August 15, 2006

政教分離という宗教迫害  首相靖国神社参詣に思う

小泉首相が終戦記念日の15日に公約を守って靖国神社を参詣した。アメリカの新聞でもこのことは日本の首相が中国や韓国の圧力に立ち向かうものだとして評価されている。非常に喜ばしいことである。

私は長年外国暮しをしているせいなのかどうか分からないが、どうして一国の首相がその国の英霊が祀られている神社を参詣することで、諸外国に云々いわれなければならないのか、またそれにたいして日本の政治家がどうして諸外国に遠慮して参詣日をずらすなどという政策をとってきたのか、私には皆目理解できないでいる。

確かにA級戦犯が何人か祀られているとはいえ、日本のために命をなくされたかたがたの霊を慰めることがそれほど悪いことなのだろうか? また、政教分離の立場から首相が神社を政治家として参詣するのは好ましくないという意見もあるが、神道は日本文化の基盤でありその伝統を守ることに何の罪があるのだろう?

アメリカでも政教分離を唱える無宗教者によって、公共の場に掲げられる十字架や十戒の刻んである壁画などが、アメリカの政教分離の政策に反するとして訴訟が起こり、アメリカ各地で宗教的な印がどんどん消えていくという悲しい状態が発生している。そのなかで、カリフォルニアでおきたこの事件もスケールは違うが共通点がある。

ソレダド山に戦争記念碑が祀られているのだが、そこがカリフォルニア州の公地に建てられていることから、この記念碑に立つ十字架が政教分離のカリフォルニア憲法に反するとして、無宗教者が訴えていた。カリフォルニアの最高裁はこの原告の訴えを聞き入れ、即刻この十字架を取り除くようにとカリフォルニア政府に要求した。そこでブッシュ大統領は即座にこの土地を州の土地ではなく連邦政府に所属する土地とすることを上院議会に提案し、それが本日可決された。

しかし、ここまでして十字架を英霊の祀られる記念碑から取り除かねばならないという人々をみていると、彼は無宗教なのではなく、反宗教なのだと感じる。彼等の目的は政教分離ではなく宗教特にキリスト教への明らかな弾圧である。

私は神道の信者でもなければ、キリスト教徒でもないが、これらの宗教的な印をみることで特に自分の宗教が迫害されるという気にはならないし、政府が私に無理矢理これらの宗教を押し付けているとも思わない。むしろ公の場でキリスト教徒でない人々の気分を害さないためという理由でクリスマスや復活祭の飾りがどんどん消えていくのを非常に寂しく思うくらいだ。

ジュデオクリスチャンはアメリカ文化の基盤なのであり、そのシンボルはアメリカの伝統を意味する。日本において神道や仏教のシンボルがあちこちにみられるのも全く同じ意味がある。

だいたい政教分離というのは、政府が国教を築きそれを国民に強制してはならない、という法律のはずで、公共の場からすべての宗教的な儀式やシンボルを取り除かねばならないとか、政治家が特定の宗教儀式に参加してはいけないという意味ではないはずだ。いやむしろそのような干渉は政治家個人の宗教の自由を迫害するもので、ひいては宗教そのものへの弾圧でさえあると感じる。

August 15, 2006, 現時間 12:02 AM

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下記投稿者名: アラメイン伯

戦争の結果や目的がどうであれ祖国のために戦って死んでいった人達を祀ることは人間として当たり前のことです。

中国や韓国の内政干渉に屈せず参拝した小泉首相を評価します。

上記投稿者名: アラメイン伯 Author Profile Page 日付 August 15, 2006 12:53 AM

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