常な経営不振でいつものようなホテル代を払ってくれない。こんな安い値段で、しかもホテルが非常にとりにくい12月に二週間以上も出張させようというのは酷な話である。さらに間の週末にホノルルマラソンが入っていたので普段より一層多い観光客。何とか極安でも危険でなく汚くないホテルを取るのにすっごい苦労した。

観光地での出張というのは非常に気が滅入る。なにせ同じホテルで泊まっている人々も道を歩いている人々もみんな休暇気分でそぞろ歩き。出勤のために運転してるこっちの身などまるで無関心な観光客たち。ディズニーランドでも歩いてる気分で信号無視の歩行者が多いから運転には非常な注意が必要。それに右運転に慣れてない日本人観光客や交通ルールなんてお構いなしのアジア人やヨーロッパ人がカーナビ便りにえっちらこっちら運転してるから危なっかしいったらない。

この時期に二週間以上も同じホテルに安い値段で泊まるというのは無理なので、私はひとつのホテルに10日間、もうひとつに7日間ほど泊まった。

最初のホテルはアシュトンワイキキビーチ。場所はカラカウア通りのダイアモンドヘッド側の端っこで、マリオットホテルのお隣。海岸までは徒歩5分。ワイキキビーチの端っこではあるが、結構レストランなども近くで歩いて色々な所に行ける。小さいが一応プールやエクササイズのジムも付いている。一応っていうだけであんまり利用価値はないのだが、私がメンバーである24hrフィットネスが歩いて5~6分のところにあるので運動には不自由なかった。泳ぎたければ海がすぐ傍だし。部屋は狭かったが清潔で、WiFiは無料。各部屋に小さな冷蔵庫が付いてくる。電子レンジは付いていなかった。

出張手当が大幅に削られてしまったので毎晩高いレストランには行かれない。しかし電子レンジがないと部屋で細々と即席ラーメンを作ることも出来ず、お持ち帰りのお弁当も温められない。そこで思いついたのがお湯を沸かせるホットポット。距離的には3kmくらいの場所に日系スーパーのドンキホーテがあったので、先ずそこで色々買い物をした際14ドルでホットポットを購入。朝のオートミールや夕飯のラーメンを作るのに非常に重宝した。しっかし買い物に行った時間が仕事帰りの午後5時ごろだったことから、交通渋滞でたった3kmの道を帰るのに20分以上かかってしまった!ワイキキ及びダウンタウンでの運転はラッシュアワーは避けたほうがいい。かえって歩いたほうがずっと早い。

余談だが、私のGPS(カーナビ)はスペイン語が話せないので「ドン・キジョテ」と発音していたが、本来の綴りはDon QuijoteではなくてDon Quixoteなんじゃないかな?まそんなことはどうでもいいが。ワイキキにはABCストアというコンビニ+おみやげ物やがあっちゃこっちゃにあるが、観光客用に値段がかなり割高になっている。同じものでもドンキホーテで買えば二割から五割引きになるので、ABC店で気に入ったものがあったらメモしておいて、後でドンキホーテに行って買うことをお薦めする。必ずしも同じものがあるとは限らないが、チョコレートのかぶったマカデミアンナッツなんてABCでは一箱$8.99だったのがドンなら$6.99だったり、キーホールダーなどは同じものが半額で売ってた。車がないと不便ではあるが歩いていけない距離ではない。バスに乗るという手段もあるし。

さて、続く一週間の食事はかなりわびしかったが、週末くらいはおいしいものを食べたいと思って近所のクヒオ通りを歩いていたら丸亀という手打ちうどんの店の前を通りかかった。この店は食事時に行くとものすごい列でいつも諦めていたのだが、その日はちょうど午後2時過ぎという変な時間だったこともあって列はなし。入ってみるとカフェテリア式にお盆を持って注文。基本メニューは素うどんで選択は天カスか卵か、あったかいか冷たいか程しかないが$3.50と非常に安い。なにかつけたしたければ海老天やちくわ天やから揚げなど$1.50から$2.00くらいで色々付け足せる。だが一品づつが安いからといって調子にのって色々買うと結構高くつくのでご用心。

二つ目のホテルはアクアパルムワイキキビーチという今度はカラカウア通りの反対側の端っこでダウンタウン側にあるホテル。有名なヒルトンハワイアンビレッジからアラモアナ通りを隔てたお向かい。ひょろっとしたビルで小さいホテルだったが、室内は広く、ベッドの横が広く開いてリビングのようになっている。ソファとテーブルと椅子が二つ。床は板張り。ヨガなんかやりたかったら十分なひろさであった。

こちらにもプールは付いていたが海はすぐそこ。お隣のヒルトンにはきれいなプールがあるので、無理にホテルのプールを使う必要もない。ホテルの周りには色々なレストランが立ち並んでいるが、どこも結構値段は張る。ホテルが近所のアウトバックステーキハウスのミールクーポンをくれたので行ってみた。しかしステーキハウスという割りにはステーキは硬くてまずかった。ただ前菜とスープは結構おいしくて、カニとアボカドをあえたのは非常によかった。前菜はどれもこれも$10.00程度なのでステーキを食べなければ結構お手ごろかも。ステーキは$20から$35で高いだけでおいしくない。

いくらケチケチ出張でも、せっかくワイキキにいるので普段は食べられないおいしい日本料理を食べようと思い、以前に行ったことのあるとんかつ屋さんの銀座梅林にいった。本土ではカリフォルニアでも東海岸でもおいしいとんかつのお店なんてほとんど見つからないのだが、いやあさすがワイキキ!本場のとんかつがあるなあ。ヒレカツ定食を注文したのだが、ナイフとフォークではなくお箸だけ。お箸でどうやってカツを食べるのかとおもったらお肉が柔らかくてナイフの必要なし。ほっぺたが落ちるというのはこういうことを言うのだな。非常においしかった!

最後の夜はホテルからすぐそばにある居酒屋ちばけんに行った。このお店は7~8年前に出来た記憶があるが、仲間と行き着けのアイリッシュローズという飲み屋の隣だったことから発見した店。ちばけんという名前に惹かれて友達と何度か行ったが、値段の割りにはそんなにおいしいという記憶はなかった。ところが今回行ってみたらお寿司がものすごくおいしくなっていた!はっきり言ってこんなおいしいお寿司はひさびさ食べていない。場所は表通りからはちょっとはずれた裏道なのだが、一人でも予約を取っていかないと先ず座れない大繁盛の店。五時半の開店から10分もすると店はもう完全に満席。さもあらんである。おすし以外にも焼き鳥や揚げ出し豆腐などの居酒屋メニューから頼んでみたがどれもこれも確かに千葉県というなつかしい味であった。

とまあ、そんなわけで、なんとか帰ってきた。

明日からはまともに記事を書こう。

December 21, 2015, 現時間 2:06 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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March 1, 2015

寒さに震えた東海岸の旅

旅行記 , 日常の出来事 , 科学

本日はちょっと個人的なお話。

カカシは先週の金曜日までぴったり三週間ほどバージニア州のバージニアビーチ市付近に滞在していた。去年と今年のバージニア州は例年にみない寒波に襲われ、降雪も70年ぶりとか言う大雪に見舞われた。私が滞在していたのは真冬の二月だから、まあ寒かったこと!最低気温は華氏マイナス一度。摂氏になおすと零下18度!これは最悪だったが普通でも零下12度から8度くらいだった。

私が滞在しはじめた次の週にものすごい大雪が一晩中降って、翌日は道に止めてあった車が完全に雪に埋まっていた。日中になって日が照ってきても、雪の表面が多少解けても気温が零下なのですぐに凍りつき、夜になってさらに新しい雪がその上に積もりと言う状態が続き、道は何センチものがちがちに凍りついた雪で固まっていた。運転なんて冗談ではないという状態。

ミシガン州出身の同僚が、ミシガン州ならこんなのどうってことないだけどね、と言っていたが、問題なのは普段雪が降らないところには除雪機などの設備が整っていないということ。表通りや高速道路の除雪はまあまあなんとかなるとしても、裏道とか住宅街の道路や歩道までには手が回らない。だから一般人は自宅から表通りに出るまでのところで車が詰まって走れない状態となってしまった。

近所の学校や公共施設は一斉に雪休み。レストランとか一般のお店も皆閉まってしまった。うちの職場も最初の日は休みだったが、そう何日も休んでいるわけにはいかないので、二日目からは時間を遅らせて開業。

私の泊まっていたホテルの前の道が完全にスケートリンク化していて、車があっちゃこっちゃでスピンして数メートルが進めない。やっとなんとか表通りまで出て職場まではいけたのだが、職場の駐車場に雪が10センチくらい積もったまま。駐車の線が全く見えないので、みんなひっちゃかめっちゃかに駐車していた。私の車も駐車場でつっかえてしまい、何度も車を降りては雪かき。車をとめるのに20分以上かかってしまった。やっと車を泊めて仕事場まで歩いている途中で滑って転んで膝がおおあざをつくってしまった。帰りは帰りで雪に埋まった車を掘り返すのに一苦労。

それでもやっと三週間の仕事を終えてカリフォルニアに帰ってこようと思ったら、帰りの日に大雪予報が出た。一旦降り始めたら2~3日は帰れなくなってしまうと思った私は帰りを一日繰り上げて飛行機の予約を変えた、、つもりだったが、空港へ行ったら予約が入っていないといわれた。旅行会社のミスで日にちが一日間違っていたのだ!

無論翌日は大雪で飛行機はすべて欠航。結局その日は帰れず、道もふさがってどこへもいけないので、ホテルで缶詰になった。

金曜日になって、なんとか予約が取れて帰ってこれることになったが、出発が二時間も遅れたため、乗り継ぎのデトロイト空港でゆっくりお昼ごはんを食べる予定が完全に狂い、次のゲートまで猛烈ダッシュする結果となった。ああ、もう散々!

もう雪のバージニアには死んでもいかないからね!

もっとも大雪で大変だったのはバージニア州だけではない。ニューヨークやメリーランドもかなり大変だったよし。ま、雪の多い東北とかの人たちからしてみたら、こんなことで大変がってる我々がおかしいかもしれないが、もともと雪の多い地元の人たちはなれてるし、インフラもしっかりしてるからちょっとやそっとの雪で町が遮断してしまうなんてことはない。慣れてないから困るんだよね、これって。

カカシも雪道運転なんてしたことなかったし、、

それにしても、ほんとうに毎年のように記録更新するこの寒さ。アル・ゴアさん、地球温暖化はどうなったんですか?

March 1, 2015, 現時間 8:35 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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August 31, 2011

苺畑夫婦カナダ旅行記 その2 神出鬼没なB&Bのゲイな亭主

旅行記

カナダの最初の目的地はカルガリー。ここでは毎年スタンピードといってロデオの世界選手権が行われるのだが、我々はその最終日を観戦する予定だ。

我々が泊まったのはベッドアンドブレックファスト(B&B)といって、いわゆる民宿。宿は普通の一軒家を民宿用に改装したもので、結構心地よい寝室が二階に二部屋と一階に一部屋あった。我々が通されたのは居間付きの二階の部屋。

痩せた中年のゲイっぽい亭主は我々が着く早々巻き紙のような紙を取り出し、宿泊客の規則を説明しはじめたのだが、これはやってはいけない、あれはやってはいけない、となが〜いリストを延々と話し続けた。私は途中で完全に興味を失い窓から外を眺めながら、邪魔臭いブラインドを上げようとしたら、「さわっちゃだめ!」と亭主に怒鳴られた。

どうやら客がやってはいけない規則のなかにブラインドの調節も含まれていたらしい。「今言ったばかりでしょ!このブラインドは癖があるからやたらにさわっちゃだめだって!」何もブラインドくらいでそんなに騒ぐ事ないだろうにとおもったが、ま、ここは彼の家だ。彼の規則に従おう。

疲れているなか亭主のなが〜い説明をきかされて閉口したが、それもやっと終わっておっさんが出て行った後、ほっとしてシャワーを浴びて出てくると、誰かが入って来た気配は全くなかったのに、ベッドの上に新しいタオルが置かれていた。

一階からの階段が丸見えの居間で新聞を読んでいた主人は、誰も階段を登ってこなかったという。「気がつかなかっただけなんじゃないの?」といいながら居間に座ってテレビを観ていると、確かに誰も階段を登ってこなかったのに、にょきっと亭主が突然現れた。「あ、言い忘れたことがあったわ。朝食は7時よ。」ちょっとあなた何処から出て来たの?

二階には我々の寝室ともうひとつ寝室があり、共同の居間以外にもう一つ小さな倉庫のような部屋があった。亭主はその部屋は客用ではないので入るなと固く断ったが、亭主の神出鬼没さの秘密はこの部屋にあった。

翌朝の朝食はダイニングルームで宿泊客が一緒に食事を取った。若い娘とその母親の中高年の夫人が同席になった。その時、亭主より歳も若くごく普通のビジネスマンといった感じのパートナーの男性がこの家の作りを説明してくれた。この民宿はもともと普通の住宅を改装したものだと書いたが、亭主とパートナーは結構腕のいい大工らしく、三つある寝室をフルに活用するため、自分らの部屋は家の地下室につくったという。パートナーの説明にはなかったが、客が普通につかう階段以外に、その地下室から直接一階と二階につながるもうひとつの階段が設置され、それが二階の客立ち入り禁止の真ん中の部屋へと続いていることは容易に想像がついた。

その晩、もう一組の宿泊客が来る予定で、二階の部屋を使うから、居間は共同で使ってくれと亭主に言われた。

その日は何も予定がなかったので、ミスター苺と私は上着と帽子を買いに買い物にで、カルガリーのショッピングセンターなどを巡って土産物などを買ったあと、こじんまりしたダウンタウンのアイリッシュバーで(当たり前)夕飯を済ませて夜9時頃宿に戻った。寝室で値支度をしていると、亭主と一緒に二階に上がってくる新しい泊まり客らしい男女の声がした。「ああ、あの二人も亭主のながったらしい規則を聞かされているんだろうな、もう夜遅いし疲れてるだろうに、お気の毒なこった。」などと考えながら就寝。

ところが翌朝の朝食に一階に降りてくると、新しい客の姿はなかった。朝早く食事もせずに観光に出かけたのだろうか、とミスター苺が何気なく亭主に訊ねると、コーヒーを注ぎながら「ちがうのよ、何を思ったのか、真夜中に突然でていっちゃったのよ!慌てて出て行ったから荷物をひとつ忘れて行ったわ。後でベストウエスタン(ホテル)に届けて暮れってさっき電話があったの。」と亭主。

亭主の話だと、亭主が宿泊客の規則を説明し終わった後に、タオルだのサービスのコーヒーとチョコレートなどを寝室に届けたのだと言う。そうしたらそれから数分後にB&Bより割高の近所のホテルに急遽宿を変更し、夫婦は荷物をまとめて慌てて出て行ってしまったというのだ。

「私がコーヒーやらチョコレートを持って行ってあげたのが気に入らなかったみたいなの。放っておいてほしかったらしいわ。でも私はお客様にアットホームな気分でいてもらう主義だから、それが嫌ならしょうがないわね。」

足音もさせずに見えない階段を登って来てノックもしないで突然亭主が寝室に現れたら、誰だってびっくりするよ、と私は思った。私とミスター苺が、そんな不思議な亭主の神出鬼没さを気味悪く思わなかったのは、怪傑ゾロよろしく、隠れ部屋や階段のある家をおもしろがっていたからだ。そういうユーモアのセンスのない人なら、亭主の行動はかなり気持ちが悪かったのかもしれない。特にプライバシーを重んじる人には我慢出来ない行為だったのかも。それにしたって何も真夜中に割高なホテルに移るほどのこともないだろうと思うが、ま、そのへんはひとそれぞれということだ。

August 31, 2011, 現時間 10:15 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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August 28, 2011

苺畑夫婦カナダ旅行記 その1:寝坊で始まったカナダの旅

旅行記

9月はほぼ毎週のように海に出る。船の上ではブログを書くような暇は全くないので、今月はちょぼちょぼと旅行記でもご紹介しよう。

苺畑夫婦は2008年の7月、カナダはカルガリーのスタンビードと呼ばれるロデオ大会見物から始まって、ロッキー山脈で五日間の乗馬キャンプ旅行をした。その話はいずれブログで詳しく書くつもりだったのだが、忙しさにかまけて放ったらかしになってなっていた。幸いにして、当時友達に書いた手紙が残っていたので、それを参考にして思い出しながら書いていこう。

まずは当時の手紙より:

お久しぶり、お元気ですか?

そろそろ夏休みに入り、お子さんたちもおうちでお過ごしの時期でしょうか? 
私たちは昨晩遅くカナダから帰って参りました。とても良かったですよ。

カルガリーではロデオトーナメントの最終戦を観戦。その後アルバータ州のノーデッグというところで、カナダのロッキー山脈のなかを五泊六日乗馬とキャンプ。一旦シアトルへ戻ってそこからフェリーでビクトリアへ行き三日間の観光をしました。シアトルからビクトリアへ行く時ものすごく海が荒れ、いつもは全く船酔いしない私が床にへばりつくほど酔ってしまいました。もっとも乗客のほとんどが同じ状態で、全く問題なかったのは数人の乗組員とうちの主人くらいでした。


第一話:寝坊で始まったカナダの旅

最初の日に夫婦そろって大寝坊!7時半の便に乗らなければならないのに、なんと起きたのが6時50分!慌てて家を出たので主人は帽子をうちに忘れて出てしまった。それを笑っていた私はレンタルカーの中に帽子と上着を忘れてくるという大ドジ。うちからタクシーではなくレンタルカーを借りたのは、タクシーより片道だけレンタルカーを借りた方が安かったからである。

空港へのシャトルバスの中で帽子と上着を忘れたことに気がついたが、もう戻っている暇等ない。仕方なくレンタルカー会社に電話してもどってくる二週間後まで保管してもらうことになった。

飛行機は次の便にも間に合わずその次の便のキャンセル待ちでなんとかワシントン州のシアトルまでは行けそうだったのだが、その後シアトルからカナダのカルガリーまでの乗り換え便に間に合うかどうかがきわどいところだった。私は出張で飛行機に乗り遅れるとか便がキャンセルされるとかいうことは、たまにあるので、特にどうとも思っていなかっただが、旅慣れしていない主人はシアトル行きの飛行機のなかでも次の乗り継ぎ便に乗れるまでは安心できないと、ずっと心配し続けていた。

しかし当初の予定では、乗り継ぎまでの待ち時間が5時間もあったで、二便も遅れた割にはにちゃんと間に合った。

August 28, 2011, 現時間 10:37 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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August 17, 2011

ここはディズニーランドじゃないんだからね、ナイアガラの滝で転落した女学生の死に思う

旅行記 , 日常の出来事

今日、浜村さんのラジオを聴いていたら、ナイアガラの滝で記念撮影をしていた日本人の若い女性がバランスを崩して滝底へ転落、死亡したと見られているというニュースを聞いた。いくら「柵を乗り越えないでください」と看板が立っていても、こうやって柵を乗り越える観光客は絶えないという。ここ数週間のうちにも柵を乗り越えて転落したのは三人とか、そのうちの二人は死亡。一人は重傷を負ったが助かったとか。この話を聞いて、私はもうずっと以前になるが、私とミスター苺がグランドキャニオンに行ったときのことを思い出した。

最初の数日は二人で大峡谷をハイキングしたのだが、その後でラバに乗って峡谷の中腹まで下りていくツアーに参加した。その時にガイドのおじさんから言われたのが、「ここはディズニーランドじゃないんだからね、すっごく危険なんだ。注意事項には必ず従ってくださいよ」だ。

峡谷にあるギフトショップで買った「グランドキャニオンでの死」という本には、峡谷における死亡事故や事件がつづられていたが、そのなかに、写真をとろうとして柵を乗り越えた日本人の若い女性が谷底に転落して死亡したという事故があったのを覚えている。この事故はもう30年くらい前の話だと思うが、いつの世にもそういう不注意な人がいるのは残念なことだ。

我々苺畑夫婦はハイキングの最終日にコロラド川のある底辺から、ブライトエンジェルトレイルという全長15km、標高1335mのハイキングコースを歩いて、峡谷から登り出た。

その時、コースの終わり付近3kmくらいのところになると沢山の観光客が散歩気取りで歩いているのに出会った。その時点ですでに6時間登り続ける真剣なハイキングをしていた我々には非常に邪魔だった。特に我々が出会った若い日本人の団体は行儀が悪かった。

団体ツアーの観光客はマナーがなってない。登りハイカーに道の優先権があるのは常識なのに、団体観光客は群れになって道のまん中をどんどんおりてきてハイカーの邪魔になっていることなど全くおかまい無し。あんまりその態度がひどいので私は頭に来て、「登りハイカーが先です! どいてどいて!」と持っていたハイク用の杖を振り回すと観光客はこぞって崖の外側によけるのです。それで私は「壁側、壁側!」と怒鳴るはめになりました。 

そのなかの一人の若い女の子が、ひとり遅れをとったとおもったのか、あせって私を追いこした。 追いこすときは後ろから声をかけるのが礼儀なのだが、彼女は何も言わずに追い越し、しかも追い越しざまに私の杖を蹴ったので、私はバランスを崩してもう少しで転ぶところだった。もしもあの時そのままよろよろと崖からおちてしまったらと思うと空恐ろしい。

人の杖を蹴飛ばしておいて、この子は謝りもせずに通り過ぎたので、私は「ちょっとあんた!」と日本語で呼びかけた。その声にその子は振り向いたが、その子が手で口を隠しクスっと笑ったのを見て私はものすごく腹が立った。もし6時間のハイクで疲れていなかったら杖をかざして追いかけてって殴ってやるところだった。そのくらい頭にきた。

その後も日本人の団体がハイカーが休むのに最適な岩をぶんどっていたり、写真を取るからといってハイカーに待つように合図したりしてるのをみて私はカッとなり「あんたらを待ってる余裕なんかない」とどんどんカメラのまえを通り過ぎました。私の後ろから続いていた 何人かのハイカー達もそうだそうだといいたげに通り過ぎました。全く無神経にもほどがあります!

最近は日本人も旅行慣れしているので昔のように恥かしい観光客は少なくなったとはいえ、まだまだ観光地における危険を実感していない人が多いのは困る。もっともこれは日本人に限ったことではないのだが、ハワイのワイキキなどでは、観光客が信号など完全無視で道を渡るので、特に日本人が多いヒルトンハワイアンビレッジの中では車の運転はほぼ不可能である。

グランドキャニオンにしろ、ナイアガラの滝にしろ、危険はつき物。ディズニーランドじゃないんだからね、十分気をつけてもらいたいものだ。

August 17, 2011, 現時間 7:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 25, 2011

ヨセミテ、騾馬での旅は楽だなあ、、

旅行記

カーン川での濁流下りを終えた我々苺畑夫婦は、ハイウェイ99を北へ走ってヨセミテに向った。写真家アンセル・アダムスの名をとった自然公園の山中で三日間の乗馬旅行をするためである。我々が乗馬旅行をするのは2002年の夏にグランドキャニオンの南淵からラバで中腹まで下った一日のツアーを含めると、これで5回目。ヨセミテは2003年の時から8年ぶりの二回目だ。

ミスター苺が、ミナレッツパックステーションという家族でやっている小さいな業者に我々二人だけのガイド付きツアーを申し込んでくれた。二人だとガイドと我々二人用の馬三頭と、荷物運び専門のラバが三頭の行列となる。

ヨセミテにはハイキングコースがいくらもあるが、アンセル・アダムス自然公園あたりは道が非常に険しいので徒歩でこなすのはかなり大変である。8年前にヨセミテに行った時は、最初の一週間ツオルムメドウ(私にはトゥワォロミーと聞こえるのだが、カタカナ表記はツオルムらしい)という草原のあたりを一週間ほどハイクしたが、標高一万フィート以上でのハイキングは空気が薄くて非常に大変だった。グランドキャニオンのハイクで荷物を持って行きすぎて懲りたので、超軽量キャンプに挑戦した我々夫婦は色々なものが足りなくて閉口した。特に食べ物が干し肉とお米だけだったというのは完全に間違っていた。

それに比べて馬の旅は楽だ。先ず空気が薄くがれきだらけの険しい山道を歩かなくて済む。荷物はラバが運んでくれるから折りたたみの椅子だのテントだのマットだのを持って行ける。食料でも重たい缶詰や瓶類をいくらでも詰めるからおいしい物が食べられる。人に寄ってはクーラーに入ったビール2ダースとか持ってくる人もいるというが、我々はキャンプ中の飲酒は危険なのでしない。

もっとも乗馬は馬だけが運動していて乗り手はただ乗っかっていればいいのだ、と思って挑んだら大変な事になる。乗り手に袋に入ったジャガイモみたいに乗っかっていられるほど馬にとって不愉快なことはないし、そういう乗り方は乗り手にとっても乗り心地が悪いだけでなく落馬する危険がある。

我々の選んだ道は標高5000から9000フィートまで登る険しい山道の行程で、場所によっては馬のたてがみに顔がつくような上り坂があったり、馬の尻に頭が付くような下り坂がある。川をいくつも横切るので、時々馬がジャンプしたりするから、馬の両脇を脚で掴むようにしていないと振り落とされる可能性が大きい。

つまり、乗馬は全くの土素人というような人にはお薦め出来ないコースである。

にも関わらず、乗馬旅行もこれで五度目ということで、今回の乗馬は二年前のカナダのローキー山脈で参加した五日間コースの時よりずっと楽に感じた。

先ず我々が乗ったのは馬ではなく乗り専門のラバだったのがよかった。ラバは馬より気質がおとなしいので、ちょっとしたことでパニックになって後ろ足で立ち上がるとか、突然意味もなく走り出すといかいうことをしない。(カナダではよく馬が疾走して止めるに苦労した。)また、木々の間を通り抜けるにしても、こちらが特に手綱で誘導しなくても乗り手に気を使って木を大きく回ってくれる。これが馬だと自分の身体さえ通れれば大きな枝が上から垂れてる木の下だろうと狭い道だろうとどんどん歩いて行こうとするので乗り手は手綱をひくのにかなり技術を要する。(しつけの悪い馬になるとわざと木に寄りかかって乗り手の脚を身体と木の間にはさんだりするけしからん奴までいるから、乗り手はかなり気を使う。)

ただ、ラバは頑固なので、道草を食って動きたくないと思ったら乗り手が蹴ろうがどうしようが動かないという場合はある。また、馬のように感情的ではないので乗り手になつかない。馬なら気に入った乗り手には頬ずりしてきたりするが、ラバは乗り手などちょっと煩い荷物くらいにしか思っていないのか、降りてしまえば一瞥もくれない。馬なら三日も乗っていれば愛着が湧く物だが,ラバには全くそういう感情移入は出来なかった。

July 25, 2011, 現時間 1:37 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 24, 2011

苺畑夫婦、カーンリバー濁流下りに挑戦

旅行記

苺畑夫婦は月曜日から土曜日までカリフォルニア中部のセコイアとヨセミテでアウトドアアドベンチャー旅行を楽しんで来た。本日は最初のカーン川濁流下りの話をしよう。

カーン川はカリフォルニア州中部にあり全長270km。水源はウィットニー山の雪解け水で、下流はシアラネバダ山脈の北東にあるベイカースフィールド。 セコイア峡谷を通り抜けるため数々の濁流があり、筏やカヤックでの濁流下りにはもってこいの川。

我々が参加したのはカーンリバーアウトフィッター(Kern River Outfitters)という会社の、途中にキャンプが入る一泊二日のローアーカーンリバーラフティングというカーン川下流を下るツアー。

濁流には段階が1から6まであって、5までは筏(いかだ)で抜けられるが6になると筏は通れない。我々はずぶの素人なので、クラス4が最高という流れを選んだ。それでもクラス3が確か7〜8カ所、クラス4が12カ所くらいある激しいコース。

月曜日の9時半アウトフィッターの事務所で集合。いつもは遅刻ばかりするミスター苺はこの日に限ってはり切って一時間も前に行って待たされる始末。この日のツアーに参加したのは23人という大人数で、子供を含めた家族ずれが3チームと会社の同僚3人のチーム、そして我々夫婦2人のチームだった。ひとつのボートに5人から6人乗って4つのボートに別れ、我々は3人の若い会社員男性らと一緒になった。

最初にヘルメットと救命チョッキの着方を教わり、その後で30分くらい安全事項の説明があったのだが、これを聞いているうちにカカシは非常に不安になった。

1。ボートが一方に偏いだ場合にはガイドの「ハイサイド(高い方)」という指図に従い即座に高い方に移動する。
2。もしもボートから落ちた場合、静かな流れの場所なら仰向けになって脚を延ばし、ラウンジチェアに座った感じで川の流れに従う。
3。万が一濁流に飲まれた場合には身体を丸めて玉のようになり、濁流から放リ出されるまでじっとしている。
4。泳げる状態になった時には、ガイドの指図に従って岸もしくは近隣のボートまで泳ぐ。
5。ボートがひっくり返り、身体がボートの下になった場合には、どちらか一方を選び手づたいでボートの外に出る。

他にも色々あったが、これだけ聞いていても何だか怖くなって来た。ボートから落ちるとかボート自体がひっくり返るなんてことはどのくらいの頻度で起きるのだろう。そのなかでも私がその犠牲になる可能性はどのくらいあるのだろう、などと考えを巡らせている間に我々は指定されたボートに乗り込んでいた。我々のボートで舵取りと指図をするガイドさんはブリジッドという24〜5歳の若い女性。もと体操の選手だったとかでパドルの使いかたの模範が優雅である。

会社員の一人ジェイソンがブリジッドに、ボートをひっくり返した経験はあるかと質問すると「二年間やっていて一度もひっくり返したことがなかったんだけど、この間始めてひっくりかえしたわ。今年は水かさが例年より多いから流れが激しいのよね。」となんだか余計に不安になる答えがかえってきた。

ボートには子供や女性が多い場合には8人くらい乗る事もあるようだが、大人の男性ならガイドを抜かして4〜5人で充分。我々は男4人と女1人の5人チーム。ブリジッドは女性だがプロなので私たち5人を合わせたより力強く漕いでいた。

第一日目は、午前中はメンバーが慣れるまでクラス2から3までのコースで留め、お昼前にクラス4を一カ所こなして昼休みとのことだった。一番前は力強い漕ぎ手が必要なので、30代前半で濁流下りの体験がある体格のいいジェイソンとトリストンがそれぞれ左と右に選ばれ、ジェイソンの後ろがミスター苺、トリストンの後ろが若く未経験のシェーン。ミスター苺の後ろがカカシ。後部の舵取りはブリジットとなった。

漕ぎ方の指図は簡単で、「フォーワード」が全員前進、「バック」は全員後退、「ライトバック」は右後退左前進、そして「レフトバック」左後退右前進。その後に「フォーワード、ワン」と言われたら一回漕ぎ、ツーなら二回。回数が指定されない場合は「ストップ」(止め)と言われるまで必死に漕ぐ。

最初の一時間半くらいは、こんな調子で結構うまくいっていた。それでも初めてクラス3に出くわした時はちょっと緊張した。水しぶきで前が見えずに冷たい水でずぶぬれになった時は、これはディズニーランドのスプラッシマウンテンみたいな柔なもんじゃないと実感した。

お昼休みも近づいた頃、ブリジットが「この次の濁流はクラス4よ。私は色々言うから指図には速やかに従ってね。」と気合いを入れた。「イエーイ!」我々はまだ見えない濁流に備えて奮起の声を上げた。

ところが、クラス4に息つく前に予期せぬ事故が起きた。

今年の川ではビーバーが非常に活発に木を倒してダムを作っていたため、あちこちで倒れた木が我々の航路を塞いでいた。前日にはなかったようところで倒木に出くわすことが多く、この時も前方を見ると川の真ん真ん中に大きな木が倒れていた。

我々より先に通ったボートは皆右寄りに木をよけて通り過ぎて行ったのだが、ブリジットが倒木に気がついた時には我々のボートはすでに左の方に位置していたため、ブリジットは「レフトバック」と言って我々を左へ誘導した。しかし左側の水かさはブリジットが思ったよりも多く、我々では抜けきれないことが解った彼女は、とっさに「あ、だめだわ、止め、右後退!」と指図したが時既に遅し。ボートの右側が倒木に激突。右が高くなり左が極端に下がって傾いた。ブリジットの金切り声が「ハイサイド!ハイサイド!(高い方)」と指図したが、私が右側に登ろうとした時はすでにボートが傾きすぎて無理。私の身体はあっという間に水の中。

水中特有の「ぶくぶく」っという音が耳元でした時、私は思わず水をがぶ飲みしてしまった。それでも救命チョッキのおかげで、ほんの一瞬にして身体は水上に浮かび上がった。ほっと息をしたのはいいが目を開けても回りは真っ暗。なんだこりゃ? と一瞬戸惑ったが、ああ、これが最初に注意を受けたボートの下ってやつだなと悟った私は両手を上にあげて手伝いでボートの外に出た途端、濁流に飲み込まれた。「あれ、こういう時はラウンジチェアだっけボールだっけ」なんて考えている暇もなく流れから放り出された私は再び見ずの上に顔を出した。

ブリジットの「岸に泳げ!」と叫ぶ声が聞こえたが、右側は木ばかりで左側は岩ばかり。どちらも掴まれる場所などなさそうな感じで、どっちに行けばいいのか解らない。一応左側に向って泳ごうとしたが川の流れが激しくて岸にたどり着けない。そうこうしているうちに我々より先に木を避けたボートが川の真ん中まで漕ぎだしているのを見つけた。そのボートのガイドが「こっちこっち」と指図するので、そちらへ必死にクロールで泳いだ。

救命チョッキを着ていると、かなり泳ぎが巧い人でも非常に泳ぎにくいのだが、私のように泳ぎが下手な人間にはなおさら大変だった。それでもなんとかボートまでたどり着いた私はボートによじ上ろうとしたが、これもチョッキが邪魔でうまくいかない。「大丈夫よ、任せて!」と痩せた中年の女性が私のチョッキをつかんで後ろに倒れかかるように身体全体を使って持ち上げてくれた。私はその女性の上に覆いかぶさるようにボートに乗り込んだ。

私がぜいぜい言っていると、同じボートに救われたミスター苺が「カカシ!カカシ!」とヒステリックに呼んでる声がした。乗り手は皆ヘルメットを被ってチョッキを着ているので、ちょっと目には誰が誰だかわからない。それですぐ傍にいた私に彼は気がつかなかったのだろう。

他の4人はそれぞれ別々のボートに救われたが、パドルは二本流されてしまった。そして流れに合わせて見覚えのあるオレンジの容器が流れて行くのが見えた。それは北欧系特有の色白ミスター苺専用spf100の強度日焼け止めクリームだった。

木にひっかかって転覆したボートをガイド二人が取りに行っている間、岸に一時停泊した我々は被害を点検してみた。流されたのはパドル2本とミスター苺の日焼け止めクリーム。パドルは予備のものがあるし、日焼け止めはカカシのspf50を使えばいいということで、まあこの程度ならいいか、とほっとしたのもの束の間。今何時だろうと腕を見たミスター苺が「あ、俺の腕時計!」と叫んだ。

なんとミスター苺の腕時計が濁流に飲み込まれ流されてしまったのである。

実はこの時計、スクーバダイビングが好きなミスター苺がダイビング耐久ということで何年か前に購入したもので、だいぶ古くなってきたので買い替えようという話をしていたばかりだった。今回の旅行の前に買おうかどうしようかと迷っていたのだが、新しいものを買わなくて本当に良かった。流されたのが新品の時計だったら本当にがっかりするところだった。

20分くらいしてガイドたちは我々のボートに乗って戻って来た。

ボートから放り出されたメンバー5人とブリジットは再びボートに乗り込んだ。この状態が写真に撮られていたら記念になるのにね、と誰かが言ったが、特に危険な場所ではなかったためカメラマンは待機していなかった。残念。

July 24, 2011, 現時間 8:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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May 18, 2010

ネットで出会った不思議な日本人たち

旅行記 , 日常の出来事

以前に、カカシはネットサーフをしていて、とある日本人主婦のブログを見つけた。彼女はごく普通の中流家庭の女性で、関西地方の中都市郊外の中型の家に住み、子育ても終わって特に仕事らしいものもしていない専業主婦。その日のエントリーは。町内会の主催する日帰り旅行についてだった。バスの中で近所の中高年の主婦達と楽しい会話を交わし、行った先の景色や食べたものの写真などを掲載し、小さな孫達にお土産等を買った話をしていた。

私はこのエントリーを読んでいて微笑ましく思うのと同時に、なんと自分の人生とはかけ離れた生活なのだろうとつくづく思ってしまった。

カカシとこの主婦とは年代的にそれほど離れていないと思われる。日本人に生まれ日本人として育ったカカシが、もしごく普通の平凡な主婦としての生活を選んでいたら、カカシも日本で結婚して二児の母となり、今頃は子供たちの受験に追われてるところかもしれない。いや、もう二人の子供が大学生になっていて、ほっと一息入れているときかもしれない。

それがどうしてカリフォルニア南部に落ち着いて、年間何ヶ月も船上で過ごす船乗り紛いの生活をするに至ったのかというのは、それはそれで面白い話かもしれない。だが、世の中には、カカシなどとは比べ物にならないほど、奇想天外な生活をしている日本人がいる。

だいたいアメリカ、特にカリフォルニアやハワイあたりに落ち着くのは、日本人としてはそれほど珍しいことではないし、特に取り立てて冒険心も必要としない。だが、これが東ヨーロッパや中近東、東南アジア、などになってくると話は全然違ってくる。

カカシは数年前からネットを通じて、世界各地で活躍する日本人の方々に出会った。知り合いになって掲示板などを通じお話するようになった人もいれば、私が勝手にブログを読んでファンになった人たちもいる。

たとえば、某掲示板で知り合ったマレーシアで地域振興外国人スタッフとして活躍するアセアンさんとか、以前はイスラエルに住んでいて今はクロエチア住まいの写真家の千花さんなど、私など考えたこともないような場所での生活をしてらっしゃる。

そして本日、アフガニスタン関連の記事を探していて、ばったり行き当たったこのブログ。世界の笑顔に出会いたいのMESTさんという女性。

MESTさんも千花さんと同じように写真家で、アフガニスタンを含め中近東でボランティア活動などもしているようだ。ブログのトップページの紹介文では、

とても尊敬する写真家である”ボス”に出会い、彼の立ち上げたアフガニスタンのとある地域の学校を支援する活動にスタッフとして加わり、今年(2007年)初めて現地へ行ってきました。

この訪問で、あまりに多くの笑顔に出会い、この笑顔あふれる国アフガニスタンのことを少しでも多くの人に知ってもらいたい一心で始めました。

それと同時に以前から通い続けているエジプトの笑顔や現実もご紹介しています。

あんな危険な場所に頼まれてもいないのに出かけて行って働くなんて凄い人だなあ。

こうした感心する方々とは正反対だが、冒険心という意味では変わらない過激派のブログにも行き当たったことがある。例えばこのブログでも何度か紹介したテロ団体ISMに参加して、パレスチナまで行ってテロ援助をしたこともあるという女装趣味の自称変態運動家のひびの、なんていうけしからん奴もいる。ま、本人は慈善事業でボランティア活動でもしてるつもりらしいが、同性愛者は極刑に処すべき主義の過激派ジハーディストに同調して対イスラエルの暴力行為に加担するなど愚の骨頂だ。しかし、ISMのメンバーは逮捕されたり殺される可能性は多いにあるわけだから、情熱の矛先を間違えているとはいうものの、その度胸は認めざる負えない。

というわけで、今日は意図していたこととは全然違うエントリーになってしまった。(笑)

May 18, 2010, 現時間 12:11 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 4, 2009

クレタ島旅行記最終回:帰路ミュンヘン空港でハプニング

旅行記

クレタ島の旅行記が途中で放ったらかしになっていたが、実は最終回はリアルタイムで書いていたので、順を追って読んでいる読者のためにもういちどそのエントリーをそのまま転載する。

*****

イサーイ!(ギリシャ語で、『こんにちは』という意味らしい。でも『さようなら』という時にも使えるみたい。)

ギリシャから、数時間前に自宅のカリフォルニアに帰国したカカシです。四週間の長い滞在で、宿からのネットアクセスはゼロ、出張先付近のタバコの煙がむせるWiFiネットカフェで、仕事の合間に毎日一時間程度のアクセスしかなかったため、ブログ更新もままならず、読者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。

ギリシャでの旅行記はいずれまた日を改めてしたいと思うが、20数時間に渡る帰りの旅路はちょっとした冒険だった。

アテネからミュンヘンへの飛行機が遅れて、パスポートチェックをしてチェックインもしなければならないのに、接続時間たったの15分! しかもチェックインカウンターのアホ受付が「チケットナンバーがないので手続きできない。どうしても乗りたいなら新しく旅券を買え」などというので、カカシはぶっとんでしまった!同じe-ticketで、他の航空会社の飛行機を何機も乗り継いで飛んで来ているのに、今更何をぬかすんじゃ「予約コードがあるじゃろうが、それで調べられんのか、」というとドイツ人の金髪娘は「出来ません。」の一点張り。「あんたじゃ話にならん、上司を呼んで来い!」と怒鳴ると中年の男性が現れてピコピコっとキーボードになにやら入力して、手続き完了。「ほれみろ、できるでないの。」と思ったが、上司の男も部下の不能を謝る気配まるでなし。チケットナンバーのない書類を持っていたこっちが悪いと言わんばかり。田舎のローカル線、エーゲ海航空のおばちゃんでも問題なく手続き出来たのに、天下のルフトハンザがこの程度のことも出来ない馬鹿娘を受付に使ってるというのも、情けないね。

しかし、怒鳴ったのは大人げないと思ったので、「怒鳴ってごめんね。なにせ焦ってたから。」と一応金髪女に謝ったのに相手は、にこりともせず、「ふ〜んだ!」という顔でこっちの顔もみない。なんて失礼な奴!やっともらった搭乗券をもってゲートまで突っ走った。(ものすごく遠かったのだ。)

ところで、関係ないがミュンヘンから乗ったルフトハンザのスチュワーデスは皆背が高くて美人ぞろいで、往年のパンナムのスチュワーデスを思い出させた。昔、カカシが若い頃は、スチュワーデスになるのは若くてきれいな娘というのが定番だったが、今や「容姿端麗にて聡明な若い独身女性求む」なんて募集記事出したら訴訟沙汰になるだろう。当時のエアロフランセの募集記事には文字通り「容姿端麗」という言葉が使われていた。確か身長170センチ以上、英語、仏語、日本語のどれか二カ国語は堪能でなければならないという条件だった。今や、そんな有能な女性はスチュワーデス、おっとフライトアテンダント(日本語では何と言うんだ?機内添乗員?)を目指さなくても他にいくらも仕事が選べるだろう。

飛行機内に液体を持ち込めないという規則も本当にやっかいだ。アテネの免税店でバーバリーの香水を買ってユーロを使いきってしまおうと思ったのに、ミュンヘンの乗り換えの際にセキュリティーを通るからという理由で売ってもらえなかった。でも実際にミュンヘンではゲート変更だけで、セキュリティーチェックはなし!な〜んだ、それなら香水買えたのにとがっかり。

ゲート付近で係員から「どこから来たんですか?」と聞かれて、私は一瞬自分が何処にいるのか何処から来たのか思い浮かばず、「ミュンヘンです。」と答えて変な顔をされた。もう一度聞かれたが、また「ミュンヘンです。」と答えたので、相手は私が英語が解らないのだろうと思ったらしく、それ以上は聞かなかった。後々考えたら、「あ、今居るのがミュンヘンだった!来たのはアテネからだった!」と思い出したが、時既に遅し。どうりで係員は変な顔をしていたわけだ。

あっちこっち移動していたので、いったい自分がどこの飛行場から飛んで来たかなんて、いちいち覚えてられない。自分の席を探して座ると、なんと同じ列に会社の同僚が座っていた。「お前、なにやっとんじゃ、ここで?」と聞くと「ノルウェーに行ってたんだよ。コペンハーゲンから乗り継いだんだ。悪いか!お前こそ何処言ってたんだよ。」と同僚。

変な話だが、私は同僚と本社で顔を合わすことより、こうやって旅先の空港とか飛行機の中でばったり出会うことのほうが多い。つくづく出張の多い仕事だなあと実感してしまった。

October 4, 2009, 現時間 8:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 3, 2009

クレタ島旅行記第六話:真夜中のビッグファットウェディングパーティ

旅行記

アップデート:パーティでの写真はこちらをご覧ください。

翌日、ミスター苺と近所の海岸で一日を過ごし、我々がヴィラに返って来たのは午後8時半過ぎ。軽い夕飯をすますと、まだ10時にもならないのに二人ともぐったりと疲れきっていた。何故か日光浴は疲れるものだ。10時半までは起きていると頑張っていたのに、いつもは夜型のミスター苺は私より早く寝てしまった。

いびきをかいてるミスター苺の横で、わたしもうとうとしだした11時近く、私は外でがやがやとする人の声に起こされた。夜遅くだというのに我々のヴィラ付近に車が何台も来ては駐車する音がした。ついに我々のヴィラの門をガラガラと開ける音がしたかと思うと、表の庭に車が入って来て駐まる音までした時は、これはちょっと様子を観に行く必要ありと思い、私はパジャマに上着をひっかけて外へ出た。

外に出てみると、騒音は裏の管理人のタジースの家から聞こえて来た。タジースの家はヴィラマノスの裏庭から続いているので、そこを通って家の前までいくと、玄関の前にあるテラスで中年の女達が忙しそうにテーブルを設置し、数人の年配の男達が座ってタバコを吸いながら話をしていた。

男達の一人が、私に気づき、「何か用か?」と英語で聞いた。非常に失礼な言い方にむっとしたが、英語が片言しか話せないとしたら、ぶっきらぼうな言い方でも失礼で言ってるとは限らない。そこで気を取り直して、「音がしたので何かと思って来たのですが、、」というと、英語で話かけた男は奥になにかどなった。するとタジースが奥から出て来て笑顔で私に何か言い手招きを始めた。ワインを指差して私に飲めと言ってるようだった。私が解らずに首をひねっていると、最初に英語で話しかけた男が「明日タジースの息子のマノスが結婚するので、今夜は前祝いをやっている。私はタジースの兄だ。アテネからかけつけた。まあ座ってワインでも飲んでけや。」てなことを言った。そこで私は主人も呼んでくると言ってヴィラに走って戻った。

******

妻は興奮して戻ってくると、俺(ミスター苺)に服を着替えろと言う。「タジースの息子が結婚するんですって、今その前祝いやってるのよ!私たちも招待されたから早く行きましょう!」

寝ているのを起こされた俺はぶつぶついいながら起きて着替えると、まるで興奮した秋田犬が綱を引くように私の腕をひっぱる妻の後に従がった。(自分を犬に例えられたと知ったら妻はなんというだろう?)しかし、この宴会はこの旅行のなかでもハイライトのひとつとなった。

これはまさに本場ギリシャのビッグファットウェディングだった。タジースの家に集まった女たちは食べ物を持ち寄り、数々の皿を忙しそうにテーブルに並べていた。その内容はというと、ヤギのシチュー、雄鶏のロースト(残念ながら俺たちを毎朝4時に起こすとなりの雄鶏ではなかった)、ヤギと雄鶏の脂をたっぷり使ったおかゆ、ほうれん草入りのパイ、豆ともやしを蒸したもの、自家製のギリシャパン(イタリアのパンと似ている)、シロップのかかったイチジク(これは常食のようだ)、見た事のないお菓子もろもろ。そして大量な自家製ワイン。

***********

結婚式の前祝いなのに肝腎のマノスとその許嫁の姿はなかった。彼らは別の場所にいるらしく、翌日の結婚式や披露宴は別の場所で行われるらしかった。ミスター苺は多少英語の出来る親戚の男達と話の花を咲かせていたが、私は彼らから完全に無視された。そういえば、男達はミスター苺の名前はきいたのに、私の名前は聞かなかった。それにテープルの席についているのは男だけで、女性はひとり高価な服を来た偉そうな中年女性だけだった。どうやら席は男とVIPに限られているらしい。

そこで私は席をたち、家の中にはいっていくと、子供達が居間のテレビの前に集まってアメリカンアイドルならぬヨーロッパアイドルのような歌番組に見入っていた。今夜は決勝戦だそうで、ギリシャ代表がもうじき歌うらしかった。大人の女たちはというと、台所に集まってだべっていた。

なるほど、そういうことか。ギリシャの田舎も日本の田舎と同じだ。女たちは料理をし給仕をするが、男達と一緒に食卓についたりはしない。自分らだけ台所に集まっておしゃべりをする。子供達は子供達だけで別の食卓につく。私は特別なゲストだったので男達と一緒の食卓に座るのを許されたというわけだ。

私が台所に入って行くと彼女達は不安そうにじっと私を見つめたが、私が笑って食べ物を指差したりして話かけると、一斉にギリシャ語で話かけてきた。言葉が解らなくても女同士、なんとなく話が通じた。

*************

ここでふと気がついたことがある。明日結婚するという息子のマノスは当年38歳だ。子だくさんで大きな家族が自慢だったギリシャの家庭状況は大きく変化している。いや、それをいうならヨーロッパ全体が昔からは想像もつかにくらい極端に変わってしまった。この宴会に集まった親戚は20歳以下の若者と60歳以上の老人という二つのタイプに別れ、我々のような30代から40代の中年は一人も居なかった。唯一の30代、息子のマノスは許嫁とどこへやら行っていて居なかった。

俺はこれがヨーロッパの悲劇を表していると信じる。ヨーロッパは死につつあるのだ。いや、厳密ないいかたをすれば、人口減少による自殺をしつつあるといったほうがいい。人口は単に同数を保つだけでも一人の女性あたり2.1人の子供を生む必要がある。だが、ギリシャの出生率はなんと1.36人。ということは一世代ごとに人口は半減するという計算になる。これこそ文明の滅亡といえるのではないか。ギリシャがこの傾向を逆転させない限り、西洋文化発祥の土地ギリシャは20年から30年後にはイスラム教の国となってしまうだろう。

俺はマーク・スタインの「アメリカアローン」という本のイメージは嫌いだが、この事実を見せつけられると反論できない。ヨーロッパが滅びる前に西側諸国が目覚めてくれることを信じるしかない。

翌日は妻は仕事で朝が早いこともあり、まだまだ続いている宴を後に部屋にもどった。我々がまたうとうととし始めた午前2時頃だっただろうか、ホストとその客達が空に向けって銃を放ち始めた。どうやら本格的な祝いはこれから始まるらしかった。

October 3, 2009, 現時間 8:52 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 2, 2009

クレタ島旅行記第五話: クレタ島の食事は美味!

旅行記

クレタ島滞在中はネットアクセスが非常に乏しかったため苺畑よりの更新はあまり出来なかったのだが、カカシがルナというハンドルで書いてるダイエットブログの更新は話題が沿っていたこともあり続けていたので、今回はそちらから転載することにする。

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さて、ギリシャ料理なんですが、私にとってギリシャ料理といえばギロとかシシカバブーぐらいしか思い浮かばなかったのですが、こちらに来てみて、そのメニューの豊富さに驚いています。ま、アメリカの日本食レストランにいくと寿司以外は、天ぷらとチキン照り焼きくらいしか食べるものがないのと同じようなもんで、あれだけ見てたら、日本人はあんなもんしか食べてないんだと思われるのと同じですよね。

こちらに来てとても感激したのは、ベジタリアンのメニューがとっても豊富だということです。名前をちゃんと覚えてないので、あとで検索しておしらせしますが、(ネットの接続がとっても遅いので、リンクをつけるのがほぼ不可能なのです。ご了承ください。)チーズとジャガイモとなすを天火で焼いたキーシュのようなものや、ズキーニとほうれん草のような野菜をゆでてオリーブオイルとレモン汁で食べる山菜料理(英語でマウンテンベジタブルと書いてありました。)とか、とにかくお肉を食べない人、もしくは避けたい人には天国みたいなところです。

もちろんお肉料理や魚料理も豊富です。なにしろ島ですから海鮮料理はとっても新鮮!ゲソを揚げたカラマリも、衣がとっても軽くさっくりしていてとってもおいしい。イギリスのフィッシュアンドチップスとはかなり感じが違って、全然脂っこくないのです。チップスというのはイギリス語でフライドポテトのことですが、こちらのフライドポテトはマクドナルドのみたいに細長くなくて、太くて軽くておいしいです。もちろん出されたものを全部たべたりはしてませんが。

オリーブオイルを豊富に使っている割には、バターのなかにパスタが泳いでいるようなアメリカのイタリア料理なんかと比べて、全然しつこくない。考えた見ればギリシャ料理はバターを使わないみたいです。アメリカだと必ずパンについてくるバターも、特別に注文しないと出てきません。

ムサカとよばれるハンバーグみたいな料理はどこのレストランでも置いてますが、牛のひき肉の上にジャガイモをのせ一番上にチーズを乗せて焼いたものです。時々底に茄子がやズキーニがはいってたりします。

バクラバと呼ばれるお菓子は、普通アメリカなんかだとくるみが入っているので私は食べたことがありませんでした。それが、私が借りてる民家の管理人のおばさんが作ってくれたバクラバにはナッツが入っておらず、初めてたべたのですが、おいしかった!土曜日にハニヤという町のマーケットに行ったときも、あちこちのパン屋さんでくるみのはいっていないバクラバが色々売っていてとってもうれしかったです。

クリート島のパン屋さんて、日本のパン屋さんと似ています。おいてあるパンの種類も似たようなものが結構ありますよ。でも味はまったく違います。私は日本のおかずパンや菓子パンも好きだけど、ギリシャのパンも大好きです。ひとつが結構大きいので、これを一個買ってジュース一本あれば十分お昼ご飯になります。

ハニヤで買い物してスーダ湾を目の前にしたテラスのレストランでの食事は、茄子のディップとヨーグルトときゅうりのディップにブレッドスティック。これで女友達と二人で十分でした。

ちょっとお勧めできないのは、ワイン。なぜか酢と焼酎の間みたいな変な後味のあるワインが多く、特に白ワインは飲めたもんじゃない、というのが多いですね。ただ、食事の後にどこのレストランでも必ず出てくるラキと呼ばれる透明の飲み物は、熊焼酎のようにアルコール度が高く臭いですが、結構いけます。でも飲みすぎると二日酔いがひどくなるので要注意。

というわけで、ギリシャ料理を満喫している私でした!

October 2, 2009, 現時間 2:43 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 1, 2009

クレタ島旅行記第四話: ハニヤそのβ

旅行記

今回の旅行記はリアルタイムでミスター苺が書いて我々夫婦の英語版ブログBig Lizardsに掲載したものから転載する。

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クレタ島の音は犬のほえ声と雄鶏のコケコッコーと野良猫の鳴き声とさかな売りの声と大声で日々の冒険を友人たちと煙草のけむりをもくもくさせてがなりたてるギリシャ男たちの大声との大合唱。この時期(五月半ば)の気温は明け方は涼しく日中は蒸し暑く夜は騒がしく涼しい。

クレタ島に朝はない。少なくとも朝の生活を観察することはできない。一日の始まりは昼からで、レストランや商店が看板を「準備中」から「営業中」にひっくりかえすのは昼過ぎだ。 クレタ島の色は原色ばかり。ブラインドすら鮮やかな色に染められた壁の反射でまぶしく見える。ギリシャは典型的なヨーロッパ南部の国で、錆びの入った男たちがまだ子供もつくらず、短期な男たちや女たちがまだ争いもしていない国。何をするにも熱すぎるのか、でなければ蒸しすぎなのか、でなきゃ寒すぎるかもしれない。

ハニヤのインターネットカフェを出た後、俺と妻のカカシはインナーハーバーに向かった。イスラム経のジャニサーリース聖廟を通り過ぎ(その醜いコンクリートのドームは祈りの場所というより旅行会社のキヨスクみたいだ)東向きに復元した武器のある方向へ向かう。俺は復元されたミノア時代(紀元前1500年)のガレー船を見るのを楽しみにしていた。しかし行ってみると博物館はしまっていた。博物館が開いてるのは午前10時からだが、何故か午後3時に一旦閉めて再び午後6時から9時まであいているのだという。今の時間は午後5時。博物館があくまで時間があるので先に夕飯をすませることにした。

ガイドブックのアドバイスに従って、俺たちはアポストリス2というレストランで食事をした。これは元のアポストリス1からほんの三軒目くらいのところにあった。ここで俺とカカシは二人で魚のフライコンビネーションとグリークサラダ(トマトとキューリの上にフェタチーズが乗っていた。このチーズは俺が食べ慣れてるのよりぽろぽろしていた。)を分け合った。すべてすばらしくおいしかった。昼食を取ったレストランでもそうだったが、このレストランでもサービスでデザートが出て来た。今回はとろりとした蜜に付けてあるイチジクとヨーグルト。これはイチジクをヨーグルトに絡ませるのが必須。ヨーグルトにはバラの花びらの入ったシロップがかけられていた。ここでもラキというぶどうの皮と茎を発酵させたワインのような酒が無料で出て来た。(クレタ島ではレストランやカフェなどどこへ行ってもこの安酒がふんだんに出てくる。)

俺たちがクレタ島で食べたどの食事にも必ずついてきたのが、アメリカではステーキフライと呼ばれるこのフライドポテト。カカシにフラインドポテトは欲しいかと聞くアポストリスのウエイターに、カカシは他にどんな選択があるのかときくと、「フライかフライ抜き」とウエイターは当然という顔で簡潔に答えた。

食べきれなかった魚は翌朝の朝食にまわすことにした。さてここでこの魚フライのコンビネーションの内容をもっと細かく説明しよう。(俺が食べる話にずいぶん拘ってるようにみえたとしたら、その通り。何故って俺にとって旅行の楽しみは食べることにあるんだから。)籠のなかには海老、イカ、鯛、サディーン、そしてちょっと大きめのオレンジがかった名前不明の魚。それからタコも入っていた。これは他のと違って揚げずに焼かれていた。鯛は骨がやたらとあって取り除くのにはテコヅッタ。しかし他の魚は骨も一緒に口に放り込んで、えらも吸盤もすべて奥歯で噛み砕く事が出来た。

クレタ島での運転は冒険だった。特に市街地はひどい。先ず、ギリシャでは時速制限が地元市民と観光客を分けてしまう。センターラインは単なるガイドライン。普通は車線の右よりを運転し、後ろから車が迫って来たらエマージェンシーレーンに車輪がはみ出すくらい右に寄らないと、後ろから抜かす車に追突されかねない。なにしろ相手は前の車がよけてくれると思い込んでるからスピードを緩めたりしないのだ。また、対抗車が自分の車線に入って前の車を抜かそうとすることもよくあるので、そういう時もさっさと右によけないと危ない。

ま、一般的にクレタ島民は運転はうまい(少なくとも技術はある)のでこんな運転でも大丈夫なのだが、俺たちは隣の小さな町に行く途中でパトカーがすごい勢いで走って行くを見かけた。しばらくすると道路脇の溝に嵌ってひっくりかえってる車を見た。警官達は車のなかから運転手を救出しようとしているところだった。それを見てからは妻は一日中びくびくしながら運転していた。

クレタの道路地図を手に入れるのは不可能に近かった。道の名前は数ブロックごとに変わるし、それですらほとんど表示がない。主流な都市名や道名はギリシャ文字とローマ字の両方で表記されているが、大事な表記はほとんどがギリシャ文字。時間をかけてゆっくり読めば、発音することも出来なくはないが、せせこましい混み合った道を他の車にぶつからないように走ってる間に一瞬にして読めるようなものではない。

「ここ」から「あそこ」へ行く唯一の方法は、大きな地図をみてだいたいどの方角に行けばいいかとで決めるしかない。例えばハニヤはナショナルロードのスーダベイ/ハニア出口から北西に行ったところ、というように。そして道路標識など無視してコンパスをたよりにひたすらに走り続ければ、いつかは見慣れた町にたどりつくというわけ。

*********
カカシ追記:ミスター苺とハニヤに行った時は、ミスター苺のコンパスをたよりにして完全に迷ったが、後で同僚のジェシーと二人で行っ時は、ちゃんと道路標識に頼ってまるで迷わずにすんなり町の中にはいることが出来た。ミスター苺は考え過ぎなんだよなあ、、、

October 1, 2009, 現時間 7:04 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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September 28, 2009

クレタ島旅行記第三話: ハニヤ(Χανιά)そのα

旅行記

アップデート:ハニヤの写真はこちらでご参照ください。

クレタ島についた翌日は仕事は休み。30時間近い時間をかけての移動の後で翌日から仕事などとんでもないと思ったので、私はわざと他のメンバーたちより早めの到着にした。同僚のジェシーは一応オフィスに顔だけ出しておくといっていたが、私とミスター苺はこの日はハニヤのオールドタウンを訪れることにした。

我々のヴィラがある村はアプタラと呼ばれる小さな村だが、ここから車で30分くらいのところにハニヤという比較的に大きい町がある。サインにしたがって平坦な自動車販売店が建ち並ぶ道を走っていくと、突然ごみごみした街中に入ってしまった。どうやらミスター苺が駐車は不可能だと言っていたオールドタウンに入ったらしい。ミスター苺は大昔に米海軍で戦闘機のナビゲーターをしていたことがあるせいで、いまだにその癖が抜けない。彼は常に私に運転させ「あっちだ、こっちだ」と指し図するのが得意だなのだが、コンパスをみながら北西に向かえばいいと言うミスター苺のナビゲーションにしたがって運転していたら、我々は完全に迷子になってしまった。

わけのわからない、石畳の車一台がやっと通れるような坂道をくねくねと走り回っているうちに海岸線の道についた。ハーバーからは遠くないはずだと考え最初にみつけた駐車場に車を停めた。ギリシャ語のサインがあったが、なんと書いてあるのかわからない。駐車場の目の前にあるカフェにはいり英語で道を尋ねると、店員には英語がまったく通じない。カフェのテラスでコーヒーを飲んでいた中年の男性が、「何処へいくだね?」と片言英語で尋ねてきた。

ハーバーへ行きたいんですが、というと我々は西過ぎるという。もっと東に向かえばハーバーがある。「歩いても1キロもないよ」と教えてくれた。駐車場はこのカフェの客のためのものだったらしいのだが、無料で駐めておいてもかまわないとのことだったので、車はそこにとめたまま歩くことにした。

ハニヤの町は西端と東端に古い壁がある。多分昔は四方八方壁に囲まれていたのだろうが今は西と東の壁だけが残っている。西側から町に近づいた我々は西壁に突き当たった。壁は崩れかけており、日本の城の堀を思い浮かばせるがそれよりもずっと古いのか、誰も修理をしないせいなのか、古墳のような感じだった。

クリート島にいて気が付くことは、何気なく歩いていると、何百年もしくはニ千年以上も前の建物に出会うことだ。ハニヤは地球上でもっとも長く継続している都市なんだそうで、最初のミノア文化、ギリシャ、ローマを通じてずっと四千年も現役の都市として存在してきたというのだから、さもあらんというものである。

ちょっと歩いてニュータウンと呼ばれるハーバー付近の町中に入った。大して大きくないハーバー付近は何軒ものレストランがずらっと並んでいる。日本の市場のように呼子がいて、観光客を引き込もうとかなり積極的な呼び込みがされている。ミスター苺はガイドブックを読みながら、グリークオーソドックス協会が近くにあるからそこへ行こうと歩き始めた。すると角に大きなスターバックスの店があった。

変な話だが、クリート島でただひとつアメリカらしいものを見たのはスターバックスだけ。世界中の何処にでもあると思っていたマクドナルドにはまったく出会わない。ハンバーガーやホットドックやピッツァの店はあったが、ガイドブックでも警告されている通りメニューにやたらアメリカ風の品がある店は値段も高く味も落ちるので避けたほうがいい。これは日本でも、やたら英語のサインの多い店は外国人相手に法外な値段を吹っかけるのと同じだ。

スターバックスを後ろにして南に向かって狭い道を登っていくと、このあたりは小さいがおしゃれな店が建ち並んでいる。道幅は人が並んで三人通れるか通れないかというくらいの狭い道なのだが、ニュータウンにはこういうウサギの穴みたいな狭く曲がりくねった道があちこちにあり、迷うおうがどうしようが信じられないほど素敵な店が並んでいるのだ。そして意外なところで自分の気に入った服だのかばんだの財布だのを見つけることが出来る。私は日本で探しまくってついに見つけられなかった小銭入れのガマグチを、ハニヤのニュータウンで見つけてしまった!

スターバックスを基点に東へちょっと行ったところにグリークオーソドックス協会がある。カトリック教徒のジェシーに言わせるとグリークオーソドックスはカトリックと酷似しているが多少違うところがあるそうだ。中に入ってみて気が付いたのは、カトリック教会なら必ず真正面にあるイエス・キリストの像がないこと。また祈りのためにひざまずくピューと言う台がないことなどに気が付く。たいていの場合カトリック教会は教会内での写真撮影は現金だが、ここではいくらフラッシュをつかった撮影をしてもおかまいなし。神父の衣装も変わっていて、長く白いひげをはやして黒いローブを着ていた坊さんをみて、ミスター苺はユダヤ教のラーバイみたいだと言っていた。

ところで、我々のヴィラからはネットアクセスは全くなかった。旅行会社の話では歩いていける距離にネットカフェがあるということだったのだが、そんな場所は見当たらない。ハニアまで行けばネットカフェがあるとのことだったので、ひとまずミスター苺はそこへいってブログ更新をしたいと言う。まあいい。私はカフェでコーヒーでも飲んでればいいのだから。

September 28, 2009, 現時間 2:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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September 27, 2009

クレタ島旅行記第二話: ヴィラ マノス

旅行記

アテネ空港から約三十分の飛行で、カカシとミスター苺、そしてカカシの同僚の事務の女性ジェシーの三人は午後2時ごろハニア空港に到着。知らない土地で、しかも外国で、旅行会社からもらったおぼろげな道順だけを頼りに運転するのは心細かったので、私は色々工夫して昼間の到着を選んだのだが、これは正解だった。

ギリシャの道には標識というものがない。高速の出口やメジャーな町への標識はあるが、道そのもに名前というものがついていないようだ。(街中では道に名前があるところもある。)この点は日本の道路と似ている。似ているといえば、道がものすごく狭く込み入っているということも似ている。これは街中でも田舎道で同じだ。もともと羊やヤギくらいしか通らないような道がそのまま車の走る道路になったらしい。

しかし、北海岸にいる以上北向きが海なので、わからなくなったらナショナルロードといわれる湾岸を走る高速を見つければ、いずれ自分の行きたいところへたどり着ける。そういう点では迷子になってもさほど迷わないうちに行き先にたどり着ける。

空港は山の上にあり、まずこの山道をくねくねとふもとまで降りなければならない。その後高速にのって数キロいったところを降りる。そこから再びくねくねの道を登っていく。中腹のところまでくるとホテル会社からもらった道順通りミニマートがあった。しかし、そのわき道を曲がれとあった道は急な坂道で非常にせまく、とても車が入っていくような道にはみえなかった。これは私の日本の実家のまえにあるあぜ道かと思われるような狭い道路と似たり寄ったりの道だった。

そのあたりを色々走り回って、結局このわき道以外にないと上っていくと、これがまた急な坂道で、あちこちくねくねと曲がっていた。丘を登りきったところで右に曲がれとあったので、曲がるとさらに急な坂道の左側に我々の宿「ヴィラ マノス」と看板のかかった石造りの可愛い家が建っていた。つくづくオートマを借りてよかったと思った。

ヴィラマノスは二階がない平坦な箱みたいな家なのだが、ギリシャにはこういう四角い家が多い。日本のような三角屋根は先ずみかけない。小さな家でもそれぞれに低い石の塀によって囲まれている。マノスの塀の上にはブーゲンビリアの花がたくさん満開に咲いていた。塀の内側にはピンクや黄色のバラの花がギリシャの強い日差しを浴びていた。

ベランダに出ると、そこからスーダ湾を見下ろすことが出来る。そして、今上ってきた山道がくねくねとヴィラに続いているのが見え、かなり高いところまで来たんだなと実感した。それにしてもクリートの海はなんと青いのだろう。これこそ藍という色だ。これはカリフォルニアの薄い水色の海や、東海岸の灰色の海や、ハワイのエメラルドの海とも全然違う。エーゲ海の海は深い深い藍色だ。

裏庭には結構良いサイズのプールがあった。つま先をつけてみるとちょっと冷たすぎる毛があったが、もう少し暑くなれば十分だろう。プール脇でミスター苺としゃべっていると、汚いズボンをはいた庭師のような中年の男がどこからともなくにょきっと現れた。

「うえるかむ、うえるかむ。」と下手な英語で言う男の下の前歯が抜けていた。男は「ようこそ」以外の英語は知らないらしく、何かしゃべっていたが、そのしぐさから、この男の名はタジースといい、このヴィラの管理人らしいということがわかった。ジェシーと私は他のヴィラはどこにあるのかとたずねたが、彼には我々が何をいっているのかさっぱりわからないらしかった。まあ、いい。道順は聞いてるので、後で散歩がてらに探せばいい。

まだ時間はある。

September 27, 2009, 現時間 2:26 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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September 26, 2009

クレタ島旅行記第一話:ギリシャ出張決まる?

旅行記

2009年5月某日

ギリシャはクレタ島に来て二週間が経った。仕事で来ているので思うように観光にはいけないが、言葉の通じない外国で四週間過ごすというのは結構おもしろいものがある。今年の7、8、9月はカカシにとって非常に忙しい月となるので、今のうちに旅行記を書き溜めておき、アクセス不能な時に合わせてアップすることにする。それで読者諸君がこの旅行記を読む頃にはカカシはまったく別の場所に行ってるかもしれないが、ま、そのへんは「苺畑より」の愛読者の皆様なら、もう十分にご承知のことと思う。

三月の里帰りを済ませてカリフォルニアに帰ってきたカカシに出張日程を決めるMが「カカシ、君の好きそうな出張があるよ。行ってくれる?」と近づいてきた。なんと行く場所はギリシャのクレタ島。ヨーロッパはイギリスくらいしか行ったことがなかったカカシなので、二つ返事で承諾。最初の一週間は結構暇だと上司が言うのでミスター苺も最初だけ一緒に行くことになった。

しかし、一口にギリシャと言っても、いったいどんな国なのか、職場とホテルの地理関係や交通機関やネットアクセスの状況など我々には皆目見当が付かない。ガイドブックでは結構タクシーは安く気軽に乗れると書いてあったのだが、実際にハニヤ空港近くにあるオフィスに行ったことのある同僚に色々話を聞いてみたところ、バスやタクシーはあるにはあるが、それは観光地の街中だけで、我々のオフィスのある田舎の方になると交通機関はないにひとしい、運転できないとどこへもいけないと警告された。また、レンタルカーはたいていがマニュアルでオートマティックトランスミッションではないので、予約するときにオートマと指定しておかないと必ずマニュアルになるとも言われた。

クリート支店にいるコネの紹介で宿を取ることになったのだが、一緒に行く20数人のほかの連中もみな同じホテル会社を使って予約するというので、私は紹介のまま予約を取った。送られてきたヴィラと呼ばれる宿のウェッブサイトでは、ヴィラとはホテルではなくワンベッドからスリーベッドルームの一軒屋だとあった。ミスター苺はウェッブサイトをじっくり読んでいたが、私は特にきにしなかった。それというのもこれらのヴィラは同じ敷地内にいくつも建売住宅みたいに建ち並んでいて、ほかのチームメンバーのヴィラへは歩いていける距離なのだろうと思ったからだ。チームとは一緒に行動するというのが出張中の原則なので、気に入ろうと入るまいと知らない土地でメンバーと離れるのは嫌なので、そのまま予約した。

宿の予約も私とミスター苺の飛行機の予約もすべてすませて、完全に観光気分のミスター苺が何冊もガイドブックを買いあさって読みふけっていると、突然上司から「カカシ君、もしかすると場所が変わるかもしれん。」といわれた。得意先の都合でクリート島ではなくシシリー島にいくかもしれないというのである。「シシリーってイタリアの?」上司は苦虫を噛み潰した顔でうなずいた。

上司も奥さんを連れて行く予定で、すでにキャンセル不可能の航空券を予約してしまっていた。また、我々の予約したヴィラは一ヶ月以内にキャンセルすると前払いした全額の40%が返ってことないことになっている。予定が変更されればそれぞれのメンバーが何千ドルという損失を食うことになるのである。20数人いるチームのメンバーたちはみな同じ状況であったので、この変更には内乱が起きそうになった。

一週間ほど得意先との交渉が続き、みな爪を噛みながら結果を待っていたが、上司が私の机まできて、「カカシ君、やっと予定が決定した。行き先はサイプレス島だ。」という。サイプレスっていえばギリシャとトルコが所有権めぐって戦争してるところじゃないの?ご冗談でしょう、、というと上司は「ははは、冗談だ。クレタ島におちついたよ。」と笑った。笑うな!

というわけで、すったもんだの末カカシとミスター苺はギリシャへ旅たつこととなった。

September 26, 2009, 現時間 2:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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May 20, 2009

ネットアクセスほとんど不能なクリート島

旅行記

読者の皆様こんばんは。

ギリシャはクリート島から書いているカカシです。

このあたりはWiFiは結構ありますが、ケーブルコネクションはゼロに等しい。しかも、私が滞在している民宿には電話もない!おいてあるテレビはギリシャ語だし、英語の番組はあほみたいなドラマばっかりで、ニュースが観られない。

職場で他人のコンピューターを借りてネットサーフをするのがせいぜいなのでブロギングは週末にネットカフェに行ってやろう。

書きたいことはたまっているが、そういう状態なので今しばらくお待ち願いたい。留守番は一足先に帰ったミスター苺にしてもらう。

では、また!

May 20, 2009, 現時間 7:18 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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May 13, 2009

ギリシャに着いたカカシ

旅行記

昨日ニューヨークから9時間の飛行でテネ空港に到着。三時間の待ち時間を経て、アテネから約三十分の飛行でクリート島に到着した。

ミスター苺と同僚のジェシー(女性)とカカシの三人の旅だったのだが、ハニア空港でレンタルカーを借りて、我々の泊まるビラス・マノスを探し当てるのに一苦労。詳しい話はまた後で時間のあるときにゆっくりしたいと思うが、曲がりくねった狭い道や通りに表示がないのは日本の道とよく似ている。

今日は仕事がないので、ハニアの海岸にあるオールドタウンというところに来ている。自分のコンピューターをつなげるネットカフェにいるのだが、ミスター苺が二時間もネット時間を使ってしまったので、カカシに残されているのは数分。

ここで食べる食事はすべてとてもおいしい。特にラキという焼酎のようなお酒が気に入った。

写真もたくさん撮っているので、後でアップロードしたいと思う。

では短いが今日はこれまで。

カカシアウト

May 13, 2009, 現時間 7:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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September 10, 2008

ネット復帰、佐世保感想記

ネット情報 , 旅行記 , 日常の出来事

読者の皆様、二週間のご無沙汰でございます。実は九州は佐世保に出張しており、私のノートパソコンとホテルのネット接続の馬があわず、ネットにはつながるものの日本語での書き込みは不可能な状態でした。その間に大統領選挙のこととかいろいろあって、皆様にもお話したいことが山ほどあるのがたまったままです。週末に向けて時間の許す限りこれまでの経過などお話していきたいと思います。

ひさしぶりに日本で何週間も過ごし、しかも九州という私の実家とはまったくかけは離れた場所での生活は非常に興味深いものだった。

私の泊まったホテルは米軍基地から歩いて10分という繁華街のなか。泊り客の半数近くが米軍関係の民間人技師。国籍はアメリカ人だが、そこはアメリカ。人種はヨーロッパ系だけでなく東南アジア系やアフリカ系もいろいろだ。今回の企画のためにあつまったうちらのチームだけでも20人は楽にいる。年頃も20代後半から40代半ばの野郎どもばかりで、仕事が終われば毎日宴会。このへんはやることといったら飲んで食べるくらいしかないから仕方ないといえば仕方ないのだが、こんなやつらに付き合って二週間すごしたこっちはもうへとへと。

こいつらはこれまでにも何回も佐世保の基地には来たことがある連中で、このへんの飲み屋にはやけに詳しい。日本語などほとんどしゃべれないくせに、なぜか「飲み放題」とか「食べ放題」なんて言葉だけは知ってる。

一緒に食事に出かけて気がついたことは、このへんでは人種差別が横行しているということだ。あからさまに「日本人客のみ」という看板が出ているところもあるが、そうでないところでも差別の仕方はかなり微妙だ。白人の同僚数人と一緒に居酒屋へ行ったときのこと、アメリカ人はカウンターを好むので入り口近くのカウンターに座りたいというと、店員はカウンターは場所がないといった。場所がないもなにもカウンターには誰一人座っていない。空っぽなのである。カウンター近くに個別のテーブルがいくつかあり、そこには日本人客がいたが、真ん中の広々としたカウンターには誰も座っていなかったのだ。

店員は二階なら誰もいないので、かえってわれわれには適しているのではないかと促した。二階へ上がると、大きな畳の個室があてがわれたのだが、誰も座れない。というより私はスカートをはいていたので男たちの前でまさか胡坐もかけない、というのが本当の理由)。結局掘りごたつ風になったテーブルのある個室にかえてもらい、二階で他の客に遠慮せずアメリカ人並みのドンちゃん騒ぎができたので、良かったといえばよかったのだが、どうも変な気持ちがしたものだ。

別の夜にまた二人の白人を含めた5人くらいで旨いと評判のすし屋へ行った。アメリカ人だが東洋人の同僚が一人で行った時はカウンターに座って好きなものを頼んで楽しかったので、今回もみんなでカウンターに座ろうと、アメリカの寿司バーのつもりでカウンターを希望したが、ここも席が空いているのにだめだといわれた。店員は私の目を気にして「5人は並べないので、、」と見え透いた嘘をついた。白人がカウンターに座っていると他の客が居心地が悪いからだと正直にいえばいいじゃないか、とは思ったが、一緒に居た白人女性の同僚が「どうしてカウンターは駄目なの?」と私に聞くので、私は「予約がはいっているらしい」と答えた。こんなところで議論をしても意味はない。

やはり白人の同僚と5人で焼き鳥屋へ行ったときも同じように断られた。そのときはカウンターにすわっていた日本人のサラリーマン二人が気を利かせて、「いいよ、いいよ、俺たちが席変わるから」といって少しずれてくれた。店員は断りきれずに我々をカウンターに座らせてはくれたが、サービスは最低だった。そこまで差別しなきゃならい理由があるのかと私はかなり腹が立った。私が英語で「この娘にはチップはやらないよ」というと、一緒にいた同僚がどっと笑った。日本語がわからなくても同僚たちは空気を察して、「この店には二度と来ない」と口々に言った。

もっとも佐世保は米軍基地でもってるところもあるので、アメリカ人には友好的で居心地のいい場所はいくらでもある。いや、そういう場所のほうが多いといったほうがいいだろう。たいていの人は親切だ。

面白いと思ったのは、表通りにある飲み屋などは、ほとんどの経営が日本人によるもので、ママさんやホステスの英語はまあまあだが、品はいい。このへんに来る客はアメリカ人でも水兵ではなく金ぶりのいい民間人が多い。ところがひとつ裏にまわった「セイラータウン」と呼ばれる路地に固まってある飲み屋は見かけもみすぼらしいが、中に働く女たちのほとんどはフィリピン人。フィリピン人は英語が話せるのでアメリカ兵らに人気がある。このあたりは私のような人間が行くような場所ではないが、知り合いにフィリピンバーが好きな男がいたので、一度だけ行ってみた。身体にぴったりした胸や足を出しすぎのけばけばしい格好の女たちが、あきらかに水兵とわかるアメリカ兵の太い腕にへばりついていた。まるで安い映画の一こまのよう。時代や場所が変わっても繰り広げられる画像に変わりはない。

日本人バーの経営者らとフィリピンバーのオーナーたちは仲が悪い。ま、商売仇だからしょうがないのかもしれない。

実家に戻ってきて両親に撮った写真をみせていたら、宴会の写真ばかり。「あんた佐世保でなにやってたの?」と母にきかれてしまった。まったく仕事はどうなったのよカカシさん?

私も船にのってアメリカへ帰ればよかったかな?


September 10, 2008, 現時間 11:07 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

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July 19, 2008

ハワイ島、溶岩大地のなかで迷子になった苺畑夫婦

旅行記

もう先月のことになるが、チリのチャイテンで一万年も休火山だった火山が爆発したという記事を読んで、9年前に苺畑夫婦が新婚旅行の際ハワイのビッグアイランド(ハワイ島)へ溶岩を見に行った時の話を思い出した。それで本日は苺畑夫婦の溶岩訪問の思い出話をしたいと思う。

ミスター苺は火山活動に関する小説を書きたいと考えていたので、苺畑夫婦はハワイ島にある国立火山研究所を訪れた。所長さんの名前は忘れてしまったが、日系人の気さくな人で、空手キッドのパット森田そっくりだった。

研究所の中を色々見学させてもらい、研究生対象の授業まで受けさせてもらった後、我々夫婦はキラウエア火山国立公園で溶岩の上をあるくハイキングに挑戦した。こちらの観光サイトによると、

ハワイ火山国立公園内には、「キラウエア・カルデラ」と「キラウエア・イキ火口」を取り巻くようにクレーター・リム・ロードがぐるりと1周しています。個人差はありますが、ざっと見て回って 1時間から3時間かかります。

そのクレーター・リム・ロードから海に向かって片道32キロのチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが走っています。展望台もある景色のいい道です。この道は流れ込んだ溶岩によって行き止まりとなります。

行き止まりとなったところからは、真っ黒でゴツゴツした溶岩が広がる大地の上を歩くハイキングができます。溶岩大地のハイキングは、運動がしやすく履き慣れた靴(できれば紐のついた靴)と長ズボン、そして忘れずにお水を持参しましょう。

また、 雨が降ると溶岩の上はとても滑りやすくなるので十分注意してください。

万一、夕方にかかり暗くなることが予想される場合には、必ず “1人 1本”の懐中電灯を持参してください。

ここで書かれていないことに、溶岩が流れているところまで歩いていくには一時間以上のかなりキツいハイクが必要だということがある。しかも溶岩はすでに固まって冷たくなっているものも、まだ熱くドロドロしているものも、どちらも銀色に光っており全く区別が付かないということである。

ガイドなしでむやみやたらに歩いていると、固いと思って踏みつけた地盤が崩れて、下は灼熱の溶岩だったなんてことになりかねない。それに日が暮れたら周りはどこもかしこも同じ様な景色なので懐中電灯など持っていてもほとんど役にたたない。どんどん帰り道から遠ざかってしまう可能性がある。

上記のサイトでもあるように我々はチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが溶岩で塞がっているところから歩き始めた。一応お水はたくさん持って行ったのだが、溶岩の上を歩くというのは思ったよりも大変だった。

岩がごつごつしているというが、そんな生易しいものではない。まるでガラスの破片の上を歩いているような感覚で、しっかりしていると思った足場がガシャッと崩れて、その度にバランスを失う。

我々はだいたいこっちの方角だろうと一時間ぐらい当てずっぽうに歩いていたら、周り中同じような銀色の地肌が続くため、何がなんだかわからなくなってしまった。

これではいつまでさまよっていても赤く流れる溶岩など見られないだろう、いやそれだけではなく、どうやって帰ればいいのかさえ怪しくなってきた。

そこへ背の高い金髪の若者につれられたやはり背の高い数人の若い男女が通りかかった。先頭を歩いていた青年は地元のガイドで、シャツを脱いで腰にまいてる青年の裸の肌は赤ちゃっぽく日に焼けていた。後ろの男女はドイツ人の観光客だった。そこでミスター苺はガイドのおにいちゃんに「お金を払うから一緒に連れて行ってほしい。」と頼むと、「お金は要らない。付いてきたければ付いてきてもいいが、日暮れが近いので急ぐからそのつもりで」と言われた。

ガイドの青年も観光客の若者たちも皆背が高く年齢も我々より10歳は若い。中年で背も低く小太りの我々に比べたら人種どころか種別が違うのではないかと思われるような体系だ。彼らがエルフなら我々夫婦はさしずめホビットである。

我々のこんな短い脚ではどうせ付いて来れないだろうとガイドは踏んでお金を断ったのだろう。

しかしここで置いて行かれたら、溶岩が見られないどころの騒ぎではなく帰れないかもしれないと思った我々は彼らの長い脚についていくべく必死に歩いた、、、というより彼らにとっては早歩きでも、我々ホビット夫婦にとってはほとんどジョギング状態で一時間以上走るはめになったのだ。

突然ガイドが立ち止まり、指を指した方向をみると、銀色の地肌の下を赤く流れる溶岩が見えた。溶岩が目の前にあるのにほとんど熱さを感じないと思っていたら、突然風向きが変わり、まるでオーブンを開けたようなむっとする熱風が我々を襲った。



KilaueaVolcano

キラウエアの溶岩

我々の立っているところからちょっと離れたところに、銀色の宇宙服のような耐熱防着を着た人数人が火山の中を見下ろすように立っているのが見えた。多分研究所の科学者たちだろう。

10分くらいそうやって流れる溶岩に見入っていたが、ガイドが「日が暮れる」とかなり焦り始めた。慣れているガイドでも日暮れの溶岩は怖いらしい。ガイドは再び早歩きを始めたが、今度は彼自身も小走りで、行きはふざけながら歩いていた観光客らも帰りは沈黙してまじめに走っていた。そのう後ろを走ってくっついていくホビット夫婦はもう必死である。

日がほとんど西の空に隠れる頃、我々はようやく元の駐車場近くまで戻ってきた。不思議なことに我々夫婦は確かに疲れてはいたが、息がつけないほど荒れていたわけでもなく、看板あたりに集まっていたほかの観光客とだべったりする余裕があったが、あれだけ元気だったガイドやドイツ人観光客は皆座り込んで靴を脱いでいた。特にガイドのお兄ちゃんの足は水ぶくれが出来ていてかなり痛々しかった。

さっすが苺畑夫婦はホビットだけあって足に毛が生えてるのかな?

July 19, 2008, 現時間 11:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 17, 2008

カネオヘ湾でカヤックと格闘した苺畑夫婦

旅行記 , 日常の出来事 , 移民問題

ミスター苺はいつもカカシに冒険的なことをやらせたがる。私としてはワイキキビーチでマイタイをすすりながら寝そべっているだけで充分なのだが、ミスター苺は何か危ないことをやってないと気に入らないひとだ。しょうがないので今日はカネオヘ(Kaneohe Bay)湾にてカヤック乗りに挑戦することとなった。こちらにゴージャスな写真が載っているので参照のこと)

我々は「ゴーバナナ(Go Banana)」というカパフル通り(Kapahulu Avenue)にあるカヤックのレンタル店でカヤックを借りた。店の店員が車の上にカヤックを結びつけるやり方を簡単に教えてくれた。借り物だ、失くしてしまったら元も子もない。海水と日差しですっかりこんがらがっている長い金髪の日焼けしすぎの若い店員は、我々に救命チョッキと、ドライバッグという防水の袋を渡した。それが済むと我々はずらずらと注意事項が並んでいる書類に何枚も署名させられた。しかも万が一の時にお店には全く責任がないという内容のものばかり。 待てよ、救命チョッキは常備着用とか、なにがあってもお店を訴えるナとか、もしかしてカヤキングてそんなに危険な活動なの?「もし転覆したどうなるの?」とミスター苺が店員に聞くと、お兄ちゃんは今日の海はとっても静かだから全く問題ないよと答えた。「第一、ずっと浅瀬だもの、歩いたって大丈夫なくらいだよ。」救命チョッキも着ていることだし、もし転覆してもちょっと濡れるだけの話、どうってことないさ。

なんだか心もとない保証だなあ。私は100%安心したわけではないのだが、すでにカヤックは車の屋根にくっついてしまっているし、今更行きたくないなどというわけにもいかない。ま、しょうがないか。

カノエヘ湾を見つけるのは全く問題なかった。しかしカヤックを駐車場から桟橋まで運ぶのは一苦労だった。店員はカヤックはたったの70ポンドだとミスター苺に言ったという。カカシは自慢ではないが、長年にわたってかなりの筋トレをしていきたのでミスター苺と半分づつの35ポンドくらいの重量を運ぶのはなんということはない。だが、二人がかりでこれだけ苦労して運んだこのボートがたかが70ポンドだなんてことは絶対にありえないと断言できる!

えっちらおっちらとふたりでふらふらと長~い道のりを苦労しながらカヤックを運んだのに、何と着いたところはボートの出発点でカヤックを始めるところではなかった!カヤックの出発点はカヌービーチというところ。そんなこと誰も教えてくれなかったじゃないかあ~、などと言ってみても遅い。「せっかくここまで来たんだから、ボートランチでもええやん、ここから始めよう」とカカシ。なにせカヌーランチまでは今来た道を引き返したうえに、別の桟橋まで運ばなければならなかったからだ。しかしモーターボートや中型の船が出港するボートランチからのカヤック出航はたいへん。なにせこれらの大型船に轢かれない様に必至で漕がなければならなかったからだ。

我々の目的地はカパパ島、浜辺から2.25マイル沖合いの島だった。

言い忘れたが我々は二人乗りのカヌーに乗っていたので、最初はお互いのパドルがぶつかりあったりして進み方はかなりゆっくりだった。しかし、だんだんとリズムがわかってきて結構スムーズに進むようになった。ミスター苺によると、途中に沈没した島があるという。私にはそれがどういう意味なのか解らなかったのだが、とつぜん海の色が深い青から薄い緑色に変化した。しかも海底がすぐそばに見えてきたのである。カヌーのすぐ下にさんご礁が見えた。まるで丘の上を浮かんでいるようだった。

ここでミスター苺は、この沈没した島の上を歩いてみようと言う気になった。それはそれでいいのだが、彼は私にそれを言わずに突然カヤックから飛び降りた。私が何事かとおもって振り向いたのがいけなかった。バランスを崩してカヤックは半回転して、あっという間にカヤックの中にはいっていたお弁当もペットボトルもカカシともども海の中。

エメラルドの海面から見たときは、海はかなり浅く見えたが、実際には4フィートくらいの深さだった。私の背が5.2フィート(158センチ)だから4フィートなんてどうってことないと思うかもしれないが、救命チョッキを着ているうえに、波が結構あったので、我々は自分達の体を思うようにコントロールできない。まるでコルクのように海に浮かんで波が来るたびに上がったり下がったりしてしまうからである。我々のパーカやペットボトルやTシャツやお弁当が、どんどん波に乗って遠ざかっていくのを泳いで追いかけるのは一苦労だった。

なんとかパーカとシャツとお弁当は取り戻したが、水の入ったペットボトルの一本は逃してしまった。今日一日二人で一本のペットボトルで過ごさなければならない。しかも我々はまだカヤックの上ではなく海の中である。

カヤックに乗るのはおもったより容易なことではなかった。まず最初に私はカヤックの片方につかまって足をかけて乗りあがろうとしたのだが、足をカヤックにかける度にカヤックが回ってしまう。それでミスター苺がカヤックの一方を押さえている間に私が乗りあがる方法を試みた。

何回かこれを繰り返すうちに、私はなんとかカヤックに乗ることができた。今度はミスター苺の番である。ミスター苺は右側から乗るので私に左側に重心を置けと言った。しかし彼が左に傾けと言ったとき、私は傾きすぎてしまい、あっという間に再び海のなか。 なんてこった、また元の木阿弥だ。

そこで今度は、ミスター苺が最初に乗って、私を引っ張り上げるのがいいのではないかと考えた。しかしこれもミスター苺が乗ったと思ったとたん、カヤックは転覆。三たび我々は海の中である。

ここまで来ると私は多少不安になってきた。我々は浜辺からは1マイル以上離れた場所に居る。もしこのままカヤックに乗れなかったらどうなるのだろうか? 三度めの正直でまた私が先にカヤックに乗った。ミスター苺が乗るときも私はあまり重心を変えないように努力した。なんとか彼が乗り上げて、「やったー!」と万歳をした途端にバランスが崩れてまたもやカヤックは転覆。もう、ちょっといい加減にしてよ!

ミスター苺がぜーぜー言いながら私に怒りを押さえつけながらゆっくり言った。「よし、カカシ、お前が最初に乗れ。俺が乗るときは何があっても身動きするな!じっとしてろ、いいな!」カカシはこの時点で半分パニックに陥っていた。しかし今度はなんとか二人とも無事にカヤックに乗りあがることが出来た。ここではじめて気が付いたのだが、なぜかこの間私のサングラスはずっと顔についたままはずれなかった!結局失くしたのは飲料水のペットボトル一本だけ。

もうこの時点でカカシは島へいくことになど完全に興味を失っていた。第一浜辺からこれ以上遠ざかってまた転覆したどうするのだ?私はすぐにでも引き返したい気分だった。 しかしミスター苺は断然やる気。引き返すなんてとんでもない。「せっかくあんなに苦労したのに、引き返すだって?冗談じゃないよ。第一、、」すでに我々は半分以上島に近づいている。このまま島へいったほうが引き返すよりも近い。「ここまで来て引き返したら絶対後悔するぜ。」まあ、そういわれてみればそうだが、、結局ミスター苺の説得に負けて我々は島へ向かった。

信じ固いことだが、浜辺から島へむかう途中の海はほんの3フィートから4フィート程度の浅瀬だった。しかしながら目的のカパパ島に近づいてくると波のクロスファイアーに出会った。これは沖からの波が島にあたって島の両側から波が島を囲むようにして向かってくることを言う。わたしたちのカヤックはちょうど両側の波がぶつかり合うところに入っていったのである。

ガイドブックではこのことを警告していたが、本で読むのと実際にその場にいるのとでは大違い。両側からの波が押し寄せるため舵がとれない。しかしこの当たりで海は非常な浅瀬になり、船が転覆するのも不可能なほどになっていた。パドルが海底にあたるほど浅くなったので、私たちはカヤックから降りて島までカヤックをひっぱることにした。

ところが遠くからは柔らかな砂浜に見えた浜辺は、実は砕かれた珊瑚礁につつまれていた。カヤックを引き上げるには最低の場所だったが、今更しょうがない。浜辺にあがってカヤックをヒッパタ時、勢いがつきすぎて珊瑚礁のなかに尻餅をつき、腕や足が珊瑚礁でひっかかれて切り傷だらけになった。でもとにかく丘の上だ!

カヤックを上げるのに苦労しているのを見かねたのか、島にいた若い男性が手を貸してくれた。男性にはイギリスなまりがあるように思えたが、ミスター苺は南アフリカ訛りじゃないかと言っていた。この男性と友達の過ヤッキングクラブの仲間はこの島にキャンプしているのだという。私たちは少しゆっくり島で休んでから帰るつもりだと言うと、今は静かだが天候は急に変わるので、今日中に帰るつもりならあまり島に長居をしないほうがいいと忠告してくれた。そこで私たちは急いでお弁当のサンドイッチを食べ、数枚写真を撮り(カメラは何度もの転覆を無事生き延びていた)イギリス人の男性に二人の写真を撮ってもらい小島を後にした。

帰りは行きよりもずっと楽だっった。それというのも波は岸に向かってなびいていたからで、何もしなくても風が私たちを押し流してくれたからだ。時々波が後ろから忍び寄ってきて思いも寄らぬサーフィンをするはめになったが、転覆するほどのひどさではなく助かった。

ただ困ったのは、ところどころ海底が非常に浅くなったため、カヤックが底についてまったく身動きしなくなってしまったことだ。所によってはその浅さほんの1フィート(30センチくらい)!観光客がボートから降りて我々のカヤックの周りを歩き回っていた。海のまんなかで歩けるほど浅いところがあるなんて、不思議なところだ、まったく。

行きはこんなことには気がつかなかったところをみると、どうやら潮が引いたとみえる。

途中ちょっとカパパ島で休憩したとはいえ、あとは4時間ほとんど漕ぎっぱなしだったが、やっと私たちは桟橋まで帰ってきた。しかしここからまたカヤックを車まで運ぶのは一苦労だった。私があまりにも手こづっていたので、通りがかりの男性達が手伝ってくれ、やっとの思いでカヤックを再び車の屋根にしっかりと動かないように結びつけた。レンタル店のお兄さんから教わった結び方はちゃんと覚えていなかったのだが、大丈夫だろう。しかし、いったん高速H1に乗って走り出すと、ミスター苺がカヤックが左に動いているような気がすると言った。「おい、ちょっと止まって見た方がいいぞ。」と彼が言った途端、私たちはカヤックが滑り落ちる大きな音を聞いた。私たちはカヤックの片方を縛るのを忘れていたのである!あれだけ苦労したのに高速でカヤックを失くしたら、少なくとも500ドルは賠償金を払わなければならなくなる!

急いで車を路肩にとめ、カヤックをもう一度締め直し、再び車に乗り込んだ。ミスター苺も私もこのことはレンタル店のお兄ちゃんには黙ってよね〜と合意した。「でもブログになら書いてもいいよ。」とミスター苺。言われなくても書いちゃうもんね。

ゴーバナナに戻ったのは午後5時半。カヤックをかりてから7時間半後だった。カヤックに破損箇所がないかどうか確かめた店の店員は、ラダーが壊れている難癖をつけ、250ドルの損害賠償がどうのこうのと言い出した。ミスター苺が「そんなにひどく壊れてるようには見えないけどね、ちょっと曲がってるだけじゃん。すぐ治せるよ。」と店員とちょっと言い合いをすると、店員は店長を呼んできた。ラダーをよくよく検査した店長は、一旦奥に入ってレンチを持って戻ってきた。レンチでとんちんかんとラダーを叩いた後、「よっしゃ、無料だ」と大きな笑みを浮かべた。ほ〜!

さて、最後に我々は興味があったので、店長さんに一旦カヤックから落っこちた場合、どうやってまたよじ上ればいいのかを聞いてみた。どうやら我々のやり方は完全に間違っていたようだ。店長さんは「そんなやり方でよく乗り上がれたね。」と驚いていた。

ホテルに戻ってみると私たちの体は切り傷と青あざで覆われていた。乗ってる最中は興奮していて全く気がつかなかった。私は筋肉痛で夕飯に外へ出るのも苦痛だったほどだ。

でもまさしくこれは冒険だった!やってる時はもう嫌だと思ったが、終わってみるとこれもいい経験だったと思う。

July 17, 2008, 現時間 6:42 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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July 15, 2008

雨の密林、オアフ島マノアの滝

旅行記 , 日常の出来事

本日のハワイ体験はハワイのレインフォーレスト(熱帯多雨密林)「マノアの滝」のお話をしよう。

ワイキキビーチからほんの4マイルほどマノアロード(Manoa Road)と呼ばれる山道を登りきったところに、レインフォーレストがある。その名の通り、山道を運転していくと突然土砂降りの雨に襲われた。ほんの数分前、山の麓のアラワイ運河(the Ala Wai canal)を出発した時は晴れていたのに。 苺畑夫婦は今日のハイキングは辞めたほうがいいのではないかと一瞬とまどった。しかし我々がホノルルに来てから数日間、毎日雨は降ったりやんだりしていたので、今日ハイクしなければもう時間がない。

二マイルほど曲がりくねったマノアロードを運転していくと、道の終わりに駐車場が見えた。そこに大きな傘の下に座っている痩せた日本人のおじさんがいた。おじさんは、今週はこんなふうにずっと雨だと言い、「なにしろレインフォーレストだからね。」とくすっと笑って肩をすくめた。おじさんが蚊よけになるよと言って、洗濯機のドライヤーにいれるソフトナーをくれた。これを肌に擦り込むと蚊に刺されないという。本当かしらとは思ったが、私は蚊に刺されるとひどく腫れる体質なのでだまされたと思ってソフトナーで腕や足をこすって、いざ出発。(驚いたことにこれ効果抜群。カカシはひとつも蚊にさされなかった!)

ハイキングといってもトレイルは出発点から往復たったの2マイル。もっと長い道のりのAihualama Trailというコースもあったが、土砂崩れの恐れがあるとかで閉鎖されていた。始めた時間がかなり遅かったことでもあり、短い方で我々には充分。

密林の植物はこれまで私が見たことのないようなものばかりだった。 まるでターザンのジャングルにでも紛れ込んだようだ。今にもターザンが雄叫びをあげながら、木から木へスイングして行きそうな感じだ。ガイドブックによれば、大きな木はククイ、アフリカチューリップ、グアバそしてマウンテンアップルの木だそうだ。ミスター苺はマングローブの木もあったと言っていたが、私にはどれがどれだか解らなかった。しかし私でもパムツリーやシダと木の区別くらいはつく。ここは本当にジャングルだ。私たちが普段見慣れている砂漠の植物とはなんと違うこと!



manoa_falls_bottom

密林の植物は砂漠とは大違い

泥道のコースと平行して流れる小川からは水の流れる音がする。この小川には魚はいるのだろうか、だが川は泥で濁りすぎていてたとえ魚がいたとしても何も見えない。気温は25度くらいでちょうどいい加減だが、雨は降り続いていた。パムツリーの大きな葉っぱを見つけたので、私はミスター苺にこの葉っぱを傘の代わりに使わないかと提案した。「ほら、『隣のトトロ』みたいにさ」そのうち私の目にしたたる水は汗なのか雨なのか解らなくなった。

道は多少坂道ではあったが、特に難しいほどの急斜面ではない。ただ、雨で道は泥道となって滑りやすかったため、歩くのはちょっと困難だった。苦労してたどりついた甲斐あって、目的地のマノアの滝は美しかった。その高く細い滝は華厳の滝を思わせる。高さは約150フィート。下のプールに完璧な水しぶきをあげていた。プール脇に座り、私たちはお弁当を食べることにした。ミスター苺がお弁当のサンドイッチを広げるやいなや、それまでしとしとと降っていた雨が突然土砂降りの雨に変化した。ミスター苺は自分の手でサラミサンドイッチがぬれないように覆ったが、私は濡れないようにサンドイッチをすべて口の中に頬ばった。おかげで息がつまりそうになった。



manoa_falls

華厳の滝を思わせるマノアの滝

大急ぎでサンドイッチを食べ終えると、私たちは引き返すことにした。帰り道はすべて下りだった。しかし道が滑りやすいためかえって下り坂は大変だ。登りの時は上に向かって多少飛び上がる形で進むことが出来た道も、下りはそうはいかない。靴はすぐに泥まみれになり、靴底の摩擦まるでなし。まるで冬のオリンピックのダウンヒルスキーのように歩くというより滑り降りるという感じになってしまった。

「川に飛び込んで泳いで帰ろうか?そっちの方がぬれないで済むかもよ。」と冗談まみれにカカシ。

雨はどんどん激しくなり、すでに森の景色も小川も目にはいってくる水でまったく見えない。完全にびしょぬれになって滑りながらなんとか一度も転ばずに坂を折り切った。 やっと駐車場にたどりつくと、さっきの日本人のおじさんは若いきれいなハワイアンのお姉さんに変身していた。お姉さんは傘の下で震えていて挨拶もしなかった。ま、そのほうがいいかな。あのやたらに馴れ馴れしい「あろ〜は!」で挨拶されるのはかなり飽きたからな。

車のドアをあけると、ミスター苺が空を見上げて言った。「ちょうどいいタイミングだよ。雨が止んだ」へ?あ、ほんとだ。髪の毛から水がまだ滴り落ちていたので私は気がつかなかったのだが、さっきまでの雨が嘘のようにピタっと止んでいる。まるで天が我々が歩き終わったのを見計らったかのように。

私たちの着ていたものは何もかもびっしょりぬれていて、ふたりとも雑巾のよう。手足をペットボトルの水で洗ってびしょぬれのまま車に乗り込み青空の広がるワイキキビーチへの帰途についた苺畑夫婦。

すっごく面白かったのだ!

この次はカネオヘベイ(Kaneohe Bay)でカヤックに挑戦するぞ!

July 15, 2008, 現時間 6:18 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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June 30, 2008

セレブになりきれないカカシの旅

どうでもいいニュース , 旅行記 , 日常の出来事

本日は前回実家へ帰った際に流行り言葉大好きの母が使っていた「セレブ」というステータスについてお話したい。

母に言わせるとセレブとはお金持ちという意味だというが、英語ではセレブリティの略だとすれば、有名でかつお金持ちということになる。ま、日本語の流行り言葉はいい加減だから単に金持ちでもいいのかもしれないが。

カカシが出張が多いという話はいつもしているので、読者の皆様も「またか」と思われるかもしれないが、私は意外と航空会社のマイレージは多くない。それというのも、カカシの出張は一度行くと三ヶ月とかの長期にわたるため、航空会社を利用する頻度はそれほどでもないからである。

この間日本へ出張で行ったとき、一緒に行った同僚の二人は私より頻繁に出張する人たちだったため、航空会社のメンバーシップでもエグゼクティブとかいう最高の位を持っていた。こういうレベルになってくると、空港でのチェックインとかも長い列に並ばないで済むし、国際線ではラウンジを使うこともできるようになる。同僚の二人は私がそういう位にはなっていないことなど全く考慮に入れず、さっさとエグゼクティブクラスの方に並ぶし、ラウンジで待ち合わせをしようなどと平気でいうのでちょっと閉口した。しかしメンバーと一緒に居ればラウンジには入ることが出来るので、若い方の同僚に頼んで一緒に入らせてもらった。

ラウンジではコーヒーとかワインとかケーキとかすべて無料。すっかりご機嫌でデザートトレイからお菓子をほうばっていたら、周りから白い目で見られた。昔、私が外でおよばれをする度に出されたおやつをここぞとばかりに頬ばるので、「普段何も食べさせてないみたいで恥かしい。」と母が愚痴っていたのを思い出した。

そんなカカシだが、この間の成田→ロサンゼルス間の往復のおかげか、今回ロサンゼルスからホノルルの旅は頼んでも居ないのにファーストクラスにアップグレードされていた。5時間の飛行でファーストクラスへのアップグレードは大きい。

エコノミーでは食事も出ないしアルコールは有料。それを見越してカカシはお稲荷さん弁当を持参で乗り込んだのだが、ファーストクラスでは先ず座ったと同時にシャンペンが無料で出てくる!(お酒が飲めないひとはオレンジジュースとか色々出てくる)しかもオムレツやソーセージの入った朝ごはんもただで出てくる。(感涙) 調子にのってシャンペンをガバ飲みする貧乏性。

普段からファーストクラスに乗ってる振りをしたかったのだが、トレイの出し方が解らず、隣のひとに助けてもらっていっぺんにおのぼりさんがばれてしまった。ファーストクラス専門のトイレがあるとも知らず、エコノミーの方へ歩いていって周りから怪訝な目でみられたことを不思議に思ったりもした。

今日から移動してまたワイキキへ戻ってきたが、今回は何故かいつもの安ホテルではなく一応一流ホテルに泊まれることになった。関連ホテルに何度か泊まってポイントがたまっていたせいなのか、部屋はタワーの上階で見晴らしがいい。しかもルームサービスにワインとパイナップルがついていた。しかし普段とまる安ホテルのように電子レンジもついていないし、インターネット使用も馬鹿高い。私としてはこんな一流ホテルより便利な安ホテルの方が性に合っている。

どうも根が合理的というか貧乏性というか、セレブになりきれないカカシであった。

June 30, 2008, 現時間 2:20 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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June 28, 2008

出張ブロギング、マウイ島にて

宗教と文化 , 旅行記 , 日常の出来事

カカシは今、ハワイ諸島のひとつ、マウイ島のホテルにてブロギングをしている。もちろん出張。バカンスではない。

仕事でオアフ島のホノルルはよく行くが、出張でマウイ島へ来たのは初めてだ。私が居るのはラハイナ(Lahaina)というところで、海岸線に沿ってホテルやコンドミニアムが立ち並んでいるとはいうものの、ホノルルのような都会的な雰囲気は全くない。

砂浜が目の前にあるこのホテルに泊まってもう三日になるが、ワイキキビーチのようにタオルを敷く場所もないほど混雑しているビーチとちがって、夕方でもそれほど人出はなく、家族ずれやカップルと時々すれ違う程度だ。何マイルも続く海岸線だが、浜辺はきれいでゴミひとつ落ちていない。今朝も一時間ほど砂浜を散歩したが、静かでとても落ち着くビーチだ。無論海の色はエメラルドだし、沖のほうでパラセーリングをしている人の姿が見え、海外にそってカヤックをしているカップルに出会った。ちょっと沖のほうに低い山のような島が見える。空は晴れているが山の上のほうにはかすみがかかっていた。まさしくパラダイスだな。

10年近く前に新婚旅行でミスター苺とハワイ諸島を一応一巡りしたが、その時に得た印象はといえば、景色が一番美しかったのはカワイ島で、一流ホテルに泊まって贅沢な休暇を楽しみたい人にはカワイ島はぴったりだが、アウトドアの活動がすきな人にはマウイ島が一番適している。

マウイ島ではスノーコリング、スクーバダイビング、サーフィン、パラセイリング、カヤッキングなどが手軽に出来る。クジラ見物のボートも毎朝波止場から出ている。私は休暇で来ているわけではないので料金は調べていないが、毎朝波止場では観光客がさまざまないでたちで現れる。

こういう人たちを傍目に自分は出勤用のモーターボートに乗り込む。観光地での仕事はこういう時みじめだ。考えてみればカカシが出張するところは、今居るラハエナもうそうだが、ポートランド(メイン州)、ジャクソンビル(フロリダ)、サンディエゴ(カリフォルニア)、と観光地ばっかりだ。

ところで我々の出勤用のモーターボートだが、桟橋からボートへの乗り降りはどうということはないが、このボートから大型船への乗り降りはちょっと怖い。特に二日前は波が高く、上下の差が10メートルくらいあった。船には階段がつけてあり、海面のレベルにプラットフォームが設置してあるが、波のタイミングをつかんでちょうどプラットフォームちかくにボートが上がった時点で踏み出さないと、次はストーンと10メートルも落ちてしまうという危険さだ。しかし私が降りるときに都合よく高い波が来て、ちょうどボートとプラットフォームが同じレベルに並んだので、私は楽に降りることができた。

しかし昨日は打って変わって静かな海だった。これは船に乗って仕事をしている時は楽だが、帰りにプラットフォームからボートに乗り込むときに波がないとかえって難しいことを学んだ。それというのもボートがプラットフォームからの高さが一メートル半くらい離れていたからで、波がないからそれ以上ボートは上がらないというのである。ボートの乗組員がボートの屋根をつかめと言ったが、私は腕が短いから手が届かない。しょうがないからプラットフォームから飛び降りた。ボートはゴム製なので足を折ったりはしないが、私は数週間前につま先を骨折していたので、ほぼ完治した状態で助かった。これが二週間前だったらかなりきつかっただろう。

船からの乗り降りは、以前にもやはりハワイで縄梯子からボートへ降りた経験がある。あの時はさすがに落ちた場合を考えて救命具を着せられた。船の上にはダイバーのお兄ちゃんが、万が一の場合の救助のために我々を見守っていた。あの時は朝6時でまだ日も出ておらず、真っ暗な中、縄梯子を降りるのはかなり怖かった。もっとも降りるのはまだしも、ボートから縄梯子で登るのはもっとたいへん。幸いにして私はまだそれはやったことがないのだが、この仕事を長年やっていると、いつかはそういう体験をすることになるだろう。はっきり言ってタフじゃないと勤まらないな、この仕事。

なんて考えていたら、太った同僚のおじさんがドスンとボートに飛び降りてきた。あの体でよく飛び降りられたなと感心してしまった。

おっとそろそろ行かなければ。エントリーの間隔が開きすぎてることをお詫びします。今夜はがんばって書きますので、よろしく。

June 28, 2008, 現時間 1:21 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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June 14, 2008

出張で受けた日本の印象

旅行記 , 日常の出来事

読者の皆様、ご無沙汰いたしました。先日数日間の日本への出張を終えて、カリフォルニアに戻って参りました。その間、ブログ活動が完全停止になってしまったことを深くお詫び申し上げます。

ちょうど横浜に着いた日曜日に秋葉原での大量無差別殺人事件が起き、日本も物騒な国になったなと感じた。あの男がアメリカ住まいならさしずめ凶器はライフルかなにかだったのだろうなと思うと、銃がなくてもトラックやナイフで充分に人殺しはできるのだなと改めて考えさせられた。

もうすでに日本では犯人の使った型のナイフを違法にするという話が出ているが、問題なのは凶器ではなくて人間のほうだろう。アメリカでも銃砲規制をすればするほど犯罪は増えるという皮肉な状態が起きている。日本では銃は違法でも他にいくらでも人殺しの道具はあるわけで、いくらナイフを違法にしてみても、トラックを違法にするわけにはいかないのだから意味はない。

問題解決には歩行者天国での警備を引き締め、重犯罪を犯した犯罪者への罰をより厳しくすることにあるはず。ナイフなどいくら禁止してみても殺す意志のある人間がいる以上、犯罪を減らすことはできない。

日本では環境保全週間だかなんだかで、日本のテレビ番組ではやたらに地球温暖化の特別番組がいくつも放送されていた。アメリカではすでに地球温暖化とか地球環境変化とかいう説はかなり怪しげだと言う見解が強くなっているが、日本のメディアを観察する限り、違う見解はほとんど紹介されていない。

日本は環境保全などの対策はアメリカより一足遅れを取った感があるが、禁煙などでも解るように、一度やりだすとアメリカなんかより徹底してやる社会だ。しかも一旦ひとつの方針が決まると、それに反対する意見がほとんど聞かれなくなるというのも日本の悪い面だと思う。

ま、アメリカのように戦争をしているのに、国内で戦争反対の意見が行き過ぎて、自国の戦況に悪影響を与えるほど意見が分かれてしまうというのも問題だが、日本のように誰も彼もが同じ方向を向いてしまう傾向もまた感心できない。

コメンターのoldmanさんが紹介してくれた自民党の提唱する移民受け入れの提案については、ちょっと関連記事をななめ読みしただけなので、まだまだ感想を書ける段階ではないが、国民の10%を他民族で占めることを目標にするとなると、この受け入れ態勢の準備は並大抵のものではない。西欧でおきているイスラム教徒移民による大問題が日本で起きないという保証はない。いや、ないどころか人権擁護法などという悪法が起用されれば問題は絶対に起きると確信できる。これについてはまたまた追ってお話していきたいと思う。

今回の出張は仕事が非常に忙しく、政治討論のテレビ番組などを観ている暇はほとんどなかった。今年の後半には、また日本へ行くが、その時の滞在は三週間以上になるので、その時にはまたまとまったカカシの日本観を書きたいと思う。

では本腰を入れて今週からまたブログ執筆に力を入れよう。

June 14, 2008, 現時間 10:58 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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October 14, 2007

いざアラスカ、豪華客船の旅 その5

旅行記

シャンペンとキャビアー

船内では夜遅く、翌日のイベントの予定表が配られる。毎日歌や踊りのショーや、手品師やコメディアンのショーなどが劇場で行われるほか、数あるバーのうちひとつではスペインコーヒーが出されるとか、ピアノバーではコールポーターの歌が特集されるとか、いったことも紹介されている。

その中で私が目を留めたのはオーシャンバーでシャンペンとキャビアが無料で出されるという記事である。その夜はロシアの夜と称して、フィリピン人のウエイターが皆ロシアの民族衣装を着て様々なロシア風マティーニ(有料)を用意するとあった。私はすし屋で食べられるいくらとびこまさごといったキャビアならいくらでも食べたことはあるが、ここでいうキャビアとは一オンスで何百ドルというブルーガキャビアのことである。こんな高級品は今までに食べたことがないので、是非是非この無料サービスは見逃すまいと早々にバーに乗り込んだ。

ところが、確かにウエイターはロシア服を着てマティーニの注文を受けてはいたが、どこを見回しても無料シャンペンは出ていないし、オードブルのお盆を片手に回っているウエイターの姿は見当たらない。最初から「無料シャンペンはどうした、キャビアはどうした」と聞くのも下品かなと思い、一応変わったマティーニを二杯オーダーして、カクテルカードに穴を二つ開けてもらった。

しかし待てど暮らせどシャンペンも出てこなければキャビアーも出てこない。痺れを切らした我々二人は、ついにプライドを捨てて「キャビアはどこじゃ!」とウエイターを問い詰めると、ウエイターはそんな話は聞いていないという。それでその日の日程表を見せると、ウエイターは奥へ引っ込み誰かと話をしている模様。やっと出てきたヘッドウエイターらしき人物が「連絡不行き届きでオードブルの用意ができていなかった」と釈明。「すぐに用意させますので」。

しかし20分くらいして出てきたオードブルはキャビアではなくて春巻きと揚げワンタン。「申し訳ありません。キャビアが品切れでして、、、」ここでミスター苺は皮肉たっぷりに「出してもいないのにどうすれば品切れになるんだね?」と質問。 困った顔のウエイターが突き出したワンタンを一口食べた私は、その味の不思議さに首をひねった。「これ豚肉じゃないよ。なんか牛肉のソーセージみたい。」と言うと、ミスター苺も味見をしてみた。「これはソーセージじゃない!ホットドッグだよ!」

無料のシャンペンが有料のマティーニに化けたくらいはしょうがないとしても、キャビアがソーセージ入りの揚げワンタンではいくらなんでもこれはひどい。それで我々はフロントに苦情を言いに行った。船内のアンケート調査でもミスター苺は延々とキャビアーがホットドックに化けたことを書き連ねていた。

その二日後、明日はシアトルに帰港するという夜遅く、甲板で散歩を済ませたカカシが部屋に戻ってくると、ミスター苺がニコニコ顔で「ちょうど良かった。もう何処へも行くな。今いいものが届くよ」と言う。何かと思えば、先日のロシアの夜の不都合へのお詫びとしてシャンペンとキャビアがルームサービスで届けられるというのである。しばらしくして届いたトレーを見てびっくり仰天。大型のお盆の上にきれいに飾ったいくつものキーシや一口大のタルトの上にキャビアがどっさり乗せられていたからである。これはどうみても4~5人で食べるオードブルだ。これに冷え切ったシャンペンが一本ついてきたのだから凄い。私は無料のシャンペンを一杯ぐらい飲みながら、キャビアの乗ったクラッカーをニ~三枚食べられればそれでいいと思っていたのに、こんなのとても二人では食べきれない。

それで私はタルトの上に乗っていたキャビアだけを、猫のようにぺろぺろと舐めて食べてしまった。そうかこれがキャビアというものなのか、ちょっとぱさぱさだな、塩辛いかな、などとうなずきながら。ミスター苺はお盆の上に何オンスのキャビアが盛られているのか、これは市場でいくらぐらいするかとか下世話なことを計算し始めた。これだから貧乏性はしょうがない。せっかくの豪華客船の旅なのだ、せせこましいことは忘れて楽しもう。

しかし文句は言ってみるものだな。

October 14, 2007, 現時間 5:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 13, 2007

いざアラスカへ、豪華客船の旅 その4

旅行記

水曜日 ジュノー

今日はクルーズ初めての寄港、ジュノーの港に停泊した。船が港に着き、桟橋がおろされると乗客はずらっと出口の前で並び始めたが、乗客が下船するのをサーモンやら熊やらのぬいぐるみを着た人が待ち構えていて、一列に並んだ乗客を一組づつ抱き寄せてはそれをカメラマンが写真を撮っていた。

この写真なのだが、船の中ではプロのカメラマンが大きなカメラをかついで歩き回っており、一番最初に乗船したときも、最初のフォーマルディナーでもレストランへ入る前と、レストランでの食事中とで写真を撮られた。また、避難訓練が行われた時も救命具をつけた姿をカメラマンはバチバチ写真にとっていた。

こうして撮られた写真は、次の日通路に飾られ、もし気に入れば一枚、2000円程度で購入することができる。我々二人の写真はいつも非常にまずく撮られており、被写体が美男美女なのに何故だろうと不思議だった。(笑)

ということもあって、ミスター苺は熊のぬいぐるみに見つからないように、下船の際にも他の人が写真を撮られている隙を狙ってこっそり下船した。しかし私はちょっとのろのろしていたせいか、ぬいぐるみのお兄さんにみつかってしまい肩を強引に引き寄せられ引きつった顔で写真に撮られてしまった。

アラスカといえばアイディタロドと呼ばれる毎年恒例の犬ぞりのレースが有名。そこで我々のジュノーでのツアーはレース用の犬を訓練しているところへいって犬ぞりに乗せてもらおうというもの。もっとも夏なのでアラスカといっても訓練所に雪はない。そこで犬達はゴルフカートをひっぱって訓練をするという。我々が乗せてもらったのはこのゴルフカート。

港からバスで20分くらい山奥の道を走り、ついたところは小さな木の小屋が二つ三つ建っているだけの場所。トイレも野外で水洗ではない旧式。(なぜかアメリカではトイレのマークは新月)まだ9月上旬だが、山奥はすでに秋。落ち葉の焚き火から煙が上がっていた。

最初に生まれたばかりの仔犬をみせてもらい、どういった種類の犬がレースに適しているかというような話を聞いたのだが、私には空気のなかに犬の毛が漂っているのが気になった。犬は夏から冬にかけて新しい毛皮に衣替えするのだそうで、今は脱毛の時期だという。どうやらあちこち犬の毛だらけなわけだ。こんな犬をペットにしたら掃除がたいへんだなあなどとくらだらないことを考えてしまった。

レースの犬というと私はアラスカンハスキーのような大きな犬を想像していたのだが、実はそうではなくて、割と小柄のタフな雑種を使うそうだ。アイディタロドでは毛皮の厚い冬のレースに適した雑種が一応規則で決まっているらしい。それというのも一度プードル犬でレースに参加した人がいたからで、いくらプードルがタフでもアラスカの厳しい寒さに耐え切れずに凍え死んでしまったことから、寒地に適さない犬は許可されないのだそうだ。

ゴルフカートにつながれた犬達はマッシャーと呼ばれる騎手が近づいてくると二の足で立ち上がって興奮し始めた。本当に走るのが好きらしく走る時間が近づくとものすごく興奮するらしい。それでもリードの犬が走り始めなければ犬達は走らない。一台に乗った客の数は6~7人。騎手が一番後ろに立って合図をすると犬達はすごいスピードで走り始めた。山の狭い泥道を走っているのでかなり早いスピードに感じたが、実際には時速15マイル程度なのだそうだ。それ以上早く走ると長距離もたないからだ。しかし泥道のカーブなど恐ろしいほど早く曲がり、犬の上げるハネで我々の顔は泥だらけになった。 なるほど汚れてもいい格好で来いというのはこのことだったのか。

カカシ注:旅行中にとった写真はいま整理中です。整理が終わり次第犬ぞりの写真をお届けしますので今しばらくお待ちください。

October 13, 2007, 現時間 12:44 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 11, 2007

いざアラスカへ、豪華客船の旅 その3

旅行記

水曜日、グレイシャーベイ

アラスカといえばなんといってもグレイシャーである。グレイシャーというのは要するに氷の川。大昔に山に降った雪が凍って、それが引力でどんどん海に向かって流れてくるのだが、液体の川のような速い流れではなく、一日30センチくらいのゆっくりな速度で流れている。この氷の川が海岸に辿り着くと氷の絶壁を作り出すのだが、スローモーションとはいえ氷は動いているので、常にめきめきという音を立て、10分か20分に一度の割で大きな氷の破片が海に落ちる。今日はそのグレイシャー湾自然公園を通過することになっている。運が良ければ大きな氷の破片が海に落ちる瞬間を見ることができるかもしれない。

第9デッキの食堂で朝食を食べていると窓の外は真っ白な霧。グレイシャー湾につくまではまだ数時間あるので、霧がそれまでに晴れてくれることを祈った。

11時頃になってそろそろグレイシャー湾に入るという放送がはいったので、我々はカメラを持って第10デッキの外側に行き船の前方に陣取ってグレイシャーの訪れを待ち構えた。外部から戻ってくる人々が厚手の上着に帽子や手袋をしている姿をみて、どれほど寒いのかと思って外へ出てみると、朝の霧はどこへやらお日さまがさんさんと照っていてセーターを着ていると暑いくらいだった。我々の船は山に囲まれた湾内に入り込み、遠くに見える山の上から川が見えた。しかしよくよくみていると、これは普通の川ではなくてグレイシャー。個体なのでまだ海にたどり着かない白い川が山を下っている姿が非常に不思議だ。


 Glacier Bay

霧のただようグレイシャー湾

グレイシャーの氷の崖が近付いてくると、海の上になにやら白いものがぷかぷかと浮いている。よくよく見てみるとそれがすべて氷。もしかしてこれは氷山? どうやらグレイシャーから落ちてきた氷が海の上を浮かんでいるらしいのだ。崖に近付けば近付くほど氷の数は多くなった。



Glacier Bay Icefield

氷が浮かぶグレイシャー湾の海面

船内放送でお天気がことのほかよいので、これまでのクルーズ船では不可能だったほど崖の近くまで船を近付けることが出来るとのこと。我々は皆カメラを構えてシャッターチャンスを待った。



Glacier Bay Icebergs

グレイシャー湾の氷山

そして遂に目の前に氷の絶壁が現れた。この膨大さは写真では分かりにくいが、絶壁のてっぺんから海面までの高さは76メートルという高さ。しかも、水面下の深さも同じく76メートル!



Lamplugh Glacier

山から流れる氷の川

この絶壁の前で船はしばらく停泊していたが、気が付くのは聞こえてくるメキメキっという氷のひしめく音。写真ではその瞬間をとらえることはできなかったのだが、時々氷の破片が割れてメラメラ、メキメキ、バシャーンと轟音をたてて海水へ落下した姿はすごい迫力があった。



Johns Hopkins Glacier

ジョン・ホプキンスグレーシャー

我々はこの自然の美しさにすっかり見入ってしまい、何時間もデッキに立って写真のシャッターを押し続けていた。もうこれだけでもアラスカに来た価値があった。

October 11, 2007, 現時間 12:31 AM | コメント (1) | トラックバック (0)

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October 9, 2007

いざアラスカへ、豪華客船の旅 その2

旅行記

月曜日, ファインダイニング

グレイシャーベイにつくまで、今日は一日海の上。特にやることもないので私は朝早く起きてエアロビのクラスに挑戦。熟年カップルが多い割には朝のエアロビに参加した女性の数は結構いたし、固定自転車やウエイトトレーニングをやってる男性などでジムは満員だった。最近の熟年はみんな若くて元気だなあと感心してしまった。

エアロビの講師はイギリス人のスタイル抜群の若い女性。「運動だけでは体重は減りませんよ!ダイエットもがんばりましょう!」と午後に彼女が教えているダイエット教室の宣伝に余念がない。

エアロビが終わって部屋にもどると、ミスター苺はやっと目をこすりながら、「あさごはんたべた〜?」ともう食べることを考えている。朝食は第9デッキでブフェスタイル(バイキング形式)とはいうものの、カウンターの向こう側に給仕の男性がいてお皿に食品を盛ってくれるし、オムレツも好みのスタイルで焼いてくれる。お盆が満杯になったらウエイターがやってきてさっさとお盆をもって開いてるテーブルに案内してくれる。座るとすぐ飲み物の注文をうけてくれるし、こんなブフェなんてみたことない。訳の分からない食べ物をプラスチックの皿の上にベチャっとのせてくれる海軍の食事を考えると月とすっぽん。ま、比べるほうが悪いけど。

船旅には慣れている私だが、仕事で乗る船では外にでることはほとんどない。地下のコンピュータールームに入り浸って何日も外の空気を吸わない日もあるカカシには、好きな時に外にでてデッキチェアに座っているのは最高な気分だ。気温はそれほど低くはなかったが、それでも野外プールで泳ぐほど暖かいとは言えなかった。風もあるから外で座っている時はみの虫みたいに毛布にくるまっていた。でも近付いてきたパーサーにあったかいアイリッシュコーヒー(ウィスキー入りのコーヒー)を持ってきてもらって満足なカカシ。ああ、このままずっとこうしていたい、、、とついうとうとするカカシ。

「親分、てえへんだ、てえへんだ、」と銭形平次のハチ公みたいにミスター苺が騒ぐ声で目が覚めた。実は今夜は船長さんが挨拶に回るフォーマルディナーがある。この時とばかりにあつらえたばかりの新品の背広と白と赤の派手な革靴まで用意してこのディナーを楽しみにしていたミスター苺なのに、突然大変なことに気が付いたという。「どうしたの?」とおもむろにデッキチェアから体を起こすカカシに「ネクタイ忘れた」というミスター苺。実はミスター苺はスーツはたくさんもっていないがネクタイだけは色々もっており、しかも度派手なものが好きな彼は旅行前もベッドに何本もネクタイを並べて「これにしよ〜かな〜、あれにしよ〜かな〜」と迷いに迷っていたのである。そのネクタイをどうやって忘れてきたというのだろう?
「皺にならないように別にしといてすっかり全部わすれてきちゃった。」んだそうだ。

仕方ないので船のギフトショップにネクタイを買いに行ったら、なぜか高級ネクタイは全くうっておらず一本10ドルという安物ばっかり。なんで豪華客船で売ってるネクタイが安物ばっかりなのかさっぱり分からないのだが、背に腹は代えられない。仕方なく10ドルネクタイを買ったはいいが、せっかくの食事中、ミスター苺は合うひと事に「ネクタイを忘れまして、、いつもはいいのをきてるんですが、、いやお恥かしい、、がはははは」と説明しまくるので、こっちのほうがよっぽど恥かしかった。

フォーマルディナーはかなり格式張ったフランス料理風。我々の目的は何と言っても蟹とサーモン。なにせアラスカといえば蟹とサーモン以外にはないでしょう。そこで我々は前菜に蟹サラダを注文、メインメニューはサーモンが二種類、肉類が二種類とあったので、二人ともそれぞれ別々のサーモン料理を選んだ。

子供の時に両親と一緒にアラスカンクルーズを体験しているミスター苺からは、とにかく船では食べきれないほどたくさん料理が出てくるので、がつがつとすべて食べないようにと何度も注意をうけていた。ところが、出てきた前菜の蟹サラダは直径5センチ、厚さ一センチ程度の平べったいケーキみたいで、器は大きいが中身は小さいというまるで懐石料理風の盛り付け。その後のメインコースも同じように盛り付けは芸術的できれいではあったが、量が極端に少ない。ミスター苺はサーモンをたった三口で食べ終わってしまい、まるで満足してない表情。「足りないならもうひとつ注文すれば?ひとつでもふたつでも値段は一緒なんだし、、」というと「そんな下品な真似ができるか」と立腹顔。船長の乾杯の挨拶もどこへやら、苺夫婦はかなり不満足でレストランを出た。

夕飯の後もミスター苺はおなかがすいたままだった。夜零時近くになって私は私が仕事で乗る船では夜遅く夜勤のひとたちのためにミッドレップと呼ばれる食事が出るよ、という話をしていたらミスター苺が、もしかしてこの船でも夜食がでるかもしれない、第9デッキのブッフェに行ってみようと行ってみると案の定ピザとパスタがあった。しかもパスタはその場で麺をゆでソースをあたためてくれるようになっていた。ミスター苺は大喜びでピザを三切れも食べた後、大盛りミートソースを平らげてしまった。「ああ満足」とおなかをかかえるミスター苺。

どうしてフォーマルディナーの夜がピザとミートソースで幕を降ろすのか、やっぱうちら夫婦は庶人的だ。

October 9, 2007, 現時間 5:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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October 7, 2007

いざアラスカへ、豪華客船の旅 その1

旅行記

下記は2007年の9月上旬、カカシとミスター苺が行ったアラスカ旅行の旅行記です。

我々夫婦が選んだツアーはホーランドアメリカというオランダ本社のクルーズツアーで、船名はノールダム。

日曜日にシアトルを出発してグレイシャーベイ・ジュノー・シトカ・ケチカン・ビクトリア(カナダ)を巡って次に日曜日のシアトルに帰ってくるという日程。

日曜日、シアトル出港

シアトル空港からタクシーで船着き場まで行くと、港には大きな客船が二隻停泊していた。タクシーをおりると赤帽さんがそそくさと我々の荷物に荷札をつけはじめた。自分で重たい荷物を担ぎながらの乗船に慣れているカカシはちょっと戸惑ってしまった。同じ船の旅とはいえ、軍艦と客船ではなにもかも月とスッポン。船のサイズからお酒や食べ物から客船は本当にすばらしいが、なんといっても感激するのがこのきめ細かいサービスだ。

乗船手続きをする以前からいくつか並ぶテーブルでワイン券、カクテル券、ソーダ券などが販売されており、あらかじめ前払いしておけば船の中でいちいちお金を払わなくて済むようになっている。もっとも飲みきれないほど券を買ってしまうと最後に朝からワインを飲んだりして問題なのだが、ま、その話はまた後でしょう。また、持ってくるのを忘れた乗客のために、望遠鏡や日焼け帽子などが売られていた。カカシはミスター苺に「乗る前からお金をどんどん使えるようになっているね」とささやいたほど。

さて乗船手続きをすませていざ乗船していみると、第一デックのロビーは高級ホテルそのもの。吹き抜けのロビーは三階まで続いており、真ん中にねじ曲がった不思議な形のシャンデリアがぶら下がっていた。通された船室は団体部屋の三段ベッドで寝返りもできないほど狭いベッドになれているカカシには信じられないほどゆったりとしていた。部屋のなかには冷えたシャンパンがおかれており、チョコレートにくるまった苺が備え付けてあった。

身の回りの世話をしてくれるスチュワードは皆フィリピン人で、あんまり色々やってくれるので私はなんだか悪くなってしまい、「掃除は一日一回でいいよ」と言ったのが、「仕事ですから」とすんなり断られてしまった。どうも庶民のカカシには上流社会のしきたりはあわないようだ。

最初の目的地であるアラスカのグレーシャーベイに着く火曜日までは、特に何もすることはないので、ミスター苺と私は船の中を色々歩き回って探索することにした。船は水の上に出ている部分だけで10階(デッキ)もあり、第一から第三までのデッキには図書館、ギフトショップ、ヘルススパ、メインダイニングルームなどがあり、どこの階だか忘れたがカジノまであった。水泳プールも野外と室内の両方あり、ジャクジーと呼ばれる露天風呂もプールにふたつかみっつづつ着いていた。

カクテルバーが船の至る所にあり、どこに座っていても必ずパーサーが飲み物の注文をとりにくる。食事は時間帯によって出るものが違うが、その気になれば一日中食べていることができる。部屋にいてもルームサービスもすべて最初の値段に含まれている。だから調子に乗って飲んだり食べたりしていると大変なことになる。しかし、このクルーズの乗客は平均年齢が60歳くらいで、40代のなんてのはまだまだ若い部類なので、多くの乗客はゆっくり座ったまま景色を楽しむという時間の過ごし方をしていた。

苺夫婦は最初の晩は展望の出来る最上階のバーでゆっくり過ごすことにした。いってみると広いダンスフロアのあるナイトクラブには従業員はわんさかいるのにお客が一人も来ていなかった。考えてみれば乗客のほとんどはシアトルまでそれぞれ遠いところから旅をしてきたひとたちばかりだ。我々は南カリフォルニアなのでシアトルまでの旅行時間はたったの二時間程度。しかし上記のリンクでも分かるように、日本からシアトルまで来て、そこから船に乗ってくる乗客もいるくらいで、最初の晩は皆疲労困憊だろう。乗客の年齢を考えるとナイトクラブでどんちゃん騒ぎをする体力はちょっとないのかもしれない。

ナイトクラブにつとめるフィリピン人のウエイトレスはこの晩私たちの名前を覚えて以来、一週間全く私たちの名前を忘れなかった。繰り返すが船上でのサービスは並大抵のものではない。しかし感謝の気持ちを表そうにもスチュワードやウエイトレスにチップを渡そうとしても断られてしまった。いったいチップの規則はどうなっているのだろう?

ま、いいか。まだ旅は始まったばかり。後でゆっくりフロントにでも聞くことにしよう。ミスター苺は誰もいないクラブで踊るきはしないというし、今夜は二人でゆっくりバーで飲もう。でも明日の晩は踊ろうねミスター苺。覚悟しといてね。

October 7, 2007, 現時間 5:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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August 2, 2006

バッファロー空港でブログ

旅行記

今さっき、我々の計画ミスでニューヨークはラグアディア行きの飛行機に乗り遅れ3時間の待機となったので、バッファロー空港からブログ中。

さて、ナイアガラの観光を終わらせて今朝はゆっくり食事をしてからニューヨークへ戻る予定だった。昨日バッファローからカナダ側にあるホテルに向かう時は道もすいていたし、税関もそれほど手間どらなかったので、今日は道が込んでいることも見越してその倍の一時間をみて出発することにした。

朝食にはいったドイツ風レストランでは、両親は例によってメニューが読めないので、私が朝食のセットをすすめた。みなさんも多分ご存じだろうが、アメリカのレストランは朝食といえば普通ソーセージかハム、卵、ハッシュブラウン、それにトーストとセットになっていることが多い。無論トーストやハムだけをサイドオーダーとして注文することはできる。叔母は朝からあまり食べたくないというので、トーストとコーヒーのみ。父もセットは多すぎるのでハムとトーストだけでいいという。ミスター苺も朝はあまり食べないのでオートミール。私はドイツ名物アップルパンケーキ。

母も叔母と同じようにトーストだけでいいといいはっているが、母の「食欲ない」という言葉ほどあてにならないものはない。昨晩もとまったホテルの上階でナイアガラの滝が見下ろせるレストランで夕飯を食べたが、食欲がないといっていた母は、自分の注文した料理のほかにも私が注文したスープやら前菜やらを「ちょっと頂戴」といってかなり試食してしまったので隣にいたミスター苺が、「君の食べる分がなくなっちゃうよ。」と心配したほどだった。

昔からそうなのだが、私が母をレストランにつれていくと母は私が薦める品は絶対にいやだと言い張って、全く別のものを頼む。だが実際にその品がでてくると私の皿をみて「そっちのほうがおいしそうね、ちょっと頂戴」と言って私の皿からほとんど食べてしまい、私が母の注文した料理を食べるはめになる。今回の旅行でもこのパターンが何度も繰り返された。

幸運なことにこの朝食では私が注文する前に母はすでに隣のテーブルに出てきた卵やハムに食欲をそそられたようで、自分もちょっとだけ欲しいといいだした。むろん「セットはいらないわよ、多すぎるんだから。」と注意付き。しかし一品づつ注文するとかえって高くつくし、食べられなければ残してもいいのだからといってセットを注文。母が出てきたカナダサイズの大量の朝食セットをすべてたいらげたのはいうまでもない。

叔母は「食欲ないって騒いでたお姉ちゃんが一番食べたわね。」と私にささやいた。

食事の後時間が迫っていたので、ミスター苺はちょっと焦りはじめた。しかしシニアシティズンを含め5人もいるとそう簡単には行動できない。ミスター苺はすぐに出発したかったのだが、父は変わった形のレストランの前で集団写真をとりたがるし、叔母や母も、代わる代わるに「あ、カカシちゃんもはいって」「あ、苺さんもはいって、」とやるので、ミスター苺はもうイライラ。せかすミスター苺に母は、「自分が30分も寝坊したくせに、いまになってせかすなんて身勝手だ」と文句をいう。確かに食事をはじめたのが30分遅れたのはミスター苺のせいなので、これには彼も返す言葉はない。しかし誰のせいで遅れても今のんびりしていては飛行機に乗り遅れてしまう。

なんだかんだやっていながら、一応予定の時間にホテルを出ることができたので、まあいいかと思っていたら、このあたりの道は一方通行がおおく、来た道をそのまま通ってかえるということができない。すぐそばにある国境の橋へなぜかいきつけず、どんどんどんどん反対方向へ走ってしまった。ぐるぐると滝の前の道を遠回りしてやっと行き着いた関税の前ではものすごい長い列。カナダからアメリカへの入国はアメリカからカナダより厳しいらしい。

アメリカ側にはいっても、途中のハイウェイがものすごいのろのろ運転。道が混んでるわけでもないのにどうしたんだろうと思ったら、なんと葬式のためにつらなった何十台もの車の列の後ろに並んでしまったのである。

空港についたときは出発30分前で、普通なら間に合う時間だが、荷物が多かったため45分前までにこなければチェックインは無理だといわれた。次の便は三時間後だという。

「ミスター苺がのんびりしてるから悪いのよ。もっと早くでればよかったのに。」と母はミスター苺を責める。「お母さんたちがぐずぐず写真なんか撮ってるからだ」とミスター苺。

しかし実際には誰が悪いという訳ではない。行きの時間の2倍もみて出発し、出発の一時間前には空港に入れる予定だったのが、途中の道が予測より3倍もかかったことが原因なのである。知らない土地での旅は不測の事態が起きるのは常識。ましてやカナダといえば我々にとっても外国だしこの程度のことはあっても不思議ではない。

私はまえにこれだけ多く出張していながら、飛行機に乗り遅れたことは一度もないといったが、それは私ひとりで行動していたからである。5人といえど団体行動だし、そのうち二人は70過ぎの老齢である。若いひとたちのように遅れたからといって、荷物を持って走れるわけではないし、そういうことを我々は十分に考慮にいれるべきだったのである。

ま、とはいえっても待ち時間が三時間くらいならどうということはない。飛行機がキャンセルになったり、秘書の手違いで予約がはいってなかったりなどで、クリスマスイブの空港で夜を明かしたこともあるカカシ。ビールでも飲みながらのんびりブログでもしよう。

しかし母とミスター苺の間に生じたこの亀裂、この先が思いやられる。

ちょっと余談ですが、、

ロサンゼルスからニュージャージーのニューアーク空港へ向かうために乗った飛行機。 ゲートで待っているとき、ミスター苺が「お父さん達には黙ってるように、、」とこの便の最終目的地を表示する電光掲示板を指さした。 なんと最終目的地はテルアビブ! そういえば待ってる乗客の多くの男性がヤマカをかぶっていたり、ヘブライ語ではなしている乗客がいやに多いなとは思ったのだが。情勢が情勢だけにちょっと汗をかいてしまった。


August 2, 2006, 現時間 11:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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August 1, 2006

ナイアガラの水しぶき

旅行記

苺畑一家はただいまカナダにあるナイアガラの滝を訪問中。  昨日ロサンゼルスからニュージャージーのニューアーク空港へとび、ニューヨークで一泊してから、ニューヨークのラグアディア空港からバッファロー空港へ。そしてそこからレンタルカーを30マイルほど走ってアメリカとカナダをつなぐ国境の橋、レインボーブリッジを渡ってカナダへ入国。

昔はアメリカとカナダの国境はそれほど厳しい取締りは無かったのだが、2000年直前にカナダから爆弾抱えたテロリストがアメリカへ入国しようとして国境の税関の役員に取り押さえられたのがきっかけで、国境の警備は非常に厳しい。 高速道路の料金所のブースのようなところから顔をだした可愛い顔の金髪男性の税関係員はその笑顔に似合わぬ防弾チョッキを着ていた。

ナイアガラへ行く計画を立てていたとき、ホテルがカナダ側にあるので、パスポートをもっていくか悩んだのだが、やっぱり持ってきてよかった。日本から来ている叔母と両親だけでなく、アメリカからの苺畑夫婦のパスポートもしっかり調べられた。

ナイアガラの滝は昔の映画、スーパーマンでも出てきたが、映画やテレビの画像ではとても現せることのできるような代物ではない。我々は最初ホテルまでの道のりで滝の脇を通ったがその壮絶な水の壁に後ろ座席で両親と叔母が「すごいね~、みてみて~」とやってるので、運転している私までがうっとりしてしまった。おかげでホテルに曲がる道を通り越してとんでもないほうまで行ってしまったのだが、これも観光だと言い訳してなんとかホテルへたどり着いた。

ナイアガラ市にある我々の泊まったホテルは結構よくて、私がいつも出張で泊まってメンバーになっているホテルの姉妹店だっただけのことはあり、部屋に泡がたつジャクージと呼ばれるお風呂がついていた。 両親の部屋もなかなかで、私の顔が利いたとちょっと鼻が高かった。多い出張も多少の利益はあったようだ。

本日の予定はとにかく滝のすぐそばまで行く観光船に乗ることだった。 ミスター苺はまず食事をしてからといっていたのだが、なにしろはるばる日本から滝を観に来た両親と叔母は食事どころではない。 すぐさま船に乗ろうといきり立っていた。 それでおなかがすいてるミスター苺を説得して、先ずとにかく船に乗ろうということになった。 (常に腹具合と相談するミスター苺にとってはちょっときつかったのだが)

ところが、ホテルから船着場へ行くまでに、その壮大な姿にすっかり感服した母たちは、ちょっと歩くと「写真、写真」といって立ち止まるので、せいぜい300メートルの道が全然進まない。 「船に乗りたくて待ちきれなかったんじゃないの?」と苛立つミスター苺を傍目に母も叔母もキャーキャー子供のように騒いで写真を撮っていた。「ほら、苺さんもはいって、はいって」と嫌がるミスター苺を無理やり写真に押し込める。 さすが日本人だ。

やっとの思いでたどりついた「霧の乙女号」。 カナダのナイアガラ地方としてはかなり暑い摂氏30度という気温なのに、水よけにともらったビニールの河童をきるともう蒸し暑いのなんのって。しかし船が滝に近づくともう豪雨のごときみずしぶき。それでもアメリカ側の滝はそうでもなかったが、カナダ側のひずめ型の滝のほうでは3方を滝に囲まれびしょぬれになった。母はあれほど見たいといっていた滝を見ず、河童で顔を隠して怖がっていた。おばが大声で「船が立ち止まっている」と叫ぶ。どうやらサービスらしい。私は水しぶきなどなんのそのと滝を見上げたが、周り中水しぶきで真っ白だった。月並みだが自然の力は偉大だと感激したカカシであった。

船の観光が終わった後、カカシ夫婦と叔母は滝の裏側を見る一時間のツアーに参加したかったのだが、両親は70才を越す熟年夫婦なので、ちょっとこれはきつい。またここから徒歩でホテルに戻るのもちょっとたいへんだ。それでタクシーを呼んで両親だけ先にホテルに返し、我々三人だけで滝の裏側を観ようと思ったのだが、強気の母はタクシーなどいらない、もったいない、と駄々をこねた。実は行きがけにサングラスをなくしたから帰り道で探したいのだという。叔母が帰り際に探してあげるからと無理やり両親をタクシーに押し込めると、「タクシー代は払わないからね!」と捨て台詞。ミスター苺がうんちゃんに料金より余計に払って、両親を送り出し、我々は滝の裏側へ向かった。

ちょっと余談ですが、、、

ところで滝の裏側ツアーまでの待ち時間に寄ったレストランのバーで、ミスター苺がポートワインを注文したのだが、3オンス入った大きめのグラスに入れてくれといったら、カナダでは一時間に1オンス以上飲んではいけないという法律があるといわれてびっくり。カリフォルニアでも飲み屋でさえ煙草がすえないという窮屈な世の中になったが、カナダでは一時間に飲む酒の量まで規制されているとは、さすが社会主義傾向のある国である。


August 1, 2006, 現時間 8:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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