今朝、ハワイの地方新聞Honolulu Advertiserを読んでいたら、ハワイ出身の陸軍兵が犯したとされるイラク市民殺人事件について、この兵士が意図的にイラク人を殺したと言う証拠はないとして、裁判をしない推薦がされたという記事が載っていた。この事件は逮捕して武装解除されたイラク市民を上官の命令で部下が銃殺したという容疑だったが、部下は殺すのが嫌でわざとはずして撃ったと証言していた。すでに捕らえて直接危険でない人間を殺すのは戦闘規制に反する行為ではあるが、果たしてこれが犯罪といえるのかどうかその時の状況によって判断は非常に難しい。正直いって、アフガニスタンやイラクの戦争では、少しでも怪しい状況があるとすぐに兵士を逮捕して取り調べると言う事件があまりにも多すぎる。兵士らは当たり前の戦闘行為をしているのに、いちいち自分らの行動が犯罪としてみなされるかどうか心配しながら戦争をしなければならないのだからたまらない。
たとえばこの状況を読者の皆さんはどう判断されるだろう。アフガニスタンの山奥にテロリストのアジトがあるので偵察に行って来いと命令を受けた海軍特別部隊シール4人が、偵察中に羊飼いの村人三人に出くわした。戦闘規制では非武装の非戦闘員を攻撃してはいけないということになっているが、彼らの顔つきから明らかにアメリカ人を憎んでいる様子。シールの4人はこの三人を殺すべきか開放すべきか悩んだ。開放すれば、中間達に自分らの任務を知られ待ち伏せされる可能性が多いにある。かといって、キリスト教徒としてまだあどけない顔の少年を含む一般市民を殺すのは気が引ける。第一タリバンかどうかもわからない市民をやたらに殺したりすれば、殺人犯として帰国してから裁判にかけられる可能性は大きい。シールたちはどうすればよかったのだろうか?
結論から言わせてもらうと、シールたちは殺すという意見が一人で、もう一人はどっちでもいい、他の二人が殺さずに開放するという意見で羊飼いたちは開放された。そしてその二時間後、シール4人は200人からのタリバン戦闘員たちに待ち伏せされたにもかかわらず敵側を100人近くも殺した。しかしいくら何でもたった4人で200人の敵にはかなわない。大激戦の末、味方側の三人が戦死、一人が瀕死の重傷を負って逃げた。この生き残った一人は、羊飼い達を解放すると決めたひとりだったが、あとになって「どんな戦略でも、偵察員が発見された場合には目撃者を殺すのが当たり前だ。それを戦闘規制(ROE)を恐れて三人を開放したことは私の生涯で一番の失態だった」と語っている。無論そのおかげで彼は自分の同胞三人を殺されてしまったのだから、その悔しさは計り知れない。
上記は2005年アフガニスタンで同胞3人をタリバンとの激戦で失い、救援に駆けつけたチームメンバーたちの乗ったヘリコプターをタリバンのロケット弾に撃ち落され全員死亡。ひとり生き残ったシール、マーカス・ラテレルの身に起きた実話だ。彼の体験談はLoan Survivorという本につづられている。
私は理不尽なROEがどれだけアフガニスタンにいる特別部隊やイラクの戦士たちの任務の妨げになっているか以前から書いてきたが、それが実際に十何人というアメリカ軍でもエリート中のエリートを殺す結果になったと知り、改めて怒りで血が煮えたぎる思いである。
実は先日、私はCBSテレビの60ミニッツという番組で、アフガニスタンにおけるNATO軍の空爆についての特集を観た。詳細はカカシの英語版のブログbiglizards.net/blogで数日前に書いたのだが、関連があるのでここでも紹介しておこう。
この番組では司会者のスコット・ペリーはアフガスタンではタリバンによって殺された一般市民の数と同じかそれ以上の数の市民がNATO軍の空爆の巻き添えになって殺されていると語った。いや、ペリーはさらにNATO軍(特にアメリカ軍)は敵側戦闘員が居る居ないの確認もせずにやたらに市民を攻撃しているとさえ言っているのである。
ペリーが現地取材をしたとするアフガニスタンからの映像では、明らかに爆撃をうけて破壊された村の一部を歩きながら、ペリーは女子供や老人を含む親子四代に渡る家族がアメリカ軍の空爆で殺され、ムジーブという男の子だけが生き残ったと、お涙頂戴風の臭い演技をしながら語った。確かにアメリカ軍が意味もなく一般市民の家を破壊して四世代の非戦闘員を殺したとしたらこれは問題だ。だがこういう話にはよくあることだが、本当はもっと複雑な背景がある。
実際破壊された家の家主で、生き残った少年の父親は地元タリバンのリーダーで、アメリカ軍がずっと捜し求めているお尋ねものである。空爆時には家にはいなかったが、家主がタリバンのリーダーということは部族社会のアフガニスタンでは家族も必然的にタリバンである。そんな家が建っている村は必然的にタリバンの村なのであり、村人はすべてタリバンだと解釈するのが妥当だ。しかも、アメリカ軍がこの村を空爆した理由はその直前に丘の上にあるアメリカ軍基地にロケット弾が数発打ち込まれ、激しい打ち合いの末、ライフル銃をもったタリバンがこの村へ逃げ込むのが目撃されたからなのである。ペリーはこの状況をこう語る。
時間は夜でした。アメリカ軍は地上で敵との接触はなかったにもかかわらず、モーター攻撃の後に空爆援助を呼ぶ決断をしました。アメリカ空軍の飛行機はこの近所にひとつ2000ポンドの重量のある二つの爆弾を落としました。(瓦礫の中を歩きながら)これが一トンの高性能爆発物が当たった泥つくりの家の跡です。爆弾は標的に当たりました。しかし煙が去った後、ライフルをもった男達の姿はありませんでした。いたのはムジーブの家族だけです。
敵と地上での接触がないもなにも、この村の付近からアメリカ基地はロケット弾を撃たれているのである。しかもライフル銃をもった男達がタリバンのリーダーが住んでいる村へ逃げ込んだのだ。アメリカ軍はこの状況をどう判断すべきだったとペリーは言うのだ?第一、破壊さえた家でライフルをもった男達が発見されなかったという情報をペリーは誰から受け取ったのだ?もしかしたら自分らはタリバンではないと言い張っている村でインタビューをしたタリバンの男達からか?
だいたいアフガニスタンの村でライフルを持っていない家など存在しない。だからといって彼らが皆テロリストだとは言わない。強盗や盗賊に襲われても警察など呼べない山奥の部族たちは自分らの手で自分らをまもらなければならない。ソ連軍が残していったカラシニコフ(AKライフル)がいくらでも有り余ってるアフガニスタンだ、一般人がライフルをもっていても不思議でもなんでもない。もしタリバンのリーダーの家でライフルが一丁も発見されなかったとしたら、それこそおかしいと思うべきだ。
このアフガニスタン人たちは、他の市民と同じようにアメリカが支援している政府を支持するかどうか迷っています。私たちは怒りは予想していましたが、これには驚きました。
ペリー:(村人の一人に)あなたはまさかソビエトの方がアメリカよりも親切だなどというのではないでしょうね?
村人:私たちは以前はロシア人をアメリカ人よりも嫌っていました。でもこういうことを多くみせつけられると、ロシア人のほうがアメリカ人よりよっぽど行儀がよかったと言えます。
タリバンがロシア人よりアメリカ人を嫌うのは当たり前だ。すくなくともタリバンはロシア人を追い出したが、アメリカ人はタリバンを追い詰めているのだから。
マーカスの本にも書かれているが、タリバンやアルカエダの奴らは西側のボケナスメディアをどう利用すればいいかちゃんと心得ている。イラクでアメリカ軍に取り押さえられたテロリストたちは、アメリカ兵に拷問されただのなんだのと騒ぎたて、アルジェジーラがそれを報道すれば、西側メディアはそれに飛びついてアメリカ軍やブッシュ大統領を攻め立てる。テロリストたちは自分らの苦情を聞き入れたアメリカ軍がアメリカ兵を処罰するのを腹を抱えて笑ってみていることだろう。「なんてこっけいな奴らなんだ、敵を殺してる味方の戦士を罰するなんて、間抜けすぎてみてらんねえや。」ってなもんである。
だからこのタリバンの奴らも取材に来たアメリカの記者団を丁重に扱い、何の罪もない善良な村人に扮してCBSの馬鹿記者の聞きたがる作り話をしているにすぎない。それも知らずにペリーのアホは村人が自分らはタリバンではない、ただの平和を愛する羊飼いだと言っているのを鵜呑みにし、村人がソビエトよりアメリカが嫌いだという証言に衝撃を受けたなどと、とぼけたことをいっているのだ。
私はこういうアメリカのボケナス記者どもに一度でいいからアメリカの部隊に従軍でもして実際に敵と面と向かってみろと言いたいね。殺さなければ殺されるかもしれない状況でとっさに自分らの目の前に居る人間が敵か味方か判断できるかどうか、自分で体験してみろ!それができないんなら黙ってろ!お前らのいい加減で無責任な報道がどれだけのアメリカ兵を殺す結果になるとおもってるんだ!
マーカスの体験談を読むに付け、私はこういう無知蒙昧なリポーターをぶん殴ってやりたい思いでいっぱいになった。