本日は昨日観た「ロンドンに奇跡を起こした男」を紹介したいと思う。原題は”A man who invented Christmas.” 実はこの映画アメリカでは去年のクリスマスに公開になっており、私とミスター苺と友達の三人で映画館でみたのだが、今年のクリスマスシーズンに是非また観たいと思ってミスター苺にDVDを注文してもらった。それで昨日二回目の鑑賞となったわけ。
そしたら日本での公開は今年の11月末だったということなので、感想を書くのにはちょうどいいタイミングだ。
映画のテーマはかの有名なイギリスの作家チャールズ・ディケンズがどのようにしてクリスマスカロルを書くに至ったかという話だ。添付した予告は日本語吹き替え版。
私がクリスマスカロルを読んだのは中学一年生の時。実はその内容については全く知らずに文庫本を買い、読みだしたら止まらなくなり一気に読んでしまった。この映画を観る前提としてクリスマスカロルを読むか、いくつかある名作映画の一つでも観ておくとより楽しみが増す。一応クリスマスカロルをご存知ない方のために概要を説明するが、知ってる人は飛ばして次の段落へどうぞ。
クリスマスカロルあらすじ:18世紀のロンドンにスクルージという強欲でケチな金貸しが居た。彼はお金持ちであるにも拘わらず、たった一人いる従業員のボブを低い給料でこき使い、事務所の暖炉にくべる炭すらも節約させていた。たった一人の親戚である甥のフレディが毎年クリスマスに家に招待するが、「クリスマスなどくだらない」と毎年甥っ子を追い払っていた。
そんなスクルージのところへ7年前のクリスマスイブに亡くなったビジネスパートナーのマーリーが幽霊となって現れる。マーリーは生前強欲な人生を送ったおかげで今はあの世で鎖につながれてさまよっていると語る。スクルージが自分と同じ目に会いたくなければ、改心して生き方を変えねばならないと忠告。スクルージはそんな必要はないと拒絶するが、マーリーは今夜続けて三人の幽霊が現れる。そして彼らがスクルージの改心のために導いてくれるので、彼らの言うことをよーく聞くようにと言い残して去っていく。
「馬鹿馬鹿しい、夕飯の消化不良で妄想を見たのだ」そう思って床についたスクルージだが、午前一時の鐘が鳴ると、マーリーが言った通り、一人の輝かしい姿をした幽霊が自分の目の前に現れるのだった、、、以下省略。クリスマスカロルのあらすじ終わり
さて本題の映画だが、1843年の冬、チャールズ・ディケンズ(ダン・スティーブンス)はオリバーツイストやニコラスニコルビーなどの作品の成功で、アメリカ講演ツアーなども行うほどの人気作家になっていたが、その後三作続けて不作が続きスランプに陥っていた。しかも、気前よく慈善事業に寄付したり身分不相応の贅沢をしたりしていたことなどもあり、かなり金銭に困るようになっていた。そのうえ借金ばかりして子供時代のディケンズに散々苦労をかけていた父親のジョン(ジョナサン・プライス)と母親が隠居していた田舎からロンドンに出てきてディケンズの家に居候を始める。すでに子だくさんのディケンズの妻ケイト(モーフィッド・クラーク)は、さらに妊娠していることを告げる。なんとか今年中に新作を発表して成功させなければ破産寸前のディケンズ。そんな彼が思いつくのが強欲な金貸し男のクリスマスの話、、
何故私が最初にクリスマスカロルを知っておいた方がいいと言ったかと言うと、この映画の節々でディケンズがカロルで使ったキャラクターのモデルとなる人々や、小説のなかのセリフが出てくるからである。
例えば冒頭で出てくる鼻持ちならない金持ちとディケンズの会話で、貧乏人への寄付をする必要はないと述べる金持ち男が「(子供専門の)工場や刑務所はないのかね?」とディケンズに問うシーン。「ありますよ、でもあんなところに行くくらいなら死んだ方がいいと思うひとがほとんどです。」と答えるディケンズに「だったら死んで人口過多に還元すればいい。」と金持ちが答えるやりとりは、そのままスクルージと寄付を集めに来た紳士たちとの会話。
他にも、ディケンズはお金があったのに一人寂しく死んで葬式に誰も来ない孤独な男の埋葬を目撃したり、やせこけた子供二人をコートの下から見せて子供を売ろうとしている男に怒りを覚えたり、クリスマスなどくだらないと言いながら通り過ぎる老人を見かけたりする。こうしたシーンは物語のあちこちに登場する。
さて、ディケンズが作家としてどのようなことを小説の参考にするかというのを見るのも面白いが、作家というビジネスがいかに大変かを知るのも興味深い。ディケンズは三作も不作続きだったため出版社からの前借はもう出来ない。そこで親友でマネージャーのジョン・フォスター(ジャスティン・エドワーズ)と個人的に資金繰りをする羽目になる。挿絵作家や印刷工場との交渉も自分たちで行い、クリスマス前の6週間ですべてを完了されなければならないのだ。つまり、完全なる自費出版。これで小説が駄作で売れなかったら完全に破滅。ものすごいプレッシャーである。
さて、映画を観ていて気付くことは、ディケンズの目の前に表れる物語の登場人物たちはディケンズの知り合いや友達や使用人の姿とだぶっていること。スクルージ役のクリストファー・プラマーは映画の最初の頃に「クリスマスなんかくだらん」と言って通り過ぎた老人だし、スクルージの元パートナーのマーリー(ドナルド・サンプラー)は、ディケンズが良く行く紳士クラブの年寄りウエイターだし、クリスマスの過去の幽霊はディケンズの子供たちに幽霊の話をしていた若い女中のサラ(アナ・マーフィー)。そしてクリスマス現在の幽霊は挿絵作家がインスピレーションが沸かないと言った時にモデルに使ったディケンズの親友ジョン。(付けたし:片輪のタイニーティムは姉夫婦の息子がモデル。)
ディケンズは自分が作り出したキャラクター達と話をしながら小説を書いていく。だがだんだんとキャラクターたちがディケンズと議論を始める。ボブの片端(かたわ)の息子ティムが死んでしまうなどとんでもない、とか、スクルージが改心せずに話が終わるのはおかしいとか。
ディケンズは大人になって小説家として成功し、幸せな結婚生活を送っているが、実は子供の頃はいい加減な一発屋の父親の借金のためにワークハウスと言われる劣悪な労働環境の子供ばかりの手工場で奴隷のようにこき使われた過去がある。ディケンズはそのことで少なからず父親のことを恨んでいた。
小説を書くにあたり試行錯誤するディケンズが、キャラクターたちとの交流によって、妻や親友や使用人たち、そして父親との関係も見直すようになっていく過程は心を撃つ。
主役のダン・スティーブンスは他の映画では見たことがなかった。典型的なイギリス人俳優という演技だが、結構三枚目的なところが、「ジーブス」や「ハウス」などのテレビ番組で有名なヒュー・ローリーと似ている。考えが浮かばずに書斎で大暴れするシーンは面白い。格好悪さを全くきにしない演技が素敵だ。
私が特に気に入ったのは父親役のジョナサン・プライス。彼はミュージカル俳優としても有名だが、お人好しで、親しみも持て、子供たちにはとっても優しいが、経済観念ゼロなため全く頼りにならない父親役をとても同情できる人として演じている。
今年から我が家ではクリスマスシーズンには欠かせない名作映画の一つに加わった。
ちなみに私がお勧めするクリスマスカロルの映画は、ジョージ・C・スコット主演の「スクルージ」。ご参考までにどうぞ。
付けたし:日本語吹き替え版ではスクルージをミュージカルで演じた市村正親がスクルージ役で登場。主役のディケンズは私が大好きな声優小野大輔。二人とも適役!