イギリスの黒人女性救済慈善事業、宮廷女性を差別者扱いしたことが藪蛇となる

日本ではColaboという若年層の女性を救うという慈善事業の運用資金の使途を巡って色々話題になっているが、この問題が表に出た経緯と今イギリスでおきているシススペース(Sistah Space)(カカシ注:シスターと伸ばさずにわざと「シス」とタと短く発音して強調するのが黒人風訛りである。)の問題が似ているのでちょっと紹介したい。

皆さんもお聞きかもしれないが、シスたスペースの代表ヌゴズィ・フラ二(Ngozi Fulani)という女性がバッキンガム宮殿で行われたカミール王妃主催の「女性と少女を暴力から救う」イベントで、故エリザベス王妃の側近を60年以上も務めた女性から自分の出身地について詰問されたという話を自分のSNSに挙げた。フラニはカリブ海諸島移民二世で、生まれも育ちもイギリス。

そんな彼女に対して、この側近が彼女の出身地についてしつこく詰問したと言うのである。

フラニによるその時の会話は次の通り

先ずレイディーSHはフラニの長い髪の毛を肩からよけて名札を確認すると。

SH:あなたはどこから来たの?

フラニ:シスたスペースです。

SH:あ、そうじゃなくて、どこから来たの?

フラニ:ハクニーからです。

SH:そうじゃなくて、アフリカのどこから来たの?

フラニ:わかりません、ちゃんとした記録が残っていないので

SH:どこから来たか知ってるはずよ。私は以前フランスに滞在したことがあるけど、あなたはどこから来たの?

フラニ:ここイギリスです。

フラニによれば、この後もレイディーSHはしつこく彼女の出身地を聞いたという。フラニのツイートによれば、彼女がイギリス国籍を持っていると主張しても、レイディーSHは諦めずにしつこく食い下がったというのだ。

これによって宮廷側は即座に謝罪し、レイディーSHは解雇された。しかし私はこの話を最初にツイッターで読んだ時になんか変だなと思った。それで「え?今の時代に?信じられない」とツイートを返した。相手の人は私が「そんな人種差別する人がまだいるの、信じられない」と言ったのだと思ったようだが、私はそういう意味でいったのではない。私が信じられないと言ったのは、この話が本当だとは信じられないという意味だった。

フラニのチャリティーは主にアフリカ及びカリブ海諸島系移民の女性を対象に行われている。それで彼女は当日もアフリカ系民族衣装を身にまとい、髪の毛もドレッドと言われる黒人特融の編み込みスタイルだった。イギリスには色々な国からの移民が多いことでもあり、レイディーSHはフラニが何処の国の移民を対象にチャリティーをしているのかを聞こうとしたのではないだろうか。

フリージャーナリストのアンディ―・ノーも指摘しているが、他人との会話をそうはっきり覚えている人がいるだろうか?もしこんなに正確に覚えているとしたら録音でもしていたのか?だが録音していたのだとしたら何のために?

それはともかく、この数日後、シスたスペースは活動を一時休止せざるおえなくなったという。それというのも、この事件のせいでスペースへの脅迫などが殺到しスタッフの安全確保のためしばらく活動休止となったというのが公式な理由。しかし実はもっと下世話な理由があるのではないかという人がいる。

写真:ヌゴズィ・フラニ

UK: Charity Commission Investigates Sistah Space Books After Anonymous Twitter Post Of Financial Records

フラニのツイートが掲載された数日後、匿名でシスタスペースの運営にいくつかおかしな点があるというツイートが上がった。そのことから慈善事業の運営を監視するチャリティーコミッション(慈善事業審議会)がその運営事情について捜査に乗り出したのだ。

審議会は未だ捜査中とのことだが、SNSではシスタの運営費がきちんとした使途に回っているのかどうか色々取沙汰されている。

Susan Hussey with late Queen

シスタが設立されたのは2015年。黒人女性とその娘が暴力的な愛人によって殺されたことがきっかけだった。シスタは主にアフリカ及びアフリカ系カリブ海諸島の移民女性救済をしている。

このチャリティーは2021年3月決算で政府から357,000ポンドの支援金と寄付金を得ている。2018年から19年から5万ポンドもの増加である。

同団体はイギリス政府のあらゆる組織から支援金を受け取っている。例えばthe Greater London Assembly (GLA),など。そしてthe Department for Culture,Media, Digital and Sport, and Comic Relief, 同団体のホームページデザインと運営のために6万ドルも寄付している。 

同団体が実際に不正を行っているという証拠はまだない。単なる匿名告発者のツイートがあるだけだ。しかし火の無いところに煙はたたないというか、左翼慈善事業が綺麗に運用しているとは到底おもえないし、第一宮廷の側近女性を罠にはめるような小細工をする女性が運営しているチャリティというのも胡散臭い。

シスタスペースは宮廷のレイディーをやたらに攻撃して目立ってしまったことがかえって墓穴を掘ることになったのではないだろうか?


View comments (2)

ツイッターファイルズ、パート2、ブラックリスト

前回紹介したツイッターファイルズの第二弾、今回はBari Weiss(バリ・ウエイズ)によるリポート。ツイッター仲間のBlahさんが翻訳と解説を書いてくれたのだが、なぜか今ツイッター上で見えなくなっているので、アーカイブの方から引用。

ウエイズ記者はもとはニューヨークタイムスの記者だったが、そのあまりの左傾化を懸念して辞任。今は独立ジャーナリストとして活躍している。以前にBlahさんが彼女が取材したキャンセルカルチャーの記事を紹介してくれているのでそれも併せて読むと彼女のことが良くわかると思う。

ツイッターでは、本来なら話題になってもよさそうな話題があまりトレンドに上がってこない傾向にあることに我々は気が付いていた。例えば選挙違反の話であるとか、コロナワクチンやロックダウンの悪影響といった話は、ちょっと出て来てもすぐに消えてしまっていた。そしてこれは偶然でも我々の妄想でもなく、やはりツイッターが計画的にデザインしたものだったのだ。

例えば、コロナ禍でのロックダウンは子供たちに害を及ぼすと主張したスタンフォード大学のジェイ・バッタチャリヤ博士。Twitter社は彼をこっそりと「トレンドブラックリスト」に登録し、彼のツイートがトレンドに載らないようにした。

またフォロワーも多く人気者で影響力のあるとされる保守派のアカウントなどがブラックリストに載せられていた。例えば保守派人気トークショーホストのドン・バンジーノや若者保守派団体ターニングポイントのリーダー、チャーリー・カークなどのツイートが「拡散禁止リスト」に載せられていた。

人々が俗にシャドーバンと呼んでいるものはツイッター内ではVF「可視性フィルタリング ー Visibility Filtering」と呼ばれていたツールで、特定のツイッターの検索が不能になっていたり、検索が制限されていたりトレンドに載せないなどのやり方で人々の目に入らないようにするものだ。これらはユーザーが知らないところで秘密裡に行われていた。

しかしこうした中でも特に影響力があると思われるアカウントに関しては特に厳しい審査が行われていた。強調はBlahさんの解説。

。。通常業務を超えたレベル、書面上の社内ポリシーを守る平社員モデレーターを超えたレベルの存在があった。それが『SIP-PES』と呼ばれる『Site Integrity Policy, Policy Escalation Support』である。この秘密グループには、法務・政策・トラスト責任者(Vijaya Gadde)、トラスト&セーフティ・グローバル責任者(Yoel Roth)、後続CEOのJack DorseyやParag Agrawalらが含まれていた。

【お馴染みの面々ですが、ガッデとロスはトランプ永久追放に直接関与しています。】

このレベルの精査を受けたアカウントのひとつがlibsoftiktokで、『トレンドブラックリスト』に載せられ、「SIP-PESへの相談抜きには、このユーザーに対してアクションを起こさないこと」と指定されていた。

【libs-はLGBTQ活動家やリベサヨの動画等を紹介する人気アカ】

Libsoftiktok(TikTokのリベラル達)というアカウントは、実際にTikTokにリベラル達が自ら掲載している動画をそのままほとんど注釈をつけずにツイッターで紹介しているだけである。2020年11月に開設されたこのアカはなんと現在140万人以上のふろわーを持つ。彼女が紹介しているこれらの動画では髪の毛をピンクや紫に染めた幼稚園や小学校の教師たちによる信じられない子供洗脳がされており、Libsのおかげでほとんど日の目を見ないはずだった零細ティックトッカ―が注目を浴びるようになってしまった。

Libsのアカウント主であるチャヤ・ライチクによれば、2022年だけで6回の停止処分を受け、都度ライチクは長い時は一週間にわたり投稿をブロックされた。

Twitterはライチクに対し、「ヘイトに満ちた行為」に対する同社のポリシーに違反したためアカウント停止処分を受けたのだ、と繰り返し通告していた。

しかし7回目のアカウント停止処分後、2022年10月のSIP-PESの内部メモでは「LTT(LibsofTikTok)はヘイトに対するポリシーに違反する行為を直接行っていない」と認めている。

そりゃそうだろう。他人が公表しているものをそのまま転載しているだけなのだから、彼女の投稿が「ヘイトに満ちた行為」とするならば、もとの投稿もヘイトということになってしまう。ツイッターの本心がヘイトの検閲などではなかったことは明らかだ。

この決断に関与していたYoel Roth(ユール・ロス)という男性は、自らがゲイ男性であることからLGBT関係の投稿には神経質であり、リベラルの風刺を専門にしていたBabylon Bee(バビロンビー)というパロディ垢を締め出したことでも有名。特にLibsが未成年者の性転換治療に関する情報を暴露しだしたことから、それが医療当事者や病院への暴力を扇動するといちゃもんをつけてLibsを徹底攻撃した。

しかしツイッター社はライチク本人の自宅の住所など個人情報を晒し1万以上もいいねのついた投稿に関してはライチクの再三にわたる削除要請にも「規約に違反は見られない」として取り合わなかった。ここで晒された情報を元にワシントンポストの記者がライチクの実家に突撃訪問して嫌がらせをするという事件まで起きていたにもかかわらずである。今もこの情報は晒されたまま削除されていない。

ツイッター社は一般の保守派アカウントが実際にツイッター規約に違反などしていないことは十分承知だった。それであからさまなやり方で投稿を制限するのは憚られるちうことで、色々と策を凝らして秘密裡にこっそりと保守派や気に入らないアカウントの観閲を制限していたのである。

私も体験しているが、トランスジェンダーなどについて批判的な投稿をすると、トランスジェンダー活動家(TRA)と思われる女性自認の男性から男性器の写真だの自慰動画などがあてつけがましく送られてくることが多くあった。そしてそれは明らかなセクハラではないかとツイッターに何度も通報したが、それらの動画が取り下げられたこともなく、私個人にも何の連絡もないまま無視された。

他の人も言っているが、イーロン・マスクになってから、やたらトレンドに上がってきた幼児ポルノが上がって来なくなったという。幼児ポルノやセクハラは野放しで、善良な保守派サイトを徹底検閲。それがツイッターの現状だったのだ。


Comment

主流メディアが完全無視するツイッターファイルズ、パート1とパート2

先日TwitterでMatt Taibiがイーロン・マスクの委任を受けてツイッター社で行われていた言論統制に関する情報ツイッターファイルスパート1を公開した。そして本日、今度はBari Weissがパート2を公開それぞれ色々な人が邦訳してくれているので、パート1はこちらのツイートから読んでみる。翻訳はRicky_Elwood@David_R_Stantonさん。

もともとツイッターは不特定多数の人が自分らの勝手な意見をつぶやき、色々な人が情報交換を瞬時に出来る場所として設立された。最初の頃はスパムや悪質な金融詐欺などを検閲するためにツールが作られたが、だんだんと人々の自由表現を制限するものへと変わっていった。これらのツールは時間をかけてじっくりと作られたものだったが、2020年になると関連する色々な人から削除依頼が頻繁に来るようになっていた。

この依頼は民主と共和双方から来たが、ツイッターの99%の従業員が民主党支持であり、ツイッター社が多額の政治献金を民主党の方にしていたことを考えれば、どちらの依頼が優先されたかは自ずと知れたことである。

さてではツイッターがどのようにハンター・バイデンのスキャンダルを隠ぺいしたのかについて読んでみよう。

読者諸氏もご記憶のことと思うが、2020年の10月14日、ニューヨーク・ポストがハンター・バイデンがコンピューター修理屋に置き去りにしていたパソコンのなかに、重大な情報が含まれていた事実を報道した。選挙が11月であるから、これはいわゆるオクトーバーサプライズというもので、この時期に出てくるスキャンダルは候補者への投票に多大なる影響をもたらすものだ。

しかしツイッター社は即座にNYPの記事を削除しただけではなく、NYPのツイッター口座を凍結してしまった。

ツイッター社はこの記事に圧力を加えるにあたって全く尋常ならざる手順を踏みました。まずリンクを削除して『このリンクは安全でないかも』という警告文をポストしたのです。ツイッター社はダイレクトメールでこのリンクを伝える事でさえブロックしました。これは従来なら例えば幼児ポルノグラフィーなどの過激なケースのため用意された手段です」

ホワイトハウスの大統領報道官のケイレイ・マケナニーはそのNYPの記事についてツイートしたという理由で自分のアカウントから締め出されました。これはトランプ選挙団スタッフ、マイク・ハーンにツイッターに向けての怒りに満ちた手紙を書かせました。彼は『少なくとも20日位は考慮するフリでもいいからしろよ』と憤激しました」

(以下、マイク・ハーンからツイッター社スタッフへ宛てたメール画像粗訳) (2020年10月14日 7:19PM) 「ケイレイ・マケナニーはただNYPの記事について話したというだけでツイッターのアカウントから締め出されている。彼女がした事といえば既に他の放送局が報道していてバイデン選挙団が異議を唱えなかったそのストーリーと第一報を引用しただけだ。彼女のアカウントがいつ、どうやって凍結解除されるのか直ちに回答を要求する。私はこの(ツイッターの)チームの誰もこのニュースについて『我々はこのニュースを検閲する』と私に電話で知らせて来なかった事も納得していない。私が言ったように、少なくとも20日間は気にするふりをしろよ」

(※即時検閲はやめろ、少しは猶予期間を置いて検閲しろ、という事ですかね?)

これはツイッター社の公序良俗担当重役キャロライン・ストロムをして丁寧ながらも怒りに満ちた(WTF)質問メールを送らせる事となりました。社員の何人かはその時、投稿に対するモデレーション(投稿内容のチェック、警告、削除するなど)に対して殆ど関与する事の無い『コミュニケーション・ポリシー・チーム』と『安全と信頼チーム』との間に緊張関係があるのに気付きました」

(以下、キャロライン・ストロムからツイッターのスタッフ宛てのメール画像粗訳) (2020年10月15日 7:24AM) 「ハイ、チームのみんな!この件もっと詳しく調べてもらう事は出来ないかしら?…よろしく!」 (※注:NYPのバイデン記事の検閲(削除)を決めたチームに対して別部門の偉いシトが『一体どういう理由で?』と確認しているんじゃないですかね。ツイッター内部にも『これは暴走じゃないか』と感じる人がいたという事のようです)

ストロームの注意喚起に対する返事は『【ハンターのラップトップPCストーリー】は当社の【ハッキングによって得られた材料ポリシー】に違反しているために削除されました』というものでした」 (以下、グローバル・エスカレーション・チームのアナリスト、エレーヌ・ソトからキャロラインへのメール画像粗訳) (2020年多分10月日付不明) 「ご連絡有難うございます。チェックの結果そのユーザー(NYP)は我々の【ハッキングによって得られた材料ポリシー】に違反したためにサイト品位委員(Site Integrityという名前の部署か委員会でもある模様)によって拒絶されました」…

(※注:これはおかしい。驚くべき事ではありますが誰もハンターのラップトップPCをハッキングしておりません。奴はそのPCを修理に出して放置、取りに行きませんでした。それで修理屋のおっさんが『困ったなあ』って中を見てたらスンゴイものが入っていたのを発見したというだけで誰もハッキングなど…しておりません。勝手に見ただけです。だからツイッター社のハッキングなんとかポリシーを適用するのはおかしいです)

いくつかのソースから、その(2020年)夏に連邦法執行官(連邦警察)から外国からのハッキングについて『一般的な』警告がされたという事を聞いたいう話はあったものの、このハンターのラップトップPCストーリーについては=私の見た限り=いかなる政府も関与したという証拠…はありませんでした。実際のところはそれこそが問題であったのかも知れないのですが…」

この(NYPのハンター記事削除という)決定はツイッター社の最高レベルの人々によって行われました。但し当時のツイッターCEOジャック・ドーシーの知らないところで行われたのです。…それはツイッターの前・法律/政策/信頼部門責任者のバジャイヤ・ガディ(Vijaya Gadde)が主要な役割を果たしていたのです」

(※注:!!!!びっくらこいた!) (※注:ここでバジャイヤ・ガディの名前が出て来た時私はPC前で座っていたのですが「おお、バジャイヤが主導していたのか!」と思わず…ガバッと立ち上がりました。彼女だったのか。バジャイヤはツイッター社の中でもとても強力な立場にいた法務部門の責任者です。だが10月27日にイーロン・マスクが洗面台(?)を両手に抱えて「Let that sink in!フーフフーフフーン♪」とにこやかに歌うようにツイッター社に乗り込んできたその日だったと記憶。間違ってても翌日くらい)にあっさりクビになってます。さて、この『23』の後バジャイヤがツイッター社内でどんな事をしてくれちゃったのか読み進むのが楽しみですね)…

『They just freelanced it.(良い訳が思いつきません)』とはある前ツイッター社員がこの(NYPの記事削除)決定を形容した言葉です。『ハッキングは言い訳だった。そして数時間のうちに誰もが【その路線で行くのは難しいな】と充分認識しちゃったんだな。…

でも誰ひとりとしてその決定を覆すガッツを持ってなかったんだよ』とね」

選挙後に行われた世論調査で、もしハンター・バイデンのスキャンダルについて知っていたら、ジョー・バイデンには投票しなかったと思うと答えた人がかなり居たことからも解るように、この情報がツイッターで隠蔽されたことは選挙結果に多大なる影響を与えた。当時のことをご記憶の方も多いと思うが、ハンター・バイデンについて報道したのはFox Newsや保守派のブロガー程度だった。ユーチューブでもかなりの検閲があったので、なかなかこの話は拡散されなかったのだ。

それにしてもツイッター内部ですら、この隠蔽はおかしいという意見があったというのは驚く。このやり方がどれだけ前例のない過激なものであったかが解ると言うものだ。それにしても当時、ニューヨークポストはただのゴシップ新聞で信用できないなどと言ってた日本の「ジャーナリスト」たちも恥を知れといいたいね。

またツイッター仲間のBlahさんも指摘していたが、ツイッターは人々のDMも読んでいたことがこれではっきりした。ツイッター上でニュースを拡散できないだけでなく、DMで友達間でニュースを共有することすらできなかったのだから。

よく、ツイッターにしてもフェイスブックにしても、民間企業だから何を検閲しようが言論弾圧にはあたらないと言う人がいるが、こうしたビッグテックが二大政党の一つと密接に手を組んで情報をコントロールしていた場合、それは単なる民間企業の言論の自由と言えるのか?しかもその情報操作によって新しい政権が立ち上がり、その現政権が政府の権限をフルに使ってSNSをコントロールしているとしたら、これは完全に言論弾圧ではないのか?

なにせツイッターは現役の大統領のアカウントを凍結してしまうような恐ろしい力を持っていたのだから。

この暴露記事はまだまだ続くが、非常に長いのでここでは紹介しきれない。興味のあるかたは是非リッキーさんのパート1,Blahさんのパート2をお読みになることをお薦めする。


Comment

性別変更特例法の手術要件が最高裁で審議される!

スコットランドで、自分が自認する方の性別を選べるようになるかもしれないという話でスコットランドの女性達が反対運動を繰り広げていると言う話はしたが、日本でもとんでもないことが審議されている。しかし事の重大性の割には、日本ではあまり話題になっていないような気がする。今最高裁では性別を法的に変更する際の特例法から手術要件を外すべきかどうかということが審議されているということを、どのくらいの日本人は知っているのだろうか? 以下毎日新聞の記事。

性同一性障害特例法の性別変更要件 最高裁大法廷が憲法判断へ

毎日新聞 2022/12/7 17:37(最終更新 12/7 20:14) 825文字

 生殖機能をなくす手術を性別変更の条件とする性同一性障害(GID)特例法の規定が個人の尊重を定めた憲法13条などに違反するかについて、最高裁第1小法廷(深山卓也裁判長)は7日、審理を大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)に回付した。第2小法廷は2019年1月、この規定を「合憲」とする決定を出しているが、その後の社会情勢の変化を踏まえ、最高裁の裁判官全15人が参加する大法廷での審理が必要と判断した。

 04年施行の特例法は、GIDの人が家裁に性別変更を申し立て、審判で認められれば戸籍の性別変更を可能とした。同法は変更の要件として、生殖機能を欠く状態にある(手術要件)▽未成年の子どもがいない(子なし要件)▽複数の医師にGIDと診断されている▽18歳以上▽結婚していない――などを規定。家裁は全ての要件を満たさなければ性別変更を認めない運用をしている。

手術要件は後遺症のリスクや100万円程度の費用がかかること、子なし要件は子どもを持つ人の性別変更を不可能とすることから、両規定の見直しを求める声が当事者団体から上がっている。最高裁は今回、子なし要件は大法廷回付の対象としておらず、手術要件に限って憲法判断が示されることになる。

 回付されたのは、戸籍上の男性が手術なしでも女性への性別変更を認めるよう求めた審判で、1審・岡山家裁決定(20年5月)、2審・広島高裁岡山支部決定(20年9月)はいずれも性別変更を認めなかった。戸籍上の男性は、手術要件は憲法13条の他に「法の下の平等」を定めた14条にも反するとして最高裁に特別抗告した。

 19年の小法廷決定は「性別変更前の生殖機能で子どもが生まれれば、親子関係にかかわる問題が生じ、社会に混乱を生じかねない」として裁判官4人全員一致で手術要件を「合憲」とした。ただ、うち2人は手術なしでも性別変更を認める国が増えている状況を踏まえて「憲法13条に違反する疑いが生じている」との補足意見を示していた。【遠山和宏】

はっきり言って、特例法で一番大切な点はこの手術要件にある。なぜなら特例法が必要となった元々の理由は、手術をして容貌が性器に至るまで異性のようになった人たちが、容貌と戸籍の性別が一致しないことで問題が生じるからというものだった。就学や就職の際、容貌と戸籍の性別が違っていることで起きる弊害、公的な場での身分証明書提示で起きる問題などを解消することが目的だったはず。一部の医療関係者を除き、性移行した人たちが元の性を公表せずに埋没できるようにするための法律だったはずだ。

しかし、手術を受けないということは、元の性の体のままということになり、単なる異性装と何ら変わらないことになる。このような人たちの戸籍変更を簡単に許した場合、日本社会はどうなるのか?

戸籍が女性の男性体の人が女子空間に入ってくることや女子スポーツに参加するといったことも、もちろん一大事ではあるが、そのほかに結婚の問題がある。

日本では同性婚は許されていない。しかし戸籍が異性になった人ならば、生物学的には同性同士であっても戸籍上は異性として結婚が合法に出来るという状態が生じる。これは同性婚を裏口から合法にするあさましい手口である。

なぜこのようなことが最高裁で審議の対象となってしまったのか?

私は元々の問題は、法的に性別を変えられるとした特例法にあると考えている。私は最初から特例法の設立には反対だった。一旦性別は変えられるとしてしまったら、必ずやその要件が厳しすぎるとして緩和しろという動きが出てくるのは、欧米の例を見ていれば火を見るよりも明らかだったはず。

私は最終的にもこの要件が撤廃されないことを願うが、そろそろこの特例法自体の廃止を考えるべき時が来たと思う。先日もツイッターですでに手術も済まし戸籍も変えたという生得的男性が、温泉の女湯に居た女性達の胸について気持ちの悪い動画を挙げていた。あのスケベ根性まるだしの男が、法律的には女性であり、我々女性が受け入れなければならないと思うと本当に胸が悪くなる。法律がなんというおうとあれはただのスケベ親父だ。

これまでに特例法によって法的性別を変えた人に元に戻れというのは人権侵害だ。彼らは既存の法律に基づいて戸籍を変えたのだから。しかし、今後はそれを不可能にすべきである。今の状態を見ていればこの法律が悪用されていることははっきりしているし、今後もどんどん法律の緩和を訴える活動家が増えるに違いないからだ。


Comment

「社会正義はいつも正しい」米国のキャンセルカルチャーを説明した訳者の解説記事をキャンセルした出版社、編集担当に謝罪を強要

先日私はツイッターで一ノ瀬翔太氏という早川書房編集担当者のこんなツイートを読んだ。

『「社会正義」はいつも正しい』解説記事の公開を停止しました。私はテキストが持ちうる具体的な個人への加害性にあまりに無自覚でした。記事により傷つけてしまった方々に対して、深くお詫び申し上げます。記事の公開後、多くのご批判を社内外で直接・間接に頂き、問題を自覚するまでに一週間を要しました。結果、対応がここまで遅れてしまったことにつきましても、誠に申し訳ございません。取り返しのつくことではございませんが、今後の仕事に真摯に向き合い、熟慮を重ねてまいります。

これはまるで説明になっていない。一ノ瀬氏のいう「記事によって傷つけてしまった方々」とはどういう人たちなのか?具体的に早川書房にはどのような批判が送られ、具体的に解説文のどこの部分が不適切とみなされて削除という結論に至ったのか、もっとはっきり書くべきなのではないか?

一ノ瀬氏の謝罪文は、外部からの圧力を受けて謝れと言われたから謝っているというおざなりのものにみえ、到底本人が納得して書いたものとは思えない。

早川書店の公式サイトにも記事の公開停止の説明がされていた。こちらの方はもう少し具体性がある。強調はカカシ。

記事の公開停止につきまして (2022/12/05)記事の公開停止につきまして (hayakawa-online.co.jp)

11月15日に弊社noteに掲載した記事「差別をなくすために差別を温存している? 『「社会正義」はいつも正しい』の読みどころを訳者・山形浩生が解説!」につきまして、読者の皆様から様々なご意見を頂いております。出版社がなんらかの差別に加担するようなことがあってはならず、ご指摘を重く受け止めております。

掲載した巻末解説は本文とあわせて読まれることを前提に書かれ、ポストモダニズムの三つのフェーズ、カッコつきの〈社会正義〉といった本文のキー概念にはあえて触れていません。そうしたテキストのみを、本文と切り離した形でウェブ公開すること自体が不適切でした。

つきましては、当該記事の公開を本日停止しました。

弊社はあらゆる差別を許容せず、それを大前提としたうえで多様な出版活動を行なってまいります。ウェブ・SNS上での情報発信に関して編集部内でのチェック体制を新たに整えるとともに、熟慮を重ね、不適切な情報発信の再発防止に努める所存です。

株式会社早川書房編集部

しかしこれも説明にはなっていない。役者の解説はあくまでも解説なのであり、本文に書かれていることをすべて触れるわけにはいかない。これは本文を読みたくなるような予告編のようなものなのだからそれが抜けてるからいけないというのは変な話だ。ここで唯一つだけ削除の理由とみなされるのは「出版社がなんらかの差別に加担するようなことがあってはならず」のくだりだが、具体的に役者の山形浩生氏解説のどの部分がどのように差別に加担していると判断したのか、それをきちんと説明すべきではないか?そうでないと、あたかも山形氏自身が差別に加担しているかのように読めてしまい、山形氏に対して非常に失礼だと思う。

原文は削除されてしまっているが、誰かがアーカイブ記事を見つけてくれたのでそこから引用して読んでみよう。リンクが切れてしまう可能性が高いので、後部に全文添付しておく。

ざっと読んでみて私には何が問題なのかさっぱりわからない。いや、それは嘘だ。問題は満載だ。だがそれは事実と異なることが書かれているとか、差別的だからだという意味ではない。もしこの原書がこの解説通りの本であるとしたら、多くの左翼活動家にとって非常に不都合な事実が山盛りなのだ。どうりで左翼たちが発狂した訳である。

例えば、ここ、、

現在のアメリカでは、一部の「意識の高い」人々による変な主張がやたらにまかりとおるようになっている。(略)大学の講義で、人間に生物学的な男女の性別があると言っただけで、性差別だと言われる。人種差別の歴史についての講義でかつて使われた差別用語を紹介しただけで、人種差別に加担したと糾弾される。大学で非白人学生による単位や成績の水増し要求を断ると、白人による抑圧の歴史を考慮しない差別だと糾弾される。

批判を受けるだけなら別に問題はない。だがいったんそうした発言をしたり糾弾を受けたりすると、それがまったくの曲解だろうと何だろうと、その人物は大学や企業などでボイコットを受け、発言の機会を奪われ、人民裁判じみた吊し上げにより村八分にされたりクビにされたりしてしまう。

それどころか、ジェンダーアイデンティティ選択の自由の名のもとに、子供への安易なホルモン投与や性器切除といった、直接的に健康や厚生を阻害しかねない措置が、容認どころか奨励されるという異常な事態すら起きつつある。身近なところでは白人が日本の着物を着れば(あるいは黒人が日本アニメのコスプレをしたら)それが(ほとんどの日本人は気にしないか、むしろおもしろがっていても)関係ない第三者により文化盗用だと糾弾され、他文化の要素を採り入れたデザイナーや企業が謝罪に追い込まれる事態も頻発している。

拙ブログの聡明なる読者諸氏はこれらの供述が全くの事実であることをよくご存じであろう。しかし同時に何故左翼活動家達が差別的だと言って激怒しているのかもお分かりいただけると思う。自分らこそが差別者であり、差別があることを指摘している人がキャンセルされているなどということを認めたくないのは当然だからである。

特にジェンダーアイデンティティーの下りで子供の性転換治療が奨励されているというのは事実無根だと騒いでいる人がいるが、これに関してはすでに拙ブログでも何度か紹介したように、デイリーワイヤーのマット・ウォルシ氏のチームがバンダービル小児病院の医師が熱心に小児の性転換治療を奨励している動画が暴露されている。下記のスレッドでそのいくつかの動画を観ることが出来る。

Matt Walsh on Twitter: “BREAKING: My team and I have been investigating the transgender clinic at Vanderbilt here in Nashville. Vanderbilt drugs, chemically castrates, and performs double mastectomies on minors. But it gets worse. Here is what we found. Let’s start at the beginning.” / Twitter

さて山形氏の原著の功績のところにこんな供述がある。

本書の最大の功績の一つは、多岐にわたる「社会正義」の各種「理論」を、まがりなりにも整理し、多少は理解可能なものとしてまとめてくれたことにある。

こうした「社会正義」の理論と称するものの多くは、とんでもなく晦渋だ。文字を追うだけでも一苦労で、なんとか読み通しても変な造語や我流の定義が説明なしに乱舞し、その理論展開は我田引水と牽強付会の屁理屈まがいに思える代物で、ほぼ常人の理解を超えている。それをわざわざ読んで整理してくれただけでも、実にありがたい話だ。

さらに一般的には、一応はまともな肩書きを持つ学者たちによる「理論」が、そんなおかしなものだとはだれも思っていない。読んでわからないのは自分の力不足で、理論そのものは難解だけれど、まともなのだろう、世の中で見られる異常な活動の多くは、末端の勇み足なのだろう、というわけだ。

が、実はだれにも理解できないのをいいことに、そうした「理論」自体が、まさに常軌を逸した異常なものと化している場合があまりに多い。それを本書は如実に明らかにしてくれる。

これは常々私も感じていたことなのだが、左翼活動家の文章は不必要に難解で一般人には解らない言葉使いが多く、読んでる人間を煙に巻こうとしている意図が見える。しかも活動家学者先生たちはもっともらしい肩書を持っているので、自分の読解力に自信のない人たちは、お偉い先生たちが言っているのだから間違いないだろうと騙されてしまうのだ。どうやらこの本ではそうした似非学者たちが実際何を言っているのかを分かりやすく説明しているようだ。

それにしてもキャンセルカルチャーを批判している本の紹介記事をキャンセルしてしまうとか、早川書房は本当に何をやっているのか。出版社として恥かしい限りである。

====================================

差別をなくすために差別を温存している? 『「社会正義」はいつも正しい』の読みどころを訳者・山形浩生が解説!|Hayakawa Books & Magazines(β) (archive.ph)

「白人は、白人というだけで人種差別的である」
「病気や障害を治療・予防しようとする試みは、当事者への憎悪に基づいている」
「映画の中で黒人女性キャラクターを力強いタフな人物として描くのは黒人差別(だが、弱く従属的な存在として描くと女性差別)」

――ほんとうに?

現代世界を席捲する「社会正義」の根拠を問う全米ベストセラー『「社会正義」はいつも正しい 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて』(ヘレン・プラックローズ、ジェームズ・リンゼイ:著、山形浩生、森本正史:訳、早川書房)。11月16日の刊行に先立ち、山形浩生氏によ

1 はじめに

本書はHelen Pluckrose and James Lindsay 『Cynical Theories: How Activist Scholarship Made Everything About Race, Gender, and Identity—and Why This Harms Everybody』(2020年)の全訳だ。翻訳にあたっては出版社からのPDFとハードカバー版を参照している。

2 本書の背景

本書は、ここ10年ほどで欧米、特にアメリカで猛威をふるうようになったポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)、あるいは「社会正義」運動の理論と、その思想的源流についてまとめた本だ。

現在のアメリカでは、一部の「意識の高い」人々による変な主張がやたらにまかりとおるようになっている。少なくとも、それを目にする機会はずいぶん増えた。性別は自分で選べるといって、女子スポーツに生物学的な男性が出たりする。大学の講義で、人間に生物学的な男女の性別があると言っただけで、性差別だと言われる。人種差別の歴史についての講義でかつて使われた差別用語を紹介しただけで、人種差別に加担したと糾弾される。大学で非白人学生による単位や成績の水増し要求を断ると、白人による抑圧の歴史を考慮しない差別だと糾弾される。

批判を受けるだけなら別に問題はない。だがいったんそうした発言をしたり糾弾を受けたりすると、それがまったくの曲解だろうと何だろうと、その人物は大学や企業などでボイコットを受け、発言の機会を奪われ、人民裁判じみた吊し上げにより村八分にされたりクビにされたりしてしまう。

それどころか、ジェンダーアイデンティティ選択の自由の名のもとに、子供への安易なホルモン投与や性器切除といった、直接的に健康や厚生を阻害しかねない措置が、容認どころか奨励されるという異常な事態すら起きつつある。身近なところでは白人が日本の着物を着れば(あるいは黒人が日本アニメのコスプレをしたら)それが(ほとんどの日本人は気にしないか、むしろおもしろがっていても)関係ない第三者により文化盗用だと糾弾され、他文化の要素を採り入れたデザイナーや企業が謝罪に追い込まれる事態も頻発している。

さらにこうした事態に対して科学的知見に基づく反論をすると、各種科学や数学はすべて植民地帝国主義時代の白人男性が開発したものだから、それを持ち出すこと自体が差別への加担だ、と変な逆ギレをされ、この理屈がいまやカリフォルニア州の算数公式カリキュラムの基盤となりつつある。

そして2022年夏には科学分野で有数の権威を持つ『ネイチャー』誌までこうした運動に入り込まれ、今後はマイノリティのお気持ちに配慮しない、つまり「社会正義」に都合の悪い論文は却下するという公式方針(! !)を打ち出し、中世暗黒時代の再来かと嘆かれている始末だ。いったい何が起きているのか? 何がどうよじれると、こんな変な考えがはびこり、表舞台にまで浸透するようになるのか?

本書はこうした「社会正義」の様々な潮流を総覧して整理してみせる。そしてその源流が、かつてのポストモダン思想(日本では「ニューアカデミズム」とも呼ばれたフランス現代思想)の歪んだ発展にあるのだと指摘する。それが、過去数世紀にわたる飛躍的な人類進歩をもたらした、普遍性と客観性を重視するリベラルで啓蒙主義的な考え方を完全に否定する明確に危険なもので、これを放置するのは分断と敵対、自閉と退行につながりかねないと警鐘を鳴らす。

3 著者たちについて

ジェームズ・リンゼイは1979年生まれ、アメリカの数学者であり、また文化批評家でもある。ヘレン・プラックローズはイギリスの作家・評論家だ。いずれも、リベラリズムと言論の自由を強く支持し、本書に挙げられたような社会正義運動と、それに伴う言論弾圧やキャンセルカルチャーについては強く批判する立場を採る。

どちらも、いろいろ著作や活動はある。だが二人が有名になったのは何よりも、2017~2018年に起こった通称「不満スタディーズ事件」のおかげだ。

哲学研究者ピーター・ボゴシアンとともに、この二人はカルチュラル・スタディーズ、クィア研究、ジェンダー研究、人種研究等の「学術」雑誌(もちろん本書で批判されている各種分野のもの)にデタラメな論文を次々に投稿し、こうした学術誌の査読基準や学問的な鑑識眼、ひいてはその分野自体の学術レベルの低さを暴こうとした。「ペニスは実在せず社会構築物である」といった、明らかにバカげた論文が全部で20本作成・投稿され、途中で企みがバレたものの、その時点ですでに七本が各誌に受理・掲載されてしまった。もちろんこれは1995年にポストモダン系学術誌に物理学者アラン・ソーカルらがでたらめ論文を投稿したソーカル事件(後ほど少し説明する)を明確に意識していたものだったし、この事件も「ソーカル二乗」スキャンダルなどと呼ばれたりする。

この事件で各種現代思想/社会正義研究(少なくともその刊行物)のデタラメさ加減が見事に暴かれた、と考える人は多い。その一方で、ソーカル事件のときとまったく同じく、「手口が汚い」「学者の良心を信じる善意につけこんだ下品な手口」「はめられた雑誌は業界で最弱の面汚しにすぎず、何の証明にもならない」「主流派の焦りを示す悪意に満ちた詐術であり、これ自体がマイノリティ攻撃の差別言説だ」といった擁護論もたくさん登場した。首謀者の一人ボゴシアンは、この一件が不正研究に該当すると糾弾され(だまされた雑誌が「人間の被験者」であり、人間を研究対象とするときの倫理ガイドラインに違反した、とのこと)、勤務先のポートランド州立大学からの辞職に追い込まれている。

その残りの二人が、おそらくはこの事件を直接的に受けてまとめたのが本書となる。

4 本書の概要

本書の最大の功績の一つは、多岐にわたる「社会正義」の各種「理論」を、まがりなりにも整理し、多少は理解可能なものとしてまとめてくれたことにある。

こうした「社会正義」の理論と称するものの多くは、とんでもなく晦渋だ。文字を追うだけでも一苦労で、なんとか読み通しても変な造語や我流の定義が説明なしに乱舞し、その理論展開は我田引水と牽強付会の屁理屈まがいに思える代物で、ほぼ常人の理解を超えている。それをわざわざ読んで整理してくれただけでも、実にありがたい話だ。

さらに一般的には、一応はまともな肩書きを持つ学者たちによる「理論」が、そんなおかしなものだとはだれも思っていない。読んでわからないのは自分の力不足で、理論そのものは難解だけれど、まともなのだろう、世の中で見られる異常な活動の多くは、末端の勇み足なのだろう、というわけだ。

が、実はだれにも理解できないのをいいことに、そうした「理論」自体が、まさに常軌を逸した異常なものと化している場合があまりに多い。それを本書は如実に明らかにしてくれる。

では、本書の指摘する各種理論の変な部分はどこにあるのだろうか? そのあらすじを以下でざっとまとめておこう。

フェミニズム、批判的人種理論、クィア理論等々の個別理論については、ここで細かくまとめる余裕はないので本文を参照してほしい。だが、本書によればそうした理論のほとんどは同じ構造を持ち、その歴史的な源流も同じなのだ。こうした様々な「思想」の基本的な源流はかつてのポストモダン思想にあるという。

で、そのポモ思想って何?

ポモ思想は、本書の認識では左派知識人の挫折から生まれたやけっぱちの虚勢だ。1960年代の社会主義(学生運動)の破綻で、左翼系知識人の多くは深い絶望と挫折を感じ、資本主義社会にかわる現実的な方向性を打ち出せなくなった。その幻滅といじけた無力感のため、彼らは無意味な相対化と極論と言葉遊びに退行した。それがポストモダン思想の本質だった、という。

そのポモ思想によれば世界は幻想だ。客観的事実などは存在せず、すべてはその人や社会の採用する思考の枠組みや見方次第だ。だから資本主義社会の優位性も、ただの幻想なんだよ、と彼らは述べる。

そして、その思考の枠組み(パラダイムとか、エピステーメーとか「知」とかいうとカッコいい)は社会の権力関係により押しつけられる。それは社会の言説(ディスクール、というとカッコいい)としてあらわれるのだ。その中にいるパンピーは、知らぬ間にそうした枠組みに組み込まれてしまい、それがありのままの客観的な世界だと思い込んでいる。そして人々がその支配的な言説に基づき行動/発言すること自体が、まさにその枠組みを強化し、延命させるのだ。

つまりオメーらみんな、口を開いた瞬間に権力に加担している。えらいアタマのいい、言語に対するシャープな批判力を養い、社会を超越した視線を持つ自分たちだけが、その欺瞞に気づけるし、資本主義の幻想の中で右往左往するだけのオメーらのバカさ加減を認識できるんだよ、というのがポストモダニズムだ、と本書は述べる。

ふーん、それで? 資本主義社会が幻想ならどうしろと? それに代わるものをこの理屈は提出できない。その意味でポモ思想は、左翼がかった高踏的なインテリどもの知的お遊びにすぎなかった。やがてその遊びのネタが次第に尽き、自己参照的な言葉遊びに堕すと、こうした知的お遊戯自体が無内容で非建設的なものとして逆に嘲笑の対象と化した。現代思想業界の雑誌が、本物の科学者たちの捏造した無内容なインチキ論文を嬉々として採用してバカにされた1995年のソーカル事件は、そうした社会的な認識の現れでもある。

が、それと前後してポモ思想に飛びついた人々がいた。それが活動家たちだ。活動家たちも、20世紀後半には壁にぶちあたっていた。女性の抑圧や植民地主義、人種差別といった社会の問題は、当初は資本主義社会の抱える本質的な問題と思われていた。社会主義は、資本主義がそういう搾取の上に成立しているのだ、自分たちはそれを解決する、と主張し続けてきた。それを信じて、多くの社会活動家は社会主義、マルクス主義的な立場からの活動を続けてきた。

が……社会主義の惨状と崩壊で、その立場も崩れてきた。一方で啓蒙思想とリベラリズムが広がるとともに、こうした問題も次第に資本主義の枠内で改善してきた。もちろん完璧ではない。地域差もある。だが20世紀半ばまでに、こうした問題のフォーマルな面はかなり解消された。それにつれて多くの社会活動家たちの活動範囲もどんどんせばまった。しかも残された差別の多くは、社会的な慣習、惰性、初期条件の差から来る創発的なもので、政治的な発言力などではなかなかどうにかできるものではないし……

そこにあらわれたのがポモ思想だ。そこでは、各種の抑圧や差別は、社会全体における権力関係として、人々の「知」の構造の中にはびこるものとなる。それを表現するのが言説であり、そしてその言説が繰り返されると「知」は強化され、そこに内在する差別や抑圧はますます強まる。それを何とかしない限り、形式的な法律だの規制だのをいくらいじったところで、各種社会問題は何も解決しないのである! 社会の正義を実現するためには、社会全体の言説と「知」のあり方を変えねばならない!

だがこれは、一瞬で言葉狩りと思想統制と人民裁判へと転じかねない発想だ。差別的な発言を探して糾弾し、それを述べた人物を吊し上げて、言説を発する立場(つまりは職場など)から追い落とすことで言説の権力構造を変える──まさに現在はびこりつつあるキャンセルカルチャーそのものだ。

そして……抑圧者、権力者たちは自分たちに都合のいい、差別を構造化した知/言説を構築し、そこに安住しすぎているが故に、そうした権力構造をそもそも認識できない。それを認識できるのは、排除され、抑圧されてきたが故にその欺瞞を実感している、被抑圧者、被差別者、弱者、他者、マイノリティたち……そしてもちろん、こうした思想や活動を学んで「社会正義」に目覚めた(Wokeな)意識の高い人たち(つまり自分たち)だけなのだ!

つまり自分たちだけが言葉狩りと思想統制の審問官になれる、というわけだ。だからこの人たちの癇にさわった(「トリガーした」)言説は、それだけで有罪確定だ。そこでは事実も論理も関係ない(それ自体が権力的な言説なのだから)。表面的な意味を越えて、そうした言説や表現の持つ構造的な含意にこそ差別があるのであり、それを検出できるのは被差別者や他者のお気持ちだけだ。それに反論するのはまさに、その反論者が差別構造に気づけない、つまりその人物が無自覚な(いやヘタをすると悪意に満ち)罪深い差別者である証拠だ。いやそれどころか、その反論自体が被抑圧者へのセカンドレイプでヘイトスピーチなのだ。

本書で挙げられた各種の「社会正義」理論の流派は、すべてこのパターンにあてはまる。そこでの「弱者」は何でもいい。女性、LGBT、黒人、マイノリティ、肥満者、身体障害者、病人、そしてそうした各種要因の無数の組み合わせ。歴史的経緯や主要論者の嗜好により多少の差はあれ、本書での説明ではどれもおおむね似たようなパターンをたどる。

そしてそのいずれでも、弱者アピールが何よりも正統性の根拠となる。差別されているというアイデンティティによってこそ、その人の「正義」と批判力は担保される。「社会正義」運動の多くが「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ばれる所以だ。そしてこれは、往々にしてきわめて倒錯的な主張につながる。この発想からすれば差別をなくして対等な立場と平等性を実現しようとするのは、そうした弱者の特権性をつぶして既存権力構造に隷属させようとする差別的な口封じの陰謀になりかねない。病気を治療したり、マイノリティの教育水準を引き上げて社会的な不利をなくそうとしたりするのは、その人々の弱者としてのアイデンティティ否定だ!

差別をなくす、というのは本来、社会的な不利をなくす、ということだったはずだ。それが弱者アイデンティティの否定だというなら、これは差別をなくすために差別を温存すべきだ、というに等しい変な議論になりかねない。が、いまの「社会正義」理論の一部はまさにそういうものになり果てている。これは誰のための、何のための「正義」なのか、と本書は批判する。

マーティン・ルーサー・キングは、肌の色ではなくその中身で人が判断される時代を待望した。これは啓蒙主義とリベラリズムの思想で、あらゆる人を平等に扱おうとする。だが「弱者」に特権的な視点と判断力があり、その人たちのお気持ちだけを重視すべきで、そこに含まれない人々は目覚めていないんだからその主張は無視してよい、というこの「社会正義」の理論は、分断と対立を煽り、別の形で差別を温存させるだけだ。

そうした危険な動きの拡大には警戒すべきだ、と本書は述べる。アイデンティティを超える普遍的な価値観と万人の共通性を強調した、啓蒙主義とリベラリズムの立場を復活させるべきなのだ。だって、それが実際に社会の平等と公正を拡大してきたのはまちがいのない事実なのだから。そしてそのためには、本書で異様な「社会正義」理論を理解したうえで、それに対して筋の通った反論をしよう。

これまでは、「差別はいけません」といった漠然としたお題目のために、みんなこうした理論に正面きって反対するのを恐れてきた面がある。それがこうした「理論」をはびこらせてしまった。だが「社会正義」理論を否定するというのは、別に差別を容認するということではない。どこは認め、どこは受け入れないのかをはっきりさせて、決然とした対応を!

5 本書の受容とその後

当然ながら、本書はスティーブン・ピンカーをはじめ、啓蒙主義とリベラリズムを擁護し、その21世紀的な復権を主張する論者からはきわめて好意的に迎えられた。もちろん、著者二人の先人ともいうべき、ソーカル事件のアラン・ソーカルも絶賛している。「社会正義」サイドは、無理もないが本書を口をきわめてののしっていて、著者たちも執拗な攻撃を受けている。著者の一人リンゼイは、LGBT活動などをからかったツイートをやり玉にあげられて、2022年の8月5日にツイッターの垢バンをくらってしまった。

またこうした思想的な潮流よりは、社会経済的な背景が重要との指摘もある。学術界全般の悪しきこむずかしさ崇拝傾向に加え、アメリカの大学のほとんどが私学で、学費と寄付金のために生徒やその親の過激な主張に断固とした態度がとれないこと、つぶしのきかない人文系大卒者の激増と就職難に伴う「意識の高い」NGO急増のほうが主因だという説も出た。現代思想は彼らの方便でしかないというわけだ。これは一理あるが、その方便に気圧されないためにも、それが出てきた背景と中身を知っておくのは無駄ではない。

いずれにしても読者の評判はかなりよく、いくつかメジャー紙のベストセラーにランクインするほどの売上を見せている。『フィナンシャル・タイムズ』紙などの年間ベストブックにも選ばれた。こうした理論の冷静でわかりやすい概説書が欲しいというニーズは(おそらく支持者側とアンチ側の双方に)それなりにあったらしい。

そうした解説ニーズに応えるためか、2022年には本書をさらに噛み砕いた「読みやすいリミックス版」(Social (In)justice: Why Many Popular Answers to Important Questions of Race, Gender, and Identity Are Wrong—and How to Know What’s Right)も出版され、こちらもかなり好評だ。

そしておそらく、その後のアメリカの政治状況も、本書の好評とある程度は関係している。「社会正義」理論の弊害への懸念が2010年代末から高まっていたのはすでに述べた通り。それが本書登場の背景でもある。特に2020年に全米で吹き荒れた、黒人差別に抗議するBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動とそれに伴う騒乱は、社会に大きな傷痕を残し、それを「社会正義」的な思想の広まりがその暴走を煽ったという指摘もあった。つまりは、左派による「社会正義」理論の濫用が問題だということだ。

だがそこで奇妙な倒錯が生じた。2020年のヴァージニア州知事選で、共和党候補が批判的人種理論ことCRTの教育制限を公約に挙げた。「社会正義」の理論と、その教育現場への安易な導入こそが、人種分断を煽る大きな要因なのだという。だが実際に当選してから彼らがはじめたのは、きわめて穏健な人種差別教育や多様性教育の抑圧だった。そしてそれが、続々と他の州にも拡大し、同時にジェンダー教育などもCRTのレッテルの下に含めて潰そうとしつつある。つまり今度は右派による「社会正義」理論の(レッテルとしての)濫用が課題になってきたというわけだ。

こうしていまや「社会正義」理論は、一部の人しか知らない特異な社会運動理論から、政争ツール最前線にまで踊り出てしまった。好き嫌い(および肯定否定)を問わず、こうした議論の妥当性を判断する一助としても、思想や理論について、概略でも理解する必要性は高まっている。その意味で、本書のような見通しのよい解説書への需要は、今後当分続くのではないだろうか。

6 日本にとっての意義

日本では幸いなことに、本書の発端になったような異常な事件が頻発したりはしていないようだ。各種の思想や哲学系の雑誌で、「社会正義」的な思想の特集が組まれても、その思想自体が各種の運動を煽ったという事例は、寡聞にして知らない。「社会正義」的主張を掲げる抗議運動や、それを口実にした吊し上げやキャンセル活動は確かにある。

だが系統だったものは少なく、また多くの場合には本音の私的な遺恨や派閥抗争がだらしなく透けて見える。一方で受容側の企業や、かなり遅れてはいるが公的機関や大学なども、SNS炎上などの対処方法がだんだんわかってきた様子はうかがえる(基本、無視がいいようだ)。

だからおそらく読者の多くは、「社会正義」が生み出した変な運動の矢面に立たされることもないだろう(と祈っていますよ)。政治トピックに上がるとも思えないから、本書に述べられた個別理論の細部を理解する必要に迫られることもないだろう。本書への関心も、恐い物見たさの野次馬めいたものが大きいのではないか。

だが怪しげな理論の先鋭化と暴走が現実的な問題を引き起こす可能性は常にある。本書を通じてその現れ方を理解しておくのは、決して無駄にはならない。そしてそれ以上に、本当の社会正義や社会集団共存の実現は当然ながら必要なことだ。多くの人がそれを認識しているからこそ、異様な「社会正義」理論(またはその反動)がつけいる隙も生まれてしまう。

それを防ぐためには、その社会正義を自分自身がどう考えるのか、何を目指すのかについて、個人や組織が自分なりの基盤と筋を確立しておく必要がある(本書で懸念されている、「社会正義」の巣窟となりかねない企業や組織の多様性担当者といった役職は、本来はそうした基準の構築が仕事だろう。もちろんCRT禁止の旗印で常識的なジェンダーや多様性の教育まで潰されそうになったときにも、ある程度の知識があれば「これはCRTとちがう」と変な介入をはねかえして筋の通った対応をしやすくなる)。

そして本書や類書の最大の貢献はそこにあるはずだ。本書により「社会正義」理論のおかしな展開を見る中で、読者は自ずと自分にとって何が正しいかを考えるよう迫られるからだ。

それを一人でも多くの読者がやってくれれば、訳者(そしてまちがいなく著者たちも)冥利につきようというものだ。

7 謝辞など

翻訳は、前半を森本、後半を山形が行い、最終的に山形がすべてを見直している。

訳者たちはいずれも、こうした分野の専門家ではない。各種専門用語などは、なるべく慣用や定訳に従ったつもりだが、思わぬまちがいや各種理論・理屈の誤解などはあるかもしれない。また引用部分については、邦訳があるものはなるべく邦訳を参照したが(邦訳の該当ページは注を参照)、文脈その他に応じて修正した部分もそこそこある。誤訳、用語のまちがいなど、お気づきの点があれば、訳者までご一報いただければ、反映させていただく。そうした正誤表や関連リソースについては、以下のサポートページで随時更新する。https://cruel.org/books/books.html#translations

本書の編集は早川書房の一ノ瀬翔太氏が担当された。当方の様々な見落としをご指摘いただいたばかりか、太字や大文字表記などで特殊な概念を示した原著を、日本語での違和感のない表記法を編み出してわかりやすくしていただき、心より感謝する。そしてもちろん、本書を手に取ってくださる読者のみなさんにも。

 2022年9月 デン・ハーグにて
 訳者代表 山形浩生(hiyori13@alum.mit.edu

◆著者紹介

ヘレン・プラックローズ Helen Pluckrose
政治・文化に関する著述家。ウェブマガジン「Areo」元編集長。ポストモダニズム、リベラリズム、フェミニズムなどをテーマにした評論を数多く手がける。2017年から2018年にかけて、ジェームズ・リンゼイ、哲学者のピーター・ボゴシアンとともに社会学系学術誌に虚偽の論文を投稿し、その一部が受理・掲載された。社会正義にまつわる研究の杜撰さ、イデオロギー性を浮き彫りにしたこの出来事は「不満スタディーズ事件」「第二のソーカル事件」と呼ばれ、ニューヨーク・タイムズ紙の一面で報じられるなど全米に論争を巻き起こしている。

ジェームズ・リンゼイ James Lindsay
数学者、文化評論家。ウェブサイト「New Discourses」創設者。テネシー大学で数学の博士号を取得。ウォールストリート・ジャーナル紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、サイエンティフィック・アメリカン誌などに寄稿。著書に Everybody is Wrong about God、Life in Light of Death、How to Have Impossible Conversations(共著)など。

◆訳者略歴

山形 浩生(やまがた・ひろお)
翻訳家、評論家。1964年生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学科およびマサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了。大手シンクタンクに勤務するかたわら、幅広い分野で執筆、翻訳を行う。著書に『経済のトリセツ』『たかがバロウズ本。』など。訳書にクルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』『ゾンビとの論争』(ともに早川書房刊)、フランクファート『ウンコな議論』、ピケティ『21世紀の資本』(共訳)ほか多数。

森本 正史(もりもと・まさふみ)
翻訳家。1967年生まれ。共訳書にウェスト『スケール』(早川書房刊)、ノルベリ『OPEN』、トゥーズ『ナチス 破壊の経済』、アトキンソン『21世紀の不平等』、シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』、ケンリック『野蛮な進化心理学』など。


Comment

ゲイバー乱射事件のニュースがすぐニュースサイクルから消えてしまう理由

先日コロラドのゲイナイトクラブ、”クラブQ”で乱射事件が起き、5人が殺害され17人が重傷を負った事件で、当初の報道は全く想定内のものだった。

まだ犯人像がはっきりしない時期から、ニュースメディアは、これは右翼保守のトランプ支持者MAGAの犯行で、FoxNewsのタッカー・カールソンやデイリーワイヤーのマット・ウォルシなどの右翼保守派がLGBTへの暴力を扇動したことが原因だと大騒ぎをした。

名指しで批判されたマット・ウォルシは報道したメディアに対して記事の取り下げと公式な謝罪を要求していた。

しかし犯人のアンダーソン・リー・アルドリッチは自称ノンバイナリでMrではなくMxと呼ばれたい、代名詞は複数形のthey/themだと弁護士を通じて発表した。すると今まで大騒ぎをしていたメディアが即刻ダメージコントロールに回った。

とあるニュースでインタビューを受けた自認女性の男性は、どうみても男に見える自分の容貌を棚に上げて、「犯人の逮捕時の写真を見たが、明らかに男だ、トランスなどではない」などとおかしな発言をして失笑を買っている。おい、おい、本人が女だと言えば女として扱わないのはミスジェンダーリングだと散々言ってたのはお前らだろう。いまさら見かけで女じゃないとか判断する権利がお前にあるのか?

自らノンバイナリを自称する男が何故ゲイナイトクラブを襲ったのか、その動機はどうやら個人的なものだったらしい。しかしニュースメディアは犯人が右翼保守でなければ全く興味がないため、この事件に関する詳細は一切報道されていない。

アトランタのゲイナイトクラブのヘレティック乱射を予告した男逮捕される

そして本日、アンディー・ノーがアトランタ州にあるヘレティックというゲイナイトクラブに乱射予告をした男が逮捕されたという事件をツイッターで報道していた。そしてその犯人はゲイ男性で極左翼メディアのハッフィントンポストにも寄稿していたコラムニストであることが解っている。Atlanta Man Arrested for Threats Against Two LGBTQ+ Nightclubs | Them

犯人の名前はChase Staubs 。感謝際の終わりごろに自分のSNSでいくつかのゲイナイトクラブに対して乱射をほのめかすメッセージをあげ、その後も何軒かのゲイバーに姿を見せたと言う。なかでも名指しで脅かされたザ・ヘレティックは警察に通報した。

添付したThemの記事には書かれていないが、アンディー・ノーによれば、Staubsはゲイ活動家でハフポにも寄稿したことがあり、仕事は大学の進路指導員。

主流メディアはこの事件も極右翼の反LGBTらによる陰謀だと騒いでいるが、犯人がナイトクラブ常連のゲイ男性であることから、その理屈は通らないだろう。

史上最悪フロリダのナイトクラブ、ポルス乱射事件

ゲイナイトクラブが襲われた事件で最悪の犠牲者を出したのが2016年に起きたポルス乱射事件。ここではなんと49人が殺され53人が重傷を負うという大惨事が起きた。犯人はOmar Mateen(29歳)。彼は名前からしてイスラム教徒であるが、イスラム教が同性愛を禁じていることは誰もが知っている事実である。

犯人は動機についてイラクで起きたアメリカ軍による空襲への報復だと言っていたが、家族の話では、実は彼自身がゲイであり、そのことについて本人も悩んでいたのではないかということだった。現に犯人は事件のあったクラブに何度か来ていたという話である。

これがイスラム教過激派のテロであってもゲイ男性の個人的な理由であったとしても、すべてをトランプ政権や右翼保守のせいにしたい左翼メディアにとっては非常に都合が悪い。それでこれだけの被害者を出した事件であるにも関わらず、この話はほんの数日でニュースサイクルから消えてしまった。

乱射事件のさまざまな人物像を報道しないメディア

アメリカの左翼メディアのやり方はいつも同じ。なにか大事件が起きて、その犯人像が全く分からない間に「極右翼のしわざだ!」「トランスプ支持者が犯人だ!」「右翼が暴力を煽ったからだ!」と根拠もないのにお騒ぎする。そのうちに犯人像が解って来てニュースがしれっとサイクルから消えてしまったら、犯人は右翼などではなかったことは明白。なぜなら犯人が白人至上主義者だったなんてことになれば、何年でもその犯行を繰り返し繰り返し蒸し返すのがメディアのやり方だからである。

犠牲者が一人(しかもデモ側)しか出ていない1月6日事件を何年も極右翼による謀反だなどと言って騒いでるのを見ていればそれは良く分かるはずだ。

有名なゲイバッシング事件、マシュー・シェパード惨殺事件

ゲイ男性を標的にしたヘイトクライムで有名なのは1998年に起きたマシュー・シェパード惨殺事件だ。シェパードはゲイプライドイベントに参加した後、一人でバーに行き、そこで知り合った二人の同じ歳の男たちに誘われて一緒に外へ出た。マシューがゲイであることは犯人たちには明白だった。しかしマシューの思惑とは違い、二人はマシューから金品を奪い取る計画であり、トラックに着くとすぐピストルでマシューを殴り、財布を奪った。しかしマシューの財布には20ドルしか入っていなかった。

二人はマシューを1マイル離れた自然公園につれていき、マシューを後ろ手にしばって何度もピストルで顔や頭を殴った。そして真冬の夜フェンスにマシューを縛り付けたまま、その場を去ったのである。

翌朝、息も絶え絶えのマシューを発見したのは傍を通りかかったティーンエージャー。駆け付けた婦人警官らによって病院に運ばれたが、マシューは病院で息絶えた。

この事件が起きたのはもう20年以上前の話だが、未だにマシューが縛り付けられていたフェンスには花束がささげられている。

LGBTへの暴行はそんなに多いのか

拙ブログでも何度か紹介して来たとおり、同性愛者やトランスジェンダーへの暴力は反LGBTによるものよりも、仲間内のいざこざであることの方が多い。特に性自認女性の男性たちは普段から犯罪の被害に遭いやすい生活をしているため、被害者になる可能性は高いが、それは売春時の客とのいざこざであったり、麻薬売買であったり、ギャングだったり、痴話げんかであったりすることがほとんどだ。

実際にLGBTだからという理由で被害に遭うと言う事件はほぼ起きていない。ただイスラム教徒によるゲイバッシングは結構起きているのだが、そういう都合の悪い事件はメディアは報道しないので実態は不明だ。

私がLGBTへの差別による暴力など、そんなに起きていないだろうと思う理由は、もしそんなことが起きていたらメディアが放っておかないからである。実際犯人が反LGBTでない時ですら、極右翼の仕業だと言って大騒ぎするメディアが実際に白人至上主義ホモフォブによる犯罪だったら、毎日その話題で持ち切りになることは間違いない。32年も前の*マシュー・シェパードの事件が未だに語り継がれているように。


Comment

アメリカ中間選挙直前、ペロシ下院議長の夫と共和党選挙運動員への暴力事件にみるメディアのダブルスタンダード

アメリカは11月4日の中間選挙を控えて、共和党も民主党もラストスパートに入っているが、そんな中で二つの暴力事件が起きた。ひとつはフロリダの共和党運動員が近所訪問をしていた際に民主党支持の男二人から殴る蹴るの暴行を受けた事件、もうひとつは民主党下院議長のサンフランシスコ自宅でナンシーの夫ポールがハンマーで襲われた事件この二つを巡るメディアの報道のダブルスタンダードぶりをご紹介しよう。

まずフロリダの事件。事件直後フロリダ代表共和党のマーク・ルビオ上院議員は自分のツイッターで「昨晩、我々の運動員が私とディサンティスの名前のついたTシャツを着ていたところ、4匹の畜生から『この#Hialeah #Florida地区には共和党は立ち入り禁止だ』といって暴力的に襲われた。彼は内臓出血、顎の骨折をし、顔の整形手術が必要となった。」

ルビオのツイートには無残にぼこぼこにされた被害者の男性クリストファー・モンゾンさんが病院のベッドに横たわっている写真がそえられていた。

これに関してフロリダのローカルテレビは、共和党がこの運動員に7千ドル払っていたこと、SPLCによればこの男性が白人至上主義思想を持っていたことなどを報道した。また、別のメディアでは運動員が襲われた理由が政治的なものであるということにも疑問視する報道もあった。これについて質問を受けたルビオ議員は怒りを隠しきれずに記者たちに怒鳴った。

ルビオ:あなた方が加害者のことではなく被害者に注目しているとは恥ずかしいことだ。加害者についての質問はないのか?彼らがキャリア犯罪者であることは?

記者:そのようなグループと繋がりのある人をスタッフにしておくことに抵抗はないのですか?

ルビオ:彼は犯罪の被害者だ。それに彼はそれらの思想を拒否した。我々は考えを変えてそういう思想から立ち去ることを奨励する。この若者が過去に何をしていたかは知らない。だが彼はそれを拒否した。これは言わせてもらう、我々が焦点をあてるべきなのは彼を襲った二人の暴徒にだ。

実際にこの被害者が白人至上主義グループと関係があったというソースが悪名高い左翼ヘイト団体のSPLCでは信用に価しない。しかしルビオ議員の言う通り、もし過去にそんな過激な思想を持っていたとしても改心して今は共和党支持になったというなら、それはそれで称賛されるべきことだ。この報道のしかたにルビオ議員は自身のツイッターで、

月曜日から南フロリダのローカルニュースは被害者がすでに拒絶して後悔している過去を引き合いに出し、共和党運動員への暴力を正当化しようとしているのはまったくもって遺憾である。

また犯人たちの動機についても、ディサンティス・ルビオのTしゃつを着て選挙ビラを配っていただけの男性が全く面識のなかった暴徒に襲われた理由が政治的ではないと結論付けるほうがおかしいだろう。

さて、二つ目の事件はサンフランシスコのナンシー・ペロシ邸宅でナンシー留守中一人で留守番していた夫のポールさんが襲われた事件。10月28日の深夜、ペロシ氏は警察に奇妙な電話をし、電話を切らずにそのままにしていた。オペレーターは何かが起きていると気づき警察官を派遣した。そこで警官たちはポールさんと犯人のデイビッド・デパぺが一つのハンマーを取り合っているところに遭遇。デパぺがポールさんからハンマーをとりあげポールさんに殴りかかったところで警官がデパぺにタックルして取り押さえたというもの。ポールさんと犯人は病院に運ばれた。

警察の記者会見ではこのデパぺという男がどんな男で、いったいどうやってペロシ邸宅に入ったのか、どういう事情でペロシ氏を襲い掛かるに至ったのかという話を全くしなかった。にも拘わらず、すでにメディアは犯人はトランプ支持者だの政治的な理由だのと根拠もないのに大騒ぎ。

しかしアンディー・ノーのリポートによれば、犯人は超リベラルなバークレー市にヒッピーが集まる共同住宅に住んでおり、その家の外側にはBLMの旗が掲げられていると言う。しかも本人は地元では知られたヌーディストで陰謀論者だという。ど~もMAGAトランプ支持者とは程遠いイメージだ。

共和党関係者が暴力事件の被害者になると、犯人像より被害者の過去に言及して、あたかも犯罪が正当であるかのように報道するメディアは、被害者が民主党関係者であると加害者の人物像がはっきりしないうちに保守派だの共和党支持だのMAGAだのとデマを平気で垂れ流す。

まあいつものことなので驚きはしないが。

ただペロシ邸宅の事件はちょっとおかしな点が多すぎる。ペロシ宅はサンフランシスコの高級住宅街にあるが、壁に囲まれ要塞のようになっている。そんなところに男が簡単に侵入できたというのも不思議な話である。それに警察はデパぺがペロシ宅に押し入ったとは言ってない。もし押し入ったなら二階の窓を壊してはいったとか、玄関をぶち破ったとか、もっと詳しい情報が表にでてきてもいいはずである。ペロシ宅に警報装置が付いていないとは思えないし。

ペロシ議長は大統領継承権三番目の非常に大事な地位にある人物だ。いくら留守宅とはいえ、家族が襲われるような大事件が起きたのである。事件に関するもっと詳しい情報が報道されてしかるべきだ。

アップデート 1:どうやらペロシ氏と犯人のデパぺは知り合いだった模様。ペロシ氏が警察に犯人にわからないように通報した時、氏は犯人を名前の「デイビッド」と呼び、友達だと言ったと言う。先の報道でデパぺは「老人への加害」の罪に問われているとあったが、これは老人と加害者との間に面識のある時のみの罪だそうだ。とすればこの話、ペロシ氏が政治的な理由で襲われたと言う話はだいぶおかしくなってきたな。

アップデート2:犯人のデパぺは自分はペロシ氏とは同性愛の愛人で麻薬の件で揉めて喧嘩になったと証言しているそうだ。ペロシ氏はちょっと前に飲酒運転で捕まっているので、私はもしかしてデぺパはペロシ氏の麻薬売人なのではないかと思っていたのだが、まさか愛人とは、、ベランダへ続く窓ガラスが内側から割られていたことからも、この男が外から侵入したのではないことは推測できたが、やっぱりそういうことか。


Comment

朝日新聞、米国の過激な子供洗脳教育を取り上げる

本日、日本ではリベラルな朝日新聞が、幼稚園からの性教育は「洗脳」か 二つの正義、米国で深まる文化戦争というタイトルで、米国で起きている子供洗脳教育について取り上げている。課金記事なので途中からは私の概要説明になる。

米イリノイ州ネイパービル=高野遼2022年10月8日 20時00分、高野遼 / Ryo Takano

写真・図版

 シカゴ郊外に住む3児の母、シャノン・アドコックさん(42)は昨年、7歳の娘を私立学校に転校させることを決めた。

 「過激な性教育が、このイリノイ州に

シカゴ郊外に住む3児の母、シャノン・アドコックさん(42)は昨年、7歳の娘を私立学校に転校させることを決めた。

 「過激な性教育が、このイリノイ州に導入されたことが決め手でした。うちの子をそんな学校には行かせられない、と思って」

 「過激な性教育」とは、バイデン大統領も属する民主党が主導し、今年からイリノイ州で法制化されたカリキュラムのことだ。性教育の開始は小学5年生から幼稚園へと前倒しになる。性的少数者(LGBTなど)をめぐる社会的課題について積極的に教え、性別の認識は必ずしも出生時の性別とは一致しないとする「性自認」の考え方についても段階的に学ばせていく。

 「教室にまで左派の政治イデオロギーが侵入してきた。子どもたちが洗脳されてしまうと感じたのです」

 アドコックさんは続ける。「まだ幼い娘が、先生から『あなたの本当の性別は? もしかしたら男の子かもしれないね』と言われ続けたらどうなると思います? そこは親に任せて、学校はきちんと勉強を教えてくれればいい。学校も教育委員会も『ウォーク(woke)』な左派ばかりになってしまいました」

拙ブログでも米国内で人種やLGBT界隈に関する過激な教育が行われているという話はもう何度もしてきた。米国で多くの本が禁書とされたというニュースが日本でも流れ、日本のリベラルはアメリカの右翼保守が一方的に言論弾圧の焚書を行っていると騒いでいたが、そのような報道のなかで、それまで左翼たちがどれほどの歴史的な本や文学を禁書としてきたか、保守派が抗議している本がどのよう内容なのかについて具体的に示したものはない。

米国では幼稚園からとても年齢相応とはいえない性教育を施す学校が増えている。それで最近になってあちこちの学校区の教育委員会会合で父母たちが抗議することが非常に多くなってきた。このシャノン・アドコックさんもそうした草の根運動を始めた中の独り。アキコ・コジマ・ヒビノという女性がツイッターでアドコックさんのことをこのように説明している。

このShannon AdcockはAwake Illinoisという保守団体の創立者です。性教育、ジェンダー平等、Critical Race Theoryなどに反対する運動を展開したり、コロナが特に酷かった頃マスク着用を義務付けた州知事命令に対して訴訟を起こしたりなど、こちらでは何かと物議を醸す人物で、なぜ記事ではそうしたことに一切触れず、あたかもごく一般の母親のように扱っているのか疑問です。

今年に入ってからネイパービル市の諮問委員会Special Events and Community Arts Commissionに指名されかけましたが、市民からの多くの反対を受け撤回されました。

「同じ不安を抱える親たちと新たに設けた」私立学校はAwake Illinoisとの関連が報告されています。現在Adcock氏はネイパービル市の教育委員選挙に立候補しており、全米で教育現場での禁書、教育内容の検閲などが問題になっている中、非常に懸念しています。Aiko Kojima Hibino@aikokojima

ヒビノさんはその文章からイリノイ在住の人なのではないかと思う。どんな運動を始める人でも、最初は一介の市民だ。アドコックさんが保守運動家だからなんだというのだろう?多分ヒビノさんは、アドコックさんの意見はイリノイ州の父母たちの意見を代表しないといいたいのだろうが、イリノイという超リベラルな州では学校によるリベラル教育を支持する市民が多くても不思議ではない。ただ、そんなイリノイ州でさえ、このような保守派運動家が頑張っているということは注目に値する。それにリベラルな父母たちも実際に学校で何が教えられているのかちゃんと知っていたらアドコックさんに同意するのではないだろうか?

さて、朝日の記事によれば、アドコックさんは公立学校での過激な教育を懸念して7歳の娘を自分と同じ意見を持つ他の親たちと協力して新たに私立学校を設け、そこで勉強させることにしたという。

4人の教師と30人ほどの生徒で今年から始めた学校は、キリスト教を教育理念の柱にすえる。「ここでは洗脳の恐れもない。イリノイ州は他の州に比べて学力が低いから、イデオロギーより学力が優先です」と学校長のベスナ・ザバラさん(45)は言う。

さてここから記事はアメリカで起きている文化戦争に焦点をあてる。実はこの「文化戦争」という言葉は何も今に始まったことものではない。確か1990年代から過激派右翼保守のパット・ブキャノンがすでに使っていた言葉だ。

しかし記事によれば、今やその文化戦争が激化しているというのだ。

確かに来る11月の選挙で、左翼リベラルの民主党と右翼保守の共和党が上院・下院の議席をどのくらい取れるかでアメリカの歩む方向性が変わってくる。特に大事なのは地方の州知事選や州議会及び教育委員会といった小さな選挙結果である。上記のアドコックさんのように、最近一般の父母たちが教育委員会の役員に立候補することが多くなっている。なぜなら子供の洗脳は地元教育委員会から始まっているからだ。

同記事では、選挙における争点は妊娠中絶、銃規制、新型コロナ対策及び同性愛や学校きょいくと広域にわたると書かれているが、正直私は最初の三つはあまり争点にならないのではないかと考えている。

主流メディアだけ見ていると一般市民は妊娠中絶や銃規制について、ものすごく興味があるかのような印象を持つが実はそうでもない。今回最高裁がロウ対ウェードの判決を覆した時も、自分らの州でどのような中絶法があるか全く知らない人がほとんどで、最高裁の判決で州の法律がどう変わるかさえ知らないというのが普通だった。

妊娠中絶は賛成派より反対派の方がずっと熱意が高い。だからこの問題を争点にしてしまうと、中絶反対派が大いに士気を上げて選挙に参加してしまう。だが中絶擁護派の若い世代はあまり政治には興味がなく選挙にも参加しない。今まで何度となく妊娠中絶は選挙時に話題になっても選挙真近になると尻つぼみになっていたのはそれが理由だ。

銃規制についてもそうである。銃規制に反対する人々は銃規制法に凄く詳しく、絶対にこれ以上厳しい規制にさせるものかと選挙に及ぶ。しかし銃規制派は地元の銃法すら碌に知らず、すでに銃購入の際には身元調査や待機期間があることすら知らないことが多い。そしてこれも、銃規制賛成派より反対派の方が熱意が高いため、民主党候補者たちはこれを問題にしたくないというのが本音なのだ。

そして新型コロナだが、もうアメリカはコロナ終焉モードで、これ以上規制を継続することは不可能だ。もしも民主党候補者が今後もコロナ対策を厳しくやっていくなどと言い始めたら民主党支持者からも愛想をつかされるだろう。すでにマスクなし、ロックダウンなしの生活に慣れてしまった我々に逆戻りは無理である。

となると残ったのはLGBT及び教育問題だ。

下記は公立学校教育に懸念を持つ人々の党派別調査の結果。

写真・図版

民主党が力のある州では人種や性別に関する授業内容が極端に増えているが、それに反発しているのが共和党が知事である州である。例えばフロリダでは、小学校3年生まではジェンダーに関する授業はしないこと、親に黙って子供の性指向について語ることを禁止する法律が通った。同記事にはないが、リベラル色が強いバージニア州では、前回の選挙で教育現場で批判的人種理論や過激な性教育は止めさせると公約した知事が当選した。また先日オクラホマ州知事が未成年のトランスジェンダー治療を違法にしている。

つまり知事や議会が民主党か共和党かで州内のLGBT方針は極端に変わるので、それに関して懸念している父母は誰に投票するか非常な注意を払う必要がある。

写真・図版

 大都市シカゴなどで民主党の影響力が強いイリノイ州では、11月の中間選挙で、教育の急進的改革を進めてきた民主党のプリツカー知事が再選を目指す。対抗するのは、トランプ前大統領の推薦を受けた共和党のベイリー候補だ。

 朝日新聞の取材に応じたベイリー氏は、民主党の教育政策について「非アメリカ的だ」と批判した。「算数や歴史などの基礎をおろそかにして、幼稚園から性教育を進めている。共和党の声は無視し、民主党の多数意見だけで決めたウォークなカリキュラムだ」

ところでこの記事を書いた高野亮記者は実際にトランプ支持者がなぜ左派を嫌うのか取材した。これまで左翼リベラルの記事を翻訳した焼き直し記事ばかり紹介してきた朝日新聞の記者としては珍しく、自分の足で取材に向かったことは特筆の価値ありだ。ジャーナリストなのだから当たり前の行為ではあるが。

ペンシルベニアのトランプ集会に出かけた高野記者は開演数時間前から長蛇の列を作っている支持者たちがほぼ白人だらけだと観察する。そのなかでLGBTというTシャツを着た男性を発見。

シャツにはLGBTの頭文字をとって「自由(Liberty)、銃(Guns)、聖書(Bible)、トランプ(Trump)」と書かれている。

保守派というのはこういうユーモアのセンスがある人がおおいので好きだな。この冷蔵庫の修理をしているという男性は、自分は別にLGBT差別もしてないしトランスジェンダーも問題にはしていないが、それを8歳の子どもに教えるのはおかしいと思っているだけだと語った。学校は算数や国語を教えるべきであり、LGBTについて教える場所ではないと。

高野記者の記事を読んでいると、彼はどちらかというとリベラル寄りだろうとは感じられるが、公平に右翼保守達の意見も聴こうとしている姿勢がうかがわれる。そして実際にトランプ支持者と話をして、彼らが自分らの文化の存亡が危ういと危惧している気持ちをかなり理解したようだ。そして彼は最後にこう締めくくる。

 米国で広がる文化戦争は、地域や学歴、社会階層によって隔てられた「二つの米国」の断絶をより深めている。学校での性教育のあり方はその一例にすぎない。

この記事は朝日新聞とは思えないほど公平な記事なので早くもリベラルたちが発狂している。 

こちら前述のヒビノさんたちの会話。

===============

山口智美@yamtom

保守的な州でまともに性教育を受ける機会がなかったという学生が私の大学にはたくさんいるけど、そのことに対して学生たちがどれだけ憤りを感じているか。そういう保守的な州での現状や今後に怒りや危機感を持っている人たちのこともこの特集は取り上げてくれるのだろうか。

ヒビノ:

智美さんのツイートを見るまでこの記事を読んでいなかったので、初め目を疑いました。来年春の教育委員選挙に向けて彼女がキャンペーンを立ち上げたタイミングですので、日本語メディアとはいえ、政治的な影響・意図も考えてしまい、なおさら憤っています。

山口

地元からの情報助かります。元記事を書いた記者に彼女はツイートまで送ってますね。なぜ朝日はこんなひどい記事を出したのか、記者本人はもとより、デスクなどの責任も問われる事態なのではないかと思います。

ヒビノ:

同感です。先程添付した記事にありましたように、こうした保守的、反LGBTQ候補に対抗しinclusionとequityを重視する候補を擁立しようという動きに多くの知人が関わっています。できれば訂正というか、きちんと取材しなおした記事を出して欲しいと思います

===================

高野記者の記事のなかでアドコックさんが教育委員会委員に立候補したことや、マスク反対運動に参加したことなどは加えられてしかるべきだろうが、これまでリベラル派だけの意見しか反映されなかった朝日新聞で、保守派の意見を自分で取材したということはそれなりに意味のあることだと思う。それにしてもいったいヒビノさんは朝日新聞に何を訂正しろというのだろうか?


View comments (5)

リトルマーメイドや白雪姫など白人キャラを非白人が演じることへのバックラッシュは人種差別なのか?

先週末、ディズニーは1989年に公開された「リトルマーメイド」の実写版の短い予告を公開した。そこではじめて主役のアリエルを演じる黒人女優のハリー・ベイリーの姿と短い歌声が紹介された。するとほんの2~3日の間に不評数1.5百万という前代未聞の評価が集まるという驚くべき事態が生じた。私もハリー・ベイリーの配役には懐疑心を抱いていたとはいうものの、ここまでの不評は予測していなかった。これは大不評のアマゾンのLOTRを凌ぐ不評である。

ハリー・ベイリーがアリエルを演じることになったということは、もう一年以上前に発表があったので別に今更主役が黒人だということに驚いた人は居ないはず。では何故人々はこんなにも否定的な反応を示しているのだろうか?

私はこれは最近続いた白人役を非白人が演じるという過剰なポリコレ傾向への反発の表れではないかと考える。

二週間前に指輪物語三部作の前編としてアマゾンが公開したリングスオブパワー(指輪の力)がファンの間で非常に不評であるという話はしたが、アマゾン側はこの不評はひとえにエルフを含め数人の黒人俳優の起用への人種差別だとトールキンファンを責めた。一週間前に公開されたピノキオの実写版が非常な不評であることも、有名な青の妖精に丸坊主の黒人女優を起用したことへの人種差別だとディズニー側は視聴者を攻撃した。そして今はまだ制作中のディズニーの「白雪姫」実写版の主役を白人ではないラテン系の女優が演じるという話も加え、それに対する批判もすべて人種差別のせいにするつもりのようだ。

こうした背景のあるなか、リトルマーメイドの予告はポリコレ迎合に嫌気がさした視聴者の恰好の攻撃対象となってしまったのだ。もしこれが他の作品でも同じことが起きていただろう。若いハリー・ベイリーはそのはざまに立たされてはた迷惑も甚だしいといったところだろう。もしポリコレ批判が彼女への個人的な攻撃になってしまったなら、私は彼女に心から同情する。

しかし視聴者の不満は黒人やラテン系が主役を演じるということにあるのではない。視聴者の不満は、なぜ長年親しまれてきたキャラクターのイメージを故意に破壊するような配役をするのかという点にあるのだ。しかもこうした批判が人種差別だとされるのは白人役を非白人が演じる時だけだ。

たとえば2年前に公開されたアラジンの実写版で主役のジャスミン姫を演じたインド系の女優が半分白人であったというだけで、彼女の色が白すぎると左翼リベラルから批判されたことを「人種差別」だとディズニー側は責めたりしなかった。人種に拘るなら彼女が半分白人だということよりも、アラジンはアラブ王国の設定だから配役はインド系ではおかしいはずだという批判であるべき。他の俳優たちも全員アラブ系であるべきなのに、俳優たちが白人ではないというだけで他人種の配役に納得した左翼たちの人種差別ぶりには呆れる。

批判的人種論(CRT)などといって、学校では白人は生まれながらにして罪深い人種であり、白人こそが悪の根源と教えられている若者が、自分らが大切にしてきた白人キャラのイメージすら黒人に取って代わられることを考えたら、いったい我々の文化とは何なのだという気持ちになったとしても不思議はない。

視聴者たちは黒人が主役であることが気に食わない訳ではない。何十年も前から、エディー・マーフィーやデンゼル・ワシントンやウェスリー・スナイプやウィル・スミス主演の映画はヒットしている。最近ではオールブラックキャストのファンタジー映画ブラックパンサーが大ヒットした。つまり観客は主役が黒人だから嫌なのではなく、もともと人々が愛し親しんで来たキャラクターのイメージをポリコレを満たすためだけに壊して欲しくないという気持ちを訴えているに過ぎない。

マット・ウォルシも言っていたが、今後映画やテレビで俳優の人種は無視して誰が何を演じてもいいということにするならそれはそれでいい。だがもしそうなら、黒人役を白人が演じても絶対に文句を言わないでほしい。白人役を黒人が演じることに苦情を言うのが人種差別だというなら、黒人役を白人がやっても一切苦情を言わないでほしい。

だが、絶対にそんなことにならないのは我々は良く知っている。だからこそ、1.5百万の不評などという事態が生じるのだ。


View comments (2)

トールキンファンには白人至上主義者が多い?不作作品を棚に上げて批評するファンを徹底的に侮辱するアマプラとメディア

いつまでもアマゾンプライム制作の指輪物語のリングスオブパワーについて話をするのは心苦しいのだが、制作側とメディアによるトールキンファン叩きがあまりにも凄まじく理不尽なのものなので、どうしても何か書いておかないと気が収まらない。

本日見つけたこのサロンの記事などは、“Rings of Power” gets casting backlash, but Tolkien’s work has always attracted white supremacists、ヘレン・ヤング著「トールキン作品は常に白人至上主義者を惹きつける」という内容だ。もういい加減にしろ!と言いたい。

今年の2月に出演者が発表され、そのなかに黒人俳優が混ざっているという話が出て以来、トールキンの熱烈なファンから作品がWOKE(お目覚め主義・ポリコレ)すぎるという批判が上がったが、これは現状の正しい見方ではないとヤングは書く。

ヤングは黒人俳優への差別的なコメントや、レビューバミング(批判的な批評を大量に投稿すること)などをみていると、単にトールキンの世界観に関する意見の違いとは思えないというのである。

まず、このお目覚め主義への批判だが、これはファンが始めたものではなく、アマゾンプライム自身が始めたことなのだ。制作側は作品が発表される何か月も前から、いかに自分らがポリコレのメッセージに力を入れて作品を作ったか、いかに配役が多様であるかという宣伝を執拗に行った。黒人女優や俳優たちが、色々なプロモーションでことあるごとに「多様性が~」「革新的な~」と繰り返し、作品の内容について何一つ説明がなかったのである。これではファンとしてはお目覚め主義はいいが、肝心の作品はどうなっているんだと批判する以外に仕方なかった。

しかし作品が公開されてからは、お目覚め主義への批判はほぼなくなり、登場人物の人種に関する批判も激減した。なぜなら作品の問題点はそんな表面的なものではなく、もっと根本的なところにあることにファンたちは気づいたからである。

アマゾンプライムのコメント欄には、いかにこの作品がトールキンの世界を無視しているか、登場人物に魅力がないか、話の辻褄があわないか、ペースが遅すぎて退屈するとかいった批判が大半を占めたのだが、アマプラ側はこうした批判的なコメントを一時的に隠蔽し一般には見えなくしてしまった。そして黒人俳優への人種差別的な脅迫が多数あったと言い掛かりをつけはじめたのだ。

私がこの差別的な脅迫などというものが起きていないと考える理由は、もしそれが本当なら「こんなコメントが来ています」といってどんど公表したらいいようなものなのに、その一通の例も公表されていないからだ。

ヤングは「トールキン研究者のクレイグ・フランソンによると」としてこの問題を右翼活動家が悪用してファシストのトーキングポイントを主流メディアに注入し始めたという。そして、右翼活動家たちはこの作品に批判的なファンを焚きつけて大がかりな憎悪に満ちた動きを扇動しているというのである。

なんというバカバカしい発想だろう。

The Lord of the Rings: Rings of Power

ヤングは1970年代や2000年に一部の取るに足りない白人至上主義者たちがトールキン作品を褒称したことを例にあげて、トールキンには白人至上主義を惹きつける傾向があるなどとくだらない持論を述べている。それをいうならその何千倍もの一般ファンたちの存在はどうなるのだ?どんな作品でもおかしな輩を惹きつけないものはないだろう。世界各地で何十年もベストセラーになっているトールキンの作品ならなおさらである。そんなことは何の証明にもならない。

もっともヤングは右翼保守は全員人種差別者だという固定観念で話をしているから、そういうおかしな理屈になるのだ。

ヤングは何故人種差別者は中つ国がそんなに好きなのかという理由について、トールキンがナチスやアパルトヘイトを批判する手紙の中で書いた一部分で、トールキンはある種の人は他の種よりも優れていると書いており、それは人種差別思想だという。しかしトールキンが劣っているとする種族とはナチスやアパルトヘイトの南アフリカの白人層だ。トールキンはイギリスという国がヨーロッパにもたらした良い影響について語っていたのであり、人種の話をしていたのではない。

しかしヤングは中つ国は階級社会であり人種差別の世界だと主張する。トールキンの人種差別思想は空想の生き物エルフと人間に現れているとし、明かにエルフが最上でドワーフやホビットは下層階級だというわけだ。この階級社会の差別主義に現社会の人種差別者が魅かれるのだという理屈である。

あほらしい。

ヤングがトールキンの社会が階級社会で人種差別に満ちたものだと考えているのは、彼女がきちんと作品を読んでない証拠だ。

確かに中つ国は階級社会である。エルフ社会も人間社会もどれもこれも王国であり、民主主義の国などない。考えてみればどんな王国にも属していないのはホビットだけだ。しかし、トールキンが人種差別者であったなら、指輪をモードアに返しに行くフェローシップはどのように説明するのだ?

一つの指輪を破壊する使命を帯びたホビットのフロドに、ホビットのサム、メリー、ピピンのみならず、エルフのレゴラス王子、ドワーフのギムリ、人間のアラゴンとボロミアが団結して結成されたのが指輪の仲間たちフェローシップである。エルフとドワーフは過去に戦争もしている宿敵である。彼らが協力して任務に及ぶのは非常に難しいことだったはず。人間同士でもアラゴンとの主従関係に不満を持つボロミアの反感がある。しかしこれらの種族がそれぞれの違いを乗り越えて任務におよんだのだ。これこそ種族を超えた多様性ではないか?

そして忘れてはならないのは、エルフも魔法使いも人間もドワーフも勝てなかった指輪の誘惑に、唯一打ち勝って指輪破壊に成功したのは一番軟弱だと思われていたホビットではないか!

もしトールキンが白人至上主義者なら、すべての功績をエルフにやらせることもできたはずだ。しかしトールキンはエルフをそれほど良い光にばかり照らしていない。エルフの間でも戦争は起きているし、悪に染まったオークは元はと言えばエルフであり、エルフが腐敗してオークになったのだ。だからエルフは決して崇高な存在ではないのだ。それに指輪物語の最後にはエルフ達は中つ国を捨てて去っていくではないか。

そして指輪物語の最後の8章と9章は、ピーター・ジャクソンの映画では描かれていないが、ホビット荘に帰還したメリーとピピンが留守中にサルマンの支配下に陥っていたホビット荘を、ホビット達と一緒に戦って取り戻すというものだ。つまり、指輪物語の最後はホビット達が他人に頼らずに独立して自由を取り戻すことで終っているのである。

ヤングはトールキンがサウロンの影響下に落ちた人間たちの種族を、アラブ系や東洋系のような描写をしているというが、トールキンはイギリスの神話を作り上げようとしていたのであり、遠方の外国にいる敵を味方の種族とは違う人種として表現したとしても、それは直接人種差別と解釈すべきではない。それは桃太郎の青鬼や赤鬼の描写が人種差別だと言っているのと同じくらいバカげた理屈だ。

トールキンの作品が保守派の間で人気があるのは、彼が白人至上主義だったからでも、人種差別者だったからでもない。トールキンは敬虔なキリスト教徒であり、その思想が作品のあちこちで現れており、宗教意識の強い保守派の心に通じるものがあるからなのだ。

ヤング及び左翼メディアやアマプラ製作者たちが、それを理解せずにトールキン自身まで白人至上主義者に仕立て上げ、トールキンファンを徹底的に侮辱し続ける行為は愚かとしか言いようがない。トールキンファンはアマプラの作品に成功してほしかった。彼らがこよなく愛するトールキンの世界をその精神にのっとって再現してほしかったのだ。

しかしアマプラ製作者たちの目的は最初から良い作品を作ることにはなく、自分らの左翼お目覚め主義思想を視聴者の喉に押し込むことにあった。最初からファンには受け入れられないだろうと知っていたからこそ、わざわざ黒人俳優を起用して、作品への正当な批判を人種差別だとして反撃するつもりだったのだろう。しかし予想以上に猛烈なファンからの批評に振り上げたこぶしが下せなくなっているのだ。

ところで、制作側のこの作戦で一体誰が得をするのだろうか?熱烈なトールキンファンはもう嫌気がさしてシリーズを観ないだろう。トールキンを知らない他のファンタジーファンたちは、こんなつまらない番組よりハウスオブドラゴンを見るだろう。(現にそっちの方が人気がある)

残るのはお目覚め主義の左翼ファンか、ファンタジーなら一応何でも観るというもの好きな人々だけ。それがこれだけの予算をかけてやる正しい番組作りと言えるのだろうか?

不思議である。


Comment