まるで映画「情婦」みたいな検察側の証人、カイル・リッテンハウスの無罪を証明?

先日ちょっとお話したカイル・リッテンハウス青年の裁判が現在進行中である。カイル君は2020年の8月にウイスコンシン州のケノーシャで起きた暴動で、友人のビジネスを守るためにAR-15ライフル持参で警備にあたっていたが、そのビジネスに火をつけようとした暴徒ら計4人に襲われ、三人に発砲。二人が死亡し一人が重傷を負った。下記はその時の一部が映ったビデオ。

「群衆が発砲者とみられる人を追いかける。男(カイル君)はつまづき転ぶ、そして銃を何発か発砲。あちこちから銃声が聞こえ、発砲者は複数いたという情報と一致する。」

この事件は多々のビデオがすでに拡散されており、ビデオを観る限りは完全なる正当防衛に見えるが、ウイスコンシン検察はカイル君を殺人罪などで起訴。事件当時17歳だったカイル君を大人として裁判にかけ、カイル君は有罪となれば終身刑も免れない罪状に瀕している。

さて、カイル君の裁判が始まって一週間だが、先ずは検察側の証人が呼ばれた。しかし検察側の供述を証明するための証人たちの証言が全然検察側の役に立っていないという不思議なことが起きている。リーガルインサレクションの記事から読んでみる。

まず同記事の著者アンドリュー・ブランカは正当防衛専門の弁護士。ブランカは検察側は最初の二日間でカイルの有罪を証明するような証拠を全く提示していないとし、検察としては悲惨な状況であるとしながら、にもかかわらず三日目はその二日間よりもさらにひどかったと指摘する。

この日の証人は当日カイル君にインタビューしたジャーナリストのリチャード・マックギニスと、元陸軍歩兵軍人のライアン・バルチの二人。著者のブランカは検察側の証人がどのような証言をすべきなのかをまず説明する。

マックギニスとバルチは二人とも検察側の有罪説を強め、弁護側の無罪説を弱める証言をすることが期待されている。この場合、弁護側による正当防衛説を破壊することだ。

カイル・リットンハウスは有罪が証明されるまでは無罪とみなされているため、検察側が疑いの余地なく正当防衛ではなかったと証明する必要があるのである。

しかし検察側はカイル君の正当防衛を全面的に否定する必要はない。弁護側が正当防衛の根拠としている四つの点だけ否定できればいいのだ。この四つの要点はすべてが真実でなければならない。であるからこの四つの要点の一つでも真実ではなかったことが証明されれば、カイル君の正当防衛説は崩壊するのである。

では正当防衛を成立させるための四つの要素とはなにか、そして検察側はそれをどう崩すべきなのかというと、、

無実:検察側はカイル君が攻撃者であったことを証明する。あの晩に最初に暴力行為に及んだのはカイル君のほうだったと証明する。

緊迫性:カイル君が自分を守ろうとしていたとされる攻撃が実際に起きていなかった、もしくは起こる寸前ではなかったことを証明する。

比率性:検察側はカイル君に受けた攻撃は命に係わるような危険性はなかった、カイル君による死を及ぼす反応は過剰であったことを証明する。

適切性:カイル君が自身が真実正当防衛が必要だとは信じていなかった、もしくはこの状況において正当防衛が必要だと考えること自体が非常識であり、適切ではないことを証明する。

検察側がどの要素について否定するにしても、常識ある人が疑いの余地がないほど真実ではないことを証明しなければならない。ブランカによれば、最初の二日間における証人の証言には、この要素を崩すに足るものは全くなかった。しかし三日目はそれよりもっとひどかったと言う。

リチャード・マックギニスはデイリーコーラー誌の記者にビデオを提供しているビデオグラファー。彼の仕事は現場でビデオを撮り、後で記者たちがそれを使って色々分析するのを援助することだ。マックギニスは当日もケノーシャで暴動を追っていたが、彼の取材の対象となっていたのがカイル・リッテンハウスと仲間のライアン・バルチだった。

マックギニスは事件前にカイル君にインタビューをしたりしていたが、特に重要なのはジョセフ・ローゼンバウムがカイル君に撃たれた時に、マックギニスはふたりの至近距離におり事件の一部始終を目撃したということである。この時の模様はマックギニスによっては録画されていないが、監視カメラや警察のヘリコプターカメラでは録画されている。

法廷ではマックギニスが録画した事件前のビデオが何度も放映されたが、どれもこれもカイル君やバルチが誰に対しても親切で、攻撃的な様子は全く映っておらず、二人に攻撃的な態度をしめした黒人数人に遭遇した時も、二人は何も言わずに立ち去り、怪我の手当が必要な人はいないかと人々に呼びかけていた。ブランカはこのビデオで解ることはカイル君が物腰がやわらかく攻撃性などまるでないことで、このビデオが検察側に何の役にたつのか全くわからないと語っている。

検察側がカイル君が危険な男であるとマックギニスに言わせようとしたが、そうだとすれば武装しているカイル君とバルチに密着取材などするわけはないので説得力がない。またカイル君が銃を持ち歩いていたことに対しても、当地ではそういう人を見かけるのは珍しいことではないので、別におかしと思わなかったとマックギニスは証言している。

しばらくしてマックギニスはカイル君とはぐれるのだが、カイル君が消火器を持って走っている姿に出くわす。誰かがダンプスターに放火し、それをガソリンスタンドの方におしているのを見つけたカイル君が消火作業を始めようとカーソースというビジネスの駐車場向けて走っていた。

この時画面にジョセフ・ローゼンバウムとジョシュア・ズィミンスキーの姿が映る。ズィミンスキーはグロックピストルを持っており、この後で空に向かって発砲する。それがローゼンバウムが撃たれるきっかけとなる。

ローゼンバウムは車の影に隠れてカイルを待ち伏せし、カイルに襲い掛かる。この時マックギニスはカイルに追いつこうと後ろから走っていたのだが、ちょうどカイルを追いかけるローゼンバウムの後ろにを走ることになった。そしてカイルとローゼンバウムの後ろにはジョシュア・ジミンスキーが居た。

この時ジミンスキーが空に向けて発砲。後ろから銃声が聞こえたため振り向いたカイルが観たものは、カイルにおそいかかろうとしていたローゼンバウムだった。

マックギニスはこの時の模様を詳細に証言している。ローゼンバウムは全速力で走っていた。カイルは必死に駐車場の端の方に向かって逃げながら「フレンドリー、フレンドリー、フレンドリー」と叫んでいた。しかしローゼンバウムはカイル君の訴えを無視して追いかけた。この時カイルは退きながらローゼンバウムの方を向いた。カイルが持っているライフルはローゼンバウムには見えていたはずだがそれでも彼は怯まなかった。

ローゼンバウムはかがんでカイルに襲い掛かりカイルから銃を取り上げようとした、その時カイルはローゼンバウムに向かって4発発砲。致命傷となった弾はかがみこんだローゼンバウムの背中に当たった。検察側はそれをもってして、カイル君がローゼンバウムを後ろから撃ったとマックギニスに言わせようとしたがマックギニスは頑としてそれを拒んだ。

検察:あなたはローゼンバムさんの真後ろに居たのですね。

マックギニス:リッテンハウスさんが振り返って、ローゼンバウムさんがリッテンハウスさんに飛び掛かってライフルの先の方を掴もうとしたので、すこし位置を変えました。

(略)

検察:あなたは今ここでローゼンバウムさんが何を考えていたか解りませんよね。

マックギニス:発砲があった時ですか?

検察:そうです。いやいつでもいいです。あなたはローゼンバウムさんが何を考えていたか全くわかりませんよね。(略)

マックギニス:ローゼンバウムさんと話したことはありません。そういう意味なら。

検察:ということは、あの時ローゼンバウムさんがなにをしようとしていたのか、あなたの解釈は完全に想像ですよね。

マックギニス:ただ、彼がファックユーと叫んで銃に手をかけようとしたので、、

マックギニスは検察側の証人であるにもかかわらず、検察側はまるで弁護側の証人を尋問するような質問を何度もした。「被告はローゼンバウムさんが転ぶところを撃ったんですね?」「いいぇ、転んだのではなく飛び掛かったのです」という会話が何度か繰り返され、いい加減裁判長が中に割って入った。

リチャード・マックギニス

ライアン・バルチは元陸軍歩兵でカイル君と一緒にカーソースという知人のビジネス警護にあたっていた男性。カイル君は17歳の少年であるのに比べ、彼は元軍人としてアフガニスタンやイラクに出動したこともあり、何万回とARライフルを撃った経験のある男性だ。しかもバルチはライフル射撃競技にも参加しており、常にライフルを使っている。

この人も検察側の証人なのだが、なぜか弁護側に都合のいい証言ばかりしてしまった。

例えば、バルチは防弾チョッキを着てAR-15ライフルとグロックピストルを携帯していたが、彼やカイル君のように武装した民間人が警護に当たっていただけで、前日に起きたような暴動を防ぐことができたと言う。つまりカイル君が銃を持ってケノーシャに居たのは地域のためになったのであり、人殺しのためにカイル君がケノーシャまでやってきたという印象が壊れてしまったのだ。

バルチのカイル君に対する印象も好感度の高いもので、怪我をしている人は誰でも助けようとしていた。ただ、その風貌や年齢から暴徒の攻撃の対象になりやすかったかもしれないと語る。大してローゼンバムに関する印象はというと、彼は常に攻撃的で暴力的な態度を取っていたという。現にデモに参加していた他の人たちから、ローゼンバウムは彼らの仲間ではないと言われたという。

検察側にとって致命的な証言となったのは、バルチがローゼンバウムがバルチとカイル君の二人に迫ってきてバルチに顔をつけんばかりに近づき大声で「今夜また顔を合わせたらぶっ殺してやる!」と叫んだことである。ローゼンバウムがこの脅迫をしたその数分後に、ローゼンバウムはカイル君を全速力で追いかけることになるのだ。カイル君が命の危険を感じたのも無理はないと思わないか?

カイル・リッテンハウス

ライアン・バルチ

ブランカは結論として、三日目の証言で検察側は自分たちの立場を返って弱めてしまったという。四日目のリポートもあるが、特に検察側の説が強くなるような証言は全くなかったそうだ。陪審員に偏見さえなければカイル君は無罪放免になるべきではあるが、この陪審員というのが曲者なのだ。

ま、それに関してはまた新しい情報が入ってくるまで待つとしよう。

今日はこのへんで終わりにしておく。


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映画撮影現場で起きた銃による死亡事故、アンチガンとアファーマティブアクションが原因か?

先月、俳優のアレック・ボールドウィン主演・プロデューサーの映画「ラスト」の撮影セットで、ボールドウィンが発砲した弾に撃たれてシネマトグラファーの女性ハリナ・ハッチンスさん42歳が死亡、監督のジョール・スーザ氏が怪我をするという事故が起きた。

当初の報道ではボールドウィンが撃ったのは小道具の銃ということだったが、後に銃は本物で銃弾が入っていたことが解った。ボールドウィンは助監督から銃を渡され、銃には弾は入っていないと言われたのを信じたという。

ボールドウィンは極左翼で一般市民の銃所持に大反対の立場にある。それで彼自身、銃の扱いかたについて完全に無知だったのかもしれない。しかし、たとえそうであったとしてもプロデューサーとして現場での安全確保は彼にも非常な責任がある。

この事故は、もしも銃を扱ったすべての人がガンセイフティールール(安全に銃を扱う規則)を守っていれば、絶対に起き得ない事故であった。

私は銃取り扱いのプロではないが、自衛のために銃を購入した時、撃ち方と取り扱いの授業を受けた。もうだいぶ昔のことなので色々忘れていることもあるが、この事故について、素人の私でもおかしいと思う点がいくつもある。

第一に、何故映画セットに実弾の入った本物の銃があったのかということ。当初、小道具の銃が使われたと報道されていたが、小道具の銃は弾をうつことは不可能なので話を聞いた時からおかしいと思っていた。映画セットで銃を扱う責任者のことを英語ではArmourerと呼ぶそうだが、ここでは武器担当者と呼ぶ。そのプロのインタビューをいくつか聞いたところ、映画セットで本物の銃が使われることは先ずないとのことなので、何故この映画セットに本物の銃があったのか非常に不思議である。

第二に、よしんば本物の銃が使われることがあったとしても、担当者が銃の安全性を先ず確認すべきであり、銃が完全に安全な状態にあると確認してから俳優に直接渡すのが基本であるのに、担当者がチェックをしなかったのは何故なのか?

第三に、この現場では担当者ではなく、助監督が銃をボールドウィンに渡したという。銃は担当者が直接俳優に渡すべきであり他の人間が扱ってはいけないことになっている。何故銃砲責任者の担当者ではなく助監督が銃をあつかったのか、この時いったい担当者は何をやっていたのだ?

ではここで、銃の安全な扱い方基本四事項をおさらいしよう。

  1. すべての銃に実弾が入っているものとして扱う。たとえ他人が弾は入っていないと保証したとしても必ず自分で確認すること。
  2. 破壊する気のない物体には、決して銃口を向けてはならない。たとえ弾が入っていなくても絶対に銃砲を人や動物やその他の物体に向けてはいけない。
  3. 撃つと決めた標的に狙いが定まるまで引き金に指をかけてはいけない。
  4. 標的とその後ろに何があるかを確かめること。これは射撃をする際にも自衛の際にも大事な注意事項だ。

お分かりのように、ボールドウィンはこの最初の二事項を完全に怠っていたことが解る。彼は常に人々が銃を所持することを反対しているため、きちんと扱わなければ銃がどれほど危険であるかということ知らないのかもしれない。

1.ボールドウィンは最初に助監督から銃を渡された時に弾は入っていない「コールドガン」だと言われたという。たとえそれが本当だとしても、渡されたボールドウィン自身が自分でそれを確かめる責任がある。この映画は西部劇なので渡された銃はリボルバーだろう。リボルバーは弾が入っているかどうかチェックするのは非常に簡単。さっと見て弾が入っていないくても、銃砲に弾が残っている可能性を考えて、一度地面に向かって引き金を引いてみれば確認は出来る。もしもやり方が解らなければ銃を渡した人に見せてもらえばよかったのだ。

2.映画撮影の現場でも直接銃を人に向けることはあり得ない。たとえ相手役を殺す設定になっていたとしも、カメラの角度を調整すれば、実際に相手に向けているように撮ることが出来るからだ。シネマトグラファーがこの銃がたとえコールドガンだと思っていたとしても、自分に向けて撃てなどと言うはずはないので、ボールドウィンは故意に ハッチンス に向けて撃ったとしか思えない。完全にノーノーである。

もしもボールドウィンが1と2のどちらかだけでも守っていたらこの事故は起こらなかったのだということがお分かりいただけたと思う。

このような事件が起きる背景には二つの要素が考えられる。先ずボールドウィン自身がアンタイガンと言ってアメリカの憲法補正案第二条で保証されている一般市民が銃を所持する権利に大反対な活動家であるということ。銃砲所持の権利を信じているプロガンの人たちは、自分らが銃をしょっちゅう扱っているため、銃が人を殺すのではなく人が人を殺すのだということを弁えている。つまり銃は単なる道具であり、使い方次第で危険にもなれば安全にもなる。プロガンはその点を弁えているため銃の取り扱いには非常に神経質になるのだ。

しかし普段から銃は危ない危ないと言っているひとたちに限って、銃取り扱いに無頓着である。机の上に乗ってる銃が突然ひとりでに弾を打つなんてことはあり得ないが、実弾が入っている銃を人に向けたりしたら危ないのは当たり前だ。

第二に、これはアファーマティブアクションが問題だとする人がいる。実はこの映画の武器担当者は25歳のハンナ・グティレズ・リードさん(Hannah Gutierrez-Reed)。実はこの女性、映画はこれで二作目。しかも前作でも予告なしに銃を発砲して主役のニコラス・ケイジが怒ってセットから立ち去るという失態を犯している。

なぜこんな未経験な若い女性が高予算の大型映画で銃砲取り扱いの責任者になれたのか。彼女は父親がベテランの担当者だったというから、コネで雇われた可能性は大きい。だが、それ以上に彼女が女性であるということが決めてになっているようだ。

ハリウッドは最近、ディバーシティといって人種や性別で多様な人たちを配役及びスタッフに起用しなければならないという規則を作った。そのせいで経験も技術も伴わない人たちが、マイノリティー枠で雇われるというアファーマティブアクションが横行しているのである。そうでなければこんな若くて未経験な女性が単にコネがあるというだけで、こんな重要な責任を任せられるはずがない。

私は彼女が若い未経験な女性であることがこの事故が起きる大きな要素となっていると思う。これは完全に私の想像だが、こんなシーンが思い浮かぶ。

監督:(助監督に向かって)おい、銃はどうした、なんでアレックは銃をもってないんだ?

助監督:は、まだ銃のチェックが終わってないんで。

監督:さっさとやれよ、早く持ってこい!

助監督:はい、(ハンナに向かって)おい、なにもたもたやってんだよ、銃のチェックは終わったのかよ。

ハンナ:あ、いえ、その、、

助監督:これいいね、持ってくよ。

ハンナ:あ、それはまだチェックが、、

ハリウッドでは完全に新米。それに若くて女性。監督から命令うけてる助監督には逆らえないという気持ちが働いたとしても不思議ではない。もしもこれがハンナのお父さんのようなベテランなら、

担当者:うるせい、安全チェックが終わるまで待ってろと監督さんに言え。

助監督:これいいね、持ってくよ

担当者 :触るな!俺がいいって言うまで誰にも触らせねえ。それは俺の銃だ。チェックが終わったら俺が直接もっていくから待ってろと監督さんに言ってこい!

てな具合になったはずだ。経験豊富なその道のプロが言うことなら、監督もしぶしぶでも彼の言うことをきいたことだろう。何しろ安全にかかわることだから。しかし、未経験な若い女性の言うことを監督やその他のスタッフが聞いただろうか?いや、ちゃんと言えば聞いたかもしれないが、そこは若い女性、監督に怒鳴られるのが怖くて、ちゃんと言えなかったのかもしれない。

ハリウッドは表向きはどうでも、実はものすごい男尊女卑な社会。だからこそアファーマティブアクションなんてものが必要になったわけだが、それでも女性というだけで無能な人材を大事な部署に就ければ、こういう事故が起きるのは当たり前といえば当たり前である。現にこの現場では安全性が保たれていないとしてスタッフが一時ストライキを起こすという事件も起きていた。

前の職場でも失態をおこし、今回の現場でも色々苦情が出ていた人間を、そのまま雇っていたプロデューサーのボールドウィンにも非常な責任がある。


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白雪姫と人魚姫を黒人女優が演じるのはいいのか?白人が他人種演じた例なんていくらもあるじゃん!

ディズニーは同社のアニメ映画をどんどん実写化して金儲けを企んでいるが、なんかもう焼き直しばっかりでつまらないというのが私の感想。アニメの名作はそのままにしておいて、もっとオリジナルの映画を作ればいいのにと思うがリメイクの方が簡単で金になるという最近のディズニーの姿勢は怠慢すぎる。しかも、最新作の白雪姫と人魚姫のどちらも黒人が演じるという話を聞いて、もうやめてくれよと思った。映画界が「だいばあしてぃ」を重んじるのは解るが、なんでもかんでも有色人種にすればいいってもんじゃないだろう。それでも黒人が主役というオリジナルの作品を作るならまだしも、伝統的に白人キャラクターを無理やり黒人にやらせるのはいい加減やめてほしい。

これに関して、いや、ハリウッド映画では白人が有色人種の役を演じたことなんていくらもあるじゃないか。その時誰も文句など言わなかったのに、黒人が白人の役を演じたら文句をいうのは人種差別だあ!という意見もある。白人が異人種を演じてもいいのに黒人が白人役をやって何が悪い?という理屈はわからんでもないのだが、どうもしっくりこない。

そこで私は白人が異人種を演じた場合のパターンをいくつか考えてみた

1)白人がメイクなどで異人種に見えるようにして演じる場合

かなり古いところになるとワーナー・オランドによる中国人名探偵チャーリー・チャン(1940年代)、ジョン・ウエインのモンゴル人のジンギスカンやマーロン・ブランドやミッキー・ルーニーによる日本人役(1950年代)などがある。

古い映画だと、メイクアップの技術があまりよくないせいもあり、白人俳優はどうみてもその役柄の人種には見えない。なぜその人種の役者を起用しなかったのかといえば、単純に当時のハリウッドで少数民族で観客を惹きつけるだけの大物俳優は存在しなかったからだ。今と違って当時の社会はかなり人種差別がひどかったから、白人俳優でもイタリア出身だったりすると名前をイギリス風に変えたりしていたくらいだ。観客も大物俳優が出ていれば、その役柄が中国人だろうがモンゴル人だろうが大して気にはしていなかったのだろう。

もう少し後になると、イギリスの名優ピーター・セラーズ(1960年代)やアレック・ギネスがインド人を演じた(1980年代)こともあった。この二人の場合はメイクが物凄くよくて、特にギネスの場合、私は本当にインド人が演じていると思うくらいだった。二人とも演技が非常にうまいため、全く違和感を持たなかった。

2)有色人種のキャラクターが白人に書き換えられている場合

一番普通に起きるのは、キャラクターの人種は特に話に影響しないため、アメリカ観客に合わせてキャラクターの人種を台本の段階で書き換えるという場合だ。最近だとゴーストインザシェルのスカーレット・ジョンソンなどがこれにあたる。

この場合、主役が何人であろうと映画の筋に特に問題はないので、白人人気俳優を起用したい場合には理解出来るやり方だ。これがもしラストサムライに出てくる主要人物が全員白人とかだったらかなり問題だが。

白人が異人種を演じても問題なかったのか?

まず上記の1)のパターンはずっと昔の話だ。当時の観客が苦情を述べなかったから誰も違和感を持っていなかったのかと言えば多分そんなことはないだろう。特に中国系アメリカ人はこれらの映画をみて「ありゃどうみても中国人じゃないっしょ、あんなアクセントあり得ないし」とか思っていたことだろう。しかし、少なくともチャーリー・チャンの場合はチャーリー自身は白人男優だったが、彼の息子や娘役は東洋系俳優が演じていた。当時の映画で東洋系俳優が主要な役でハリウッド映画に出演すること自体が珍しかったので、あれはあれでかなり画期的なことだった。

それに、今もしこれらの映画を作ったとしたら、これらの役に東洋系俳優が起用されることは先ず間違いない。東洋人を実際に見たことのない人がほとんどだった当時のアメリカと、ごく普通に東洋人に接するようになった現代のアメリカとではまるで事情が違うからだ。

2)のパターンは、原作のキャラクターの人種が異人種でも映画のキャラクターは白人なので全く問題はない。

伝統をわざと破壊する配役

では何故白雪姫や人魚姫を異人種が演じることに違和感を覚えるのかというと、これらのキャラクターは何百年も世界的に親しまれてきたキャラクターであり、ディズニーによるオリジナルアニメ映画の成功により、多くの観客の頭のなかにこれらのお姫様たちのイメージが完全に出来上がってしまっているからだ。

ディズニーランドに行ってみれば、それぞれのキャラを演じるキャストさんたちも、アニメのイメージそっくりの人たちばかりである。東京ディズニーランドでも上海ディズニーランドでもキャストさんんたちはみなそれぞれのキャラクターに沿った人種の人が演じている。よしんば黒人キャストが白雪姫やアリエルの恰好をしたとしても、子供たちは絶対に彼女たちをそれぞれのお姫様たちとして受け入れることは出来ないだろう。

問題なのはこれらの役柄を黒人俳優が演じているということではなく、長年にわたって人々に親しまれてきたキャラクターのイメージをわざわざ破壊するような配役をしているということにある。もしもこれが全く新しいおとぎ話で、主役がどんな人なのか人々の頭のなかでイメージされていないキャラクターなら誰が演じようとかまわない。

聞いた話によると人魚姫のほうは元のデンマークではなく、キャラビアンを舞台にするらしいので、オリジナルアニメのイメージを完全に捨てて新しい映画として観る分には大丈夫かもしれない。だが白雪姫に限ってはお断りする。色が白くない白雪姫なんてありえないからだ。ついでに小人たちはNBAの選手たちにでも演じてもらえばいい。


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破局を迎えたハリウッドと中共のロマンス

本日中国に関するすごく興味深い記事を見つけた。それがこちらIs the China-Hollywood Romance Officially Over? – The Hollywood Reporter。なんとこれまであんなに中国共産党に迎合していたハリウッド映画界の中国離れが始まっているという記事。

この記事には書かれていないのだが、ちょっと前ハリウッドの映画俳優でプロレスのスターでもあるジョン・セナという男性が自分のインスタグラムで非常に屈辱的な謝罪動画を挙げたことは以前にも紹介した。ことの発端はセナがファスト&フィアリアスの第九段目の宣伝をしている際に、台湾が世界で最初に映画が公開になる国だと言ってしまい、それに中国が激怒したためセナが長年勉強していた北京語で謝罪を行ったのだ。しかしこの謝罪は無駄だった。F&Fの新映画は中国での興行成績は非常に悪かった。このことが示すのは、今時中国政府に迎合してみても、ハリウッド映画が中国でうまくいくという保証は全くないということだ。

この記事の冒頭で中国生まれでロンドンやアメリカで教育を受け、今はカリフォルニアに在住の中国人監督の話が載っている。この女性監督の名前はChloé Zhao赵婷、ノーマッドランドという映画で93回目オスカーで最優秀監督賞を受賞した人だ。Zhaoは昔のインタビューでこの映画は自分が中国に居た頃に窮屈な中国から逃れたいと思っていた時の気持ちを題材にしたと話していたが、ディズニーはその発言が中国共産党の怒りに触れるのではないかと昔のインタビュー記事からその部分を削除したが、元々の記事のアーカイブを発見した中国人五毛団によって暴露され、ノーマッドランドの中国公開に多大なる支障を来した。五毛達は諸外国で活躍する中国出身者の身元を洗いざらい調べることに余念がなく、すこしでも中国共産党に批判的な発言をした人間は叩きまくるのである。

中国にこれだけ媚びて来たにも拘わらず、中国市場は非常に気まぐれで、ちょっと気に入らないと大騒ぎ。これまでの努力など全く考慮にいれてくれない。こんな中国の我がままにハリウッドも最近付き合い切れないと思いだしたようだ。

私がよく見てる中国関係ユーチューバーの妙法さんは以前から、中国の莫大な購買力を狙って中国で商売を始めようとする企業は必ず中国企業との合同経営を強制されるが、最初のうちは結構優遇される外国企業も、しばらくすると中国側パートナーに技術をそっくりそのまま奪われたかと思うと、競争相手の企業が現れ市場をそっくりそのまま奪われて、結局自分たちは何の儲けもないまま撤退を余儀なくされる、という話を何度もしていた。

ハリウッド映画界もどうやら今やそういう状況にあるらしいのだ。

合衆国の映画界がCOVID-19蔓延から脱出しつつある中、トランプ政権の貿易戦争による影響も伴ってハリウッドと中国の関係は岐路に立たされている。中国のマルティプレックス劇場におけるアメリカの市場占有率は下降に向かっている。(病気蔓延前の2019年の中国におけるハリウッドの収益は前年度より2.7%も減った。これはここ何世代で初の出来事だった。)一方ハリウッドはアメリカ国内からも中国共産党に迎合している姿勢が批判されている。

業界内では、アメリカが中国において築いてきた地盤を守り通せれば幸運なほうで、これ以上市場を広げることは難しいのではないかという見方が強くなっている。

ハリウッド映画業界は長年に渡って中国との意味のある協力関係を築こうと努力してきたが、それは実現していない。なにせ中国は共産主義。自分らの国の利益以外は全く考えない。中国と外国との本当の意味でのジョイントベンチャーなどありえないのだ。外国企業はどれだけ努力しても中国国内の不公平な競争にはついていけない。賄賂を払ってハリウッドを中国共産主義の広報部に雇おうとしていた中国について、この記事を解説していたユーチューブのゲストスピーカーは「賄賂は払わなければ意味がないということを中国共産党は理解していないようだ」と皮肉たっぷりに言った。

一方アメリカ国内においても、ハリウッドのダブルスタンダードに対する批判が高まっている。ハリウッドは様々な人権問題についてお説教に余念がない。BLMだあLGBTQだあ反差別だあと騒いでおきながら、中国におけるウイグル人問題をハリウッドが黙認していることに気付いている人は大勢いる。特に武漢ウイルスのせいで全国中の映画館が閉まり多大なる痛手を負ったハリウッド内にも、中国を憎む感情は高まっている。そんな状況のなかでハリウッドはいつまでも中国の人権侵害を大目に見ているわけにはいかなくなっている。

さて、この記事について説明しているこのビデオ内で、解説者の男性が言うに、この記事を掲載したザ・ハリウッド・リポーターという雑誌は業界内の人が読む雑誌で、今後のハリウッドの傾向を示唆するものだという。こういう記事が掲載されたということは、ハリウッドには中国離れをしようという動きが出ている証拠だという。

ハリウッドは決して突然道徳観に目覚めたわけではない。ただ、このまま中国に迎合していても見返りは少ないということに気付き始めただけだ。それでもそれはいいことだ。中国なんかのためにアメリカ映画界が広報部を務める義理は全くないのだから。


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ハリウッド、中共の嘘を垂れ流すホワイトモンキーたち

読者諸氏はホワイトモンキーという言葉を聞いたことがあるだろうか。これはそれぞれ14~5年中国で暮らし、何年も現地でユーチューブ活動をし、今はカリフォルニアに移転して活動を続けているADVChinaチャンネルの二人が言っていた話だ。ホワイトモンキーとは中国において製品やサービスの宣伝のために、白人というだけで雇われる人たちのことをいう。もちろん日本でも西洋人モデルが化粧品や衣服などの宣伝に起用されることは多くあるので、それ自体はさほどどうということはない。しかし中国の場合、その起用のされ方がちょっと悪質なのである。

中国では国内製品に関する信用があまりない。それで自分らの製品が外国でも認められているとか、外国で開発されたものだとかいうことにした方が信用が高まる。それに中国人には白人に憧れる傾向がかなりある。そこで、中国に住んでいる全く何の関係もない白人男性を雇って「ハロー、私は○○会社の社長です」とやらせてCMに出すと言うわけ。また医者でもないのに白衣を着て病院内を歩き回り、あたかも外国人スタッフが居る整形病院などという宣伝や、教師でもないのに外語学校のプロモーションでライブショーに参加するなどといったものもある。ADVChinaのウィンストンも、そんな資格はまるでないのに、ちょっと強面なのが買われて黒スーツと黒メガネで中国人ビジネスマンの横に立ち、あたかもボディーガードであるかのような役をこなしたことがあると言っていた。

中国で外国人が出来る仕事というのは限られているため、結構高い日当を出してもらえれば白人たちは喜んでこういう仕事をするんだそうだ。

まあこの程度ならまだどうということはない。しかし最近では中国国内で中国共産党のプロパガンダをあたかも自分の意見であるかのように英語でユーチューブに発信する白人たちが増えてきた。彼らは中国に住む西洋人で中国大好きビデオを次から次へと発信する。また中国に関する批判などに関しても、それがどう間違っているのか詳細にわたり説明するのだ。

無論日本にも日本在住で日本の生活に関して発信しているユーチューバーはいくらでもいる。だが、彼らは日本政府にやとわれているわけでもJTBの広報部でもない。いわゆるJブロガーと言われる人たちのビデオを見ていると、日本の良い面も紹介するが、同じように悪い面も紹介している。だが中国のホワイトモンキーユーチューバーは絶対に中国の悪口は言わない。というより言えないのだ。

中国に言論の自由はない。中国共産党は常に面子を気にしている。だからユーチューブでも中国大好き、中国素晴らしい、というメッセージ以外は許さない。ホワイトモンキーたちは中共という猿回しの猿でしかない。中国全土を回る素晴らしいドキュメンタリーを制作したADVChinaの二人が中国に居られなくなったというのも、面の皮の薄い中共が彼らのチャンネルで中国社会における問題点を指摘されるのが許せなかったからだ。

ホワイトモンキーたちが本当に中国共産党のプロパガンダを信じているかどうかは分からない。しかし中国では中共の言いなりにさえなっていれば白人男性は結構楽な暮らしが出来る。酒も飯も女も安い。もともと自国で怪しげな暮らしをして住んでいられなくなったような男たちでも、中国でなら王様のような暮らしが出来る。毎日中共のプロパガンダを広めるだけで楽に暮らせるというならそれに越したことはない。もともと信念などない連中だ。

信念がないと言えば、最近ハリウッドの映画俳優が台湾を独立国だと発言して中国から大目玉を食い、中国語で謝罪動画を出すに至ったという話がある。

問題となったのはファスト&フィアリアス(迅速かつ猛烈の意味)というフランチャイズ映画の新作広報インタビューの際に、俳優でプロレスラーのジョン・セナが「映画封切りの最初の国は台湾」と言ってしまったことで、中国が激怒したことから始まる。同映画は中国市場を非常に大事にしていることでもあり、セナは即座に中国版SNSで北京語で平謝りの動画を出した。

中国で大人気のハリウッドスターがわざわざ北京語で謝罪をしたということは、中共にとっては素晴らしいPRになるが、アメリカにとっては屈辱極まりない。いかにハリウッドが中国の奴隷と化したかがわかるというものだ。

ところで台湾人はこの状況をどう見ているのだろうか。私が台湾人ならこの映画はボイコットするね。ま、最初からこんなくだらない映画観る気はないけど。(一作目は飛行機の中で観て爆睡した覚えがある。

今やハリウッドもホワイトモンキーと化したわけである。


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BLMのプロパガンダフィルム、13thを観て

ネットフリックスで「13th」というドキュメンタリーが制作され、期限限定でユーチューブで全編観ることが出来るという。リンクはあえて張らないが、日本語字幕がついてるバージョンもあるらしいので、興味のある方は検索してみることをお勧めする。しかしこんな左翼プロパガンダに二時間も無駄にする気になれないという方々のために、わたくし苺畑カカシが観てせんじたので説明しよう。一応白状しておくと実は私も全編は観ていない。しかし半分も観ればこのフィルムが過激派左翼BLMによる陰謀論説であることがはっきりする。

先ず13thというのはアメリカの憲法補正案13条のことで、南北戦争後にアメリカにおける奴隷制度を廃止するという憲法である。このフィルムでは、奴隷制度が廃止された後でも、犯罪者は拘束して強制労働を課してもよいという法の抜け道を使い、地方政府は黒人を些細な犯罪や冤罪で拘束して引き続き奴隷のように扱ったと語る。まあそういうことは確かにあっただろう。しかし犯罪者がチェーンギャングとして強制労働を強いられたのは黒人だけではない。南北戦争後に書かれた「風と共に去りぬ」でも白人のチェーンギャングが登場し、スカーレットの従弟メラニーが「犯罪者を使うなんてひどい。なんで黒人を使わないのよ」なんて場面が登場するくらいだ。

奴隷制度が廃止されたからといってすぐさま黒人差別がなくなったはずがないことくらいは誰でも想像がつくし、差別は引き続きあったことは誰もが知っていることだ。しかしこれは1860年代の話である。

ウッドロー・ウィルソン大統領の時代(1913-1921年)になっても、黒人差別は引き続きあった。特にウイルソン大統領の黒人差別は悪名高い。ウイルソンン大統領はホワイトハウスで「国家誕生」という黒人を猿に見立てたようなひどい黒人差別映画の試写会をやったほどのレイシストだった。無論彼はバリバリの民主党。ウイルソン政権が黒人は犯罪者の集まりだという印象を国民に広げたというのは全くの事実である。

13thは四期も大統領を務めた反ユダヤ人で反日本人のレイシストであるルーズベルト時代をすっとばし、民主党が施行していた黒人差別法のジム・クロー法の時代も無視し、人権運動後の共和党大統領ニクソン(1969-1974)の話を始める。ニクソンの公約は「法と秩序」だったが、人権運動で荒れていた国家をひとつにまとめようと言う彼の努力をフィルムは反黒人政策だったと決めつける。

ニクソンの「法と秩序」とは黒人差別の犬笛だとし、伝統的に民主党支持者だった南部の低所得白人を共和党に引き付けたとする。フィルムは無視しているが、黒人差別の悪法を取り除き黒人を白人と平等に扱おうという人権法を通したのは共和党である。そして黒人と白人が平等に公立学校に通えるようになるのを最後まで反対していたのは民主党なのだ。だから黒人への差別意識が強い白人が黒人の人権を守る法律を通した共和党になびくはずがない。この時点で民主党から共和党に移党した白人がいたとしたら、それは民主党の人種差別に嫌気がさした白人たちだろう。

それと、アメリカにはアファーマティブアクションというものがある。これは黒人学生が白人と同じように高度な勉学が出来るようにと、恵まれない黒人に手を差し伸べる法律だ。そしてこれを積極的に通したのが誰あろうニクソン大統領だったのだ。フィルムはこの新政策のおかげで黒人学生は未だに大学受験や就職で優遇されているという事実があることを都合よく忘れている。

さて、そのあとでフィルムはレーガン大統領時代(1981-1989)の話になる。レーガン大統領の減税は金持ちだけが得をし黒人層に大打撃を与えたという。1980年代のアメリカはものすごい好景気だった。資本主義社会では金持ちがもっと金持ちになることで貧乏人が余計に貧乏になるということはない。よく80年代の記憶がない人が、80年代は金持ちが余計に金持ちになって貧乏人が余計に貧乏になったというが、そんなことは起きていない。金持ちと貧乏人の格差が広がったというのはそうかもしれないが、それは必ずしも貧困層がより貧乏になったという意味ではない。国全体が豊かになれば低所得者の給料も上がるからだ。

さてそれはともかく、レーガン大統領のファーストレデイであるナンシー夫人が始めた「Just Say No!」が黒人を標的にした政策だったとフィルムは主張する。その理由というのがクラックコケインの取り締まりが不当に黒人を標的にしているというものだ。クラックは黒人が好む傾向があり、同じコケインで白人が好むのはパウダーのほうだという理屈である。それでクラックの取り締まりを厳しくすることによって黒人が大量に拘束されたというのだ。

しかしこの理屈には無理があるだろう。アメリカでは麻薬所持は違法だ。クラックがパウダーより罪が重いのは量の問題だろう。白人がクラックを使っても罪にならないというのなら別だが、クラックを使ったものは黒人でも白人でも同じ罪に問われる。もし大量に拘束されたくなければクラックを止めればいい話だろ。つまりこれは、黒人には麻薬中毒患者が白人よりずっと多いと認めているようなものだ。

ニクソン大統領の法と秩序が反黒人だという理屈にしても同じことが言える。黒人というだけで無実の人間が冤罪をかけられて逮捕されるということがしょっちゅう起きているというのなら別だが、そんな事実は証明されていない。つまり逮捕されたということは犯罪を犯したということになる。大量拘束されたくないなら犯罪を犯さなければいいではないか?

レーガン大統領ほど民主党と共和党をまとめた大統領も珍しい。当時リベラルといわれる民主党支持者が大量にレーガン支持なり共和党に移行した。いわゆるネオコンサーバティブといわれる人々がそれだ。

ここから先のフィルムは観ていないが、まあここまで観れば、これがいかにくだらない陰謀論説フィルムであるかがお分かりいただけたと思う。

結局BLMの連中は共和党大統領はこぞって反黒人で、一見して正当に見える政策もすべて黒人弾圧のためのものだと言いたいらしい。

しかし喜ばしいことにアメリカのほとんどの黒人はBLMのような悪質なテロリストでもその従者みたいにバカでもない。この間の世論調査ではなんと黒人有権者の41%がトランプを支持していると答えている。大統領選で共和党は黒人票を15%集められれば楽勝だといわれている。ということは41%も支持率があったらトランプは雪崩勝利すること間違いなしである。

BLMやアンティファがどれほど騒ごうが、聡明なアメリカ市民は(黒人も含めて)トランプ大統領を信頼しているということなのだ。


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ハリウッド大物セクハラプロデューサー、ハーベー・ワインスタイン強姦罪で有罪判決で釈然としないミーツー運動の偽善

2017年ミーツー運動のきっかけとなった、セクハラ常習犯として告発されたのがハリウッドの大物プロデューサー、ハーベー・ワインスタイン。先日その彼がニューヨークの裁判で強姦罪などで有罪となった。

ニューヨーク(CNN) 米ニューヨークの裁判所の陪審は24日、女性に対する性的暴行などで起訴されたハリウッドの大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン被告に有罪評決を出した。被告は直ちに収監され、最短で5年、最長で20年超の禁錮刑が言い渡される見通し。 (略) 同被告は女性1人に対して性的行為を強要した罪と、別の女性へのレイプの罪で有罪となった。ただ起訴内容にあったより重い性的暴行の罪に関しては無罪となった。

ハーベー・ワインスタインは悪名高いセクハラ及び強姦男。自分の立場を悪用して多くの女優や若手女優志望者らに性関係を強要してきた。彼の悪行は周りのみんなが知っていた。だが誰もそれを表立って批判せず、それどころかアカデミーは彼のプロデュースした作品のいくつもに作品賞を授与していた。メリル・ストリープなどはワインスタインを神とまで呼んで賞賛していた。

ハリウッドではキャスティングカウチといい、いわゆる日本で言うところの枕営業は普通だ。ハリウッド映画界が出来た当初から女優や(時には男優も)出世のためにプロデューサーや監督と寝るのは普通に起こなわれてきた。にも拘わら関係者がずっと口をつぐんできたのは、プロデューサーや監督の権力が大きすぎ、それに逆らったり告発したりしたら自分のキャリアが損なわれるのは火を見るよりもあきらかだったからである。2017年のニューヨークタイムスの記事では、ワインスタインが民事訴訟を起こした被害者たちに多額の慰謝料と口止め料を支払っていたことが暴露された。

ではなぜ突然、長年行われてきたワインスタインの悪行が暴かれたのであろうか?ここでハリウッドの偽善者たちが突然正義感に芽生えたなどと思うのは甘い。

中国共産主義社会でも時々贈賄罪などで共産党幹部の人間が逮捕され罰せられる事件が起きるが、誰もが腐敗している共産党内で何故突然誰かが罰せられるのかと言えば、それは彼が特別悪いことをしたからでも突然証拠が挙がったからでもなく、単にその人間の権力が衰えたからにすぎない。つまり共産圏内部の権力争いに負けたということなのだ。

ワインスタインの件も同じだ。彼の悪行が暴かれたのは、そういうことをやっても大丈夫な状況になっていたから。つまり、彼のプロデューサーとしての力がハリウッド内部で弱まったため、ここぞとばかりにライバルたちから付け込まれたのである。 ワインスタインはセクハラ以外にもその汚いキャンペーンのやり方で多くの敵を作って来た。 彼を好ましく思わないライバルたちはいくらもいたはず。そんな彼らが今こそ彼を叩き潰すチャンスとばかりに一斉に彼を叩き始めたのだ。

さて、ミーツー運動に話を戻すと、私が彼女たちの運動に全く同情できないのはその偽善さにある。ワインスタインが権力者だった頃には自分らも彼の権力を少なからず利用して枕営業をしたり、実際にセクハラにあってもそれを逆手に取って自分に都合のいいように利用したりしてきた女たちが、ワインスタインが落ちぶれてから一斉に彼を叩きはじめた。中にはワインスタインと付き合っていた女たちのなかからレイプされたなどと言い始める輩も出た。

ワインスタインに限らず、自称フェミニストたちは、セクハラや強姦の被害者女性たちをかばうような発言をしておきながら、実際にセクハラ強姦常習者だった男たちを自分たちに都合がいいからと何十年も庇ってきた。

例えば、左翼リベラルフェミニストたちから圧倒的な人気があったビル・クリントン元大統領は、候補者の頃から不倫疑惑やセクハラ疑惑で色々取沙汰されていた。彼にセクハラされたとか強姦されたと訴えた女性たちは何人もいた。弾劾裁判まで巻き起こしたインターンとの不倫事件など、クリントンの女癖の悪さは誰も無視できなかった。にも拘わらず左翼フェミニストたちはクリントンを責めなかった。

いやそれどころか、ビルの被害者女性たちの口封じを脅迫を使って積極的に行ったヒラリー・クリントンをフェミニストの代表のように祭り上げて大統領候補にまでしたのが左翼リベラルとフェミニストたちなのである。ヒラリーは自分以外の女のことなど考えたこともないアンチフェミニストであるにもかかわらず、左翼フェミニストたちはそれを完全無視して彼女を推した。

そういう彼女たちが今更ミーツーとか言ってセクハラ批判などしてみても、彼女たちの本意が女性救済にあるなど、全く説得力がない。

セクハラも強姦も誰がやってもダメなはずだ。相手が自分と同じ政治見解を持っていれば許されるなどと考える人間がフェミニストを気取る資格はない。そんなご都合主義がフェミニズムなら、そんな運動が支持されないのは当然だ。多くに人がミーツー運動に共感できないのも、そういう偽善があまりにもあからさまに見えるからだろう。


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英雄から容疑者へ、アトランタオリンピック爆弾犯人に仕立て上げられた男の悲劇。リチャード・ジュエル

本日の映画紹介はクリント・イーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」。

この話は1996年のアトランタオリンピックで 死者二人負傷者100人以上を出した 爆弾テロ事件をめぐり、最初は爆弾の第一発見者として英雄扱いされた会場警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)が、2~3日のうちにFBIの第一容疑者となってメディアやFBIに何週間にも渡って執拗に攻められた気の毒な男性の話で実話である。

きっかけは色仕掛けで近寄って来た地元新聞記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)に口の軽いFBI職員トム・ショウ(ジョン・ハム)がうっかりジュエルが容疑者だと漏らしてしまい、それをスクラッグスが実名で報道したものだから大騒ぎ。まだ起訴もされていないのにジュエルはメディアに容疑者扱いされ、何週間にも渡ってFBIやメディアに散々叩かれることとなった。私もこの事件はよく覚えているが、あのメディアサーカスは異常だった。

FBIがジュエルを犯人扱いしたのは、彼のプロファイルが単独テロ犯罪者のプロファイルと一致しているというだけの理由だった。物的証拠は全くなかったにも拘わらず、ジュエルの生い立ちだの過去の仕事だのが毎日のように報道された。ジュエルの家の前には報道陣が押しかけ犬の散歩にも出られないひどい状況だった。まだ何も解っていない時から、いくら何でもあれはやりすぎだろうとニュースを観ながら思ったものだ。

ジュエルが容疑者扱いされた理由のひとつとして南部蔑視があると思う。FBIは地元警察ではないので、地方人の関して偏見を持っていてもおかしくない。またジュエルは小太りで南部訛り丸出しだったので、彼を田舎者扱いしたFBIやメディアの持つ犯人像と一致したのだろう。

ジュエルは当時30代半ばの独身男で母親ボビ(キャシー・ベイツ)と二人暮らしだった。事件当初はオリンピック会場の警備員だったが、もともと警察官志望で地方警察で巡査をしていたこともあるが、全く融通が利かないため色々問題を起こし首になった。その後も大学の警備員の職につくが、ここでも学生たちに必要以上の厳しい態度を取ったり、高速を走る学生の車を止めるなど、無茶な行為をしたため首になっていた。こうした過去が、警官にあこがれるあまり英雄になりたがってわざと爆弾を仕掛けて第一発見者になろうとしたのではないかと疑われる要素となった。

ジュエルの良いところでもあり悪いところでもあるのは、彼がどんな仕事でも真剣に取り組むということだ。例えば、警備員になる10年前、法律事務所で事務員をしていた時、事務員としては最下位のメールルームクラークだったジュエルは、事務所の弁護士の一人だったワトソン・ブライアント(サム・ロックウエル)と出会う。ジュエルは観察力が抜群でブライアントの引き出しにセロテープが足りなくなっているのに気づきすぐに足したり、ゴミ箱にスニッカーズキャンディーバーの包装紙が捨てられているのを見ていくつもスニッカーズを引き出しに置いておくなどしたため、ブライアントはジュエルにレーダーとあだ名をつけた。口は悪いが根はやさしいブライアントとの出会いは後にジュエルの人生を変える大事な出来事だった。

ジュエルはまた勉強家でもあり、警察官にあこがれていたため、テロや爆弾や犯人像などといった犯罪に関する本もたくさん読んでいた。オリンピック会場のコンサート広場に置かれていた爆弾の入ったバックパックを発見できたのも、彼が人一倍観察力がありテロリストに関する知識を持っていたからなのである。 そしてまた彼は射撃も得意でしょっちゅう射撃の練習をしており、家にも多くの銃砲を所持していた。このように彼の知識の豊富さや観察力や射撃の腕などがかえって災いし、FBIはジュエルは爆弾犯人にピッタリだとこじつけをしたのだ。

このジュエルの無実を信じ彼の弁護士となるのが、10年前に出会ってその後ずっと会っていなかったブライアント。彼はその時はすでに独立しており、従業員は秘書のナディア・ライト(ニナ・アリアンダ)だけという流行らない法律事務所を営んでいた。

ジュエルが無罪なのは、ちょっと捜査すればすぐにわかることだった。FBIほどの資源がある組織がそのことに気が付かないなど考えられない。では一体何故FBIは執拗にジュエルを犯人扱いしたのだろうか?

ジュエル役のハウザーは本当に地方都市に居そうな太っちょ警備員をうまく演じている。私が好きなのはジュエルはお人好しだしちょっとやりすぎな面もあるが、決してFBIやメディアが思うような馬鹿な男ではないこと。いや、実は結構頭が切れる。見かけや南部訛りで偏見を持って馬鹿にしてるFBIのトム・ショウの小細工にも騙されない。

ところで悪役のショウを演じるジョン・ハムは凄いハンサムだし、記者役のオリビア・ワイルドもすごい美人。悪役二人が美男美女で主役がふとっちょ男というのも面白いもんだ。メディアや一般人がいかに見かけに騙されるかがわかるというもの。余談だがキャシー・スクラッグス当人はすでに他界しているが、彼女の描写がひどいと言って遺族がイーストウッド監督に謝罪を求めているという話だ。はっきり言って彼女のやったことを考えたらあの程度は生ぬるいと思うがね。

すべての登場人物に無駄がなく、演技も申し分ない。特に弁護士役のサム・ロックウエルと母親役のキャシー・ベイツが光る。憎たらしいジョン・ハムや自分のやったことの恐ろしさに気づくオリビア・ワイルドも説得力ある。

本当はキャッツを観に行く予定で映画案内を観ていたのだが、映画館でこの映画を上映してることを知って気が変わった。観てよかった!


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ミュージカル仕立てのエルトン・ジョン伝記映画、ロケットマン

前回の晩年だけを描いたジュディ・ガーランド伝記映画とは正反対に、幼児期から現在に至るまでのエルトン・ジョンの半世紀を描いたロケットマンはとってもよかった。映画の売り上げはクィーンのフレディ・マーキュリーを描いたボヘミアンラプソディほどよくなかったようだが、映画としてこちらの方がよく仕上がっていると思う。

先ずなんといってもいいのが、映画が完全にミュージカル仕立てになっていること。歌手の伝記だから時々彼のうたう場面があるというのではなく、実際に登場人物が会話の途中で歌い出し、周りの人達が踊り出すという正真正銘の恥じないミュージカルなのだ。 タロン・エジャトンがエルトン・ジョンを演じ全曲みごとに歌いこなす。

エルトン・ジョンといえば奇抜な恰好でピアノを弾きながらワイルドな歌を歌うことで有名だ。映画の冒頭ではジョンが悪魔のようなギラギラ衣装でスポットライトを浴びながら廊下を歩いてくる。扉が開き満場のスタジアムが繰り広げられるのかと思いきや、なんとそこは薬物依存症回復病院のオリエンテーション室。他の依存症患者たちに交じって、ジョンは折り畳みのパイプ椅子に座り、「僕はエルトンジョン。アル中、薬物依存症、セックス依存症です。」と言って自分の生い立ちを話はじめる。ここで「ビッチイズバック」をジョンが歌い出し、回想シーンが始まる。この出だしのミュージックナンバーがこの映画のトーンを決める。

ジョンは1950年代のイギリスでレジョナル・ドワイト(子役マシュー・イレズリー)として生まれ育つ。子供の頃からピアノの才能があり、ピアノ教師の勧めで王立音楽学校( The Royal Academy of Music )へ奨学金で入学。しかし両親の仲は悪く、父親のスタンリー(スティーブ・マッキントッシュ)は幼いレジーに全く愛情を示さない。結局父親は母親(ブライス・ダラス・ハワード)の浮気が原因で母子を捨てて出ていく、子供のレジーにさよならも言わず。この頃からジョンは愛情に飢えていた。

十代のジョンはイギリスツアー中のアメリカのソールバンドの伴奏バンドの一員となる。バンドメンバーの勧めで作曲も手掛けるようになり、名前もエルトン・ジョンと改名。 ディック・ジェイムス(ステファン・グラハム)のDJMレコードと契約し、レイ・ウィリアムス(チャーリー・ロウ)をマネージャーとして本格的なミュージック活動を始める。ここでウィリアムスの紹介で生涯の大親友そしてビジネスパートナーとなる作詞家のバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会う。

トーピンの詩に曲を付けながら歌う「ユアソング」のシーンは感動的だ。これでジョンとタウピンの作詞作曲コンビがどれだけ素晴らしいものであるかがはっきりする。

エルトン・ジョンが同性愛者であることは周知の事実だが、私はてっきりジョンとトーピンは恋人同士なのだと思っていた。しかし映画によれば、彼らの関係は兄弟のような大親友であり愛人関係にはなかった。トーピンは異性愛者でジョンのアメリカ遠征などにもずっと付き添っていたが、パーティーで出会う様々な女性たちと楽しんでいた。

そんなアメリカでのパーティーで、トーピンが美女と消えた後、一人残されたジョンの傍に近づいてきたのがジョン・リード(リチャード・マデン)。ジョンはリードのエキゾチックな魅力に一目ぼれ、二人は一夜を共にする。これがジョンの後の自堕落な暮らしのきっかけとなる。

ジョンのキャリアはロケットのようにうなぎのぼりに成功していく。数々のヒットを飛ばし1970年代最高のアーティストとなっていく。この頃からジョンは奇抜な衣装を着て、そのステージもかなりワイルドなものとなっていった。しかしその反面、マネージャーとなったリードによる悪影響で酒や麻薬におぼれるようになるジョン。リードからの虐待や裏切りが続き、薬物やセックス依存がひどくなり、大親友のトーピンまでも遠ざけてしまい、遂には自殺未遂、、、

その後どうなるかは映画を観てもらうとしても、ジョンはいまでも元気に生存しているし、男性と結婚して子育てに励んでいるくらいなので、ハッピーエンドであることは間違いない。ジョンのヒット曲がその場その場に合わせてミュージカルのナンバーとしてちりばめられている。

個人的にジョンの最初のマネージャーを演じたチャーリー・ロウとトーピンを演じたジェイミー・ベルが光ってると思う。ミュージカル好きでジョンのファンにはたまらない映画。是非お勧め。

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伝記映画(バイオピック)の難しさを感じた「ジュディ」

先日往年のミュージカルスター、ジュディー・ガーランドの晩年を描いた レネー・ゼルウィガー主演 「ジュディ」を観て来た。

私はジュディー・ガーランドの大のファンで彼女の出演した映画は若いころミッキー・ルーニーと共演したアンディー・ハーディのシリーズから、オズの魔法使いといった少女時代から、ミートミーインセントルイスやハービーガールズといった青春期、そしてサマーストックやイースターパレードといった大人になってからの映画も大好き。スター誕生では歌や踊りだけでなく強い演技力も見せた。彼女の主演した映画はすべてではないがMGM時代のものはほとんど観てる。であるから、彼女のような大スターの人生を描くなら、こうした功績についても色々語ってほしいと思うのは一ファンとして当然のこと。

しかし、往年のミュージカルスターの伝記とはいえ、この映画「ジュディ」は彼女の過去についての描写がほとんどない。それどころかガーランドが落ちぶれて一文無しになり、住む家すらない麻薬とアルコールの中毒に苦しむ惨めな中年女性という印象が全面に押し出されている。

ゼルウィガーが吹替を使わずにすべての曲を熱唱しているところはすばらしいし、かつての面影が歌っている時だけかすかに見え隠れする描写はさすがゼルウィガーという気がするが、それでもあんな偉大なスターの終わりがこんなに惨めだったと強調したいなら、かつての輝かしい時代との比較が必要だったのではないだろうか?

映画はかつての大女優とは思えないほど落ちぶれ、安キャバレーで歌いながら宿泊していたホテルからも追い出されてしまうような一文なしのガーランドが、別居中の夫シドニー(ルーファス・ソウル)から二人の幼い子供たちの親権を取るためにイギリスの人気ナイトクラブで出演していた数か月を描いている。

身長150センチという小柄な体系のため、太っていなくてもぽっちゃりに見えてしまうガーランドは、MGM時代にスタジオから痩せるように常に圧力を受けていた。厳しいマネージャーが付いていて食事もろくろく食べさせてもらえなかった。また長時間の撮影に耐えるために覚せい剤を渡され、夜は眠れないため睡眠薬を処方された。1930年代のハリウッドスタジオによる子役虐待は悪名高い。そのせいでガーランドは少女時代が終わっても薬に頼らずには機能しないほどの中毒患者になっていた。

薬物依存症であるため、時間はきっちり守れないし、舞台に穴をあけてしまうなど日常茶飯事。ガーランドのキャリアが破壊されてしまったのも、過去三回の結婚が破滅したのも、ほとんどこれが原因。だからイギリスのクラブ出演もかなり危ないスタートを切る。

そんな彼女の面倒をみるのがロザリン(ジェシー・バックリー)。本人の昔のインタビューによると、ガーランドの世話は大変だったが、一旦スイッチが入ると彼女の歌は最高だったと語っていた。ゼルウィガーは舞台袖で「だめ、歌えない」と言ってたガーランドが、舞台に立った途端に素晴らしいパフォーマンスを見せるのを対象的に見せる。

ゼルウィガーはプロの歌手ではないので、ガーランドの声にしてはちょっと弱々しい感を否めないが、ガーランド自身がかなり衰弱していたことでもあり、この頃の彼女の声はかなり弱っていた可能性はあるから、結構現実的なのかもしれない。

ただガーランドのファンとしては、往年の力強い歌声をもっと聞きたかったなという気がする。

ガーランドはこの公演中に12歳年下のミッキー(フィン・ウィットロック)と結婚するが、結局うまくはいかない。数か月後、薬物摂取で事故死したガーランドの遺体を自宅で見つけたのが、最後の夫ミッキーだった。享年47歳という若さだった。


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