さて今日はビクター・デイビス・ハンソン教授の、なぜ戦を学ぶのか、の最終回。今日の話題は軍事技術と戦法の発展について、、
軍事技術は進歩しても人のおつむは変わらない
軍事技術の進歩はすさまじい今日、新兵器や世界中にあっという間に伝達される情報などを考えると、戦争の仕方は昔と全く違うものになったと思い勝ちである。しかし軍事歴史はたとえ3万フィートの上空からGPS爆弾を使って一人の人間を殺すことが出来たとしても、ネットでジハーディストが世界中に一度にプロパガンダを流すことができたとしても、それが必ずしも戦争における勝者と敗者を決める決め手となるとは限らないとハンソン教授はいう。
改良路肩爆弾対装甲ハンビーは、射出機(大石を敵陣に打ち込んだ古代の武器)対石の壁や火縄銃対鎧をきた騎士の現代版に過ぎないのだ。長い戦争の歴史では防衛にしろ攻撃にしろ武器が一定の技術でとまっているということはない。かわらないのは単に一時的にどちらかが有利になるといったことだけなのだ。
ということは、どれだけ新しい武器が発明されようとも、人間のおつむが変化しない限り、戦争の性質そのもはかわることはない。1991年の湾岸戦争では最新型のコンピューター起動の武器が使われた。しかしどれだけの最新兵器も戦争にたいする政治目的がはっきりしていなかったことから戦争は決定的な集結を得ることができなかった。 時として戦争の終わりに、なぜかアメリカは軍人も政治家もフセインを敗者として扱わなかった。アメリカはフセインが石油でもうけた金で平和を乱すようなことがないような対策を全くとらなかった。だから敗者であるはずのフセインがアメリカおよび連合軍の見てる前でクルド人を虐殺し、航空禁止区間で再び戦い、そして三度目の正直でフセイン政権を倒さねばならなくなったのである。
軍事歴史は異常事態や矛盾に満ちている。スパルタがペロポネシア戦争でアティカを侵略した最初の春、スパルタ軍はアテネ人は数カ月で降参すると考えていた。しかしアテネ人は降参しなかった。ところが疫病が流行り、スパルタ侵略よりも多くのアテネ人が死亡してしまった。 27年後、強靭は海軍で知られていたアテネはおざなりな海軍しか持っていなかったスパルタに海戦で負けてしまった。 2003年、何万という犠牲が出るだろうと予想されたフセイン政権崩壊にはほとんど犠牲者を出さないままあっけなく終わってしまった。ところがその後比較的スムーズにいくだろうと思われていたイラク復興は思いの他手間どっている。
軍隊の大きさも戦場での成功は保証できない。サラミス、イソス、メキシコシティ、そしてレパントの勝者たちは皆、数の勝る敵を相手にして勝った。また戦争における一番残虐な殺しあいは得てして戦争終焉を目の前にして起きる。同盟軍の1918年の一斉攻撃、1945年春のロシアによるベルリンへの攻勢、バルジの戦い、広島、などすべて終戦直前に起きている。そして民主主義社会の指導者たちは戦争中に国民の不信任を得て辞任を余儀なくされる場合が多々ある。ウィンストン・チャーチル、ハリー・トルーマン、リチャード・ニクソンなどがそのいい例だ。
勝ち戦には父親が何人もいるが、負け戦は孤児だ
アフガニスタン戦争で、イギリスもソ連も勝てなかったアフガニスタンの遊牧民軍団であるタリバンをアメリカ軍が比較的少数の軍隊で数週間で崩壊させた時は、アメリカ市民は皆一丸となってブッシュ大統領を支持した。2003年初期、イラク戦争が始まる直前には多くのアメリカ市民が戦争を今か今かと待ち遠しく待ったものだ。エリートといわれたのフセインの衛兵軍によって何万というアメリカ兵が殺されると思っていた戦闘は、たった数週間でわずか500名の戦死者を出しただけでフセイン政権はあっというまに倒れてしまった。この時のブッシュ大統領の支持率は90%近かった。
ところが、2003年の後半から2004年にかけて戦況が厳しくなると、こちらの犠牲者の数はそれほど多くなっているわけでもないのに、戦争への支持は急激に減り、戦場から次から次へと悪いニュースばかりが入ってくる2006年になるとブッシュ大統領の支持率は40%以下となってしまった。
しかしハンソン教授にいわせると、これは戦争ではごく普通に起きる現象だという。軍事歴史では市民は勝ち戦は支持するが、戦争に負けてきたという印象をもったら即座に支持を撤回してしまうなどということは非常に多く見られるという。戦争の道徳的な動機や、勇敢な軍隊や、誇り高い犠牲などは市民の戦争への支持を保つことはできない。「市民の支持がすべてだ、、、それがあれば何も失敗しない。だがそれがなければ何も成功しない」と言ったのは偉大なるエブラハム・リンカーン。ゲティスバーグで大勝利を得た北側は支持の落ちかけていたリンカーンの人気をあげたが、その年の後の方で数回に渡って味方軍を大量に失った。コールドハーバーの戦闘ではなんと20分で7000人の北側兵士が戦死した。こうなってくるとリンカーンの政策には全く変化がなかったにも関わらず市民はリンカーンを憎んだ。
ジョージ・S・パットン将軍はかつて「アメリカは勝者は愛するが、敗者は許さない」と語ったが、今も全くそれは変わっていない。
戦争の歴史から何を学ぶべきか?
戦争の歴史が我々に教えてくれるものは、過去の英雄たちが道徳的な目的をもって現在の我々の自由と安全のために払ってくれた犠牲の尊さだ。もし我々がシャイロ、ベルーウッド、タラワ、そしてチョースンのことを何も知らなかったら、軍事墓地に並ぶこれらの十字架は鮮やかな緑の芝生を飾る美しい石でしかない。
現代のアメリカ人が自由にiPodsを聴けるのも、デパートで安心して買い物ができるのも、すべて過去の何千という過去の犠牲と苦労があってのことだ、とハンソン教授は強調する。だがそれと同時に過去の英雄たちは現代の市民にも将来の子孫のために必要とあらば同じように犠牲を払うことを期待していた。アメリカ合衆国は戦争によって生まれた国であり、戦争によって統一された国であり、戦争によって破壊から救われた。未来の市民がどれほど豊かで優雅な生活をしようとも、この恐ろしい歴史の記憶を失ってはならない。
さて、それではどうすれば、現代人は過去の軍事歴史をきちんと学ぶようになるのだろうか?ハンソン教授はこれは教育界だけの問題ではなく、問題はもっと深いところにあるという。現代人は軍事歴史の価値を過小評価することで戦争そのもの価値を見落としているのだと。
ハンソン教授はどれだけ国が豊かになろうとも教養が高まろうとも善良な市民が増えようとも、それだけで人間の根本的な性質が変わって紛争の起きる社会が過去のものになるというわけではないという。過去の戦を学ぶことによって我々は神のように何の落ち度も無い存在になどなれないことを知るのであり、世の中には常に平和よりも戦争を好む人間がいるということを知るのだ。しかしそれと同時に過去にもそして現在にも道徳的な理由によってそうした悪いやつを阻止しようとする英雄が存在するのもまた変えられない事実なのだ。