日付け → →May 31, 2011

リベラルの意見を引き出すのは歯を抜くより大変だね

以前に槻菟という人からツイッターでカカシの考える民主主義とはなんぞや、という質問を投げかけられ、私はツイッターの限られた字数では説明のしようがないのでブログエントリーを書くと言ってかなり細かく説明した。それに関していつまでたっても返事がないので、人に質問しておいて、そういう態度はないんじゃないの、という私の問いかけにやっと返事が来た。ツイッターは後の文章から先になるから逆に並べる途中でちょっと順序がくずれたかもしれないが、彼の書いたことはまあ、下記の通り。

先ず、学校に於ける掃除ですが、生徒会等の時間を設けて生徒自身に選択させる等の工夫が考えられます。生徒達にとっては自身の通う施設の管理に携わる良い機会になるでしょうし、自治への教育に発展、活用することも教育者の力量によっては可能となることでしょう。

なんだかんだ難しいそうな語彙を並べる割には考えてることが浅いんだよね槻菟君は。私が彼を君呼ばわりしたと言って彼は不服そうだが、だったらもう少し大人の考えを書いてもらいたいモンだな。生徒会の時間を儲けて生徒に選択させるなんてことが出来れば最初から苦労しない。それを労働組合べったりの地方政府がいちいち学校の掃除を誰がすべきかなんてことまで口出ししてくるから問題になるのだ。

また、近隣への調理物の給配についてですが、伝染性の感染症等は起きてから処置するのでは手遅れな事例もございますから衛生管理は重要です。必要との判断ならば行政への働きかけによって給配を為す機関を設立させ、そこで活動なされば宜しいのではありませんか?

つまり、個人で行動せずに政府期間のひとつとして活動せよというわけだ。だが何故政府なら個人よりも清潔で能率的な仕事になると言い切れるのだろう?確かに衛生管理は必要だが、それならボランティア活動している人の台所が清潔かどうか時々検査に来る程度のことで済むはず。それを台所を完全に改造しなければ活動を許可しないということになれば、個人的な活動など不可能になる。もっとも槻菟君は慈善事業を個人単位でする事自体に反対なようだ。

また、近隣への調理物の給配が行う人間の自由意思に基づいているとの記述でしたので、趣味として実行できないことを口惜しいと述べたのでしたら、趣味程度の心構えで行うべき事柄ではないと予め申し上げておきます。

槻菟くんは、個人が出来る範囲のことで慈善をしたいという善意は許せないらしい。

さらには、行政が税金の名目で市民から不当に私財を徴収することは犯罪であり、また事業運営が効率的でなく出費が嵩むのは失策であって行政形態そのものの失政ではありません。

ここまでくるとナイーブとしか言いようがない。政府のやる事業で効率的で出費が嵩まない施設などあるというなら指摘していただきたい。社会主義は建前は立派だが実際に機能しない。政府のやっていることが違法だの犯罪だのと文句をいっても、権力のある人間が犯す犯罪を一般市民はどうやって是正するのだ? 確かに次の選挙で気に入らない政治家を落選させるとう手がなくはないが、それにしたって槻菟くんのように政治家を盲信している市民が多ければそうはうまくいかない。

そして、慈善活動を実行する者や社会福祉を必要と考える者等が近隣にいない地区に居住する要救護者にはどう対処すべきであると考えておいでなのでしょうか?

そういう地域で政府機関がきちんと機能しているという証拠はない。いや、それどころか、政府が口出しするところで慈善活動がきちんと機能している場所のほうが少ない。何故個人より政府のほうがきちんと慈善活動が出来ると言い切れるのだ?

なお、個人の自由意思が阻害されることによって慈善活動が滞るというのも行政の経営形態が効率的でないというのも市民が行政を管理できていないことを示唆しているものと思われます。行政に対してどのような印象を抱いておいでなのでしょうか?自らの主ですか?

個人に必要ない事柄も国家は必要としもします。国家とは共働を為す動態であり共働なくして脆弱であり尚且つ社会的生物たる人間は自然界の内で生存できません。そも、国家が成立したのは何故か考察したことはおありでしょうか?

政府はあくまでも市民の代表であって、市民を弾圧したり統括したりする機関ではない。槻菟くんこそ民主主義というものを理解していない。彼はなにもかも政府というお上を盲信していて、政府のやることに間違いはない、政府に任せておけばいいという考えがみえみえだ。

市民は選挙で政治家を選び税金を払っているから、はい、慈善は政府にお任せします。私は税金払ってるんだからこれ以上困ってる人の面倒なんか見る気はありません。てな考えはまるでおとなりの中国風。これで自分は左翼じゃないって言い張るんだからあきれる。

そちらが想定しておいでの左翼とはどういった定義でしょうか?自称してもおらぬ者まで明確に名指して断言なされるならばさぞかし明確な定義を決めておいでなのでしょうね。ぜひともお伺い致したく存じます。

個人より政府という機関を盲信する人間は自由民主主義者とはいえない。これはまさしく社会主義、つまり左翼だって言ってるのだ。

May 31, 2011, 現時間 11:10 PM | コメント (1) | トラックバック (0)

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日付け → →May 16, 2011

これぞファシズム!ボーイング社新工場建設に口を出す労働組合べったりのオバマ王政権労働省

オバマ政権の労働省(the National Labor Relations Board)は、民間企業であるボーイング社の新工場が労働組合に牛耳られているワシントン州ではなく、ビジネスに友好的なサウスカロライナ州に建設される事に関して、これは過去数度に渡ってストを行って来た労働組合に対する報復であり違法行為だとしてボーイング社の新工場建設を禁じた。

労働省のラファ・ソロモン代理議長はボーイングが労働組合のない工場をサウスカロライナに設置するのは、ワシントン州の国際機械工及び航空工学技師労働組合に所属する従業員を差別するものであると語った。

「労働者のストは基本的な権利として全国労働関係法によって保証されている。「経営側は営業決断を経済的な理由でする権利があることは認めるものの、それは法の範囲以内でされなければならない。」

これに対してボーイング社は労働省の命令は理不尽であるとして法廷に訴えでている。

この間のウイスコンシン州の州公務員労働組合の例でも解るように、アメリカでは労働組合に関する法律は州によって違う。ボーイングの本社があるワシントン州は非常に組合の力が強く、ボーイング社でつとめる機械工やエンジニアはほぼ強制的に組合の加入を求められる。組合は過去に何度となくストを行っており、特に2008年の機械工のストは三ヶ月も続き、ただでさえ15ヶ月も遅れていた787型航空機の生産がさらに遅れ、ボーイング社の2008年三期の利益は38%も減るという大打撃を受けた。

いつまでもそんなふうに、いつ労働組合がへそを曲げてストを行うかわからないような州で新型飛行機の組み立てを行うのは不経済なので、ボーイング社は労働組合の入会の強制がないサウスカロライナに新しい組み立て工場を開設しようと決めた訳である。

労働省の裁断は共和党議員達の間で、特にサウスカロライナ州の知事や州議員たちの間から、まるで暴力団の恐喝紛いの行為だと大きな批判を呼んでいる。

そこで労働省のソロモン代理議長はあちこちのニュースメディアでボーイング社の決断がどのように違法なのかと説明に奔走しているが、そのソロモン代理に対し、ボーイング社から強烈な抗議文が送られた。

ボ−イング社の専務J.マイケル.ラティング氏はソロモン氏があちこちで掲げた問題点について箇条書きで反論している。

1)ボーイングが組合の仕事を他所へ移したという点

新しい工場は第二生産ラインであり、そこでの仕事は新しいもので、既存の仕事をそちらに移すなどということはない。これによってワシントン州の従業員の仕事が失われるなどということは全くない。

2)ボーイングは組合員を罰しようとしているという点

新工場の開設によって既存の職が失われるという前提自体が間違っているため、サウスカロライナの新工場建設がワシントンの組合員を罰することになるという理屈はおかしい。

ボーイング社が新工場をサウスカロライナに開設しようと考えたのは、現在ワシントン州の従業員に払っている賃金が高過ぎるということではなく、これまでのように三年ごとにストライキをされて生産が遅れたり、この不景気にこれまでのような賃金上昇を要求されても対応不可能であるということが主な理由であり、こうした理由は法律にかなったものである。

3)ボーイングの行為はあまりにもひどい違法行為であるため抗議せざる負えないという点

過去六ヶ月に渡ってボーイング社と労働省との話し合いのなかで、労働省は数回に渡り、ボーイング社がワシントン州のピュージットサウンド工場の787人の従業員を一人でもリストラしない限り、この問題は労働省が関わり合いになる問題ではないと言い続けて来た。にもかかわらず今になって、新工場開設が抗議せざるおえないほど違法な行為になるという理屈は困惑の限りである。

4)労働省の取り決めはサウスカロライナ州チャールストン市の工場閉鎖が目的ではないという点

現在ボーイング社は787の7機をピュージットサウンド工場で、残りの3機をチャールストン工場で生産する予定だが、10機全部をピュージットサウンド工場で生産せよとの労働省の命令が、どのようにすればチャールストン工場の閉鎖につながらないというのか、ボーイング社及び庶民は非常に興味深く労働省の説明を見守るところである。

はっきり言ってだ、もしも仮にボーイング社がワシントン州の労働組合のせいで生産が予定通りに追いつかないと判断し、ワシントン州の工場を閉鎖してサウスカロライナ州に全生産ラインを移転したとしてだ、それが何故労働法違反ということになるのだ? これは別にワシントン州の労働組合を罰するとか言う事ではなく、ボーイング社にとってワシントン州での操業は不経済だという自由市場上の判断で合法なはずだ。これは単なる民間企業の経営方針に過ぎず、政府がいちいち口出しすべきことではない!

なのにどうしてオバマ王の労働省はボーイング社に対してこのような理不尽な要求をしているおかといえば、オバマ王は労働組合の暴力団と癒着しているからである。オバマの選挙資金のおおくが労働組合からの献金で成り立っているからだ。

政権が自分の権力を保つために自分に献金する組織を守り、そうでない組織を国の権力を使って圧迫する.これがファシズムでなくてなんだろう?オバマ王政権こそまさにファシズム政権そのものなのである。

May 16, 2011, 現時間 6:39 AM | コメント (3) | トラックバック (0)

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日付け → →May 8, 2011

ララ・ローガンが破った沈黙の掟、女性海外特派員が黙って耐えて来た性的暴行の現状

昨日ララ・ローガンがエジプトで受けた暴行体験をテレビ番組で語った時に、最後の方で彼女が言ったことが非常に印象に残った。

ローガン:ひとつ私が非常に誇りに思っていることは、意外だったのですが他の女性リポーター達が私が沈黙の掟を破ってくれたと語ったことです。これまでみんなが経験して一度も公言しなかったことを。

司会者: それはどういう意味です?

ローガン: 女性は性的な暴力について決して文句は言わないという掟です。誰かから「だからそんな場所に女性が行くべきではない」と言われたくないからです。ジャーナリストとして多くの女性たちがこういう目にあっていると思います。でもだからといって仕事を止めたくない。何故なら彼女たちもわたしと同じように仕事に賭けているからです。彼女たちはアドレネレン中毒なんかでも栄光にどん欲なわけでもありません。ジャーナリストという仕事を信じているからやっているのです。

これまでにも海外特派員として女性ジャーナリストは数々の恐ろしい場所へ出かけて行って取材をしてきたが、男尊女卑など当たり前の国や戦争の混乱で犯罪者がすぐには罰せられないような場所では、女性ジャーナリストへの性的暴行は頻繁に起きる。特に西洋以外の場所では白人女性は皆娼婦だという感覚で性的対象と見られ勝ちである。

加害者はテロリストや犯罪者とは限らず、通訳にやとった現地人だったり、ボディガードや警察官だったりする。

そんななかでセクハラやひどい時には強姦といった目に会った場合、たいていの女性ジャーナリストは沈黙を守る。直属の上司にすら報告しない女性が多い。ましてやローガン記者がやったように大々的に公開してしまうなどということは先ずしないと語るのがジュディス・マットロフ(Judith Matloff)という自分も20年間海外特派員をやったというベテラン記者。

彼女は2007年に"Foreign Correspondents and Sexual Abuse" (海外特派員と性的暴行)という論文を発表している。

この論文のなかでマットロフ女史は女性記者が強姦などの被害にあったことを公開しないのは、辱めを受けたことが公になるのが恥かしいからというよりも、そのことによって「だから女は連れて行けない」と言われて仕事を失うのが怖いからだという。

海外特派員の世界は競争が激しい。男同士でもどれだけ危険な場所で特殊な情報を取材してくるかで出世の道は違ってくる。そんな男の世界で元々女ごときがやるべき仕事ではないと思われているものを、頑張って海外取材に行かせてもらえるようになったのに、そんな場所でセクハラに合いました、強姦されました、などと泣き言を言えば、新聞社にしろテレビ局にしろ経営者に女性記者を企画からはずす良い口実を与えてしまう。

女性記者たちの沈黙の掟は非常に厳しいため、実際にどのくらいの女性記者が性的暴行の被害にあっているのか確かなことは言えないのだが、2005年にブルッセルの国際ニュース安全委員会(International News Safety Institute)が行った調査によると、回答者29人のなかで半数以上が職場でセクハラや性的暴行を受けたと回答した。しかも暴行が強姦の場合でも親しい友達にすら言わなかったという答えが普通だった。

この調査をおこなったロドニー・パインダー氏は調査後にとある幹部女性記者と話していて、彼女の口が非常に重いことに驚いたという。女性記者たちが性的暴行の話をしたがらないのは、1)職場において男女平等の立場を失う、2)新しい企画に就かせてもらえなくなる、と恐れるからだという。

マットロフ女史が個人的に知っている限りでも、イラクで警備員が真夜中に女性記者の部屋に入って来て寝ている記者を犯した例、アフリカで通訳の男性が記者を強姦した例、など女性記者たちは加害者を刺激するようなことは何もしていない。保守的な地元民の眉を潜めるような派手な格好をしていたわけでもない。これらの加害者は単に犯罪を犯す機会があったからそれを悪用したに過ぎないのだ。

しかし、被害にあったことを女性達が通告しないので、経営者側は特に編集長が男性だったりすると、女性におおいかかる戦地での危険性を充分に理解できないことが多い。

例えば、1990年代にモスクワで若い女性記者がロシア兵たちに誘拐され集団強姦された事件は内輪では誰もが知っていることだったが、事件が事件だっただけに仲間内ですら同情の手を差し伸べることが出来なかったと言う。

またマットロフ自身も1995年にアンゴラの空港で同僚の女性記者二人で地元警察官から銃を向けられ、仲間と「楽しい事をしよう」と脅かされたことがあった。結局脅しだけで何も起きなかったので、彼女も同僚も編集者に報告しなかったという。「何も起きなかったんだし、いまさら報告したってしょうがないわ。」と思ったからだそうだ。

問題なのは、記者達があまりにも沈黙を守るため、海外特派員の安全項目にセクハラや強姦への対策といった項目が全くないことにあるとマットロフ女史は書く。予防注射だの、手荷物の手引きだと色々な項目がある割には、女性の身を守るための犯罪予防対策や犯罪の被害にあった際の心構えなど、なにひとつアドバイスがないという。男女同権がこれだけ言われるアメリカで、しかも時代の先端を行くジャーナリスト達の間でこんなに女性の安全が無視されているとは驚くかぎりである。

今回ローガン記者が自分の被害を公開したことで、新聞社やテレビ局など女性特派員を戦地へ送り込む経営者側からも、もっと女性の安全を守る対策を取ってくれるようになって欲しいと思う。また、ベテラン女性記者たちは、仲間同士どのような場所でどのような危険が待っているか、そんな時はどう対処すべきなのかといった自衛対策の情報交換なども行ってほしい。そして被害にあった際にはお互い相談にのってあげられるような組織も作っておくべきだと思う。

戦地でローガン記者のように群衆に囲まれてしまったら、どんなに注意していても被害は避けられなかったかもしれない。だがどんなに友好的に見える人々でも、自分がか弱い女性であり外国人なのだという認識で常に気をつけていれば、被害は最小限で抑えることが出来るかもしれない。海外特派員という仕事は危険がつきものだ。男でも危険な仕事だ。ましてや女なら、さらなる注意が必要だろう。少なくとも最低限の予防策くらいは特派員マニュアルに書かれてしかるべきだ。

フェミニストの皆さんは、スラットマーチなんてやってる暇があったら、こういうところに注意を払うべきなのでは?

May 8, 2011, 現時間 9:57 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 7, 2011

ララ・ローガン恐怖の暴行体験を60ミニッツで語る

2011年2月、エジプトのムバラク大統領が辞任した日、歓喜に狂う群衆の様子を取材していたアメリカのCBSテレビのリポーターで南アフリカ出身の金髪美女ララ・ローガンさんは、突如としてリポーターではなく残忍な犯罪の被害者となった。

彼女が取材班の仲間やボディガードと引き裂かれ、暴徒らによって集団性的暴行を受けたニュースはあっという間に世界に広まったが、三ヶ月たった今、当人のローガンさんはあの日の恐ろしい体験を自ら、彼女が担当している60ミニッツの番組で語った

暴行の内容は私が以前に書いた事と矛盾はないのだが、やはり被害者当人の口から話を聞くと、非常に凄まじいものがある。

一時間以上パーティーのような状況を何事も無く取材していた取材班は、カメラのバッテリーが切れたため一時的に立ち止まった。そこで通訳の男性が突然表情を変え、「ラーラ、ここらから出よう」と真剣な顔で言ったという。その時は彼女は何故通訳がそう言ったのか解らなかったのだが、あとになって聞いたところ、通訳は回りの男達が「彼女のバンツを脱がしてやろうぜ」と言ってる声を聞いて、これは危ないと思ったのだと言う。

だが、通訳が出ようと行った時はすでに遅く、ローガンは後ろから男達の腕に掴まれた。

ローガン: そして突然、私には何が起きているのか悟る暇もなく、後ろから数々の手が私の胸を掴み私の股を掴んできたのです。それもひとりが掴んで止めるというようなものではなく、一人、また一人、そしてまた一人と続いたのです。(ボディガードの)レイはすぐそこに居ました。彼は私の腕を掴み叫んでいました。「ララ、つかまって、つかまって!」

ここで彼女が「止めて!」と叫ぶ音声だけが録音されている。ララはここで「止めて」と叫べば男達は止めてくれると本気で信じたと言う。まさか本当に集団暴行されるなんて思わなかったと。しかし、群衆は彼女が叫べば叫ぶほど興奮して彼女に襲いかかった。

ボディガードのレイが必死に彼女の腕をつかんだが、二人は群衆に引き裂かれてしまった。レイの手にはローラの服の袖が残っただけ。

そのうち誰かが彼女はイスラエルのユダヤ人だと叫んだ。彼女はそのどちらでもないが、そのデマを聞いた群衆はさらに興奮して攻撃は激化した。

ララは自分のセーターが引き裂かれるのを感じた。つぎにブラジャーが引きちぎられ、素肌に風の感触を感じた。以後は多くの手があちこちから伸びて来て彼女は体中をまさぐられつねられぶたれた。数知れない男達の手で何度も強姦された。群衆の何人かが携帯のカメラを使ってその様子を撮影している姿を彼女は目の端で見た。

ローガン: レイとはぐれた時、私はこれで終わりだと思いました。すべてのアドレネレンが私の身体から抜け出てしまったように感じました。私を失った時のレイの顔には私が死ぬと書かれていたからです。群衆は私の身体を方々から引き裂こうとしていました。私の筋肉を引きちぎろうとしていたのです。

男達が彼女の髪の毛を束になってつかみ彼女を引きずり回したので、彼女は頭皮がはがされるのではないかと思ったという。このまま死んでしまったら幼い二人の子供に申し訳がない。なんとか生き延びなければ。もうどれだけ闘っても強姦から逃れることは出来ない。これは生き延びるための戦いだ。そう思って彼女は度重なる暴行に耐えたという。

ローガン:私は間違いなく自分が死につつあると思いました。しかもただ死ぬのではなく、ひどい拷問の末に殺されるのだと、そしてこの拷問はいつまでもいつまでも果てしなく続くのだと。

そうやって20分から25分間群衆の中を引きずり回された彼女は、群衆の端の方にいた女達の集団にぶつかった。男達から人形のように投げ回されていたローガンは偶然ある女性の膝に着地した。この女性は頭からつま先まで黒いチャドラを着ており、ローガンにおおい被るように包んでくれたという。そして回りにいた女たちと暴徒ではない男達が、暴徒に向って水をかけたり物を投げたりして暴徒を追い払おうとした。そこに取材班が助けを求めた兵士らがやっと追いつき、狂った暴徒たちは軍隊によって拡散された。

軍隊に助けられたローガンはそのままアメリカに帰国し病院に一週間ほど入院したが、あまりにも手足を乱暴に引っ張られたため、筋肉や関節が伸びて何日も激しい筋肉痛に苦しんだという。また陰部は皮膚が破れるなどひどい傷を負ったそうだ。

もしも、彼女が偶然にして女達の集団に出くわさなかったら、ローガンは文字通り腕や足をもぎ取られて引き裂かれて殺されていただろう。エジプトには恐ろしい野蛮人が居ることは確かだが、正義感のある人々が居た事も忘れてはならない。

ローガンは、後になってエジプトでは女性に対する性的虐待はごく普通だという話を聞いた。この話はカカシも以前にしたことがある。エジプト男性による女性虐待は日本の満員電車の中でおきる痴漢行為の100倍も悪質らしい。

四日間入院していたローガンはやっと帰宅して二人の子供達と再会した。子供達の顔を見た彼女は自分が第二の人生を与えられたような気がしたと言う。そして自分はこの体験によってより強くなったと語っている。

さて、ここで当然ながら出る疑問は、このような危険な場所に女性リポーターが取材とはいえ行くべきなのだろうかということであるが、ローガンが自分の体験談を語ろうと言う気になったのもそれと関係がある。

ローガン:ひとつ私が非常に誇りに思っていることは、意外だったのですが他の女性リポーター達が私が沈黙の掟を破ってくれたと語ったことです。これまでみんなが経験して一度も公言しなかったことを。

司会者: それはどういう意味です?

ローガン: 女性は性的な暴力について決して文句は言わないという掟です。誰かから「だからそんな場所に女性が行くべきではない」と言われたくないからです。ジャーナリストとして多くの女性たちがこういう目にあっていると思います。でもだからといって仕事を止めたくない。何故なら彼女たちもわたしと同じように仕事に賭けているからです。彼女たちはアドレネレン中毒なんかでも栄光にどん欲なわけでもありません。ジャーナリストという仕事を信じているからやっているのです。

ローガンが自分の体験を公開したことについて、アメリカでは性暴力の被害者を「無条件で保護する」文化があるのかという疑問に対して、フェミニストのエミちゃんが興味深い感想を書いている。

そんな文化が確立していれば良いのですが、それはないでしょう。ローガンさんは、そういう文化を確立するのに貢献するため、問題提起するために、あえて普通なら公開されない被害の事実を勇気を出して公開したのであって、すでにそういう文化が確立しているからと気軽に公表したわけではありません。

そもそも、この件がそれだけ話題になり、ローガンさんの勇気がたたえられている(そして、ローガンさんに対する中傷発言が激しく反発をされている)ということが、ローガンさんの行為が「社会的な価値観」を揺るがすものであることを示しています。たとえば男性ニュースアンカーのアンダーソン・クーパーが暴行を受けた件については、勇気を出して公表したと褒める人もいなければ、かれに対して失礼なジョークを言うのもタブーではありません。

(被害者への嘲笑や批判が)「厳しく禁じられる」のは、性暴力被害を公言することが、いまだにタブーだからです。もしほかの犯罪被害と同じように、被害者の「落ち度」が責められるのでもなく、被害者の恥だとか貞操の問題だとかして扱われるのでなければ、ほかの犯罪被害者と同じ程度には(アンダーソン・クーパーに対して「話題作りになって良かったな」と揶揄する人がいて、それが悪趣味だと思われつつも特に反発を浴びない程度には)許容されるはずです。そうでないのは、いまだに性暴力に関して、ほかの暴力や犯罪行為とは別格の、なにか被害者本人の資質や人格にとって汚点となるようなものだとして見る「社会的価値観」が温存されているからです。

ララ・ローガンさんはこういう仕事は素人ではない。以前にも書いたが、イラクのタルアファーに関する彼女の現地リポートは立派だった。他の男性リポーター達が安全なグリーンゾーンから出ずに地元イラク人のストリンガーを使ってリベラル偏見丸出しで『取材』していたのに比べ、彼女がアメリカ軍に従軍しての現場直接リポートは非常に迫力があった。エミちゃんも指摘しているように、イスラム圏において、テロリストたちに捕まって人質になったり、拷問を受けたり、殺されたりした男性リポーターは大勢居る。それでもそんな危険な場所にジャーナリストは行くべきではないという批判はあまり聞かない。

この事件が起きた後、リビアで起きた紛争を取材していたニューヨークタイムスの取材班がリビア軍に一時的に捉えられるという事件が起きた。その時も一人居た女性カメラマンが六日間拘束されている間、何人もの兵士から性的暴行を受けたと証言している。

ひとりの兵士は彼女の顔を殴って笑った、彼女が泣き出すと余計に笑い、彼女の身体をまさぐった。彼女に携わったすべての兵士が彼女の身体の隅々まで触りまくったと言う。一人の男は優しく彼女の髪を撫でながら「お前は今夜死ぬんだ」と語ったという。

鬼、畜生、野蛮人!

イスラム圏諸国では女性とみれば性的虐待は当たり前という風習がある。自分らの女性にベールを被して体中黒いケープで覆うのも、女性を大事にしているからとか女性を外敵の目から隠すためとかいうのは単なる口実で、実際は女は自分の所有物だと思っているから他の奴らから剥奪されるのを恐れているだけのことだ。年端も行かない娘が近所の男の顔を見たと噂を聞いただけで、我が家の名誉を怪我したとかいって親や兄弟が娘を虐殺するのも、娘の人権など完全無視。自分らの面子だけを尊重した非常に野蛮で低俗な文化だ。

さて、ではそんな場所に女性リポーターやカメラマンは取材に出かけていくべきなのだろうか?

ミスター苺は行くべきではないという。「同じようにフリードマンとかゴールドバーグとかパールなんて名前(ユダヤ系の名前)の人間は男でもイスラム圏に行くべきじゃない。危険すぎる。男女平等とか人権とかいう問題以前に、実際に危険なんだからさ。」確かに野蛮人に文明社会の礼節など期待しても意味がない。危険な場所は危険と認識してそれなりに対処しなければならないというのは本当だ。

でもそれだったら戦地は危険だから女性兵士は戦闘員になるべきではないというのと同じ理屈なのでは?米軍は未だに女性兵士が戦闘員となることを認めていないが、ミスター苺は常に女性が戦闘員になることには全く抵抗がないと言っている。女性兵士が女性だからという理由で戦闘からはずされるのは不公平だと。女性兵士はいいのに女性ジャーナリストはいけないというのも変な理屈だ。

もっとも米軍兵は男性であろうと女性であろうと捕まれば八つ裂きにされて殺されることは決まり切っている、女性だから特に危険ということもない。軍人は最初から危険覚悟で戦地に赴いているのだからジャーナリストと一緒には出来ないのだといういい分もある。

だが、軍人でない女性が戦地に赴くのは何も今に始まった事ではない。第二次世界大戦や朝鮮戦争やベトナム戦争でも、直接戦闘に参加しないとはいえ、第一線で看護婦をしていた女性達や、運転手やパイロットとして戦地で活躍した女性の数は知れない。ジャーナリストのように華々しい仕事ではないが、現地の基地内の施設で賄いや事務の仕事をする女性はいくらでもいた。また、太古の昔からヨーロッパでは、正規軍の後ろから妻や恋人や慰安婦の女性達が着いて行って、戦闘後の兵士らの面倒を観るのは普通だったという。

こうした女性達が敵側の軍に捉えられて恥じかしめを受けた上に虐殺されるなどということはしょっちゅう起きていたことだろう。それでも女性達は危険覚悟で戦地に出かけて行った。

ローガンに起きた事は、そうした暴行のなかでも特にひどいものだったことは確かだが、このようなことは、これが始めてでもなければ終わりでもないだろう。これまでにそんな話が表沙汰にならなかったのは、被害にあった女性ジャーナリストたちが、被害を口にすることによって仕事を失うのが怖かったからだとローガン記者は説明している。

私は別の意味でローガンが被害を公表したことは正しかったと考える。それはイスラム文化はリベラル西洋人がどれだけ美化しようとも野蛮なのだということを世間に知らしめる意味で価値があるからだ。

最近はヨーロッパ諸国でもアメリカでさえもイスラム移民に遠慮してイスラム文化の野蛮さを過小評価する傾向がある。だが現地の危険性を充分に理解せずに、のこのこ出かけて行くの本当に危険だ。ローガンの身に起きた事件を充分に教訓として西側諸国の人間はジャーナリストにしろ軍人にしろエンジニアにしろ、イスラム圏諸国を訪問する際には充分に警戒してもらいたいものだ。

関連記事:
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May 7, 2011, 現時間 11:34 AM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 5, 2011

オサマ・ビンラデンの射殺死体写真は公開されるべき

ホワイトハウスはビンラデンが頭を打ち抜かれた写真は公開しないと発表した。これ以上アルカエダや他のイスラム過激派テロリストを刺激して、戦地に居る兵士らをより危険にさらしたくない、また、敵の首領の首を取ったと言って勝利の踊りを踊るのは悪趣味だというのが理由らしい。

「フットボールをスパイクする必要はない。」とオバマ大統領。「そんなものを持ち出してトロフィーのように掲げるなど、我々のすることではない。」

ここでいうスパイクとは飲み物にお酒を加えてパンチの効いたものにすることにかけて、フットボールはそれだけで面白いのだから、余計なものを加える必要はないという意味。

確かにオバマ王のいうように、我々はアルカイダテロリストたちのような野蛮人ではない。文明人たるもの、例え敵の首領といえども敬意を表するべきだという理屈はわかる。カカシも普通の戦争で勇敢に闘った相手の将軍などであれば、こちらが殺した後も、それなりの弔いをしてやるのは武士道だと思う。

だが、オサマ・ビンラデンは卑怯者の大量殺人鬼だった。奴は我々に正々堂々と戦争を挑んだのではなく、非戦闘員を対象に抜き打ちのテロ行為を行ったのである。だからブッシュ政権はタリバンもアルカイダの戦闘員らを無法戦闘員と呼んで敵国の軍人扱いしなかったのだ。

それにだ、アルカイダやタリバンなどのイスラム過激派は、イラク戦争が始まった当初、西側の軍人や民間人職員やジャーナリストをひっつかまえては首をちょん切り、その模様をビデオにとってユートゥーブなどで大々的に公開していた。日本人の青年もそうやって首を着られた映像が流されたし、ブラックウォーターのガードマンら4人はその上に遺体をやかれて橋から吊るされるなどのさらし者にした。何故奴らはこんなことをしたのだろうか?

明らかに野蛮なテロリストどもを生み出した文化の背景には、敵や敵の親派を恥じかしめることによって自分らの権力を誇示する習慣があるのだ。オサマ・ビンラデン自らが、イスラム社会では人々は強い馬に従うと語っていた。野蛮人らに文明人の礼儀作法や武士道など理解できない。奴らにわかるのは生の血なまぐさい力だけだ。そういう奴らと闘っている以上、こちらも奴らに解るレベルで力を示す必要がある。

そういう意味で、我々アメリカ人はそっちがその気ならこっちもそのくらいのことは出来るんだぞ、何年かかろうと諦めずにお前らを追いつめ何処に隠れていようと突き止めてぶっ殺してやる、俺たちを敵に回せばこういうことになるんだ、という見せしめのためにも、オサマ・ビンラデンの無様な死に様を全世界に披露すべきである。

これ以上テロリストを刺激したくないという理屈は、何の理由もないのに突然3000人からのアメリカ人を殺したテロリストにとって、単なる弱気としてしか受け取られない。今こそアメリカはアメリカこそが強い馬なのだ、勝ち馬なのだといことを、態度で示すべきである。

May 5, 2011, 現時間 11:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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日付け → →May 2, 2011

え〜、ビンラデンが死んだって? もうどうでもいいんだけどね、、

オサマ・ビンラデンがCIAの襲撃で頭を打ち抜かれて殺されたとオバマ王が発表した。遺体は米側が収容したとのことなので、ま、間違いはないんだろう。

はっきり言って今更ビンラデンが死んだからってどうってことはない。アルカイダはイラク戦争でアメリカ軍にこてんぱんにやられてしまって今や見る影もない。ビンラデンなんてただの象徴で特に指導権があったというわけでもない。

それでもオサマ・ビンラデンが死んだというのは祝福すべきことであり、ブッシュ前大統領が色々頑張ってくれたおかげである、ありがとうジョージ・W・ブッシュ!

さてと、色々書きたい事はあるのだが、かなり疲れてるので、簡単な感想のみ。きちんとした分析は週末にでもまとめて書く事にする。

まず、オバマ王のビンラデン襲撃に関する反応だが、ビンラデンを襲撃したという日曜日の真夜中に特別記者会見を開いて一言演説をぶったのはいいのだが、その演説ではまるで中学一年の英語みたいに"I, my, me"という一人称がふんだんに使われており、あれだけ聞いてたら、オバマ自らがコマンドを指揮してビンラデンの隠れ家に乗り込んでビンラデンの頭をぶち抜いたとでもいわんばかりである。

私は大統領就任早々CIAのレオン・パネタ局長に命じて、、、「去年の8月、、、私は諜報部からビンラデンの手がかりに関する報告を得た。「私はなんども国土安全保障局チームと会見し、、、そしてついに先週、私は行動に移すに充分な情報を得たと判断し、オサマ・ビンラデン襲撃作戦を認可した、、」

「本日、私の指揮のもと、合衆国はパキスタンのアボタバドにある邸宅への襲撃を開始した、、、

ああ、そうですか。ブッシュ大統領の代からの作戦がやっと花を咲かせたなんて認識をまったくせず、自分だけがんばってビンラデンをついに殺したなんて言い方は止めてほしいね。まったく何もかも自分の手柄にしたがるオバマ王のやりかたは気色悪い。

しかし、それでもまだビンラデンの遺体を米軍が収容してアメリカに持って帰り、遺伝子検定など色々調査を行ったうえで、遺体を焼かれると天国に行けないと信じているイスラム教徒過激派のビンラデンの遺体を火葬するくらいのことをやってくれれば犠牲者の皆さんたちの気モ収まるだろうと思っていたら、24時間もたたないうちに海に遺体を放ったという。しかもイスラム教のお祈り付きで。

なんでアメリカがビンラデンみたいな大量殺人鬼テロリストの宗教に敬意を表する必要があるのだ?奴は地獄で灼熱の炎に永遠に燃やされるべきなのだ、天国にいって72粒のレーズンに迎えられる権利などない!

なんか、オバマ王ってのは思いつきでいきあたりばったりことばかりやってるような気がする。そうしておいて、まぐれで何かがうまくいくと「ワシが立派だからじゃ。恐れ入ったか、このうつけども、カッカッカ、、、」てなもんだ。

ところで、ビンラデンが「隠れていた」場所というのは、パキスタンでも高級住宅街だと言う話。しかも回りはパキスタンのエリート軍大学や基地に囲まれているとか。いったいそんな場所でどうやってビンラデンは何年も「隠れて」いられたのか、オバマ王はパキスタンをどうするつもりなのか、はっきりさせる必要がある。

付けたし:クリントン時代にオサマ・ビンラデンを捉えるチャンスをあと一歩で逃した事があるが、その時の様子や911同時多発テロがおきるまでの過程を綴ったドキュドラマ、911への道をここで改めて観てみるのも悪くないだろう。

May 2, 2011, 現時間 10:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)

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