とにかく寒いんだよね、今年の冬は

なんだかここ数年、毎年のように繰り返しているような気がするが、今年のアメリカは、去年よりも寒い記録的な冬となった。私にはアメリカ各地に知り合いがいるが、皆、口を揃えてやたら寒いと言っている。
出張で東海岸に行っていた同僚たちも、吹雪で空港が閉鎖されて帰りが数日遅れてしまったとか、運良く飛行機に乗れたひとでも、キャンセルになった便が多くてスタンバイの客で空港はごった返していたと語っていた。
その話を昨日も書こうと思っていて、別のことでいそがしくなってしまい書けずにいたら、今日こんな記事を見つけた。
今、アメリカは全体的に寒波に襲われているのだが、特に南部の寒さがひどいようだ。普段こういう寒さには慣れていない州では高速やハイウェイでの交通事故が相次いでいるとことだ。
オハイオ州では、氷に覆われた滑りやすい道で身障者を載せたミニバンがトラクタートレイラーにふつかり、四人が死亡した。
アトランタ州のハットフィールドジャクソンアトランタ国際空港付近では、例年の摂氏14〜5度程度の気温とちがい、金曜日に降った雪が夜中に凍って道路の表面に氷が張ってすべりやすくなっていたことが災いして30台の車が連続衝突するという大事故が起きた。
アラバマ州の避難所では寒波を恐れる人々のために普段より多めのベッドを用意しているという。「こんな時は中に居ないとね、外に居たら土左衛門になっちまうよ。」とバーミンガム協会のシェルターで、あるホームレスの女性は語った。
今週の寒波で凍死した人の数もする人の数も増えているとのことで、モンタナ州のビルで44歳の男性の凍死した遺体が発見されるという事件もあった。また南部10州で寒さのため学校や市役所など公共施設が閉鎖されている。
吹雪は今夜中にペンシルベニアのフィラデルフィアにとどくと見られており、13cmから18cmの雪が降るであろうと予測されている。ピッツバーグやニューヨークではここ数日毎日のように雪が降っている。
シカゴではなんと一晩で20cmの降雪。オーヘラ国際空港では、解氷のためかなり便の遅れがみられる。
ネブラスカ州の数箇所で州境界のハイウェイが閉鎖されたため、市外に出られず孤立す市もあった。長距離列車の編むトラックはシカゴ/デンバー間の運休。
オハイオでは土曜日の朝まで吹雪は続くと予測されている。
もっと寒いのは、なんといってもミネソタやサウスダコタ州で、あまりの雪に除雪トラックも走れないというひどさ。
まだまだ色々ひどい地区はあるのだが、列記していたらきりがないので、このへんにしておく。
幸いカリフォルニア南部はここ数日温暖な気候が続いているが、アメリカ全土はほぼ雪に覆われているようだ。
ところで、アル・ゴアの温暖説をおちょくるつもりか、アル・ゴア氷の彫刻を掘った人がいる。イメージはこちらをクリック
いつになったら、その温暖化とやらはくるのかなあ。まちきれないなあ。


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六割以上の強姦被害者が自衛は役に立ったと回答、自衛否定論こそ有害である!

自衛は役に立たないとか害あって益無しとか言って自衛を否定する人々の意見とは裏腹に、強姦の被害にあった際、自衛は非常に効果的であるという非常に興味深い統計があるので紹介しておく。
これはアメリカの2006年の犯罪統計のまとめで、英語ではthe 2006 National Crime Victimization Surveyという報告書。

そのなかで、特に強姦の被害者として実際に襲われた時点で何らかの自己防衛手段を使って抵抗した人(銃や刃物などの武器を使わず、声を張り上げた、逃げた、蹴った、殴ったといったような)に、その自衛は役に立ったかどうかという質問をした時、役に立ったと答えた人が63.8%も居たという。反対にかえって状況を悪化させたと答えた人は13.8%、状況は好転もしたが悪化もしたと答えた人は1.9%。どちらとも言えないと答えたのが12.7%、わからないと答えたの人が17.8%だった。

襲われたら最後、どんな抵抗をしても無駄だとか、自衛は害あって益無し、なんて何の根拠もないのに口から出任せを言う人のいうことを信用して、実際に襲われた際に全く無抵抗で相手の言われるままになるのは、安全どころか非常に危険だ。自衛否定論は、逃げられるかもしれない状況をあえて否定してしまっていることで、非常に有害である。

ところで、自衛は否定しないが自衛論は否定するとはどういう意味だ? 「自衛をしない人間は強姦されて当然だ」という論を自衛論だと勝手に定義づけているなら、今すぐ止めてもらいたいものだ。話がややこしくなる。

アップデート:
下記のコメントで圧倒的多数意見は、『「自衛」を否定したのではなく、「自衛論」を否定しているだけだ、お前は読解力ないな! 』というものだ。

しかし『自衛は個人の責任であり、効果的である』という論説は、被害者を傷つけるだけで有益無害であるから、自衛の大切ささえ説いては行けないという理論は、結果的には自衛を否定することになる。自衛論を悪用する馬鹿がいるから自衛論そのものを弾圧しようという行為は自衛否定と全く同じ行為だ。

相手が自分と意見が異なるのは、相手が自分のいってることを理解できていないからだ、という考え方は自衛否定派たちの傲慢さを物語る。彼らのやっていることは実質的には自衛否定なのだ。彼ら自身がそれに気づいているから、「自衛は限られていて役に立たない」と何百回も言ってたくせに、自衛の効果をはっきり提示されると「自衛否定など最初からしていない。」という敗北宣言となるわけだ。

アップデート2:
私が自衛(論)否定者たちの言ってることを理解できずに自衛を奨励している、と決めつける人が非常に多いのでもう一度言う。私は自衛否定者と自衛論否定者を混同してなどいない。「自衛否定ではなく自衛論否定をしているのだ」という当人が繰り返し「自衛は役にたたない」と書いているのを私は何度も読んだ。

自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、フランチェス子の日記

フランチェスコは「自衛を説くことは有害」だと断言している。自衛は否定しないが自衛を説くことは否定するなんてのは屁理屈もいいとこだ。

「自衛」を主張したって無意味です。
本当に、狙われたら最後、逃れようがないのです。
(略)
性犯罪以外にも、ひったくりや強盗もあるし、自衛は大切です。
そんなのはわかっています。
はっきり言います。誰だって自衛はしているのです。
女性は誰でもしている、ものごころついた頃からしているのです。
私も今でもしています。ずっと。
それでも、被害に遭うのです。
自衛しているにしろ、していないにしろ、被害に遭うのです。
狙われたら最後、防ぎようがない。あなたは悪くない

「自衛は大切です」といいながら、自衛などしても強姦は「防ぎようがない」と自衛の効果を否定している。これは自衛は役にも立たないと言っているのと全く同じだ。

ところで今気がついたのだが、二人とも『「自衛論」を説く人は、』とか『「自衛論」を主張しても』とは書かかずに、どちらもそれぞれ『「自衛」を説くひと』、『「自衛」を主張しても』と書いている。二人とも自衛も自衛論も同じ意味で使っている。

はっきり言って、自衛論否定は自衛否定と同じである。自衛論とは、自衛に関する個人責任を追求する論理であり、自己責任の追求は被害者を傷つけることになるからすべきではない、という考えは自衛の責任は個人にはないと言っているのと同じだ。

自衛の自己責任を否定するということは自衛を否定しているのと実質上なんの変わりもない。しかも、自衛に関する話をする事自体いけないということになるなら、人が自衛の方法を学ぶ事を否定しているのであり、自衛否定以外のなにものでもない。自衛に必要な情報や議論を弾圧しておいて、「なにも、自衛をするなとはいってない」など、よくも平気な顔して言えるものだと思う。

私は自衛(論)否定者の言っていることを誤解して批難しているのではない。私は自衛(論)否定者たちの言っていることを100%理解した上で批難しているのだ!
いい加減、ちゃんと読めよ。

追記: 日本では現実的ではないが、アメリカでは一般市民の所持する銃砲によって凶悪な犯罪が阻止された例がいくつもあるので、それについても紹介しておこう。銃砲による自衛は、一個人による防衛がどれだけ役に立つかという究極な例といえる。下記は私が二年くらい前に書いたエントリーからのリンク:
銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2


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被害者だからって自衛論を否定する権限があるのか?

私は911事件で家族を失った人や、イラクやアフガニスタンで息子や夫や妻を失ったという人が、あたかも自分が対テロ政策の専門家になったような口を聞くのにはかなり頭にきていた。自分が被害者だからとか当事者だからというだけで、突然その人間がテロの専門家になれるという意識が理解できない。同じように、自分が犯罪の被害者になったことがあるというだけで、突然犯罪学の専門家にでもなったつもりで「自衛論を説くな」とか命令する輩には、はっきり言って私は非常な憤りを感じる。
あんたら、何様のつもりよ?あんたらのくだらない犯罪論のせいで、防げるかもしれない被害が防げずに、被害に合わなくてもいい人が被害にあったら、どういう責任をとってくれるわけ?
自衛論は被害者を傷つけるって?セカンドレイプだって?何を根拠にそんないい加減なことをいってるわけ?
こういうことを言う人たちってのは、自衛は個人に責任があるという主張をすると、「それみろ、薄着をしている女が悪いんだ、ミニスカートで男を誘惑する女のせいなのだ、俺がわるいんじゃない。」と思って、極普通の男が突然強姦魔に変身するとでも言うのか?そうだとしたら、それこそ神話じゃないか?
普通の男は女性を強姦したいなんて想っていない。普通の男は、たとえどれだけ性欲を感じても、女性の意志に反した乱暴なことをしたいなどとは考えていない。何故なら好意をもっている女性に嫌われたい男性なんていないからだ。
女性の意志を無視して、いや、あえて嫌がる女性を無理矢理自分の支配下に起きたいなんて想ってる男は元々変態なのだ。そんな奴は自衛論の是非になど興味はない。そういう奴の犯行を阻止することが出来るのは、奴が奴の欲望を実行に移すことを困難にする状況をつくることであり、終局的には当の被害者となりうる女性の手にかかっている。
自衛を唱えると、実際に被害にあった人が裁判の際に「自衛をしていなかったからいけないんだ。」と責められる可能性があるからすべきではない。という人に対しては、私はよくアメリカで言われる「6人に運ばれるより、12人に裁かれることを選ぶ」ということわざの方を選ぶね。
つまり、自分の身を守るために加害者を殺したとして、殺人罪で裁判にかけられ12人の陪審員に裁かれたとしても、死んで6人に棺桶を担がれるよりはまし、という意味。
悪いけどね、被害者にとっては、強姦された後の裁判で犯人が有罪になろうがどうなろうが、強姦されたっていう事実を変えることは出来ない訳でしょうが。そんなことより、強姦されないように気をつける方が先決じゃないの?
私は自衛論否定者の言う事を読むにつれて、この人たちは被害者の気持ちとかなんとか言う割には、本当は被害者のことなんか本気で考えてなないんじゃないかという気がしてくる。本気で被害者を減らしたいなら、なるべく多くの女性に効果的な自己防衛のやり方を教えるべきだ。被害者なら自分の体験を生かして他人が同じ目にあわないように色々教えるてあげるべきだ。被害者に被害にあわないような自衛論を説くな、なんて馬鹿なことを言えるはずがない。
とおもうんだけどね。
アップデート:
私がフランチェスコさんの書いてることをきちんと読めてないという指摘があったので、具体的にひとつひとつの点を分析させてもらう。

自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、

女性の夜の一人歩きは避けましょうとは、口を酸っぱくして言われていることなのに、まだまだ夜道の一人歩きをして襲われる女性が後を絶たない。あきらかにそんな「自衛はすでに皆やっている」という供述は誤りである。
夜道を一人歩きしないことが「現実に全く即してない」生活をしている人は、その生活を見直す必要がある。職場が遠過ぎるなら引っ越すとか、職場の従業員や雇用主も含めた人々で相談して、夜遅く徒歩で帰る従業員の送り迎えなどを考え直すことをお勧めする。

被害に遭うのは自衛がたりなかったからだという間違った認識を人々に植え付け、被害者を傷つけ、萎縮させ、黙らせてしまう。これはセカンドレイプであり、このような二次加害は、性被害をうけうるすべての男女を抑圧しつづけ、未来の被害者をもあらか傷つけている。

被害者がセカンドレイプで傷つかないようにするには、被害者の届けを扱う警察や病院や相談所などの人々が被害者に対しての心遣いをどうするか、というきちんとした教育を受けることが大切だ。自衛論を否定する暇があったら、そういう人々への理解を求める運動に力を入れてはどうなのだろうか?

自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分さえ守れないだろう非力な人間の「ぼくのかんがえた自衛」など有害無益。「自衛を説くのが無意味だとおもわない」という人は、舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われても、絶対に無傷(襲われてる時点で無傷じゃないから無理なはなしだけれど)でいられる方法とか、もしくは性犯罪者を事前に見分ける方法、性犯罪者と出会わないようにする方法をおしえてください。もちろんふつうに日常生活をおくりながら、です。それならきいてやってもいいわー。よろしくね。

「自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分」では試してみた事もないのに、役に立たないと決めつけて、自衛を否定する事こそ有害無益。こういうのはハイジャックされたらおとなしく犯人のいいなりになっていなさいと言う人と同じ。この間の航空機爆破未遂事件でも乗客の「自衛」が300人以上の人々の命を救った。
公共の場所で襲われる人というのは、攻撃者からみて弱者に見える場合が多い。だから襲った場合に面倒な抵抗をしそうな人間は犯罪の被害者にはなりにくい。常に自分の回りの環境に注意を払う人、歩いている時に目的を持って歩いている人、武器をもっていそうな人などがそれだ。
また、性犯罪者を事前に見分ける方法とまではいかないが、怪しげな行動をする人を見抜く方法というのはある。これは警察官や警備員が常に受けている訓練と同じだ。個人だけでなく、隣近所の人々が、公園で一人で子供の遊びを見ている変な男がいたら、話しかけてみるとか、近所に見慣れない人がいたら、挨拶をしてみる、というだけでも犯罪者を遠ざける役に立つ。
万全の注意をしていても100%防犯が可能とは言えない。しかし、少しでも被害を少なくする事が出来るのであれば努力する価値はある。100%の効力がないから全く努力は無駄というのはあまりにも極端な考えだ。

っていうかそんなことより、身近な人が被害に遭った際、二次加害を加えないための注意事項(有害無益な「ぼくのかんがえた自衛」を説くな、もそのひとつ)や、ウェブで不特定多数の被害者を傷つけないための配慮のがよほど重要だとおもうんだけれども、なぜかそっちにはぜんぜん興味ないみたいで、そこからおのずと透けてみえるものがありますよね。

ウェッブで不特定多数の被害者の気持ちを傷つけない事の方が、今後被害者を増やさないようにすることより大切だという考え方には全くついていけない。私にとって最優先なのはこれ以上の被害者を出さない事だ。人々を犯罪から守ることのが一番大切だ。申し訳ないが私にとって、犠牲者の気持ち云々は二の次である。事件後の被害者への対策は、また別の問題として議論されるべきであり、自衛の是非に関する問題と混合されるべきではない。
正直な話、フランチェスコや他の自衛論否定者には、被害者の数を減らそうということに全然興味がないように思える。そういう行動からは、個々としての女性をあくまでも弱者として留まらせておこういという、なにやら悪どい政治的アジェンダが透けて見える。


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自衛は無意味ではない!

ちょっと一部でまだ続いている強姦に関する話題だが、「あなたは悪くない」というブログで、『自衛』を主張したって無意味ですというエントリーがあって、そりゃ違うだろ、と思った。
そんな書き方をすると、それこそ「素人は黙ってろ」と言われそうなのだが、犯罪の被害者になったことがなければ防犯について語ってはいけないということはないはずで、自分の経験を生かしたこと以外は語る価値はないというのもかなり傲慢な言い方のような気がする。
と、前置きをした上であえて言わせてもらうなら、カカシは性犯罪の被害生存者である。英語でいうならサバイバーというやつだ、ということを告白しておこう。
信用できると思っていた友人や恋人から「なんで隙を見て逃げなかったんだ?」とか、無理矢理連れて行かれたのに「そんな時間になんで一人で男の部屋にいったりしたんだ?」とか反対に責められた経験もある。届け出た警察でも、屈辱的な犯罪の過程を根掘り葉掘り聞かれた末に、取り調べの刑事から「浮気を隠すために強姦話をでっちあげたんだろう。」と一笑に伏された経験もある。
だから私は完全なる部外者ではない、その私が自衛は大切だといえば多少は重みがあるのではないかと思う。


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頭から腐るオバマ政権の対テロ警備体勢

先日の航空機爆破未遂テロで、なぜアメリカの警備体制が完全失敗したのか、ナポリタノ国土保障省長官の「組織は機能した」発言を聞いて、疑問に思うことがあった。
国土保障省の組織自体はブッシュ政権のそれとは特に変化はないはずである。それならば何故、ブッシュ時代にはきちんと機能していたものが、オバマ王政権になった途端に機能しなくなったのか? 
また、ホワイトハウスのギブス報道官が各政府機関とのデータベース共有化を進めたい意向を示した、という記事を読んで、今更なにをとぼけたことを言っているんだろう、そんなことは911事件以後ブッシュ政権によってすでに実施されていたのではないか?
組織というものは、たとえきちんとした機能を備えていても、それがしっかり動くためには、組織内の人員がそれぞれの段階できちんと役目を果たさなければ、デザイン通りの効果は望めない。決められた仕事の必要最低限のことだけをするのと、必要以上の努力をするのとでは結果はまるで違ってくる。そして人員がどのような仕事をするかは、上が何を求めているかという態度で変わってくる。
ブッシュ政権の頃は、ブッシュ前大統領のテロはなんとしてでも防がねばならん、という信念が国土保障省の節々で感じられたに違いない。どんな取るに足りないように見えることでも、細心の注意を払って対処するようにと、従業員たちは上から常々言われていたに違いない。
オバマ王政権はブッシュ政権と違って対テロに関する姿勢が甘い。ナポリタノ長官が保障省の長官に任命され、今後テロ行為をテロリズムと呼ばずい、man-made-disaster(人造災害)と呼ぶと宣言した時から私は悪い予感がしたのだが、国土保障省の従業員たちにも、そのオバマの姿勢が伝わったことは想像に難くない。
そんなことを考えている折り、私はこのアメリカンスペクテーターの記事を読んだ。この記事では匿名の国務庁の職員の話が紹介されている。
爆破未遂犯人のUmar Farouk Abdulmutallabはイギリスへの再入国ビザを拒絶されていた。犯人はロンドン大学卒業後イエメンにわたったが、その後イギリスへの再入国をするために学生ビサを申し込んでいた。それに使った学校がイギリスでは悪名高いイスラム過激派学校で、この学校はテロリスト養成所の看板学校として見張られており、この学校に入る目的での入国申請は自動的に拒絶されることになっている。この情報はアメリカにも伝えられていたにも関わらずアメリカは何もしなかった。

「我々には諸外国と諜報に関して協力するという合意があります。」と国務庁の職員は言う。「いくつもの協定が司法省や外務省、諜報部や国土保障省などを通じて機能します。ワシントンにある、こうした組織のいくつかがこの情報を受け取っていたにも関わらず、我々のシステムには全く警報を鳴らしませんでした。 」

この職員によると、オバマ政権の声明とは裏腹に、ブッシュ政権の時であれば、このような情報には赤旗が立てられ、すぐさま最優先されていたという。しかし政権交替からは「私たちはイスラム教徒を標的にしているとか、プロファイリングをしているように見えることは避けるように(上から)言われてるのです。キャリアの従業員のなかには、ブッシュのやり方や政策には不満を持っていた人も多くいたので、そのやり方の下で働かなくてよくなってホッとしている人もいると思います。」
(中略)
「私はブッシュ政権の時ならこのような失態は犯さなかっただろうとは言いません。」とクリスマスの失態について職員は言う。「ただ、こういう情報や個人について全く違った心構えをするようにと私たちは言われているのです。」

犯人はイギリスで入国禁止リストに乗り、アメリカの一般危険人物にリストにも載っていたというだけではなく、アメリカで二週間も滞在するというのに手荷物ひとつで、旅券も持たず、片道の航空券しか持っていなかったという。そういう人間がなんで空港を素通りするんだよ!
こんなことだったら、我々一般人が素っ裸になってセキュリティを通ってみても意味がない。規則や規制なんていくら作ってみてもそれを有効に施行しなくては意味はないのだ。
魚が頭から腐るとは良くいったものだ。


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机上の空論ではない自衛論、一人旅で気をつけたいこと

大晦日なのにしつこくて申し訳ないが、今回は個人が簡単に出来る(するべき)自衛についてお話したい。ところで、自衛を唱える人に対して私は理不尽な批判が多くあるように思えてならない。それは、

  1. 自衛を個人に強要しようとしている。
  2. 自衛は個人のみの責任であり社会は関係ないと唱えている
  3. 自衛をしないで被害にあったら自業自得、加害者のせいではないと主張している。

はっきり言って、イスラム教のシャリア法を強制するタリバンじゃあるまいし、女の子のミニスカートは違法にすべきだなどと本気で言う日本人はいないだろう。社会の治安を良くして行く努力が必要なのは当たり前だが、社会が変わるのを待っている余裕はないので、自分たちで出来るところから始めようと言うのが自衛論者たちの姿勢だと思う。第三に至っては馬鹿馬鹿しくて話にならない。
私は自衛論を批判する人に、あなたは出かける時に家の戸締まりはしないんですか?とお聞きしたい。
ところで「自衛論者は我々が自衛をしていないと思っているのか?」と聞く人があった。ここであえて言わせてもらうならば、非常に多くの人が出来る自衛を充分にしていないと私は思う。
これは私自身が犯罪の犠牲者になったことがあるので言えるのだが、自衛というのは、常に考えていないと、何かあった時ではとっさに判断できない。何かあってから「ああ、あの時ああしておけばよかったのに、あんなことをしなければよかったのに」と思うことはよくある。後にして思えば自分が常識的な防犯をしていなかったことに気づき、自分を蹴りたくなることもある。
普段から、こういう場合にはこうしよう、ああしよう、という計画があれば、たとえ犯罪にあっても、被害を最小限に抑えることが出来るというものだ。
私がこれからお話する自衛法は職場で強制的に受けさせられた自衛法セミナーからの受け売りだが、決して机上の空論ではなく、私も常々こころがけているものである。
以前にもお話した通り、カカシは出張が多い。女性のひとり旅は常に危険を伴う。もちろん、これは女性でなくても充分に気をつけるべきことだ。
飛行場:
飛行場のゲートロビーなどで会議前の最後の準備とばかりにおもむろにノートパソコンを開けるのはいいが、回りでどんな人が見ているから解らない。企業秘密や個人情報を含む画面が出るような仕事をするなら、画面が真正面からではなくては見れないようになっているモニターを選び、後ろに誰が座っているかに注意を払う。
携帯電話で重要な話はしない。回りの迷惑も考えず、やたら大声で他人が聞きたくもない話をする人がいるが、誰が聞いているかわからないのだ、人に知られたくない話は厳禁。
送迎バス:
バスの中で見ず知らずの人と、自分が何処から来てどこへ行くのかというような話はしない。ま、飛行機のなかでハワイには休暇で行くとか話す分にはかまわないが、私はどこどこの何と言う会社に勤めていてこのような企画についてる、なんて詳しい話を聞かれもしないのに話す人がいるのには驚く。新婚旅行とか家族旅行ならともかく、一人旅ならこういう話は厳禁。
ホテル
ホテルの場所は繁華街は避ける。たとえ職場から多少遠くても、治安の良さそうな場所を選ぶ。その地域に行った事のある人や、地元の人に相談するとよい。
部屋の位置は、一階、特に外の通りに面している部屋は避ける。外から誰が泊まっているか丸見えになる部屋は駄目。
やたらに自分の部屋番号を人に教えない。信用できる友達や同僚なら別だが、ホテルのロビーなどで大声で「私は203号室よ、あなたは?」とかいう会話はしないこと。誰が聞いているか解らない。
おつきあい
出張先でのお付き合いもほどほどに。酔っぱらって歩けなくなるほど飲まないのは当たり前だが、カカシは勧められると調子に乗るほうなので本当に自重が必要。また、夜の一人歩きは危険なので男性に送ってもらうのは当然。しかし、その男性が送り狼にならないように、部屋には安易に入れないこと。男性がお手洗いを借りたいと言ったらロビーの公衆お手洗いをつかってもらうようにする。(注:自分は普通のおばさんだから、そんなことはあり得ないという油断は禁物。性犯罪の犠牲者は若い女性だけだと思ったら大間違い。)
また、あなたが男性なら安易に女性の部屋に入らない。後でセクハラされたとか言いがかりを付けられる可能性も考える必要がある。
というわけで、今回は誰でもできる一人旅での注意事項を掲載した。このアドバイスを聞くも聞かぬも本人の自由、強制はしない。あなたも大人だ、ご自分のリスクで行動してくださいな。
アップデート:関連することで、女性の一人旅での注意事項を書いている人がいたので、ここでも紹介しておこう。やっぱMITで修士を取ろうなんていう頭のいい人は言う事が違うわ。
海外で一人旅の女性がモテないで済む方法

  1. バー・レストランでは、テーブルの二人席に座る。
  2. 目をあわさない
  3. 目が合っても、愛想笑いしないで普通の表情でいる。
  4. 興味がない人とは頑張って話さない
  5. 間違ってもおごってもらわない

詳しい説明は全文をお読みになることをお勧めする。


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おばさんでもミニスカートは履くよ

私がひょんなことから口を出した曾野綾子さんの「用心するということ」に関するエントリーを通じて、それに関する意見を色々読ませてもらった。
しかし、いくら自己防衛奨励側が、用心するということは、決して加害者の罪を軽減するという意味ではなく、被害者がどれだけ隙を見せていようと、加害者にそれを悪用する権利はないのだと繰り返しても、反対派はまだ我々が被害者を一方的に責め立てているという歪曲した解釈を変えようとしない。
はっきり言わせてもらうが、家に多々の警備設備を設置してガードマンを何人も配置させている家であろうと、ドアや窓を開けっ放しにしている家であろうと、盗みに入った泥棒の罪は同じである。強姦魔が女性を襲った場合に、その女性が酔っぱらって動けない状態であろうと、正気で攻撃者の顔を引っ掻くくらい暴れられる女性であろうと、強姦という罪の重さに変わりはない。
ところで、曾野綾子のエッセーのなかでも、ミニスカート云々という下りが、かなり顰蹙を買ったようだ。

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

曾野さんがいう、「結果」とは男性の気を引くという結果であり、強姦という結果を期待しているという意味ではないだろう。いくらなんでも曾野さんはそんなことは言ってない。しかし、彼女の批判をしているohnosakikoというブロガーのは、曾野さんの考え方は、保守とか右寄りとかいうことよりも、昭和6年生まれのお嬢さん育ちで、思春期に潔癖性を叩き込まれたという生い立ちに影響されているのではないかと書いている。

「親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。」というエッセイの締めくくりは、まさに思春期に純潔教育を叩き込まれた女性の言い分である。

そういう人の中には、ボディラインを強調したり露出の多い服を着た若い女性が1人でいるところを見れば、すぐさま以下のような連鎖が心の中で起こる人が一定数いるのだろうと思う。()内は件のエッセイより引用。
・男の目を引くじゃないの!ったく今時の女の子は警戒心もなくてお気楽なもんねえ。(最近の日本人は用心することをしない)
  ↓
・私たちの若い頃はそんな勝手なことは許されなかった。そんな格好しようもんなら後ろ指指された。(性的商売をしていると思われても仕方ない)
  ↓
・だからあれは男を誘ってる格好よ、薄々わかってやってるのよ。(その服装は結果を期待しているからだ)
  ↓
・襲われても仕方ないわ。(経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい)
曾野綾子の性道徳のあり方や差別意識の源を「保守だから」「右寄りだから」とする人は多いと思うが、どんな時代をどういう人として生きたかを考えると、話は単にそうした政治的ポジションだけに帰結するものではない気がしている。

ここでちょっとファッシン歴史のおさらいをさせてもらうと、ミニスカートが最初に流行ったのは1960年代、昭和40年代である。いまから50年近くも前なのだ。日本でも当時の芸能人、黛ジュンとか森山加代子とか、いまのミニスカートなんて比べられないほど短いスカートでテレビに出演していた。
それを言うなら、昭和9年生まれの我が母ですら、子供の授業参観日にミニスカートを履いて行って、クラス中の男の子が後ろを向いてしまって授業にならなかったなんてこともあった。(うちのママの脚線美は近所では有名だったのよ。)
つまり、おばさんたちは頭が古いからミニスカートを履く若い女の子たちの気持ちがわからないなんて解釈はナンセンスなのである。今ミニスカートで闊歩しているお嬢さん方のおばあさま方の時代からミニスカートは履かれていたのだから。
ところで、今思い出したのだが、若い頃(1980年代)、当時住んでいたロサンゼルス郊外のある町付近で歩いていたら、突然車が近くによってきて、「〜はいくら?」と聞かれたことがある。〜とは性行為の一つのことだったのだが、うぶな私には一瞬何の事か解らなかった。相手の表情からハッと気がついて急いで家にかえり、家族にその話をしたら、「そんな格好で外を歩いているからだ!」とミニスカートを履いていた私は反対に叱られてしまった。
後で知ったのだが、私が歩いていた大通りは、当時「たちんぼ」の売春婦が多く出没していた場所だったのだ。
私は別にミニスカートを履くなといっているわけではない。かく言う私もこの年でミニスカートもホットパンツも履く。見せられる脚があるなら、見せたっていいじゃん、というのが私の考え。
し、か、し、
そういう格好をするのであれば、時と場所を選ぶ必要がある。
例えば、浜辺でビキニ姿で裸足で歩いているのは別にかまわない。これは普通だ。しかし同じ姿で海岸からひとつ通りを隔てたレストラン街でそういう格好であるくのはどうだろうか?アメリカの海岸近くのレストランで「シャツ無し、靴無し、サービス無し」と書かれた場所が結構あるのも、ここはすでにビーチではない、それなりの格好で来てほしいという意味だ。
曾野さんのエッセーを読んでいても、彼女はミニスカートを履くなとは言っていない。ただ履くのであれば時と場所を考えろと言っているように思える。

今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。

曾野さんは、「日本以外の」と特定しているが、日本でも同じことだ。去年、佐世保の米海軍基地付近のホテルに泊まった時に感じたことがある。それは、ある程度の時間になると、普通の女性の姿が見られなくなり、繁華街を歩いている女性のほとんどが水商売関係の女性になることである。
同じ繁華街でも、新宿あたりで若い男女がコンパの行き帰りに歩いているといった雰囲気とは、まるで違っていた。
特にセーラーアリー(水兵裏道)と呼ばれるあたりの繁華街は、女性では怖くて一人では歩けない。私は二人の男性のエスコート付きだったが、歩いている女性たちの胸もあらわにしたぴちぴちのミニスドレスは、どうみても場末ホステスのコスチュームであり、そういう女性たちは米兵にうれしそうに触られていたし、自分からもべたべたしがみついていた。
そういう商売をしている人なら強姦されてもいいという意味では決してない。だが、そういう商売をする女性なら、よっぱらった水兵たちが、そういう女なら何をされても文句を言わないだろうと勘違いする可能性には充分注意する必要がある。
女性が男性を魅了したいと思うのは自然な感情だ。美しい胸元や脚線美を披露したいと思うのも多いに結構。そういう容姿を持っているならどんどんやっていただいてかまわない。真っ昼間の浜辺ならビキニもショーツも多いに結構。夜遅くボディコンのドレスを着るにしても男性エスコート付きとか、車で送り迎えをしてもらえるパーティ会場やクラブなら全く問題ない。

親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。

というのは、何も戦前生まれの潔癖主義を叩き込まれていない現在でも充分に通用する忠告だと思う。


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遅ればせながら、曾野綾子さんの「用心すること」エッセーについて

以前に私が紹介したレフティさんのブログで、女性が強姦魔から自衛する行為を促すのは女性差別なのかという問題が議論されていた話はしたが、その話題の元となったのが曾野綾子さんが産経オピニオンに掲載した「男は獣」という内容のエッセーだったというので、原文を産経のサイトでは探してみたら見つからなかったので、原文を再掲しているこちらの方tyokorataの日記のサイトをリンクさせてもらう。
思った通り、左翼のフェミニストたちが大騒ぎするほどの内容ではない、過激な左翼フェミニストでなければ常識と取れる内容だった。特にミニスカート云々には同調する部分が多い。ま、前置きはともかく、これが原文。

産経新聞 オピニオン 「用心するということ」
外出時間やスカート丈・・・結果に責任
警察が、夜11時以降の公園の立ち入りを禁止するという条例を作ろうとしたら、それは「憲法に違反する」と若者からの突き上げがあった、という。警察は「憲法に違反しません」と言う。警察がこういう防止策を講じようとしたのは、もちろん最近残酷な犯罪が起きているからだろう。
もちろん決定的に悪いのは犯人だが、被害者の遺族の気持ちを考慮せずに言えば、最近の日本人は、用心するということをしない。大学生がアルバイト先から、暗くて自分でも気味が悪いと思うような夜道を歩いて帰る、ということが本来は常識外なのである。
アラブの保守的な国なら、娘たちは、毎朝父か兄かに送り迎えをされて登校する。1人で外出したり、外国へ旅行したりすることは、考えられない。欧米の国でも夜道を1人で女性が歩いたりすることは非常識な行動だと、なぜ日本では教えないのだろう。
今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。
 
基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。
ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。
先日パリのデパートをのぞいたら、果たして最新ファッションが並んでいた。しかし町行く人たちは、保守的で質素な服装ばかりで、私はすこしがっかりしたのだが、
 「午前中から最新ファッションの人なんかで歩きません。そういう人は夜遅くです」
 「ほんとうに最新流行を着こなすお金持ち階級は、車に乗って移動するんです」
という2つの返事で納得させられたのである。
太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。
親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟のうえでしなさい、と私なら言いそうである。

日本の女学生の制服のスカート丈が短か過ぎるというのは、アメリカ住む中年伯母さんのカカシ自身もずっと感じていたことだ。これは私個人だけの意見ではなく、一緒に日本に出張したアメリカ人の中年女性からも同じ感想を述べられたことがある。また、アメリカ人の同僚の男性から、日本のエロアニメの女の子たちの格好は大げさに描かれていると思っていたが、日本に行って女の子たちがそっくりの格好をしていて驚いたと言われたこともある。
私服なら本人が自主的に着る服だから本人の責任云々を問うのはいいとしても、制服となると、生徒の身の安全を守るべき立場にある学校が、女学生の身を危険にさらすような制服を強制するのは感心しない。
曾野さんが、男尊女卑の最たるアラブの保守的な国の慣習を持ち出すのは不適当だと思うが、夜中に危険な場所で一人歩きをすべきではないというのは常識すぎて議論の余地はない。
私は仕事柄出張が多い。女性が一人で泊まるのだから、宿の手配には男性と違い色々気をつけなければならないことがある。
例えば、ドアが道路に面しているモーテルは厳禁。女性が一人で泊まっていることが外から丸見えだからである。また米軍基地付近はもとより、繁華街にあるホテルも駄目。単にうるさいだけでなく、やたらに歩いていると酔っぱい絡まれる恐れがある。
同僚と一緒に出張していると同じホテルに泊まっていたほうが何かと都合がいい事もあるが、一緒に行く同僚が男性で、特にそういう安全対策に鈍感な人には、私は自分が女性であることを強調し、男性のようにやたらな場所には泊まれないのだということを解ってもらうようにしている。それで駄目なら別々のホテルに泊まるしかない。
また同僚の男性と同じホテルでないほうが、別の意味で都合のいいことも多い。同僚だからといって自分の部屋番号をやたらに男性に教えるのも問題だし。
こうした常識的な自衛は別に女性差別でも何でもない。世の中には悪い奴がいるのであり、常に警察に頼れるとは限らないのだから、自分の身は自分で守ろうという話に過ぎない。
はっきり言って、女性の独立を唱えるはずのフェミニストが自分の操を守る行為を他人任せにすることのほうがおかしくないか?
私は以前に自己防衛のための格闘技教室に行った事がある。アメリカだったので、この教室で防衛のための銃の使いかたも教えてもらった。講師の女性は、学生寮に押し入った強盗に強姦された自分の『ルームメイト』の話をし、彼女は自分も含め他の女性にも犠牲者になってほしくないという気持ちからこの教室を始めたと語っていた。
この教室に参加した女性たちは、自分達が女性差別を受けているなどと考えただろうか?そんな悠長なことが言えるのは、自分が犯罪の被害者になったことがないからではないのか、と反対に問いたくなるのは私だけだろうか?


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危険人物を野放しにしていたずぼらな米国土安全保障省

クリスマスの日に起きた航空機爆破未遂事件について、オバマ政権の高官たちは日曜日、あっちこっちのテレビニュース番組に出演して、何故このような事件が起きたのか言い訳に忙しい。
特に国土安全保障省のジャネット・ナポリタノ長官の「(警備)組織はきちんと機能した」という発言が、野党の共和党議員らの間から厳しい批判を浴びている。

ナポリタノ長官は組織が機能したと語りました。事実は組織は機能しなかったのです。(民主/共和)両党で修正方法を探さねばなりません。犯人は飛行機に爆発物を運び込み、爆発物に点火したのです。もし成功していれば、飛行機は墜落しクリスマスの日に300人近くの人々が殺されるという大虐殺がおきるところでした。この陰謀はあと一秒あと一歩で実現するところだったのです。勇敢な人々が機内に居合わせてくれたことを神に感謝します。そしてこのテロリストが起爆に成功しなかったことを神に感謝します。しかし犯人はワンヤードラインというところまで行っていたのです。(ピート・キング共和党下院議員)

まったくだ。犯人の男の過激な危険思想は実の父親が心配して当局に通報するほどだった。にもかかわらず犯人の名前は危険人物名簿に載っていただけで登場拒否名簿には載っていなかった。

 逮捕されたナイジェリア国籍のウマル・ファルーク・アブドルムタラブ(Umar Farouk Abdulmutallab)容疑者(23)については、ナイジェリアの有力銀行家である同容疑者の父親が前月、「過激な思想を募らせており心配だ」と在ナイジェリア米大使館に連絡し、警戒対象者リストの1つに加えられていた。

 しかし、1万8000人を記載した搭乗拒否リストには同容疑者の氏名は掲載されておらず、同容疑者は2008年に取得した米国の入国査証を保持。24日にナイジェリアのラゴス(Lagos)からオランダ・アムステルダム(Amsterdam)を経由して、翌25日にデトロイト行きのNW機に搭乗した。
 ギブス報道官は、各政府機関がそれぞれリストを作成していることを指摘し、データベースの共有化を進めたい意向を示した。

なぜこんな危険人物が登場を許可されたのかという質問に対して、ナポリタノ長官は、犯人の名前は50万以上名前のある一般名簿に載っており、この名簿には誰もがアクセスできた。しかしそれより重要性の高い名簿に載せるような詳しい情報はなかったと語った。さらに長官は来週、この名簿のあり方を見直す予定だと言っている。

(オバマ大統領の)ギブス報道官は、各政府機関がそれぞれリストを作成していることを指摘し、データベースの共有化を進めたい意向を示した。

なにが今頃名簿のあり方を見直すだの「共有化を進めたい」だの言ってるのだ。そんなことはもうすでにやっていたんじゃないのか?
ところで、読者の皆さんは、TSAというアメリカの運輸保安庁(The Transportation Security Administration) がうっかり秘密の警備体制情報をインターネットで公開してしまっていた事実をご存知だろうか。
これは今月初めに発覚したのことなのだが、これは全国の空港で使われている警備マニュアルが関係者の不注意でネット公開されてしまったという事件。一部秘密の箇所は黒い帯で隠されてはいたが、この帯は操作次第で簡単に画面から外せるようになっていた。
おかげで、どのように怪しい人物を審査するかというこのマニュアルは、テロリストにどのように保安庁の審査から免れるかを教えるマニュアルと化してしまったのである。
このマニュアルには、どの国のパスポートが自動的に審査の対象となるかとか、どのような身分証明書が審査から除外されるかとか詳しい秘密情報が満載されていたという。
現在保安庁は漏洩がいったいどこから起きたのか調査中だというが、漏れた情報は古いもので、現在のやり方とは違うから心配ないなどという無責任な言い訳をしていた。
私は今回のテロ未遂事件にしろ、マニュアル漏洩事件にしろ、問題の根源はナポリタノ能無し長官及びオバマ王自身にあると考える。オバマ政権は守りが甘いのだ。全く国土保障の重要さに気がついていない。敵国の首相らのご機嫌取りをして、国連で演説ぶって、ノーベル平和賞なんぞもらっていい気になっているだけで、国の運営は成り立たない。オバマ王には国の政(まつりごと)をしようという気がまるでないのだ。オバマ王にとってアメリカなんぞどうなってもかまわないのである。
だから国土安全保障省も運良く爆弾が起爆されず勇敢な乗客が犯人を取り押さえてくれたという事実を無視して「組織が機能した」などと頓珍漢なことを言うナポリタノのようなずぼらな人間が長官をやることになるのだ。
一連のインタビューのなかで、ナポリタノ長官は空の旅は「とてもとても安全」だと保証した。これですっかり安心、、だよね?


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イスラエル、アメリカ領事の車あやうく警備員を轢き殺す

オバマ王が反イスラエルなのは有名だが、どうやらオバマはイスラエルにもイスラエル嫌いの大使を送ったらしい。エルサレムポストによると、ウエストバンクの検問において、アメリカ領事の車が身分証明の書類確認のため警備員から一時停止を命ぜられた際、その命令に背いて無理矢理突っ切り警備にあたっていたイスラエル兵をわざと轢き殺そうとした。
また、イスラエル防衛軍は、過去にアメリカ領事の車が許可なくパレスチナ人をウエストバンクに運んだことがあると、カンカンに怒っている。
この事件が起きたのは、去る11月13日のことで、ウエストバンクのギルボア検問に外交官の印のついた車が五台連なってやって来た。しかし運転手は窓を開けようともせず警備にあたっていたイスラエル兵を轢き殺そうとし、その際その場にいた女性の兵士にわいせつなジェスチャーをしたという。
事件後イスラエル警察の警備長官とアメリカ地元領事の代表が会議を行ったが、その際イスラエル側は、今後アメリカ大使が検問所で一時停止をしない場合は、検問を通さないと警告。また、過去に米領事館職員の車に無許可のパレスチナ女性が同乗するなど米領事職員の度重なる警備違反を批判した。
アメリカ大使は、13日の事件については謝罪したものの、領事の車が違法にパレスチナ人をイスラエルに連れ込んだという嫌疑については否定している。
最近アメリカのリベラルの間では、あからさまなユダヤ嫌いが顕著になっている。特にオバマ王の政権はイスラエルに対してパレスチナとの一方的な妥協を要求したり、イスラエルがイランに先制攻撃をかけた場合には、アメリカはイスラエルとの同盟を断ち切るとか、イランからイスラエルが責められてもイスラエルの自己防衛を認めないとか、同盟国とは思えない過激な反イスラエル発言を連発している。
中東において、アメリカにとって一番大切な同盟国を、ここまでコケにする理由はいったい何であろうか。


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