尻切れトンボな舞台版『Once ダブリンの街角で』

2007年の映画ワンス、ダブリンの街角での舞台ミュージカル版を観て来た。元々映画だったとは全然しらなかった、というより義母からただ券をもらって観に行っただけで内容など全くしらずに観た舞台ミュージカル。日本でも六本木で11月にブロードウェイミュージカルのキャストで上演される。そのサイトから紹介すると、、、

開演前に観客は舞台上のバーで実際にドリンクを買い、その場で飲み物を楽しむことができる。そして気づけばキャストによる生演奏が始まり、舞台は自然と幕を開ける。そんなミュージカルを今まであなたは観たことがあるだろうか。これこそがミュージカルの本場、ブロードウェイで大絶賛された舞台「Onceダブリンの街角で」だ。
本作は2007年にアカデミー賞で歌曲賞を受賞した同題の映画をベースにしたミュージカル。2011年にオフ・ブロードウェイで初演されると瞬く間に話題となり、翌年にはブロードウェイに進出。トニー賞で最優秀新作ミュージカル作品賞を含む8部門を受賞し、2013年にはグラミー賞ベスト・ミュージカル・シアター・アルバムを受賞、昨年にはロンドンのウエストエンドで開幕し、オリヴィエ賞を受賞するなど、世界中で注目を集めている。(略)
オーケストラやバンドはなく、キャスト自らがギター、ピアノ、ヴァイオリン、アコーディオン、ドラム、チェロなど楽器を演奏し、音楽がつくられていく過程が表現されるのも見どころの一つ。
人生に希望を見いだせないストリートミュージシャンの男性とチェコ系移民の女性が音楽を通して心を通わせていく愛しくて切ない恋の物語を存分にご堪能あれ。

お芝居の前にアイルランドのアイリッシュパブに見立てた舞台でお酒が出るという演出は何処でも同じらしく、私が観たハリウッドのパンテージ劇場でも同じだった。舞台なので場が変わっても舞台装置はパブのまま。テーブルや椅子を動かして主人公の家になったり銀行になったりレコーディングスタジオになったりする。
第一幕はパブで多々のキャストによる歌や演奏や踊りが満載で楽しい。どっちかいうとミュージカルというよりアイリッシュパブでアイリッシュ音楽の生演奏を観に行っているという感覚。すべて歌も演奏もすばらしく、脇の踊りも結構いいし、アイルランドやチェコ移民の庶民的な振り付けは観ていて楽しい。筋は後から付け足した感じであんまり意味がなく、あってもなくてもいいような印象を持った。それでも主役二人の男女の淡い恋物語には魅かれるものがある。この二人の関係がどういう風に展開していくのか興味をそそられて第一幕が閉じる。
注意:ここからはネタバレあり〜!


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ヒュー・ジャクマンの歌唱力が冴えた映画レ・ミゼラブル

最近のハリウッドのミュージカルというと、主役に歌えない役者を使うことが多くてブロードウェイミュージカルが映画になると舞台ファンの間から「映画では良さは解らない、舞台をみなくっちゃ、、、」と言われることが多かった。しかし今回のレ・ミゼラブルに関しては主役陣の歌唱力には往々にして満足した。ただ全体的に映画としての演出が先きだって、肝心の歌が多少犠牲になった感がある。二時間半という長さも、舞台とちがって休憩が入らない映画としてはちょっと長過ぎたかも。
私が子供の頃、初めて読んだ大作といえば原作のビクトル・ヒューゴーの「ああ無情」。当時の私はフランス文学に凝っていて、なかでも少女コゼットがジャン・バルジャンに救われるシーンが好きで何度も読み返した記憶がある。
舞台は革命が終わり、ナポレオン時代も終わり、再びルイ王邸が仕切る復古時代の仏蘭西。青年の頃に飢える妹の子供達のためにパンを盗んだ罪で5年の刑に処されたジャン・バルジャンは拘束中に何回か脱走を企て失敗し刑期が加算され、結局合計19年もの長い間囚人奴隷として拘束されてきた。そのジャン・バルジャンがやっと刑期を終えて保釈される。だが、前科者のジャンに職を与えてくれる人などおらず、あちこちを彷徨ううちにとある教会にたどり着く。親切な神父によって一晩の宿を与えられたジャンは教会の銀の燭台を盗んで逃走。すぐに地元の警察に取り押さえられ教会に連れ戻されるが、そこで神父は燭台は自分がジャンにあげたものだと言ってジャンを弁護。恩を仇で返した男にそこまで慈悲をみせてくれた神父の親切さにうたれたジャンは、心を入れ替えて善人になると神に誓う。
レ・ミゼはミュージカルというよりオベラである。中で台詞はほとんど入らず全てが歌。踊りはない。よって踊りの好きな軽いメッセージのミュージカルが好きな私としてはちょっと苦手なタイプ。大昔にブロードウェイのコンサート版を観た時の印象はオペラとしては音楽が貧弱だが、ミュージカルとしては楽しみに欠けるというあまり好意的なものではなかった。
しかし映画版の方は、主役のジャン・バルジャンを演じたヒュー・ジャクマンが良いからなのか、舞台版より良かった思う。ジャクマンが歌えることは以前からサンセットブルバードなどでも聴いていたので知っていたが、力強く歌う「裁き」も最後の方でつぶやくように同じ歌を歌った時も非常によかった。彼の演技には泣いてしまった。
映画はジャン・バルジャン及び囚人奴隷たちが大型の船を造船所に引きつけるところから始まる。これは映画ならではの壮絶なシーン。
ただ、映画ということで演出と演技に重点を置くあまり、全体的に歌の迫力が犠牲になったように思う。特に職を失って娼婦に身を落としたフォンティーヌ(アン・ハサウェイ)の「夢破れて」は、あまりにもつぶやきすぎで歌という感じがしない。フォンティーヌは瀕死の病人なので、あまり元気に歌うのもなんではあるが、普通の人間が歌を歌うということ自体がすでに不自然なのであるから、もう少し元気よく歌っても良かったのではないかと思う。特にこの歌は有名だし他でも多くの歌手が歌っている事でもあり、もう少し歌らしく歌ってほしかった。
同じことがフォンティーヌの娘コゼット(アマンダ・セイフライド)と一緒に育った里親夫婦の実の娘エポニーヌ(サマンサ・バークス)の歌う「オンマイオン」でも言える。
歌についてもうひとつ苦情があるとしたら、仮釈放の規則を破ったジャン・バルジャンを執拗に追いかけるジャベール刑事を演じるラッセル・クローの歌唱力は他の役者の歌がうまいこともあってかなり劣る。ラッセル・クローは好きな役者だし彼の演技は申し分ないのだが、ジャベールは非常に大事な役なので、やはりもっと歌のうまい役者を選ぶべきだったのではないか。
旅館経営者のティナルディエ夫妻(サーシャ・バロン・コーヘン、ヘレナ・ポナム・カーター)の「宿屋主人の歌」は舞台ではショーストッパーになる歌なので期待していたのだが、ここでもティナルディエ夫婦の小悪党ぶりの演出は上出来だが、歌そのものがよくきこえない。オペラは確かに演技もだが、なんといっても歌が主役だし、二人とも歌はうまいのだから、もっと歌唱力を前面に出してほしかった。
そういう面では革命派の若者達の歌はコゼットにひとめ惚れするマリウス(エディ・レッドメイン)にしろリーダー格のアンジョラス(アーロン・トヴエイト)にしろ得をしていると思う。なにせ役柄からして革命家を気取って勇ましく歌うことが許されるので、おもいっきりその歌唱力を披露することが出来るからだ。
マリウスとコゼットが出会うシーンでもデュエットはキズメットで王子とマシアーナが出会うシーンを思い出させるが、歌そのものはあまり印象深くない。原作ではコゼットはもっと重要な役なのだが、ミュージカルではエポニーヌのほうに重点が置かれている。
政治的には、私はフランス革命は大嫌いなので、革命派気取りの若者達には全く同調できない。彼らは今風のオキュパイヤーのようにただ理想に溢れただけのアホにすぎないからだ。しかし、原作でもミュージカルでも彼らを取り立てて美化してるわけではないので、そのへんは気に入った。
最後に死んだ革命派たちとジャン・バルジャンが赤い旗を翻しながら「民衆の歌」を歌うシーンは完全に余計だが、リベラルの多いブロードウェイとハリウッドの映画だから、そのへんはしょうがないだろう。


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視聴率最低、国際的人気歌手PSY出演のホワイトハウス主催クリスマス特別TV番組

ユートゥーブで旋風を巻き起こした韓国のラップ歌手PSYが毎年恒例のホワイトハウス主催クリスマス特別番組に出演したが、その視聴率は去年に比べて25%減という最悪の結果となった。
実はPSYがホワイトハウスのクリスマスショーに招かれるという話があった直後、PSYが10年くらい前にイラク戦争の最中に発表した反米、特に反アメリカ軍、の歌があったことが明るみに出て、そういう人間をホワイトハウスに招くのは不適当ではないかという批判が多く上がった。しかしPSYがショー直前に公式な謝罪声明を発表したため、オバマ政権は招待を撤回しなかった。それどころか、番組収録時にPSYとオバマが握手をしている写真や、オバマの娘達がガンナムスタイルを踊っている写真などがあちこちの新聞で掲載され、もともと反米軍だという評判のオバマ王の見解が国民の間で再確認されることとなった。
米国におけるPSY自身の人気は特に衰えをみせてはいないが、やはりホワイトハウスという公式の場でのコンサートで、反米で名高い歌手を出演させたというオバマの無神経ぶりに腹を立てた視聴者は多かったのかもしれない。
ところで日本ではPSYはそれほど人気はないようだ。それというのもPSYは反米なだけでなく、竹島問題では反日的な態度を取っているとか。また、他の韓国ボーイバンドと違って日本語で歌うとかいうサービス精神は全くないことから、日本の歌謡界からは無視されているという話だ。
私自身はガンナムスタイルはパロディとして面白いと思うが、歌としては特にそれほど取り立てて騒ぐようなものではないと思う。


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アフガニスタン帰還兵、トビー・キースのコンサートで妻に再会

現代カントリーウエスタンの王者とも言えるトビー・キースのコンサートを観に行った陸軍兵の妻がトビーから舞台の上に呼ばれ、なんとトビーの演奏中にアフガニスタンに遠征中のはずの夫と再会するというエピソードがあった。
お膳立てをしたのは無論、米軍キャンプ慰安公演を幾つも行っているトビー・キース。
舞台に上がった女性にキースは、アフガニスタンに遠征中の夫の名前を聞いた。

キース:「ご主人の名前は?」

奥さん:「ピートです、少佐です。」
キース:「よっしゃ、ピート・クルーズ少佐のためにいっちょ歌おう。」

といってキースが歌ったのはキースお決まりの名曲「アメリカンソルジャー」。涙を抑えながら聴いている若妻の前に突如としてアフガニスタンに行っているはずの夫ピートが登場。涙々の夫婦再会となった。
クルーズ少佐は、予定より早く帰還となっていたのだ。


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英語圏ではまだ未発見? オーストリアと日本で人気のエリザベート

日本のミュージカルファンならもう10年以上も前に宝塚で公開され、後に東宝でも上演されたオーストリア発のミュージカル、「エリザベート」をご存知ない方はいないだろう。
しかし日本をずっと離れている私は、このミュージカルのことを今までほとんど知らなかった。日本に居た頃は劇場好きで、1970年代に花組のベルバラ初公演(大滝子、榛名友梨、初風純)を観ているくらいの元宝塚ファンとしてはお恥かしい限りである。
90年代の終わり頃、宝塚で上演中の新しいミュージカル「エリザベート」が大人気だという話をラジオの芸能ニュースで聞いた。ちょうど日本へ帰れる時期だったので、日本の母に頼んでチケットを購入してもらおうとしたら、あまりの人気でどの公演も売り切れ。結局観ることが出来ずそのままになっていた。
それがヒョンなことから最近になってユートゥーブで2005年のウィーン公演ドイツ語版「エリザベート」の映像を発見。そしてこのミュージカルの御本家はオーストラリアで言語はドイツ語だったということを知った。
面白いことに、最初はウィーンだけで公開されていた案外ローカルで話題性もなかったこのミュージカルが、ヨーロッパ各地で公演されるような人気ミュージカルに変わったのは、日本の宝塚が取り上げたことがきっかけだったらしい。
宝塚版が大成功だったので、その後何度も色々な組で上演され、2000年には東宝でも取り上げられた。
色々なコンサートや特別番組でオーストリアのオリジナルキャストが来日して日本人キャストと共演したり、日本のキャストがウィーンで行われた10周年記念コンサートに出演したり、ウィーン版キャストがそのまま梅田で公演するなど、大げさかも知れないが、このミュージカルを通じてオーストリアと日本の交友関係が深まったとも言える。
さてお芝居の歴史はウィキペディアでも読んでもらうとして、私が注目したいのは演技と歌。
1992年にウィーンで初演されてから、以来多々のプロダクションによって上演されているため、それぞれの演出やキャストによって演技も歌い方も大幅に異なる。また、宝塚ひとつを取ってみても、ほぼ同一の演出であるにも関わらず、男臭い感じのする1998年の紫月あさとといたずらっぽく妖艶な2009年の瀬名じゅんでは全然雰囲気が違う。
ウィーン版の死神トート(Dea Tod)は、初演のクレーガー(Uwe Kroger)も再演のカマラス(Mate Kamaras)も、歌い方は完全にロック調で、髪型や服装も現代風。トートはエリザベートを誘惑する美男子という設定なので、顔からするとカマラスの方が適役かと思うが、歌唱力はどちらも甲乙付け難い。(オープニングナンバー。カマラスのトート三分目くらいから登場)
東宝版でトートを演じたのは山口裕一郎。ユートゥーブに映像はないが「最後のダンス」の音声があったので聞いてみたら、彼の歌いかたはクラシックテナーと言う感じでブロードウェイ風。これがウィーン版の現代風な歌い方とは全く違っていて同じ曲とは思えない。リフレインが長く続くので、メリハリのない歌いかたをするとつまらなくなってしまうのだが、山口は曲が進むにつれて高音の質が高まり、最後の終わり方は騒然んたるものがある。
これだけ男性の声に魅了された私だが、最後に遅ればせながら宝塚版を探してみた。最初にみつけたのは春野寿美礼のトート。はっきり言って私は男の歌を女が歌うのには無理があると思っていた。特に山口のオペラみたいなテナーを聴いた後では、いくら男役でも女では叶わないだろうと思ったのだ。
ところが、春野寿美礼の「最後の踊りは俺のもの」という当たりは信じられないほど力強く、男性達に勝るとも劣らぬ声。それが紫月あさとになると鳥肌が立つほどすごい。(1998年フィナーレ、紫月あさと)二人の男役は男性の声とは全然違った意味での魅力でエリザベート(並びに観客)を魅了する。また、決して春野寿美礼が紫月より歌唱力が劣るというわけではないが、魅惑さを強調した春野より、紫月のほうが死神の不気味さを感じさせる。
題名がエリザベートなので主役はエリザベートなのかと思うとそうでもない。ユートゥーブの2005年ウィーン版を観る限り、オリジナルの主役はエリザベートでもトートでもなく、エリザベートを暗殺するルイージ・ルキーニ(Ligi Lucheni)のような気がする。少なくともこのプロダクションではルキーニ役のセルカン・カヤ(Serkan Kaya)が完全に他の二人を圧倒してしまっている。
ルキーニはエビータのチェ・ゲバラと似たような役で、お芝居を通じてナレーターのような役割を示す。特に彼の歌う「キッシュ」は独立した曲としても十分に成り立つ。カヤの高音は70年代にジーザス・クライスト・スーパースターでユダを演じたカール・アンダーソンやジーザスのテッド・ニーリーを思い出させる。(と思ったのは私だけではなかったようで、カヤは後にオーストリア版JCSでユダ役を演じている。)
ところが何故かユートゥーブでは宝塚版でも東邦版でも日本語のルキーニのソロを見つけることができない。東邦では高島政宏がルキーニを演じたとあるが、どんな歌い方をしたのか非常に興味がある。
ウィーン版では子役は可愛いが、役柄としてはそれほど大きくなく思えるエリザベートの息子ルドルフ(Rudolf)だが、東邦版では井上芳雄の演技が注目されたようで、ルドルフとトートのデュエット「闇が広がる」は、ユートゥーブでも井上がドイツ語を含め色々なパートナーと歌う種々のバージョンを見ることが出来る。(闇が広がる、井上芳雄とウーヴェ・クローガー)確かに井上のルドルフはウィーン版のルドルフ達より存在感があるが、ルドルフという人物自身が軟弱者で存在感の薄い王子だから、他の役者達の演技はそれなりに納得がいく。
さて、肝心のエリザベート(Elisabeth)なのだが、ウィーン再演版の マヤ・ハクフォート(Maya Hakvoort)の歌い方は激しい。はっきり言って角だらけで荒っぽく耳障りが良くない。傍にいると唾が飛んできそうなほど力強い歌い方だが、それが負けん気で自分の信念を押し通した独立心旺盛のエリザベートの雰囲気にぴったり。ただ高貴な皇后陛下という威厳さは感じられない。同じドイツ語で歌っても初演のピア・ドゥーベス(Pia Douwes)のまろやかな声とは大違い。(私が踊る時、ピア・ドゥーベス)この二人のうちなら私はドゥーベスの方が気品があって好きだな。
それに比べて宝塚の場合は誰の演技を観ていても、娘役だから仕方ないのだが、お姫様風の高貴さは多いにあっても、時代と身分にそぐわないエリザベートの独立心が感じられない。トートの誘惑を拒絶する場面でも、そのままトートに抱きかかえられてお芝居が終わってしまいそうなか弱さがあって、なんか頼りない。花總まり(1996年雪組、1998年宇組)の歌唱力(私が踊る時 花總まり)はハッキリ言ってハクフォートより上かもしれない。特に高音はすばらしい。ところで2009年にトート役をやっている男役の瀬名じゅんは2005年に娘役のエリザベートを演じており、彼女のエリザベートの方がイメージに合う。高音さえ出せれば、かえって男役の人がやった方がいいのではないかと思った。(瀬名じゅんのエリザベートと彩輝直のトート
というわけでエリザベート観賞でユートゥーブにかぶりつきになってしまったのだが、残念ながら英語圏ではまだ上演されていない。ミュージカルのためにオーストリアや日本には行かれないので、出来ればアメリカにも来てほしい。
今のところは宝塚やウィーンのDVDを取り寄せることにしよう。


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アメリカナイズされながら進歩ないJポップ

ひょうんな事からSuperfly(大型蝿?)というグループのことを知ったのだが、このビデオを観ていて面白いことに気が付いた。

それは、彼女たちの音楽がカカシが青年だった1970年代と全く変わりばえしていないのにもかかわらず、ミュージックビデオでの彼女たちのボディランゲージは1970年代の日本では絶対に考えられないほどアメリカナイズされているということだ。
スーパーフライの音楽は1970年当時の松任谷由実とか八神純子の音楽と大した差はないと思う。実際にユーミンの歌を彼女たちが今歌ったとして、当時を知らない若者ならそのまま受け入れているのではないかと思うほど酷似している。リードボーカルは歌はうまいが、音楽的なセンスとしては、はっきり言って70年代からまるで進歩ない。
しかしだ、ボディランゲージは雲泥の差がある。
私が始めてアメリカに来たのは1979年。当時の私は自分から握手のために手を伸ばすことさえできなかったほど、他人の身体に障ることにためらいをもった。ましてや特に親しくもない人と抱き合うなどもってのほかだった。一度、友だちのお母さんが私に抱きついてきたときは、驚いて後ずさりしてしまった覚えがある。人を抱擁するなど、カカシ家では、家族でも考えられない行為だった。
最近の人が歴史ドラマを作成するとき、どうしても違和感が生まれるのは、この現代的なボディランゲージと言葉使いだ。幕末ものなどで、登場人物にお国訛りが全くなかったりすると、完全に脱力してしまう。薩摩や長州の人間が京都や江戸の人間と同じ言葉使いをしたのでは、それだけで歴史が変わってしまうではないか?
カカシが古臭いからだと言われてしまえばそれまでではあるのだが、昔の人は現代人のようには振舞わなかった。現代人のような言葉使いをしなかった。これは何も何百年という歴史を振り返るまでもない。
私は第二次世界大戦前後に作られた白黒の日本映画を結構観ているのだが、そのなかで原節子が家族と交わす言葉使いなどをみてみると、現代家族では考えられないほど礼儀正しい。「私がお嫁にいったら、お父様どうなさるの?」なんて台詞が平気で出てくる。今の年頃の女性が父親とこんな会話を交わすのは想像できない。
昔は昔、今は今。それはそれでいいのだ。だがそうだとしたら、現代の音楽は昔より多少進歩があってもいいのでは?


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ニューヨークフィルは北朝鮮でコンサートなどするな!

先日来年の2月にニューヨークフィルハーモニックが北朝鮮でコンサートを開くことになったというニュースを読んだばかりだが、それについて、ウォールストリートジャーナルのコラムを書いている演劇評論家のテリー・ティーチアウト(Terry Teachout)の批判が的を射ていると思う。
ニューヨークフィルといえば、アメリカでもっとも古い由緒ある交響楽団である。そのNYフィルの会長が北朝鮮の国連大使パク・ギル・ヨンと肩を並べてピョンヤンでの公演の予定を発表したのを聞いてティーチアウトは恐ろしくて背筋がぞっとしたという。150万人という市民が奴隷労働を強いられている国の金正日という独裁者の前で、自由の国アメリカの交響楽団が公演するなど言語道断だ。しかもこの公演はブッシュ政権の国務庁がNYフィルにかなりの圧力をかけて実現したというのだから信じられない。いったいブッシュ大統領の「悪の枢軸」云々はどうなったのだ?
ティーチアウトは、このような公演は北朝鮮の政府を正当化する猿芝居だという。私はブッシュ大統領が北朝鮮に迎合しているとは思いたくないが、何故米国国務庁が北朝鮮のご機嫌取りをしなければならないのかさっぱり理解できない。
先日私は北朝鮮が日本へミサイル攻撃する可能性について書いたが、北朝鮮が直接日本を攻めてこないまでも、北朝鮮の核技術がイランやシリアに渡り、それがヒズボラなどのテロリストの手に渡れば、世界がどういう状態になるか想像がつくというもの。イスラエルがたたいたシリアの核兵器開発施設は北朝鮮の技術を使ったものだったという噂もあるし、この間もレバノンのヒズボラを北朝鮮が武装しているかもしれないという話がでたばかり。

マコーマック米国務省報道官は13日の記者会見で、北朝鮮がレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラなどに武器支援を行っていたとの情報を米議会調査局が指摘したことについて、「情報を確認する立場にはない」としたうえで、北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除にあたっては、「すべての入手可能な情報が考慮に入れられる」と述べ、この疑惑が解除の際の検討項目となる可能性も示唆した。

北朝鮮はテロリストに武器を売る条件として日本をせめて欲しいとほのめかすかもしれないし、テロリストも手っ取り早いところで東洋で一番経済力のある日本を叩いておこうと考えるかもしれない。
そういう危険な国にたいして、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除をするかもしれないという話は非常に困惑する。
私は日本にはアメリカとの安保があるから日本が武装しなくてもいいという人に常々いうのだが、アメリカが日本を守るのはアメリカの都合でやっているだけであって、アメリカの国益に直接結びつかなければ日本など簡単に見捨てられる。アメリカがいまのところ北朝鮮のご機嫌取りをすることでアメリカは安泰だと考えれば、アメリカは日本の拉致問題になど親身になってくれないだろうし、それが日本を危険に及ぼすことになったからといって積極的にアメリカが守ってくれるという保証など全くない。安全保障条約なんて紙に方餅同様意味のないものだ。
だから私は日本は自国の防衛をアメリカに頼っていてはいけないと口を酸っぱくして言っているのである。
何にしてもNYフィルが国務庁のプロパガンダに加担する必要はないはず。それが北朝鮮の独裁政権を正当化するというならなおさらだ。


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消えたスイング、リンディホップの再来

読者のみなさんはリンディホップという踊りをご存じだろうか。これは1920年代にアメリカはニューヨーク、黒人街のハーレムで発明されたジャズダンスだ。一応スイングの一種ということになっていて、ジャイブやジルバと似てはいるが、イーストコーストスイングとリンディホップでは月とスッポン。能と阿波踊りくらいの差がある。さすがに黒人の間で人気を呼んだ踊りだけあって、動きは激しく凄まじく早く、ラフで危険な動きが多数取り入れられている。

もともとは男女のペアは双方とも足を床につけたまま踊っていたが、1930年代になると相手の頭の上を飛び越えたり、男性が女性を持ち上げて放り投げたりするような動きがフランキー・マッスルヘッド・マニングというダンサーによって発明された。
リンディホップという名前の踊りの創設者であるショーティ・ジョージとビッグベンがリポーターからこの踊りはなんというものかと聞かれた時、丁度リンドバーグが大西洋横断に成功したニュースの見出しに「リンドバーグ(リンディ)大西洋を飛び越える(ホップス)!」と書かれていたのをみたショーティが「リンディホップさ!」と答えたが最初だと言われている。

口で説明するより見てもらったほうが早いので、1941年のHellzapoppin’という映画の一部に出てきたこのシーンをまず見ていただこう。振り付けはフランキー・マニングで、踊りはフランキーが結成したハーレム・コンガルーンズで、フランキー自身も踊っている。



これだけすばらしい踊りなのに、なぜか1950年代にはロックにおされてリンディホップはダンスフロアから消えてしまった。ロックの踊りはツイストとかマッシュポテトとかでパートナーを要しない一人でリズムにあわせて適当に踊るスタイル。誰でも踊れるせいなのか技術を要するリンディよりも人気が出てしまった。
もちろん1970年代になるとディスコの時代。ジョン・トラボルタがサタデーナイトフィーバーで一躍有名になった時代。ディスコはペアを組んでリフト(男性が女性を持ち上げる)のある面白い振り付けもあったにはあったが、リンディホップのようにパートナーを振り回したり放り投げたりするエネルギッシュな踊りとはかなりかけ離れたスタイルだった。

とろこが1980年代に不思議なことが起きた。ビデオ録画技術VCRの到来である。VCRによって古い映画を若い人たちが観ることが出来るようになると、誰かが埋もれていた昔の映画を掘り起こしてきてこの幻の踊りに出くわしたのである。そしてその古いビデオの映像だけをたよりに今まで見たこともない踊りを再現させようとしたわけだ。
幸運なことに、20年代から30年代にリンディの振りを多く振り付けしたエキスパート、フランキーはまだ生きていた!そこでリンディファンたちはフランキーの教えを受けリンディホップの再現に成功したのである!実はフランキーは今現在も93歳の若さで健在。やっぱり一生踊ってきたせいかな?

先週の木曜日、ミスター苺とカカシは近くのお寺で開かれた全国リンディホップ選手権の地区予選を見てきた。コンテストが開かれる前や審査中は一般人がダンスフロアに出て自分達で踊りを楽しめたので、我々苺畑夫婦もリンディに挑戦。しかしどう見ても周りで踊っているひとたちと同じスタイルの踊りには見えない。ダンス会場は満員で、私たち夫婦がえっちらこっちら習ったばかりのステップを踏んでいると、周りで回転しまくってる若い男女に蹴られるはふっ飛ばされるはで大変だった。さて、それではここで全国選手権の決勝戦の模様をお届けしよう。振り付けがほぼ昔のままであることに注目。

最初はハーレムの黒人街で生まれたリンディホップだが、新世代のファンはなぜか白人や東洋人ばっかり。ここ数年ヨーロッパでもリンディは人気があるという話だ。しかしよく見てみると黒人の間で始まったブレークダンシングのなかにもリンディの動きがかなり取り入れられていることが分かる。

最近はアメリカの人気テレビ番組でリンディホップが紹介されるなど、リンディは若いひとたちの間でもわずかながら知られはじめている。この間地区予選が行われたうちの近所のお寺では、毎週木曜日にリンディホップのパーティがある。入場料たった7ドルで8時から午前二時過ぎまで踊り放題。早くいけば無料レッスンも受けられる。
売ってるものはペットボトルの飲料水のみ。アルコールも食事も出ないのに会場はいつも満員。もっともこんな踊りを酔っぱらってやっていては危なくてしょうがない。
踊りが激しいので若い人たちばかりかと思うとそうでもなく、中年の苺畑夫婦より年上のカップルをいくらも見かける。先週の木曜日には60歳過ぎの男性が20代の女性を振り回していたのを見たが、あまりの激しい踊りに若い女性のほうがついていけないほどだった。

当然のことながら苺畑夫婦はここで紹介したような動きは何一つできないが、基礎ステップだけでも覚えて、自分なりに楽しめるようになりたいと思っている。それにしても若い人たちの間で失われた芸能が生まれ変われるというのは喜ばしいことだ。これからもリンディホップの人気があがることを願う。
追記:日本でもリンディホップファンはいるはずだと思って検索してみたら、東京スイングダンスソサエティーとかスイフルなんていうスタジオがあるみたいなので、興味のある人は覗いてみてはいかがかな?


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人気テレビ番組の反戦テーマで垣間みたアメリカの意外な素顔

私とミスター苺が好きで見ている番組にSo You Think You Can Dance?というダンス番組がある。意訳すると「あなたは踊れるつもり?」というような意味になるが、番組の構成は全国からオーディションを受けて受かった男女合計20人のセミプロダンサーが、毎週いろいろなジャンルの踊りに挑戦。水曜日に踊りを披露し木曜日に視聴者の電話投票によって一番票の少なかった男子と女子が毎週一人づつ取り除かれていき、最後の週に残った4人からチャンピオンが選ばれるというもの。
この人気番組において、昨日、木曜日の結果ショーで不思議なことが起きた。先ず審査委員の一人でもあり振り付け師でもあるミア・マイケルが水曜日に着ていた上着が米海兵隊の制服にそっくりであっただけでなく、階級を示す喪章が逆さまに縫い付けられていたことに対して長々と謝罪をした。どうやら視聴者の間から海兵隊員でもない人間が制服を着ているというだけでも失礼なのに、喪章を逆さまにつけるとは海兵隊をばかにするにもほどがあると苦情が寄せられたらしいのだ。
ミア・マイケルはファッションのつもりできていただけで、それが海兵隊をばかにする意味になるとは全然気が付かなかっ、無神経なことをして申し訳ないと誠意を込めて謝った。
それに続いて審査員長でプロデューサーでもあるナイジェル・リスコーは、ウエイド・ローブソン振り付けの水曜日の課題ダンスのテーマが「反戦」だったことについて、決して軍隊を侮辱する意味ではなかったと釈明。価値のある戦争が存在することは認める、あのダンスは特定の戦争への反対意見ではなかったのだ、しかし戦争に反対でも軍隊は応援することは出来るはずだ、第一平和を求めない市民がどこにいるだろうか、と問いかけた。ナイジェルの口調から平和を訴えかけてクレームがつくなどとは思ってもみなかったという彼の気持ちは明白だった。しかしウエイドは番組中に「テーマは反戦だ」とはっきり断言していたのを私は聞いたし、戦争中に反戦だと言えば今の戦争に反対してると取られて当たり前だ。
頭の悪い芸能人がリベラルであることはよくあることなので、ナイジェルや、ウエイド、そしてミアが反戦派のリベラルだったとしても別に不思議でもなんでもない。ミアのようにコンテンポラリーの振り付けをするような芸術家は案外世情には疎いので制服の意味を知らなかったというのも多分本当だろう。それに芸能界が何かにつけてリベラル思想を観客に押し付ける傾向は何も今始まったことではないので、水曜日の課題ダンスを観た時もそのテーマには苛立ちはしたが驚きはしなかった。ただ私は振り付け師としてのウエイドを高く買っていたので多少失望したし、これからも彼の振り付けを偏向なしにみることは出来ないだろう。
しかし私が驚いたのはウエイドの反戦テーマやミアの制服ではなく、それに対する視聴者の反応である。普通リベラルが自分の政治思想を明かにした場合、彼等はそれが一般的な認識だと思っているから特に説明の必要があるなどとは考えない。それが番組の冒頭に視聴者に謝罪したり釈明したりしなければならないと判断したということは、テレビ局にかなり多くの苦情が寄せられたのだと判断すべきだろう。
無論競争率の高いテレビ番組ではほんの一部の人からのクレームでも神経質になるのは当たり前なので、これだけで視聴者の政治的見解を理解できるとは私は思っていない。ただ、番組が終わってすぐ、私は番組のファンが集まる掲示板を覗いてみたのだが聞き慣れた反戦派連中の「ブッシュの嘘で人が死んだ!」「ナイジェルが謝る必要はない!」「言論の自由を守ろう」というような投稿に混じって、「自分の夫は海兵隊員だ。ミアの上着には頭にきた」とか「軍隊のおかげで君たちが好き勝手なことがいえるのだ、感謝しろ」といったような投稿も案外あったことに私はまたまた驚いてしまった。
下記の二つの投稿は問題の水曜日の放映があった直後、掲示板で「海兵隊への侮辱」というスレッドで200以上寄せられた海兵隊員たちからの典型的な苦情である。

自分は海兵隊の曹長であります。私はこの下らない番組はこれまで見たことはなかったのでありますが、たまたま観ていたらミアが海兵隊の青い正装用上着をきているのに気が付きました。我々がこの制服を着るためにはその権限を取得しなければならないのであります。それをミアは全国放送のテレビで着ていただけでなく、ボタンもかけず喪章を逆さまにつけて着ていたのです。今は70年代ではありません。自分も自分の同胞も我々のする仕事をからかうような真似はしないでいただきたいと存じます。ウィリアム曹長、米軍海兵隊

私は元海軍将校であり光栄にも海兵隊基地で仕事をした経験のあるものです。私もミアの上着は制服をきる特権を得た勇敢な海兵隊員に対する侮辱だと思います。テレビ局は謝るべきです。シャーマン大尉、米海軍退役

正直言って私はミアの上着が軍隊関係のパターンだなとは気が付いたが、それが海兵隊の正装だったとか、喪章が逆さまだなどということには全く気が付かなかった。しかし海兵隊員にしてみれば自分が苦労してあの制服を着る特権を得たのに、脳天気な振り付け師などにファッション感覚などで着てもらいたくないというのは本当だろう。それ自体は分かるのだが、そういう人たちがこの番組を見ていたという事実が興味深い。
さてそれとは別にウエイド・ローブソン振り付けで10人のダンサーが全く同じ踊りをしたダンスのテーマは「反戦」。それぞれのダンサーがピースマークのついたシャツを着て、背中に「平和」「希望」「忍耐」といったスローガンが書かれていた。踊り自体もウエイドとしてはかなり質の低いつまらないものだったが、私はミスター苺に「どうして、『勝利』『勇気』『名誉』てな言葉は出てこないのかしらね。」と話していたほど反戦色の濃すぎる内容だった。これに対しても苦情が殺到した。

…私は本日の過激な反戦メッセージにはとても失望しました。この番組のプロデューサーは我々が楽しみのために戦争をしているとでも思っているのでしょうか? 私たちは私たちの命のために戦っているのです。どうしてこんなことが分からないのでしょうか。…私の娘はこの番組の大ファンで、去年はデトロイトでツアーも観にいきました。今年もツアーに参加する予定でしたが、この「平和」ダンスを見て、お金は反戦番組を支持するために使うよりましな使い道があるだろうと考え直しました。アメリカに神のご加護を! 匿名主婦

面白いのは反戦派の何気ない行動が愛国者たちの反感を買うと、彼等はこぞって我々の反論は彼等の言論の自由を脅かすものだと批判することだ。リベラルや反戦派はまるでそれが常識でもあるかのようにブッシュ政権の悪口や反戦の意見を平気でどこでも言い出す。彼等は自分達がダンスコンテスト娯楽番組という全く政治見解の表明には適切でない場所で自分達の偏向した意見を我々に押し付ける自由は主張しても、何の関係もないところでいちいち侮辱される我々が反論する「言論の自由」は認めない。我々がもし彼等のあまりのリベラルな意見に反論すれば、「娯楽番組の掲示板で政治の話など持ち込むな」とこうである。自分達が不適当な場所で政治見解を注入したことなどおかまいなしだ。
アメリカメディアは70%のアメリカ人がイラク戦争に反対しているといい続けている。戦争がそんなに不人気なら反戦をテーマにしたダンスくらいで視聴者がいきり立つほどのこともないと普通は思うだろう。だが、たった30%でも視聴者は視聴者。視聴者の30%を失ってもかまわないと考えるテレビプロデューサーなど存在しない。特定の観客を対象にした地方劇場じゃあるまいし、色々な考えの視聴者が観ているのだということを番組側は考慮にいれるべきだっただろう。
それにしてもダンス番組のファンにこれほど軍関係の人や保守派の視聴者が多いと知って私としてはうれしい出来事だった。今後番組のプロデューサーは視聴者の多くが保守派であることを念頭に置いて政治見解の注入は極力避けてもらいたい。視聴者は家族だんらんでダンス番組を見る時くらい戦争のことなど忘れたいのだから。


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ウクレレでジョージ・ハリソンを聴こう

ベルモントクラブがウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロさんの演奏を紹介している。 曲はジョージ・ハリソンのWhile My Guitar Gently Weeps (邦題は「悲しきギター」だったかな?)
演奏した場所はバングラディッシュの苺畑だそうだ。
どうぞお楽しみあれ。


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