苺畑カカシは人種差別者、という汚名を拭うために

昨日私は日本の保守派の間に存在する人種差別について書いたばっかりだった。それが偶然なことに、「苺畑より」のリファーラルを辿っていたら、リンクもつけずにカカシを「真性なレイシスト(人種差別者)」と批判しているブログを見つけてしまった。
Gaspard de la nuitというブログの著者maximam357(略してマキシムと呼ばせてもらう)は、カカシを無関係なところで、しかもカカシが書いてもいない内容を鍵括弧に入れて、あたかもカカシが生粋の人種差別者であるかのように書いている。ミスター苺は、リベラルの連中は保守派を人種差別者扱いするくらいしか能がないんだから放っておけというが、ちょっときになることがあるので書いておこう。
マキシムのエントリーでカカシが引き合いに出されたのは、オーストラリアでフィリピン人が日本人と間違われて白人のオーストラリア人に殴り殺されたという事件について、それに怒る日本の保守派は彼ら自身が人種差別者なのだから批判する権利などないだろうという主旨のもの。
そこで、マキシムはユアーストゥルーリー苺畑カカシが人種差別者でアンチ移民の保守派の典型的な例ということで引き合いに出している。

確かに酷いしあらゆる意味で「オージー馬鹿じゃないの?」と言う話に違いは無いが、此処で、我が国のネット雀連中が「それを言う資格」があったか・・・と言うと実は微妙な気もするんだよね。

…そのオージーの低脳な人種差別っぷりの代名詞とも言えるクロナラ暴動(ヨルダン系移民の人々を極右白人集団が襲撃して回った)はネットで紹介されて有名だけど、古森のオッサン御推奨ブロガーの苺畑カカシ姉さんなんかは、このクロナラ暴動全面支持で、「アラブ移民をブチ殺して清浄な白人のオーストラリアを取り戻そうとする愛国者」と言うトーンでオージーを礼賛してた訳なんだけどね(苦笑)
そして、移民・ガイコクジン参政権反対の絡みで、その苺畑女史のヒステリックな「反移民」論をさんざん援用してたのもネット雀の皆さんじゃあなかったのかいな?(苦笑)
そりゃまあ、確かに日本に「大量移民」とか「ガイコクジン参政権」が良いかっていやあ、「少なくとも現状の日本では時期尚早」と言う意見は解るし、内容に関しては納得する事も多い。
けど、苺畑さんみたいな真性レイシストを援用してどーするのよ、そこで(苦笑)

他人をレイシスト呼ばわりする割には、マキシムのオーストラリア人に対する人種差別偏見が満ち満ちているこの文章は読んでてかなり気色悪い。
クロナラビーチでの暴動は「ヨルダン系移民の人々を極右白人集団が襲撃して回った」という説明は正しくない。当ブログでも何度となく紹介しているように、イスラム系移民(特にレバノンやヨルダン経由のパレスチナ人)による暴挙は他のヨーロッパ諸国でも深刻な問題になっている。オーストラリアでもイスラム系移民による犯罪は手の付けられない状態となっている。イスラム系移民に集団暴行を受けた女性に対し、悪名高いオーストラリアのイスラム師教がバーカを着ていない女は、布巾のかかっていない肉のようなもので強姦されても自業自得だなどと平気で言うような背景がすでにあった。
特にクロナラビーチではこの暴動が起きる以前にも何度も地元の人々がイスラム暴徒によって暴行を受けていた。浜辺には「ここは俺たちのビーチだ、オーストラリア人は来るな」というような看板まで張られていた。ついに度重なる暴挙に耐えきれなくなった地元白人達の怒りが爆発した形であのような暴動が起きたのだ。単に平和に浜辺で甲羅干しをしていた移民が白人崇拝主義の白人達に一方的に暴行を受けたというような単純な事件ではない。
カカシがクロナラビーチの暴動について書いたのは、2006年の12月、オーストラリアのクロナラビーチで行われるはずだったビキニマーチが、イスラム教過激派の脅迫にあって中止されてしまったという話をする際、その背景にあった一年前の暴動について説明する必要があったからである。

このビキニマーチの執行日はもともと12月9日に予定されていたが、これはシドニーのCronulla海岸でおきた暴動からちょうど一年目にあたる週末だったのである。一般にCronulla riot と呼ばれる暴動のきっかけとなったのは去年12月に浜辺を歩いていたカップルがイスラム系の十数人に襲われたことから始まる。その数日後、同じ砂浜でサッカーをしていたイスラム系青年数人に注意をした救命隊員がやはり十数人のイスラム系若者に襲われるという事件があった。それまでにも何度かイスラム系の若者によって海岸を訪れる人々が嫌がらせを受けていたようだが、この二つの事件で地元白人の堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。

トークラジオのDJやブロガーなどが浜辺を取り戻そうと呼びかけたことから、12月11日、Cronulla海岸には5000人の白人の若者が集まった。 最初のうちは単にお祭り騒ぎをしていただけだった若者たちは、一人のアラブ系男性が数人の白人男性に追いかけられて近くのホテルに逃げこんだのを皮切りに浜辺にいたアラブ系と見られる人々を次々に襲った。若者たちは駆け付けた警察官や救急隊員などにもビールの空き缶を投げ付けるなどの暴行を行い、数人が逮捕された。
その晩から数日後の15日にいたるまで、今度はイスラム系の若者が復讐のため町にくり出し、商店を破損させたり行き交う人々に襲いかかったりした。キリスト教の小学校に銃弾が打ち込まれ、最後にはキリスト協会が4つも焼かれてしまった。

私は暴動という行為自体を正当化するつもりはない。そういうことを意識してこの話を書いたわけでもない。ただ、このような暴動が起きるまでにはそれなりの理由があった。オーストラリア政府がイスラム移民の犯罪をきちんと取り締まり、地元市民の安全を保証していれば、このような暴動は防げただろう。フランスで何週間も続いたイスラム系移民たちによる大暴動を考えると、クロナラビーチの地元民の不満が爆発した理由も理解できる。そういう面では私がこの暴動を正当化したといわれれば、それはそうかもしれない。
だが、犯罪を起こす移民の行為を批判し、政府がそれらの人々を厳しく取り締まるべきだという主張と、移民は全面的に排斥すべきだと言う主張は全く別だ。当ブログを長年ご愛読くださっている読者諸君ならご存知のことだが、カカシは移民に反対などころか、日本にしろアメリカにしろ移民は多いに受け入れるべきだと主張してきた。但し、移民の受け入れ態勢をしっかり整えた上でのことで、という条件付きで。国籍法改正についてのこのエントリーなどがそのいい例。

実を言うと移民問題はカカシにとっては他人ごとではない。何故ならば、カカシ自身が1980年代にアメリカに移住し、その10年後にアメリカ国籍を取得した移民だからである。カカシのアメリカにおける移民法に関する意見は以前移民問題を装う人種差別移民法改正案阻止が共和党の崩壊へとつながる可能性でも述べているが、カカシは移民に対して非常に同情的な立場にあるということを読者の皆様にご理解願いたい。(中略)
しかし私は、国籍法などという末端のことを議論する前に、日本社会は今後移民の受け入れをどのように行って行くつもりなのか、その方針をはっきりさせことの方が大切だと考える。
本人達が意識していなくても移民の受け入れを拒絶する保守派の間には、アメリカでも日本でも他人種迫害の差別意識が少なからず働いている。彼らが明らかな人種差別者であると言っているのではない。だがよそ者には近所に住んでほしくないという気持ちがあることは否定出来ない。
かといって、外国人が無制限に入ってくる事実は治安上も文化上も決して好ましい状態ではない。現に外国人による犯罪は日本でもアメリカでも地元民の犯す犯罪よりも凶悪で頻度は高い。また地元の文化を尊重せず外国の野蛮な文化を身勝手に持ち込む外国人移民による文化の粗悪化も決して無視できない事実である。
しかし、少子化の進む日本において、外国人労働者は必要不可欠。日本人だけでは日本社会はもう成り立たない状態である以上、外国人をやたらに閉め出すやり方では違法移民を増やすだけで何の解決にもならない。
大切なのは、日本の文化を保ちつつ外国人を受け入れる均衡の取れた移民法を作り出すことだ。それには、移住してくる外国人がなるべく早く日本社会に融合してもらえるような体制を日本は整える必要がある。
外人は嫌いだという阻害的な姿勢で、移民を一定地域に隔離して、一般市民とは異なった扱いをしたりすると、今、ヨーロッパ諸国で起きているモスレム移民問題のようなことが起きてしまう。ホストカントリーが自分たちの面倒を見てくれないから、自分たちで仲間を守るという気持ちから、かえって過激な思想が生まれてしまう。

マキシムの口ぶりから言って、彼は私のブログを一度も読んだことはなく、他の人たちが私の書いたエントリーの一部を引用して意見を述べているものを、私の主張と勘違いしたものと思われる。私は人権擁護法には反対だし、外国人参政権にも反対だ。だからそういう意見の保守派の人が私のブログから引用したとしても不思議でもなんでもない。ただ、私の文章を引用した人の意見は必ずしも私の意見と全面的に一致するとは限らないので、その辺を間違えないでもらいたい。
マキシムの読者は多分リベラルだろうから、保守派の私が何を言おうと興味はないだろうが、ま、一応間違いはただしておきたかった。
アップデート:マキシムから返答があったので張っておく。

イラッシャイマセ(笑)御高名はかねがね(苦笑)
自覚なきことは恐ろしい、と言う教訓を改めて頂きました。
貴女ほど優れた反面教師を小生は他にそうは存じ上げません(平伏)
本当、勉強させて頂いてますよ(笑)コモリ氏と言い、貴女と言い…
レッテル貼りと言えば、小生をいきなりリベラル呼ぱわりもレッテル貼りといえばそうですよ?そこらの似非ホシュなんかよりずっと保守派のつもりなんですから(苦笑)
まあ、おきばりやす。ぶぶ漬けでもいかがどすか?(笑)
ま、「人種差別主義者が反移民とは限らず」「移民反対論者が人種差別主義者とも限らない」って事でしょう(苦笑)
カカシ女史は前者、と言う事でよろしいんじゃあないでしょうかしら(苦笑)
日本における『移民反対論』にレイシズム的面が存在することは確かですが、しかし「移民に反対する事」自体は別に人種差別でもなんでもないですよ。制度的・文化的にお互い敬意を払いたいけど国の実情にあわないからお互い「親しき仲にも礼儀あり」で「ホモじゃないんだし男(女)同士で同衾するのはやめましょうよ?」と言ってるだけ、って事もありますしね(苦笑)
小生も「今の日本に移民は時期尚早」と言う立場ですしね。
逆に、一方的にヨルダン移民の人々・モスリム移民に対するネガティブな印象操作に狂奔なさる人こそ、「移民賛成であろうが人種差別・イスラムフォビア」と言われてもシャー無いんじゃないっすかぁ?(苦笑)
大抵の人種差別主義者は「あいつらの方が悪いんだ!俺達は悪くない」って言いますしね。と言うより「汚名」だと言う認識がおありとは驚きですよ(嘲)それだけコテコテの民族憎悪にとりつかれてらっしゃるヒトがぁ(笑)
世界の驚異ですね(笑)
あ、小生は「移民反対論者でメールショーでレイシスト」ですよ?多分ね(笑)
そこ等のひ弱な根性の自称ホシュよりずっと日本保守!を自認してますし(苦笑)


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フランス、イスラム女性のバーカを禁止に?

カカシは自由主義者なので、政府が国民にどんな服を着ていいか悪いかなどという法律を作って欲しくはないのだが、この件に関してだけはフランスのサルコージ大統領の意見に同意する。

ニコラス・サルコージ大統領はイスラム教のバーカは、全身を覆う宗教服は女性「弾圧」の印であるとし、フランスにおいて歓迎できないと語った。

136年ぶりに大統領として初めてフランス議会で演説をしたサルコージ氏はバーカの件はフランスにいるイスラム教徒にスティグマを与えるものだとする批判者に面し、公共の場に置けるバーカの廃止を支持する意向を明らかにした。
「我が国において、女性が幕の後ろに隠れ世間から遮断されすべての個性を奪われるようなことは許容できません。」と氏はパリの南西に位置するベルサイユ宮殿において長い喝采を浴びた。
「バーカは宗教の印ではない、服従と卑下の印であると、はっきり言わせていただきます。」「フランス共和制の領土内において、歓迎できません。」
何十人も議員達がフランスにおけるバーカ廃止の研究委員会創設を呼びかけている。フランスでは2004年の公立学校からの廃止にも関わらず、少数ながらバーカを着る傾向が強まっている。

サルコージのいうように、バーカは単なる宗教の服というより、女性を圧迫し社会から遮断するもので、イスラム教徒のフランス社会への融合を拒絶するシンボルのようなものだ。
それだけでなく、公共の場で目だけ網戸のようなちいさな窓から除いているような服では、中に何を隠しているかわからないしテロリストに悪用される可能性は大きい。テロリストとまではいかないまでも、空港や銀行や市役所や裁判所など、身元が確認できないような格好は犯罪者にはもってこいの衣装だろう。こういう服装を違法にしても人権侵害にはならないはずだ。
もちろん反対派は、イスラムキ教の服装だけ廃止するのはイスラム教にスティグマを与え、かえってイスラム教徒を刺激するのではないかと批判する。はっきり言ってイスラム教徒は甘やかされる分暴走してきたのだから、寛容や許容がイスラム教徒らをなだめるどころか、かえって過激派をつけあがらせるだけだということをフランス社会は学ぶべきである。
少なくともサルコージ大統領にはそれが理解できているようだ。


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ベルギーはガザなのか?

イスラエルのガザ攻撃に抗議して、ヨーロッパ各地で抗議デモが起きていることは読者の皆様もご存知のことと思うが、ことイスラム教徒が関わると、こうしたデモは単なる抗議を通り越してユダヤ人憎しの暴動へとつながり、ヨーロッパ居住のイスラエルとは無関係なユダヤ教徒があらぬ暴力の対象となる。ヨーロッパ各地でイスラム暴徒による暴力沙汰を見る度に、ヨーロッパはイスラム教移民の受け入れを深刻に間違えたと思わざる負えない。今となってはヨーロッパ諸国はイスラム教徒の移住を全面的に禁止する必要があるかもしれないとさえ思う。
イスラム教の移民が多いベルギーでは、ずいぶん前からイスラム教暴徒の暴走が問題になっていたが、今度の戦争をきっかけにベルギーのイスラム教暴徒たちはその凶暴性をさらに激化させている。
下記はダイアナ・ウエストのサイトに載ったベルギーはアントワープ市の元警察官のエッセイから。

2008年12月31日、AEL、訳してアラブ・ヨーロッパ連合(もちろんハマスとヒズボラの支持者たち)という過激派主催の抗議デモがアントワープ市で行われた。この市はヨーロッパでもユダヤ教徒の人口が最も多い市である。デモの間何百という覆面のイスラム教徒たちがユダヤ教徒が多く住む地域付近のBorgerhoutに集まった。抗議者たちは口々に「ユダ公出て行け」「ハマス!」「ヒズボラ!」と唱えるというより戦いの雄叫びを上げていた。行進の前からアントワープのイスラム教徒が密集している居住区にはガザの紛争はユダヤ人のせいだというビラが配られた。 行進の間、イスラム暴徒らは数々の店や車を破壊し、警察官二人に重傷を負わせた。行進者たちはユダヤ人経営のダイアモンド店に向かおうとしたが、かろうじて警察によって妨げられた。

三日の土曜日、モスレム達(イスラム教徒)はアントワープの歴史ある中央部にあつまり、パレスチナへの同盟を近いと同情の念を表現し、パレスチナ運動に支持を示した。警察は95人の抗議者を逮捕した。その何人かは火炎瓶や銃やペパースプ例などを所持しており、あきらかにユダヤ教徒やユダヤ関係のものを攻撃するつもりだった。その同じ晩、子供12人が眠るあるユダヤ人家族の家に火が放たれた。幸い家屋だけが破損しただけでけが人は一人も出なかった。ベルギーの法律では人が居る家への放火は直接的な殺人未遂であり、有罪になれば20年間の禁固刑となる罪である。
ブルッセルではベスヒレルシナゴーグ(ユダヤ寺院)に火が付けられた。ブルッセル市中央では抗議デモが暴動に変わり、モスレムと警察のもみ合いになった。 店のガラス窓は割られ、車が破壊された。この事件がおきたのは夕方の早い時間で、冬のセールの初日ということで多くの買い物客でにぎわっていたが、店主達は買い物客を守るために彼らを店内に入れたままドアを閉めて鍵をかけた。マクドナルドの店内は完全に破壊されてしまった。
ベルギー内のユダヤ教徒やユダヤ標的への暴力はアラブ人ヨーロッパ連合(AEL)だけに責任があるのではない。他にも得体の知れないイスラム教過激派組織がテキストメッセージなどを通じてモスレム市民にユダヤ標的への攻撃を呼びかけ、街頭デモや暴動でユダヤ人居住区と関連のあるものを片っ端から破壊することを煽りたてた。”Composantes de la Communauté Arabe de Belgique” (CoCABe)という組織はブルッセルの3000人のモスレムを集め、パレスチナへの支持とアンチユダやのスローガンを叫び散らした。
ユダヤ教学校や寺院、ユダヤ系マガジンなどに数通の脅迫状が送られている。ベルギーの内省や警察ではこの先数日もしくは数週間に渡って、増加するであろうユダヤ人への暴力に備えて警備体制を固めている。

こういう記事を読むと、ベルギーおよびヨーロッパはイスラム圏からの移民を全面的に廃止すべきだという気になる。彼らを最初に受け入れた時に、もっときちんとした受け入れ態勢をつくっておけば、一世代後の今になってこのような結果を生まずにすんだはずだ。しかし時すでに遅し。
今となっては、モスレム暴徒は厳しく取り締まる以外にない。


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酷似している日米移民問題 その2

さて『酷似している日米移民問題 その1』について、読者のoldmanさんとsadatapさんから、カカシは中国人による人口侵略という可能性を考慮に入れていないのではないかというご指摘があった。
中国が危険な国であることは確かであるし、中国があわよくば日本を領土にしてしまおうと考えていることは事実だろう。人口侵略も中共のやりそうなことである。実際に中国にそのような計画があるのかどうか私には解らない。そのような目的で日本に移住してくる中国人が全体のどのくらいの割合でいるのかも知らない。よってそのような心配は必要ないなどと無責任なことを言うつもりはない。
だが、欧米においてもその少子化を傍目に、産児制限を全くしないイスラム教移民がどんどんその人口を増やし、今や欧米は単純に人口によってイスラム教徒に乗っ取られるのではないか、少なくともヨーロッパではその兆候が見え始めていると議論する人もいる。つまり、この点でも日本だけがユニークな立場にあるとは言えないのである。
そしてどちらの場合も単に『危険』な国々からの移民を完全禁止するという対策では解決できない問題を抱えているのだ。
前回のエントリーの最後にカカシは外国人を差別や特別扱いせず公平に扱うことが、日本の言葉や価値観や文化を守ることにつながると書いた。外国人を日本人と同じように扱うことが何故日本を守ることになるのかと疑問に思われる方もおられると思うが、上記の人口侵略のこともふまえた上で、欧米における移民受け入れの失敗例を挙げながらご説明したい。断っておくが、外国人を日本人のように扱うべきと言っても、日本市民にだけ与えられる特権を市民権を持たない外国人にも与えるべきだという意味ではない。これは外国人も日本人も同じ法律で裁かれるべきであるという意味である。
国語を乱す二カ国語教育
瀬戸さんの上げている1番の言葉の問題だが、アメリカではラテン系移民が多いため、一昔前まで左翼の教育委員会が英語とスペイン語の二カ国語教育なるものを実施した。その結果はさんざんたるものだった。普通、移民の子供は親が英語を解さなくても二世代目からは学校や近所の子供たちから英語を学ぶため、いつのまにか英語を覚えてしまうものだが、二カ国語教育で学校でもスペイン語が通じるし、クラスメートもスペイン語を話すので、アメリカで生まれ育っていながら英語がろくにしゃべれない青少年が激増してしまったのだ。
一世紀前のアメリカでは英語の話せない外国人は仕事にもろくにつけなかったので協会などを通じて英語を学んだり、移民は子息に家の中でも英語で話すことを強要したりして英語の習得に力を入れたものである。ところが最近は市役所などでも無数の移民のために何カ国語もの書類が用意されていたり、数カ国後を話す係員がいたりして外国人は英語を解さなくても不自由しない。国籍をとるための資格試験さえ外国語で受けられるのだからひどいものだ。これでは公用語としての英語が廃れてしまうと懸念した地元の人たちが公用語は英語にしようと提案したりすれば人種差別者扱いされるという馬鹿げた事態までおきている。結果いまや英語の出来ない大人の移民が増えて移民の多い地元はたいへんである。
日本はこうしたアメリカの間違いを教訓にし、日本の国語は日本語であり、日本で就労したり移民したりしたい人間はある程度日本語を解さなければならないという規則をつくるべきである。例えばアメリカの企業が外国人を採用する際の目安とするTOEICのようなものを日本でもつくり、外国人の言語能力のみならず日本社会での一般常識の試験で、ある程度の点数を取った人のみ入国を許可するといったように。
無論一時的に滞在するだけの季節労働者と永住権を求める移民とでは言語レベルの必要性は変わってくるので、個人の言語能力や学歴職歴などをポイント制にして、そのポイントが高い人ほど長期滞在をしやすくする。またすでに日本に滞在している人でも、言語能力や学力が向上するに従って永住権取得資格へ近づけるようにしておけば、外国人が日本語を学ぶ動機にもつながる。
どのような資格を取りさえすれば日本へ合法に入国し就労できるかがはっきりしていれば密入国の必要はなくなる。どんなに学歴や言語能力があっても日本での就労ビザを取得するのがほぼ不可能であれば違法に入国する人間が増えるだけだ。そのような立場の弱い違法移民のつける仕事はおのずといかがわしいものとなり、彼らは違法移民ブローカーなどの餌食となってしまうのがオチだ。
近代社会を脅かす多文化主義
欧米、特に欧州におけるイスラム教徒移民問題は、近年欧州が大手を広げて受け入れた多文化主義に起因している。このどの文化も宗教も同等の価値があるという考えは、イスラム教のように他文化や宗教に不寛容な文化までも受け入れることになり完全矛盾しているからだ。
例えばイスラム教徒は一夫多妻婚を許可しているが、キリスト教基盤の欧米では一夫一婦制が決まりである。イギリスでは外国で結婚したイスラム教徒の一夫多妻婚を認めようという動きがあるが、イスラム教徒だけは例外として一夫多妻性を認めた場合、イギリスには結婚制度に関して二つの法律が存在することになってしまう。
極端な例を挙げるなら、2005年、ドイツでは6人の若い女性が次々に別々の犯人によって殺された。被害者は皆イスラム教徒移民の子女たちで、自分たちはドイツで生まれ育ち、両親の祖国の厳しい戒律から抜け出て現代的なドイツ女性として生きようとしていた。そのことがイスラム教家族の名誉をけがすことになったとして、彼女達は家族のメンバーによって虐殺されたのである。このような所謂『名誉殺人』をドイツ社会がイスラム教特有の文化だからといって受け入れたらドイツ社会はどういうことになるか読者の皆様にはご想像がつくはずだ。
しかしながら上記のどちらの例も、それぞれの国が自分たちの国の法律を自国市民を裁くのと同じように施行していれば全く問題は生じないはずなのである。イギリスではいまでも重婚は違法であるし、ドイツでも名誉殺人だろうとなんだろうと殺人は違法である。だが、こうした風潮がまかり通るのもこれらの国々がイスラム教徒は自国に融合できない異質な外国人であるとして、最初から特別扱いしてきたことが原因なのだ。
例えば最近アメリカでも一部で起きていることなのだが、公共プールで男女混合はイスラム教女性が嫌がるので女性だけの時間を設けるとか、公共学校にイスラム教徒専門の足洗い場を設置するとか、イスラム教徒のタクシーの運転手が酒類をもったり盲導犬をつれた乗客を乗車拒否するのを受け入れるとかいった風潮がある。このような特別扱いは一見イスラム教徒を尊敬しているかのように見えるが、これはイスラム教徒は普通のアメリカ文化に溶け込めない異端者として差別していることに他ならないのである。このような行為を続ければ欧米に住むイスラム教徒は自分らは特別であり地元の法律に従わなくてもいいのだと判断するようになるのは当たり前だ。
外国人差別は犯罪につながる
皆様もご存知だろうが、デンマーク、スイス、フランスなどでもイスラム教移民による暴動や犯罪がこれらの国の社会治安を大きく乱している。また欧州で生まれ育っていながらイスラム過激派テロリストに同情してテロ行為に走る若者も増えている。何故このようなことになったのか。それは二昔前に欧州諸国が少子化によって足りない労働力を補おうとイスラム教移民を大量に受け入れた際に、彼らを自国民として同等に扱わず外国人労働者として差別してきたからである。ひどい国になると移民の居住区を特定地区に制限したところもある。イスラム教徒居住区ではその治安の悪さに警察も踏み込めない、公共バスも行かないという無法状態になっているところがある。つまり、このような居住区に住む一般市民はホストカントリーの法律から守ってもらえないのである。
同じ国に住んでいながら外国人だというだけでその国の法律に守ってもらえないのだとしたら、そんな法律は自分たちは守る必要はないと考える外国人が増えても無理はない。最初は移民先の国を乗っ取ろうなどと思って入国したわけではなくても、イスラム過激派にそそのかされてテロ行為に走る移民に世代目の若者が出てもおかしくない。
言っておくが私は外国人の犯罪行為を弁護しているのではない。ただ何故このような状態が起きるのかを説明しているのだ。日本にも特に政治意識など持たずに単に職を求めて居住してくる外国人が多くいるはずである。確かな数はわからないが、ほとんどの中国人移民は中共の政治政策になど興味はないだろう。むしろ一世代目の移民は中共の独裁政権に嫌気がさして日本へ来た人が多いはずだ。しかし、一世代目はそうでも二世代目三世代目はどうなのか?彼らが日本での生活に満足していなければ、自分たちが中国系移民であるというだけで日本国内で法律でも社会的にも差別をうければ、不満を抱いた二世代三世代目の中国系移民が中共の陰謀に惑わされる可能性はあり得る。
日本国内で敵国の工作員を育てないためには、日本社会が移民を差別しない以外に方法はない。無論どれだけ日本社会に融合しているように見えても、もともとその忠誠心は中共にあるという里がくれ隠密が存在しないという保証はない。だが、そういう人たちは移民を禁止してみたところでいくらでも密入国してくるはずである。
瀬戸さんが心配している結核などの感染病についても、外国人が違法に入国するからこそ問題になるのであって、合法な移民を認めれば、入国の際に健康診断を要求するなどいくらでも規制が効くのだ。ちなみにカカシはレントゲン写真を担いでアメリカに移住した。
阻害ではなく受け入れ方法を考え直すべき
結論として、欧米諸国も最初から多文化主義などという悪主義を起用せず、外国人に自国の言語や文化や価値観の尊重を要求すべきだったのである。そうしていれば欧州で起きているようなイスラム教徒による問題や、アメリカにおけるラテン系移民の問題なども防げたはずなのだ。
日本もこうした欧米の間違いを教訓にし、外国人移民を単に阻害するのではなく、外国人が日本社会に融合しやすい方針を打ち出すべきである。それには先ず外国人に対する脊髄反射的な阻害意識は捨てるべきだろう。


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酷似している日米移民問題 その1

先日、国籍法改正案についてカカシの意見を述べたところ、お二人の方からコメントを頂いたのだが、お二人ともアメリカと日本では事情が全く違うので比べても意味がないとお考えのようだった。そこで本日は両国の移民問題について酷似している点を上げてみたいと思う。
日米ともに我々の国に住む外国人は大きく分けて四つのグループがいる。

  1. 麻薬や売春などを目的とする暴力団関係の犯罪者たち
  2. テロやスパイ行為などを目的とする敵国の工作員たち
  3. 経済的な理由から一時的に滞在している出稼ぎ労働者たち。
  4. 自国の腐敗した政治や経済状態に嫌気がさして自由で豊かな国に移住しようとしている人たち

国の安全に関わることなので、どの国も1と2のグループは徹底的に取り締まり、そのような人間の入国は断固阻止すべきである。だが、3と4のグループに属する人たちは一概に外国人だからといって阻害すべきではない。
読者からご指摘があったように、中国や韓国などでの反日教育は目に余る物がある。そのような国から大量に労働者や移民が日本へ流れ込むのは危険なのではないかという懸念はもっともである。しかし考えてみれば、これだけの反日教育を受けているにも関わらず、日本に出稼ぎに来たり滞在期間が過ぎても違法に滞在したがる外国人は、言ってみればものすごい親日派なのだと判断できないだろうか?
自国の反日プロパガンダを無視して、わざわざ言葉も文化も違う日本で働こうとか生きて行こうとかしている人たちこそ日本社会は歓迎すべきなのではないか、そういう人にこそ日本に来てもらうべきなのではないか?
日本に日本人として生まれ育った人たちのなかには偶然得た日本国籍をおざなりにしている人たちがかなりいる。単に日本人として生まれたというだけで日本への愛国心などくだらないと考えている人たちもいる。そうした人々に比べたら、日本が好きで日本人になることを自ら選んだ移民のほうがよっぽども日本への愛国心を持っていると思う。そういう人たちを言葉が違うとか毛色が違うからといって阻害するのは日本社会にとっても大きな損失であると考える。
だが、短期間に大量の外国人が日本に入ってくるとなると多くの問題が起きることは否めない。極右翼と自負されて憚らない瀬戸弘幸さんのブログからこの問題点を引用させてもらおう。

  1. 言語 時代と共に緩やかな変化を遂げてきたものが、大量の移民の受け入れが短期間に行なわれることによって、日本語のみが公用語とはならずに、他国の言語が公用語となって、最悪の場合日本語の消滅の危機とさえ感じます。
  2. 歴史と文化 その国には独自の文化があり、それは長い歴史の中で培われてきたものですが、この貴重な文化・習慣などが破壊されて、過去の遺物として葬られる恐れがある。
  3. 価値観 日本人の価値観は家庭での教え、共同体での経験、学校での教育などで身につけていくものです。外国人の中には全く日本人と価値観の違った人も多い。価値観の違う人々は要らぬ誤解や争いから衝突する危険性を秘めている。
  4. 治安 外国人移民の受け入れは治安の悪化をもたらす。これは最近の傾向として顕著であり、否定できない事実です。犯罪の急増は社会機能の低下をもたらし、国家そのものを瓦解させる危険性をはらんでいる。
  5. 疫病 最近日本ではまた結核患者が増加してきた。これは外国からやってくる人達によって感染したものであり、今後どのような疫病が蔓延し、それが広範囲に流行するかも知れません。また、これらの奇病・難病に対する有効な防止策も手段もありません。

実を言うとこれらの項目はアメリカ国内で大量の移民受け入れに反対する人々の意見と全く同じである。
しかし私はこれらの問題を避ける、もしくは最小限に抑えるためには、移民にしろ季節労働者にしろ、外国人だからといって差別や特別扱いをせずに日本の法律と価値観に従って公平に扱うことが第一だと考える。これについて読者の方から『日本に移住したがる外国人は侵略者であり、日本人同等になど扱えない』というコメントがあったが、外国人に日本の言葉や文化や価値観を乗っ取られたり、侵略されたりしないためには、差別や特別扱いは禁物である。
ここで私ははっきり申し上げておくが、私は移民法の緩和を提唱しているのではない。むしろもっと厳格でかつ公平な法律改正を求めているのである。読者の方々からは私が条件付きの移民奨励を唱えているので、カカシは多文化主義のリベラルかと誤解を受けるかもしれないが、多文化主義は人種差別の裏替えしであり、これほど近代文化を脅かす思想は存在しない。
次回の『酷似している日米移民問題その2』では、外国人を差別や特別扱いせず公平に扱うことが、どのように日本の言葉や価値観や文化を守ることにつながるのかご説明したいと思う。


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国籍法より移民法の改正を

遅ればせながら、従姉妹のMちゃんから送られて来たメールの件で、日本の国籍法改正案についてちょっと考えてみたい。
実を言うと移民問題はカカシにとっては他人ごとではない。何故ならば、カカシ自身が1980年代にアメリカに移住し、その10年後にアメリカ国籍を取得した移民だからである。カカシのアメリカにおける移民法に関する意見は以前移民問題を装う人種差別移民法改正案阻止が共和党の崩壊へとつながる可能性でも述べているが、カカシは移民に対して非常に同情的な立場にあるということを読者の皆様にご理解願いたい。
私はアメリカで違法滞在をしたことは一度もない。だがそれは私が単に幸運だったというだけのことであって、決し私が尊い道徳心を持ち地元の法律を重んじたからという理由からではないし、正直な話、アメリカの移民法は決して理想的ではない。私がきちんとした永住権を得、そして正式な市民権を得るまでには、かなりの苦労を要したのだと読者の皆様に強調しておく。
しかし、それでも日本の移民法に比べたら、アメリカのほうがよっぽども移民に同情的だと言えるだろう。カカシは右翼的思想をもっていはいるが、在日する韓国系中国系の市民に対して脊髄反射的な拒否反応は持っていない。また、カカシは日本の米軍基地付近に滞在することが多いため、風俗店に勤めるフィリピン系の女性達との付き合いも多く、彼女達への同情心もかなり強く持っている。フィリピンにいる4〜5人の家族を養うために日本で働いていたのに、滞在ビザが切れてやむなく帰国せざるおえない女性達にも会ったし、日本人の愛人に捨てられて未婚の母になって苦労している女性にも会った。こういう女性達のことを考えると、結婚していなくても父親が日本人である以上、その子息たちの日本国籍は認められて当然だろうと思う。だから私は今回の国籍法改正案についても、従姉妹のMちゃんが期待するほど強い反対意識や危機感は持っていない。
Mちゃんをはじめ、日本の保守派は今回の国籍法改正案について場違いな批判をしているような気がしてならない。確かに、単に日本人の片親が実子であると認知した場合には,DNA鑑定の必要なしに20歳未満の青年の日本国籍が認められてしまうとなると、それでなくても移住権目的の偽装結婚が後を断たないというのに今度は偽装認知による違法移住者が増える恐れがあるという危惧は理解できる。
だがそれは国籍法の問題というよりも認知法の問題なのではないだろうか。これは左翼変態フェミニストの小山エミが指摘している。

また、仮に男性の「やり逃げ」を阻止するために、強制的にDNA検査を受けさせることができる制度を作るとした場合、その対象は外国人女性とのあいだに子どもをもうけたとされる男性だけでなく、すべての男性に及ばないとおかしい。外国人女性はDNA検査によって父親に認知を強制させられるのに、日本人女性にはそれができないというのはおかしな話だもんね。いずれにしても認知をめぐる法律において決めるべきことで、国籍法の問題ではない。さらに言うと、状況証拠や証言から親子関係が明らかなのに、父親が失踪していたり死亡していたりでDNA採取ができなければ、それだけで子どもの国籍を否定できるのか。

私も小山エミ同様、これは認知を巡る法律を改正すれば国籍法をとやかく言わなくても解決できることだと思う。
しかし私は、国籍法などという末端のことを議論する前に、日本社会は今後移民の受け入れをどのように行って行くつもりなのか、その方針をはっきりさせことの方が大切だと考える。
本人達が意識していなくても移民の受け入れを拒絶する保守派の間には、アメリカでも日本でも他人種迫害の差別意識が少なからず働いている。彼らが明らかな人種差別者であると言っているのではない。だがよそ者には近所に住んでほしくないという気持ちがあることは否定出来ない。
かといって、外国人が無制限に入ってくる事実は治安上も文化上も決して好ましい状態ではない。現に外国人による犯罪は日本でもアメリカでも地元民の犯す犯罪よりも凶悪で頻度は高い。また地元の文化を尊重せず外国の野蛮な文化を身勝手に持ち込む外国人移民による文化の粗悪化も決して無視できない事実である。
しかし、少子化の進む日本において、外国人労働者は必要不可欠。日本人だけでは日本社会はもう成り立たない状態である以上、外国人をやたらに閉め出すやり方では違法移民を増やすだけで何の解決にもならない。
大切なのは、日本の文化を保ちつつ外国人を受け入れる均衡の取れた移民法を作り出すことだ。それには、移住してくる外国人がなるべく早く日本社会に融合してもらえるような体制を日本は整える必要がある。
外人は嫌いだという阻害的な姿勢で、移民を一定地域に隔離して、一般市民とは異なった扱いをしたりすると、今、ヨーロッパ諸国で起きているモスレム移民問題のようなことが起きてしまう。ホストカントリーが自分たちの面倒を見てくれないから、自分たちで仲間を守るという気持ちから、かえって過激な思想が生まれてしまう。
アメリカではモスレムによる暴動などといったものは全く起きていない。アメリカにもかなりの数のモスレム移民がいるはずだが、大抵の人たちは自分のビジネスを持っていたり、お医者さんだったり、技師だったりして、アメリカ社会で経済的にも社会的にも成功しているから、地下鉄で自爆テロをするような動機が生まれないのだろう。一部の過激派がアメリカのモスレムたちを煽って運動をおこそうとしてはいるが、ヨーロッパのような状態からはほど遠い。
何度も繰り返すが、アメリカは移民の国だ。移民の一世代目はそれぞれの国の言葉や文化を深く引きずっているのでなかなか社会に溶け込みにくいし差別にも会う。だが二世代目になると、もう自分は外国人だという意識を持つ人はいない。何故アメリカではこうも簡単に移民が融合してしまうのか。それはアメリカではアメリカで生まれた人間は皆アメリカ人だという意識があるからで、親の国籍や人種に関わらず公平な扱いを受けることが保証されているからだ。誰でも努力すればアメリカンドリームを達成できるという前提があるからだ。
さて、以前にもこの問題について書いたことがあったので、ここでカカシの2006年のエントリーの一部を添付して締めくくりたい。興味のあるかたには是非全文を読んでいただきたい。
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外国人労働者をどう扱うか(2006年11月21日記載)
何故外国からの不法滞在者が増えるのかといえば、彼らが合法に滞在する手段が容易ではないからである。これはアメリカにしろ日本にしろ同じことだ。貧困に悩む近隣の諸外国から比較的経済の豊かな日本やアメリカに移民が集中することはごく自然な現象であり、彼らを締め出そうとすればするほど不法入国者が増えてしまうのである。 
また欧米にしろ日本にしろ外国人労働者なくしては経済が成り立たない以上、雇用者を罰するなどという方針をとっても無駄である。大企業が政府に働きかけ法律を腑抜けにしてしまうか、法の網をくぐって違反は絶えずおきるだろう。 
ブッシュ大統領は外国人労働者を季節労働者として扱い一定の時期だけ就労と滞在が可能な特別な旅券を与える法案を提案しているが、私はこれにも反対だ。なぜならば一時的に外国に滞在している外国人労働者たちはその国の社会に所属しているという意識がない。 日本のことわざで「旅の恥はかき捨て」というのがあるように、自分が所属しない社会の治安維持に外国人が無頓着になるのは必定で、これが外国人労働者による犯罪を促進する原因となる。
また、一時滞在を違反して長期滞在をするようになった外国人労働者たちは限られた一定の低所得職業に隔離されてしまい、社会に異民族を主体とした下層階級を作ることにつながる。それが欧州におけるイスラム教徒移民問題のそもそもの発端なのである。 
では不法滞在を減らすためには外国人労働者の問題をどうすればいいのか。
一番大切なのは合法に外国人を受け入れる方法を考えることである。何故外国人の不法滞在問題が、合法な外国人受け入れ対策で解決できるのか不思議に思われる方もいらっしゃるだろうが、違法が起きるのは既存の法率に問題があるからなのである。
外国には貧乏に困って日本で働きたい人々がたくさんいる。日本は人手不足で外国人労働者を必要としている。 こうした需要と供給がある以上、日本は合法に外国人を受け入れるべきなのである。 その際、外国人が日本で働くための規則を具体的に明確にし、犯罪やスパイ行為などとつながらないと判断された外国人はそれほど面倒な手順を踏まずとも入国できる法律をつくるべきだ。 そしてこれらの就労者がつける仕事の内容にも外国人だからという理由で規制はせず、長年合法に日本で働き暮らしてきた外国人は資格試験などを通して、明確な基準を通過すれば永住権、ひいては日本国籍も取得することができるという機構を設けるべきである。
そうすれば、努力次第で日本に永住できるようになると考えた外国人は、日本の社会の一員としての自覚をもつことになる。
(中略)
私は違法移民問題にしろ、特別永住権の見直しにしろ、現在の状況を緩和したいのであれば、代わりになる方策を立てる必要があると考える。違法移民を締め出すなら合法移民をどうするのか、特別永住権を剥奪するなら現在特権を持っている人々をどうするのか、そうした解決策が明確に提示されない限り、違法移民を追い出せ、永住権を見直せといってみても問題解決にはならないと思う。


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国籍改正案がもたらす危険

本日のエントリーは最近提案された国籍改正案についてである。実はカカシは明日からまた出張で、いまだにノートパソコンの修理が出来てないのでネットアクセスはしばらく不能になると予測される。かなり忙しいのでこの件についてきちんとした調査もしていないし考えもまとめていない。それでカカシの従姉妹のMちゃんからのメールをそのまま添付したいと思う。彼女の言ってることが本当かどうか全く解らないが、一応読者の皆様に一緒に考えていただきたいと思う。
帰宅したら改めてカカシなりの意見を述べるつもりだ。
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カカシお姉さんへ、
こんにちは、お久しぶりです。Mです。
実は、友人から情報を聞いてびっくりしたのですが、日本でたいへんな法案が可決されてしまいました。
日本人の男性と外国人の女性のあいだに生まれた子供(19才11ヶ月まで)を「認知するだけで」日本国籍を与えるというものです。(詳しくは上のアドレスをごらんください。もっと危険なことが書いてあります)DNA鑑定などの必須条件がなく、虚偽であったときの罰則も軽いので、施行されたら、大量移民の危険もあります。(最初に認知された子供が国籍をもては、その人はもう日本人なので彼がさらに認知するという形で鼠算式に増えるため)ホームレスなどにお金を払って虚偽の認知をさせ、日本国籍を得るという方法が簡単にできる危険があり事実いま、やくざが大勢のホームレスを集めているといううわさもあります。
これは、自民党の河野洋平の息子、河野太郎が、麻生首相が金融サミットなどで忙しいあいだに、法務省内の在日韓国人の法務官僚とはかって秘密裏にすすめ、首相をだまして、どさくさにまぎれて通してしまったものです。ほとんどの国会議員も選挙の準備で知らされていなかったという話です。この件について日本のマスコミは、沈黙していて、いっさい報道してくれません。
インターネットで情報を入手した心ある人たちが自主的にFAXやメールなどで、法務省や衆議院議員、参議院議員に抗議していますが、施行されてしまう可能性が高いのです。
衆議院で可決された日は11月18日で、創価学会設立記念日、施行日の12月8日は、パールハーバーの日です。表立って動いているのは、河野太郎ですが、裏には公明党と民主党がいます。民主党の小沢一郎は、中国と内通しており、この改正された国籍法で、一気に大量の中国人と韓国人が日本に流入してきて選挙権を得ます。そののち、民主党が政権を獲得し、日本は中国の支配下(自治区)になる、という筋書きのようです。
テレビや新聞がこの件に関してほとんど沈黙しているため、多くの日本人がこのことを知りません。いま、世界経済の下支えをしようとしている日本が、中国の支配下に入ったら、世界的にもたいへんなことになると思います。
友人に教えられたまとめサイトのアドレスを貼ります。この法案を知った人はみな、なんとか施行を止めようと必死です。
どうか、ブログで取りあげるなど、周知に協力してください。よろしくお願いします。
また、海外の、親日で反中のメディアなどご存知でしたら、ぜひ、知らせてください。
                                  M


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カネオヘ湾でカヤックと格闘した苺畑夫婦

ミスター苺はいつもカカシに冒険的なことをやらせたがる。私としてはワイキキビーチでマイタイをすすりながら寝そべっているだけで充分なのだが、ミスター苺は何か危ないことをやってないと気に入らないひとだ。しょうがないので今日はカネオヘ(Kaneohe Bay)湾にてカヤック乗りに挑戦することとなった。こちらにゴージャスな写真が載っているので参照のこと)
我々は「ゴーバナナ(Go Banana)」というカパフル通り(Kapahulu Avenue)にあるカヤックのレンタル店でカヤックを借りた。店の店員が車の上にカヤックを結びつけるやり方を簡単に教えてくれた。借り物だ、失くしてしまったら元も子もない。海水と日差しですっかりこんがらがっている長い金髪の日焼けしすぎの若い店員は、我々に救命チョッキと、ドライバッグという防水の袋を渡した。それが済むと我々はずらずらと注意事項が並んでいる書類に何枚も署名させられた。しかも万が一の時にお店には全く責任がないという内容のものばかり。 待てよ、救命チョッキは常備着用とか、なにがあってもお店を訴えるナとか、もしかしてカヤキングてそんなに危険な活動なの?「もし転覆したどうなるの?」とミスター苺が店員に聞くと、お兄ちゃんは今日の海はとっても静かだから全く問題ないよと答えた。「第一、ずっと浅瀬だもの、歩いたって大丈夫なくらいだよ。」救命チョッキも着ていることだし、もし転覆してもちょっと濡れるだけの話、どうってことないさ。
なんだか心もとない保証だなあ。私は100%安心したわけではないのだが、すでにカヤックは車の屋根にくっついてしまっているし、今更行きたくないなどというわけにもいかない。ま、しょうがないか。
カノエヘ湾を見つけるのは全く問題なかった。しかしカヤックを駐車場から桟橋まで運ぶのは一苦労だった。店員はカヤックはたったの70ポンドだとミスター苺に言ったという。カカシは自慢ではないが、長年にわたってかなりの筋トレをしていきたのでミスター苺と半分づつの35ポンドくらいの重量を運ぶのはなんということはない。だが、二人がかりでこれだけ苦労して運んだこのボートがたかが70ポンドだなんてことは絶対にありえないと断言できる!
えっちらおっちらとふたりでふらふらと長~い道のりを苦労しながらカヤックを運んだのに、何と着いたところはボートの出発点でカヤックを始めるところではなかった!カヤックの出発点はカヌービーチというところ。そんなこと誰も教えてくれなかったじゃないかあ~、などと言ってみても遅い。「せっかくここまで来たんだから、ボートランチでもええやん、ここから始めよう」とカカシ。なにせカヌーランチまでは今来た道を引き返したうえに、別の桟橋まで運ばなければならなかったからだ。しかしモーターボートや中型の船が出港するボートランチからのカヤック出航はたいへん。なにせこれらの大型船に轢かれない様に必至で漕がなければならなかったからだ。
我々の目的地はカパパ島、浜辺から2.25マイル沖合いの島だった。
言い忘れたが我々は二人乗りのカヌーに乗っていたので、最初はお互いのパドルがぶつかりあったりして進み方はかなりゆっくりだった。しかし、だんだんとリズムがわかってきて結構スムーズに進むようになった。ミスター苺によると、途中に沈没した島があるという。私にはそれがどういう意味なのか解らなかったのだが、とつぜん海の色が深い青から薄い緑色に変化した。しかも海底がすぐそばに見えてきたのである。カヌーのすぐ下にさんご礁が見えた。まるで丘の上を浮かんでいるようだった。
ここでミスター苺は、この沈没した島の上を歩いてみようと言う気になった。それはそれでいいのだが、彼は私にそれを言わずに突然カヤックから飛び降りた。私が何事かとおもって振り向いたのがいけなかった。バランスを崩してカヤックは半回転して、あっという間にカヤックの中にはいっていたお弁当もペットボトルもカカシともども海の中。
エメラルドの海面から見たときは、海はかなり浅く見えたが、実際には4フィートくらいの深さだった。私の背が5.2フィート(158センチ)だから4フィートなんてどうってことないと思うかもしれないが、救命チョッキを着ているうえに、波が結構あったので、我々は自分達の体を思うようにコントロールできない。まるでコルクのように海に浮かんで波が来るたびに上がったり下がったりしてしまうからである。我々のパーカやペットボトルやTシャツやお弁当が、どんどん波に乗って遠ざかっていくのを泳いで追いかけるのは一苦労だった。
なんとかパーカとシャツとお弁当は取り戻したが、水の入ったペットボトルの一本は逃してしまった。今日一日二人で一本のペットボトルで過ごさなければならない。しかも我々はまだカヤックの上ではなく海の中である。
カヤックに乗るのはおもったより容易なことではなかった。まず最初に私はカヤックの片方につかまって足をかけて乗りあがろうとしたのだが、足をカヤックにかける度にカヤックが回ってしまう。それでミスター苺がカヤックの一方を押さえている間に私が乗りあがる方法を試みた。
何回かこれを繰り返すうちに、私はなんとかカヤックに乗ることができた。今度はミスター苺の番である。ミスター苺は右側から乗るので私に左側に重心を置けと言った。しかし彼が左に傾けと言ったとき、私は傾きすぎてしまい、あっという間に再び海のなか。 なんてこった、また元の木阿弥だ。
そこで今度は、ミスター苺が最初に乗って、私を引っ張り上げるのがいいのではないかと考えた。しかしこれもミスター苺が乗ったと思ったとたん、カヤックは転覆。三たび我々は海の中である。
ここまで来ると私は多少不安になってきた。我々は浜辺からは1マイル以上離れた場所に居る。もしこのままカヤックに乗れなかったらどうなるのだろうか? 三度めの正直でまた私が先にカヤックに乗った。ミスター苺が乗るときも私はあまり重心を変えないように努力した。なんとか彼が乗り上げて、「やったー!」と万歳をした途端にバランスが崩れてまたもやカヤックは転覆。もう、ちょっといい加減にしてよ!
ミスター苺がぜーぜー言いながら私に怒りを押さえつけながらゆっくり言った。「よし、カカシ、お前が最初に乗れ。俺が乗るときは何があっても身動きするな!じっとしてろ、いいな!」カカシはこの時点で半分パニックに陥っていた。しかし今度はなんとか二人とも無事にカヤックに乗りあがることが出来た。ここではじめて気が付いたのだが、なぜかこの間私のサングラスはずっと顔についたままはずれなかった!結局失くしたのは飲料水のペットボトル一本だけ。
もうこの時点でカカシは島へいくことになど完全に興味を失っていた。第一浜辺からこれ以上遠ざかってまた転覆したどうするのだ?私はすぐにでも引き返したい気分だった。 しかしミスター苺は断然やる気。引き返すなんてとんでもない。「せっかくあんなに苦労したのに、引き返すだって?冗談じゃないよ。第一、、」すでに我々は半分以上島に近づいている。このまま島へいったほうが引き返すよりも近い。「ここまで来て引き返したら絶対後悔するぜ。」まあ、そういわれてみればそうだが、、結局ミスター苺の説得に負けて我々は島へ向かった。
信じ固いことだが、浜辺から島へむかう途中の海はほんの3フィートから4フィート程度の浅瀬だった。しかしながら目的のカパパ島に近づいてくると波のクロスファイアーに出会った。これは沖からの波が島にあたって島の両側から波が島を囲むようにして向かってくることを言う。わたしたちのカヤックはちょうど両側の波がぶつかり合うところに入っていったのである。
ガイドブックではこのことを警告していたが、本で読むのと実際にその場にいるのとでは大違い。両側からの波が押し寄せるため舵がとれない。しかしこの当たりで海は非常な浅瀬になり、船が転覆するのも不可能なほどになっていた。パドルが海底にあたるほど浅くなったので、私たちはカヤックから降りて島までカヤックをひっぱることにした。
ところが遠くからは柔らかな砂浜に見えた浜辺は、実は砕かれた珊瑚礁につつまれていた。カヤックを引き上げるには最低の場所だったが、今更しょうがない。浜辺にあがってカヤックをヒッパタ時、勢いがつきすぎて珊瑚礁のなかに尻餅をつき、腕や足が珊瑚礁でひっかかれて切り傷だらけになった。でもとにかく丘の上だ!
カヤックを上げるのに苦労しているのを見かねたのか、島にいた若い男性が手を貸してくれた。男性にはイギリスなまりがあるように思えたが、ミスター苺は南アフリカ訛りじゃないかと言っていた。この男性と友達の過ヤッキングクラブの仲間はこの島にキャンプしているのだという。私たちは少しゆっくり島で休んでから帰るつもりだと言うと、今は静かだが天候は急に変わるので、今日中に帰るつもりならあまり島に長居をしないほうがいいと忠告してくれた。そこで私たちは急いでお弁当のサンドイッチを食べ、数枚写真を撮り(カメラは何度もの転覆を無事生き延びていた)イギリス人の男性に二人の写真を撮ってもらい小島を後にした。
帰りは行きよりもずっと楽だっった。それというのも波は岸に向かってなびいていたからで、何もしなくても風が私たちを押し流してくれたからだ。時々波が後ろから忍び寄ってきて思いも寄らぬサーフィンをするはめになったが、転覆するほどのひどさではなく助かった。
ただ困ったのは、ところどころ海底が非常に浅くなったため、カヤックが底についてまったく身動きしなくなってしまったことだ。所によってはその浅さほんの1フィート(30センチくらい)!観光客がボートから降りて我々のカヤックの周りを歩き回っていた。海のまんなかで歩けるほど浅いところがあるなんて、不思議なところだ、まったく。
行きはこんなことには気がつかなかったところをみると、どうやら潮が引いたとみえる。
途中ちょっとカパパ島で休憩したとはいえ、あとは4時間ほとんど漕ぎっぱなしだったが、やっと私たちは桟橋まで帰ってきた。しかしここからまたカヤックを車まで運ぶのは一苦労だった。私があまりにも手こづっていたので、通りがかりの男性達が手伝ってくれ、やっとの思いでカヤックを再び車の屋根にしっかりと動かないように結びつけた。レンタル店のお兄さんから教わった結び方はちゃんと覚えていなかったのだが、大丈夫だろう。しかし、いったん高速H1に乗って走り出すと、ミスター苺がカヤックが左に動いているような気がすると言った。「おい、ちょっと止まって見た方がいいぞ。」と彼が言った途端、私たちはカヤックが滑り落ちる大きな音を聞いた。私たちはカヤックの片方を縛るのを忘れていたのである!あれだけ苦労したのに高速でカヤックを失くしたら、少なくとも500ドルは賠償金を払わなければならなくなる!
急いで車を路肩にとめ、カヤックをもう一度締め直し、再び車に乗り込んだ。ミスター苺も私もこのことはレンタル店のお兄ちゃんには黙ってよね〜と合意した。「でもブログになら書いてもいいよ。」とミスター苺。言われなくても書いちゃうもんね。
ゴーバナナに戻ったのは午後5時半。カヤックをかりてから7時間半後だった。カヤックに破損箇所がないかどうか確かめた店の店員は、ラダーが壊れている難癖をつけ、250ドルの損害賠償がどうのこうのと言い出した。ミスター苺が「そんなにひどく壊れてるようには見えないけどね、ちょっと曲がってるだけじゃん。すぐ治せるよ。」と店員とちょっと言い合いをすると、店員は店長を呼んできた。ラダーをよくよく検査した店長は、一旦奥に入ってレンチを持って戻ってきた。レンチでとんちんかんとラダーを叩いた後、「よっしゃ、無料だ」と大きな笑みを浮かべた。ほ〜!
さて、最後に我々は興味があったので、店長さんに一旦カヤックから落っこちた場合、どうやってまたよじ上ればいいのかを聞いてみた。どうやら我々のやり方は完全に間違っていたようだ。店長さんは「そんなやり方でよく乗り上がれたね。」と驚いていた。
ホテルに戻ってみると私たちの体は切り傷と青あざで覆われていた。乗ってる最中は興奮していて全く気がつかなかった。私は筋肉痛で夕飯に外へ出るのも苦痛だったほどだ。
でもまさしくこれは冒険だった!やってる時はもう嫌だと思ったが、終わってみるとこれもいい経験だったと思う。


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人権擁護法絶対反対! 市民の判断よりお上の判断を信じる推進者たち

社会でおきる差別行為は差別をする法律さえ取り除いてしまえば、後は自由市場が解決してくれる、また人権を迫害するような言動も個人から構成される社会の道徳的な判断によって制裁される、というのがカカシの主題だ。だが、自由市場に任せておいては完璧な解決は望めない、もしくは能率的で早急な解決は無理だと主張する人々が後を絶たない。
人権擁護法推進者や男女共同参画やジェンダーフリーを唱える人々がその部類だが、彼等に共通しているのは、自由市場や個々の市民の判断で解決できない問題が、なぜか法律を通すことによって解決出来ると考えている点だ。例の左翼変態フェミニストや当ブログに宛てられたあるコメンターの意見などはその典型的な例である。私の他人を侮辱するような行為や人道的に正しくない行為は法律で罰するのではなく、社会が制裁すべきだという意見に対してこのコメンターはこう述べた。

カカシさん、あなたは道徳に反する行為に対して社会的制裁を加えることを肯定しています。個々の判断で制裁を加えることは、私刑(リンチ)につながりかねません。

だが人権擁護法によって市民が罰せられる可能性についてはこのように述べている。

悪意で人を傷つける言動が言論の自由で守られると思って、平気で侮辱をするような恐ろしい人のいない、住みよい国なるでしょうね。

なぜ個人の判断は信用できないが政治家や裁判官の判断は信用できるのかという問いに対しては、

立法は議員により、その議員は我々の代表です。選挙で選べるし、意見を述べ、法を改廃することも可能です。民主主義の基本です。

民主主義の基本は「民」である。個々の民の判断力を全く信用しないで、お役人の判断だけを信用するなどという考えが民主主義などであるものか。こういうのを社会主義というのだ。
私に理解できないのは、こういう主張をする人々は、どうして政府が人々の行動に介入することのほうが、個々の市民が個人的な判断を下す行為よりも、より人道的で能率的な結果を生むと確信できるのかということなのだ。
このコメンターは悪意で他人の気持ちを傷つけた人間が国によって罰せられた例として、初対面の女性を「デブ」と侮辱して訴えられ禁固刑になった男性の話をあげている。他人をデブといって相手の気持ちを傷つける行為が違法なら、会う度にカカシをデブといって侮辱する我が母など終身刑の罰を受けることになってしまう。
本来見ず知らずの女性に「デブ」などといって侮辱するようなけしからん男は、周りの人々から白い目で見られ軽蔑され、他の女性たちからも全く相手にされないというような社会的制裁を受ければ十分なはず。この礼儀知らずは社会の道徳観が裁けばよいのであって、法律で罰する必要などない。
だが、人権擁護法が成立すれば、このような事件は日常茶飯事に起きることだろう。なぜなら推進者たちは人々の気持ちは政府が守ってあげる義務がある、、いや政府だけが守る権限があると考えているからだ。不道徳な行為や失礼な行為を細いことまで違法として政府が罰するような世の中は、他人を『平気で侮辱をするような恐ろしい人のいない、住みよい国』になるどころか、盗みや凶暴な犯罪が頻発する心の荒んだ粗雑な世の中と化すのである。
何度も言うように合法であるということと道徳的に正しい行為であるということとは別だ。他人を傷つけるような失礼なことを言わない、というのは親からしつけられた礼儀作法というものだろう。だがそれを法律で取り締まってしまうと個人はそのような行為は道徳的に失礼だと判断する能力を失ってしまう。「違法だからしない行為」はいずれ、「つかまりさえしなければやってもいい行為」という解釈になる。法律が誰にでも均等に適用されるというならまだしも、人々の言動に関してこのような多大なる権限を与えられた役人がその権限を悪用しはじめ、相手次第で適用が不公平になってくればなおさらである。
いくら選挙で選ばれたとはいえ、立法に関わる政治家とはどういう種類の人間たちなのだ? 政治家など自分の政治的権力を常に増幅させたいと望んでいる野心家の集まりではないか。そういう人々が差別をされている少数民族やか弱い女性の救済を道徳心だけで行うとは信じがたい。これらの政治家が表向きや建前はともかく、どれほどきれいごとを言ってみても、彼等が押し進める政策は彼等にとって個人的な利益となることに違いないのだ。となれば、この政治家の野心を利用していくらでもあくどい団体や企業が政治家に取り入って自分の都合のいいような政策をつくってもらうことが可能となる。
このことはお隣の中国を見ていれば歴然としているではないか。政府が人々から信仰をとりあげ、人々による個々の道徳的判断を取り上げた結果、中国人は釘で打ち付けてないものはなんでも盗むと悪評が高い。衛生管理だの安全管理をする役人は腐敗しきっているから、工業廃水は垂れながし、品質管理はずさん、あげくの果てに猛毒殺虫剤を含んだ冷凍餃子や汚染された増血剤や偽グリセリンのまざった歯磨きなどが外国に輸出され、何百人という外国人を殺すはめになる。
日本でも腐敗した政治家の贈賄事件だの、市役所の役人が国民の税金や年金を長年に渡って横領していた事件などいくらでもあるではないか。そのような人間に我々の崇高な人権擁護を全面的に任せて彼等がその権力を悪用しないと推進者たちは本気で考えているのだろうか?
いや、私は前述のコメンターにしろ左翼変態フェミニストにしろ、彼等がそれほどナイーブで愚かだとは思わない。それどころか彼等は政府にそのような絶対的な権限を与えることが、個々の市民の権利を極端に迫害し自由社会を破壊する結果を生むことを十分に承知しているのである。あえていわせてもらうならば、人権擁護法推進者の本当の目的は人権擁護でも弱者救済でもなく政府による市民の完全統制、つまり、共産主義やファシズムのような社会主義の確立なのである。少数民族はその道具として使われているに過ぎない。
我々市民は人権擁護などという上辺だけのきれいごとに騙されてはならない。断じて政府にそのような権限を与えてはならない。個人の行いは個人が責任を持つ社会、それこそが文明社会の基盤である。


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人権擁護法など必要ない。差別は自由市場が解決する。

私は何度も差別をなくす法律など存在しないと主張してきた。差別をなくすためには差別主義の法律を取り除くことによって、後は市場に任せ、なるべく政府が介入しないことが一番いいことなのだと私は信じている。私は自由市場が差別をなくすことにつながるという話は下記のように何度もしてきた。
日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴
なんで左翼は自分を左翼と認めないのか?

以前に私は人種差別にしろ男女差別にしろ政府が差別する(女性は何々の仕事についてはいけないとか、黒人はどこそこの公立学校に入学できないといったような)法律さえ取り除きさえすれば、あとは市場が解決してくれると書いた。これは女性や黒人の賃金が白人男性よりも安ければ人種や性別にこだわりのない雇用主が人件費節約のために優秀な黒人や女性を雇うようになるからで、他の企業が人件費が高すぎて経費がかさんで最初の企業と競争できないとなれば、こちらの企業も黒人や女性を雇うようになる。多くの企業が同じことをはじめれば黒人や女性の需要は高まり自然と給料も上がり、そのうち才能のある黒人や女性は白人男性と同等の給料をもらえるようになるというわけだ。

ただ、市場の解決には時間がかかる。市場が人種や男女の差別をほぼ取り除くまでには10年や20年は平気でかかるだろう。だからそういう状況を見ていると差別廃止の速度を早めるために誰かが手助けする必要があるという考えが生まれるのは十分に理解できる。これについて、例の自他共に認める左翼系リベラル、レズビアンフェミニスト(でも絶対マルクス共産主義者ではないと主張する)小山のエミちゃんはこのように語る

…こういう説明が経済学的に間違いであることは、過去エントリ…で解説している。簡単にまとめると、差別にはここでカカシさんが想定しているような「経済合理性の観点から言って非合理な差別」(経済学用語でいうと「選好による差別 taste-based discrimination」だけでなく、経済合理性にかなった「合理的(ここでは、それが正当であるという意味ではなく、行為主体の利益を最大化するという意味)な差別」(「統計型差別 statistical discrimination」)が存在しており、前者についてはカカシさんの言う通り市場による解決が理論上可能だが、後者についてはそれでは解決できない。

要するにだ、自分が嫌いな人間とはつきあいたくないという嗜好による差別は不経済なので、いずれは自由市場が解決してくれるが、ある種の人間は統計的に見て劣っているという偏見は市場では解決できないという意味。小山エミは女性の労働者を例にあげて次のように説明している。

統計型差別というのは、集団についての統計的情報をもとに個人を判断することだ。たとえば「女性は早期退職する可能性が高い」という情報が事実なら、女性より男性を優先的に採用したり、男性に優先的に将来的な出世に繋がるような経験を積ませたりすることは経営上理にかなっている。…そうした差別については放置しておいて構わないというならそれも一つの見解ーーわたしに言わせれば、公正性に欠ける見解ーーだが、市場に任せておけば解決するという論理は経済学的に言って間違いだ。

自分が賛同できない議論は「間違いだ」と決めつけてしまうのがエミちゃんの悪い癖なのだが、ま、この際そういう下らないことは無視して現実を考えてみよう。
先ずここで考えなければならないのは、エミちゃんのいう「統計的な差別」の元になっている統計が事実であった場合、雇用主が対象の集団を差別する権利は認められるべきだということだ。もしも女性が早期退職するという傾向が事実だった場合、すぐやめる人を訓練するのは不経済だから雇いたくないと考える雇用主の意志は尊重されるべきだとカカシは考える。
もちろん、女性だからといって誰もが早期退職をするわけではない。女性でも長期就職を望んでいるひとはいくらでもいる。それが単に傾向だけで判断されるのは不公正だというエミちゃんのいい分は理解できる。しかしながら、私はこういう統計的な差別もいずれは自由市場が解決すると考える。何故ならば、どの経営者も全く同じ動機で従業員を雇うとは限らないからだ。
新しい零細企業で企業自体がどれだけ長持ちするか分からないようなところなら、短期でもいいから有能な人を安く雇いたいと思うかもしれない。そういう雇用主なら若い女性を雇うことは多いにありうる。または子育てを終わらせて長期にわたってできる仕事をさがしている中高年の女性なら結婚妊娠による退職の恐れがないため雇われる可能性は高くなる。年齢差別でスーパーのパートのおばさんくらいでしか雇ってもらえない中高年の女性は多少給料が安くてもこうした企業での就職を歓迎するだろう。
私のこのような考えは現実を無視した卓上の空論であり全く間違っているという人は、自分こそ現実を見ていないとカカシは言いたい。
最近の旅客機や銀行で働く女性の容姿や年齢層をみてみれば、20年や30年前とはかなり違うことに気付かれた人は多いはずだ。昔は容姿端麗で妙齢の女性だけしか雇わなかった航空会社や銀行だが、最近のスチュワーデス(最近は機内乗務員と呼ぶのかな?)にはかなり昔は美人だったかもしれないといった風の人が結構多い。これは無論ある程度歳のいった従業員が解雇された時に年齢差別を理由に訴訟を起こしたりしたことが直接の原因だったといえばそうかもしれないが、安い航空運賃を競い合って航空会社同士の競争が激しくなるにつれ、若くて美人の女性ばかりを雇う余裕が経営者にはなくなってきたということのほうが現実だ。
カカシが20代の頃はスチュワーデスといえば女性の職業としては花形だった。(カカシは美貌や才能では決して劣らなかった(?)のだが、いかんせん背が低かったため、涙を飲んであきらめた。笑)しかし2008年の現在、若くて美しい女性が出来る仕事はほかにいくらでもある。それに乗客も昔のように金持ちのエリートばかりではなく、カカシのようにA地点からB地点までなるべく苦労せずに無事につければいいと思ってる働き蜂が大半だ。そんな人間にはスチュワーデスが若いとかきれいだとかなんてことはどうでもいいことだ。
銀行の窓口にしてもそうだ。昔は高卒でかわいい女の子たちが雇われたものだが、最近は子育ての終わった中高年の女性がパートで雇われることは結構ある。カカシの高校生の同級生なども大手銀行で窓口をやっているくらいだ。
これは若い女性は短期で退職するという統計的事実から来る女性の雇用問題を長期就職が期待できる中高年の女性が補うという形で市場が解決したいい例である。
また、1980年代のバブルの時期に、日本企業は世界にずいぶん広く事業を進めた。当時日本国内では女性蔑視がひどすぎてまともな仕事につけなかった日本女性たちは海外へ脱出した。日本相手に商売をしたい海外企業は日本語がはなせる教養高い日本女性を競って雇った。おかげで日本女性は外資会社の従業員として日本企業の男性ビジネスマンと同等に交渉する立場にたった。
海外へ進出した日本企業が雇った地元の職員のなかにも日本を出て海外で暮らしている日本人女性が多かった。もともと日本人だから日本企業のやり方には慣れてるが、日本並みの給料を払わず地元の給料で足りるということで、海外在住の日本人女性は日本企業にとっても重宝な存在だった。つまりだ、女性は短期で退職するから雇わないという統計的な理由での差別は、このように別な形で市場が解決してくれたということである。このように海外で日本人女性や外国人女性と同等に働いた経験のある日本人男性たちによって、女性への偏見はかなり減ったのではないだろうか?それが日本国内において女性の地位が向上することに結びついているといえないだろうか?
これは決して短期で起きたことでも完璧な形で起きたことでもない。まだまだ日本において男女は同等とはいい難い。しかしながらこれに政府が介入することによって早期にもっと良い結果が生まれるはずだという考えには、政府の介入が市場よりも良い結果を生むという根本的に誤った考えがあるのである。
なぜ差別問題に政府が介入することが害あって益なしなのか、話が長くなるので続きはまたこの次。


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