February 12, 2017

男と女の脳みそは違うのだ!

女性と男性の頭脳は違うという話は以前にもポリコレによって脅かされる女性の健康でしたが、今回は久しぶりにまともな記事を掲載したロサンゼルスタイムスでの論文を紹介しよう。著者はデボラ・W.ソーというカナダはトロント市のヨーク大学脳科学者。「中性教育の徒労」という男女の頭脳には明白な違いがあるという記事。

ソー博士の研究はすでに常識人なら誰もが実感している男女間の脳の違いを証明するものだ。どれだけフェミニストやらジェンダーフリーだのジェンダー流動体だのトランスジェンダーだのと言った人々が、性別は社会的構造であると主張し、子供は男女を問わず白紙の状態で生まれてくるのであり、乳児の頃から全く男女の区別をせずに育てれば、子供たちは誰もが同じように中性に育つと主張してみても科学とは争えないのである。

男女はまだ物心つかない乳児の頃から男児と女児では全く違う性質を示すことが多々の研究で明らかになっている。(研究などしなくても男女の子供を育てたことのある親ならすでに既知の事実だが。)

たとえばおもちゃの好み一つ取ってみても、男女では明確な違いがある。一般に女の子はお人形のような社交術の発達に役立つものに魅かれるのに対し、男の子は自動車とかトラックのような空間認識を育てる機械的なものを好む。

最近発表された研究によれば、9ヶ月の乳児でも男女の差は現れ始め、18ヶ月にもなれば子供たちは自分の性に対する意識など全くないにも関わらずその差ははっきりするという。また、女児が胎児のときに多くの男性ホルモンを吸収すると生まれてから男っぽい性質を見せるようになる。つまり、男女の性質の差はホルモン摂取の量に深く関わりがあるということらしい。

興味深いのは人間だけでなく類人猿でも同じような傾向があり、ベルベット猿を使っての研究では、若いメスザルはお人形にオスザルは車輪のついたおもちゃに惹かれた。これらの猿は飼育係から特別なオスメス区別は受けていないにも関わらずだ。

こうした科学的なデータがあるにも関わらず、中性運動はどんどん勢力を増し、昨年ナショナルアカデミーオブサイエンスで発表された研究では男女の脳は全く同じだと結論付けている。男女差は生物学的なものではなく人工的に創造された社会構造だと主張したのだ。

しかしながら、多大なる神経画像調査により、男と女の脳には明らかな違いがあることがわかっている。126の別々の調査により、男性の脳みそ容積は女性のそれよりも大きいことが発見された。また男性の脳にはより多くの白い接続体が前方から後方につながっているのに対し、女性の脳の接続体は右と左との間につながっているという。

先に男女の脳は同一だとした調査のデータを他の科学者が再度吟味した結果、このデータを使って73%の割りで男女の脳を見分けることができたという。しかしこの発見はメディアから注目を浴びなかった。

男女中性教育の元となったのは、幼児を男女で区別して育てることによって個々の才能の可能性をくじくことにつながるのではないかという考えだ。女の子でも技術系の職について欲しいし、男の子でも社交的技術を身につけて欲しいという、親心から出たものである。

しかし男女の子供たちの性別的な傾向というのは環境というより胎児のときの男性ホルモン量の影響を強くうけている。だから、子供たちの性別によって好きな行動を規制されるということさえなければ、子供たちが性別に合った行動を好むことには全く問題はないのだ。

ソー博士は同じくLAタイムス掲載の別の記事でも、男女の脳の働きを政治に結びつけるフェミニストやトランスジェンダーを批判している。

フェミニストは男女同権が講じて男女の頭脳までも同じだと言い張る。トランスジェンダーは男女は違うのだから異性の性質を強く見せる個人は異性であるべきと主張し思春期前の幼児に異性ホルモン投与を奨励したりする。ソー博士はこのどちらも間違いだと語る。

このことは統計学でいうところのベルカーブというわれる正規分布を理解できればわかりやすい。私は統計学は専門ではないのだが、素人の理解力で説明すると、ある種の統計を取ってその結果を線グラブにした場合、一番数の多い傾向が線グラフで鐘形の頂点になり、両極端になるにつれ数が減って鐘形の両淵になる。

正規分布は N ( μ , σ 2 ) と表記します.これはカッコ内の2つの値, 平均 μ と 分散 σ 2 が決まれば正規分布が一意に定まることを意味しており,この平均 μ と 分散 σ 2 を母数(parameters)といいます.

 正規分布は平均 μ を中心として左右対称になった西洋の釣鐘と似た形状の曲線(ベルカーブ)の分布形を描きます.

つまり、男女の性質というのは傾向を示すものであり、男子なら/女子なら、平均的にこういう性質を持った人が多く居る、という意味に過ぎない。そしてこの性質は脳の構造や男性ホルモンに非常な影響を受けているというもの。だから個人によっては極端に異性っぽい人もいれば極端に性一致している人もいるというだけのことなのだ。

男女の脳に差があるからといって、それは決して男女間に優劣があるという意味ではない。以前にも書いたように種目の違う運動選手を比べて陸上競技選手とレスリング選手のどちらが優れた運動家かなどと聞くのと同じである。男女には違いがある。だがその違いはそれぞれ別々の形で現れるものであり、その適正を理解することは男女差別でもなんでもない。

公平な社会であれば、極端に異性っぽい人が異性の多い仕事に着くことを可能とし、自分の性にあった行動が好きな人は、好きな行動をすることが出来る。そうやって社会が個人個人の行動選択を尊重しさえすれば、男女の差があることを認めたとして何の問題もないはずだ。

男女は同じだとか、男女の区別は社会構造にあるとか、性別は流動性があるとか、そういうおかしなことを言う人たちこそ、男女差別意識から抜けられない人々なのだとカカシは思うね。

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February 12, 2017, 現時間 2:12 PM

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