何年も外国に住んでるのに日本語しか出来ない日本人って、、と責めないで

先日、2012年に放送された中国は大連にある日系企業のコールセンターで働く日本人労働者に関するドキュメンタリー番組を観た。その中で中国に渡って2~3年という日本人の数名が全く中国語が話せないことに関して、コメント欄で「三年も中国に居るのに中国語話せないってどういうことだよ」という批判が幾つもあった。しかし言葉と言うものはその国に何年か住んでいれば自然に覚えるという簡単なものではない。そういうふうに他人のことを批判する前に外国語を学ぶことの難しさについて、もう少し理解を示してもいいのではないかなと思った。

言葉を覚えらえるかどうかは、当人が置かれた環境や当人の意欲がどのくらい強いかにかかってくる。それで外国語を学ぶために必要不可欠な動機を三つほど掲げてみたい。この三つのどれかを満たしていなければ外国語習得は先ず無理。

1)外国語を使わないと生きていけない環境にある場合。

何故か外国暮らしが必要となり、自分の周りで日本語が解る人が一人も居らず、地元の言葉を習得しなければ暮らしていくことも出来ない状況にある。こうなってくると言葉の習得は死活問題なので何としてでも覚えようとする。

2)外国語を習得すれば利益があがる場合。

この番組の中で、地元の日本語のコールセンターで働けば地元の一般の仕事より三倍も高い給料がもらえると必死に日本語を学んでいる中国人が何人か現れた。特定の外国語を習得すれば将来利益があると確信できれば学ぼうという意欲は高まる。

3)特定な国や言語に対して異常な興味がある場合。

特定の国や文化に異常なほどの興味を持ち、いつかはその国に行って暮らしたいというような強いあこがれを持っていれば、その国の言葉をどうしても学びたいという気持ちになれるだろう。だがこの願望は他人から見れば異様なほど強くなくては無理。

では私の場合はどれだったのかといえば、三番目が最初にあって、そのために一番の環境に自分を追い込んだというのが実情。

もともと私はどうしても外国で暮らしたいという思いがあった。それで高校卒業後、日本で英語専門学校に通い始めた。ところが学校のレベルは低すぎて、こんな学校に二年くらい通っても英語なんぞ話せるようにならないと判断した。

そこでどうしても英語が話せなければならない環境に自分を追い込もう思い学校を辞めて一年間の予定でアメリカに渡った。一年も居れば英語なんて自然に覚えるという甘い考えがここにあった。

ところが当時の南カリフォルニアは日本のバブル景気のせいで日本企業がわんさか進出しており、地元の英語学校にも日本人が大勢居た。それで渡米一か月にして出来た友達は日本人ばっかり!英語なんか話せなくても十分に生きていける環境だった。私は焦った。これでは高いお金を出して渡米した意味がないと。

というわけで、私はせっかく親しくなった日本人の友達に暇乞いをし、日本に関係のあるものはすべて捨て去り、日本食すらも口にしないと決心してひたすらに自分を英語社会に追い込んだ。どんなにつらくても日本語は口にしない。どんなに大変でも英語のラジオ番組を聴き、英語のテレビを観て、アメリカ人とだけ付き合った。内向的な私が進んで見知らぬアメリカ人に声をかけた。私には一年しかないんだ、親の大反対を押し切ってお金を出してもらったのに、このまま帰ったら恥かしくて親に見せる顔がない、という必死の思いで頑張った。

それが功を成して、一年後には簡単な日常会話くらいは話せるようになっていた。英語のテレビ番組や映画も結構解るようになったし、映像のないラジオニュースも理解出来るようになっていた。

後から思えば、あの程度の英語などアメリカ社会で通用するようなものではなかったのだが、それでも一年程度の滞在で習得したにしては、まあまあなレベルだったと思う。無論本当の苦労はその時から始まったわけだが。

それで先の中国在住の日本人たちに話を戻すが、彼らには上記に挙げた三つのどの条件も満たしていない。中国に在住しているとはいっても職場は日本語だけで通用する。付き合う人々も日本人ばっかり。割高ではあるが日本のスーパーや書店や美容院なども近くにある。オンラインで日本語のテレビも観られる。何の努力もしなくても生きていけるので、特に今差し迫って中国を覚えなければならない理由がない。

こんな状況で中国語を学べるはずはなし、学べないからといって責めるのは酷だ。彼らは中国で一旗揚げてやろうという野心で中国へ行ったわけではなく、日本より就職の機会がありそうだという理由だけで渡っただけであり、地方都市に仕事がないから東京に上京するというのと大した変わりはない。

あの番組は数年前のことで最近の日本の景気は良くなっていることでもあり、この番組の登場人物たちも今や日本でちゃんと生活しているのかもしれない。若い頃に外国で暮らした経験があるのも悪いことではないし、今はみなさんがしっかり日本で生活されていることを願いたい。


Comment

アフリカからの違法移民密輸に加担するNGOに対抗するイタリア

この間ちょっと紹介したヨーロッパの若者たちによるDefend Europe(ヨーロッパを守れ)の行動だが、彼らの主張は「捜索と救助」という名目でヨーロッパのNGOがリビアの密輸業者とつるんで人身売買に加担しているというものだ。彼らは事前に打ち合わせ通り密輸業者の連れてくる移民を沖で拾ってイタリアもしくはトルコまで輸送している。
NGOの言い分はリビアや他のアフリカからおよそ長い海の旅にはふさわしくない粗雑なボートで命からがら逃げて来る人々が溺れ死ぬのを防ぐことが目的だとしているが、もしそれが本当ならわざわざヨーロッパへ連れてこなくても、海で拾った時点で元の国へ連れ戻してあげればいいだけの話。違法移民たちはある程度の沖まで出ればNGOの船に拾ってもらえると思うから粗雑なボートでも出かけてくるのだから。
NGOが密輸業者たちと結託しているという記事をイギリスの突撃ジャーナリスト、ケイティ・ホピキンスも書いている。この記事”Katie Hopkins on NGOs colluding with traffickers in Sicily” は7月に一瞬イギリスのデイリーメイル誌に掲載されたが、反ポリコレ過ぎてすぐに取り下げられてしまった。元記事は消えてしまったので一部だけを次ページに残しておく。英語で読みたい読者は参照のこと。
ケイティによるとNGOの船に乗ってシシリーの港についた経済移民たちの態度は、まるで花金でバーミンガムに繰り出した若者が散々どんちゃん騒ぎをした後にタクシーに乗って帰るかのような態度だという。
イタリアのレンズィ前首相が地中海で救助された移民はすべてイタリアの港に連れてきてもいいと同意したおかげで、イタリアは移民対策でなんと負債がGDPの132%、失業率12%。他のヨーロッパ諸国はこれはイタリアだけの問題だとそっぽを向いている。
これに怒っているのが現首相のPaolo Gentiloni 他のヨーロッパ諸国が公平な数の移民を受け入れていないと苦情を述べている。
ケィティはリビア密輸業者とNGO船とイタリアの湾岸警察による移民運搬共同作業は非常に効率的だという。イタリアの港についてからの取り扱いもメディアの目になるべく触れないように十分な考慮がされている。今年だけですでに9万3千人がリビアからシシリーにやってきた。
救援にあたっているNGOの一つ、子供たちを救え船のVos Hestia号の代表者によると、船は湾岸警察からの直接の命令がなければ出航しないという。何時出航しどこで密輸業者の船と待ち合わせるのかという問に関する答えは、いかに湾岸警察とNGO船が協力しあっているかをはっきりさせるものだった。

問:今夜出航することを乗組員はどうやって知ったのですか。誰が移民の船との待ち合わせの段取りをつけているのですか?

答:我々は国際海域においてイタリア湾岸警察と打ち合わせて動きます。領海に近づくのは湾岸警察の指示があった時のみです。

しかし最近になってイタリア政府の移民政策は風向きが変わってきた。
この間(8月2日)、ドイツのNGOの船が違法移民を運搬しているとしてイタリアの湾岸警察に拿捕されるという事件があった。

イタリア警察によると、ドイツのNGOグループは水曜日、リビア海岸で密輸業者の船から直接違法移民を受け取ったとしてNGOの船を拿捕した。

この船はJugend Rettet によって操業されており、シシリーからちょっと先の小さな漁業村であるLampedusaの港で拿捕された。ここは何百何千という移民が海で救助され連れてこられた村である。

イタリア当局は違法行為があったとしても、その動機は極めて人道的なものだなどと言っているので、この船の乗り組員が罰せられるかどうかは不明。
拿捕されたオランダ籍のthe Iuventa船は、去年の6月と9月に三回に渡って怪しげな行動をしていたことが今回の拿捕の理由となった。捜査によると移民たちは救助されたのではなく、NGOと密輸業者らの慈善の打ち合わせ道理、移民をエスコートしてきた密輸業者から海でドイツのNGOの船に乗り換えたというもの。その後移民たちはイタリア軍の船か、もしくは他のNGOの船に引き渡された。
Jugend Rettetというグループはドイツを基盤にしている若いボランティアの集まり。そのホームページでは「地中海において人々の命を救い人道的な状況を向上させることを目的とする。」としている。
グループの言い分は自分らはローマの救援センターからの依頼で捜索と救助の任務に出かけたに過ぎないと主張。グループの代表者は乗り組員が密輸業者から報酬を受けていたという証拠はないとし、密輸業者と親密な関係があるという証拠もないとしている。密輸業者とJugend Rettetが結託しているという疑いは「SFの世界だ(空想科学小説)」と語っている。
しかしイタリア当局はいくつかのNGOの「救助」が結果的に密輸業者への加担と化している事実について語っている。Jugend Rettetはイタリア内務省が最近設立した新しい規則への合意を拒否したNGOグループのひとつである。
2018年の選挙をひかえ、Paolo Gentiloni首相率いる与党は移民対策に厳しい姿勢を見せ始めている。多くのイタリア市民が難民申請手続きを待つ大量の移民の存在に不満を抱いているからだ。
イタリア政府はイタリア軍がリビアの湾岸警察と協力してリビアから密輸船がヨーロッパに向かって出発しないよう援助することを決めた。イタリア防衛庁は海洋封鎖ではないと主張しているが、反移民派の野党は封鎖を要求している。
7月の段階でイタリア政府は20万の移民をヨーロッパに放つと言っていたが、それと同時にイタリア籍以外の船の入港を拒むとも脅迫していた。今回の拿捕はその小手調べといったところだろうか。
もしイタリア政府が選挙前のパフォーマンスだけでなく、本気で移民受け入れを差し止めようと考えているのであれば、かなり遅すぎる観はあるが、それでもやらないよりはずっとましだ。なんにしてもこれ以上の現状維持は不可能なのだから。


View comments (2)

外国人への思いやりで疲れる日本人

この間、カカシが皮肉で書いた「カカシはアメリカ人で日本人の繊細な神経を理解できない。「アメリカ人の私には、『暗黙の了解』や『約束事』は全く読み取れなかった。「最初からきちんと提示されていないものを外国人が理解できるはずだと思い込むのはどうかと思う。」という文章について、コメンターのシマさん(ハンドル名は5555shimaさん)から興味深いお便りをいただいた。全文公開および引用の承諾を頂いているので、ちょっとお話したいと思う。先ずはシマさんのメールから。

確かに自分が知らない異文化の物事を教えられることなく理解する(察する)のは難しいことです。難しいというよりほとんど不可能だと言った方が良いと思います。発言する側の人間が心の端に留めておくべきことです。私も外国人と話すときは十分に気を付けなければならないと感じています。

ただ、個人差はありますが、外国人と比較して「察する」ことが得意な日本人が日頃から感じている「外国人に対する不満」については理解して頂きたいのです(略)
1しか理解出来ない外国人のために日本人は一生懸命自分の考えていることを1から10まで順番に口に出して説明したり文章を作ったりします。日本人同士ならやらなくて済んだことを、「外国人に気を遣って」時間と労力を割いているのです。本来やらなくていいことをやっているので、余分なコストがかかります。
ところが、外国人はこの状況を直接言葉に出して指摘されない限り「察する」ことが出来ないので、日本人は不満を持ちます。何故なら、外国人は日本人が普段から支払っている余分なコストに対してほとんど気付かないし、感謝もしないからです。そうやって積もり積もった不満は、「外国の文化への無理解及び偏見」へと姿を変える場合があります。
もしも日本人をコミュニケーションを取る外国人の大多数が「普段やっていないことをわざわざ私のためにやってくれて本当にありがとう」「私のために時間と労力を割いてくれてありがとう」「あなたの気遣いと思いやりに感謝します」などと表現出来るようになっていけば、日本人の不満もなくなっていくのではないかと思います。

元米防衛庁のラムスフェルド長官が言った「知らないことを知らない」というのがまさにこれだろう。つまり、外国人は日本人が色々気を使ってくれているということに気が付いていない。だからお礼の心を持つことさえ出来ない。
もしもシマさんが、日本に来る外国人観光客やビジネスマンについて語っているのだとしたら、これは外国人にもかなりの責任がある。他国へ行けば習慣が違うのは当たり前だ。たとえ短期間の観光でも日本での心得くらいは勉強はしてきてほしいし、観光会社もガイドブックなどで細かく教授してほしい。
観光客に多く来てほしいと思っている日本側がおもてなしの気持ちで外国人の祖業の悪さを多めに見るのも実は逆効果になっている。これは日本だけではないが、欧米における現在のモスレム移民の問題も、ホストカントリーによる行きすぎた「寛容さ」に期を発していると私は思う。
アメリカでは公式文書が何か国語にも翻訳されて発布される。この間うちの近所で選挙があったが、たった一つの項目の住民投票の文書が何十ページもあった。それというのも同じことが何十か国の言語で書かれていたからなのだ。投票権があるということはアメリカ市民のはずだ。それなのにこの程度の英語も理解できないで選挙もなにもあったもんじゃないだろう。そこまで外国生まれの人間に気を遣うローカル政府の「寛容」さは行きすぎだ。
外国人であろうと何であろうと地元政府は徹底的に地元の法律を施行すべきだなのだ。たとえば歩きながらの喫煙や吸い殻のポイ捨てが違法ならば、単に注意するだけに留まらず、きちんと罰金を課せばいいのだ。英語でいうところの、”Ignorance of the law is no excuse” 「法律は知らなかったでは済まされない」である。
それに私から言わせると中国人観光客の行儀の悪さは確信犯だと思う。どこの国でも普通の道路上や他人の庭で脱糞や排尿が許されるはずはないし、商店に置かれている食品をやたらに手掴みにしてもいいとは思えない。これは日本人が文句を言わないのをいいことに好き放題をやっているとしか思えない。だったら日本人も寛容だの思いやりだのと言ってないでこういう輩は徹底的に取り締まればいいのである。
これは日本に限られたことではない。今や欧州で起きているモスレム野蛮人に対する信じられないような「寛容」や「親切」は言ってみれば、野蛮人に文明国の規則など理解できないはずだという人種差別の裏返しである。これらの国々は自国民同様外国人も同じ法律で裁くべきなのだ。地元の規則が理解できないなら、そういう教育をする機関を設けるなりなんなりするのはいいが、それでも規則を破る人間は徹底的に厳しく取り締まり、最終的には国外追放くらいの覚悟をしてほしい。そうすれば野蛮人が我が物顔で欧州を闊歩するなどということは防げるはずなのだ。
それと日本人を19年やったカカシの中にも染み込んでいることなのだが、日本人は他人が自分に気に入らないことをしても、相手にも色々あるだろうから今回は黙っておこうと我慢してしまう傾向がある。だがこれをすると相手はこちらの気も知らずに同じことを繰り返す。それが何度も続いてついにこっちは堪忍袋の緒が切れて爆発してしまう。何も言わなくても解ってもらえるはずだという日本人の甘えが通じない相手だとこういうことが生じる。
私はアメリカに来たばかりの頃にこれでかなり損をした。最初に住んだホームステイの家族とは、何か言われたらとにかく謝っておけば「素直な子だ」とわかってもらえると思っていたら、間違いばかりをする間抜けな子と思われた。付き合った何人かのアメリカ人男性に対しても「私がこれだけ気を使ってやってるのに、なんなのよ、あんたは!もう知らない!」と爆発して決別を迎え、相手は私が何を怒っているのかさっぱりわからずに終わってしまうという経験を何度かした。カルチャーショックというのはこういうことを言うのだろう。
日本人には面倒臭いことだが、今や嫌が応でも外国人と接しなければならない時代だ。日本人らしくないことでも場合によっては正直に言った方がいい。最初から正直に言ったほうが相手に対してかえって親切ということもあるのだから。


View comment

ヨーロッパを守れ、違法移民船阻止に乗り出したヨーロッパの若者たち

先日北欧のニュースを流しているツイッターでディフェンドヨーロッパ(ヨーロッパを守れ)Defend Europeという欧州の市民活動があることを知った。この活動を進めているのはヨーロッパ全体から集まった若者たち、彼らの名はジェネレーションアイデンティティー
ディフェンドヨーロッパがどういう運動なのか、そのホームページによると、

毎週、毎日、毎時間、船いっぱいに積み込まれた違法移民がヨーロッパの海を埋め尽くしている。侵略が起きている。この大量の移民が我らが大陸の顔を変えている。我々の安全と我々の生き方を脅かされている。我々欧州人は欧州の母国で少数派になる危険がある。(略)

我々の目的はNGOの行動を記録し、彼らが人身売買の密輸入者たちと共謀していることを暴露し、彼らの違法行為を阻止することにある。

彼らは自分たちのことをアイデンティタリアンと呼び実際に募金運動でCスターという船を調達。色々な苦労をしながらリビア沖に繰り出し、リビアからアフリカ人をヨーロッパに密運搬しているNGOの悪行を暴露しようと頑張っている。無論彼らの行動を好ましく思わないヨーロッパ諸国の政治家たちが彼らの運動をことごとく邪魔しているのは言うまでもない。
先ず出発の時点で彼らの動きはことごとく監視されていた。カナダのフリーランスジャーナリストのローレン・サザンが従軍(?)記者として一緒に行動しているが、彼女はすでにヨーロッパ諸国の警察に目を付けられているので、どこへ行っても秘密警察に付け回されたと語っている。それで運動のメンバーたちは自分らの行動をはっきり公開せず、種々のメディアを利用して自分らの行動に関してフェイントをかけた。この運動には大反対のハフィントンポストはそのフェイントに一役買わされたことに激怒している。
政府が国民を守るために何もしないければ、いずれはこういうことが起きることは火を見るよりも明らかだった。今はまだ数少ない若者たちが自費で船を出してNGOを冷かしている程度かもしれないが、この状況がエスカレートすることは間違いない。海上だけでなくヨーロッパ国内でもジェネレーションアイデンティティーのような若者たちが立ち上がるだろう。
政府が侵略者を止めないなら、我々が止める。市民がそう思うのは当然だ。これはヨーロッパの存続がかかっているのだから。


Comment

移民抑制のために国際結婚は規制すべきか?

八重桜会というブログの古いエントリー(2014年)のなかに国際結婚は極めて厳しく規制されるべきというものがあって、自分も国際結婚をした者としてはちょっと興味があって読んでしまった。しかし、結婚そのものを規制するというより、それに付属している問題解決をすることが第一だと思う。
八重桜著者による国際結婚反対の理由は大きく分けて次の三つ。

1. 国際結婚が増えることは結果的に、日本の移民国家化に繋がりかねない

2. 偽装結婚のほか、永住権や国籍取得目的の国際結婚が非常に多い。
3. 国際結婚する本人が、周りの社会や次世代以降の日本に責任を負う覚悟を持っていないケースがきわめて多い。

1)のケースだが、著者は2006年の総結婚数の6.11%が国際結婚だったことから、いずれは日本で10人に1人が国際結婚になる可能性を危惧し、

そして仮に今後もし10人に1人が国際結婚となった場合、昨年の婚姻件数66万594組をベースに考えますと、6万件以上が国際結婚となります。そのうち、半分(実際には半分以上だと思いますが)のカップルが日本に居住、半分が海外に居住したとしても、3万人以上の外国人が年間入ってくることになります。そしてその3万組ものカップルが、外国人との間に子供をつくることになります。その連鎖が続いていくとどうなるでしょうか?

と書いている。私は2006年に16組に1組の割合で国際結婚だったという事実に非常な驚きを覚えたのだが、八重桜さんの心配とは裏腹にその後国際結婚の割合は減り、2013年現在では3.25%にまで減った。
国際結婚の率が減ったとはいえ、国際結婚が日本の移民化につながる可能性は無視できない。問題なのは日本人の配偶者が外国人であるということではなく、その外国人を通じて芋づる式に親戚一同が入ってきてしまう心配である。日本の場合は解らないが、アメリカの場合、一人でも家族に永住権を持っている人間がいると、家族や親せきがそのつてを使って入国することが容易になる。それでアメリカ人と結婚して永住権や市民権を取った外国人は両親や兄弟を呼び込み、一人の移住のはずが家族郎党含めて1ダースなんてことになりかねないのだ。私が非常に頭にきた例として、若い韓国人がアメリカ人と結婚して自分の年老いた両親をアメリカに呼び込み、アメリカで年金生活を送っていたことだ。アメリカで税金を払ってきてもいない人間が、何故アメリカ人のための年金を受け取ることが出来るのか非常に不思議なのだが、欧米ではこういうことがよく起きる。
これを防ぐためには、婚姻関係以外の親戚関係で用意な移住は不可能という規制を作っておくべきだ。そして厚生年金積立の税金を払ってこなかった外国人には絶対に年金を支給してはならない。
2)のケースは完全に犯罪なので厳重に取り締まる必要がある。結婚して同居していない夫婦や永住権が取れた時点で離婚する夫婦には要注意。結婚5年以内に離婚した外国人の配偶者からは永住権を取り上げるくらいの覚悟が必要。また外国人と結婚する日本人にも相手の動機に十分気を付けてもらいたい。だが、本気で恋をして騙されてしまったら、それを責めるのも気の毒ではある。一時期パキスタン人による中古車業者が多く居たが、彼らはたいてい日本人女性と結婚して永住権を取っていたという。中年以上で行き遅れの女性が狙われたそうだ。やたらに寄ってくる外国人には要注意。
3)のケースは、日本で子供を育てるつもりなら、子供は日本人になるように育てるべきだろう。自分の配偶者が外国人でも子供は日本人なのだから。モスレム男性と結婚する女性には子供への特別配慮を地元政府に求める人が多いが、こういうことは断じて止めてもらいたい。日本には宗教の自由があるから自分や子供がモスレムになるのはいいとして、日本の法律をゆがめるようなことは慎んでもらいたいし、政府自体がそういう人たちを特別扱いしないようにすべきだ。

安易な理由での国際結婚は断じて反対するとともに、政府には、国際結婚の悪用を防ぐための法整備を早急に求めたいと思います。同時に、家庭や社会で、国際結婚はマスコミで喧伝されているようなメリットだけでなく、リスクや社会的責任が非常に大きいことを啓発するべきであると考えます。さらに、結婚することそのものの社会的意義やメリットをもっと広め、制度上も子供が生まれた場合はもちろん、日本人同士の結婚そのものに対して金銭的な優遇措置などを設けることで、(強調はカカシ)身近な日本人との結婚を意識するような風潮、所得にかかわらず日本人同士の結婚がしやすい環境を作り出す必要があるのではないかと思います。

政府による結婚促進努力はいいとしても、外国人と結婚した人々を差別する行為には絶対に反対だ。日本人でも外国人でも同じ法律によって守られるべきである。外国人と結婚していたら公団住宅への入居や福祉の面で差別されるなどというのは文明社会のすることではない。しかし同時に、外国人でも日本の法律で同じように裁かれるべきである。例えばモスレムの間で普通に行われている女児の性器切除や幼児結婚や名誉殺人といった因習は絶対に許してはならない。
結論として、問題なのは国際結婚そのものではなく、それに付属する問題だ。日本人と結婚する外国人が日本を愛し日本人になろうという気持ちなら、それはそれで歓迎すべきことだ。たとえ子供が伝統的な日本人の顔をしていなくても、大和魂を持って入ればそれでいいのだ。日本の文化は個人の肌の色で決まるわけではないのだから。


View comments (2)

相手に親切にすれば相手からも親切にされると思い込む文明人の悪い癖

このあいだ、コメンターのちびむぎみみはなさんの発言を発端に、よもぎねこさんのサイトで非常に興味深いエントリーがあった。それについて私ももっと掘り下げて考えてみたいと思う。

一方だけが幾ら寛容になっても、もう一方が完全に不寛容であれば、寛容を示した側が追い込まれるだけなのです。ところが大アジア主義のイスラム観をアップデートできない人々は、これを理解していないのです。

そもそも彼等は実はイスラム教の教理などには一切関心はないのです。 これってイスラム教徒からすれば神への冒涜そのモノなのですが、彼等はそんなことは夢にも考えていません。
彼等に限らず「寛容」を振り回す人々は、そもそも自分達が寛容であることへの自己満足に浸るばかりで、相手を見て理解しようとしないのです。(強調はカカシ)
しかし本当に相手を見手理解しようと言う努力を放棄した上で示す寛容が本当の寛容と言えるのでしょうか? 勝手に相手を善人と盲信しての寛容なんて、結婚詐欺師の言葉を信じて金を貢ぐのと同じではありませんか? これを本当の愛情と言えますか?

不寛容に寛容になれば不寛容が横行する、これ常識。まったくよもぎねこさんの言う通り。今の西欧の状況がまさにこの頓珍漢な「寛容」の賜物だ。
欧米で移民政策に反対する人々のことを「イスラモフォビア」と呼んで、「お前らは本当のイスラム教を理解していない」と責め立てる奴らに限って本当のイスラム教を理解していない。コメンターのちびさんも欧米の左翼同然にイスラム教テロリストが欧米を攻撃するのは、キリスト教欧米諸国が過去にイスラム圏で悪さを働いたからだと思い込んでいるのも、相手を理解せずに自分らの物差しで相手を図る文明人の奢りだ。こちらが何かをしたから仕返しをされたのだと考えることは、ではこちらが親切にすれば相手も親切で返してくれるという誤解につながる。
こういうナイーブ(馬鹿がつくほどお人よし)な考え方は、世界制覇を狙うモスレムにはもってこいの獲物となる。よもぎねこさんが引用している池内恵さんの言ってることはまさにその通りだ。

「日本の援助の仕方が悪いから現地の人の反感を買ったなんて議論は全く非論理的。 このテロは原因はイスラムにある。 だからどんな援助をしようと日本人はテロの対象になる。」

イスラム教徒らにとって他宗教に寛容な社会は弱者として制覇すべき社会なのである。彼らにとってイスラム至上主義は常識。相手が自分たちに親切なのは相手が自分たちの崇高を敬わって服従していると理解する。スエーデン住まいのブロガーさんが言っていたが、モスレムの店員と対応する時は丁寧に接すると馬鹿にされる。反対にこちらが相手より偉いのだという高飛車な態度を示した方が、相手が低姿勢になり付き合いがうまくいくというのだ。
彼らにとって他宗教や文化との交流は、相手を征服するか征服されるかのどちらでしかない。相手と平等に共存するなどという観念は全くないのだ。だから日本はイスラム教徒を奴隷として受け入れるという覚悟でもない限り、彼らを安易な労働力として受け入れるのは危険。(奴隷など無論文明社会ではあってはならない観念だが。)
ちびさんみたいな右派が西欧の真似をしたくないというなら、本気でどういう点を真似すべきでないのかを勉強すべき。単に日本はキリスト教ではないから安全などという能天気な考えでは日本も欧州の二の舞を踏むこと間違いなしである。


View comments (3)

鉱山のカナリア、南アフリカの白人アフリカーナ

この間南アフリカにおける少数派白人への迫害についての話をした。それに関してユーチューブで南アフリカのビジネスマンの演説を少し聞いていて、彼が「我々は言ってみれば鉱山のカナリアだ」と言ったのが印象に残った。民主主義を理解せずに、それが単なる多数決なのだと勘違いしている人々が増えると、必然的に少数派の権利が迫害されてしまう。南アフリカはそのいい例なのだ。莫大な数のアフリカ人が今ヨーロッパになだれ込んでいる。ヨーロッパは気を付けないと南アフリカの二の舞を踏むことになる。

鉱山のカナリアとは、カナリアは小さく空気の変化に敏感なので、鉱山内に有毒ガスが発生したり酸素不足になったりしたとき、カナリアを環境変化の警報として持ち込んでいたということから、危険の前兆という意味で用いられる。

以前にも紹介した南アフリカ在住経験のあるジャーナリスト、アレックス・ニューマンのカール・ギャラップスによるインタビューから読んでみる。

一国の大統領が、自分の政権と共に少数派を駆逐するから「マシンガンを持ってこい」などと言うことを想像できますか?普通の神経の人なら恐怖におののきますよ。全くの気違い沙汰です。

だが、それが南アフリカでは実際に起きている。大統領自らが人口の10%にも満たない少数派の白人を皆殺しにしろと国民を煽っているのだ。1990年代に起きたルワンダでのツチ族とフツ族の殺し合いの時もそうだったのだが、アフリカ人はなぜか指導者の暴力扇動にすぐ乗せられて、今まで隣近所で仲良く暮らしていた人々を突然窯で滅多切りするという行為に出るから恐ろしい。殺すといってもそのやり方が想像を絶する残酷さなのも彼らの特徴。

アパルトヘイトが終わった時点で、南アフリカは民主主義の自由国家として生まれ変わるチャンスがあった。しかしそれが実現せず、単に弾圧されていた側が弾圧者になったというだけの独裁政権になりつつあるのは何故なのか。ジェイコブ・ズーマ大統領は南アフリカの問題はすべてキリスト教徒である白人のせいであり、すべての白人を抹殺すべきと公然と唱えている。少数派の白人政党が白人農夫たちの数々の虐殺について国会で訴えた際、与党のアフリカンナショナルコングレスは殺人を弁護し「よし、生き埋めにしろ!」と叫んだ。

ニューマンは、南アフリカのこのような状況を世界中のメディアが無視するのは、今の南アフリカの状況は世界のメディアにも多いに責任があるからだという。1980年代から1990年代にかけてアパルトヘイトをどのように解体していくか、国内でも色々と議論が交わされていた。しかし西洋メディアや体制派が即座に政権を旧ソ連支持の共産主義者とテロリストの手に渡すことを要求したのだとニューマンは言う。(当時南アフリカボイコット運動なども行われていた。)

確かに少数派白人による独裁政権が良かったはずはないが、だからと言ってその政権を共産主義者やテロリストに何の安全処置もとらずに手渡してしまえばどういうことになるか、それは火を見るよりも明らかだったはず。

なぜ我々民主主義国家が人権人権と騒ぐのかと言えば、多数派による少数派への弾圧があってはならないという民主主義にとっては基本となる考えを大事にするからである。しかし共産主義者やテロリストにそんな考えがあるはずがない。そういう考えのない人間が政権を握れば、結果的に多数派による少数派虐待という状況が発生する。南アフリカの場合、白人への復讐という感情も入るから余計に厄介なのだ。

しかし、この状況が単に南アだけの問題だと考えるのは危険だ。すでにアメリカでもバラク・オバマ前大統領が率先して黒人と警察との間に亀裂を生じさせ、白人を悪者扱いする運動が起きている。「白人特権」などという言葉が多く使われるようになり、白人は白人であるだけですでに人種差別者なのだとか、どれだけ白人およびキリスト教徒の人権が迫害されても、有色人種や非キリスト教徒による人種差別は存在しないなどと言い張る人間が左翼の間で増えている。

南アフリカでアフリカーナの身に起きていることは、私の見解では将来世界で起こりうる凝縮図だと思います。少なくともグローバリストや体制派が西洋のキリスト教徒に起こるべきと望む構図なのです。

ニューマンは国連のように、世界中をひとつの政権の元に統一することの危険性を語る。もし国連が本当に世界統一の政府となったならば、世界中で少数派であるキリスト教西洋は南アの白人のように弾圧されること間違いない。

ニューマンは語らないが、すでにアラブ諸国が主権を握る国連人権委員会では常にイスラエルが悪者扱いされ、その権限が迫害されている。アラブ人やアフリカ人を大量に受け入れたヨーロッパでは、白人が少数派になった各地で地元白人(特にユダヤ人)への迫害がすでに始まっている。
ところで日本人は西洋人でもなければキリスト教徒でもないので影響がないかと言えばとんでもない。日本は文明社会として西洋文化と共通した価値観を持っている。その価値観は同じ東洋でもアラブ人とは完全に相入れないものだ。西洋人にとって住みにくい社会は日本をはじめすべての文明人にとって住みにくい社会となるのだ。

ところでどうしてアフリカはいつもこうなってしまうのかという話でナスタチウムさんが面白い統計を掲載しているので参照されたし。


View comments (8)

リンダ・ソーサー、トランプ政権にジハード攻撃宣言

リンダ・ソーサーと言えば、反トランプの自称「女性マーチ」で人気を博しニューヨークの大学の卒業式で演説をぶったりしている後退派左翼自称フェミニスト。ソーサーはパレスチナ系アメリカ人でテロ軍団ハマス支持でシャリア促進派である。そのソーサーが先日のアメリカ独立記念日に、ハマスと深い関係のあるSociety of North America (ISNA) (北アメリカイスラム協会)での演説で、イスラム教徒はトランプに対してジハードを行うべきと発言して話題になっている。

ソーサーはトランプ政権を批判して「姉妹たちよ、兄弟たちよ、なぜ我々は準備できていないのだ?なぜ我々はこの政権とそれが我々の社会に生み出す混乱を恐れるのだ?」とし、モハメッドを持ち出し「独裁者や指導者の前では真実の言葉を述べることこそがジハード(聖戦)の最も正しいやり方だ」「私は我々の社会を弾圧するものに立ち向かう時、アラーがこのジハードのやり方を受け入れてくれることを願う。我々は中東や外国だけでなく、このアメリカ合衆国においても独裁に葛藤している、ファシストで白人至上主義がホワイトハウスで君臨するこの国において。」彼女はさらに、「我々が最優先させるべきなのは我らが社会を守ることだ。それは他人や政権を喜ばすために融和することではない。我々が最優先すべきなのは、他のどんなことよりも先に、アラーを、アラーのみを、喜ばすことにあるのだ。」と続けた。

この発言によって、保守派からソーサーが暴力を煽っているという批判が出たのは言うまでもない。確かにソーサーは言葉を注意して選んで「真実の言葉を述べることがジハードの最善の方法だ」などと言っているが、彼女の本意が暴力であることは彼女が誰に向かってこの演説をしたかを見れば容易に判断できる。
こうした批判に対してソーサーは、「右翼は私の指導権を悪者扱いしている。ビデオを編集するのが彼らの常套手段」とツイートした。
しかしベン・シャピーロなどの保守派サイトでは彼女のスピーチが全編公表されているので、この言い訳は成り立たない。
パメラ・ゲラーのサイトでも指摘されているが、ソーサーも馬鹿ではない。彼女は国内でも国外でもジハードがどういう意味でつかわれているか十分に承知している。特にパレスチナが常にイスラエルに向かって暴力攻撃をしている中東の問題を持ち出し、テロ軍団ハマス系のモスレム市民団体ISNAの前でトランプに対してジハードを行うべきと言えば、それが何を意味するのか自ずとはっきりする。彼女の言葉使いは批判された時にイスラモフォビアに歪曲されたと言い訳をするために注意して選ばれたものなのだ。
これについてベン・シャピーロがフォックステレビで自称穏健派モスレムと討論をしていた。このモスレムはハサーン・シルビイ(Hassan Shibly)といって, ケア( the Council on American-Islamic Relations(CAIR))というモスレム市民団体の代表。ケアはエジプトのテロ軍団モスレムブラザーフッド支援団体。穏健派どころかアメリカにおけるモスレムブラザーフッドの看板団体なのだ。
シルビーはこの討論において、ソーサーは文脈抜きで批判されていると言い訳したが、シャピーロが、彼が読んだどのサイトでもソーサーの演説は全体に渡って移されており、トランスクリプトも発表されていると返すと、その場にいない女性を罵るべきではないとシルビーは口早にシャピーロを瀬切った。
そこでシャピーロは「よろしい。ではケアの話をしましょう。ケアとは2007年にザ・ホーリーランド基金テロ資金援助裁判において起訴なしの共謀者と名指しされた団体です。」と答えた。するとシルビーはその場に居ない人間を罵るなと言っておきながら、シャピーロが話題を変えたと文句を言い、「ジハードの意味を討論しましょう」と続けた。
シャピーロは、ソーサーの言葉が文脈を無視して批判されているというが、それではソーサーがどういう文脈でこの話を持ち出したのかを考えるべきだと語った。ソーサーが演説の最初に持ち出したモハメッドは暴力も含めジハードの多々のやり方を述べており、ジハードを独裁者に対して真実を述べることという解釈こそが文脈を無視してその一部を取ったものだと返した。
シルビーはジハードという言葉を過激派から取り返す必要があるのだと応戦したが、シャピーロがもし本気でそうしたいと思っているなら、先ずモスレムブラザーフッドのようなテロ軍団を糾弾することから始めるべきだと、ケアの姿勢を批判した。シルビーはこれに対して「なぜ我々がモスレムブラザーフッドを糾弾する必要があるのだ」と問い返した。

モスレムブラザーフッドを糾弾せずに過激派からジハードを取り返すことはできません。

シルビーは自分らは政治団体を批判するつもりはないと断固拒否したうえで、それならお前こそKKKを糾弾してみろと言い返した。シャピーロはユダヤ人としてKKK親派の白人至上主義アルトライトから散々攻撃の的になってきた男だ。今更そんなことを言われるまでもない。だがシャピーロにとってKKKを糾弾するなど朝飯前なのに対してシルビーはモスレムブラザーフッドを糾弾することが出来ない。シルビーが平和的なジハードなど求めていないことはこれだけで明白だ。
リンダ・ソーサーがジハードの正しい意味は独裁者に対して真実を述べることにあると本気で思っているなら、ジハードを非モスレムに対する暴力だとしてイスラエルに絶えず暴力攻撃を射かけているハマスやアラブで異教徒に悪徳の限りを尽くし、西洋でもテロ行為に及んでいるイスラム国を糾弾すればよかったのである。世界中でジハードを口実にテロを行っている数々のイスラム団体を、そしてそれを支援しているアメリカのケア(CAIR)やISNAを糾弾すればよかったのである。そうすれば彼女の意図がはっきりしたはずだ。
イスラムは平和な宗教だ、ジハードは真実を述べる葛藤だ、などといくら言ってみても、アラーアクバル!と叫ぶテロリストに愛する人々を斬殺されたり、重傷を負わされた人々には虚しく聞こえるばかりである。


Comment

恥さらし、ピアース・モーガンのインタビューと称したトミー・ロビンソン攻撃

昨日、トミー・ロビンソンがイギリスの人気朝番組、グッドモーニングブリテンにゲスト出演したいう話はしたが、私はその18分19秒に渡るビデオを全部観て、ものすごく胸糞が悪くなった。はっきり言って半分くらいのところで挫折しそうになったのだが、ちょっと休憩を入れてなんとか全部見終わった。
私はもともとピアース・モーガンは好きではない。これまでにもモーガンの卑怯なインタビューのやり方については書いてきた。モーガンは最近はトランプの移民政策やロンドンのイスラムテロについても多少はましなことを言っているように思えたが、やはり根底にあるリベラル左翼の気性は変えられないようだ。
先ずモーガンとその手下(基、アシの女)は、ロビンソンがフィンスブリーパークで起きた白人男によるモスレム参詣者攻撃直後、ロビンソンがフィンスブリーパーク聖廟は過去に過激派聖戦を主張し暴力をあおる説教をしていたとツイートしたことに関し、死傷者へのお見舞いの言葉もそこそこにイスラム批判をするのは不謹慎ではないのかと責めた。
ロビンソンは、当日自分はいくつかのツイートをしており、最初のツイートで同攻撃を糾弾する声明文を発表したとしたうえで、こういう暴力が起きる歴史的背景についていくつかツイートしたにすぎず、その内容はモーガンが働く新聞社も同日おなじような記事を掲載していると答えた。
しかし、モーガンは新聞記事がどうのこうのではなく、テロ直後に犠牲者に責任があったかのようなツイートをするロビンソンの思考回路はどうなっているのかが聞きたいのだと責め立てた。
ロビンソンが白人による攻撃が起きる背景にはイスラム聖廟の過激な説教があり、それを説明しなければ今回のテロの原因を究明することはできない。という内容のことを話そうと、用意してきた各聖廟で配られている暴力的な過激なビラの内容を紹介しようとしたり、色々持ってきた資料からどれだけのテロリストが聖廟で過激化されているかという統計を述べようとしたが、ロビンソンの発言はことあるごとにモーガンとアシ女の切り目のない怒鳴り声にかき消されてしまった。
明らかにモーガンはロビンソンの発言になど興味がない。ロビンソンを招待してインタビューするという形をとって、いかに自分が公平で均衡のとれたジャーナリストであるかを象徴しようとしたのかもしれないが、こんなのはインタビューでも何でもない。単なる個人攻撃だ。
イギリスの番組を観ていると感じるのは、イギリスはいまだに昔ながらの階級制度意識から抜けていないということだ。エリート大学を出て上流階級のアクセントを身に付けたモーガンのような男は、アクセントが上流だから頭脳も上流だと自分勝手に思い込んでいる馬鹿である。それでロビンソンのように労働者階級のアクセントで話す男を最初から完全に見下している。
これとは対照的に、ダグラス・マレーやマイロ・ヤナポリスらがイギリスの政治討論番組に出演する際の司会者の態度は礼儀正しい。これはマレーやヤナポリスが上流階級のアクセントやそのしぐさを完全に身に付けているからで、二人ともイギリスのエリート大学で教育を受けたことはその話し方で明白。(マイロは大学中退だけど、、)マレーもヤナポリスもモスレム移民についてはロビンソンと変わらない意見を持っているのに、彼らに対しては司会者は頭ごなしに馬鹿にした態度は絶対に取らない。私はモーガンがこの二人をインタビューするのをみたことはないが、多分彼らに対するモーガンの態度はロビンソンを扱う時とは違うだろうと察する。
今回のテロとは全く無関係なのに、モーガンは現在34歳のロビンソンが10代の頃にサッカーフーリガンとして警官に襲い掛かり怪我をさせたことや、本名はトミー・ロビンソンではなく、EDLという過激派保守派団体を創設した頃に改名したことなどを持ち出した。(ロビンソンは数年前にEDLからは脱退している)あたかも「お前なんか下町の下層階級のチンピラだ、お前の言うことなど聞く価値はない」とでも言いたげだ。
しかしこの攻撃は逆効果だった。ロビンソンの育ったルートン市は貧しい下町。もともと貧しい市ではあったが、ここ10数年、大量のモスレム移民によってどんどん治安が悪化している。地元の白人とモスレム移民との間でギャング紛争が絶えない場所でもある。腕っぷしが強くなければ生き残れない場所なのだ。そういう厳しい環境で育ったことで、ロビンソンはモスレム移民がイギリスに及ぼす危険を身に染みて知っている。モーガンはロビンソンの優等生ではない過去を持ち出すことで彼の信用度を落とそうとしたのだろうが、かえってエリートによる平民を見下した鼻持ちならない自分の本性を暴露してしまった。
モーガンはロビンソンがEDL時代に街頭演説をしているビデオを持ち出し、そのなかの一部を繰り返し、いかにロビンソンが過激派右翼であるかを印象付けようとした。ロビンソンはモーガンはその演説の前後の関係を無視して自分が言わんとしていることを歪曲していると抗議したが、モーガンはそれを聞こうとはしなかった。
しかし、いつまでたってもロビンソンが自分のツイッターの内容を反省する気配がないので、最後にはモーガンとアシ女は「あなたはイスラモフォビアですか」と聞くに至った。ロビンソンがこのバカげた質問に戸惑って「何それ?」という顔をすると、両者は大声で「あなたはイスラモフォブだ!」と喚き散らした。
やっと気を落ち着けたロビンソンは「イスラモフォビアなどというものは存在しない」「フォビアとは理不尽な恐怖のことだ。実際にある脅威を恐れることはフォビアとは言わない」と説明した。はっきり言ってこれがロビンソンの発言のなかで一番光っていた。
ロビンソンはコーランを手に掲げ、「この本の中に暴力を扇動する文章が100箇所以上に渡って書かれている」と言うと、モーガンは「本を下ろせ」「宗教に敬意を示せ」と怒鳴った。「敬意?我々を殺せと書いている本に、なぜ私が敬意を示さなければならないのだ?」怒ったモーガンはロビンソンに「あなたは偏狭な気違いだ!」と怒鳴りつけて締めくくった。
この『インタビュー』の目的がロビンソンの評判を落とすことにあったなら、それは成功しなかった。もともとロビンソンを嫌いだった人の意見が変わったとは思わない。だが、この番組を見るまでロビンソンのような男が居るということを知らなかった一般のイギリス市民はどう思っただろうか? イギリスにも台頭するモスレム勢力を苦々しく思っている一般庶民はいるはず。自分と同じようなアクセントで庶民の味方をしているロビンソンに対し、エリート意識丸出しの馬鹿に仕切ったモーガンによるこの攻撃は、もしかすると完全に裏目に出たかもしれない。


View comments (3)

右翼に発言させるな!トミー・ロビンソンのテレビインタビューに怒る英左翼コラムニスト

ハッフィングトンポストイギリス版のコラムニスト、サビー・ダール(Sabby Dhalu)は怒っている。 右翼保守のトミー・ロビンソンがおなじみのピアース・モーガン司会のイギリス人気朝番組「グッドーモーニングブリテン」に出演したからだ。
ダールは怒っている。ダレン・オズボーンという白人男が聖廟前でモスレム参詣者の群れに車で突っ込んで一人を殺し数人を怪我させた事件から24時間とたたないうちに、あの憎しみに満ちた人種差別者のナチス男であるロビンソンが、マンチェスターで6月11日に暴力的な人種差別行進を扇動したあのロビンソンがなんでテレビ出演なんかしてるんだ、と。

(行進では)モスレムを怒らせ挑発するための豚の生首やガラス瓶がロビンソンの暴徒たちによってアンティファに投げつけられた。EDLは行進前の早朝、マンチェスターの聖廟を攻撃し、参詣者を威嚇した。マンチェスターでのテロ攻撃を悪用し人種差別およびイスラモフォビアのヘイト思想をイギリスに広めようという汚い運動だ。

*EDLというのはロビンソンが創設した右翼市民運動団体だが、ロビンソン自身はその活動があまりにも過激化したとして3年位前に辞任している。
この行進は「ヘイトに反対する行進」と銘打ってトミー・ロビンソンがカナダの保守派メディア、ザ・レベルとの協賛で催したもの。豚の首は別として、ガラス瓶が投げられたとしたら、それは行進参加者の方からではなくアンティファ連中の方から投げられたもので、行進者から瓶が飛んだとすれば、それはアンティファから投げられた瓶を投げ返したものと思われる。なぜそう思うのかと言えば、アンティファ自体が暴力的な左翼団体なのは誰もが知ることであるという他に、ロビンソンたちは行進数日前にマンチェスター市に行進の計画を報告し市警察にも5000人程度の人でが予測されるので警備をよろしくと要請していたからである。暴力的なデモを予定していたなら、なぜわざわざ警察の警備など要請するのだ?ロビンソンが警察と馬が合わないのは周知の事実。 それについて警察がどういう応対をしたかについては色々言いたいこともあるのだが、まずそれは置いといて、、

こういう背景があるなか、ロビンソンのインタビューは、イスラム国風テロ攻撃の場合と右翼ファシストテロ攻撃とでは、その扱いにダブルスタンダードがあることを象徴する。当然のことながら、グッドーモーニングブリテンは先日のロンドン橋事件直後にイスラム国支持者を招待するようなことはしなかった。だが残念ながらフィンスブリーパーク攻撃については同じ扱いがされなかった。

イスラム国とロビンソンを同等扱いするなど馬鹿げている。イギリスメディアにダブルスタンダードが存在するとすれば、それは圧倒的に親モスレム的報道だ。イギリス主流メディアはモスレムテロが起きるたびに翌日には「穏健派モスレム」なるゲストを招きテロの正当性を語るのに余念がない。モスレムのゲストは「テロ行為は一匹狼の仕業だった。」「イスラムとは関係ない」「イスラムは平和の宗教だ」「イギリス政府のシリア政策のせいだ」といつも通りの言い訳をし、挙句の果てにこういうことが起きるのもすべて「イスラモフォビアのせいだ」となり、「我々はバックラッシュが恐ろしい」で締めくくられるのだ。
ダールはロビンソンはファシストでヘイトを扇動しており、言論の場など与えられるべきではないと主張する。彼女はロビンソンが番組で語ったような、暴力を扇動するような文章がコーラン中にちりばめられているなどという事実は全くないと言い張る。

(ロビンソン)は警察に尋問されるべきで主流メディアでインタビューなどされるべきではない。

ロビンソンは過去数年に渡って警察の捜査対象になってきた。警察のでっちあげた罪で何度も逮捕され禁固刑を受けたことすらある。その執拗なまでの嫌がらせにも関わらず、イギリス政府は一度でもロビンソンが右翼テロ陰謀にかかわったと証明することができないでいる。そのことをダールが知らないとはとても信じられない。
ダールは大事なのはことの原因を追究することにあるという。それ自体にはカカシも異論はない。

イスラム国風のテロが起きる時、当然ながらコメンテーターはこのような恐ろしいことをした怪物はどのように過激化したのかと問いかける。フィンスブリーパークのテロでも同じ質問がされるべきだ。ダレン・オズボーンがこのような憎むべき犯罪を犯し、すべてのモスレムを殺したいと思うようになった理由を何なのかと。

対テロ警察は極右翼やファシスト団体を取り調べるべきだ。だが極右翼やファシストを取り調べるだけでは不十分だ。こうした団体や主な指導者たちも取り調べるべきだ。これらの団体は真空の中から生まれたのではない。彼らはモスレムへの反感が最近とみに高まっている背景から生まれたのだ。

ダールの言う通り、これらの団体や指導者たちは何もないところから生まれたのではない。しかし我々がことの原因を追究するのであれば、いったい何が彼らのような個人や団体を生み出したのか正直に吟味する必要がある。オズボーンが攻撃した聖廟は長年にわたって反イギリスのヘイト思想を説教してきた。この聖廟やそれと似たような過激思想聖廟がイギリスモスレム信者たちを過激化させてきたのだ。マンチェスター攻撃の犯人もこういう聖廟で過激化されたのだ。だがそれに関して警察当局は何もしてこなかった。警察はロビンソンにしたように明け方に聖廟や関係者の家に家宅捜査に行ったりコンピューターを没収したりテロ先導者と思われる容疑者を逮捕したりしたか?イギリス国民は政府が自国民を守るために何もしてないと感じている。これだけの攻撃を受けながら国が守ってくれないなら、自分たちの手で守らなければならないと思う人間が出てきても不思議ではない。いずれはこういうことが起きるのは予期できたことだ。トミー・ロビンソンはまさしくその危険性について長年警鐘を鳴らしてきたのだ。
だが、ダールは今回の事件は右翼による反モスレム発言や右翼雑誌記事の見出しが原因だという。彼女はオズボーンを過激化させたのは右翼の扇動だと言い張るのだ。
私は先日ダグラス・マレーの数年前のスピーチを聞いていた。ちょうどトミー・ロビンソンが何回目かの逮捕によって不動産詐欺の疑いで有罪になったころの話だ。マレーはトミー・ロビンソンを右翼過激派などといって一笑に付すのではなく、なぜロビンソンのような人間が登場したのかを考えるべきだと語っている。マレー自身、ロビンソンのファンではない。少なくとも当時は。しかしロビンソンは何かに反抗して生まれたものだ。彼が反抗したもともとの原因が何なのか、その根本を追究せずにロビンソンだけを責めるのはお門違いなのである。
だがダールは右翼テロの原因は単なる反モスレムの人種差別にあるという。

対テロに深刻に取り組むには反人種差別やイスラモフォビアへの挑戦が含まれなければならない。すべての人々が宗教や文化や信念を他人の権利を脅かさない限り自由に表現できる権利を守る必要がある。このやり方こそが人種差別やファシストグループを阻止し、イギリスによる対モスレム人種差別で奮起するイスラム国の邪魔をすることが出来るのである。(強調はカカシ)

この結論はこのコラムの中でも一番不誠実な部分だ。世界中で一番他人の宗教や文化信念に不寛容なのは誰だ?マンチェスターやロンドン橋攻撃のあとでさえ、ダールは右翼によるモスレム攻撃にイスラモフォビアをもちだしてくる。
イスラム教が危険な思想だということを知るために、トミー・ロビンソンやいわゆる極右翼の手助けなど必要ない。オズボーンが過激化するのに右翼団体やその指導者の助けなど必要なかった。彼は自分の目の前で何が起きているのかはっきり見えていたからだ。もし誰かが彼の過激化に責任があるとしたら、それはモスレムテロリストとその攻撃から自国民を守ることに全く不能なイギリス政府だろう。
最後に、イスラム国がイギリス人による人種差別になど多少でも興味があると言えるダールの浅はかな考えには失笑する。
ダールの本当の怒りはトミー・ロビンソンのような人間によって、悪の根源がイギリス人による人種差別ではなく、イスラム聖戦思想とイギリス政府の不能にあることを指摘されることにあるのだ。だから真実を語る使者の口をふさぎたいのだ。
下記はトミー・ロビンソンがザ・レベルと協賛で主催した「憎しみに反対する行進」”march against hate”当日の警察の対応についての記事より抜粋。


View comment