November 13, 2007

ジェンダーフリーという神話

アップデート:*エントリーの内容に間違いがあったので訂正しました。*

瀬戸さんのブログを読んでいたら、瀬戸さんがジェンダーフリーという言葉を使っているのが目に付いた。実を言うと、私はェジェンダーーフリーという言葉を今まであまりきいたことがなかった。アメリカのフェミニズム、つまり女性運動は一般にジェンダー(性別)フェミニズムと*エクゥイティ(平等)*フェミニズムに分かれるが、ジェンダーフリーというのはその言葉からして性別を完全に無視したものという印象を受ける。フリーという英語はこの場合「~ぬき」という意味になるからだ。だから多分アメリカでいうところのジェンダーフェミニズムと共通するものがあるのだろうという憶測はできる。

ジェンダーフリーは主として「ラディカル・フェミニズム」の一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論、運動が展開されたため、この運動において用いられる「ジェンダー」の概念は、人文系の学問において一般的に用いられる中立的・客観的な意味での「社会的文化的性別」という概念とは異なっている。

「ラディカル・フェミニズム」においては、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、一方的な支配関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図を持った政治的な概念・用語となっている。

また、この運動においては、「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度を失くしてしまおう」という考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうという主張を展開する。

上記の日本語版ウィキの説明を読んでいると、かなりアメリカのジェンダーフェミニズムの悪影響を得ている概念だということがわかる。ではここでジェンダー・フェミニズムとエクィティフェミニズムの違いについて説明しておかなければならないだろう。

先ず私が信じているエウィティフェミニズムだが、これは男女の性別にかかわりなく才能によって個人は判断されるべきという考えだ。つまり、ある会社がセールスマンを募集していたとして、その採用の判断は応募者の性別ではなく、個々の経歴とか才能で判断されるべきというもの。だから私は消防署の隊員であろうと、警察官であろうと、軍隊の戦闘員であろうと、もしある女性が男性と同じように重たいものを持ったり、長距離を走ったり、敵と取っ組み合いをするだけの能力があるのであれば、女性だというだけで特定の職種に応募する資格すらないという考え方には反対なのである。

しかし、これは決してどのような職種にも女性が雇われなければならないという意味でもなければ、女性が男性と同じ率で昇格させられなければならないという意味でもない。たとえば単純な例として、女性は一般的に男性に筋力では劣る。これはそのように作られているのだから仕方ない。無論これは一般にという意味であり、個人的には一般の男性よりずっと力持ちの女性は存在する。しかしその数はまれである。必然的に筋力を必要とする職種では必要な条件に当てはまる女性は男性にくらべて少なくなる。時には全くいないということもあるだろう。しかしこれは単純に必要な筋力を持ち合わせている人間が女性にいなければしかたないことであり、男女差別ではない。

これに引き換えジェンダーフェミニズム、いわゆるジェンダーフリーの思想はこうした男女の違いを完全に無視して、あたかも男女はなにもかもが同じであるかのように扱うというものだ。これは一見公平なようで非常に不公平な(特に女性に対して)思想だと私はおもう。

私の職種はエンジニアリング、日本語でいえば工学だが、こういう職種に女性は少ない。うちの大学などは女性の生徒への考慮はゼロで、工学部の校舎には1990年代まで女子トイレがなかったくらいだ。(笑) しかしこうした職種を選ぶ女性は別にジェンダーフリーを望んでいるわけではない。頭脳では男性に負けない工学士でも、筋力では男性に劣る。そういう女性に男性と同じ重たい荷物を持たせたり、男性でも耐え難い肉体労働の勤務に女性を配置するのは、かえって不公平だと私はおもう。か弱い女性に肉体労働をさせることはかえって女性への差別だと私は考えるからだ。

無論肉体労働に耐えられるタフな女性が存在するのであれば、存分にやってもらえばそれでいい。私の祖母などは重たい荷物を背中にしょって売りまわる商人だった。今はとんと見かけなくなったが、昔は背中に自分の体重以上の荷物かごをしょってあちこち売り歩く女性を見かけるのは極普通だった。その血を引いてる私は普通の女性よりは力持ちだと自負している。しかし、私は個人的に重たいものは筋力のある男性に持ってもらうようにしている。自分で持てる荷物でも必ず男性の助けを求めることにしている。(笑)

男女差別というのは、個人の能力を無視して性別だけで判断するというもので、男女の違いを意識してそれなりに反応することは性差別ではない。私はジェンダーフリーという考え方はか弱い女性に男性の仕事を無理強いする女性にとって非常に迷惑な考え方だと思うし、男性が本能的に持っているか弱い女性を守りたいという意識に反する悪質な考え方だと思う。だから私は女性の立場からジェンダーフリーは女性には害あって益なしと考えている。

*******
アップデート:2007年1月4日

エントリーのなかで私はアメリカのフェミニズムはジェンダーとウォリティーに分けられると書いたが、これはジェンダーとエクゥイティの間違いだったので訂正した。この間違いを指摘してくださったのは*minx* [macska dot org in exile]というブログ。

アメリカのフェミニズムを「ジェンダーフェミニズム」と「クォリティフェミニズム」に分けるなんて話は聞いたことがない、一体どこから出て来た話なんだろうと言っていたのだけれど、この種の議論を知っている人にとってソースははっきりしている。保守派哲学者クリスティーナ・ホフ・ソマーズが代表作『Who Stole Feminism? How Women Have Betrayed Women』(「デビューボ」でおなじみのエドワーズ博美氏のネタ元)で主張している「ジェンダーフェミニズム」と「エクイティフェミニズム equity feminism」を間違って覚えているだけ。そもそもソマーズの分類自体一般的なものではない(スティーブン・ピンカーが紹介して知られた程度で、一般には使われない)のに、「アメリカでは一般にこうである」とまで言って間違ってるんだから、どーしよーもない。

私はこの言葉使いが一般的だと書いたのではなく、一般にこのように分けることができるという分析をしたまで。言葉を間違えたのは私の落ち度だが、もう少し気をつけて読んでほしいものだ。

ところでこのブロガーはカカシのことを「アメリカ保守の真似をする在米日本人ブロガー」とおっしゃているが、私はアメリカの保守派であり真似をしてるわけではないので、あしからず。

November 13, 2007, 現時間 1:03 AM

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